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イタリア映画 _ ピエル・パオロ・パゾリーニ

1:777 :

2024/09/24 (Tue) 01:08:18

ピエル・パオロ・パゾリーニ「アッカトーネ」 敗戦後間もないころのイタリア
続壺齋閑話 (2024年9月23日 08:14)
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1961年のイタリア映画「アッカトーネ(Accatone)」は、ピエル・パオロ・パゾリーニの監督デビュー作である。パゾリーニといえば、「デカメロン」以下の「生の三部作」や「ソドムの市」など数奇な雰囲気の映画つくりで知られているが、デビュー作のこの「アッカトーネ」は、イタリア・ネオレアリズモを感じさせるようなシリアスな作風である。戦後間もないころのイタリアの混乱を背景に、職にあぶれた若者たちの退廃的な生き方を描いたものだ。画面には瓦礫の山が多出するので、終戦間もないころのイタリアの町を感じさせる。だが、この映画が作られたのは1961年のことだから、それは実際の光景ではない。戦後かなり経過した時点で、戦争直後の様子を描いているわけである。

アッカトーネというあだ名の青年が主人公。かれにはヴィットリオという本名があるのだが、仲間からはアッカトーネと呼ばれ、自分もまたそれを受け入れている。アッカトーネとは乞食を意味するイタリア語だ。じっさいかれは、乞食のような生き方をしているのである。それも女を食い物にするような生き方である。イタリアの男には、女を食い物にして平然としているのが多いと聞くが、この映画の中のアッカトーネもそうした男の一人である。

アッカトーネは、マッダレーナという娼婦のヒモである。彼女は客に乱暴されて脚を怪我する。ところがアッカトーネは、そんな彼女に同情しないばかりか、いまから客を取りに行けとせきたてる。彼女がアッピア街道で客待ちをしていると、数人の男たちが車でやってくる。その男たちは、彼女を寂しい場所に連れて行って、一人が彼女と一発やったあと、どういうわけか彼女を袋叩きにする。彼女は警察に保護される。警察で彼女が自分を袋叩きにしたとして指名した男たちは、まったく違う連中だった。

このことで、マッダレーナはアッカトーネとの関係を断つ。マッダレーナの家から追い出されたアッカトーネは、妻の自宅に赴く。妻はかれに愛層をつかしていて、かかわりあうのを拒絶する。しつこくつきまとうかれを、妻の兄と父親が追い払う。アッカトーネには息子がいるのだが、その息子とも仲良くさせてくれない。

そんなアッカトーネの前に、一人の若い女が現われる。ステラという貧しくて身寄りのない女だ。その女にアッカトーネは惚れる。なにか贈り物をしたいが金がない。そこで息子が首にかけている金の十字架を盗んでステラに与える。ステラは、アッカトーネが貧しくて、まともな暮らしをしていないことを見抜く。そんな彼女にアッカトーネは客をとらせようとする。ステラもそれを了承する。だが、いざとなると逃げだす。

そんなだらけた暮らしをしていたアッカトーネが、ある日突然死んでしまう。オートバイで自爆したのだ。映画では、いきなりアッカトーネが自分の葬式に立ち会うという形で、そのことがアナウンスされる。かれの葬式には、友人たちが多少集まってはきたが、すぐに忘れられてしまうだろう。そんな暗黙のメッセージを発しながら映画は終わる。

戦後間もないころのイタリアは、敗戦国でもあり、経済状況は壊滅的で、アッカトーネのような失業者が沢山いたと思われる。パゾリーニはそんなイタリアの状況を、記録しておきたかったのであろう。かれは、フェリーニの映画「カビリアの夜」の脚本を書いた。カビリアはマッダレーナの原像だったように思う。
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『アッカトーネ』(Accattone)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%8D


『アッカトーネ』(伊: Accattone)は、1961年公開のイタリアのドラマ映画。原題は「乞食」という意味。

あらすじ
"アッカトーネ"と渾名される青年ヴィットリオは働きもせず、バイシュン婦マッダレーナのヒモとして自堕落に生きている。しかし、マッダレーナが警察に逮捕される。困ったヴィットリオは疎遠だった妻の実家に助けを求めるが、追い出される。そんな時、ステラという少女と出会う。彼女と人生をやり直そうかとも思ったが無理。ステラにバイシュンをやらせようとするが、それもできない。やむなく泥棒稼業に手を染めるが、警察に追われて盗んだバイクで逃げるが交通事故に遭い、ヴィットリオはあっけなく死んでしまう。


エピソード
監督・脚本はピエル・パオロ・パゾリーニ。脚本は映画のために書かれたオリジナルだが、パゾリーニの初期小説『生命ある若者』『激しい生』の脚色と言われることが多い[2]。パゾリーニの第1回監督作品。アマチュア俳優の起用、貧しい人々に焦点を当てた主題といったパゾリーニならではのスタイルはデビュー作で既に確立されている。

パゾリーニが文学から映画に移ったことに誰もが驚かされたが、パゾリーニ本人は第2次世界大戦の段階でイタリア国立映画実験センターへの入学を考えていたくらい、早くから映画に関心を持っていた。さらに1957年にはフェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』に脚本として参加し、映画は現実に根ざして作るべきと考えていた。

『アッカトーネ』に出てくるのは、彼の小説がそうであるように、ヒモ、バイシュン婦、泥棒といった、戦後イタリアの経済復興とは無縁な社会の底辺にいる人々。こうした人々を描くこと、聖と俗の境界線を曖昧にすることは当時としてはスキャンダラスだった。パゾリーニ自身はネオレアリズモと距離を置こうとしたが、この映画は第2世代のネオレアリズモと評され、批評家の中には、これまで見た映画の中で最も辛い映画という人もいる[3]。
主演のフランコ・チッティは英国アカデミー賞 主演男優賞にノミネートされた[4]。

助監督はベルナルド・ベルトルッチ[5]。

日本では長らく公開されず、1992年にクラウンレコードが原題Accattoneの直訳である『乞食』(こじき)という題名でビデオ発売。2001年、パイオニアLDCがDVDをリリースした時に『アッカトーネ』に改題。劇場初公開は2004年5月15日から6月4日にかけてユーロスペースで催された『ボンジョルノ・パゾリーニ』で、『アッカトーネ』のタイトルで上映された。

キャスト
ヴィットリオ・"アッカトーネ"・カタルディ:フランコ・チッティ(イタリア語版)
ステラ:フランカ・パスット
マッダレーナ:シルヴァーナ・コルシーニ
アセンザ:パオラ:グイディ
アモーレ:アドリアーナ・アスティ
アセンザ(声):モニカ・ヴィッティ ※クレジットなし
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2:777 :

2024/09/24 (Tue) 01:10:39

パゾリーニ『奇跡の丘 Il Vangelo secondo Matteo』1964年
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****タブーを扱った パゾリーニ『アポロンの地獄 Edipo Re』1967年
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パゾリーニ 王女メディア (1969年)
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パゾリーニ『アラビアンナイト Il fiore delle Mille e una notte』1974年
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ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini, 1922年3月5日 - 1975年11月2日)
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ピエル・パオロ・パゾリーニ(パソリーニ)(Pier Paolo Pasolini, 1922年3月5日 - 1975年11月2日) は、イタリアの映画監督、脚本家、小説家、詩人、劇作家、評論家、思想家。

特異な作風、後世に与えた影響、そして謎の死など、20世紀の映画史において伝説的な存在である。

生涯
1922年3月5日、ボローニャで生まれた。軍人の父カルロ・アルベルト・パゾリーニ(イタリア語版)はベニート・ムッソリーニの命を救ったことで有名なファシストであり、幼少期のパゾリーニは父の軍務により、北イタリアの各地を転々とした。元教師で芸術家気質だった母スザンナ・パゾリーニ(イタリア語版)の影響を受け、パゾリーニは7歳で詩作を始めた。その後、1939年にボローニャ大学に入学し、文学を専攻する傍ら映画にも関心を持つようになった。第二次世界大戦中は母と二人で母の故郷フリウリ地方カザルサで教師として生活し、1942年にフリウリ語の方言で執筆した詩集『カザルサ詩集』を発表。一方で終戦直前の1945年2月12日、反独パルチザンだった弟グイド・パゾリーニ(イタリア語版)が内部抗争で死亡し、この出来事はパゾリーニに多大な影響を与えたと言われている[1]。

終戦後の1947年に中学校の教師に着任し、同時にイタリア共産党に入党。しかし、1949年に未成年の青年への淫行の容疑をかけられ、共産党から除名され、教職も追われた。翌1950年、母とともにローマに移住し、窮乏生活を送りながら執筆活動を続けた。1954年にマリオ・ソルダーティ監督の『河の女』の脚本を共同執筆したことをきっかけに脚本家としての活動を始め、映画界に携わるようになった。翌1955年には処女小説『生命ある若者』を発表。発禁処分を受けたが、本作をきっかけに作家アルベルト・モラヴィアの知己を得た。1957年に発表した詩集『グラムシの遺骸』はヴィアレッジョ賞を受賞。同年、フェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本を共同執筆。以後も映画監督としてデビューするまでに10本以上の作品に脚本家として携わった。

1961年、長編映画処女作『アッカトーネ』を発表。助監督は翌1962年にパゾリーニの原案を元にした『殺し』で映画監督としてデビューしたベルナルド・ベルトルッチが務めた。また、1961年にはモラヴィアと彼の妻エルサ・モランテとともにインド、ケニアを旅行した。パゾリーニは翌1962年から1963年にかけてもアフリカの各国を単身で訪れ、この体験が後の作品に見られる僻地での撮影に活かされた。

1964年、『マタイによる福音書』を忠実に映像化した『奇跡の丘』を発表。第25回ヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞と国際カトリック映画事務局賞を受賞し、米アカデミー賞でも技術部門で3部門にノミネートされた。1966年にはイタリアの喜劇王とも言われた俳優のトトを起用した『大きな鳥と小さな鳥』を発表。第19回カンヌ国際映画祭で上映され、ロベルト・ロッセリーニの好評を得た。1967年にはソポクレスの戯曲『オイディプス王』を自伝的要素を内包して映画化した『アポロンの地獄』を発表。第28回ヴェネツィア国際映画祭では不評に終わったが、日本では1970年にキネマ旬報ベストテンの第1位に選出された。その後も『テオレマ』(1968年)や『豚小屋』(1969年)といった資本主義社会への批判を暗示した寓意的作品を発表するが、いずれの作品も大衆の支持を得られなかった。その他、1969年にはエウリピデスの悲劇『メディア』を映画化した『王女メディア』を歌手マリア・カラスを主演に起用して製作した。1960年代後半には映画や戯曲の相次ぐ不評や若い世代との思想的対立など、パゾリーニは一種の孤立状態に陥ったと言われている[2]。

1970年代に入り、それまでの作品とは作風の異なる「生の三部作」と呼ばれる作品群を発表。ボッカッチョの同名小説を映画化した1作目の『デカメロン』(1971年)は第21回ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を、チョーサーの同名小説を映画化した2作目の『カンタベリー物語』(1972年)は第22回ベルリン国際映画祭で金熊賞を、『千夜一夜物語』を映画化した3作目の『アラビアンナイト』(1974年)は第27回カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞し、いずれも好評を博した。その一方で商業主義的との批判も浴び、1975年に出版した「生の三部作」の脚本をまとめた単行本の序文で「私は生の三部作を撤回した」と発表している。

1975年、マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは****学校』を原作にした『ソドムの市』の製作に着手した。原作はサドが生きた近世フランスをテーマとした嗜虐的な作品となっているが、パゾリーニは原作を現代イタリア、それも第二次世界大戦中末期の内戦でファシスト党が設立したイタリア北部の亡命政権であるイタリア社会共和国(RSI、サロ共和国)を舞台とした作品へと翻案した。これは共産主義者であったパゾリーニにとって、冷戦期のイタリアで勢力を回復させていたネオファシスト運動への批判、そして経済的に豊かな北イタリアによる「南イタリアへの搾取」の批判といった、右派や資本主義に対する政治的風刺(或いは攻撃)を意図したものであった。軍装などの考証が正確な一方、史実に基づかない作品中の残虐描写は攻撃の対象とされたネオファシスト勢力からの強い反発を受けた。

1975年11月2日、同作の撮影を終えた直後のパゾリーニはローマ近郊のオスティア海岸で激しく暴行を受けた上に車で轢殺された。享年53[3]。『ソドムの市』に出演した17歳の少年ピーノ・ペロージ(イタリア語版)が容疑者として出頭し、「同性愛者であったパゾリーニに性的な悪戯をされ、正当防衛として殺害して死体を遺棄した」と証言し、警察の捜査は打ち切られた。しかし当初から少年による単独犯としては無理のある内容であり、ネオファシストによる犯行とする陰謀論が主張された。現在も真犯人は判明せず、その死の真相を巡ってはアウレリオ・グリマルディ(イタリア語版)監督の『パゾリーニ・スキャンダル』(1996年)など多くの映画や伝記本が製作されている。日本では1999年に「パゾリーニ映画祭」と題した上映会が開催され、映画監督の大島渚が実行委員長を務めた[4]。

2005年、ペロージは国内のドキュメンタリー番組で「パゾリーニはファシスト達に殺害された。自分は家族に危害を加えると脅され、偽の自首を強要された」と新たに証言した。


フィルモグラフィー

長編映画
河の女 La donna del fiume (1954年) - 脚本
Il prigioniero della montagna (1955年) - 脚本
カビリアの夜 La Notti di Cabiria (1957年) - 脚本
Marisa la civetta(1957年) - 脚本
Giovani mariti (1958年) - 脚本
狂った夜 La notte brava (1959年) - 脚本
Morte di un amico (1959年) - 脚本
汚れなき抱擁 Il Bell'Antonio (1960年) - 脚本
残酷な夜 La lunga notte del '43 (1960年) - 脚本
Il carro armato dell'8 settembre (1960年) - 脚本
狂った情事 La Giornata balorda (1960年) - 脚本
飾り窓の女 La Ragazza in vetrina (1961年) - 脚本
Milano nera (1961年) - 脚本
アッカトーネ Accattone (1961年) - 監督・脚本
マンマ・ローマ Mamma Roma (1962年) - 監督・脚本
殺し La commare secca (1962年) - 原案
奇跡の丘 Il Vangelo secondo Matteo (1964年) - 監督・脚本
愛の集会 Comizi d'amore (1964年) - 監督
Sopralluoghi in Palestina per il vangelo secondo Matteo (1965年) - 監督
大きな鳥と小さな鳥 Uccellacci e uccellini (1966年) - 監督・脚本
アポロンの地獄 Edipo re (1967年) - 監督・脚本
テオレマ Teorema (1968年) - 監督・脚本
豚小屋 Porcile (1969年) - 監督・脚本
王女メディア Medea (1969年) - 監督・脚本
Ostia (1970年) - 脚本
Appunti per un'Orestiade africana (1970年) - 監督
Appunti per un romanzo dell'immondezza (1970年) - 監督
デカメロン Il Decameron (1971年) - 監督・脚本
カンタベリー物語 I Racconti di Canterbury (1972年) - 監督・脚本
エロスの詩 Storie scellerate (1973年) - 脚本
アラビアンナイト Il Fiore delle mille e una notte (1974年) - 監督・脚本
ソドムの市 Salò o le 120 giornate di Sodoma (1975年) - 監督・脚本


短編映画
意志薄弱な男 La ricotta (1963年) - オムニバス『ロゴパグ』の一篇、監督
La rabbia (1963年) - オムニバス、監督
月から見た地球 La Terra vista dalla Luna (1967年) - オムニバス『華やかな魔女たち』の一篇、監督
Appunti per un film sull'India (1968年) - 監督
造花の情景 La sequenza del fiore di carta (1969年) - オムニバス『愛と怒り』の一篇、監督
Le mura di Sana'a (1971年) - 監督


著作

小説
生命ある若者 Ragazzi di vita (1955年)
激しい生 Una vita violenta (1959年)
インドの香り L'odore dell'India (1962年)
あることの夢 Il sogno di una cosa (1962年)
青い目をしたアリー Alì dagli occhi azzurri (1965年)
テオレマ Teorema (1968年)
聖なるミメーシス La Divina Mimesis (1975年)
不純行為・愛しいひと Atti impuri, Amado mio (1982年)
石油 Petrolio (1992年)
日本人たちの王 Il Re dei Giapponesi (1998年) 短編

詩集
カザルサ詩集 Poesie a Casarsa (1942年)
詩篇集 Poesie (1945年)
日記 Diarii (1945年)
嘆き I pianti (1946年)
わが祖国はいずこ Dov'è la mia patria (1949年)
20世紀のイタリア方言詩撰 Poesia dialettale del Novecento (1953年)
ある少年の心の中に Tal còur di un frut (1953年)
日記より Dal diario (1954年)
最良の青春 La meglio gioventù (1954年)
イタリア詩撰:民衆詩集 Canzoniere italiano, Antologia della poesia popolare (1955年)
民衆の歌 Il canto popolare (1954年)
グラムシの遺骸 Le ceneri di Gramsci (1957年)
カトリック教会の小夜鳴鳥 L'usignolo della Chiesa Cattolica (1958年)
春のソネット Sonetto primaverile (1960年)
ローマ1950年 日記 Roma 1950. Diario (1960年)
現代の宗教 La religione del mio tempo (1961年)
バラのかたちの詩 Poesia in forma di rosa (1964年)
忘れ去られた詩 Poesie dimenticate (1965年)
超越と組織 Trasumanar e organizzar (1971年)
新しい青春 La nuova gioventù (1975年)
冒涜 Bestemmia. Tutte le poesie (1993年) 全詩集

戯曲
司祭 Il cappellano (1947年)
ほらふき兵隊 Il vantone (1964年)
ピラデ Pilade (1967年)
騙り Affabulazione (1969年)
カルデロン Calderón (1973年)
フリウリのトルコ人 I Turcs tal Friùl (1976年)
形式の家畜 Bestia da stile (1977年)
豚小屋 Porcile (1979年)
オルギア Orgia (1979年)
彼の栄光 La sua gloria (1996年)
46年に! Nel 46! (2001年)
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3:777 :

2024/09/25 (Wed) 13:46:15

ピエル・パオロ・パゾリーニ「テオレマ」 現代のキリスト
続壺齋閑話 (2024年9月25日 08:40)
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ピエル・パオロ・パゾリーニの1968年の映画「テオレマ(Teorema)」は、イタリア国内ですさまじいスキャンダルを引き起こした。カトリック教会を中心にして、その反道徳性を非難する声が巻き起こったのだ。たしかに、われわれのような外国人がこの映画を見ても、かなりな反道徳性を感じる。それは、この映画がキリストをパロディ化していると、誰にもわかるからだ。この映画に出てくる放浪の若者がキリストのパロディであり、かれによって破滅の淵においやられるブルジョワ(イタリア語ではボルゲーゼという)の家族が、現代に生きるキリスト教徒をあらわしていることは、日本の中学生でも見抜くことができよう。

現代のキリストである放浪の若者が、ブルジョワの家庭のメンバーを魅了するプロセスは、かつてパレスチナの地に現れたキリストが、人々を次々と魅了していったことの再現である。かつてのキリストは、死後人々の心に残り、永遠にたたえられた。現代のキリストである放浪の若者が去った後は、残されたブルジョワの家族は次々と狂っていく。その狂い方が、古代のユダヤ人たるキリスト教徒とは違う。かれらは信仰に狂ったのであるが、現代のキリスト教徒たるブルジョワは、愛の渇きのために狂うのである。

テレンス・スタンプ演じるキリストがブルジョワの家族に現れると、家族のメンバーは次々とかれに魅了される。家政婦エミリア(マグダレナのマリアをイメージさせる)を別にすれば、まず息子が同性愛を若者に向ける。次に妻が性的な対象としてキリストにせまる。彼女はいきなり若者と一発やるのである。そのあと、娘がキリストによって処女を破ってもらう。彼女の乳首はまだ子供のままなのに、****だけは大人並みなのである。最後に父親が若者に****を覚える。父親は、自分の息子が若者と寝ている所を見て、催してしまうのである。

若者が屋敷から去ると、家族のメンバーは次々と不調に陥る。最初に娘のオデットが狂い、半死状態に陥って救急車で運ばれる。次に息子が狂い、自分の画家としての大事な作品に向かって****する。母親は、うずく****に駆られて次々とボーイハントにいそしむ。息子のような若者たちを相手に、みだらなセックスに耽るのだ。最後に父親が狂う。かれの狂い方は一風変わっている。自分が所有する企業を労働者に与えてしまうのだ。資本を労働者に与えたものは、もはやブルジョワとは言えない。ブルジョワをそんなに狂わせるほど、現代のキリストは怪しい力を持っているのだ。

テレンス・スタンプは、ウィリアム・ワイラーの映画「コレクター」で、あやしい男を演じていた。その怪しい雰囲気が、この映画でもよく出ている。なお、原題のテオレマは、イタリア語で定理とか公式という意味。
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『テオレマ』(イタリア語: Teorema, 「定理・定式」の意)は、1968年(昭和43年)製作・公開のピエル・パオロ・パゾリーニ監督によるイタリアの映画である。

ストーリー
ミラノ郊外に住む、工場経営者であるブルジョワ家庭(主人、妻、娘、息子、家政婦)に一人の男が姿を現わし、なぜか男と一家との共同生活が始まる。そのうち家族全員は男の謎めいた魅力の虜となってゆくが、男が家族の前から立ち去ると、残された家族は奇妙な行動を取り始め、家庭は崩壊してゆく。

キャスト
テレンス・スタンプ: 訪問者
マッシモ・ジロッティ: パオロ (主人)
シルヴァーナ・マンガーノ: ルチア (妻)
アンヌ・ヴィアゼムスキー: オデッタ (娘)
アレドレ・ホセ・クルス: ピエトロ (息子)
ラウラ・ベッティ: エミリア (家政婦)
ニネット・ダヴォリ: 配達人

備考
ラウラ・ベッティがヴェネツィア国際映画祭 女優賞を受賞した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%9E


4:777 :

2024/09/27 (Fri) 10:24:22

ピエル・パオロ・パゾリーニ「豚小屋」 獣姦と人肉食
続壺齋閑話 (2024年9月27日 08:16)
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動画
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ピエル・パオロ・パゾリーニの1969年の映画「豚小屋(Porcile)」は、前作の「テオレマ」に劣らずスキャンダラスな作品である。前作のようにキリストが出てくるわけではないが、堕落したキリスト教徒たちが出てきて、人倫を嘲笑するような振舞いをする。しかもキリスト教徒は、現代だけではなく、過去の時代からずっと堕落していたのだ。この映画は、現代と過去の時代(中世?)の出来事が交互に描かれるのであるが、現代の話の中心人物は、豚とのセックスを楽しんだあげく、豚どもに食われてしまうのであるし、過去の時代の中心人物は、父親を殺し、人肉を貪り食ったあげく、キリスト教会によって処刑される。そのやり方がおぞましい。身体を拘束されて野原に放置され、野犬の餌に供されるのである。

現代の話は、ブルジョワの一家が中心である。一家はクロッツというドイツ風の姓で、ドイツ人たちとの付き合いが深い。中には、ヒトラーを想起させるようなキャラクターも出てくる。ヒルトと呼ばれるその男は、ユダヤ人を殺したのは科学発展のための材料としてであり、理にかなったことだったと自己弁護する。それに対してクロッツは、さもあらんという表情をする。クロッツの息子は、自閉症気味で、不可解なことばかりする。かれには女友達がいて、両親とくに母親は息子が彼女と結婚してくれるのを願っている。しかし息子にはその気はない。かれには獣姦の性向があって、豚どもとセックスするのを楽しみにしているのだ。

一方、過去の時代の話は、一人の青年を中心に展開する。その青年は原野をさまよいながら、蝶や蛇など手当たり次第に食う。だが、それでは飢えをしのげない。かれの主食は人肉なのだ。そこで、たまたま人間と出会うと、その人間を殺して食料にすることを考える。映画の冒頭の場面は、青年がたまたま出会った少年を殺し、頭を切り離した身体を貪り食らうさまを写すのである。

現代の話と過去の時代の話との間に、つながりはない。まったく関係のない出来事が並行して語られる。唯一、同じ人物が二つの時代をまたいで出てくる。かれが、過去の時代では青年やその仲間の処刑の様子を見守り、現代では、クロッツの息子が豚に食われた事実を父親に報告するのだ。

こんな具合に、かなりの荒唐無稽さを感じさせる作品だ。ヨーロッパのキリスト教文化の欺瞞性をあざ笑っているように思える。だから前作同様、世間の反応は厳しかった。こんな映画ばかり作っていると、やがてヨーロッパでの活躍舞台を取り上げられるだろう。実際パゾリーニはまともな死に方をしなかった。
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豚小屋(Porcile)1968年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%9A%E5%B0%8F%E5%B1%8B_(1968%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

監督・脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影:トニーノ・デリ・コリ 、 アルマンド・ナンヌッツィ
音楽:ベネデット・ギリア

豚小屋(ぶたごや 原題:Porcile)は、1968年製作のイタリア映画。日本公開は1970年10月24日。


ピエル・パオロ・パゾリーニがフランスの俳優のピエール・クレマンティと当時フランスの大人気俳優だったジャン=ピエール・レオーを迎えW主演させたオムニバス映画である。中世編と現代編とあり、中世編はクレマンティ、現代編はレオーとそれぞれが主役を演じる。カニバリズムを題材にしながらもひたすら淡々と描いている。


キャスト
ピエール・クレマンティ
ジャン=ピエール・レオー
アルベルト・リオネロ
アンヌ・ヴィアゼムスキー
ウーゴ・トニャッティ
マルコ・フェレーリ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%9A%E5%B0%8F%E5%B1%8B_(1968%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

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