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ジュリー・アンドリュース『サウンド・オブ・ミュージック』(20世紀フォックス 1965年)

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2025/03/15 (Sat) 07:20:21

ジュリー・アンドリュース『サウンド・オブ・ミュージック』(20世紀フォックス 1965年)
監督 ロバート・ワイズ
脚本 アーネスト・レーマン
原作 ハワード・リンゼイ ラッセル・クローズ
音楽 リチャード・ロジャース オスカー・ハマースタイン二世 アーウィン・コスタル
撮影 テッド・マッコード
配給 20世紀フォックス
公開 1965年3月2日

動画
https://www.youtube.com/watch?v=_0Ecqv3qPUw


サウンド・オブ・ミュージック (映画) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF_(%E6%98%A0%E7%94%BB)


オーストリア出身のマリア・フォン・トラップによる自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』(The Story of the Trapp Family Singers)を基にしている。

本作品は、あくまで「『マリアの自伝を基にしたミュージカル』を原作とした映画」であり、元のミュージカルの時点から史実とは異なる点が多々ある。

実際にはオーストリアにおいてもドイツによるオーストリア併合を支持する国民が圧倒的に多く、動画サイトなどではこの映画の演出と異なりドイツ国旗を振りながら喜んでドイツ軍やアドルフ・ヒトラーを迎えるオーストリア国民の群衆を見ることが出来る。ドイツ軍進駐後にドイツ政府によって行われた国民投票では97パーセントが賛成したとされる(詳しくはアンシュルスを参照のこと)。『菩提樹』ではオーストリアの民衆が歓声をあげてドイツ軍を迎える様子を伝えるラジオ放送をトラップとマリアが苦々しい表情で聞いている場面がある。
映画およびミュージカルではマリアは修道院の紹介で修道女の身分のままトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時点で既に修道女を辞め修道院を出ている。その理由も作中と異なり、修道院の暮らしに馴染めずに体調不良に陥ったことで転職を勧められたためである。

ゲオルクには前妻アガーテとの間に子供が7人いたが、マリアが家庭教師として教えたのは最初は次女(名前は同じマリア)であり、後に長女(母と同じアガーテ)に教えていて、7人全員の家庭教師ではない。
ゲオルク・フォン・トラップの役名は、1956年と1958年に西ドイツで製作された『菩提樹』や『続・菩提樹』ではバロン・フォン・トラップであり、「トラップ男爵」と訳されている。1965年のこの作品ではキャプテン・フォン・トラップとなっていて、映画の中では「キャプテン」と呼ばれ、マリアも「キャプテン」と呼んでいる。しかし婚約していたエルザは彼を「ゲオルク」〔英語風にゲオルグ〕と呼んでいる[24]。ゲオルクは結婚式のシーンで少佐の制服(オーストリアでは中金線3条)を着用しており、映画製作者側のゲオルクの設定に対する構想の変遷を垣間見ることができる。

ラスト近くで「トラップ・ファミリー合唱団(シンガーズ)」の名でザルツブルクの音楽祭に出演しているが、この楽団名はアメリカに渡って戦後になってから改名したもので、この当時は「トラップ・ファミリー聖歌隊 (Choir)」と名乗っていた。

当時の実際の合唱団にはゲオルク・フォン・トラップの7人の連れ子の他に、マリアが産んだ二人(後にアメリカで3人目が生まれた)の子供も加わっており、ラストの1938年当時は7人の連れ子はすでに大人[25]であって、マリアが生んだ二人[26]だけが子供であった。これは、実際に二人が結婚したのは1927年で、ラストの出国当時はそれから11年後の話であることによる。そして1956年に西ドイツでマリア・フォン・トラップの手記を基に映画化された映画『菩提樹』で、時代設定を10年ずらして、二人が知り合い結婚してすぐに出国するストーリーにして、子供の顔触れも変えずにしたための矛盾である。『サウンド・オブ・ミュージック』も『菩提樹』の時代設定を踏襲している。

音楽好きの家族で合唱団を結成して、音楽のコンクールに出ることになっているが、実際は大恐慌によりゲオルクが資産を預けていた銀行が倒産。無一文となったゲオルクに対して、マリアは神学生に下宿を貸出して金を稼ぎ、その下宿人だった神父フランツ・ヴァスナーが子供たちの音楽指導を行ったのであり、音楽指導を行ったのはマリアではない。『菩提樹』では、教会へのオルガンの寄付を依頼しにトラップ家を訪れたヴァスナー神父が子供たちの歌声を聴いて飛び入りで合唱指導を始める、という設定になっている。

この映画は全般的に親衛隊と突撃隊とを混同して演出している。なお、突撃隊はナチス内部の権力闘争の結果この映画の舞台となった1938年にはその活動は下火になっている。ラストで追われるトラップ一家を追跡する一隊の制服は、ツェラーの副官は黒色の制服(親衛隊)だがその下の隊員(ロルフら)は褐色の制服(突撃隊)である(ただし、アンシュルスがあった1938年3月に一般親衛隊の制服は黒からフィールドグレーに変わっており、黒服は予備親衛隊員などが着るイレギュラーな存在となっていた。詳細は親衛隊と突撃隊および、制服 (ナチス親衛隊)、制服 (ナチス突撃隊)を参照。)。

トラップ一家が生まれ故郷オーストリアを離れることを決心したのは、ゲオルクの元に召集令状が届いたためだけでなく、ドイツ海軍の潜水艦艦長に就任するように要請され、また長男ルーペルトがユダヤ人医師を強制収容所送りにした後の病院に勤務することも要請され、さらにヒトラーの誕生日にミュンヘンのラジオ局でトラップ一家が歌えと要請されて、いずれも断ったことで、オーストリアに留まることが危険であると判断したことと、当時ナチス党員であった執事のハンスがオーストリア国境がもうすぐ閉鎖されることを伝えたことが大きい。

映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えてフランスへ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、サウサンプトンから船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。ところでなぜイタリアに行ったのかについては、当時トラップ一家は戦前オーストリア領で戦後イタリア領になったトリエステで市民としてイタリアの市民権を持っていて、まだ独伊同盟が締結される前年で、オーストリア併合に反対したイタリア国内の動きからナチスといえどもイタリア市民権を持つ者を勝手に逮捕することが出来なかったことによる。

オーストリアを脱出する山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルクからスイスの間を結ぶ通常のルートとは全く異なる場所で撮影された。現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツ(バイエルン州)のベルヒテスガーデンである。近辺にはアドルフ・ヒトラーの別荘すら存在する。ザルツブルクはドイツとの国境が近く、その半分以上の方角がドイツとの国境である。そしてザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである。

実際のマリア・フォン・トラップも活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、ゲオルクの方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役であり、音楽好きな性格であった。渡米後にトラップ・ファミリー合唱団が解散したのは、ゲオルクの死後マリアだけで子供たちをまとめきれなかったのも一因とされる。

伝記がミュージカル化される際、マリアは事実がフィクションとして脚色して描かれること自体には寛容だったが、亡き夫ゲオルクが厳格かつ横暴な人物として描かれるシーンにだけは納得しなかった。


オーストリア・ドイツ等における否定的な評価

『サウンド・オブ・ミュージック』は、地元のザルツブルクを含むドイツ語圏ではヒットしなかった。それはこの映画が当時のオーストリアの現実とまったく異なるものであることに起因する[31]。そのため、オーストリアではザルツブルクを除いて、21世紀に入るまでこの映画は1度も上映されていない。また、第一次世界大戦当時の敵国であったイタリアなどではトラップ艦長は商船を攻撃した極悪人であり、それがイタリアと第二次世界大戦時に同盟国であったドイツに抵抗する英雄で格好よく描かれているという点で反感を買い、本映画の上映が禁止されている町すらある。

しかし、西ドイツではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『菩提樹』、『続・菩提樹』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている。

本作品では、映画の冒頭に字幕で出てくる「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という表現のとおり、ナチスが台頭する以前のオーストリアが自由で民主的な国であり、ゲオルク・フォン・トラップがその自由を守るシンボルとしてナチスと戦うように描かれているが、実際にはそうではなかった。

彼の立場はオーストリア・ファシズムと言われる時代の考え方を支持するものであって、1930年代初めに議会が停止されて社会民主党や労働組合が解散させられ、ナチスも抑え込まれた状況下での当時の首相フォン・シュシュニックを支持していた。そして、古い体制を支持(映画中のパーティ―において彼が燕尾服の首から掛けて佩用している中綬章タイプの勲章は古いファシズムを表すものである)して、結局ナチスとの権力争いに敗れたのであって決して自由と戦う者とは違うものであった。

そのため、戦後中立を標榜したオーストリアにとって、戦前のオーストリアも自由を抑圧した体制であり、やがてナチスに迎合して合邦された苦い歴史を作ったオーストリア・ファシズムを支持するトラップ一家は、単に権力争いに敗れて亡命を余儀なくされただけであり、戦前の体制を擁護する映画であると見られている。

ゆえに、この映画の内容を鵜吞みにして、ナチスに走ったツェラー、ロルフ、フランツを単純な悪役にしていては当時の複雑なオーストリアを理解することは難しい。本作品は日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきたと言われている。

なお、映画で家政婦も執事もナチス党員で監視する悪役のような描写になっているが、西ドイツ製作の『菩提樹』では史実に沿って執事が党員でありながら手引きする場面があり、長女アガーテが半世紀が過ぎた後に回想記で感謝の念を述べている。
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2025/03/15 (Sat) 07:22:12

リーベンアイナー『菩提樹』Die Trapp-Familie (1956年 西ドイツ)
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16894905

マリア・フォン・トラップによる自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』の前編(オーストリア編)を原作としている。

トラップファミリーがアメリカに亡命するまでを描いており、続編の『続・菩提樹』では亡命後のトラップファミリーが描かれている。ブロードウェイミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』およびアメリカ映画『サウンド・オブ・ミュージック』の先行作品で、史実との相違点が多いそちらに比べ、本作の内容は史実及び原作に比較的忠実になっている。

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