777投稿集

777投稿集 7499898

1 : 民族の起源・DNA解析関係投稿集(217)  2 : 白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった(9)  3 : 完新世における人類の拡散 _ 農耕と言語はどのように拡大したのか(9)  4 : ヤムナ文化の起源(3)  5 : ヨーロッパ人の起源(38)  6 : 政治関係投稿集(364)  7 : 777投稿集(59)  8 : 日本人はどこから来たのか?【CGS 茂木誠 超日本史】(57)  9 : 日本史関係投稿集(180)  10 : 日本の旅 _ 神奈川県・山梨県(13)  11 : 陰謀論の問題 _ ある出来事の受益者が「悪の張本人」だという妄想(69)  12 : 経済・相場関係投稿集(412)  13 : 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり)(98)  14 : 日中関係投稿集(45)  15 : 日米関係投稿集(92)  16 : 犯罪・イジメ・麻薬・アンダーグラウンド世界(68)  17 : 教育・スポーツ関係投稿集(37)  18 : 女性問題・LGBT関係投稿集(98)  19 : カルト宗教と心の病(48)  20 : 世界の旅 _ アメリカ・カナダ(108)  21 : アメリカ・CIA関係投稿集(221)  22 : 音楽関係投稿集(90)  23 : 日本のピアノメーカー「ヤマハとカワイの違い」(9)  24 : 中東関係投稿集(106)  25 : 朝鮮関係投稿集(49)  26 : イギリス関係投稿集(33)  27 : 原発関係投稿集(10)  28 : 世界の旅 _ イギリス・アイルランド(32)  29 : 「オートミール」や「そば粉十割そば」より「そばの実の雑穀米」の方が健康に良い(21)  30 : 日本の映画・アニメ・ドラマ(69)  31 : 世界の旅 _ ロシア・ウクライナ(123)  32 : 健康・医療関係投稿集(136)  33 : 車中泊・ドライブ関係投稿集(48)  34 : 日本の旅 _ 北海道(34)  35 : 黒砂糖を沢山食べるとすべての癌のリスクが40%低下する(18)  36 : 西洋の思想と宗教・深層心理学(49)  37 : 世界の旅 _ 中南米(27)  38 : マルクス経済学・共産主義関係投稿集(130)  39 : 魚の干物は魚油が酸化しているので食べてはいけない(6)  40 : 世界の映画・ドラマ(57)  41 : スキー関係投稿集(43)  42 : 古代アメリカ文明の謎/宇山卓栄さんに聞く(4)  43 : じっくり学ぼう!韓国・朝鮮史【CGS 宇山卓栄】 - YouTube(15)  44 : 宇山卓栄の世界史・現代史講義(34)  45 : ロシア・ウクライナ関係投稿集(186)  46 : 世界の旅 _ モンゴル(7)  47 : 世界の旅 _ エジプト(7)  48 : 吉野敏明の甘い物抜きの食事療法と桑島靖子のハチミツ療法はどちらが正しいのか?(20)  49 : 「カトレア」のバッファアンプ(12)  50 : 世界史関係投稿集(115)  
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民族の起源・DNA解析関係投稿集
1 名前:777

2022/08/24 (Wed) 00:01:31

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777 東洋の思想と宗教 関係投稿集
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777 西洋の思想と宗教・深層心理学 関係投稿集
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ネアンデルタール人とデニソワ人は なぜ絶滅し、なぜホモサピエンスだけが生き延びたのか
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/05/082635

白人の金髪や青い目、白い肌は氷河時代にバイカル湖周辺に住んでいた古代北ユーラシア人が起源だった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/180844

遊牧民の恐ろしさ _ 2400年前のスキタイ人の墳墓で見つかった革は人間の皮膚だった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/11/19/123159

コーカソイドによる民族浄化の歴史
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211424

アングロサクソンは自分たちは「イスラエルの失われた十支族」であり、ダビデ王の末裔だと信じていた
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211327

宇山卓栄 _ ウクライナ人とユダヤ人とロシア人がお互いに憎み合う様になった歴史的背景
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211107

宇山卓栄 _ ユダヤ人は悪い
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211149


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民族の起源・DNA解析関係投稿集


インターネットの民族の起源・DNA解析関係ブログへのリンク
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宇山卓栄 世界民族講座◉人種・民族・国民の違いとは? / 日本民族は独自&特殊!by 千田会
2024/07/04
https://www.youtube.com/watch?v=bZo9KUPGg7A

【今回の目次】
・「人種」「民族」「国民」の違い
・世界の主な語族〜民族の分け方〜
・東ユーラシア語族について
※日本人は東ユーラシア語族に含まれない?
・日本人は独自の日本語族
・シナ・チベット語族について
・「語族」と「語派」の違い
・東ユーラシア語族 それぞれの違いは?
・台湾の原住の民族について
・台湾の実情と日台中関係の構築
・オーストロアジア語族(主にカンボジア=クメール人)について
 ※タイ・ベトナムは中華系
・西ユーラシア語族(コーカソイド)について
・セム語族:アラブ人=ユダヤ人=イラク人
・インド・ヨーロッパ語族:欧州人=イラン人=インド人
・旧約聖書のイシュマエル(アラブ系)とイサク(ユダヤ系)
・ユダヤ教を信仰するセム語族➡︎ユダヤ人
・イスラム教を信仰するセム語族➡︎アラブ人
〜質疑応答〜
・代表的ユダヤ人(ブリンケン、ヌーランド、ゼレンスキーなど)は白人だが、どう捉えればいいのか?


宇山卓栄の世界史・現代史講義
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16841003


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雑記帳 2025年05月01日
古人類学の記事のまとめ(55)2025年1月~2025年4月
https://sicambre.seesaa.net/article/202505article_1.html

雑記帳 2025年01月02日
古人類学の記事のまとめ(54)2024年9月~2024年12月
https://sicambre.seesaa.net/article/202501article_2.html

雑記帳 2024年09月01日
古人類学の記事のまとめ(53)2024年5月~2024年8月
https://sicambre.seesaa.net/article/202409article_1.html

雑記帳 2024年05月01日
古人類学の記事のまとめ(52)2024年1月~2024年4月
https://sicambre.seesaa.net/article/202405article_1.html



世界ミステリーch - YouTube
https://www.youtube.com/@sekaimystery/playlists
https://www.youtube.com/@sekaimystery/videos

人類の起源【世界ミステリーch】 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLeBS5noj71yhu4VDWI2FS1kUVbfIqhWCL


LEMURIA CH/レムリア・チャンネル - YouTube
https://www.youtube.com/@lemuriach3391/playlists
https://www.youtube.com/@lemuriach3391/videos

人類の進化史 - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfnwt5i2s7CVwx1tCltQ1yl5


みどりTV
https://www.youtube.com/@MIDORI-TV603/videos

人類の進化史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfnwt5i2s7CVwx1tCltQ1yl5

世界ミステリーch _ ネアンデルタール人の頭蓋骨から『顔』が復元された
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16854610

デニソワ人と現生人類の混血
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16834945

人類は1200人まで減少し、自分自身や環境を変える事で生き残った
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16822339

「石器時代」は「木器時代」だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16854718

篠田謙一 古代ゲノム研究のおそるべき技術革新
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14052212


最新のゲノム解析が明かした日本人の起源
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/03/090315

【最新研究で解き明かす】縄文時代はなぜ1万年も続いたのか?日本史最大の謎に科学で迫る。
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/20/040301



ヨーロッパ人とアメリカ先住民にはなぜ共通祖先がいるのか?DNAが示す2万年前の共通のルーツとは?文化も似てる!?
History hub 2025/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=qL44mFPiEIU

▼チャプター
00:00 イントロ
00:33 第一章:DNAが語る共通のルーツ
02:11 第二章:古代北ユーラシア人って何者?
05:53 第三章:どうしてこんなに離れてるの?
10:04 第四章:DNAの地図が描く人類の旅
13:46 第五章:文化・神話・言語にも痕跡が?
15:26 まとめ


ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F

白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887


青い目はどこからきたのか?DNAの変異とは?本当は青くない?青い目が広がった意外な理由とは?
History hub 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=cZJIq3qoM2M&t=36s

青い目はなぜ存在するのか?その不思議な起源から、進化の過程、そして現在どれほど希少なのかまでを、科学とユーモアを交えてわかりやすく解説します。6000〜10000年前、黒海北岸で起きたたったひとつの遺伝子変異が、なぜ現代にまで受け継がれているのか?ビタミンD説、モテ要因説、偶然説…複数の仮説を紹介しながら、「青い目は消えてしまうのか?」という未来の話にも踏み込みます。目の色にまつわる進化のミステリー、のぞいてみませんか?

▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:青い目ってそもそも何?
03:23 第二章:青い目はどこから来たの?
06:15 第三章:どのように広がっていった?
12:34 第四章:文化と迷信の青い目
15:38 第五章:青い目は絶滅する?
18:01 まとめ



雑記帳 2025年01月05日
ユーラシア東部圏の人類史(追記有)
https://sicambre.seesaa.net/article/202501article_5.html


【最新人類史】縄文人と弥生人の混血比率/朝鮮半島の縄文人とは/縄文人とホアビニアンとの関係/Y染色体ハプログループDの謎/東アジア人と日本人の起源/ホモ・サピエンスがアフリカから東アジアに辿り着くまで
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2023/12/04
https://www.youtube.com/watch?v=x4x5lVOjL_Y&t=3s

東アジア人類集団人の形成過程に関する研究はヨーロッパに比べ遅れていましたが、ここ数年で東アジアでも古代DNAデータが揃いつつ有り、多くの研究成果が報告されています。
今回は近年の研究で明らかになってきた東アジア人と日本人の起源について解説していきます。


出雲大社は元々スサノオを祭る神社だった _ どこから来たのか?スサノオの正体
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/26/005349



アーリア人、ゲルマン人の歴史
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/24/104514

ヨーロッパ人の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007381

遊牧民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16898276

ヤムナ文化の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16894437

本村凌二『地中海世界の歴史』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16860743

完新世における人類の拡散 _ 農耕と言語はどのように拡大したのか
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14094213

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008392

古代中国の殷・匈奴とフン族の Y-DNA は N
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007377

中国最古の王朝 殷
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14097933

文明の衝突 Part 2 中華文明と北方異民族の光芒 宇山卓栄×ゆめラジオ 2025.03.06
https://www.youtube.com/watch?v=lhuxqft0yM8

大陸、第3の文明『遼河文明』弥生人の故郷?【日本の古代史シリーズ 第15回 】
みどりTV 2024/01/20
https://www.youtube.com/watch?v=CQ7XWDXRI5c&t=440s

世界最初の農耕文明を作った長江人の末裔の現在
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14034569


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1万5000年前のトルコ ギョベクリ・テペ遺跡 _ 原始人のような人達が巨石で神殿をつくっていた 
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16891810


北米最古級の村が発見され歴史が変わります!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16892228


ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ




古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ



アメリカ先住民の起源~古代DNA解析で明らかになったヨーロッパ人とアメリカ先住民の共通祖先「古代北ユーラシア人」の存在~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2020/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=9aHbzWnonvc&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=2

人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html

アメリカ先住民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833139
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html

マヤ文明滅亡の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/670.html

メキシコの初期植民地時代の奴隷の起源と生活史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/979.html

アマゾン盆地に点在する「小さな森」が1万年以上昔に農業が行われていた痕跡だと判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/973.html

先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸住民との接触
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/999.html


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ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ




古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ



アーリア人はどこからやって来たのか?DNAは残っているのか?ナチス・ドイツによる悪用とは?
History hub 2025/03/08
https://www.youtube.com/watch?v=jfh--HTH3dc

この動画では、「アーリア人の起源」を歴史・考古学・遺伝学の視点から解説します。アーリア人はインド・イラン語派を話す民族であり、約4000年前に中央アジアの**ステップ地帯(ヤムナ文化)**から移動し、インドやイランに定住しました。19世紀ヨーロッパでは「アーリア人=文明の担い手」とする誤解が広がり、ナチスが「金髪碧眼のスーパーレース」という虚構を利用しました。しかし、最新のDNA研究により、アーリア人は遊牧民の一派であり、現代のインド北部やイランに遺伝子的影響を残したことが判明しています。ヨーロッパにもステップ地帯のDNAは含まれますが、アーリア人=ヨーロッパ系ではないことが科学的に証明されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:アーリア人って誰のこと?
02:38 第二章:どこから来たのか?
07:15 第三章:なぜ誤解が広まったのか?
10:50 第四章:アーリア人の遺伝子は残っているのか?
14:36 まとめ



ラテン人、ゲルマン人、スラブ人の違いとは?ヨーロッパ三大民族!言語、文化、宗教の違いとは?
History hub 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=R_7mbQcSAus

この動画では、ヨーロッパの主要民族であるラテン系、ゲルマン系、スラブ系の違いを解説します。ラテン人は古代ローマを起源とし、陽気で情熱的、芸術や恋愛を大切にする文化が特徴。ゲルマン人は北ヨーロッパにルーツを持ち、秩序と規律を重んじ、戦士気質と堅実な精神を持つ。一方、スラブ人は広大な東欧を中心に広がり、粘り強く、魂や共同体を大切にする文化が根付いています。それぞれの民族が築いてきた歴史や文化の特徴をわかりやすく紹介。視聴者に「自分はどの文化に共感できる?」と問いかけ、民族の違いを楽しく学べる構成となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:まずはざっくり分けてみよう
01:59 第二章:ラテン系とは?
05:42 第三章:ゲルマン系ってどんな人たち?
09:17 第四章:スラヴ系とは?
13:41 第五章:それぞれの違いと共通点
15:27 まとめ




ゲルマン民族の起源と文化:ヨーロッパの歴史を変えた部族たち
History hub 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=UbMKv5jFp9Q&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=4

今回は「ヨーロッパの歴史を変えたゲルマン民族:起源、文化、そして現代への影響」というテーマで、ゲルマン民族の起源や歴史、文化、そして現代への影響について詳しく解説します。ローマ帝国を滅亡させたゴート族や後のフランスを作ったフランク族、現在のイギリスに渡ったアングロサクソン族、アフリカに渡ったヴァンダル族など様々な部族に触れていきます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:39 ゲルマン民族の起源と歴史
03:45 ゲルマン部族の紹介
03:58 西ゴート族
04:35 東ゴート族
05:08 フランク族
05:44 アングロ・サクソン族
06:14 ヴァンダル族
07:07 ゲルマン民族の文化と社会
07:26 政治制度と法
08:19 宗教と神話
09:00 日常生活と風習
09:45 結婚と家庭
10:06 祭りと儀式
10:26 まとめ


ゲルマン人とスラヴ人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!言語、文化、遺伝子の違いとは?
History hub 2025/01/25
https://www.youtube.com/watch?v=pbEXeHI_hQs

この動画では、ヨーロッパ史におけるゲルマン人とスラヴ人の違いをわかりやすく解説しています。ゲルマン人は北ヨーロッパを起源とし、ローマ帝国崩壊に関与した戦士文化と秩序重視の性格が特徴。一方、スラヴ人は東ヨーロッパから農耕文化を広げ、感情豊かで情熱的な性格を持つ民族です。遺伝学的には、ゲルマン系に多い「R1b」や「I1」、スラヴ系に多い「R1a」といったハプログループが祖先の移動や混血の歴史を示しています。現代では、ゲルマン系は技術革新や効率性、スラヴ系は芸術や精神性で世界に影響を与えています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもゲルマン人とスラブ人って何者?
03:33 第二章:どうやって広がった?
09:50 第三章:言語の違い
11:56 第五章:遺伝的な違い
14:53 まとめ




なぜヴァイキングはスラブ人を奴隷にしたのか?恐怖の人●売買ネットワークとは?アフリカまで送られていた!?
History hub 2025/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=zYPfNNYP2T0

この動画では、バイキングによるスラヴ人の奴隷化について解説しています。ヴァイキングたちは8~11世紀に、スラヴ人を略奪し奴隷として捕らえ、イスラム世界やビザンツ帝国へ輸出しました。奴隷は農業や建設、家庭内労働、さらには軍事目的で使用され、当時の経済を支える重要な存在でした。一方、スラヴ人社会はこの困難を乗り越え、後の強力な国家形成へと繋がりました。また、ヴァイキングの奴隷貿易は後の大西洋奴隷貿易の基盤となり、歴史に大きな影響を与えました。このテーマは、歴史を通じて倫理や人権について考えるきっかけを与えてくれます。

00:00 イントロ
00:34 第一章:ヴァイキングの奴隷貿易
02:30 第二章:なぜスラヴ人がターゲットに?
05:10 第三章:奴隷としてのスラヴ人の運命
08:43 第四章:ヴァイキングの視点
11:37 第五章:歴史的な影響
14:27 まとめ



ケルト人はどこからやって来たのか?そして、どこへ消えたのか?現代に残るDNAとは?
History hub 2025/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=pFfydcacSx4

ケルト人は、特定の民族ではなく、ヨーロッパ全土に広がった文化・言語グループであり、中央ヨーロッパのハルシュタット文化から発展した。彼らは戦士として勇敢でありながら、金属加工や交易にも長け、ドルイドと呼ばれる知識人が社会を支えていた。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国の侵攻を受け、ガリアなどでは支配される。一方、アイルランドやスコットランドではケルト文化が存続。中世以降もゲルマン人やノルマン人の侵攻を受けたが、ケルトの言語や音楽、神話は現代に残り、アイルランドの伝統やファンタジー文化に影響を与えている。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:38 第一章:ケルト人ってそもそも誰?
03:10 第二章:ケルト人の起源はどこ?
05:27 第三章:ケルト人はどんな暮らしをしていた?
07:58 第四章:ケルト人はどこへ消えた?
11:10 第五章:現代に残るケルト人のDNA
13:34 まとめ




ケルト人とゲルマン人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!あなたはどっち派?
History hub 2024/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=doQp6FbN7O4&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=1&t=69s

この動画では、ケルト人とゲルマン人の違いや共通点について解説しています。ケルト人はアイルランドやフランスなどに広がり、自然崇拝や芸術を重視していたのに対し、ゲルマン人はドイツや北欧に住み、実用性や戦士文化を重んじていました。宗教面では、ケルトはドルイド教、ゲルマンは北欧神話を信仰し、戦士としての誇りが共通していました。また、両民族ともに部族社会を形成し、ローマ帝国と激しく対立しましたが、自然との共生や戦士の価値観が共通していた点も強調されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:31 第一章:ケルト人とは?
02:26 第二章:ゲルマン人とは?
04:43 第三章:ケルト人とゲルマン人の違いはどこにある?
09:09 第四章:両民族の共通点は?
12:43 まとめ



ヴァンダル族 : 破壊者と呼ばれたゲルマン民族!アフリカへの進出、ローマへの侵攻、なぜ滅亡したのか?【歴史解説】
History hub 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=y2_E1v9gasU&t=0s

この動画では、古代ゲルマン部族「ヴァンダル族」の歴史を解説します。彼らはローマ帝国末期にローマを略奪し、「ヴァンダリズム=破壊行為」の語源となりましたが、実際には無秩序な破壊者ではなく、宗教施設などは慎重に扱ったとされています。ヴァンダル族はローマ略奪後、北アフリカに王国を築き、地中海で一時的に強力な勢力を誇りました。しかし、ビザンチン帝国により滅ぼされ、その後歴史の表舞台から消えました。ヴァンダリズムの誤解と彼らの真実に迫ります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ヴァンダル族って誰?
01:43 第二章:北アフリカのヴァンダル王国
05:51 第三章:ローマへの一撃
07:56 第四章:ヴァンダリズムの誤解
10:29 第五章:ヴァンダル族の結末とその後の影響
12:00 まとめ



なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章:現代への影響
11:46 まとめ



東欧はなぜ美女が多いのか?スラブ系、ゲルマン系、アジア系民族などの遺伝子的背景や歴史と文化、そして地理的影響を探る【歴史解説】
History hub 2024/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=8Vbui05yCog&t=0s

この動画では「東欧はなぜ美女が多いのか?」を歴史的背景や文化、生活習慣を交えて解説しています。東欧は西ヨーロッパとアジアの中間に位置し、多くの異なる文化や民族が交差する場所です。この地域の多様な民族が混ざり合い、美的特徴が豊かになりました。また、東欧の歴史では戦争や移民が多く、異なる遺伝子が交わった結果、多様な美が生まれました。さらに、伝統的な民族衣装や自然素材を使った美容法、フィットネス文化が美しさを育んでいます。現代でも、東欧の女性たちはソーシャルメディアやミスコンテストで美しさを発信し続けています。美の秘訣は、歴史、文化、日常の努力が絶妙に融合している点にあります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 美の基準と文化的背景
01:08 第一章 : 東欧の地理と民族の多様性
03:10 歴史的背景
03:31 戦争と制服
04:20 移住と交易
05:08 民族の融合
06:01 美容と健康の文化
06:20 伝統的な美容法
07:44 精神的な健康
08:32 遺伝子の多様性
08:47 歴史的な混血
09:30 遺伝子の多様性と健康
09:57 現代の遺伝子研究
10:33 独自の意見
11:49 まとめ


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ハプログループ E (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/185.html

ハプログループ I (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/183.html

ハプログループ J (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/184.html

ハプログループ R1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/182.html

ハプログループ R1b (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/187.html

ハプログループ D1a2a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html

ハプログループ C1a1 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/174.html

ハプログループ C2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html

ハプログループ O1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/200.html

ハプログループ O1b2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html

ハプログループ O2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/177.html


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インド・イラン語派やバルト・スラブ語派のアーリア人の Y染色体は R1a
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ケルト人、バスク人やゲルマン系アーリア人の Y染色体は R1b
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007380

イエスのY染色体ハプログループは J2
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History hub - YouTube
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民族- YouTube
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ユダヤ人の歴史 - YouTube
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ローマ帝国 - YouTube
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中世ヨーロッパ - YouTube
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モンゴル帝国 - YouTube
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大航海時代 - YouTube
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偉人シリーズ - YouTube
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イエス・キリスト生涯 - YouTube
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【ヨーロッパ】ラテン人・ゲルマン人・スラヴ人の違い!ヨーロッパ三大民族の言語・文化・宗教
世界史解体新書 2025/04/26
https://www.youtube.com/watch?v=yFrJeinYiuA




現代ギリシャ人の遺伝子は古代ギリシャ人と殆ど変わらなかった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/04/160711

【ギリシア】ポピュリズムが台頭する現代に警鐘!民主政治が崩壊する理由
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/11/20/115052

橋場弦『古代ギリシアの民主政』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14090577

ギリシャ・イタリアの歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/469.html

エーゲ海の民族の古代ゲノム研究
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14044235

ギリシア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/275.html

アナトリア半島人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/294.html

古代遺跡ロマン トロイ・伝説の戦い
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/287.html

ミノア文明はヨーロッパ起源だった
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/626.html

1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/623.html

トルコ人とギリシャ人、ブルガリア人は医学的にほとんど同一人種
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/622.html

山賊・海賊によってつくられたギリシャ・ローマ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/619.html

ギリシャ美術
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833338

ギリシャ神話 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLeBS5noj71yhb8WVPGqvQllfOdG1xQx_1

ギリシャのホロコースト
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14153976

ギリシャの列車衝突事故、老朽化で手作業で信号やポイント切り替えしていた
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14092074


118 名前:777

2024/08/26 (Mon) 08:29:00

日本と呉の交流、呉服の渡来について【日本の古代史シリーズ 第36回】
みどりTV 2024/01/12
https://www.youtube.com/watch?v=YDfW_gf1Lfk&t=81s

日本の古代史シリーズ第36回は、日本と呉の関係について語っていきます。
春秋戦国時代や三国時代に「呉」という国がありました。
また、長江下流地域を「呉」と呼ぶことがあります。日本書紀などでも、南朝の宋を「呉」と呼んでいます。
果たして「呉」から水田稲作の伝来があったのか、呉の人は日本に来たのか、宝塚古墳の船型埴輪は「呉」の船だったのか?
また「呉服」の伝来については、詳細が記録されているので、伝来の様子を詳しく見ていきます。

00:00 日本と「呉」の関係
02:00 呉人は日本に来たか?
03:31 倭人を太伯の子孫とする伝説
05:19 古墳から出土した「呉」の船?
06:55 宝塚市の地名の由来
08:12 「呉」(南朝の宋)からの朝貢?
09:25 三国時代の「呉」からも朝貢があった?
10:28 呉服の渡来
13:48 (まとめ)技術の伝来の理想的なケース

■参考書籍
・縄文時代(https://amzn.to/46jUoX3) :縄文時代の基本が、短時間で俯瞰的に学べる良書
・舟形埴輪と古代の喪葬「宝塚1号墳」(https://amzn.to/3SehXvY)
・最古の農村「板付遺跡」-シリーズ「遺跡を学ぶ」-山崎純男(https://amzn.to/3Hi2ULw)

119 名前:777

2024/08/26 (Mon) 18:44:58

弥生人の起源は南遼河?【日本人のルーツシリーズ】
みどりTV 2024/08/26
https://www.youtube.com/watch?v=oPCkY71iMac

■参考書籍
・篠田 謙一 新版「日本人になった祖先たち」DNAが解明する多元的構造 NHKブックス:https://amzn.to/4cS5Qg0
・篠田 謙一 「DNAで語る 日本人起源論」 (岩波現代全書):https://amzn.to/3y8ptkW
・斎藤成也「最新DNA研究が解き明かす。日本人の誕生」:https://amzn.to/3Wx3g9K
・斎藤成也「DNAから見た日本人 (ちくま新書)」:https://amzn.to/3LzM5Os

120 名前:777

2024/08/26 (Mon) 23:08:29

知られざる超古代吉備国の謎【日本の古代文明シリーズ】
みどりTV 2024/06/21
https://www.youtube.com/watch?v=50RXX1XySqc

今回は、縄文前期という超古代から、国らしきものがあったと思われる吉備国について語ります。
弥生時代以降の吉備国は、神武東征からヤマト政権をバックアップし、5世紀頃まで強大な力を誇っています。
その背景にはYハプロC1a1の人々の存在が欠かせなかったのです。その辺りを語っていきます。

■縄文文明の世界最古
【縄文文明シリーズ 第3回】三内丸山遺跡 巨大掘立て柱建物は何なのか?
• 三内丸山遺跡 巨大掘立て柱建物は何なのか?【縄文文明シリーズ 第3回】
【縄文文明シリーズ 第11回 】弥生時代の田園風景『登呂遺跡』
• 弥生時代の田園風景『登呂遺跡』【縄文文明シリーズ 第11回 】


■参考書籍
・地図でスッと頭に入る縄文時代:https://amzn.to/46jUoX3
・佐藤 洋一郎「稲 の 日本史」(角川ソフィア文庫):https://amzn.to/3KL7mV1
・関裕二「任那・伽耶の正体」:https://amzn.to/4cpAjkZ
・井上光貞「日本書紀(上)」(中公文庫):https://amzn.to/4c1VPN6
・たたらの実像をさぐる 山陰の製鉄遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」157):https://amzn.to/3VLU9Sc

121 名前:777

2024/08/26 (Mon) 23:38:09

朝鮮半島でYハプロC1a1が出土【日本人のルーツシリーズ】
みどりTV 2024/03/07
https://www.youtube.com/watch?v=-pOcBPfA210

鬼海カルデラ大噴火の後の6000年前頃の朝鮮半島南部の煙台島遺跡で、YハプロC1a1系統が2体発見されました。
2体の主成分分析結果は、大きな違いがありました。朝鮮半島でどのように混血したのか、考察してみました。
またYハプロC1a1は、上野原文化を担ったYハプロではないか、という可能性も出てきました。その辺りをまず簡単に語っていきます。
次回以降で、朝鮮半島の新石器時代、無文土器時代の人の動きを追ってみたいと考えています。

01:44 C1a1系統は日本のどこにいた?
05:16 朝鮮南部煙台島人骨のYハプロ
06:50 6000年前までに朝鮮半島南部に来そうなグループ
08:36 朝鮮半島中西部で弓山文化が花開く
11:49 (まとめ) 朝鮮半島に渡ったC1a1系統

122 名前:777

2024/09/02 (Mon) 18:23:08

古墳時代まで半島の主人は縄文系だった!【日本人のルーツシリーズ】
みどりTV 2024/09/02
https://www.youtube.com/watch?v=j1TW5sgH2U0

■参考書籍
・日本書紀(上) (中公文庫):https://amzn.to/477PIF4
・篠田 謙一 新版「日本人になった祖先たち」DNAが解明する多元的構造 NHKブックス:https://amzn.to/4cS5Qg0
・篠田 謙一 「DNAで語る 日本人起源論」 (岩波現代全書):https://amzn.to/3y8ptkW
・斎藤成也「最新DNA研究が解き明かす。日本人の誕生」:https://amzn.to/3Wx3g9K
・斎藤成也「DNAから見た日本人 (ちくま新書)」:https://amzn.to/3LzM5Os

123 名前:777

2024/09/08 (Sun) 17:22:58

弥生時代の鉄器はあったのか?【日本の古代史シリーズ】
みどりTV 2024/09/08
https://www.youtube.com/watch?v=GWYgzmpFl2o

今回は弥生時代と鉄器について語ります。

■参考書籍
・真弓常忠 古代の鉄と神々 (ちくま学芸文庫) 筑摩書房
・長浜浩明「古代日本「謎」の時代を解き明かす」:https://amzn.to/3Z9YJvm

124 名前:777

2024/09/11 (Wed) 12:31:32

西洋人 が鬼畜だった理由
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16869015




猿は食べ物を分け合わない―― 700万年の進化史における人間の食とは?
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14093952

チンパンジーが好きな肉は脳? 初期人類も同様か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/843.html

チンパンジーよりもヒトに近いボノボ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/673.html

人類は1200人まで減少し、自分自身や環境を変える事で生き残った
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16822339

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html

氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008921

ヨーロッパ人の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007381

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008392

コーカソイドが作った黄河文明は長所は一つも無いが戦争だけは強かった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14013836

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

この戦闘民族やばすぎる。ゲルマン民族の謎!!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14046224

アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007474

アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html

アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007480

現在でも米政府やWHOは劣等な民族を「淘汰」すべきだと考えている
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14056012

アメリカ合衆国の歴史と現代史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/485.html

アメリカの黒人強制労働の歴史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14019321

遺体は“1000人以上” 暴行、レイプ…先住民の子どもを大規模虐待~カナダ寄宿学校の闇〜
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14063178

日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html

アメリカ人は頭がおかしい
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/556.html

ネオコンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/494.html

ダーウィン進化論 と 優生学
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833917

【タブー視される悪魔の学問】人間の命に優劣をつけた「優生学」とは何か?
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16829705

異教徒は「人間」ではないので殺してもいい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/798.html

平和よりも、もっと大切なものがある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/339.html

人類は愛と平和を求めているわけではない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/931.html

ユダヤ教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/365.html

茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14132553

茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14130919

ユダヤ教では『原罪』は無い
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16842495

欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html

欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html

イエスの本当の教え _ 神の国、神の子とは何か?
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14006907

イエスが殺された本当の理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/371.html

グノーシス思想
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/390.html

キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html

キリストの再臨とアメリカの政治
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007057

イスラエルとアメリカのカルト政治家が虐殺を進める
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16828427

パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16824368

ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14077515

非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14138805

西側支配層の人類を死滅させかねない政策は背後に優生学
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311210000/

Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14142318

ウクライナのネオナチを動かしている優生学の発祥地は英国であり、米国で育った
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202212310000/

優生学と関係が深い人口削減政策は19世紀のイギリスから始まる
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307310000/

「モンゴル人種に属すロシア人」を殺す必要性を訴えたウクライナ軍の米人報道官
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310070000/

日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えの違い
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16828003

接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14112398

ナチスの「人間牧場」 選別した男女に****渉させ、アーリア人を産ませる
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14027543

ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14047960

****者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html

社会の底辺の人間のルサンチマン・奴隷道徳は醜い
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/612.html

ニーチェ ツァラトゥストラ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/899.html

ニーチェの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html

超人エリーザベト~ニーチェを売った妹~
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1753.html

内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
2020-03-02 20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/520.html

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html

125 名前:777

2024/09/12 (Thu) 12:23:36

日本人に多いミトコンドリアハプログループ【日本人のルーツシリーズ】
みどりTV 2024/09/12
https://www.youtube.com/watch?v=906cz5b0iuk

【2024/9/11に更新しました】今回は、日本人のルーツシリーズで日本人に多いミトコンドリアハプログループについて語っていきます。

00:00 冒頭
00:57 日本人に多いmtHg
01:29 mtHg-A系統:東アジア北部からアメリカへ
05:20 mtHg-B4系統:中国、東南アジア、ポリネシア
08:20 mtHg-D5系統:中国南部
09:04 mtHg-G系統:東北アジア
10:42 mtHg-F系統:東南アジア
11:56 mtHg-M7系統:日本、中国南部、東南アジア
14:10 mtHg-M8系統:中国、他
15:42 mtHg-M9a系統:中国、チベット
17:12 mtHg-M10系統:アジア、ロシア、ポーランド、他
18:46 mtHg-N9a系統:東アジア、中央アジア、東南アジア
19:43 mtHg-N9b系統:日本
21:54 mtHg-Y系統:東北アジア、北海道
23:16 mtHg-Z系統:アジア、ヨーロッパ
25:13 (まとめ) 日本は弥生時代以降、mtHgが増えた

■参考書籍
・地図でスッと頭に入る縄文時代:https://amzn.to/46jUoX3
・新版「日本人になった祖先たち」篠田謙一著(NHKブックス):https://amzn.to/3Suxs3k

126 名前:777

2024/09/14 (Sat) 18:13:12

長江文明を担ったミャオ族は日本に来たか?【日本人のルーツシリーズ】
みどりTV 2024/09/14
https://www.youtube.com/watch?v=tvVI5BDfyn0

■参考書籍
・安田 喜憲「龍の文明・太陽の文明」(PHP新書):
・安田 喜憲「稲作漁撈文明: 長江文明から弥生文化へ 」:https://amzn.to/3UNQWj3
・梅原 猛「長江文明の探究: 森と文明の旅」: https://amzn.to/3QNV4hO
・安田 喜憲「日本神話と長江文明」 (環太平洋文明叢書 2): https://amzn.to/4apjlls
・徐 朝龍「長江文明の発見 中国古代史の謎」 (角川文庫ソフィア 261):https://amzn.to/4dYKezR

127 名前:777

2024/09/16 (Mon) 16:03:11

【若一調査隊】邪馬台国の有力候補地 奈良・桜井市「纒向遺跡」 衝撃的な大型建物群は卑弥呼の宮殿だったのか?古代史最大の謎に迫る
読売テレビニュース 2024/09/11
https://www.youtube.com/watch?v=ikRZdpChMnU

およそ1800年前、争いに明けくれていた国々を神秘的な力でひとつにまとめたという、女王・卑弥呼。その卑弥呼がいた国「邪馬台国」の所在地を巡っては、いまだ決着がつかず、古代史最大の謎となっています。有力候補地として注目される、奈良・桜井市の「纒向遺跡」。4つの特徴から、その実態に迫りました。
(かんさい情報ネットten. 2024年 9月 4日放送)

128 名前:777

2024/09/18 (Wed) 13:06:39

【日本と国際社会】難しい言語ランキング!日本語は世界の中で特殊で稀有な存在です
世界史解体新書 2024/09/16
https://www.youtube.com/watch?v=micfH8Kndd0&t=4s

129 名前:777

2024/09/21 (Sat) 05:18:01

【日本のタブー】天皇とは?なぜ偉い?次期天皇はどう選ぶべきなのか?【茂木誠先生に聞くpart4】
シン・きー 歴史沼チャンネル 2024/09/20
https://www.youtube.com/watch?v=K0AEHqJVxN8

130 名前:777

2024/09/29 (Sun) 13:00:39

朝鮮半島、空白の5000年
みどりTV 2024/09/27
https://www.youtube.com/watch?v=AcV5MZZYbao

■参考書籍
・遠藤典夫「朝鮮半島の先史考古学」:https://amzn.to/4gu7FBZ
・堤隆「旧石器時代ガイドブック」

131 名前:777

2024/10/04 (Fri) 08:36:25

【日本と国際社会】日本とユダヤ人の特別な関係!日ユ同祖論について考えてみる!
世界史解体新書 2024/10/03
https://www.youtube.com/watch?v=F_52yN0Hw20&t=759s

【動画内で紹介した書籍】
伊勢谷武『アマテラスの暗号』
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7%EF%BC%88%E4%B8%8A%EF%BC%89-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E8%B0%B7-%E6%AD%A6/dp/4299049853/ref=sr_1_1?crid=13ANAGJH4R8T2&dib=eyJ2IjoiMSJ9.FHFzIclxYEf9l-5K5xh6eWdkVFwpy0IsRN-SFj1bd89uHfyixWCI5A3umvT_J9HskncG3gBLU42j-8Bu8EWq8yme7A72z7udEeRldohG6TMUhRANGL430pbsc33kV6yksBO9JJu4_rT0KhJ5Qa9hvYMdxqXgRWyrWG1BQ74h-ufHpXRCKYFVtZ_DEEK41c_IX19UXFaFCuKxKNJuUqPlUNFKwHueJ051kb-ksjWSyN2kBQbtPxqDH-8gp3x6dZJLuMULi1KS3ZyI_SCBykpwdF5tovkFTfzgMBIaQzrwd3g.zbWKvvKEsLb_ecipJsxxvX9whnDqwCs0vDEQdQy4YuA&dib_tag=se&keywords=%E5%A4%A9%E7%85%A7%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7&qid=1727944733&sprefix=%E5%A4%A9%E7%85%A7%E3%81%AE%2Caps%2C269&sr=8-1


茂木 誠 ・田中 英道『日本とユダヤの古代史&世界史 - 縄文・神話から続く日本建国の真実』
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2-%E7%B8%84%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B6%9A%E3%81%8F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E8%8C%82%E6%9C%A8-%E8%AA%A0/dp/4847073134/ref=sr_1_4?crid=8OYXP2RUH3TE&dib=eyJ2IjoiMSJ9.r6Rx-XhwvUKV5noavHAp_Fdxyaa4i-VqzdubUfs5-nEIVbgFZ-60_PyCsJ6Ggw6UmXCUkw43iNCN33paRxM3kIqk1IHtHXwmMgqSsNCKpZo7oY1KERpCyLuiTzQ5Nh1pIYkLUqDJL7abCBE-yTATXXrSPGxM61E8BZYjnBzE-hznv6qebaA8Mv7uJg5XGvq7D7i2hjtcut_5Dy7ewhuUYVViMl7N2fcD-s_m6hmLSyKLRRjmIfEsgy7nSvIBHoLD2iBwrPXw35EtCsM_y5rSTkPtAiFgsXZ5bzN28SW_v-4.9jFu8oR9dE1pLtwsOeMkNqiTdQ9N33DQtmEzCxX0srI&dib_tag=se&keywords=%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96&qid=1727944787&sprefix=%E6%97%A5%E3%83%A6%2Caps%2C305&sr=8-4


【日ユ同祖論】ユダヤと秦氏は繋がっていた!?|茂木誠 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rcIbCcacDoc&t=0s

茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE


ユダヤ人の Y-DNA _ 日本にはユダヤ人の遺伝子は全く入っていない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007378

秦氏がユダヤ人だというのはド素人の妄想
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007812

132 名前:777

2024/10/23 (Wed) 08:47:04

雑記帳 2024年10月17日
土井ヶ浜遺跡の弥生時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202410article_17.html


雑記帳 2024年10月17日
土井ヶ浜遺跡の弥生時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202410article_17.html

本論文は、日本列島における人類進化史について、弥生時代にアジア北東部(本論文ではシベリア北東部)関連祖先系統を有する集団が到来して縄文時代から日本列島に存在する在来人類集団と混合し、古墳時代にアジア東部関連祖先系統を有する集団が到来して、弥生時代人類集団と混合して現代の日本人集団の遺伝的構成が形成された、とする先行研究で提示された三重構造説に否定的な結果を提示しています。

先行研究では、下本山岩陰遺跡の弥生時代2個体と古墳時代個体群で見られるユーラシア北東部関連構成要素は弥生時代にもたらされ、古墳時代個体群で観察され、弥生時代個体群では観察されない新たなアジア東部関連構成要素は古墳時代に出現した、と主張されました。
しかし本論文では、下本山岩陰遺跡の弥生時代2個体より年代の古い土井ヶ浜遺跡弥生時代個体が、縄文人関連祖先系統とシベリア北東部関連祖先系統のみならず、かなりのアジア東部関連祖先系統も有している、と分かりました。
先行研究では3方向混合モデルが提案されましたが、弥生時代と古墳時代と現代の日本の個体群に関する混合モデル化の本論文の分析は、縄文人関連祖先系統と韓国人関連祖先系統を仮定する2方向混合モデルを強く裏づけました。

アジア東部関連祖先系統とは黄河新石器時代関連祖先系統を主体としつつ、前期新石器時代華南集団関連祖先系統が混合したもの

シベリア北東部関連祖先系統とは、アムール川地域関連祖先系統に相当します。



日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究
2024.07.24
内城喜貴 / 科学ジャーナリスト、共同通信客員論説委員
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20240724_e01/



【最新研究】これまでの日本人の起源が覆ります!!
世界ミステリーch 2024/05/04
https://www.youtube.com/watch?v=85UP41o32_k

これまで日本人の起源は縄文人と弥生人の混血とされてきました。これは二重構造説と言います。しかし、新たな研究によってこの定説が覆ることになりました。それが日本人の起源は縄文人と弥生人、そしてもう一つの人々の混血というもの。今回はこの新しい説を解説していきます。

参考:引用:
2024年4月18日 理化学研究所
全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴
-ネアンデルタール人・デニソワ人の遺伝子混入と自然選択-
https://www.riken.jp/press/2024/20240418_2/index.html


【最新DNA解析】日本人三重構造説「我々はどこからきたのか?」【日本人のルーツ】
レイの謎解き日本史ミステリー【ゆっくり解説】2024/05/10
https://www.youtube.com/watch?v=SCy6BPAX3QU

【動画目次】
00:00 オープニング
01:12 遺伝子学とDNA
05:10 日本人は特異な民族?
10:36 日本人二重構造モデル
15:07 DNA系統別
22:53 日本人三重構造説

今回の動画では、DNAからみた日本人の特異性とは?
日本人はどのようにして成立したのか?
「日本人三重構造説」とは?
について、わかりやすく解説しています。

133 名前:777

2024/10/25 (Fri) 17:06:21

日本人の遺伝的ルーツ新事実
2024年10月22日
https://news.nifty.com/article/item/neta/12363-3476399/

東京大学が山口県の土井ヶ浜遺跡で見つかった弥生時代の人骨を遺伝的に解析。
その結果、渡来人は弥生時代に朝鮮半島から入ってきた「東アジア系」と「北東シベリア系」の遺伝子を合わせ持つ集団であることが判明したのです。
これは遺伝的に見ると、現代の韓国人に近いようです。

134 名前:777

2024/11/04 (Mon) 15:41:38

学校で習わない琉球王国の歴史 DNAゲノム解析からわかる琉球人ルーツの謎 沖縄はいつから日本なのか?【なるためJAPAN】
なるためJAPAN 2024/11/02
https://www.youtube.com/watch?v=3WsezoZeR-k

教科書に載ってない琉球王国の歴史。沖縄の人々はどこから来たのでしょうか?最新のDNAゲノム解析からわかる琉球人ルーツの謎に迫ります。沖縄の言葉や文化、そして日本との歴史的な関係はどのように築かれてきたのか。わかりやすく解説します。
あなたはこの話題についてどう思いますか?ぜひあなたの意見をコメント欄に書いて教えてくださいね。

00:00 | はじめに
01:50 | 沖縄(琉球)の人は「日本人」なのか?
03:09 | DNAで解明した沖縄(琉球)のルーツ
05:38 | 沖縄(琉球)はいつから日本になったのか?
09:58 | 沖縄(琉球)の言葉の秘密
12:30 | 沖縄(琉球)に存在する神社
16:28 | まとめ

135 名前:777

2024/11/21 (Thu) 17:07:39

ヨーロッパ人と東アジア人は同一集団の子孫~2022年の研究で明らかになったアフリカ人、東西ユーラシア人の分岐と人種の成立過程/日本人の起源/アフリカ単一起源説~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2023/02/18
https://www.youtube.com/watch?v=pzLQVY-xOmQ

古代の化石に残るDNAを解析する技術の進展により、化石の形態では分からなかったホモ・サピエンスの進化の過程が明らかになってきました。
アウストラロピテクス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・アンテセソール(ホモ・アンテセッサー)、ネアンデルタール人、デニソワ人などの絶滅人類とホモ・サピエンスとの関係についても従来の説が次々と塗り替えられています。
今回はホモ・サピエンスの進化と人種の形成過程について最新の研究を交え解説していきます。

人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
https://amzn.to/416LMkx
Kindle版
https://amzn.to/3S7C2CK

交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史
https://amzn.to/3WLzvie
Kindle版
https://amzn.to/3RcJyvD


LEMURIA CH/レムリア・チャンネル - YouTube
https://www.youtube.com/@lemuriach3391/videos
https://www.youtube.com/@lemuriach3391/playlists



人類誕生の謎を徹底解説します【ホモ・サピエンス総集編】
世界ミステリーch 2024/09/07
https://www.youtube.com/watch?v=OmvKtwjiA28

この動画は、これまでお送りしたホモ・サピエンスについての総集編となっております。
最新研究も含め、人類の謎でもあるホモ・サピエンス誕生や当時の背景などを知ってください!

■チャプター■
00:00 スタート
0:13 アフリカ単一起源説が崩壊するかもしれない!?最新の研究で分かった人類の起源は〇〇だった?
8:51 出アフリカルートの謎が明らかに!ホモ・サピエンスはどう旅をしたのか?
17:50 出アフリカが大きな分岐点!ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの運命が決まった分かれ道とは?
28:27 定説が覆る?ホモ・サピエンスは異種族との交雑で生まれた!
38:38 ホモ・サピエンス誕生の最新考察!ホモ・サピエンスの誕生の定説が大きく変わる!?
47:01 人類最大の謎!ホモ・サピエンスはどこからきたのか?人類誕生と進化の謎に迫ります!
59:55 ホモ・サピエンスは最強の人類として生き残った!ホモ・サピエンスが手に入れたものとはなんだったのか?
1:10:49 農業が人類を狂わせてしまったのか?農耕生活が始まり何が起こったのかを徹底解説!
1:22:36 ホモ・サピエンスはなぜアフリカで生まれ、いつネアンデルタール人に出会ったのか?



ネアンデルタール人の最新研究で新事実も分かってきています【総集編】
世界ミステリーch 2024/09/12
https://www.youtube.com/watch?v=eVF1HCXDDR4&t=16s

この動画は、これまでお送りしたネアンデルタール人についての総集編となっております。
ネアンデルタール人についての研究はどんどんアップデートされ、新事実も分かってきています。
最新研究も含め、ネアンデルタール人の誕生や当時の背景などを知ってください!

■チャプター■
00:00 スタート
0:11 ネアンデルタール人と現生人類のつながりを解明!大きい鼻の謎に迫る!
9:02 出アフリカが大きな分岐点!ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの運命が決まった分かれ道とは?
19:40 ネアンデルタール人の狩り能力が凄すぎた!狩りから分かるネアンデルタール人の新事実!
29:01 ネアンデルタール人の頭の良さが最新の研究で判明!人間並か?それ以上か?
35:53 【最新の科学】ネアンデルタール人研究の新展開が見えてきた!
44:45 人ホモ・サピエンスはなぜアフリカで生まれ、いつネアンデルタール人に出会ったのか?




世界ミステリーch _ ネアンデルタール人の頭蓋骨から『顔』が復元された
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16854610

レベッカ・ウラグ・サイクス著『ネアンデルタール』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14056986

ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の関係
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14095189

4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/620.html

日本人はネアンデルタール人の生き残り?
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html

2024年4月18日 理化学研究所
全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴
-ネアンデルタール人・デニソワ人の遺伝子混入と自然選択-
https://www.riken.jp/press/2024/20240418_2/index.html

136 名前:777

2024/11/23 (Sat) 08:28:07

人類誕生の謎を徹底解説します【ホモ・サピエンス総集編】
世界ミステリーch 2024/09/07
https://www.youtube.com/watch?v=OmvKtwjiA28&t=182s

この動画は、これまでお送りしたホモ・サピエンスについての総集編となっております。
最新研究も含め、人類の謎でもあるホモ・サピエンス誕生や当時の背景などを知ってください!

■チャプター■
00:00 スタート
0:13 アフリカ単一起源説が崩壊するかもしれない!?最新の研究で分かった人類の起源は〇〇だった?
8:51 出アフリカルートの謎が明らかに!ホモ・サピエンスはどう旅をしたのか?
17:50 出アフリカが大きな分岐点!ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの運命が決まった分かれ道とは?
28:27 定説が覆る?ホモ・サピエンスは異種族との交雑で生まれた!
38:38 ホモ・サピエンス誕生の最新考察!ホモ・サピエンスの誕生の定説が大きく変わる!?
47:01 人類最大の謎!ホモ・サピエンスはどこからきたのか?人類誕生と進化の謎に迫ります!
59:55 ホモ・サピエンスは最強の人類として生き残った!ホモ・サピエンスが手に入れたものとはなんだったのか?
1:10:49 農業が人類を狂わせてしまったのか?農耕生活が始まり何が起こったのかを徹底解説!
1:22:36 ホモ・サピエンスはなぜアフリカで生まれ、いつネアンデルタール人に出会ったのか?

137 名前:777

2024/11/23 (Sat) 21:37:07

兵馬俑は本物の人だった… 最新研究で判明した古代中国のヤバい謎
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16880249



【古代中国の謎】兵馬俑に混入していたバラバラ死体 | 大解剖!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14108819

【驚愕】最新技術で頭蓋骨から顔を復元!明らかになった秦の始皇帝にまつわる事実とは?|TBSテレビ
https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=2002

始皇帝の息子と妃の生前の顔がAIで復元される
2022/5/12
https://kusanomido.com/study/58425/

テレビドラマ 始皇帝烈伝 ファーストエンペラー (2007年 中華人民共和国)
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14082161

テレビドラマ 項羽と劉邦 King's War (2012年 中華人民共和国)
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14078574

柿沼陽平『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14076893

性生活に没頭しすぎたあまり寿命まで縮めてしまう「中国皇帝たちの淫らな性生活」
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14075593

138 名前:777

2024/12/26 (Thu) 08:00:37

【まだ教科書にない人類のルーツ】ノーベル賞「ゲノム研究」でわかった人類史/ネアンデルタール人とホモサピエンスは「子供」を作っていた/謎の人類デニソワ人/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く
プレジデント 公式チャンネル 2024/12/24
https://www.youtube.com/watch?v=yxFnu9-KcP0&t=0s

0:00 そもそも人類学とは何か
5:07 ゲノム解析で生物学に変化が
8:10 人類史が書き換えられた!?
12:59 ネアンデルタール人のDNA
17:48 謎の人類「デニソワ人」
20:22 6万年前にアフリカを出発
23:52アメリカへはいつ行ったか
27:05ホモサピエンスは虚構を作る?


【9割は「外来種」日本人のDNA】縄文人と弥生人は違う種だった?/人類は1万年前よりバカになっている?/沖縄3割・アイヌ7割「日本人の二重構造モデル」/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く
https://www.youtube.com/watch?v=E1j7w3eBrBs&t=0s

0:00 日本人は大陸からやってきた
5:27 弥生時代は混血の時代?
9:21 縄文人と弥生人は何が違うか
13:09 人類の脳容積は減っている?
17:09 我々はどっちの方向へ行くのか
21:13 日本人の「二重構造モデル」
24:30 邪馬台国はどこにあったか
29:44 日本人とは何なのか?

▼出演者
篠田謙一|国立科学博物館館長 1955年生まれ。京都大学理学部卒業。79年産業医科大学解剖学講座助手。86年佐賀医科大学解剖学講座助手。94年講師。96年助教授。2003年国立科学博物館人類第一研究室室長。09年同人類史研究グループ長。21年より現職。医学博士。専門は分子人類学。著書に『人類の起源』『日本人になった祖先たち』等。

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2025/01/16 (Thu) 03:50:45

【ゆっくり解説】 夏王朝は実在したのか 【夏】
鳥人間 中国史三昧 2025/01/04
https://www.youtube.com/watch?v=2ZiH7srtmwE

140 名前:777

2025/01/18 (Sat) 14:32:53

日本語の意外な歴史
http://www.jojikanehira.com/
http://www.jojikanehira.com/archives/list

アイヌ人と沖縄人のDNAを比べると・・・(Y染色体ハプログループDの研究)
2021年5月12日
http://www.jojikanehira.com/archives/15377873.html

日本人のY染色体ハプログループOの研究、人と稲作と言語の広がりは必ずしも一致しない
2022年5月2日
http://www.jojikanehira.com/archives/18431608.html

パズルの最後の1ピースを探し求めて、注目される山東省のDNAのデータ
2022年5月14日Joji Kanehira
http://www.jojikanehira.com/archives/16213215.html

台湾とオーストロネシア語族
2020年12月22日
http://www.jojikanehira.com/archives/16172546.html



141 名前:777

2025/01/23 (Thu) 12:15:00

YハプロO1b2は、いつ、どのルートで日本に来たのか?【日本人のルーツ探索シリーズ】
みどりTV 2025/01/23
https://www.youtube.com/watch?v=0p7q726Mvq8

日本人の約30%を占めるO1b2は、いつ、どのルートで日本に来たのか?「いいね」ボタン、コメントなど、どうぞよろしくお願いします。

■参考書籍
・篠田謙一「日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造」 NHKブックス:https://amzn.to/40keRcE
・川幡穂高「気候変動と「日本人」20万年史」:https://amzn.to/42ruC4i

142 名前:777

2025/01/25 (Sat) 06:22:46

【ピラミッドの謎】作り方は?内部は何がある?古代の秘密を現地からわかりやすく解説
大人の教養TV 2025/01/24
https://www.youtube.com/watch?v=7xWZk0sU4_E

ピラミッドが作られた真の目的とは…


【ピラミッド】エジプトの空港がヤバすぎた…
大人の教養TV 2nd 2025/01/24
https://www.youtube.com/watch?v=5OdcefR4_Ig

143 名前:777

2025/01/25 (Sat) 14:04:55

フィンランド人はなぜモンゴロイドっぽいのか?DNAに刻まれた彼らのルーツとは?
History hub 2024/12/27
https://www.youtube.com/watch?v=rfx81zd0ytY

この動画では、フィンランド人が「モンゴロイドっぽい」と言われる理由を解説しています。その特徴は、シベリア方面から移動してきた祖先の遺伝子や、先住民サーミ人の影響に加え、北欧の厳しい寒冷環境に適応した進化が関係しています。目や鼻の形、肌の色といった外見は、遺伝と環境の相互作用の結果であり、フィンランド人はそのユニークさを誇りにしています。また、この現象を地球規模での多様性の一部と捉え、歴史や文化の交わりが生み出す魅力を伝えています。動画は、科学的な視点にユーモアを交えて、フィンランド人の外見の謎を楽しく解き明かします。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:フィンランド人って どんな人?
02:58 第二章:シベリアからの移動と遺伝的ルーツ
05:59 第三章:環境と進化が解明する顔立ちの秘密
08:51 第四章:現代フィンランド人の視点

144 名前:777

2025/01/25 (Sat) 15:36:22

スキタイ人はなぜ歴史から姿を消したのか?フン族やモンゴル帝国に影響を与えた謎多き古代遊牧民!
History hub 2024/12/14
https://www.youtube.com/watch?v=tOzCV9fPXjY

スキタイ人は紀元前7~3世紀ごろ、黒海北部の草原地帯で活躍した遊牧民で、フン族やモンゴル帝国の元祖とも言える存在です。馬を使った騎射戦術で名を馳せ、ペルシャ帝国などの大国とも戦いました。移動式住居「ゲル」に住み、肉や乳製品を主食とし、発酵馬乳「クミス」も愛飲。黄金細工や動物モチーフの装飾で知られ、ギリシャ文明にも影響を与えました。墳墓や言語、宗教には謎が多く、現代にも彼らの遺伝子や文化の影響が残っています。自由を愛した彼らの生き方は、今も魅力的です。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:49 第一章:スキタイ人ってどんな人たち?
04:37 第二章:スキタイ人のライフスタイル
07:27 第三章:歴史へのインパクト
09:43 第四章:スキタイ人の謎
12:43 まとめ

145 名前:777

2025/01/25 (Sat) 16:21:23

北米大陸初の住民、インディアンの起源に迫る!【歴史解説】
History hub 2024/05/29
https://www.youtube.com/watch?v=dSKUwZ5uf5w&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=6

▼チャプター
00:00 イントロ
00:52 インディアンの遺伝的ルーツ
01:43 古代アジアからの移動
02:32 ベーリング海峡を渡った歴史的旅
03:24 古代インディアンの社会構造
04:12 伝統的な生活様式と技術
05:04 精神文化と宗教観
06:02 主要なインディアン部族の紹介
07:01 様々な言語とその保存
07:52 遺伝学による新たな発見
09:46 考古学的証拠とその解釈
10:37 起源論争と現代の見解
12:54 まとめ

146 名前:777

2025/01/25 (Sat) 17:06:39

マダガスカル人はなぜアジア系の血を引いているのか?アフリカの地になぜ?Y染色体ハプログループが示すものとは?
History hub 2024/11/16
https://www.youtube.com/watch?v=sCtxYzJq97I

▼チャプター
00:00 イントロ
00:23 第一章:マダガスカル人のルーツとは?
02:00 第二章:東南アジアからの渡来の謎
06:29 第三章:マダガスカルの文化に見るアジアの影響
11:11 第四章:アジア系遺伝子の影響とDNAの話
14:51 第五章:現代のマダガスカルと多様なアイデンティティ
16:43 まとめ


この動画では、マダガスカル人にアジア系の血が流れている理由を探ります。マダガスカルには、東南アジアからの移民の影響が色濃く残っており、言語や文化にその痕跡が見られます。例えば、マダガスカル語の数の数え方にはマレー語やインドネシア語と似た表現が多く、また伝統的な葬儀儀式「ファマディハナ」には先祖崇拝の東南アジア的要素があります。さらに、DNA分析では、マダガスカル人の約50%がアジア系の遺伝子を持ち、特にY染色体ハプログループ『O1a』が多く見られることが確認され、これがアジアからの移民による影響を示しています。科学的な証拠をもとに、マダガスカルのアジア系ルーツがいかに深く根付いているかが明らかになります。

147 名前:777

2025/01/25 (Sat) 17:07:39

エチオピアはなぜ美人が多いのか?他のアフリカ諸国とは一線を画す遺伝的、地理的、歴史的背景とは?
History hub 2024/11/10
https://www.youtube.com/watch?v=4NcbWngh_yQ

この動画では、「エチオピア美人」と呼ばれる女性たちの美しさの秘密を解説しています。エチオピアの多様な民族の融合が外見に影響を与え、地理的要因や長い歴史が彼女たちの美しさを形作っています。また、発酵食品であるインジェラを中心とした食文化が健康美に寄与している点も注目。さらに、メディアの影響でエチオピアの女性たちの美しさが広まり、外見だけでなく内面の強さや誇りがその魅力を引き立てていることを強調しています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:エチオピア美人とは?
02:09 第二章:エデン的要因
06:05 第三章:歴史と美の関係
09:09 第四章:食文化と健康美
12:08 第五章:遺伝子の多様性と平均顔効果
14:58 第六章:独自の視点:美しさの本当の意味
17:25 まとめ

148 名前:777

2025/01/25 (Sat) 17:09:53

バスク人はなぜ他のヨーロッパ人と違うのか?言語的にも、遺伝子的にも謎だらけの民族!
History hub 2025/01/10
https://www.youtube.com/watch?v=YngCreOqu7w

この動画では、ヨーロッパでも特異な存在であるバスク人について解説します。バスク人はスペインとフランスの国境付近に住む民族で、独自の言語「エウスカル」を話し、遺伝的にも他のヨーロッパ人と異なる特徴を持っています。長い歴史の中で文化や自治を守り抜き、強いアイデンティティを維持してきました。また、美食の聖地として知られ、アートや建築、伝統的な祭りも豊かです。バスク人からは、ルーツを大切にし、違いを誇りに思い、共同体の力を信じることの重要性を学べます。バスク地方の謎と魅力が詰まった内容を楽しみながら、彼らの生き方に触れる動画です!

149 名前:777

2025/01/26 (Sun) 09:13:56

ロシアはなぜヨーロッパと認められないのか?地理、歴史、民族的違い!欧州との隔たりとは?
History hub 2024/12/28
https://www.youtube.com/watch?v=hhtwLVeO2T0

ロシアがヨーロッパと認められない理由を地理、歴史、文化、政治の観点から解説。地理的には一部がヨーロッパに属するものの、その大部分はアジアであり、巨大な国土がヨーロッパに馴染みにくい要因です。歴史的には、モンゴル支配や冷戦時代などで距離が広がり、文化面では独特の宗教や芸術がヨーロッパらしさ」と異なります。さらに政治的には、民主主義を重視するヨーロッパとは価値観が異なり、対立や警戒感が生まれています。一方で、ロシアの文化や歴史には尊敬があり、ヨーロッパ」と完全に切り離せない特別な存在として認識されています。

150 名前:777

2025/01/26 (Sun) 09:36:51

ゲルマン人はなぜキリスト教を受け入れたのか?彼らにもたらした影響とは?
History hub 2025/01/11
https://www.youtube.com/watch?v=p2eFdo0-4us

この動画では、ゲルマン人がキリスト教に改宗した背景を、歴史的視点から解説しています。ゲルマン人は多神教を信じ、自然崇拝や戦士の文化を持つ部族でしたが、ローマ帝国との接触を通じてキリスト教の影響を受けました。捕虜や宣教師を通じてキリスト教が伝わり、ローマ帝国が公認宗教としたことでさらに広がります。改宗の理由には、政治的メリット(他国との連携や内部統一)や、キリスト教の普遍的な教えの魅力がありました。最終的に、キリスト教は彼らの文化に新たな価値観をもたらし、大きな歴史の転換点となったのです。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:26 第一章:ゲルマン人とは?
02:34 第二章:政治的な動機
04:45 第三章:文化的な影響
07:40 第四章:個人の改宗ストーリー
10:05 第五章:キリスト教がゲルマン人に与えた影響
13:40 まとめ



リトアニアはなぜキリスト教を拒否し続けたのか?ヨーロッパで最後にキリスト教化した国!なぜ最終的に改宗したのか?
History hub 2024/12/20
https://www.youtube.com/watch?v=sjG6k7HZ88s&t=22s

リトアニアは、ヨーロッパ最後の異教国家として長い間キリスト教を拒み続けました。しかし、1386年にキリスト教を受け入れ、ポーランドとの同盟を結ぶことで歴史は大きく転換します。この動画では、なぜリトアニアが改宗を拒んだのか、最終的に改宗した理由、そしてポーランドとの同盟がドイツ騎士団との対立にどう影響したのかを分かりやすく解説します。リトアニアの独自の文化や戦略的な決断を通じて、歴史が持つダイナミズムを探ります!

▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:そもそもリトアニアってどんな国?
02:00 第二章:なぜリトアニアはキリスト教を受け入れなかったのか?
05:10 第三章:異教徒のままでいたことで、どうなった?
07:17 第四章:リトアニアがついに改宗した理由とは?
10:45 第五章:改宗後のリトアニアとその影響
13:42 まとめ

151 名前:777

2025/01/26 (Sun) 10:07:53

血液型B型はなぜ南アジアや中央アジアに多いのか?A型やO型とは異なる起源!血液型による差別や迫害の歴史とは?
History hub 2024/12/06
https://www.youtube.com/watch?v=3M5NhwNh6FY

この動画では、「なぜ南アジアや中央アジアに血液型B型が多いのか?」について、歴史的背景や自然選択、文化的要因から解説しています。B型の遺伝子は約2万年前に中央アジアで発生し、遊牧生活やシルクロードを通じて広がった一方、地理的に隔絶された環境が普及を限定的にした要因とも考えられます。また、感染症への耐性や環境への適応力が高く、自然選択によってこの地域で多く残った可能性もあります。文化的には、血液型が家族や人間関係に影響を与えることもあり、B型が強調される傾向も指摘。さらに血液型と性格の関連性については科学的根拠は薄いものの、文化的背景として楽しむ価値はあると述べています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:血液型の基本と世界の分布
03:11 第二章:歴史的背景-遺伝と移動の影響
06:49 第三章:自然選択と環境への影響
10:13 第四章:世界的に見てB型が少ない理由
12:22 第五章:血液型による偏見と差別の危険性

152 名前:777

2025/01/26 (Sun) 19:14:23

エジプトで重大な発見がありました!
世界ミステリーch 2025/01/22
https://www.youtube.com/watch?v=dvgoYoPMMmQ

エジプトで重大な発見があったというニュースが入ってきました。発見者によると、「ツタンカーメン王の墓発見」以来の重大なものとのことです。今回はこのエジプトでの発見のニュースをお伝えしていきます。この発見で本当に歴史が変われば面白いですよね!

■チャプター■
00:00 オープニング
01:08 ルクソールでの新発見について
02:13 発掘された遺物とその重要性
03:19 葬祭殿と神殿の基礎埋蔵物について
04:25 ハトシェプストの生涯と統治について
05:29 トトメス三世との関係について
06:36 クイズ:第17王朝時代のヒクソス人とは
07:41 新たな発見と第17王朝の墓地について
08:45 研究者の見解と今後の調査について
09:51 ザヒ・ハワース氏の功績と批判
10:56 今回の発見の意義と今後の期待
12:01 エンディング

153 名前:777

2025/02/09 (Sun) 08:06:25

建国者がなぜ二人いるのか?/きーさんと語る日本古代史の謎01
もぎせかチャンネル 2025/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=opzgLwG7otM

154 名前:777

2025/02/16 (Sun) 15:21:47

1万5000年前のトルコ ギョベクリ・テペ遺跡 _ 原始人のような人達が巨石で神殿をつくっていた 
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16891810

155 名前:777

2025/02/20 (Thu) 08:58:06

北米最古級の村が発見され歴史が変わります!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16892228




1万5000年前のトルコ ギョベクリ・テペ遺跡 _ 原始人のような人達が巨石で神殿をつくっていた 
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16891810


ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ




古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ



アメリカ先住民の起源~古代DNA解析で明らかになったヨーロッパ人とアメリカ先住民の共通祖先「古代北ユーラシア人」の存在~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2020/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=9aHbzWnonvc&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=2

人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html

アメリカ先住民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833139
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html

マヤ文明滅亡の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/670.html

メキシコの初期植民地時代の奴隷の起源と生活史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/979.html

アマゾン盆地に点在する「小さな森」が1万年以上昔に農業が行われていた痕跡だと判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/973.html

先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸住民との接触
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/999.html

156 名前:777

2025/02/20 (Thu) 12:49:58

【最新人類史】縄文人と弥生人の混血比率/朝鮮半島の縄文人とは/縄文人とホアビニアンとの関係/Y染色体ハプログループDの謎/東アジア人と日本人の起源/ホモ・サピエンスがアフリカから東アジアに辿り着くまで
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2023/12/04
https://www.youtube.com/watch?v=x4x5lVOjL_Y&t=3s

東アジア人類集団人の形成過程に関する研究はヨーロッパに比べ遅れていましたが、ここ数年で東アジアでも古代DNAデータが揃いつつ有り、多くの研究成果が報告されています。
今回は近年の研究で明らかになってきた東アジア人と日本人の起源について解説していきます。

参考書籍

人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
https://amzn.to/416LMkx
Kindle版
https://amzn.to/3S7C2CK

交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史
https://amzn.to/3WLzvie
Kindle版
https://amzn.to/3RcJyvD

157 名前:777

2025/02/22 (Sat) 08:54:45

天孫降臨と三種の神器の謎/きーさんと語る日本古代史の謎06
もぎせかチャンネル 2025/02/22
https://www.youtube.com/watch?v=EvRxyPxrslg

158 名前:777

2025/02/22 (Sat) 09:35:54

イラン人とアラブ人の違いとは?DNAからわかる彼らのルーツの違いとは?
History hub 2025/02/21
https://www.youtube.com/watch?v=g2XSWWas9Mg

この動画では、イラン人とアラブ人の違いを歴史・言語・宗教・DNAの観点から解説します。イラン人(ペルシャ人)はインド・ヨーロッパ系で、ペルシャ語を話し、古代ペルシャ帝国の伝統を継承。一方、アラブ人はセム系民族で、アラビア語を話し、イスラム帝国を築きました。宗教は両者ともイスラム教徒が多いものの、イランはシーア派が主流、アラブ諸国はスンニ派が多数派。DNA分析では、イラン人はヨーロッパや中央アジアに近く、アラブ人は中東や北アフリカに近いと判明。歴史的な違いが、今の文化や国家のあり方にも影響を与えています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:イラン人はアラブ人じゃない!
03:11 第二章:言語の違い
05:32 第三章:歴史の違い
08:33 第四章:宗教の違い
11:14 第五章:DNAの違い
14:53 まとめ

159 名前:777

2025/02/23 (Sun) 09:43:35

なぜアイルランド人は赤毛と緑色の目が多いのか?遺伝的ルーツとは?赤毛&緑の目の特殊能力とは?
History hub 2025/02/22
https://www.youtube.com/watch?v=jRvsmIVrih0

アイルランドでは赤毛や緑色の目の人が特に多いとされています。その理由は、MC1R遺伝子の変異が関係しており、赤毛の割合は世界平均の1〜2%に対し、アイルランドでは10〜15%と圧倒的に高いのです。緑色の目も珍しく、世界人口のわずか2%だが、アイルランドでは青や緑の目を持つ人が約86%にのぼります。これらの特徴は、ケルト民族の遺伝子が長年受け継がれたことや、バイキングの遺伝子的影響によるもの。アイルランドは外部との遺伝子の混ざり合いが少なかったため、こうした特徴が固定化されたと考えらます。科学と歴史が絡み合うこの遺伝的ミステリーを解明することで、アイルランドのユニークな魅力がより深く理解できます。

160 名前:777

2025/03/19 (Wed) 14:17:17

【古代ゲノム研究から学ぶ人類の過去と未来:我々はどこから来てどこへ進むのか?】太田 博樹_第138回東京大学公開講座「制約と創造」
東大TV / UTokyo TV 2025/03/07
https://www.youtube.com/watch?v=JQAHNRM4Lj0

ネアンデルタール人などの全ゲノム解読をおこなった功績で、スヴァンテ・ペーボ博士は2022年ノーベル生理学医学賞を受賞しました。絶滅人類の遺伝情報がいま生きている私たちの何に役立つのでしょうか?本講演では、この新しい学問分野「古代ゲノム学」について解説します。

講師:太田博樹(東京大学 理学系研究科 / 教授)
※ 所属・役職は講演当時のものです。
ーーーーーーーーーー
06:53 古代DNAの制約
11:16 私たちはいつから"人間"なのか
36:53 新しい分野の創造

161 名前:777

2025/03/29 (Sat) 08:03:40

トルコ人はなぜモンゴロイドからコーカソイドになったのか?彼らはどこから来たのか?
History hub 2025/03/28
https://www.youtube.com/watch?v=qtFtZ__11yo

この動画では、トルコ人のアジア系のルーツとどのようにヨーロッパ系となったのかについて解説します。もともと中央アジアの遊牧民だったトルコ人は、気候の厳しさや戦争の影響で西へ移動し、ペルシャ、アラブ、ギリシャ、スラブ系の民族と混血しながら現在のトルコに定住しました。その結果、トルコ人の見た目は多様化しつつも、言語や文化には中央アジアの影響が残っています。また、トルコ人は親切でおしゃべり好き、サッカーとチャイを愛し、家族を大切にする国民性を持ちます。東洋と西洋が交差するトルコ独自の文化が生まれた背景を、歴史を交えて楽しく解説していきます!

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:トルコ人ってどんな人たち?
02:55 第二章:トルコ人のルーツ、どこから来たの?
05:54 第三章:なぜトルコ人は西に移動したのか?
10:03 第四章:なぜ今のトルコ人の見た目がヨーロッパ寄りになったのか?
13:10 第五章:トルコ人のアイデンティティとは?
15:46 まとめ

162 名前:777

2025/04/09 (Wed) 08:31:30

【日本人の源流】倭人は揚子江下流域からやってきた!?【長江文明】
レイの謎解き日本史ミステリー【ゆっくり解説】 2024/02/27
https://www.youtube.com/watch?v=e0S3Bg50OHo&t=17s

【動画目次】
00:00 オープニング
00:53 倭人が周王朝に献じたものとは?
06:06 金石文の中の倭人
11:01 山海経と漢書王莽伝の中の倭人
14:12 倭人は揚子江下流域からやってきた!

今回の動画では、中国の古代史書に出てくる倭人とは誰か?
中国の南方に住む民族と日本人の関係とは?
倭人の源流について解説しています!

163 名前:777

2025/04/09 (Wed) 15:02:40

【古代ゲノム研究から学ぶ人類の過去と未来:我々はどこから来てどこへ進むのか?】太田 博樹_第138回東京大学公開講座「制約と創造」
東大TV / UTokyo TV 2025/03/07
https://www.youtube.com/watch?v=JQAHNRM4Lj0

ネアンデルタール人などの全ゲノム解読をおこなった功績で、スヴァンテ・ペーボ博士は2022年ノーベル生理学医学賞を受賞しました。絶滅人類の遺伝情報がいま生きている私たちの何に役立つのでしょうか?本講演では、この新しい学問分野「古代ゲノム学」について解説します。

講師:太田博樹(東京大学 理学系研究科 / 教授)

06:53 古代DNAの制約
11:16 私たちはいつから"人間"なのか
36:53 新しい分野の創造

164 名前:777

2025/04/09 (Wed) 15:04:10

【人類はどこから来て、どこに向かうのか】国立科学博物館館長・篠田謙一/ノーベル賞受賞研究が明らかにした人類の起源/「日本人」の起源とは/「科博クラファン」の裏側と目的【EXTREME SCIENCE】
PIVOT 公式チャンネル 2024/07/25
https://www.youtube.com/watch?v=bw2pLH7v8Rw&t=10s

篠田謙一『人類の起源』中央公論新社
https://amzn.to/3YhR91B

篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち』NHK出版
https://amzn.to/3WB90PL

篠田謙一『科博と科学』早川書房
https://amzn.to/3WzzjWt

<目次>
0:00 ダイジェスト
2:49 人類学に起きた革命
11:29 人類の起源
23:31 ビッグサイエンス化する人類学
28:24 なぜホモサピエンスが生き残ったのか
36:54 人類史と気候の変化
48:33 クラウドファンディングの裏側
56:22 国立科学博物館の役割
1:09:20 国立科学博物館のこれから

165 名前:777

2025/04/09 (Wed) 15:06:14

【まだ教科書にない人類のルーツ】ノーベル賞「ゲノム研究」でわかった人類史/ネアンデルタール人とホモサピエンスは「子供」を作っていた/謎の人類デニソワ人/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く
プレジデント 公式チャンネル 2024/12/24
https://www.youtube.com/watch?v=yxFnu9-KcP0&t=18s

0:00 そもそも人類学とは何か
5:07 ゲノム解析で生物学に変化が
8:10 人類史が書き換えられた!?
12:59 ネアンデルタール人のDNA
17:48 謎の人類「デニソワ人」
20:22 6万年前にアフリカを出発
23:52アメリカへはいつ行ったか
27:05ホモサピエンスは虚構を作る?


【9割は「外来種」日本人のDNA】縄文人と弥生人は違う種だった?/人類は1万年前よりバカになっている?/沖縄3割・アイヌ7割「日本人の二重構造モデル」/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く
https://www.youtube.com/watch?v=E1j7w3eBrBs

0:00 日本人は大陸からやってきた
5:27 弥生時代は混血の時代?
9:21 縄文人と弥生人は何が違うか
13:09 人類の脳容積は減っている?
17:09 我々はどっちの方向へ行くのか
21:13 日本人の「二重構造モデル」
24:30 邪馬台国はどこにあったか
29:44 日本人とは何なのか?

166 名前:777

2025/04/19 (Sat) 13:19:27

なぜユダヤ人が中央アジアにいるのか?どこからきた?DNAが示す彼らのルーツとは?失われた十支族なのか?
History hub 2025/04/18
https://www.youtube.com/watch?v=L9HM-I2Dk7Q

ブハラ・ユダヤ人は、中央アジアに1000年以上前から暮らしてきたユダヤ人の一派で、起源は古代ペルシャに遡ると考えられています。遺伝子研究でもそのルーツが裏付けられており、彼らの文化はユダヤ、ペルシャ、中央アジアの要素が融合した独自のもの。言語はユダヤ・タジク語、料理や音楽もユニークで、現在は多くがイスラエルやアメリカに移住しています。世界各地のユダヤ人との違いも話題で、多様性が魅力の一つです。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:50 第一章:そもそもブハラ・ユダヤ人って誰?
02:40第二章:ブハラ・ユダヤ人の起源って実際どうなの?
06:33 第三章:遺伝子からも見えてくる!以外な真実
08:47 第四章:迫害とソ連時代
12:10 第五章:ブハラ・ユダヤ人の文化
14:11 まとめ



120. 貴重なサマルカンドのユダヤ文化に触れる。旧市街ど真ん中のシナゴーグとユダヤ人居住区へ
https://www.arukikata.co.jp/tokuhain/258409/

ブハラ(ウズベキスタン)由来のヘブル語聖書
トーラー写本及びトーラー・ケース一式

https://www2.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/pdf/01900580.pdf

167 名前:777

2025/04/25 (Fri) 07:18:06

特別展「古代DNA―日本人のきた道―」1/28報道発表会 展覧会紹介(章構成、みどころ解説)
https://www.youtube.com/watch?v=tSMS3TJ6X-s

遺跡から発掘された人骨に残るDNAを分析する古代DNA研究。近年の技術革新で体や顔つき、生活のほか、ルーツの解明まで可能にしています。
日本各地の古人骨や埴輪や土偶などの考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって古代人の姿に迫る特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の開幕に先立ち、1月28日に報道発表会を行いました。

総合監修の篠田謙一・国立科学博物館長、藤尾慎一郎・国立歴史民俗博物館名誉教授による本展の紹介(章構成、みどころ解説)です。
(2025年1月28日撮影)
©国立科学博物館



特別展「古代DNA―日本人のきた道―」 1/28報道発表会 総合監修者と井上咲楽さんとのトークセッション
https://www.youtube.com/watch?v=BlKbgQ7omlo

遺跡から発掘された人骨に残るDNAを分析する古代DNA研究。近年の技術革新で体や顔つき、生活のほか、ルーツの解明まで可能にしています。
日本各地の古人骨や埴輪や土偶などの考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって古代人の姿に迫る特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の開幕に先立ち、1月28日に報道発表会を行いました。

展覧会公式サポーターで音声ガイドのナビゲーターも務めるタレントの井上咲楽さんも登場し、総合監修の篠田謙一・国立科学博物館長、藤尾慎一郎・国立歴史民俗博物館名誉教授と古代トークを繰り広げました。
(2025年1月28日撮影)

©国立科学博物館

168 名前:777

2025/05/06 (Tue) 23:36:51

【最新】教科書に載せられない人類の真実。我らの祖先はヤバすぎる種族だった!ホモ・サピエンスが最強になったたった1つの理由【岡田斗司夫/切り抜き/サイコパスおじさん/岡田斗司夫セミナー/サピエンス全史】
岡田斗司夫セミナー【岡田斗司夫 切り抜き】
https://www.youtube.com/watch?v=z760jO3izIE

0:00 ハラリ出世作「サピエンス全史」
03:58 人類には元々様々な種類がいた
10:53 火の発見によって人類に起こったこと
20:30 ホモ・サピエンスは他の種族と異種交配したのか?
24:54 ホモ・サピエンスを最強たらしめた「認知革命」
36:23 ホモ・サピエンスが最強種になった真の理由
40:34 最強の征服者「貨幣」
44:16 2025年アップグレード情報

この切り抜きの元動画
【UG# 227】難読書サピエンス全史 徹底解説 情報は人類の矛と盾 2018/4/22
岡田斗司夫
https://www.youtube.com/watch?v=YFfhQ8ps6rk

169 名前:777

2025/05/10 (Sat) 10:10:18

【国立科学博物館公式】日本人の起源を探る!特別展「古代DNA―日本人のきた道―」篠田館長解説動画
【国立科学博物館公式】かはくチャンネル 2025/05/09
https://www.youtube.com/watch?v=WqaYQRBQ__Q

-ルーツを探れ、彼らの声を聴け―

遺跡から発掘された古代の人々の骨に残るごく僅かなDNAを解読し、人類の足跡をたどる古代DNA研究。近年では技術の発展とともに飛躍的な進化を遂げ、ホモ・サピエンスの歩んできた道のりが従来想像されていたよりもはるかに複雑であったことが分かってきました。本展では、日本各地の古人骨や考古資料、高精細の古人頭骨CG映像などによって、最新の研究で見えてきた遥かなる日本人のきた道と、集団の歴史が語る未来へのメッセージをお伝えいたします。

この動画では、そんな特別展「古代DNAー日本人のきた道ー」の見どころを総合監修 篠田館長解説のもと、時代に沿ってお伝えいたします。
 
□展覧会情報
特別展「古代DNAー日本人のきた道ー」
主  催:国立科学博物館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞
協  賛:DNP大日本印刷、早稲田アカデミー
会  期:2025年3月15日(土)~6月15日(日)
     ※休館日月曜日、5月7日(水)
     ただし、3月13日(月)、4月28日(月)、5月5日(月・祝)、6月9日(月)は開館。
会  場:国立科学博物館(東京・上野公園)
     https://www.kahaku.go.jp

□この動画について
解説・監修 :国立科学博物館 館長 篠田 謙一(本展総合監修)
ナレーション:展示部 企画展示課  佐藤 亜美
撮影・編集 :展示部 企画展示課  大橋 紘樹

170 名前:777

2025/05/11 (Sun) 15:34:15

【まだ教科書にない人類のルーツ】ノーベル賞「ゲノム研究」でわかった人類史/ネアンデルタール人とホモサピエンスは「子供」を作っていた/謎の人類デニソワ人/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く
プレジデント 公式チャンネル 2024/12/24
https://www.youtube.com/watch?v=yxFnu9-KcP0

0:00 そもそも人類学とは何か
5:07 ゲノム解析で生物学に変化が
8:10 人類史が書き換えられた!?
12:59 ネアンデルタール人のDNA
17:48 謎の人類「デニソワ人」
20:22 6万年前にアフリカを出発
23:52アメリカへはいつ行ったか
27:05ホモサピエンスは虚構を作る?



【9割は「外来種」日本人のDNA】縄文人と弥生人は違う種だった?/人類は1万年前よりバカになっている?/沖縄3割・アイヌ7割「日本人の二重構造モデル」/国立科学博物館館長・分子人類学者篠田謙一氏に聞く
プレジデント 公式チャンネル 2024/12/25
https://www.youtube.com/watch?v=E1j7w3eBrBs&t=17s

0:00 日本人は大陸からやってきた
5:27 弥生時代は混血の時代?
9:21 縄文人と弥生人は何が違うか
13:09 人類の脳容積は減っている?
17:09 我々はどっちの方向へ行くのか
21:13 日本人の「二重構造モデル」
24:30 邪馬台国はどこにあったか
29:44 日本人とは何なのか?

▼出演者
篠田謙一|国立科学博物館館長 1955年生まれ。京都大学理学部卒業。79年産業医科大学解剖学講座助手。86年佐賀医科大学解剖学講座助手。94年講師。96年助教授。2003年国立科学博物館人類第一研究室室長。09年同人類史研究グループ長。21年より現職。医学博士。専門は分子人類学。著書に『人類の起源』『日本人になった祖先たち』等。

171 名前:777

2025/05/25 (Sun) 02:21:51

ヨーロッパ人とアメリカ先住民にはなぜ共通祖先がいるのか?DNAが示す2万年前の共通のルーツとは?文化も似てる!?
History hub 2025/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=qL44mFPiEIU

▼チャプター
00:00 イントロ
00:33 第一章:DNAが語る共通のルーツ
02:11 第二章:古代北ユーラシア人って何者?
05:53 第三章:どうしてこんなに離れてるの?
10:04 第四章:DNAの地図が描く人類の旅
13:46 第五章:文化・神話・言語にも痕跡が?
15:26 まとめ

172 名前:777

2025/05/25 (Sun) 03:10:41

アメリカ先住民にはなぜ血液型O型が多いのか?約95%ほぼ全員がO型?A型B型はいるのか?
History hub 2025/05/23
https://www.youtube.com/watch?v=FX-QsCRF7K0

▼チャプター
00:00 オープニング
00:33 第一章:血液型の分布
02:33 第二章:創始者効果とすごい偶然
06:02 第三章:古代DNAが語る真実
08:54 第四章:実は複数回あったアメリカ大陸への移動
12:53 まとめ

173 名前:777

2025/05/28 (Wed) 06:47:48

歴史教科書が嘘!?最新DNAが語る「弥生人」のヤバすぎる秘密
2025/05/26
https://www.youtube.com/watch?v=DGKizH6sjbA

教科書で習う弥生人の話は本当だったのか?最近のDNAの研究で弥生人のルーツも色々とわかってきました。今回は現時点で判明している弥生人についての説を紹介していきます。

■チャプター■
00:09 オープニング:黒曜石に秘められたロマン
01:15 アステカ文明と黒曜石:神殿・神話・儀式の中心にあった石
02:21 切れ味最強!黒曜石が武器と道具に選ばれた理由
03:25 黒曜石と信仰:神の象徴、そして儀式のナイフに
04:31 黒曜石と経済:アステカの貢納と交易ネットワーク
05:35 縄文時代の黒曜石:日本各地の採取と生活への利用
06:38 縄文の道具文化と黒曜石:狩猟・加工を支えた実用性
07:45 意外とグローバル?縄文の黒曜石流通ネットワーク
08:49 交流と絆の象徴:黒曜石が示す縄文社会の広がり
09:54 世界の黒曜石文化:マヤ・ギリシャ・エジプトの例
10:58 アステカと縄文:遠く離れても黒曜石に込めた意味は共通?
12:02 エンディング:1つの石が語る人類のつながりとロマン

174 名前:777

2025/05/28 (Wed) 06:50:48

【縄文語】縄文時代にはどんな言葉を話したのか?
2025/05/12
https://www.youtube.com/watch?v=7mhVKM6VZq0

縄文時代の縄文人はどんな言葉を話していたのでしょう?多分「縄文語」と言えるのでしょうが、言葉以上に縄文人はコミュニケーション能力が高かったのかもしれません。

■チャプター■
0:08 オープニング
1:15 縄文人も言葉を話していた?
2:20 アイヌ語との関係と文法的特徴の比較
3:25 縄文語はシンプルだった可能性
4:30 社会構造と敬語表現の関連性
5:37 地名やアイヌ語に残る縄文語の痕跡
6:42 学術的に証明する難しさと弥生時代の影響
7:46 日本語の起源と混成仮説
8:49 縄文人の活発なコミュニケーションと交易
9:55 言語の違いと文化伝播の課題
11:01 ノンバーバルコミュニケーションの発達
12:08 まとめと現代へのメッセージ

175 名前:777

2025/05/28 (Wed) 09:52:58

米作りは縄文時代に始まった?縄文時代の稲作事情についてお話しします。
2025/05/14
https://www.youtube.com/watch?v=M2aK-bXzmog

縄文時代の稲作について。色々な説が出ているこの話題ですが、現時点でわかっていることを話しします。

■チャプター■
0:08 オープニングとテーマ紹介
1:13 寒冷化による縄文人口の激減
2:19 食料不足と土偶に込めた願い
3:24 東北と九州で異なる縄文晩期の状況
4:28 稲作とともに来た海の向こうの人々
5:33 なぜすぐに稲作が広まらなかったのか
6:38 稲作の伝播はとてもゆっくりだった
7:42 日本最古の水田と東日本への伝播の謎
8:47 稲作が東日本で一度失敗した理由
9:51 古い稲作説とその否定(コンタミネーション問題)
10:58 稲作を受け入れなかった北海道と沖縄の事情
12:02 続縄文文化とアイヌ文化への連続性
13:07 教科書にはない歴史のグラデーション

176 名前:777

2025/05/31 (Sat) 01:36:16

ロマはどこから来たのか?なぜヨーロッパに?なぜ彼らは差別されるのか?DNAが示す彼らのルーツとは?
History hub 2025/05/30
https://www.youtube.com/watch?v=uyC85EJzo9w

ロマはインド北西部にルーツを持つ民族で、約1000年前に移動を始め、中東を経てヨーロッパ全土に広がりました。鍛冶や音楽などの技術を生かしながら旅を続けましたが、各地で差別や迫害を受け、定住できずに移動を余儀なくされてきました。現在は定住している人も多く、音楽や芸術で文化を発信する一方、偏見や貧困などの課題も抱えています。旅する民ではなく、文化と誇りを運び続ける人々です。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ロマってそもそも誰?
03:06 第二章:ロマのルーツはインド!
05:52 第三章: どんなルートをたどったのか?
10:08 第四章:なぜ旅を続けるのか?
13:14 第五章:今のロマはどうしてる?
15:48 まとめ


犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

ジプシー・ロマ迫害の 歴史
https://www.youtube.com/watch?v=DSX4CsWFXAI


チャップリン『犬の生活 A Dog's Life』1918年
チャーリー・チャップリンはロマ出身
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14004939

ジプシー音楽 の世界
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14094991

ロシア民謡の世界
ロシア・ジプシー民謡
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003366


177 名前:777

2025/06/15 (Sun) 02:25:11

縄文人と弥生人の違いとは?彼らはどこからきたのか?DNAの違いと日本人のルーツとは?
オートダビング版
History hub 2025/06/13
https://www.youtube.com/watch?v=i5U0DlN8-DI

この動画では、縄文人と弥生人の違いを見た目・ルーツ・DNA・暮らしぶりの3つの視点から解説しています。縄文人は目鼻立ちがはっきりしたワイルド系で、狩猟採集の自由な暮らしをしていた一方、弥生人はあっさり顔の計画的な農耕民。DNAも異なり、縄文人は希少な「ハプログループD」を持ち、弥生人は東アジアに広く分布する「O型」が多いとされます。現代の日本人はその両方の特徴を受け継いだ“ハイブリッド”です。

178 名前:777

2025/06/17 (Tue) 01:28:42

【衝撃】白人はいなかった!?古代ヨーロッパ人の真実
2025年6月16日
https://www.youtube.com/watch?v=ai1wx14iw30

最新研究によって、また歴史が変わりそうです。白人の歴史は長いと思われてきましたが、実はそんなことはなく、3000年前にはまだいなかった可能性が出てきました。つまり黒人ばかりだったということ。今回は肌の色の謎に迫ります!

■チャプター■
0:01 オープニング・テーマ紹介
1:08 古代ヨーロッパ人の見た目に関する新発見
2:15 濃い肌の理由と進化の背景
3:20 肌の色の変化とビタミンDの関係
5:30 目の色の進化と仮説
7:39 研究手法と科学的信頼性
8:44 今後の研究と人類の多様性の解明
10:55 エンディング・進化のロマンと未来への視点

179 名前:777

2025/06/21 (Sat) 08:34:25

ヨーロッパ人の肌はなぜ白くなったのか?先住民は黒かった?白い肌はどこから?アジア人との違いとは?
History hub 2025/06/20
https://www.youtube.com/watch?v=UIIGw4iG5lo

この動画では、ヨーロッパ人の肌がなぜ白くなったのかを、歴史・進化・環境の視点からわかりやすく解説しています。1万年前のヨーロッパ人は実は肌が黒かったこと、そこに中東から明るい肌の農耕民が移住し、混血と食生活の変化により白い肌が広がったことを紹介。さらに、ステップ地帯からの遊牧民が肌や髪、目の色の多様性を押し広げ、現代のヨーロッパ人の姿が形作られた過程を描きます。また、東アジア人の肌の進化は別ルートで進んだことも取り上げ、肌の色は環境適応の結果であり、優劣ではないという視点で締めくくられます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:ヨーロッパの祖先は白くなかった?
03:20 第二章:白くなった理由その1 中東からの農耕民
07:13 第三章:白くなった理由その2 ステップ遊牧民
11:47 第四章:アジア人の白い肌とどう違うの?
15:45 第五章:肌の色に優劣はない

180 名前:777

2025/07/12 (Sat) 13:14:14

「世界最古の都市」最大の謎、ついに解明。DNAが語る“母系社会”の驚くべき常識。
世界ミステリーch 2025年7月11日
https://www.youtube.com/watch?v=E-LtHyIvM4s

歴史の常識が覆る!9000年前、世界最古級の都市チャタル・ヒュユクは、女性が家長となる「母系社会」だったことが最新のDNA分析で判明。なぜ人々はドアのない家に住み、男性が“嫁入り”するのが当たり前だったのか?教科書では絶対に教えてくれない、もう一つの人類史。その驚くべき社会システムの謎に迫ります。

■チャプター■
0:04 オープニング・古代社会と現代の常識への問い
1:08 「世界最古の都市」の定義と候補地紹介
2:13 エリコ、チャタル・ヒュユク、ウルクの比較
4:23 チャタル・ヒュユクの都市構造と特徴
5:27 壁画と精神文化・女性像の謎
6:32 DNA分析技術の進歩とチャタル・ヒュユクの発見
7:38 母系居住と家族構造の新たな理解
8:44 血縁を超えた共同体の柔軟性
9:49 男性の立場と女性中心の家族構造
10:55 子供の埋葬と女児の重要性
11:59 母系制と母権制の区別・権力構造の未解明部分
13:05 エンディング・歴史の多様性と探求の面白さ

181 名前:777

2025/07/15 (Tue) 10:51:56

日本最大の謎?中央構造線・フォッサマグナと神社の秘密|小田真嘉×茂木誠
LIMIT BREAKER 2025/07/13
https://www.youtube.com/watch?v=o8ht2nE1Pxw&t=11s

182 名前:777

2025/07/16 (Wed) 18:01:43

【鹿島神宮の謎】なぜ縄文人は鹿島を目指したのか?|小田真嘉×茂木誠
LIMIT BREAKER 2025/07/15
https://www.youtube.com/watch?v=YvSSlH0oZhs

183 名前:777

2025/07/19 (Sat) 08:32:32

エジプト人のDNAが明かす驚きの事実!古代メソポタミアとの繋がりとは?
世界ミステリーch 2025年7月18日
https://www.youtube.com/watch?v=dY6BXlHqmek

古代エジプトの歴史を揺るがす新説!史上初めて完全解読に成功した、4800年前の古王国時代の男性のDNA。その遺伝子(ゲノム)が示したのは、なんとピラミッドの地と遠く離れたメソポタミア文明との直接的な繋がりでした。この発見が意味する「古代の人的交流」とは?歴史のミステリーを最新論文から紐解きます

184 名前:777

2025/07/26 (Sat) 07:07:26

隠されたメッセージ?謎すぎる縄文土器|小田真嘉×茂木誠
LIMIT BREAKER 2025/07/24
https://www.youtube.com/watch?v=bk1uheMvbrI

185 名前:777

2025/07/26 (Sat) 07:11:34

茂木誠★鹿児島と中野区の古代史〜鬼界カルデラ大噴火で縄文人は世界に散って戻ってきた
和の国チャンネル 2025/07/24
https://www.youtube.com/watch?v=2Kd0LD8DwuA&t=31s

鹿児島の古代史。鬼界カルデラ大噴火(紀元前5300年頃)は日本列島の縄文人たちの居住エリアを大きく変えた。縄文人の多くは東日本に移動し、大陸と朝鮮半島に移った人々もいた……。
中野区は、縄文時代には縄文海進の影響で、川の水辺に多くの集落があったことは、中野区で発掘された縄文遺跡からも推察される。
氷川神社や源氏ゆかりの多田神社もご紹介。

186 名前:777

2025/07/30 (Wed) 04:33:06

白人の金髪や青い目、白い肌は氷河時代にバイカル湖周辺に住んでいた古代北ユーラシア人が起源だった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/180844

コーカソイドによる民族浄化の歴史
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211424

アングロサクソンは自分たちは「イスラエルの失われた十支族」であり、ダビデ王の末裔だと信じていた
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211327

宇山卓栄 _ ウクライナ人とユダヤ人とロシア人がお互いに憎み合う様になった歴史的背景
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211107

宇山卓栄 _ ユダヤ人は悪い
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211149

187 名前:777

2025/08/12 (Tue) 16:29:32

激しい差別と複雑な思い…アイヌ民族 日本兵として戦場へ、「戦争と差別」その先にある願い【報道特集】
TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/08/10
https://www.youtube.com/watch?v=w4dtBQtrauI

188 名前:777

2025/08/23 (Sat) 08:25:49

青い目はどこからきたのか?DNAの変異とは?本当は青くない?青い目が広がった意外な理由とは?
History hub 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=cZJIq3qoM2M&t=36s

青い目はなぜ存在するのか?その不思議な起源から、進化の過程、そして現在どれほど希少なのかまでを、科学とユーモアを交えてわかりやすく解説します。6000〜10000年前、黒海北岸で起きたたったひとつの遺伝子変異が、なぜ現代にまで受け継がれているのか?ビタミンD説、モテ要因説、偶然説…複数の仮説を紹介しながら、「青い目は消えてしまうのか?」という未来の話にも踏み込みます。目の色にまつわる進化のミステリー、のぞいてみませんか?

▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:青い目ってそもそも何?
03:23 第二章:青い目はどこから来たの?
06:15 第三章:どのように広がっていった?
12:34 第四章:文化と迷信の青い目
15:38 第五章:青い目は絶滅する?
18:01 まとめ

189 名前:777

2025/08/31 (Sun) 11:22:56

なぜ北アフリカに白人がいるのか?いつどこから?DNAから分かる彼らのルーツとは?
History hub 2025/08/30
https://www.youtube.com/watch?v=DxeeB7Wiydg

この動画は「北アフリカの白人はどこから?」という疑問を、歴史とDNAから解説します。
古代から北アフリカは人種の交差点で、先住民ベルベル人はすでに多様な外見を持ち、数千年前にはイベリア半島からの移住で白人的特徴が流入。その後、フェニキア人、ローマ人、ヴァンダル族、アラブ人、さらにスペインからの移民や近代ヨーロッパ植民地支配で顔立ちは再シャッフルされます。DNA研究ではヨーロッパ・中東・サハラ以南アフリカの成分が混在し、見た目だけでルーツは判断できないことが判明。北アフリカは古代から混ざり続けた「地中海ブレンドの縮図」です。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:41 第一章:そもそも北アフリカってどこ?
02:40 第二章:最初の白い肌はどこから?
05:21 第三章:古代からの人種ミックスフェスティバル
07:09 第四章:アラブ征服と顔の再シャッフル
09:08 第五章:ヨーロッパ列強による支配
11:18 第六章:DNA検査で分かる意外な事実
12:47 第七章:現代の北アフリカ人と白人論争
14:43 まとめ

190 名前:777

2025/09/02 (Tue) 01:15:04

280万年前、地球には「2種類の人類」が共存していた。教科書が書き換えられる新発見。
世界ミステリーch 2025/09/01
https://www.youtube.com/watch?v=gc5NfQ0BiCk

人類史の常識が覆る!280万年前、我々の祖先「ホモ属」の隣には、全く別の進化を遂げた「もう一つの人類」がいました。エチオピアで発見された新種の化石が示す、驚くべき「共存」の事実とは?教科書が教えない、人類の進化に隠された最大のミステリーを、最新の研究を基に徹底解説します。

■チャプター■
0:01 オープニング・テーマ紹介
1:04 1枚のコインが示す「消された帝国」
2:09 広大な範囲で発見された日の出コイン
3:14 科学分析が暴いた2000kmの一致
4:19 謎の巨大勢力の正体候補 ― シュリーヴィジャヤ
6:29 コインが果たした「信用」の役割
7:33 なぜ歴史から消えたのか ― 海洋帝国の特性
9:41 エンディング・信頼が繋ぐ歴史のロマン

191 名前:777

2025/09/02 (Tue) 01:16:17

シュメール文明はここまで解明された!文化・信仰・都市など『15の事実』を解説します
世界ミステリーch 2023/12/25
https://www.youtube.com/watch?v=3ggeLNxD05g

謎が多いと言われるシュメール文明。世界最古の文明とも言われますが、楔形文字の発明や都市など、様々な文化がありました。現在では研究も進みシュメール文明について色々なことがわかってきています。今回はそんなシュメール文明の解明された物事を紹介していきます!

192 名前:777

2025/09/05 (Fri) 23:42:13

なぜルーマニア人はラテン系なのか?スラブ化しなかった理由とは?ローマ人の血って本当に流れてるの?
History hub 2025/09/05
https://www.youtube.com/watch?v=FJVb0FzrGbA

ルーマニアは地理的には東欧に位置しながら、言語や文化はラテン系。これは古代ローマ帝国がダキア(現在のルーマニア)を征服し、多くのローマ人が定住したことに始まります。その後もスラヴなど多くの民族が流入したものの、ラテン語系の言語とローマのアイデンティティが奇跡的に残り続けました。国名「ルーマニア」も「ローマ人の国」という意味で、DNA的にもラテン系の血が約27%確認されています。文化・歴史・血統の全てにローマの影響が刻まれているのです。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:ルーマニアの地理とイメージのギャップ
02:35 第二章:古代ローマ帝国とダキア人
05:22 第三章:なぜスラブ化しなかったのか?
09:16 第四章:宗教はどうなってるの?
11:24 第五章:DNA的にはどうなの?
14:50 まとめ

193 名前:777

2025/09/06 (Sat) 16:17:36

日本史最大の謎「空白の4世紀」を徹底解説|教科書が教えないヤマト王権誕生の裏側
世界ミステリーch 2025/09/05
https://www.youtube.com/watch?v=R_9KltLLKhM

日本史最大のミステリー「空白の4世紀」。女王・卑弥呼の記録が途絶えた後、日本で一体何が起きていたのか?全国に広がる前方後円墳、富雄丸山古墳から出土した巨大な蛇行剣…。文字記録がない時代だからこそ、考古学が雄弁に語る「書かれなかった歴史」があった。ヤマト王権誕生の裏に隠された、意図的に“消された”100年間の真相に迫ります。

■チャプター■
0:01 オープニング・テーマ紹介
1:08 空白が生まれた3つの要因
2:13 物証が語る激動期の仮説
3:18 富雄丸山古墳と権力の実像
3:58 書かれなかった歴史の理由
4:22 統一と規格化の進行
5:27 神話化された史実の影
6:32 富雄丸山古墳の発掘成果
7:38 多様な権力構造の時代
8:43 渡来人の影響と編集意図
9:48 空白の意味を再定義
10:53 まとめ・エンディング

194 名前:777

2025/09/08 (Mon) 01:55:40

ラテン人はどこから来たのか?なぜラテン語はここまで広がったのか?
History hub 2025/09/07
https://www.youtube.com/watch?v=xpr5zBiwrVM

ラテン人は、イタリア中部ラティウム地方の民族で、その起源は東ヨーロッパ方面から来たインド・ヨーロッパ語族とされます。彼らは多民族と交わりながらローマを建国し、ラテン語を広めました。ラテン語はローマ帝国の拡大とともにヨーロッパ全土に広がり、のちのスペイン語やポルトガル語などロマンス諸語の元となります。この言語的な影響が中南米にも及び、現代の「ラテンアメリカ」にまでつながっているのです。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:24 第一章:ラテン人って誰?
01:58 第二章:ラテン人はどこから来たのか?
04:20 第三章:ローマ建国とラテン人の逆襲
09:11 第四章:ラテン語の拡散
12:37 第五章:じゃあ、今のラテン民族って?
15:30 まとめ

195 名前:777

2025/09/09 (Tue) 01:06:36

【2025年最新科学】アメリカ先住民の「本当の祖先」がついに判明!DNAに刻まれた“第3の人類”の正体とは?
世界ミステリーch 2025/09/08
https://www.youtube.com/watch?v=4TnVOQYBYAc

アメリカ先住民の祖先はベーリング海峡を渡ってきた…その定説が、2025年の最新DNA研究で覆る! 私たちの祖先がアジアで出会った「第3の人類」デニソワ人。井戸から発見された化石「竜人」との驚きの関係、そしてアマゾンの民だけが持つ謎の祖先「ポピュレーションY」とは?最強の免疫遺伝子(MUC19)が解き明かす、人類史最大のミステリーに迫ります。

196 名前:777

2025/09/12 (Fri) 22:30:08

なぜアフリカ人には青い目の人がいるのか?混血だけではない理由とは?ヨーロッパ人の青い目との違いは?
History hub 2025/09/12
https://www.youtube.com/watch?v=F_rgoN72t4s

▼チャプター
00:00 イントロ
00:35 第一章:アフリカにも青い目の人がいるってほんと?
02:54 第二章:混血説だけじゃない理由
06:32 第三章:突然変異という自然のいたずら
09:17 第四章:古代の遺伝子の影響
11:56 第五章:遺伝性疾患によるケース
14:37 まとめ

197 名前:777

2025/09/14 (Sun) 15:01:08

小河の美女はなぜヨーロッパ系の見た目をしているのか?中国になぜ?DNAから分かったルーツとは?
History hub 2025/09/13
https://www.youtube.com/watch?v=UVWtGLc46oI&t=4s

▼チャプター
00:00 イントロ
00:38 第一章:小河の美女とは?
03:07 第二章:この美女、一体どこから来た?
07:02 第三章:タリム人の文化
09:13 第四章:タリム人はその後どうなったのか?
11:48 第五章:現代の混乱とミイラの政治利用

198 名前:777

2025/09/20 (Sat) 05:54:36

最新のゲノム解析が明かした日本人の起源
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/03/090315

【最新研究で解き明かす】縄文時代はなぜ1万年も続いたのか?日本史最大の謎に科学で迫る。
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/20/040301

199 名前:777

2025/09/20 (Sat) 20:48:01

テュルク系民族はどこから来たのか?DNAと多様な見た目とは?どうやって中央アジアからヨーロッパまで広がった?
History hub 2025/09/20
https://www.youtube.com/watch?v=Pinf0YYHHUU

中央アジアの草原から西アジア、東ヨーロッパまで広がる「テュルク系民族」。彼らはいったいどこから来て、どうやってこれだけ広い範囲に影響を与えてきたのか?
突厥、セルジューク朝、オスマン帝国、そして現代のトルコやカザフスタンまで、歴史を動かしてきた“草原の旅人たち”の壮大な物語をカジュアルに、でもしっかり解説します。
DNAや見た目、東ヨーロッパのテュルク系民族にも注目!

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:テュルクって誰よ?
02:32 第二章:ルーツはどこなのか?草原の中心
05:08 第三章:西へ!東へ!止まらない民族大移動
08:35 第四章:DNAと見た目
11:50 第五章:テュルク系とは何なのか?

200 名前:777

2025/09/29 (Mon) 07:55:49

【衝撃】白人はいなかった!?古代ヨーロッパ人の真実
2025年6月16日
https://www.youtube.com/watch?v=ai1wx14iw30

最新研究によって、また歴史が変わりそうです。白人の歴史は長いと思われてきましたが、実はそんなことはなく、3000年前にはまだいなかった可能性が出てきました。つまり黒人ばかりだったということ。今回は肌の色の謎に迫ります!

■チャプター■
0:01 オープニング・テーマ紹介
1:08 古代ヨーロッパ人の見た目に関する新発見
2:15 濃い肌の理由と進化の背景
3:20 肌の色の変化とビタミンDの関係
5:30 目の色の進化と仮説
7:39 研究手法と科学的信頼性
8:44 今後の研究と人類の多様性の解明
10:55 エンディング・進化のロマンと未来への視点





ヨーロッパ人の肌はなぜ白くなったのか?先住民は黒かった?白い肌はどこから?アジア人との違いとは?
History hub 2025/06/20
https://www.youtube.com/watch?v=UIIGw4iG5lo

この動画では、ヨーロッパ人の肌がなぜ白くなったのかを、歴史・進化・環境の視点からわかりやすく解説しています。1万年前のヨーロッパ人は実は肌が黒かったこと、そこに中東から明るい肌の農耕民が移住し、混血と食生活の変化により白い肌が広がったことを紹介。さらに、ステップ地帯からの遊牧民が肌や髪、目の色の多様性を押し広げ、現代のヨーロッパ人の姿が形作られた過程を描きます。また、東アジア人の肌の進化は別ルートで進んだことも取り上げ、肌の色は環境適応の結果であり、優劣ではないという視点で締めくくられます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:ヨーロッパの祖先は白くなかった?
03:20 第二章:白くなった理由その1 中東からの農耕民
07:13 第三章:白くなった理由その2 ステップ遊牧民
11:47 第四章:アジア人の白い肌とどう違うの?
15:45 第五章:肌の色に優劣はない





【ゆっくり解説】考古言語学で迫る!インド・ヨーロッパ語族の誕生と拡散 〜ウクライナから世界へ〜
楊堅のゆっくり言語学 2025/04/28
https://www.youtube.com/watch?v=n_loJiTXu5c&list=PLhfWmo1U88Hwo1VvYujkmrgu6X8VGpu2m&index=1

【目次/チャプター】
00:00 導入
00:41 インド・ヨーロッパ語族について
03:41 クルガン仮説について
07:24 アナトリア語派
08:24 トカラ語派
09:16 インド・イラン語派
13:31 イタリック語派
14:04 ケルト語派
14:39 ゲルマン語派
14:16 バルト・スラヴ語派
17:16 ヘレニック語派
17:56 アルメニア語派
18:53 アルバニア語派
20:46 締め



ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ





ラテン人、ゲルマン人、スラブ人の違いとは?ヨーロッパ三大民族!言語、文化、宗教の違いとは?
History hub 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=R_7mbQcSAus

この動画では、ヨーロッパの主要民族であるラテン系、ゲルマン系、スラブ系の違いを解説します。ラテン人は古代ローマを起源とし、陽気で情熱的、芸術や恋愛を大切にする文化が特徴。ゲルマン人は北ヨーロッパにルーツを持ち、秩序と規律を重んじ、戦士気質と堅実な精神を持つ。一方、スラブ人は広大な東欧を中心に広がり、粘り強く、魂や共同体を大切にする文化が根付いています。それぞれの民族が築いてきた歴史や文化の特徴をわかりやすく紹介。視聴者に「自分はどの文化に共感できる?」と問いかけ、民族の違いを楽しく学べる構成となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:まずはざっくり分けてみよう
01:59 第二章:ラテン系とは?
05:42 第三章:ゲルマン系ってどんな人たち?
09:17 第四章:スラヴ系とは?
13:41 第五章:それぞれの違いと共通点
15:27 まとめ




ゲルマン民族の起源と文化:ヨーロッパの歴史を変えた部族たち
History hub 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=UbMKv5jFp9Q&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=4

今回は「ヨーロッパの歴史を変えたゲルマン民族:起源、文化、そして現代への影響」というテーマで、ゲルマン民族の起源や歴史、文化、そして現代への影響について詳しく解説します。ローマ帝国を滅亡させたゴート族や後のフランスを作ったフランク族、現在のイギリスに渡ったアングロサクソン族、アフリカに渡ったヴァンダル族など様々な部族に触れていきます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:39 ゲルマン民族の起源と歴史
03:45 ゲルマン部族の紹介
03:58 西ゴート族
04:35 東ゴート族
05:08 フランク族
05:44 アングロ・サクソン族
06:14 ヴァンダル族
07:07 ゲルマン民族の文化と社会
07:26 政治制度と法
08:19 宗教と神話
09:00 日常生活と風習
09:45 結婚と家庭
10:06 祭りと儀式
10:26 まとめ


ゲルマン人とスラヴ人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!言語、文化、遺伝子の違いとは?
History hub 2025/01/25
https://www.youtube.com/watch?v=pbEXeHI_hQs

この動画では、ヨーロッパ史におけるゲルマン人とスラヴ人の違いをわかりやすく解説しています。ゲルマン人は北ヨーロッパを起源とし、ローマ帝国崩壊に関与した戦士文化と秩序重視の性格が特徴。一方、スラヴ人は東ヨーロッパから農耕文化を広げ、感情豊かで情熱的な性格を持つ民族です。遺伝学的には、ゲルマン系に多い「R1b」や「I1」、スラヴ系に多い「R1a」といったハプログループが祖先の移動や混血の歴史を示しています。現代では、ゲルマン系は技術革新や効率性、スラヴ系は芸術や精神性で世界に影響を与えています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもゲルマン人とスラブ人って何者?
03:33 第二章:どうやって広がった?
09:50 第三章:言語の違い
11:56 第五章:遺伝的な違い
14:53 まとめ




なぜヴァイキングはスラブ人を奴隷にしたのか?恐怖の人●売買ネットワークとは?アフリカまで送られていた!?
History hub 2025/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=zYPfNNYP2T0

この動画では、バイキングによるスラヴ人の奴隷化について解説しています。ヴァイキングたちは8~11世紀に、スラヴ人を略奪し奴隷として捕らえ、イスラム世界やビザンツ帝国へ輸出しました。奴隷は農業や建設、家庭内労働、さらには軍事目的で使用され、当時の経済を支える重要な存在でした。一方、スラヴ人社会はこの困難を乗り越え、後の強力な国家形成へと繋がりました。また、ヴァイキングの奴隷貿易は後の大西洋奴隷貿易の基盤となり、歴史に大きな影響を与えました。このテーマは、歴史を通じて倫理や人権について考えるきっかけを与えてくれます。

00:00 イントロ
00:34 第一章:ヴァイキングの奴隷貿易
02:30 第二章:なぜスラヴ人がターゲットに?
05:10 第三章:奴隷としてのスラヴ人の運命
08:43 第四章:ヴァイキングの視点
11:37 第五章:歴史的な影響
14:27 まとめ



ケルト人はどこからやって来たのか?そして、どこへ消えたのか?現代に残るDNAとは?
History hub 2025/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=pFfydcacSx4

ケルト人は、特定の民族ではなく、ヨーロッパ全土に広がった文化・言語グループであり、中央ヨーロッパのハルシュタット文化から発展した。彼らは戦士として勇敢でありながら、金属加工や交易にも長け、ドルイドと呼ばれる知識人が社会を支えていた。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国の侵攻を受け、ガリアなどでは支配される。一方、アイルランドやスコットランドではケルト文化が存続。中世以降もゲルマン人やノルマン人の侵攻を受けたが、ケルトの言語や音楽、神話は現代に残り、アイルランドの伝統やファンタジー文化に影響を与えている。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:38 第一章:ケルト人ってそもそも誰?
03:10 第二章:ケルト人の起源はどこ?
05:27 第三章:ケルト人はどんな暮らしをしていた?
07:58 第四章:ケルト人はどこへ消えた?
11:10 第五章:現代に残るケルト人のDNA
13:34 まとめ




ケルト人とゲルマン人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!あなたはどっち派?
History hub 2024/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=doQp6FbN7O4&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=1&t=69s

この動画では、ケルト人とゲルマン人の違いや共通点について解説しています。ケルト人はアイルランドやフランスなどに広がり、自然崇拝や芸術を重視していたのに対し、ゲルマン人はドイツや北欧に住み、実用性や戦士文化を重んじていました。宗教面では、ケルトはドルイド教、ゲルマンは北欧神話を信仰し、戦士としての誇りが共通していました。また、両民族ともに部族社会を形成し、ローマ帝国と激しく対立しましたが、自然との共生や戦士の価値観が共通していた点も強調されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:31 第一章:ケルト人とは?
02:26 第二章:ゲルマン人とは?
04:43 第三章:ケルト人とゲルマン人の違いはどこにある?
09:09 第四章:両民族の共通点は?
12:43 まとめ



ヴァンダル族 : 破壊者と呼ばれたゲルマン民族!アフリカへの進出、ローマへの侵攻、なぜ滅亡したのか?【歴史解説】
History hub 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=y2_E1v9gasU&t=0s

この動画では、古代ゲルマン部族「ヴァンダル族」の歴史を解説します。彼らはローマ帝国末期にローマを略奪し、「ヴァンダリズム=破壊行為」の語源となりましたが、実際には無秩序な破壊者ではなく、宗教施設などは慎重に扱ったとされています。ヴァンダル族はローマ略奪後、北アフリカに王国を築き、地中海で一時的に強力な勢力を誇りました。しかし、ビザンチン帝国により滅ぼされ、その後歴史の表舞台から消えました。ヴァンダリズムの誤解と彼らの真実に迫ります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ヴァンダル族って誰?
01:43 第二章:北アフリカのヴァンダル王国
05:51 第三章:ローマへの一撃
07:56 第四章:ヴァンダリズムの誤解
10:29 第五章:ヴァンダル族の結末とその後の影響
12:00 まとめ



東欧はなぜ美女が多いのか?スラブ系、ゲルマン系、アジア系民族などの遺伝子的背景や歴史と文化、そして地理的影響を探る【歴史解説】
History hub 2024/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=8Vbui05yCog&t=0s

この動画では「東欧はなぜ美女が多いのか?」を歴史的背景や文化、生活習慣を交えて解説しています。東欧は西ヨーロッパとアジアの中間に位置し、多くの異なる文化や民族が交差する場所です。この地域の多様な民族が混ざり合い、美的特徴が豊かになりました。また、東欧の歴史では戦争や移民が多く、異なる遺伝子が交わった結果、多様な美が生まれました。さらに、伝統的な民族衣装や自然素材を使った美容法、フィットネス文化が美しさを育んでいます。現代でも、東欧の女性たちはソーシャルメディアやミスコンテストで美しさを発信し続けています。美の秘訣は、歴史、文化、日常の努力が絶妙に融合している点にあります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 美の基準と文化的背景
01:08 第一章 : 東欧の地理と民族の多様性
03:10 歴史的背景
03:31 戦争と制服
04:20 移住と交易
05:08 民族の融合
06:01 美容と健康の文化
06:20 伝統的な美容法
07:44 精神的な健康
08:32 遺伝子の多様性
08:47 歴史的な混血
09:30 遺伝子の多様性と健康
09:57 現代の遺伝子研究
10:33 独自の意見
11:49 まとめ







なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章:現代への影響
11:46 まとめ



イングランド人・ウェールズ人・スコットランド人の違いとは?イギリス3大民族のルーツ、DNA、宗教、歴史の違いとは?
History hub 2025/08/29
https://www.youtube.com/watch?v=1R13cBctveQ

イングランド人、ウェールズ人、スコットランド人は「イギリス人」と一括りにされがちですが、実は文化・歴史・性格・DNAまでもがまったく異なります。イングランド人は中心的で支配的、ウェールズ人は静かな誇りを持つ文化守護者、スコットランド人は情熱的で反骨精神あふれる独立志向。そしてDNAもそれぞれ別ルートのルーツを持ち、見た目以上に“違う民族”とも言える存在です。それでも同じ国にまとまっている、その不思議こそがイギリスの面白さです。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:そもそもイギリスって何?
02:10 第二章:イングランド人のルーツ
06:20 第三章:ウェールズ人は原住民的存在
10:28 第四章:スコットランド人のルーツは北の誇り
14:31 第五章:DNAと性格の違い
19:18 まとめ



ウェールズ人はなぜ他のイギリス人と違うのか?古いDNAが残った理由とは?見た目や気質は違うの?
History hub 2025/08/10
https://www.youtube.com/watch?v=kc69RRBWpC4

▼チャプター
00:00 イントロ
00:24 第一章:ウェールズ人って何者?
03:12 第二章:ウェールズ人のルーツとは?
07:40 第三章:なぜウェールズだけが古いDNAを保ったのか?
10:29 第四章:他のイギリス人とのDNAの違い
13:54 第五章:古いDNAが現代に与える影響



イギリス人はどこから来たのか?DNAが示すルーツとは?多民族国家である理由!先史時代〜現代まで一気見!
History hub 2025/08/08
https://www.youtube.com/watch?v=CUHvdwhzbg0

この動画では、イギリス人の遺伝的ルーツを歴史順に解説。1万年前の黒い肌と青い目を持つ先住民から始まり、ケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人と、さまざまな民族がブリテン島に到来。文化的影響は大きくても遺伝的影響が薄いケースや、逆にDNAの主成分になった民族などを紹介。現代のイギリス人は、数千年にわたる民族の混血と文化交流によって形成された「多層サンドイッチ」のような存在であり、その多様性こそが魅力だとユーモアを交えてまとめている。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:25 第一章:最初の住民はどこから?
05:49 第二章:ケルト人、ローマ人、アングロサクソン
10:20 第三章:ヴァイキングとノルマン人
13:47 第四章:現代イギリス人のDNA
17:10 まとめ

201 名前:777

2025/10/03 (Fri) 10:47:28

フン族 : ヨーロッパを恐怖に陥れた最恐の遊牧民!アッティラの「神の鞭」・・・神の災か?ローマ崩壊を後押しした者たち【歴史解説】
History hub 2024/09/24
https://www.youtube.com/watch?v=yEuMigbQQhc&t=91s

▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 フン族の登場:どこから来たの?
02:37 フン族とアッティラ:リーダーとしてのカリスマ
04:19 フン族の戦闘スタイル:馬上の戦士たち
06:33 アッティラの人間味?
09:06 フン族のローマ侵略:歴史に与えた影響
12:12 アッティラの死とフン族の衰退
15:02 フン族の歴史的な評価:恐怖の象徴?
17:34 まとめ

202 名前:777

2025/10/04 (Sat) 05:55:32

テュルク系とモンゴル系の違いとは?起源はどこ?見た目やDNAは違うのか?歴史的な関係とは?
History hub 2025/10/03
https://www.youtube.com/watch?v=dcUuPxGpVgw

「テュルク系とモンゴル系って何が違うの?」と聞かれて、ズバリ答えられますか?歴史やDNAを紐解くと、そのルーツは全くの別物!見た目の違いから、モンゴル帝国時代の複雑な関係、そして現代の彼らの姿までをジョークを交えて徹底解説します。歴史の「なぜ?」がスッキリわかる動画です!

▼チャプター
00:00 イントロ
00:29 第一章:そもそも、テュルク系とモンゴル系って?
03:55 第二章:じゃあ言語ってどう違うの?
06:15 第三章:起源と拡散、見た目や文化も違うの?
12:55 第四章:現代の草原の末裔たちは今

203 名前:777

2025/10/04 (Sat) 07:38:42

インダス文明人は何処から来たか
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/04/072903

204 名前:777

2025/10/04 (Sat) 16:09:36

現代ギリシャ人の遺伝子は古代ギリシャ人と殆ど変わらなかった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/04/160711

205 名前:777

2025/10/05 (Sun) 04:20:26

【国立科学博物館公式】なぜ絶滅し、なぜ生き延びたか…特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」篠田館長解説動画
【国立科学博物館公式】かはくチャンネル 2025/09/12
https://www.youtube.com/watch?v=SG6lMOFymVM

-4万年前の氷河期にタイムスリップ!―

現代よりもはるかに寒冷だった4万年前の氷河期は、人類や、マンモスなどの巨大な動物たちが共に生きていた時代です。彼らの中には、絶滅したものもいれば、生き残ったものもいます。本展では、この時代を生きた動物たちや人類について解説し、その命運を分けた氷河期の謎に迫ります。
注目は、日本初公開となるネアンデルタール人とクロマニョン人の実物の頭骨。そして氷河期を生きた巨大動物たちの大きさを、会場で是非体感してください。

この動画では、そんな特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」の見どころを総合監修 篠田館長解説のもと、お伝えいたします。

206 名前:777

2025/10/05 (Sun) 08:07:41

【2025年最新科学】アメリカ先住民の「本当の祖先」がついに判明!DNAに刻まれた“第3の人類”の正体とは?
世界ミステリーch 2025/09/08
アメリカ先住民に残るデニソワ人の遺伝子
https://www.youtube.com/watch?v=4TnVOQYBYAc

アメリカ先住民の祖先はベーリング海峡を渡ってきた…その定説が、2025年の最新DNA研究で覆る! 私たちの祖先がアジアで出会った「第3の人類」デニソワ人。井戸から発見された化石「竜人」との驚きの関係、そしてアマゾンの民だけが持つ謎の祖先「ポピュレーションY」とは?最強の免疫遺伝子(MUC19)が解き明かす、人類史最大のミステリーに迫ります。

■チャプター■
0:01 オープニング・テーマ紹介
1:05 デニソワ人の発見と正体
3:14 異種人類の交わりと分布
4:21 アメリカ先住民に残るデニソワ人の遺伝子
5:28 MUC19遺伝子と極寒の生存戦略
6:35 ドラゴンマン頭蓋骨の発見
7:39 最新研究で明らかになったデニソワ人との関係
8:46 古代アジアでの出会いと混血のシナリオ
9:49 複雑に絡み合う人類進化の流れ
10:53 まとめ・エンディング

207 名前:777

2025/10/14 (Tue) 19:39:26

【2025年最新】緊急速報!ギョベクリ・テペを超える遺跡をついに発見!?トルコの「メンディク・テペ」がヤバすぎる…。
世界ミステリーch 2025/10/13
https://www.youtube.com/watch?v=yOhrS9jvt2o

世界最古の神殿ギョベクリ・テペ。しかし、その歴史を塗り替えるかもしれない新遺跡「メンディク・テペ」がトルコで発見されました。人類は神殿より先に「生活の場」を築いたのか?1万2000年前の真実に迫ります。


ギョベクリ・テペで発見された「足のない像」。なぜ壁に埋められたのか?隠された古代の暗号を解き明かす。
世界ミステリーch 2025/10/10
https://www.youtube.com/watch?v=x2_4JUQS95Y

世界最古の神殿遺跡、ギョベクリ・テペで発見された「足のない人間像」。なぜそれは作られ、すぐに壁の中に封印されなければならなかったのか?この動画では、考古学の最新情報を基に、日本の縄文土偶との奇妙な共通点から、この1万2000年越しのミステリーに独自の考察で迫ります。

■チャプター■
00:01 オープニング/テーマ提示
01:07 ギョベクリ・テペ概説(年代・“定住前に神殿”という非常識)
03:18 新発見:壁内部から「足のない人像」を水平配置で発見(意図的封印)
04:22 足部欠損の謎(自然劣化か儀礼的破壊か)と“明確な人為”の強調
05:26 一次解釈:奉納品・守護像説(発掘責任者も「前例なし」)
06:29 独自仮説①:ファルス信仰との関係(カラハンテペ像/T字柱の象徴性)
07:32 日本との比較:縄文の石棒・土偶=生命繁栄祈願という普遍モチーフ
08:38 独自仮説②:身代わり儀礼(病や災厄を像に負わせ、足を壊して封じる)
09:43 独自仮説③:死と再生の儀式(壁=大地/子宮に“埋め戻す”再生メタファー)
10:16 公式発表時のトピック(日本皇族臨席の場で公表)
10:48 巨大計画:タシュテペレル(石の丘)プロジェクト紹介/広域文化圏の可能性
11:53 点から線へ:共通儀礼・信仰のパターンを探る流れ
12:58 まとめ:精神世界の複雑さ/保存修復の現況


【新発見!】ギョベクリテペ遺跡の最新研究で明らかになる、古代文明の新たなる展開とは?
世界ミステリーch 2023/10/14
https://www.youtube.com/watch?v=QkHcbhOAxpQ

今回、ギョベクリ・テペやカラハン・テペで新しい発見が沢山ありました。その中でも特にカラハン・テペから発見された人体像はこれまで最古と言われていたウルファマンよりも古い人体石像と言われています。その他の様々古代文明の証拠の発見と共に動画をお楽しみください!

208 名前:777

2025/10/19 (Sun) 09:10:43

【ゆっくり解説】言語学の未解決問題!?アイヌ語方言分類の研究史!
やよい&こふんの古代トーク! 2025/10/18
https://www.youtube.com/watch?v=PhTK6XR1nNg

「アイヌ語って、全部同じじゃないの?」
実は、かつて広大な地域で話されていたアイヌ語には、豊かな方言の世界が広がっていました。
この動画では、その方言をどう分類するかを巡る、半世紀以上にわたる研究者たちの壮大な物語をゆっくり解説します。

消えゆく言葉を記録した大調査から、統計学を駆使した画期的な分析、そしてそこに残された「半世紀の謎」。
最新のアルゴリズムを武器に、現代の研究者たちがまるで探偵のようにその謎を解き明かしていくプロセスは、まさに学問のミステリーです。
なぜ二つの「比較不可能な分類」が生まれたのか?そして、謎が解けた先に見えてきた驚きの「真実」とは?
言語学や歴史に興味がある方はもちろん、知的好奇心をくすぐるミステリーが好きな方にも楽しんでいただける内容です。
ぜひ最後までご覧ください!

【チャプター】
0:00 導入
0:40 アイヌ語って方言があるの?
2:00 伝説の始まり!服部・知里の大調査 (1960)
4:39 統計学で斬り込む!浅井亨の挑戦 (1974)
6:17 半世紀にわたる「浅井の謎」
8:19 新たなアプローチ!ベイズ系統地理学の登場 (2013)
10:07 現代の魔法?アルゴリズムで謎を解け!
12:04 世紀の比較!見えてきた二つの「真実」
14:01 この研究史が教えてくれること
15:38 締め

【参考文献】
服部四郎・知里真志保 (1960) 「アイヌ語諸方言の基礎語彙統計学的研究」『民族學研究』24(4): 307–342.
Asai, Tōru (1974) "Classification of dialects: Cluster analysis of Ainu dialects." 『北方文化研究』 (Bulletin of the Institute for the Study of North Eurasian Cultures, Hokkaido University) 8: 45–136.
Lee, Sean and Toshikazu Hasegawa (2013) "Evolution of the Ainu Language in Space and Time." PLOS ONE 8(4): e62243.
小野洋平 (2015) 「服部・知里(1960) の統計科学的再考察―アイヌ語方言周圏論の実証一」『北方人文研究』8: 25–48.
小野洋平 (2020) 「北海道アイヌ語方言の分類再考 ―グラフ理論による方言研究の新展開: 人文学データの分析を代数構造から見直す―」『北海道言語文化研究』18: 19–46.
小野洋平・深澤美香 (2023) 「アイヌ語諸方言の語形の類似に関する基礎データの復元: 論文に書ききれなかった研究者の判断・思考に迫る」『北方言語研究』13: 213–246.
小野洋平・深澤美香 (2024) 「比較不可能だったアイヌ語方言分類 ―統計的方言分類を類似判断の点から再考する―」『アイヌ・先住民研究』4: 93–126.
深澤美香・小野洋平 (2024) 「方言境界再考 ―アイヌ語の方言境界を例として―」『北方言語研究』14: 155–176.
深澤美香・小野洋平 (2025) 「基礎語彙による方言分類の諸問題 ―Asai (1974) のアイヌ語方言データを最大限活用するために―」『北方言語研究』15: 141–163.

209 名前:777

2025/10/24 (Fri) 10:52:30

アーリア人、ゲルマン人の歴史
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/10/24/104514

210 名前:777

2025/11/03 (Mon) 14:26:50

日琉語族の成立の歴史! - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLVYVNL4plQAwORKg96OU19I0C8SMon0YK


【ゆっくり解説】日本語の姉妹「琉球諸語」の歴史!古墳時代の分岐と九州からの移住時期を徹底解説
やよい&こふんの古代トーク! 2025/09/27
https://www.youtube.com/watch?v=uMF8YNXIi_g&list=PLVYVNL4plQAwORKg96OU19I0C8SMon0YK&index=4

「うちなーぐち(沖縄の言葉)」って、ただの方言だと思っていませんか?
実は、日本語とは1500年以上も前に分かれた「姉妹言語」なんです!
この動画では、ミステリーに満ちた日本語の姉妹「琉球諸語」の壮大な歴史をゆっくり解説します。

・なぜ方言じゃなく「姉妹」なの?
・日本語といつ分かれたの?ヒントは古墳時代!
・空白の数百年…琉球の人々の祖先は「九州」に住んでいた?
・農耕文化と共に始まった、南の島への大移動とは?
・九州方言は琉球語の兄弟?最新の学説まで徹底解説!

この一本で、言語学と考古学が解き明かす、知られざる日本列島の人とコトバの物語がわかります。
歴史や言語に興味がある方はもちろん、沖縄が好きな方も必見です!

【チャプター】
0:00 導入
0:41 沖縄の言葉は方言じゃない?日本語の姉妹だった!
3:29 いつ分かれたの?古墳時代の「大別離」
5:41 空白の数百年?九州にあった「琉球祖語」の故郷
8:10 グスク時代の幕開け!南の島への大移動
10:36 もう一つの説?九州方言は琉球語の兄弟?
13:46 まとめ


【ゆっくり解説】日琉語族の謎:東国語系統と八丈語を巡る言語学の大論争!あなたの言葉のルーツはどこから?
やよい&こふんの古代トーク! 2025/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=Lr2wGSTNlDA&list=PLVYVNL4plQAwORKg96OU19I0C8SMon0YK&index=3

「沖縄の言葉は外国語みたい…」
前回の動画では、日本語と琉球諸語が方言ではなく、古い時代に分かれた「姉妹言語」であるという話をしました。

しかし、この日琉語族には、もう一つの「大きな系統群」が存在したことをご存知でしょうか?
それが、かつて東日本で話されていた「東国語」です。

今回は、
・『万葉集』に残された「東国語」の痕跡とは?
・絶海の孤島「八丈島」の言葉は、本当に東国語の生き残りなのか?
・本土の言葉はすべて中央語(都の言葉)に入れ替わった?それとも生き残った?

言語学の最前線で繰り広げられる「入れ替え説」と「生き残り説」の大論争を、最新の学説を交えてゆっくり解説します。
もしかしたら、あなたが普段使っている言葉にも、消えた古代語の「足跡」が残されているかもしれません。

【訂正】
厳密には「8世紀の地図(五十嵐2022)」と「五十嵐2017, 2018, 2021, 2022のモデルの地図」の島根県周辺は中央語系統で塗られていません(白色になっています)。

【チャプター】
0:00 導入(前回のあらすじと新たな謎)
0:50 東の国のことば「東国語」とは?
2:26 生きた化石?八丈島に残る古いことば
4:14 言語学界の大論争!兄弟たちは消えたのか?
5:30 学説① 入れ替え説:中央語がすべてを塗り替えた
7:01 学説② 生き残り説:今も残る兄弟の「足跡」
8:11 生き残りの証拠?マトリョーシカ分布の謎
10:06 まとめ:未解決の歴史ミステリー



【ゆっくり解説】日本語の起源は9000年前の中国農民!?科学誌ネイチャー掲載論文「西遼河起源説」をめぐる世界的大論争(トランスユーラシア語族仮説)
やよい&こふんの古代トーク! 2025/10/11
https://www.youtube.com/watch?v=pc56DBBk1z8&list=PLVYVNL4plQAwORKg96OU19I0C8SMon0YK&index=2

私たちの話す日本語、そのルーツはどこにあるのでしょうか?
2021年、科学雑誌『ネイチャー』に、その謎を解き明かす画期的な論文が発表されました。
「日本語の起源は、約9000年前に中国東北部の西遼河流域にいたキビ・アワ農耕民である」
この「西遼河起源説」は、日本語や韓国語、トルコ語などが親戚だとする壮大な仮説「トランスユーラシア語族」を、言語学・考古学・遺伝学の「三角測量」という手法で証明しようと試みたものです。

しかし、この華々しい発表からわずか半年後、別の国際研究チームから「待った」がかかります。
「言語・考古・遺伝、どの証拠もこの説を支持していない」
彼らは論文の根本的な問題点を次々と指摘し、ついには論文の「撤回」を求めるという異例の事態に発展しました。

今回の動画では、世界中の学者を巻き込んだこの「トランスユーラシア語族」大論争を徹底解説!
・日本語の親戚はトルコ語!?「トランスユーラシア語族」とは?
・9000年前の農耕民がルーツ?「西遼河起源説」の驚くべき内容
・なぜ専門家は「NO」を突き付けたのか?証拠の数々を再検証!

日本語の起源をめぐる、まるでミステリー小説のような科学の最前線へご案内します。

【チャプター】
0:00 導入
1:01 トランスユーラシア語族って何?
3:06 壮大な仮説!西遼河起源説
8:38 【問題点①】言語学の証拠、本当に大丈夫?
11:15 【問題点②】考古学・遺伝学の証拠もグラグラ?
13:41 なぜ多くの学者が「待った」をかけたのか
15:37 締め


【ゆっくり解説】日本語の起源は中国大陸にあった?朝鮮半島に残る古代の日本語の謎と、学者たちの大論争!【大陸倭語】【トランスユーラシア語族】
やよい&こふんの古代トーク! 2025/11/01
https://www.youtube.com/watch?v=681fRmGjC78&list=PLVYVNL4plQAwORKg96OU19I0C8SMon0YK&index=1


普段、私たちが何気なく使っている「日本語」。
そのルーツが、実は日本列島ではなく、遠い大陸にあるかもしれない……そう考えたことはありますか?
この動画では、言語学と考古学の世界で議論されている「日本語はどこから来たのか?」という壮大な謎に迫ります。

「そもそも日本語って何?」という基本から、決定的証拠とされる「朝鮮半島に残る古代の日本語の痕跡」、そしてこの大問題に挑んだ研究者たちの白熱の論争まで、初心者の方にも分かりやすく解説していきます!
あなたの話す言葉の、遥かなる旅の物語。ぜひご覧ください。

【チャプター】
0:00 導入:日本語の不思議
0:36 そもそも「日本語」って何?日琉語族の発見
1:58 なぜ大陸から?2つの大きなヒント
3:43 決定的証拠?朝鮮半島に残る日本語の痕跡
5:32 大論争①:二つの波と農耕民(ジョン・ホイットマン説)
7:01 大論争②:謎の民族「濊」とは誰か?(伊藤英人説)
8:24 大論争③:もっと壮大な家族の話(マーティン・ロベーツ説)
10:18 韓国語と文法が似ているのはなぜ?
11:51 まとめ

【参考文献】
伊藤英人 (2021)『朝鮮半島における言語接触と大陸倭語』
伊藤英人 (2023)『大陸倭語と日本語の起源』
遠藤光暁 (2021) 「古代日本語の中のいくつかの人名・地名の語源」
Martine Robbeets (2017) "Austronesian influence and Transeurasian ancestry in Japanese"
John Whitman (2011) "Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan"
マーク・ハドソン (1999) 「言語学からみた日本列島の先史時代」
J. Marshall Unger (2009) "The Role of Contact in the Origins of the Japanese and Korean Languages"
国立国語研究所 (NINJAL) 「日本語と琉球諸語のルーツをひもとく」 (トマ・ペラール氏、五十嵐陽介氏インタビュー)

211 名前:777

2025/11/03 (Mon) 14:38:30

朝鮮語、日本語と琉球語の起源は南満州か華南、アイヌ語は縄文人が話していた言葉だった。 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/11/03/143346

やよい&こふんの古代トーク! - YouTube
https://www.youtube.com/@YayoiKofun/videos

日琉語族の成立の歴史! - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLVYVNL4plQAwORKg96OU19I0C8SMon0YK

212 名前:777

2025/11/14 (Fri) 14:38:18

【北極圏人類史】4千年孤立!?グリーンランド最古の人類とは/イヌイット(エスキモー)とそり犬の起源/北極圏に最初に進出した現生人類/イヌクシュクとイグルーの起源
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2025/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=SdsMDE0HhYc

近年の研究からイヌイット(エスキモー)の祖先が北アメリカに移住する遥か以前からイヌイットとは異なる人々が北アメリカ北極圏に定住していたことがわかってきました。
彼らは4千年以上に渡り北アメリカ北極圏で孤立した状態で独自のシャーマニズム文化を発展させ繁栄していましたが500年ほど前に忽然と姿を消しました。
今回は北アメリカ北極圏の古代集団とイヌイットの起源について解説しています。

イヌイットとエスキモーの呼称について
「エスキモー」と言う呼称はトゥーレ文化集団の子孫とされる
アラスカのイヌピアット、アラスカとシベリアのユピック、カナダとグリーンランドの
イヌイットなど複数の異なる集団の総称として使われてきました。
近年、カナダやグリーンランドでは先住民運動の高まりとともに、
差別的な意味合いを持つとされる「エスキモー」ではなく
「イヌイット」が公式な呼称として使われるようになっています。
しかし、アラスカとシベリアでは現在も「エスキモー」が公的な呼称として使われ、
「エスキモー」と自称している場合もあるようです。
イヌイットやユピックに関連する全ての先住民を指す場合や、
歴史や文化、考古学的文脈においては「エスキモー」という用語が現在も使われており、
代替となる用語については議論が続いています。

213 名前:777

2025/11/18 (Tue) 10:08:53

縄文人の“真の姿”が判明!ゲノム解析が暴いた日本人のルーツ
世界ミステリーch 2025年11月17日
https://www.youtube.com/watch?v=rBmUd-np0No

日本人のルーツが最新研究で覆る? 2025年10月の第79回日本人類学会大会で、衝撃のゲノム解析が発表されました。DNAが語る真実…それは「1万5000年近く隔絶された縄文人」の姿。さらに土井ヶ浜遺跡の弥生人が「段階的移住説」を覆す新事実も。DNA解析が暴く、日本人の起源のミステリーを徹底解説!

■チャプター■
00:08 オープニング・最新の「日本人のルーツ研究」発表について
01:13 ポイント①:縄文人は1万年以上“長期孤立”していた
03:26 孤立が意味すること:縄文文化は外来ではなく“内側から進化”
04:30 縄文内部の多様性と地域差の形成
05:35 ポイント②:弥生人は“段階的な二波”ではなく“すでに大陸で混ざっていた”
06:39 弥生初期の1人に現代日本人の要素がすべて揃っていた
07:46 日本人のルーツ=「縄文+大陸系+北方系」の三重構造モデル
08:49 日本人原型は“古墳時代ではなく弥生初期”にすでに成立
09:53 学説は書き換えではなく“ピントが合う”方向へ
10:59 最終まとめ:形(考古学)と設計図(DNA)の両方が重要
12:03 エンディング

214 名前:777

2025/11/19 (Wed) 13:13:23

遊牧民の恐ろしさ _ 2400年前のスキタイ人の墳墓で見つかった革は人間の皮膚だった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/11/19/123159

215 名前:777

2025/12/01 (Mon) 22:35:16

【2025年最新】縄文人とデニソワ人DNAの関係がついに判明!日本人の起源・完全解説
世界ミステリーch 2025年12月1日
https://www.youtube.com/watch?v=EtNxYqAKDl4

【2025年最新】日本人の起源に関する定説が崩壊!?最新ゲノム解析により、縄文人はデニソワ人DNAを「ほとんど持たない」アジアで唯一の例外集団だったことが判明しました。なぜ縄文人だけが空白だったのか?その謎を解くカギは「2万年の隔離」と、弥生・古墳時代に起きた「三重構造」の形成にありました。教科書には載っていない、あなたのDNAに刻まれた衝撃の真実を徹底解説します。

216 名前:777

2025/12/04 (Thu) 20:38:42

茂木誠 _ なぜ消された? 物部氏の謎
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/12/04/184917

217 名前:777

2025/12/06 (Sat) 06:28:58

【国際社会】ナチスによる人種差別の根拠「アーリヤ人」とは何か!本来は民族ではなく言語上の区分でした
世界史 解体新書 2025/12/05
https://www.youtube.com/watch?v=FNV5Dqyt-2w&t=832s

  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:
白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
1 名前:777

2025/01/25 (Sat) 21:37:47

History hub - YouTube
https://www.youtube.com/@world-history-hub/playlists
https://www.youtube.com/@world-history-hub/videos

History hub 民族- YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8


ヨーロッパ人とアメリカ先住民にはなぜ共通祖先がいるのか?DNAが示す2万年前の共通のルーツとは?文化も似てる!?
History hub 2025/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=qL44mFPiEIU

▼チャプター
00:00 イントロ
00:33 第一章:DNAが語る共通のルーツ
02:11 第二章:古代北ユーラシア人って何者?
05:53 第三章:どうしてこんなに離れてるの?
10:04 第四章:DNAの地図が描く人類の旅
13:46 第五章:文化・神話・言語にも痕跡が?
15:26 まとめ


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ



古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ



スキタイ人はなぜ歴史から姿を消したのか?フン族やモンゴル帝国に影響を与えた謎多き古代遊牧民!
History hub 2024/12/14
https://www.youtube.com/watch?v=tOzCV9fPXjY

スキタイ人は紀元前7~3世紀ごろ、黒海北部の草原地帯で活躍した遊牧民で、フン族やモンゴル帝国の元祖とも言える存在です。馬を使った騎射戦術で名を馳せ、ペルシャ帝国などの大国とも戦いました。移動式住居「ゲル」に住み、肉や乳製品を主食とし、発酵馬乳「クミス」も愛飲。黄金細工や動物モチーフの装飾で知られ、ギリシャ文明にも影響を与えました。墳墓や言語、宗教には謎が多く、現代にも彼らの遺伝子や文化の影響が残っています。自由を愛した彼らの生き方は、今も魅力的です。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:49 第一章:スキタイ人ってどんな人たち?
04:37 第二章:スキタイ人のライフスタイル
07:27 第三章:歴史へのインパクト
09:43 第四章:スキタイ人の謎
12:43 まとめ


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人類の進化史 - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfnwt5i2s7CVwx1tCltQ1yl5

ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
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ヨーロッパ人と東アジア人は同祖から分岐した~ゲノム研究で明らかになったアフリカ人、東西ユーラシア人の分岐と人種の成立過程/アフリカ単一起源説~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2023/02/18
https://www.youtube.com/watch?v=pzLQVY-xOmQ&list=PLCFG6UvfbQfnwt5i2s7CVwx1tCltQ1yl5&index=6

古代の化石に残るDNAを解析する技術の進展により、化石の形態では分からなかったホモ・サピエンスの進化の過程が明らかになってきました。
アウストラロピテクス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・アンテセソール(ホモ・アンテセッサー)、ネアンデルタール人、デニソワ人などの絶滅人類とホモ・サピエンスとの関係についても従来の説が次々と塗り替えられています。
今回はホモ・サピエンスの進化と人種の形成過程について最新の研究を交え解説していきます。

人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
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交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史
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ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
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ヨーロッパ人の混血の歴史~1万年前までは褐色の肌、黒い髪の組み合わせだったヨーロッパ人が何故今日、明るい肌、青い目、金髪なのか。ゲノム解析によって明らかになったヨーロッパ人の形成過程~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2020/08/05
https://www.youtube.com/watch?v=NoKazM7GGos&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=1

今日、人類史研究は飛躍的進歩を遂げつつあります。その起爆剤となっているのが人類史上最大級のイノベーション「ゲノム革命」。
最近のDNA解析によれば、ネアンデルタール人の住んでいたヨーロッパに進出したホモサピエンスは褐色の肌、黒い髪、黒い目の組み合わせであり、今日、ヨーロッパ起源の人たちに多く見られる、明るい肌、金髪や茶色の髪、青やグリーンなどの明るい目の組み合わせは、8000年前頃に現れ、7000年程前からヨーロッパに広がり始めたことがわかってきました。
この動画では、古代人のDNA研究によって明らかになってきた、ヨーロッパ人の起源と形成過程について解説しています。

参考書籍
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アメリカ先住民の起源~古代DNA解析で明らかになったヨーロッパ人とアメリカ先住民の共通祖先「古代北ユーラシア人」の存在~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2020/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=9aHbzWnonvc&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=2

1996年、アメリカ、ワシントン州のケネウィック市で発見された9千年前頃の古代人の人骨は、ケネウィック人と名づけられ、復元された姿がヨーロッパ人に似ていたことから、アメリカ先住民(ネイティブアメリカン、インディアン、エスキモー、イヌイット)の起源について、激しい論争が巻き起こりました。
発見当初の研究結果では、ケネウィック人はヨーロッパ人に属するとされ、1970年代から提唱されていた、ソリュートレ仮説への関心も高まりました。
別の研究結果では、アイヌ人に関連した系統であるとする説も提唱され、ケネウィック人がどの人類集団に属するのか、10年以上にわたり、激しい論争が続きました。
近年、古代人のDNA分析と研究が、飛躍的に進んだことで、ホモサピエンスがネアンデルタール人と交雑した事や、古代北ユーラシア系統と、寒冷地適応前の東アジア系統の人類集団が、アメリカ先住民の形成に大きな役割を果たした事が明らかになってきました。
この動画では、最終氷期最盛期のベーリンジアでの出来事や、アメリカ先住民(ネイティブアメリカン、インディアン、エスキモー、イヌイット)の起源(ルーツ)についての研究結果を紹介しています。



【覆った定説】インド・ヨーロッパ祖語の起源「インド・アナトリア説」について/なぜ世界最大の言語グループに発展したのか/インド・ヨーロッパ語族の起源/アーリア人とインド・ヨーロッパ語族の関係
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2023/05/05
https://www.youtube.com/watch?v=Tp6KEzMNcJ8&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=3

英語をはじめとするインド・ヨーロッパ語族は32億人以上の母語話者を擁する世界最大の言語グループです。
その起源はポントス・カスピ海草原の牧畜民が話していた言語、インド・ヨーロッパ祖語に由来するとされ、ヒッタイト帝国のヒッタイト語や古代インドのサンスクリット語、古代イランのアヴェスター語もインド・ヨーロッパ語族に属します。
インド・ヨーロッパ語族の拡散には、インド・ヨーロッパ祖語を話す牧畜民が住んでいた場所と、馬の家畜化や車輪と荷車の発明が深く関わっていました。
今回は、古代DNAの解析から明らかになってきたインド・ヨーロッパ語族の起源やインド・アーリア語派の起源に関する新説「インド・ヒッタイト(アナトリア)仮説」、インダス文明とドラヴィダ語族の関係などを紹介しています。

参考書籍

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古代北ユーラシア人
Last Modified: 2024-10-18
https://ja.namu.wiki/w/%EA%B3%A0%EB%8C%80%20%EB%B6%81%EC%9C%A0%EB%9D%BC%EC%8B%9C%EC%95%84%EC%9D%B8


1. 概要
考古学でフライストセの最後の時期に属する紀元前24,000~15,000年の間に存在していた「マルタ・ビュレット文化(Mal'ta-Buret」culture」と密接に関連した人々の子孫を表す用語である。


2. 数多くの人種の先祖

古代北ユーラシア人のおおよその移行経路を示す地図。

古代北ユーラシア人は、発原地と推測される中部シベリア地域、正確にはアルタイ・バイカル地域を基準に東西に広範囲に移動し、ヨーロッパ人、インドアリア人、中央アジア人、シベリア先住民、アメリカ先住民などの形成に寄与した。 そのため、今日現存する人類の半分以上がこれらから起源した誘電体を全体誘電体の約4~50%程度に保有している。

人類分散経路文書でも取り上げたが、これらは集団遺伝学的にも深い意義があるが、男性の場合、Y-DNAハーフグループであるハーフグループQとハーフグループRなどが密接に関連しており、それらの起源時期と一致する面を浮かべて、おそらく上の2つのハーフグループは初期の古代北ユーラシア人形成とほぼ同時に誕生したようだ。

このハーフグループQは今日、アメリカ先住民と一部シベリア先住民の主流父系ハーフグループであり、ハーフグループRは現代ヨーロッパ人の主流が保有している。

ハプログループRの場合、インドヨーロッパ語族の分散と非常に密接な相関性を示すが、古代北ユーラシア人の言語がすぐに初期インドヨーロッパ語族に密接な関与をしたと推定される。

原始インドヨーロッパ語族(Proto-Indo-European)の起源地を北ユーラシアと推定する研究があるが、代表的にクルガン仮説がその例だ。

この仮説は、初期のインドヨーロッパ語族が今日のウクライナと南部ロシア地域で起源しており、紀元前4千年頃から紀元前3千年頃の間にインドヨーロッパ語族を話者がユーラシア全域に広がったと主張し、実際に古代北ユーラシアンが立っているシベリアを通じて東欧大草原でアムナヤ文化を形成した時と一致する。

代表的な古代北ユーラシア人関連標本で最後氷河期時点バイカル湖付近で発見された「MA-1」または「マルタ少年(Mal'ta boy)」、そしてロシア クラスノヤルスクのイェニセイ川近くで出土した旧石器時代遺跡「アフォントバ・ゴラ」がある。

2.1. アメリカ先住民
今日、現存するアメリカ大陸の先住民たちは、遺伝的にベリング海峡が形成される以前に存在していたベリング陸橋の先住民古代ベリンギア人の後世たちで、すべてのアメリカ先住民の先祖だった彼らは今から約26,500~19,000年前の間に迫った最も過酷な氷河期を避け、それでも暖かい環境のベリンギア南端に移住した古代北ユーラシア人と似た時期に同じ場所に移住した古代東アジア人が混血されて形成されたものと見られる。

また、アメリカ地域ごとにANE比率がそれぞれ異なるが、アラスカに居住するイヌイットを含む極地先住民たちはANE遺伝子がアメリカ大陸内で一番低い割合で検出され、アメリカ大陸に一番先に移住した南アメリカ アンデス山脈の先住民は、なんと42%に達するANE遺伝子を保有したことが明らかになった。

2.2. シベリア先住民
2016年に発表された研究結果によると、マルタ・ビュレット文化圏の人々は、北アメリカのナバホおよびトリンギットに関連したものとして強く有力視されるイェニセイア族のケト族、ウラル系民族に属する北極圏の万時人とグンガナサン人、シベリア北東部の孤立した地域に居住するコシベリア系統のユカギルと遺伝的に最も近い親縁性を持っていることが明らかになった。

さらに、2020年には、チュクチカムチャカ語族のチュクチインとコリャックイン、ハカシヤ共和国のチュルク系民族ハカスイン、ナムサモエド系統のセルクフであることが生物学的に彼らと近い親戚関係であることが確認された。

2.3. インドヨーロッパ
代表的な西ユーラシア系統の一つとして、原始インドヨーロッパ人からなるヤムナヤ文化とアパナシエボ文化圏地域で発見された遺骨から約25%のANE遺伝要素が検出され、現代ヨーロッパ人にとってはやや希釈されたが10~ 20 %程度検出されるという。 現代のヨーロッパ人にANEの影響は、概して地中海一帯の南ヨーロッパ人には10%以下と低く出るが、スカンジナビア半島の北欧人には最大25%まで出てくるという。

その要素の一つとして、多くのインドヨーロッパ系民族の間では明るい系列の髪の色がしばしば現れます。 クラスノヤルスク近郊のフライストセとホロセの間の旧石器遺跡のアポントバゴラ発掘地で出土した3番少女遺骨、別名AG3で発生したと推定される。 炭素連帯測定の結果、彼女は16,000年前の人類史上最も古いブロンド遺伝子を保有したホモ・サピエンスで、彼女の母親が現存するヨーロッパのブロンド保有者の最も最近の共通祖先と推定されるという。 彼女と同じ形質を持っていた古代北ユーラシア人の末裔である東ヨーロッパステップの牧畜民が徐進すると同時に、その形質が伝播されたという。

これを証明するようにゲルマン族が南下する以前の古代ローマとヘレニズム帝国にも金髪が存在し、さらにシリアにも存在したという。 実際、これは当然のことが今から5,000年前に存在していた古代北ユーラシア人の子孫である原始インドヨーロッパであるこの西に大規模拡散し、金髪遺伝子も一緒にヨーロッパ全域だけでなく西アジアまで拡散されたためだ。 したがって、現アフガニスタン、パキスタンの山岳地帯には、原始インドヨーロッパ人の末裔であるヌリスタン人、カラシインが現在も残っており、これらはヨーロッパ人との接触がなかったにもかかわらず金髪の形質を保有している。 リンク[2]

西ヨーロッパに広がっていない他の生のインドヨーロッパ人たちは近くの全部文化(Battle-Axe Culture)[3] 人々と融合して、ゲルマン族とバルト - スラブ族の一部[4]そして、ペルシャ人やクルド人などのインドという語派系民族、そしてインドの先住民だったドラビダインを征服して奴隷にして高位カストに君臨したインドアリア人の先祖集団になったとされる。

2.4. 中央アジア人
2010年、中国のジリン大学の研究結果を通じて、腎臓ウイグル自治区で発掘されたミイラたち、言い換えればタリム盆地の先住民は原始インドヨーロッパ人から早く分離され、中央アジアを通じて移住したインドヨーロッパ系民族の一派とされた。

しかし、2021年ソウル大学生命科学部チョン・チュンウォン教授研究チームと中国 ジリン大学、ドイツ マックスプランク研究所など国際共同研究チームは、ソハリ墓域で発掘された5区のミイラの遺伝子研究を通じて、ソハ姫とその一族が歴史時代に中央アジアから移住してきたのではなく、それよりはるかに古い先住民の子孫であることを明らかにした。 つまり、タリム盆地のミイラたちも中央アジア遊牧民ではなく北方タイが地帯に居住していた狩猟民の子孫だということだ。



3. 宗教と神話
今日、古代北ユーラシア人の宗教官は明確に残っていないが、比較神化学を通じて彼らが伸びてきたヨーロッパとシベリア、アメリカ大陸の様々な神話の中に登場する犬だけは、その役割で互いに類似性を示すが、これは次の通りである。

最初に犬たちは様々な神話の中で来世を守る派遣犬の役割として登場し、代表的な例としてギリシャ神話のケルベロスと北欧神話の粉はそれぞれ冥界の入り口を守る役割であり、ラテンアメリカ先住民神話の中に登場する犬は死後世界に通じると思われる天の川に位置する猛烈な警備犬で、この時天の川を渡る魂たちは犬を避け無事に道を過ぎることが一種の試験だったと伝えられる。 また、祝福とトングースの信仰で犬は亡者の魂を吸収した後、低勝でアシスタントの役割を果たす犬の形の精霊とされたという。

第二に、犬は世界中の様々な神話と儀式の中で死ではなく癒しの象徴とされているように見えます。あり、カザフスタン北部のボタイ文化[6]遺跡で発見された宗教的パターンは、犬が当時の病気の吸収者であり、病気や悪から家族を守る一種の霊物であると考えられていると推定されています。


4. 関連文書
[1] 略称ではANE 。 通常公式的には前者を多く使うが、たまに後者を使う場合もある。 イニシャルはすべてANE。
[2] Reich, David (2018). Who We are and How We Got Here: Ancient DNA and the New Science of the Human Past. Oxford University Press. ISBN 978-0198821250.
[3] 学界ではヨーロッパのノット柄土器文化(Corded-Ware Culture)という名称がより多く使われており、石材や青銅で作った斧の刃と子の縞を粘土に撮って文様を出した特有の陶磁器を主要遺物として残してバルト海沿岸一帯とロシア平原までヤムナヤは文化と旧型アンフォラ文化(Globular Amphora Culture)圏の人々とほぼ重なり合ったり、隣り合う領域に住んでいた人々だ。 ヤムナヤ文化の男性全員がハーフグループR1b(M343)が現れるのと対照的に、これらは大半がハーフグループR1a(M198)からなる集団であり、R1aが主流をなす中央アジアのアンドロノヴォ文化や初期のインドを征服したアリア人の先祖集団と推定されている。
[4] ゲルマン族、北スラブ族、バルト族、そしてフィンランド人から有毒金色に近い金髪が現れる。 フィンランド人がスウェーデン人よりインドヨーロッパの血統がはるかに少ないにもかかわらず、ブロンドの髪の割合がより高く出てくる理由でもある。
[5] 40~50代に死亡したと推測される父系ハーフグループK2b保有男性で、母系ハーフグループB*でアメリカ先住民と旧石器シベリア人、そして数多くの北東アジアと東南アジア人、さらにポリネシア人の母系祖先格人集団に属した。 これを証明するように、ブラジル アマゾナスの先住民であるスルイおよびカリチアナの部族と数多くの対立遺伝子を共有するという。 ただし、Tianyuan Manが保有するハーフグループは現代人類には存在しない。
[6] 一般人がよく知る小さな大きさを誇るモンゴルの祖先を人類史上初めて家畜化させたことが確認され、有名だ。

https://ja.namu.wiki/w/%EA%B3%A0%EB%8C%80%20%EB%B6%81%EC%9C%A0%EB%9D%BC%EC%8B%9C%EC%95%84%EC%9D%B8

2 名前:777

2025/02/19 (Wed) 00:32:34

ヨーロッパ人とアメリカ先住民にはなぜ共通祖先がいるのか?DNAが示す2万年前の共通のルーツとは?文化も似てる!?
History hub 2025/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=qL44mFPiEIU

▼チャプター
00:00 イントロ
00:33 第一章:DNAが語る共通のルーツ
02:11 第二章:古代北ユーラシア人って何者?
05:53 第三章:どうしてこんなに離れてるの?
10:04 第四章:DNAの地図が描く人類の旅
13:46 第五章:文化・神話・言語にも痕跡が?
15:26 まとめ




【最新DNA研究】東アジア人に近縁だった古代ヨーロッパ人/古代DNA研究で明らかになる金髪と青い目の起源/ストーンヘンジと農耕民/覆ったアイスマンの姿/ヤムナヤ文化集団(西部ステップ牧畜民)の到来
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2024/11/19
https://www.youtube.com/watch?v=XtoIbXeAdSY

古代ゲノム解析研究が進んでいるヨーロッパでは次々と驚きの研究成果が報告されています。
現生人類は遅くとも4万5千年前にヨーロッパに進出していましたが、その外観や遺伝的特徴は現代ヨーロッパ人とは大きく異なっており、現代ヨーロッパ人に遺伝的な影響を殆ど残さずに絶滅した先住集団がいたこともわかってきました。

では金髪・青い目・明るい肌をした現代ヨーロッパ人はいつどこから現れたのか。

東アジア人に近縁な狩猟採集民、初期の西ユーラシア系の狩猟採集民、西ヨーロッパ狩猟採集民、初期ヨーロッパ農耕民、ヤムナヤ文化に関連する牧畜民がどのように現代ヨーロッパ人と繋がっているのか。
今回は、最新の研究成果から明らかになったヨーロッパの初期現生人類と現代ヨーロッパ人の起源について解説していきます。



ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F

白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

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00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ


古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ


アーリア人はどこからやって来たのか?DNAは残っているのか?ナチス・ドイツによる悪用とは?
History hub 2025/03/08
https://www.youtube.com/watch?v=jfh--HTH3dc

この動画では、「アーリア人の起源」を歴史・考古学・遺伝学の視点から解説します。アーリア人はインド・イラン語派を話す民族であり、約4000年前に中央アジアの**ステップ地帯(ヤムナ文化)**から移動し、インドやイランに定住しました。19世紀ヨーロッパでは「アーリア人=文明の担い手」とする誤解が広がり、ナチスが「金髪碧眼のスーパーレース」という虚構を利用しました。しかし、最新のDNA研究により、アーリア人は遊牧民の一派であり、現代のインド北部やイランに遺伝子的影響を残したことが判明しています。ヨーロッパにもステップ地帯のDNAは含まれますが、アーリア人=ヨーロッパ系ではないことが科学的に証明されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:アーリア人って誰のこと?
02:38 第二章:どこから来たのか?
07:15 第三章:なぜ誤解が広まったのか?
10:50 第四章:アーリア人の遺伝子は残っているのか?
14:36 まとめ



ラテン人、ゲルマン人、スラブ人の違いとは?ヨーロッパ三大民族!言語、文化、宗教の違いとは?
History hub 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=R_7mbQcSAus

この動画では、ヨーロッパの主要民族であるラテン系、ゲルマン系、スラブ系の違いを解説します。ラテン人は古代ローマを起源とし、陽気で情熱的、芸術や恋愛を大切にする文化が特徴。ゲルマン人は北ヨーロッパにルーツを持ち、秩序と規律を重んじ、戦士気質と堅実な精神を持つ。一方、スラブ人は広大な東欧を中心に広がり、粘り強く、魂や共同体を大切にする文化が根付いています。それぞれの民族が築いてきた歴史や文化の特徴をわかりやすく紹介。視聴者に「自分はどの文化に共感できる?」と問いかけ、民族の違いを楽しく学べる構成となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:まずはざっくり分けてみよう
01:59 第二章:ラテン系とは?
05:42 第三章:ゲルマン系ってどんな人たち?
09:17 第四章:スラヴ系とは?
13:41 第五章:それぞれの違いと共通点
15:27 まとめ


ゲルマン民族の起源と文化:ヨーロッパの歴史を変えた部族たち
History hub 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=UbMKv5jFp9Q&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=4

今回は「ヨーロッパの歴史を変えたゲルマン民族:起源、文化、そして現代への影響」というテーマで、ゲルマン民族の起源や歴史、文化、そして現代への影響について詳しく解説します。ローマ帝国を滅亡させたゴート族や後のフランスを作ったフランク族、現在のイギリスに渡ったアングロサクソン族、アフリカに渡ったヴァンダル族など様々な部族に触れていきます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:39 ゲルマン民族の起源と歴史
03:45 ゲルマン部族の紹介
03:58 西ゴート族
04:35 東ゴート族
05:08 フランク族
05:44 アングロ・サクソン族
06:14 ヴァンダル族
07:07 ゲルマン民族の文化と社会
07:26 政治制度と法
08:19 宗教と神話
09:00 日常生活と風習
09:45 結婚と家庭
10:06 祭りと儀式
10:26 まとめ


ゲルマン人とスラヴ人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!言語、文化、遺伝子の違いとは?
History hub 2025/01/25
https://www.youtube.com/watch?v=pbEXeHI_hQs

この動画では、ヨーロッパ史におけるゲルマン人とスラヴ人の違いをわかりやすく解説しています。ゲルマン人は北ヨーロッパを起源とし、ローマ帝国崩壊に関与した戦士文化と秩序重視の性格が特徴。一方、スラヴ人は東ヨーロッパから農耕文化を広げ、感情豊かで情熱的な性格を持つ民族です。遺伝学的には、ゲルマン系に多い「R1b」や「I1」、スラヴ系に多い「R1a」といったハプログループが祖先の移動や混血の歴史を示しています。現代では、ゲルマン系は技術革新や効率性、スラヴ系は芸術や精神性で世界に影響を与えています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもゲルマン人とスラブ人って何者?
03:33 第二章:どうやって広がった?
09:50 第三章:言語の違い
11:56 第五章:遺伝的な違い
14:53 まとめ


なぜヴァイキングはスラブ人を奴隷にしたのか?恐怖の人●売買ネットワークとは?アフリカまで送られていた!?
History hub 2025/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=zYPfNNYP2T0

この動画では、バイキングによるスラヴ人の奴隷化について解説しています。ヴァイキングたちは8~11世紀に、スラヴ人を略奪し奴隷として捕らえ、イスラム世界やビザンツ帝国へ輸出しました。奴隷は農業や建設、家庭内労働、さらには軍事目的で使用され、当時の経済を支える重要な存在でした。一方、スラヴ人社会はこの困難を乗り越え、後の強力な国家形成へと繋がりました。また、ヴァイキングの奴隷貿易は後の大西洋奴隷貿易の基盤となり、歴史に大きな影響を与えました。このテーマは、歴史を通じて倫理や人権について考えるきっかけを与えてくれます。

00:00 イントロ
00:34 第一章:ヴァイキングの奴隷貿易
02:30 第二章:なぜスラヴ人がターゲットに?
05:10 第三章:奴隷としてのスラヴ人の運命
08:43 第四章:ヴァイキングの視点
11:37 第五章:歴史的な影響
14:27 まとめ


ケルト人はどこからやって来たのか?そして、どこへ消えたのか?現代に残るDNAとは?
History hub 2025/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=pFfydcacSx4

ケルト人は、特定の民族ではなく、ヨーロッパ全土に広がった文化・言語グループであり、中央ヨーロッパのハルシュタット文化から発展した。彼らは戦士として勇敢でありながら、金属加工や交易にも長け、ドルイドと呼ばれる知識人が社会を支えていた。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国の侵攻を受け、ガリアなどでは支配される。一方、アイルランドやスコットランドではケルト文化が存続。中世以降もゲルマン人やノルマン人の侵攻を受けたが、ケルトの言語や音楽、神話は現代に残り、アイルランドの伝統やファンタジー文化に影響を与えている。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:38 第一章:ケルト人ってそもそも誰?
03:10 第二章:ケルト人の起源はどこ?
05:27 第三章:ケルト人はどんな暮らしをしていた?
07:58 第四章:ケルト人はどこへ消えた?
11:10 第五章:現代に残るケルト人のDNA
13:34 まとめ



ケルト人とゲルマン人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!あなたはどっち派?
History hub 2024/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=doQp6FbN7O4&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=1&t=69s

この動画では、ケルト人とゲルマン人の違いや共通点について解説しています。ケルト人はアイルランドやフランスなどに広がり、自然崇拝や芸術を重視していたのに対し、ゲルマン人はドイツや北欧に住み、実用性や戦士文化を重んじていました。宗教面では、ケルトはドルイド教、ゲルマンは北欧神話を信仰し、戦士としての誇りが共通していました。また、両民族ともに部族社会を形成し、ローマ帝国と激しく対立しましたが、自然との共生や戦士の価値観が共通していた点も強調されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:31 第一章:ケルト人とは?
02:26 第二章:ゲルマン人とは?
04:43 第三章:ケルト人とゲルマン人の違いはどこにある?
09:09 第四章:両民族の共通点は?
12:43 まとめ

ヴァンダル族 : 破壊者と呼ばれたゲルマン民族!アフリカへの進出、ローマへの侵攻、なぜ滅亡したのか?【歴史解説】
History hub 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=y2_E1v9gasU&t=0s

この動画では、古代ゲルマン部族「ヴァンダル族」の歴史を解説します。彼らはローマ帝国末期にローマを略奪し、「ヴァンダリズム=破壊行為」の語源となりましたが、実際には無秩序な破壊者ではなく、宗教施設などは慎重に扱ったとされています。ヴァンダル族はローマ略奪後、北アフリカに王国を築き、地中海で一時的に強力な勢力を誇りました。しかし、ビザンチン帝国により滅ぼされ、その後歴史の表舞台から消えました。ヴァンダリズムの誤解と彼らの真実に迫ります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ヴァンダル族って誰?
01:43 第二章:北アフリカのヴァンダル王国
05:51 第三章:ローマへの一撃
07:56 第四章:ヴァンダリズムの誤解
10:29 第五章:ヴァンダル族の結末とその後の影響
12:00 まとめ

なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章:現代への影響
11:46 まとめ

東欧はなぜ美女が多いのか?スラブ系、ゲルマン系、アジア系民族などの遺伝子的背景や歴史と文化、そして地理的影響を探る【歴史解説】
History hub 2024/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=8Vbui05yCog&t=0s

この動画では「東欧はなぜ美女が多いのか?」を歴史的背景や文化、生活習慣を交えて解説しています。東欧は西ヨーロッパとアジアの中間に位置し、多くの異なる文化や民族が交差する場所です。この地域の多様な民族が混ざり合い、美的特徴が豊かになりました。また、東欧の歴史では戦争や移民が多く、異なる遺伝子が交わった結果、多様な美が生まれました。さらに、伝統的な民族衣装や自然素材を使った美容法、フィットネス文化が美しさを育んでいます。現代でも、東欧の女性たちはソーシャルメディアやミスコンテストで美しさを発信し続けています。美の秘訣は、歴史、文化、日常の努力が絶妙に融合している点にあります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 美の基準と文化的背景
01:08 第一章 : 東欧の地理と民族の多様性
03:10 歴史的背景
03:31 戦争と制服
04:20 移住と交易
05:08 民族の融合
06:01 美容と健康の文化
06:20 伝統的な美容法
07:44 精神的な健康
08:32 遺伝子の多様性
08:47 歴史的な混血
09:30 遺伝子の多様性と健康
09:57 現代の遺伝子研究
10:33 独自の意見
11:49 まとめ

3 名前:777

2025/02/20 (Thu) 09:09:43

1万5000年前のトルコ ギョベクリ・テペ遺跡 _ 原始人のような人達が巨石で神殿をつくっていた 
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16891810


北米最古級の村が発見され歴史が変わります!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16892228


ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ




古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ



アメリカ先住民の起源~古代DNA解析で明らかになったヨーロッパ人とアメリカ先住民の共通祖先「古代北ユーラシア人」の存在~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2020/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=9aHbzWnonvc&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=2

人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html

アメリカ先住民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833139
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html

マヤ文明滅亡の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/670.html

メキシコの初期植民地時代の奴隷の起源と生活史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/979.html

アマゾン盆地に点在する「小さな森」が1万年以上昔に農業が行われていた痕跡だと判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/973.html

先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸住民との接触
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/999.html

4 名前:777

2025/05/05 (Mon) 16:37:51

【ゆっくり解説】考古言語学で迫る!インド・ヨーロッパ語族の誕生と拡散 〜ウクライナから世界へ〜
楊堅のゆっくり言語学 2025/04/28
https://www.youtube.com/watch?v=n_loJiTXu5c&list=PLhfWmo1U88Hwo1VvYujkmrgu6X8VGpu2m&index=1

【目次/チャプター】
00:00 導入
00:41 インド・ヨーロッパ語族について
03:41 クルガン仮説について
07:24 アナトリア語派
08:24 トカラ語派
09:16 インド・イラン語派
13:31 イタリック語派
14:04 ケルト語派
14:39 ゲルマン語派
14:16 バルト・スラヴ語派
17:16 ヘレニック語派
17:56 アルメニア語派
18:53 アルバニア語派
20:46 締め

5 名前:777

2025/05/25 (Sun) 02:22:12

ヨーロッパ人とアメリカ先住民にはなぜ共通祖先がいるのか?DNAが示す2万年前の共通のルーツとは?文化も似てる!?
History hub 2025/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=qL44mFPiEIU

▼チャプター
00:00 イントロ
00:33 第一章:DNAが語る共通のルーツ
02:11 第二章:古代北ユーラシア人って何者?
05:53 第三章:どうしてこんなに離れてるの?
10:04 第四章:DNAの地図が描く人類の旅
13:46 第五章:文化・神話・言語にも痕跡が?
15:26 まとめ

6 名前:777

2025/05/25 (Sun) 03:18:51

アメリカ先住民にはなぜ血液型O型が多いのか?約95%ほぼ全員がO型?A型B型はいるのか?
History hub 2025/05/23
https://www.youtube.com/watch?v=FX-QsCRF7K0

▼チャプター
00:00 オープニング
00:33 第一章:血液型の分布
02:33 第二章:創始者効果とすごい偶然
06:02 第三章:古代DNAが語る真実
08:54 第四章:実は複数回あったアメリカ大陸への移動
12:53 まとめ

7 名前:777

2025/06/17 (Tue) 01:29:21

【衝撃】白人はいなかった!?古代ヨーロッパ人の真実
2025年6月16日
https://www.youtube.com/watch?v=ai1wx14iw30

最新研究によって、また歴史が変わりそうです。白人の歴史は長いと思われてきましたが、実はそんなことはなく、3000年前にはまだいなかった可能性が出てきました。つまり黒人ばかりだったということ。今回は肌の色の謎に迫ります!

■チャプター■
0:01 オープニング・テーマ紹介
1:08 古代ヨーロッパ人の見た目に関する新発見
2:15 濃い肌の理由と進化の背景
3:20 肌の色の変化とビタミンDの関係
5:30 目の色の進化と仮説
7:39 研究手法と科学的信頼性
8:44 今後の研究と人類の多様性の解明
10:55 エンディング・進化のロマンと未来への視点

8 名前:777

2025/06/21 (Sat) 08:34:52

ヨーロッパ人の肌はなぜ白くなったのか?先住民は黒かった?白い肌はどこから?アジア人との違いとは?
History hub 2025/06/20
https://www.youtube.com/watch?v=UIIGw4iG5lo

この動画では、ヨーロッパ人の肌がなぜ白くなったのかを、歴史・進化・環境の視点からわかりやすく解説しています。1万年前のヨーロッパ人は実は肌が黒かったこと、そこに中東から明るい肌の農耕民が移住し、混血と食生活の変化により白い肌が広がったことを紹介。さらに、ステップ地帯からの遊牧民が肌や髪、目の色の多様性を押し広げ、現代のヨーロッパ人の姿が形作られた過程を描きます。また、東アジア人の肌の進化は別ルートで進んだことも取り上げ、肌の色は環境適応の結果であり、優劣ではないという視点で締めくくられます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章:ヨーロッパの祖先は白くなかった?
03:20 第二章:白くなった理由その1 中東からの農耕民
07:13 第三章:白くなった理由その2 ステップ遊牧民
11:47 第四章:アジア人の白い肌とどう違うの?
15:45 第五章:肌の色に優劣はない

9 名前:777

2025/12/06 (Sat) 06:28:40

【国際社会】ナチスによる人種差別の根拠「アーリヤ人」とは何か! 本来は民族ではなく言語上の区分でした
世界史解体新書 2025/12/05
https://www.youtube.com/watch?v=FNV5Dqyt-2w&t=832s

  • 名前: E-mail(省略可):
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完新世における人類の拡散 _ 農耕と言語はどのように拡大したのか
1 名前:777

2023/03/12 (Sun) 07:37:32

雑記帳
2023年03月12日
古代ゲノム研究に基づく完新世における人類の拡散
https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_12.html

 古代ゲノム研究に基づく完新世における人類の拡散に関する概説(Stoneking et al., 2023)が公表されました。本論文は、『米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America、略してPNAS)』120巻4号の過去12000年間(ほぼ完新世に相当します)の人類の進化に関する特集(関連記事)に掲載されました。本論文は、完新世における人類拡散の歴史を把握するのにたいへん有益だと思います。以下、敬称は省略します。



◎要約

 20年近く前、ジャレド・ダイアモンド(Jared Mason Diamond)とピーター・ベルウッド(Peter Bellwood)は、農耕民の人口拡大による農耕と大語族の関連する拡大についての証拠を再検討しました。それ以来、現代および古代の人口集団からのゲノムデータの取得と分析における進歩は、完新世におけるヒト拡散の知識を一変させました。本論文は、ゲノムの証拠に照らして完新世の拡散の概観を提供し、それが複雑な歴史だった、と結論づけます。人々の人口拡大と農耕の普及と特定の語族の普及の間のつながりが論証される場合でさえ、拡大集団と居住集団との間の接触結果はひじょうに多様です。この差異と複雑な歴史に影響を及ぼした要因と社会的環境の特定には、さらなる研究が必要です。



◎前書き

 植物の栽培化と動物の家畜化はヒトの進化における重要な発展で、それは、前例のない水準での人口増加と拡大や、感染症の負担を大きく増加させたからです。さまざまな動植物がいくつかの場所で個別に家畜化・栽培化され、それは完新世の開始となる11000~9000年前頃にはじまりました。狩猟採集から農耕への生活様式の移行は新石器時代として知られており、考古学的調査は農耕の起源と拡大を記録してきました。同様に、言語学者はこうだいな地理的領域にわたって拡大した語族を記録してきており、たとえば、バントゥー諸語【これまで当ブログでは「バンツー語族」と表記してきましたが、ピーター・ベルウッド『農耕起源の人類史』(京都大学学術出版会、2008年、原書の刊行は2005年)など日本語の専門書に倣って、今後は「バントゥー諸語」と表記します】やオーストロネシア語族やインド・ヨーロッパ(IE)語族です。これらの考古学的および言語学的調査は、これら大語族の拡大は農耕の拡大により促進された、との提案につながりました。

 重要な問題は、農耕と言語がどのように拡大したのか、ということです。それは自身の生活と言語をもたらした農耕民の移住によるものだったか(つまり、人口拡散)、あるいは近隣の農耕民から農耕と言語を採用した在来の狩猟採集民集団経由(つまり、文化拡散)でしたか?その答えが人口拡散の場合、在来の狩猟採集民集団の運命はどうなりましたか?在来の狩猟採集民集団は完全に置換されたのか、あるいは、少なくとも部分的には拡大する農耕民集団に同化したのでしょうか?考古学と骨格形態学と言語学に基づくさまざまな主張がこの問題に取り組んできましたが、最終的には、これは遺伝学の問題です。

 元々の農耕集団の故地を特定でき、これらの人々が拡大した領域の集団とは遺伝的に異なっていた、と仮定すると、次に遺伝学的調査が、現代人集団が農耕民に由来する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)と先住民(農耕前)の祖先系統をどの程度有しているのか、明らかにできます。本論文では、「祖先系統」という用語が、人口集団への遺伝的寄与を一般的に指すために用いられ、「祖先系統」という用語に関する議論と誤用の問題は先行研究(関連記事1および関連記事2)で検討されています。ヨーロッパ全域における農耕とIE語族の拡大における文化拡大対人口拡大の役割に関する、カヴァッリ=スフォルツァ(Luigi Luca Cavalli-Sforza)とその同僚の独創性に富んだ研究に始まり、遺伝学的調査は、農耕および/もしくは語族の拡大についての同じ問題への取り組みに用いられてきました。

 しかし、遺伝学的調査には複雑さが伴いまするダイアモンドとベルウッドによってより詳細に議論されたように、これらは拡大する農耕民と狩猟採集民との間の連続変異的な混合を含んでおり、拡大の周辺に向かって農耕民の遺伝的寄与の減少をもたらします。一部の狩猟採集民集団は、文化的拡散により農耕を採用しました。農耕民が狩猟および採集に戻ることもあり、たとえば、農耕民が持ち込んだ家畜や栽培植物に適さない地域に入った場合です。拡大する人口集団からの遺伝子の取り込みが殆どないか全くなしの、居住集団による言語変化もあります。拡大後に、故地において農耕民により話されていた元々の言語の置換もあり、遺伝子と言語との間の不一致につながります。狩猟採集民の拡大もありました。追加の複雑化要因は、植民、および在来集団への関連する遺伝学と人口統計学と領域の影響です。そうした複雑さを考慮に入れられないと、農耕および/もしくは言語の拡大において、人口拡散と文化拡散の過程の役割に関して誤った結論につながります。

 本論文は、世界のさまざまな地理的地域の完新世におけるヒトの拡散についてゲノムの証拠を調べ、農耕と関連する提案された拡大に焦点を当てます。ダイアモンドとベルウッドの調査以降の20年近くのゲノム規模データの取得と分析の発展、とくに古代DNA解析の進歩は、そうした拡散と上述のさまざまな複雑化要因への新たな洞察を提供しつつあります。この展望の空間的制約を考えると、全ての拡散もしくは関連する文献を含められません。代わりに、本論文が主張したい点について最も重要な/興味深い拡散事象と考えられるものに焦点が当てられます。これらの拡散の地図は補足データで提供されますが、地図上の矢印は一般的に、データが実際に裏づけるよりも、拡大の経路について遥かに確実だと示唆していることに要注意です。



◎アフリカ

 化石と遺伝学と考古学の証拠は全て、現生人類(Homo sapiens)のアフリカ起源を強く支持します。ひじょうに深い人口集団の関係を、依然として現在のアフリカの狩猟採集民で見ることができますが、食料生産集団の拡大を反映する、広範な地域にわたる高水準の遺伝的均質性もあります(関連記事)。アジア南西部(中東)からの家畜化された動物は、まずアフリカ北部へと8000年前頃に広がり、じょじょに南進し、アフリカ東部に5000年前頃、アフリカ南部には2000年前頃に拡散しました(関連記事)。アフリカ西部とスーダン東部とエチオピア高地では、4000年前頃に始まる作物栽培のいくつかの中心地があったようです。以下は、完新世のアフリカにおける人類の拡散を示した補足図1です。
画像



●アフリカ北部および東部への牧畜/農耕の拡大

 アフリカ北部および東部における食料生産の拡大と関連する人口統計学的変化の可能性は、これらの地域から得られた古代DNAの利用可能性により大きく明らかになりました。サハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統に加えて、15000年前頃までに、アフリカ北部の人々は近東祖先系統も有しており、アフリカへの逆遺伝子流動は牧畜もしくは農耕の導入に先行する、と示唆されます(関連記事)。新石器時代の前の祖先系統は前期新石器時代集団(7000年前頃)において継続していますが、後期新石器時代のアフリカ北部の人々(5000年前頃)は、イベリア半島から追加の遺伝子流動を受け取りました(関連記事)。したがって、新石器時代への移行は文化拡散と人口拡散の両方を含んでいたようですが、この広大な地域からのさらなる古代ゲノムが必要です。

 アフリカ東部では、得られた最初の古代ゲノム(4500年前頃)はユーラシア祖先系統の痕跡を明らかにしませんでしたが、中東の前期新石器時代農耕民と密接に関連する人口集団からアフリカ東部へのその後のユーラシアからの遺伝子流動の存在が確証され(関連記事)、これは以前には、現在の人口集団に基づいて特定され、3000年前頃と年代測定されました。後期石器時代と牧畜新石器時代と鉄器時代のアフリカ東部人41個体の最近の研究(関連記事)は、さらに2段階の混合を推測しました。それは、非アフリカ人遺伝的祖先系統(レヴァントもしくはアフリカ北部の集団と関連しています)と、在来のアフリカ北東部集団との間でアフリカ北東部において6000~5000年前頃に起きた混合と、この混合集団とアフリカ東部の狩猟採集民との間で4000年前頃に起きた混合です。したがって、この研究は食料生産者の数回の移動を裏づけ、採食民との混合が一般的だったことも示します。


●バントゥー諸語の拡大

 バントゥー諸語はニジェール・コンゴ語族内で比較的均質な枝を形成しますが、アフリカの人口の約30%によりサハラ砂漠以南のアフリカの大半で話されています。これらの言語の起源(最高の言語学的多様性と初期の分岐枝が見られるナイジェリア東部とカメルーン西部の境界周辺のグラスフィールド地域において)は、いくつかの農耕家畜化が起きた場所に大まかには位置していますが、バントゥー諸語拡大の最初の契機(5000~4000年前頃)は、農耕自体ではなく、アフリカ西部中央部における熱帯雨林の気候により起きた縮小だったかもしれません。バントゥー諸語拡大の初期段階は、土器および混合生計経済と関連しており、いくつかの動植物の家畜化と栽培化および鉄がその後の段階で組み込まれました。この拡大は比較的急速で、アフリカ南部に1800年前頃までに到達しました。

 遺伝学的研究は、アフリカ大陸の遠く離れた地域のバントゥー諸語話者集団が、人口拡大について予測されるように、類似の遺伝的特性と顕著な遺伝的均質性を示すものの、他の言語を話すその近い地理的隣人はより高水準の分化を示す、と論証してきました。バントゥー諸語話者集団の祖先系統はほぼアフリカ西部に由来しますが、バントゥー諸語話者がナイル・サハラ語族やアフロ・アジア語族話者集団と接触したアフリカ中央部熱帯雨林やカラハリ砂漠やアフリカ東部など、狩猟採集民が依然として居住する地域では例外があります。

 遺伝学的証拠は、バントゥー諸語話者集団の拡大経路にも情報をもたらし、バントゥー諸語が熱帯雨林を通った後にアフリカの東部と南部に向かって2つの移住経路に分岐する、「後期分岐」モデルが現在利用可能なデータを最良に説明する、と示します(関連記事)。そしてインド洋沿岸では、遺伝学的結果は、モザンビークやマラウイ(関連記事)の居住人口集団との最小限の混合を含むか混合を全く含まない、南北の拡散を裏づけます。

 対照的にアフリカ南部では、バントゥー諸語話者集団はかなりの量の在来の(コイサン関連)祖先系統を示し(カラハリ砂漠の採食および牧畜集団で特定されました)、コイサン諸語話者集団はかなりの量のバントゥー関連祖先系統を示しており、これらの集団間のかなりの相互作用が示唆されます。これらの相互作用は強く性別で偏っており、バントゥー諸語話者集団ではおもにコイサン関連の母系が、コイサン諸語話者集団ではおもにバントゥー関連の父系が見られます。さらに、性別の偏りの強度はアフリカ南部において北方から南方にかけて増加し、集団間の接触に影響を及ぼす変化する社会的状況が示唆されます。

 アフリカ西部では、考古学的および遺伝学的証拠から、バントゥー諸語の拡大は単一の人口拡大ではなく、むしろ複数の拡大段階により特徴づけられ、コンゴの熱帯雨林における1600~1400年前頃と推測されている人口崩壊を伴っていた、と示唆されます。西方バントゥー諸語集団はアフリカ中央部熱帯雨林の狩猟採集民と広範に混合してきており、アフリカ南部のように性別の偏りの同様の兆候を示します。対照的に、熱帯雨林の南側のサバンナと草原の生息地に現在居住している集団は、おもにバントゥー関連祖先系統を有しています。


●アフリカ東部からアフリカ南部への牧畜の拡大

 考古学的証拠から、牧畜(ヒツジの飼育)はアフリカの東部から南部へと農耕到来前となる2000年前頃にもたらされた、と示唆されます。先行研究ではさらに、牧畜はアフリカ東部のサンダウェ語と関連しているかもしれないコエ・クワディ語族とともに拡大した、と提案されました。しかし、ナマ人(Nama)は現在牧畜を行なっている唯一のコエ・クワディ語族集団で、コエ・クワディ語族話者集団の生活様式におけるかなりの変化が示唆されます。

 複数の遺伝学的研究は、アフリカ南部集団において、通常は牧畜の拡大に起因するアフリカ東部関連祖先系統の痕跡を見つけてきました。しかし、コエ・クワディ語族話者集団は、せいぜい少量のアフリカ東部祖先系統を有しているにすぎず、このアフリカ東部祖先系統は他のアフリカ南部集団でも見られ、牧畜移民が在来の狩猟採集民と広範に混合し、両方向で遺伝子流動があったことを示唆します。

 古代ゲノムは以前として不足していますが、利用可能なデータは、アフリカ東部祖先系統がアフリカ南部に達し、バントゥー諸語話者集団の到来前にコイサン関連祖先系統と混合した、と示唆する現代の人口集団からの推測を確証します(関連記事)。とくに、アフリカ東部祖先系統は、2000年前頃の南アフリカ共和国で発見された狩猟採集民では欠けているものの、アフリカ西部関連祖先系統を欠いている南アフリカ共和国西ケープ州の牧畜民の状況では1200年前頃の1個体において明らかです(関連記事)。



◎ヨーロッパ

 ヨーロッパには現生人類が少なくとも45000年前頃(関連記事)には居住しており【ただ、複数の先行研究から、45000年以上前となるヨーロッパの最初期現生人類は現代ヨーロッパ人とは遺伝的に直接的つながりがほとんどない(関連記事)、と示唆されます】、ヨーロッパ全域にわたる現代人および古代人両方のDNAの広範な調査が、新石器時代への移行と草原地帯牧畜民の青銅器時代移住の影響への洞察を明らかしてきました。以下は、完新世のヨーロッパとアジア中央部および南部における人類の拡散を示した補足図2です。
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●新石器時代への移行

 ヨーロッパの新石器時代の遺跡は土器とさまざまな栽培化された植物と家畜化された動物により特徴づけられ、それは恐らく全て、アナトリア半島から近東へと広がる地域で11000年前頃に始まりました。ヨーロッパの新石器時代の起源がこの地域にあることは明らかですが、全ての側面が完全な「新石器時代一括」として到来したのか、むしろさまざまな時期および/もしくはさまざまな場所からヨーロッパを通じて拡大したのかは、議論になっています。

 新石器時代はヨーロッパでは、まず10000~9000年前頃にキプロス島とギリシアとバルカン半島に出現します。放射性炭素年代の広範な標本に基づくと、農耕は2つの主要な経路を通じて拡大した可能性が高そうです。それは、アルプス山脈の南側の地中海沿いと、アルプス山脈の北側のドナウ川回廊です。地中海に沿って、農耕の拡大はカルディウム土器(Cardial Ware)と関連しており、これは7500年前頃までにイベリア半島に到達しました。

 アルプス山脈の北側では、線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化がトランスダニュービア(Transdanubian)地域からヨーロッパ中央部と西部を通って、海岸に到達する前に停止しました。約1000年後、新石器時代はブリテン諸島(恐らくは異なる侵入経路で)とスカンジナビア半島南部に到達し、スカンジナビア半島南部では新石器時代は漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRB)土器と関連していたものの、ブリテン諸島の新石器時代にはLBKおよびTRB両要素があります。

 4800年前頃、TRB文化はスウェーデン南部および西部の考古学的記録からほぼ消え、農耕の顕著な衰退と、円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPCW)のより海洋的な狩猟経済に置換された証拠があります。小規模な農耕の証拠の痕跡はありますが、完全に農耕的な社会はその1000年後まで復活せず、1000年前頃までフィンランドを完全に占めることはありませんでした。バルト海地域とウクライナとヨーロッパ東部平原では、新石器時代の祭祀よの拡大は農耕ではなく土器と関連しており、農耕はこれらの地域では7000~5000年前頃に現れ、その起源についてはヨーロッパ南東部とアナトリア半島および/もしくはポントス・カスピ海地域(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)が提案されています。

 ヨーロッパには多くの古代DNAデータがあり(関連記事)、これらは農耕技術の拡大と一致するヨーロッパにおけるアナトリア関連祖先系統の出現を確実に裏づけ、農耕拡大が文化拡散ではなくおもに人口拡散だったことを確証します。エーゲ海地域はアナトリア半島北西部とギリシア北部を含み、ほとんどのヨーロッパ人口集団の農耕民祖先系統の供給源ですが、ギリシア南部はコーカサスからのより大きな寄与を示し、これは青銅器時代のミノアおよびミケーネ文化でも明らかです(関連記事)。

 初期の研究は、この地域の最初の農耕民における狩猟採集民祖先系統を殆ど若しくは全く見つけませんでしたが、最近では、古代ゲノムの人口統計学的モデル化で、ヨーロッパに侵入してきたアナトリア半島農耕民はそれ以前の遺伝子流動によりヨーロッパ狩猟採集民からの祖先系統を有していた、と明らかになりました(関連記事)。ヨーロッパへの農耕民の西方への拡散は、在来人口集団との経時的にさらなる漸進的な混合を伴っており、その後の世代では狩猟採集民祖先系統量が増加しました。

 しかし、混合の兆候は広がっているものの、時空間的に異なります。一部の遺跡は何百年もの相互作用なしに農耕民と共存した狩猟採集民の飛び地の証拠を示し、たとえばドイツのハーゲンのブレッターヘーレ(Blätterhöhle)遺跡やスウェーデンの遺跡やポーランドの遺跡(関連記事)ですが、他の遺跡は最初期農耕民共同体においてさえ混合の証拠を示します(関連記事)。ブリテン諸島では、居住人口集団は、イベリア半島新石器時代集団と関連する混合した農耕民と狩猟採集民の祖先系統を有する人口集団により、完全に置換されました(関連記事)。イベリア半島の初期新石器時代は、経時的にじょじょに増加した、他地域よりも狩猟採集民の遺伝的寄与が大きかったことにより特徴づけられます(関連記事1および関連記事2)。

 スカンジナビア半島では、新石器時代農耕民は狩猟採集民からのかなりの遺伝的寄与を示しますが、狩猟採集民における農耕関連祖先系統は低水準でしかなく、狩猟採集民が拡大する農耕集団にほぼ組み込まれたことを示唆します(関連記事)。バルト海東部地域とウクライナとロシア西部では、新石器時代は5000年前頃までヨーロッパ中央部農耕民からの実質的な遺伝子流動なしに進み、狩猟採集民は他地域よりも長く存続しました。したがって、ヨーロッパにおける侵入してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間の相互作用には、かなりの地域差があります。


●草原地帯からの青銅器時代の移住

 古代DNA研究の出現九会には、現代の人口集団に基づく多くの研究が、ヨーロッパの人口集団における農耕民対狩猟採集民の祖先系統の相対的寄与を推測しようと試みました。そのさいに、さまざまなデータセット、手法、農耕民対狩猟採集民の祖先系統の代理を用いて、農耕民祖先系統の推定値は15%未満から70%以上の範囲でした。古代DNA研究はこの議論を解決しただけではなく、さらに、楚家財が一般的には以前には想像されていなかった、祖先系統の第三の供給源が現代ヨーロッパの人口集団において10~50%の頻度で存在する、と示しました(関連記事)。この祖先系統はポントス・カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)牧畜民で最大化され、まずヨーロッパではバルト海地域に5000年前頃に出現し(関連記事)、ヨーロッパ西部への拡大にはさらに1000年を要しました(関連記事)。

 この大規模な移住はヨーロッパ中央部および東部では縄目文土器複合(Corded Ware Complex、略してCWC)の拡大と関連しているかもしれず、その年代は4900~4400年前頃で、CWC遺跡個体はヤムナヤ的祖先系統を最大で75%有しています(関連記事)。しかし、最近の研究では、バルト海地域東部における最初の出現後、ヨーロッパ全域にわたる草原地帯祖先系統の大規模な拡大は、農耕民祖先系統をかなりの割合で有する人口集団により媒介された、と示されてきました。この祖先系統は後期新石器時代の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)にさかのぼり、GACはその中心的地域ではCWCに先行します。

 鐘状ビーカー文化(Bell Beaker culture、略してBBC)はイベリア半島において4800年前頃(CWCと同じ頃)以降に出現し、その後はヨーロッパ西部全域で見られ、東方ではポーランドへと伸び(したがって、CWC遺跡群と重なります)、シチリア島とサルデーニャ島とアフリカ北部を含みます。BBC遺跡群と関連する個体群は、その祖先系統に顕著な地域差があります(関連記事)。ヨーロッパ中央部では、BBC個体群はその祖先系統の50%が草原地帯にたどれます。ブリテン諸島のBBC個体群は、おもにヨーロッパ中央部祖先系統で構成され、それは既存の新石器時代祖先系統を最大90%まで置換しました。

 イベリア半島のBBC個体群はほぼ完全に草原地帯祖先系統を欠いており、その後の標本は草原地帯関連祖先系統を控えめな量でしか示しません。これらの結果から、BBCの拡大は単一の移住人口集団により媒介されたのではなく、文化拡散による在来集団の採用もあった、と示唆されます。さらに、草原地帯からの移住の影響はヨーロッパ南部、つまりはバルカン半島とミケーネ期ギリシア(関連記事)においてかなり小さいものでした。

 表面的には、ヨーロッパへのおよびヨーロッパ全域にわたる新石器時代アナトリア関連および青銅器時代草原地帯関連の移住は、人口拡大の古典的モデルと一致しているようです。両者はヨーロッパの祖先系統に大きな影響を及ぼしたので、かなりの数の人々を含んでおり、比較的短期間(草原地帯関連の移住では約1000年、新石器時代の拡大では約3000年)に起きました。しかし、両者は時期と寄与した祖先系統の量において地域的な差異のパターンと追加の複雑さ(農耕民の最初の拡大後の狩猟採集民祖先系統の復活や、農耕民関連祖先系統をともに有する草原地帯関連祖先系統の可能性の拡大など)を示し、これらの移住には人口拡散の単純なモデルが示唆する以上のものがある、と示唆されます。


●インド・ヨーロッパ語族

 ヨーロッパ全域のインド・ヨーロッパ(IE)語族の起源と拡大はひじょうに興味深く、2つの主要な仮説が提案されてきました。アナトリア半島仮説では、IE語族はアナトリア半島に起源があり、その後に9500~8000年前頃に始まって農耕とともにヨーロッパへと拡大した、とされます。草原地帯仮説では、IE語族は黒海とカスピ海の北側の草原に起源があり、その後に、6500~5500年前頃に始まり、ウマの家畜化と車輪つき荷車と荷馬車の開発の結果としてヨーロッパへと拡大した、とされます。

 ユーラシアの青銅器時代の古代DNA解析は草原地帯仮説を支持しているようですが(関連記事1および関連記事2)、いくつかの問題が残っています。草原地帯祖先系統の最高の割合はヨーロッパ北東部において、ウラル語族言語を話す人口集団において見られますが、ヨーロッパ南部の多くのIE語族言語を話す地域は草原地帯祖先系統がかなり少なく、おそらくはその後の移住を反映しています。さらに、家畜化されたウマから得られた古代DNAは、ヨーロッパへの草原地帯祖先系統の拡大がウマにより促進されたのではない(関連記事)、と示唆するものの、ヤムナヤ文化によるウマの搾乳の証拠があります(関連記事)。したがって、IE語族には単純なモデルにより説明できるよりも複雑な歴史があったようです。おそらく、一部のIE語族言語は農耕民により、その他のIE語族言語は牧畜民により広がったか、或いは、恐らく一部のIE語族言語は人口拡散により、その他のIE語族言語は文化拡散により広がったのでしょう。



◎アジア中央部および南部


●新石器時代と農耕の拡大

 イランが農耕発展にとっと重要地域だったことを示唆する豊富な考古植物学的遺骸にも関わらず、東方のアジア中央部と南方のアジア南部への農耕拡大は、ヨーロッパへの農耕拡大よりも調査がずっと少なかったです。古代DNA研究からは、新石器時代イランは遺伝的に新石器時代アナトリア半島と分岐しているものの、6000年前頃以降、かなりの割合のアナトリア半島農耕民関連祖先系統がイランに現れ、アナトリア関連祖先系統の減少のアジア中央部へと伸びる遺伝的勾配がある、と示唆されており、これはイラン高原とアジア中央部へのアナトリア半島農耕民の東方への移住を示唆します(関連記事1および関連記事2)。この移住は、家畜化されたヤギの拡散と一致しますが、キルギスタンにおける8000年前頃の家畜化されたヒツジの存在を説明できず、複数および/もしくはそれ以前の拡大を示唆します。

 アジア南部の農耕は、まずインダス渓谷の西側の現代のパキスタンのメヘルガル(Mehrgarh)新石器時代遺跡で現れ、年代は8500年前頃です。パキスタンの他の新石器時代集落から、7000~6000年前頃の農耕民は北方および東方へと移動し始め、4600~3900年前頃に栄えたインダス渓谷文明(Indus Valley Civilization、略してIVC)に特徴的な農耕に基づく恒久的集落が出現し始めた【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「Civilization」を「文明」と訳します】、と示されます。インド全域の何千もま遺跡の発見は、IVCの考古学的境界を越えての農耕の拡散を記録します。

 アジア南部で見られるような高温多湿の環境に由来する標本からDNAを回収することは困難なので、これまで、古代DNAはIVCの単一個体のゲノム(関連記事)に限定されています。この個体は間接的に4800~4300年前頃と年代測定され、アジア南部の現代人およびイランとアジア中央部の一部の新石器時代前の個体と祖先系統を共有していますが、アナトリア半島農耕民関連祖先系統を欠いています。ヨーロッパとは対照的に、農耕は明らかにアナトリア半島からの人々の移住を経由してアジア南部へと拡大しませんでしたが、単一個体から得られた結果に過度に重点を置くことには要注意です。

●アジア中央部および南部への草原地帯からの移住

 ヨーロッパのように、アジア中央部および南部への草原地帯からの移住は複雑な歴史を示します。草原地帯からの最初の東方への拡大は、アファナシェヴォ(Afanasievo)文化のアルタイ・サヤン地域における出現で、その年代は5300~4500年前頃です。アファナシェヴォ文化の人々は、遺伝的にヤムナヤ文化の人々と密接です。アジア中央部では、草原地帯祖先系統の最初の証拠は4000年前頃に始まるバクトリア・マルギアナ考古学複合(Bactrio Margian Archaeological Complex、略してBMAC)に由来し、拡大する草原地帯祖先系統は、トランス・ウラル地域のシンタシュタ(Sintashta)考古学複合と関連しているようです(関連記事)。したがって、古代DNAは(少なくとも)2回の異なる東方への移住を示唆します。

 さらに、4000~3500年前頃には、アジア中央部からの移住がアジア南部へと草原地帯祖先系統をもたらし、IVCの人々と混合し、アジア南部現代人の祖先構成要素に最大30%ほど寄与しました(関連記事)。そして、ヨーロッパとは異なり、家畜化されたウマから得られた古代DNAにより、家畜化されたウマは草原地帯から東方への拡大に関係しており、と、IE語族の拡大(IE語族の主要な枝の一つで、アジア中央部と南部の一部で見られます)にも関係しているかもしれません。



◎アジア東部および南東部本土

 アジア東部にはヒト居住の長い歴史があり、少なくとも45000年前頃にさかのぼります(関連記事)。完新世には、中国の黄河と淮河と長江の周辺のさまざまな地域が、9000~8000年前頃にはじまるイネやキビやアワの栽培化の重要な中心地でした。考古学的証拠は農耕の南部宇への2つの主要な流れを示唆しており、一方はアジア南東部本土(Mainland Southeast Asia、略してMSEA)で、もう一方は台湾となり、こちらは最終的にはオーストロネシア語族の拡大として継続しました。

 MSEAでは、言語学的状況はより複雑で、それは、MSEA全体に拡大して多様化した5つの主要な語族があるからで、その課題はこの拡大に影響を及ぼした力と過程を理解することです。以下は、完新世のアジア東部および南東部本土における人類の拡散を示した補足図3です【ただ、この図では示されていませんが、古代ゲノム研究(関連記事1および関連記事2)から、新石器時代以降に長江流域から黄河流域への一定以上の人口移動があった、と推測されます】。
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●農耕の拡大

 考古学者は、アジア東部における農耕が、在来の狩猟採集民と混合および/もしくは同化した農耕民の移動による拡大(「二層」仮説)と、それに対する、文化拡散および/もしくは内在的発展(「地域的連続性」仮説)の程度について議論してきており、前者(二層仮説)を支持する合意が高まりつつあります。古代DNAは二層仮説を強く裏づけます。ラオス(8000~7800年前頃)とマレーシア(4400~4200年前頃)のホアビン文化(Hoabinhian)狩猟採集民が、最初の植民を反映しているかもしれないアジア南部および南東部の現代の先住民集団と最も密接に関連している一方で、4000年前頃以降のMSEAの新石器時代個体群は、ホアビン文化狩猟採集民と中国からの初期農耕民の混合としてモデル化できます(関連記事1および関連記事2)。

 これら新石器時代個体群は、MSEAのオーストロアジア語族話者集団と祖先系統を共有しており、農耕がオーストロアジア語族言語の拡大と関連しているかもしれない、と示唆されます。古代DNA解析は、6000年前頃に始まる黄河流域からの農耕民の西方への移住も示唆しており、この移住はチベット人と漢人の両方に祖先系統をもたらしたので、シナ・チベット語族の拡大と関連しているかもしれない、と提案されています(関連記事)。

 刺激的な仮説は、朝鮮語と日本語とツングース語族とモンゴル語族とテュルク語族によは全て共通の起源があり(「トランスユーラシア」大語族)、前期新石器時代に【現在の】中国北東部から移住してきた農耕民により拡大した、と主張します(関連記事)。しかし、他の研究は「トランスユーラシア」大語族の存在に疑問を呈しています(関連記事)。いずれにしても、アジア東部においては農耕拡大と関連する人口拡大の強い兆候があります。


●MSEAへのその後の拡散

 青銅器時代文化と関連し、鉄器時代および歴史時代へと続くMSEA個体群の2000年前頃以降の古代DNAは、新石器時代個体群には存在しない追加のアジア東部関連祖先系統を示します(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。現在のMSEA人口集団の構造の多くは、これら推測される移住の結果として形成されました。それは、この時点以降の古代の個体群が、同じ地域の現代のMSEA人口集団と遺伝的により密接に類似しているからです。

 現在のMSEAは、主要な5語族(オーストロアジア語族、タイ・カダイ語族、シナ・チベット語族、ミャオ・ヤオ語族、オーストロネシア語族)を代表とする広範な言語学的多様性により特徴づけられます。上述のように、オーストロネシア語族はイネと雑穀の新石器時代拡大と関連しており、現在の散在的分布はおそらく、他の言語を反す人々のその後の侵入を反映しています。タイ・カダイ語族とオーストロネシア語族との間の言語学的つながりが提案されてきており、古代人および現代人両方の標本に基づく遺伝学的研究は、タイ・カダイ語族祖語とオーストロネシア語族祖語の集団間の祖先のつながりの可能性を確証します(関連記事)。

 シナ・チベット語族は中国北部に起源があり、おそらくは3000年前頃にMSEAへの拡大が始まりましたが、ミャオ・ヤオ語族はおそらく中国南部で生じ、タイ・カダイ語族と同じ頃に拡大しました。MSEAには僅かなオーストロネシア語族(、マライック諸語とモーケン語とチャム語)があり、恐らくは、オーストロネシア語族話者のMSEA集団へと遺伝的祖先系統をほとんど寄与しなかった、2500~2000年前頃のボルネオ島からの移住に起源があります。

 したがって、単一の語族が広範な地理的地域に拡大し、優占した世界の他地域と比較して(たとえば、バントゥー諸語やIE語族やオーストロネシア語族など)、MSEAは複数の語族全てが数千年以内に由来して拡大した、という点でひじょうに異なります。食料生産が重要な側面だった、と提案されてきましたが、それ以上の何かが、これら異なる語族を多かれ少なかれ同時に拡散させ得たに違いないようです。じっさい、ベトナムとタイの現代の人口集団かに得られたゲノム規模データの包括的な研究は、拡大、さまざまな語族の言語を話す集団間の広範な接触、孤立、言語変化の可能性がある事例を含む、複雑な歴史を記録します。MSEAの古代DNAのより詳細な研究が、この複雑な歴史にさらなる光を当てるはずです。



◎アジア南東部島嶼部とオセアニア

 完新世のこの地域における人口移動は、おもに台湾から南方および東方にアジア南東部島嶼部(ISEA)への、およびニューギニア北部海岸沿いの農耕拡大により促進されました。それは、遠オセアニア(リモートオセアニア)への長距離公開のための洗練された航海術の発展、海洋民集団とマダガスカル島の集落の出現をもたらした海上交易網の台頭です。トランス・ニューギニア語族の拡大と関連する、ニューギニア高地における植物の初期の独立した栽培化もあります。以下は、完新世のISEAおよびオセアニアにおける人類の拡散を示した補足図4です。
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●台湾からのオーストロネシア語族の拡大

 ISEAの完新世の植民は、台湾から農耕とオーストロネシア語族言語をもたらした人々の拡大と関連しています(関連記事)。オーストロネシア語族は世界で最大かつ最も広がった語族の一つで、地球のほぼ半分を網羅しており、台湾とアジア南東部と近および遠オセアニアとマダガスカル島を含みます。オーストロネシア語族は明らかに台湾から拡大しており、それは、複数の言語の分枝が台湾でのみ見られる一方で、全ての非台湾諸語のオーストロネシア語族言語がマレー・ポリネシア語派という単一の分枝に属するからです。

 台湾から5000~4000年前頃以降にフィリピンを通って南方にインドネシアへと人々が拡散し、西方にMSEAへと、東方にニューギニアおよびその近隣の諸島へと拡散し続けた、言語学と考古学と遺伝学(関連記事1および関連記事2)における強い兆候があります。この人口拡散は、混合した現代人および古代人のゲノムにより証明されているように(関連記事)、先住民集団を完全には置換しませんでした。これは人口拡散によるのうこうと言語の拡散の古典的ちょうこうですが、話はもっと複雑です。古代DNAは、オーストロネシア語族の拡大に先行する可能性が高いものの、それについて考古学的もしくは言語学的証拠がない、ワラセア(インドネシア東部の島々)におけるMSEA関連祖先系統をの存在を示唆します。


●オセアニアへの長距離航海

 ISEAを通って近オセアニア(ニューギニアとその近隣の島々)へのオーストロネシア語族の移動は、洗練された漕艇技術を必要としないだろう、島伝いの公開と相互に見える渡航により達成された可能性が高そうですが、マラリア諸島から得られた古代DNAの証拠は、3500年前頃にさかのぼるフィリピンからの2000km以上の概要を横断する直接的移住を裏づけます(関連記事1および関連記事2)。オーストロネシア人はおそらく、ニューギニアの海岸に沿ってインドネシア東部から航海を続け、ビスマルク諸島に3400年前頃に到達しました。ニューギニアにおけるオーストロネシア関連祖先系統は沿岸部と沖合の島々に限られており、ニューギニア高地にオーストロネシア人が侵入した証拠はありません(関連記事)。

 遠オセアニア(長距離航海でのみ到達可能なミクロネシアとポリネシアを含むニューギニアの北方と東方の島々)へのオーストロネシア人のさらなる拡大は、確実に洗練された漕艇技術が必要でした。オーストロネシア人は遠オセアニアの島々を通って急速に移動し、トンガとサモアに2900年前頃に到達し、最も遠い島々(ハワイとニュージーランド)には過去1000年以内に到達しました。現代の人口集団の初期の諸研究では、ポリネシア人は80%程度のオーストロネシア人関連祖先系統と20%程度のパプア人関連祖先系統を有している、と示唆されました。さらに、この混合はひじょうに性別の偏りがあり、おもにオーストロネシア人は母系の祖先系統ですが、パプア人はほぼ父系の祖先系統でした。

 しかし、最初の古代DNA研究は驚くべきことに、2900~2500年前頃のバヌアツとトンガの個体群はパプア人関連祖先系統を殆ど若しくは全く有していない、と明らかにしました(関連記事)。その後の諸研究では、パプア人関連祖先系統がその後におもに男性を媒介した継続的な移住により拡大した、と示されました(関連記事)。他の研究はポリネシア(関連記事)およびヨーロッパ人との接触前に到来したアメリカ大陸先住民(関連記事)祖先系統からの逆移住を示唆しますが、後者は現代人の標本にのみ依拠しており、これまで古代DNAからの裏づけは得られていません。全体的に、遠オセアニアの植民は1回の、失敗の中の「宝籤」的成功という固定観念の代わりに、遺伝学的データは、近オセアニアとの繰り返しの接触を含む、遠オセアニア全域にわたる複数回の拡散と大規模な交易網考古学的証拠を裏づけます。


●マダガスカル島と海洋民

 オーストロネシア人は太平洋の広大な場所に植民しただけではなく、1300~1100年前頃にマダガスカル島に到達した最初の人々でもありました【持続的な居住ではなかったかもしれませんが、マダガスカル島では1万年前頃と6000年前頃の人類の痕跡(関連記事)が報告されています】。さらに、マダガスカル語はボルネオ島南東部のボルネオ諸語とまとまり、ゲノム規模集団も、マダガスカル語祖語話者の起源はボルネオ島南東部の可能性が高く、アフリカ大陸から到来したバントゥー諸語話者と混合した、と示します(関連記事)。

 興味深いことに、フィリピンとマレーシアとインドネシアの特定の集団により話されているサマ・バジャウ諸語は、同様にボルネオ諸語に属します。これらは、その舟に暮らしていた歴史と強い海洋志向のため海洋民と呼ばれる人口集団を含みます。サマ・バジャウ諸語とマダガスカル語の分布はそれぞれ、マレー・インド海上国家だったシュリーヴィジャヤ王国の1000年前頃の拡大が契機となった、ボルネオ島のバリト地域の人々の東方と西方への移動を反映しているかもしれません。対照的に、インドネシアの海洋民のゲノム規模研究はスラウェシ島起源を示唆しており、この地域における近隣集団間の相互作用と文化的変化の複雑な歴史に起因する、言語と遺伝的祖先系統の異なる起源があったかもしれない、と示唆されます。海洋民およびマダガスカル人との接触の可能性についていさらなる研究が必要ですが、これらは農耕とは関連していない長距離拡散だったようです。


●ニューギニア高地における農耕の拡大

 ニューギニア高地は植物の栽培化の独立した初期の場所で、7000~6700年前頃までさかのぼるタロイモとバナナの栽培の明確な証拠と、早くも1万年前頃までさかのぼるタロイモの耕作の兆候があります。ニューギニアにおける農耕の拡大は、ニューギニア島で話される約850の言語のほぼ半分を構成するトランス・ニューギニア(TNG)語族の拡大が伴っていたかもしれません。パプアニューギニア(PNG)全域にわたるゲノム規模の差異の包括的研究は、農耕の影響とTNG諸語の拡大を反映しているかもしれない、高地の人口構造の形成と1万年前頃の拡大の証拠を見つけました。

 しかし、PNG高地人は農耕関連拡散の強い証拠を伴う地域(たとえば、オーストロアジア語族話者もしくはバントゥー諸語話者人口集団を含みます)で典型的なものよりもずっと高水準の人口分化を示し、推定される農耕関連拡大が極端な孤立とボトルネック(瓶首効果)と浮動に続いたか、高地において顕著な拡大がなかった、と示唆されます。古代DNAデータは、現代のPNG人口集団(とくに、TNG集団に対する非TNG集団)の追加の比較と同様に、ニューギニアの遺伝的構造に対する農耕の影響のさらなる解明に役立つでしょう。



◎アメリカ大陸

 南北のアメリカ大陸から構成されるアメリカ大陸は、現生人類により植民された最後の大陸で、最初の植民が18000~16000年前頃に収束する考古学的および遺伝学的証拠があります。現在の証拠は、数千年における太平洋海岸沿いのアラスカからチリ南部までの急速な緯度の拡大を示します(関連記事)。しかし、アメリカ大陸全域にわたる広範なヒト居住の考古学的証拠は、完新世にやっと始まります。植物はメソアメリカやアンデス地域やアマゾン地域(関連記事)のさまざまな場所で栽培化されましたが、主要な拡散事象は農耕もしくは他の技術的あるいは行動的革新とのみ関連していたわけではないようです。以下は、完新世のアメリカ大陸における人類の拡散を示した補足図5です。
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●北アメリカ大陸

 考古学的証拠は、農耕が明らかに役割を果たさなかった、2つの主要な北極圏全体のヒトの拡散の存在を裏づけます。最初の拡散は5000年前頃に起きた古イヌイットの人々を含んでおり、先ドーセット(Pre-Dorset)やサカク(Saqqaq)やインデペンデンス1(Independence I)のようないくつかの文化と関連しています。4000年前頃に暮らしていた古イヌイットから得られたゲノムデータは、この個体がそれ以前の拡散とは無関係にシベリアからの人口拡散に由来し、現在のどのアメリカ大陸先住民人口集団とも関連していない、と示します(関連記事)。

 古イヌイットは1500年前頃に考古学的記録から消滅し、現代のイヌイットおよびイヌピアト(Iñupiat)の遺伝的および文化的祖先であるチューレ(Thule)文化の人々に置換されました(関連記事)。チューレ文化の人々は1000年前頃までにアラスカ沿岸において考古学的記録に初めて現れ、犬ぞりとウミアク(大型の開けた獣皮を張った舟)の助けを得て、急速にグリーンランドに到達しました。チューレ文化個体群から得られたゲノム証拠は、チューレ文化個体群が他の北アメリカ大陸集団と広範に混合したことを示します(関連記事)。


●メソアメリカ

 トウモロコシはアメリカ大陸において、ヨーロッパ人が到来した時には多くの社会で主食でした。考古学的証拠から、メキシコ南部から中央部における少なくとも8700年前頃の栽培化の後、トウモロコシは広範に拡大し、アメリカ合衆国南西部に4500年前頃までに、南アメリカ大陸沿岸には早くも7000年前頃に到達した、と示唆されます(関連記事)。しかし、トウモロコシ農耕がおもに文化拡散の過程としてメソアメリカから北方へと拡大したのかどうか、或いは、トウモロコシ農耕がアメリカ合衆国南西部にユト・アステカ語族祖語(Proto-Uto-Aztecan、略してPUA)を話すメソアメリカの農耕民の長距離移住を通じてもたらされたのかどうかについて、見解の相違があります。この見解の相違は、PUAの提案された故地、または、PUAが、南方へ拡散しながらトウモロコシ農耕を作用した北方の採食民なのか、あるいは代わりに北方へ拡大した初期の南方農耕民だったのかどうか、という点をめぐって展開しています。問題を複雑にするのは、一部の農耕集団が、農耕に適さない環境に拡大したため、採食に戻ったかもしれないことです。

 遺伝学的研究はこれまで、これらのさまざまな見解を解決できず、それは、古代DNAの保存状態の悪さのため、遺伝学的研究が現代の人口集団にほぼ限定されているからです。現代の人口集団であっても、一部の現在のアメリカ大陸先住民集団のそうした研究に参加することへの尤もな嫌悪のため、顕著な標本抽出の間隙があります。メキシコの人口集団から得られたゲノム規模データのこれまでで最大の研究は、現在の集団の遺伝的構造が、人口統計学と文化と地理の事象により影響を受けてきた、と示します。たとえば、アリドアメリカ(つまり、メキシコ北西部とアメリカ合衆国南西部)とメソアメリカの人口集団間の分岐時間は9900~4000年前頃と推定されており、メソアメリカにおいて定住農耕が始まった頃です。しかし、ゲノム規模の多様性パターンと遺伝的構造は、言語学的帰属よりもむしろ地理の影響を反映しています。さらに、アリドアメリカとメソアメリカ全域にわたるミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体の差異の対照的パターンは、男女の異なる人口史を示唆します。したがって、トウモロコシ農耕もしくはPUA語族の広がりと関連する遺伝的拡大の強い兆候はありません。


●南アメリカ大陸

 南アメリカ大陸には、大きな文化的および言語学的多様性があり、広大な地理的領域に拡散したいくつかの語族が含まれ、つまりアンデス山脈沿いのケチュア語(Quechua)と、アマゾン低地全域にわたるアラワク(Arawakan)語族やトゥピ語(Tupian)やカリブ語(Cariban)です。しかし、これらの広範な拡散は、小さく局所的な語族の完全な置換につながらず、斑状的な言語学的景観をもたらしました。アンデス山脈とアマゾン地域は、10000~8500年前頃に始まった植物栽培化の重要な中心地と考えられていますが、その拡大と広範な南アメリカ大陸の語族の多様化は、やっと4000~1000年前頃に起きた、と推測されています。

 したがって、初期農耕は主要な南アメリカ大陸の語族の大規模な拡散の原因ではありませんでした。植物の栽培化がヒトの食性の重要な割合を占めるまで数世紀を要しましたが、それは恐らく、人口拡大がさらなる技術革新と作物生産性の増加を必要としたからでしょう。気候変化もそうした拡散に影響を及ぼしたかもしれず、中期~後期完新世の移行期(4200年前頃)には、南アメリカ大陸は降雨量の増加を経て、熱帯雨林はサバンナを犠牲にして拡大しました。

 遺伝学的研究はこれまで現代の人口集団のみに基づいており、一部の語族の拡散への洞察をいくつか提供し始めています。たとえば、アラワク語族はアメリカ大陸において最も広がった語族で、ヨーロッパ人の到来時には、アラワク語族は、中央アメリカ大陸、カリブ海諸島から南はアルゼンチン北部まで、アンデス山麓から東は南アメリカ大陸東部にまで存在しました。アラワク語族は伝統的に河川沿いの園芸民で、サラドイド・バランコイド(Saladoid-Barrancoid)土器伝統と関連しており、アマゾン地域とアンデス地域とカリブ海地域の広範な領域をつないだ交流網において中心的役割を果たしました。しかし、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の研究からは、アマゾン地域北西部のアラワク語族集団は、より遠方のアラワク語族集団とよりも、近隣の非アラワク語族集団の方と密接に関連している、と示唆されており、遺伝学と言語学との間の関係の不一致が示唆されます。

 同様に、トゥピ語族は南アメリカ大陸において言語学的に最も多様で、アラワク語族とほぼ同じくらい地理的に広がっています。その提案された故地はアマゾン地域南西部で、そこから東方と北方に拡大しました。しかし、アラワク語族と同様に、トゥピ語族集団は、より遠方のトゥピ語族集団とよりも、近隣の非トゥピ語族集団の方と遺伝的に密接です。同じことはアンデス地域の高地および低地のケチュア語話者についても当てはまりますが、この2地域のケチュア語集団間には遺伝的つながりもあります。

 全体的に、アマゾン地域におけるアラワク語族とトゥピ語族の拡大と、近隣の東方の低地へのアンデス高地からのケチュア語の拡大は、文化拡散もしくは、元々の人口拡大の遺伝的兆候を消し去った、拡散してきた人々とその近隣集団との間の広範な最近の混合によるものだったようです。じっさい、異なる言語を話す集団間の広範な混合があり、ほとんどの南アメリカ大陸集団の強い父系的社会構造を反映している可能性が高そうです。現在の全体像は、ヨーロッパの植民地化の影響によりさらに複雑になっています。古代DNA研究は、拡大と混合の兆候の解明に多くの情報をもたらすでしょう。



◎まとめ

 この簡潔な調査は、完新世のヒト拡散の複雑さを浮き彫りにします。拡大の強い遺伝的兆候は、農耕といくつかの語族の拡大をつなぐ(たとえば、バントゥー諸語やオーストロアジア語族)、と確認できるものの、ここでも、拡大する農耕民と先住の狩猟採集民との間の相互作用の結果には顕著な異質性があり、たとえば、一方には、バントゥー諸語話者集団の拡大によるマラウイとモザンビークにおける農耕前の集団の完全もしくはほぼ完全な置換があり、もう一方には、アフリカ南部におけるバントゥー諸語話者集団とコイサン諸語話者集団との間の広範な混合があります。

 世界の他地域では、拡大と農耕との間のつながりはより希薄で(たとえばアメリカ大陸)、それは恐らく、広範な拡大後の混合もしくは他の複雑さのためでしょう。古代DNAの調査は、世界の一部におけるこれら複雑な要因のいくつかや、現代の人口集団の調査では検出されなかった拡大の特定を促進しており、とりわけ、IE語族をヨーロッパおよび/もしくはアジア南部と中央部にもたらしたかもしれない、草原地帯からの青銅器時代の移住の影響です。MSEAはとくに複雑な地域で、過去数千年の間に少なくとも5以上の異なる語族がMSEAへと拡大しました。これらの多様な語族が生き残り、拡散できたのはどのような状況だったのでしょうか?

 世界の多くの地域における古代DNA解析はDNAの残存と関連する問題に妨げられていますが、さらなる技術的進歩が完新世の拡散への新たな洞察をもたらすだろう、と期待できます。一方で、現代の人口集団のより包括的な研究と、ゲノムデータの計算解析のさらなる発展が、有益でしょう。さらに、農耕と言語の拡大においてそうした多様な結果がある理由を理解するための、完新世の拡散の歴史の大きな複雑さの背景にある社会文化的状況の調査には、明らかな必要性があります。


参考文献:
Stoneking M. et al.(2023): Genomic perspectives on human dispersals during the Holocene. PNAS, 120, 4, e2209475119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2209475119


https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_12.html

2 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/03/12 (Sun) 07:41:46

篠田謙一 古代ゲノム研究のおそるべき技術革新
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14052212

ヨーロッパ人の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007381

インド・イラン語派やバルト・スラブ語派のアーリア人の Y染色体は R1a
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007379

ケルト人、バスク人やゲルマン系アーリア人の Y染色体は R1b
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007380

イエスのY染色体ハプログループは J2
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007464



ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
       
 3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

 3-5. Y-DNA「N1c」  ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm
 
 3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-6.htm
  
 3-7. Y-DNA「J」   セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

 3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-8.htm

15-4. アイスマンのY-DNAはスターリンと同じコーカサス遺伝子の「G2a」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-4.htm
 
3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度 調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm  

3-10. Y-DNA「Q」   異民族の侵入者フン族の痕跡調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-15.htm

1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-17.htm

1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm

1-18. 多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

3 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/03/12 (Sun) 07:44:05

氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008921

コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

この戦闘民族やばすぎる。ゲルマン民族の謎!!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14046224

アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007474

4 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/03/12 (Sun) 07:46:00

太田博樹 _ 縄文人ゲノムから見た東ユーラシア人類集団の形成史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14088967

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008392

ヨーロッパのフン族の祖先は古代モンゴルの匈奴でアーリア人だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007377

世界最初の農耕文明を作った長江人の末裔の現在
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14034569

日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14019324

5 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/04/26 (Wed) 09:27:21

雑記帳
2023年04月26日
『イヴの七人の娘たち』の想い出とその後の研究の進展
https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html

 2001年に刊行されたブライアン・サイクス(Bryan Clifford Sykes)氏の著書『イヴの七人の娘たち』は、このような一般向けの科学啓蒙書としては異例なほど世界的に売れたようで、私も購入して読みました(Sykes.,2001)。近年時々、『イヴの七人の娘たち』は日本でも一般向けの科学啓蒙書としてはかなり売れたようではあるものの、今となってはその見解はとてもそのまま通用しない、と考えることがあり、最近になって、そういえば著者のサイクス氏は今どうしているのだろう、と思って調べたところ、ウィキペディアのサイクス氏の記事によると、2020年12月10日に73歳で亡くなったそうです。まだ一般向けの啓蒙書を執筆しても不思議ではない年齢だけに、驚きました。

 『イヴの七人の娘たち』などで提示されているサイクス氏の見解が今ではとても通用しないことはウィキペディアのサイクス氏の記事でも指摘されており、イギリス人の起源に関するサイクス氏の理論の多くはほぼ無効になった、とあります。もちろん、同書のミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する基本的な解説の多くは今でも有効でしょうし、20世紀の研究史の解説は今でも有益だと思います。本書により、初期のDNA解析による人類進化研究の様相を、研究者間の人間関係とともに知ることができ、この点で読み物としても面白くなっています。

 ただ、同書の主張の、現代ヨーロッパ人の遺伝子プールの母体を作り上げたのは旧石器時代の狩人で、新石器時代の農民の現代ヨーロッパ人への遺伝的寄与は1/5程度だった、との見解は今では無効になった、と確かに言えそうで、ヨーロッパのほとんどにおいて、狩猟採集民の遺伝的構成要素は新石器時代の拡大の結果としてヨーロッパ初期農耕民的な遺伝的構成要素にほぼ置換されました(Olalde, and Posth., 2020、関連記事)。ただ、新石器時代のヨーロッパにおいて、アナトリア半島起源の農耕民と在来の狩猟採集民が混合していったことも確かで、またその混合割合については時空間的にかなりの違いがあったようです(Arzelier et al., 2022、関連記事)。

 また、現代ヨーロッパ人の形成に、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と新石器時代にヨーロッパへ到来した農耕民だけではなく、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯からヨーロッパへ到来した集団も強い影響を及ぼした、と指摘した2015年の画期的研究(Haak et al., 2015、関連記事)で、現代ヨーロッパ人の核ゲノムに占める旧石器時代狩猟採集民の割合がかなり低い、と示されていました(Haak et al., 2015図3)。以下はHaak et al., 2015の図3です。
画像

 もっとも、『イヴの七人の娘たち』が根拠としたのはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)で、これは時代的制約からも当然であり、サイクス氏の怠慢ではありません。ただ、そのmtHgについても、ヨーロッパ中央部では旧石器時代人のmtHgは現代人に20%程度しか継承されていない、と2013年の時点で推測されていました(Brandt et al., 2013)。以下は、後期中石器時代から現代までのヨーロッパ中央部のmtHg頻度の推移を示したBrandt et al., 2013の図3です。
画像

 このように、『イヴの七人の娘たち』の見解が大きく間違っていたのは、当時はまだmtDNAでも解析された古代人の数は少なく、同書がほぼ現代人のmtDNAハプログループ(mtHg)の分布頻度と推定分岐年代に依拠していたからです。やはり、現代人のmtDNA解析から古代人の分布や遺伝子構成を推測することは危険で、古代DNA研究の裏づけが必要になる、と改めて思います(Schlebusch et al., 2021、関連記事)。もっとも、古代DNA研究がこれだけ進展した現在では、現代人のmtDNA解析結果だけで古代人の分布や遺伝子構成を推測する研究者はほぼ皆無だとは思いますが。

 さらに、ヨーロッパ中央部については、mtDNA解析から、初期農耕民は在来の採集狩猟民の子孫ではなく移住者だった、との見解がすでに2009年の時点で提示されていましたが(Bramanti et al., 2009、関連記事)、私は間抜けなことに、『イヴの七人の娘たち』を根拠に、現代ヨーロッパ人と旧石器時代のヨーロッパ人との遺伝的連続性を指摘する論者との議論が注目される、と述べてしまいました。当時の私の主要な関心は現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属との相互作用と、現生人類が多少の遺伝的影響を受けつつも非現生人類ホモ属をほぼ完全に置換した理由で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はなく(関連記事)、ネアンデルタール人滅亡後のヨーロッパの人類史について最新の研究を追いかけようという意欲が低かったので、この程度の認識でした。

 さらにBramanti et al., 2009を取り上げた『ナショナルジオグラフィック』の記事では、移住者と考えられる初期農耕民と先住の採集狩猟民だけでは現代ヨーロッパ人の遺伝的構成は説明できない、とも指摘されています。これは上記の、現代ヨーロッパ人の形成に、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と新石器時代にヨーロッパへ到来した農耕民だけではなく、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯から到来した集団も関わっていたことを報告した2015年の画期的研究とも通ずるたいへん示唆的な指摘で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はなかった当時の私でも、一応はブログで言及したくらいですが、その意味するところを深く考えていませんでした。見識と能力と関心が欠如していると、重要な示唆でも見逃したり受け流したりしてしまうものだ、と自戒せねばなりません。

 また上記のサイクス氏のウィキペディアの記事によると、サイクス氏は2006年に刊行された著書で、イングランドにおけるアングロ・サクソン人の遺伝的寄与はイングランド南部でさえ20%未満だった、と推測したそうです。ただ、昨年(2022年)の研究(Gretzinger et al., 2022、関連記事)では、確かにイングランド南部ではヨーロッパ大陸部からの外来の遺伝的影響は低めであるものの、中央部および東部では高く、全体的には平均76±2%に達するので、アングロ・サクソン時代にはヨーロッパ大陸部からの人類の移住は多かった、と推測されました。その後イングランドでは、さらなる外来からの遺伝的影響があり、アングロ・サクソン時代の外来の遺伝的影響は低下したものの、イングランドの現代人の遺伝的構成は、イングランド後期鉄器時代集団的構成要素が11~57%、アングロ・サクソン時代の外来集団的構成要素が25~47%、フランス鉄器時代集団的構成要素が14~43%でモデル化できる、と指摘されています。

 さらに言えば、イングランドでは、新石器時代の農耕民の遺伝的構成要素はアナトリア半島起源の初期農耕民(80%)と中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民(20%)でモデル化でき、銅器時代~青銅器時代にかけて大規模な遺伝的置換があり(約90%が外来要素)、中期~後期青銅器時代にも大規模な移住があり、鉄器時代のイングランドとウェールズではその遺伝的影響が半分程度に達した、と推測されています(Patterson et al., 2022、関連記事)。このように、イングランドの人類集団では中石器時代以降、何度か置換に近いような遺伝的構成の変化があり、とても旧石器時代から現代までの人類集団の遺伝的連続性を主張できません。

 ヨーロッパでは旧石器時代の人類のDNA解析も進んでおり、最近の研究(Posth et al., 2023、関連記事)からは、旧石器時代のヨーロッパにおいて人類集団の完全に近いような遺伝的置換がたびたび起きていた、と示唆されます。以前にまとめましたが(関連記事)、現生人類がアフリカから世界中に拡散した後で、絶滅も含めて置換は頻繁に起きていたと考えられるので、特定の地域における1万年以上前にわたる人類集団の遺伝的連続性を安易に前提としてはならない、と思います。そのまとめ記事でも述べましたが、これはネアンデルタール人など非現生人類ホモ属にも当てはまり、絶滅や置換は珍しくなかったようです。


参考文献:
Arzelier A. et al.(2022): Neolithic genomic data from southern France showcase intensified interactions with hunter-gatherer communities. iScience, 25, 11, 105387.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.105387
関連記事

Bramanti B. et al.(2009): Genetic Discontinuity Between Local Hunter-Gatherers and Central Europe’s First Farmers. Science, 326, 5949, 137-140.
https://doi.org/10.1126/science.1176869
関連記事

Brandt G. et al.(2013): Ancient DNA Reveals Key Stages in the Formation of Central European Mitochondrial Genetic Diversity. Science, 342, 6155, 257-261.
https://doi.org/10.1126/science.1241844

Gretzinger J. et al.(2022): The Anglo-Saxon migration and the formation of the early English gene pool. Nature, 610, 7930, 112–119.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05247-2
関連記事

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事

Olalde l, and Posth C.(2020): African population history: an ancient DNA perspective. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 36-43.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.05.021
関連記事

Patterson N. et al.(2022): Large-scale migration into Britain during the Middle to Late Bronze Age. Nature, 601, 7894, 588–594.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04287-4
関連記事

Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事

Schlebusch CM. et al.(2021) : Human origins in Southern African palaeo-wetlands? Strong claims from weak evidence. Journal of Archaeological Science, 130, 105374.
https://doi.org/10.1016/j.jas.2021.105374
関連記事

Sykes B.著(2001)、大野晶子訳『イヴの七人の娘たち』(ソニー・マガジンズ社、原書の刊行は2001年)

https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html

6 名前:777

2023/11/19 (Sun) 07:59:57

雑記帳
2023年11月18日
川幡穂高『気候変動と「日本人」20万年史』
https://sicambre.seesaa.net/article/202311article_18.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E5%80%99%E5%A4%89%E5%8B%95%E3%81%A8%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%8D20%E4%B8%87%E5%B9%B4%E5%8F%B2-%E5%B7%9D%E5%B9%A1-%E7%A9%82%E9%AB%98/dp/4000615300

 岩波書店より2022年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は気候変動の視点からの人類進化史で、近年飛躍的に発展した古代DNA研究の成果も多く取り入れられています。本書はまず、現在の有力説にしたがって、現代人の究極の起源地がアフリカにあることを指摘します。本書では、現生人類の起源は化石および分子生物の証拠から20万年前頃とされていますが、この年代はもっと古くなる可能性が高そうです(関連記事)。本書はさらにさかのぼって、霊長類系統の分岐、さらには類人猿(ヒト上科)系統における分岐に、環境変化が関わっていたことを指摘します。類人猿系統における人類系統の分岐の背景には、寒冷化による降雨量減少と、それによる樹木の散在する環境への変化がありました。なお本書では、人類の使用した最古の石器はホモ・ハビリス(Homo habilis)の出現前にさかのぼる、とされていますが、これをオルドワン(Oldowan)石器と同じとしているのは間違いで、330万年前頃となる最古の石器はオルドワンではありません(関連記事)。

 現生人類のアフリカからレヴァントへの拡散について、本書は12万年前頃以降を取り上げていますが、それ以前にさかのぼる可能性は高そうです(関連記事)。また本書は、スフール(Skhul)遺跡やカフゼー(Qafzeh)遺跡で発見されたこれらレヴァントの初期現生人類(Homo sapiens)の遺伝子は現代ヨーロッパ人と異なっていた、と指摘しますが、スフールおよびカフゼー遺跡の現生人類遺骸のDNA解析にはまだ成功していないと思います。本書は、現代と比較して、この頃の地球全体の平均気温が1~2度、深層水の温度が0.4度高かった、と指摘します。12万年前頃の間氷期最盛期を過ぎると、気温はじょじょに低下し、8万年前頃には初夏の気温が2度ほど下がります。これにより、レヴァントから現生人類は追い払われ、南下してきたネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が占拠した、と本書は推測しますが、レヴァントにおけるネアンデルタール人と現生人類の相互作用については、今後の研究の進展を俟つべきかもしれません。74000年前頃となるトバ山大噴火が現生人類の人口を激減させた可能性は以前から指摘されており、本書でもこの見解が採用されていますが、現時点では説得力に欠けるように思います(関連記事)。

 本書では、現生人類のほとんどは出現後約14万年間、誕生地周辺で生活していた、と想定されていますが、現在では、現生人類の起源地に関してアフリカの特定地域のみではなく全体を視野に入れねばならない、との見解の方が有力だと思いますし(関連記事)、最近の遺伝学的研究(関連記事)からも、出現後の現生人類集団が14万年間も誕生地周辺で生活していた可能性は低いように思います。本書は、アデン湾のアラビア半島付近の堆積物試料の分析から復元された過去216000年間の気候変動に基づいて、非アフリカ系現代人の共通祖先の出アフリカの頃が湿潤だったことを指摘します。他には、20万年前頃と13万~12万年前頃も湿潤で、それぞれ現生人類の誕生およびレヴァントへの拡散と対応している、と本書は指摘します。ただ、上述のように現生人類の出現はもっとさかのぼる可能性が高そうですし、レヴァントでは18万年前頃の現生人類の存在が確認されています(関連記事)。

 現生人類のアフリカから世界各地への拡散については、出アフリカ現生人類の肌の色は当初、黒褐色だった、と本書では指摘されていますが、アフリカの現代人の肌の色は多様で、明るい色の肌と関連している遺伝的多様体の中には100万年前頃に出現したと考えられているものもあるので(関連記事)、出アフリカ時点での現生人類集団の肌の色についてはまだ断定できないように思います。本書では出アフリカの拡散経路として、ユーラシア南岸とヒマラヤ山脈の南北の3通りが提示されており、ユーラシア南岸もしくはヒマラヤ山脈の南側の経路の現生人類の最古級の痕跡は37000年前頃とされていますが、今年になってラオスで発見された現生人類遺骸は6万年以上前にさかのぼる、と報告されています(関連記事)。

 本書では、日本列島における人類最古の痕跡は島根県出雲市の砂原遺跡の12万年前頃の石器とされており、4万年以上前の人類の痕跡として岩手県遠野市の金取遺跡も挙げられており、その担い手は非現生人類ホモ属だろう、と指摘されています。ただ、砂原遺跡の石器についてはそもそも石器なのか、考古学者の間で議論になっていますし、金取遺跡の石器群は本物の石器のようですが、9万年前頃までさかのぼるとしても、その担い手が現生人類である可能性も考えられます(関連記事)。本書は、9万年前頃には現生人類はまだ出アフリカを果たしていなかった、と指摘しますが、それはあくまでも非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカで、非アフリカ系現代人と遺伝的にほとんど若しくは全くつながっていない現生人類集団が7万年以上前にアフリカからユーラシアに拡散した可能性は、上述のラオスの事例からも否定できないでしょう。

 日本列島への現生人類の拡散経路としては、本書では北海道と対馬と沖縄の3通りが挙げられており、主要かつ最古の経路としては、遺跡の年代および場所と海路の距離から対馬と推測されています。縄文時代について本書では、その開始は土器出現(16500年前頃)以降、その終焉は2900年前頃とされています。本書は、調理および保存の点で土器の画期性を強調します。現生人類拡散後の日本列島の気候変動については、北部では一般的な最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)よりもやや遅く、16500年前頃が最寒期と推定されています。この点も含めて、著者の専門分野と関わってくる気候変動の再構築に関して、本書から有益な知見が多く得られます。この日本列島北部の最寒期の前後において、ナウマンゾウが23000~20000年前頃までに、マンモスが16000年前頃までに絶滅します。本書は、これら大型動物が温暖化により絶滅したわけではないとしても、当時の低人口密度では人類による狩猟が原因の絶滅とも考えにくく、絶滅原因は謎としています。

 日本列島はこの最寒期の後に温暖化を迎え、陸上生態系も大きく変わり、日本列島全体を覆っていた亜寒帯針葉樹林から、西日本~関東にかけては温暖帯常緑広葉樹林が、西日本の内陸~中部および東北にかけては温帯落葉広葉樹林が広がります。なお本書では、現代日本人で見られるY染色体ハプログループ(YHg)D1a2aが縄文時代からずっと日本列島に存在した、と想定していますが、その一定の割合が弥生時代以降に日本列島に到来した可能性も想定すべきである、と私は考えています(関連記事)。縄文時代には8200年前頃となる完新世で最大の寒冷化が起き、これは短期間(150~160年間)だったものの、地球規模と確認されています。本書では縄文時代の遺跡として有名な三内丸山は本書で大きく取り上げられており、その放棄が4200年前頃の2.0度ほどの気温低下をもたらした寒冷化と対応していることも指摘されています。この寒冷化の原因は、夏季アジアモンスーンの変調によりジェット気流の中心軸が南下し、南の温暖で湿潤な大気が日本列島北部まで北上できなかったことにある、と本書は推測します。平均気温2.0度の差は、緯度方向では約230km、標高では300mほどの違いに相当し、三内丸山での食料確保が難しくなったのではないか、と本書は推測します。ただ、遺跡の数に基づく近年の研究では、当時の人々が周辺地域に分散しただけで、人口が急減したわけではない、と指摘されているそうです。

 本書は、現代日本人の主要な祖先集団が縄文時代にはユーラシア大陸部に存在したことから、現在の中国を中心にユーラシア大陸部の気候変動も取り上げています。これと関連して、イネの遺伝子解析から日本の水稲が朝鮮半島より中国の系統に近いことや、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と日本列島も含めてアジア東部の現代人で優勢なYHg-Oの人々にデニソワ人の遺伝的痕跡がほとんど見られないことから、YHg-Oの祖先集団はデニソワ人とは別の場所に存在した、と本書では述べられていますが、かなり問題があると思います。日本のイネがどこからもたらされたのかは、紀元前の日本列島と朝鮮半島のイネの遺伝的多様性が現在よりもずっと高かったことから、時空間的に広範囲の古代のイネのDNAを解析する必要がありますし(関連記事)、アジア東部現代人には現代パプア人よりずっと少ないとはいえ明確にデニソワ人との混合が認められ、それはパプア人の祖先と混合したデニソワ人集団とは異なるデニソワ人集団に由来する、と推測されているからです(関連記事)。

 縄文時代晩期以降に日本列島にもたらされた稲作文化の究極的な起源地である長江下流域では、4200年前頃に良渚文化が崩壊しますが、これは急激な大寒冷化に起因していたようです。数百年間程度の空白を経て同じ地域に出現した馬橋文化については、稲作農耕技術が良渚文化より劣り、狩猟と漁撈の比重が高まったことから、良渚文化の担い手とは異なる集団が他地域から移住してきて築いた、と本書は推測しますが、これに関しては今後古代ゲノム研究の裏づけが必要になると思いますし、そもそも寒冷化に良渚文化の担い手が対応したことも想定できるでしょう。上述の三内丸山遺跡の放棄とともに、4200年前頃の世界的な気候変動と主要な文化の衰退・崩壊が現在注目されているそうです。この世界的な気候変動とともに、現在の中国では4000年前頃には全土の53%が森林だったのに対して、3000年前頃には森林の被覆度は25%程度に減少し、その後もますます低下していったそうです。なお、本書では夏から殷(商)への「王朝交代」は禅譲と伝えられてきた、とありますが、恐らくこれは夏以前の伝承と混同しており、文献では夏が殷により武力で倒されたとあります。

 日本列島への稲作到来の契機として本書が指摘するのは、紀元前1050~紀元前400年頃にかけての寒冷継続期で、温度は約0.7度低下したそうです。ただ、本書が指摘するように、日本列島における水稲栽培やそれと関連した文化の伝播は、時空間的差異が大きいようです。本書では、プラント・オパール分析を根拠に、イネ自体は縄文時代中期から存在した、とされていますが、イネやアワやキビなどユーラシア東部大陸系穀物の確実な痕跡は、日本列島では縄文時代晩期終末をさかのぼらない、との見解が現在では有力だと思います(関連記事)。本書は稲作の到来とともに、長江から北方に逃れた人々が日本列島に到来した可能性を指摘しますが、その根拠はYHgで、確かに長江流域集団が北進して日本列島に到来した可能性はあるものの、そうだとしても、古代ゲノム研究の進展を踏まえると、その遺伝的影響は小さいようです(関連記事)。

 古墳時代について本書では、かつての寒冷期説とは異なり、比較的温暖だった、と指摘されています。この古墳時代が終焉する6世紀末~7世紀前半にかけては、小規模な寒冷期だったようです。唐王朝の衰退は乾燥化の進展と関連づけられていますが、これも世界規模での温暖・乾燥化の一環だった、と本書では指摘されています。本書は同時代の文献が残る時代の日本列島も対象としていますが、平城京において前代の飛鳥時代とは異なり鉛や銅による重金属汚染が起きていた、と著者たちの土壌分析により明らかになったそうで、長岡京や平安京への遷都は都市汚染も一因だったのではないか、と本書は推測します。奈良盆地の地形勾配は緩やかで排水が悪く、汚物の処理に人々は苦慮していた、というわけです。日本列島では820~1150年にかけて寒冷化していき、ヨーロッパにおける950~1250年頃の温暖化とは対照的だったようです。ユーラシア大陸部では、13世紀前半の温暖化がモンゴル帝国の勢力拡大をもたらしたようです。日本列島では、14~16世紀に寒冷化の中で農業技術や集落形態の変容などにより農業生産が増加した、と指摘されています。


参考文献:
川幡穂高(2022)『気候変動と「日本人」20万年史』 (岩波書店)

https://sicambre.seesaa.net/article/202311article_18.html

7 名前:777

2023/12/11 (Mon) 14:28:59

ヨーロッパ人と東アジア人は同一集団の子孫~2022年の研究で明らかになったアフリカ人、東西ユーラシア人の分岐と人種の成立過程~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
2023/02/18
https://www.youtube.com/watch?v=pzLQVY-xOmQ&t=120s

古代の化石に残るDNAを解析する技術の進展により、化石の形態では分からなかったホモ・サピエンスの進化の過程が明らかになってきました。
アウストラロピテクス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・アンテセソール(ホモ・アンテセッサー)、ネアンデルタール人、デニソワ人などの絶滅人類とホモ・サピエンスとの関係についても従来の説が次々と塗り替えられています。
今回はホモ・サピエンスの進化と人種の形成過程について最新の研究を交え解説していきます。

人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
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交雑する人類 古代DNAが解き明かす 新サピエンス史
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8 名前:777

2025/01/25 (Sat) 22:08:36

白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887


ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ




古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ

9 名前:777

2025/12/06 (Sat) 06:28:07

【国際社会】ナチスによる人種差別の根拠「アーリヤ人」 とは何か!本来は民族ではなく言語上の区分でした
世界史解体新書 2025/12/05
https://www.youtube.com/watch?v=FNV5Dqyt-2w&t=832s

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ヤムナ文化の起源
1 名前:777

2025/03/10 (Mon) 19:57:07

雑記帳 2025年03月09日
ウクライナの人口史

現在のウクライナを含んでいる北ポントス地域は、広大なユーラシア草原地帯をヨーロッパ中央部とつなぐ移動の十字路でした。
以前の古代DNA研究では、一次近似値では、現在のヨーロッパ人のゲノムは完新世の主要な3人類集団の祖先系統で構成されている、と示唆されており、それは、

(1)在来の狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)
(2)8000年前頃にヨーロッパに到来した近東の初期農耕民
(3)5000年前頃にヨーロッパへと移住した草原地帯牧畜民

です。しかし、特定の地域の詳細な遺伝的歴史は必然的により複雑で、より焦点を絞った局所規模の研究が必要です。そのようなこれまで比較的研究されていなかった地域の一つが黒海北部(ポントス)地域における現在のウクライナで、この地域は歴史的および考古学的に、ヨーロッパとアジアの人口集団間の接触地帯として知られています。

後期青銅器時代からスキタイ期鉄器時代の前のウクライナにおけるヨーロッパ南部祖先系統
 後期青銅器時代とスキタイ期の前の前期鉄器時代の個体群(LBAEIA、紀元前3000~紀元前700年頃)ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、ハプログループ(mtHg)U・HV・H・T・K・J・N1aに属していましたが、ほんどの男性のY染色体ハプログループ(YHg)はR1aに属しており、これは草原地帯個体からの移住後のヨーロッパ北部の大半で以前に示されたことと同様でした。
https://sicambre.seesaa.net/article/202503article_9.html



2025年03月10日
新石器時代から青銅器時代の北ポントス地域の人口史
https://sicambre.seesaa.net/article/202503article_10.html

 古代ゲノムデータに基づいて新石器時代から青銅器時代の北ポントス地域の人口史を検証した研究(Nikitin et al., 2025)が公表されました。[]は本論文の参考文献の番号で、本論文と同時に刊行された関連研究[7]以外は、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。5000年前頃以降、ヤムナヤ(Yamnaya)文化とも呼ばれるヤムナ(Yamna)文化の担い手は、ヨーロッパも含めてユーラシアに広く拡散し、文化と担い手の遺伝的構成を大きく変えました[3、4]。現在、ヨーロッパで話されている言語はほぼインド・ヨーロッパ語族ですが、これをヨーロッパに広めたのはヤムナ文化集団と考えられています。北ポントス地域(North Pontic Region、略してNPR)は古代ヨーロッパの農耕民とユーラシア草原地帯の狩猟採集民および牧畜民が遭遇した場所で、ヨーロッパ全域への移動の拠点でしたしかし、ヤムナ文化集団の正確な起源は依然として不明です。

 本論文は、関連研究[7]にも含まれた先史時代の北ポントス地域の81個体のゲノム規模データを報告し、ヤムナ文化集団がヨーロッパにおいて在来集団と遺伝的に混合しながら拡大していったことを示します。北ポントス地域の狩猟採集民は、ドナウ川鉄門バルカン半島狩猟採集民(Danubian Iron Gates Balkan hunter-gatherer、略してBHG)および東方狩猟採集民(eastern hunter-gatherer、略してEHG)といったEuHG(European Hunter-Gatherer、ヨーロッパ狩猟採集民)や、アナトリア半島新石器時代農耕民(Anatolian Neolithic farmer、略してANF)起源のヨーロッパ初期農耕民(early European farmer、略してEEF)やコーカサス狩猟採集民(Caucasus hunter-gatherer、略してCHG)の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有していました。

 金石併用時代には、コーカサス・ヴォルガ川下流域からの移民が在来の狩猟採集民とは交雑せず、トリピッリャ文化(Trypillia)農耕民集団と遺伝的に同等の影響絵で交雑し、紀元前4500年頃にウサトヴェ(Usatove、略してUSV)集団が形成されました。コーカサス・ヴォルガ川下流域からは、これとは時間的に重複しつつも別の移民が到来し、在来の農耕民ではなく狩猟採集民と交雑し、スレドニ・ストグ考古学複合体(Serednii Stih archaeological complex)集団を形成しました。このスレドニ・ストグ考古学複合体集団の子孫は交雑によってヤムナ文化集団を形成し、前期青銅器時代となる紀元前3300年頃に拡大しました。

 レドニ・ストグ考古学複合体集団とヤムナ文化集団との間の時間的空白は、ウクライナのミハイリウカ(Mykhailivka)遺跡で発見された紀元前四千年紀半ばの1個体によって埋められ、ヤムナ文化集団の形成の中心地がこの頃のミハイリウカ遺跡周辺だった可能性も指摘されています。北ポントス地域におけるこうした移住の波は、外部の祖先系統を取り入れながらも、独自の祖先系統を広めており、これは北ポントス地域の人々がユーラシアの広範な地域に遺伝子と文化を広めるのに成功した理由かもしれません。北ポントス地域のとくに鉄器時代以降の人口史については、最近刊行されたばかりの研究(Saag et al., 2025)がたいへん有益だと思います。時代区分の略称は、N(Neolithic、新石器時代)、金石併用時代(Eneolithic、略してEL)、CA(Copper Age、銅器時代)、BA(Bronze Age、青銅器時代)、EBA(Early Bronze Age、前期青銅器時代)です。


●要約

 北ポントス地域は古代ヨーロッパの農耕民とユーラシア草原地帯の狩猟採集民および牧畜民が遭遇した場所で、ヨーロッパ全域への移動の拠点でした[3~5]。本論文は、先史時代の北ポントス地域の81個体のゲノム規模データを報告し、その人々の遺伝的構成を明らかにします。北ポントス地域の採食民は、バルカン半島および東方狩猟採集民[6]やヨーロッパ農耕民に、時としてコーカサス狩猟採集民の祖先系統を有していました。金石併用時代には、コーカサス・ヴォルガ川下流域からの移民の波が、在来の狩猟採集民とは交雑せずに、トリピッリャ文化農耕民と同等の割合で交雑し、紀元前4500年頃にウサトヴェ文化の人々を形成しました。コーカサス・ヴォルガ川下流域からの移民の時間的に重複する波は、農耕民ではなく採食民と混合し、スレドニ・ストグ考古学複合体の人々を形成しました。

 第三の波は、スレドニ・ストグ考古学複合体集団の子孫であるヤムナ文化集団で、ヤムナ文化集団は紀元前4000年頃に交雑によって形成され、前期青銅器時代(紀元前3300年頃)に拡大しました。スレドニ・ストグ考古学複合体集団とヤムナ文化集団との間の時間的空白は、ウクライナのミハイリウカ遺跡で発見された遺伝的にヤムナ文化の1個体によって埋められました。ここは金石併用時代から青銅器時代への移行期にわたって考古学的連続性のある遺跡で、ヤムナ文化集団形成の中心地だった可能性が高そうです。これら3回の移住の波のそれぞれは、外部の個体群を取り入れながらも、独自の祖先系統を広めており、北ポントス地域の人々がユーラシア全域に遺伝子と文化を広めるのに成功したことを、説明できるかもしれません[3、4、5、8~10]。


●研究史

 黒海の北側の地域は北ポントス地域(NPR)と呼ばれており(図1)、中核的なインド・ヨーロッパ語族言語を話した共同体の故地と提案されてきており、インド・ヨーロッパ語族言語は、ヤムナ考古学的複合(以後、ヤムナと呼ばれます)の拡大に伴って紀元前四千年紀後半までにユーラシア全域に拡大し始めました。ヤムナ集団の拡大は、先行する人口集団の遺伝的祖先系統の豊かな多様性に大きく取って代わりました。以下は本論文の図1です。
画像

 古代DNAのゲノム規模研究では、NPRにおける氷期後の狩猟採集民の遺伝的祖先系統は、西方のWHG(西方狩猟採集民)と関連する祖先系統と東方のBHG(ドナウ川鉄門バルカン半島狩猟採集民)およびEHG(東方狩猟採集民)[6]の混合だった、と明らかにされてきました[3]。ウクライナでは、中石器時代から新石器時代への移行(紀元前5800年頃以後)は、以前に確立された在来人口集団のEHG祖先系統とのWHG祖先系統の混合によって特徴づけられました。

 新石器時代には、NPR西部はクリス(Criş)文化やスタルチェヴォ(Starčevo)文化や線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化などバルカン半島とヨーロッパ中央部の農耕クラスタ(まとまり)の故地で、さまざまな割合のWHGとの混合があり、ANF(アナトリア半島新石器時代農耕民)に由来するEEF(ヨーロッパ初期農耕民)祖先系統を有していました[12]。UNHG(Neolithic hunter-gatherer populations of the Dnipro Valley、ドニプロ川流域の新石器時代狩猟採集民人口集団、ウクライナ_N)は、EHG/WHGに基づく遺伝的祖先系統を保持し続けました[6]。

 初期金石併用時代(紀元前4800年頃)に、ククテニ・トリピッリャ考古学複合体(Cucuteni–Trypillia archaeological complex、以後トリピッリャ文化)の農耕集団がカルパチア盆地を横断して東方のドニプロ川流域へと拡大しました。トリピッリャ文化個体群の祖先系統はおもにEEFに由来し、BHG/WHGおよびCHG(コーカサス狩猟採集民)との混合がありました[6、17、18]。

 東方への拡大中にトリピッリャ文化集団は、おそらく紀元前五千年紀前半にアゾフ・ドニプロ・ドネツ地域で形成された、スレドニ・ストグ考古学的複合体(Serednii Stih archaeological complex、以後スティフ文化)の遊動的な共同体と遭遇しました。紀元前4700~紀元前4500年頃のアゾフ草原地帯における初期スティフ文化の存在は、マリウポリ(Mariupol)のネクロポリス(大規模共同墓地)の初期スティフ文化の1個体の同位体分析によって裏づけられます、しかし、スティフ文化個体群など草原地帯人口集団の遺伝的祖先系統(草原地帯祖先系統と呼ばれます[3~6、10])についての知識はこれまで限られており、それは高度に多様な祖先系統を明らかにした小さな標本規模のためです[6、18]。

 紀元前四千年紀には、ウサトヴェ文化として知られる独特な考古学的複合体がNPR北西部で確立しました。標本抽出されたウサトヴェ文化個体群は、EEFおよび草原地帯祖先系統や、コーカサス金石併用時代/マイコープ(Maykop)文化関連の遺伝的構成要素を有していましたが、構成祖先系統の近似供給源は不明なままです。紀元前四千年紀後半には、NPRは多様な集団によって占拠されており、そうした集団は、独特な埋葬儀式や土器様式や技術と、おそらくは車輪付き馬車の輸送を含む移動性増加によって特徴づけられます。この多様性は紀元前四千年紀の後半1/3に、次の千年紀の前半にまで続いた、ヤムナ文化の拡大によって翳りました。

 NPRの続旧石器時代から前期青銅器時代の人口集団の遺伝的祖先系統は、限られた数の遺跡に由来しており、とくにヤムナ文化関連の人々によって促進された遺伝的置換[3、4、6、10、18、22]に先行する期間の人口動態の理解を妨げています。本論文は、以前に利用可能だった考古学的遺跡よりもずっと後半な遺跡から得られた先史時代NPR個体群を分析し、これにはトリピッリャ文化やウサトヴェ文化やスティフ文化の以前よりかなり大きな標本規模が含まれます。これらのデータを付随する論文[7]で報告されているデータとともに共同分析することで、ヤムナ文化個体群へのこれらの集団の寄与が調べられ、とくに考古学的証拠との本論文の結果の統合に焦点が当てられ、ヤムナ文化の形成前後の遺伝的および考古学的変容の全体像が生成されます。

 新石器時代から青銅器時代のNPRの古代人81個体について、全ゲノム古代DNAデータが生成されました(このうち71個体のデータは初めて報告されます)。これらのデータを生成するために、206点の骨格要素が標本抽出され、462点の次世代配列決定ライブラリが構築され、検査後に245点が分析へと進められました。本論文は51点の直接的な放射性炭素年代の生成によって分析を充実させ、同位体比を分析するために比較データを使用しました。これらのデータは、新たに報告された291個体とデータが改善された63個体を含む、草原地帯人口集団の付随研究[7]のデータと共同分析されました。

 主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され、シベリアおよびヨーロッパの狩猟採集民(上部)からアジア西部狩猟採集民(底部)の分化、ヨーロッパ東西(水平上部)と内陸部および高地対地中海(水平底部)[24]の分化を把握するよう設計されている、人口集団一式[7]を用いて軸が形成されました。この分析は主要な5通りの勾配を明らかにします。CLV(Caucasus–Lower Volga、コーカサス~ヴォルガ川下流)勾配、ヴォルガ川勾配、ドニプロ川勾配、EuHG(European Hunter-Gatherer、ヨーロッパ狩猟採集民)勾配の4勾配は、付随研究[7]で正式に説明されています。5番目のEFHG(European Farmer and Hunter-Gatherer、ヨーロッパ農耕民および狩猟採集民)勾配は、ヨーロッパ中央部のLBK集団や、ブルガリアのユナツィテ(Yunatsite、略してYUN)遺跡の銅器時代となるグメルニタ(Gumelnița)文化もしくはカラノヴォ(Karanovo)文化と関連する人口集団(YUN_CA)で構成される一方のヨーロッパ農耕民と、もう一方のBHG(セルビア_鉄門_中石器)によって形成されます(図2a)。以下は本論文の図2です。
画像

 UNHG個体群はBHGへと無数EuHG勾配の「東」端、およびドニプロ川勾配の「北」端に位置します。これは、UNHGがドニプロ川勾配上のその後の金石併用時代および青銅器時代の人々に寄与し、中核ヤムナ文化個体群[7]が「南」端に位置することを示唆しています。

 図2aにおける金石併用時代(スティフ文化個体群を除きます)および青銅器時代個体群はほぼ、EFHG勾配の「農耕民」端に向かって位置します。NPRの4個体は中核ヤムナ文化個体群と草原地帯のマイコープ(Maykop)文化個体群との間で勾配を形成し、PCAでは、ヴォルガ川下流のベレスフノヴカ(Berezhnovka)遺跡およびコーカサスのプログレス2(Progress-2)遺跡の金石併用時代個体群(BP)で構成されるBP群人口集団に近いようですが、qpAdmはNPRの4個体の祖先が異なることを示しており、その祖先系統の約半分はシベリア/アジア中央部新石器時代供給源にさかのぼります[7]。これらのうち2個体、つまりウサトヴェ文化の個体I20078(ウサトヴェ_ I20078)とジヴォティロフカ(Zhivotilovka)遺跡の個体(ジヴォティロフカ_I17974)は、モルドヴァの後期金石併用時代の個体です。他の2個体、つまりハンガリーのチェルナヴォダ1(Cernavodă I)文化の個体(チェルナヴォダ_I5124)[7]とモルドヴァのジュジュレシュティ(Giurgiuleşti)遺跡の個体I20072(紀元前4300~紀元前4000年頃)は、考古学的にNPRおよび隣接するバルカン半島・カルパチア盆地地域にわたってオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)墓を残した人々と関連しています。


●新石器時代NPR祖先系統の供給源

 標的および広範なあり得る供給源として、UNHGでf₃統計が計算されました。その結果、UNHG人口集団は第一次近似として、EHGおよびBHGと関連する供給源で構成される、と示唆されます。しかし、EuHG勾配UNHG端がEEF祖先系統を有する人口集団の方へと動いていることは、図2aのPCAから明らかです。ADMIXTURE演算法での教師無分析(図2b)では、UNHGは、デレイフカ1(Deriivka I)遺跡の中石器時代ウクライナ集団かカレリアのEHG集団か鉄門遺跡のBHG集団には存在しない、アナトリア半島農耕民/CHG祖先系統の小さな構成要素が割り当てられています。ウクライナ_Nと分類表示された個体群からの標本を、付随研究[7]の他のEuHG人口集団でモデル化すると、72.5±2.9%のドン川下流のゴルバヤ・クリニッツァ(Golubaya Krinitsa、略してGK)遺跡の個体GK2の祖先系統と27.5±2.9%のBHG祖先系統での単一の2供給源モデルが依然として実行可能です。EHG供給源としてレビャジンカ(Lebyazhinka)遺跡もしくはカレリアの個体でこれら2供給源の混合としてのEHGとBHGとの間のより広範な勾配に適合させることは失敗し、qpAdmの出力は、これらのモデルがトルコ_Nと共有された遺伝的浮動を過小評価している、と示唆します。

 3供給源モデルはすべて、7~9%のEEF祖先系統とともにEHGおよびBHG祖先系統を含んでおり、EEF祖先系統は、そうした祖先系統のないモデルにおいてトルコ_Nとの過小評価された浮動を説明します。EEF祖先系統がUNHG人口集団の一般的特徴なのかどうか検証するため、EEF祖先系統を表すヨーロッパ中央部のLBKを含むモデルが、ウクライナ_Nの分類表示の35個体に適用されました。その結果、このパターンは数個体の外れ値によって起きているわけではない、と示されます。

 UNHGは顕著なBHGおよびEHG祖先系統を有している、と推測されており、ヴァシリフカ3(Vasylivka III)遺跡[6]およびヴァシリフカ1遺跡の中石器時代個体群[28]と比較してBHG祖先系統が増加しています。したがって、遺伝学的証拠は、この変化の原因となる、紀元前七千年紀における鉄門地域からドニプロ川流域への人々の移住と一致します。鉄門地域のBHG個体群は散発的なEEF祖先系統を有している、と示されているので、そうした祖先系統を有する一部の鉄門地域的な移民は、中石器時代ウクライナの個体群と比較して、BHGおよびEEF両方との混合を説明できるかもしれません。

 バルト海地域における混合したWHGおよびEHGの背景の狩猟採集民[3、24、30]は、UNHGで検出されるEEF祖先系統を有していません。スウェーデンのゴットランド島のアジュヴィーデ(Ajvide)集落遺跡およびヴェーステルブイェルス(Västerbjers)遺跡の円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPWC)/戦斧文化(Battle Axe Culture、略してBAC)人口集団は、EEF祖先系統がおもに狩猟採集民背景の集団へと取り入れられ、約1/5のEEF関連祖先系統を有している、本論文のモデルでは正確に推測されます。UNHGにおけるEEF関連祖先系統に関する本論文の発見は、ヨーロッパにおける新石器時代の拡大の周辺での、狩猟採集民共同体への農耕民祖先系統の取り入れの、別々のずっと早い事例を提供します。

 UNHGの2個体、つまり本論文において報告されるマリウポリのネクロポリスのI31730と、フォフニギ2(Vovnigi 2)遺跡のI1738[6]は、LBK-EHG-BHGモデルと一致せず、供給源としてLBKの代わりにCHGでモデル化でき、これは紀元前六千年紀の後半[7]にドン川中流域[7、34]を越えてドニプロ川流域[18]へと時に広がっていたCHG関連祖先系統と一致します。


●CLV混合と長距離移動

 スレドニ・スティフ考古学複合体(スティフ文化)個体群の祖先系統は、付随研究[7]で詳細に調べられています。スティフ文化個体群は、ドニプロ勾配(ヤムナ文化集団が派生することになった、金石併用時代のそれ以前の人口集団の代理です)とドニプロおよびドン川狩猟採集民(UNHGもしくはGK2)の終点として、中核ヤムナ文化集団である供給源でモデル化できます。中核ヤムナ文化集団自体は、約4:1のCLV勾配とドニプロおよびドン川狩猟採集民人口集団であることと一致するので[7]、スティフ文化個体群の祖先系統の形成は、ドニプロおよびドン川狩猟採集民とのCLV勾配の移民の融合の結果と見ることができます。

 スティフ文化のイグレン8(Igren-8)遺跡の外れ値(outlier、略してo)1個体(I27930、イグレン_o、紀元前4400~紀元前4000年頃)の祖先系統[7]は、ドン川中流域の新石器時代のGK2個体(紀元前5610~紀元前5390年頃)[34]およびヴァシリフカ1遺跡とヴァシリフカ遺跡の中石器時代狩猟採集民[28]と類似しているようで(図2a)、約2/3のEHG祖先系統および1/3のBHG祖先系統を有する、とモデル化できます[7]。したがって、個体I27930はスティフ文化の埋葬状況において新石器時代祖先系統の持ち越しを表しており、ドン川中流域からの長距離移住の結果もしくは近隣のヴァシリフカ遺跡の中石器時代祖先系統の継続の結果として、ドニプロ川流域に現れた可能性が高そうです。

 ドナウ川下流のジュジュレシュティ遺跡の個体I20072(紀元前4330~紀元前4058年頃)は、ヴォルガ川下流~コーカサスの続旧石器時代集団と単系統群(クレード)です。ハンガリーの同時代のチョングラード(Csongrád)遺跡遺跡の1個体とともに、この単系統群はイグレン遺跡の個体I27930(イグレン_o)よりもさらに大きな範囲の長距離移住の事例を表しており、ヴォルガ川からヨーロッパ中央部の中心部にまたがっています。


●トリピッリャ文化とウサトヴェ文化

 本論文および先行研究[6、17]のトリピッリャ文化個体群を含む混合f₃統計では、トリピッリャ文化個体群はユナツィテ遺跡もしくはLBK個体群などのEEF集団よりも多くの狩猟採集民祖先系統と混合している[6]、と示されるものの、祖先系統供給源のより洗練された理解はありません[36]。BP集団とYUN_CAとBHGでのqpAdmモデルは、トリピッリャ文化の24個体のうち23個体について適用可能で、そのすべては一部のCLVを含んでいます。これらトリピッリャ文化の23個体について、遺伝的祖先系統は平均して、81%のバルカン半島続旧石器時代(YUN_CAなど)と14%のBHGと5%のCLV由来のBP集団に由来します(表1)。DATES(進化兆候の祖先系統区域の分布)によると、トリピッリャ文化個体群の形成的な混合は紀元前4595±121年(95%信用区間では紀元前4832~紀元前4358年)に起きました(図3)。以下は本論文の図3です。
画像

 本論文および先行研究[5]のウサトヴェ文化個体群は遺伝的に多様で、PCA空間においてトリピッリャ文化個体群と、CLVとヴォルガ川およびドニプロ川勾配が交差する領域との間を示しています。qpAdmでの形式的モデル化から、ウサトヴェ文化人口集団は約45%のプログレス2(Progress 2)遺跡およびヴォニュチュカ1(Vonyuchka 1)遺跡(PV)集団(CLV勾配の中間的集団)と約55%のトリピッリャ文化個体群の混合としてのみモデル化できる、と明らかになります(表1)。一般化された3方向モデルでは、ウサトヴェ文化個体群におけるCLV祖先系統はヴォルガ川下流を中心とするBP集団に由来せず、コーカサス南部の新石器時代のアナシェン(Aknashen)文化個体群関連祖先系統[5]の顕著な割合を有していた、と確証されました。ウサトヴェ文化個体群とは対照的に、ドナウ川三角州のカルタル(Kartal、略してKTL)遺跡のチェルナヴォダ1(Cernavodă I)文化人口集団におけるCLVとの混合(カルタル遺跡の5個体で構成されるKTL_A)[5]は、BP集団に由来し、アナシェン文化個体群関連祖先系統は相対的に少ないか皆無でした。DATESを用いて、ウサトヴェ文化個体群の形成的な混合は紀元前4471±51年(95%信用区間では紀元前4571~紀元前4371年)に起きた、と推定されます(図3)。


●ヤムナ祖先系統およびコーカサスとの混合

 付随研究[7]に従って、本論文で中核ヤムナと呼ばれる集団が定義されて、この集団は遺伝的に均質な104個体一式によって表され、考古学的にヤムナ文化およびアファナシェヴォ(Afanasievo)文化に割り当てられる高品質なデータがあります。付随研究[7]では、これらの個体は紀元前4000年頃の混合起源に由来し、紀元前3750~紀元前3350年頃に小さな創始者規模から拡大した祖先人口集団を形成した、と示されています。中核ヤムナ集団はヤムナ祖先系統を有する全個体において最大の祖先供給源で、ヤムナ祖先系統を有する全個体は、中核ヤムナ集団が拡大中に遭遇したに違いない、在来人口集団からの追加の混合を有する点で異なります[7]。付随研究[7]では、複数の一連の証拠から、中核ヤムナ集団および恐らくはヤムナヤ文化集団自体が、NPR北東地域のドニプロ川およびドン川地域で形成された、と示唆されていますが、遺伝学的証拠のみに基づいてはヤムナ文化集団の地理的起源を絞り込めません。

 付随研究[7]ではさらに、中核ヤムナ集団はCLVとNPRの狩猟採集民集団の混合としてモデル化できる、と示されました。EEF祖先系統を、CLVおよびNPR狩猟採集民供給源以外に中核ヤムナ集団に追加の供給源として共生すると、その割合がゼロより有意には大きくならない(3.2±3.1%)一方で、コーカサス新石器時代集団の割合は15.6±4.3%で、中核ヤムナ集団におけるアナトリア半島関連祖先系統[10]はおもに、アルメニアのアナシェン文化集団[10]のようなコーカサス新石器時代人口集団から伝えられており、アナトリア半島起源のヨーロッパ農耕民から伝えられたわけではなかった[38]、と示唆されます。この仮説のさらなる裏づけは、CLVおよびNPR狩猟採集民祖先系統のみでのqpAdmモデルが、祖先系統の教室無ADMIXTURE推定値(図2b)と一致する、という事実に由来します。中核ヤムナ集団におけるEEF祖先系統は確定的ではありませんが、ブルガリアとハンガリーとルーマニアとセルビアの西方ヤムナ文化集団には明らかに存在します[7]。ヤムナ文化集団の混合は、エーゲ海のバルカン半島の最南端を除いて、ヤムナ文化拡大後のヨーロッパ南東部において一般的な祖先系統の特徴になりました[10、39~41]。

 ヤムナ文化集団の起源地をさらに絞り込むため、年代的に最古級の中核ヤムナ集団の個体である、ウクライナのドニプロ川下流域のミハイリウカ遺跡の第2層(祖型ヤムナ文化)から発見された、紀元前3635~紀元前3383年頃の1個体(ミハイリウカ_I32534)に焦点が当てられました。ミハイリウカ_I32534は、CLV諸集団がqpAdm分析の右側一式に設置されると、中核ヤムナ集団との単系統群として適合し続けます。さらに、UNHGもしくはEEFのどちらかが第二供給源として追加されると、両者は有意ではなく、名目上は負で、中核ヤムナ集団以外の祖先系統の証拠を提供しません。したがって、ミハイリウカ_I32534は後期スレドニ・スティフ考古学複合体人口集団と、シベリア南部からヨーロッパ南部へと拡大した主要なヤムナ文化集団の拡大との間の時間的空白を埋め、数千kmの距離にまたがる拡大によって地理についての情報が曖昧になったので、ヤムナ文化集団の形成の起源を判断することはできません。

 おもに中核ヤムナ祖先系統を有する他の初期3個体(紀元前3350~紀元前3100年頃)はすべてモルドヴァで発見され、そのうちクラスノエ(Crasnoe)遺跡の個体I20196(モルドヴァ_クラスノエ_EL)は、中核ヤムナ集団と単系統群です。他の2個体のうちメレニ(Mereni)遺跡の個体I17743(モルドヴァ_EBA_ヤムナヤの一部)は6.9%のEEFとの混合を、ブルシュチェーニ(Bursuceni)のジヴォティロフカ遺跡の1個体(ジヴォティロフカ_I17974)は18.2%の草原地帯マイコープ文化集団との混合を示しました。

 ミハイリウカ_I32534の他に、ウクライナのヤムナ文化の4個(I12168、I20975、I3141_データ改善、I21056)は、EEFとの混合の証拠を示さない中核ヤムナ集団と単系統群です。NPR北西部のウクライナのヤムナ文化の3個体は、ブルガリアの金石併用時代個体群もしくはトリピッリャ文化個体群など近位供給源からのこの種の顕著な混合を示します。したがって、NPR北西部は一貫して、ヤムナ文化集団がその西方への拡大中に初めて実質的なEEFとの混合を受けた場所であることと一致します。

 モルドヴァのヤムナ文化の外れ値2個体におけるかなりの割合のEEF祖先系統は、中核ヤムナに加えてトリピッリャ文化個体群もしくは球状アンフォラ(両取って付き壺)文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)個体群のモデルに最良に適合します。ブルガリアのヤムナ文化個体のうち1個体が22.3%のYUN_CA関連祖先系統を示したのに対して、同じ遺跡の別の1個体は中核ヤムナ集団と単系統群です。したがって、ヤムナ文化集団の拡大は、ウクライナに始まってバルカン半島南部へと到達し、中核ヤムナの遺伝的特性を維持していた個体群や、在来農耕民との他の混合、草原地帯を越えての、ヤムナ祖先系統とおそらくはインド・ヨーロッパ語族言語の伝達の開始を含んでいました。

 PCAにおいて草原地帯マイコープ文化へと動いている個体のうち2個体(図2a)、つまりジモルドヴァのヴォティロフカ_I17974とウサトヴェ_ I20078は、同じヤムナ祖先系統に加えて草原地帯マイコープ文化関連の混合過程で形成され、ヴォティロフカ_I17974はウサトヴェ_ I20078で見られる草原地帯マイコープ文化関連祖先系統を約1/3(18.2±6%対60.6±6.2%)有しています(表1)。ヴォティロフカ_I17973はヴォティロフカ_I17974とともに埋葬されており、本論文で利用可能な供給源のどれとも適切にモデル化できませんが、CLV勾配の「南」端もしくは南コーカサスの新石器時代アナシェン文化個体群に最も近く、これはPCAにおけるヴォティロフカ_I17973によって裏づけられます(図2a)。NPR北東部では、オゼラ(Ozera)遺跡で発見された初期ヤムナ文化の1個体(ウクライナ_EBA_オゼラ)は、中核ヤムナ集団的およびマイコープ文化集団的祖先系統の均等な混合として最適にモデル化され、ヴォティロフカ_I17973と同様に、コーカサスとの明確なつながりを提供しています。このつながりさらなる証拠は、マヤキ(Mayaky)遺跡の前期青銅器時代人口集団[5]に由来し、この人口集団は同じ地域のウサトヴェ文化個体群とは連続していませんが、1/5のマイコープ文化集団的祖先系統と、ドン川下流のヤムナ文化集団によって最適に表される残りの祖先系統の独特な組み合わせを表しており、このドン川下流のヤムナ文化集団自身が、中核ヤムナ集団およびNPR狩猟採集民の混合だった人口集団でした[7]。


●青銅器時代におけるヤムナ祖先系統

 NPRにおいて年代的に部分的ヤムナ文化と重なり、その後にも続いた地下墓地考古学複合体の個体群は、ヤムナ的な遺伝的祖先系統を示し続けた、と分かりました。「ウクライナ_EBA_地下墓地」と分類表示された人口集団には、本論文のデータセットの個体I12840およびI16668が含まれ、中核ヤムナ集団と単系統群です。ヤムナ祖先系統はNPRにおいて紀元前三千年紀後半まで存続しました。

 NPRでは、地下墓地群の後にバビネ(Babyne)と呼ばれる多突帯文土器(Multi-cordoned Ware)複合体が続きました。バビネ個体群的な祖先系統についての実行可能なモデルは、中核ヤムナ集団とヨーロッパ農耕民供給源とかなりの狩猟採集民祖先系統を含んでいます(表1)。同様に混合した人口集団は現在のルーマニアのアルマン(Arman)のカルロマネスティ(Cârlomăneşti)遺跡およびムンテニア(Muntenia)のタルグソル・ヴェチ(Târgşoru Vechi)遺跡の青銅器時代個体群で説明されており[10]、高い割合の狩猟採集民祖先系統の人口集団がNPRおよびカルパチア盆地南部において一部のヤムナ文化後の人々に寄与した、と示唆されます。


●考察

 本論文は、ヤムナ文化集団の出現以前および以後の、北ポントスの草原地帯および森林草原地帯における人口動態の包括的な再構築を提示します。ドニプロ川流域の新石器時代人口集団は、ほぼBHGおよびEHG供給源と混合し、個体I27992およびI3719など一部の外れ値個体を除いてUNHG人口集団には約7~9%のEEF祖先系統があり、個体I27992はヤシュニュファツカ(Yasynyvatka)遺跡の舟形墓に埋葬されていて(本論文の推定では27±6.0%のEEF祖先系統を有しています)、個体I3719はデレイフカ1墓地に埋葬され、混合していないEEF祖先系統(103.5±1.6%)を有していました。CHG祖先系統も散発的に約7~10%存在しており、とくにマリウポリの新石器時代ネクロポリスの被葬者において顕著でした。UNHG集団におけるEEF祖先系統の近位供給源は依然として不明ですが、ドニプロ川流域のBHG市民もしくはUNHG共同体に含まれていた1個体I3719などEEFの遺伝的背景の個体群[6]によって伝えられたかもしれません。

 金石併用時代のトリピッリャ文化人口集団は、BP集団のCLV祖先系統を有する人々からの限定的な混合(約5%)を受けた、EFHG勾配に沿った供給源からおもに形成されました。ウサトヴェ文化個体群はPV集団のCLVの人々から形成され、トリピッリャ文化個体群的祖先系統と近東に混合しました。

 ウサトヴェ文化およびトリピッリャ文化個体群から得られた証拠は、金石併用時代のNPRにおけるCLVの混合過程を明らかにします。ジュジュレシュティ遺跡およびチョングラード遺跡個体群のようなヴォルガ-CLV祖先系統の一部の保有者は、途中で遭遇した人々とほぼ混合せずに、NPR草原地帯を横断して、バルカン半島およびカルパチア地域へと進みました。対照的に、東方に向かったトリピッリャ文化農耕民はヴォルガ-CLVの侵入者の祖先系統を取り入れました。本論文の調査結果によって浮かび上がる興味深い可能性は、ウサトヴェ文化個体群が、ドナウ川とドニエストル川の三角州地域の前線周辺で形成され、そこではトリピッリャ文化集団の移民と初期CLV–PV集団とその経済的利益が収束したことです。同様の状況は、KTL_Aのチェルナヴォダ1文化人口集団でもあり得ますが、この集団には、ジュジュレシュティ遺跡およびチョングラード遺跡個体群のようなCLV祖先系統のBP集団由来の保有者がいました。あるいは、ウサトヴェ文化個体群とKTL_Aは、トリピッリャ文化集団とコーカサスおよびヴォルガ川の人口集団の両方が加わった、共存および独立した文化の「連邦」として形成されたかもしれません。第三の仮定は、平等主義のトリピッリャ文化集団を、CLV祖先系統を有しており、NPR北西部へと広がる、階層化された家父長制社会の支配下に置きます。

 ウサトヴェ文化個体群とは対照的に、NPRにおけるCLVおよびUNHG関連祖先系統の保有者[7]は、明らかなEEF祖先系統を欠いています。付随研究[7]および本論文は、中核ヤムナ集団を、標本抽出されたスレドニ・スティフ考古学複合体個体群より多くCLV祖先系統を有していたものの、同じCLVおよびUNHG/GK2に由来する構成要素から形成されている、後期スレドニ・スティフ考古学複合体由来の人口集団として確証します。CLV祖先系統が、トリピッリャ文化集団で約5%、ウサトヴェ文化集団の祖先系統の約50%を構成しているのに対して、ヤムナ文化集団[7]では約77%です。ウサトヴェ文化集団では、約14%のCLV祖先系統がコーカサス南部のアナシェン文化集団関連だったのに対して、中核ヤムナ集団では、アナシェン文化集団関連祖先系統は約21%だったので、西方へのCLV移住は単一地点に起源がなかったかもしれない、と示唆されます[7]。

 アルタイ地域からブルガリアまでの広範な地域における混合していない中核ヤムナ集団の存在は、急速なヤムナ集団の拡大の闕かとして最節約的に説明されます。中核ヤムナ集団クラスタ(まとまり)の顕著な均質性がその形成期間における相対的な孤立の結果だったのか、異類婚を意図的に避けた結果だったのか、という問題については、まだ回答がありません。形成期とは対照的に、西方への拡大に加わったヤムナ集団は、在来のEEF祖先系統を吸収しながら、ドン川のヤムナ集団で見られる祖先系統と関連する狩猟採集民の多い祖先系統、およびマイコープ文化や草原地帯マイコープ文化集団の祖先系統を有していました。人口集団間の相互作用戦略におけるこの変化は、より広範な配偶の機会を可能としたか、促進した、権力の均衡の変化の結果かもしれません。これらの共同体の統合的性質は、その顕著な移動性と組み合わされて、地理的および人口集団の境界を越える、インド・ヨーロッパ語族言語と文化の拡散において、ヤムナ集団の成功に寄与した可能性が高そうです。

 中核ヤムナ祖先系統を有する年代的に最古級(紀元前3635~紀元前3383年頃)の1個体は、後期金石併用時代から前期青銅器時代までの連続した文化層を示している、ミハイリウカ集落に由来します。考古学的証拠の文脈では、これらの結果は、ドナウ川下流、具体的には、ポントス・カスピ海草原地帯(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)全域の古代草原地帯の「高速道路」網の交差点に位置するミハイリウカ遺跡の周辺地域が、ヤムナ集団が最初に出現した場所である、との主張の妥当性を高めます。NPRにおいてヤムナ集団を継承した地下墓地およびバビネ集団はヤムナ集団的な遺伝的祖先系統を保有し続け、中期青銅器時代に向けて、狩猟採集民祖先系統の復活を示しました。バビネ集団的な遺伝的祖先系統を有する個体群の地理的拡散は、ヤムナ集団と類似しているものの、より小規模である、この集団の高い移動性を反映しているかもしれません。


●CLV拡大の波

 本論文の分析は、金石併用時代におけるNPRへのCLVと関連する部分的に重なった3回の波の歴史を示唆します。CLVの最初のBP集団/PV集団と関連するかもしれないヴォルガ川下流端は、紀元前4500年頃に始まりました。これはジュジュレシュティおよびチョングラード遺跡の「オーカー墓」と関連しており、トリピッリャ文化集団やウサトヴェ文化集団やKTL_Aに混合を残しました[5]。第2のより長い波は、西マヌィチ・レモントノイエ(West Manych–Remontnoye)型集団である、CLV勾配の中間的な部分を保有しており、最初の波動で、紀元前4500年頃にスレドニ・スティフ考古学複合体の形成と関連しており、KTL_Bの形成に寄与しました。しかし、それ以外では、この第2の波は、とくに紀元前五千年紀後半から紀元前四千年紀前半の草原地帯の「中断」期にはほぼドン川下流域に留まり、この「中断」は、乾燥化と気温の寒冷化へと向かう急激な気候変化および考古資料の相対的不足によって特徴づけられます。

 中核ヤムナ集団の遺伝的混合は、草原地帯の中断の最盛期において、紀元前4038±48年に起きた、と推定されています(95%信用区間では紀元前4132~紀元前3944年)。この年代が急速に起きた人口集団の混合に相当しているのかどうか、あるいは、何世代にもわたって展開した過程に相当するのかどうか不明で、その場合には本論文の推定は平均です。したがって、草原地帯の中断は、気候激変のため孤立した初期のスティフ文化に由来する祖型ヤムナ人口集団からの、中核ヤムナ祖先系統の出現の理由かもしれません。この仮定では、ミハイリウカ遺跡の1個体は、中核ヤムナ集団の地理的起源の近くのそうした祖型ヤムナ人口集団を表しており、その遺伝的特徴がすでに発達していた時代から標本抽出されました。

 CLV祖先系統拡大の第3の波は、紀元前3300年頃に始まり、紀元前三千年紀半ばまで続いた、ヤムナ主流派の拡大です。これら3回の拡大の波は、地理的および遺伝的に多様なCLV勾配にさまざまな地点から祖先系統を広めました。CLV祖先系統拡大の3回の遺伝的な波が、インド・ヨーロッパ人の影響の拡大と「古ヨーロッパ」の没落を説明する、1950年代にマリヤ・ギンブタス(Marija Gimbutas)氏によって提唱された、クルガン(Kurgan、墳墓、墳丘)集団の3回の波と時空間的に一致していることは、注目すべきです。ギンブタス氏は征服の結果としてのクルガン祖先系統の拡大を想定し、文化的変容を強調しましたが、本論文の結果は、第1および第2と、特に第3の波におけるヤムナ集団の拡大によるCLV祖先系統の拡大によって影響を受けた、大規模な遺伝的変容の証拠を提示します。そうした遺伝的変化には複雑な文化動態が関わっていたに違いなく、そこでは紛争と平和的統合の両方が役割を担っていたかもしれません。これら3階の拡大の文化的影響を調べる将来の研究は、付随する広大な遺伝的影響の新たな理解によって特徴づけられねばなりません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


遺伝学:古代のゲノムがヤムナ文化の起源の手がかりとなる

 5,000年前にユーラシアステップ(steppe:草原)からヨーロッパへと移住した遊牧民ヤムナ(Yamna)族(別名ヤムナヤ〔Yamnaya〕族)の起源を明らかにする2つの論文が、今週のNature に掲載される。ウクライナとロシアの現代の古代ゲノムデータから、これらの遊牧民がどのようにして祖先、文化、そして恐らくは言語を広めていったのかについての洞察が得られた。

 ヤムナの人々は、インド・ヨーロッパ語族をユーラシアステップ(東ヨーロッパからアジアに広がる地域)からヨーロッパ大陸に広めるのに重要な役割を果たしたと考えられている。しかし、この民族の正確な起源は依然として不明である。

 今回Nature に掲載される2つの論文では、ポントス・カスピ海ステップ(Pontic–Caspian steppe:黒海とカスピ海に挟まれたヨーロッパとアジアにまたがる地域)とその周辺地域から最大435人の古代DNAを分析し、これまでサンプルが採取されていなかった多数の集団をデータセットに導入することで、ヤムナ人の起源を調査している。これらのデータは、地理的、考古学的、および時間的な情報を組み合わせて、ヤムナ人の歴史をモデル化するために使用された。

 Iosif Lazaridisらは、ヤムナ人の新石器時代(銅器時代)の祖先について、3つの異なるサブグループ(クライン〔clines〕と呼ばれる、集団内の勾配に沿った測定可能な変化によって定義されるもの)を提案している。すなわち、コーカサス・下ヴォルガ(Caucasus–lower Volga)クライン、ヴォルガ(Volga)クライン、およびドニエプル(Dnipro)クラインである。これらのクラインは、既存のヨーロッパの集団と混ざり合った。コーカサス・下ヴォルガのクラインは、ヤムナ族の祖先の約80%を占め、また、青銅器時代のアナトリアの人々(現在のトルコの大半を占める西アジアの半島)の人々の祖先の約10%を占めている。著者らは、アナトリア人とインド・ヨーロッパ人の共通の祖先の言語を話す人々は、紀元前4400年から紀元前4000年の間にコーカサス・下ヴォルガから派生したと示唆しているが、この結論については慎重に扱うべきである。

 2つ目の論文では、上記の分析に含まれた81人の個人のDNAの配列について説明しており、Alexey Nikitinらは、ヤムナ人の祖先は2つの波に分かれて広がり、その後、地元の住民と混ざり合ってヤムナ人が拡大していったと示唆している。著者らは、ヤムナ族の起源は、おそらく紀元前3635年から3383年頃のウクライナのミハイリフカ(Mykhailivka)であると提案している。この時期に、最も初期にサンプリングされた遺伝的にコアなヤムナ族の個体が特定された。

 これらの結果は、ヤムナ族がどのようにして発生し、東ヨーロッパ全体に新しい文化と言語を広めていったのかについて、新たな光を投げかけている。


古代ゲノミクス:北ポントス地域の新石器時代から青銅器時代のゲノム史

古代ゲノミクス:北ポントス地域のゲノム史

 今回、黒海の北部地域(北ポントス地域)の古代DNAの解析によって、この集団の新石器時代から青銅器時代までの歴史が明らかにされた。
https://sicambre.seesaa.net/article/202503article_10.html

2 名前:777

2025/05/05 (Mon) 16:38:55

【ゆっくり解説】考古言語学で迫る!インド・ヨーロッパ語族の誕生と拡散 〜ウクライナから世界へ〜
楊堅のゆっくり言語学 2025/04/28
https://www.youtube.com/watch?v=n_loJiTXu5c&list=PLhfWmo1U88Hwo1VvYujkmrgu6X8VGpu2m&index=1

【目次/チャプター】
00:00 導入
00:41 インド・ヨーロッパ語族について
03:41 クルガン仮説について
07:24 アナトリア語派
08:24 トカラ語派
09:16 インド・イラン語派
13:31 イタリック語派
14:04 ケルト語派
14:39 ゲルマン語派
14:16 バルト・スラヴ語派
17:16 ヘレニック語派
17:56 アルメニア語派
18:53 アルバニア語派
20:46 締め

3 名前:777

2025/12/06 (Sat) 06:27:49

【国際社会】 ナチスによる人種差別の根拠「アーリヤ人」とは何か!本来は民族ではなく言語上の区分でした
世界史解体新書 2025/12/05
https://www.youtube.com/watch?v=FNV5Dqyt-2w&t=832s

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ヨーロッパ人の起源
1 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:47:30

ヨーロッパ人の起源

ヨーロッパ諸語のルーツは東欧。DNA分析で判明

論争が続く英語を含むヨーロッパ諸語の起源。論争に終止符を打つ新発見となるか
2015.03.06
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/

4500年以上前にドイツ中部で埋葬された男性の人骨。この後、東欧から移住した考えられる集団とは、共通の祖先を持たないことがわかった。(PHOTOGRAPH BY JURAJ LIPTAK, LDA SACHSEN-ANHALT)

 ヨーロッパ大陸全域で話されている言語のルーツはどこにあるのか。このほど行われたDNA分析で、約4500年前、現在のロシアとウクライナにまたがる草原地帯から移動してきた牧畜民が使った言語がルーツとする説が発表された。

 長く狩猟採集が続いた先史時代のヨーロッパで、農耕が始まったことは画期的な出来事と位置付けられている。ヨーロッパでの農耕は、東方の農耕する集団がヨーロッパへ移動したことから始まったとされる。

 ところが2015年3月2日、科学誌「ネイチャー」に、ヨーロッパへの集団の大移動は1度だけではなく、2度あったとする研究論文が発表された。この説では、最初の集団の移動は新石器時代に現在のトルコにあたるアナトリアからのもの、そして第2波は4000年後、現在のロシアに当たるステップ地帯から中央ヨーロッパへの大移動だったという。そして英語を含むヨーロッパ言語の基礎になったのは、ステップ地帯から移動した集団がもたらした言語だというのだ。

 論文の共著者で、ハーバード大学医学大学院の遺伝学者ヨシフ・ラザリディス氏は、「ヨーロッパに最初にやってきた人々は狩猟採集民でした。そこへ農耕民がやってきて狩猟採集民と混ざり合いました。その後、東から新たな集団がたくさん移動してきたのです」と語る。

 今回、第2の大移動があったことが明らかになったのは、ラザリディス氏らの研究チームが現代ヨーロッパ人の起源を解明しようと、ヨーロッパの古代人69人の骨から採取したDNAを調べたことがきっかけだった。標本となった古代人の人骨は3000~8000年前までと幅広いもの。標本同士だけでなく、現代ヨーロッパ人との間でもDNAが比較された。

 調査の過程で、古代の狩猟採集民と新石器時代に流入した農耕民の痕跡が見つかった。これは、これまでの説を裏付けるもので、予想通りだった。ところが彼らを驚かせたのは、約4500年前、ロシアとウクライナにまたがる平地や草原からの大集団が移住したことを示す痕跡が見つかったからだ。予想だにしない結果だった。

ヨーロッパへの
集団移動は2段階
 数千年間、狩猟採集民の小集団が暮らしていたヨーロッパ大陸に、初めて変化が起こったのは、約8000年前のこと。アナトリアから北上した農耕民が、新しい技術と生活様式をヨーロッパにもたらし、現在の定住生活の基礎を築く。考古学者の間では、この出来事を「新石器革命」と呼んでいる。

 その数千年後に、再び外からヨーロッパ大陸に人類の大移動があったことを決定づけたのは、ある2つの集団のDNAに多くの共通性が見られたため。1つは黒海の北岸で見つかった5000年前の人骨で、考古学で「ヤムナ」と呼ばれる集団に属するものだった。もう1つは、約4500年前に現在のドイツ中部ライプチヒ近郊で葬られた4人の人骨だ。こちらは「コーデッドウェア文化」に属する人々だった(「コーデッドウェア」とは、ヨーロッパ北部で広範囲にみられる当時の土器の特徴的な文様のことで、それにちなんでこう呼ばれる)。

 ヤムナ文化に属する集団と、コーデッドウェア文化に属する集団の間には、500年の開きがある。さらに地理的にも1600キロは離れている。それにもかかわらず、両者は判明できた部分で75%(おそらくは100%)共通の祖先をもつと考えられたのだ。論文の著者の1人で米ハートウィック大学の考古学者デビッド・アンソニー氏は、「両集団の間には、直接の遺伝的関連がみられる」と話す。「控えめに言っても、近い親類だということです」

 そして、着目すべきは、コーデッドウェア文化に属する人のDNAが、それより数千年前の現在のドイツにあたる地域に暮らしていた農耕民のDNAと共通性が認められなかったことのほうだろう。つまり、これは過去に「侵略」と言ってもいいほど劇的なヨーロッパへの流入があったことを示す証拠だ。「集団が丸ごと入れ替わったと言っても過言ではない出来事だったのではないでしょうか」とラザリディス氏は考えている。

ルーツ論争は決着か?
 今回、遺伝学から示された「ステップ地帯からヨーロッパへの大規模な移動があった」という事実は、言語学者や考古学者の間でインド・ヨーロッパ諸語の起源をめぐる論争を再燃させるだろう。インド・ヨーロッパ諸語には400以上の言語が含まれ、英語、ギリシャ語、アルバニア語、ポーランド語といった現代の言語から、ラテン語、ヒッタイト語、サンスクリット語など古い言語まで数多い。

 言語学者らは、すべてのインド・ヨーロッパ諸語の生みの親であるインド・ヨーロッパ祖語が最初に話されていた場所をめぐり、数十年もの間も議論してきた。「アナトリア仮説」派は、1万年前かそれ以前に現在のトルコに住んでいた農耕民が最初にインド・ヨーロッパ語を話していたと主張する。紀元前6000年ごろ彼らがヨーロッパにたどり着き、言語もそのときに流入したというのだ。

 対する「ステップ仮説」は、黒海とカスピ海の北に広がる広大な平原をインド・ヨーロッパ祖語の生まれた土地と考える。アンソニー氏は、この地に車輪が伝来して「ステップ地帯の経済に革命を起こした」と話す。この説を支持する人々は、多くのインド・ヨーロッパ諸語で「車軸」(axles)、「(家畜に荷車を引かせる棒)ながえ」(harness poles)、「車輪」(wheel)といった単語が共通していると指摘する。どれも、ヨーロッパで新石器革命が始まってからずっと後に考案されたものだ。

 だが、どちらの説も決定的な裏付けがなく、議論は長いこと前進していなかった。そんな中、今回の研究成果は両者の勢力図を変えるかもしれないと多くの研究者が考えている。ステップ仮説に説得力を持たせるのに必要な移住の証拠がつかめたからだ。

 とはいえ、これでインド・ヨーロッパ諸語のルーツをめぐる論争に決着がついたとはいえない。まだ説を補強しなくてはいけないことも多いからだ。確かに、遺伝学と言語学のデータは、インド・ヨーロッパ祖語が約4500年前にステップ地帯を経てヨーロッパに入ったという説を支持するものだ。だが、バルセロナ大学の遺伝学者カルレス・ラルエサ=フォックス氏によれば、「祖語の最も古い系統がどこで生まれたのかは、依然としてはっきりしない」だという。同氏によれば、インド・ヨーロッパ祖語発祥の地は、さらに別の地域かもしれず、ステップ地帯は源流の言語が南欧、イラン、インドなどに入った複数のルートの一つにすぎない可能性もあるという。

 今回の研究論文を発表した著者らも、その点は認めている。しかし、彼らの主張は揺らいでいない。ラザリディス氏は「ステップ地帯がインド・ヨーロッパ諸語の唯一の発祥地かどうかは不明だ」としながらも、「この地域についてもっとデータが集まれば、多くの疑問に答えられるはずだ」と強調した。

4000年以上前にドイツで埋葬された若い女性の人骨。DNAを分析したところ、東欧から移住してきた牧畜民との関連が強いことがわかった。(PHOTOGRAPH BY LDA SACHSEN-ANHALT)
文=Andrew Curry/訳=高野夏美
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/


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2015年06月12日
青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動
https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html

 新石器時代~青銅器時代のヨーロッパにおける人間の移動に関する、『ネイチャー』に掲載された二つの研究が報道されました。『ネイチャー』には解説記事(Callaway., 2015)も掲載されています。5000~3000年前頃のユーラシアの青銅器時代には、精巧な武器や馬に牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じた、とされています。この大きな文化的変容が、おもに文化のみの拡散によるのか、それとも人間集団の移動に伴うものだったのか、ということをめぐって議論が続いてきました。この問題は、インド-ヨーロッパ語族の拡散とも関係して論じられてきました。

 5000~1300年前頃のユーラシアの住民101人のゲノムを解析した研究(Allentoft et al., 2015)では、青銅器時代のヨーロッパにおける大きな文化的変容は人間集団の移動に伴うものであり、インド-ヨーロッパ語族が青銅器時代にヨーロッパに拡散したとする仮説が支持される、との見解が提示されています。5000年前頃には、ヨーロッパ中央・北部のゲノムは中東からの初期農耕民やそれ以前のヨーロッパの狩猟採集民のゲノムに似ていました。しかし、ヨーロッパ中央・北部集団のゲノムは4000年前頃までには、カスピ海~黒海の北側の草原地帯に存在したヤムナヤ(Yamnaya)文化集団のゲノムにもっと類似していました。

 この研究は、薄い肌の色は青銅器時代のヨーロッパにおいてすでに高頻度で存在したものの、乳糖耐性はそうではなかったことも明らかにしています。以前には、ヨーロッパの初期農耕民において畜乳はカロリー摂取の重要な手段であり、新石器時代から乳糖耐性には正の淘汰が働いていたのではないか、と考えられていたのですが、乳糖耐性に関しては、正の淘汰が働いたのは青銅器時代以降のことではないか、と指摘されています。この乳糖耐性は、ヤムナヤ文化集団によりヨーロッパにもたらされた、と推測されています。

 もう一方の研究(Haak et al., 2015)では、8000~3000年前の69人のヨーロッパ人の全ゲノムデータが作成され、解析・比較されました。その結果、やはり青銅器時代における東方草原地帯(現在の国境線ではウクライナを中心とします)からヨーロッパへの大規模な人間集団の移動が示唆されました。ヨーロッパにおいて新石器時代の始まりとなる8000~7000年前頃に、遺伝的にはヨーロッパの先住狩猟採集民とは異なり、初期農耕民と密接に関連した集団がドイツ・ハンガリー・スペインに現れました。一方でその頃のロシアには、24000年前頃のシベリア人と高い遺伝的類似性を有する狩猟採集民集団が存在していました。

 6000~5000年前までには、ヨーロッパの大半の農耕民はその祖先集団よりも多くの狩猟採集民集団のDNAを有していました。一方でこの時期の東方草原地帯の牧畜民であるヤムナヤ集団は、ヨーロッパ東部の狩猟採集民だけではなく、中東の農耕民集団のDNAも継承していました。ドイツの後期新石器時代縄目文土器(the Late Neolithic Corded Ware)文化集団はそのゲノムのうち75%をヤムナヤ集団から継承しており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 この東方草原地帯由来のDNAは、遅くとも3000年前までには中央ヨーロッパ人の全標本に存在し、現在のヨーロッパ人には広く確認されます。この研究は、ヨーロッパのインド-ヨーロッパ語族の少なくともいくつかは、東方の草原地帯に起源があるだろう、と指摘しています。また、中央ロシアのアルタイ山脈近くの4900~4500年前頃の集団にもヤムナヤ集団の遺伝的痕跡が確認され、インド-ヨーロッパ語族のアジアへの拡散との関連が想定されます。最近では、青銅器時代のヨーロッパにおいて男性人口の拡大があったのではないか、との見解も提示されており(関連記事)、青銅器時代のヨーロッパにおける文化変容は、大規模な人間の移動に伴っていた可能性が高そうです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(Allentoft et al., 2015の引用と、Haak et al., 2015の引用)です。


集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団ゲノミクス

集団遺伝学:青銅器時代のユーラシアの集団変化

 青銅器時代は大きな文化的変化の時代であったが、その要因は知識の伝達と大規模な人の移動のどちらにあったのだろうか。今回、ユーラシア各地の古代人101人の標本から低カバー率のゲノム塩基配列を得て解析した研究で、この時代に起こった大規模な集団の移動や入れ替わりが明らかになった。得られた解析結果は、青銅器時代のヨーロッパ人では、淡色の皮膚はすでに普通になっていたが乳糖耐性はあまり広まっていなかったことを示しており、乳糖耐性に対する正の選択が働き始めたのは従来考えられていたよりも新しい年代だったことが示唆された。この研究で得られた知見は、インド・ヨーロッパ語族が前期青銅器時代に広がったとする別の報告(Letter p.207)とも一致する。


集団遺伝学:ステップからの大移動がヨーロッパでのインド・ヨーロッパ語族の成因の1つとなった

集団遺伝学:ヨーロッパの言語を変えたステップからの大きな一歩

 今回D Reichたちは、8000~3000年前に生存していたヨーロッパ人69人の全ゲノムデータを作成した。その解析から、8000~7000年ほど前に現在のドイツ、ハンガリーおよびスペインに当たる地域で、先住の狩猟採集民とは異なる初期農耕民の血縁集団が出現したことが明らかになった。同時代のロシアには、2万4000年前のシベリア人との類似性が高い独特な狩猟採集民集団が生活していた。6000~5000年前までに、ロシアを除くヨーロッパの広い地域で狩猟採集民系統が再び現れた。西ヨーロッパ集団と東ヨーロッパ集団は約4500年前に接触し、現代のヨーロッパ人にステップ系統の痕跡が残された。これらの解析から、新石器時代の人口動態に関する新たな手掛かりに加えて、ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族の少なくとも一部がステップ起源だとする説の裏付けが得られる。この研究で得られた知見は、青銅器時代の古代人101人のゲノムについて調べた別の研究結果(Article p.167)とも一致する。


参考文献:
Allentoft ME. et al.(2015): Population genomics of Bronze Age Eurasia. Nature, 522, 7555, 167–172.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14507

Callaway E.(2015): DNA data explosion lights up the Bronze Age. Nature, 522, 7555, 140–141.
http://dx.doi.org/10.1038/522140a

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14317

https://sicambre.at.webry.info/201506/article_14.html



ヤムナ文化の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16894437


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2019年08月17日
遺伝学および考古学と「極右」
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html

 遺伝学および考古学と「極右」に関する研究(Hakenbeck., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。遺伝学は人類集団の形成史の解明に大きな役割を果たしてきました。とくに近年では、古代DNA研究が飛躍的に発展したことにより、じゅうらいよりもずっと詳しく人類集団の形成史が明らかになってきました。古代DNA研究の発展により、今や古代人のゲノムデータも珍しくなくなり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけの場合よりもずっと高精度な形成史の推測が可能となりました。こうした古代DNA研究がとくに発展している地域はヨーロッパで、他地域よりもDNAが保存されやすい環境という条件もありますが、影響力の強い研究者にヨーロッパ系が多いことも一因として否定できないでしょう。

 現代ヨーロッパ人はおもに、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民と、後期新石器時代~青銅器時代前期にかけてポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた、牧畜遊牧民であるヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の混合により形成されています(関連記事)。この牧畜遊牧民の遺伝的影響は大きく、ドイツの後期新石器時代縄目文土器(Corded Ware)文化集団は、そのゲノムのうち75%をヤムナヤ文化集団から継承したと推定されており、4500年前までには、ヨーロッパ東方の草原地帯からヨーロッパ西方へと大規模な人間の移動があったことが窺えます。

 現代ヨーロッパ人におけるヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の大きさと、その急速な影響拡大から、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらした、との見解が有力になりつつあります。また、期新石器時代~青銅器時代にかけてインド・ヨーロッパ語族をヨーロッパにもたらしたと考えられるポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団は、Y染色体DNA解析から男性主体だったと推測されています(関連記事)。そのため、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡大は征服・暴力的なもので、言語学の成果も取り入れられ、征服者の社会には若い男性の略奪が構造的に組み込まれていた、と想定されています。

 インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの拡散について以前は、青銅器時代にコーカサス北部の草原地帯からもたらされたとする説と、新石器時代にアナトリア半島の農耕民からもたらされたとする説がありましたが、古代DNA研究は前者と整合的というか前者に近い説を強く示唆しました。こうして古代DNA研究の進展により、一般的にはヨーロッパ人およびインド・ヨーロッパ語族の起源に関する問題が解決されたように思われましたが、本論文は、飛躍的に発展した古代DNA研究に潜む問題点を指摘します。

 本論文がまず問題としているのは、古代DNA研究において、特定の少数の個体のゲノムデータが生業(狩猟採集や農耕など)もしくは縄目文土器や鐘状ビーカー(Bell Beaker)などの考古学的文化集団、あるいはその両方の組み合わせの集団を表している、との前提が見られることです。埋葬者の社会経済的背景があまり考慮されていないのではないか、というわけです。また、この前提が成立するには、集団が遺伝的に均質でなければなりません。この問題に関しては、標本数の増加により精度が高められていくでしょうが、そもそも遺骸の数が限られている古代DNA研究において、根本的な解決が難しいのも確かでしょう。

 さらに本論文は、こうした古代DNA研究の傾向は、発展というよりもむしろ劣化・後退ではないか、と指摘します。19世紀から20世紀初期にかけて、ヨーロッパの文化は近東やエジプトから西進し、文化(アイデア)の拡散もしくは人々の移住により広がった、と想定されていました。この想定には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。イギリスでは1960年代まで、すべての文化革新は人々の移動もしくはアイデアの拡散によりヨーロッパ大陸からもたらされた、と考えられていました。

 1960年代以降、アイデアやアイデンティティの変化といった在来集団の地域的な発展が物質文化の変化をもたらす、との理論が提唱されるようになりました。古代DNA研究は、1960年代以降、移住を前提とする潮流から内在的発展を重視するようになった潮流への変化を再逆転させるものではないか、と本論文は指摘します。じっさい、ポントス・カスピ海草原の牧畜遊牧民集団のヨーロッパへの拡散の考古学的指標とされている鐘状ビーカー文化集団に関しては、イベリア半島とヨーロッパ中央部とで、遺伝的類似性が限定的にしか認められていません(関連記事)。中世ヨーロッパの墓地でも、被葬者の遺伝的起源が多様と示唆されています(関連記事)。

 本論文が最も強く懸念している問題というか、本論文の主題は、こうした古代DNA研究の飛躍的発展により得られた人類集団の形成史に関する知見が、人種差別的な白人至上主義者をも含む「極右」に利用されていることです。上述のように、20世紀初期には、民族(的な)集団は単純な分類で明確に区分され、特有の物質的記録を伴う、との前提がありました。ナチズムに代表される人種差別的な観念は、こうした民族的アイデンティティなどの社会文化的分類は遺伝的特徴と一致する、というような前提のもとで形成されていきました。本論文は、20世紀初期の前提へと後退した古代DNA研究が、極右に都合よく利用されやすい知見を提供しやすい構造に陥っているのではないか、と懸念します。

 じっさい、ポントス・カスピ海草原という特定地域の集団が、男性主体でヨーロッパの広範な地域に拡散し、それは征服・暴力的なものだったと想定する、近年の古代DNA研究の知見が、極右により「アーリア人」の起源と関連づけられる傾向も見られるそうです。こうした極右の動向の背景として、遺伝子検査の普及により一般人も祖先を一定以上の精度で調べられるようになったことも指摘されています。本論文は、遺伝人類学の研究者たちが、マスメディアを通じて自分たちの研究成果を公表する時に、人種差別的な極右に利用される危険性を注意深く考慮するよう、提言しています。本論文は、研究者たちの現在の努力は要求されるべき水準よりずっと低く、早急に改善する必要がある、と指摘しています。


 以上、本論文の見解を簡単にまとめました。古代DNA研究に関して、本論文の懸念にもっともなところがあることは否定できません。ただ、古代DNA研究の側もその点は認識しつつあるように思います。たとえば、古代DNA研究においてスキタイ人集団が遺伝的に多様であることも指摘されており(関連記事)、標本数の制約に起因する限界はあるにしても、少数の個体を特定の文化集団の代表とすることによる問題は、今後じょじょに解消されていくのではないか、と期待されます。また、文化の拡散に関しては、多様なパターンを想定するのが常識的で、移住を重視する見解だからといって、ただちに警戒する必要があるとは思いません。

 研究者たちのマスメディアへの発信について、本論文は研究者たちの努力が足りない、と厳しく指摘します。現状では、研究者側の努力が充分と言えないのかもしれませんが、これは基本的には、広く一般層へと情報を伝えることが使命のマスメディアの側の問題だろう、と私は考えています。研究者の役割は、第一義的には一般層へと分かりやすく情報を伝えることではありません。研究者の側にもさらなる努力が求められることは否定できないでしょうし、そうした努力について当ブログで取り上げたこともありますが(関連記事)、この件に関して研究者側に過大な要求をすべきではない、と思います。

 本論文はおもにヨーロッパを対象としていますが、日本でも類似した現象は見られます。おそらく代表的なものは、日本人の遺伝子は近隣の南北朝鮮や中国の人々とは大きく異なる、といった言説でしょう。その最大の根拠はY染色体DNAハプログループ(YHg)で、縄文時代からの「日本人」の遺伝的継続性が強調されます。しかし、YHgに関して、現代日本人で多数派のYHg-D1b1はまだ「縄文人」では確認されておらず、この系統が弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来する可能性は、現時点では一定以上認めるべきだろう、と思います(関連記事)。日本でも、古代DNA研究も含めて遺伝人類学の研究成果が「極右」というか「ネトウヨ」に都合よく利用されている側面は否定できません。まあ、「左翼」や「リベラル」の側から見れば、「極右」というか「ネトウヨ」に他ならないだろう私が言うのも、どうかといったところではありますが。


参考文献:
Hakenbeck SE.(2019): Genetics, archaeology and the far right: an unholy Trinity. World Archaeology.
https://doi.org/10.1080/00438243.2019.1617189

https://sicambre.at.webry.info/201908/article_32.html


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【ヨーロッパ】ラテン人・ゲルマン人・スラヴ人の違い!ヨーロッパ三大民族の言語・文化・宗教
世界史解体新書 2025/04/26
https://www.youtube.com/watch?v=yFrJeinYiuA

2 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:48:05

2018年06月17日
人類史における移住・配偶の性的非対称
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html


 人類史において、移住・配偶で性的非対称が生じることは珍しくありません。そもそも、有性生殖の生物種において、雄と雌とで繁殖の負担が著しく異なることは一般的で、大半の場合、雄よりも雌の方がずっと負担は重くなります。もちろん人類もその例外ではなく、人類史における移住・配偶の性的非対称の重要な基盤になっているのでしょう。とはいっても、それらが繁殖負担の性的非対称だけで説明できるわけではないのでしょうが。当ブログでも、人類史における移住・配偶の性的非対称についてそれなりに取り上げてきましたので、一度短くまとめてみます。

 霊長類学からは、人類の旅は採食だけではなく繁殖相手を探すものでもあり、他の類人猿と同じく人類の祖先も、男が生まれ育った集団を離れて別の集団に入り配偶者を見つけるのは難しかっただろうから、ゴリラのように男が旅先で配偶者を誘い出して新たな集団を作るか、チンパンジーのように旅をしてきた女を父系的つながりのある男たちが受け入れることから集団間の関係を作ったのではないか、との見解が提示されています(関連記事)。人類系統がチンパンジー系統と分岐した時点で、すでに配偶行動において何らかの性的非対称が存在した可能性は高いと思います。

 初期人類については、「華奢型」とされるアウストラロピテクス属や「頑丈型」とされるパラントロプス属において移動の性差が見られる、と指摘されています(関連記事)。具体的には、アウストラロピテクス属ではアフリカヌス(Australopithecus africanus)、パラントロプス属ではロブストス(Paranthropus robustus)です。240万~170万年前頃のアフリカヌスとロブストスのストロンチウム同位体含有比の分析の結果、小柄な個体のほうが、発見された地域とは異なるストロンチウム同位体組成を有している割合が高い、と明らかになりました。初期人類では体格の性差が大きかった(性的二型)との有力説を考慮すると、初期人類においては、女性は男性よりも移動範囲が広く、出生集団から拡散していくことが多かったのではないか、と言えそうです。つまり、父方居住的な配偶行動があったのではないか、というわけです。ただ、初期人類の性的二型については、大きかったとの見解が有力ではあるものの、異論もあるので(関連記事)、体格の違いによる性別判断の信頼性は高くない可能性もあると思います。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住的な配偶行動の可能性が指摘されています(関連記事)。イベリア半島北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見された49000年前頃のネアンデルタール人遺骸群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析の結果、3人の成人女性がそれぞれ異なるハプログループに分類されるのにたいして、3人の成人男性は同じハプログループに分類されました。もっとも、これは父方居住的な配偶行動の証拠となり得るものの、そうだとしても、あくまでもイベリア半島の49000年前頃の事例にすぎず、ネアンデルタール人社会全体の傾向だったのか、現時点では不明です。

 ただ、現代人への遺伝的影響はほとんどなかったとしても、同じホモ属で現代人と近縁なイベリア半島のネアンデルタール人と、現代人とは属が違い、おそらくは現代人の祖先ではなさそうなアフリカヌスやロブストスにおいて、父方居住的な配偶行動が存在したのだとしたら、人類系統において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。元々人類社会は父系的な構造だったものの、ある時期から社会構造が多様化していったのではないか、というわけです。それが、現生人類(Homo sapiens)の出現もしくは現生人類系統がネアンデルタール人系統と分岐した後なのか、ホモ属が出現してネアンデルタール人と現生人類の共通祖先が存在した頃なのか、あるいはもっと古くアウストラロピテクス属の時点でそうだったのか、現時点では分かりませんが、早くてもホモ属の出現以降である可能性が高いかな、と考えています(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人との交雑についても、性的非対称の可能性が指摘されています(関連記事)。現代人のミトコンドリアでもY染色体でも、ネアンデルタール人由来の領域は確認されていません。したがって、母系でも父系でも、現代人にネアンデルタール人直系の子孫はいない可能性がきわめて高そうです。しかし、現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響は、X染色体では常染色体の1/5程度であることから(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人との交雑では、現生人類の女性とネアンデルタール人の男性という組合せの方が多かったというか、一般的だったのではないか、とも指摘されています。現生人類女性とネアンデルタール人男性の組合せでは、その逆よりもネアンデルタール人のX染色体が交雑集団に伝わりにくい、というわけです。

 しかし、配偶行動の性的非対称だけで、現代人のX染色体と常染色体においてネアンデルタール人の遺伝的影響が大きく異なるとも考えにくく、適応度の低下も関わってくるのではないか、と思います。ネアンデルタール人のゲノムは領域単位で現代人に均等に継承されているのではなく、現代人において排除されていると思われる領域も存在します。ネアンデルタール人のX染色体上でも、繁殖に関連すると思われる遺伝子を含む領域の排除が指摘されています(関連記事)。また、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解も提示されています(関連記事)。現生人類と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑でも、X染色体と精巣に関わる遺伝子領域では、現代人にデニソワ人の痕跡がひじょうに少ない、と指摘されています(関連記事)。現時点では、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人など古代型ホモ属との交雑において、性的非対称があったのか、推測は難しいと思います。

 現代人では多様な移住・配偶行動が見られ、その中には強い性的非対称が存在する事例もあります。たとえば、15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて遺伝的にも大きな影響を及ぼしましたが、この事例では大きな性的非対称が見られます。現代パナマ人は、mtDNAでは83%がアメリカ大陸先住民系ですが、Y染色体DNAでは約60%が西ユーラシアおよび北アフリカ系、約22%がアメリカ大陸先住民系、約6%がサハラ砂漠以南のアフリカ系、約2%がおそらくは中国またはインドの南アジア系となります(関連記事)。これは、単身男性を中心としたイベリア半島勢力によるラテンアメリカの征服という、歴史学など他分野からの知見と整合的です。

 ヨーロッパの事例と併せて考えると、大規模な征服活動では、移住・配偶行動に性的非対称が見られる傾向にある、と言えるかもしれません。青銅器時代のヨーロッパにおいては、ポントス-カスピ海草原のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団から精巧な武器やウマに牽引させる戦車が拡散し、埋葬習慣の変化が広範に確認されるなど、大きな文化的変容が生じ、古代ゲノム解析からも大規模な移動が推測される、と指摘されています(関連記事)。さらに、このヨーロッパにおける青銅器時代の大きな文化的・人的構成の変容にさいしては、男性人口拡大の可能性も指摘されています(関連記事)。精巧な金属器とウマを用いての、機動力に優れた男性主体の集団による広範な征服活動がヨーロッパで起きたのではないか、というわけです。

 ヨーロッパにおける青銅器時代と新石器時代初期の大規模な移住を比較した研究では、青銅器時代の大規模な移住は男性主体で、女性1人にたいして男性は5~14人と推定されているのにたいして、新石器時代初期にはそうした性差はなかった、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパの新石器時代は中東からの農耕民集団の移住により始まりましたが、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民集団とがじょじょに融合していったと推測されているように(関連記事)、征服的な移住ではなかったのかもしれません。

 ヨーロッパにおいては、青銅器時代の征服活動的な大規模移住において、男性が主体になって広範に拡散していった様子が窺えますが、それは例外的な事例だったかもしれません。上述したように、人類史において父方居住的な配偶行動が一般的だった可能性は高い、と思います。後期新石器時代~初期青銅器時代の中央ヨーロッパにおいても、成人女性が外部から来て地元出身の男性と結婚し、地元の女性は他地域に行って配偶者を得たのではないか、と推測されています(関連記事)。mtDNAの解析の結果、時間の経過とともに母系が多様化していき、同位体分析の結果、大半の女性は地元出身ではなく、一方で男性と未成年では大半が地元出身である、と明らかになりました。また、地元出身ではない女性の子孫は確認されませんでした。

 中世初期のバイエルンにおいても、男性よりも女性の方が遺伝的に多様で、女性は婚姻のために外部からバイエルンに移住してきたのではないか、と推測されています(関連記事)。ヨーロッパに限定しても一般化できるのか、まだ確定したとは言えないでしょうが、征服的な移住では男性が主体となり、そうではない移住では性差があまりなく、安定期には人類史の古くからの一般的傾向が反映されて、男性が出生集団(地域)に留まる一方で、女性は配偶のために他集団(地域)に移住する、という傾向があるのかもしれません。こうした傾向が人類史全体に当てはまるのか、現在の私の知見ではとても断定できませんが、今後、そうした観点から色々と調べていこう、と考えています。
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_35.html  

3 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:48:47

News Release 5-Sep-2019
中央および南アジア由来の古代DNAからユーラシア大陸における人々と言語の拡散が明らかに

中央および南アジアから得られた500人以上の古代DNAの全ゲノム解析から今回、この地域に現在住む人々の複雑な遺伝的祖先について新たな光が当てられることを、新しい報告が明らかにしている。

この研究は、ユーラシア・ステップ、中近東および東南アジアに由来する集団における遺伝子交換を記述しているだけでなく、古代ヨーロッパに認められるものと類似し並行したゲノムパターンを反映する集団の歴史をも明らかにしており、これらの所見は印欧語族の文化的拡散を例証するものと考えられる。

はるか昔に生きていた人々の遺伝子が保存された遺物は、古代の様々な集団の移動と相互関係だけでなく、文化的革新(農業、牧畜、言語など)の世界規模での拡散の様子を明らかにしてくれる。

Vagheesh Narasimhanらは、およそ8,000年前に生きていた523人の古代DNAを用いて、中央および南アジアへの、またこれらの地域内における、先史時代の人類の拡散について理解を深めることを試みた。Narasimhanらによれば、

現代アジア人の祖先は主として、インダス文明の崩壊後にやってきた中近東の農民集団、ならびにヤムナ文化として知られるヨーロッパのステップ地帯に由来する青銅器時代の牧畜民集団に遡るという。

これまでの研究では、同じ集団が東ヨーロッパ地域にも移動しており、このことがインド・イラン語派およびバルト・スラヴ語派の広範な拡散に貢献した可能性が示されている。

関連するPerspectiveでNathan ShaeferとBeth Shapiroは「今回のデータセットの規模により、Narasimhanらはかつてない広範な空間および時間にわたってゲノムの比較を行うことができ、それにより数年前には答えることのできなかった、増加しつつある特定の疑問に焦点を当てることが可能になった」と記している。
https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2019-09/aaft-5_2090319.php

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2019年09月08日
アジア南部の人口史とインダス文化集団の遺伝的構成
https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html


 アジア南部の人口史関する二つの研究が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。日本語の解説記事もあります。なお、以下の主要な略称は以下の通りです。アンダマン諸島狩猟採集民(AHG)、古代祖型インド南部人関連系統(AASI)祖型北インド人(ANI)、祖型南インド人(ASI)、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)、中期~後期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSMLBA)、前期~中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯牧畜民(WSEMBA)、バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化。

 一方の研究(Narasimhan et al., 2019)は、すでに昨年(2018年)、査読前に公開されていました(関連記事)。その時点よりデータも増加しているので、今回改めて取り上げます。本論文は、中石器時代以降のアジア中央部および南部北方の、新たに生成された古代人523個体のゲノム規模データと、品質を向上させた既知のゲノムデータ19人分を報告しています。これらと既知のデータを合わせて、古代人837個体分のデータセットが得られました。現代人では、686人のゲノム規模データと、アジア南部の246民族の1789人の一塩基多型データが比較されました。

 本論文(サイエンス論文)はこれらの個体を地理的に3区分しています。それは、182人分のゲノムデータが得られたイランおよびトゥーラーン(アジア中央部南部、現在のトルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・アフガニスタン・キルギスタン)、209人分のゲノムデータが得られた草原地帯と北部森林地帯(ほぼ現在のカザフスタンとロシアに相当します)、132人分のゲノムデータが得られたパキスタン北部です。文化的に区分すると、(1)中石器時代・銅器時代・青銅器時代・鉄器時代のイランおよびトゥーラーンの集団で、紀元前2300~紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化も含まれます。(2)シベリア西部森林地帯の早期土器(陶器)使用狩猟採集民で、北部ユーラシア人の早期完新世の遺伝的傾向を表します。(3)ユーラシア草原中央部の銅器時代・青銅器時代の牧畜民で、青銅器時代カザフスタン(紀元前3400~紀元前800年)を含みます。(4)アジア南部北方で、後期青銅器時代と鉄器時代と歴史時代を含み、現在のパキスタンに相当します。

 イランおよびトゥーラーンでは、アナトリア農耕民関連系統の比率が西から東にかけて減少するという勾配が見られます。紀元前九千年紀~紀元前八千年紀のイラン西部ザグロス山脈の牧畜民は、特有のユーラシア西部関連系統を有していたのにたいして、広範な地域のもっと後の集団は、この独特なユーラシア西部関連系統とアナトリア農耕民関連系統との混合系統です。銅器時代から青銅器時代にかけて、アナトリア農耕民関連系統の比率が、アナトリア半島で70%、イラン東部で31%、トゥーラーン東部で7%というように、東から西へと減少していく勾配が見られます。アナトリア半島でもイラン農耕民系統が見られるようになり、農耕と牧畜を担う集団が双方向に拡散し、在来集団と混合した、と推測されます。

 紀元前三千年紀には、イラン東部とトゥーランでは、最小限のアナトリア農耕民関連系統だけではなく、シベリア西部狩猟採集民(WSHG)系統の混合も検出され、イラン農耕民関連系統の拡大前にこの地域に存在した、まだ標本抽出されていない狩猟採集民からの交雑を反映している、と本論文は推測しています。ユーラシア北部関連系統は、ヤムナヤ(Yamnaya)遊牧文化集団の拡大前にトゥーラーンに影響を及ぼしました。ヤムナヤ文化集団の遺伝的構成では、WSHG関連系統よりもヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)関連系統の方が多いので、ヤムナヤがこのユーラシア北部関連系統の起源だった可能性は除外できます。また、ヤムナヤ文化集団にはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)U5aとY染色体ハプログループ(YHg)R1bもしくはR1aが高頻度で存在するものの、これらのハプログループは標本抽出されたイランおよびトゥーラーンの銅器時代~青銅器時代には見られないことからも、この見解は支持されます。

 紀元前2300~紀元前1400年頃のバクトリア・マルギアナ複合(BMAC)文化集団は、アジア南部集団の主要な起源ではありませんでした。イランおよびトゥーラーンの青銅器時代のBMACとその直後の遺跡から、紀元前3000~紀元前1400年頃の84人のゲノム規模データが得られました。この84人の大半はトゥーラーンの先住集団と遺伝的に近縁で、BMAC集団の起源集団の一つと考えられます。BMAC集団の遺伝的構成は、早期イラン農耕民関連系統が60~65%、アナトリア農耕民関連系統が20~25%、WSHG系統が10%程度です。BMAC集団は、先行するトゥーラーンの銅器時代個体群とは異なり、追加のアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)関連系統を2~5%ほど有しています。アジア南部におけるこの南方から北方への遺伝子流動は、インダス文化とBMACの間の文化的接触と、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地を示す考古学的証拠と一致しますが、アフガニスタン北部のインダス文化交易植民地では古代DNAは得られていません。一方、逆の北方から南方への遺伝子流動は検出されませんでした。BMAC集団のアナトリア農耕民関連系統比率はやや高いので、古代および現代のアジア南部人類集団の起源集団にはならないだろう、と本論文は推測しています。

 以前の研究(関連記事)では、BMAC集団をアジア南部の現代人集団の祖先集団の一つとする可能性が提示されていましたが、対象となる標本数が本論文の36点に対して2点と少なく、BMAC期もしくはアジア南部の古代DNAが欠けており、本論文はその見解に否定的です。紀元前2300年頃、BMAC関連遺跡でWSHG関連系統を有する外れ値の3人が観察されます。紀元前三千年紀には、カザフスタンの3遺跡とキルギスタンの1遺跡で、この3人の起源として合致したデータが得られています。紀元前2100~紀元前1700年頃には、BMAC関連遺跡で西方草原地帯前期~中期青銅器時代(EMBA)系統から派生した系統を有する3人の外れ値が観察されており、ヤムナヤ派生系統は紀元前2100年までにトゥーランに到達した、と考えられます。ヤムナヤ系統は紀元前二千年紀の変わり目までにアジア中央部へと拡大した可能性が高そうです。

 紀元前2500~紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300~紀元前2000年頃のイラン東部遺跡から、11人の外れ値が観察されます。その遺伝的構成は、AHG関連系統が11~50%で、残りはイラン農耕民関連系統とWSHG関連系統の混合(50~89%)です。こうした外れ値の個体群では、BMAC関連系統では20~25%となるアナトリア農耕民関連系統が検出されず、BMAC集団が起源である可能性は否定されます。インダス文化集団の古代DNAなしに、これらの外れ値がインダス文化で一般的な遺伝的構成だった、と明確に述べることはできません。しかし、アナトリア農耕民関連系統が検出されず、11人全員でAHG関連系統の割合が高く、そのうち2人では現在おもにインド南部で見られるYHg- H1a1d2が確認され、インダス文化との交易の考古学的証拠があり、アジア南部関連の人工物が共伴していることから、この外れ値の11人はインダス文化後のインダス川上流近くの古代人86人の祖先として適合的だろう、と本論文は推測します。また、この11人におけるイラン農耕民関連系統とAHG関連系統との混合が紀元前5400~紀元前3700年頃に起きたと推定されることから、11人の遺伝的構成がインダス文化集団を表している可能性は高い、と本論文は指摘します。

 ユーラシアの草原地帯および森林地帯系統の遺伝的勾配は、農耕出現後に確立しました。ユーラシア北部の後期狩猟採集民は、西方から東方へと、アジア東部系統が増加する勾配を示します。新石器時代と銅器時代には、この勾配に沿った異なる地域の狩猟採集民が、異なる地域の系統を有する人々と交雑し、5つの勾配を形成しました。そのうち2つは南方(アジア南西部とインダス川周辺部)で、残りの3つはユーラシア北部に存在しました。草原地帯および森林地帯の最西端にはヨーロッパ勾配があり、アナトリア農耕民の拡大により紀元前7000年後に確立し、ヨーロッパ西部狩猟採集民と交雑しました。黒海からカスピ海に及ぶ緯度のヨーロッパの東端の勾配は、ヨーロッパ東部狩猟採集民関連系統とイラン農耕民関連系統の混合から構成され、いくつかの集団では追加のアナトリア農耕民関連系統が見られます。ウラル山脈の東ではアジア中央部勾配が検出され、一方の端のWSHG個体と、もう一方の端のトゥーラーンの銅器時代~早期青銅器時代の個体で表されます。

 紀元前3000年頃に、ユーラシアの多くの集団の遺伝的構成は、西方のハンガリーから東方のアルタイ山脈まで、コーカサス起源のヤムナヤ文化集団系統に転換していきました。この前期~中期青銅器時代ユーラシア西方草原地帯(WSEMBA)系統は、次の2000年にわたってさらに拡大して在来集団と混合し、西はヨーロッパの大西洋沿岸、南東はアジア南部まで到達しました。アジア中央部および南部に到達したWSEMBA系統は、最初の東方への拡大ではなく、第二の拡大によるもので、WSEMBA系統を67%、ヨーロッパ関連系統33%を有する集団でした。この中期~後期青銅器時代ユーラシア西方草原(WSMLBA)集団は、縄目文土器(Corded Ware)文化やスルブナヤ(Srubnaya)文化やシンタシュタ(Sintashta)文化やペトロフカ(Petrovka)文化集団を含んでいます。WSMLBAとは異なる中期~後期青銅器時代ユーラシア中央草原地帯集団(CSMLBA)も検出され、おもにWSHG関連系統の中央草原地帯の青銅器時代牧畜民に由来する系統を9%ほど有しています。

 シンタシュタ文化集団では、50人のうち複数の外れ値が検出されました。外れ値の一つはWSHG関連のCSMLBA系統の比率が高く、二番目はWSMLBA系統の比率が高く、三番目はヨーロッパ東部狩猟採集民(EEHG)系統の比率が高い、と明らかになりました。現在のカザフスタンとなる中央草原地帯では、紀元前2800~紀元前2500年頃の1人と、紀元前1600~紀元前1500年頃の複数個体が、イラン農耕民関連系統からの顕著な混合を示し、トゥーランを経由してのアジア南部へのCSMLBAの南進とほぼ同時期の、トゥーランから北方への遺伝子流動を示します。紀元前三千年紀半ばから始まったこうした人類集団の移動は、考古学的証拠で示される物質文化と技術の動きと関連しています。

 クラスノヤルスク(Krasnoyarsk)市の草原地帯遺跡で発見された紀元前1700~紀元前1500年頃の複数個体は、シベリア東部狩猟採集民(ESHG)関連系統と25%程度のアジア東部関連系統と、残りのWSMLBA系統という遺伝的構成を示します。後期青銅器時代までに、ESHG関連系統はカザフスタンからトゥーラーンまで至る所で見られるようになります。これら紀元前千年紀から紀元後千年紀にアジア南部において文化的・政治的影響の見られる文化集団は、アジア南部現代人にアジア東部系統がほとんど見られないことから、アジア南部現代人の草原地帯牧畜民系統の重要な起源ではありません。その起源として有力なのは、草原地帯の中期~後期青銅器時代集団で、トゥーラーンへと拡散してBMAC関連系統と混合しました。総合すると、これらの結果は、アジア南部に現在広範に見られる草原地帯系統がアジア南部に到達したのは、紀元前二千年紀の前半と推定します。ヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民集団の拡大前後での遺伝的構成は、本論文の図3で示されています。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/365/6457/eaat7487/F4.large.jpg

 以前の研究では、アジア南部現代人集団は、ユーラシア西部集団と近縁な祖型北インド人(ANI)と、ユーラシア西部集団とは近縁ではない祖型南インド人(ASI)との混合により形成された、と推測されました。本論文はまず、インダス文化との接触が考古学的に示されている遺跡で確認された、上述の外れ値の11人を取り上げます。この11人は、2集団の混合としてモデル化できます。一方は、AHG関連系統集団、もう一方は90%程度のイラン農耕民関連系統と10%程度のWSHG関連系統の混合集団です。このインダス川流域系統に合致する人々は、アジア南部現代人の祖先の大半を構成します。これはアジア南部に特有の系統をもたらす西方からの遺伝子流動というよりも、インダス川流域集団の人々のもっと後のアジア南部人への寄与です。

 アジア南部北方の紀元前1700~紀元後1400年の間の117人では、紀元前2000年以降に草原地帯系統が見られます。これは2集団の混合としてモデル化され、一方はインダス川流域集団、もう一方は41%程度のCSMLBAと比較的高いイラン農耕民関連系統を有する59%程度のインダス川流域集団の亜集団です。現代インド人で見られる遺伝的勾配の形成に合致したモデルは起源集団として、CSMLBAもしくはその近縁系統と、インダス川流域集団と、AHG関連系統もしくはAHG関連系統を比較的高頻度で有するインダス川流域集団の亜集団を含みます。

 インド南部のいつくかの集団では、CSMLBA系統が見られません。これは、ASIのほぼ直系の子孫が現在も存在することを示し、ASIはユーラシア西部関連系統を有していないかもしれない、という以前の見解の反証となります。つまり、インド南部のユーラシア西部関連系統はANI のみがもたらしたのではなく、ASIはイラン農耕民関連系統を有していただろう、というわけです。イラン農耕民関連系統とAHG関連系統の混合は紀元前1700~紀元前400年頃と推定され、インダス文化の時点では、ASIは完全には形成されていない、と推測されます。

 インドには、パリヤール(Palliyar)やジュアン(Juang)といった、ユーラシア西部系統の影響の小さいオーストロアジア語族集団も存在します。ジュアン集団は、更新世からアジア南部に存在したと考えられ、ユーラシア西部系統要素のない古代祖型インド南部人関連系統(AASI)系統(48%)およびアジア東部起源のオーストロアジア語族の混合集団(52%)の混合系統と、AASI(70%)とイラン農耕民関連系統(30%)の混合集団としてのASIとの混合としてモデル化されます。農耕技術から、オーストロアジア語族はアジア南部に紀元前三千年紀に到来した、と推測されています。ANIは、草原地帯牧畜民系統との混合年代が紀元前1900~紀元前1500年頃と推定されることから、インダス文化衰退後に形成されたと推測されます。つまり、現代インド人の勾配を形成する主要な2集団であるASIとANIは、どちらも紀元前二千年紀の前には完全に形成されていなかっただろう、ということになります。

 アジア南部最北端となるパキスタンのスワート渓谷(Swat Valley)の青銅器時代・鉄器時代の複数個体では、草原地帯系統が、常染色体において20%程度になるのに、Y染色体では、草原地帯においてはほぼ100%となる系統(YHg- R1a1a1b2)が5%と顕著に低く、おもに女性を通じて草原地帯系統が導入された、と推測されます。しかし、現代のアジア南部では、常染色体よりもY染色体の方でCSMLBA関連系統がずっと多い集団も見られます。これは、おもに男性により草原地帯系統が拡散したことを示唆します。類似の事象はイベリア半島でも見られますが(関連記事)、アジア南部はイベリア半島ほど極端ではありません。アジア南部でY染色体において草原地帯系統の比率の高い集団は、司祭の地位にあると自任してきた集団に見られますが、この相関はまだ決定的とまでは言えません。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図5を掲載します。

画像
https://science.sciencemag.org/content/sci/365/6457/eaat7487/F6.large.jpg


 本論文は以上の知見から、アジア南部における完新世の人口史を以下のようにまとめます。紀元前2000年まで、イラン農耕民関連系統とAASI系統の異なる比率を有するインダス川流域集団が存在し、本論文はこれを多くのインダス文化集団の遺伝的特徴と仮定します。ASIは紀元前2000年以後に、このインダス川流域集団とAASI関連系統集団の混合として成立しました。紀元前2000~紀元前1000年の間に、CSMLBA系統がアジア南部へと拡大し、インダス川流域集団と混合してANIを形成しました。紀元前2000年以後、ASI とANIが混合し、現代インド人に見られる遺伝的勾配を形成していき、アジア南部の現代の多様な集団が形成されました。

 インダス川流域集団はインダス文化の発展前となる紀元前5400~紀元前3700年に形成されます。これは、インダス川流域集団のイラン農耕民関連系統はインダス川流域狩猟採集民の特徴で、それはコーカサス北部およびイラン高原農耕民の特徴と同様だった可能性を提示します。イラン北東部の狩猟採集民におけるそうした系統の存在も、この可能性と整合的です。もう一つの可能性は、イラン高原から農耕牧畜集団が紀元前七千年紀にアジア南部へと拡大した、というものです。しかし、この仮説は、インダス川流域集団ではアナトリア農耕民関連系統がほとんど存在しない、という知見と整合的ではありません。

 そのため本論文は、アナトリア農耕民関連系統の東方への拡大がイラン高原およびトゥーラーンへの農耕拡大と関連していたという見解を支持しているものの、アジア南西部からアジア南部への大規模な移動は、イラン高原において全員にかなりのアナトリア農耕民関連系統が見られる紀元前6000年以後にはなかった、と推測しています。国家成立以前の言語は人々の移動に伴うのが通常なので、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族は、アジア南西部の農耕民拡大の結果ではないだろう、との見解を本論文は提示しています。

 これは、アジア南部のインド・ヨーロッパ語族が草原地帯起源であることを示唆します。しかし、中期~後期青銅器時代の中央草原地帯とアジア南部の物質文化の類似性はひじょうに少ない、と指摘されています。ただ本論文は、ヨーロッパ西部起源と考えられるビーカー複合(Beaker Complex)文化が、ヨーロッパ中央部ではヤムナヤ文化に代表される草原地帯牧畜民系統を50%程度有する集団と関連していることから、物質文化のつながりの欠如は遺伝子拡散を否定するわけではない、と指摘しています。ヨーロッパでは、草原地帯系統集団が在来の物質文化を取り入れながら、遺伝的には在来集団に大きな影響を及ぼした、というわけです。

 本論文は、アジア南部集団が、ヤムナヤ文化集団に代表されるWSEMBAから、その影響を受けたCSMLBAを経由して(30%程度)、20%程度の影響を受けた、と推定しています。以前の研究(関連記事)では、アジア南部に草原地帯牧畜民系統をもたらしたのは直接的にはヤムナヤ文化集団ではない、と推測されていましたが、間接的にはヤムナヤ文化集団のアジア南部への遺伝的影響は一定以上あるようです。さらに本論文は、インド・ヨーロッパ語族のサンスクリット語文献の伝統的な管理者と自任してきた司祭集団において、男系を示すY染色体においてとくに草原地帯牧畜民系統の比率が高いことからも、インド・ヨーロッパ語族が草原地帯系統集団によりもたらされた可能性が高い、と推測します。

 アジア南部で2番目に大きな言語集団であるドラヴィダ語族の起源に関しては、ASI系統との強い相関が見られることから、インダス文化衰退後に形成されたASIに起源があり、インダスインダス文化集団により先ドラヴィダ語が話されていた、と本論文は推測しています。これは、インダス文化の印章の記号(インダス文字)がドラヴィダ語を表している、との見解と整合的です。また本論文は、先ドラヴィダ語がインダス川流域集団ではなくインド南部および東部起源である可能性も想定しています。この仮説は、インド特有の動植物の先ドラヴィダ語復元の研究と整合的です。

 ヨーロッパとアジア南部は、農耕開始前後にアジア南西部起源の集団が流入した後、銅器時代~青銅器時代にかけて、ユーラシア中央草原地帯起源の牧畜民が流入してきて遺伝的影響を受けたという点で、よく類似しています。しかし、更新世から存在したと考えられる狩猟採集民系統の比率が、アジア南部ではAASIとして最大60%程度になるのに対して、ヨーロッパではヨーロッパ西部狩猟採集民(WEHG)として最大で30%程度です。これは、ヨーロッパよりも強力な生態系もしくは文化の障壁がアジア南部に存在したからだろう、と本論文は推測しています。

 これと関連して、草原地帯牧畜民系統の到来がアジア南部ではヨーロッパよりも500~1000年遅くて、その影響がアジア南部ではヨーロッパよりも低く、Y染色体に限定しても同様である、ということも両者の違いです。本論文は、この状況はヨーロッパ地中海地域と類似している、と指摘します。ヨーロッパでも地中海地域は、北部および中央部よりも草原地帯系統の比率はかなり低く、古典期には多くの非インド・ヨーロッパ語族系言語がまだ存在していました。一方、アジア南部では非インド・ヨーロッパ語族系言語が今でも高い比率で使用されています。これは、やや寒冷な地域が起源の牧畜民集団にとって、より温暖な地域への拡散は難易度が高かったことを反映しているのかもしれません。


 もう一方の研究(Shinde et al., 2019)はオンライン版での先行公開となります。インダス文化の遺跡では何百人もの骨格が発見されていますが、暑い気候のためDNA解析は困難です。しかし近年、内耳の錐体骨に大量のDNAが含まれていると明らかになり、熱帯~亜熱帯気候の地域でも古代DNA研究が進んでいます。本論文(セル論文)は、インダス文化最大級の都市となるラーキーガリー(Rakhigarhi)遺跡で発見された、多数の錐体骨を含む61人の遺骸からDNA抽出を試み、そのうち有望とみなされた1個体(I6113)から、31760ヶ所の一塩基多型データを得ることに成功しました。I6113は性染色体の配列比較から女性と推定され、mtHg-U2b2と分類されました。このハプログループは、アジア中央部の古代人では現時点で確認されていません。

 I6113は、上述のサイエンス論文で云うところの、インダス川流域集団に位置づけられ、アジア南部現代人集団の変異内には収まりません。つまり、I6113もアナトリア農耕民関連系統を有していないわけです。I6113は、イランのザグロス山脈西部遊牧民とアンダマン諸島狩猟採集民(AHG)との混合としてモデル化されます。つまり、イラン系統と更新世からアジア南部に存在した系統の混合というわけです。上述のように、サイエンス論文では紀元前2500~紀元前2000年頃のBMAC遺跡と紀元前3300~紀元前2000年頃のイラン東部遺跡の外れ値となる11人はインダス文化集団からの移民との見解が提示されており、本論文(セル論文)でその具体的証拠が得られたことになります。インダス文化期のラーキーガリー遺跡ではI6113のような遺伝的構成が一般的だっただろう、と本論文は推測しています。

 本論文は、サイエンス論文の外れ値となる11人とラーキーガリー遺跡のI6113を合わせてインダス文化集団と把握しています。I6113には草原地帯系統が見られず、イラン系統が87%と大半を占めます。このインダス文化集団におけるイラン系統は、イラン系統が狩猟採集民系統と牧畜民系統に分岐する前に分岐した系統と推定されています。その推定年代は紀元前10000年よりもさかのぼり、イラン高原における農耕・牧畜の開始前となります。これは、インダス文化集団におけるイラン系統が、農耕開始前にアジア南部に到来したことを示唆します。紀元前7000年以後、イラン高原ではアナトリア農耕民関連系統が増加し、サイエンス論文で示されているように、西部ではアナトリア農耕民関連系統の比率が59%と高く、東部では30%と低い勾配を示します。私の説明が下手で分かりにくいので、以下に本論文の図3を掲載します。

画像
https://marlin-prod.literatumonline.com/cms/attachment/39fa94c3-2fb2-46ec-8afb-d11af2e98911/gr3_lrg.jpg

 本論文はこれらの知見から、アジア南部ではヨーロッパと同様に、最初に農耕の始まった肥沃な三日月地帯からの直接的な移住により農耕が始まったわけではない、と指摘します。ヨーロッパの場合は、アナトリア半島東部の狩猟採集民が外部からの大規模な移住なしに農耕を始め(関連記事)、その後でヨーロッパに拡散していきました。アジア南部の場合は、まだ特定されていない地域の狩猟採集民が、外部からの大規模な移住なしに農耕を始めたのだろう、と本論文は推測しています。ただ本論文は、アジア南部内で初期農耕民による大規模な拡大が起き、農耕の拡大とともに集団置換が起きた可能性も想定しています。そのような事象が起きたのか否かは、本論文が指摘するように、農耕開始前後の古代DNA研究で明らかになるでしょう。

 インダス文化集団は、アナトリア農耕民関連系統を有さず、イラン高原の古代の農耕民系統とは異なるイラン系統を有するため、アナトリア半島からアジア南部へ初期農耕民がインド・ヨーロッパ語族をもたらしたとする仮説と整合的ではない、と本論文は指摘します。本論文はサイエンス論文と同様に、アジア南部にインド・ヨーロッパ語族をもたらしたのは紀元前二千年紀に到来した草原地帯牧畜民系統集団だろう、と推測します。本論文は、I6113に代表されるインダス文化集団がインダス文化全体の遺伝的構成に共通している可能性を主張しつつも、まだ標本が少なく、今後広範囲で標本数を蓄積していき、定量的に分析していく必要がある、と指摘しています。サイエンス論文とセル論文の著者の一人でもあるパターソン(Nick Patterson)氏は、インダス文化集団は遺伝的にたいへん多様だっただろう、と推測しています。


参考文献:
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487

Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048

https://sicambre.at.webry.info/201909/article_23.html

4 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:49:27

雑記帳 2020年08月31日
古代DNAに基づくユーラシア西部の現生人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_42.html

 古代DNAに基づく近年のユーラシア西部の現生人類(Homo sapiens)史研究を整理した概説(Olalde, and Posth., 2020)が公表されました。ユーラシア西部における現生人類の遺伝的歴史は、過去10年にたいへん注目されてきた研究分野です。これまでの研究の大半は、新石器時代と青銅器時代に起きた大規模な文化的移行をより理解するため、超地域的視点に焦点を当ててきており、おもに8500~3000年前頃の個体群が対象でした。

 最近では、そうした大規模な手法は学際的な小地域研究により補完されており、それは過去の社会の通時的な再構築を目指し、古代DNA研究の将来の主流の方向性となる可能性が高そうです。さらに、ユーラシア西部全域の刊行された人類ゲノムの時間的分布を考慮すると、一方の側は上部旧石器時代と中石器時代、もう一方の側は鉄器時代に広く対応しています。この期間の研究もひじょうに興味深いものの、固有の課題もあり、それは、狩猟採集民遺骸としばしば乏しい古代DNA保存という利用可能性の低さと、歴史時代の集団間の減少した遺伝的差異を含みます。本論文は、最近明らかになってきたような、ユーラシア西部の古代DNA研究における新たな動向を取り上げます。


●ユーラシア西部狩猟採集民

 45000年前頃以降の大半において、ヨーロッパと近東の現生人類は狩猟採集戦略に依存していました。上部旧石器時代および中石器時代と新石器時代の一部地域では、集団の生活様式は狩猟採集でした。8500年前頃以降になって初めて、農耕が近東からヨーロッパに拡大してきました。この狩猟採集に依拠していた期間が長いにも関わらず、ヨーロッパと近東の刊行された古代ゲノムのうち、狩猟採集民個体群に由来するのは10%未満です。

 ヨーロッパの狩猟採集民に関する最初の大規模なゲノム規模研究は2016年に公表され、45000~7000年前頃の50人のゲノムが分析されて、その後のいくつかの研究の基礎となりました(関連記事)。遅くとも37000年前頃以降、ヨーロッパの全個体は後のヨーロッパ人集団とある程度の遺伝的類似性を有します。しかし、その研究ではヨーロッパの現生人類のゲノムにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)系統は経時的に減少したと推定されましたが、最近の研究では、ヨーロッパの現生人類におけるネアンデルタール人系統の割合はほぼ一定だった、と推定されています(関連記事)。

 後のヨーロッパ人集団に寄与した最古のゲノムは、ロシア西部のコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で1954年に発見された37000年前頃の若い男性個体(関連記事)と、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)です。この2個体は相互に、ひじょうに異なる2系統の初期の分岐を表しており、より新しい別々の狩猟採集民集団と関連しています。

 ヨーロッパ全域で観察された最初の明確な遺伝的クラスタは、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡の3万年前頃の個体群に因んでヴェストニツェと命名され、チェコからベルギーとイタリア南部までの34000~26000年前頃のゲノムを含みます。これらの個体群はグラヴェティアン(Gravettian)技術複合と関連しており、コステンキ14個体およびその姉妹系統である34000年前頃のロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡集団と、高い遺伝的類似性を共有しています。さらに、クリミア半島からの提案されたグラヴェティアン個体もまた、ヴェストニツェ遺伝的クラスタのより新しい個体群との類似性を示し、グラヴェティアン関連遺伝的構成の西方から東方への拡大が支持されます。

 最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の後、Goyet Q116-1個体で特定された遺伝的系統は、考古学的にはマグダレニアン(Magdalenian)と関連した個体群に現れ、その年代はイベリア半島では19000年前頃、ヨーロッパ中央部では15000年前頃です。15000年前頃のヨーロッパでは温暖化が起き、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡で発見された14000年前頃の個体に因んで命名された新たな遺伝的系統であるヴィラブルナの存在と同時に発生し、このヴィラブルナ系統は現代および古代の近東集団と有意なつながりを示します(関連記事)。このかなり均質な遺伝的構成は、イタリア(関連記事)からブリテン島(関連記事)にまたがるヨーロッパ全域に広範に拡大しました。

 ヴィラブルナ系統の起源はまだ議論されていますが、近東の上部旧石器時代個体群の最近の分析では、ジョージア(グルジア)とアナトリア半島でそれぞれ26000年前頃と15000年前頃に混合したそのような系統存在が明らかになっています。しかし、近東からヨーロッパへの長期的拡大というよりもむしろ、ヨーロッパ南東部の気候的な待避所からの二重の集団拡散が、これら2地域の遺伝的な祖先構成の説明として提案されてきました。他の氷期の待避所としてイベリア半島が提案されており、そこではマグダレニアン関連系統が、広範囲のヴィラブルナ系統とともに、中石器時代まで高い割合で残存していました(関連記事)。

 ヨーロッパ北東部では遅くとも8000年前頃までには、東部狩猟採集民(EHG)と命名された他の異なる遺伝的系統を有する個体群が、西部狩猟採集民(WHG)ヴィラブルナ系統と関連する個体群とともに東西に沿って遺伝的勾配を示します。スカンジナビア半島の中石器時代の狩猟採集民は、さらに東方に位置する集団と比較してずっと高い割合のEHG関連系統を有するので、この勾配の顕著な例外を表します(関連記事)。そのため、氷期後のスカンジナビア半島の定住は、北方からEHG、南方からWHGの拡大を伴っていたという二重経路で、その後で混合が起きた、と提案されています(関連記事)。

 ヨーロッパのほとんどで、狩猟採集民系統はその後に、新石器時代の拡大の結果として、農耕関連遺伝的構成にほぼ置換されました。しかし、バルト海地域のようなヨーロッパ北部の周辺では、狩猟採集民の遺伝的構成が中期新石器時代の5500年前頃まで、ヨーロッパにおける農耕民到達後も3000年ほど維持されました。ロシア西部のサマラ(Samara)地域の個体群は、EHG関連系統の東限となり、ウラル山脈のすぐ東のシベリア狩猟採集民は、ユーラシア東部集団との遺伝的類似性を示します。


●鉄器時代から歴史時代

 過去3000年の歴史は、現代人集団の最終的な形成の理解に重要です。人類の移動性が高まっているため、この期間の人口統計学的事象は小規模でも大規模でも豊富で、そのほとんどは歴史的な情報源で描かれています。しかし、歴史的記録の解釈は決定的ではないかもしれず、古代DNA研究には、記録にある事象の人口統計学的影響をよりよく理解するのに有益な手法となる可能性があります。じっさい、この分野の焦点はより最近の歴史に移り始めており、鉄器時代から現代までのヨーロッパと近東の遺伝的歴史を扱う研究が増加しています。

 ヨーロッパ南西部では、鉄器時代のイベリア半島人が、先行する青銅器時代にヨーロッパ全域に拡大した草原地帯関連系統を有するヨーロッパ中央部および北部集団から、引き続き遺伝子移入を受けていました。これは、大きな社会文化的変容の期間で、人口統計学的転換を伴っており、究極的にはヤムナヤ(Yamnaya)文化草原地帯牧畜民と関連する集団はまずヨーロッパ東部および中央部で、後にはヨーロッパ西部で、在来集団とのかなりの混合を通じて、大きな影響を残しました(関連記事)。侵入してくる草原地帯集団は、インド・ヨーロッパ語族のヨーロッパへの導入と関連しており、鉄器時代イベリア半島の非インド・ヨーロッパ語族地域もまた、この遺伝子流動の影響を受け、過去と現在の言語境界が明確な系統区分と必ずしも相関しないことを示します(関連記事)。

 ヨーロッパ北東部では、最近の研究により、ウラル語族現代人に特徴的なシベリア人関連系統の痕跡が、フェノスカンジアに遅くとも3500年前頃、バルト海地域東部には2500年前頃に到達していた、と明らかになりました(関連記事)。ポントス・カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)は、鉄器時代にはスキタイ人に支配されており、スキタイ人は広範な地域で文化要素を共有するさまざまな遊牧民部族族の連合です。これらの古代集団からのゲノムデータにより、スキタイ関連個体群は遺伝的に均質な集団ではない、と明らかになりました(関連記事)。スキタイ人は後期青銅器時代草原地帯牧畜民およびアジア東部集団と関連する系統のさまざまな割合でモデル化できます。

 レヴァントでは、遺伝子流動の兆候が鉄器時代とローマ期の個体群で検出されました。これらの個体群は、青銅器時代および現代の集団と全体的には遺伝的継続性を有するにも関わらず、おそらくは早期の歴史的事象と関連するヨーロッパ人関連構成をわずかに示します(関連記事1および関連記事2)。

 古代DNA研究で注目を集め始めている大きな事象は、紀元前三千年紀のギリシア人とフェニキア人の拡大です。これらの文化は長距離海上ネットワークの確立を通じて地中海沿岸に交易所を設けましたが、在来集団との統合の程度や、後の集団への遺伝的寄与といった重要な問題はさほど理解されていません。スペイン北東部のギリシア植民地の24個体のゲノム規模研究では、遺伝的に異なる2集団が報告されており、一方は在来のイベリア半島集団と、もう一方は同時代のギリシア集団との遺伝的類似性が指摘され、移民の継続的到来もしくは在来集団との限定的な交雑が示唆されます(関連記事)。

 スペインのイビサ島とイタリアのサルデーニャ島のフェニキア・カルタゴ文化個体群は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の分析(関連記事)とゲノム規模分析(関連記事)によって、遺伝的に先住集団とは異なるところがあり、在来集団からの多様な割合の遺伝的寄与とともに、地中海東部関連系統およびアフリカ北部関連系統を有する、と明らかになっています。同様のゲノム規模データの痕跡が、イベリア半島南部で少なくともローマ期には観察されていますが、より早期の同地域のフェニキア・カルタゴ文化関連個体群にさかのぼることができるかもしれず(関連記事)、これらの文化と関連した人類の移動が、長期間持続する遺伝的影響を地中海の一部集団に残した、と示唆されます(関連記事)。

 ローマは共和政確立後、ユーラシア西部で最大かつ最強の都市となりました。最近の研究では、帝政期のローマの成長は、地中海東部からの移民の影響を受けており、西方からの遺伝的影響の証拠はほとんどなかった、と明らかになっています(関連記事)。1500~1000年前頃となる中世前期には、文献に西ローマ帝国の支配地だった地域における「蛮族」集団の拡大が見え、しばしば大移動期とされます。西ゴートやランゴバルド(関連記事)やバイエルン(関連記事)やアレマン(関連記事)関連の墓地の被葬者の遺伝的構成に関する研究で一貫して明らかなのは、大規模な集団間の不均質性で、ヨーロッパ南部起源よりもむしろ、高頻度でおもにヨーロッパ中央部および北部関連系統の個体群が示されています。同様に複雑な状況はヴァイキングの拡大と関連した集団のゲノム分析でも示されるようになっており、1200~900年前頃となるヴァイキングの時代とその前には、スカンジナビア半島における人類集団の出入が文献に見えますが、それが確証されました(関連記事)。


●小地域の研究

 人類の古代DNA研究の新しい重要な動向は遺跡固有の分析で、古代社会の構造を解明するために学際的手法が用いられています。大規模な研究では複数のゲノムが同じ遺跡から得られ、密接に関連した個体群(たとえば、2~3親等程度)がしばしば見つかっています。これまで、そうした親族関係にある個体群は一般的に、集団遺伝分析から除外されていました。この手法は統計的検定で関連性バイアスを回避するのに適していますが、これら近親者の関係を調べることで、対象集団に関して多くの追加の情報が得られます。こうした研究には学際的手法が必要で、ゲノム・同位体・放射性炭素年代・形態・物質(考古学)のデータが統合されることで、集団内の社会文化的動態の理解を最大化します。

 そうした古代DNA分析に基づいて社会的構造を検証した研究の最初の事例が、装飾品など豪華な副葬品で有名なロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡です(関連記事)。スンギール遺跡の34000年前頃の4個体は遺伝的に密接な関係にない、と明らかになりました。さらに、有効人口規模の減少にも関わらず、近親交配の水準が低いことから、多くの現代狩猟採集民集団と同様に同族婚が避けられていた、と示唆されます。

 後の時代の集団では、複数の新石器時代と青銅器時代の遺跡で、遺跡固有の古代DNA研究により徹底的な調査が行なわれました。その一例は、ポーランドの球状アンフォラ(Globular Amphora)文化関連墓地です(関連記事)。この墓地の全被葬者には暴力的な死の痕跡が見られ、墓地内の4核家族を伴う拡大家族を表しています。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の高い多様性とは対照的に、Y染色体ハプログループ(YHg)の多様性が低い場合には、父方居住体系と解釈されています。

 アイルランドやイギリスやスウェーデン(関連記事)やチェコやスイス(関連記事)の新石器時代の巨石埋葬遺跡文でも、社会構造が調査されました。一般的な傾向として、女性よりも男性の方が被葬者は多く、とくにブリテン島とアイルランド島とスイスの巨石墓でその傾向が見られます。さらに、YHgは経時的に維持されており、これらの巨石墓地が父系社会と関連している、と改めて示唆されました。興味深いことに、同時代の異なる遺跡に埋葬された個体群間の密接な近縁関係の事例も明らかになっています。これは、アイルランドの2ヶ所の巨石墓、エストニアの石棺墓、イングランドの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の3ヶ所の遺跡で確認されており、これら複雑な埋葬構造が、選択された集団のために建てられた、と示唆されます。

 考古遺伝学的研究はまた、同位体分析や放射性炭素年代測定と効率的に組わせることができ、その事例として、後期新石器時代から中期青銅器時代のドイツ南部のアウグスブルクに近い地域に焦点を当てたものがあります(関連記事1および関連記事2)。中期青銅器時代のドイツ南部では、100個体以上のゲノム比較から、関連していな個体群よりも中核的家族の方が副葬品は多く、副葬品と親族関係との間に正の相関があると明らかになり、社会的不平等の証拠が提示されました。さらに、複数世帯が同じ遺跡に同じ家系で最大5世代にわたって埋葬されており、一般的には女性外婚制と父方居住により特徴づけられます。

 中世前期に関しては、上述のランゴバルドとアレマンとバイエルンという3ヶ所の小地域研究で、親族関係と社会構造が取り上げられています。ランゴバルドに関する研究(関連記事)では63個体が調査され、ハンガリーも含むパンノニアとイタリア北部のピエモンテ州の2ヶ所のランゴバルド人遺跡間および内部の比較が行なわれました。両遺跡の個体群は生物学的親族の周囲に葬られ、遺伝的にはヨーロッパ南部系統とヨーロッパ中央部および北部系統の割合はさまざまで、ヨーロッパ中央部および北部系統は墓地の豊富な副葬品と正の相関を示します。

 ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州のアレマン関連墓地は、性的な偏りのある埋葬遺跡を表しており、成人も幼児も男性のみで、戦士階級集団の可能性があります(関連記事)。さらに、このうち5個体は異なる3文化の副葬品と関連しているにも関わらず、父系では関連しています。ドイツ南部のバイエルンの6ヶ所の遺跡では紀元後500年頃の36人のゲノムが分析され、男性は現代の同地域集団と類似しているのに対して、女性は遺伝的異質性が高い、と明らかになりました(関連記事)。興味深いことに、細長い頭蓋骨を有するこれらの女性は、おそらく究極的にはヨーロッパ南東部起源です。

 まとめると、既知の学際的な小地域研究は、複数の証拠を通じて、ヨーロッパの過去の社会の埋葬が、しばしば父系的体系で組織されていると示唆するものの、他の地域と期間も対象とする将来の研究は、ユーラシア西部における変化する社会文化的動態のよりよい理解を、間違いなく提供するでしょう。


●まとめ

 本論文は、現在注目を集めている3分野を強調することで、ヨーロッパと近東の人類古代DNA分野の可能な研究方向性を検討しました。この発展を可能にするためには、ひじょうに分解されたDNAの分離と配列の新たな分子生物学的手法を開発する必要があります。それにより、追加の狩猟採集民遺骸やより困難な環境からのゲノムデータを回収できます。

 一方、ユーラシア西部集団間の遺伝的分化は広範な混合のために時代が降ると顕著に減少することが観察されており(関連記事)、伝統的なアレル(対立遺伝子)頻度に基づく手法ではしばしば検出困難な、微妙な遺伝的パターンをもたらしました。これは、歴史時代における増加する集団内の遺伝的異質性とともに、古代DNAに合わせた、より大規模な標本群の使用と、より高解像度の分析手法の開発を要求します。詳細で場合によっては自動化された血統復元を通じての地域の歴史調査の後には、学際的枠組み内の世界的傾向を識別できるよう、時空間を通じて社会的構造を比較するために、再度俯瞰する必要があるでしょう。


 本論文は、近年のユーラシア西部における古代DNA研究の進展を整理するとともに、新たな研究動向と今後の方針をも提示しており、たいへん有益だと思います。ユーラシア西部、とくにヨーロッパの古代DNA研究は他地域よりもずっと進展しているため、本論文で言及された論文のうち当ブログで取り上げたものも少なくありませんが、未読の論文も多く、既読の論文の内容を改めて整理できたとともに、新たな知見も多く得られました。古代DNA研究の進展は目覚ましいので、頻繁に本論文のような概説を読んでいく必要がある、と改めて思ったものです。

 本論文の提示した古代DNA研究の新たな動向は、小地域、場合によっては1遺跡での学際的な研究です。DNA分析と、同位体分析や放射性炭素年代測定や遺物分析(考古学)や遺骸分析(形態学)を組み合わせることにより、当時の社会構造が浮き彫りにされていきます。これは歴史時代にも有効な手法で、文献を補完できます。歴史学でも、今後は古代DNA研究がさらに重視されるようになっていくでしょう。日本人の私としては、日本列島でもそうした学際的研究が進展するよう、期待しています。また本論文は、そうした詳細な研究の蓄積の後には、改めて俯瞰していく必要があることも指摘しています。どの分野でも、専門化・蛸壺化が指摘されて久しく、専門的で詳細な研究の蓄積は基礎としてたいへん重要ではあるものの、広い視点でそれらを統合する必要があることも確かだと思います。


参考文献:
Olalde l, and Posth C.(2020): African population history: an ancient DNA perspective. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 36-43.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.05.021


https://sicambre.at.webry.info/202008/article_42.html

5 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:49:55

雑記帳 2020年05月24日
ヨーロッパ中央部新石器時代最初期における農耕民と狩猟採集民との関係
https://sicambre.at.webry.info/202005/article_35.html
 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ヨーロッパ中央部新石器時代最初期における農耕民と狩猟採集民との関係に関する研究(Nikitin et al., 2019)が公表されました。線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)は、ヨーロッパ中央部の新石器時代の始まりにおいて重要な役割を果たしました。文化的・経済的・遺伝的に、LBKは究極的にはアナトリア半島西部に起源がありますが、在来のヨーロッパ中石器時代狩猟採集民社会の明確な特徴も示します。LBKの起源に関しては、いくつかのモデルが長年にわたって提案されてきました。在来モデルでは、LBKはアジア西部の新石器時代一括要素への適応を通じて、在来の中石器時代狩猟採集民集団により、境界での接触および文化的拡散を通じて確立された、と示唆されます。

 統合モデルでは、LBKの形成は植民化・境界移動および接触のようなメカニズムを通じての、中石器時代狩猟採集民の農耕牧畜生活様式への統合として説明されます。このモデルでは、スタルチェヴォ・ケレス・クリシュ(Starčevo-Körös-Criş)文化(SKC)と関連する小集団、おそらくはヨーロッパにおけるLBKの先行者が、祖先の大半がアナトリア半島から早期に到来したバルカンの故地を離れ、北西部へと新たな領域に定着した、と想定されます。在来の中石器時代集団との接触および生産物の交換は、狩猟採集民の農耕民共同体への同化をもたらし、そこでは農耕慣行が採用されました。そうした相互作用の証拠は、明確なSKC関連墓地のあるハンガリー北東部のティスザスゼレス・ドマハザ(Tiszaszőlős-Domaháza)遺跡に存在し、ほぼ狩猟採集民の遺伝的系統の個体群の埋葬を含みます。

 移民モデルでは、中石器時代ヨーロッパ中央部の低人口密度地域が、SKC文化と関連する開拓者の農耕牧畜集団に取って代わられ、しだいに在来の狩猟採集民集団は撤退させられていき、その狩猟採集民は到来してきたスタルチェヴォ移住民に顕著な影響を与えなかった、と想定されます。このモデルでは、在来集団の物質文化特徴の組み込みなしに、新たな到来者たちはその祖先的物質文化を新たに定着した領域で複製した、と想定されます。新たな環境と資源への技術革新と適応に起因して、いくつかの変異的文化が生まれ、石器や土器や建築物質技術において変化が見られます。同時に、装飾的デザインのような象徴的な体系は変化ないままでした。このモデルは1950年代末に出現し、20世紀後半に広く支持されました。

 現在まで、古代DNA研究により、新石器時代ヨーロッパ農耕民集団は、おもにアナトリア半島中央部および西部の新石器時代農耕民(ANF)の遺伝的子孫と示されてきました。それらの遺伝的痕跡は、在来のヨーロッパ中央部の中石器時代狩猟採集民(WHG)とは、ミトコンドリアDNA(mtDNA)やY染色体のような単系統でもゲノム規模でも異なります。それにも関わらず、新たな到来者たちが文化的および遺伝的に在来の狩猟採集民とどの程度相互作用したのか、不明確なままです。つまり、統合主義もしくは移行主義のモデルがどの程度正確なのか、不明です。

 遺伝的に、新石器時代ヨーロッパ中央部農耕民はWHG集団の遺伝的祖先特徴をわずかしか有していませんが、アナトリア半島農耕民のヨーロッパ新石器時代の子孫の遺伝子プールにおけるWHG混合の程度と時期は、ヨーロッパ中央部全域で様々です。ヨーロッパ新石器時代農耕民におけるWHG系統の量は、現在のハンガリーとドイツと他のヨーロッパ地域において、新石器時代を通じて増加する傾向にありますが(関連記事)、その混合の最初の程度は未解決のままです。それは部分的には、新石器時代農耕民移住民の最初の段階と同時代の人類遺骸が少ないためです。

 オーストリアのウィーン南方に位置する、ブルン複合遺跡(the Brunn am Gebirge, Wolfholz archaeological complex)の一部であるブルン2(Brunn 2)遺跡は、オーストリアで最古の新石器時代遺跡で、ヨーロッパ中央部でも最古級となります。ブルン2遺跡はLBKの最初の段階に区分され、形成期と呼ばれています。放射性炭素年代測定法では、ブルン2遺跡の較正年代は紀元前5670~紀元前5350年前です。ブルン2遺跡形成期のおもな特徴は、洗練された土器の欠如と明確なスタルチェヴォ文化の特徴を有する粗放な土器の使用です。ヨーロッパ最初の農耕民の文化的属性の形成におけるアナトリア半島からの移民の主導的役割は、ブルン2遺跡の人工物の比較類型学的分析で明らかです。

 ブルン2遺跡では、土器や石器といった豊富な人工物とともに人形や笛などいくつかの象徴的遺物が発見されており、儀式活動が行なわれた大規模なLBK共同体の「中央集落」の一部だった、と示唆されています。ブルン2遺跡では4人の埋葬が確認されています。この4人の被葬者は、個体1(I6912)・2(I6913)・3(I6914)・4(I6915)です。4人全員の歯はひじょうに摩耗しており、おもに植物性食料を摂取していた、と示唆されます。放射性炭素年代測定法により、この4人の年代はブルン複合遺跡の最初の段階と確認され、最初のヨーロッパ中央部新石器時代農耕民となります。本論文は、これら4人の遺伝子と同位体を分析し、その起源と食性と移動を調査します。

 ブルン2遺跡の4人のうち、3人(I6912・I6913・I6914)で有用な遺伝的データが得られました。この3人は男性で、mtDNAハプログループ(mtHg)は、I6912がJ1、I6913がU5a1、I6914がK1b1aです。Y染色体ハプログループ(YHg)は、I6912がBT、I6913がCT、I6914がG2a2a1aです。I6912とI6913は、網羅率が低いため、さらに詳細に区分できませんでした。全ゲノム配列からは一塩基多型データが得られました。核DNAの網羅率は、I6912が0.035倍、I6913が0.006倍、I6914が0.497倍です。

 主成分分析では、I6912とI6914がANFおよびそれと密接に関連するヨーロッパ新石器時代農耕民(ENF)と集団化する一方で、I6913はWHGに最も近いものの、ENFとANFにより近づいています。ただ、I6912とI6913、とくに後者の網羅率は低いので、主成分分析における位置づけには注意する必要がある、と本論文は指摘します。また本論文はf統計を使用し、WHG関連系統の割合を、I6912は12±3%、I6913は57±8%、I6914は1%未満と推定しています。さらに、I6912のWHG系統は、ヨーロッパ南東部の狩猟採集民よりもヨーロッパ西部および中央部の狩猟採集民の方に近い、と推定されました。I6913では、この区別が正確にはできませんでした。I6914はANFおよびヨーロッパ南東部のスタルチェヴォ関連個体群とほぼ対称的に関連している一方で、ヨーロッパ中央部の他のLBK集団と過剰にアレル(対立遺伝子)を共有しています。I6914と他のLBK個体群とのI6912およびI6913と比較しての高い遺伝的類似性は、これまでに研究されているアナトリア半島およびヨーロッパ南東部の農耕民とは共有されないわずかな遺伝的浮動を経験した集団出身である、と示唆します。

 安定同位体(炭素13および窒素15)の有用なデータが得られたのはI6914と I6915です。安定同位体分析では、ブルン2遺跡個体群はアナトリア半島およびヨーロッパの新石器時代農耕民の範囲内に収まり、C3植物もしくはそれを食べた草食動物におもに食資源を依存していた、と推定されます。歯のエナメル質のストロンチウム同位体分析では、幼児期の場所が推定されます。ブルン2遺跡個体群では、I6912はブルン2遺跡一帯の出身で、I6913は外部出身と推定されます。同位体分析では、窒素15の値から、より新しい個体で高くなっている、と示されます。これは、ヨーロッパ中央部の初期農耕民ではアナトリア半島の栽培植物が気候の違いから不作となり、農作物よりも動物性タンパク質に依存するようになったことを示しているかもしれません。あるいは、家畜の増加によるものである可能性もあります。

 ヨーロッパ中央部の早期新石器時代の遺骸は比較的豊富ですが、同時期の狩猟採集民の遺骸はほとんど知られていないので、とくにヨーロッパ新石器化の最初期段階における、狩猟採集民の生活様式や拡散してきたアナトリア半島起源の農耕民との統合に関する理解は難しくなっています。上述のように、この時期のヨーロッパにおける拡散してきた農耕民と在来の狩猟採集民との混合は限定的と推測されていますが、農耕民から狩猟採集民への生産物の流通が報告されてきており、両者の交流は少なくとも一定以上存在した、と考えられます。

 ブルン2遺跡個体群の生物考古学的分析は、ヨーロッパ中央部における早期ENFの生活史の推測を可能とし、アナトリア半島起源の移住してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間の最初期の相互作用の証拠を提示します。ブルン2遺跡の3人のmtHgのうち2系統(J1とK1b1a)は、近東の新石器時代個体群とヨーロッパにおけるその子孫たちで一般的に見られるものです。一方、I6913のmtHg-U5a1などU5は、ヨーロッパの狩猟採集民に特徴的と考えられてきましたが、最近、アナトリア半島中央部のチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡の個体でU5b2の個体が確認されています(関連記事)。I6914はYHg-G2a2a1aで、ANFおよびENF集団に特徴的なG2a系統です。カルパチア盆地とヨーロッパ南東部の早期新石器時代遺跡のLBK関連遺骸の以前の研究では、YHg-G2aは早期ENFで優勢とされています。同時期のmtHgの高い多様性は、早期LBK共同体におけるYHgの減少を示唆します。しかし、LBK集団における性比偏りの証拠は見つかっていません(関連記事)。

 I6914は遺伝的にはほぼANF関連系統となり、LBKやSKCを含むENF関連個体のほぼ全員と一致します。WHG関連系統は、I6914にはほとんど見られませんが、I6912とI6913では確認されます。アナトリア半島起源のANF関連系統の個体群がヨーロッパ南東部を経てヨーロッパ中央部に拡散する過程で、ヨーロッパ在来のWHG関連系統個体群と混合したと考えられますが、その年代は特定できなかったので、それがブルン2遺跡一帯とヨーロッパ中央部到来前のどちらで起きたのか、不明です。あるいは、ブルン2遺跡の移民が、ブルン2遺跡よりも600年ほど早くアナトリア半島からバルカン半島に移住し、WHG関連系統個体群を取り込んだ集団と交流したか、その子孫だった可能性も考えられます。しかし、I6913ではWHG関連系統の割合が高く、それよりは低いものの有意にWHG関連系統を有するI6912では、ヨーロッパ南東部よりもヨーロッパ西部および中央部の狩猟採集民の方に近いWHG関連系統と推定されているので、ヨーロッパ中央部に到達してからの最近の混合である可能性が高そうです。

 ブルン2遺跡の石器群からは、早期ENFと在来の狩猟採集民との間の活発な相互作用が示唆されます。ブルン複合遺跡の15000個におよぶ石器群は、新石器時代農耕民が在来の狩猟採集民との交易のために狩猟用として製作した、と本論文は推測しています。早期LBK地域では暴力の証拠が欠如しており、LBK農耕民と在来の狩猟採集民との間の関係が悪くなかったことを示唆します。上述のようにI6913は外部出身と考えられますが、I6913の墓の石器は形成期LBKの集落が発見されたハンガリーのバラトン湖(Lake Balaton)の石で製作されたので、I6913はバラトン湖周辺地域の出身かもしれません。また本論文は、ブルン2遺跡の石器の製作には狩猟採集民社会出身者が関わっている可能性を指摘しており、そうだとすると、I6913における高い割合のWHG関連系統を説明できるかもしれません。

 ブルン2遺跡は、ヨーロッパ中央部における最初期新石器時代農耕民が、在来の狩猟採集民と文化的・遺伝的にどのような関係を築いたのか、検証するための格好の事例を提供します。ブルン2遺跡の個体群は、ANFとWHGの混合の第一世代だった可能性もあり、ヨーロッパ中央部の最初期新石器時代において、外来の農耕民集団と在来の狩猟採集民との間で、後期新石器時代程ではないとしても、一定以上混合が進んでいたことを示唆します。本論文は、ヨーロッパにおける新石器化に関して、アナトリア半島からの農耕民の移住が関わっており、さまざまな程度で在来集団と混合していった、と指摘します。この在来集団には、狩猟採集民だけではなく、より早期にバルカン半島に進出していた農耕民も含まれるかもしれません。今後の課題は、ヨーロッパにおけるANFと在来の狩猟採集民との関係をより広範に調査することです。


参考文献:
Nikitin AG. et al.(2019): Interactions between earliest Linearbandkeramik farmers and central European hunter gatherers at the dawn of European Neolithization. Scientific Reports, 9, 19544.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-56029-2

https://sicambre.at.webry.info/202005/article_35.html

6 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:50:22

雑記帳 2020年07月12日
ヨーロッパ新石器時代における農耕拡大の速度と気候の関係
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_14.html

 ヨーロッパ新石器時代における農耕拡大の速度と気候の関係についての研究(Betti et al., 2020)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。近東では完新世初期に、ヒトの生存戦略が狩猟採集から農耕牧畜への依存度の高い生計へと大きく変わりました。この新石器時代の新たな生活様式により、人口密度の増加や長期的な定住など社会が大きく変わりました。紀元前7000年頃、農耕はヨーロッパへと拡大し、まず近東に近い南東部で出現しました。ヨーロッパにおける農耕拡大は、おおむね南東から北西へと進み、狩猟採集民による農耕採用というよりは、近東起源の農耕民集団のヨーロッパへの急速な拡散によるものでした。新石器時代ヨーロッパにおいて、農耕民と在来の狩猟採集民とは遺伝的に大きく異なり、農耕民はアナトリア半島の初期農耕民と遺伝的によく似ています。

 また、考古学的データの蓄積とともに、ヨーロッパにおける農耕拡大の速度に大きな地域差があることも明らかになってきました。放射性炭素年代測定法による結果から、とくに北海とバルト海に近づくと、農耕拡大が著しく減速する、と示唆されています。これに関しては、近東から一括して導入された作物がヨーロッパ北部の寒冷湿潤な気候では上手く育たなかった、といった説明が提示されています。また新石器時代において、アジア南西部やヨーロッパ南東部と比較して、ヨーロッパ中央部および北西部の穀類と豆類の種の多様性は顕著に低い、と報告されています。これに関しては文化的要因が指摘されていますが、気候条件も一因と考えられています。

 この減速の代替的な説明は、ヨーロッパ北部では中央部もしくは南部と比較して、狩猟採集民の人口密度が高かった、というものです。その要因として、ヨーロッパ北部沿岸環境では狩猟・漁撈・採集の信頼性が高く生産的だったから、と推測されています。在来の大規模な狩猟採集民共同体の存在は、農耕民集団の拡散を妨げたかもしれない、というわけです。また、ヨーロッパに農耕が拡大した後、南部と中央部で普及様式が変わり、在来の狩猟採集民集団が次第に重要な役割を果たようなす文化変容が伴った、との見解も提示されています。

 本論文は、ヨーロッパ全域の農耕牧畜の最初の到来年代の大規模なデータベースの作成と、古気候復元と関連する速度変化の分析により、ヨーロッパにおける農耕拡大の速度を促進する気候の役割を検証します。また本論文は、観察された気候要因パターンの文脈において、早期農耕民と在来の狩猟採集民との間の相互作用を定量化するため、古代DNAデータを合成して再分析します。

 本論文は、ヨーロッパ全域の1448ヶ所の新石器時代遺跡のデータベースを分析しました。その結果、拡大は均一ではなく、いくつかの主要軸に沿って進んだ、と明らかになりました。その主要軸とは、地中海沿岸を西進してイベリア半島へと到達する経路(地中海軸)、現在のドイツなどヨーロッパ中央部へと北西方向へ進みブリテン島へと到達する経路(中央軸)、ヨーロッパ中央部を北進してスカンジナビア半島へと到達する経路(スカンジナビア軸)、北東方向へ進みヨーロッパ東部から現在のロシア西北端へと到達する経路(北東軸)です。各軸に沿った経路では、当初は急速に拡張し、隣接地域への拡大は遅くなる傾向が見られます。当初の急速な拡大に続き、中央軸では紀元前6200年頃、スカンジナビア軸では紀元前5400年頃、北東軸では紀元前5700年頃に著しい拡大の減速が見られます。中央軸の減速は大西洋沿岸に到達する前に起きているので、イギリス海峡を渡る必要性の結果ではありません。一方、航海を含んでいただろう地中海軸では、イベリア半島大西洋沿岸に到達するまで減速は見られません。

 この農耕拡大速度データと気候データを組み合わせると、農耕拡大速度は5度に設定された有効積算温度(GDD5)と明確に対推しており、GDD5が2000未満で減速が発生しました。また夏の平均月間気温も、GDD5ほどではありませんが、減速と対応しており、16度を下回ると減速が発生します。対照的に、冬の平均気温や最も乾燥した月の降水量や年間平均気温などは、減速とは関連していませんでした。これらの知見は、減速の要因が、近東で最初に栽培化された種には不適切な気候条件の地域へと到達と関連している、という仮説を裏づけます。これは、地中海軸において減速が見られないことにも支持されます。

 次に本論文は、ヨーロッパにおいて近東起源の外来農耕民集団と在来の狩猟採集民集団との間の関係が、両集団間での混合の増加に伴って変化したのかどうか、調べました。公開された295人のヨーロッパ新石器時代個体のゲノム規模データから、狩猟採集民系統の相対的寄与が定量化されました。新石器時代後半に起きた狩猟採集民系統の漸進的な増加を考慮しても、GDD5の減少に伴って狩猟採集民系統の顕著な増加があり、GDD5が1700未満の地域でとくに目立ちます。農耕拡大の遅い地域は、外来の農耕民と在来の狩猟採集民との間のより高い遺伝的混合でも特徴づけられます。また、農耕拡大の減速とそれに伴う農耕民と狩猟採集民との混合の増加が、狩猟採集民の人口密度の高さに起因するのか、調べられました。人口密度は遺跡密度で代用され、遺跡密度と混合増加との間に明確な関連性は見られませんでしたが、標本抽出の点での偏りも想定され、じっさいの人口密度を反映していないかもしれません。

 本論文の結果は以前の諸研究と合致しており、ヨーロッパにおける農耕拡大は北部で著しく減速し、農耕拡大は連続的な過程ではなくさまざまな速度で進んでいった、と示されます。本論文はこの減速の明確な仕組みを提供し、それは気候条件、より具体的にはGDD5の低下で、つまりは新石器時代の作物の成長における夏の重要性です。その適合度が低いと農耕拡大は減速する、というわけです。ヨーロッパ北部の気候条件は近東とは大きく異なるので、近東起源の作物の栽培が制約されました。農耕がヨーロッパにおいて中央部と北部に拡大する過程で、作物の種類が減少したことも先行研究で指摘されています。好みなど文化的要因だけで、ヨーロッパにおける農耕拡大の減速を説明するのは妥当ではない、というわけです。

 ブリテン諸島とスカンジナビア半島では紀元前4600~紀元前4000年頃に作物栽培が確立されましたが、その後、数世紀にわたって考古学的記録から穀類が急速に減少・消滅し、それらの穀類の収量が充分ではなかったか、予測困難なために放棄された可能性を示唆します。ブリテン諸島やスカンジナビア半島の一部では、穀類の栽培が続いても、寒さや一般的なストレスにより耐性のあるオオムギへと顕著に移行していきましたが、当初ヨーロッパに導入された近東起源の穀類には、秋に播種して翌年夏に収穫するものが含まれていました。ヨーロッパ北部のような寒冷地域では、元々は秋に播種されて翌年夏に収穫されていたオオムギが、春に播種されて秋に収穫されるようになりました。ブリテン諸島では前期青銅器時代に春に播種するオオムギ品種が導入された、という可能性も指摘されています。

 ヨーロッパにおいて、外来の農耕民と在来の狩猟採集民との混合は、近東起源の穀類の栽培に適していない地域に農耕民が拡散してくると増加しました。これは、以前に指摘された、より高緯度での狩猟採集民系統の増加を説明できます。食糧生産の信頼性が低下したため、農耕民はしだいに狩猟採集に依存するようになり、在来の狩猟採集民共同体と接触して、モノや知識を交換するようになった、と考えられます。ヨーロッパにおける、農耕民と狩猟採集民との最初期かそれに近い時期の接触と考えられる事例も報告されるようになり(関連記事)、農耕民と狩猟採集民との関係の年代・地域による違いが、今後さらに解明されていくのではないか、と期待されます。

 今後の課題として本論文が重視するのは、ヨーロッパにおける農耕拡大の減速に続くその後の拡大です。この後期の農耕拡大は速く、農耕技術の改善が示唆されますが、新たな農耕拡大地域では、農耕民と狩猟採集民との間の混合が高率で続きました。これは、農耕技術が改善されても、気候条件により恵まれた地域と比較すると狩猟採集に依存しており、農耕拡大速度に関係なく、農耕民が狩猟採集民と接触したためかもしれません。この問題の解明には、本論文の対象範囲を超えたより詳細な調査が必要です。本論文と以前の研究で示された、気候条件と強く関連するヨーロッパにおける農耕拡大の顕著な減速とともに、他の期間ではより緩やかな減速の地域もある、との見解も提示されています。この緩やかな減速は、人口や社会文化的条件など、気候以外の要因も想定されます。

 本論文は、遺跡・古気候復元・古代DNAに関する情報を統合することにより、気候がヨーロッパ新石器時代における農耕拡大、および農耕民と狩猟採集民との相互作用にどのような影響を与えたのか、一貫した見通しを提示できました。この見解の重要な検証が、現時点では放射性炭素年代測定結果が少ない、さらに東方の地域における農耕拡大の詳細な分析となります。たとえば、アジア東部における農耕拡大は、ヨーロッパと比較して充分には特徴づけられていませんが、最近の古代DNA研究では、より高緯度で狩猟採集民系統が増加するという、ヨーロッパと類似したパターンが示唆されています。今後の研究でとくに興味深いのは、近東の東部山脈地帯を起源とする農耕民が拡散した地域で、そうした厳しい気候条件で栽培化された作物はアナトリア半島の作物よりも耐寒性があったかもしれず、より厳しい気候条件下での農耕拡大減速を予測できる可能性があります。


参考文献:
Betti L. et al.(2020): Climate shaped how Neolithic farmers and European hunter-gatherers interacted after a major slowdown from 6,100 BCE to 4,500 BCE. Nature Human Behaviour.
https://doi.org/10.1038/s41562-020-0897-7

https://sicambre.at.webry.info/202007/article_14.html

7 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:51:04

雑記帳 2018年08月18日
ヨーロッパの人類史
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_30.html

 中期更新世~青銅器時代までのヨーロッパの人類史を遺伝学的観点から検証した研究(Lazaridis., 2018)が公表されました。近年の遺伝学的諸研究が整理されており、たいへん有益だと思います。とくに、図はよく整理されていて分かりやすいと思います。本論文には当ブログで近年取り上げた研究が多く引用されており、それらを再度参照しつつ、読み進めていきました。また、最近刊行された『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(関連記事)と併せて読むと、さらに理解が深まると思います。私も、近いうちに同書を再読しようと考えています。

 下部旧石器時代(前期~中期更新世)~中部旧石器時代(中期~後期更新世)までのヨーロッパには、現生人類(Homo sapiens)とは異なる系統のホモ属が存在していました。これらの人類の遺伝学的情報に関しては、今年(2018年)3月に一度まとめました(関連記事)。ヨーロッパで最古となる人類のDNAは、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された43万年前頃の人骨群から得られており、核DNAでは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)よりもネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の方に近縁で、ミトコンドリアDNA(mtDNA)では現生人類やネアンデルタール人よりもデニソワ人の方と近縁となります(関連記事)。本論文が対象とするのは、このSH人骨群の存在した43万年前頃以降のヨーロッパとなります。ただ本論文は、43万年前頃~現生人類が拡散してくるまで(45000年前頃?)のヨーロッパの人類史をネアンデルタール人系統に集約させていますが、もっと複雑だった可能性が高いように思います(関連記事)。

 45000年前頃かそれ以前より、ヨーロッパには現生人類が拡散してきて、中部旧石器時代から上部旧石器時代へと移行します。ヨーロッパのネアンデルタール人は4万年前頃には絶滅したとされていますが(関連記事)、イベリア半島ではさらに3000年ほどネアンデルタール人生存の可能性が指摘されています(関連記事)。ただ、現時点では、遺伝的に明確に現代ヨーロッパ人系統とつながる最古の個体は、ヨーロッパロシアで確認された39000~36000年前頃の個体までしかさかのぼらず(関連記事)、西ヨーロッパの35000~34000年前頃のベルギーの個体がそれに続きます。一方、クロアチアの42000~37000年前頃の現生人類個体は、その4~6代前にネアンデルタール人と交雑し、現代には子孫を残していない、と考えられています(関連記事)。そのため、4万年前頃のナポリ近郊の大噴火により、ヨーロッパの現生人類とネアンデルタール人は絶滅して後続の現生人類に置換された、とも考えられますが、この大噴火がヨーロッパの初期現生人類を絶滅させたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。

 ベルギーの、現代ヨーロッパ人系統とつながる最初期の個体は、他の同年代の西ユーラシア人よりも多くの対立遺伝子を近い年代の東アジア人と共有しており(関連記事)、しかもmtDNAハプログループでは、ユーラシア東部やオセアニアでは高頻度で見られるものの、現代のユーラシア西部ではほとんど確認されていないM系統に分類されます。これは例外ではなく、21000年前頃となる最終氷期極大期前のヨーロッパには、他にもmtDNAハプログループMが存在していました。こうしたユーラシア東部やオセアニアとの遺伝的類似性は、グラヴェティアン(Gravettian)と関連する31000~26000年前頃のイタリア・ベルギー・チェコの集団や、マグダレニアン(Magdalenian)と関連する19000~15000年前頃のスペイン・フランス・ドイツ・ベルギーの集団では消滅していました。ヨーロッパの大半では15000年前頃までには、西ヨーロッパ更新世狩猟採集民集団(WHG)が優勢となり、現代の南部および北部ヨーロッパ人に遺伝的影響を残しています。WHGには、ヨーロッパの周辺地域、とくにアナトリア半島の集団との遺伝的類似性も見られます。東ヨーロッパでは、WHGと上部旧石器時代シベリア狩猟採集民との混合により、狩猟採集民集団(EHG)が形成されました。EHGは北ヨーロッパの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼしました。

 ヨーロッパには9000年前頃よりアナトリア半島から農耕民が拡散してきて、しだいに農耕が定着していきます。WHG系統は前期新石器時代のハンガリーや6000~5000年前頃までのドイツではまだ強い遺伝的影響力を有していたものの、しだいにアナトリア半島からの農耕民と融合し、その独自の遺伝的構成は失われていきました。このアナトリア半島からヨーロッパに拡散してきた農耕民は、仮定上の存在である「基底部ユーラシア人」の遺伝的影響を受けていました。基底部ユーラシア人は、他の非アフリカ系と101000~67000年前に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けていない、と推定されています。後期~末期更新世を通じて、おそらくは自然選択もあり、ヨーロッパの現生人類におけるネアンデルタール人の遺伝的影響は減少していきました。そこへ、基底部ユーラシア人の遺伝的影響を受けたアナトリア半島からの農耕民がヨーロッパに拡散してきて在来のWHGやEHGと融合したので、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の遺伝的影響はさらに低下し、現在では東アジア系現代人よりも低くなっています。基底部ユーラシア人は中東の農耕民とコーカサスの狩猟採集民に遺伝的影響を及ぼし、後にはユーラシア西部集団に強い影響力を有することになりました。

 現代ヨーロッパ人の基本的な遺伝的構成は、この新石器時代に確立した集団に、中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯の遊牧民がヨーロッパに拡散してきて融合したことで成立します。銅石器時代~青銅器時代の間の草原地帯の集団は、東ヨーロッパに8000年以上前に存在したEHGと、現代アルメニア人と関連する南方集団と、コーカサスの狩猟採集民と、イランの農耕民との混合の結果成立しました。この草原地帯の集団が騎馬遊牧民となり、5000年前頃からヨーロッパに拡散したことで、とくに中央部と北部に関しては大きな影響を及ぼした、と明らかになっています。ただ、草原地帯遊牧民のヨーロッパにおける遺伝的影響については、地域的な違いが見られる、とも指摘されています(関連記事)。この草原地帯遊牧民は、おもにヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と考えられており、東方にも拡散して南および西アジアとヨーロッパにインド・ヨーロッパ語族を普及させた、と想定されているのですが、南および西アジアに関しては、この見解に疑問も呈されています(関連記事)。

 このように、古代DNA研究の進展によりヨーロッパの人類史に関して多くのことが解明されました。しかし、同時に多くの問題が新たに浮かび上がってきた、と本論文は指摘します。35000年前頃以降にヨーロッパに出現した現代ヨーロッパ人と遺伝的につながっている最初の人類集団はどこから到来したのか、中東集団は基底部ユーラシア人とどのよう過程を経て交雑したのか、基底部ユーラシア人系統が直接ヨーロッパに拡散しなかった理由、WHGが15000年以上前に最終氷期以前の人類と事実上置換した理由、EHGを創出することになった古代シベリア集団の西進理由、草原地帯からの移住民がヨーロッパで大きな遺伝的影響力を有するようになった理由などです。今後、こうした問題も古代DNA研究の進展により解明されるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Lazaridis I.(2018): The evolutionary history of human populations in Europe. Current Opinion in Genetics & Development, 53, 21-27.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2018.06.007

https://sicambre.at.webry.info/201808/article_30.html

8 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:51:28

雑記帳 2018年05月11日
インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html
 おもに5500~3500年前頃となる、内陸アジアとアナトリア半島の74人の古代ゲノムの解析結果と比較を報告した研究(Damgaard et al., 2018A)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。インド・ヨーロッパ語族の拡散については複数の仮説が提示されていますが、有力なのは、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族祖語も広範な地域で定着していった、というものです。

 この「草原仮説」においては、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡散が、ヨーロッパから西・中央・南アジアにまで及ぶ、インド・ヨーロッパ語族の広範な定着に重要な役割を果たしたのではないか、との想定もあります(関連記事)。ヤムナヤ文化集団は5000年前頃からヨーロッパへの大規模な拡散を始め、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を各地に定着させ、やがて言語が多様化していったのではないか、というわけです。ヤムナヤ文化集団が初めてウマを家畜化したとの見解も提示されており、ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、ヤムナヤ文化集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。

 しかし、ウマの家畜化については議論が続いており、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化集団が、初めてウマを家畜化した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、この研究では、現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期~後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています。これは、ボタイ文化の初期家畜馬は現生家畜馬に2.7%程度しか遺伝的影響を及ぼしていない、という知見(関連記事)と整合的です。ボタイ文化集団は、3人のゲノム解析結果から、ヤムナヤ文化集団とは遺伝的に近縁関係にはなく、それぞれ独自にウマを家畜化したのではないか、と推測されます。ボタイ文化集団は、近隣の集団が農耕・牧畜を採用した後も長く狩猟採集生活を維持し続けたので、孤立していたとも考えられていましたが、ウマの埋葬儀式に関しては他のアジアの文化との共通点があり、他集団との交流は一定上あったと考えられます。

 ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に拡散させた、との仮説の検証で重要なのは、インド・ヨーロッパ語族の使用が最初に確認されている、アナトリア半島を中心に繁栄した古代オリエントの強国ヒッタイトの住民と、ヤムナヤ文化集団との関係です。この研究では、アナトリア半島の住民の古代ゲノム解析の結果、古代アナトリア半島ではヤムナヤ文化集団の遺伝的影響は確認されませんでした。また、シリアの古代都市エブラ(Ebla)の記録から、インド・ヨーロッパ語族はすでにアナトリア半島で紀元前2500~2400年前頃には用いられていたのではないか、と推測されています。この研究は、インド・ヨーロッパ語族集団はヤムナヤ文化の拡大前にアナトリア半島に到達していただろう、と指摘しています。

 中央・南アジアに関しても、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんど確認されませんでした。これまで、アジアにおけるユーラシア西部集団の遺伝的影響は、ヤムナヤ文化集団の拡散の結果と考えられ来ました。しかし、この研究は、その可能性が低いと指摘し、5300年前頃にユーラシア草原地帯の南方にいたナマズガ(Namazga)文化集団が、ヤムナヤ文化集団の大移住の前に、ユーラシア西部系住民の遺伝子をアジア人集団にもたらしたのではないか、と推測しています。

 ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はヨーロッパにおいて大きかったものの、アジアではたいへん小さかったようです。もちろん、文化的影響は遺伝的影響を伴うとは限りませんが、この研究で報告されたゲノム解析結果と比較は、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に定着させ、インド・ヨーロッパ語族は各地で多様化していった、という仮説と整合的とは言えないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の拡散に関しては、この研究のように、学際的な研究の進展が欠かせない、と言えるでしょう。その意味で、この研究の意義は大きいと思います。


参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aar7711

https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

9 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:52:14

雑記帳 2021年01月24日
ヨーロッパ東部の石器時代から青銅器時代における人類集団の遺伝的変化
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_31.html

 ヨーロッパ東部の石器時代から青銅器時代における人類集団の遺伝的変化に関する研究(Saag et al., 2021)が公表されました。現在のロシア領の西部は、先史時代のいくつかの移動・変容過程の焦点でしたが、古代DNA研究ではかなり過小評価されたままです。上部旧石器時代のスンギール(Sunghir)遺跡(関連記事)やコステンキ14(Kostenki 14)遺跡(関連記事)など、ヨーロッパで最古の遺伝的に研究された個体群の一部はロシア西部に由来しますが、全体的には古代の遺伝的情報は希薄です。

 ヨーロッパ東部および北部の森林地帯への人類の移住は、紀元前一万三千年紀から紀元前九千年紀にかけての更新世末と中石器時代初めに、2回の大きな波で起きました。両方の事例では、ヨーロッパの広範な地域に拡大した文化と類似した物質文化を有する人々の集団が、移住過程に加わりました。この地域の中石器時代の居住に関しては、ブトヴォ(Butovo)やクンダ(Kunda)やヴェレティエ(Veretye)やスオムスエルヴィ(Suomusjärvi)など、いくつかの異なる考古学的文化が識別されています。居住のより古い段階では、物質文化はひじょうに類似しているので、単一の文化圏としても扱われてきました。

 しかし、紀元前九千年紀の半ばから、明確に区別された文化的違いを有する在来人類集団が、すでにこの地域に存在していました。中石器時代(農耕ではなく土器製作に基づくロシアの時代区分によると部分的に前期新石器時代)に起きた一連の小さな変化にも関わらず、それらの集団の一般的な傾向としての文化的継続性は、紀元前五千年紀の始まりまで経時的に観察され、一部の地域では紀元前四千年紀の始まりまで続き、その頃には、いわゆる櫛目文土器(Pit-Comb Ware)文化がヨーロッパの広範な地域で形成されました。ロシアのヴォルガ・オカ河間地域では、櫛目文土器とその地域的変形を有するリヤロヴォ文化(Lyalovo Culture)が報告されました。この文化圏の人々は、とくにロシアの広大な地域で区別できる狩猟採集のヴォロソヴォ文化(Volosovo Culture)に、紀元前四千年紀から紀元前三千年紀に特有の考古学的文化における一連の発展を促進した可能性があります。

 ヨーロッパの中石器時代の狩猟採集民は、その遺伝的系統に基づいて2集団に区分できます。いわゆる西部狩猟採集民集団(WHG)は、イベリア半島からバルカン半島へと拡大し、後期中石器時代にはバルト海東部まで到達しました(関連記事)。東部狩猟採集民集団(EHG)は、さらに東方からの遺伝的影響(現代のシベリア人と遺伝的につながっています)を受け、これまでロシア西部では紀元前9400~紀元前5500年頃となる6個体が含まれます。これら6個体のうち4個体のゲノムは、ロシア北西部のカレリア(Karelia)の紀元前7500~紀元前5000年頃の遺骸に由来し、残り2個体のゲノムはヨーロッパロシア東部のサマラ(Samara)地域の紀元前9400~紀元前5500年頃の遺骸に由来します。

 遺伝的研究では、ヤムナヤ(Yamnaya)文化複合と関連する人々がヨーロッパ東部平原の草原地帯から拡大し、紀元前2900~紀元前2800年頃に縄目文土器(Corded Ware)を製作し始めたヨーロッパ集団の系統にかなり寄与した、と示されてきました。本論文は簡潔化のため、埋葬慣行や時期など考古学的背景が特定の文化に関連づけられてきた個体群について言及する時には、文化名を用います。重要なのは、実際には、文化と遺伝的系統との間のつながりは決めてかかるべきではない、と強調することです。

 ヤムナヤ文化集団の移住は、それよりも数千年早いアナトリア半島初期農耕民(EF)のヨーロッパへの移住よりも2倍速いと推定されてきており、ヨーロッパ西部における広葉樹林の減少および草地・牧草地の増加と一致している、と推定されました(関連記事)。縄縄目文土器(Corded Ware)複合(CWC)は広範な地域に拡大し、東方ではタタールスタン、北方ではフィンランドの南部とスウェーデンとノルウェー、西方ではベルギーとオランダ、南方ではスイスとウクライナに達しました。その最東端の拡大であるファチャノヴォ文化(Fatyanovo Culture)は、有名なヨーロッパ東部のCWCで、ヨーロッパロシアの広範な地域に拡大し、畜産とおそらくは穀物栽培を森林地帯にもたらしました。これまで、ファチャノヴォ文化に関してはわずか14点の放射性炭素年代が刊行されており、紀元前2750~紀元前2500(もしくは2300)年となります。文化の特徴的な埋葬習慣には、平らな土の墓に死者を安置することが含まれ、ほとんどは曲がっており、その側(男性ではおもに右側、女性では左側)には、副葬品として軸穴石製斧や燧石の道具や土器の容器が共伴します。

 ヤムナヤ文化の複雑な牧畜民は、EHGおよびコーカサス狩猟採集民(CHG)と系統を共有します。遺伝的研究で明らかになってきたのは、おもにヤムナヤ系統を有するCWC個体群は、アナトリア系統のヨーロッパEFとある程度の混合を示し、ヨーロッパ東部および北部の現代人集団と最も類似している、ということです。ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)は、現代のヨーロッパ中央部および北部において高頻度ですが、CWC個体群ではまだ低頻度で、その後すぐに急速に頻度が上昇しました(関連記事)。ヤムナヤ文化の拡大は男性に偏っていましたが(関連記事)、CWC個体群におけるアナトリア半島EF系統は、女性系統を通じてより多く得られています。

 本論文は、ヨーロッパ北東部の森林地帯における漁撈狩猟採集から食料生産への変化に伴う人口統計学的過程に光を当て、現在のロシアの西部における石器時代から青銅器時代の移行と関わる遺伝的変化を調べることが目的となります。ロシア西部からの28点の新たな放射性炭素年代が追加され、狩猟採集民とファチャノヴォ文化農耕民の遺伝的類似性が特徴づけられます。研究の一環として、完新世にヨーロッパの他地域で見られる大きな人口移動がこの地域に影響を与えたのかどうか、また与えたとしてどの程度だったのか、調べます。それは、ロシア北西部の住民の遺伝的系統は何だったのか、ファチャノヴォ文化集団はヨーロッパ東部草原地帯からの直接的な移住の結果だったのか、それともより西方のCWC集団と同様に関わるヨーロッパEF系統なのか、という問題です。さらに、考古学的証拠に示唆された、ヴォロソヴォ文化とファチャノヴォ文化の人々の間の潜在的な混合のような局地的過程に光を当てることも本論文の目的です。


●標本と考古学的背景

 現代のロシア西部とエストニアの18ヶ所の遺跡(図1)で発見された、48個体の歯根からDNAが抽出されました。DNA保存率が高かった30個体では10~78%の内在性DNAが得られ、汚染率は3%未満でした。これらの個体のショットガン配列により、平均ゲノム網羅率0.01倍以上2個体、0.1倍以上18個体、1倍以上9個体、5倍1個体(PES001)が得られました。提示されたゲノム規模データは、3個体(WeRuHG)が石器時代(紀元前10800~紀元前4250年頃)、26個体が青銅器時代のファチャノヴォ文化(紀元前2900~紀元前2050年頃)、エストニアの1個体が縄目文土器文化(紀元前2850~紀元前2500年頃)です。これらの個体のゲノムデータは、既知の古代および現代の人類集団とともに分析されました。

 放射性炭素年代測定の場合、石器時代の狩猟採集民が消費した川と湖の魚により、顕著なリザーバー効果が引き起こされるかもしれません。これは、人類の歯や骨から得られる放射性炭素年代が、実際の年代よりも数千年ではなくとも数百年古くなるかもしれません。残念ながら、特定の事例ごとにリザーバーの規模を推定するデータはまだありません。しかし、これは本論文の石器時代個体群に関して全体像を変えるものではありません。以下、本論文の図1です。
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●ロシア西部狩猟採集民の類似性

 まず、ロシア西部の石器時代狩猟採集民3個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体の多様性が評価されました。最古の個体(PES001)はmtDNAハプログループ(mtHg)U4で、これはヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)およびスカンジナビア半島狩猟採集民個体群で見られます。他の2個体のmtHgはT2とK1で、これは注目されます。なぜならば、農耕拡大前のヨーロッパ狩猟採集民ではmtHg-Uの頻度が群を抜いて最も高かったからです。しかし、mtHg-H11・T2も狩猟採集民個体群で見つかっており、ロシア西部2個体の系統(mtHg-T2a1b1・K1)の推定年代は、それぞれ11000±2800年前と22000±3300年前で、2個体の年代(8500~8300年前頃と6500~6300年前頃)に先行する可能性が高そうです。Y染色体ハプログループ(YHg)では、PES001とBER001がそれぞれR1a1b(YP1272)とQ1b1a(L54)で、両YHgともEHG個体群で以前に明らかになっています。

 次に、常染色体データを用いて、ロシア西部石器時代3個体(WeRuHG)が利用可能な古代および現代の集団と比較されました。主成分分析では、古代の個体群がユーラシア西部現代人に投影されました。主成分分析では、WeRuHGの3個体全員が、ヨーロッパ狩猟採集民勾配のEHGの端に位置する個体群とともにクラスタ化しました(図2A)。次に、ADMIXTURE分析を用いて、古代の個体群が世界規模の現代人標本に投影されました。K=3からK=18で計算されましたが、本論文はK=9について説明します。このKの水準は、最高の対数尤度値に達する10%超の実行でひじょうに類似した結果が得られる、最大の推定される遺伝的クラスタの数を有しました。分析の結果、WeRuHG個体群はEHGと最も類似しており、ほぼ、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)で最大化される構成要素(図2では青色)と、ロシア極東現代人(橙色)および古代コーカサス・イラン人(オリーブ色)で最も高頻度の構成要素のかなりの割合で構成されます(図2B)。以下、本論文の図2です。
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 次に、FST と外群f3およびD統計を用いて、他の関連する集団とWeRuHG の遺伝的類似性が比較されました。WeRuHG とEHGは、他の古代および現代の集団両方との遺伝的類似性において似ている、と明らかになりました(図3A)。一方、WeRuHG を後のファチャノヴォ集団と比較すると、WeRuHG は比較的より多くの遺伝的浮動を、EHG的集団、シベリア西部狩猟採集民、古代イラン人、シベリアの現代人集団と共有しているものの、ファチャノヴォ文化集団は、古代ヨーロッパおよび草原地帯集団と、近東とコーカサスとヨーロッパの現代人集団のほとんどと、より多くの遺伝的浮動を共有している、と明らかになりました(図3B)。

 より高い網羅率(5倍以上)の狩猟採集民個体PES001(紀元前10785~10626年頃)の遺伝的類似性が、ロシアの中石器時代狩猟採集民のうちより高い網羅率の3個体、つまりPES001、紀元前6773~紀元前5886年頃となるユヅニー・オレニ・オストロフ(Yuzhnyy Oleni Ostrov)遺跡の1個体(I0061)、紀元前9386~紀元前9231年頃となるシデルキノ(Sidelkino)遺跡の1個体(Sidelkino)と、ヨーロッパおよびシベリアのさまざまな地域の中石器時代および旧石器時代狩猟採集民との類似性の比較による外群f3統計を用いて、さらに調べられました(図2C)。

 ロシアの中石器時代3個体全員は、それぞれ1万年以内にヨーロッパロシアもしくはシベリアに居住していた個体群と最もよく類似しており、つまり、相互、シベリア西部新石器時代集団、シベリア南部中央のアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の1個体(アフォントヴァゴラ3)とです。これらに、同じ時間枠のヨーロッパ中央部の個体群が続きます。紀元前3万年以上前となる地理的に密接な旧石器時代のスンギール遺跡とコステンキ遺跡の個体群は、ヨーロッパ中央部の年代が近接した狩猟採集民よりも、ロシアの中石器時代個体群の方との共有が少なくなっています。またqpAdmを用いて、PES001 を、WHGとコーカサス狩猟採集民(CHG)もしくはシベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡の少年(Mal' ta 1)もしくはアフォントヴァゴラ3の混合としてモデル化が試みられましたが、3モデル全てが棄却されました。以下、本論文の図3です。
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●ファチャノヴォ文化個体群におけるEF系統

 青銅器時代のファチャノヴォ文化個体群では、mtHgがU5・U4・U2e・H・T・W・J・K・I・N1a、YHgがR1a1a1(M417)となり、ヨーロッパの他地域のCWC個体群でも見られます。YHgを充分な深度で決定できた6個体全ては、ヨーロッパで一般的なR1a1a1b1(Z283)ではなく、現在ではアジア中央部および南部に拡大しているR1a1a1b2(Z93)です。データ不足のため、より浅い深度のYHgの個体群がYHg-R1a1a1b2(Z93)の可能性も否定されません。

 主成分分析では、ファチャノヴォ文化の個体群(およびエストニアのCWC個体)は、多くのヨーロッパの後期新石器時代~青銅器時代(LNBA)および草原地帯の中期・後期青銅器時代個体群と、ヨーロッパ北部および東部の現代人の上部で密集します(図2A)。この古代のクラスタは、ヤムナヤ文化集団を含む草原地帯の前期・中期青銅器時代集団と比較して、アナトリア半島およびヨーロッパの初期農耕民(EF)の方へと移動しています。同じことはADMIXTURE分析でも見られ、ファチャノヴォ文化個体群はヨーロッパ中央部とスカンジナビア半島とバルト海地域東部のLNBA系統集団と最も類似しています(図2B)。これらの集団は、ヤムナヤ文化集団と同様に、WHG(青色)および古代コーカサス・イラン(オリーブ色)構成要素と、少ないロシア極東(橙色)構成要素から成ります。しかし、ファチャノヴォ文化集団を含むヨーロッパのLNBA集団は、ロシアのヤムナヤ文化集団には存在しない、アナトリア半島およびヨーロッパEF集団(薄緑色)で最高頻度の構成要素も示します。

 異なる集団のFST・外群f3統計・D統計の結果の比較により、ファチャノヴォ文化個体群の類似性が調べられ、ファチャノヴォ文化集団はヤムナヤ文化サマラ集団よりも、EF集団および近東現代人の方とより多くを共有している、と明らかになりました(図3C)。この兆候は、より少ない一塩基多型を有するデータセットの常染色体の代わりに、124万のデータセットからの常染色体もしくはX染色体を用いても見られます。ヤムナヤ文化サマラ集団とファチャノヴォ文化集団の類似性もD統計で比較され、ファチャノヴォ文化集団はヤムナヤ文化サマラ集団よりもほとんどのEF集団と有意に類似しており、同様に、ヤムナヤ文化サマラ集団は、ファチャノヴォ文化集団よりもほとんどの草原地帯集団の方と有意に類似していました。混合f3統計を用いてファチャノヴォ文化集団におけるEF系統の流入がさらに調べられ、さまざまなヤムナヤ文化集団と広範なEF集団との間の混合に関して有意な結果が得られました。さらに、ファチャノヴォ文化集団とヨーロッパ中央部CWC集団に関してf3統計とD統計の結果を比較すると、さまざまな古代人もしくは現代人集団との類似性に明確な違いはありません(図3D)。

 以前の分析では、ファチャノヴォ文化個体群の遺伝的構成は移住してきたヤムナヤ文化個体群と同時代のヨーロッパ集団との間の混合の結果と示唆されていたので、2つの補完的方法(qpAdmおよびChromoPainter/NNLS)を用いて、混合集団の適切な代理と混合割合が決定されました(図4)。サマラもしくはカルムイク(Kalmykia)のヤムナヤ文化集団と多様なEF集団を含むqpAdmモデルを検証すると、両方のヤムナヤ文化集団と最高のP値を有する2つのEF集団は、球状アンフォラ(Globular Amphora)文化とトリポリエ(Trypillia)文化です。混合割合は、ヤムナヤ文化サマラ集団(65.5%)と球状アンフォラ文化集団(34.5%)もしくはヤムナヤ文化カルムイク集団(66.9%)と球状アンフォラ文化集団(33.1%)と、ヤムナヤ文化サマラ集団(65.5%)とトリポリエ文化集団(34.5%)もしくはヤムナヤ文化カルムイク集団(69.6%)とトリポリエ文化集団(30.4%)です。この割合は、ヨーロッパ中央部およびバルト海地域のCWC集団(69~75%のヤムナヤ文化集団と25~31%のEF集団)と類似しています。

 ヴォロソヴォ文化狩猟採集民1個体(BER001)を「正しい」集団に追加して、ヴォロソヴォ文化集団とファチャノヴォ文化集団との間の共有される浮動があるのかどうか、これら4モデルが検証されました。これにより、この浮動なしの混合集団を有するモデルが却下されます。4モデル全ては依然として却下されず、ヴォロソヴォ文化集団の寄与はファチャノヴォ文化集団のモデル化に必要ない、と示唆されます。ChromoPainter/NNLSパイプラインを用いての系統割合の結果は、ファチャノヴォ文化集団に関してはヤムナヤ文化サマラ集団37・38%と球状アンフォラ文化集団63・62%で、ヨーロッパ中央部およびバルト海地域CWC集団に関してはヤムナヤ文化集団51~60%とEF集団40~49%です。両方とも他集団と比較してファチャノヴォ文化集団でEF系統の推定される割合がより高いものの、その違いはモデルでトリポリエ文化集団とのみ有意です。qpAdmは集団間の混合を計算しますが、ChromoPainter/NNLSはソースとして単一の個体群のみを用いており、結果に影響を及ぼすかもしれないことに注意が必要です。

 ヤムナヤ文化集団とEF集団との間の2方向の混合は、ファチャノヴォ文化集団の遺伝的多様性の説明に充分ですが、狩猟採集民集団が追加されたqpAdmモデルも、EHGとWeRuHGとヴォロソヴォ文化では却下されません。ファチャノヴォ文化集団は、60~63%のヤムナヤ文化サマラ集団と33~34%の球状アンフォラ文化集団と3~6%の狩猟採集民集団の混合としてモデル化できます。この結果は、2~11%の狩猟採集民系統を有するヨーロッパ中央部およびバルト海地域のCWC集団と類似していますが、ヨーロッパ中央部のCWC集団の起源としてヴォロソヴォ文化集団は除きます。以下、本論文の図4です。
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 DATESを用いて、ファチャノヴォ文化集団を形成するヤムナヤ文化集団とEF集団の混合が、ヤムナヤ文化サマラ集団と球状アンフォラ文化集団との組み合わせでは13±2世代前、ヤムナヤ文化サマラ集団とトリポリエ文化集団との組み合わせでは19±5世代前と推定されました。1世代25年でファチャノヴォ文化個体群の平均較正年代が紀元前2600年頃とすると、混合は紀元前3100~紀元前2900年頃に起きたことになります。

 次に、ファチャノヴォ文化集団と他のCWC集団(ヨーロッパ中央部およびバルト海地域)との間の類似性における潜在的な違いが調べられ、1方向qpAdmモデルでは、ファチャノヴォ文化集団とヨーロッパ中央部CWC集団、もしくはヨーロッパ中央部CWC集団とバルト海地域CWC集団の同一性が却下できないので、これらの集団は相互に類似している、と明らかになりました。一方、集団内の混合割合にはかなりの変異があり、主成分分析(図2)とADMIXTUREで示され、ファチャノヴォ文化集団における球状アンフォラ文化系統が4~47%(図4B)、他の2集団における球状アンフォラ文化系統が7~55%を示す、個体ごとのqpAdmモデルにより確認されます。第二主成分構成(PC2軸)、もしくは個体のqpAdm系統割合および構成された放射性炭素年代を用いて、系統の変動が時間と相関するのかどうか、検証されました。その結果、ファチャノヴォ文化集団において時間と系統割合の間には相関がないものの、PC2軸を用いてのバルト海地域CWC集団と、qpAdm系統割合を用いてのヨーロッパ中央部およびバルト海地域両方のCWC集団におけるより多くのEF系統への有意な変化はある、と明らかになりました。

 さらに、ファチャノヴォ文化集団において、エストニアやポーランドやドイツのCWC個体群で以前に見られた性的に偏った混合の存在(関連記事)が確認されました。まず、常染色体とX染色体の外群f3結果が比較されました。不等分散を仮定した2標本両側検定では、EF集団の平均f3値が、X染色体ではなく常染色体に基づく狩猟採集民と草原地帯系統集団のそれよりも有意に低い、と示されました。次に、qpAdmおよび常染色体と同様に同じモデルを用いてのX染色体の混合割合が計算されました。常染色体データ(ヤムナヤ文化サマラ集団と球状アンフォラ文化集団もしくはトリポリエ文化集団)4モデルのうち2モデルのみが、X染色体の一塩基多型の利用可能な数が少ないため、有意なP値をもたらしました。信頼区間はトリポリエ文化集団ではひじょうに広かったものの、X染色体のデータは、ファチャノヴォ文化集団における40~53%の球状アンフォラ文化系統を示し、常染色体データを用いて推定された32~36%とは対照的です。性的に偏った混合は、ファチャノヴォ文化2個体におけるmtHg-N1aでも裏づけられます。mtHg-N1aは、線形陶器文化(Linear Pottery Culture、Linearbandkeramik、略してLBK)のEF集団では高頻度ですが、ヤムナヤ文化個体群ではこれまで見られません。また、全男性がYHg-R1a1a1(M417)で、これは草原地帯からの移住後にヨーロッパに出現します。

 最後に、READを用いて、ファチャノヴォ文化標本における密接に関連した個体が調べられました。二親等もしくはより密接な近縁関係の確認された事例はありませんが、二親等の関係は、いくつかの組み合わせでは除外できません。それは、推定の95%信頼区間が浸透の関係性の閾値の95%信頼区間と重なっているからです。


●ロシア西部における表現型に有益なアレル頻度変化

 食性(炭水化物や脂質やビタミン代謝)や免疫(病原体や自己免疫や他の疾患への反応)や色素沈着(目や髪や肌)と関連する、113個の表現型の情報をもたらす遺伝子型が推定されました。本論文と以前に刊行されたバルト海地域東部の個体群が、比較のために用いられました。それは、ロシア西部石器時代3個体(WeRuHG)、ラトビアの狩猟採集民5個体、エストニアとラトビアのCWC集団7個体、ファチャノヴォ文化集団24個体、エストニアの青銅器時代10個体、エストニアの鉄器時代6個体、イングリアの鉄器時代3個体、エストニアの中世4個体です。本論文では、色素沈着(39ヶ所の一塩基多型)、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連するMCM6遺伝子(rs4988235およびrs182549)、脂肪酸代謝と関連するFADS1-2遺伝子(rs174546T)と関連する多様体に焦点が当てられます。

 標本規模が小さいので、結果は慎重に解釈されねばなりませんが、調べられたWeRuHG個体群が、茶色の目、濃褐色から黒色の髪、中間もしくは濃い肌の色素沈着と関連するアレル(対立遺伝子)を有していた一方で、ファチャノヴォ文化個体群の約1/3は青い目および/もしくは金髪を有していました。さらに、LPと関連する2個のアレルの頻度は、WeRuHG個体群では0%、本論文の分析に基づくファチャノヴォ文化個体群では17±13%で、同じ時期のバルト海東部地域集団と類似しているものの、バルト海東部地域では後期青銅器時代までに40%と顕著に増加しました。一方、血清におけるコレステロールの増加と関連するアレル(FADS1-2遺伝子のrs174546T)は、バルト海地域東部およびロシア西部の狩猟採集民における90%から、バルト海地域東部の後期青銅器時代個体群では45%と顕著に減少しました。これは、代替的なアレルCの増加が観察された以前の研究でも示されています。この変化は、高コレステロールへの負の選択の兆候か、あるいはこのアレルのより低い頻度の集団からの移住の結果かもしれません。


●考察

 最終氷期の後、紀元前一万年紀末と紀元前九千年紀初めに、バルト海地域東部とフィンランドとロシア北部の広大な地域は、狩猟採集民集団により比較的早く移住されました。バルト海地域東部とヨーロッパロシアにおけるいくつかの地点に起源がある燧石と、石器および骨器技術と人工物の類似性から、最終氷期後のヨーロッパ東部および北部の森林地帯における広範な社会的ネットワークの存在が示唆されます。これは、ポーランド東部からヨーロッパロシア中央地域にかけての旧石器時代最終期の狩猟採集民がこの過程に加わり、その起源とつながったまま、やや延長された社会的ネットワークを作った、という仮説につながります。

 しかし、ほとんど地元の石材で石器を製作したことから分かるように、これらのつながりは数世紀後に終わり、新たな地理的により小さい社会単位が、紀元前九千年紀半ばに出現しました。この地域の古代DNA研究には、紀元前八千年紀もしくはより新しい年代の中石器時代個体群が含まれており、上述のように、バルト海地域東部のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とロシア北西部のヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)という、2つの遺伝的集団が明らかにされてきました。しかし、これまで移住期の人類のゲノムは刊行されておらず、その遺伝的系統については議論の余地があります。

 本論文で提示された紀元前10700年頃の網羅率5倍の個体(PES001)は、移住期に近い年代のロシア北西部におけるEHG系統の証拠を提供します。これは次に、バルト海地域東部の最初の人々の系統に関する問題を提起します。バルト海地域東部の最初の人々は、移住期における2地域の共有された社会的ネットワークにより示唆されるように、EHG系統を有していましたか?後のWHG系統の人々の流入は、考古学的物質の変化を伴っていませんでしたが、あるいは、WHG系統の人々は最初からバルト海地域東部に居住しており、類似の文化を共有する異なる系統を有する集団の事例を表していますか?これらの問題は、将来の研究により解明されるかもしれません。

 ファチャノヴォ文化の形成は、ヨーロッパ東部森林地帯のそれ以前の狩猟漁撈採集文化およびその集団と生活様式に影響を及ぼした、主因の一つです。ファチャノヴォ文化の人々は、この地域における最初の農耕民で、農耕文化の到来は移住と関連していました。これは、石器時代狩猟採集民と青銅器時代ファチャノヴォ文化個体群が遺伝的に明確に区別できるように、本論文の結果により裏づけられます。本論文における狩猟採集民の標本規模は小さいものの、3個体は以前に報告されたEHG個体群と遺伝的に均質な集団を形成し、新たに報告された1個体(PES001)は、これまでで最高の全ゲノム配列網羅率で、将来の研究に貴重な情報を提供します。

 さらに、他のCWC集団と類似したファチャノヴォ文化個体群は、ほぼ草原地帯系統を有するだけではなく、この地域では以前に存在しなかったEF系統もいくぶん有しているので、ファチャノヴォ文化集団の起源として、草原地帯系統のみのヤムナヤ文化集団の北方への移住は除外されます。考古学的物質におけるファチャノヴォ文化の最も強いつながりは、現在のベラルーシとウクライナに広がったドニエプル川中流文化で見られます。現在のウクライナでは、ヨーロッパのEF系統を有する最も東方の個体群と、最も西方のヤムナヤ文化個体群が、既知のゲノムデータに基づいて確認されます(図1)。

 さらに考古学的知見からは、LBK(線形陶器文化)がウクライナ西部に紀元前5300年頃に到達し、ヤムナヤ複合(墳丘墓)はヨーロッパ南東部に紀元前3000年頃に到達し、ルーマニアとブルガリアとセルビアとハンガリーにまでさらに拡大した、と示されます。これは、一方の混合起源集団としてロシアのヤムナヤ文化2集団(カルムイクもしくはサマラ)のどちらかの系統を有する、ファチャノヴォ文化集団の妥当な混合起源集団と証明された2集団が、ウクライナとポーランドの個体群を含む球状アンフォラ文化集団と、ウクライナの個体群で構成されるトリポリエ文化集団だった、という本論文の遺伝的結果と一致します。これらの知見は、現在のウクライナが、ファチャノヴォ文化と一般的な縄目文土器文化の形成につながる移住起源地だった可能性を示唆します。

 ヨーロッパロシアにおけるファチャノヴォ文化の出現およびその後の局所的過程に関わる正確な年代と過程も、不明確なままです。最近まで、ファチャノヴォ文化は他のCWC集団よりも遅く、長い期間に発展した、と考えられてきました。しかし、最近刊行された放射性炭素年代は、本論文で提示された新たな25点の年代と、本論文で調べられたファチャノヴォ文化個体群におけるヤムナヤ文化集団とEF集団との(ファチャノヴォ文化個体群から)300~500年前頃の混合との推定とを組み合わせると、より速い過程が示され、CWC集団がバルト海地域東部およびフェノスカンジア南部に到達した年代と類似しています。考古学的文化は、地域間で明確に区別されます。

 さらに、ファチャノヴォ文化集団はヨーロッパロシアに到来後、在来のヴォロソヴォ文化狩猟採集民と混合した、と示唆されてきました。本論文の結果はこの仮説を裏づけません。それは、他の2つのCWC集団と比較して、ファチャノヴォ文化集団においてより多くの狩猟採集民系統が明らかにならなかったからです。このファチャノヴォ文化集団と他の2つのCWC集団は、却下されない一方向qpAdmモデルにより類似していると示され、主成分値もしくはqpAdmの系統割合と放射性炭素年代を相関させると、本論文の標本群の期間におけるファチャノヴォ文化集団の系統割合に変化はない、と明らかになります。

 ロシア西部とバルト海地域東部におけるアレル頻度変化は、両地域における類似のパターンを明らかにします。LP(乳糖分解酵素活性持続)と関連するMCM6遺伝子および血清におけるコレステロールの増加と関連するFADS1-2遺伝子の頻度変化は、新石器時以降の食性変化に起因して変わってきた、との仮説が提示されてきており、青銅器時代に顕著に変わりましたが、変化の最初の兆候はすでに新石器時代に見られます。最近のLPに関する研究(関連記事)と一致して、最初の草原地帯系統標本群におけるrs4988235Aアレルの低頻度(90%信頼区間では、最近の研究で0~2.7%、本論文で0~33.8%)が明らかになりました。これが示唆するのは、以前の研究で示唆されてきたように(関連記事)、これらのアレル頻度の経時的変化は複雑で、いくつかの環境要因と遺伝的力学が関わっているかもしれない、ということです。


参考文献:
Saag L. et al.(2021): Genetic ancestry changes in Stone to Bronze Age transition in the East European plain. Science Advances, 7, 4, eabd6535.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abd6535

https://sicambre.at.webry.info/202101/article_31.html

10 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:53:19


雑記帳 2018年05月11日
インド・ヨーロッパ語族の拡散の見直し
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html

 おもに5500~3500年前頃となる、内陸アジアとアナトリア半島の74人の古代ゲノムの解析結果と比較を報告した研究(Damgaard et al., 2018A)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。インド・ヨーロッパ語族の拡散については複数の仮説が提示されていますが、有力なのは、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)の遊牧民集団の拡散にともない、インド・ヨーロッパ語族祖語も広範な地域で定着していった、というものです。

 この「草原仮説」においては、ヤムナヤ(Yamnaya)文化集団の拡散が、ヨーロッパから西・中央・南アジアにまで及ぶ、インド・ヨーロッパ語族の広範な定着に重要な役割を果たしたのではないか、との想定もあります(関連記事)。ヤムナヤ文化集団は5000年前頃からヨーロッパへの大規模な拡散を始め、ヨーロッパに大きな遺伝的影響を残した、と推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を各地に定着させ、やがて言語が多様化していったのではないか、というわけです。ヤムナヤ文化集団が初めてウマを家畜化したとの見解も提示されており、ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、ヤムナヤ文化集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。

 しかし、ウマの家畜化については議論が続いており、カザフスタン北部のボタイ(Botai)文化集団が、初めてウマを家畜化した、との見解も提示されています(関連記事)。しかし、この研究では、現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期~後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています。これは、ボタイ文化の初期家畜馬は現生家畜馬に2.7%程度しか遺伝的影響を及ぼしていない、という知見(関連記事)と整合的です。ボタイ文化集団は、3人のゲノム解析結果から、ヤムナヤ文化集団とは遺伝的に近縁関係にはなく、それぞれ独自にウマを家畜化したのではないか、と推測されます。ボタイ文化集団は、近隣の集団が農耕・牧畜を採用した後も長く狩猟採集生活を維持し続けたので、孤立していたとも考えられていましたが、ウマの埋葬儀式に関しては他のアジアの文化との共通点があり、他集団との交流は一定上あったと考えられます。

 ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に拡散させた、との仮説の検証で重要なのは、インド・ヨーロッパ語族の使用が最初に確認されている、アナトリア半島を中心に繁栄した古代オリエントの強国ヒッタイトの住民と、ヤムナヤ文化集団との関係です。この研究では、アナトリア半島の住民の古代ゲノム解析の結果、古代アナトリア半島ではヤムナヤ文化集団の遺伝的影響は確認されませんでした。また、シリアの古代都市エブラ(Ebla)の記録から、インド・ヨーロッパ語族はすでにアナトリア半島で紀元前2500~2400年前頃には用いられていたのではないか、と推測されています。この研究は、インド・ヨーロッパ語族集団はヤムナヤ文化の拡大前にアナトリア半島に到達していただろう、と指摘しています。

 中央・南アジアに関しても、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんど確認されませんでした。これまで、アジアにおけるユーラシア西部集団の遺伝的影響は、ヤムナヤ文化集団の拡散の結果と考えられ来ました。しかし、この研究は、その可能性が低いと指摘し、5300年前頃にユーラシア草原地帯の南方にいたナマズガ(Namazga)文化集団が、ヤムナヤ文化集団の大移住の前に、ユーラシア西部系住民の遺伝子をアジア人集団にもたらしたのではないか、と推測しています。

 ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はヨーロッパにおいて大きかったものの、アジアではたいへん小さかったようです。もちろん、文化的影響は遺伝的影響を伴うとは限りませんが、この研究で報告されたゲノム解析結果と比較は、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族祖語を広範な地域に定着させ、インド・ヨーロッパ語族は各地で多様化していった、という仮説と整合的とは言えないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の拡散に関しては、この研究のように、学際的な研究の進展が欠かせない、と言えるでしょう。その意味で、この研究の意義は大きいと思います。


参考文献:
Damgaard PB. et al.(2018A): The first horse herders and the impact of early Bronze Age steppe expansions into Asia. Science, 360, 6396, eaar7711.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aar7711


https://sicambre.at.webry.info/201805/article_20.html


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雑記帳2021年08月04日
イタロ・ケルト語派の起源
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html

 イタロ・ケルト語派の起源に関する研究(Fehér et al., 2021)が公表されました。コッホ(John T. Koch)氏とカンリッフ(Barry Cunliffe)氏が率いる過去20年のケルト研究は、長きにわたる理論「ハルシュタット(Hallstatt)鉄器時代=原ケルト文化」の妥当性に疑問を提起し、一連の「西方からのケルト」において初期ケルト大西洋青銅器時代を主張しました。ギュンドリンゲン(Gündlingen)様式の剣術は青銅器時代後期のブリテン島と低地諸国に起源があり、後に西方から東方へと拡大し、ハルシュタット・アルプス鉄器時代からさらに広がった、との議論があります。鉄器時代前のイベリア半島南西部からのタルテッソスのケルト的性質も、原ケルト人の初期大西洋起源の証拠となります。父系継承のY染色体DNAと両親から継承される常染色体の古代DNAの結果は、「西方からのケルト」をますます裏づけており、本論文はさらに進んで、北西部から到来した「イタリア・ケルト人」を論じます。

 最近の考古遺伝学的研究(関連記事1および関連記事2)では、現在ヨーロッパ中央部および西部で優勢なY染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)が、現在のウクライナとロシア南部のポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)起源だったことを証明しました。YHg-R1b1a1b(M269)以前ではあるものの、YHg-R1b1a1a(M73)ではない系統、つまりYHg-R1b1a1(P297)からYHg-R1b1a1b(M269)へと至る祖先は、ヴォルガ川流域に位置するロシア西部のサマラ(Samara)文化の紀元前5500年頃の男性個体で見つかっています。また、クルガン(墳丘墓)を建造するヤムナヤ(Yamnaya)文化の草原地帯牧畜民と、その東方の分派でおそらくはトカラ語(Tocharian)祖語を話したアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の男性は、おもにYHg-R1b1a1b1b(Z2103)でした。

 その後の研究では、「真のアーリア人」が話していた後期インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900~紀元前2350年頃の縄目文土器文化(Corded Ware culture、略してCWC)で話されていた可能性が最も高い、と明らかになりました。CWC集団はヤムナヤ関連の西方草原地帯牧畜民(WSH)の常染色体の祖先系統(祖先系譜、ancestry)を顕著に示し、特定の下位系統の拡大と一致する地理的下位集団を有しています。インド・ヨーロッパ語族祖語は、紀元前2900~紀元前2200年頃となるCWCのファチャノヴォ・バラノヴォ(Fatyanovo-Balanovo)文化の東側から到来した、紀元前2200~紀元前1800年頃となるシンタシュタ(Sintashta)文化に由来し、父系はほぼYHg-R1a1a1b2(Z93)です。

 原バルト・スラブ語派集団は、YHg-R1a1a1b1a2(Z280)で、北方に移動して中石器時代のナルヴァ(Narva)文化を置換した、紀元前3200~紀元前2300年頃となるCWC中期のドニエプル(Dniepr)文化集団の子孫候補です。紀元前2800~紀元前2300年頃となる戦斧(Battle Axe、略してBA)文化は、スカンジナビア半島におけるCWCの分枝であり、YHg-R1a1a1b1a3a(Z284)とYHg-I1(M253)が優勢で、中石器時代の円洞尖底陶(Pitted Ware、略してPW)文化を置換しました。単葬墳(Single Grave、略してSG)文化は北ドイツ平原とデンマークの漏斗状ビーカー(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker、略してTRB)文化を置換し、後の紀元前2500年頃以降となる鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してしてBB)文化の祖先となり、そのYHgはR1b1a1b1a1(L11/P311)です。


●原ケルト人の故地

 以前の研究(関連記事)では、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)およびR1b1a1b1a1a2(P312)につながるようなYHg-R1b1a1b1a1(L52)がCWC期に現在のウクライナとの国境近くのポーランド南東部に存在した一方で、ドイツからポーランド北部を経てエストニアに至るほとんどの他のCWC標本は、YHg-R1a1a1(M417)だった、と示されました。ポーランド南東部のCWC個体群も、他地域のCWC個体群よりも後の鐘状ビーカー文化個体群の方との高い遺伝的類似性を示します。この集団と関連する唯一のCWC集団は、ライン川下流およびエルベ川下流地域の単葬墳文化です。

 したがって、YHg-R1b1a1b1a1(P311)の祖先は、インド・ヨーロッパ語族祖語の故地からカルパティア山脈北方のポーランド南東部を経て、紀元前2900~紀元前2500年頃に北海沿岸に向かって移動した、と確実に結論づけられます。この経路は、常染色体の研究で裏づけられており、イベリア半島(YHg-R1b1a1b1a1a2のみ)外の鐘状ビーカー文化個体群は、ヨーロッパ北部新石器時代集団とヤムナヤ関連祖先系統の混合ではあるものの、イベリア半島新石器時代集団の祖先系統との混合ではない、と結論づけられています。

 CWC集団は常染色体では混合されていないインド・ヨーロッパ語族祖語の人々の起源で、イタロ・ケルト語派祖語(単葬墳文化の人々)とゲルマン祖語(戦斧文化の人々)と原バルト・スラブ語派(ドニエプル川中流)とインド・イラン語派祖語(ファチャノヴォ・バラノヴォの人々)の起源になった、と結論づけられます。常染色体の証拠から明らかなのは、Y染色体DNAでも示されているように、鐘状ビーカー文化期と戦斧文化期以降の、ブリテン諸島とオランダ北部とデンマークを含むスカンジナビア半島の完全な常染色体の連続性です。

 YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の鐘状ビーカー文化個体群が、ラインラントで紀元前2566年頃にのみ出現することにも要注意です。紀元前2800年頃となるアルザス地域のヘーゲンハイム(Hégenheim)標本には草原地帯祖先系統が欠けており、紀元前2574~紀元前2452年頃となるフランス北東部のサルソーニュ(Salsogne、CBV95)標本はほぼ100%ヤムナヤ関連祖先系統で遺伝的に構成され、ヤムナヤ文化集団で優勢なYHg-R1b1a1b1b(Z2103)に分類されます。以上の点を考慮すると、常染色体遺伝子の結果は、YHg-R1b1a1b1a1(L11/P311)がライン川下流およびエルベ川下流地域で最も多様であり、YHg-R1b1a1b1a1a1(U106)とR1b1a1b1a1a2(P312)が稀なYHg-R1b1a1b1a1a3(S1194)とR1b1a1b1a1a4(A8053)とともに、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の分枝が鐘状ビーカー文化の拡大を始める前の紀元前2800~紀元前2500年頃に、相互に隣り合って存在していたかもしれません。

 父系で最も「ケルト的な」YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)は、ブリテン諸島とイベリア半島のケルト地域(50%以上)で最も頻度が高く、フランス(40~50%)で顕著に見られ、ヨーロッパ中央部および東部に向かってその頻度は減少します。ブリテン諸島で典型的なYHg-R1b1a1b1a1a2c1(L21)は、最初の鐘状ビーカー文化住民で見つかりました。ケルト語祖語のカルパティア盆地とアルプス北部もしくはカルパティア盆地とイタリアという移住経路を予測するのは、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の頻度に基づくと合理的ではありません。これは、初期鐘状ビーカー文化標本で示されているように、常染色体DNAの証拠でも強調されており、現代人集団からの遺伝的距離が計測されました。ブリテン諸島の鐘状ビーカー文化標本は、ゲルマン語話者であれケルト語話者であれ、現代のヨーロッパ北部人口集団とクラスタ化します。ほとんどの遺伝的距離(10.00 未満)から、これら現代の人口集団が鐘状ビーカー文化集団の直接的な常染色体子孫で、混合がなく、青銅器時代および鉄器時代の遺伝子流動の北から南および西から東への方向を証明していることも注目されます。


●ライン川下流の故地からのイタロ・ケルト語派の拡大

 もう一つのYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の下位区分はYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)で、イタリア北部およびフランスでとくに高頻度です。既知の最初のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本は、ドイツのオスターホーフェン・アルテンマルクト(Osterhofen-Altenmarkt)の紀元前2571~紀元前2341年の個体です。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の系統は、鐘状ビーカー文化のアルプス北部のボヘミアへの拡大とポーランドへの「逆流」に相当し、ドナウ川沿いに紀元前2500~紀元前2000年頃にブダペストへと南下しました。ボヘミアとバイエルンは鐘状ビーカー文化の起源ではなく目的地だったという間接的な主張も、この地域のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2b1のみ)により強調され、初期鐘状ビーカー文化のブリテン諸島人の均質性(YHg-R1b1a1b1a1a2c1のみ)を反映しています。

 ボヘミアとライン川下流へのポーランド南東部からの経路沿いの停車場だったならば、YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)以外のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性がもっと多くいるでしょう。ブダペストのチェペル(Csepel)地区の紀元前24世紀の鐘状ビーカー文化標本も、ハンガリーが鐘状ビーカー文化拡散の起源地ではなく終点だったことを証明しています。ここでは、「純粋なCWC由来(ケルト語派とゲルマン語派)」系統と直接的な草原地帯関連(CWCのないヤムナヤ文化)系統とラエティア・エトルリア語派系統の混合した、原イリュリア語派集団の常染色体の混合が見つかります。YHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)標本は、ブリテン諸島や、スカンジナビア半島とブリテン諸島の常染色体のつながりを特徴とする元のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)標本と比較して、「南部」集団から常染色体上の遺伝的影響を幾分受けた、と分かります。

 一部のYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性とほとんどのYHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)からYHg-R1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性は、ライン川沿いにアルプスの西側を移動して、近縁のYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とともにフランス南部に到達し、地中海沿いに紀元前2000年頃以前にイベリア半島とイタリアのリグーリア州(Liguria)に拡散しました。YHg-R1b1a1b1a1a2b(U152)が最初に、アルプス経由の代わりにリグーリア州からイタリアに拡散したことを裏づける証拠が二つあります。古代のリグーリア州の標本と初期(ローマ共和政以前)ラテン人標本は、常染色体では相互に密接で、ともにヴァスコン人エトルリア人の混合を示しますが、YHgはR1b1a1b1a1a2(P312)です。

 一方、東部イタリック語派集団の子孫である可能性が最も高い帝政期ローマの標本は、顕著なスラブ化以前のバルカン人の混合(イリュリア人とギリシア人とミノア人)と、追加のラエティア・エトルリア語派集団の特徴を有しており、北東部からのイタリック語派のオスク・ウンブリア語群(ヴィッラノーヴァ人)が、後に異なる人口統計学的波で到来し、元々の西部イタリック語派集団(ラテン人や西シチリア人やおそらくはリグーリア人)よりもイタロ・ケルト語派集団との遺伝的類似性が低かったことを示唆します。

 これが意味するのは、イタリック語派祖語集団がすでに、後期新石器時代のアルプスの北側の「ラエティア・エトルリア語派的」人口集団と混合し、次にアルプスの西側経路でリグーリアとラティウムとシチリアに拡散したイタリック語派集団がアクィタニア(Aquitani)・ヴァスコン人(Vascon)と混合し、カルパティア盆地に拡散したイタリック語派東部集団がエトルリア人に加えてイッリョ・トラキア人(Illyro-Thracian)と混合した、ということです。以前の研究(関連記事)では、シチリア島とサルデーニャ島の人々は草原地帯牧畜民関連の遺伝子流入を紀元前2200~紀元前2000年頃に部分的にバレアレス諸島人から受けており、それは独特な石造物で知られるヌラーゲ文化およびギリシア関連の中東からの遺伝子流入が紀元前1900年頃に到達する前のことでした。

 したがって、初期カルパティア盆地のヤムナヤ文化集団のイタロ・ケルト語派の識別に関するアンソニー(David W. Anthony)の見解を改良にする必要があり、むしろイッリョ・トラキア人がバルカン半島北側に到来した可能性があり、後にブチェドル(Vucedol)文化を通じてバルカン半島北側に拡大しました。同時に、ウサトヴォ(Usatovo)およびエゼロ(Ezero)文化は、原ゲルマン人ではなく原アナトリア半島人の拡大を示しているかもしれません。イタロ・ケルト語派の故地は、Y染色体DNAと常染色体DNAの証拠に基づくと、北ドイツ平原とライン川下流地域に確実に想定できます。


●まとめ

 イタロ・ケルト語派祖語話者は、父系ではYHg-R1b1a1b1a1(P311)に代表され、現在のウクライナからポーランド南東部を経てライン川下流地域に紀元前2900~紀元前2500年頃に移動し、CWCの遺構に分類される単葬墳文化により識別されます。鐘状ビーカー文化は紀元前2500年頃に現在のオランダとドイツ北西部で形成され、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の男性とともに紀元前2500~紀元前2000年頃にブリテン諸島へと拡散し、後にケルト語祖語集団となり、YHgではR1b1a1b1a1a2c1(L21)に代表されます。鐘状ビーカー文化はイベリア半島とフランス南部にはYHg-R1b1a1b1a1a2a(DF27)とR1b1a1b1a1a2b3(Z56)の男性とともに、デンマークとスウェーデンのスコーネ地方にはYHg-R1b1a1b1a1a1(U106)の男性とともに(後の西ゲルマン語群集団の祖先)、アルプス北部とボヘミアとポーランドにはYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)の男性(後のオスク・ウンブリア語群集団)とともに拡大しました。

 常染色体DNAは、混合されていてないイタロ・ケルト語派およびゲルマン語派人口集団がCWCだった一方で、アルプス北部とカルパティア盆地では、非インド・ヨーロッパ語族の常染色体構成要素(ラエティア・エトルリア語派集団やバスク人につながるヴァスコン人)が、後期青銅器時代と前期鉄器時代にまで顕著な存在感を示していた、と証明します。「気高きスキタイ人」と言われるジェロニア人(Gelonian)は、常染色体ではカルパティア盆地とウクライナの紀元前6~紀元前3世紀のゴール人(Gaul)で、ハルシュタットC後のケルト人の広がりの最東端を示します。以前のキンメリア人とその後のサルマティア人は草原地帯牧畜民祖先系統を有しており、おもにイラン人関連祖先系統ですが、一部はコーカサスおよびテュルク人の祖先系統です。

 イタリック語派はこのように一貫性がありません。西方からイタリア半島への最初の波は、リグーリア語とラテン語とおそらくはシケル語をもたらし、同時にルシタニア語(直接的にはブリテン島から)とタルテッソス語(カタルーニャ地方経由で)がイベリア半島に到来しました。その後、骨壺墓地(Urnfield)文化・ヴィラノヴァ文化(Villanovan)期にカルパティア盆地とアルプスからの第二の移住がありました。エトルリア語系話者はリグーリア人とラテン人を分断し、イリュリア語の影響を受けたオスク・ウンブリア語群集団がアドリア海沿いに拡大しました。


参考文献:
Fehér T. (2021). Celtic and Italic from the West – the Genetic Evidence. Academia Letters, Article1782.
https://doi.org/10.20935/AL1782

https://sicambre.at.webry.info/202108/article_4.html

11 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:54:51

雑記帳2021年08月29日
紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部人類集団における遺伝的構成と社会構造の変化
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_31.html
 紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部人類集団における遺伝的構成と社会構造の変化に関する研究(Papac et al., 2021)が公表されました。考古遺伝学は過去1万年のヨーロッパにおける2回の主要な人口集団交替を明らかにしてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。最初のものは、紀元前七千年紀に始まり、アナトリア半島からの農耕民共同体の拡大と関連していました。ヨーロッパの前期新石器時代農耕民は当初、在来の狩猟採集民と遺伝的に異なっており、アナトリア半島農耕民とほぼ区別できませんでしたが(関連記事1および関連記事2)、その後数千年にわたって遺伝子プールに狩猟採集民祖先系統(祖先系譜、ancestry)を組み込んできました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。

 2番目の主要な人口集団交替は、紀元前三千年紀早期に縄目文土器(Corded Ware、略してCW)文化の個体群で起きました(関連記事1および関連記事2)。以下本論文では、ヒト骨格遺骸と考古学的文化(たとえば、副葬品や身体の向き)の標識の共伴を用いて、個体群と考古学的文化との間の関連が、たとえば「CW個体群」のように示されますが、これは統一された社会的実体を反映していないかもしれません。CWはヨーロッパ中央部と北部と北東部における主要な文化的変化を表しており、経済とイデオロギーと埋葬慣行に変化をもたらしました。

 CW個体群は、文化的にCWに先行する人々とは遺伝的に異なると示されており、その祖先系統の75%はポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)のヤムナヤ(Yamnaya)文化個体群と類似しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。その後、このヤムナヤ的「草原地帯」祖先系統は急速にヨーロッパ全域に拡大し、紀元前三千年紀末の前には、ブリテン島とアイルランド島とイベリア半島とバレアレス諸島とサルデーニャ島とシチリア島に到達しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。

 紀元前三千年紀の重要性にも関わらず、現在の遺伝学的理解はおもに汎ヨーロッパ的な標本抽出戦略による研究に基づいており、地域的で高解像度の時間的区間にはほとんど重点が置かれていません。その結果、多くの時間的および地理的標本抽出の間隙が残り、社会と共同体の水準での過程、および文化的集団がどのように相互作用して影響を及ぼし、相互に生じたのかについて、知識が限定的です。さらに、地域を超えた考古学的現象を表す小さな標本規模の使用と、結果として生じる過度に単純化された文化・歴史的解釈は、考古学者から批判されてきました。

 未解決の問題は、CWと鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してBB)個体群の遺伝的および地理的起源、両者の相互関係およびヤムナヤ個体群との関係、前期青銅器時代(EBA)のウーニェチツェ(Únětice)個体群の起源に関するものです。CWは遺伝的にヤムナヤ的な人々の男性に偏った西方への移住から形成された、と提案されてきましたが(関連記事1および関連記事2)、Y染色体系統の重なりは、いくつかの分類できないY染色体ハプログループ(YHg)I2を例外として、おもにYHg-R1aのCW男性と、おもにYHg-R1b1a1b1b(Z2103)を有するヤムナヤ男性との間で見つかってきました。

 草原地帯祖先系統はBB個体群にも存在しますが(関連記事)、そのYHgはおもにR1b1a1b1a1a2(P312)で、これはCWもしくはヤムナヤ男性ではまだ見つかっていません。したがって、草原地帯祖先系統の共有とかなりの年代的重複にも関わらず、現時点では、ヤムナヤとCWとBBの各集団を父系の供給源として直接的に結びつけることはできません。とくに、草原地帯祖先系統が男性主導で拡大したと示唆されていることと、これら3社会の父方居住・家長的社会親族制度が提案されていることを考慮すると(関連記事)、注目に値します。

 紀元前三千年紀のヨーロッパにおける文化的・社会的・遺伝的変化を理解するのに重要なのは、球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)のようなCWに先行する文化と、CWやBBやEBAウーニェチツェに分類される社会の存在(共存)を証明する、緻密な居住地域です。現在、そうした地域は考古遺伝学の観点では体系的に研究されていません。ヨーロッパの中心部に位置し、重要なエルベ川に密着する、現在のチェコ共和国西部であるボヘミアの肥沃な低地では、多くの主要な超地域的な考古学的現象が見られました(図1)。

 ボヘミアの密集した農耕定住は、早期新石器時代農耕民の到来とともに紀元前5400年後に始まり、これは線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化や後期刺突文土器(Stichbandkeramik、略してSTK)文化やレンジェル(Lengyel)文化です。これらの文化は、ヨルダヌフ(Jordanów)文化やミシェスベルク(Michelsberg)文化や漏斗状ビーカー(Funnelbeaker)文化やバデン(Baden)文化やリヴナック(Řivnáč)文化やGACや前期および後期CWやBBなど、二桁の考古学的文化集団と関連する、銅器時代(紀元前4400~紀元前2200年頃)の多くの社会に継承されました。銅器時代には、重要な革新(冶金や車輪や荷馬車と犂や要塞化された丘陵や古墳)が見られ、ボヘミア周辺に地理的に集まった、拡大したEBAウーニェチツェ文化に継承されました。

 物質的および技術的発展に加えて、埋葬行動を通じて示されるようにイデオロギー的変化も明らかです。漏斗状ビーカー期(紀元前3800~紀元前3400年頃、ボヘミアで100基の墓が知られています)には比較的一般的でしたが、通常の墓は中期銅器時代(紀元前3500~紀元前2800年頃)となるバデン期やリヴナック期やGAC期にはほぼ消滅します(ボヘミアでは20基)。単葬墳は、現在では身体の位置と副葬品で厳密な性区分が伴いますが、紀元前2900年頃のCWでは多数再出現して(ボヘミアでは1500基)BB期に継続し(ボヘミアでは600基)、BBは先行するCWとは重要な違いを発展させ維持しました。EBAウーニェチツェ文化では単葬墳が継続しましたが(ボヘミアでは4000~5000基)、再度身体位置の性差はなくなりました。

 これらの変化をよりよく理解するため、ボヘミア北部の271個体(新たに報告される206個体と既知の65個体)の高解像度の考古遺伝学的時期区分が分析されました(図1)。時空間的に重複する考古学的文化からの密な遺伝的標本抽出を通じての本論文の目的は、(1)ヨーロッパ中央部の銅器時代とEBAにおける文化的変化が非地元民の流入により引き起こされたのかどうかに取り組み、(2)CWの出現直前のヨーロッパ中央部の遺伝的多様性を特徴づけ、(3)ヤムナヤ的草原地帯祖先系統を有する個体群がヨーロッパ中央部に最初に出現した時期を特定して、その遺伝的起源と社会的構造を理解し、(4)CW出現後の「地元民」と「移民」との間の生物学的交換の性質と程度を特徴づけ、(5)遺伝的および考古学的変化と関連する社会的変容を特定することです。以下は本論文の図1です。
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●標本の概要

 37ヶ所の遺跡から古代人261個体が調べられ、219個体のゲノムで、1233013ヶ所の祖先系統(祖先系譜、ancestry)の情報をもたらす部位が濃縮されました(1240kキャプチャパネル)。濃縮後、3万ヶ所未満の部位もしくは汚染の兆候がある13個体は削除され、206個体の新たなデータセットが得られました。この新たなデータセットは、ボヘミアの既知の古代人65個体およびより広範な個体群と組み合わされ、それにより、ボヘミアの新石器時代および先CW銅器時代個体は7から58に、CW個体は7から54に、BB個体は40から64に、EBA個体は11から95に拡大されました。

 重要なのは、CW形成の頃(紀元前3200~紀元前2600年頃)の個体の標本規模をかなり拡大したことです(1個体から50個体)。その内訳は、バデン文化とリヴナック文化とGACとなる最後の先CW個体が0から18に、前期CW個体が1から32に増加しており、ヨーロッパ中央部のCWの起源と、その移住の性質と、共存する先CWの人々との社会的相互作用を直接的に研究できるようになりました。一親等の親族関係はアレル(対立遺伝子)頻度に基づく分析(f統計、qpWave、qpAdm、進化的兆候の祖先系統の時間区間の分布を示すDATES、Y染色体分析)では除外されました。本論文は140点の新たな放射性炭素年代も報告し、より精細な時間的解像度を支援し、重要な紀元前三千年紀の文化的集団(たとえば、CWやBBやウーニェチツェ)の前期と後期の間の遺伝的変化を調べることが可能となります。


●紀元前2800年頃以前となる先CW期のボヘミア

 まず、ボヘミアの古代人を、ユーラシア西部現代人1141個体から構築された主成分分析の最初の2軸に投影することにより、ゲノム規模データが評価されました。その結果(図2A)、ボヘミアの全ての先CW個体(58個体)はアナトリア半島新石器時代(アナトリアN)とヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の間で、ヨーロッパ中央部の既知の文化的に先CWに分類される個体群と密接した状態に位置しました。これは、草原地帯祖先系統の欠如を示唆しており、qpAdmモデル化を用いても確認され、ボヘミアの先CW個体群はほぼアナトリアNとWHGの2方向混合としてモデル化できる、と明らかになりました(図3A)。狩猟採集民(HG)祖先系統の割合は年代と正の相関があり、以前に報告された新石器時代におけるHG祖先系統の増加傾向はボヘミアでも起きた、と示されました(関連記事1および関連記事2)。このHG祖先系統の増加は2段階の線形過程として最良にモデル化でき(図3A)、紀元前五千年紀にHG祖先系統が増加し、その後に停滞(有意ではない勾配)が続く、と明らかになりました。以下は本論文の図2です。
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 HG祖先系統がボヘミアの先CW個体群の遺伝子プールに組み込まれた過程への洞察を得るため、qpAdmを用いて、先CW文化的集団がそれぞれ、アナトリアNとルクセンブルクのヴァルトビリヒ(Waldbillig)のロシュブール(Loschbour)遺跡の中石器時代個体とケレス(Körös)遺跡狩猟採集民の3方向混合としてモデル化され、組み込まれたHG祖先系統の遺伝子移入された年代がDATESにより推定されました(図3B)。HG祖先系統の連続的な組み込みを伴う人口集団継続性のシナリオでは、後続の文化の遺伝子移入の平均年代は、図3Bの灰色の間隔(右側)で示唆されるように、経時的により新しくなる、と予測されます。逆に、さらなるHG祖先系統の組み込みがない人口集団の連続性では、混合年代は類似のHG割合を有する連続した文化的集団では類似したものになるはずです。

 本論文の結果は、両方の予測が満たされない、2つの文化的移行を示唆します。まず、ボヘミアのヨルダヌフと漏斗状ビーカーは類似の量のWHG祖先系統を有していますが、漏斗状ビーカーのWHGからの遺伝子移入の推定年代(図3B)はヨルダヌフ(紀元前4636~紀元前4310年)よりも有意に早く(紀元前5079~紀元前4748年)、ボヘミアの漏斗状ビーカー個体群がさまざまな人口集団(その祖先系統はさらに昔に組み込まれました)に由来することと一致し、ボヘミアではヨルダヌフ人口集団に取って代わりました。

 ヨルダヌフと漏斗状ビーカーとの間のこの移行は、3点の追加の観察により裏づけられます。第一に、f4統計(ムブティ人、ボヘミアの漏斗状ビーカー;ボヘミアのヨルダヌフ、ドイツの漏斗状ビーカー)は正で、ボヘミアの漏斗状ビーカーが、先行する在来のヨルダヌフ個体群よりも、ザクセン=アンハルト(Saxony-Anhalt)のバールベルゲ(Baalberge)遺跡とザルツミュンデ(Salzmünde)遺跡の漏斗状ビーカー個体と有意により大きな遺伝的類似性を示す、と明らかにします。逆に、f4統計(ムブティ人、ボヘミアのヨルダヌフ;ドイツの漏斗状ビーカー、ボヘミアの漏斗状ビーカー)は一貫して0と一致しており、ボヘミアのヨルダヌフ個体群に関して、ボヘミアとドイツの漏斗状ビーカー個体群間の系統発生的クレード(単系統群)化を示唆します。

 第二に、ボヘミアのヨルダヌフ個体群は、アナトリアNとケロスHGの2方向混合としてモデル化できるものの、アナトリアNとロシュブールの2方向混合としてはモデル化できない一方で、ボヘミアの漏斗状ビーカー個体群では逆が当てはまります。これは、さまざまな遺伝子移入年代に加えて、ボヘミアのヨルダヌフ文化的集団と漏斗状ビーカー文化的集団におけるHG祖先系統のさまざまな類似性を示唆します。第三に、qpWaveはボヘミアのヨルダヌフと漏斗状ビーカーの個体群間のクレード化を裏づけませんが、ボヘミアとドイツの漏斗状ビーカー個体群間のクレード化を却下できません。まとめると、これらの結果は、ボヘミアの漏斗状ビーカー個体群の大半(有意に50%以上)の非在来の遺伝的起源を示唆します。

 この第二のような事例は、リヴナックからGACへの文化的移行で見られます。GAC個体群はボヘミアの先CW文化的集団で最も高いHG祖先系統を有しており(25.7±1.4%)、リヴナック個体群よりも有意に多くにっています。しかし、GACにおけるHGとの混合の推定年代は、リヴナック個体群よりも遅いわけではなく(図3B)、GAC個体群はリヴナックとHGの起源集団の最近の混合に由来するのではなく、ボヘミアにおける最近の非在来の侵入を構成しており、それは、たとえばポーランドのように(関連記事1および関連記事2)より多くのHGからの遺伝子流動を受けた地域からの侵入で、考古学的証拠の解釈とも一致します。

 リヴナック個体群とGAC個体群の異なる遺伝的起源は、主成分分析とqpAdmモデル化によりさらに裏づけられます。主成分分析では、GACのTUC003個体を除いて、リヴナック個体群とGAC個体群は異なる一群を形成します(図3C)。これはqpAdmモデル化により確認され、GAC個体群はアナトリアNとロシュブールの混合としてモデル化できますが、アナトリアNとケロスHGの混合としてはモデル化できない一方で、リヴナック個体群にはその逆が当てはまります。その結果、リヴナック個体群とGAC個体群はHG祖先系統の量と供給源に基づいて区別でき、ボヘミアにはCW出現時にリヴナック個体群とGAC個体群という遺伝的に異なる集団が存在した、と示唆されます。リヴナック個体群の外れ値個体(TUC003)も、GAC集団で生まれたものの、リヴナック集団の文化的背景で埋葬された、という興味深い可能性を提起します。以下は本論文の図3です。
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 ボヘミアにおけるCWの出現と同時代かその後のリヴナックとGACの16個体間(図1B)では、草原地帯祖先系統の検出可能な痕跡は見つからず(図2A)、CW/ヤムナヤから文化的にCWに先行する人々(リヴナックやGACなど)への生物学的交換は低く、おそらく存在していなかった、と示唆されます。草原地帯祖先系統は、CW個体群とともに紀元前三千年紀初期のボヘミアに出現します。


●縄目文土器(CW)

 本論文は現時点で最初期となるCW個体群のゲノムデータを報告し、その中には、紀元前3010~紀元前2889年頃となるボヘミア北西部のSTD003個体や、紀元前3018~紀元前2901年頃となるボヘミア中央部のVLI076個体や、紀元前2914~紀元前2879年頃となるボヘミア東部のPNL001個体が含まれ、CWはボヘミア全域に紀元前2900年頃までに広範に拡大した、と示されます。これら初期の放射性炭素年代は、これらの個体の遺伝的特性によっても裏づけられます。これらの個体は、最初のCWが地元民と混合した東方からの移民で、後の世代ではPC2軸の位置が中間になる、というシナリオで予測されているように、PC2軸では最も極端な位置にあります(図2B)。

 ボヘミアのCW個体群の遺伝子プールの形成を調べるため、草原地帯祖先系統を有しており平均年代が紀元前2600年以前のCWの27個体がボヘミアCW前期、残りの21個体がボヘミアCW後期とまとめられました。ボヘミアCW前期を、あらゆる既知のヤムナヤ供給源と、あらゆる在来のボヘミアもしくはポーランドやウクライナやハンガリーやドイツといった非在来の先CW供給源の2方向混合としてモデル化する統計的裏づけは乏しい、と明らかになりました。新石器時代祖先系統(アナトリアNと一連のHG供給源)の代理として遠方の供給源を用いると、3方向遠位混合モデルの一つを除いて強い裏づけは見つかりませんでした。しかし、この統計的に裏付けられた一つのモデルから、ヨーロッパにおける新石器時代祖先系統の以前には観察されていなかった比率が得られました。それは、アナトリアNとスウェーデンのムータラ(Motala)遺跡狩猟採集民との1:1の混合比の新石器時代人口集団です。さらに、前期CWを個々に、アナトリアNとWHGとヤムナヤ・サマラ(Yamnaya_Samara)の「標準」3方向混合としてモデル化すると、37%(27事例のうち10事例)で、このモデルが強い裏づけを欠いている、と明らかになりました。

 ヤムナヤとヨーロッパ新石器時代人口集団の供給源間の2方向近位モデルが、ボヘミアCW前期の遺伝的多様性を説明するのに不充分な理由を調べるため、よりよいモデル適合を得られる第三の供給源の追加が試みられました。ラトヴィア中期新石器時代(ラトヴィアMN)やウクライナ新石器時代(ウクライナN)や円洞尖底陶(Pitted Ware、略してPW)文化のいずれかを供給源として追加すると、ほぼ全てのモデル(285例のうち280例)の適合が改善し、その改善のほとんどは数桁に達しました。全ての2方向近位モデル(95例)が強い裏づけを欠いている一方で、ラトヴィアMN(95例のうち57例)かウクライナN(95例のうち53例)かPW(95例のうち32例)を供給源に追加すると、裏づけられたモデルの数が大幅に増加しました。

 これらの結果は、全ての既知のヤムナヤおよびヨーロッパ中央部新石器時代人口集団と比較して、ボヘミアCW前期における、ラトヴィアMN/ウクライナN/ PW的な祖先系統の存在を示します。本論文のモデルから、この祖先系統はボヘミアCW前期遺伝子プールの5~15%を占める、と示唆されます。ボヘミアCW後期およびドイツCWをモデル化すると、これら第三の供給源のいずれかとのモデル適合の増加も観察され、この祖先系統が後のヨーロッパ中央部CWにも存在し、CW集団はヤムナヤよりも古代ヨーロッパ北東部集団と多くのアレルを共有すると示すアレル共有f4統計とも一致する、と示唆されます。

 本論文は、草原地帯祖先系統を有さないCW個体群からの最初のゲノムデータを提供し、それにより、CWとCWに先行する人々との間の相互作用の社会的過程を解明します。草原地帯祖先系統を有さない前期CW個体群間の女性のみ(4個体)の観察結果(図2Bおよび図3C)から、先CWの人々を前期CW社会に同化させる過程が女性に偏っていた、と示唆されます。この女性4個体のうち2個体(STD003とVLI008)は主成分分析ではボヘミアとポーランドのGAC個体群の近くに位置します(図3C)。これらを一群にまとめると、STD003とVLI008はボヘミアのリヴナック個体群よりもボヘミアのGAC個体群とより多くの遺伝的類似性を共有します。STD003とVLI008はポーランドのGAC個体群と比較してボヘミアのGAC個体群と遺伝的により密接ではなく、非在来の東部もしくは北東部起源(たとえば、ポーランド)の可能性が除外できないことを意味します。さらに、VLI009とVLI079は主成分分析では、標本抽出されたボヘミアの中期銅器時代(バデンとリヴナックとGAC)個体群の遺伝的多様性の範囲外に位置し、有意により多くのHG祖先系統を有しており、前期CW社会の遺伝的に先CW女性の大きな割合(50%か、STD003とVLI008を含めるとそれ以上)はボヘミア外に由来する、と示唆されます。

 ボヘミアCW後期はボヘミアCW前期と比較して、有意に先CW銅器時代的祖先系統をより多く有する、と明らかになりました。しかし、この兆候は草原地帯祖先系統を有さない前期CW女性を含めると失われます。ボヘミアCW前期と比較しての、ボヘミアCW後期におけるこの追加の先CW銅器時代的祖先系統は、地元の供給源に由来するものとしては上手くモデル化されず、ボヘミアのCW遺伝子プールに地元以外の遺伝的影響が経時的にあった、示唆されます。これは、ボヘミア外に由来する遺伝的に先CWの女性と一致し、類似の量の先CW銅器時代的祖先系統を有するにも関わらず、ボヘミアCW前期(草原地帯祖先系統を有さない女性を含みます)とボヘミアCW後期がqpWave分析でクレード化しない、という知見により裏づけられます。

 経時的な常染色体の遺伝的変化に加えて、前期CWの異なる5系統から後期CWの優勢な(単一)系統へと移行する、Y染色体多様性の急激な減少が観察されます(図4A)。フォワードシミュレーションを用いて、Y染色体多様性の観察された減少を説明できる人口統計学的シナリオが調べられました。ボヘミアCW前期で観察された開始頻度を中心としたYHg-R1a1a1(M417)の開始頻度で人口集団のシミュレーションが100万回実行され、この系統が、閉鎖集団と任意交配のモデル下で500年の時間枠において、ボヘミアCW後期で観察される頻度(11個体のうち10個体)に達する妥当性が評価されました。

 その結果、妥当な人口規模の広範囲を考慮すると、この頻度変化が偶然に起きたという「中立的」仮説は却下されました。代わりに本論文の結果から示唆されるのは、YHg-R1a1a1は無作為ではない増加を経ており、この系統の男性は他系統の男性と比較して1世代あたり15.79%(4.12~44.42%)多く子を儲けた、ということです。Y染色体頻度におけるこの変化は、同じ男性内の充分に網羅された常染色体124万ヶ所におけるアレル頻度の変化と比較して極端だと明らかになり、常染色体の遺伝的多様性と比較してY染色体に不均衡に影響を及ぼした過程が示唆され、このY染色体多様性の急激な減少の原因として人口集団のボトルネック(瓶首効果)は除外されます。以下は本論文の図4です。
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 本論文の結果から、前期CW男性のY染色体系統の多様性は、無作為ではない過程により取って代わられ、それは選択か社会的構造か外来のYHg-R1a1a1の流入であり、Y染色体多様性の崩壊を引き起こした、と示唆されます。新石器時代にさかのぼるY染色体多様性の同時に起きた減少は、ほぼ全ての現存YHgで観察されており、おそらくは男性を中心とした家系間の紛争増加に起因します(関連記事)。本論文は、社会的構造の変化(たとえば、厳密に排他的な社会規範を有する孤立した婚姻ネットワーク)が別の原因かもしれないものの、基礎となるモデルパラメータで区別することは難しいだろう、と考えます。初期CW個体群内の最大の遺伝的分化は、ヴリネヴェス(Vliněves)遺跡個体で見られます。ヴリネヴェス遺跡のPC2軸上のCW個体群で最も高い3個体と最も低い3個体間の遺伝的違いは、全ての現代ヨーロッパの人口集団の組み合わせ比較よりも大きくなります(図5)。以下は本論文の図5です。
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●鐘状ビーカー(BB)

 最初期のBB個体群は、主成分分析ではCWと類似の位置を占めており(図4B)、ある程度の遺伝的連続性が示唆されます。前期BB個体群(ボヘミアBB前期、平均年代が紀元前2400年以前で、3個体)の遺伝的起源を調べるため、先行する文化的集団と同時代の文化的集団との間の2方向混合としてモデル化されました。その結果、地元起源の裏づけが明らかになりましたが、外来の代替案を除外できませんでした。しかし、本論文のボヘミアBB前期集団はわずか3個体の女性で構成されているので、供給源人口集団を識別するための代表性と解像度が制約されているかもしれません。

 後期BB個体群(ボヘミアBB後期、紀元前2400年以後で、56個体)は、ボヘミアBB前期と比較して有意により多くの中期銅器時代的祖先系統を有する、と明らかになりました。この遺伝的変化を調べるため、ボヘミアBB後期がボヘミアBB前期と地元の中期銅器時代供給源の2方向混合としてモデル化され、ボヘミアBB前期と比較してボヘミアBB後期では追加の20%程度の地元の中期銅器時代的祖先系統の裏づけが見つかりました。

 前期CWとBBで見つかったY染色体系統間では、後期CWもしくはヤムナヤおよびBBの場合より密接な系統発生関係が観察されます。YHg-R1b1a1b1a1a(L151)は前期CW男性では最も一般的なY染色体系統で(11個体のうち6個体)、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の祖先的系統であり(図4A)、BBでは優勢な系統です。YHg-R1b1a1b1a1a2の(複数の)変異がボヘミアの前期CWのYHg-R1b1a1b1a1a男性の1人で生じたのかどうか、判断できませんが、ほとんどのボヘミアのBB男性はさらに派生的なYHg-R1b1a1b1a1a2(S116)とYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)を有しており、何人かはYHg-R1b1a1b1a1a2c1(L21)派生的変異を有するイングランドの男性とは対照的です。これは、イギリスとボヘミアのBB男性が相互の子孫ではあり得ず、むしろ並行して多様化したことを示します。YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)がボヘミアとイングランドの間のどこか、おそらくはライン川の近くで生じ、その後で北西と東方へ拡大した、とのシナリオは、古代のYHg-R1b1a1b1a1a(L151)の派生的系統の系統地理に関する本論文の理解と一致します。


●EBAウーニェチツェ文化

 ボヘミアにおけるEBAへの移行は、先行する後期BBと比較して、PC2軸の正の変化と関連しています(図4B)。ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)もしくはシベリア西部狩猟採集民(WSHG)を、時空間的に近接するボヘミアにBB後期に加えて第二の供給源として用いると、f3統計の混合は最も負の値となり、ボヘミアウーニェチツェ先古典期への北東部からの寄与が示唆されます。あり得る追加の供給源人口集団の適切な代理を見つけるため、ボヘミア・ウーニェチツェ先古典期が、地元のボヘミアBB後期とPC2軸上のより正の値を示すさまざまな供給源の2方向混合としてモデル化されました。

 その結果、ボヘミアBB後期とヤムナヤ、もしくはボヘミアBB後期とCWを含む混合モデルは却下されました。ボヘミアBB前期63.5%とボヘミアBB後期36.5%の2方向混合モデルは却下できず、前期BB系統からの大きな割合が示唆されます。前期BB系統は後期BB段階(紀元前2400~紀元前2200年頃)ではほぼ標本抽出されていませんが、青銅器時代開始期のあり得る新たな系統を表しています。Y染色体データはさらに大きな置換さえ示唆します。後期BBでは100%だったYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)が、先古典期ウーニェチツェ文化では20%に減少しており、EBA開始期における少なくとも80%の新たなY染色体の流入が示唆されます。

 しかし、ボヘミアBB前期の解像度が限定的なため(小規模で低解像度で大きな標準誤差)、先古典期ウーニェチツェ個体群について代替モデルが調べられました。ラトヴィアBAを供給源に含めると全てのモデル化が改善し、2つの追加のモデルが裏づけられます。ボヘミアBB後期とボヘミアCW前期とラトヴィアBAの3方向混合は、47.7%という人口集団置換の控えめな推定値を裏づけるだけではなく、先古典期ウーニェチツェで見つかるY染色体多様性も説明し、その中にはボヘミアBB後期のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)と、ボヘミアCW前期のYHg-R1b1a1b1a1a1(U106)およびI2と、ラトヴィアBAのYHg-R1a1a1b(Z645)があります(図4A)。

 この新たな祖先系統の地理的起源は正確に特定できませんが、3点の観察結果が手がかりを提供します。第一に、全てのモデル適合性を改善するラトヴィアBA祖先系統は、究極的な北東部起源を示唆します。第二に、YHg-R1a1a1bはEBAの始まりにボヘミア(およびより広範なヨーロッパ中央部)で初めて出現します。YHg-R1a1a1bはそれ以前にはバルト海地域に固定されており、スカンジナビア半島のCW男性で一般的で、北部・北東部からの遺伝的寄与を裏づけます。第三に、ウーニェチツェの遺伝的外れ値であるYHg-R1a1a1bの男性個体VLI051は、青銅器時代(BA)のラトヴィアの個体群と類似しており(関連記事)、北東部からの移住の直接的証拠を提供します。

 先古典期から古典期へのウーニェチツェの遺伝的移行も検出され、それは紀元前2000年頃以後のウーニェチツェ個体群のPC2軸における減少に反映されており、qpWaveとf4統計で確認されました。ボヘミアのウーニェチツェ古典期個体群は、ボヘミアのウーニェチツェ先古典期と地元の銅器時代の供給源の混合としてモデル化できます。後期BBと先古典期ウーニェチツェとの間の遺伝的変化とは対照的に、Y染色体多様性はウーニェチツェの両期間(先古典期と古典期)を通じて類似しており、同化と微妙な社会的変化を示唆します。


●考察

 ボヘミアにおける高解像度の遺伝的時間区間により、文化的集団の前期と後期を区別して個々に研究することが可能となり(たとえば、CWやBBやウーニェチツェ)、草原地帯祖先系統到来前後のいくつかの大きな過程を解明します(図6)。本論文の密な標本抽出により、厳密な文化史的観点を通じて見るならば、文化的集団内の新しく重要でおそらくは「予期せぬ」変化の検出が可能となりました(CWやBBなど)。以前の研究では、新石器時代の始まりと終わりにおける主要な移民の解明としておもに解釈されてきましたが(つまり、侵入集団が遺伝的にひじょうに異なる期間です)、本論文の結果は、追加の大きな遺伝的置換を明らかにします。連続的かつ部分的な同時代の文化的集団の標本抽出により、漏斗状ビーカーとGACの拡大は、ウーニェチツェの起源と同様に、短期間での大きな遺伝的変化を伴っており、おそらくは移住により説明される、と示されます。以下は本論文の図6です。
画像

 前期CWは遺伝的にひじょうに多様で、一部はGACやヤムナヤと似ており、いくつかの個体は以前に標本抽出されたヨーロッパ中央部新石器時代の遺伝的多様性の範囲外に位置する、と示されます。そうした顕著に多様な兆候は、多様な文化的および言語的背景から、考古学的に類似しているものの多民族的もしくは複数社会への人々の密集の結果だった可能性があります。民族自認の重要な要素には、祖先系統と歴史とイデオロギーと言語が含まれます。草原地帯祖先系統の割合が高いか存在しない前期CW個体群間の遺伝的分化の水準(つまり、共通祖先以来の時間)は、長い生物学的孤立と、それ故の異なる歴史を示唆します。前期CWにおけるGAC的およびヤムナヤ的遺伝的特性の発見は、イデオロギー的に多様な社会(つまり、CWとは異なり、GACもヤムナヤも埋葬慣行で強い性差はありませんでした)から来た人々の統合を示唆します。GACとCW/ヤムナヤ個体群が異なる言語を話していた可能性はあり、それが意味するのは、ボヘミアの前期CW社会は明らかに異なる歴史を有しており、イデオロギー的に多様な文化に由来したかもしれず、異なる母語を話す人々が含まれていた、ということです。

 前期CW社会への草原地帯祖先系統を有さない個体群の同化過程は、女性に偏っていました。しかし、草原地帯祖先系統の最高量を有する個体群間でも女性が見つかっており(5個体のうち3個体、図2B)、移住してきたCW個体群間にも女性が存在したか、近隣のヤムナヤ集団から恐らくは同化されたことを示唆します(たとえば、現在のハンガリー)。前期CWにおける草原地帯祖先系統を有さない個体の発見は、先CWにおける草原地帯祖先系統を有する個体よりも一般的です(たとえば、先CWのGACではそうした個体が確認されていません)。同時代のGACとCWとの間の非対称的な遺伝子流動のこのパターンは、自分たちの共同体に重要な在来の知識(つまり、先CW文化からの知識)を有する人々を組み込むことでより多くの利益を得た、新来者(CW集団)を反映しているかもしれません。考古学的記録では、いくつかの地域におけるそうした知識(たとえば、土器製作や石材)の継続性が示されます。

 ヴリネヴェス遺跡は、高い草原地帯祖先系統を有する個体群と草原地帯祖先系統を有さない個体群間の相互作用の解明に重要です。ヴリネヴェス遺跡では、最初期のCW個体(紀元前3018~紀元前2901年頃のVLI076)が見つかっており、VLI076は先CW個体群と遺伝的に最も分化していますが、ヴリネヴェス遺跡の標本抽出された前期CWの15個体のうち3個体は草原地帯祖先系統を有していません。興味深いことに、ヴリネヴェス遺跡とシュタッダイス(Stadice)遺跡の草原地帯祖先系統を有する個体と有さない個体との間の考古学的違いは観察されず、同じ考古学的文化内の、遺伝的に、および恐らくは民族的に多様な個体群の完全な統合が示唆されます。

 前期CWにおけるラトヴィアMN的祖先系統は、前期CWとヤムナヤの男性間で共有されるY染色体の欠如とともに、ヨーロッパ中央部へのCWの起源と拡大における既知のヤムナヤの限定的もしくは間接的役割を示唆します。本論文の結果は、前期CWへのヨーロッパ北東部銅器時代森林草原地帯(考古学的証拠の一部の解釈と一致する地域です)の寄与か、過剰なラトヴィアMN的祖先系統を有するこれまで標本抽出されていない草原地帯人口集団を示唆します。これは、紀元前3000年頃の草原地帯集団間の高水準の遺伝的均質性を考えると、ありそうにないことです。たとえば、ヤムナヤとシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)は、2500km離れているものの、遺伝的にはほぼ区別できません。紀元前4000~紀元前2500年頃のヨーロッパ東部(北東部)の遺骸の大半は標本抽出されておらず、前期CW個体群の正確な地理的起源は理解しにくいままです。

 社会的親族制度は遺伝的多様性のパターンに影響を及ぼすので(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、いくつかの異なる親族制度が紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部に存在したかもしれません。前期CWのひじょうに多様な遺伝的特性(常染色体とY染色体の両方)は、Y染色体パターンが厳密な父系を示唆する後期CWおよびBBとは異なる社会組織を示唆します。これが示唆するのは、さまざまな文化的集団が、多様な形態の物質文化と埋葬慣行を用いたことに加えて、その配偶パターンおよび/もしくは社会組織で表現されているような、異なるイデオロギーに従っていた可能性がある、ということです。これは、部分的に同時代の後期CWとBBとの間の完全に重複しないY染色体多様性の発見により裏づけられ、これら2集団間の父方の大規模な配偶孤立を示唆し、たとえばヴリネヴェス遺跡のように同じ遺跡でさえ見られます。

 先古典期ウーニェチツェ文化の始まりは、究極的には北東部に起源があり、後期CWとBBの性別による埋葬慣行の違いと厳密な父系を破壊した、40%以上の核DNAと80%以上のY染色体の寄与が伴いしました。これは、埋葬慣行でも物質文化でも明らかではありませんでしたが、バルト海地域との根底的なつながりを表しており、バルト海地域は、後に出現する琥珀路と関連する、ボヘミアにおけるEBAの琥珀の究極的な供給源だったかもしれません。したがって本論文の結果は、北東部からの遺伝的影響の2つの主要な期間(前期CWと前期ウーニェチツェ)を示唆し、その時期の人類遺骸の大半はヨーロッパの考古学的記録では標本抽出されていません(たとえば、ベラルーシなど)。

 本論文の結果は、新石器時代からEBAのヨーロッパ中央部の複雑でひじょうに動的な歴史を明らかにし、この期間には人々の移住と移動が急速な遺伝的および社会的変化を促進しました。大規模な人口拡大が、ヨーロッパにおける草原地帯祖先系統の出現の前後に複数回起きました。前期CW社会は多様で、強い文化的および遺伝的移行の最中に出現し、多様な起源とおそらくは民族性の男女が関わっていました。CWとBBとEBAの社会内では、物質文化の連続性にも関わらず、遺伝的変化が生じました。文化的役割が紀元前三千年紀の社会的行動に重要な役割を果たしましたが、究極的には経時的な新たな人々の流入に伴って変化しました。遺伝的多様性のパターンには社会的過程の影響が観察されますが、これらの変化の動因を小規模および大規模両方の地域的水準で特徴づけるには、さらなる学際的研究が必要です。


参考文献:
Papac L. et al.(2021): Dynamic changes in genomic and social structures in third millennium BCE central Europe. Science Advances, 7, 35, eabi6941.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi6941

https://sicambre.at.webry.info/202108/article_31.html

12 名前:777

2022/05/31 (Tue) 19:59:12

日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

1-18. 多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

▲△▽▼

ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
       
 3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

 3-5. Y-DNA「N1c」  ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm
 
 3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-6.htm
  
 3-7. Y-DNA「J」   セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

 3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-8.htm

15-4. アイスマンのY-DNAはスターリンと同じコーカサス遺伝子の「G2a」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-4.htm
 
3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度 調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm  

3-10. Y-DNA「Q」   異民族の侵入者フン族の痕跡調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-15.htm

1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-17.htm

1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm

13 名前:777

2022/06/05 (Sun) 20:34:08

あげ12

14 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/03/03 (Fri) 13:32:40

雑記帳
2023年03月03日
上部旧石器時代から新石器時代のヨーロッパ狩猟採集民の大規模なゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_3.html

 上部旧石器時代から新石器時代のヨーロッパ狩猟採集民の大規模なゲノムデータを報告した研究(Posth et al., 2023)が公表されました。この研究は、ヨーロッパ全域の狩猟採集民116個体の新たな古代ゲノムデータを報告し、これまで不明なところが多分に残っていた最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前後のヨーロッパの人口史について、その遺伝的構成要素をさまざまな祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)もしくはクラスタ(まとまり)に分類することによって以前よりも詳しく解明しており、画期的成果として大いに注目されます。改めて、古代ゲノム研究で最も進んでいる地域がヨーロッパだと思ったものですが、日本人の私は、日本列島も含むユーラシア東部圏の古代ゲノム研究が、今後急速に発展することを期待しています。


●要約

 現生人類(Homo sapiens)は45000年以上にわたってヨーロッパに居住してきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、古代の狩猟採集民の遺伝的な近縁性や構造に関する知識は、この期間のヒト遺骸が少なく、分子的な保存状態が悪いため限られています(関連記事)。本論文は、古代狩猟採集民356個体のゲノムを解析し、これには、ユーラシア西部および中央部の14ヶ国から得られた35000~5000年前頃となる、116個体の新たなゲノムデータが含まれています。

 ヨーロッパ西部の上部旧石器時代となるグラヴェティアン(Gravettian、グラヴェット文化)遺物群と関連する個体において遺伝的祖先系統特性が特定され、これはヨーロッパ中央部および南部の考古学的文化と関連する同時代の集団とは異なっていますが(関連記事)、オーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連する先行する個体群の遺伝的祖先系統特性と類似しています。この祖先系統特性はLGM(25000~19000年前頃)の期間に、ソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)、およびLGM後に北東へと再拡大したソリュートレアンの後のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)と関連する人口集団において存続しました。

 一方、ヨーロッパ南部では遺伝的転換が明らかになり、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)と関連する人口集団の北方から南方への拡散に伴うLGMの頃のヒト集団の局所的置換が示唆されます。少なくとも14000年前頃以降、続グラヴェティアンと関連する祖先系統は南方からヨーロッパの残り全体へと拡大し、マグダレニアン関連の遺伝子プールをほぼ置換しました。中石器時代の開始にまたがる限定的な混合の期間の後、ヨーロッパの西部と東部の狩猟採集民の間に遺伝的相互作用があった、と分かり、これらの狩猟採集民は表現型的に関連する多様体における顕著な違いにより特徴づけられました。


●研究史

 現生人類はサハラ砂漠以南のアフリカを6万年前頃に離れ、ユーラシアへのその最初の拡大において、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と遺伝的に混合し、現在の非アフリカ系人口集団の大半ではそりゲノムにおける2~3%はネアンデルタール人の祖先系統に由来します。ゲノムデータから、現生人類は少なくとも45000年前頃にはユーラシア西部に存在した、と示されてきました(関連記事)。初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)文化と関連するブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の個体群(関連記事)や、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」の個体(関連記事)における、比較的近い世代の祖先におけるネアンデルタール人からの遺伝子移入の兆候により示されるように、4万年以上前となるそれら初期現生人類集団の一部はさらにネアンデルタール人と混合しました。

 チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(関連記事)や、ロシア領シベリア西部のウスチイシム(Ust’Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる現生人類男性遺骸(関連記事)など、その期間の他の個体群は、他の非アフリカ系集団よりも有意に多くのネアンデルタール人祖先系統を有しておらず、ユーラシア全域にわたる現生人類の最初の拡散期におけるネアンデルタール人と初期現生人類との間の異なる相互作用を示唆します。しかし、驚くべきことに、それら4万年前頃以前の個体群は、現在のユーラシア人口集団の遺伝的構成には実質的な痕跡を残しませんでした(関連記事)。

 現在のヨーロッパ人へとつながる系統におもに由来する祖先系統を有している最古のゲノムはロシア西部にある考古学的関連が不確実なコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された37000年前頃の個体であるコステンキ14号(関連記事)と、ベルギーのゴイエ(Goyet)遺跡のオーリナシアンと関連する35000年前頃の(関連記事)個体(ゴイエQ116-1)です。これらのデータから、これまでに分析された4万年以上前の個体群で特定された遺伝的祖先系統は、ほぼ絶滅したか、その後の拡大により同化された、と示唆されます(関連記事)。

 コステンキ14遺跡個体の遺伝的痕跡(コステンキ14号のゲノムと関連しており、以後はコステンキクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)は、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡に因んで命名された、その後のヴェストニツェ遺伝的クラスタ(以後、ヴェストニツェクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)に寄与しました。この遺伝的痕跡は、ヨーロッパ中央部および南部における考古学的に定義されている33000~26000年前頃のグラヴェティアンと関連する個体群で共有されており、LGM後に消滅しました(関連記事)。

 しかし、同時代のヨーロッパ西部のグラヴェティアン関連個体群の遺伝的特性は、LGM後の人口集団への寄与と同様に不明なままです。最終氷期の最寒冷期として知られているLGMは、ヨーロッパの大半で人口減少を引き起こし、たとえばイベリア半島とフランス南部の24000~19000年前頃となるソリュートレアン(Solutrean、ソリュートレ文化)の同時期の存在により証明されるように、人口集団は南方へと後退しました。この期間におけるヒトの生存にとっての他の提案されている気候退避地は、イベリア半島とバルカン半島とヨーロッパ南東部平原ですが、これらの地域からLGM後のヨーロッパ人への人口集団の実際の遺伝的寄与は、激しく議論されています。

 LGM後に、35000年前頃となるベルギーのゴイエQ116-1個体と遠位的に関連する遺伝的構成要素(ゴイエQ2祖先系統と命名され、以後はゴイエQ2クラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)が、となるマグダレニアン(19000~14000年前頃にイベリア半島からヨーロッパ中央部を横断してヨーロッパ東部まで分布)と関連するヨーロッパ南西部および中央部の個体群において、末期旧石器時代および中石器時代狩猟採集民において混合した形で再出現しましたが(関連記事)、この祖先系統の地理的拡張はまだ不明です。

 代わりに、ヨーロッパ南部では独特な狩猟採集民遺伝的特性が早くも17000年前頃には、続グラヴェティアン(24000~12000年前頃にかけてイタリア半島からバルカン半島全域のヨーロッパ南東部平原まで分布)と関連する個体群で見られました(関連記事)。この、14000年前頃となるイタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に代表される「ヴィッラブルーナ祖先系統(以後はヴィッラブルーナクラスタもしくは祖先系統)」は、古代および現在の近東の人口集団とのつながりを示しますが(関連記事)、イタリア半島への拡大の様相と速度は未調査です。ヴィッラブルーナ祖先系統はその後、ヨーロッパ中央部に現れ、ゴイエQ2祖先系統と関連する集団をほぼ置換した、と考えられています(関連記事)。しかし、ヴィッラブルーナ祖先系統については、形成、拡散、ヨーロッパ東部の同時代の狩猟採集民との相互作用、とヨーロッパ人東部からの新石器時代農耕民のその後の拡大との相互作用は、充分には特徴づけられていません。

 この研究では、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)に基づく新規の汚染推定手法とともに、35000~5000年前頃の116個体の新たなゲノムデータを含む、古代の狩猟採集民356個体のゲノムが解析されました。本論文は、狩猟採集民集団が上部旧石器時代初期以降にユーラシア西部および中央部全域で経たゲノム変容と、それらが文化および気候変化とどのように関連している可能性があるのか、ということについて体系的な記述を提供します。


●古代DNAデータの生成

 この研究は、新たに報告された狩猟採集民102個体のゲノム規模データを生成し、以前に刊行された14個体について網羅率を増加させました。これらのデータは、上部旧石器時代から後期新石器時代(本論文では、示唆されていなくとも、農耕生計経済ではなく土器の存在により定義されます)まで約3万年間の時間的範囲を網羅しており、複数の先史時代の文化的状況と14ヶ国の54ヶ所の遺跡に由来します。その内訳は、ベルギーのオーリナシアン関連―の1個体とルーマニアの文化的に分類されていない1個体(35000~33000年前頃)、スペインとフランスとベルギーとチェコとイタリアのグラヴェティアン関連の15個体(31000~26000年前頃)、スペインとフランスのソリュートレアン関連の2個体(23000~21000年前頃)、フランスとドイツとポーランドのマグダレニアン関連の9個体(18000~15000年前頃)、イタリアの続グラヴェティアン関連の4個体(17000~13000年前頃)、ドイツのフェダーメッサー(Federmesser)文化関連の2個体(14000年前頃)、ユーラシア西部全域の中石器時代から新石器時代の採食民81個体(11000~5000年前頃)、タジキスタンのユーラシア中央部新石器時代の1個体(8000年前頃)です(図1)。以下は本論文の図1です。
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 各個体について1~8点の一本鎖および二本鎖が構築され、124万SNP(一塩基多型)でヒトDNAが濃縮され、次にこれらが配列決定され、標的のSNPで平均0.04~7.64倍での網羅率平均が得られました。遺伝的性別では、男性78個体と女性38個体が明らかになりました。現代人のDNAの汚染水準は、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とX染色体と常染色体DNAに基づき、またROHにおける常染色体データへと拡張されるハプロタイプのコピーモデルで推定されました。個々の解析されたゲノムのわずかに汚染されたライブラリと、かなり汚染されているライブラリは、死後のてえ損傷を示す読み取りの保持のため選別されました。

 疑似半数体遺伝子型が、各部位における単一アレル(対立遺伝子)の無作為標本抽出により、標的とされたSNPで呼び出され、124万SNPパネルで網羅された6600~107万のSNPを有する個体が得られました。新たに生成された遺伝子型は下流分析のため、240個体の刊行された狩猟採集民のゲノムおよび世界規模の人口集団と統合されました。2016年の研究(関連記事)とは異なるものの、2019年の研究(関連記事)とは一致して、経時的にほとんどのヨーロッパ狩猟採集民においてネアンデルタール人由来の祖先系統の大きな増加は観察されません。これは、ネアンデルタール人から現生人類への遺伝子移入後に、現生人類においてゲノム規模のネアンデルタール人由来の祖先系統の長期的現象はなかった、というモデルへのさらなる裏づけを提供します。


●LGM前

 グラヴェティアンはLGMの前にユーラシア西部全域において最も広く分布した上部旧石器時代文化の一つでした。グラヴェティアンはヨーロッパ全域の文化的斑状とみなされることが多く、物質から象徴的作品ので地域的差異が伴います。この議論されてきた枠組みでは、グラヴェティアン関連個体群は、頭蓋計測およびゲノムデータに基づいて生物学的に均質な人口集団を表している、と提案されてきました。しかし、グラヴェティアン関連のゲノムはヨーロッパ中央部および南部に由来し、グラヴェティアンと関連するヨーロッパ西部および南西部のヒト集団の遺伝的特性は記載されていません。

 LGM前のヨーロッパ狩猟採集民のゲノム背景の概要を得るため、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)が用いられ、1-f3の形態(ムブティ人;集団1、集団2)で対での外群f3統計の相違点行列が図示されました(図2a)。この図示は3つの異なる分類の存在を明らかにします。それは、(1)ウスチイシムやバチョキロ洞窟やズラティクンや骨の洞窟で発見された4万年前頃以前の集団、(2)ヨーロッパ中央部から東部と南部の遺跡で発見された続グラヴェティアン関連個体群を含むヴェストニツェクラスタ、(3)ヨーロッパ西部および南西部の、フランスのフルノル(Fournol)とオルメッソン(Ormesson)とラ・ロシエット(La Rochette)とセリニャ(Serinyà)洞窟のモレット3(Mollet III)およびレクロー・ヴィヴァー(Reclau Viver)遺跡で発見された個体から構成される、フルノルクラスタ(以下、フルノルクラスタもしくはフルノル祖先系統と呼ばれます)です。以下は本論文の図2です。
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 以前に記載されたヴェストニツェクラスタは、イタリア南部のプッリャ州(Apulia)のパグリッチ洞窟(Grotta Paglicci)で発見され新たに報告された29000年前頃の1個体(パグリッチ12号)を含み、ロシア西部のスンギール(Sunghir)遺跡(34000年前頃)およびコステンキ12遺跡(32000年前頃)の以前に刊行されたゲノム(関連記事)と密接に関連しています。新たに報告されたフルノルクラスタは、35000年前頃となるベルギーのオーリナシアン関連個体群(ゴイエQ116-1およびゴイエQ376-3)と密接に関連しています。

 注目すべきは、以前の研究(関連記事)に反して、ヨーロッパ中央部から西部の別のグラヴェティアン関連人口集団(ベルギーのゴイエ遺跡の6個体)は、地理的および遺伝的の両方でヴェストニツェとフルノルのクラスタの中間です。ゴイエQ116-1とゴイエQ376-3とフルノルクラスタの間の類似性はmtDNA水準でも観察され、両集団にはLGM後にはヨーロッパの個体群では見られないmtDNAハプログループ(mtHg)Mを有する個体が含まれます(拡張図1および拡張図2)。以下は本論文の拡張図1および拡張図2です。
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 一連のf4統計で、MDS図で観察されたヴェストニツェとフルノルのクラスタ間の遺伝的差異がさらに検証されました。フルノルクラスタに属する全ての個体は、スンギール集団(4個体)とよりもゴイエQ116-1の方と高い類似性を示し、ヴェストニツェクラスタの個体群はゴイエQ116-1とよりもスンギール集団の方と高い類似性を示しました。これらf4統計でも、ゴイエQ376-3がゴイエQ116-1と類似した祖先系統を、コステンキ12号がスンギール集団と類似した祖先系統を有している一方で、ブルガリアの35000年前頃となるバチョキロ洞窟1653号と、ルーマニアの34000年前頃となる「女性の洞窟(Peştera Muierii、以下PM)」個体(PM1号)および32000年前頃となるチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU)個体(PCU1号)と、イタリア南部の33000年前頃となるパグリッチ洞窟133号は、ゴイエQ116-1およびスンギール集団と同等に関連しています。

 ヴェストニツェとフルノルのクラスタに含まれる個体群が、それら2クラスタの主要な代表と類似のアレル頻度を共有しているのかどうか、さらに検証されました。f4統計(ムブティ人、フルノル85号;ヴェストニツェ、検証)とf4統計(ムブティ人、ヴェストニツェ;フルノル85号、検証)統計では、ヴェストニツェクラスタ個体群はヴェストニツェ集団(5個体)と有意により密接で、フルノルクラスタ個体群はフルノル85号とより密接なのに対して、地理的に中間のグラヴェティアン関連のゴイエ集団は両クラスタと余分の類似性を示す、と明らかになります(図2b)。

 さらに、qpGraphでLGM前の個体群の遺伝的特性がモデル化されました。混合図では、バチョキロ洞窟IUP集団(3個体)は複数の現生人類系統と祖先系統を共有しており、45000年以上前となるズラティクン個体のゲノムはこれまでに配列決定された最も深く分岐した非アフリカ系統である、と示されます(拡張図4)。これは、他のLGM前の狩猟採集民全てでゼロと一致するf4形式(ムブティ人、ズラティクン;検証1、検証2)のf4統計でも確証され、検証集団とのズラティクン個体の等距離関係を示唆します。

 グラヴェティアン関連個体群をコステンキ14号も取り上げた混合図に含めると、フルノル85号がゴイエQ116-1の姉妹系統として最適なのに対して、ヴェストニツェ集団はスンギール集団とゴイエQ116-1およびフルノル85号の系統と関連する集団との間の混合としてモデル化される、と分かりました。これはるf4形式(ムブティ人、フルノル85号;スンギール集団、検証)のf4統計でも裏づけられ、ヴェストニツェクラスタに含まれる全個体で有意に正でした。したがって、以前に報告されたように(関連記事)、ヴェストニツェクラスタ自体は、東西の系統間の混合から生じ、これはグラヴェティアン関連個体群の頭蓋形態で観察される均一性に寄与したかもしれません。以下は本論文拡張図4です。
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 これらの結果は、4万~3万年前頃にヨーロッパに存在したゲノム祖先系統の全てではないものの一部が、これまでに研究されたグラヴェティアン関連人口集団で存続していたことを示します。コステンキ(およびスンギール集団)祖先系統は、ヨーロッパ中央部から東部と南部のグラヴェティアン関連個体群により表される、以前に記載されたヴェストニツェクラスタに寄与しました。対照的に、ゴイエQ116-1的な遺伝的特性は、新たに記載されたフルノルクラスタを生み出し、このクラスタはヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連個体群で特定されました。注目すべきことに、この遺伝的区別は、遺伝的に分析されたヨーロッパのさまざまな地域のグラヴェティアン関連個体群における葬儀慣行の相違と一致します。

 フルノルクラスタと関連するヨーロッパ西部および南西部の個体群が、一貫して洞窟遺跡に堆積しており、たまに人為的な痕跡を示すのに対して、ヴェストニツェクラスタと関連する個体群は、ヨーロッパ中央部から東部の開地遺跡もしくはヨーロッパ南部の洞窟遺跡で、副葬品および/もしくは個人的装飾品やオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)を伴って埋葬されていました。フルノルクラスタの最古の個体は、フランス北東部のオルメッソン遺跡の2988号(31000年前頃、前期/中期グラヴェティアン)ですが、ベルギーのゴイエ遺跡の後期グラヴェティアン集団(27000年前頃)は、ヴェストニツェとフルノルのクラスタ間の混合と分かりました。これは、前期/中期と後期のグラヴェティアン間では、ヴェストニツェ関連祖先系統の東方から西方への拡大があり、この祖先系統はヨーロッパ中央部および西部に達し、それら2つの遺伝的に異なるLGM前の人口集団間の縦断的混合をもたらした、と示唆しています。


●ヨーロッパ南西部と西部におけるLGM

 ソリュートレアンは時間的にグラヴェティアンとマグダレニアンもしくはバデゴウリアン(Badegoulian、バデゴウル文化)の中間で、ヨーロッパ南西部と西部で見られ、LGMにおける人口集団の気候的退避地と考えられきました。しかし、ソリュートレアンと関連する集団が同じ地域のその前後の人口集団とのどの程度遺伝的に連続しているのかは不明で、それは、ソリュートレアン関連個体群のゲノムデータが以前には報告されていなかったからです。ソリュートレアン関連個体の新たに配列決定されたゲノムは、フランス南西部のレ・ピアジェ2(Le Piage II)遺跡(23000年前頃)ともスペイン北部のラ・リエラ(La Riera)遺跡の第14層(21000年前頃)で得られ、両者とも外群f3統計ではフルノルおよびゴイエQ2クラスタの構成員との一般的な類似性を示します。

 MDS図では、レ・ピアジェ2遺跡個体はとくにフルノルクラスタに属する個体群の近くに収まり、LGMにおけるフルノルクラスタの局所的な遺伝的連続性が示唆されます。f4統計(ムブティ人、レ・ピアジェ2遺跡個体;ヴェストニツェ、フルノル85号)はこの見解をさらに裏づけ、レ・ピアジェ2遺跡個体はヴェストニツェクラスタよりもフルノルクラスタの方と密接に関連する、と明らかにします。これまでに配列決定された最古のマグダレニアン関連個体である、スペイン北部のエル・ミロン洞窟(El Mirón Cave)遺跡で発見された個体との類似性も比較されました。f統計では、レ・ピアジェ2遺跡個体は遺伝的にフルノル85号とエル・ミロン遺跡個体の中間と示唆されました。さらに、先行研究では、エル・ミロン遺跡個体は、イタリアのグラヴェティアン関連個体群で見られるヴィッラブルーナクラスタからの遺伝的寄与を有している、と示されてきました(関連記事)。

 エル・ミロン遺跡個体はフルノル85号およびレ・ピアジェ2遺跡個体とよりもヴィッラブルーナクラスタの方と有意に高い類似性を有していますが、レ・ピアジェ2遺跡個体におけるヴィッラブルーナクラスタとの類似性は、フルノル85号よりも有意に高くはありません。全体的に、ソリュートレアン関連のレ・ピアジェ2遺跡個体は先行するフルノル祖先系統をエル・ミロン遺跡個体で見られるその後の祖先系統とつなげており、ヨーロッパ南西部と西部におけるLGMを通じての遺伝的連続性の直接的証拠を提供します。したがって、これらのヨーロッパ地域は、人口集団がLGMにおいて存続した気候的退避地を構成します。


●イタリア半島におけるLGMの後

 LGMの後に、続グラヴェティアンはヨーロッパ南部および南西部に広がりました。その性質についての議論の高まりにも関わらず、続グラヴェティアンは伝統的に、先行する在来のグラヴェティアンからの移行の結果と仮定されてきました。しかし、これらの文化と続グラヴェティアン関連個体群における人口構造との間の遺伝的連続性の水準は、完全には調べられていませんでした。本論文は、イタリア南東部のプラディス(Pradis)遺跡1号、イタリア北西部のアレーン・キャンディード(Arene Candide)遺跡16号、シチリア島のサン・テオドーロ(San Teodoro)洞窟2号という13000年前頃の3個体と、17000年前頃のリパロ・タグリエント(Riparo Tagliente)遺跡2号から構成される、4個体のゲノムデータを報告します。

 MDS図では、新規および既知の続グラヴェティアン関連個体群の全てがヴィッラブルーナクラスタ内に収まります(図1c)。一連のf4対称性統計では、全ての続グラヴェティアン関連個体はクレード(単系統群)を形成し、在来(パグリッチ洞窟12号)もしくは非在来の先行する祖先系統(ゴイエQ116-1やコステンキ14号やマリタ1号やヴェストニツェ)と過剰なアレルを共有しない、と確証されます。さらに、続グラヴェティアン関連個体はどれも、0と一致するf4統計(ムブティ人、続グラヴェティアン関連個体/集団;ヴェストニツェ、パグリッチ洞窟12号)により示されるように、ヨーロッパ中央部から東部のグラヴェティアン関連集団とよりも、ヨーロッパ南部のグラヴェティアン関連集団の方と多くの類似性を有していません。

 次に、対でのf2遺伝的距離に基づく系統発生の再構築(図3a)と、f4形式(ムブティ人、続グラヴェティアンA;続グラヴェティアンB、続グラヴェティアンC)のf4統計を用いての、それらり間の相対的類似性の検証により、イタリア半島全域のグラヴェティアン関連個体間の遺伝的関係が調べられました。推測された形態は、個々の年代と関係ない系統地理的パターンを明らかにします。とくに、イタリア北東部の13000年前頃のプラディス1号個体は、イタリア北部のタグリエント2号やヴィッラブルーナ遺跡個体を含む、他の全ての続グラヴェティアン関連個体と比較して最基底部系統を表しています(集団1)。イタリア北西部のアレーン・キャンディード16号、イタリア中央部のコンティネンツァ洞窟(Grotta Continenza)個体、シチリア島の個体から構成される個体群は、系統発生的により派生的な枝(集団2)に位置し、この枝はさらにシチリア島狩猟採集民のみで構成される枝(集団3)へと多様化しました。シチリア島内では、14000年前頃となるシチリア西部のファヴィニャーナ(Favignana)島のドリエンテ洞窟(d’Oriente)洞窟の個体(オリエンテC)が、シチリア島東部のほぼ同時代のサン・テオドーロ2号とよりも、ずっと新しいものの地理的にはより近い1万年前頃となるシチリア島北西部のデッルッツォ洞窟(Grotta dell’Uzzo)集団(関連記事)の方と高い類似性を示します。以下は本論文の図3です。
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 最後に、疑似半数体遺伝子型での対での不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)と、疑似二倍体遺伝子型での個々の異型接合性水準両方の計算により、データセットにおける続グラヴェティアン関連個体群の遺伝的多様性が推定されました。全ての分析されたグラヴェティアン関連集団で観察された遺伝的多様性と比較して、続グラヴェティアン関連個体群は有意に低い量の遺伝的多様性を示します(図3b)。さらに、続グラヴェティアン関連集団における遺伝的多様性の北方から南方にかけての減少が明らかになり、最高のPMRおよび異型接合性値はイタリア北部個体群(集団1)で見られ、中間がイタリア西部および中央部個体群(集団2)で、最低がシチリア島個体群(集団3)でした(図3b)。類似のパターンはROH断片の分析を通じて観察されます。シチリア島の続グラヴェティアン関連個体群において最高量のROHが検出され、4~8 cM(センチモルガン)と短いROHの200 cM以上の極端な量を有しています。これは、ひじょうに小さな最近の有効人口規模を示唆しており、70個体程度と推定され、シチリア島の続グラヴェティアン狩猟採集民における低い遺伝的多様性をもたらしました。

 要するに、本論文の結果は、考古学的記録で観察された不連続性と相関しているかもしれない、イタリア半島における続グラヴェティアン関連のヴィッラブルーナクラスタによるグラヴェティアン関連のヴェストニツェクラスタの遺伝的置換を浮き彫りにします。全ての分析された続グラヴェティアン関連個体群は均質なヴィッラブルーナ祖先系統を有しており、集団内の遺伝的構造はおもに、時間的分布ではなく地理的分布により決定されます。他の全ての個体よりも深く分岐しているプラディス1号での、続グラヴェティアン関連ゲノムの系統発生的再構築から、この転換はより派生的なタグリエント2号のゲノムの年代(17000年前頃)よりずっと早くに起きた、と示唆されます。これは、エル・ミロン遺跡の19000年前頃の個体におけるヴィッラブルーナ祖先系統の証拠とともに、この遺伝的不連続性が、ボーリング・アレロード(Bølling–Allerød)温暖期(14700~12900年前頃)ではなく、LGMと関連する古地理学的および古い生態学的変容の結果かもしれない、とさらに示唆します。

 さらに、本論文の系統発生分析は、イタリア半島における続グラヴェティアン関連遺伝子プールのあり得る入口として、イタリア半島北東部を示します。この調査結果は、古代および現在の近東祖先系統とのヴィッラブルーナクラスタの遺伝的類似性と合わせて、侵入してくる続グラヴェティアン関連人口集団の供給源としてバルカン半島を示唆します。したがってLGMは、おそらくは当時存在した低い海面の沿岸での拡散による、バルカン半島からイベリア半島へと狩猟採集民人口集団を遺伝的につなげた東方から西方へのヒトの移動にとって、アルプスの南側に回廊を作ったかもしれません。


●ヨーロッパ西部および中央部におけるLGMの後

 マグダレニアンはLGMの後にヨーロッパの南西部と西部と中央部に広く分布していました。この地理的範囲にも関わらず、マグダレニアンと関連するさまざまな集団が共通の起源人口集団に由来するのかどうか、それらの集団が遺伝的に相互にどのように関連しているのか、明確ではありません。先行研究では、マグダレニアン関連個体群における2つの異なる遺伝的組成が特定されました。一方は15000年前頃のヨーロッパ中央部から西部(フランスとベルギーとドイツ)の個体群のゲノムを含むゴイエQ2クラスタで、もう一方は19000年前頃となるスペインのエル・ミロン遺跡個体の祖先系統です。これらの祖先系統は両方とも、35000年前頃となるゴイエQ116-1個体と遠位に関連する遺伝的構成要素を有しており、イベリア半島の個体はヴィッラブルーナクラスタとの類似性も示します。

 以前に刊行されたデータを、フランス西部の18000年前頃となるラ・マルシュ(La Marche)遺跡個体、フランス北部の15000年前頃となるパンスヴァン(Pincevent)遺跡個体、ポーランド南部の18000~16000年前頃となるマスジカ(Maszycka)遺跡個体の、マグダレニアンと関連する本論文で新たに報告されたデータとともに分析することにより、ゴイエQ116-1祖先系統は、フランス南西部および西部のグラヴェティアンおよびソリュートレアン関連個体群の他に、全ての調べられたマグダレニアン関連個体群のゲノムで存続していた、と確証されます(図1)。注目すべきことに、フルノル祖先系統はゴイエQ2クラスタとエル・ミロン遺跡個体で見られる遺伝的構成要素について、ゴイエQ116-1よりも適切な代理を提供します。しかし、f4統計を用いると、エル・ミロン遺跡個体だけではなく全てのマグダレニアン関連個体が、フルノルクラスタと比較するとヴィッラブルーナ関連祖先系統を有している、と示されます。この類似性は、イタリア北部の個体群(集団1)とよりも、イタリア(集団2)およびシチリア島(集団3)の続グラヴェティアン関連個体群の方へとさらに強くなります。

 したがって、ゴイエQ2クラスタに属する個体群とエル・ミロン遺跡個体が、マグダレニアン関連集団において、フルノル祖先系統の代理としてのフルノル85号と、ヴィッラブルーナ祖先系統の代理としてのアレーン・キャンディード16号のゲノム間の混合としてモデル化されました。約43%のヴィッラブルーナ祖先系統を有するエル・ミロン遺跡個体を除いて、全てのマグダレニアン関連個体群はこの構成要素の割合がより低かったので(19~29%)、ゴイエQ2クラスタに分類できます(図4a)。これきさらに、f4形式(ムブティ人、アレーン・キャンディード16号;ゴイエQ-2、マグダレニアン関連個体群)のf4統計により確証され、エル・ミロン遺跡個体でのみ有意に正ですが、全ての他の検証された個体とゴイエQ-2は、アレーン・キャンディード16号と対称的に関連します。以下は本論文の図4です。
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 本論文の分析から、フルノルクラスタはゴイエQ116-1よりもマグダレニアン関連個体群のゲノムにとって適切な供給源である、と論証されます。したがって、これらLGM後の個体群で見られる祖先系統のほとんどは、恐らくヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連集団にたどれます。ヴィッラブルーナ祖先系統との遺伝的類似性がエル・ミロン遺跡個体とヨーロッパ西部および中央部のマグダレニアン関連個体群に存在します。これは、LGMの頃のヨーロッパ南部と南西部の狩猟採集民間の遺伝的つながりが、ピレネー山脈の北側に拡大したことを示唆します。その結果生じたゴイエQ2クラスタは、18000~15000年前頃の期間のフランス西部からポーランドにまたがる個体群を含みます。したがって、先行研究の提案に反して、これはマグダレニアンのLGM後の拡散がヨーロッパ西部からの北方と北東への人口拡大とじっさいに関連していたことを論証します。


●14000年前頃以後から新石器時代

 先行研究では、2つの主要な狩猟採集民祖先系統が14000年前頃以後のヨーロッパでは優先していた、と示されてきました。つまり、ヴィッラブルーナクラスタと関連しているヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と、ヴィッラブルーナ祖先系統および上部旧石器時代シベリアの個体群で見られる古代北ユーラシア人(ANE)祖先系統(関連記事)の両方との類似性を示すヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)です。混合したWHG/EHGの遺伝的特性を有する狩猟採集民は、ヨーロッパ北部と東部のさまざまな地域で配列決定されてきており、これら2種の祖先系統が時空間的にどのように形成されて相互作用したのか、という問題を提起します(関連記事)。

 MDS図(図1c)とユーラシア西部人の主成分分析(principal component analysi、略してPCA)では(拡張図6)、ヨーロッパ西部と中央部のほとんどの14000年前頃以後の個体はWHGクラスタの近くに、ヨーロッパ東部の個体はEHGクラスタの近くに位置しますが、アジア中央部(タジキスタン)のトゥトカウル(Tutkaul)遺跡個体(トゥトカウル1号)は、ANE関連集団の近くに収まります。14000年前頃となるドイツのボン・オーバーカッセル(Bonn-Oberkassel)遺跡の2個体はアルプスの北側のWHG祖先系統の最初の存在を示しているので、オーバーカッセルクラスタ(以後、オーバーカッセルクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)と改名されます。これは、一貫性のため、1倍以上の網羅率のそうした祖先系統を有する最古の報告された名称を用いるからです。
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 f4統計に基づいて、オーバーカッセルクラスタに分類された個体群は、イタリアの他の続グラヴェティアン関連集団とよりもアレーン・キャンディード16号のゲノムの方と近い、と分かりました。さらに、オーバーカッセルクラスタは、ヴィッラブルーナ祖先系統とゴイエQ2祖先系統からの寄与の両方を有しています。これはqpAdmで確証され、オーバーカッセルクラスタをアレーン・キャンディード16号の約75%とゴイエQ-2の約25%(もしくはアレーン・キャンディード16号の90%とフルノル85号の10%)のほぼ一貫した混合としてモデル化できます(図4b)。

 ヨーロッパ西部および中央部とブリテン島(関連記事)の14000年前頃以後の個体群が、ゴイエQ2祖先系統との繰り返しの局所的混合を示す代わりに均質な遺伝的構成を有している、という観察から、オーバーカッセル祖先系統特性はその拡散前にすでに大半が形成されていた、と示唆されます。これは、ヴィッラブルーナ/オーバーカッセル祖先系統の拡大が、ゴイエQ2祖先系統を高い割合で有している集団との複数の局所的混合を含んでいた、イベリア半島狩猟採集民の遺伝的歴史(関連記事)とは著しく対照的です(図4)。イベリア半島における長期の遺伝的連続性は、Y染色体ハプログループ(YHg)Cの中石器時代までの保存にも反映されており、YHg-CはLGM前の集団において優占的でしたが、ヨーロッパの他地域ではLGM後には稀にしか見られません(拡張図1および拡張図2)。

 f4統計とqpAdmを用いて、ヨーロッパ東部のEHG人口集団はヴィッラブルーナ/オーバーカッセル祖先系統とANE祖先系統の混合である、と確証されます。f4統計では、19個体のゲノムにより構成される8200年前頃となるロシア西部のカレリアのユズニー・オレニー・オストロフ(Yuzhniy Oleniy Ostrov)集団が、全ての他のEHG集団と比較して、ヴィッラブルーナ祖先系統には同等かより低い類似性を有していることも示されます。ユズニー・オレニー・オストロフ集団の区別できない遺伝的特性を明らかにする最古の個体は、11000年前頃となるロシア西部のサマラ(Samara)のシデルキノ(Sidelkino)遺跡個体です(関連記事)。上述の命名法との一貫性のため、EHG祖先系統はシデルキノクラスタ(以後、シデルキノクラスタもしくは祖先系統と呼ばれます)と改名されます。オーバーカッセルとシデルキノのクラスタ間の遺伝的相違は片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)でも注目されます。それは、オーバーカッセルクラスタではmtHg-U5とYHg-Iが優占するのに対して、シデルキノクラスタの個体群は、mtHg-U2・U4・R1bのより高い頻度を示し、YHg-Q・R・Jを有しているからです。

 次に、qpAdmを用いて、刊行されたおよび新たに報告された狩猟採集民250個体を、オーバーカッセルとシデルキノとゴイエQ2の祖先系統と、アナトリア半島新石器時代農耕民(ANF)で最大化される祖先系統の混合としてモデル化することが試みられました。これは、配列決定された狩猟採集民のゲノムのかなりの割合の年代が、ANF祖先系統がヨーロッパ善意に拡大し始めていた8000年前頃以後だからです。その結果、オーバーカッセルとシデルキノの祖先系統間の接触地帯と混合パターンは経時的に変化した、と示されます(図5)。

 14000~8000年前頃には、ヨーロッパ西部と中央部の全ての狩猟採集民はオーバーカッセル祖先系統のみを有しており、シデルキノクラスタからの寄与は検出されません。さらに北方と東方では、バルト海地域(バルト海狩猟採集民、略してバルトHG)とスカンジナビア半島(スカンジナビア半島狩猟採集民、略してSHG)と鉄門遺跡(Iron Gates)狩猟採集民に代表されるバルカン半島狩猟採集民とウクライナの狩猟採集民の個体群は、8000年前頃の前にはすでにオーバーカッセル/シデルキノ混合祖先系統を有していました。さらに、これらの集団は、人口史の背後のより複雑な遺伝的過程を示唆する、ANFとの類似性も有しています。さらに、シデルキノクラスタに属するロシア西部の最古級となる刊行された集団のうち2つ、つまり13000年前頃となるペシャニツァ(Peschanitsa)個体と新たに報告された11000年前頃となるミニノ(Minino)個体は、オーバーカッセルクラスタとの余分な類似性を示し、恐らくはシデルキノ祖先系統特性の最初の形成段階におけるこの祖先系統の割合の変動性に起因します。

 DATESソフトウェアを用いて、15000~13000年前頃となるこれら古いシデルキノクラスタ関連個体群におけるヴィッラブルーナ/オーバーカッセルとANEの祖先系統間の混合が推定され、その推定年代はヨーロッパ中央部におけるオーバーカッセル祖先系統の最初の出現とほぼ一致しました。これは、オーバーカッセルクラスタによる置換とシデルキノクラスタの形成が、ボーリング・アレロード亜間氷期における急激な温暖化により影響を受けた人口拡大の結果だったかもしれない、という可能性を提供します。以下は本論文の図5です。
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 8000年前頃以降、ヨーロッパ中央部におけるシデルキノ祖先系統との混合事象が観察され始めます。これは最初に、ドイツ北東部のグロース・フレーデンヴァルデ(Gross Fredenwalde)遺跡の1個体で検出され、その後のほとんどのヨーロッパ狩猟採集民個体では約10%に達します。8000年前頃の直後には、シデルキノ祖先系統はスペイン東部には存在しなかったものの、オーバーカッセル祖先系統の増加とともにイベリア半島北部にはすでに到達していました(図5)。逆に、追加のオーバーカッセル祖先系統は、ヨーロッパ東部において少なくとも7500年前頃までには、ヴォルガ川上流域のミニノ1遺跡とヤジコヴォ(Yazykovo)遺跡の個体から新たに生成されたゲノムで特定されていますが、その1000年ほど前となるミニノ1遺跡の1個体はこの遺伝的構成要素を有していません。ヴォルガ川上流域における淡水貯蔵兆候がヒト遺骸の放射性炭素年代を真の年代より最大で約500年さかのぼらせることを考えると、シデルキノ祖先系統とのヨーロッパ中央部狩猟採集民の混合と、オーバーカッセル祖先系統とのヨーロッパ東部狩猟採集民の混合の最初の証拠の間には1000年以上の間隔があるかもしれません。しかし、それら2回の混合事象が独立していたのか、それとも共通の人口統計学的過程の一部だったのか、評価するには、この時空間において中間的な追加のゲノムが必要です。

 7500年前頃以後、ANF祖先系統はアルプスの北側の地域に到達したので、狩猟採集民の遺伝的特性を有する個体群は、おもにヨーロッパの北端に限定されました(図5)。この期間には、オーバーカッセル祖先系統の混合はさらに東方に拡大し、6500年前頃までにはサマラに到達し、シデルキノ祖先系統の増加はバルト海地域の狩猟採集民で検出され、これは以前には、ナルヴァ(Narva)文化から櫛目文土器(Comb Ceramic)文化への移行と関連づけられていました。ヨーロッパ中央部では、ANF祖先系統との混合がひじょうに一般的になったものの遍在したわけではなく、数百年にわたる混合なしの狩猟採集民と農耕民の社会の共存が示唆されます。分析されたデータセットにおける狩猟採集民の大きな割合を有する最近の個体は、ドイツ北部のドイツ北部のオストルフ(Ostorf)で得られており、年代は5200年前頃で、90%超のオーバーカッセルクラスタにシデルキノクラスタ構成要素が加わっています。この遺跡の個体群は、ヨーロッパの青銅器時代の出現のわずか数世紀前となる、狩猟採集民祖先系統のそうした高水準の最後の出現の一つを表しているかもしれません。

 PCAと外群f3統計に基づいて、タジキスタンの新石器時代のトゥトカウル1号個体は、シベリア南部から中央部の上部旧石器時代個体群、具体的にはアフォントヴァ・ゴラ(Afontova Gora)遺跡3号個体(AG3)およびバイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)と、チュメニ(Tyumen)およびソスノヴィ(Sosnoviy)遺跡の個体に代表されるほぼ同時代のシベリア西部狩猟採集民密接に関連しており、両者はANE祖先系統を高い割合で有しています(関連記事)。

 AG3と比較しての、世界規模の古代および現代の人口集団とのトゥトカウル1号個体の類似性が検証されました。シベリア西部狩猟採集民とは対照的に、トゥトカウル1号は余分なユーラシア東部祖先系統を有していませんが、イラン新石器時代農耕民および一部のより新しいイランおよびトゥーラン(現在のイランとトルクメニスタンとウズベキスタンとアフガニスタン)地域の人口集団との類似性を示します。逆に、シデルキノクラスタの個体群は、トゥトカウル1号よりもAG3の方と遺伝的により密接です。これは、アジア中央部の新たに報告された新石器時代の1個体(トゥトカウル1号)が、5500年前頃以降となるイランおよびトゥーラン地域へのANE関連の寄与の適切な代理かもしれない祖先系統を有しているかもしれないものの、ほぼ同年代のヨーロッパ東部狩猟採集民へのANE関連の寄与の適切な代理ではないかもしれないことを示唆します。

 要するに本論文は、14000年前頃以降にヨーロッパに存在した2つの主要な狩猟採集民祖先系統である、オーバーカッセルとシデルキノのクラスタ間の形成と相互作用を記述しました。イタリア北西部のアレーン・キャンディード16号とのオーバーカッセルクラスタのゲノム類似性から、続グラヴェティアン関連祖先系統をはヨーロッパの南部から中央部へとアルプス地域の西側を通って拡大した、と示唆されるかもしれません。シデルキノ祖先系統も14000年前頃に出現し、ヨーロッパ東部におけるその最初の直接的証拠(関連記事)は13000年前頃です。8000年前頃以降の異なる狩猟採集民人口集団間の混合の水準増加は、それら狩猟採集民集団の移動性強化を示唆します。これは部分的には、ヨーロッパ全域での新石器時代農耕民の同時に起きた拡大、および/もしくは、完新世における北半球での最大の急激な寒冷化である、8200年前頃の気候事象などの環境要因により引き起こされたかもしれません。


●表現型関連の多様体

 かなり増加した標本規模を活用して、現在のヨーロッパ人において特定の表現型の特徴と関連すると知られている選択された遺伝子座のアレル頻度について、遺伝的に異なる狩猟採集民集団が調べられました(図5b)。以前の調査結果と一致して、分析された集団は、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連するLCT遺伝子上のSNP(rs4988235)における派生的アレルを示しません。以前に示唆されたように、LGM後の狩猟採集民における肌および目の色素沈着と関連するアレルにおける大きな頻度の差異が見つかりました。明るい目の色と関連するHERC2/OCA2遺伝子のSNP(rs12913832)について、ヴィッラブルーナクラスタとオーバーカッセルクラスタとバルト海狩猟採集民とスカンジナビア半島狩猟採集民の個体群が、緑色もしくは青色の目の表現型と関連する派生的アレルを高頻度(90%超)で示すのに対して、シデルキノクラスタとウクライナ狩猟採集民と鉄門狩猟採集民集団は、このアレルを低頻度(10~25%)で示します。

 代わりに、肌の色と関連するSLC24A5遺伝子のSNP(rs1426654)およびSLC45A2遺伝子のSNP(rs16891982)については、シデルキノクラスタとウクライナ狩猟採集民集団は、オーバーカッセルおよびヴィッラブルーナのクラスタと比較して、明るい肌の色と関連する派生的アレルをより高い頻度(SLC24A5遺伝子では90%超、SLC45A2遺伝子では29~61%)で示し、オーバーカッセルおよびヴィッラブルーナのクラスタでは、それらのアレルがほぼ完全に存在しません(1%未満)。現在のヨーロッパ人の遺伝的差異に基づくと、これはヨーロッパ全域の14000年前頃以後の狩猟採集民人口集団間の表現型の違いを示唆しているかもしれず、オーバーカッセルクラスタの個体群が恐らくはより濃い色の肌とより明るい色の目を示すのに対して、シデルキノクラスタの個体群は恐らく、より明るい色の肌とより濃い色の目のを示します。


●考察とまとめ

 この研究で生成されたデータにより、ユーラシア狩猟採集民のゲノム変容とユーラシア狩猟採集民間の相互作用の調査が高解像度で可能となりました(拡張図9)。本論文は、上部旧石器時代から新石器時代へと3万年にわたる期間の狩猟採集民人口集団のゲノムの歴史に、5点の新たな洞察を提供します。以下は本論文の拡張図9です。
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 第一に、ヨーロッパ全域のグラヴェティアンと関連する個体群は生物学的に均質な人口集団だった、と示されます。しかし文化的には、武器や一部の動産芸術など、の広範な一般的傾向と、埋葬慣行や石器におけるさまざまな独自性や硬い有機物の素材の道具一式や装飾品など、より地域的な特徴を有する他の側面の両方が見られます。ヨーロッパ中央部の先行するオーリナシアン文化と関連する個体群で見られる祖先系統(ゴイエQ116-1祖先系統)は、ヨーロッパ西部および南西部のグラヴェティアン関連個体群を生み出しました。この派生的祖先系統(フルノル祖先系統)はソリュートレアン関連個体群においてLGMにも、恐らくはフランコ・カンタブリア地域内で存続し、マグダレニアンと関連する後の人口集団につながりました(ゴイエQ2クラスタおよびエル・ミロン遺跡個体)。逆に、3万年前頃以前のヨーロッパ東部の個体群で見られる祖先系統(コステンキクラスタおよびスンギール集団)は、ヨーロッパ中央部および南部のグラヴェティアン関連個体群に寄与し(ヴェストニツェクラスタ)、ヴェストニツェクラスタはそうした地域のLGM後の人口集団では子孫が見られません。

 第二に、続グラヴェティアンと関連する個体群の祖先系統(ヴィッラブルーナクラスタ)は、ヨーロッパおよび近東の狩猟採集民との遺伝的つながりが見つかっており、続グラヴェティアンの前期と後期の間の移行のずっと前に、ヨーロッパ南部に到達しており、恐らくは早ければグラヴェティアンと続グラヴェティアンの移行期となります。この祖先系統を有するさまざまな系統の地理的再構築は、連続的なボトルネック(瓶首効果)を通じての人口減少とともに起きた、イタリア半島への北方から南方へと続いたバルカン半島からイタリア北東部への入口を示唆しています。

 第三に、イベリア半島だけではなくヨーロッパの他地域のマグダレニアン関連個体群も、続グラヴェティアン関連祖先系統(ヴィッラブルーナクラスタ)を有しています。先行するバデゴウリアンと関連するヨーロッパ西部個体群の遺伝的分析は、ゴイエQ2クラスタの形成につながった過程に関する手がかりを提供できるかもしれません。考古学的記録から推測されているように、ヨーロッパ全域のマグダレニアンは南西部から北部と北東部へのLGM後の人口拡大と関連しており、南東部の退避地からの移動とは関連していません。

 第四に本論文は、先行する後期マグダレニアンとのかなりの技術的連続性にも関わらず、フェダーメッサー文化やアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)や他の末期旧石器時代集団など、複数技術複合と関連するヨーロッパ中央部および西部の狩猟採集民における、早ければ14000年前頃となる大規模な遺伝的転換の調査結果を拡張します。さらに、マグダレニアン関連遺伝子プールのほぼ完全な遺伝的置換は、ヨーロッパの一部がボーリング・アレロード温暖期とともに14700年前頃にはじまった急激な気候変動期に異なって居住された、という仮説を提起します。これは、ヨーロッパ西部の大半にわたるオーバーカッセルクラスタの遺伝的均一性を説明できるかもしれませんが、この転換の正確な動態の理解には、15000~14000年前頃のゲノムデータが必要です。

 第五にヨーロッパ西部および中央部のオーバーカッセル祖先系統とヨーロッパ東部のシデルキノ祖先系統は、多分この地域における土器の拡大とつながっていた、恐らくはバルト海沿いおよびヴォルガ川上流域における7500年前頃の文化的変化と関連している遺伝的相互作用がドイツ北東部で最初に観察された8000年前頃まで、ほぼ6000年間ほとんどが孤立したままでした。

 要するに、この研究では、ヨーロッパ西部および南西部が最終氷期の最寒冷段階においてヒト集団の存続のため気候的退避地として機能したのに対して、イタリア半島とヨーロッパ東部平原の人口集団は遺伝的に置換された、と明らかになり、ヒトの氷期退避地としてのこれらの地域の役割に異議が唱えられます。その後で侵入してくるヴィッラブルーナ祖先系統は、ヨーロッパ全域の最も広範な狩猟採集民祖先系統になりました。バルカン半島の上部旧石器時代個体群のさらなる古ゲノム研究が、ヨーロッパ南東部がヴィッラブルーナ祖先系統の供給源とLGMにおける人口集団の気候的退避地を表しているのかどうか、理解するのに必要でしょう。

 校正での注釈:関連論文は、イベリア半島南部の23000年前頃のソリュートレアン関連1個体のゲノム規模データを記載しており、これはヨーロッパ南西部におけるLGM全体の遺伝的連続性の証拠を拡張します【この論文は後日当ブログで取り上げる予定です】。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


ゲノミクス:古代ヨーロッパ人の移動経路を明らかにする

 古代ヨーロッパ人のゲノムデータの解析によって古代ヨーロッパ人の詳細な移動経路が明らかになった。この研究知見は、後期旧石器時代から新石器時代までの人類集団の運命とゲノム史を解明する手掛かりとなる。こうした知見を報告する2編の論文が、今週、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。

 現生人類は、約4万5000年前にヨーロッパに到達し、最終氷期極大期(2万5000年~1万9000年前)を含む困難な時代を狩猟採集民として過ごした。考古学者は、後に発掘された遺物からこの時代に出現した数々の独自文化に関する知識を得たが、ヒトの化石がほとんど見つかっていないため、人類集団の移動経路や交流についてはほとんど分かっていない。

 Natureに掲載されるCosimo Posthたちの論文では、古代の狩猟採集民(356個体)のゲノムを解析した研究が報告されている。このゲノムデータには、3万5000年前から5000年前までの西ユーラシアと中央ユーラシアの14カ国の116個体のゲノムデータが新たに加わっている。その結果、西ヨーロッパのグラベット文化に関連した個体が有していた祖先系統が同定され、この祖先系統を有する南西ヨーロッパの人類集団が最終氷期極大期を生き延び、マドレーヌ文化の拡大に伴って北東方向に移住したことが判明した。一方、南ヨーロッパでは、エピグラベット文化に関連する祖先系統が、おそらくバルカン半島からイタリア半島に移住してきたため、最終氷期極大期に局地的な人類集団の入れ替えが起こり、その後、エピグラベット文化に関連した個体に近縁な祖先系統が約1万4000年前からヨーロッパ中に広がり、マドレーヌ文化に関連する遺伝子プールとほぼ入れ替わったことが明らかになった。

 この研究は、最終氷期極大期の末期におけるマドレーヌ文化の起源と拡大に関する長年の考古学上の論争を解決するために役立つとともに、考古学的文化の中には、混合に応じて出現したと考えられるものや環境の変化に関連して出現した可能性の高いものがあり、遺伝的入れ替えを伴うものと伴わないものがあったことを示唆している。

 これとは別に、Nature Ecology & Evolutionに掲載されるVanessa Villalba-Moucoたちの論文には、スペイン南部で収集された16個体の全ゲノムデータ(2万3000年前のソリュートレ文化に関連したCueva del Malalmuerzoの男性のゲノムデータを含む)が報告されている。そして、この男性の遺伝的祖先系統が初期のオーリニャック文化に関連した祖先系統と最終氷期極大期以降のマドレーヌ文化に関連した祖先系統を結びつけるものだったことが明らかになった。このスペイン南部での遺伝的連続性シナリオは、Posthたちの論文に記述されたイタリアにおける最終氷期極大期の前後の遺伝的不連続性と対照をなしており、人類が最終氷期の極端な気候を生き抜いていた頃の南ヨーロッパのレフュジア(避難地)の人口動態に違いがあったことを示唆している。


分子考古学:後期旧石器時代から新石器時代のヨーロッパの狩猟採集民についての古代ゲノミクス

分子考古学:古代ゲノムから石器時代のヨーロッパのヒト集団を知る

 今回、ヨーロッパ全域の後期旧石器時代および中石器時代の狩猟採集民116人の古代ゲノムデータが報告され、この時代ヨーロッパに居住していた

15 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/03/26 (Sun) 08:30:41

今回、ヨーロッパ全域の後期旧石器時代および中石器時代の狩猟採集民116人の古代ゲノムデータが報告され、この時代ヨーロッパに居住していたヒト集団についての独特な新しい手掛かりが得られた。


参考文献:
Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0


追記(2023年3月7日)
 上述の関連論文を当ブログで取り上げました

2023年03月07日
イベリア半島南部の上部旧石器時代個体のゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_7.html

https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_3.html

16 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/03/26 (Sun) 08:31:46

雑記帳
2023年03月26日
新石器時代ヨーロッパの農耕民における狩猟採集民との混合による選択の促進
https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_26.html

 新石器時代ヨーロッパの農耕民における選択についての研究(Davy et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパは古代人のゲノム研究が最も進んでいる地域で(関連記事)、先史時代からの選択の経時的過程を古代ゲノムデータで直接的に詳しく観測できます。最近ではヨーロッパの上部旧石器時代~新石器時代の狩猟採集民の大規模なゲノムデータが報告されており(関連記事)、旧石器時代から中石器時代を経て新石器時代にかけての人類集団の遺伝的構成の変容や選択の具体的過程について、今後さらに詳しく明らかになっていくのではないか、と期待されます。


●要約

 古代DNAは、文化的革新と関連する地理的拡大期のヒト先史時代における混合の複数事象を明らかにしてきました。重要な一例は近東からヨーロッパへの新石器時代農耕集団の拡大と、その後の中石器時代狩猟採集民との混合です。この期間の古代ゲノムは、選択が作用した新たな遺伝的変異を提示する混合の役割についての研究と、狩猟採集民からの遺伝子移入に抵抗し、したがって農耕適応に寄与したかもしれないゲノム領域の同定に機会を提供します。

 本論文は、中石器時代から新石器時代にまたがるヨーロッパの677個体のゲノム規模DNAを用いて、混合個体群のゲノムにおける祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の偏差を推測し、ゲノム規模帰無分布からの偏差の検定により混合後の自然選択について検証します。その結果、色素沈着関連遺伝子SLC24A5周辺の領域はゲノムにおいて新石器時代在来祖先系統の最大の過剰出現を示す、と分かりました。

 対照的に、主要組織適合複合体(major histocompatibility complex、略してMHC)全域での中石器時代祖先系統の最大の過剰出現が見つかりました。MHCは主要な免疫遺伝子座で、混合後の選択を示唆するアレル(対立遺伝子)頻度偏差も示します。これは、新石器時代人口集団に一般的なMHCアレルでの負の頻度依存選択か、中石器時代アレルが正の選択を受け、病原体もしくは他の環境要因への新石器時代人口集団における適応を促進した、ということを反映しているかもしれません。この研究は、石器時代の選択圧へのより最近の人口集団における適応の対象として免疫機能と色素沈着を強調する、以前の結果を拡張します。


●分析結果と考察

 完新世人口集団間の混合は遍在している、という古代DNA研究の証拠にも関わらず、混合が移行期に作用する自然選択について変異をどのようにもたらしたのか、あまり知られていません。完新世の混合は劇的な移住もしくは生活様式の変化と関連していることが多いことを考えると、適応的遺伝子移入の重要な役割を予測できます。おそらく、古代の混合の最も深く研究された事例は、ヨーロッパにおける中石器時代から新石器時代への移行です。前期新石器時代集団は10000~5000年前頃にアナトリア半島からヨーロッパ全域に拡大するにつれて、在来の中石器時代狩猟採集民と混合し、6000年前頃までにこれら在来集団からその祖先系統の20~30%が由来することになりました(関連記事)。したがって、混合した新石器時代祖先系統は新たな文化的および地理的景観にあり、人口密度と家畜動物への近さのため感染症負荷が増加した、と仮定されました。

 ヨーロッパ新石器時代における自然選択に関する先行研究は、他の古代および現代の人口集団とアレル頻度もしくはハプロタイプ構造を比較してきました(関連記事)。しかしこれまで、混合形態の適応がヒトにおいて繰り返し観察されてきた事実にも関わらず、適応的混合を特定し用途の具体的試みはありませんでした。最近の研究は2つの最適手法を特定し、アレル頻度と在来祖先系統に基づいて、現在の人口集団から得られたデータで適応的混合を検出しました。本論文は、これら2つの手法を新たな枠組みで古代の人口集団に適合させ、ゲノム規模帰無分布からp値を得て、中石器時代と前期および中期新石器時代(混合新石器時代個体群)677個体における適応的混合を調べます。

 過去15000年間のヨーロッパとアナトリア半島のゲノム規模古代DNAデータで個体群をクラスタ化し(まとめ)、3集団のうちの1集団に分類しました。それは、中石器時代および旧石器時代の狩猟採集民125個体、実質的な狩猟採集民との混合の証拠のないアナトリア半島とバルカン半島の前期新石器時代55個体、かなりの中石器時代狩猟採集民との混合のあるその後の新石器時代個体むです。本論文の分析は合計で677個体から構成され、地理的にはユーラシア西部全域、年代は7500年間にまたがります(図1A・B)。以下は本論文の図1です。
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 まず、混合を認識しなかった自然選択を見つける手法が用いられ、人口集団間の2乗したアレル頻度、つまりf2統計として、増加する分化が検索されました。各一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)とそれぞれの側でSNPに隣接する25のSNPで平均が計算され(つまり、51塩基対スライディングウィンドウにおいて)、ガンマ分布を少なくとも500万塩基対で分;される、532のほぼ独立した遺伝子座の帰無標本へと適合させることにより、p値が得られました。

 中石器時代~新石器時代もしくは中石器時代狩猟採集民と混合した新石器時代人の対比では統計的に有意な外れ値は観察されず、これは、こうした集団間の比較的深い分岐に起因する可能性が高そうです。つまり、自然選択により分化している遺伝子座の兆候を隠す遺伝的浮動から生じたアレル頻度の分散です。しかし、新石器時代混合と新石器時代の対比では、HLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)-DQB1遺伝子型に集中している6番染色体上のMHC領域全体で、ひじょうに顕著な過剰分化が観察されます。これは新石器時代および混合新石器時代集団のデータに網羅されている期間のMHCにおける自然選択を示唆しますが、この分析はそれが適応的な中石器時代の混合に起因するかもしれないのかどうか、処理しません。

 適応的混合を探すため、先行研究に基づくとうけいが適用されました。これはFadmと呼ばれており、寄与している祖先系統のゲノム規模平均混合割合を考慮して予測されるアレル頻度から得た偏差について検証します。HLA-DQB1に集中した、MHC全体の過剰な兆候が再度観察されます(図2A)。この調査結果が120万SNPパネルにおける確証の偏りにより駆動されていないことを確認するため、中石器時代65個体、新石器時代25個体、混合新石器時代83個体から得た合計173個体の全ゲノムショットガン配列におけるMHC領域が分析され、クラス2MHC領域全体に伸びる部位統計と要約統計両方における124万SNPの結果と一致する最高点が観察されました(図2C)。以下は本論文の図2です。
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 次に、ゲノム全体の局所的祖先系統の偏差(local ancestry deviation、略してLAD)の検索、混合の方向性の定量化が試みられました。混合した中期新石器時代537個体において、ancestryHMMを用いて、ゲノム規模SNPデータで局所的祖先系統が推測されました。ancestryHMM は、2人口集団からのアレル頻度を使用しての低網羅率ゲノムにおける局所的祖先系統を推定します。少なくとも500万塩基対により分離された555ヶ所の部位で構成されるゲノム規模分布のほぼ独立した二次標本を用いて、LADについて標準誤差とZ得点が計算されました。

 新石器時代祖先系統の最大の過剰はSLC24A5に集中しており(図2D)、その最高は+17.82%です。新石器時代祖先系統の背景で見られる派生的なSLC24Aのアレルは、現在のユーラシア西部祖先系統人口集団において明るい肌の色素沈着に最も寄与している2つのアレルのうちの1つです。新石器時代の祖先背景で担われている派生的なSLC24A5対立遺伝子は、現在の西ユーラシア祖先集団【47】の明るい皮膚色素に最も寄与する2つの対立遺伝子のうちの1つである。このアレルは以前には、新石器時代人口集団においては比較的高頻度で、中石器時代狩猟採集民には存在しない、と示されてきており、本論文の結果から、選択がその後の混合新石器時代集団においてこの遺伝子座における狩猟採集民祖先系統を除去した、と示されます。

 一方、新石器時代祖先系統の最低量は6番染色体上のMHC領域で見られます。この遺伝子座内では、中期新石器時代祖先系統の領域がHLA-Eに集中しており、最高の過剰は+23.1%となり、それに次ぐ高さ(+17.18%)の過剰はクラス2領域に集中しています。この中期新石器時代祖先系統の増加領域は連続した領域として続いており、全MHC(6番染色体の部位では28477797~33448354の間)では祖先系統の平均が+9.16%になります。HLA遺伝子座におけるLAD分析の偏りは、より高い多様性の供給源祖先系統の方向性で予測される、と提案されてきており、本論文での観察とは異なります。

 ヒト参照ゲノムでもancestryHMMが実行され、偏ったマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)との仮説が検証されましたが、参照ゲノムはこの遺伝子座において新石器時代と中石器時代両方の祖先系統を有すると推測され根、と分かりました。ancestryHMMと他の局所的祖先系統手法は、古代人の遺伝的データでは広く用いられておらず、これらのデータの特定の特性には敏感かもしれません。しかし、LADの結果はFadmの結果とほぼ一致し、この手法が堅牢であることを示唆します。

 適応的混合は小さな効果で複数の多様体に作用し、ゲノム全体に広がった可能性もあります。そうした多遺伝子選択の証拠を検証するため、ほぼ独立していると希薄されたゲノム規模の有意なSNPを用いて、イギリス王国生物銀行(United Kingdom BioBank、略してUKBB)の38の形質について、LADと含まれた局所的祖先系統効果規模ピアソン相関が計算されました(図3A)。肌の色における形質得点とLADとの間で相関の有意な証拠が見られ、SLC24A5周辺における適応的混合と一致します。じっさい、この兆候は単に2つの遺伝子座によってのみ駆動され、中石器時代祖先系統に向かって偏っているHERC2遺伝子の多様体は、SLC24A5遺伝子とともに肌の色素沈着のより明るい水準に寄与します。これら2つの遺伝子座がなければ、多遺伝子選択の有意な証拠はありません。腰の大きさについて、より弱いものの有意な相関が観察されます(図3A)。以下は本論文の図3です。
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 新石器時代への移行は、人口動態と分化と食性における劇的な変化と、新たな病原体への曝露および人畜共通感染症の可能性増加をもたらしました。混合新石器時代個体群では、色素沈着遺伝子座SLC24A5における過剰な新石器時代農耕民祖先系統と、MHC免疫遺伝子座における過剰な中石器時代祖先系統が見つかりました。先行研究も、ヨーロッパの人口集団のSLC24A5における自然選択の証拠を見つけ、そのアレルはアナトリア半島農耕民でほぼ固定されており、新石器時代にヨーロッパ西部へともたらされた、と示しましたが、本論文はさらに、中期新石器時代におけるその後の選択は、約300万塩基対を網羅するより広範な遺伝子座全体で、中石器時代祖先系統の除去をもたらすのに充分だった、と論証します。類似しているものの逆の過程で、MHC遺伝子座は以前に、現在のヨーロッパ人の祖先、とくに新石器時代ヨーロッパにおいて選択を受けてきた、と論証されました。本論文では、複数の検定で修正されたMHC遺伝子座における選択についてさらに堅牢な結果が得られ、この過程がとくらMHC遺伝子座において狩猟採集民祖先系統を増加させた、と論証されました。

 SLC24A5とは対照的に、HERCにおける二番目に高い効果の色素沈着多様体は、中石器時代祖先系統の過剰(+10.79%)を示します。したがって、ユーラシア草原地帯からの後の拡大を経由してヨーロッパに到来したSLC45A2における三番目に高い効果の色素沈着多様体とともに、ヨーロッパにおける色素沈着の選択は、3つの主要な祖先人口集団それぞれからの多様体を対象としました。これは、ユーラシア西部の肌の色素沈着の進化における混合の顕著な役割を浮き彫りにしています。この兆候がFadmでのアレル頻度に基づく分析では見られないことは、本論文の新石器時代人口集団間のアレル頻度の小さな絶対的変化に起因する可能性があり、局所的祖先系統が一部の事例では混合人口集団における選択の検出にとってアレル頻度分析より強力である、との最近の論証を確証します。

 MHC遺伝子座全域にわたる中石器時代祖先系統の選択の証拠は、ヨーロッパにおける新石器時代への移行期における免疫での適応促進に果たした役割を浮き彫りにします。一つの仮説は、これは、新石器時代人口集団が、中石器時代時がすでに適応していた病原体を含む環境へと拡大した、という事実を反映している、というものです。これは、新石器時代人口集団における病原体負荷は、増加する人口密度および人畜共通感染症媒介動物への近さにのみ駆動された、との見解に反しています。一方、MHCを含む推定される適応的混合の事例が以前に記載されましたが、この領域内の選択下のアレルと特定の病原体との間の明確な関連は特定されていません。

 別の可能性は、この適応が負の頻度依存選択を反映している、というものです。それは、病原体が人口集団において最も一般的なアレルへ適応し、稀なアレルが有利になるからです。とくに、MHCクラス2遺伝子は、抗原提示タンパク質の結合能力と、この結合およびその後の免疫応答を逃れる病原体の能力との間で、赤の女王的軍拡競争を経ている、と提案されてきました。このモデル下では、特定の病原体により見えないHLAアレルは、希少性のために混合後の最初の適応度が高くなるでしょう。したがって、割合の低い中石器時代祖先系統での選択は、新石器時代人口集団へとより稀な多様体をもたらした混合を単純に反映し、この遺伝子座における多様性を増加させたのかもしれません。これは、人口集団内の免疫を多様化する、クラス2遺伝子における異型接合性の選択としても説明できます。

 この解釈に対する一つの注意点は、広い地域と期間にわたる標本を収集していることで、本論文の結果は、より多くの標本抽出された多様性での地域と期間で、より局所的な分化もしくは自然選択を反映している可能性があります。一方、類似の効果が現在の人口集団で観察されてきたことに要注意です。先行研究では、MHCにおける適応的混合が見つかり、同様に、農耕の西バントゥー諸語話者におけるアフリカ西部熱帯雨林狩猟採集民に由来するより低い割合の混合祖先系統について、50%程の在来祖先系統が報告されています(関連記事)。

 HLAは自然選択の対象になることが多いようで、上述の過程は排他的ではないことに要注意です。選択の広範な証拠は、過去数千年に焦点を当てた調査と、古代型のヒト【非現生人類ホモ属】からの遺伝子移入の後の両方で検出されてきました。改善された機能的注釈付けとの協同での全ゲノムショットガンデータを含む将来の研究は、この適応的過程にさらなる光を当てるかもしれません。


参考文献:
Davy T. et al.(2023): Hunter-gatherer admixture facilitated natural selection in Neolithic European farmers. Current Biology.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.02.046


https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_26.html

17 名前:保守や右翼には馬鹿しかいない

2023/04/26 (Wed) 09:25:57

雑記帳
2023年04月26日
『イヴの七人の娘たち』の想い出とその後の研究の進展
https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html

 2001年に刊行されたブライアン・サイクス(Bryan Clifford Sykes)氏の著書『イヴの七人の娘たち』は、このような一般向けの科学啓蒙書としては異例なほど世界的に売れたようで、私も購入して読みました(Sykes.,2001)。近年時々、『イヴの七人の娘たち』は日本でも一般向けの科学啓蒙書としてはかなり売れたようではあるものの、今となってはその見解はとてもそのまま通用しない、と考えることがあり、最近になって、そういえば著者のサイクス氏は今どうしているのだろう、と思って調べたところ、ウィキペディアのサイクス氏の記事によると、2020年12月10日に73歳で亡くなったそうです。まだ一般向けの啓蒙書を執筆しても不思議ではない年齢だけに、驚きました。

 『イヴの七人の娘たち』などで提示されているサイクス氏の見解が今ではとても通用しないことはウィキペディアのサイクス氏の記事でも指摘されており、イギリス人の起源に関するサイクス氏の理論の多くはほぼ無効になった、とあります。もちろん、同書のミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する基本的な解説の多くは今でも有効でしょうし、20世紀の研究史の解説は今でも有益だと思います。本書により、初期のDNA解析による人類進化研究の様相を、研究者間の人間関係とともに知ることができ、この点で読み物としても面白くなっています。

 ただ、同書の主張の、現代ヨーロッパ人の遺伝子プールの母体を作り上げたのは旧石器時代の狩人で、新石器時代の農民の現代ヨーロッパ人への遺伝的寄与は1/5程度だった、との見解は今では無効になった、と確かに言えそうで、ヨーロッパのほとんどにおいて、狩猟採集民の遺伝的構成要素は新石器時代の拡大の結果としてヨーロッパ初期農耕民的な遺伝的構成要素にほぼ置換されました(Olalde, and Posth., 2020、関連記事)。ただ、新石器時代のヨーロッパにおいて、アナトリア半島起源の農耕民と在来の狩猟採集民が混合していったことも確かで、またその混合割合については時空間的にかなりの違いがあったようです(Arzelier et al., 2022、関連記事)。

 また、現代ヨーロッパ人の形成に、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と新石器時代にヨーロッパへ到来した農耕民だけではなく、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯からヨーロッパへ到来した集団も強い影響を及ぼした、と指摘した2015年の画期的研究(Haak et al., 2015、関連記事)で、現代ヨーロッパ人の核ゲノムに占める旧石器時代狩猟採集民の割合がかなり低い、と示されていました(Haak et al., 2015図3)。以下はHaak et al., 2015の図3です。
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 もっとも、『イヴの七人の娘たち』が根拠としたのはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)で、これは時代的制約からも当然であり、サイクス氏の怠慢ではありません。ただ、そのmtHgについても、ヨーロッパ中央部では旧石器時代人のmtHgは現代人に20%程度しか継承されていない、と2013年の時点で推測されていました(Brandt et al., 2013)。以下は、後期中石器時代から現代までのヨーロッパ中央部のmtHg頻度の推移を示したBrandt et al., 2013の図3です。
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 このように、『イヴの七人の娘たち』の見解が大きく間違っていたのは、当時はまだmtDNAでも解析された古代人の数は少なく、同書がほぼ現代人のmtDNAハプログループ(mtHg)の分布頻度と推定分岐年代に依拠していたからです。やはり、現代人のmtDNA解析から古代人の分布や遺伝子構成を推測することは危険で、古代DNA研究の裏づけが必要になる、と改めて思います(Schlebusch et al., 2021、関連記事)。もっとも、古代DNA研究がこれだけ進展した現在では、現代人のmtDNA解析結果だけで古代人の分布や遺伝子構成を推測する研究者はほぼ皆無だとは思いますが。

 さらに、ヨーロッパ中央部については、mtDNA解析から、初期農耕民は在来の採集狩猟民の子孫ではなく移住者だった、との見解がすでに2009年の時点で提示されていましたが(Bramanti et al., 2009、関連記事)、私は間抜けなことに、『イヴの七人の娘たち』を根拠に、現代ヨーロッパ人と旧石器時代のヨーロッパ人との遺伝的連続性を指摘する論者との議論が注目される、と述べてしまいました。当時の私の主要な関心は現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属との相互作用と、現生人類が多少の遺伝的影響を受けつつも非現生人類ホモ属をほぼ完全に置換した理由で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はなく(関連記事)、ネアンデルタール人滅亡後のヨーロッパの人類史について最新の研究を追いかけようという意欲が低かったので、この程度の認識でした。

 さらにBramanti et al., 2009を取り上げた『ナショナルジオグラフィック』の記事では、移住者と考えられる初期農耕民と先住の採集狩猟民だけでは現代ヨーロッパ人の遺伝的構成は説明できない、とも指摘されています。これは上記の、現代ヨーロッパ人の形成に、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と新石器時代にヨーロッパへ到来した農耕民だけではなく、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯から到来した集団も関わっていたことを報告した2015年の画期的研究とも通ずるたいへん示唆的な指摘で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はなかった当時の私でも、一応はブログで言及したくらいですが、その意味するところを深く考えていませんでした。見識と能力と関心が欠如していると、重要な示唆でも見逃したり受け流したりしてしまうものだ、と自戒せねばなりません。

 また上記のサイクス氏のウィキペディアの記事によると、サイクス氏は2006年に刊行された著書で、イングランドにおけるアングロ・サクソン人の遺伝的寄与はイングランド南部でさえ20%未満だった、と推測したそうです。ただ、昨年(2022年)の研究(Gretzinger et al., 2022、関連記事)では、確かにイングランド南部ではヨーロッパ大陸部からの外来の遺伝的影響は低めであるものの、中央部および東部では高く、全体的には平均76±2%に達するので、アングロ・サクソン時代にはヨーロッパ大陸部からの人類の移住は多かった、と推測されました。その後イングランドでは、さらなる外来からの遺伝的影響があり、アングロ・サクソン時代の外来の遺伝的影響は低下したものの、イングランドの現代人の遺伝的構成は、イングランド後期鉄器時代集団的構成要素が11~57%、アングロ・サクソン時代の外来集団的構成要素が25~47%、フランス鉄器時代集団的構成要素が14~43%でモデル化できる、と指摘されています。

 さらに言えば、イングランドでは、新石器時代の農耕民の遺伝的構成要素はアナトリア半島起源の初期農耕民(80%)と中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民(20%)でモデル化でき、銅器時代~青銅器時代にかけて大規模な遺伝的置換があり(約90%が外来要素)、中期~後期青銅器時代にも大規模な移住があり、鉄器時代のイングランドとウェールズではその遺伝的影響が半分程度に達した、と推測されています(Patterson et al., 2022、関連記事)。このように、イングランドの人類集団では中石器時代以降、何度か置換に近いような遺伝的構成の変化があり、とても旧石器時代から現代までの人類集団の遺伝的連続性を主張できません。

 ヨーロッパでは旧石器時代の人類のDNA解析も進んでおり、最近の研究(Posth et al., 2023、関連記事)からは、旧石器時代のヨーロッパにおいて人類集団の完全に近いような遺伝的置換がたびたび起きていた、と示唆されます。以前にまとめましたが(関連記事)、現生人類がアフリカから世界中に拡散した後で、絶滅も含めて置換は頻繁に起きていたと考えられるので、特定の地域における1万年以上前にわたる人類集団の遺伝的連続性を安易に前提としてはならない、と思います。そのまとめ記事でも述べましたが、これはネアンデルタール人など非現生人類ホモ属にも当てはまり、絶滅や置換は珍しくなかったようです。


参考文献:
Arzelier A. et al.(2022): Neolithic genomic data from southern France showcase intensified interactions with hunter-gatherer communities. iScience, 25, 11, 105387.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.105387
関連記事

Bramanti B. et al.(2009): Genetic Discontinuity Between Local Hunter-Gatherers and Central Europe’s First Farmers. Science, 326, 5949, 137-140.
https://doi.org/10.1126/science.1176869
関連記事

Brandt G. et al.(2013): Ancient DNA Reveals Key Stages in the Formation of Central European Mitochondrial Genetic Diversity. Science, 342, 6155, 257-261.
https://doi.org/10.1126/science.1241844

Gretzinger J. et al.(2022): The Anglo-Saxon migration and the formation of the early English gene pool. Nature, 610, 7930, 112–119.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05247-2
関連記事

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事

Olalde l, and Posth C.(2020): African population history: an ancient DNA perspective. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 36-43.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.05.021
関連記事

Patterson N. et al.(2022): Large-scale migration into Britain during the Middle to Late Bronze Age. Nature, 601, 7894, 588–594.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04287-4
関連記事

Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事

Schlebusch CM. et al.(2021): Human origins in Southern African palaeo-wetlands? Strong claims from weak evidence. Journal of Archaeological Science, 130, 105374.
https://doi.org/10.1016/j.jas.2021.105374
関連記事

Sykes B.著(2001)、大野晶子訳『イヴの七人の娘たち』(ソニー・マガジンズ社、原書の刊行は2001年)

https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html

18 名前:777

2023/11/12 (Sun) 07:20:29

山下英次 _ ヨーロッパ文明の源流はイタリア・ルネッサンス
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16824968

19 名前:777

2023/12/11 (Mon) 14:29:59

ヨーロッパ人と東アジア人は同一集団の子孫~2022年の研究で明らかになったアフリカ人、東西ユーラシア人の分岐と人種の成立過程~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
2023/02/18
https://www.youtube.com/watch?v=pzLQVY-xOmQ&t=120s

古代の化石に残るDNAを解析する技術の進展により、 化石の形態では分からなかったホモ・サピエンスの進化の過程が明らかになってきました。
アウストラロピテクス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・アンテセソール(ホモ・アンテセッサー)、ネアンデルタール人、デニソワ人などの絶滅人類とホモ・サピエンスとの関係についても従来の説が次々と塗り替えられています。
今回はホモ・サピエンスの進化と人種の形成過程について最新の研究を交え解説していきます。

人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
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交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史
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20 名前:777

2023/12/11 (Mon) 14:30:13

ヨーロッパ人と東アジア人は同一集団の子孫~2022年の研究で明らかになったアフリカ人、東西ユーラシア人の分岐と人種の成立過程~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
2023/02/18
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古代の化石に残るDNAを解析する技術の進展により、 化石の形態では分からなかったホモ・サピエンスの進化の過程が明らかになってきました。
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21 名前:777

2024/06/28 (Fri) 15:40:48

雑記帳
2024年06月23日
後期新石器時代ヨーロッパ人類集団における遺伝的構成の大きな変容
https://sicambre.seesaa.net/article/202406article_23.html

 後期新石器時代ヨーロッパ人類集団における遺伝的構成の大きな変容を報告した研究(Parasayan et al., 2024)が公表されました。後期新石器時代のヨーロッパにおいては、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)を中心にヨーロッパ草原地帯からの大規模な人口移動により、人類集団の遺伝的構成が大きく変容しました(Allentoft et al., 2024A)。本論文はその具体的過程を詳細に解明し、それは考古学的には、縄目文土器文化(Corded Ware Culture、略してCWC)や鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、略してBBC)と関連しています。今後は、日本列島も含めてアジア東部においても、完新世における人類集団の遺伝的構成の変容が時系列で詳細に位置づけられるよう、期待しています。


●要約

 紀元前三千年紀は、現在のヨーロッパ人のゲノムにおける祖先系統パターンを形成した、ポントス・カスピ海草原からの移動と関連する、ヨーロッパにおける顕著な文化とゲノムの変容の重要な期間でした。本論文は、フランスのパリ盆地における、紀元前2500年頃の集団埋葬の7個体と紀元前2300年頃の鐘状ビーカー文化の1個体のハプロタイプ位相化を含めて、高解像度の全ゲノム分析を実行しました。この集団埋葬は、フランスにおける草原地帯祖先系統の同時の到来を明らかにしました。本論文は、親族のゲノムを通じて、標本抽出されていない1個体のゲノムを再構築し、これにより、後期新石器時代ヨーロッパにおける、初期段階の混合パターンと動態と草原地帯祖先系統の拡散に光を当てることが可能になりました。本論文は、紀元前3000/2900年頃と紀元前2600年頃における2回の主要な新石器時代/草原地帯関連祖先系統の混合の波を特定しました。これらの波は、縄目文土器および鐘状ビーカー文化複合体との顕著なつながりを有する、さまざまな人口拡大の動態を示唆しています。



●研究史

 過去の人口移動とそれに続く移動してきた人口集団と在来の人口集団との間の混合は、子孫のゲノムに痕跡を残す、と示されてきました(Fu et al., 2015、Fu et al., 2016)。完新世ヨーロッパでは2回の主要な人口変容が起き、両者ともに顕著な文化的移行および子孫人口集団のゲノム組成変化を含んでいまする最初の変容はヨーロッパへの新石器時代文化の導入と関連しており、狩猟および採集から農耕民および畜産への根本的な生活様式の変化につながりました。この過程はヨーロッパ南東部において紀元前6500年頃に始まり、他地域での農耕拡大には約2000年間を要しました。それに伴うゲノムの変容は、アナトリア半島西部および/もしくはエーゲ海の人口集団の子孫である移住してきた新石器時代農耕民と中石器時代狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)との間の混合の結果でした(Haak et al., 2015、Lazaridis et al., 2016、Lipson et al., 2017、Mathieson et al., 2018、Brunel et al., 2020、Rivollat et al., 2020)。

 ヨーロッパにおける第二の変容は、約600年と比較的短い期間での、ヨーロッパ後期新石器時代社会における顕著な社会的および経済的変化と関連していました。この社会的変容は、まずCWC、その後でBBC、最終的には青銅器時代の状況において埋葬からのゲノム証拠により証明されているように(Haak et al., 2015、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021)、ポントス・カスピ海草原牧畜民の西方への移動、および在来の後期新石器時代人口集団との混合と関連していました。しかし、人口変容の詳細な過程は、ヨーロッパのどこでもまだ充分には解明されていません。本論文は以下の段落で、ヨーロッパにおける紀元前三千年紀の変容過程と関わる社会の主要な特徴を浮き彫りにし、まずは考古学、次に古ゲノムの観点からヨーロッパ西部に焦点を当てます。

 紀元前四千年紀末に、ヨーロッパの中期新石器時代文化は多様化し、さまざまな葬儀慣行のある文化の寄せ集めへと地域化し、最も著名なもののみを挙げると、西部ではフランス後期新石器時代(Néolithique récent)のさまざまな表現、北部では紀元前4300~紀元前2800年頃となる漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRBもしくはFBC)、中央部~東部では紀元前3600~紀元前2900年頃となるハンガリーのバーデン(Baden)文化や紀元前3200~紀元前2600年頃となる球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)、南東部では銅器時代の紀元前4500~紀元前4000年頃となるグメルニタ・コヅァダーメン・カラノヴォ(Gumelnița–Kodžadermen-Karanovo)複合体や紀元前5500~紀元前2750年頃となる金石併用時代のククテニ・トリピリャ(Cucuteni-Trypillia)複合体です。

 紀元前四千年紀末以降、ヨーロッパの中央部と東部における地域間の移動性の顕著な増加の証拠があり、「地域横断的」共同体が形成されました。犂や車輪や荷馬車を用いての動物の牽引など新たな文化的要素が、ヨーロッパの東部と中央部で広がっていきました。しかし、ヨーロッパの北部と西部では、集団間の競争激化にも関わらず、この期間は文化的に安定していたようです。葬儀の証拠は、巨石建築であることが多い記念碑における、副葬品(土器や斧や装飾品)を伴うさまざまな数の死体の連続的堆積を伴う集団墓により占められています。紀元前3600~紀元前2900年頃の間のパリ盆地では、回廊墓と地下室が建設され、その一部は後期新石器時代まで使用されていました。

 この状況は、顕著な変容が次の世紀にヨーロッパの大半に影響を及ぼした、千年紀の転換期に変わりました。この変容の始まりは、GACと関連するヨーロッパ中央部および東部の遺跡(紀元前3400~紀元前2800年頃)で記録されています。紀元前3100~紀元前2450年頃の帰還の新石器時代ヨーロッパにおける3回の連続した広範な文化的拡大の豊富な考古学的証拠があり、それは、(1)農耕牧畜経済と単一の性別(ジェンダー)固有の土坑墓や古墳(クルガン/ヤムナ)と冶金と装飾された容器と戦斧を伴う、カルパチア山脈とウラル山脈との間のポントス・カスピ海草原からの遊牧文化と、(2)これら草原地帯の文化の構成要素を取り入れたヨーロッパ中央部および北部におけるCWCと、(3)BBCです。

 CWCの出現および拡大と関連している変容過程の根源は、ヨーロッパ東部草原地帯にあります。紀元前五千年紀後半には、草原地帯共同体の範囲は草原森林地帯へと広がり、西方では紀元前四千年紀の始まりにはククテニ・トリピリャ共同体と、東方ではコーカサス北部のマイコープ(Maykop)文化共同体(紀元前3700~紀元前3000年頃)とつながりました(Immel et al., 2020)。紀元前四千年紀末には、ドニエストル・ドニエプル(Dniester-Dnieper)地域に始まり、この草原地帯由来の文化複合はヨーロッパの東部および中央部(現在のポーランドとハンガリーとボヘミアとドイツ)へと拡大しました。単一墓埋葬慣行はヨーロッパの東部と中央部におけるヤムナヤ(Yamnaya)文化、およびGACやバーデンやククテニ・トリピリャ文化などカルパチア山脈周辺の紀元前四千年紀金石併用時代伝統など、共同体間の遭遇を通じてもたらされました。さらに新たな土器様式がポーランド南部および南東部(Lesser Poland)とドニエストル川流域に出現し、ヤムナヤ文化とGAC両方の要素のある縄目文土器です。その後、CWCは断片的にさらに北方へと拡大して紀元前29世紀にバルト海に到達し、それは紀元前24世紀まで続き、最終的にはロシア西部からオランダ、スイスからノルウェーまでの地域を網羅しました。

 CWCは文化的特色における強い地域的違いにより特徴づけられますが、おもに、排他的ではないものの、性別(ジェンダー)固有の埋葬位置の単葬墳における、縄目装飾土器のビーカーや特別な石斧や指揮棒頭(戦斧)共有要素があります。CWCには多くの「慣行の共同体」が含まれ、他の文化集団と共存していました。単葬墳および短剣や戦斧など武器と考えられている副葬品の関連は、社会階層化や個人の富と地位の拡大や制度化された戦士身分や男性優先の顕著な性別(ジェンダー)役割、したがって草原地帯の人々に影響受けた観念形態(イデオロギー)の出現の兆候と解釈されてきました。紀元前2600年頃に、全体的な装飾(All-Over-Ornamented、略してAOO)およびその下位群である全体的な縄目文(All-Over-Corded、略してAOC)ビーカー、つまりCWビーカーの特定の種類がライン川とマース川の三角州の単葬墳に出現し、パリ盆地起源のプレッシニアン(Pressignian)燧石製短剣と関連していることが多くなっています。フランスの北部と西中部では、AOC/AOOビーカーのある個々の墓が、既存の新石器時代の燧石交換網に沿っての急速な北方から南方への「飛び越え」を裏づけています。紀元前2857~紀元前2488年頃のブリニクール(Blignicourt)および紀元前2574~紀元前2452年頃のシリー=サルソーニュ(Ciry-Salsogne、La Bouche à Vesle)のAOC埋葬は、ヨーロッパの北部と西部南方をつなぐ、ヨーロッパ西部における広範な交換網を示唆する、AOC土器と大プレッシニー(Grand Pressigny)燧石製小刀を含む、フランス北部および東部全域の小さな一連の埋葬に属します。

 第三の現象であるBBCは、地域固有の年代順で紀元前三千年紀後半を網羅し、時空間的にはCWCおよびヨーロッパ西部のAOO/AOC複合体と重複しています。その初期段階では、BBCは墓もしくは埋葬慣行の典型的形態により特徴づけられていませんでした。むしろ、BBCの人工遺物は既存の埋葬状況で発見され、大西洋沿岸からヨーロッパ東部中央および地中海南部にかけての広範な地域全体で島嶼部に集中して散在していました。その後、この現象は一貫した考古学的文化へと発展し、単葬が優勢でした。この最終的に汎ヨーロッパ的となった現象の収容な文化的表現は、その識別の唯一の信頼できる特徴である特徴的な鐘状土器ビーカーにより特徴づけられ、時空間的に類似性を共有しています。しかし、ビーカーの装飾様式の分類については合意がなく、その分類と解釈の不一致につながっています。

 鐘状ビーカーやしばしば短剣や弓用が備わっている墓は、モロッコからスコットランド、シチリア島からノルウェー北部、デンマークからハンガリーまで、ヨーロッパの西部および中央部の全域で発見されました。鐘状ビーカーの資料は、金属製品と関連してイベリア半島およびヨーロッパ北部において要塞化された集落や、フランスとイタリアの巨石墓と洞窟や、ブリテン諸島において性別(ジェンダー)の違いの有無に関わらず単葬墓や、CWCと重複するヨーロッパ中央部でも発見されました。BBCの起源は依然として議論されていますが、その拡大が文化変容もしくは人口拡散に起因するのかどうか理解したいならば、本論文で扱われるこの問題を検討することが重要です。放射性炭素年代測定は、広い較正範囲をもたらす紀元前三千年紀の放射性炭素の平坦域のため、年代を解決できませんでした。

 それにも関わらず、オランダ起源よりもイベリア半島起源を示すより多くの考古学的証拠があり、海洋鐘状ビーカー(Maritime Bell Beakers、略してMBB)がBBC系列の開始を示す、という合意があります。これらのMBBは大西洋沿岸のタホ(Tagus estuary)川の河口に沿って急速に拡大してライン川を下り、同様に地中海沿岸に沿って急速に拡大してローヌ川・ソーヌ川流域に至り、ライン川上流はヨーロッパ中央部において既知の最大のMBB収集物のある地域です。初期の鐘状ビーカーの慣行は、ヨーロッパの諸大河沿いに飛び地から拡大し、その後でヨーロッパの広範な鐘状ビーカー文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本論文の「civilization」を「文明」と訳します】へと発展し、ヨーロッパの南西部と南部と北部と東部で地理的に異なる4ビーカー集団が存在しました。

 自然環境の境界でCWC地帯の西端であるライン川は、ライン川下流のAOO/AOCビーカー関連慣行とライン川上流のMBB関連慣行が遭遇し、融合して、高い移動率で東方へとさらに拡大した、接触地帯を形成したようです。ヨーロッパ中央部では、BBCは直ちにCWCを置換しなかったものの、領域の区分を通じて共存しました。BBCは最終的に遠くポーランドまでCWCを置換しましたが、牧畜から農耕経済への移行を引き起こしながら、その葬儀慣行を吸収しました。

 これらヨーロッパ全域の紀元前三千年紀の文化的変容は、人口変化を伴っていたようです。古ゲノム解析は短期間での大きなゲノム変化を明らかにしており、現在のロシアのサマラ(Samara)草原地帯からヨーロッパ北西部への人々の移動を示唆し、そのゲノムは草原地帯金石併用時代の混合としてモデル化できます。つまり、ザグロス・コーカサスおよびヨーロッパ東部狩猟採集民(Wang et al., 2019)と、新石器時代初期アナトリア半島農耕民祖先系統で構成されるコーカサス金石併用時代マイコープ祖先系統(Penske et al., 2023)です。バルカン半島とポントス草原地帯北部との間の長期にわたる文化的相互作用は考古学的記録から知られており、物質文化の交換と混合を含んでいました。それは、アナトリア半島新石器時代農耕民(Anatolian Neolithic Farmer、略してANF)および草原地帯祖先系統が紀元前四千年紀のククテニ・トリピリャ農耕共同体で特定されてきたからです(Immel et al., 2020)。

 西方へと移動する草原地帯の人々と、GACなどヨーロッパ東部におけるさまざまな文化的な後期新石器時代の慣行と関連する新石器時代祖先系統(つまり、アナトリア半島北西部起源の新石器時代農耕民とヨーロッパ西部中石器時代HGの祖先系統なので、「新石器時代祖先系統」と呼ばれます)を有する在来の個体群との間で、混合が継続しました(Haak et al., 2015、Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Penske et al., 2023、Brace et al., 2019、Linderholm et al., 2020、Seguin-Orlando et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B)。混合を伴うこの移動は、CWC関連人口集団におけるポントス・カスピ海草原地帯関連祖先系統(以下では「草原地帯祖先系統」と呼ばれます)の東西の勾配につながり、草原地帯祖先系統の割合はさまざまです。

 ヨーロッパ中央部および西部全域での草原地帯祖先系統の拡散と同時に、Y染色体ハプログループ(YHg)では、R1b1a1b(M269)系統の急速な拡大が検出され、これはサマラのヤムナヤ文化個体で見つかった系統、つまりYHg-R1b1a1b1b(Z2103)と類似しています(Haak et al., 2015、Wang et al., 2019、Linderholm et al., 2020)。CWC期においてヨーロッパ北部および東部へと拡大した主要なYHgはR1a1a1(M417)とその派生系統のR1a1a1b(Z465)です(Mathieson et al., 2018)。したがって、紀元前三千年紀の期間におけるY染色体系統は、さまざまな草原地帯人口集団を含む複雑な草原地帯祖先系統の拡散パターンと、紀元前四千年紀にはすでに始まっていたヨーロッパ中央部における複雑な人口動態の両方を示唆しています。

 この複雑さは紀元前2400~紀元前2000年頃の間となるその後のBBC拡大期のボヘミアでも観察され、ボヘミアではYHg-R1b1a1b1a1a(L151)の別の派生系統であるR1b1a1b1a1a2(P312)が草原地帯祖先系統の割合の漸進的な現象と並行して優勢になりました(Papac et al., 2021)。YHg-R1b1a1b1a1aの地理的分布に基づいて先行研究(Papac et al., 2021では、YHg-R1b1a1b1a1a2系統はライン川下流域周辺に起源があり、BBCと関連して拡大したので、ボヘミアへのBBCの拡大はユーラシア西方草原地帯祖先系統集団からの東方への移動と同時だった、と示唆されました。これらのY染色体系統の置換の波は、移動が文化的変化と関連する集団における男性優位パターンの変化を示唆しています。

 ヨーロッパ西部における草原地帯祖先系統の拡大はあまり正確に記録されておらず、それは、遺伝学的に分析された古代の個体群の時空間的分布が断片的で一様ではないからです。データセットがより高密度のため、現在のスイスにおける草原地帯祖先系統の到来時期は紀元前2700年頃(紀元前2860~紀元前2460年頃の間)と推定されており、到来とともに60%程度と急速に増加し、その後の1000年間で25~35%に減少しました(Furtwängler et al., 2020)。標本抽出に偏りがなかったと仮定すると、草原地帯祖先系統はドイツ北部よりもスイスにわずかに早く到来したようで(Haak et al., 2015、Mathieson et al., 2015)、ドイツでの検出はスイスの約100年後です(Furtwängler et al., 2020)。しかし、スイスの全個体が草原地帯祖先系統を有していたわけではなく、到来の1000年後でさえ、対応する痕跡のない個体が依然として存在しました。このパターンは、草原地帯祖先系統の保有者と新石器時代祖先系統の在来の農耕民との間の限定的な混合を示唆しています。

 イベリア半島では、草原地帯祖先系統はその後に到来し、スペイン北部では紀元前2400年頃(Olalde et al., 2019)、スペイン南部では紀元前2200年頃(Villalba-Mouco et al., 2021)に検出されました。イベリア半島では、草原地帯祖先系統の有無に関わらずBBC関連個体群が数百年間ともに暮らしていたものの、最終的には草原地帯祖先系統がすべてのゲノムに浸透しました(Olalde et al., 2018、Olalde et al., 2019、Villalba-Mouco et al., 2021)。草原地帯祖先系統はブリテン諸島に紀元前2450年頃と同様の期間に到来し、この到来はBBCの拡大およびYHg-R1b1a1b1a1a2から派生したR1b1a1b1a1a2c1(L21)の導入と関連しています(Patterson et al., 2022)。

 最初の観察以来、ヨーロッパでの草原地帯祖先系統拡散における男性への偏りが議論となってきました(Goldberg et al., 2017)。検出された性別偏りの感受性と特異性は、用いられた手法とX染色体データの品質および豊富さの両方に依存し、特定の差異が捕獲配列の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)密度およびショットガンゲノムの網羅率と関連づけられました。先行研究(Papac et al., 2021)は、ボヘミアにおける初期CW社会への先CWの人々の女性に偏った同化過程を報告していますが、ドイツのCWC個体群では、男性への性別の偏りが紀元前2600年頃の2個体で検出されたものの、その後の青銅器時代個体群では検出されませんでした(Mittnik et al., 2019)。性別の偏りはスイスでも観察され、紀元前2700~紀元前2000年頃の間の新石器時代祖先系統の増加は女性により起きました(Furtwängler et al., 2020)。エストニアでは、紀元前2800~紀元前2000年頃のCWC期において、草原地帯祖先系統の拡散は男性に偏っていたものの、YHg-R1a1a1b(Z645)を有するヤムナヤ文化個体群とは異なる人口集団が関わっていました。

 文化的変容と結びつけてヨーロッパ西部における草原地帯祖先系統の拡大をより深く理解するためには、フランスにおけるこの現象の明確な視野が必要です。フランスは、ヨーロッパの東部と中央部と極西(ブリテン諸島)の間だけではなく、ヨーロッパの北西部と南西部(イベリア半島)との間の、したがってCWC地帯とBBCの拡大が展開した地域との間の重要な地理的位置を表しています。しかし、フランスにおけるゲノム景観の紀元前三千年紀の変容は、大まかにしか概略されてきませんでした。フランスの南北両方における鐘状ビーカーと青銅器時代状況のほぼ十数個体のゲノムは、約50%(38~68%)かなりの草原地帯祖先系統関連のゲノム割合と、草原地帯関連のYHg-R1b1a1bを有しており、より高い解像度で遺伝子型決定されたほとんどの個体はYHg-R1b1a1b1a1a2に属する男性により特徴づけられています(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018、Seguin-Orlando et al., 2021)。

 上述のAOC埋葬の個体CBV95は、フランス北部のシリー=サルソーニュ(La Bouche à Vesle)で発見され、紀元前2574~紀元前2452年頃の単葬で、かなりのゲノム割合の草原地帯祖先系統とYHg-R1b1a1bの両方を有していましたが、紀元前2562~紀元前2308年頃のBBC集団墓の個体PEI2は、フランス南部のオード(Aude)県のヴィルデュベール(Villedubert)のペイリエレス支石墓(Dolmen des Peirières)で発見され、アルザスのヘーゲンハイム(Hégenheim)で発見された紀元前2832~紀元前2476年頃の個体I1392(Olalde et al., 2018)と類似した実質的な草原地帯祖先系統を有していませんでした(Brunel et al., 2020)。この不均一な状況はイベリア半島でも見られ、イベリア半島では、ごく一部のBBC関連被葬者が草原地帯祖先系統を有しており、草原地帯関連祖先系統を有していない個体群が少なくとも紀元前1950年頃まで存在していました(Olalde et al., 2018、Villalba-Mouco et al., 2021)。

 これらさまざまな一連の証拠から、相互に対峙した多様な遺伝的起源を有しており、地域的に異なる結果の生じた、紀元前三千年紀のヨーロッパ社会の全体像が浮かび上がります。CWCは、おもにGACと関連するヨーロッパ中央部における新石器時代人口集団と、ヨーロッパ東部から移動してきたさまざまな草原地帯の人々との間の遭遇後に出現したようです(Papac et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B)。対照的に、BBCが新石器時代祖先系統を有する在来の人々と、草原地帯祖先系統を有する移民との間の遭遇から生じたのかどうか、あるいは、草原地帯祖先系統の到来前に発展したのかどうか、明確ではありません。初期イベリア半島MBB関連個体のほとんどは、先行する新石器時代人口集団の混合していない子孫である、と分かりました(Olalde et al., 2018)。ヨーロッパの南西部/西部からポーランドなど北部および東部へのMBBの拡散には、新石器時代祖先系統とYHg-R1b1a1bおよびその派生系統のYHg-R1b1a1b1a1a2の草原地帯祖先系統の両方の保有者が明らかに含まれていました。これらの過程と関わる考古学的に文脈化された個体の遺伝的データが、とくにフランス北部などゲノムデータの不足している地域において、この限界を補い、情報の間隙を埋めるのに必要です。

 この目的のため、本論文はフランス北部のパリ盆地の紀元前2500年頃となる後期新石器時代の1ヶ所の集団埋葬遺跡であるブレヴィアンド・レス・ポアント(Bréviandes les Pointes)の、7個体の古ゲノム研究を提示します。これらの個体について全ゲノム配列が生成され、それにはミトコンドリアゲノムとY染色体配列が含まれ、放射性炭素年代とストロンチウム同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)データも含まれます。本論文は、草原地帯祖先系統のフランス北部の新石器時代遺伝子プールへの到来の「同時」観察を報告します。本論文はさらに、さまざまな祖先構成要素の起源をモデル化し、混合動態やヨーロッパ西部の紀元前四千年紀末から紀元前三千年紀前半、つまりBBCと一致する石器時代と金属器時代との間の文化的移行期の始まりにかけての草原地帯祖先系統の起源と方向性と時期と機序に光を当てます。本論文は人口集団と個体群の移動を考古学的証拠と相関させ、CWCとBBCの進化に関する問題に取り組みます。本論文は最後に、BBC埋葬が稀なパリ盆地中央部のイル=ド=フランス地域圏の正確なBBC被葬者1個体の最初のゲノム解析を表す、紀元前2300年頃となるサン・マルタン・ラ・ガレンヌ(Saint-Martin-la-Garenne)遺跡のBBC被葬者1個体を分析します。これらの分析の結果、CWCおよびBBCと関連する混合過程の重要な特徴が明らかになります。


●後期新石器時代の埋葬の考古学的背景

 パリ盆地南部のトロワ(Troyes)近くの「ブレヴィアンド・レス・ポアント」・エト・レス・グレヴォッテス(“Bréviandes les Pointes” et les Grèvottes)遺跡(以下、ブレヴィアンド遺跡)は、前期新石器時代(紀元前5200年頃)から末期青銅器時代(紀元前1200年頃)まで埋葬地として繰り返し利用されました。殆ど若しくは全く関連する人工遺物のないいくつかの同時代ではない墓は、文化的帰属が木またげられ、放射性炭素年代測定で新石器時代後期とされました。BRE445と命名された円形に近い穴状遺構の7個体の集団埋葬(図1A)からは、遠景の骨製ビーズとイヌの足以外には発見がありませんでした。診断可能な人工遺物を欠いているこの埋葬様式は、イル=ド=フランス地域圏とシャンパーニュ県のこの期間に典型的でした。以下は本論文の図1です。
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 BRE445の個体(以下、A・B・C・D・E・FK・HIと略されます)はよく保存されており、断片化されていません。この埋葬は、成人女性3個体と成人男性1個体と幼児2個体と新生児1個体から構成されます。人類学的分析から、女性3個体の年齢について、Aは20~39歳、Bは20~30歳、Eは約60歳と推定されましたが、成人男性1個体は死亡時に20~30歳と推定されました。子供2個体の死亡時年齢は、HIが4~8歳、Cが6~10歳と推定されました。直接的な放射性炭素年代の結果、個体Bは紀元前2580~紀元前2275年頃(98.9%)、個体FKは紀元前2580~紀元前2284年頃(99.6%)、個体Eは紀元前2706~紀元前2287年頃(96.9%)の範囲で、後期新石器時代後半の埋葬に相当します。

 埋葬BRE445と同時代の追加の埋葬1ヶ所の発掘がありますが、その骨格は頭骨が欠けており、古代DNAの保存状態は悪く、完全な分析が妨げられました。その近隣の墓の年代は、BRE445より古いものでした。病理の骨学的兆候は、一般的な圧力と老化以外には見つかりませんでした。骨の形態における差異から、個体FKは他の個体と区別され、個体Eと個体HIとの間の生物学的近縁性が示唆されます。暴力の兆候は確認されませんでした。埋葬の時系列は、層序学的データから部分的に判断できました。骨格の空間配置から、より古い埋葬の一部の骨は新たな死体のその後の埋葬により攪乱されたものの、意図的な空間転置の証拠はなかった、と示されます。考古学と人類学の分析から、これは家族の埋葬である可能性が最も高い、と示唆されました。


●ブレヴィアンド遺跡の集団埋葬の個体の遺伝的および同位体の特徴づけ

 埋葬BRE445をより深く理解するため、各個体の錐体骨から非標的ショットガン配列決定により全ゲノムが生成され、網羅率は0.75~4.6倍(中央値は1倍)でした。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)から、被葬者の生物学的関係の最初の一瞥が得られました(図1B)。共有されたミトコンドリアハプロタイプから、個体FK・HI・Dはそれぞれ、女性個体E・A・Bと親族関係にある、と示唆されます。個体FKとHIのYHgは同じR1b1a1b1a1aで、その死亡時年齢を考えると、両者は父親と息子かもしれません。個体Cのみが埋葬された他のどの個体ともミトコンドリアハプロタイプを共有していません。これらの結論は、系図の再構築を可能とするNgsRelateとREADでの以下の全ゲノム解析に従ってさらに確証されました。

 この埋葬は3世代からなる生物学的な1家族で構成されており、2番目の母親とその生物学的子供、および核家族の個体と遺伝的に親族関係になかった子供1個体です。hapROH(Ringbauer et al., 2022)を用いてのゲノムの同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)分析から、近親交配の個体はいなかった、と示されました。遺伝学と人類学と考古学の結果の組み合わせも、被葬者の最も可能性の高い時系列の再構築を可能としました。成人男性個体FKとその息子のHIがまず、中間の時間点の埋葬の半ばでFKの母親とHIの祖母が、最後にHIの母親が埋葬されたので、埋葬構造内に埋められた遺伝的に親族関係にない個体はここで埋葬された社会的共同体の一部だったに違いない、と推測できます。

 この集団の個体群をさらに特徴づけ、個体の移動可能性を明らかにするため、成人個体および【非ヒト】動物遺骸の歯と骨の両方で安定同位体分析(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比)が実行されました。この分析の背後にある理論的根拠は、歯の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は子供期の初期に水と食料由来のSr同位体の歯の形成への取り込みを示している一方で、骨のSr同位体は死亡前10年間と20年間のSrの取り込みに対応している、というものです。これらの個体から得られたSr値は、地元の痕跡を表す同時代の【非ヒト】動物遺骸と同等でした。個体EとBのみが歯と骨で異なる⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比値を有しており、これら2個体の生涯の移動性と、他の個体はそうではなかったことを示唆しています。個々の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比値と現在のフランス人のSr同位体景観図との比較から、個体EとBはパリ盆地もしくはフランスの北東部あるいは南東部を含めてそれ以外の同様の地質地域といった他の場所での子供期に続いてブレヴィアンド移動した、と示唆されます。


●BRE445埋葬の個体群のゲノム組成と欠落している祖父のハプロタイプ再構築

 ブレヴィアンド遺跡個体群の潜在的な遺伝的起源へのより深い洞察を得るため、補完された古代人116個体のゲノムのデータセットでChromoPainter分析が実行されました。これに、上述の特定されたブレヴィアンド遺跡445の集団墓の各「生物学的家族」から代表1個体を追加し、親族関係にある個体群での過度なハプロタイプ共有によって起きる偏りと人為的な下部クラスタ化(まとまり)を避けるため、全ての他の親族関係にある個体が除外されました。したがって、以下の分析を通じて、親族関係にある個体群は、全ての他の親族関係にない個体とともに互いに独立して分析されることになるでしょう。対応する結果は、補足資料で示されるか、結果を誤って示さず可能な限り、単一の代表内で組み合わされます。

 このデータセットで、ハプロタイプ共祖先系統行列が生成され、そこで主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とfineSTRUCTUREが実行されました(よく行なわれるように、ハプロタイプ位相化情報を無視し、現代人のゲノムにより定義されるPCAに古代人のゲノムを投影するわけではありません)。PCAでの次元削減とfineSTRUCTUREでの樹状図分析により、このデータセット内のさまざまな遺伝的クラスタおよび構造が特定され、視覚化されます。最初の2主成分(PC)は3祖先人口集団を区別し、つまり、北西部ANF、ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western hunter-gatherers、略してWHG)、ポントス草原地帯のヤムナヤ文化と関連する個体群により表される草原地帯祖先系統を有する個体群です(図2A)。PC1はANFをHG/草原地帯祖先系統から分離し、PC2はWHGを草原地帯祖先系統から分離します。新石器時代から青銅器時代の状況のヨーロッパの個体群は、ブレヴィアンド遺跡個体群を含めて、その祖先系統の割合を反映するように3祖先系統の極間に位置します(図2A)。草原地帯祖先系統を有さない新石器時代祖先系統の個体群は、ANFとWHGのクラスタ間に描かれる線上に分布します。

 後期新石器時代およびヤムナヤ文化関連個体群のゲノムにおける草原地帯祖先系統の割合はSOURCEFINDを用いて推定され、PCAでは草原地帯祖先系統の保有者を増加する草原地帯祖先系統の線に沿って位置づけます(図2A・Bでは、a~dの4クラスタに分類された個体群が比較されます)。ブレヴィアンド遺跡の女性5個体はクラスタ「a」では、フランスの新石器時代およびスペインの銅器時代個体群のゲノムとクラスタ化し、草原地帯祖先系統は存在しません(図2A・B)。対照的に、親族関係にある男性2個体(HIとFK)はそれぞれ、クラスタ「b」と「c」内に位置し、それは草原地帯祖先系統の割合が異なるためで、息子であるHIの草原地帯祖先系統はその父親であるFKの半分で、HIの母親Aに草原地帯祖先系統が見つからないことと一致します(図2A・B)。この調査結果から、FKとHIはフランス北部の新石器時代状況における草原地帯祖先系統の初期の到来を表している、と明らかになります。以下は本論文の図2です。
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 FKで見られる草原地帯祖先系統の割合は約35%なので、この割合はその父親ではさらに2倍になるはずだ、と予測されました。それは、FKの母親である個体Eには、この草原地帯祖先系統がないからです(図2A・B)。FKにおけるこの高い割合の草原地帯祖先系統から、FKの父親(図1Dの系図分析で表されています)は約70%と高い割合の草原地帯祖先系統を有していただろう、と示唆されます。これは、現時点で検出されたフランスにおける草原地帯祖先系統の最古級の到来となり、FKとEの位相化された遺伝子型を用いて、FKの標本抽出されていない父親再位相化遺伝子型の構築が促進され、ここではその父親はYYと呼ばれます。FKにつながった配偶子(精子)であるYYの半数体ゲノム1点しか推測できなかったので、FKとEの位相化された遺伝子型がYYによりFKにもたらされたアレル(対立遺伝子)の明確な推論を可能とする部位のみを用いて、YYはすべての部位で疑似二倍体同型接合方としてモデル化されました。この個体の到来と関連する年代は、人類学的分析から推測された、死亡時に20~30歳だったその息子であるFKの放射性炭素年代から推測されました。再構築された個体YYの疑似二倍体ゲノムはPCAではクラスタ「d」で、類似の年代と同様に高い割合の草原地帯祖先系統を示す他の個体、とくにフランス北東部のシリー=サルソーニュのAOCの1個体CBV95(Brunel et al., 2020)、オランダの最古級のBBC関連個体群のうち1個体、ブレヴィアンド遺跡個体群とほぼ同年代の1個体I5748(Olalde et al., 2018)とともに見られます。この再構築されたYYのゲノムは、ヨーロッパ西部におけるこの祖先系統の到来の動態の分析能力を高めます。


●フランス北部の鐘状ビーカー関連個体の新たなゲノムにおける草原地帯祖先系統

 個体FKにおける草原地帯祖先系統の特定とフランス北部の同時代のショットガンゲノムの少なさから、草原地帯祖先系統とつながっている文化的状況であるBBCと関連している、近い地域と期間の1個体の別のゲノムの追加による、本論文の分析の解像度の改善が促進されました。紀元前2410~紀元前2129年頃(97.8%)となり、BBC様式の頁岩製手首防具を含めてBBC葬儀で埋葬された30~49歳の男性を表している、イル=ド=フランス地域圏のパリの西側のイヴリーヌ(Yvelines)県に位置するサン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の1個体(SMGB54)のゲノムが生成されました。この個体も、35~36%の草原地帯祖先系統の保有者で(図2Aの青い菱形および図2B)、FK個体と類似しているので、さらなる分析に含められました。個体SMGB54はFKやフランスの他のBBCおよび青銅器時代個体、および青銅器時代のハンガリーとクロアチアの個体群とともに、クラスタ「c」で見られます。


●後期新石器時代個体のゲノム時空間的な高解像度分析

 本論文のfineSTRUCTURE分析は、PC1とPC2の図師で見られるような個体間の関係を明らかにしますが、地理的起源に関してさらにクラスタを定義します(図2C)。fineSTRUCTURE樹状図はまず、草原地帯もしくはHG祖先系統を高い割合で有する個体群を、ANF祖先系統を高い割合で有する個体群から分離します(図2Cの枝1および2)。樹状図の第1群内では、次の分岐は草原地帯とHGの祖先系統を分離し(それぞれ枝11と枝12)、次に、草原地帯祖先系統群では、高い割合の草原地帯祖先系統を有するBBCとCWCと前期青銅器時代関連ヨーロッパ人をヤムナヤ文化個体群から分離します(それぞれ枝111と枝112)。

 再構築されたYYのゲノムは、ほぼヨーロッパ西部個体群から構成される高い割合の草原地帯祖先系統を有するヨーロッパ人の下位群に属します。高い割合のANF祖先系統を有する1群のうち、最初の分岐は草原地帯祖先系統のある個体群とない個体群を分離します(それぞれ枝21と枝22)。草原地帯祖先系統のない個体群では、次の分岐はWHG祖先系統の程度に従って個体群を分離します。つまり、第1群(枝221)がこの最初の人口集団と小さな分岐の全ての最初期ANFおよびヨーロッパ初期新石器時代個体群で構成されるのに対して、第2群(枝222)はWHG祖先系統を有するほとんどのヨーロッパ新石器時代個体群で構成され、これらの個体群はほぼその地理的起源に従って微細規模で下位区分されます。

 草原地帯祖先系統のないブレヴィアンド遺跡個体(つまり、女性個体A・B・C・D・E)はほぼ、フランス南部/イベリア半島起源の個体群で構成される下位群で見られます。枝21はかなりのWHGおよび草原地帯両方の祖先系統を有する個体群で構成され、その年代は後期新石器時代と中期青銅器時代に相当する期間です。この枝から草原地帯祖先系統の程度により区別される2クラスタが生じ、より高い割合の草原地帯祖先系統を有する第1群(枝211)はその後、ヨーロッパ中央部とフランスという異なる地理的起源の2下位群に区分され、フランス側には個体FKが含まれます。第2群(枝212)はより低い割合の草原地帯祖先系統を有しており、2下位群に区分され、一方にはほとんどのイベリア半島個体と個体HIが含まれます。

 fineSTRUCTURE分析の階層的クラスタ化から、まず3供給源人口集団からの混合を反映し、より微細規模では地理的起源も反映しているクラスタが生成されたので、この地理的兆候がPCAでも検出できるのかどうか、調べられました。この3供給源祖先系統の割合はPC1とPC2で検出された兆候のほとんどを占めていますが、PC3とPC4はハプロタイプと地理との間の相関を明らかにし、後期新石器時代から中期青銅器時代のその後の標本で顕著です(図3Aは、地理的起源に応じて色付けされた個体と、草原地帯祖先系統の存在が四角により示された場所を示しています)。以下は本論文の図3です。
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 西方から東方へ、および南方から北方への勾配は、個体群の祖先系統の程度に関係なく図3Aで明確に視覚化され、微細規模の遺伝的構造が大陸水準ではすでにこの期間に確立しており、それは恐らく、遺伝的浮動および/もしくは新石器時代の拡大におけるヨーロッパのさまざまな地域の遺伝的に独特なHG人口集団との混合蓄積に起因する、と示唆されます。さらに、フランス南部とイベリア半島の後期新石器時代個体群はともにまとまり、フランス北部のほとんどの標本と歯明らかに異なっていて、顕著な例外は、ブレヴィアンド遺跡の草原地帯祖先系統を有さない女性5個体(A・B・C・D・E)です。

 BBC個体SMGB54も、フランス南部クラスタと関連しています。この関連から、これらの個体はすべて在来の人口集団とよりも南部との遺伝的つながりが強い、と示唆されます。対照的に、再構成されたYY個体は明確な北部の痕跡を有しており、PC3からPC4では、フランス北部/オランダ/ブリテン諸島/チェコ(チェチア)の個体群の外側の境界に位置しており、これは以後ヨーロッパ北部クラスタと呼ばれます。YYの息子であるFKはヨーロッパの南北のクラスタ間で中間的位置を占めており、これはその母親であるEによりもたらされた南方構成要素に起因し、そのためFKはヨーロッパ北部クラスタの真ん中に位置します。

 最後に、YYの孫息子であるHIは再度、ヨーロッパ北部との類似性を有するその父親であるFKと、ヨーロッパ南部との類似性を有するその母親であるAとの中間に位置します。BRE445個体群の後期新石器時代祖先系統がヨーロッパ南部起源だった、との推測を実証するため、同じ期間の後期新石器時代と同じ地理的地域のフランスの2参照提供人口集団を用いて、新石器時代祖先系統に焦点を当てた正規化ハプロタイプ提供者検定が実行されました。一方はマルヌ県のモン・アイメー(Mont-Aimé)の地下室から発見されたフランス北部の代表で、もう一方は、エロ―(Hérault)県の花束洞窟(Grotte du Rouquet)から発見されたフランス南部の代表(Seguin-Orlando et al., 2021)です。

 図3Bで表されているハプロタイプ提供分析では、受容者として、草原地帯祖先系統を有さないBRE445の個体群に加えて、参照人口集団の同じ遺跡から発見されたものの、使用された受容者に含まれない2制御個体、フランス北部の1H04とフランス南部のROUQH、異なる遺跡のヨーロッパ南西部の後期新石器時代2個体、花束洞窟の近くのフランス南部の遺跡のGBVPL(Seguin-Orlando et al., 2021)、スペイン北部のアタプエルカのブルゴス(Burgos)の銅器時代の1個体であるI5835(Lipson et al., 2017)が使用されました。その結果、ブレヴィアンド遺跡個体群は、検証されたヨーロッパ南西部の他の全個体に匹敵するほど、フランス北部よりもフランス南部の個体群の方と多くのアレルを共有する、と示されます(図3B)。したがって、BRE445墓の被葬者は、墓の位置がフランス北部にも関わらず、ヨーロッパ南西部に典型的な祖先系統を有していることになります。


22 名前:777

2024/06/28 (Fri) 15:42:20

●ブレヴィアンド遺跡被葬者で反映されているヨーロッパにおける草原地帯祖先系統の混合動態

 本論文の調査結果を、完全なゲノムデータによりハプロタイプ推測が可能な個体より多数の個体に拡張できるのかどうか調べるため、SNPに基づく手法を用いて、124万SNP配列での配列捕獲の使用により遺伝子型決定された個体群が組み込まれました。qpAdm分析を用いて、その場所および関連する分化もしくは前後関係での年代に基づき、標本が分類されました(図4A)。以前に報告されたように(Olalde et al., 2018)、北西部から南西部への勾配を通じて、草原地帯関連祖先系統の希釈が観察されます。注目は、ブレヴィアンド遺跡被葬者が一般的な大陸の混合動態、とくにANFとWHGの祖先系統で草原地帯祖先系統の希釈を再現していることです。以下は本論文の図4です。
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 この祖先系統の希釈が起きた年代を正確に示すため、その較正された放射性炭素年代の関数として草原地帯祖先系統の個々の割合が図示され、地理的位置に応じて色分け体系され(図4B)、より適切な世界的傾向を視覚化するため、LOESS手法を用いて、相対的な草原地帯祖先系統の割合の局所的な多項式回帰適合を表しました(図4C)。以前に報告されたように(Papac et al., 2021)、草原地帯祖先系統の保有者では、紀元前3000~紀元前2000年頃の間の1000年間にわたって、紀元前3000~紀元前2500年頃のチェコのCWC関連個体群で見られる75%超の水準から始まって、ヨーロッパ中央部の後期CWCおよびBBC関連個体群での50%の緩やかな減少まで、ヨーロッパ西部においてゲノムの草原地帯祖先系統の割合で漸進的な現象が観察されます。その後の1000年間(紀元前2000~紀元前1000年頃)では、草原地帯祖先系統の割合は地域的平衡に達したようです。

 フランスでは、紀元前2500~紀元前2250年頃の間の数百年以内に、草原地帯祖先系統の割合が約35~40%に減少し、この値は少なくとも紀元前1700年頃まで安定していたようです。草原地帯祖先系統の背景への新石器時代祖先系統のさらなる組み込みは、イベリア半島に向かっての草原地帯祖先系統保有者の南方への移動期に起き、青銅器時代には草原地帯祖先系統の銅器時代における約25%から約13%への希釈(Olalde et al., 2018)につながりました(図4B・C)。この草原地帯祖先系統の南北の勾配は、ヨーロッパでは現在まで続いています(Haak et al., 2015)。

 驚くべきことに、ブレヴィアンド遺跡の集団墓は、南方への移動期間における草原地帯祖先系統の希釈過程の同時の断片で、この希釈が起きた正確な瞬間での活動中に希釈過程を把握しています。再較正されたYYは、紀元前2600~紀元前2500年頃という、フランスにおける草原地帯祖先系統の最古級の記録された到来に相当し、その後で近隣のシリー=サルソーニュ遺跡のほぼ同時代の個体CBV95が続きます。この祖先系統はBBC個体群でその後に見られますが、これら同じ地域のそれ以前の個体群は、BBCとの関連の有無に関わらず、この祖先系統を有していません。


23 名前:777

2024/06/28 (Fri) 15:43:20

●草原地帯祖先系統の混合の2回の大きな波

 ヨーロッパの新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統の関連集団間の混合年代を推測するため、位相化ハプロタイプに基づくfastGLOBETROTTERが用いられ、それがFKやSMGB54や紀元前2500年頃以後の他の混合個体群に適用されました。ジャックナイフ手順を用いて混合事象の時期が推定され、95%信頼区間が生成されました。較正された平均標本年代と、1世代28年と仮定して推測された混合年代が図示されました(図5A)。以下は本論文の図5です。
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 その分布は草原地帯祖先系統の混合の明確な波を示唆していたので、ジャックナイフ手順で個体ごとに生成された21点の測定すべてが、ガウス混合モデル化(Gaussian mixture modeling、略してGMM)確立クラスタ化手法を用いて、下位人口集団の存在を表すような、多峰性分布を明らかにできるのかどうか、評価されました。これら440点の測定は、図5Bで表されている三峰性パレート密度推定につながり、これが確率密度関数の推定に用いられました。局所最大尤度発見のための予測最大化演算法の使用後、データは3通りのガウス分布にクラスタ化でき、最良のモデルはベイズ情報基準(the Bayesian information criterion、略してBIC)と適合検定のピアソンのカイ2乗検定の良好により裏づけられています。

 これら3通りのガウス分布の平均と標準偏差(standard deviation、略してSD)と割合は、それぞれ紀元前2611±130年(49.9%)、紀元前2947±92年(42.5%)、紀元前3266±82年(7.6%)と推定されたので、最新の2回の波がデータの90%以上を占めています。驚くべきことに、FKとSMGB54の2個体の混合年代はそれぞれ紀元前2949±92年と紀元前2587年±154年で、これら2回の主要な波の中心とほぼ正確に対応しており、これが世界的傾向をじっさいに表している、と示されます。要注意なのは、fastGLOBETROTTERの年代推定値は、混合後の減数分裂に依存する組換えによって次第に減少する、祖先のハプロタイプの塊の規模の分布に依存していることです。

 

24 名前:777

2024/06/28 (Fri) 15:44:48

FKは草原地帯祖先系統の父親であるYYと草原地帯祖先系統のない新石器時代祖先系統の母親であるEとの間のF1交雑なので、組換え事象はまだ起きていなかったため、両祖先系統間の混合年代は父親であるYYに関する年代です。それにも関わらず、FKは紀元前2500年頃に起きた混合事象の個体なので、この最新の混合の波の直接的証人ですが、それはハプロタイプの塊の規模分布からは検出できません。フランス南部とオランダとチェコのBBCと関連する個体群は、紀元前2950年頃(YYは同様の年代を示しました)にさかのぼる、古代の主要な波に相当する最初の混合年代を示しました。対照的に、紀元前2600年頃に相当する混合年代、つまり最新の主要な混合の波は、SMGB54を含めてフランスの他の個体だけではなく、ブリテン諸島とイベリア半島の個体群についても推定されました。

  

25 名前:777

2024/06/28 (Fri) 15:45:55

代替的な混合手法であるDATES(進化兆候の祖先系統区域の分布)を用いて推測できる結果が調べられ、DATESは位相化されていないデータに基づいているので、ハプロタイプの塊により提供される追加の解像度を活用しません。じっさい、DATESは検証対象のゲノムと2供給源人口集団のゲノムとの間の祖先系統の共分散パターンに依存します。以前の模擬実験では、DATESは3祖先集団の等しくない寄与を含む複雑な混合の事例では、さまざまな値を提供する、と明らかになりました。したがって、草原地帯祖先系統と自身がANFとHGとの間の混合である新石器時代祖先系統の農耕民との間の混合を評価するのにDATESを用いるさいには、ひじょうに異なる年代が一部の検証個体では得られ、それは、どの個体が後期新石器時代の供給源人口集団を表すのに使用されたのかに依存します。これらの結果から、この手法は供給源人口集団の真の構造において不確実性に対してひじょうに敏感である、と示されます。これは本論文で当てはまる事例で、それは、草原地帯祖先系統の東西の移動が、HGとの混合が増えていくアナトリア半島起源の前期新石器時代農耕民の東西の移動により形成された、人口集団の基盤で起きるからです。対照的に、fastGLOBETROTTERで推定された混合年代は、以前に考察されたように、供給源人口集団におけるそうした不確実性に対してずっと耐性があるようです。

 草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合の波の存在から、ほとんどの草原地帯祖先系統を有する個体は同様の祖先系統の個体群と選好的に交雑し、混合の波の期間を除いて、新石器時代祖先系統の保有者との配偶は稀だったので、多世代で高水準の草原地帯祖先系統が保持された、と示唆されます。対照的に、草原地帯祖先系統を有する1個体が新石器時代祖先系統の農耕民集団に統合されると、その草原地帯祖先系統は数世代で希釈されたでしょう。そうした事象は、本論文においてブレヴィアンド遺跡の集団埋葬で観察されたように、第1世代でのみ明らかに検出できます。

26 名前:777

2024/06/28 (Fri) 15:46:36

●草原地帯祖先系統の性別の偏った拡大

 草原地帯祖先系統の拡大における性別の偏りの可能性を検出するため、最良の網羅率の全ゲノムの補完されたX染色体データセットでChromoPainterが実行され、続いて、草原地帯祖先系統の保有者において、X染色体での祖先系統の割合が、常染色体で見られる祖先系統の割合と比較されました(図6)。性別の偏りの可能性を定量化するため、常染色体に対するX染色体の草原地帯祖先系統の比率が計算され、log₂変換が使用されました。X染色体上での草原地帯祖先系統の過剰が正の値を生じる一方で、新石器時代祖先系統の過剰と類似した減少は、負の値を示します(たとえば、+1は2倍の草原地帯祖先系統の過剰を明らかにし、−1は2倍の草原地帯祖先系統の減少を示すので、後期新石器時代祖先系統の過剰、つまりANF+WHGに相当します)。以下は本論文の図6です。
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 図6で見られるように、母方で選好的に継承される祖先系統の過剰において個体間で変動性があり、X染色体での草原地帯祖先系統のわずかな過剰を示す個体も、新石器時代祖先系統の過剰を示す個体も存在します。ゲノムが利用可能なCWCとBBCと青銅器時代のヨーロッパの草原地帯祖先系統の保有者38個体のうち、18個体がX染色体で少なくとも20%の草原地帯祖先系統の過剰を示す一方で、12個体は草原地帯祖先系統の同様の減少、したがってX染色体での少なくとも20%の新石器時代祖先系統の過剰を示し、残りの8個体は均衡を維持していました(図6)。

 X染色体で草原地帯祖先系統が希釈されていた12個体のうち、5個体はさらに低水準を示し、X染色体での草原地帯祖先系統と新石器時代祖先系統の比率は、X染色体での2.5倍もしくはずっと高い新石器時代祖先系統に相当する0.4未満で、残りには、フランス南部の3個体、ブリテン諸島のBBCの男性1個体(I2445)、X染色体で草原地帯祖先系統を有していないブレヴィアンド遺跡のFK個体がいます。母系で草原地帯祖先系統の過剰を有する個体はより多く存在しましたが、この過剰は一般的により小さな振幅でした。これら草原地帯祖先系統を有する18個体のうち、1個体のみが高い割合の新石器時代祖先系統を有する個体群で観察される水準の過剰に近い草原地帯祖先系統を示し、それはBBCの男性個体SMGB54です。SMGB54はX染色体で草原地帯祖先系統の2.4倍の過剰を有しており、X染色体での86%に達し、常染色体で見られる36%を大きく上回っており、SMGB54の母系はその父系よりもずっと高い割合の草原地帯祖先系統を有していた、と示唆されますが、SMGB54のYHgは草原地帯祖先系統に特徴的なR1b1a1b1a1(P310/PF6546/S129)でした。SMGB54は、ブリテン諸島のBBCもしくは期青銅器時代個体群や、オランダのBBCの2個体や、チェコのBBCの2個体や、ポーランドのCWCの1個体と同様に、X染色体でひじょうに高い割合(80%超)の草原地帯祖先系統を有しています。強い草原地帯祖先系統優位の母系のこのパターンから、草原地帯祖先系統を有する男性が新石器時代祖先系統の女性と配偶するよりも、草原地帯祖先系統を有する女性が新石器時代祖先系統を有する男性と配偶することは少なかった、と示唆されます。

 これらの非対称的な混合事象は、フランス南部の個体群もしくはブリテン諸島のBBC個体群の事例のように、BRE445の男性の事例の如きF1水準で、もしくは数世代後で、配偶事象後の数世代で把握すると、X染色体での新石器時代祖先系統の顕著な不均衡につながりました。したがって、性別の偏りは、現在のデータセットで分析すると二峰性に見え、新石器時代祖先系統を有する男性が草原地帯祖先系統を有する女性と混合するよりも、新石器時代祖先系統を有する女性が草原地帯祖先系統を有する男性と混合する方が高頻度でした。新石器時代祖先系統を有する男性を含む混合のこの低頻度はY染色体でも明らかで、それは、いくつかの研究(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018)で以前に観察されたように、この網羅率の高いゲノムデータセットにおける草原地帯祖先系統の男性21個体のうち、わずか2個体のYHgが典型的な草原地帯祖先系統のR1b1a1b1と異なっているからです。


●考察

 本論文の後期新石器時代の集団埋葬BRE445の高解像度のゲノム解析は、新石器時代農耕民とポントス・カスピ海草原遊牧民の子孫との間のヨーロッパ西部における混合過程の機序と方向性を解明しました。そのゲノム網羅率は、ハプロタイプを補完して位相化するには不充分で、ハプロタイプ分析に固有の制度を最大限とする手段の使用を可能としたため、地理的起源によって新石器時代祖先系統を有する個体群を区別する痕跡の検出ができました。以下、具体的な問題が検証されます。


●パリ盆地の後期新石器時代集団埋葬の個体間の生物学的および社会的近縁性

 BRE445の集団墓地では、新石器時代祖先系統を有する女性3個体のゲノムは、ヨーロッパ北部の同時代の個体群とよりも、フランス南部およびイベリア半島の新石器時代祖先系統を有する個体群の方との、より密接な類似性を示しており、これらの女性もしくはその祖先がヨーロッパ南西部から来たことを示唆しています(図3)。これの女性のうち、2個体のみが、生涯の移動性を明らかにしているかもしれない⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体痕跡を示しているのに対して、他の全個体はこの地域における生涯の居住の痕跡を示しています。

 BRE445個体群で得られた同位体の痕跡は、これら女性2個体の起源の明確な識別を提供しませんが、その遺伝的痕跡と一致して、フランス南部からの生涯の初期の移動と一致します。この結果は、中期新石器時代とBBCと青銅器時代における大規模な移動性と少なくとも部分的な女性族外婚を明らかにした、BBC埋葬の遺伝学と同位体の分析の組み合わせに関する以前の結果と一致するでしょう(Knipper et al., 2017、Rivollat et al., 2023)。これら女性2個体の生涯の移動性の起源地点がフランス南部と確証はできませんが、フランス北部で保持されている南方の遺伝的兆候について、南方祖先系統の新石器時代の人々における何世代にもわたる選好的配偶を考慮する必要があることは、要注意です。

 同じ墓に埋葬された純粋な後期新石器時代祖先系統のBRE445の女性全員で検出された南方の遺伝的痕跡から、この共通の南方起源は、その共有された帰属意識に寄与した一因かもしれない、と示唆されます。つまり、祖先を同じくする親族関係が死後も維持された、というわけで、それは選好的な配偶パターンを裏づけます。世代が増えるほど、フランス北部に暮らす移民の個体群から南方の供給源人口集団は分離されますが、数世代にわたって南方からのゲノム痕跡を維持するために、配偶選好がより強くなったに違いありません。したがって、ブレヴィアンド遺跡個体群もしくはその祖先が近い過去に、女性EおよびBがおそらくはその生涯において南方から北方へと移動した、と考えるのはより節約的なようで、それは、これがSr同位体痕跡と一致するからです。

 祖先系統特性と系図と⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体痕跡の利用を通じて、他にも可能性はあるものの、以下の説明が提案されます。それは、女性EがYYとの出会いの前後どちらかでブレヴィアンド遺跡へと移動し、草原地帯遊牧民の子孫である民族集団の構成員になった可能性が高い、というものです。YYは、先行研究で仮定された、新石器時代祖先系統を有する女性を「誘拐」した「戦士の若者集団」の構成員だったかもしれませんが、これは推測に留まります。しかし、新石器時代祖先系統を有する女性個体Eは、新石器時代共同体でその生涯を続け、そこでFKを生み、FKはこの新石器時代的背景で育ちました。FKには、新石器時代祖先系統を有する女性Aとの間に、1人の息子HIがいました。父親であるFKとその息子のHIは同時に死亡したか、HIが父親であるFKの直後に死亡しました。FKとAとBは全員、中年の成人として死亡しました。

 第1世代に属する唯一の年配の個体は、Eでした。個体Bも、おそらくは子供として他の場所から来たかもしれず、ブレヴィアンドに居城し、埋葬には存在しない新石器時代祖先系統を有する男性との間に、子供を1人儲けました。個体Cは、養子だったかもしれません。遺伝学と人類学と考古学の結果の組み合わせはこの集団墓を、埋葬されるのに充分なほど重要な、純粋に社会的および生物学的両方の結びつきのある親族集団として特定しました。親族集団はじっさい、社会的構築として認識されており、親族関係慣行は大きく異なると知られています。法医学HIrisPlex-S分析評価での遺伝子型決定解析を通じて決定されるような、個体の身体的外見は、他の新石器時代個体群(Brace et al., 2019、Linderholm et al., 2020、Mathieson et al., 2015、Marchi et al., 2022)と区別できませんでした。分析された全個体は、茶色の目と中間的からより恋色の肌と濃い色の髪を示唆する遺伝的痕跡を有しており、例外は髪が栗色だったかもしれないFKとEです。したがって、その身体的外見は刊行されている他の新石器時代個体とさほど変わりません。


●ブレヴィアンド遺跡被葬者のゲノムで明らかになる草原地帯祖先系統と関わるヨーロッパ全体の性別の偏った混合過程

 ブレヴィアンド遺跡の個体の生活史のほとんどの詳細を再構築できませんが、この特異な埋葬は、フランスにおける草原地帯祖先系統到来のいくつかの側面を明らかにします。祖父であるYYは、その息子のFKおよび孫のHIのゲノムで見られる草原地帯祖先系統の保有者でした(図2B)。YYの再構築された疑似二倍体ゲノムにおける草原地帯祖先系統の割合(約66%)は、ポーランド(Fernandes et al., 2018、Linderholm et al., 2020)やボヘミア(Papac et al., 2021)の同時代のCWC個体群で見られるものと類似していますが、YYの息子のFKでは、ドイツとスイスとフランス南部の後期新石器時代および青銅器時代の他の個体(Olalde et al., 2018、Seguin-Orlando et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Mittnik et al., 2019)で見られる割合半分に減少しています。YYの孫(個体HI)では、この祖先系統はさらに、青銅器時代のスペインおよびイタリアの個体群(Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2020、Saupe et al., 2021)で見られる水準の半分まで減少しています。

 したがって、わずか2世代以内で、混合した草原地帯と新石器時代の遺伝子プールへの新石器時代祖先系統の組み込みは、紀元前2500年頃以後の他の個体で観察される水準にまで草原地帯祖先系統を減少させました。この祖先系統減少の速さと、ヨーロッパ西部における最初の草原地帯祖先系統拡大中の混合の低頻度は、新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統の混合がこれまで観察を免れていた理由を説明できるかもしれません。つまり、そうした混合はBRE445個体群で可能だったように、同時であれば明らかになるに違いない、というわけです。この埋葬は幸運な事例で、初期の草原地帯祖先系統の先駆者とみなすことができる、草原地帯祖先系統を有する1個体を含む配偶事象の断片です。個体YYは、そのヨーロッパ北部の遺伝的痕跡を考えると、おそらくライン川下流からフランスに到来しました。

 この結果は、在来の新石器時代祖先系統を有する集団と移動してきた草原地帯祖先系統を有する集団との間の初期段階の混合過程の基本的要素、およびその集団の最も可能性の高い配偶行動を明らかにします。ブレヴィアンド遺跡の家族の断片で観察されたような2世代以内の草原地帯祖先系統の際立った希釈は、この事例と、それに対して草原地帯祖先系統の希釈がずっと遅かったか、ほぼ存在しなかった状況での配偶行動における差異を浮き彫りにします。ヨーロッパの東部と中央部のほとんどの後期新石器時代と青銅器時代の個体で見られる少なくとも70%を超えるような(Haak et al., 2015、Olalde et al., 2018、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Furtwängler et al., 2020、Mittnik et al., 2019、Fernandes et al., 2020)、個体群が何世代にもわたってかなりの草原地帯祖先系統を維持するには、ほとんど類似の祖先系統の人々と配偶し、たまにしか新石器時代祖先系統を有する農耕民と配偶しなかったに違いありません。この配偶パターンは、捕獲されたゲノムデータのモデル化に基づく以前の人口統計学的推測と一致します。


●1回の小さな波と2回の大きな波だった草原地帯祖先系統と新石器時代祖先系統の混合

 ハプロタイプに適用される混合年代測定手法であるfastGLOBETROTTERを用いて、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合は直線的ではなく、むしろ三峰性分布パターンに従っている、と推定されました(図5)。紀元前3300年頃に観察された最初ではあるものの小さな混合の波は、ドニエストル川とドニエプル川の間の草原森林地帯における草原地帯遊牧民と後期新石器時代個体群の遭遇から生じたかもしれません。これらの牧畜民は金石併用時代草原地帯集団とは遺伝的に異なっており、それは、ゲノムに少量のANF関連祖先系統を有していたからです。このANF関連祖先系統は、黒海地域西部の前期青銅器時代個体群と、墓が遠く西方ではカルパチア山脈で見つかっている草原地帯牧畜民との間の時々の混合により説明できます(Penske et al., 2023)。

 この最初の混合事象は、限定的な範囲だったようです。その300年後となる紀元前2950年頃に、より大規模な混合の波が続き(図5)、ヨーロッパの中央部と北部の個体群で特定されました(Haak et al., 2015、Fernandes et al., 2018、Papac et al., 2021、Allentoft et al., 2024A、Lazaridis et al., 2022)。第2の混合の波は、第1の混合の波より多くの個体を含んでいたので、以後はこれが「最初の主要な混合の波」と呼ばれます。この主要な混合過程は、先行研究で観察された混合に相当します(Haak et al., 2015、Allentoft et al., 2024A、Allentoft et al., 2024B、Allentoft et al., 2015)。相当する共同体は、一方が草原地帯関連で、もう一方がGAC関連だったに違いありません。GAC関連個体群の遺伝的遺産は、その後のCWC関連個体群への主要な寄与として特定されてきました(Allentoft et al., 2024A)。

 草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間のこれらの最初の小さな混合の波と主要な混合の波は、性別の偏りがあったようで、それは、初期CWC個体群において、X染色体よりも常染色体の方で高い割合の草原地帯祖先系統が検出されているからです。これらの最初の混合の波の後は、相対的な静止期間が続き、この期間にCWC関連個体群は、類似したおもに草原地帯祖先系統の個体群と選好的に配偶し、多世代にわたって安定して70~80%の草原地帯祖先系統を有する個体群へとつながりました。このわずかに混合した人口集団は、ヨーロッパの北方と西方への移動を続け、たとえば、ポーランド南部(Linderholm et al., 2020)で説明されているように、時々在来の新石器時代祖先系統を有する農耕民と配偶しました。

 ヨーロッパ西部では紀元前2600年頃に、BBC(紀元前2339~紀元前2139年頃)と関連し、40%程度の草原地帯祖先系統を有するサン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の「レ・ブレテル(Les Bretelles)」の個体SMGB54のゲノムにおける、新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統との間の混合の新たな波が検出されます(図5)。個体SMGB54のゲノムにおける草原地帯祖先系統の高い割合と長い祖先系統ハプロタイプの大きな塊は、SMGB54の約12世代前という近い過去の混合事象を示します。この事象はフランス北部で起き、そこでは、BRE445墓の被葬者で見られるように、北方草原地帯祖先系統を有する個体群が、草原地帯祖先系統を有さない南西部新石器時代祖先系統の保有者と混合しました。

 したがって、SMGB54とブレヴィアンド墓地の男性個体FKの両方が、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合の主要な第2の波の証拠です。FKは交雑第1世代なので、そのハプロタイプの塊の長さはまだ組換えにより減少していないため、ハプロタイプの塊の規模分布から推測される混合年代に影響を及ぼしませんが、この新たな混合は交雑第1世代の状態から推測できます。この第2の混合の波によりもたらされた多量の草原地帯祖先系統は、個体SMGB54のように草原地帯祖先系統のさらなる侵食を示さない、ヨーロッパ西部のその後の青銅器時代個体群でも検出されます。この観察から、主要な第2の混合の波の後には、ほとんどの個体は草原地帯祖先系統の保有者に対するじゅうらいの配偶選好を再開した、と推測されます。


●混合過程の性別の偏り

 ハプロタイプに基づく手法を用いて、紀元前2000年頃のヨーロッパの個体群におけるX染色体と常染色体での草原地帯祖先系統の程度の違いも検出されます。このパターンは、草原地帯祖先系統を有する個体群と新石器時代祖先系統を有する個体群との間の混合過程の二峰性の性別の偏りを明らかにします。一部の個体は、X染色体での新石器時代祖先系統の顕著な過剰を示します。BRE445の男性2個体は、X染色体で新石器時代祖先系統の大幅な過剰を有しており、それは、その母親のゲノムに草原地帯祖先系統がなかったからです。

 イングランドの男性個体I12445(Olalde et al., 2018)も、X染色体で新石器時代祖先系統の高い過剰を示します。しかし、その母方のX染色体には草原地帯祖先系統の痕跡があり、その草原地帯祖先系統がゲノムの半分を占めることから、母方の常染色体がかなり寄与したに違いないものの、男性個体I12445は純粋な新石器時代祖先系統と草原地帯祖先系統を有する両親の間の交雑第1世代ではなかった、と示唆されます。このイングランドのBBC個体のX染色体における新石器時代祖先系統の過剰は、新石器時代祖先系統の女性との混合の数世代の歴史を明らかにします。X染色体での新石器時代祖先系統のそうした過剰は、ゲノムがこの分析に適しているフランス南部の3個体でも明らかです。フランス南部の個体群におけるX染色体での新石器時代祖先系統の過剰の高頻度は、混合のパターンにおける地域的な偏りを示唆しているかもしれません。しかし、混合パターンにおけるそうした地域的および時間的差異のより詳しい評価には、信頼性のある検出のためのより広範で高品質な全ゲノム配列決定が必要になるでしょう。

 対照的に、多くの個体はX染色体で新石器時代祖先系統の過剰を示しませんでした。逆に、X染色体での草原地帯祖先系統の過剰占めた個体の割合はより高かったものの、この過剰はごく近い過去の母方の新石器時代祖先系統を有する個体群で見られるほど高くはありませんでした。X染色体での草原地帯祖先系統の最高の過剰は、パリ盆地の男性BBC個体であるSMGB54で見つかり、その母方のX染色体には80%以上の草原地帯祖先系統があります。分析された個体の20%(40個体のうち8個体)は、X染色体で80%の草原地帯祖先系統の過剰を示しました。X染色体での草原地帯祖先系統のそうした高い割合の維持から、多世代にわたって、女性はその父親から完全な新石器時代祖先系統を有するX染色体を受け取らなかった、と示唆されます。それは、そうした【女性がその父親から完全な新石器時代祖先系統を有するX染色体を受け取るような】状況ではX染色体に新石器時代祖先系統の大きな塊をもたらすことになるからです。

 したがって、X染色体における祖先系統の二峰性パターンは、配偶の偏りから生じたようです。つまり、草原地帯祖先系統の男性が時に新石器時代祖先系統の女性と配偶したのに対して、草原地帯祖先系統の女性は新石器時代祖先系統の男性とさほど配偶しなかったからです。そうした混合のパターンは、ヨーロッパ西部において後期新石器時代から青銅器時代において検出された草原地帯祖先系統のYHgの広範な過剰や、男性24個体のうち22個体がYHg-R1b1a1だった、という本論文で分析されたデータセットでも裏づけられています(Brunel et al., 2020、Olalde et al., 2018)。新石器時代祖先系統の女性との草原地帯祖先系統の男性の混合はさまざまな時点で起きましたが、混合時期で検出された二峰性パターンから、これらの混合事象は草原地帯祖先系統を有する個体群の西方への拡大の2段階においてより高頻度だった、と示唆されます。個体FKは、この主要な第2の性別の偏った混合の波が起きた時に検出された、最初の代表と考えることができます。

 紀元前2600年頃のヨーロッパ西部における、新石器時代祖先系統の女性との混合のこの短いもののかなり一般的なパターンは、ライン川に到達したさいの、草原地帯祖先系統保有者の西方への拡大の様相もしくは周期的変動の変化を示唆しています。第1と第2波の間に、放浪する開拓者はその出自のCWC集団との接触を維持していたでしょう。これは、類似した草原地帯祖先系統を有する相手との配偶の充分な機会を提供した行動です。草原地帯祖先系統の女性の交換パターンが、BBCと青銅器時代においてドイツのレヒ川渓谷(Lech Valley)で検出されました(Mittnik et al., 2019)。したがって、このパターンは草原地帯祖先系統の集団と関連する一般的な傾向だったかもしれず、それは混合の第1の波の後の相対的な人口静止を説明できるかもしれません。

 3回の混合の波は、その出身共同体との「配偶のつながり」を維持するには長すぎる距離を1世代で移動する、男性優位の開拓者集団の急速な拡大を示唆します。この過程は、新石器時代祖先系統の在来女性のより活発な加入と、同時に減少が観察されたブレヴィアンド遺跡個体群で見られたような、草原地帯祖先系統のより急速な希釈につながったでしょう。祖父であるYYはそうした開拓者を表している可能性が高く、フランスにおける草原地帯祖先系統の到来の最初の証人です。その後の草原地帯祖先系統の子孫に残った痕跡は、同様の事象が他の場所でも起きたことを明らかにします。新石器時代遺伝子プールにおける草原地帯祖先系統のこの希釈は考古学的データと一致し、初期段階のBBCによる在来の新石器時代文化の置換の証拠を提供しません。驚くべきことに、第2の主要な混合の波は、草原地帯祖先系統と関連して、BBCがヨーロッパ全域に拡大した時点で起きました。とくに、MBBの起源がイベリア半島の新石器時代祖先系統の新石器時代/銅器時代共同体にある、との提案を考えると、これら2回の混合事象は関連していた、と推測したくなります。以下、人口集団と関連する文化の融合について検証されます。


●草原地帯の人々と新石器時代共同体との遭遇およびCWCの出現

 第1の小さな混合の波は、墓が遠く西方ではカルパチア盆地で見つかっている草原地帯から出現したヤムナヤ文化牧畜民と、さらに西方の新石器時代世界との間に位置するヨーロッパ東部の草原森林地帯で、紀元前3270年頃に置きくたに違いありません。この混合は、草原地帯の人々が西方へと移動し、バーデン文化が東方へと、GACがポーランド東部からドナウ川の三角州とドニエプル川地域にまで拡大した時に、起きたに違いありません。これらの共同体間の接触は、考古学的記録で特定可能な大規模な文化的変容につながらず、小さな開拓者集団によって起きたに違いありませんでした。

 紀元前3000~紀元前2900年頃に起きた第1の主要な混合の波は大規模な事象で、紀元前三千年紀の変わり目にヨーロッパ東部に出現した、CWC/単葬墓文化という用語で統一された地域的に多様な物質文化の拡大を促進した可能性が高そうです。CWCと関連する最古級の放射性炭素年代測定された単葬墓は、紀元前2900年頃のドイツとデンマークで見つかりました。この第1の主要な混合の波は、10世代もしないうちにかなり急速に停止しCWC関連集団と他の新石器時代集団との間の相互作用の際立った減少でのみ説明できます。この仮説を裏づける、考古学的証拠があります。たとえば、オランダでは、CWC関連集団と既存の後期新石器時代のヴラールディンゲン(Vlaardingen)/シュタイン(Stein)文化関連集団(紀元前3400~紀元前2450年頃)との間の相互作用の欠如が記録されており、外来の物質は他のCWC共同体が居住していた地域にのみ由来します。紀元前三千年紀を通じて、CWC共同体が強く相互につながっており、個体の移動性が高かったことも認識されてきました。


●ヨーロッパ西部における北方から南方および南方から北方への壺と人々の移動

 紀元前三千年紀の半ばに、フランスのプレッシニアン短剣がAOO/AOCの墓に現れ、外来の物質はヨーロッパ全域で長距離交易されました。これらの要素は、紀元前2600年頃と推測され、フランスの考古学的記録に見られる第2の主要な混合の波と一致します。紀元前2574~紀元前2452年頃となるシリー=サルソーニュ遺跡の個体CBV95の文化的帰属(とくに、AOCビーカーと大プレッシニー燧石製短剣)は、単葬墓のAOC/AOO複合体です。個体CBV95の文化的起源は、その高い割合の草原地帯祖先系統(約68%)と、ヨーロッパ中央部で確立した後期新石器時代および前期青銅器時代の単葬複合体と関連するヨーロッパ北部/中央部クラスタと関連づけられる新石器時代ゲノムの割合の両方に反映されています(Haak et al., 2015)。この個体は第1の主要な混合の波にさかのぼる混合事象の子孫かもしれませんが、そのゲノム網羅率は高解像度分析に充分なほど高くはありませんでした。

 サン・マルタン・ラ・ガレンヌ遺跡の男性1個体(SMGB54)のゲノムは、約36%の草原地帯祖先系統により特徴づけられます。SMGB54はBBCの葬儀(左側にしゃがんだ位置の身体と、北東に向いた頭)に従って埋葬され、その頁岩製手首防具は射手か狩猟者および/もしくは戦士に属している可能性がありますが、象徴的でもあるかもしれません。手首防具はBBCの一部の墓でのみ見られる権威のある副葬品で、家庭の状況では稀です。手首防具の機能的役割は議論されていますが、より高位の社会的地位を示唆しているかもしれません。この文化的属性は、草原地帯祖先系統およびヨーロッパ南西部の人々とのゲノムのクラスタ化とともに、SMGB54を南方へ移動した北方のAOC開拓者と、北方へ移動したフランス南部もしくはイベリア半島の新石器時代/銅器時代のMBB使用者との間の祖先の1人における混合の証人とします。したがって、SMGB54は、BBCの初期段階において、大西洋沿岸で北方へ移動し、続いてロワール川沿いに内陸へと侵入し、ガティネ(Gâtinais)地方を横断してセーヌ川流域へと達した、北方への移動と、AOO/AOCの開拓者からの南方への移動の両方を反映しているかもしれません。

 これまでフランス北部では、AOO/AOCビーカーおよびMBBで埋葬されたと判明した個体は全員、草原地帯祖先系統の保有者でしたが、これはフランス南部とライン川流域では当てはまりません。BBC期に分類されるイベリア半島からの影響を示すフランス南部の集団墓の副葬品は、以下のような草原地帯祖先系統の保有者ではない個体群と関連づけることができます。それは、(1)ラ・ヴィーニュ・ペルデュの地下洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)の2個体で、そのうち1個体(紀元前2574~紀元前2473年頃のGBVPL)は古典的なヴェラザ(Veraza)文化と同年代で、この時に最初のBBCの進入が起きたかもしれない一方で、もう一方の個体(紀元前2461~紀元前2299年頃となるGBVPK)は後期ピレネーBBCに属しており、草原地帯祖先系統を有しており、(2)ペイリエレス支石墓で他の個体とともに埋葬された(Seguin-Orlando et al., 2021)BBC期(Brunel et al., 2020)の1個体(紀元前2563~紀元前2308年頃となるPEI2)と、(3)アルザスのヘーゲンハイムのBBC被葬者で、初期BBC伝統からの混合海洋様式で装飾された容器が共伴する、紀元前2832~紀元前2476年頃の1個体(Olalde et al., 2018)です。これらの個体は、土器製作者もしくは射手などの移動する職人を通じての、ローヌ川・ソーヌ川流域のBBC拡大の証拠かもしれません。ローヌ川上流域では、紀元前2600/2500~紀元前2200年頃となる、新石器時代と青銅器時代の葬儀用土器様式間の不連続が記録されています。葬儀用記念碑と石碑彫刻の変化や、副葬品の個人かと変更は、これら相互接続された「慣行の共同体」における顕著な文化的変化を示唆しています。この変化は、遠方の原材料供給源(大プレッシニーの燧石鉱山など)から地元の原材料供給源への移行にも反映されているので、交換網の変容を示唆しています。


●フランスにおけるBBCの確立

 フランスのBBC層準におけるゲノムの不均一性は、草原地帯祖先系統を有する人々による急激な人口置換なしでのBBCの社会文化的モデルの連続的同化の代表的断片と考えることができ、新石器時代祖先系統を有する人口集団が草原地帯祖先系統の保有者により置換されたように見えるブリテン諸島の状況(Olalde et al., 2018)とは対照的です。したがって、フランス南部における変容過程は、考古学的記録で観察されるように、さまざまな拒絶と文化変容を伴う、地域的に多様な傾向を統合したかもしれません。フランスにおけるこの新たなBBC観念形態の拡大は、特定の個体のみを含む、不均一な局所的および地域内の混合を伴っていたようです。その混合した子孫はブレヴィアンド遺跡個体群のように後期新石器時代共同体に吸収され、CWCおよびその後のBBCの伝統とは異なるさまざまな中期および後期新石器時代の埋葬習慣に従って集団墓に埋葬されたか、あるいはその混合した子孫は埋葬されなかったので、考古学および古ゲノム研究では見過ごされました。しかし、新たな観念形態を発展させたか採用した集団の他の混合した個体は、単葬墓に埋葬されました。発掘され、ゲノムが分析されたそうした個体群から、在来人口集団とのさらなる混合は一般的ではなく、以前の新石器時代文化の漸進的な消滅および新石器時代ゲノムの変容につながった、と明らかになりました。

 この研究のゲノムデータを他地域の以前に刊行されたゲノムと統合した分析から、ヨーロッパ南西部の北方へと移動したMBBと集団墓の利用者、および南方へと移動したAOO/AOCビーカーを利用した草原地帯祖先系統の保有者が、フランス北部で遭遇した、と明らかになります。この遭遇が本論文で検出された第2の主要な混合の波につながった、と本論文は提案します。したがって、BBCは南西部銅器時代MBBと集団墓の利用者、および単葬墓埋葬儀式の北西部のAOO/AOC利用者のフランスにおける遭遇の文化的要素の統合として生じ、混合集団につながり、それは、CWCとBBCの両方が移民背景を有する個体群とより強い在来起源を有する人々の相互作用と混合を通じて生じた、との提案と一致する、と本論文は仮定します。BBCは既存の文化的構造に統合されましたが、それ以前の新石器時代伝統と関連するほとんどの集落は、これらの地域において単葬墓埋葬儀式の出現後数世代で存在しなくなりました。この観察から、在来起源の人口集団が、移民の生活様式の採用によって、移民の集落および経済的漢詩集と関連する要素をますます採用していった、と示唆されます。

 紀元前2500年頃以後、「還流(Rückstrom)仮説」によって想定されているように、この混合集団の子孫はおそらく古代のアルプス西部の硬玉交易路を経由して南方へと移動し、フランス南部やイベリア半島で既存の新石器時代伝統と関連する個体群と配偶し、地中海の飛び地を形成したので、追加の何ライブ新石器時代祖先系統を混合した草原地帯・新石器時代祖先系統へと入れました。MBB利用者と在来の新石器時代集団との間の相互作用は、地中海南西部および南部地域の墓から報告されてきており、それにはAOO/AOCとMBB両方のビーカー様式が含まれ、局所的伝統は最新の新石器時代の在来生産とより関連しています。この過程は、現在でも存在するように、南北の草原地帯祖先系統の勾配の確立を説明するでしょう。

 この祖先系統勾配の存続と、現在までヨーロッパ人のゲノムにおいて草原地帯祖先系統が維持されていることは、BBCの広範における草原地帯祖先系統を有する個体群のより高い繁殖率と、最終的には単に新石器時代祖先系統を有する農耕民を打ち負かしたことを裏づけます。ゲノムと文化的慣行の融合は、進化し続け、ヨーロッパ全域に急速に広がった「交雑」文化の出現につながったでしょう。この仮説の裏づけとして、フランス北西部におけるさまざまな鐘状ビーカーの装飾様式があり、それは交雑として解釈されてきており、イベリア半島とライン川の装飾伝統間の相互の影響を反映しています。したがって、統合したゲノム文化的要素の融合との仮説は、考古学的証拠のみに基づいた以前の提案と合致し、これを裏づけます。

 結論として、後期新石器時代の埋葬に関するこの研究により、草原地帯祖先系統の人々が拡散し、在来の新石器時代祖先系統の集団もしくは個体群と混合するような、紀元前3300~紀元前2600年頃のヨーロッパにおける三峰性の混合過程の直接的で準同時の観察が可能となります。本論文のデータから得られた結果の一般化から、このゲノム変容は顕著な文化的変化の期間に起きた、と示唆されます。2回の主要な波を経た提案された混合過程は、最終的には新石器時代ゲノムの置換につながった青銅器時代に観察された顕著に異なる社会制度への移行(Mittnik et al., 2019)も説明するでしょう。したがって、この変容は関連する人口集団の文化と生物学の両方と関わっており、現在も依然として存在するヨーロッパの人口集団のゲノム構造の確立につながりました。
https://sicambre.seesaa.net/article/202406article_23.html

27 名前:777

2024/09/11 (Wed) 13:30:16

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西側支配層の人類を死滅させかねない政策は背後に優生学
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Microsoft創業者ビル・ゲイツの優生学
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ウクライナのネオナチを動かしている優生学の発祥地は英国であり、米国で育った
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優生学と関係が深い人口削減政策は19世紀のイギリスから始まる
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「モンゴル人種に属すロシア人」を殺す必要性を訴えたウクライナ軍の米人報道官
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日本育ちのアメリカ人が経験するアメリカの現実!日本とアメリカの人種に関する考えの違い
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接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
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ナチスの「人間牧場」 選別した男女に****渉させ、アーリア人を産ませる
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ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
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****者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html

社会の底辺の人間のルサンチマン・奴隷道徳は醜い
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/612.html

ニーチェ ツァラトゥストラ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/899.html

ニーチェの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html

超人エリーザベト~ニーチェを売った妹~
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1753.html

内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
2020-03-02 20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/520.html

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html

28 名前:777

2024/09/29 (Sun) 06:32:18

雑記帳
2024年09月26日
ヨーロッパ西部の狩猟採集民と最初期農耕民
https://sicambre.seesaa.net/article/202409article_26.html

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ヨーロッパ西部の狩猟採集民と最初期農耕民に関する解説(Rowley-Conwy., 2024)が公表されました。本論文は、ヨーロッパ西部における狩猟採集民と最初期農耕民との関係について解説しています。ヨーロッパ西部においては、アナトリア半島(小アジア)起源の農耕民が到来したことで、農耕民がもたらされました。そのさい、狩猟採集民は直ちに農耕を採用したり、最初期農耕民に併合もしくは置換されたりしたわけではなく、一定期間狩猟採集民としての独自性を保持し、農耕民との婚姻がなかったか極めて限定的だった事例も珍しくなかったようです。世界各地で、農耕が拡大したさいの到来してきた農耕民と在来の狩猟採集民との関係は一様ではなかったようで、古代ゲノム研究によって農耕への移行期における各地の具体的な変容の様相がさらに詳しく解明されるのではないか、と期待されます。なお、[]は本論文の参考文献の番号で、当ブログで過去に取り上げた研究のみを掲載しています。


●解説

 ヨーロッパ西部における農耕の出現に関する理解は、近年大きな変化を経てきました。何十年間も、在来の中期石器採食民(狩猟採集民)はいくつかの農耕慣行を採用し、その狩猟と採集を補った、というのが優勢な見解でした。中石器時代採食民はこれをじょじょにしか行なわず、新石器時代前半を通じて続けたので、完全な農耕経済は新石器時代後半まで形成されませんでした。この見解は、その後の狩猟採集民における一部の農耕慣行について主張された証拠に部分的に基づいており、狩猟採集民社会はより大きな社会と経済的複雑さに向かう生得的傾向がある、との(述べられていないことが多い)仮定に部分的に基づいています。しかし、最近の年代測定の証拠は、中石器時代の農耕に関する主張に疑問を呈しています。今では、ヨーロッパのあらゆる場所の最初期農耕民は小アジアからの遺民で、完全に機能する農耕経済とともに到来したようです。

 『アメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)』の論文[4]は、フランス大西洋地域における最後の採食民と最初の農耕民との間の時間的重複の確たる証拠を提供し、最後の採食民と最初の農耕民は別の共同体として暮らしていた、と示されます。オエディック(Hoedic)およびテヴィエック(Téviec)遺跡に埋葬された採食民は、農耕の採用もしくは農耕民との通婚の痕跡を示しません。これらの採食民はヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter-Gatherer、略してWHG)遺伝的集団に属しており、最初期農耕民の古代DNAとは大きく異なります。Simões論文[4]は、採食民の社会がどのように組織されていたのかについて、大きな新しい洞察を提供します。これは、採食民が農耕の採用に向かっていた、という仮定に疑問を呈します。

 図1の上部は、農耕への移行に関するさまざまなモデルを示します。この年代は、スカンジナビア半島南部の状況に基づいています。Simões論文[4]で提示された採食民と農耕民との間の重複に関する証拠では、フランス大西洋地域においては、ほぼ千年早いにも関わらず類似の状況があった、と示されています。さらに、この重複と近隣の農耕民の存在にも関わらず、オエディックもしくはテヴィエック遺跡の採食民が漁撈と採食以外を行なっていた兆候はありません。ヨーロッパのさまざまな地域の最近の年代測定の証拠から、これは一般的なパターンだった、と示され、後期中石器時代の農耕を何十年も調べた後で、農耕のじっさいの証拠はごくわずかであることを認めねばなりません。

 数頭のブタがドイツ北部の中石器時代のローゼンホフ(Rosenhof)遺跡で主張されており、それは、これらの動物が究極的には小アジアに由来する家畜化されたmtDNA系統を有していたからですが、これらの動物は形態学的には野生のイノシシで、おそらくはさらに南方の農村から逃げてきて、野生のイノシシ個体群に加わり、その後で野生のイノシシの雄が父の仔を生んだ、雌の家畜化されたプタの子孫でした。オオムギなど栽培化された穀物に由来すると主張されている花粉粒が、中石器時代と年代測定されたさまざまな堆積物で発見されてきましたが、これらは在来の野生の草種花粉との区別が困難なため、疑問が呈されています。

 地中海西部地域の沿岸部遺跡は、中石器時代における農耕の痕跡を伴う漸進的な移行を示す、と長く主張されていました。しかし、それらの遺物はかなり前に発掘されており、現代の基準には達しておらず、この証拠は最近の研究で再現されていません。沿岸部集落の人骨の同位体から、採食・漁撈民は海洋性資源(魚やアザラシ類や貝類)に大きく依存していた、と示されています。近隣集落の最初期農耕民さえ、陸生資源(おそらくは農産物)の優占する食性でした。以下は本論文の図1です。
画像

 後期採食民と初期農耕民との間の年代の重複は、ヨーロッパのさまざまな地域で現れ始めています。デンマークでは、女性1個体の完全なゲノムがカバノキのタールの「チューインガム」の塊内に保存されていた唾液から回収されました。この女性は遺伝的に純粋なWHGで、近隣での農耕到来の300年ほど後ですが、農耕民との混合はありません[14]。狩猟漁撈経済デンマークのさまざまな遺跡は最初期農耕民と並行して続いており、人骨から得られた食性同位体は同様に、最初期農耕民と時間的に重なる海洋性食性の個体群の存在を明らかにします。ブリテン島では、同様の兆候があるかもしれません。地中海西部とポルトガルでは、沿岸での「飛び越え」植民が見られ、農耕民は狩猟採集民の飛び地を深いし、新たな地域へと移動しました。

 これらの地域では、Simões論文[4]は他の最新の証拠と一致します。Simões論文[4]が最近の研究を超えて、本当に新境地を開いたのは、採食民の居住と配偶者交換パターンの解明にあります。古代DNAでは、オエディックおよびテヴィエック遺跡の住民は予測されたようにWHG遺伝的集団へと収まるものの、WHG内ではやや離れた下位集団を形成する、と明らかになっています。したがって、その配偶網はかなり内向的で、他のWHGとの配偶は少なかったようです。さらに、食性同位体から、オエディック遺跡とテヴィエック遺跡は相互に個なっている、と明らかになっており、この両遺跡はともに近くにあっても異なる共同体を構成していた、と示唆されます。

 安定して長期間続いた採食民共同体のこれらの兆候は、先史時代ヨーロッパの採食民は通常遊動的で、小さく流動的な人口単位で暮らしていた、との伝統的な見解と一致しません。しかし、この証拠は、現代の採食民の人類学的な異文化調査の結果と一致します。図1下部は、先行研究から導かれたそのような分析を提示しています。図の各点は一つの現代の採食民社会を表しています。横軸は、右側ほど増加する相対的な人口密度の先行研究の計測です。縦軸は、集団が最も長く暮らした集落で過ごした1年ごとの月数によって計測される、居住の安定性を示します。両者の間には一致した関係があり、より小さな遊動的集団は左側下部でクラスタ化する(まとまる)傾向があり、より大きく安定した集団は右側上部に向かう傾向があります。

 先行研究の社会的階層化の程度の計測も示されています。小さな遊動的な集団は、社会的階層化をわずか若しくはまったく示さないのが特徴です。集団がより大きくより安定すると、一部の個体はいくらかの富を獲得し、その地位が向上するかもしれません。最も複雑な形態では、これらの社会が血族集団を形成するかもしれず、富と地位は家族もしくは系統内でその後の世代に継承されます。血族集団は通常、多くの食料を所有して貯蔵し、特別な生産資源地点も所有しています。これは、その高い地位を維持します。血族集団は開かれた配偶制度を持たないことが多いものの、血族集団が通婚可能な規則を定めていました。土地の所有権を示す方法の一つは、長期の領土主張を正当化する手段として、集団の祖先を含む墓地の設立です。血族集団に暮らす採食民が最も高頻度で暮らすのは海岸で、それは、一部の沿岸環境では食料資源の利用可能性がずっと大きいからです。

 Simões論文[4]は、オエディック遺跡とテヴィエック遺跡で墓地を設立した沿岸集団の状況を提示します。食性同位体と古代DNAをまとめると、この2ヶ所の遺跡には異なる集団が居住しており、他のWHG集団とはやや離れていたものの、間違いなく他の近隣沿岸集団が排他的な配偶網を形成していた、と示されます。海岸の人口密度は内陸部集団より高かったでしょうし、墓地は血族集団に組織された社会に特徴的な土地所有権を示唆しています。この証拠は、先行研究による現代採食民の異文化調査の結論とよく一致しており、採食民の社会形態は暮らしている環境に適応します。それは、採食民社会が社会経済的複雑さおよび農耕へと向かう傾向にある、との仮定と一致しません。したがって、Simões論文[4]は沿岸部ヨーロッパにおける採食民社会の内部作用についてこれまでで最も明確な論証を提示しており、この社会は、侵入してきた農耕民に数世紀にわたって直面しながら、農耕民とは異なる存在を明らかに維持できました。


参考文献:
Rowley-Conwy P.(2024): Hunter-gatherers and earliest farmers in western Europe. PNAS, 121, 10, e2322683121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2322683121

[4]Simões LG. et al.(2024): Genomic ancestry and social dynamics of the last hunter-gatherers of Atlantic France. PNAS, 121, 10, e2310545121.
https://doi.org/10.1073/pnas.2310545121
関連記事

[14]Jensen TZT. et al.(2019): A 5700 year-old human genome and oral microbiome from chewed birch pitch. Nature Communications, 10, 5520.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-13549-9
関連記事

https://sicambre.seesaa.net/article/202409article_26.html

29 名前:777

2024/11/20 (Wed) 15:49:27

【最新ゲノム研究で判明】ヨーロッパ先住民は東アジア人に近縁だった/現代ヨーロッパ人の起源/ストーンヘンジは誰が造ったのか/覆ったアイスマンの姿/ヤムナヤ文化集団(西部ステップ牧畜民)の影響について
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2024/11/19
https://www.youtube.com/watch?v=XtoIbXeAdSY

古代ゲノム解析研究が進んでいるヨーロッパでは次々と驚きの研究成果が報告されています。
現生人類は遅くとも4万5千年前にヨーロッパに進出していましたが、その外観や遺伝的特徴は現代ヨーロッパ人とは大きく異なっており、現代ヨーロッパ人に遺伝的な影響を殆ど残さずに絶滅した先住集団がいたこともわかってきました。
では金髪・青い目・明るい肌をした現代ヨーロッパ人はいつどこから現れたのか。
東アジア人に近縁な狩猟採集民、初期の西ユーラシア系の狩猟採集民、西ヨーロッパ狩猟採集民、初期ヨーロッパ農耕民、ヤムナヤ文化に関連する牧畜民がどのように現代ヨーロッパ人と繋がっているのか。
今回は、最新の研究成果から明らかになったヨーロッパの初期現生人類と現代ヨーロッパ人の起源について解説していきます。

参考書籍
人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
https://amzn.to/416LMkx
Kindle版
https://amzn.to/3S7C2CK
交雑する人類 古代DNAが解き明かす 新サピエンス史
https://amzn.to/3WLzvie
Kindle版
https://amzn.to/3RcJyvD

30 名前:777

2024/11/21 (Thu) 16:14:19

aあ

31 名前:777

2025/01/18 (Sat) 16:31:35

ギリシャは長い間オスマントルコ帝国の支配下(約400年)にあり、その間徹底したオスマン帝国の混血政策で、現在のトルコ共和国のトルコ人(中央アジアのトルコ民族も基は一緒だが)と現在のギリシャ人は医学的にはほとんど同じ人種である。

異なるのは宗教と言葉と長い歴史とそれに基づく文化である)。
それが民族間のとくに征服されたギリシャ側のトルコに対する憎悪を際立たせている。

トルコ人の発祥は古く中央アジアも中国よりのあたりと言われている。今ではトルキスタンと言われている地域だ。中央アジアの共通語は今でもトルコ語だ。 トルコ語人口は共和国を入れて約7000万人が話している。トルコ語だけでアジアを横断できると言われているくらいの広域言語だ。

トルコはその後セルジュクトルコやオスマントルコとして発展しながら、アジアからすこしづつヨーロッパに移動をしていった。その間にイスラム教に改宗した。またその間に移動した先々で混血をしたため、本籍のモンゴロイド系に、イラン系、アラビア系が加わり、世界最大のオスマン帝国時代にアフリカ系やヨーロッパ人の血を入れた。 特にギリシャ人、ブルガリア人との混血はすごかった。共和国トルコ人とギリシャ人、ブルガリア人は医学的にほとんど同一人種と言われている。言語と文化と住む地域と歴史が違うため、区別ができるのだ。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/





ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/1-14.htm


  当ガラパゴス史観が若い頃にイスタンブールに駐在していたことは当記事1-13.中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?で触れましたが、オスマントルコ帝国は約400年のバルカン半島の一部を支配下に置き、特に現代のギリシャとブルガリアに当たる隣接地域の徹底した混血政策をすすめた結果、 特にギリシャ人とブルガリア人のトルコ人に対する憎悪は計り知れないものがあります。

数百年以上に渡る長い間オスマン帝国の、それも首都のイスタンブールに隣接したギリシャ地域は ヨーロッパ人からはすっかり忘れられ、イスラム教徒の一部でしかなかったのです。

ところがヨーロッパ文明の夜明けであったギリシャ文明を興したギリシャ人を探していた西欧は オスマン帝国内にギリシャ語を話す集団がいることに気が付いたのです。しかもギリシャ正教を守っていたのです。これはギリシャ人の末裔に違いないと喜んだのです。

  下記はオスマン帝国が支配した歴史を持つバルカン半島に現存する国家とトルコ内のクルド人のY-DNA頻度リストです。つまり「南欧」地域です。これを見るとバルカン民族は大きく次の3種に分類されることがわかります。


1.ローマ帝国の子孫系と思われるラテン系Y-DNA「E1b1b1」が多い民族は、
   30%以上がギリシャ人とアルバニア人、
   20%がブルガリア人、セルビア人、マケドニア人

2.最も多いバルカン系遺伝子のY-DNA「I2」(ノルマン系はY-DNA「I1」)は、
   50%以上がヘルツェゴヴィナ人とボスニア人、
   30%以上がクロアチア人、セルビア人、ルーマニア人、マケドニア人とブルガリア人

3.メソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」+アラブ系Y-DNA「J1」は、
   30%以上がトルコ人とクルド人、
   20%以上がアルーマニア人とアルバニア人です。

  その3種のY-DNAに2種の遺伝子が更に絡んでいるのもわかります。

4.スラヴ系遺伝子のY-DNA「R1a」は、
  30%弱がクロアチア人、
  20%弱がボスニア人

5.ケルト系遺伝子のY-DNA「R1b」は、
  20%以上がアルーマニア人、
  20%弱がトルコ人、クルド人とアルバニア人


  以上の5種のY-DNAが複雑に絡み合っているのがバルカン半島です。確かに民族毎に主要遺伝子がありますが、これにキリスト教、正教会とイスラム教などの宗教とそれぞれの言語が更に絡み合い訳がわからなくなっています。

かつてバルカン半島の大部分の国名だったユーゴスラヴィアは南スラヴ人の国と言う意味ですが、スラヴのY-DNA「R1a」は主要な遺伝子ではなく、チトーがソビエトに操られ机上で作った国家に過ぎなかったことが良くわかります。 解体は必然だったようです。あまりにも混沌としている地域なので深入りせずにY-DNA研究の結果のみを淡々とお届けします。


では、本題の、現代ギリシャはヨーロッパなのか?

  当ガラパゴス史観の経験とY-DNA調査の結果から判断すると、ギリシャはイタリア、スペイン、ポルトガルと一緒の南欧つまり地中海国家であって、北欧国家とは完全に別の地域国家なのです。

更にギリシャ人は長いオスマン帝国の徹底同化政策で南欧の中でもトルコ人と非常に似ておりペロポネソス半島とアナトリアはほぼ一体で考えられてきたのです。

  地中海国家とは、北アフリカも含めた地中海南岸と北岸のことです。現在の地中海南岸はサラセン帝国と後継アラブ国家とオスマン帝国によって完全にイスラム圏とY-DNA「J1」アラブの国家群に変貌してしまいましたが、 本来はY-DNA「E1b1b1」のラテン系地域だったのです。

現在でもアフリカ北岸のアラブ諸国のラテン度はかなり高く、特に砂漠の民ベルベル人、特にトゥアレグ族はY-DNA「E1b1b1」が主体の基本ラテン系民族で、 ローマ帝国に対抗した古代チュニジアなどアフリカ北岸を形成した古代民族遺伝子集団の末裔の一つと思われます。

  Y-DNA「J1」アラブ遺伝子集団が来なければ、オスマン帝国が来なければ、 アフリカ北岸はY-DNA「E1b1b1」ベルベル人主体の地中海民族集団として西欧列強の植民地になり戦後独立し、結局今と同じような地図上の国境線引きでベルベル人国家が出来ていたでしょう。

  一方北欧は本来のヨーロッパ国家群でケルト・ゲルマン系とスラヴ系及びノルマン系の遺伝子が混じり合い民族エネルギーを高めてきた国家群なのですが、長い間南欧ローマ帝国から見ると辺境の野蛮人集団に過ぎなかったのです。

つまり、北欧諸国は文明の先進地域だった南欧に対し、決定的なコンプレックスを持っているのです。ギリシャ文明もローマ文明もルネッサンスも全てギリシャとイタリアから。 だからオスマン帝国に埋もれていたギリシャ文明の末裔を探し出したのです。


  だからギリシャの踏み倒しの脅しにも関わらず更に支援を考えています。ギリシャもその北欧のコンプレックスを良く理解しているので、足元を見て平気で踏み倒しができるのです。

この民族の心の動きが下記の朝日新聞の記事で明瞭に理解できます。
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/1-14.htm  



1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島
http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/1-14.htm

  集めたY-DNAデータの中から地中海周辺とバルカン半島、旧オスマン帝国領土に絞りまとめて見ました。先ずはインターネットから借用した地中海周辺の地図を頭に叩き込んで下さい。そのあとでY-DNA頻度データを見て下さい。 地中海の北岸と南岸に限り、東岸の近東諸国のデータは省きました。


結果をまとめて見ました。


1.ギリシャ

  予想通りラテン系Y-DNA「E1b1b1」が主要で、次いでメソポタミア農耕民系Y-DNA「J2」やアナトリア系Y-DNA「R1b」やスラブ系Y-DNA「R1a」、クロマニヨン系Y-DNA「I」等が続いています。

  またY-DNA「J2」と共にメソポタミア農耕を興したらしいY-DNA「G」もある程度残っています。 このアナトリア系のY-DNA「R1b」はロシアのバシキ―ル人がほぼ純系で、恐らくアフリカのチャド系Y-DNA「R1b」も同系ではないかと推測しています。

2.トルコ

  最も多いのはメソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」です。

テュルク民族のオリジナル遺伝子と思われるY-DNA「N」(ヤクート人の遺伝子)が、西に民族移動を進める過程でイスラム化すると同時に各地の遺伝子を取り込み 最後に到達したアナトリアで東ローマ帝国を形成していた先住民のY-DNA「J2」と「R1b」と「 I 」、更にラテン系の「E1b1b1」を取り込み成立したのがセルジュクトルコと後継のオスマントルコなのでしょう。

調査の対象によって出現頻度がかなり異なることがわかります。現代トルコ人は均質ではなく調査対象の選び方でかなり変わるか、地域差がかなりあるのでしょう

  またオスマン帝国時代にアフリカ北岸も領土にしたため、アフリカ系Y-DNA「A」や東ユーラシア時代に取り込んだと思われるY-DNA「C」(タタール系でしょう)も現存しています。


3.バルカン諸国家

  アルバニア人だけがラテン系遺伝子を強く残していますが、他は見事にバルカン系遺伝子のY-DNA「 I2」が主要遺伝子となっており、旧ユーゴースラヴィアの国名にもなったスラヴ系Y-DNA「R1a」が続きます。

  どうやらアルバニア人だけが極めて特徴的な遺伝子構成のようです。他の諸国は遺伝子構成は現代では基本的に似通っているのですが、宗教と言語の違いが極めて厳しく、紛争地帯の最大の要因のようです。

4.バルカン周辺諸国家(旧オスマン帝国の影響があった諸国)

  バルカン系遺伝子Y-DNA「 I2」とスラヴ系遺伝子Y-DNNA「R1a」が核の民族群のようです。


5.イタリア

  ここではイタリア北部の遺伝子調査結果は出てきません、キチンと系統的に調査されたデータは意外にないのです。

  研究者の注目はやはりイタリアらしいラテンの色彩の強い地中海ど真ん中のイタリア靴のつま先最南端部のカラブリア州や島々のようです。

Y-DNA「E1b1b1」が核のシシリー島とバイキングY-DNA「 I1」が核のサルディニア島の違いがはっきりとわかります。恐らく島民の気質も大きく違うのでしょう。

特に不思議なのはマルケ方言を話すイタリア中央部のMarchigiano方言民の人々で、非常に希少なY-DNA「T」がほぼ100%なのです。 勿論ジェファーソン元アメリカ大統領(Y-DNA「T」)の出身地なのでしょう。このようにイタリア半島部と島々は遺伝子的にかなり面白い国なのです。


6.フランス・プロバンス地域

  フランスの地中海沿岸部のため、もう少しラテン系遺伝子の割合が多いのかと推測をしていましたが、ケルト系Y-DNA「R1b」が60%近くを占める典型的な北欧系地域でした。 恐らくイタリア北部も同じような傾向ではないかと推測できます。

つまりヨーロッパ大陸部は北欧で、バルカン半島やイタリア半島、イベリア半島のような地中海に飛び出した地域と島々のみが南欧 つまり地中海地域なのでしょう。もう少しイタリア研究論文の調査を進めて見ます。


7.スペイン

  スペインは各地方がスペインからの分離独立を声高に叫ぶような不思議な国家なのです。スペインを統一したのはカスティーリャ王国ですが、現代にいたっても国家への帰属意識は意外に低いのだそうです。 それぞれの州が好き勝手に叫んでいるようなのです。

実は予想に反してラテン度は低くケルト度が高いのです。スペインのY-DNA「R1b」はラテン気質をみてもゲルマン系ではなくケルト系に近いと思われます。


  バスク人はイギリスのケルト系と並ぶほぼ純系のケルト系遺伝子集団です。

  ガリシア州はスペインの中で最もラテン系遺伝子が多い州。

  アラゴン州はバルカン系遺伝子が最も高い州。

  独立の声が最も大きいカタルーニャ州はバスクの次にケルト度が高い州です。

  ポルトガルは独立していますが、遺伝子的にはイベリア半島民の一部です。


8.ベルベル人

  アフリカ北岸一帯に分布するベルベル人は見事にラテン系遺伝子Y-DNA「E1b1b1」の民族です。

アフリカ北岸はカルタゴやハンニバル将軍などの歴史があり、恐らく古代ローマ時代は当時の文明の先端に位置していたと思われます。 特にトゥアレグ族はほぼ純粋なY-DNA「E1b1」遺伝子集団です。


9.アラブ人

  サラセン帝国など、アラブY-DNA「J1」の拡大でアフリカ北岸はアラブ一色に染まりY-DNA「E1b1b1」はひっそりとわき役に落とされました。 しかし遺伝子調査は極めて明快に今でもY-DNA「E1b1b1」が民衆の遺伝子の核であることを示しています。

つまりアラブの文化を取り入れイスラム教に改宗した集団はイスラム・アラブ人の一員となり改宗せずに独自の信仰を守った集団はベルベル人として非定住・遊牧の生活を選んだものと思われます。

  これは中国で中華文明に取り込まれた異遺伝子集団は漢民族に取り込まれ、そうでない集団は辺境の少数民族化したのと同じような様相です。

  ベドウィン人はアフリカ北岸のアラブ人の中でも古いアラビア語を話す集団らしいですが、ラテン度はほとんどなくアフリカの主要遺伝子の一つであるY-DNA「E1a」を多く含み、 恐らく交易を通してだろうと推測できますが、むかなり特殊な交配を行ってきた 民族集団のようです。

32 名前:777

2025/02/19 (Wed) 00:31:58

【最新DNA研究】東アジア人に近縁だった古代ヨーロッパ人/古代DNA研究で明らかになる金髪と青い目の起源/ストーンヘンジと農耕民/覆ったアイスマンの姿/ヤムナヤ文化集団(西部ステップ牧畜民)の到来
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2024/11/19
https://www.youtube.com/watch?v=XtoIbXeAdSY

古代ゲノム解析研究が進んでいるヨーロッパでは次々と驚きの研究成果が報告されています。
現生人類は遅くとも4万5千年前にヨーロッパに進出していましたが、その外観や遺伝的特徴は現代ヨーロッパ人とは大きく異なっており、現代ヨーロッパ人に遺伝的な影響を殆ど残さずに絶滅した先住集団がいたこともわかってきました。
では金髪・青い目・明るい肌をした現代ヨーロッパ人はいつどこから現れたのか。
東アジア人に近縁な狩猟採集民、初期の西ユーラシア系の狩猟採集民、西ヨーロッパ狩猟採集民、初期ヨーロッパ農耕民、ヤムナヤ文化に関連する牧畜民がどのように現代ヨーロッパ人と繋がっているのか。
今回は、最新の研究成果から明らかになったヨーロッパの初期現生人類と現代ヨーロッパ人の起源について解説していきます。



ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F


白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I

この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ


古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI

この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。

▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ



アーリア人はどこからやって来たのか?DNAは残っているのか?ナチス・ドイツによる悪用とは?
History hub 2025/03/08
https://www.youtube.com/watch?v=jfh--HTH3dc

この動画では、「アーリア人の起源」を歴史・考古学・遺伝学の視点から解説します。アーリア人はインド・イラン語派を話す民族であり、約4000年前に中央アジアの**ステップ地帯(ヤムナ文化)**から移動し、インドやイランに定住しました。19世紀ヨーロッパでは「アーリア人=文明の担い手」とする誤解が広がり、ナチスが「金髪碧眼のスーパーレース」という虚構を利用しました。しかし、最新のDNA研究により、アーリア人は遊牧民の一派であり、現代のインド北部やイランに遺伝子的影響を残したことが判明しています。ヨーロッパにもステップ地帯のDNAは含まれますが、アーリア人=ヨーロッパ系ではないことが科学的に証明されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:アーリア人って誰のこと?
02:38 第二章:どこから来たのか?
07:15 第三章:なぜ誤解が広まったのか?
10:50 第四章:アーリア人の遺伝子は残っているのか?
14:36 まとめ



ラテン人、ゲルマン人、スラブ人の違いとは?ヨーロッパ三大民族!言語、文化、宗教の違いとは?
History hub 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=R_7mbQcSAus

この動画では、ヨーロッパの主要民族であるラテン系、ゲルマン系、スラブ系の違いを解説します。ラテン人は古代ローマを起源とし、陽気で情熱的、芸術や恋愛を大切にする文化が特徴。ゲルマン人は北ヨーロッパにルーツを持ち、秩序と規律を重んじ、戦士気質と堅実な精神を持つ。一方、スラブ人は広大な東欧を中心に広がり、粘り強く、魂や共同体を大切にする文化が根付いています。それぞれの民族が築いてきた歴史や文化の特徴をわかりやすく紹介。視聴者に「自分はどの文化に共感できる?」と問いかけ、民族の違いを楽しく学べる構成となっています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:まずはざっくり分けてみよう
01:59 第二章:ラテン系とは?
05:42 第三章:ゲルマン系ってどんな人たち?
09:17 第四章:スラヴ系とは?
13:41 第五章:それぞれの違いと共通点
15:27 まとめ



ゲルマン民族の起源と文化:ヨーロッパの歴史を変えた部族たち
History hub 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=UbMKv5jFp9Q&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=4

今回は「ヨーロッパの歴史を変えたゲルマン民族:起源、文化、そして現代への影響」というテーマで、ゲルマン民族の起源や歴史、文化、そして現代への影響について詳しく解説します。ローマ帝国を滅亡させたゴート族や後のフランスを作ったフランク族、現在のイギリスに渡ったアングロサクソン族、アフリカに渡ったヴァンダル族など様々な部族に触れていきます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:39 ゲルマン民族の起源と歴史
03:45 ゲルマン部族の紹介
03:58 西ゴート族
04:35 東ゴート族
05:08 フランク族
05:44 アングロ・サクソン族
06:14 ヴァンダル族
07:07 ゲルマン民族の文化と社会
07:26 政治制度と法
08:19 宗教と神話
09:00 日常生活と風習
09:45 結婚と家庭
10:06 祭りと儀式
10:26 まとめ


ゲルマン人とスラヴ人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!言語、文化、遺伝子の違いとは?
History hub 2025/01/25
https://www.youtube.com/watch?v=pbEXeHI_hQs

この動画では、ヨーロッパ史におけるゲルマン人とスラヴ人の違いをわかりやすく解説しています。ゲルマン人は北ヨーロッパを起源とし、ローマ帝国崩壊に関与した戦士文化と秩序重視の性格が特徴。一方、スラヴ人は東ヨーロッパから農耕文化を広げ、感情豊かで情熱的な性格を持つ民族です。遺伝学的には、ゲルマン系に多い「R1b」や「I1」、スラヴ系に多い「R1a」といったハプログループが祖先の移動や混血の歴史を示しています。現代では、ゲルマン系は技術革新や効率性、スラヴ系は芸術や精神性で世界に影響を与えています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもゲルマン人とスラブ人って何者?
03:33 第二章:どうやって広がった?
09:50 第三章:言語の違い
11:56 第五章:遺伝的な違い
14:53 まとめ


なぜヴァイキングはスラブ人を奴隷にしたのか?恐怖の人●売買ネットワークとは?アフリカまで送られていた!?
History hub 2025/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=zYPfNNYP2T0

この動画では、バイキングによるスラヴ人の奴隷化について解説しています。ヴァイキングたちは8~11世紀に、スラヴ人を略奪し奴隷として捕らえ、イスラム世界やビザンツ帝国へ輸出しました。奴隷は農業や建設、家庭内労働、さらには軍事目的で使用され、当時の経済を支える重要な存在でした。一方、スラヴ人社会はこの困難を乗り越え、後の強力な国家形成へと繋がりました。また、ヴァイキングの奴隷貿易は後の大西洋奴隷貿易の基盤となり、歴史に大きな影響を与えました。このテーマは、歴史を通じて倫理や人権について考えるきっかけを与えてくれます。

00:00 イントロ
00:34 第一章:ヴァイキングの奴隷貿易
02:30 第二章:なぜスラヴ人がターゲットに?
05:10 第三章:奴隷としてのスラヴ人の運命
08:43 第四章:ヴァイキングの視点
11:37 第五章:歴史的な影響
14:27 まとめ


ケルト人はどこからやって来たのか?そして、どこへ消えたのか?現代に残るDNAとは?
History hub 2025/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=pFfydcacSx4

ケルト人は、特定の民族ではなく、ヨーロッパ全土に広がった文化・言語グループであり、中央ヨーロッパのハルシュタット文化から発展した。彼らは戦士として勇敢でありながら、金属加工や交易にも長け、ドルイドと呼ばれる知識人が社会を支えていた。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国の侵攻を受け、ガリアなどでは支配される。一方、アイルランドやスコットランドではケルト文化が存続。中世以降もゲルマン人やノルマン人の侵攻を受けたが、ケルトの言語や音楽、神話は現代に残り、アイルランドの伝統やファンタジー文化に影響を与えている。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:38 第一章:ケルト人ってそもそも誰?
03:10 第二章:ケルト人の起源はどこ?
05:27 第三章:ケルト人はどんな暮らしをしていた?
07:58 第四章:ケルト人はどこへ消えた?
11:10 第五章:現代に残るケルト人のDNA
13:34 まとめ



ケルト人とゲルマン人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!あなたはどっち派?
History hub 2024/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=doQp6FbN7O4&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=1&t=69s

この動画では、ケルト人とゲルマン人の違いや共通点について解説しています。ケルト人はアイルランドやフランスなどに広がり、自然崇拝や芸術を重視していたのに対し、ゲルマン人はドイツや北欧に住み、実用性や戦士文化を重んじていました。宗教面では、ケルトはドルイド教、ゲルマンは北欧神話を信仰し、戦士としての誇りが共通していました。また、両民族ともに部族社会を形成し、ローマ帝国と激しく対立しましたが、自然との共生や戦士の価値観が共通していた点も強調されています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:31 第一章:ケルト人とは?
02:26 第二章:ゲルマン人とは?
04:43 第三章:ケルト人とゲルマン人の違いはどこにある?
09:09 第四章:両民族の共通点は?
12:43 まとめ

ヴァンダル族 : 破壊者と呼ばれたゲルマン民族!アフリカへの進出、ローマへの侵攻、なぜ滅亡したのか?【歴史解説】
History hub 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=y2_E1v9gasU&t=0s

この動画では、古代ゲルマン部族「ヴァンダル族」の歴史を解説します。彼らはローマ帝国末期にローマを略奪し、「ヴァンダリズム=破壊行為」の語源となりましたが、実際には無秩序な破壊者ではなく、宗教施設などは慎重に扱ったとされています。ヴァンダル族はローマ略奪後、北アフリカに王国を築き、地中海で一時的に強力な勢力を誇りました。しかし、ビザンチン帝国により滅ぼされ、その後歴史の表舞台から消えました。ヴァンダリズムの誤解と彼らの真実に迫ります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ヴァンダル族って誰?
01:43 第二章:北アフリカのヴァンダル王国
05:51 第三章:ローマへの一撃
07:56 第四章:ヴァンダリズムの誤解
10:29 第五章:ヴァンダル族の結末とその後の影響
12:00 まとめ

なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM

▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章:現代への影響
11:46 まとめ

東欧はなぜ美女が多いのか?スラブ系、ゲルマン系、アジア系民族などの遺伝子的背景や歴史と文化、そして地理的影響を探る【歴史解説】
History hub 2024/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=8Vbui05yCog&t=0s

この動画では「東欧はなぜ美女が多いのか?」を歴史的背景や文化、生活習慣を交えて解説しています。東欧は西ヨーロッパとアジアの中間に位置し、多くの異なる文化や民族が交差する場所です。この地域の多様な民族が混ざり合い、美的特徴が豊かになりました。また、東欧の歴史では戦争や移民が多く、異なる遺伝子が交わった結果、多様な美が生まれました。さらに、伝統的な民族衣装や自然素材を使った美容法、フィットネス文化が美しさを育んでいます。現代でも、東欧の女性たちはソーシャルメディアやミスコンテストで美しさを発信し続けています。美の秘訣は、歴史、文化、日常の努力が絶妙に融合している点にあります。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 美の基準と文化的背景
01:08 第一章 : 東欧の地理と民族の多様性
03:10 歴史的背景
03:31 戦争と制服
04:20 移住と交易
05:08 民族の融合
06:01 美容と健康の文化
06:20 伝統的な美容法
07:44 精神的な健康
08:32 遺伝子の多様性
08:47 歴史的な混血
09:30 遺伝子の多様性と健康
09:57 現代の遺伝子研究
10:33 独自の意見
11:49 まとめ

33 名前:777

2025/05/05 (Mon) 16:38:39

【ゆっくり解説】考古言語学で迫る!インド・ヨーロッパ語族の誕生と拡散 〜ウクライナから世界へ〜
楊堅のゆっくり言語学 2025/04/28
https://www.youtube.com/watch?v=n_loJiTXu5c&list=PLhfWmo1U88Hwo1VvYujkmrgu6X8VGpu2m&index=1

【目次/チャプター】
00:00 導入
00:41 インド・ヨーロッパ語族について
03:41 クルガン仮説について
07:24 アナトリア語派
08:24 トカラ語派
09:16 インド・イラン語派
13:31 イタリック語派
14:04 ケルト語派
14:39 ゲルマン語派
14:16 バルト・スラヴ語派
17:16 ヘレニック語派
17:56 アルメニア語派
18:53 アルバニア語派
20:46 締め

34 名前: Rubenuricy

2025/05/05 (Mon) 17:22:37

РТНС from TOR and FREENET

j1d.ca/_J #or# put2.me/epuemo
4ty.me/ibhi7c #or# tt.vg/URoSx
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-----------------
000A001001

35 名前:777

2025/06/21 (Sat) 08:35:07

ヨーロッパ人の肌はなぜ白くなったのか?先住民は黒かった?白い肌はどこから?アジア人との違いとは?
History hub 2025/06/20
https://www.youtube.com/watch?v=UIIGw4iG5lo

この動画では、ヨーロッパ人の肌がなぜ白くなったのかを、歴史・進化・環境の視点からわかりやすく解説しています。1万年前のヨーロッパ人は実は肌が黒かったこと、そこに中東から明るい肌の農耕民が移住し、混血と食生活の変化により白い肌が広がったことを紹介。さらに、ステップ地帯からの遊牧民が肌や髪、目の色の多様性を押し広げ、現代のヨーロッパ人の姿が形作られた過程を描きます。また、東アジア人の肌の進化は別ルートで進んだことも取り上げ、肌の色は環境適応の結果であり、優劣ではないという視点で締めくくられます。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:32 第一章: ヨーロッパの祖先は白くなかった?
03:20 第二章:白くなった理由その1 中東からの農耕民
07:13 第三章:白くなった理由その2 ステップ遊牧民
11:47 第四章:アジア人の白い肌とどう違うの?
15:45 第五章:肌の色に優劣はない

36 名前:777

2025/08/03 (Sun) 05:09:17

イギリス先住民とビーカー人の違いとは?民族が一気に入れ替わった!?DNAの90%が置き換えられた理由とは?
History hub 2025/08/02
https://www.youtube.com/watch?v=u1DUgYcliuY

この動画では、イギリス先住民とビーカー文化人の違いを解説しています。先住民は紀元前4000年ごろからブリテン島で農耕や巨石建造を行い、共同体的な生活を送っていました。一方、紀元前2400年ごろにやってきたビーカー文化人は金属技術や個人主義的な社会構造を持ち込み、遺伝子的にも島の人口構成を大きく変えました。文化・社会・価値観の激変があり、現代にも通じる「変化と融合の歴史」として考察しています。

▼チャプター
00:00 イントロ
00:48 第一章:イギリス先住民って誰?
04:31 第二章:ビーカー人とは?
09:04 第三章:DNAの違い
12:55 第四章:何がどう変わったのか?
15:13 まとめ

37 名前:777

2025/08/11 (Mon) 03:16:45

ウェールズ人はなぜ他のイギリス人と違うのか?古いDNAが残った理由とは?見た目や気質は違うの?
History hub 2025/08/10
https://www.youtube.com/watch?v=kc69RRBWpC4

▼チャプター
00:00 イントロ
00:24 第一章:ウェールズ人って何者?
03:12 第二章:ウェールズ人のルーツとは?
07:40 第三章:なぜウェールズだけが古いDNAを保ったのか?
10:29 第四章:他のイギリス人とのDNAの違い
13:54 第五章:古いDNAが現代に与える影響

38 名前:777

2025/12/06 (Sat) 06:27:15

【国際社会】ナチスによる人種差別の根拠「アーリヤ人」とは何か!本来は民族ではなく言語上の区分でした
世界史解体新書 2025/12/05
https://www.youtube.com/watch?v=FNV5Dqyt-2w&t=832s

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