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アメリカ原理時代の終焉と「脱西洋」の新しい世界――グローバル化による破壊と混迷を立て直す力 東京外国語大学名誉教授・西谷修
2023年12月24日
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/28554
2022年2月から本格的に勃発したロシア・ウクライナ戦争も収束しないうちに、今年10月からイスラエルによるガザ侵攻が始まり、第二次大戦後のアメリカを中心にした「世界秩序」の威信が大きく揺らいでいる。この秩序の不安定化を理由に、日本でも政府やメディアによって隣国の脅威が煽られ、戦時を前提とした軍事拡大路線が進められる事態に対して全国で憤激が強まっている。戦後史を画すような変化が世界規模で起きるなかで、日本社会を含む世界の変化をどう捉えるか――本紙は、『戦争論』などの著書で知られ、ウクライナ戦争の即時停戦を早くから提唱してきた東京外国語大学名誉教授の西谷修氏にインタビューし、その考察をまとめた。
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ウクライナとガザ――世界を巻き込む二つの戦争が錯綜して進行する今、私たちはどんな世界を生きているのか、日本に生きる私たちはそれをどう把握し、新しい時代を展望するか。地理歴史的な世界の展開の現在地における自分と世界の認識を、私なりの観点で照らし出してみたい。
結論的にいうと、20世紀はアメリカの世紀であり、戦争の世紀あるいは戦争と革命の世紀といわれた。それは世界中に戦争が広がったからだが、それは常に欧州から始まり、それによって世界は一つになった。これには二段階あったが、まずは欧州諸国による世界の植民地化、それが破綻すると次いで起こったのがアメリカ統治原理によるグローバル化だ。いまはその二度目の「西洋化」が破綻する時代になっているといえよう。
西洋諸国の世界展開で、世界の多くの場所は植民地化された。そうでないところも、もともとの生活や習俗を捨てて近代化=西洋化し、近代の諸価値、とりわけ、豊かさや富を生産する産業経済システムを支える諸価値が旧来の社会を大きく変えるようになった。植民地化されたところは、西洋諸国の繁栄や発展のために、人も資源も社会的資産も獲り尽くされ、荒廃した砂漠、世界の貧困地帯として残った。
近代以降の日本は、西洋化の圧力のなかでみずから西洋化を試み、西洋的世界システムの中でのプレーヤーたらんとしてきた。西洋化の波に呑み込まれるのはまずいが、この流れに乗っていくしかないということで、中央集権国家を作り、殖産興業や富国強兵をやり、食いつくされる中国などを尻目に、「脱亜入欧」に突き進む。遅れたアジアを脱し、西洋に合流するということだ。そして事実、無理をして二度の対外戦争をやり、開国半世紀後には二つの植民地を得て「アジアで初の植民地帝国」となる。アジアは西洋諸国と争って食い尽くすべき素材なのだ。
だがその頃、欧州では、それとは知らずして始めた戦争が欧州全体を呑み込む第一次世界大戦になってしまい、それが4年間も続くなかで混乱を極めた。そこから、これまでのように力の論理で奪い合う戦争をやっていては、世界に冠たる文明を誇る西洋そのものが自壊し、没落してしまうという反省が生まれる。だから戦後初めて、戦争が罪悪視されるようになり、不戦条約の試みや軍縮交渉を始めるが、日本は「そんなことは知らない。自分たちはこれからだ」とばかりに征服や拡大の方針を突っ走ることになる。
米国もそれまでの欧州の世界進出にともなう植民地戦争に深くは関わっていない(むしろ「解放」してきた)。欧州混乱の体たらくを見て、調停機関である国際連盟をつくるが、米国自身は入らなかった。「古いヨーロッパはこれでやれ。俺は知らない」とばかりに。
そして1922年、社会主義ソ連が誕生。そして欧州諸国の抗争で一番打撃を受けたところから、恨みの怪物のようにしてナチズムが出てくる。そこから始まった世界戦争(第二次世界大戦)は、アジア・アフリカの植民地も全部ひっくるめておこなわれた。その最後に登場した核兵器は、それまでの戦争を不可能にした。戦争は相手を負かして、言うことを聞かせてものを奪うものだったが、原爆を落せば何も残らなくなる。原爆は、戦争を不可能にさせる事実上の「最終兵器」となった。
「西側」とは何か? 新・旧2つの「西洋」
第二次世界大戦を終わらせたのは、一度も戦争に懲りていないアメリカだった。アメリカはただちにソ連と核を掲げての冷戦に突入する。ここからはイデオロギー戦争の時代だ。
建国以来アメリカは、私的所有の上に「自由」をつくる国だった。欧州のように、住民を奴隷にして自分が主人になるというような面倒なことはしない。先住民(インディアン)を追い出し殲滅して、それによって「誰もいない土地」を作り出し、そこに不可侵の私的所有権を設定し、それを基盤に「持てる者の自由の国」(J・ロック)をつくるのだ。
一方のソ連は、私的所有の廃止を掲げる。それが現実的にどのような社会制度を生み出したかは関係なく、私的所有を考え方として否定する。この「不倶戴天の敵」同士による冷戦は、世界に拡大し、植民地独立闘争も巻き込んで「所有の自由vs社会統制」のイデオロギー戦争となる。
この東西の冷戦は、ソ連の自己解体によって終わる。いわゆる「自由・民主主義」を掲げた「西側」が、壁の向こうの強権と専制の「東側」(社会主義圏)を解体し、その諸要素(人・モノ・組織)を自由市場に「解放」して、1990年以降のグローバル化と呼ばれる時代を開いた。解体された東欧・ソ連では、西側の市場原理が導入され(IMFや世銀の構造調整が入り)、旧体制の特権層が国有財産を私物化して富裕化する一方、一般の人々は泥沼のなかに打ち捨てられる形で塗炭の苦しみを強いられた。
これにより世界は「西側の原理」でグローバル化する。だが、対抗勢力がいないのだから、それがそのまま世界のスタンダードとして浸透し溶け込んでいくかといえば、そうはならなかった。
そもそも「西側」とは何か? 米英語では「ウエスト」といわれるのが常だが、元はラテン語由来の「オクシデント」だ。日本語では西洋と訳されるもので、ここには米国も含まれる。米ソ冷戦の東西区分は、ヤルタ会談で決められた欧米とソ連との影響圏の分割によるものだが、実は歴史宗教的にみれば、キリスト教世界を東西に分けたローマ・カトリックと東方正教との境界とほぼ重なっており、さらに遡ればローマ帝国の東西分裂が元になっている。
欧州は20世紀前半までは、世界史の一つの「主体」領域だったが、世界戦争以降は「新しい西洋」としてアメリカが台頭し、アメリカはソ連とのイデオロギー戦争も「西洋(西側)」の名の下におこなった。そのため欧州はそこに組み込まれざるをえない。冷戦後も米国は、欧州とロシアとの関係修復を阻むため、ワルシャワ条約機構の解体で存在意義がなくなったはずのNATO(北大西洋条約機構)を維持し、欧州を米国に繋ぎ止めるための鎹(かすがい)とした。だからその後、NATOを東方拡大して対ロシアの圧力として使うのである。それは実は欧州をも困らせている(ロシアと協力できない)が、ウクライナ戦争の淵源も明らかにここにある。
イスラーム世界の復権 イラン革命が転機に
1978年のイラン革命。シャー体制打倒のデモでホメイニー師の肖像画を掲げる男性(テヘラン)
アメリカ的体制、世界統治を拡大していくためには常に敵が必要となる。「敵の殲滅」を掲げることで軍事力も経済力も維持でき、それによって世界を制することができる。社会主義崩壊の後に、アメリカが次なる敵として名指ししたのがイスラームだった。
90年代以降、世界のグローバル化において、それに異を唱えるものは全部「テロリスト」とされ、抹消の対象となった。その発端となったのがイラン革命(1978年)だ。
イラン革命とは、単にイスラームが政治化して神権政治をつくったというような話ではない。この200年来の「西洋の支配」とは、一つは資本主義、もう一つは社会主義だ。双方とも西洋から持ち込まれ、社会を西洋的に世俗化し、合理的な人間統治をするという考え方だ。それが植民地化とか信託統治領という形でアラブ・イスラーム世界をずっと圧迫していた。
当時のイランは、皇帝の血筋であるレザー・シャーが、アメリカの全面サポートで強引な近代化を進めていた。アメリカにとっては中東の石油地帯を掌握するためだ。だが、それは徹底的な****近代化路線であり、都市部が近代化して華やかになる一方で、取り残された農村地域では飢餓や貧困が蔓延する。そのとき、誰からのサポートも受けることのない彼らの生活や日常生活の意識を支えてきたのが、イスラームの共同体だった。
イスラームには、キリスト教のように政教分離という考え方はない。政教分離とはキリスト教独自のもので、プロテスタントが生まれて宗派対立が激しさを増したときに、宗教はそれぞれの心の中で信じればよいのだから、そこに相違があっても「公共領域」である政治に持ち出してはいけないという考え方としてつくられた。それを世俗化という。つまり、政治は世俗の欲と原理で動けばよく、合理的に考えても上手くいかないときには教会で懺悔すればよいというものだ。
それはイエスが神と人間との「仲介」であるという仕組みとも重なっている。アウグスティヌスが「神の国」「地上の国」と説いた両世界論がキリスト教の根幹だ。「地上の国」は欲や罪にまみれた世界だが、そこに啓示の光が蜘蛛の糸のように垂れると「神の国」に目覚めて信仰するようになる。その恩寵の光にあずかったときにこそ人は悔い改めて天国に行ける。あらゆる人間がこの神の啓示に目覚め、恩寵の光に照らされて信者になれば、地上に「神の国」が生まれたのと同じだという考え方だ。
だが、イスラームはそうではない。神は隔絶しているから、この世(世俗)のことは人間が責任を持つ。世俗のことを神の責任にするのは罰当たりであり、世俗のことは人間がやるという考え方だ。「アッラーフ・アクバル(アッラーは最も偉大なり)」というのは、神に助けを乞うというものではなく、神が自分たちを罰しようが見捨てようが、それは偉大な神の力であって仕方がない。そういう世界の下にわれわれは生きているのだから、すべては神に委ねている。そして世俗で生きることが、神の掟に従って生きることなのだ。だから世俗のことは人間が共生しておこない、日々そのように生活することが神への奉仕となる。だから貧者には喜捨しなければならないし、富める者は貧者を助ける。お互いに助け合わなくてはいけない。
そもそも苦しいときに助け合う共助精神がなかったら、貧しい地域で人は生きていけない。そのように生活し、助かった人たちは「神は偉大だ」といって生活する。だから、彼らにとってムスリム(神に帰依した人)であるということは、十字架を掲げるとかそんなことではなく、毎日お茶を飲むようにみんなと共同して生きるという生活様態そのものなのだ。だからイスラームは習俗化するのである。
そこに近代化と称して西洋から資本主義や社会主義がやってきて、どーっと一元的な体制を敷かれると共助のしくみも壊れてみんな生きていけなくなる。そういう目に散々あって来ているから、アメリカ傀儡のシャー体制に立ち向かったイラン革命では、人々は米国製の戦車から撃たれても撃たれても立ち向かっていく。1回のデモで20人殺されると、次には倍する人数が出てきて、200人死ぬとまた倍する人数が田舎からも続々と出てくる。そして、ついにシャー体制は崩れる。
そのときの指導層には、マルクス主義者やトロツキスト、欧州的民主主義者もいたが、国外追放されていたアーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー(イスラーム・シーア派指導者)がフランスから帰ってくると大衆は熱狂し、結局イスラーム集団が権力をとった。それがイラン・イスラーム革命だ。
イラン革命は、資本主義か、社会主義かという話ではなく、150年間の西洋的近代化(西洋の支配)によって生活やモラルの基盤まで全部が崩され、きわめてポルノグラフィックな消費的文化にとって替えられるなかで、生活を崩されてきたこの地域全体の人たちが、壊されてきた自分たちの生活、つまりイスラームこそが「俺たちの生活だ」ということを表明し始める転機となる出来事だった。
米国発の対テロ戦争へ 国際法逸脱の殲滅戦
先述したように、イスラームは本来、政治運動でもイデオロギーでもないが、西側からの弾圧、抹消の対象となる。典型的なのがエジプトだ。
エジプトは4度にわたる中東戦争の結果、イスラエルと和解する代償として軍事政権になった。だが、それを実行したサダト大統領はイスラーム過激派青年に暗殺される。そこから権力を継承したムバラクは、サダト暗殺直後から2013年の「アラブの春」まで30年間戒厳令を敷いた。そのもとでおこなわれてきたのは、イスラーム意識をもって生きていた民衆、そこから生まれた政治勢力(イスラーム同胞団)の徹底的な弾圧だった。
この時代の弾圧によって、この地域の生活様態にすぎなかったイスラームは「イスラミズム(イスラーム主義)」と呼ばれる政治運動を生み出す。そこから出てきたのが、後にアルカイーダの指導者となるアイマン・ザワヒリだ。エジプトの牢獄に入れられていた彼は、エジプトのこの現状を生んだ元凶はアメリカであり、アラブ世界でイスラーム勢力を徹底的に潰したのもアメリカであるとして、国際旅団(ジハード団)を組織し、その後ウサマ・ビン・ラディンらと繋がっていく。
この時期、中東全域のイスラーム化が起きる。それは過激化したテロリストたちが登場したということではなく、イスラームを基盤に生きてきた民衆が、自分たちの意思や好みを堂々と表明するようになり、選挙では必ずイスラーム勢力が勝つほどそれが席巻していたからだ。だが西側は、その選挙を「無効」として認めず、軍隊まで送り込んで弾圧する。
そして2001年、日本では「同時多発テロ」と呼ばれる「9・11」が起きる。その直後からアメリカは「テロとの戦争」を宣言し、アフガニスタンやイラクを一挙猛爆撃で潰しにかかる。これまでの戦争は少なくとも国と国がやるため、お互いの言い分が言い合えるし、国家の軍事力に直接関与しない市民は守らなければならないなどの約束事(戦時国際法や国際人道法)があった。これは欧州の近代がつくってきた戦争のルールだ。
だが、アメリカは「そんなものは古い」とし、相手はもはや国ではなく、テロリスト=見えない敵であり、われわれが「テロリスト」と認めたものは徹底的に爆撃して殺してよいという新しいレジームをつくった。しかも相手には当事者能力を認めないから、交渉などしない。こんな「戦争」は近代以降かつてなかった。
つまり、最先端の武器やテクノロジーを持つ力のある国が、敵と名指しした者を虫ケラのように踏み潰していく――ただそれだけだ。こんなものは戦争とはいえないが、それがあたかも新しい時代の戦争であるかのように喧伝され、「非対称戦争」などと概念化までされるようになった。それ自体、壮大なフェイクである。
ガザ「最終戦争」と米国 先住民根絶の歴史
アメリカがグローバル・レジームとして打ち出した「テロとの戦争」を真っ先に歓迎したのが、他でもないイスラエルだ。当時、第二次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)の真っ最中で、ガザだけでなく、ヨルダン川西岸でも、イスラエル占領軍に対して石を投げて抵抗するパレスチナの民衆をイスラエルは軍事弾圧していた。
ブッシュの「対テロ戦争」宣言に意を強くした当時のシャロン首相は「まさにわれわれがやってきたのがテロとの戦争だ」として、パレスチナ民衆の軍事制圧を正当化した。自分の安寧秩序を脅かすものは「絶対悪」であり、抹消する権利があるという論理だ。これでムスリム団体出自のハマスを堂々と駆除できるようになり、ハマスの戦闘員を生み出すガザの住民たちは「テロの温床」として壁に閉じ込められ、いつでも爆撃されるようになった。
この「テロとの戦争」から、アメリカ軍中央司令部による日々の戦果発表は「テロリスト〇〇人殺害」と報じられるようになる。それによる一般民衆の被害すらも「コラテラル・ダメージ(副次的被害)」として、やむを得ないものと規定される。テロリストを匿ったりする者は「人間の盾」であり、ぶっ飛ばして当然というのが「テロとの戦争」だ。そしてこの戦争は、目標が「敵の殺害」であることを隠さない。
今まさにイスラエルはそれを対ハマス「最終戦争」、ガザ最終戦争としてやっている。戦争犯罪の代名詞である「ジェノサイド(大量虐殺、集団殺戮)」とは、ラテン語の「人種」と「殺害」を意味する言葉を組み合わせて生まれた用語だが、語源の「ジェノス」には「生まれてくる者」「生まれをともにする者」という意味がある。つまり、放っておくと大きくなってテロリストになるから、サナギのうちに全部焼いておくというのがジェノサイドだ。それが病院攻撃である。
「ハマスの殲滅」とは、ガザの全滅を意味する。それは国家同士が衝突する「戦争」などでなく、国家なき難民居留地の殲滅作戦でしかない。実際、イスラエル軍は米軍関係者との非公式協議で「アメリカは日本を降伏させるために広島と長崎に原爆を落としたではないか」といってガザ完全破壊を正当化し、それを実行に移している。
そして、アメリカはあくまでイスラエルを擁護し、支持し続ける。今でこそ抑制的にはなっているが、それでもイスラエルの戦争を止めることなく、国連安保理の停戦決議にも一貫して反対し、拒否権を行使する。
それはなぜか? メディアの解説ではいろいろ取り沙汰される。アメリカのユダヤ人コミュニティの圧力とか、ナチスから守って作らせた国だからとか…。確かに冷戦下でイスラエルは石油地帯であるアラブ諸国に対する抑えとして、西側の橋頭堡でもあった。だが、今回のように、イスラエルの「戦争」が、国際社会の大半の支持を失っても、アメリカはイスラエルの「自衛戦争権」を支持し続けている。それはアメリカの基本外交姿勢だと受け入れる前に、それはなぜなのかを問うてみる必要がある。
一つは、先述したように、イスラエルが遂行しているものが、アメリカ自身が「新世紀」のレジームとして打ち出した「テロとの戦争」だからである。相手は「テロリスト」であり人間ではないのだから、秩序の保持者がなんとしてでも殲滅する。相手は国家ではない不法な武装集団だから、国際法など意味がない。地の果てまでも追い詰めて抹消する――それを文明の名においておこなうのがアメリカの唱える「テロとの戦争」だ。(これが20年かけて最終的に失敗し、アメリカはアフガニスタンから撤退するが、敵をテロリストと名指しする習慣はとどめ、法的保護の外に置いて、他の国々がそれに追従している)。だからアメリカは今さらイスラエルのやり方を批判できない。
だが問題の根はもっと深い。実はイスラエル国家の成り立ちは、アメリカ合衆国とまったく同型なのだ。イスラエルは、欧州で迫害されたユダヤ人たちが旧約聖書を根拠にしてパレスチナの地につくったものだが、アメリカの場合は、イギリス本国で迫害されたピューリタン(清教徒)が、信仰の自由な地を求めて大西洋を横断し、「新大陸」(現在のアメリカ大陸)に入植してできた国だ。彼らにとってキリスト教徒がいないということは、誰もいないのと同じだった。「自由の地」とは彼らにとってのフリー・ゾーンであり、土地所有の観念のない先住民を塀を作って追い出し、弓しかもっていない彼らを撃ち殺し、「在ったものを無かったこと」にして創った「新世界」だ。
これを21世紀の現在、再現しているのがイスラエルだ。イスラエルはホロコーストの犠牲者であることを誇示するが、反ユダヤ主義やユダヤ人差別というのは、欧州のキリスト教世界の宿痾である。だが、アラブの地にイスラエルという国をつくったために、かつてのユダヤ人のような「国なき民」を膨大に生み出し、今度は彼らを「テロリスト」と名指しして根絶する。「二度と潰されないユダヤの国」をつくると主張し、それをイスラエルの根拠にしたことによって、ユダヤ人=流浪の民であるということを徹底的に否定する。これは自分自身への敵対にほかならない。これを世界史上最大の倒錯と言わずしてなんだろうか。
今、世界中のZ世代が、ガザの状況を目撃して「イスラエルはジェノサイドやめろ!」「パレスチナのために!」とデモをしている。各国の為政者たちはあたふたし、フランス政府はこれらのデモを反ユダヤ主義だといって禁止した。だがこれこそが倒錯である。反ユダヤ主義というのは欧州がやったことであり、パレスチナ人の抵抗はまったく別のレジスタンスだ。そのことがZ世代にはよくわかるようだ。
だがアメリカは絶対にイスラエルを擁護する。なぜなら、パレスチナ人(先住民)を抹消して更地にし、そのうえに「自分たちの自由」の領野をつくろうとするイスラエルを否定することは、アメリカ国家自体の存在の根拠を否定することになるからだ。アメリカの「原罪」を語るなら、それは奴隷制や黒人差別の歴史ではなく、先住民の抹消である。広島・長崎の原爆を落とし、その後もそれを誇示して世界に君臨しようとするアメリカは、この先住民殲滅を認めざるを得ない。
西洋化拒む「第三世界」 植民地化の経験から
ヨーロッパの世界史展開における植民地征服のやり方は、自分の力を誇示し、戦えば死ぬことを相手(植民地)に悟らせ、いうことを聞かせて奴隷にする。そして、主人(欧州)は働かずして奴隷に働かせてもうけるというものだ。これをヘーゲルは「主人と奴隷の弁証法」といった。主人は富をつくるための労働をせず、奴隷に依存しているが、奴隷は労働によって自立する。それによって権力は空洞化されるというパラドックスを説いた。そのような欧州諸国の世界進出は、主人同士が競合し、常に争い、新興国との間でも矛盾が起きて欧州全体の戦争を招いた。これが「西洋の没落」といわれ、そこから反省が始まる。
だが、「老害たち(欧州)のような面倒なことはやらない。我々のように根絶やしにすれば自由は盤石なのだ」というアメリカがグローバル化の盟主として登場した。それを現代に象徴しているのがイスラエルであり、その最終段階として、「先住民」の根絶を堂々とやろうとしている。これまで欧州が避けてきたこと、覆い隠してきたことを身も蓋もなく演じるイスラエルにアメリカは慌てている。
だが、多くの国は気がつき始めた。このレジームは、「先住民」を根絶することで自分たちの文明を押し出してゆくというものだ、と。だから「第三世界」と呼ばれる国々、欧州の植民地化を受け、アメリカの裏庭にされて、破壊と収奪をし尽くされてきた地域の人々は、このレジームを礼賛できない。その手の内が見えるからだ。現在のいわゆる国際法や国連体制は、欧州による世界戦争の反省と自覚からでてきたものだが、第三世界の国々はこれが自分たちを守ってくれるものだとわかっている。欧州の自己制約から生まれたものだからだ。だがアメリカは、それを古いものとして「テロとの戦争」を先導する。しかし、自分たちはまさにそのような破壊を生き延びてきたのだという自覚のある地域の人々は、それにはついていかない。さまざまな意味でのサバイバーたちが、それを今はっきり表明し始めている(地球温暖化についても同じだ)。
対ハマス最終戦争は、この転換を画す世界史上の出来事だ。在ったものを無かったこと(更地)にして新世界を創る――これをアメリカ原理というとすれば、アメリカ原理の終わりの時代だ。アメリカという「新世界」ができて以来、その「新世界」とは人類の歴史にとって何だったのかということが問われる事態を呼び出している。
米欧の統治からの自立へ グローバル・サウス
一般的な国際関係の議論のなかでは近年、アメリカ単独主義が多極化によってそうはいかなくなっているという言い方がされたり、中国との関係も同じ文脈で語られ、「米中対立」などと言われる。だが、明治日本の「脱亜入欧」の時期から、中国は日本と欧米に徹底的に食い尽くされ、それをはね除けたら今度は共産主義だからといって封鎖され、封鎖が効かなくなってアメリカが中国を承認した後も、ずっと敵視と封じ込めの対象だ。
しかし、グローバル経済のなかで、中国のGDPが数年後にはアメリカを超えることがほぼ確実なものになった。アメリカはこれが許せない。なんとしてでもこれを妨げ、遅らせることがアメリカのその後の国家戦略になる。だから、50年前に****民党政府を捨ててでもやった中国との「国交正常化」などなかったかのように、常に中国を悪者にし、ふたたび台湾を足場に挑発している。それはかえってアメリカの危機感を露呈させている。
ウクライナとロシアの戦争についても、欧米はロシアをグローバル経済から切り離して封じ込めようとしたが、経済制裁とは「持つ者」が「持たざる者」を絞め上げるもので、経済や資源が「敵]に依存していれば、制裁する方の首が絞まる。
アメリカには余裕があっても、欧州や日本などは完全に首が絞まる側であり、エネルギー危機、物価高、経済変動という混乱に陥っている。すべて対ロシア制裁の結果だ。アメリカはついにノルドストリーム(ロシアの天然ガスを欧州に供給する海底パイプライン)の破壊までやったが、ロシアはもう「助けてくれ」とはいわない。
付言すれば、日本でもウクライナ戦争について「小国に対する専制主義国家の侵略」というアメリカとメディアが作ったフェイクに乗る風潮が吹き荒れた。だが、すでに明らかなように、係争地である東ウクライナはもともとロシア語話者が多く、マイダン革命以降に政権をとった西ウクライナにとってはお荷物であり、そこですでに「エスニック・クレンジング(民族浄化)」が起きていた。2014年からいわゆるアゾフ大隊(ウクライナの極右民兵団)がひどい住民殺戮をやってきたし、その記録は国連報告にも残っている。そんなことまで無視し、口を拭って、ロシアの一方的な侵略と言い募り、「ゼレンスキー頑張れ」というが、そのゼレンスキーは今回真っ先に「ネタニヤフ頑張れ」とイスラエルの蛮行を支持している。これがすべてだ。
トルコやインドなどこれまで欧米から散々好きなようにやられてきた国々はむしろロシアを守る。中国は大国の自覚から表に出ないようにしているが、上海条約機構や「一帯一路」などで着実にそれぞれの国々を繋げていく。その結果、ウクライナ戦争でロシアを孤立させようとした米欧側が孤立してしまった。
だから、米欧(G7)は「グローバルサウスを味方に付けなければいけない」などと今ごろになって言い始めたが、もはやこの地域はついていかない。アメリカの統治・ヘゲモニーからの、それぞれの地域の自立を目指しているからだ。国と言わず地域と言うのは、これらの国は、欧州が机上で線(国境)を引いて分割したことによって独立させられたのであり、国になる自然根拠はない。それでも受け入れて、内部にさまざまな問題を抱えながらやってきたが、米欧が一度でも助けてくれたのか、ということだ。そういうこともウクライナ戦争で炙り出された。
先住民文化で社会再編 歴史と生活を基盤に
第二次大戦から80年、何千万もの犠牲を出して作り出してきた人類の「遺産」をご破算にするアメリカの「歴史修正主義」は、この二つの戦争の失敗によって崩壊しかけている。欧州、アメリカによって二重に起きた「西洋の世界化」が破綻しているわけだが、それを何が破綻させているかといえば、世界各地で起きている先住民族の復権だ。
200年来、西洋の圧倒的な力で上から覆われ、ブルドーザーで生活形態を刈られながらも生き延びてきた人たちこそが、「瓦礫の中に残った世界で人はどう生きるか」ということを体現している。それがイスラーム地域であり、パレスチナであり、インドやトルコで起きていることだ。
それが近年もっとも典型的に表れているのが、「アメリカの裏庭」にされてきたラテンアメリカだ。キューバにせよ、ベネズエラにせよ、世界史的な状況の中でマルクス系の社会主義理念を掲げざるをえなかったという事情はあるが、結局キューバを守ってきたものが何かといえば、あそこに残ったクレオール世界(徹底した植民地化を経験したカリブ海諸社会で異なる民族や文化が混合して生まれた社会形態)の自足的な自立なのだ。封鎖されていなかったらもっと外にと開いていけたはずだが、アメリカによって事実上70年間、経済封鎖を受けている。
だが近年、アメリカのキューバへの経済制裁解除を要請する国連決議が圧倒的多数で成立するほど、欧米諸国の植民地支配を受け、独立してからもその軛(くびき)を負わされてきた国や地域は米欧の独善を受け入れなくなっている。
またボリビアは、インディオスの先住民系住民の割合が多く、近年は国の主要な役職に女性が多く就き(国会議員の約半分が女性)、新しい国の方針や精神的な検証を出している。その中心はインディオ(先住民族)の復興だ。欧米の植民地化によって殲滅されたが、この200年の世界史の波を被り、なおこの先どうしていくかを考えたとき、やはりインディオの生き方で現代社会を再編していくことではないか――そういう長期を見据えた方向性を国が示している。それを求める広範な土壌がある。
西側から「左翼」のレッテルを貼られるモラレス元大統領も先住民系であり、新自由主義に対するたたかいにおいて先住民復権を掲げた。それでもアメリカはCIAを使って何度も潰そうとしてきた。今回のガザ侵攻に関してボリビア政府は、イスラエルとの断交を表明している。この動きは、南アフリカでも共通しており、グローバルサウスと呼ばれる世界の半分以上を占める地域で同様の変動が今後さらに加速していくだろう。
アメリカ原理の時代の終わり――世界はようやくそれを告げようとしている。だが、それを受け入れないアメリカはさらに攻撃的な自壊へと突き進もうとする。これが現代世界の混迷の由来である。
日本人のわれわれとしては、長らくの「脱亜入欧」の悪癖を捨てて、サバイバーたちが編成し直す「脱西洋」の新たな世界に参画すべく努めないといけないのではないか。
にしたに・おさむ 1950年、愛知県生まれ。東京大学法学部を卒業後、東京都立大学大学院(人文科学研究科)、パリ第8大学などで学ぶ。哲学者。明治学院大学文学部教授、東京外国語大学大学院教授(グローバル・スタディーズ)、立教大学大学院文学研究科(比較文明学)特任教授等を歴任。東京外国語大学教授名誉教授。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『「テロとの戦争」とは何か――9・11以後の世界』(以文社)、『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)など、訳書にブランショ『明かしえぬ共同体』、レヴィナス『実存から実存者へ』、ボエシ『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)など多数。
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/28554
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2025/02/18 (Tue) 01:13:13
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トランプ復帰が促すアメリカ世界統治の終焉――自壊する「西洋」と私たちはどう向き合うか① 東京外国語大学名誉教授・西谷修
(2025年2月10日付掲載)
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/33806
アメリカ大統領に返り咲き、就任直後から次々と既定路線を覆していくドナルド・トランプの言動に世界中が翻弄され、メディアもまるで予測不能な暴れ者が世界を手中におさめたかのようにとりあげている。国内外政策の大幅な転換に踏み切っているように見えるトランプの再登場とそれを生み出したアメリカの今をどう見るか――本紙は、『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ)などの著書でアメリカの特異性とその世界への影響について論考を展開してきた東京外国語大学名誉教授の西谷修氏にインタビューし、その考察をまとめた。3回に分けて連載する。(文責・編集部)
アメリカ大統領に復帰したドナルド・トランプの言動に今、世界が振り回され、混乱が拡大している。
彼は一度選挙で追い落とされ、「ホワイトハウスを譲らない」といえばクーデターといわれ、訴追までされた。にもかかわらず今度は、熱狂的支持者集団「Qアノン」などの応援なしに大統領選に勝利してしまった。自分を追い排除しようとした勢力が選挙で敗北した。何と言われようとアメリカ国民は自分を選んだという事実が彼の自信を強め、今回は最初からやりたいように振る舞っている。
また、大統領選最中に狙撃事件が起き、間一髪で彼は生き延びた。こうなると誰だって「神は自分に付いている」と思う。信仰心などなくとも、人にそう言える。だから余計に躊躇がない。
もう一つは、トランプのような政治のやり方を必要とし、それを支える勢力がある。スタッフの選び方も相当に練り込んでいる。国防長官に政治経験もないFOXのキャスターを配置して、それが性的スキャンダルで叩かれても降ろさないのは、軍の管理と運営をまったく変えてしまおうと狙っているからだ。
「グリーンランドを買い取る」「パナマ運河を返還させる」、あるいはカナダに「五一番目の州になれ」というようなトランプの言動は、彼が他国を脅したり、すかしたりできるのもアメリカの「偉大さ」の証と考えているからだろう。これがショッキングに聞こえるのは、彼が新しい領土や運河の支配を、国際法上の問題ではなく、「私権」の問題であるかのように語っているからだ。
彼は「専制的」といわれるが、むしろあれは「私的自由」を「権利」として野放図にふるまうアメリカ的「自由」の権化なのだ。その「自由」はあくまで「私的」だから、「私権」といってよい。トランプは合州国の公権力をこうして私物化してしまう。一期目にはうまく行かなかったが、今度はまず公的制約の制度体の解体から始めている。
実はそれは、アメリカ合州国(ユナイテッド・ステーツなのでこのように表記する)を形成する基軸論理なのだ。
「アメリカ」という制度空間――私的所有に基づく「自由」
アメリカの世界化は、一般的な帝国主義のモデルとされているヨーロッパのそれとは根本的に異なる。ヨーロッパは20世紀前半までは世界史における一つの主体領域だったが、植民地戦争をくり広げたあげく、世界戦争となって疲弊・没落し、それ以降はアメリカが「新しい西洋」としてそれに代わって君臨した。
それまでのヨーロッパによる世界統治は、ある国や地域を植民地にして、そこに住んでいる人間も全部含めて支配し、帝国に統合していくやり方だった。だが、アメリカはそうではない。欧州のように、住民を奴隷にして自分が主人になるというような面倒なことはしない。自分たち(ヨーロッパ人)が進出した大陸を「無主地(誰もいない土地)」と見なし、実際にはそこに暮らしている先住民(インディアン)を追い出し殲滅して、そこに自分たちの「自由の国」をつくった。
キリスト教ヨーロッパの法秩序とは無縁の大陸を見つけ、土地を確保し、それを柵や壁で囲い込み、そこに私的所有権を設定し、当初はヨーロッパ諸国の国法によってその「所有」を合法化した。
そのことによって、もともと存在した世界(先住民やその生存空間)は、固有性も実体も認められない影であるかのようにして締め出された。
なおかつアメリカはイギリス本国から独立した。「新大陸」に渡ったヨーロッパ人による各植民地(ステート)の大部分は、植民会社(民間企業)によって開発する方式をとっていた。マサチューセッツ植民会社、ニューイングランド植民会社……これらの民間企業は、イギリス国王の特許状によって土地の払い下げを受け、たとえば「5年間開拓したら私有地にしてよい」というようにして開かれたそれぞれのステート(自治政体)を形成した。だが、その特許状のために国王が税金だけ取る。何も働いていないのに税金だけ取る本国に反発し、13のステートがまとまってその国家権力を排して連邦政府をつくった。
これは私企業が自分の上前をはねる公権力を排除し、企業組合を連邦政府にしたようなものだ。その私企業の根本は、まず土地の私的所有権だ。それが入植した者たちの最初の資産になる。その資産の力で、私権のおよぶ範囲を広げていく。それがアメリカ人の「自由」だ。それが13にまで広がると公権力を排して、一つの連合国家(いわば企業組合)を作った――これがアメリカ国家の基本形態であり、それはヨーロッパの主権国家体制とは違う。
ヨーロッパも当時、「私的所有権」が制度的に確立されていく時期ではあったが、土地支配をめぐる伝統的事情(王政や封建制に伴う事情、あるいは教会が領地を持つ伝統など)のため、個人が土地を排他的に所有し、かつそれを自由に処分しうるという「私的所有権」が確立されるには、統治権限の移行にとどまらない大規模な社会再編が必要だった。
だが、新大陸アメリカでは、障害物である先住民をいないことにすれば、他にはなんの支障もなく「処女地」に私的所有権が設定でき、それを自由に処分することができた。「お互い戦争ばかりやるヨーロッパの主権国家体制とは違う自由の領域を西半球につくる」「俺たちはもう古いヨーロッパではない。新しいヨーロッパだ」ということで、アメリカはヨーロッパ的な国際秩序(ウェストファリア体制)から出て西半球に引きこもる。
その西半球に「自由の領域」、つまり、私的所有権をもとに私人や私企業が統治をコントロールする地帯を広げていく。そこで起こったのは、統治の「民営化」であり、権力の「私営化」だと言ってもいい。
独立した当時のアメリカ合州国は東部13州だけだったが、その後、フランスからルイジアナを買い取り、先住民を追い出して併合。スペインからフロリダを買収した。さらにメキシコとの戦争でテキサス、南西部のカリフォルニア、アリゾナ、ネバダを奪い、独立からわずか半世紀あまりで「自由の領域」を太平洋岸にまで押し広げた。さらにアメリカは、ロシアからアラスカを買い取り、スペインとの戦争では、ついに太平洋のハワイ諸島(50番目の州)を併合した。
このように「アメリカ」とは、私的所有権を軸に「自由」を拡大していく制度的空間であり、だから「アメリカ合州国」なのである。アメリカが「自由」の別名であるなら、それは地理的なアメリカにとどまる必要さえなかった。「西への運動」を展開して大陸国家となったアメリカは、今度は太平洋を越えて世界へ広がろうとした。「私権」は無制約に拡大すると飽和や限界を知らないのだ。
先住民抹消のうえに設定された私的所有権
「無主地」には「先占取得」が成立するというのはローマ法由来だ(先住民はそんなものは知らない)。その上で、土地を耕せば自分の所有権を主張できる、というのは、イギリス人哲学者ジョン・ロックが「所有にもとづく自由」ということで定式化したものだが、それは聖書に基づいている。ジョン・ロックは近代の代表的な思想家といわれるが、なんのことはない。いちいち聖書の記述に乗っかっている。
先住民がなぜ簡単に追い出されたかといえば、彼らは土地を所有するとか、私的所有権という概念をまったく持っていなかった。大地とは人間のみならず、生きとし生けるものの生存を支え、恵みを与えてくれるものであり、人間はその恵みのなかで生き死にする存在だった。動物や植物がいるのも太陽と「母なる大地」のおかげだから、そんなものを所有し、ましてや切り刻んで売買するという考えなど馬鹿げているといって笑い飛ばす。「クニを売る? では、なぜ大気や海を売らないのか?」と、彼らは土地の譲渡を求めるヨーロッパ植民者に対して言い放ったという。
大地は誰のものでもないので、そこに漂流者がやってきて耕し始めても、別に文句をいわない。その意味で排他的な領土意識がない。だから、航海の疲れや慣れない土地での飢えと寒さに苦しめられている漂流者(ヨーロッパ人入植者)たちに対して、先住民たちは食料や衣料を与え、乾いたトウモロコシをやって、まけば春には育って食べられるようになるということまで教えた。
だが、その新参者たちがそこに居着き、自分たちの生活圏を壊すようになる。ヨーロッパ人たちは「ここは俺たちの土地だ」といって柵で囲い込み、入れないようにして、命の恩人であるはずの先住民たちを追い出し始める。インディアンたちは「騙された」「侵害された」という意識を持つようになり、「いい加減にしろ」と槍をもって柵を壊す。そうするとヨーロッパ人たちは「あいつらは野蛮人だ。何をするかわからない」となってその駆逐に乗り出す。
ローマ法由来の法観念を持つヨーロッパ人たちは、これも自分たちの権利だと思う。キリスト教による「神が自分たちを守ってくれる」という意識もそれを補完した。
だから、自分たちは当然の権利に従っていると思うが、相手からすれば道に外れた侵害行為だ。当然文句をいってくる。そうすると「野蛮人が襲撃してきた」といって鉄砲で撃ちまくる。すると先住民は弓や槍で武装してくるが、馬と鉄砲の前にはひとたまりもない。(馬はヨーロッパ人が持ち込んだものであり、あそこにはいなかった)
外から人がやってきても、害をもたらしたりしない限り受け入れてきた先住民たちは、膨張する「アメリカ」に圧迫され、それに抗議して争っても武力に押されてしだいに後退を余儀なくされ、土地を明け渡すために強制移住を強いられ、やがて彼らのために割り当てられた辺鄙(ぴ)で不毛な「保留地」に囲い込まれていくようになる。
彼らがおとなしく「アメリカ」に吸収されていけば看過もされたが、自分たちの生活に固執すると、邪魔な障害として敵視され、「野蛮」として軽蔑され憎悪され、ついには「文明」に場を譲るべき運命にあるものとして容赦なく抹消されていったのだ。
先住民たちの租界地は西へ西へと追いやられたが、西岸で鉱物資源が見つかると白人の「アメリカ人」たちは境界を無視して侵入し、カリフォルニアに金鉱が見つかると、協定など無視してなだれを打って押し寄せ、邪魔なインディアンを立ち退かせるために、その生活の資であった4000頭のバッファローを全滅させることさえした。
この勝手に外部から持ち込まれた「アメリカ」という制度空間のうちに法的資格を持たない先住民たちは、土地の正当な権利者として認められるどころか、父祖伝来の土地に住むことさえも「不法占拠」とみなされ、「合法的」に強制排除され、抹消された。
アメリカが抱える「原罪」とは、バラク・オバマがいった黒人奴隷の制度である前に、この先住民の抹消である。無主地の無制約的所有によって保証されたアメリカの「自由」――それを十全ならしめるために、それまでそこでまったく別のやり方で生きていた人々の世界を丸ごと無に帰したのだ。
付言すれば、それを21世紀の今、再現しているのがイスラエルのパレスチナ人殲滅(ガザ・ジェノサイド)であり、それをアメリカが擁護し続ける理由も、この「原罪」の否認と不可分に関わっている。
自然物の資産への転換と不動産ビジネス
アメリカの西部開拓を図式的にいえば、土地を取ってそれを全部財産に変えていくことだった。東部13州が広がって、「フロンティア」が西に進み、太平洋岸にまで行き着いたことで何が起きたかといえば、あそこの自然の大地がすべて「不動産」になったことを意味する。
不動産になるということは、国の書類倉庫の中に、それぞれの区画が誰の所有であり、誰がいくらで売り買いしたかが登記され、それを保障するのが国の役割となる。そのようにして合州国は拡大していく。
合州国独立期、イギリスは産業革命の真っ最中だったが、アメリカは100年足らずでイギリスを抜いて世界一の工業国になる。それほど発展したのは、土地も資源、金も石炭もふんだんにあり、それがすべて資産に転化し、移民と解放奴隷で労働力はいくらでもあったからだ。何より、イギリスと違って封建制の足かせがなく、制約なしの産業化が可能だった。ついでに言えば、農業さえ初めから産業だった。それが「新世界」と言われるゆえんである。
そのアメリカの国家形成、社会形成で一番重要な役割を担ったのが不動産屋だ。そんな職業はヨーロッパではまだのさばっていなかった。建物の売買はあったが、土地の売買にはさまざまな制約があった。
原野を囲い込んで値段を付けて売る――つまり、自然を「財」にコンバート(変換)し、その流通を仲立ちする。その中核になるのが不動産屋だ。
だからアメリカでは、毛皮卸売商人や不動産屋、それと弁護士が集まり、ニューヨークのハドソン川の近くに商業取引の中心地をつくった。それが現在まで続くウォール街だ。
不動産業とは半分は法律業務だ。金融取引の中心となったウォール街は、法律と権利証書、後には株式証券によって支えられるアメリカという制度空間を象徴する場所であり、風が吹いたり、トウモロコシが生えたり、牛が走ったりする大地よりも、不動産として登記簿に書き込まれた権利物件の方がものをいうため、法権利に関わる職業が幅を利かせたことはいうまでもない。
なぜ「ウォール街」というかといえば、マンハッタン島の端がまだニュー・アムステルダムと呼ばれるオランダの植民地だった時代に、白人たちが柵を立てて領土化し、原住民を立ち入り禁止にした。その防御柵が「木の壁(ウォール)」と呼ばれていたことに由来する。ほどなくイギリスに所有権が移ってそこはニューヨークと改名され、街も広がると防御柵のあたりが中心街になり、ウォール街として名をとどめたのだ。やがてそこに材木商人や不動産ブローカーや金貸し、弁護士が集まり、後の証券取引所の始まりとなる。
大地よりも登記簿上の不動産、生身の体よりも数値化され管理される労働力、生活より科学的マネジメント、すべてを権利の対象というフィクショナルな(あるいはバーチャルな)人工物に書き換えることで、自然に束縛されない「自由」という恣意的支配を現実化し、制度として保障することでできた「新世界」の名前が「アメリカ」なのだ。
いわずもがな、トランプはその不動産業出身だ。だからトランプのやり方は、アメリカ国家を作るうえでの重要セクターの伝統を体現している。大地を商品に転換して売買することが不動産業者のコアビジネスだ。それが私的自由(所有権)を実質化し、領土売買で拡大するのが合州国の「偉大な」時代のあり方だった。だからこそ大統領になった彼は、アメリカに新たな土地を割り当て、そこを執拗に「掘って、掘って、掘りまくれ!(ドリル、ドリル、ドリル!)」と呼びかける。
二つのアメリカ――グローバル世界統治と単独主義
トランプ政治について考えるうえで、重要なのが「二つのアメリカ」の分岐だ。西洋にもヨーロッパとアメリカの二つがあり、その世界化も二段階あったが【前回インタビュー記事〈2023年12月18日付〉参照】、アメリカも二つある。
成立したアメリカは、古いヨーロッパから離脱した後、まだまだ開拓するべき土地が太平洋岸まであり、陸続きの南にも開拓領域があるのだから、こちらに「ヨーロッパは手を出すな」と牽制した。ちょうど、ラテン・アメリカがスペインやポルトガルから独立する時期だった。それが「モンロー教書」にもとづいて20世紀の初めまで続くモンロー主義だ。
だが、そのように西半球に引きこもってフロンティアを拡大していたアメリカも、ヨーロッパの「世界化」が飽和して、それが「内戦」(欧州大戦=第一次世界大戦)に転化すると、ヨーロッパに介入せざるをえなくなる。それはヨーロッパ諸国の植民地争奪が内部に反転した結果で、ヨーロッパが崩壊し始めたのだ。その収拾のために、というより、父国ともいえるイギリスを救うために、アメリカはヨーロッパに介入する。「新しいヨーロッパ」が「古いヨーロッパ」を支えにきた。
戦後は、米大統領ウィルソンが提唱して、再び大戦争に陥らないよう多国間安全保障の機関として国際連盟ができる。初めて戦争が悪とみなされて、不戦条約が交わされ、軍縮会議が開かれる。ヨーロッパは本当に「西洋の没落」を危惧した。
けれども、その国際連盟にはじめアメリカは加盟しなかった。モンロー主義にこだわる議会が承認しなかったのだ。しかし、日本やドイツの台頭、そしてソ連の成立のなかで、これ以上西半球にとどまって世界的な国際秩序に関与しないわけにはいかないという状況になり、アメリカも国連に加盟するようになる。
そして第二次世界大戦では、アメリカは連合国をリードして戦争の帰趨を決める。そして国際連盟より強力な基盤をもって国際連合を組織して、今度は本部をニューヨークに置く。ヨーロッパ諸国は二度の世界大戦に懲りて(勝ったとはいえボロボロになったから)、まず非戦を原則とし、諸国間の共存・協調によって秩序を保つ相互承認体制を作り、それを社会的に支える普遍的人権(ヨーロッパだけでなく全世界に適用される)を掲げて戦後秩序を作ろうとした。
しかし、アメリカは戦争に負けたことがない。それに、アメリカは「私的所有権の上に立つ自由」を原理として国を作ったが、その私的所有権を否定する共産主義のソ連がやはり戦勝国として成長し、その権益(ソ連線の拡張)を要求している。というので、核兵器開発もあり、諸国家共存の平和な秩序などと言ってはいられないと、ただちにソ連を「敵」とする「冷戦」態勢に入る。そして敗戦国を含めた「西側」陣営を抱え込み、ソ連圏と対峙する。
こうなるとモンロー主義などと言っている場合ではない。アメリカは孤立を棄てて、ソ連と対抗する世界秩序の牽引車となる。しかし、この対立はこれまでの戦争と違って、イデオロギー、国家形成原理の違いによる対立だ。だからこの頃から、アメリカの国際政治には二つの違った流れが生まれるようになる。
一方は、イデオロギーなどにこだわらず、諸国家間の力や位置から現実的に国際情勢を考えるいわゆる「リアリスト」、そしてもう一方に、理想や理念、価値観で計って「正しい自分と悪い敵」との抗争として国際社会を考えるいわゆる「イデアリスト」の流れである。
後者によれば、「冷戦」は「共産主義・悪の帝国」に対して「自由と民主主義」勢力の闘いだということになる。すぐに想定されるように、そうなると「戦争」は地下にこもり、正規の軍隊ではない諜報機関が工作に暗躍する。CIAはそのためにできた(もちろんソ連にはKGBがあったが)。
そして、冷戦はソ連の自己解体によって終わる。これによって「西側の正しさ」が証明されたことになる。一世を風靡したフランシス・フクヤマの「自由民主主義の勝利」というのはそういうことだ。そして、それこそは「新しい西洋」たるアメリカの「自由民主主義」である。それが、グローバル秩序の「世界標準」になるが、そこにはアメリカ的自由経済秩序、いわゆる「新自由主義」が附随していた。
だからそれ以降、国家さえも私企業と同じようにみなされ、一番大事なのは財務諸表となる。私企業は常に成長を求められ、みんな競い合うようにしてグローバル市場の中に飛び込んでいく。「カネこそが力である」という経済システムの中でみんなが張り合うようになる。
ところが、世界は「無主地」ではないし、誰も「解放」されて難民になることを喜ぶものなどいない。そのため、アメリカのグローバル統治勢力は、かつてのヨーロッパの帝国主義のように権謀術数で世界を統治していくという風にならざるを得ない。
冷戦になると、東側世界(社会主義圏)に対して、アメリカは西側世界(資本主義圏)を全面的にリードしていかなくてはいけない。そのためにマーシャル・プラン(欧州復興援助計画)やガリオア資金(占領地域救済政府資金)など、ヨーロッパだけでなく、敗戦国にまで金を出して勢力を拡大しなければならない。アメリカの出費は急増していくことになる。
さらに、ベトナム戦争だけでなく、いろんなところで代理戦争を仕掛けたり、CIAに工作させて内側から政権転覆させたりしてきた。われわれの知っているアメリカはそういうアメリカだ。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/33806
トランプ復帰が促すアメリカ世界統治の終焉――自壊する「西洋」と私たちはどう向き合うか② 東京外国語大学名誉教授・西谷修
(2025年2月12日付掲載)
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/33839
軍産複合体と産業構造転換――疲弊するアメリカ社会
一方、構造的にみると、第二次世界大戦の頃からアメリカは世界の兵器工場になり、あらゆる重工業の中心となった。
冷戦下には、世界のあちこちで代理戦争をやるだけでなく、西側の兵器廠になって、軍需産業が圧倒的な経済セクターになる。すると経済が戦争で支えられるようになる。戦前のニューディール政策の延長のような形であり、これは「公共事業としての戦争」だ。
この傾向について、アイゼンハワーは大統領退任時に「このままだと、国は民主的意志によって国策を決めるのではなく、こういう巨大な力(軍産複合体)によって国策が決められるようになる」と警告を発した。しかし、冷戦下ではその傾向は変えにくかった。
それが変わるのは、冷戦が終わった時だ。これでやっと膨れ上がった軍事費を削ることができる。それに軍縮は必要だというので、軍の縮小も始まるが、ここにカラクリがあった。
退役軍人が失業者になってはこれも困る。だから軍人を解雇したら、そのかわり彼らに経験を生かした事業を起こさせる。それが新手の軍需産業で、戦争関係のあらゆる業務を請け負う民間軍事会社だ。これには大きなメリットがある。徴兵制はすでに廃止され、応募制になっていたが、国はそういう企業にアウトソーシングすると、軍を縮小しても戦争はできるし、民間企業のやることには責任を持たなくていいからだ。大きくいえば戦争そのものが「民営化」されるのだ。これは新自由主義の展開でもある。
もうひとつ大きな変化は、いわゆる「情報革命」だ。アメリカはそれまでの軍事連絡網だったインターネットを開放し、その活用を民間企業にやらせるようになる。そこで一挙に成長したのがデジタル産業であり、そして知識や情報、さらにはコミュニケーションそのものの市場化だ。これは初めからグローバル規模であることで、シリコンバレーにかつてなかった規模の富を集中させた。
そうしてできたのが、いわゆる「ビッグ・テック」といわれるIT産業だ。それに連動して生命科学関係のバイオ・ケミカル企業も巨大になる。それらが、かつてはカーネギー(鉄鋼王)、ロックフェラー(石油王)、JPモルガン(金融王)などが大富豪として動かしていたアメリカの「製造業の時代」を終わらせた。
そうなると世界的に見ても、アメリカが両方を独占するわけにはいかないため、製造業部門は労働力の安い他国に外注するようになり、アメリカ国内の産業はシリコンバレーを拠点にしたバーチャル金融とIT産業へとシフトしていく。
だが、まさにそれがアメリカ社会の劣化を招いたというのだ。つまり、ラストベルト(見捨てられた工業地帯)ができ、まともに働いてきたアメリカ人たちは失業し、アルコール中毒や麻薬中毒になって生活が破壊される。一方、シリコンバレーやカリフォルニアなどの新興地域は「自由」を謳歌して、そこから性の自由とかLGBTQとか、人種の多様性だとかが声高に叫ばれ始める。そのアメリカの新しい繁栄のなかで、古いアメリカ社会は疲弊・没落していく。その古き良き時代にノスタルジーを持つ人たちがアメリカ社会に増えていった。
トランプが登場したのはそんなときだ。彼は不動産屋であると同時に、プロレスの興行師でもあった。リアルかフェイクかわからないものをスペクタクル(見世物)にして売る。その興行主だったトランプは、みずからリング脇に登場して、負けそうになったレスラー側のプロモーターと場外乱闘を演じるとか、観客を沸かせる術を身につけていた。だから彼は、デタラメのような演説でも徹底的に相手をコケにして、観客を沸かせることには長けている。
そのトランプは「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン(偉大なアメリカをふたたび)」「アメリカ・ファースト」を掲げ、「自分はアメリカ人なのに置き去りにされている」「外でどれだけ大きな顔をしていても、アメリカ社会はこんなガタガタではないか。自分で自分さえ守れない。銃を持ってなぜ悪い。これが誇りだ」という人々の幅広い層を掘り起こした。あるいは「過剰な自由」の主張に不安を持つ人々の層を。
そこには国際主義、アメリカの普遍主義に対する反発がある。その普遍主義がアメリカをダメにしているというわけだ。アメリカはアメリカ、国際秩序などいらない――その意味ではモンロー主義的だが、今はグローバル世界であり、かつてのように西半球にとどまるということではまったくない。全世界が西半球であるかのような、不動産屋のルールがルールであるような世界として扱う、ということだ。
そのトランプが、他より「まともだ」と思える面もある。それは彼が、イデオロギー(西側だとか同盟国だとか)は関係ない、それよりタイマン取引だ、と言うときだ。だから彼は、冷戦期以来「戦争」で国を動かしながら金と権力を独り占めしてきたグループがあると指摘し、それを「ディープ・ステート(闇の政府)」と呼んで目の敵にするのである。すると呼ばれた方は、それを「陰謀論」として非難する。
だが、どうだろうか。イラク戦争を振り返ってみよう。
「対テロ戦争」による混乱と国際信用の喪失
トランプを支えているのは、いわゆる「内向きなアメリカ」だ。だが、いずれにせよアメリカは世界最強の国家になっているため、内向きであっても、それが全世界に関わる超国家であることには変わりない。また、グローバル秩序の盟主として振る舞うアメリカ国家(合州国)は、「私権の自由」を主張する者たちの乗り物であることには変わりない。
イラク戦争のときも「イラクを解放する」という名目を立て、サダム・フセインの圧政に苦しんでいた少数民族も含めてイラクを解放して「自由な国」にするという大義を掲げた。
だが、実際にやったことは、とにかく武力で徹底的に叩いてイラクの国家体制を潰し、軍人ではない「文民行政官」として国務省出身のポール・ブレマーを暫定統括者として送り込んだ。ブレマーの役割は、イラクの国家がもっていたあらゆる資源の処分権を「民間」開放することだった。そこにグローバル・メジャーのブリティッシュ・ペトロリアム(BP)、エクソン・モービルなどが進出し、イラクの石油の権利を全部抑える。
破壊後の復興事業もすべて米欧の民間企業、とくにアメリカの軍産企業が請け負うことができるようにした。それだけやったらブレマーは本国に帰った。驚くべき「自由化」、「民間開放」である。
その後、イラクでは、選挙をやってもうまくいかないので、クルド人を中心に据えようとするが、フセイン体制で抑圧されていたシーア派が怒りだして力を持つと、今度はフセイン一派と見なされて全面的に追放されていたスンニ派が怒り出し、ひどい場合には米軍のアブグレイブ強制収容所で散々いたぶられ、「鬼子」のようになった連中がイスラム国(IS)を作り始める。そのようにイラクは収拾のつかない混乱が続き、無茶苦茶になった。その混乱が中東全体に広がり、シリアまで内戦になる。
後には、ブッシュが言い張った「大量破壊兵器」もないことがわかり、客観的に(あるいは国連から)見たら、この戦争はまったくひどい破壊行為だったということになる。アメリカとしても「失敗」以外のなにものでもないだろうが、それでもブッシュも、ラムズフェルドも、チェイニーも、つまりこの戦争を世界中の反対を抑えて強行した立役者たちにとっては、「充分な成果」のあった戦争だった。
なぜなら、イラクの国家資産も資源もすべて「民間開放」した。つまりアメリカのグローバル企業の稼ぎ口になったからだ。それを彼らは「民主化」とか「市場開放」という。だが「民営化(privatization=プライバタイゼーション)」とは「私物化」のことだ。
アメリカ国家にとってこの戦争は、「ならず者国家」の暴君(フセイン)を倒したことを正当化の理由にしているが、その一方ではアメリカの「正義の戦争」に対する国際的信用を完全に喪失させた。だからそれ以降、ISが出てきたことで「テロとの戦争」は続けられたが、それ以後はあまり大きく掲げられなくなった。
この「充分な成果」をあげた連中は、事実上、アメリカ国家を使って仲間内の利益をむさぼる連中である。ナオミ・クラインは、アメリカ国家はこうした企業家・政治家たちの乗り物であり、「コーポラティズム国家」と呼ぶにふさわしいと言っているが、この国家に戦争をさせて儲ける連中のシンジケートのことを、トランプは「ディープ・ステート(闇の政府)」と呼んだのである。
誰彼の陰謀というほど単純なものではないが、アメリカの行政機構は、それに適するように(国務省も国防省も)作られてしまっている。すでに一期を務めて政府がどういうものかを把握したトランプは、今度は再び潰されないように、まず「敵」の本丸から崩そうとしているように見える。
それが「報復」だとして騒がれているが、いずれにしても、これが今世界の目の前で演じられている「二つのアメリカ」の抗争であり、一方はイデオロギー、もう一方は「陰謀論」による「仁義なき戦い」である。
ウクライナ戦争が炙り出す「西側」の欺瞞
NATO首脳会議にウクライナのゼレンスキー大統領を招き、ウクライナへの永続的な軍事支援を宣言したG7首脳ら(2023年7月、リトアニア)
ウクライナ戦争についても、もう誰が戦争をさせようとしているかが明らかになった。アメリカのオースチン前国防長官は、「この戦争の目的は?」と問われて、すでに2年前の5月に「ロシアを極力弱体化すること」とはっきり言った。
そして、ヨーロッパはずっと、「ロシアを図に乗らせると次はわれわれの番だ」と「脅威」を言い立てて、どこまでもウクライナに戦争をさせるつもりだ。その火付け役だったのが、アメリカの「ネオコン民主化グループ」(バイデンも含む)だった。
冷戦以後のアメリカの世界戦略は、「自由世界を守る」と称して、直接戦争をやることもあるが、以前にはCIAなどの工作や資金注入で体制転換を引き起こすことをやる。中南米、とくにキューバなどに対しては、冷戦が終わってもそれをもう80年間もやり続けている。今はベネズエラに対してもだ。
その手口でアメリカの一部はウクライナに政変を起こし、それをテコにロシアから離反させ、ロシアに戦争を起こさせてプーチンを追い込む。あわよくば、それを機にロシアにも政変を起こさせようとの腹だ。それでソ連崩壊時に失敗したロシアまでの「民主化」が達成できる。ヨーロッパはこの目論見で、NATOという鎹(かすがい)によって、そこに組み込まれる。
冷戦終結によってヨーロッパには新しい選択肢ができたはずだった。ソ連が解体した以上、もうロシアと対立する必要はない。ロシアもそう思っていた。中国とも対立する必要がない。イデオロギー対立は終わったのだから、これまで敵対していたロシア、中国と関係を結び始めると、初めは困難でもいろんな可能性が開ける。ヨーロッパとユーラシアとを結んだ巨大経済圏だって不可能ではない。
だが、それをやらせまいとしたのがアメリカであり、冷戦終結で存在意義がなくなったはずのNATOを解散しなかった。ヨーロッパの自立を嫌ったのだ。アメリカはNATOをヨーロッパを抱え込むための鎹としてとどめた。
そうすると敵を作らなければならない。初めはテロリストを敵にしようとしたがうまくいかないので、もう一度ロシアを敵にすることでNATOの存在意義が回復する。
プーチンは「EUに入れてくれ」「NATOに入れてくれ」とまで言っていたのだが、アメリカはそれを拒み続け、そのあげく2008年にはブッシュがグルジア(現ジョージア)とウクライナをNATOに入れると提案した。それはもう喧嘩を売るもいいところだ。
それでロシアはヨーロッパとの関係再構築を諦めた。ただ、ノルドストリーム(欧州のバルト海の下をロシアからドイツまで走る海底天然ガス・パイプライン)だけは諦めず、つい最近までウクライナ国内に通るパイプラインを通じても欧州に天然ガスを輸出していた。だが、今度の「戦争」でそのノルドストリームまで爆破されてしまう。
ドイツにとっても苦虫をかみつぶすような話だ。これは「ロシアとは永遠に手を切れ」というアメリカからの脅しだ。「ナチス時代の反省」も突きつけられ、ドイツは泣く泣くそれに従った。そのお陰で経済はガタガタ。今ドイツ国内では極右といわれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が台頭しているが、これは、そのようにアメリカが追い込んだ結果だ。
不動産屋のトランプは、戦争で商売をするのは馬鹿げていると考えている。簡単に勝つならいいが、それよりも脅し・地上げで、取引に持ち込んだ方がずっと賢い。無駄な破壊や浪費をせずに済む。だから彼は「自分が大統領になれば戦争を終わらせる」といった。
実際トランプが大統領になりそうになると、本当にイスラエルもウクライナも顔色を変えて戦争を収めようとし始めた。だが、ウクライナはそうは行かない状態になっている。ヨーロッパはもう青息吐息だが、ウクライナの戦争支援をやめるとヨーロッパそのものが崩壊すると思い込んでいる。それでロシアも強硬姿勢を崩せない(世界のメディアは「ロシアも崩壊寸前」と盛んに宣伝するが)。
ロシアはもう「西側」金融・経済から締め出されても、BRICS等とつながって凌ぐ態勢を作ったから、強力な経済制裁でロシアの息の根を止めようとしたEUの方が、ブーメラン効果で青息吐息になり、逆に非西側ネットワークから孤立しようとしているのだ。EUは今、それを「レコンキスタの時代」とみなして時代錯誤的な防衛体制に入っているようだ。
レコンキスタとは何か。これも倒錯的な話だが、711年にイスラム教徒がイベリア半島まで来てから800年、キリスト教ヨーロッパは「レコンキスタ(領土再征服運動)」といってイスラムと戦い続けてきた。1492年にとうとう最後のアルハンブラ(グラナダ)を陥落し、イスラム教徒をジブラルタル海峡の向こうに追放した。まさにその年にコロンブスが大西洋を横断し、欧州の世界進出が始まる。
それを冷戦後の世界に投影し、冷戦勝利によって西側世界はソ連を解体したはずなのに、ゾンビのように蘇ったロシアが、アラブのテロリストたちと一緒にふたたびヨーロッパに攻め入ってくる。そんな形の恐怖が芽生えているのだ。ヨーロッパのまったくの自信喪失である。『共同通信』が今、同題で欧州要人へのインタビュー記事をシリーズ化して配信しているが、それは「レコンキスタで今ヨーロッパが危ない」という危機意識に染まっている。
そもそもナチズムもヨーロッパ自身が生み出したものだ。ヨーロッパの外から生じたのではない。ロシアも18世紀以来ずっとヨーロッパに憧れて、ヨーロッパ入りを求めてきた。だが、ヨーロッパはロシアを異物扱いし、侵略と統合の対象とし、まずはナポレオン(1812年)、次はヒトラー(1941年)と100年ごとにロシア奥深くにまで侵攻している。ロシアがかつて一度でもヨーロッパに侵入したことがあったか? それなのに、なぜヨーロッパは恐れるのか。
プーチンはEUに入れてもらえず敵視されるため、諦めて大スラブ主義(ロシアを中心にスラブ系諸民族の統一と独立を図る思想・運動)をとるようになった。それは拡大政策に見えるが、ウクライナが西側に囲い込まれることに対する理論武装として打ち出したものだ。クリミアやドンバスは、もともとロシアに帰属してしかるべきとし、それでウクライナ侵攻を正当化した。
だが、ヨーロッパ首脳たちは危機感を募らせ、世界にロシア制圧を呼びかける。「次はリトアニアだ」「次はポーランドだ」といい、マクロンなどは「次はフランスだ」とまでいう。ナポレオンと世界帝国の国が盗人猛々しくもよくいったものだと思う。
西側諸国がウクライナに支援する形で、あるいは経済制裁でロシアと対峙するとき、ここにあるのは国々の権益をめぐる争いではなく、冷戦時代と同じようなイデオロギー戦争である。つまり、ロシアは専制主義の「悪の帝国」であり、暴君がのさばるから民主主義国はこれと戦わなければならないというものだ。とりわけ相手の頭目を悪魔化して、まるで人類全体が(ロシア人も含めて)これを倒すべく戦わなければいけない、と。これはキリスト教時代の異教徒に対する聖戦といわれた「神のための戦い」と同じで、その近代世俗版がイデオロギー戦争といわれるものだ。
だから、西側メディアはことあるごとに「プーチンはもうすぐ心臓発作を起こす」「末期癌で2、3カ月ももたない」など、西側の願望に過ぎないことを、あたかも本当の情報であるかのように垂れ流す。それこそがフェイクでなくてなんだろう。冷戦以降、このようなフェイクが、アメリカのグローバル秩序派にとってはお手のものになった。
欧米の外側で広がる非ドル経済圏とそれへの焦り
欧米は、ロシアの資源を輸出させず、ロシアを世界のドル決済から完全に締め出せば、ロシアは体に血が回らなくなって倒れるはずと考え、音を上げるまでロシアを締め上げようとした。だが、経済制裁は「持つ者」が「持たざる者」に科すのでなければ効果はない。むしろ経済や資源を「敵」に依存していれば、制裁する側の首が絞まる。
実際に対ロ制裁後、ヨーロッパでもアメリカでもエネルギー価格が高騰し、電気代も高騰して、食料生産その他にも支障が出てインフレとなり、そちらの方の社会の首が絞まってきた。
そのため各国内で「物価高をなんとかしろ、何で戦争なんかやってんだ?」「EUのいいなりになるな」「フランスの農家や労働者とロシア叩きとどっちが大事なのか」という声が高まる。
そういう勢力をヨーロッパのリベラル風権威者たちは「極右」「ナチスと同じ」だと批判するが、そういって今まさにナチス(ドイツ)がウクライナに武器を送っているという倒錯を全部ごまかそうとするのだ。
ヨーロッパはしばしば、ロシアをナチスに見立てて、ウクライナ軍はナチスの侵略に抵抗する民主主義勢力という図式をつくっているが、今のウクライナ軍の主軸は、西ウクライナを拠点にしていた超民族主義組織であり、それはかつてナチスがソ連に侵攻したときに一緒にソ連に攻め込んだ者たちの末裔でもある(だからその後ロシアが来たときにウクライナは蹂躙されたわけだが)。
一方、ドイツも「ナチスと決別した」と言いながら国内にはその残渣を広く温存している。それなのに大量の武器をウクライナに送ったら、まさにドイツが昔やったことと同じだ。それをアメリカから強要される。もう頭がパンクするのも当然で、そのような倒錯状態をかろうじて耐えているのが今のドイツだ。
プーチンを悪魔化するのは「プーチンさえ倒せばロシアは民主化する」という体制転換の発想そのものだ。だがロシアには資源がある。そして、この様子を見ている中国やインド、またイランも含めて他の大きな国々は、アメリカが絶対に正しいとか、アメリカに付く方が得だなどとはもう思わない。むしろこの不当な状況の中でロシアが困っていたら、いろいろかいくぐって天然ガスでも何でも買って助ける。
そして実際今、ロシアを含むBRICSは、ドル決済に頼らない経済圏をつくるとまで言っている。つまり、アメリカ主導の対ロシア経済制裁が非ドル経済圏をつくらせたのだ。
今度は、グローバルサウスをどっちが取るかということで、西側諸国でもグローバルサウスがやたらと持ち上げられるが、それらの国々も西洋の植民地支配とその後遺症によって踏んだり蹴ったりの状態にありながらも、アメリカとかヨーロッパに頼れば助かるなどとは思っていない。「テロとの戦争」の顛末が、それらの国々をアメリカから遠ざけて、むしろBRICSと繋げる。
こうなると、アメリカは今でも超大国なので「孤立した」とはなかなか思わないだろうが、ヨーロッパは完全に他の世界から孤立していく。
そのときトランプは、EUを無視して各国に直接タイマンで個別交渉を持ちかける。デンマークに「グリーンランドを買う」とか、カナダに「51番目の州になったらどうか」というのはそういうことだ。同盟国であるかどうかなど関係ない。
それを傍目にイーロン・マスクが、欧州各国の「極右」といわれる勢力に盛んにエールを送って喝を入れている。あれは「アメリカ・ファースト」、つまり「自国ファースト」に共感する部分を煽っている。
彼らがなぜ「自国ファースト」というかといえば、EUの経済統合政策が、それぞれの地域の地域経済を壊しており、そこの生活者を完全にないがしろにしているからだ。「極右」の台頭は、EUの官僚支配に対する根強い反発を基盤にしている。だからこそフランスでも、EUではなく「フランス・ファーストだ」という。EUの官僚やそれと手を組んでいる国の指導者に「ノー」を突きつけているわけだ。
EUは曲がりなりにもアメリカの連邦政府に匹敵する規模と経済力を持つ「国の連合体」だ。とくに経済・金融規律ベースで、地域統合組織たろうとしている。そうであればEU政府は合州国政府と同等の関係になる。
だがトランプは、各国の足下を見透かして、それぞれの交渉はEUなど通さずに各国個別にやる姿勢だ。アメリカとしてはその方が、EUを介してやるよりも脅しが効いてディールがやりやすい。そうしているうちに、どの国もアメリカ合州国の一州になるかもしれない。イーロン・マスクは自身の利害がそこに結びついているから、それを手伝っている。EUはSNSやデジタル浸透を一定規制しようとするが、各国別(一国だけ)ならそれはできないからだ。
また、トランプも中国を主要敵にするが、それはかつてのアメリカのような敵対の仕方ではない。これまでアメリカは中国をイデオロギー的に攻撃し、人権や民主主義に反するといって新疆ウイグル、香港や台湾問題をやり玉にあげてきた。
だが、1972年の米中国交正常化で、ニクソンは台湾問題については「二つの中国はない。一つの中国しかない」と認めている。それで国交を作ったが、今ではアメリカもイギリスも中国を非難するためにだけいつまでも台湾が別の独立国であるかのように扱い、それが現状だから「現状維持しろ」といっている。だが、用もないのに初めから台湾海峡あたりまで第7艦隊を配備して「現状」を強引に変えてきたのはアメリカの方である。
トランプにとっては、イデオロギーで粉飾する国際秩序などは関係ない。むしろ中国はいまやGDPでも事実上アメリカを凌駕しているかもしれず、「グレート」であるべきアメリカにとっては、そのことの方が看過できない。それをロシアが手伝う(あるいはロシアがそれに頼る)ことも看過できない。だからロシア・中国と敵対しているのであって、民主主義とか善悪とかを言っているわけではない。
だから、トランプとしては、ウクライナ戦争を収拾するさいには、ドル決済から排除したロシアをふたたびドル経済圏の中に引き戻さなければならない。なぜなら、そうしなければ非ドル圏の方が大きくなってしまう。ロシアと中国の間にくさびを打ち込まなければ、アメリカが対抗するには大きくなりすぎてしまうのだ。だからトランプにとっては、クリミアやドンバスの帰属などどうでもよいことだろう。
トランプの脅しに対しては、すでにメキシコ大統領など中南米諸国が堂々とその横暴を批判して交渉に臨んでいるが、トランプの再登場は「偉大なアメリカ」のかけ声とは裏腹に、「超大国としての責任」をかなぐり捨てなければならないほど弱体化したアメリカ自身の姿でもある。
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/33839
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2025/02/18 (Tue) 08:02:46
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ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14125646
我那覇真子さんがパナマから語る! トランプ氏は本当に反グローバリズムなのか?
https://www.youtube.com/watch?v=BIpMQB5EUQQ&t=35s
トランプの真の敵/ディープ・ステートとは何か?
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16878485
アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007480
レイ・ダリオ _ 基軸通貨を持つ世界一の大国でも 政府債務増加で破綻する
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16887650
日本もアメリカも政府債務はインフレで解決されるしかない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16875882
米国のXデーはいつ来る!?
石原順チャンネル 2025/02/04
https://www.youtube.com/watch?v=H1WFqTGD7bw
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白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887
インド・ヨーロッパ語族の 起源/アーリア人とインド・ヨーロッパ語族の関係
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16879924
ヨーロッパ人の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007381
アーリア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html
インド・イラン語派やバルト・スラブ語派のアーリア人の Y染色体は R1a
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007379
ケルト人、バスク人やゲルマン系アーリア人の Y染色体は R1b
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007380
ハプログループ R1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/182.html
ハプログループ R1b (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/187.html
スラブ人の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14145886
この戦闘民族やばすぎる。ゲルマン民族の謎!!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14046224
アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007474
本村凌二『地中海世界の歴史』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16860743
完新世における人類の拡散 _ 農耕と言語はどのように拡大したのか
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14094213
コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html
コーカソイドが作った黄河文明は長所は一つも無いが戦争だけは強かった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14013836
コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html
白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html
アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html
西洋人 が鬼畜だった理由
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16869015
コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008392
コーカソイドが作った黄河文明は長所は一つも無いが戦争だけは強かった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14013836
アメリカ先住民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833139
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html
人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html
氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008921
先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html
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2025/02/19 (Wed) 13:22:40
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アングロサクソンの文化
アングロサクソンは戦争で勝つ事で世界の覇権を持つことが出来ましたが、日本との世界最終戦争で核兵器を使用した事で自らの手を縛る事になってしまった。核戦争の時代ともなるとアメリカ本土と言えども核ミサイルの脅威にさらされて戦争が出来なくなってしまった。
戦争が生業のアングロサクソンは、戦争が出来なくなると金融で世界支配を試みようとしたのだろう。大戦後は朝鮮戦争からベトナム戦争・イラク戦争に至るまでアングロサクソンは戦争に勝てなくなり限定戦争を余儀なくされた。いわば自分で墓穴を掘っているようなものですが、戦争によって栄えたアングロサクソンは戦争ができなくなった事で覇権は終わろうとしている。
それに代わって金融による経済覇権や英語による文化覇権は戦争に代わり得る手段だろうか? 戦争に強ければ経済覇権や文化覇権はついてきたのですが、これからは経済力と文化力で覇権は争われるようになるのだろう。アングロサクソンは経済力や文化力でもでも覇権をとり続けていけるのだろうか?
それを考察するには、アングロサクソンの文化を知らなければなりませんが、太田述正氏のブログには「アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であった」ということです。彼らにとっては戦争が生業であり、平和な時は酒を飲んで賭け事に夢中になっていた。勤勉に働くという事は彼らの文化には無い。
だからこそ大戦後には限定的な戦争で覇権を維持したのでしょうが、イラク戦争やアフガニスタン戦争は大義のない戦争であり、アングロサクソンの時代は終わったとも言える。核戦争の時代では戦争で決着をつけることは不可能だからだ。それで彼らはバクチで稼ぐ金融覇権を試みたのですが、今回見事にそれは失敗した。
アングロサクソンは、ローマ化した大陸のゲルマン民族とは違って、戦争好きなゲルマン文化を多く残していた。個人主義と自由主義はアングロサクソン文化でもあり、大陸の全体主義文化や社会主義文化とは相容れないものだ。しかし今回の金融恐慌は社会主義的な方法でしか混乱は収められないものであり、市場原理主義は敗れたのだ。
だからこそ倉都康行氏は、社会民主主義的な伝統を持つEUが主役に踊り出るだろうと予想していますが、そもそもヨーロッパ全体が戦争好きなゲルマン文化の要素を持っており、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもあった。すなわち全面戦争が出来なくなった時代は長く平和が続き、戦争で決着をつけるアングロサクソンの文化は衰退せざるを得ない。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu178.htm
アングロサクソンは純粋のゲルマン文明
アングロサクソン文明とアングロサクソン以外の欧州(以下、欧州とします)文明は、なぜ近くにあって大きく違うのでしょうか。また、それぞれどのような文明なのでしょうか。
太田さんの言によると、アングロサクソンはゲルマン民族の伝統をほば変わらず持ち続け、他方、欧州(のゲルマン諸族)はローマ化してゲルマンの伝統をほぼ失ってしまった人々であり、また(大雑把に言って)アングロサクソン文明はゲルマン由来の「個人の自由の尊重」(=個人主義)を中心的価値とする文明であり、欧州はローマ由来の「宗教(中世まで)や一般意思(近代以降)の優越する」文明(=全体主義的)、ということのようです。
では具体的に、ゲルマン民族の価値観や文化とはどういうもので、どのように形成され、なぜブリテン島のアングロサクソンにだけ受け継がれたのでしょうか。
戦争を生業とするゲルマン人
「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。
「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。
こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。
ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。
だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。
「では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。
私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・(略)(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。
(注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、
家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他す
べてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰にのみ打ち
暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。
ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。
つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。
「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)
戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。
(注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行な
い、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身
柄を賭けても争う・・。」(112頁)
注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。」(コラム#852(*2)より抜粋)
以上のように、ゲルマン民族は一人一人が戦士であり、戦争を生業とする人々であったようです。額に汗して働くことよりも、自分が負傷したり命を落とすリスクがあっても、戦争によって掠奪品を得るほうが、はるかに効率がよく得るものも大きいと、当然のように考えている人々だったのです。
そして戦争遂行という最優先事項のためには、部族の全員が一丸となって協力し、また戦争をする上では、合理的な計算に基づいて、可能な限りコストや被害を少なくして、いかに効率よく戦争を遂行できるかということを追求した形で、実行されていたのです。
ゲルマン人の個人主義
ゲルマンの成人男子は一人一人がプロの戦士で、部族全体が戦争という生業のために一致協力していた、ということは分かりました。では、その戦闘民族的な側面以外に、ゲルマン特有のユニークな点はあるのでしょうか。
「ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴル等の遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。
それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。
その個人主義と民主主義です。
「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81~82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89~90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。
また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65~69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。
以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。」(コラム#852より抜粋)
「まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、食い扶持を確保した上で、更に戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。
ここで実益の追求とは、個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。
(注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼
ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後
に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔
したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・
近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。
タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。
しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。
そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。」(コラム#857(*3)より抜粋)
自由の意気と精神、つまりは戦士たる己の力(能力)のみを頼りとして支配されることを由としないということ、それぞれが戦士として自立していること、戦時以外の自由を尊重すること、これらのことから、ゲルマン人にはごく自然なこととして個人主義が定着していたと思われます。
部族内においては、戦時以外では自分も他人も自由が侵されず、制度的なしがらみもない。ゲルマン人は戦争を生業とする戦士であったことで、かなりの程度、個人主義、自由主義が文化として浸透していたようです。また(義務を果たしている人々である)戦士による直接的な民主主義も行われていました。一見、個人主義や民主主義というと、古代ギリシャ等、文化的に高いレベルにあって初めて実現すると思い勝ちかもしれませんが、なるほど、武の伝統から生まれることもある、というところはユニークで面白いですね。
アングロサクソンの起源
では、このようなゲルマンの伝統が、いかにしてブリテン島に伝播し、維持されていったのでしょうか。アングロサクソンの起源を確認しておきましょう。
「今まで随時、アングロサクソン論を展開してきましたが、このあたりでアングロサクソンとは何かを振り返っておきましょう。
5世紀に、スカンディナビア及び北ドイツから様々なゲルマン支族がイギリスに渡ってきて、ケルト系先住民のブリトン人(=ローマ文明を継承できていなかった)を辺境に駆逐した上で定住し、相互に通婚してアングロサクソンとなります。(8世紀にベード(Bede)は、アングル支族、サクソン支族、ジュート支族の三支族が渡ってきたと記しましたが、これは単純化しすぎだと言われています。)(Historical Atlas of Britain, Kingfisher Books, 1987 PP30)
このアングロサクソンは、7世紀末までにキリスト教化します(前掲Historical Atlas of Britain PP32)。アングロサクソンの部分的ローマ化、欧州化です。
しかし、9-10世紀には、アングロサクソンは、まだキリスト教化していない、デンマーク(一部ノルウェー)のバイキング(デーン人)の侵入、定住化を経験します。(前掲 PP38)(なお、11世紀初頭には、アングロサクソンは、後にデンマーク王とノルウェー王を兼ねることになる、デーン人(その頃には既にキリスト教化していた)の王族カヌートに一時征服されます。(前掲 PP52))
更に1066年には、アングロサクソンは、フランス北部に侵入、定住したバイキング(ノルマン人)の子孫である、ノルマンディーの領主ウィリアム公に征服されます。(前掲 PP55-57)
このように、アングロサクソンは、もともとゲルマン人としての純粋性を維持していた上に、キリスト教化した後も、累次にわたってかつての同胞であるバイキング・・キリスト教化していなかった者も少なくなく、しかも、極めて能動的(=悪く言えば、好戦的で侵略的)でした・・の侵入、定住化、征服を受け、その都度、ゲルマン精神を「再注入」させられ、「純化」させられたのです。そのおかげで、アングロサクソンは、精神のローマ化・欧州化を基本的に免れることができたのです
「また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。」(コラム#1397(*5)より抜粋)
以上のとおり、ガリアのゲルマン諸族はローマ化した結果、ゲルマンの伝統を失うことになり、海を渡ってブリテン島に渡来して現地民と同化したアングロサクソンには純粋な形で残ることとなりました。さて、そんなゲルマンの伝統をほぼ純粋に受け継いだアングロサクソンの国、英国とはどのような社会になったのでしょうか。(ちなみに最新の研究によるとアングロサクソンの起源はバスク系の人々とベルガエというゲルマン系の人々がかなり関係しているようです。詳しくはコラム#1687(*6)を参照してください。)
(*4)コラム#74<アングロサクソンと北欧神話(アングロサクソン論3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955759.html
(*5)コラム#1397<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954436.html
(*6)コラム#1687<アングロサクソンの起源>
http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html
commonlaw
1 英国で、通常裁判所が扱う判例によって発達した一般国内法。一般法。→エクイティー
2 ローマ法・大陸法などに対して、英米法の法体系。
かんしゅう‐ほう〔クワンシフハフ〕【慣習法】
慣習に基づいて社会通念として成立する法。立法機関の制定によるものでなくても、法としての効力を認められている慣習。一種の不文法。習慣法。
アングロサクソン社会のユニークな点として、まずはコモンローを挙げてみたいと思います。コモンローと言えば、アングロサクソンの慣習法、自然法といったことを思い浮かべますが、太田さんはどのように考えているのでしょうか。
「クライムスは、「11世紀初頭において、[イギリスを征服したデンマーク王]カヌートは、それより半世紀後のウィリアム征服王と同様、・・彼らの前任者たる王達によって、築かれた伝統や身分を破壊しようとはしなかった。」と述べ、アングロサクソン期と中世の連続性を指摘した上で、「[アングロサクソン期の]イギリス王は、法の源ではなかった。・・法は種族の慣習、または部族に根ざす権利からなり、王は、部族の他のすべての構成員同様、法に全面的に従属していた。・・法は、本質的には、その起源からしても非人格的なものであって、いにしえの慣習や、部族共同体の精神に由来すると考えられていた。
法を宣言し、裁定を下すのは、王の裁判所ではなく、部族の寄り合い(moot)であり、王の任命した判事や役人ではなく、訴追員や審判員の役割を担った、近所の自由人達であった。・・王は、単に、法と寄り合いの裁定を執行するにとどまった。」と言っています。
こういうわけで、自由と人権の起源もはるか昔の歴史の彼方へ渺として消えていってしまいます。
この、マグナカルタ、権利の請願、権利の章典、アメリカ独立宣言などを次々に生み出していった淵源としてのアングロサクソン古来の法こそ、Common Law (コモンロー)なのです。
われわれは、個人主義が、アングロサクソン文明の核心にあることを見てきました。しかし、個人主義社会という、人類史上空前の「異常」な社会が機能し、存続していくためには、個人が、他の個人、集団及び国家の侵害から守られていなけれなりません。守ってくれるものが、王のような個人であったり、グループや、国家であったりすれば、それらが、一転、おのれの利害にかられ、私という個人の自由、人権を侵害するようなことがないという保証はありません。守ってくれるものが非人格的なコモンローであり、王も含めて全員がこの法に拘束されるということの重要性がここにあるのです。
(略)
フォーテスキューは、フランスは絶対君主制であり、すべての法が君主に発し、人々はそれに服するが、イギリスは、人々の自発的黙従に基づく制限君主制であり、王自身、彼の臣民と同じ法に拘束されるとし、「予想される不幸や損害を防止し、一層自らと自らの財産を保護するためだけに王国を形成した国が、イギリス以外に存在しないことは明白である。」と指摘します。」(コラム#90(*7)より抜粋)
アングロサクソンにとってのコモンローとは、古来からの個人主義の精神に基づいて、必然的に生まれた慣習法体系だと言えそうです。個人の自由や権利や財産を守るための法が自然法として定着していて、王といえど権利を制限され法の支配の下に置かれるというわけです。このことは、アングロサクソンは古来から人治主義ではなく法治主義であったという見方ができますね。
考えてみれば、個人主義であるためには、法の整備と遵守が全員に徹底していなければ実現できないであろうことは、当然と言えば当然ですね。
ちなみに個人主義だけでは遠心力が働いて社会が瓦解してしまうことを防ぐための制度として、コモンローとはまた別にアングロサクソン文明固有の「信託」という思想があるようです。信託については、コラム#1399(*8)と#1400(*9)を参照してください。
(*7)コラム#90<コモンローの伝統(アングロサクソン論8)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955743.html
(*8)コラム#1399<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954434.html
(*9)コラム#1400<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954433.html
資本主義と反産業主義
個人主義社会であるからには、同時に、資本主義社会でもあると言えそうです。個人主義が貫徹している社会であれば、個人が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を、誰もが持っているはずだからです。
「個人主義社会とは、個人が部族・封建制・教会・領域国家等、欧州史の古代・中世におけるような社会諸制度のしがらみから、基本的に解放されている社会です。
ちなみに、個人主義社会と資本主義社会はイコールであると言ってよろしい。個人主義社会とは、上記のごとき社会諸制度によるしがらみから基本的に自由に、個人が自分の財産(労働力・カネ・モノ)の使用・処分を行うことができる社会であり、これぞまさしく資本主義社会だからです(注6)。
(注6)これは、英国のマクファーレーン(Alain Macfarlane)の指摘だ
が、この話をもっと掘り下げて論じたいと以前(コラム#88)記しな
がら、マクファーレーンのその後の著作等の勉強を怠っているた
め、今後とも当分の間、この「約束」を果たせそうもない。」(コラム#519(*10)より抜粋)
「しかも、個人主義社会なのですから、アングロサクソンの各個人は、自分自身(の労働力)を含め、自分が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を持っており、実際にその権利を頻繁に行使しました。そういう意味で、アングロサクソンは全員が「商」(資本家)でもあったわけです
「いずれ詳しくご説明するつもりですが、イギリスはその歴史始まって以来、(すべての成人が、生産財、消費財のいかんを問わず、自由に財産を処分できるという意味で)資本主義社会であり、産業革命前に既にその「反産業主義的」資本主義は、高度に成熟した段階に達していました。
そして、(これについてもいずれ詳細にご説明するつもりですが、)イギリスは反産業主義(反勤勉主義)であったからこそ、(機械化によって楽をしようとして)産業革命を世界で初めてなしとげます。そして、イギリスは良かれ悪しかれ、反産業主義のまま現在に至っているのです。(「産業精神」参照)」(コラム#81(*11)より抜粋)
「また、古典ギリシャ社会においても古ゲルマン社会においても、労働には低い社会的評価しか与えられていませんでした。
アテネ等のポリスでは、奴隷が労働に従事し、市民はもっぱら政治と軍事に精を出したものですし、ゲルマン民族の男達は、「戦争に出ないときにはいつも、幾分は狩猟に、より多くは睡眠と飲食に耽りつつ、無為に日をすごす・・家庭、家事、田畑、一切の世話を・・女たち、老人たち<など>・・に打ち任せて・・懶惰にのみ打ちすごす」(タキトゥス「ゲルマーニア」(岩波文庫版)78~79頁)のを常としました。
ですから、貧しかった時代ならいざ知らず、豊かになった現在の西欧諸国において労働時間が著しく減ってきたのもむべなるかなとお思いになるでしょう。
それでは、アングロサクソン諸国の労働時間の長さはどう説明したらよいのでしょうか。
アングロサクソンは世界でほぼ唯一生き延びた純粋なゲルマン人であり、ゲルマン人の生業(本来の労働)は戦争(=略奪行為)だったことを思い出してください(上記引用参照)。これは戦争以外の時間はゲルマン=アングロサクソンにとっては来るべき戦争に備えて鋭気を養う余暇だったということを意味します。だから農耕・牧畜(=食糧確保)に比べて狩猟(=食糧確保+戦争準備)をより好んだとはいえ、これら「労働」も「無為・懶惰に過ごす」こととともに余暇の一環であり、「労働」を減らす、制限するという観念は、元来彼らにはなじまないのです。
そして、キリスト教の聖書を世界で初めてに民衆が読める自国語に翻訳して大量に普及させたアングロサクソンは、ゲルマン人としての彼らのもともとの好き嫌いを踏まえ、農耕・牧畜等の「懲罰」としての「額に汗」する「労働」(labour。「陣痛」という意味もある。同義語はtask)と狩猟等のそれ以外の「労働」(work。同義語はbusiness)とを明確に区別し、hard work を厭わず(?!)labourを減らすことに腐心してきました。その最大の成果の一つがイギリスを起源とする18世紀のいわゆる産業革命です(コラム#81参照)。
これに対し、西欧ではこの二種類の「労働」を区別することなく、どちらも忌むべきものとして削減することに努めてきた、と私は考えています。」(コラム#125(*12)より抜粋)
アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であったというのは面白いですね。楽をしたいからhard workを厭わないというのも、とても面白いと思います。英国が様々な創意工夫をして近代的な発明を数多く生み出したのも、よく分かる気がします。
ちなみに太田さんは、近代文明はイギリス文明そのものといってよく、近代のほぼ全てがイギリスで始まっている、とも仰っています。コラム#84(*13)を参照してみてください。
それと、経済的物質的に貧しい社会においては、個人主義を成り立たせる余裕が無く、乏しきを分かちあいながら、共同体に埋没して生きて行くより他はないところ、イギリスで個人主義が維持できたのはイギリスが大変豊かだったからだ、という側面もあるようです。コラム#54(*14)を参照してみてください。
(*10)コラム#519<米国反仏「理論」あれこれ(その4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955314.html
(*11)コラム#81<反産業主義(アングロサクソン論4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955752.html
(*12)コラム#125<各国の労働時間の違い>
http://blog.ohtan.net/archives/50955708.html
(*13)コラム#84<イギリス文明論をめぐって(アングロサクソン論5)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955749.html
(*14)コラム#54<豊かな社会(アングロサクソン論2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955781.html
http://blog.ohtan.net/archives/51258673.html
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2025/02/19 (Wed) 13:25:18
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今こそ合州国の正体直視を 本多勝一 週間金曜日 2003年 3月14日号「風速計」
この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。
国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。
あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。
ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。
米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。
合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。
戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。
これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。
こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。
開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451
ウンデッドニー以来…… (本多勝一)
アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。
合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである(注1)。合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。
ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する(注2)。
息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。
その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。
朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。
ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。
ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」
<注1>たとえばラス=カサスの『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(石原保徳訳・現代企画室)などに詳しい。
<注2>詳細は拙著『アメリカ合州国』(著作集12巻=朝日新聞社)収録の「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」参照。
<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386
▲△▽▼
回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達
アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。
◆40歳にして「回心再生」
ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。
朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。
演説には聖書 のことばがちりばめられている。
「ア メリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。
「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」
神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。
ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。
その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。
善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。
原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。
ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。
聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。
人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。
やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。
◆悪魔うけいれる土壌
最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。
テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。
神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。
しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。
現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。
回心再生と言ったって何のことか分からない。
回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。
このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。
彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。
彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html
キリスト教原理主義
キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。
プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。
英国国教会は、設立当初から血塗られている。
ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。
英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309~77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。
また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。
つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。
そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。
もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。
つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。
ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。
自派内のヒエラルキーの頂点である。
古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。
「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。
己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。
一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。
聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。
旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。
まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。
鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。
奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。
聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。
どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。
聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。
第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。
人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。
米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。
なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。
恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。
世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。
戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。
例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。
潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。
エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。
信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。
潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。
「人のふり見て我がふり直せ」と言う。
経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。
潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。
次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。
米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。
恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。
それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。
戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。
そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。
この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。
武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。
エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。
物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。
良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。
経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。
その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。
貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。
重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。
「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。
貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか?
何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。
【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」
キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。
特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。
1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。
どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)
そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。
聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。
しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造 投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒
旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。
聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。
その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。
ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。
「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。
「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。
聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。
ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。
清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。
聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。
「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。
ユニタリアン・ユニバーサリスト 6%
統一キリスト教会 12%
アメリカン・福音ルーテル教会 21%
エビスコーパル・チャーチ(聖公会) 22%
統一長老派教会 25%
統一メソディスト教会 34%
エホヴァの証人 51%
チャーチ・オブ・クライスト 55%
サザン・バプティスト会議 58%
チャーチ・オブ・ナザレン 58%
アセンプリーズ・オブ・ゴッド 65%
ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ 69%
チャーチ・オブ・ゴッド 80%
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html
「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。
この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。
「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。
元々、ヨーロッパ自体が
「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205
により、選民思想も登場してきているという背景があります。
ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。
以下、
『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144
からの紹介です。
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■アメリカを新しいエルサレムの地にする
イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。
ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。
彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。
ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。
いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。
彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。
ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。
ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。
彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。
そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。
西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。
このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。
■宗教国家のアメリカには「妥協」がない
現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。
彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。
神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。
建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。
ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。
宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。
ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。
アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。
第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。
今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html
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6:777
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2025/02/19 (Wed) 16:59:48
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ファシズムとは巨大資本が支配する統制経済の事
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14125646
共産主義は全体主義なのか?
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16852476
****者列伝 _ ベニート・ムッソリーニ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/808.html
****者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html
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2016.06.21XML
英国でEU離脱が現実味を帯びる中、J・ロスチャイルドやG・ソロスが離脱するなと恫喝する背景
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/
イギリスがEUから離脱するかどうかが話題になっているが、EUから離れたいという声が高まっている国はイギリス以外にも少なくない。金融拠点のひとつであるロンドンを抱える国がEUを離れるインパクトは大きく、その影響が世界へ波及することは避けられないものの、EUの実態はEUへの幻想を壊し、離脱派を後押しする。
そうした出来事のひとつがギリシャのEU残留。そのような決定で利益を得ているのは国内外の富豪や巨大企業だけであり、庶民の生活は悪化するばかり。EU幻想に取り憑かれたウクライナ西部の住民はキエフでのクーデターを支持、東部や南部に住むロシア語系住民を殲滅しようとしたが、ファシストが支配する西部や中部の地域は破綻国家になっている。
当初、イギリスがEUからの離脱を言い始めた理由は他の加盟国、例えばドイツやフランスを脅すためだったと言われているが、それが現実になりそうな雲行きになり、富豪は慌てている。ジェイコブ・ロスチャイルドやジョージ・ソロスのような富豪は有力メディアで離脱すると不利益を被ると庶民を脅迫しているが、それほど彼らを怒らせているのは世界支配のプランが崩れてしまうからだろう。
アメリカをはじめ、西側の支配層は現在、巨大資本が世界を支配する世の中を作り上げようとしている。巨大資本が支配する世界は当然、統制経済になる。ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、このシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。そのベースになる考え方はイタリアの経済学者ビルフレド・パレートから学んだのだという。
後に西側では全体主義をファシズムとコミュニズムを一括りにするタグとして使うようになるが、これは巨大資本の情報操作。本来は企業主義(企業支配)と結びつけるべきものだった。巨大資本が定義した意味で全体主義というタグを使うのは、情報操作に踊らされていることを意味する。
1933年11月といえば、アメリカの巨大資本が反フランクリン・ルーズベルトのクーデターを計画していたころ。その5年後の4月29日にルーズベルトはファシズムについて次のように定義している。
「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
ここに書かれているようなことをアメリカの支配層は目論んでいる。その突破口になる協定がTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。このうちTTIPはアメリカとEUの協定で、EUから離脱した国には適用されない。勿論、EUが解体されればTTIPは雲散霧消だ。
ところで、前にも書いたように、ヨーロッパ統合は米英支配層の計画だった。1922年に創設されたPEUに始まり、第2次世界大戦後にACUEが作られ、その下にビルダーバーグ・グループもできた。NATOの創設は1949年だ。EUの前身であるECについて、堀田善衛はその「幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年)と書いている。EUでも同じことが言えるだろう。その旧貴族をカネと暴力で支配しているのが米英の支配層であり、その支配のためにNATOやUKUSAは存在する。
こうした仕組みを作り上げた米英の支配層は当初、イギリスが主導権を握っていた。そのイギリスで1891年に「選民秘密協会」が創設されている。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドが中心メンバー。ブレッドは心霊主義の信者としても知られるビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。
ジョージタウン大学の教授だったキャロル・クイグリーによると、1901年までローズがこの結社を支配していたが、それ以降はアルフレッド・ミルナーが中心になる。そのミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した。後にRIIAのアメリカ支部と見なされるようになるアメリカのCFR(外交問題評議会)は設立直後、JPモルガンに乗っ取られた団体だ。
モルガン一族が富豪の仲間入りする切っ掛けは、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンにあったジョージー・ピーボディーの銀行の共同経営者になったこと。1857年にその銀行が倒産寸前になるが、そのときにピーボディーと親しくしていたナサニエル・ロスチャイルドが救いの手をさしのべている。
1864年にピーボディーは引退し、モルガンが引き継ぐ。その息子がジョン・ピアポント・モルガン。この息子はロスチャイルド財閥のアメリカにおける代理人となった。この人物の名前から彼の金融機関はJPモルガンと名づけられたわけだ。
本ブログでは何度も書いているように、関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼ったのがこのJPモルガンで、それ以降、日本の政治や経済に大きな影響を及ぼすことになる。有り体に言うなら、ウォール街の属国になり、ファシズム化が始まった。だからこそ血盟団による暗殺や二・二六事件が引き起こされたのだろう。
ニューヨークの株式市場で相場が大暴落した1929年から大統領を務めたハーバート・フーバーはウォール街の巨大金融資本を後ろ盾にしていたが、その経歴をさかのぼるとロスチャイルドが現れる。スタンフォード大学を卒業した後に鉱山技師として働いた鉱山を所有していたのがロスチャイルドだった。そのとき、利益のためなら安全を軽視する姿勢が気に入られたようだ。
相場は大きく変動するときがチャンス。下がれば損をするというものでもない。暴落のタイミングを知っていれば、つまり暴落を仕掛けられれば大儲けできるのだ。1929年にもそうしたことが起こったと言われている。相場の下落で儲かるだけでなく、二束三文で価値あるものを手に入れられる。その時に政府をコントロールできていれば、やりたい放題だ。
そうした意味で1928年や32年の大統領選挙は重要だったが、32年の選挙でフーバーは再選に失敗する。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。当然のことならが、JPモルガンをはじめとする巨大金融資本はショックを受けた。
当時、大統領の就任は3月。選挙から4カ月のギャップがある。その間にルーズベルトはフロリダ州マイアミで銃撃事件に巻き込まれるが、弾丸は隣のシカゴ市長に命中、市長は死亡した。引き金を引いたのはレンガ職人のジュゼッペ・ザンガラなる人物で、足場が不安定だったことから手元が狂ったとも言われている。この銃撃犯は直後の3月20日に処刑されてしまい、真相は不明のままだ。
ルーズベルトが大統領に就任した後、支配層はニューディール政策の実行を妨害する。その最前線にいたのが最高裁判所だった。そして1934年にクーデター計画が発覚する。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で信望が厚かったスメドリー・バトラー海兵隊少将は議会でこの計画を明らかにしたのだ。
バトラーによると、クーデター派はルーズベルト政権を倒すため、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていたという。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃、50万名規模の組織を編成して圧力をかけ、大統領をすげ替えることになっていたという。現在、アメリカの支配層がカネ儲けに邪魔な政権、体制を倒すために使う手法と基本的に同じだ。バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター派を取材、その際に「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と言われたと議会で証言している。
このクーデター計画を聞いたバトラー少将はカウンター・クーデターを宣言する。50万人を動員してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたのだ。つまり、ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。その結果、クーデターは中止になるが、クーデター派を追及して内戦になることを恐れたルーズベルト政権は曖昧なまま幕引きを図った。大戦の終盤、ルーズベルトはドイツや日本の略奪財宝を回収するのと同時にナチスと巨大企業との関係を明らかにしようとしていたと言われているが、これはルーズベルトが執務室で急死したため、実現しなかった。
何度も書いてきたが、JPモルガンと日本とを結ぶキーパーソンはジョセフ・グルー。駐日大使として1932年に赴任してきたが、彼のいとこのジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻だ。またグルーの妻、アリス・ペリーは少女時代に日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで後に大正(嘉仁)天皇の妻(貞明皇后)になる九条節子と友人になったという。
グルーは1932年から41年まで駐日大使を務めているが、妻と皇室との関係も利用して松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らと親しくなったという。1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦布告した直後、グルーは大使の任を解かれたが、42年になって岸信介(つまり安倍晋三の祖父)はグルーをゴルフに誘っている。それから間もなくしてグルーはアメリカへ戻った。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心メンバーとして「右旋回」、つまり戦前回帰を推進する。安倍首相やその仲間たちはこの政策を促進しようとしているだけである。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606210000/