777投稿集 6034697
日本の旅 _ 北海道 | ■↑▼ |
2024/01/14 (Sun) 10:59:52
日本の旅
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14037431
▲△▽▼
日本の旅 _ 北海道
道南セイコーマートの旅
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14125165
【礼文島】これも日本?! 感動で心臓が止まりそうな景色に出会う。
https://www.youtube.com/watch?v=vACNw6PfNY4
【知床五湖】日本の世界自然遺産へ。その’本気’が予想を上回る?!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16828627
【北海道】憧れのまち余市へ!お酒と壮大な景色を大満喫
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14101661
【絶望】知られざるもう1つの元寇、元の樺太侵攻【世界の戦術戦略】
バトルヒストリー 2024/05/28
アイヌ人は強かった
https://www.youtube.com/watch?v=RjZcLaVYHcM
2025/03/25 (Tue) 06:53:47
【北海道・紋別】念願の流氷!感動の絶景に涙がこぼれる
安涼奈 /Alyona 2025/03/23
https://www.youtube.com/watch?v=XSALTFZUngY
ロシア生まれ育ちの私ですが、
南部で育ち雪景色を見ることが少なかったです。
そのせいか、北海道の冬景色は憧れなのです
2025/03/28 (Fri) 10:19:00
【極寒の北海道で大挑戦】ロシア人女性が釣りと地元祭りに全力トライした結果
安涼奈 /Alyona
https://www.youtube.com/watch?v=3t_r3rpMuoU
今回は北海道のおじいさんとおばあちゃんと一緒に念願のワカサギ釣りに初挑戦をしました。
結果は恥ずかしいのですが
2025/04/17 (Thu) 04:12:21
地価上昇率トップを北海道が独占…住宅地は外国人に人気“第2のニセコ”富良野市の31.3%…商業地は次世代半導体工場「ラピダス」効果で千歳市の48.8%…周辺の自治体にも波及「高くて住めない」
2025年3月18日
https://www.uhb.jp/news/single.html?id=49453
土地取引の目安となる地価が公表されました。
住宅地の上昇率で全国一となったのは「第2のニセコ」と言われる北海道富良野市でした。
富良野市でウィンタースポーツを楽しむ外国人
街は様変わりしています。
ウィンタースポーツを楽しむ外国人でにぎわう富良野市です。
「他のスキー場よりパウダースノーがいい」(アメリカからの観光客)
「素晴らしい。地元の人も親切で歓迎してくれる」(オーストラリアからの観光客)
北海道不動産鑑定士協会 横山 幹人 理事
スキー場のふもとにある富良野市北の峰町の一角が、2024年に引き続き住宅地の上昇率全国一となりました。
上昇率は31.3%。1平方メートル当たり6万5000円です。
リゾート地として注目を浴びる中、円安の影響で海外の需要が高まり「第2のニセコ」とも呼ばれています。
「ホテルやコンドミニアムの建設が建築費の高騰で一時止まっていたが売買があった。外国人から見ると円安は旅行しやすいので影響はある」(北海道不動産鑑定士協会 横山 幹人 理事)
2階建て7LDKの物件
物件を探す海外の投資家の姿も。
800平方メートルを超える土地付き2階建て7LDK。
北の峰地区のスキー場まで10kmほどで、販売価格は6800万円です。
「天気がいいと景色がよく見える。土地がなにより広い」(不動産会社社長 石井 秀幸さん)
「民泊も可能だし、値段もいい」(韓国の投資家)
富良野市に宿泊する外国人は年間延べ25万人。
10年前の4.2倍で、地価は今後も高い上昇率となりそうです。
千歳市で建設中の「ラピダス」工場
こちらは北海道千歳市で建設中の「ラピダス」の次世代半導体工場です。
この春に試作ラインの稼働を目指していて、周辺では地価の上昇が続いています。
その影響は周辺の街にも。
「苫小牧市の東部地区はラピダスの影響があるほか、交通の要所で商業施設もあり千歳市にも通いやすい」(横山理事)
千歳市の隣町の苫小牧市。
住宅地の上昇率北海道内トップ10に、3か所がランクインしました。
苫小牧市では千歳市に近い東部を中心に、商業施設やアパートの建設や売買が増えているといいます。
「これから住みたいと探している友達で『高くて住めない』という人が多い」(苫小牧市民)
「ラピダス」効果が地価を押し上げているようです。
2025/04/29 (Tue) 15:20:19
集落の消滅が加速する北海道!駅も続々と廃止•••無人地帯がどんどん広がる深刻さ!道北のリアルな今をリポート!
【北海道】乗り物大好きチャンネル 2025/04/29
https://www.youtube.com/watch?v=Xy7tR6-z38E
見渡す限りの廃墟•••
集落の消滅が加速しています。
道北地方で最近、駅の廃止が相次いでいます。
その理由は利用客の減少というよりも、
集落そのものがなくなっているからです。
それだけ人口減少が深刻だと言えます。
かつての宗谷本線、旧歌内駅前と旧徳満駅前をめぐりました。
道北の基幹産業は一次産業だけに、
離農などが相次いでいるのも
国として考えていかなきゃいけません。
また、国境地帯でもあり
これだけ人口空白ができるというのも
考えものですね。
2025/08/09 (Sat) 01:07:05
登別のクマ牧場が大混雑!ヒグマに関心集まる•••「クマがかわいそう」と抗議の電話が相次ぐ北海道!
【北海道】乗り物大好きチャンネル 2025/08/04
https://www.youtube.com/watch?v=Pww4pemnLs8
一連のヒグマの事件を受けて、
駆除されるクマに対し
「クマがかわいそう」との電話が鳴り止まない北海道。
そうした中、
改めてヒグマに関心を持つ方も増えているようです。
登別のクマ牧場に行ってきましたが、
夏休みシーズンも重なり大変な混雑でした。
ここまで賑わうのは初めてじゃないでしょうか。
勘違いをされている方が多いので
しっかりと説明いたします。
クマ牧場のヒグマと野生のヒグマは全く違います。
餌やりをする観光客も多くなりました。
抗議をする方も含めて、
一回クマ牧場に来なさい!
ここなら餌がやり放題。
さらにいかにヒグマが恐ろしい生き物で
共生が難しいかがわかります。
アングロサクソンの文化 | ■↑▼ |
2022/06/01 (Wed) 02:58:55
アングロサクソンの文化
アングロサクソンは戦争で勝つ事で世界の覇権を持つことが出来ましたが、日本との世界最終戦争で核兵器を使用した事で自らの手を縛る事になってしまった。核戦争の時代ともなるとアメリカ本土と言えども核ミサイルの脅威にさらされて戦争が出来なくなってしまった。
戦争が生業のアングロサクソンは、戦争が出来なくなると金融で世界支配を試みようとしたのだろう。大戦後は朝鮮戦争からベトナム戦争・イラク戦争に至るまでアングロサクソンは戦争に勝てなくなり限定戦争を余儀なくされた。いわば自分で墓穴を掘っているようなものですが、戦争によって栄えたアングロサクソンは戦争ができなくなった事で覇権は終わろうとしている。
それに代わって金融による経済覇権や英語による文化覇権は戦争に代わり得る手段だろうか? 戦争に強ければ経済覇権や文化覇権はついてきたのですが、これからは経済力と文化力で覇権は争われるようになるのだろう。アングロサクソンは経済力や文化力でもでも覇権をとり続けていけるのだろうか?
それを考察するには、アングロサクソンの文化を知らなければなりませんが、太田述正氏のブログには「アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であった」ということです。彼らにとっては戦争が生業であり、平和な時は酒を飲んで賭け事に夢中になっていた。勤勉に働くという事は彼らの文化には無い。
だからこそ大戦後には限定的な戦争で覇権を維持したのでしょうが、イラク戦争やアフガニスタン戦争は大義のない戦争であり、アングロサクソンの時代は終わったとも言える。核戦争の時代では戦争で決着をつけることは不可能だからだ。それで彼らはバクチで稼ぐ金融覇権を試みたのですが、今回見事にそれは失敗した。
アングロサクソンは、ローマ化した大陸のゲルマン民族とは違って、戦争好きなゲルマン文化を多く残していた。個人主義と自由主義はアングロサクソン文化でもあり、大陸の全体主義文化や社会主義文化とは相容れないものだ。しかし今回の金融恐慌は社会主義的な方法でしか混乱は収められないものであり、市場原理主義は敗れたのだ。
だからこそ倉都康行氏は、社会民主主義的な伝統を持つEUが主役に踊り出るだろうと予想していますが、そもそもヨーロッパ全体が戦争好きなゲルマン文化の要素を持っており、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもあった。すなわち全面戦争が出来なくなった時代は長く平和が続き、戦争で決着をつけるアングロサクソンの文化は衰退せざるを得ない。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu178.htm
アングロサクソンは純粋のゲルマン文明
アングロサクソン文明とアングロサクソン以外の欧州(以下、欧州とします)文明は、なぜ近くにあって大きく違うのでしょうか。また、それぞれどのような文明なのでしょうか。
太田さんの言によると、アングロサクソンはゲルマン民族の伝統をほば変わらず持ち続け、他方、欧州(のゲルマン諸族)はローマ化してゲルマンの伝統をほぼ失ってしまった人々であり、また(大雑把に言って)アングロサクソン文明はゲルマン由来の「個人の自由の尊重」(=個人主義)を中心的価値とする文明であり、欧州はローマ由来の「宗教(中世まで)や一般意思(近代以降)の優越する」文明(=全体主義的)、ということのようです。
では具体的に、ゲルマン民族の価値観や文化とはどういうもので、どのように形成され、なぜブリテン島のアングロサクソンにだけ受け継がれたのでしょうか。
戦争を生業とするゲルマン人
「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。
「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。
こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。
ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。
だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。
「では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。
私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・(略)(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。
(注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、
家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他す
べてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰にのみ打ち
暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。
ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。
つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。
「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)
戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。
(注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行な
い、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身
柄を賭けても争う・・。」(112頁)
注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。」(コラム#852(*2)より抜粋)
以上のように、ゲルマン民族は一人一人が戦士であり、戦争を生業とする人々であったようです。額に汗して働くことよりも、自分が負傷したり命を落とすリスクがあっても、戦争によって掠奪品を得るほうが、はるかに効率がよく得るものも大きいと、当然のように考えている人々だったのです。
そして戦争遂行という最優先事項のためには、部族の全員が一丸となって協力し、また戦争をする上では、合理的な計算に基づいて、可能な限りコストや被害を少なくして、いかに効率よく戦争を遂行できるかということを追求した形で、実行されていたのです。
ゲルマン人の個人主義
ゲルマンの成人男子は一人一人がプロの戦士で、部族全体が戦争という生業のために一致協力していた、ということは分かりました。では、その戦闘民族的な側面以外に、ゲルマン特有のユニークな点はあるのでしょうか。
「ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴル等の遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。
それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。
その個人主義と民主主義です。
「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81~82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89~90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。
また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65~69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。
以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。」(コラム#852より抜粋)
「まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、食い扶持を確保した上で、更に戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。
ここで実益の追求とは、個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。
(注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼
ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後
に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔
したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・
近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。
タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。
しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。
そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。」(コラム#857(*3)より抜粋)
自由の意気と精神、つまりは戦士たる己の力(能力)のみを頼りとして支配されることを由としないということ、それぞれが戦士として自立していること、戦時以外の自由を尊重すること、これらのことから、ゲルマン人にはごく自然なこととして個人主義が定着していたと思われます。
部族内においては、戦時以外では自分も他人も自由が侵されず、制度的なしがらみもない。ゲルマン人は戦争を生業とする戦士であったことで、かなりの程度、個人主義、自由主義が文化として浸透していたようです。また(義務を果たしている人々である)戦士による直接的な民主主義も行われていました。一見、個人主義や民主主義というと、古代ギリシャ等、文化的に高いレベルにあって初めて実現すると思い勝ちかもしれませんが、なるほど、武の伝統から生まれることもある、というところはユニークで面白いですね。
アングロサクソンの起源
では、このようなゲルマンの伝統が、いかにしてブリテン島に伝播し、維持されていったのでしょうか。アングロサクソンの起源を確認しておきましょう。
「今まで随時、アングロサクソン論を展開してきましたが、このあたりでアングロサクソンとは何かを振り返っておきましょう。
5世紀に、スカンディナビア及び北ドイツから様々なゲルマン支族がイギリスに渡ってきて、ケルト系先住民のブリトン人(=ローマ文明を継承できていなかった)を辺境に駆逐した上で定住し、相互に通婚してアングロサクソンとなります。(8世紀にベード(Bede)は、アングル支族、サクソン支族、ジュート支族の三支族が渡ってきたと記しましたが、これは単純化しすぎだと言われています。)(Historical Atlas of Britain, Kingfisher Books, 1987 PP30)
このアングロサクソンは、7世紀末までにキリスト教化します(前掲Historical Atlas of Britain PP32)。アングロサクソンの部分的ローマ化、欧州化です。
しかし、9-10世紀には、アングロサクソンは、まだキリスト教化していない、デンマーク(一部ノルウェー)のバイキング(デーン人)の侵入、定住化を経験します。(前掲 PP38)(なお、11世紀初頭には、アングロサクソンは、後にデンマーク王とノルウェー王を兼ねることになる、デーン人(その頃には既にキリスト教化していた)の王族カヌートに一時征服されます。(前掲 PP52))
更に1066年には、アングロサクソンは、フランス北部に侵入、定住したバイキング(ノルマン人)の子孫である、ノルマンディーの領主ウィリアム公に征服されます。(前掲 PP55-57)
このように、アングロサクソンは、もともとゲルマン人としての純粋性を維持していた上に、キリスト教化した後も、累次にわたってかつての同胞であるバイキング・・キリスト教化していなかった者も少なくなく、しかも、極めて能動的(=悪く言えば、好戦的で侵略的)でした・・の侵入、定住化、征服を受け、その都度、ゲルマン精神を「再注入」させられ、「純化」させられたのです。そのおかげで、アングロサクソンは、精神のローマ化・欧州化を基本的に免れることができたのです
「また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。」(コラム#1397(*5)より抜粋)
以上のとおり、ガリアのゲルマン諸族はローマ化した結果、ゲルマンの伝統を失うことになり、海を渡ってブリテン島に渡来して現地民と同化したアングロサクソンには純粋な形で残ることとなりました。さて、そんなゲルマンの伝統をほぼ純粋に受け継いだアングロサクソンの国、英国とはどのような社会になったのでしょうか。(ちなみに最新の研究によるとアングロサクソンの起源はバスク系の人々とベルガエというゲルマン系の人々がかなり関係しているようです。詳しくはコラム#1687(*6)を参照してください。)
(*4)コラム#74<アングロサクソンと北欧神話(アングロサクソン論3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955759.html
(*5)コラム#1397<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954436.html
(*6)コラム#1687<アングロサクソンの起源>
http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html
commonlaw
1 英国で、通常裁判所が扱う判例によって発達した一般国内法。一般法。→エクイティー
2 ローマ法・大陸法などに対して、英米法の法体系。
かんしゅう‐ほう〔クワンシフハフ〕【慣習法】
慣習に基づいて社会通念として成立する法。立法機関の制定によるものでなくても、法としての効力を認められている慣習。一種の不文法。習慣法。
アングロサクソン社会のユニークな点として、まずはコモンローを挙げてみたいと思います。コモンローと言えば、アングロサクソンの慣習法、自然法といったことを思い浮かべますが、太田さんはどのように考えているのでしょうか。
「クライムスは、「11世紀初頭において、[イギリスを征服したデンマーク王]カヌートは、それより半世紀後のウィリアム征服王と同様、・・彼らの前任者たる王達によって、築かれた伝統や身分を破壊しようとはしなかった。」と述べ、アングロサクソン期と中世の連続性を指摘した上で、「[アングロサクソン期の]イギリス王は、法の源ではなかった。・・法は種族の慣習、または部族に根ざす権利からなり、王は、部族の他のすべての構成員同様、法に全面的に従属していた。・・法は、本質的には、その起源からしても非人格的なものであって、いにしえの慣習や、部族共同体の精神に由来すると考えられていた。
法を宣言し、裁定を下すのは、王の裁判所ではなく、部族の寄り合い(moot)であり、王の任命した判事や役人ではなく、訴追員や審判員の役割を担った、近所の自由人達であった。・・王は、単に、法と寄り合いの裁定を執行するにとどまった。」と言っています。
こういうわけで、自由と人権の起源もはるか昔の歴史の彼方へ渺として消えていってしまいます。
この、マグナカルタ、権利の請願、権利の章典、アメリカ独立宣言などを次々に生み出していった淵源としてのアングロサクソン古来の法こそ、Common Law (コモンロー)なのです。
われわれは、個人主義が、アングロサクソン文明の核心にあることを見てきました。しかし、個人主義社会という、人類史上空前の「異常」な社会が機能し、存続していくためには、個人が、他の個人、集団及び国家の侵害から守られていなけれなりません。守ってくれるものが、王のような個人であったり、グループや、国家であったりすれば、それらが、一転、おのれの利害にかられ、私という個人の自由、人権を侵害するようなことがないという保証はありません。守ってくれるものが非人格的なコモンローであり、王も含めて全員がこの法に拘束されるということの重要性がここにあるのです。
(略)
フォーテスキューは、フランスは絶対君主制であり、すべての法が君主に発し、人々はそれに服するが、イギリスは、人々の自発的黙従に基づく制限君主制であり、王自身、彼の臣民と同じ法に拘束されるとし、「予想される不幸や損害を防止し、一層自らと自らの財産を保護するためだけに王国を形成した国が、イギリス以外に存在しないことは明白である。」と指摘します。」(コラム#90(*7)より抜粋)
アングロサクソンにとってのコモンローとは、古来からの個人主義の精神に基づいて、必然的に生まれた慣習法体系だと言えそうです。個人の自由や権利や財産を守るための法が自然法として定着していて、王といえど権利を制限され法の支配の下に置かれるというわけです。このことは、アングロサクソンは古来から人治主義ではなく法治主義であったという見方ができますね。
考えてみれば、個人主義であるためには、法の整備と遵守が全員に徹底していなければ実現できないであろうことは、当然と言えば当然ですね。
ちなみに個人主義だけでは遠心力が働いて社会が瓦解してしまうことを防ぐための制度として、コモンローとはまた別にアングロサクソン文明固有の「信託」という思想があるようです。信託については、コラム#1399(*8)と#1400(*9)を参照してください。
(*7)コラム#90<コモンローの伝統(アングロサクソン論8)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955743.html
(*8)コラム#1399<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954434.html
(*9)コラム#1400<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954433.html
資本主義と反産業主義
個人主義社会であるからには、同時に、資本主義社会でもあると言えそうです。個人主義が貫徹している社会であれば、個人が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を、誰もが持っているはずだからです。
「個人主義社会とは、個人が部族・封建制・教会・領域国家等、欧州史の古代・中世におけるような社会諸制度のしがらみから、基本的に解放されている社会です。
ちなみに、個人主義社会と資本主義社会はイコールであると言ってよろしい。個人主義社会とは、上記のごとき社会諸制度によるしがらみから基本的に自由に、個人が自分の財産(労働力・カネ・モノ)の使用・処分を行うことができる社会であり、これぞまさしく資本主義社会だからです(注6)。
(注6)これは、英国のマクファーレーン(Alain Macfarlane)の指摘だ
が、この話をもっと掘り下げて論じたいと以前(コラム#88)記しな
がら、マクファーレーンのその後の著作等の勉強を怠っているた
め、今後とも当分の間、この「約束」を果たせそうもない。」(コラム#519(*10)より抜粋)
「しかも、個人主義社会なのですから、アングロサクソンの各個人は、自分自身(の労働力)を含め、自分が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を持っており、実際にその権利を頻繁に行使しました。そういう意味で、アングロサクソンは全員が「商」(資本家)でもあったわけです
「いずれ詳しくご説明するつもりですが、イギリスはその歴史始まって以来、(すべての成人が、生産財、消費財のいかんを問わず、自由に財産を処分できるという意味で)資本主義社会であり、産業革命前に既にその「反産業主義的」資本主義は、高度に成熟した段階に達していました。
そして、(これについてもいずれ詳細にご説明するつもりですが、)イギリスは反産業主義(反勤勉主義)であったからこそ、(機械化によって楽をしようとして)産業革命を世界で初めてなしとげます。そして、イギリスは良かれ悪しかれ、反産業主義のまま現在に至っているのです。(「産業精神」参照)」(コラム#81(*11)より抜粋)
「また、古典ギリシャ社会においても古ゲルマン社会においても、労働には低い社会的評価しか与えられていませんでした。
アテネ等のポリスでは、奴隷が労働に従事し、市民はもっぱら政治と軍事に精を出したものですし、ゲルマン民族の男達は、「戦争に出ないときにはいつも、幾分は狩猟に、より多くは睡眠と飲食に耽りつつ、無為に日をすごす・・家庭、家事、田畑、一切の世話を・・女たち、老人たち<など>・・に打ち任せて・・懶惰にのみ打ちすごす」(タキトゥス「ゲルマーニア」(岩波文庫版)78~79頁)のを常としました。
ですから、貧しかった時代ならいざ知らず、豊かになった現在の西欧諸国において労働時間が著しく減ってきたのもむべなるかなとお思いになるでしょう。
それでは、アングロサクソン諸国の労働時間の長さはどう説明したらよいのでしょうか。
アングロサクソンは世界でほぼ唯一生き延びた純粋なゲルマン人であり、ゲルマン人の生業(本来の労働)は戦争(=略奪行為)だったことを思い出してください(上記引用参照)。これは戦争以外の時間はゲルマン=アングロサクソンにとっては来るべき戦争に備えて鋭気を養う余暇だったということを意味します。だから農耕・牧畜(=食糧確保)に比べて狩猟(=食糧確保+戦争準備)をより好んだとはいえ、これら「労働」も「無為・懶惰に過ごす」こととともに余暇の一環であり、「労働」を減らす、制限するという観念は、元来彼らにはなじまないのです。
そして、キリスト教の聖書を世界で初めてに民衆が読める自国語に翻訳して大量に普及させたアングロサクソンは、ゲルマン人としての彼らのもともとの好き嫌いを踏まえ、農耕・牧畜等の「懲罰」としての「額に汗」する「労働」(labour。「陣痛」という意味もある。同義語はtask)と狩猟等のそれ以外の「労働」(work。同義語はbusiness)とを明確に区別し、hard work を厭わず(?!)labourを減らすことに腐心してきました。その最大の成果の一つがイギリスを起源とする18世紀のいわゆる産業革命です(コラム#81参照)。
これに対し、西欧ではこの二種類の「労働」を区別することなく、どちらも忌むべきものとして削減することに努めてきた、と私は考えています。」(コラム#125(*12)より抜粋)
アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であったというのは面白いですね。楽をしたいからhard workを厭わないというのも、とても面白いと思います。英国が様々な創意工夫をして近代的な発明を数多く生み出したのも、よく分かる気がします。
ちなみに太田さんは、近代文明はイギリス文明そのものといってよく、近代のほぼ全てがイギリスで始まっている、とも仰っています。コラム#84(*13)を参照してみてください。
それと、経済的物質的に貧しい社会においては、個人主義を成り立たせる余裕が無く、乏しきを分かちあいながら、共同体に埋没して生きて行くより他はないところ、イギリスで個人主義が維持できたのはイギリスが大変豊かだったからだ、という側面もあるようです。コラム#54(*14)を参照してみてください。
(*10)コラム#519<米国反仏「理論」あれこれ(その4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955314.html
(*11)コラム#81<反産業主義(アングロサクソン論4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955752.html
(*12)コラム#125<各国の労働時間の違い>
http://blog.ohtan.net/archives/50955708.html
(*13)コラム#84<イギリス文明論をめぐって(アングロサクソン論5)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955749.html
(*14)コラム#54<豊かな社会(アングロサクソン論2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955781.html
http://blog.ohtan.net/archives/51258673.html
2024/12/10 (Tue) 17:25:39
2024.12.10XML
日本軍が真珠湾を攻撃してから12月7日で83年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/
マレーで戦端を開いた直後、1941年12月7日午前8時 (現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃した。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたが、日本の外務省はそれを使い続けている。
真珠湾攻撃の半年前、1941年6月22日に300万人以上のドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたという。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)
日本軍は1939年にノモンハンでソ連軍に敗北、その後、東南アジアへ向かい始める。自分たちの利権が脅かされることを恐れたウィンストン・チャーチルは1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出した。日本軍に食糧を調達させないということで、サイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。
その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンなど自然災害に襲われる。死傷者が出ただけでなく、農作物が大きな打撃を受けた。食糧不足は避けられない状態になり、飢餓が見通されたのだが、チャーチルの意思で米の運び出しは続いた。
1943年10月、インドからチャーチル首相に対し、政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているのだが、それを首相は無視。食糧を送るというアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領からの提案もチャーチルは拒否した。
チャーチルの焦土作戦の結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。
1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月にソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。そうした中、チャーチルはインドで人びとを餓死に追い込む作戦を強行したのだ。
スターリングラードでのドイツ軍降伏に慌てた米英仏の首脳は1943年1月にカサブランカで会談、「ソ連勝利」の印象が広がらないように戦争を長引かせようと考え、打ち出されたのが「無条件降伏」だと言う人もいる。
イギリス軍とアメリカ軍は1943年7月にシチリア島へ上陸するが、その際、アメリカの情報機関はコミュニスト対策でマフィアと手を組んでいる。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。こうした作戦の目的はソ連軍だけでなく、コミュニストを主力とするレジスタンスに対抗することにあった。
アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。
当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。
ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。
チャーチルと対立関係にあったアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は1945年4月に急死、その翌月にドイツは降伏した。その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論み、イギリスのJPS(合同作戦本部)に対して作戦立案を命令する。そして5月22日にアンシンカブル作戦は提出された。
その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日を予定、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団が投入されることになっていたが、これは発動していない。発動しなかった理由は参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
ソ連と日本が手を組むことを懸念したという見方もあるのだが、イギリスには真珠湾攻撃前、「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案もあった。この案を考えた勢力は敵をソ連と考えていたわけだ。実際、アメリカやイギリスで大きな力を持つ金融資本はナチスへ資金や石油を提供していた。チャーチルはシティの中枢に繋がっている人物だが、ウォール街は1933年から34年にかけてルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画していた。この計画を阻止したのが海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。
しかし、ルーズベルトが急死してニューディール派が衰退するにつれて金融資本の力は強まる。米英情報機関は両国の金融資本によって作られたと考えられている。
チャーチルは1945年7月に首相の座から降りるが、翌年の3月にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げた。1947年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。
また、チャーチルは1951年4月に ソ連を核攻撃するという考えを口にしている。自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えていると話していたことを示す文書が発見されたというのだ。
チャーチルはシティの大物代理人であり、その戦略は今でもイギリスに残っているように見える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/
2024/12/20 (Fri) 05:44:56
バトルヒストリー _ 独ソ戦
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16878510
【閲覧注意】極度の飢え で食人まで横行…。数百万が犠牲になったレニングラード包囲戦【独ソ戦③】
バトルヒストリー 2024/12/17
https://www.youtube.com/watch?v=PEi0xWjJ00o
2025/02/19 (Wed) 00:24:22
あ
2025/02/19 (Wed) 00:33:06
【最新DNA研究】東アジア人に近縁だった古代ヨーロッパ人/古代DNA研究で明らかになる金髪と青い目の起源/ストーンヘンジと農耕民/覆ったアイスマンの姿/ヤムナヤ文化集団(西部ステップ牧畜民)の到来
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2024/11/19
https://www.youtube.com/watch?v=XtoIbXeAdSY
古代ゲノム解析研究が進んでいるヨーロッパでは次々と驚きの研究成果が報告されています。
現生人類は遅くとも4万5千年前にヨーロッパに進出していましたが、その外観や遺伝的特徴は現代ヨーロッパ人とは大きく異なっており、現代ヨーロッパ人に遺伝的な影響を殆ど残さずに絶滅した先住集団がいたこともわかってきました。
では金髪・青い目・明るい肌をした現代ヨーロッパ人はいつどこから現れたのか。
東アジア人に近縁な狩猟採集民、初期の西ユーラシア系の狩猟採集民、西ヨーロッパ狩猟採集民、初期ヨーロッパ農耕民、ヤムナヤ文化に関連する牧畜民がどのように現代ヨーロッパ人と繋がっているのか。
今回は、最新の研究成果から明らかになったヨーロッパの初期現生人類と現代ヨーロッパ人の起源について解説していきます。
ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F
白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I
この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ
古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI
この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。
▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ
アーリア人はどこからやって来たのか?DNAは残っているのか?ナチス・ドイツによる悪用とは?
History hub 2025/03/08
https://www.youtube.com/watch?v=jfh--HTH3dc
この動画では、「アーリア人の起源」を歴史・考古学・遺伝学の視点から解説します。アーリア人はインド・イラン語派を話す民族であり、約4000年前に中央アジアの**ステップ地帯(ヤムナ文化)**から移動し、インドやイランに定住しました。19世紀ヨーロッパでは「アーリア人=文明の担い手」とする誤解が広がり、ナチスが「金髪碧眼のスーパーレース」という虚構を利用しました。しかし、最新のDNA研究により、アーリア人は遊牧民の一派であり、現代のインド北部やイランに遺伝子的影響を残したことが判明しています。ヨーロッパにもステップ地帯のDNAは含まれますが、アーリア人=ヨーロッパ系ではないことが科学的に証明されています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:アーリア人って誰のこと?
02:38 第二章:どこから来たのか?
07:15 第三章:なぜ誤解が広まったのか?
10:50 第四章:アーリア人の遺伝子は残っているのか?
14:36 まとめ
ラテン人、ゲルマン人、スラブ人の違いとは?ヨーロッパ三大民族!言語、文化、宗教の違いとは?
History hub 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=R_7mbQcSAus
この動画では、ヨーロッパの主要民族であるラテン系、ゲルマン系、スラブ系の違いを解説します。ラテン人は古代ローマを起源とし、陽気で情熱的、芸術や恋愛を大切にする文化が特徴。ゲルマン人は北ヨーロッパにルーツを持ち、秩序と規律を重んじ、戦士気質と堅実な精神を持つ。一方、スラブ人は広大な東欧を中心に広がり、粘り強く、魂や共同体を大切にする文化が根付いています。それぞれの民族が築いてきた歴史や文化の特徴をわかりやすく紹介。視聴者に「自分はどの文化に共感できる?」と問いかけ、民族の違いを楽しく学べる構成となっています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:まずはざっくり分けてみよう
01:59 第二章:ラテン系とは?
05:42 第三章:ゲルマン系ってどんな人たち?
09:17 第四章:スラヴ系とは?
13:41 第五章:それぞれの違いと共通点
15:27 まとめ
ゲルマン民族の起源と文化:ヨーロッパの歴史を変えた部族たち
History hub 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=UbMKv5jFp9Q&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=4
今回は「ヨーロッパの歴史を変えたゲルマン民族:起源、文化、そして現代への影響」というテーマで、ゲルマン民族の起源や歴史、文化、そして現代への影響について詳しく解説します。ローマ帝国を滅亡させたゴート族や後のフランスを作ったフランク族、現在のイギリスに渡ったアングロサクソン族、アフリカに渡ったヴァンダル族など様々な部族に触れていきます。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:39 ゲルマン民族の起源と歴史
03:45 ゲルマン部族の紹介
03:58 西ゴート族
04:35 東ゴート族
05:08 フランク族
05:44 アングロ・サクソン族
06:14 ヴァンダル族
07:07 ゲルマン民族の文化と社会
07:26 政治制度と法
08:19 宗教と神話
09:00 日常生活と風習
09:45 結婚と家庭
10:06 祭りと儀式
10:26 まとめ
ゲルマン人とスラヴ人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!言語、文化、遺伝子の違いとは?
History hub 2025/01/25
https://www.youtube.com/watch?v=pbEXeHI_hQs
この動画では、ヨーロッパ史におけるゲルマン人とスラヴ人の違いをわかりやすく解説しています。ゲルマン人は北ヨーロッパを起源とし、ローマ帝国崩壊に関与した戦士文化と秩序重視の性格が特徴。一方、スラヴ人は東ヨーロッパから農耕文化を広げ、感情豊かで情熱的な性格を持つ民族です。遺伝学的には、ゲルマン系に多い「R1b」や「I1」、スラヴ系に多い「R1a」といったハプログループが祖先の移動や混血の歴史を示しています。現代では、ゲルマン系は技術革新や効率性、スラヴ系は芸術や精神性で世界に影響を与えています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもゲルマン人とスラブ人って何者?
03:33 第二章:どうやって広がった?
09:50 第三章:言語の違い
11:56 第五章:遺伝的な違い
14:53 まとめ
なぜヴァイキングはスラブ人を奴隷にしたのか?恐怖の人●売買ネットワークとは?アフリカまで送られていた!?
History hub 2025/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=zYPfNNYP2T0
この動画では、バイキングによるスラヴ人の奴隷化について解説しています。ヴァイキングたちは8~11世紀に、スラヴ人を略奪し奴隷として捕らえ、イスラム世界やビザンツ帝国へ輸出しました。奴隷は農業や建設、家庭内労働、さらには軍事目的で使用され、当時の経済を支える重要な存在でした。一方、スラヴ人社会はこの困難を乗り越え、後の強力な国家形成へと繋がりました。また、ヴァイキングの奴隷貿易は後の大西洋奴隷貿易の基盤となり、歴史に大きな影響を与えました。このテーマは、歴史を通じて倫理や人権について考えるきっかけを与えてくれます。
00:00 イントロ
00:34 第一章:ヴァイキングの奴隷貿易
02:30 第二章:なぜスラヴ人がターゲットに?
05:10 第三章:奴隷としてのスラヴ人の運命
08:43 第四章:ヴァイキングの視点
11:37 第五章:歴史的な影響
14:27 まとめ
ケルト人とゲルマン人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!あなたはどっち派?
History hub 2024/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=doQp6FbN7O4&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=1&t=69s
この動画では、ケルト人とゲルマン人の違いや共通点について解説しています。ケルト人はアイルランドやフランスなどに広がり、自然崇拝や芸術を重視していたのに対し、ゲルマン人はドイツや北欧に住み、実用性や戦士文化を重んじていました。宗教面では、ケルトはドルイド教、ゲルマンは北欧神話を信仰し、戦士としての誇りが共通していました。また、両民族ともに部族社会を形成し、ローマ帝国と激しく対立しましたが、自然との共生や戦士の価値観が共通していた点も強調されています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:31 第一章:ケルト人とは?
02:26 第二章:ゲルマン人とは?
04:43 第三章:ケルト人とゲルマン人の違いはどこにある?
09:09 第四章:両民族の共通点は?
12:43 まとめ
ヴァンダル族 : 破壊者と呼ばれたゲルマン民族!アフリカへの進出、ローマへの侵攻、なぜ滅亡したのか?【歴史解説】
History hub 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=y2_E1v9gasU&t=0s
この動画では、古代ゲルマン部族「ヴァンダル族」の歴史を解説します。彼らはローマ帝国末期にローマを略奪し、「ヴァンダリズム=破壊行為」の語源となりましたが、実際には無秩序な破壊者ではなく、宗教施設などは慎重に扱ったとされています。ヴァンダル族はローマ略奪後、北アフリカに王国を築き、地中海で一時的に強力な勢力を誇りました。しかし、ビザンチン帝国により滅ぼされ、その後歴史の表舞台から消えました。ヴァンダリズムの誤解と彼らの真実に迫ります。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ヴァンダル族って誰?
01:43 第二章:北アフリカのヴァンダル王国
05:51 第三章:ローマへの一撃
07:56 第四章:ヴァンダリズムの誤解
10:29 第五章:ヴァンダル族の結末とその後の影響
12:00 まとめ
なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM
▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章:現代への影響
11:46 まとめ
東欧はなぜ美女が多いのか?スラブ系、ゲルマン系、アジア系民族などの遺伝子的背景や歴史と文化、そして地理的影響を探る【歴史解説】
History hub 2024/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=8Vbui05yCog&t=0s
この動画では「東欧はなぜ美女が多いのか?」を歴史的背景や文化、生活習慣を交えて解説しています。東欧は西ヨーロッパとアジアの中間に位置し、多くの異なる文化や民族が交差する場所です。この地域の多様な民族が混ざり合い、美的特徴が豊かになりました。また、東欧の歴史では戦争や移民が多く、異なる遺伝子が交わった結果、多様な美が生まれました。さらに、伝統的な民族衣装や自然素材を使った美容法、フィットネス文化が美しさを育んでいます。現代でも、東欧の女性たちはソーシャルメディアやミスコンテストで美しさを発信し続けています。美の秘訣は、歴史、文化、日常の努力が絶妙に融合している点にあります。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 美の基準と文化的背景
01:08 第一章 : 東欧の地理と民族の多様性
03:10 歴史的背景
03:31 戦争と制服
04:20 移住と交易
05:08 民族の融合
06:01 美容と健康の文化
06:20 伝統的な美容法
07:44 精神的な健康
08:32 遺伝子の多様性
08:47 歴史的な混血
09:30 遺伝子の多様性と健康
09:57 現代の遺伝子研究
10:33 独自の意見
11:49 まとめ
2025/08/08 (Fri) 19:26:38
イギリス人はどこから来たのか?DNAが示すルーツとは?多民族国家である理由!先史時代〜現代まで一気見!
History hub 2025/08/08
https://www.youtube.com/watch?v=CUHvdwhzbg0
この動画では、イギリス人の遺伝的ルーツを歴史順に解説。1万年前の黒い肌と青い目を持つ先住民から始まり、ケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人と、さまざまな民族がブリテン島に到来。文化的影響は大きくても遺伝的影響が薄いケースや、逆にDNAの主成分になった民族などを紹介。現代のイギリス人は、数千年にわたる民族の混血と文化交流によって形成された「多層サンドイッチ」のような存在であり、その多様性こそが魅力だとユーモアを交えてまとめている。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:25 第一章:最初の住民はどこから?
05:49 第二章:ケルト人、ローマ人、アングロサクソン
10:20 第三章:ヴァイキングとノルマン人
13:47 第四章:現代イギリス人のDNA
17:10 まとめ
「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」は全く別の国 | ■↑▼ |
2023/10/17 (Tue) 06:20:29
「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」は全く別の国
「音楽&オーディオ」の小部屋
以心伝心の「ウマさん便り」
2023年10月16日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/5ba524e6322d32a101c57d265afbe8ca
前々回のブログ「イギリス社会入門」を投稿したときに、ふと閃いたのが「南スコットランド在住のウマさんからタイトルに関連したお便りが来るとうれしいんだけどな・・」。
なにしろ実際にイギリス在住の方からのお話となるととても参考になる。
ところが・・、これを「以心伝心」というのか、すぐにウマさんからメールが届いた。
「イギリス入門」…
面白そうですね。僕も、いずれ、そんな文章を書いて見たいですね。
「スコットランド在住のおっさんが見た英国」ってなタイトルになるかな?
親しい友達に貴族がいるし、毎日のように貴族の私有地を車で通るし、僕の目から見た貴族の存在などなど、書いて見たいことはかなりあります。
皆さん、きっと驚かれる内容になるんじゃないかなあ?
とりあえず、英国について書いた「ウマ便り」を添付しておきますが、すでにお送りしたかと…
PS: 感謝感謝! ローラ・ボベスコ女史のヴィオッティ 22番 素晴らしい!(美女だし…ウフッ…)
では、その「ウマさん便り」をご紹介。
「英国はイングランドではない」
初めてスコットランドを訪れたのは1980年の夏だった。
グラスゴーのキャロラインの実家で、弟のマーティンが、ある日、やや興奮して言った。「今夜、スコットランドとイングランドのサッカーの試合がある」
そして、ビールやらウィスキーやらポテトチップス(英語ではクリスプス、ポテトチップスはフレンチフライのこと)などをしこたま用意しテレビの前に座った…
いよいよゲームのスタート、ところがそのタイトル画面を見て僕は首をかしげた。「スコットランドvsイングランド」、これはわかる。が、そのタイトルの下に「国際試合」とあるんや。なんなのコレ? 「マーティン! なんで国際試合や?」
「当たり前や。イングランドは外国や!」「エッ? スコットランドもイングランドも同じ英国とちゃうのか?」 「同じ英国やけど、違う国や!」
英国が「連合国家」であることを知るのに時間はかからなかった。
英国は四つの国で成立している。「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」…
この国は、歴史上、ケルト人、ローマ人、それにゲルマン人であるアングロサクソン人やノルマン人その他が入り乱れ、他の欧州の国々同様に、様々な王国を築き集合離散を繰り返してきた。現フランスのほとんどが英国の領地だった時代もある。
18世紀はじめにイングランドに併合されたスコットランドは、それまではれっきとした独立国家だった。だから、イングランドへの対抗意識や気風・気概は今に引き継がれ、スコットランド独自の法律や銀行制度(独自の紙幣を発行)、或いは教育制度や医療制度など、イングランドとは違う行政制度がある。さらに立派な国会もあるし首相も存在する。
「英国」と「イギリス」、この国を呼ぶのにこの二つの名称が日本にはある。ここらもちょっと事情をややこしくしているんじゃないかな。
「英国」は、ブリテン島と北アイルランドを示し、文字通り英国全体を現している。ところが問題は「イギリス」や。もともと「イングランド」が語源のこの言葉、
「英国」も表わすが「イングランド」を示す場合も多い。
だから僕は、英国全体を示す場合、イギリスという言葉は極力使わないようにしている。
さてここで、日本の学校の英語の授業をちょっと振り返ってみよう…
「英国は英語でイングランド、英国人は英語でイングリッシュ…」
僕は中学で確かにそう習った。いまでもこう教えている先生は多いんじゃないかな。でも、これ、明らかに間違いなんだよね。
イングランド人 → イングリッシュ
ウェールズ人 → ウェーリッシュ
スコットランド人 → スコティッシュ
北アイルランド人 → アイリッシュ
イングリッシュってのはイングランド人のこと。同じ英国人であるスコットランド人はスコティッシュであり、間違ってもイングリッシュとは云わない。もちろん、ウェールズ人はウェーリッシュでありイングリッシュじゃない。だから、英国人のことをイングリッシュと呼ぶのは間違いだってわかるよね。
英国には四つの国があり四種類の国民がいる(現実にはおびただしい移民との共生社会だけど)。この四国民を総称して、つまり英国人は「ブリティッシュ」が正解となる。
でも国籍を尋(たず)ねられた場合、「入管」など公的な場以外で自分のことをブリティッシュとみずから言う英国人はあまりいないと思う。「私はイングリッシュです」 「私はスコティッシュです」…が普通でしょう。
「私はイングリッシュです」と云う方を、この人英国人だと捉(とら)えずに、この人、イングランド人だ…と認識すべきでしょうね。
「英国人はイングリッシュ」、これが間違いだということ、わかってもらえました?
じゃあ「英国」は英語でなんと呼ぶのか?
英国の正式名称、実はコレ、世界で一番長い国名なんです。「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」
「グレートブリテンと北アイルランドによる連合王国」 コレ長すぎるよね。だから通常は「United Kingdom」(ユナイテッド・キングダム)と呼ぶ。
キングは王様、ダムは領地のこと、つまり、キングダムは王国の意味。だから、ユナイテッド(連合)とキングダム(王国)で「連合王国」となるわけ。これは御存知の方も多いでしょう。
これをさらに省略して「U.K.」となる。「英国はユナイテッドキングダム」、これが正解となります。もっとも慣習的に昔から「グレートブリテン」と呼ぶ場合も多いけど、正式名称ではない。
スコットランドで暮らす僕に、日本からの手紙のほか、時に、本や雑誌、あるいは様々な日本食材を送ってくださる方がかなりいらっしゃる。
手間隙(てまひま)かかる梱包(こんぽう)、そして決して安くはない郵送料…、非常にありがたいことだと、いつも心より感謝している。でもその郵便物を見ると、僕への宛名として、スコットランドのあとにイングランドと記入しておられる方が実は少なくない。つまり国名が二つ並んでいるんですね。
だから皆さん、僕に何か郵送してくださる場合(催促してるんとちゃうよ)、どうか宛名のスコットランドのあとに「U.K.」とご記入くださいましね。
いつだったか、大阪のラジオで、英国製紳士服地のCMを聞いたことがある。ナレーターが格調高い語り口でこうおっしゃった…
「イングランドの誇り…最高級ウール…それが〇×紳士服地…」
ところが、そのCMのバックに流れていたのはバグパイプなんです。もちろんバグパイプはスコットランドの誇りでイングランドのものじゃない。笑っちゃうよねコレ…
御存知だとは思うけど、UやKのあとに付いているピリオドは、省略の意味です。そこで思い出した…
大阪に置いてある僕の自転車は、自転車屋の友人が組上げてくれた特製です。で、彼、わざわざ、フレームに「U.M.A.」とレタリングしてくれた。
それは嬉しいんやけど、なんでピリオドが付いてるんや? ピリオドなんかいらん筈や。で、その理由を訊いた…
「コレなあ、Uは胡散(うさん)くさい、Mはマヌケ、Aはアホ。胡散臭(うさんくさ)いマヌケのアホ…」
…あ、あのなぁー…
さてさて、日本の英語の先生方! もうやめましょうよ。
「英国はイングランド、英国人はイングリッシュ」と教えるのは、ネッ!
と、以上のとおりでした。
さらに、今朝(16日)いちばんのメールがこれ。
いろんなオーディオ関連の記事を見るけど、「噴火炎上!」「♪人生いろいろ♪ 男もいろいろ」こんなコメント見たことない。後にも先にもこのブログだけやろ。もう、笑うてしまう。
やっぱりおもろいお方や、笑笑笑…
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/5ba524e6322d32a101c57d265afbe8ca
「音楽&オーディオ」の小部屋
「イギリス社会入門」と「フェルマーの最終定理」
2023年10月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/809e894b73d81ced0bbd2ae710c54fa6
このところ随分気候が良くなってとても過ごしやすくなった。
音楽、オーディオ、読書、ミステリードラマの鑑賞、ウォーキング、買い出しのドライバー役と目が回るほど忙しく、時間がいくらあっても足りない(笑)。
☆ 「イギリス社会」入門
世界には、いろんな国があるが今のところ自分が一番シンパシーを持っているのは「イギリス」。
結局、オーディオがらみになってしまうのだがイギリス発の製品はスピーカーにしろ真空管にしろ自分の相性に合う機器がいちばん多い。
その音質の特徴を一言でいえば「決して出しゃばることなく、付き合えば付き合うほどに味が出てくる、まるで”いぶし銀”のような渋い音」。
あの五味康祐さん〔作家:故人)も名著「西方の音」で、「西方」を「イギリス」と位置づけてブリティッシュ・サウンドについて比類なき音楽・オーディオ論を展開されている。
もともと、イギリスは日本と同じ島国国家なので国民気質が似ているのかもしれない。
そこで、知っているようで知らない「イギリス」をもっと知りたくなるところ。
「イギリス社会」入門~日本人に伝えたい本当の英国~(NHK出版新書)と題したこの本はそういうイギリスの実情を赤裸々に伝えてくれるものだった。
著者のコリン・ジョイス氏は1970年イギリス生まれでオックスフォード大学卒、92年来日し高校の英語教師やジャーナリストを経て10年帰国。
「女王のことをみんなどう思っているの?」「階級社会は今も続いているの?」といったベーシックな話題を中心にイギリス人なら誰もが共有している習慣や感覚をユーモアたっぷりに解説していて、一気に読ませてもらった。
中身のほうは「1 階級」から「6 王室」を経て「19 品格」まで項目ごとに分けてイギリス人の気質が浮き彫りにされているが、ここでは「階級」について取り上げてみよう。
何といってもイギリス人気質を手っ取り早く理解できるのは「階級意識」が一番だと思うから。
「みすぼらしい上流、目立ちたがる労働者」という副題のもと、冒頭に提示されるのが次のテーマ。
「二組の夫婦がクルマに乗り込む。さて、誰がどこに座るだろうか。」
これがイギリス人の階級を見分ける方法の一つだそうだ。
○ 労働者階級
男性二人が前に座ってサッカーの話をし、女性二人が後に座ってショッピングの話をする。
○ 中流階級
それぞれのパートナーを大切にするので一組の夫婦が前に、もう一組の夫婦が後に座る。
○ 上流階級
夫婦がばらばらになる。前の座席には男性のひとりが、別の男性の妻と一緒に座る。後ろにはもうひとりの男性と、別の男性の妻が座る。
つまり、社交の場ではふだん話さない相手と出来るだけ話さないといけないと考えるのが上流階級。
このさりげないエピソードに接しての個人的な感想だが、「社会」を優先させ、「個人」と「家族」の安楽を後回しにするのが上流階級なのだと何となく得心させるところがある。
ただし、著者によるとたしかにイギリス社会で階級は一定の重みを持っているものの、その意味合いは外国人が思っているものとは大きく違う。
どうも階級意識が誇張されて伝わり過ぎているようで、決して上流階級はお上品ぶって威張っているわけではない。
階級意識を鼻にかけることを警戒してか、ことさらにそれを隠したがっており、時代に合わせるのが一番と心得ている。
たとえば上流の気取ったアクセントで話し、卒業した名門校のタイを締めている人などめったにおらず、もし、いたとしたら笑いものになるそうだ。
生活スタイルも質素、倹約を旨としていて、この辺の「自己韜晦(とうかい)」が、わが国の古典「徒然草」〔兼好法師)の精神にもつながってくるところで、あのオーディオ製品に見られる「渋さ」とも共通するところだと思う。
ほかにも王室一族は民族的にいえば「ドイツ系」であり、そのことが国民に与える影響などが記されており、ことイギリスに関しては興味満載の本である。
次いで、
☆ 「フェルマーの最終定理」
17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」。
以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが~。
イギリスの天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動のノンフィクション!
表紙の裏にこう記された解説につられて読んだのが「フェルマーの最終定理」。
ご存知の方も多いと思うが2000年1月に本書の単行本が出版され大きな反響を呼んだが、これはその文庫版である。
ちなみに、フェルマーの最終定理とは、
Xn+Yn=Zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。(XnとはXのn乗のことで、Yn、Znも同様)
この証明は簡単なように見えて実はたいへん難しく、3世紀もの間、幾多の数学者が挑戦し、なかには精神に異常をきたしたり、数学者としての生涯を台無しにされた者もいる超難問である。
数学者アンドリュー・ワイルズ(ここにもイギリス人が出てくる!)が1993年にこの定理の完全証明を行って後世に偉大な足跡を刻んだが、本書はそれにまつわる話である。
一言でいえば、根気とインスピレーション〔閃き)がいかに大切かが延々と語り継がれるわけだが、「万物は数なり」で、数と自然とのつながりが面白かった。
たとえば、次の逸話。
あるとき、鍛冶屋の前を通りかかったピタゴラスはハンマーが一斉に鉄に打ち下ろされる音を耳にした。さまざま調和音が響いてきたが、あるひとつの音が加わったときに限って音が調和しなくなった。
そこでハンマーの重さを調べてみると互いに調和しあう音を出すハンマー同士は重さの比がたとえば1/2や2/3となっていたが、不調和な音を出すハンマーは簡単な重さの比になっていなかったことが判明した。
もうひとつ、自然現象から「π」がひょっこり顔を出す話。
ケンブリッジ大学のステルム教授はいろんな川の曲がりくねった実際の長さと、水源から河口までの直線距離との比を求めてみた。
その比は川ごとに異なっていたけれども、平均すると3よりも少し大きい値になることが分かった。実をいうとこの比はほぼ3.14なのである。
これは、π(パイ)、すなわち円周と直径の比の値〔円周率)に近い。
端的にいえば川は常に曲がろう(カーブ)とする傾向を持っており、カオスと秩序とのせめぎ合いの結果、πの値に近くなるのである。
特に顕著なのはシベリアのツンドラ地帯やブラジルのような非常になだらかな平原を流れる川の場合だという。
これらはほんの一例だが、たとえば「リーマン予想」(素数の並び方の法則性)が明らかにされると宇宙の神秘が解明されると言われており、何だか「数」には不思議な力が込められているようだ。
なお、本書によると「フェルマーの最終定理」の証明は日本の数学者が発表した「谷山~志村予想」が決定的な役割を果たしており、日本人として実に誇らしくなる。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/809e894b73d81ced0bbd2ae710c54fa6
2024/05/26 (Sun) 08:35:43
【イギリス】分裂する英国!独立したいのはスコットランドだけではなかった!
世界史解体新書 2024/05/25
https://www.youtube.com/watch?v=JWJYcNumWcs
【こちらの動画もオススメです】
なぜイギリスは4つの国からできているのか?【ゆっくり解説】
世界の地理雑学【ゆっくり解説】2024/02/24
https://www.youtube.com/watch?v=74CxtVyWGkM&t=3s
イギリスの成立についてわかりやすく解説します
ミジンコでもわかる時事ニュース 2023/07/29
https://www.youtube.com/watch?v=dJkhzx5JDPY&t=2s
イギリスを構成する4つの国とは?
イングランドとスコットランドの関係は?
北アイルランドの編入の経緯は?
「紅茶をどうぞ」 英前外相、ブルカ発言については答えず
BBC News Japan 2018/08/13
https://www.youtube.com/watch?v=_C4ewjNkJ5Q&t=0s
ボリス・ジョンソン前英外相が、ムスリム(イスラム教徒)女性の一部が身に着ける、全身をすっぽり隠す「ブルカ」について、「郵便ポスト」や「銀行強盗」のようだと新聞コラムに書き、物議を醸している問題で、ジョンソン氏は12日、 自宅前で待機し続ける報道陣の質問には答えず、代わりに紅茶を振舞った。
2025/02/08 (Sat) 00:44:07
なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM
▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章: 現代への影響
11:46 まとめ
2025/03/06 (Thu) 18:38:16
【アイルランド】イギリスと最悪の関係にあるアイルランド! EU離脱によりさらに問題は複雑化
世界史解体新書 2025/03/06
https://www.youtube.com/watch?v=aQOoPFIrfns
2025/08/08 (Fri) 19:26:19
イギリス人はどこから来たのか?DNAが示すルーツとは?多民族国家である理由!先史時代〜現代まで一気見!
History hub 2025/08/08
https://www.youtube.com/watch?v=CUHvdwhzbg0
この動画では、イギリス人の遺伝的ルーツを歴史順に解説。1万年前の黒い肌と青い目を持つ先住民から始まり、ケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人と、さまざまな民族がブリテン島に到来。文化的影響は大きくても遺伝的影響が薄いケースや、逆にDNAの主成分になった民族などを紹介。現代のイギリス人は、数千年にわたる民族の混血と文化交流によって形成された「多層サンドイッチ」のような存在であり、その多様性こそが魅力だとユーモアを交えてまとめている。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:25 第一章:最初の住民はどこから?
05:49 第二章:ケルト人、 ローマ人、アングロサクソン
10:20 第三章:ヴァイキングとノルマン人
13:47 第四章:現代イギリス人のDNA
17:10 まとめ
イギリスの歴史 | ■↑▼ |
2022/06/01 (Wed) 03:28:00
777投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14038024
777ブログ カテゴリー 一覧
https://blog.hatena.ne.jp/a111111jp/a111111.hatenablog.com/categories
▲△▽▼
イギリスの歴史
ヨーロッパ人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html
アーリア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html
ブリテン島人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html
スコットランド人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/290.html
スコットランド人の遺伝的構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/731.html
アイルランド人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/293.html
「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」は全く別の国
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16820701
3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm
3-2. Y-DNA「I」 ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm
3-3. Y-DNA「R1b」 ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
ゲノムデータと同位体データからアイルランドの新石器時代の社会構造を推測した研究
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_26.html
▲△▽▼
山下英次『世界で最も正統性の高い日本の政治・社会制度』
イギリツ王室の歴史とピューリタン革命・名誉革命
https://www.youtube.com/watch?v=f6U6h5zUF8k&t=23s
ペスト(黒死病)がイギリスの「パブ文化」を育てた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/128.html
イギリスのピューリタンがやった事
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/461.html
イギリスが貧しさから抜け出すために思いついたのが『海賊立国』になることだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/126.html
イギリスはどうやってインドの綿工業を壊滅させたのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/715.html
イギリスの手法は「まずブタを太らせて、後で食べる」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/153.html
欧米の中東侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/942.html
アジア人の白人との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/643.html
▲△▽▼
アダムスミス『国富論』の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/917.html
リカード、マルサスの古典派経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/914.html
池田信夫の逝かれっぷり _ 時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html
セイの法則
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1098.html
金本位制
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1097.html
貨幣数量説 _ 貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1065.html
信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/862.html
信用貨幣論に基づく信用創造
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/919.html
マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html
マルクス経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html
マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html
マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html
階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html
ケインズの偉大さとは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/936.html
新自由主義の世界
80年代に新自由主義政策の先鞭をつけたイギリスのサッチャー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/916.html#c2
新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html
▲△▽▼
イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒した理由は日本人を使って中国内陸部を支配するためだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/743.html
表に出始めた明治維新の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/742.html
日本列島は欧米の侵略の拠点で日本人は手先。イギリスもアメリカも日本がアジアの国々と友好的な関係を結ぶことを許さない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/136.html
明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取り
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/358.html
戦前、日本の代表的輸出品は生糸ではない。アヘンだった。(メディアが絶対に書かない裏話)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/361.html
ウインザー公とシンプソン夫人の恋 _ シンプソン夫人はナチスのスパイだった?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/591.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/441.html
英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html
ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/772.html
ユダヤ人のエージェントで強硬な****だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html
チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html
▲△▽▼
爆買いバブルの後始末 ロンドン高級住宅地
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/148.html
”中国のポチ”から離脱するイギリス、キャメロン時代と決別
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/231.html
欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html
《メーガン&ハリー暴露本が早くもベストセラーに》英王室兄弟の仲を引き裂いた「ひと言」とは?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/263.html
米英を後ろ盾とする香港の破壊行為と国家安全法の現実を見ない人びと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/221.html
キリスト教への信仰心が消える欧州 ムスリムも増加で変わる宗教地図
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/169.html
極貧のイギリス王室 _ イギリス王家の滅亡と「イギリス人」の消滅
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/800.html
EU離脱をかけてイギリス総選挙、各政党の政策まとめ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/721.html
英EU離脱の「グダグダ劇」を日本が笑えない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/626.html
大英帝国復活へ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/617.html
▲△▽▼
イギリス人は美味しい材料でわざと不味く作る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/768.html
イギリス人は味覚音痴
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/442.html
ゲルマン人は氷河時代に氷河に閉じ込められて腐った肉しか食べられなかったので、味覚の優れた人間は死に絶えた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/569.html
2024/06/25 (Tue) 15:07:34
2024.06.25XML
米英の支配層はウクライナ、パレスチナ、東アジアで焦土作戦を実行する可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202406250000/
ウクライナにおける戦闘でアメリカ/NATOの敗北は決定的だ。ウクライナを完全に征服し、耕作地や資源を奪い、クリミアを制圧してロシア海軍の重要な基地があるセバストポリを手に入れるという西側の計画は潰れた。
しかし、それでもアメリカやイギリスをはじめとするNATO諸国はウクライナ人を戦場へ送り込み、死体の山を築かせている。西側諸国は兵器のオペレーターだけでなく、戦闘員(兵士)を送り込んでいるが、それでも勝つことは困難だ。「ロシアに勝たせない」ためには核兵器を使うしかないだろう。生物兵器の使用を考えていたようだが、完成したようには思えない。
自分たちの敗北が決定的になった際、焦土作戦が選択されることがある。例えば1941年11月、イギリスのウィンストン・チャーチル首相は日本軍がインドへ攻め込むことを恐れ、ベンガルで「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出した。イギリスの取り分を確保した上でサイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うために漁民の船や自転車を取り上げたのだ。これは現地の人びとから食糧を奪うことを意味した。
しかも、その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンなど自然災害に襲われ、死傷者が出た。農作物も大きな打撃を受けて食糧不足は避けられない状態になるのだが、飢餓が見通されても米の運び出しはチャーチル首相は命じた。
小麦はオーストラリアから調達できたのだが、インドの船は戦争のために使われていて運べない。チャーチル首相は1943年1月、イギリスの食糧と資源の備蓄を強化するため、インド洋で活動していた商船は全て大西洋へ移動させていた。(Madhusree Mukerjee, “Churchill’s Secret War,” Basic Books, 2010)
1943年10月には現地の提督からチャーチル首相に対し、政策の継続は大惨事を招くという警告の電報を打ち、イギリス下院では満場一致で食糧をインドへ送ると議決しているのだが、それを首相は無視した。食糧を送るというルーズベルト大統領の提案も拒否している。
その結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。
アメリカやイギリスの支配層はウクライナでも焦土作戦を始めたように見える。彼らはウクライナを荒廃させ、ウクライナ人に「総玉砕」を求めているのだ。平和がロシアに利益をもたらすことを欧米は嫌っている。
パレスチナでもアメリカやイギリスをはじめとする西側諸国が支援するイスラエルは苦境に陥り、戦線を拡大させようとしているが、レバノンに攻め込んでヒズボラに勝つことは困難だと見られている。しかも、欧米の支配に抵抗している中東の武装勢力はヒズボラと共に戦うとしている。中東を火の海にするつもりかもしれない。ロシアや中国が中東を抑えることをアメリカやイギリスの支配層は許せないだろう。
東アジアでも軍事的な緊張が高まっているが、朝鮮戦争の当時とは違い、日本は平坦の拠点として脆弱。アメリカ軍の補給はままならないと予想されている。東アジアでの戦争でアメリカ軍が勝つことは難しいのだが、それでもアメリカ軍は攻撃の準備を進めてきた。台湾や日本(沖縄)から大陸を攻撃した場合、報復攻撃で台湾も日本も壊滅する可能性が高い。これも焦土作戦だと言えるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202406250000/
2025/03/06 (Thu) 18:38:04
【アイルランド】 イギリスと最悪の関係にあるアイルランド!EU離脱によりさらに問題は複雑化
世界史解体新書 2025/03/06
https://www.youtube.com/watch?v=aQOoPFIrfns
2025/05/22 (Thu) 08:36:41
ロシアや中国を侵略して略奪する計画をイギリスは19世紀から進めてきた。中東を戦乱で破壊する原因を作ってきたイスラエルを作り上げたのもイギリスにほかならない。ここにきて、ウクライナや中東での戦争でイギリスが暗躍していることも明らかになっている。
イギリスは16世紀から17世紀にかけての時期、スペインやポルトガルの船を海賊に襲わせ、富を築いた。スペインやポルトガルの船はアメリカ大陸などで略奪した財宝を母国へ運ぶ途中だった。例えば1521年にエルナン・コルテスは武力でアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪い、インカ帝国(現在のペルー周辺)ではフランシスコ・ピサロが金、銀、エメラルドなどを略奪しながら侵略を続けて1533年には帝国を滅ぼしている。
両国は莫大な量の貴金属を盗んだだけでなく、先住民を酷使して鉱山開発も行ったが、その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山。1545年に発見されたこの銀山だけで18世紀までに15万トンが運び出されたとされ、スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われているが、この数字は「少なくとも」にすぎず、実態は不明である。16世紀の後半にスペインはフィリピンを植民地化、銀を使い、中国から絹など儲けの大きい商品を手に入れる拠点として使い始めた。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021)
そのようにスペインやポルトガルが略奪した財宝を海賊に襲わせ、横取りしていたのがイギリスにほかならない。エリザベス1世の時代、つまり1558年から1603年にかけての時期、イギリス王室に雇われた海賊はスペインやポルトガルが南アメリカなどで奪った財宝を略奪していただけでなく、人もさらっていた。中でも有名な海賊はジョン・ホーキンス、フランシス・ドレイク、ウォルター・ローリー。海賊行為だけでなくアイルランドで住民を虐殺しているが、こうしたことをエリザベス1世は高く評価、3人の海賊にナイトの爵位を与えている。
ヨーロッパ文明は他国を侵略、略奪することによって生まれたわけだが、現在でも「貧困国」から「富裕国」へ膨大な資源が流出、その富に富裕国は支えられてきた。ちなみに、1881年から1920年の間にイギリスはインドで富を奪い、飢饉を引き起こし、1億人以上の死者をもたらしたと推定されている。
エリザベス女王の顧問を務めていたジョン・ディーは『ユークリッド原論』を英訳本の序文を書いた数学者だが、その一方、黒魔術、錬金術、占星術、ヘルメス主義などに傾倒していた。「ブリティッシュ・イスラエル主義」はディーから始まるとも言われている。
ブリティッシュ・イスラエル主義によると、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとされ、人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配するという。ディーのカルト的な考え方は19世紀のイギリスで復活したようだ。
大英帝国はすでに滅んだと考えられているようだが、イギリスは現在でも42カ国に145の軍事基地を保有しているとされている。中でも重要な基地はサウジアラビア、オマーン、バーレーンといったペルシャ湾岸諸国にあり、イスラエルとサウジアラビアはイギリスが作り上げた国にほかならない。キプロスにも重要なイギリスの軍事基地があり、イスラエル軍によるガザでの虐殺を支援する活動の拠点になっている。また電子情報機関GCHQの基地もあり、重要な役割を果たしている。インド洋に浮かぶいわゆるチャゴス諸島にも重要な軍事基地がある。この諸島で特に有名な島がディエゴガルシアだ。
イギリスには見えない帝国も存在している。1970年代に整備されたシティ(ロンドンの金融街)を中心とするオフショア市場のネットワークだ。ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれ、それまでの古典的なタックス・ヘイブンに比べて機密度が格段に高い。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202505210000/
2025/08/03 (Sun) 05:10:47
イギリス先住民とビーカー人の違いとは?民族が一気に入れ替わった!?DNAの90%が置き換えられた理由とは?
History hub 2025/08/02
https://www.youtube.com/watch?v=u1DUgYcliuY
この動画では、イギリス先住民とビーカー文化人の違いを解説しています。先住民は紀元前4000年ごろからブリテン島で農耕や巨石建造を行い、共同体的な生活を送っていました。一方、紀元前2400年ごろにやってきたビーカー文化人は金属技術や個人主義的な社会構造を持ち込み、遺伝子的にも島の人口構成を大きく変えました。文化・社会・価値観の激変があり、現代にも通じる「変化と融合の歴史」として考察しています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:48 第一章:イギリス先住民って誰?
04:31 第二章:ビーカー人とは?
09:04 第三章:DNAの違い
12:55 第四章:何がどう変わったのか?
15:13 まとめ
2025/08/08 (Fri) 19:26:00
イギリス人はどこから来たのか?DNAが示すルーツとは?多民族国家である理由!先史時代〜現代まで一気見!
History hub 2025/08/08
https://www.youtube.com/watch?v=CUHvdwhzbg0
この動画では、イギリス人の遺伝的ルーツを歴史順に解説。1万年前の黒い肌と青い目を持つ先住民から始まり、ケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人と、さまざまな民族がブリテン島に到来。文化的影響は大きくても遺伝的影響が薄いケースや、逆にDNAの主成分になった民族などを紹介。現代のイギリス人は、数千年にわたる民族の混血と文化交流によって形成された「多層サンドイッチ」のような存在であり、その多様性こそが魅力だとユーモアを交えてまとめている。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:25 第一章: 最初の住民はどこから?
05:49 第二章:ケルト人、ローマ人、アングロサクソン
10:20 第三章:ヴァイキングとノルマン人
13:47 第四章:現代イギリス人のDNA
17:10 まとめ
世界の旅 _ イギリス・アイルランド | ■↑▼ |
2023/12/15 (Fri) 09:43:08
777投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14038024
世界の旅関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16829923
▲△▽▼
世界の旅 _ イギリス・アイルランド
イギリスから逃げて日本に移住したい理由を語ります
メラニーと僕 2025/04/05
https://www.youtube.com/watch?v=L0lteGgNj1k
メラニーと僕 - YouTube
https://www.youtube.com/@%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%A8%E5%83%95/videos
LTブログ _ 【イギリス一周】全10話
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14115239
▲△▽▼
英国あれこれ物語 - YouTube
https://www.youtube.com/@ukstory-newknowledge/videos
異国見聞録 Lina's Journal - りなのイギリス日記 - YouTube
https://www.youtube.com/@TheLinasJournal/videos
OshareJapan _ UK Travel Vlogs
https://www.youtube.com/playlist?list=PLDLZ4anhwcYZEVg0q1cVtWBRpp1Y-vHtF
▲△▽▼
【イギリス】料理がマズい歴史的な理由!味も見た目も終わってる絶望のセンス
世界史解体新書 2025/04/14
https://www.youtube.com/watch?v=ExB09uSMc8U
イギリス料理がまずい理由とは?
https://www.youtube.com/watch?v=3AECgdR3udw
岡田斗司 イギリス飯が不味いのには理由がある
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14030267
イギリス人は美味しい材料でわざと不味く作る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/768.html
イギリス人は味覚音痴
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/442.html
ローカルの人が食べるイギリス料理 - ロンドン在住者の食事情とお店選びのコツ
異国見聞録 Lina's Journal - りなのイギリス日記 2025/03/15
https://www.youtube.com/watch?v=vbQAz6GWDQI
「イギリスは料理がまずい」は偏見かも! 実はイギリスには美味しい料理がたくさんあります。でも、たしかに観光客が見つけるのは難しいかも。イギリス在住者が、イギリスの食文化の真実を語ります。
本当に美味しいイギリス料理の見つけ方
観光客が避けるべき落とし穴
ロンドンで美味しい料理を堪能する方法
イギリスの田舎で絶品パブ料理を楽しむ方法
イギリス旅行やイギリスの食文化に興味がある方は、ぜひご覧ください。
「舌の感度が違う」
舌には味蕾(みらい)という味を判別する器官があって、日本人の場合、その味蕾の数が322から2955まで、平均1300あるといわれています。この味蕾の数が多いほど、微妙な味の違いを感じる事が出来るんだそうですよ。「味蕾」は人種によって数が違う事が科学的に判っています。一番多いのが黄色人種(中でも日本人が一番多い)、黒人、白人の順番で白人は黄色人種の7割程度しかないんだって!!欧米の料理の味付けが大雑把なのは舌に原因があったんだねぇ。白人の中でもイタリア、スペインなどのラテン系は「味蕾」の数が多く、一番少ないのはイギリス系アングロサクソン人だそうです。そうか。確かにイギリス料理はおいしくない事で世界的に有名ですよね。
アングロサクソン人は氷河時代に氷河に閉じ込められて腐った肉しか食べられなかったので、味蕾の数が少ない人間しか生き残れなかったみたいですね。
イギリス人だけでなくアメリカ人もドイツ人も味がわからない
舌には味蕾(みらい)という味を判別する器官があって、日本人の場合、その味蕾の数が322から2955まで、平均1300あるといわれています。
「味蕾」は人種によって数が違う事が科学的に判っていて、一番多いのが黄色人種(中でも日本人が一番多い)、黒人、白人の順番で白人は黄色人種の7割程度しかないそうです。
白人の中でもイタリア、スペインなどのラテン系は「味蕾」の数が多く、一番少ないのはイギリス系アングロサクソン人だそうです。
そんな理由からか、アメリカ人は料理の仕方を知らない人が多く、低所得層ほど手作りでなくジャンクフードや出来合いのものを買う回数は多いです。
そして、塩・胡椒・各種ソース・スパイスなどを何にでも山ほどかけて食べます。味が濃いということは、味覚障害を起こしているからです。
味覚障害を起こしている理由として、味の濃い加工食品や人工甘味料入りの飲料を頻繁に摂取していることが挙げられます。
フルタイムで働く女性が多いことから、あまり手をかけずにハンバーガーヘルパーやキャンベルのクリームオブマッシュルームスープなど、料理に補助的に使って時間を短縮するための商品が多く売られています。
ただし、ミドルクラス-アッパーミドルクラスには食生活に気を使い手の込んだものを作る家庭もたくさんあるし、高級レストランに足を運べば美味しい店も数多くあります。
アングロサクソン人の味蕾の数は肉食の犬と大して変わらない
犬の味蕾の数は人間の5分の1程度しかありません。
味蕾は、舌の表面にある味細胞の集合体であり、食べ物の味を受容し、どんな味か判断している感覚器官です。
この味蕾の数が多ければ多いほど、より繊細に味を判断することができます。
人間の味蕾の数は、加齢と共に減少していきますが、およそ10000個と言われていますが、犬は、人間の5分の1程度のおよそ2000個しか味蕾がありません。
そのため、人ほど繊細に味を感じ取ることは難しいでしょう。
▲△▽▼
【英国 階級社会】英国で見たリアルな階級社会 収入・住宅・教育の格差
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14129742
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html
階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html
イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14004079
欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html
英国鉄道労働者4万人がスト 物価高や低賃金への反撃
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14081003
トヨタを裏切ったイギリスが沈没寸前!とんでもない量の工場が大量倒産…
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14121275
▲△▽▼
▲△▽▼
混雑が酷い!? イギリスの新幹線"あずま号"に乗車してみたら...
交通系動画/マトリョーシカ
2023/11/05
https://www.youtube.com/watch?v=w90PzCwTrfQ
2025/04/14 (Mon) 19:16:37
【イギリス】料理がマズい歴史的な理由!味も見た目も終わってる絶望のセンス
世界史解体新書 2025/04/14
https://www.youtube.com/watch?v=ExB09uSMc8U
2025/04/27 (Sun) 22:53:44
【イギリス】紳士の国のはずが「ブリカス」と呼ばれる理由!イギリスを嫌う国々とその理由
世界史解体新書 2025/04/27
https://www.youtube.com/watch?v=Tqu0Lriom0I&t=482s
2025/05/02 (Fri) 00:34:30
イギリスに住むシニアの日常・小説<嵐が丘>の舞台へ・35年前訪れた美しい村は記憶の通りに残っていました・村の名前はハワース・ブロンテ姉妹の村での生活・車での小旅行・寄り道をしておいしいインド料理屋へ
英国あれこれ物語 2025/04/11
https://www.youtube.com/watch?v=FmDn6XRtN7E
ブロンテ姉妹のひとり、エミリーブロンテ著の嵐が丘の舞台となった荒野と
ブロンテ姉妹が住んでいた村です。美しい風景と嵐が丘の小説についての
ちょっとしたお話しをお楽しみ頂けると幸いに思います。
イギリスはまだ肌寒い時もありますが、明るい日が続き春らしい季節を楽しんでおります。皆様もお元気でお過ごしでおられますように。
ありがとうございます。
2025/08/03 (Sun) 05:11:06
イギリス先住民とビーカー人の違いとは?民族が一気に入れ替わった!?DNAの90%が置き換えられた理由とは?
History hub 2025/08/02
https://www.youtube.com/watch?v=u1DUgYcliuY
この動画では、イギリス先住民とビーカー文化人の違いを解説しています。先住民は紀元前4000年ごろからブリテン島で農耕や巨石建造を行い、共同体的な生活を送っていました。一方、紀元前2400年ごろにやってきたビーカー文化人は金属技術や個人主義的な社会構造を持ち込み、遺伝子的にも島の人口構成を大きく変えました。文化・社会・価値観の激変があり、現代にも通じる「変化と融合の歴史」として考察しています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:48 第一章:イギリス先住民って誰?
04:31 第二章:ビーカー人とは?
09:04 第三章:DNAの違い
12:55 第四章:何がどう変わったのか?
15:13 まとめ
2025/08/08 (Fri) 19:25:43
イギリス人はどこから来たのか?DNAが示すルーツとは?多民族国家である理由!先史時代〜現代まで一気見!
History hub 2025/08/08
https://www.youtube.com/watch?v=CUHvdwhzbg0
この動画では、イギリス人の遺伝的ルーツを歴史順に解説。1万年前の黒い肌と青い目を持つ先住民から始まり、ケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人と、さまざまな民族がブリテン島に到来。文化的影響は大きくても遺伝的影響が薄いケースや、逆にDNAの主成分になった民族などを紹介。現代のイギリス人は、数千年にわたる民族の混血と文化交流によって形成された「多層サンドイッチ」のような存在であり、その多様性こそが魅力だとユーモアを交えてまとめている。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:25 第一章:最初の住民はどこから?
05:49 第二章:ケルト人、ローマ人、 アングロサクソン
10:20 第三章:ヴァイキングとノルマン人
13:47 第四章:現代イギリス人のDNA
17:10 まとめ