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安田公義 大魔神(大映 1966年)

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2024/05/19 (Sun) 18:20:54

安田公義 大魔神(大映 1966年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%AD%94%E7%A5%9E

監督 安田公義
脚本 吉田哲郎
音楽 伊福部昭
撮影 森田富士郎
製作会社 大映
配給 大映
公開 1966年4月17日


動画
https://www.youtube.com/watch?v=0740rGKnE2o
https://www.bing.com/videos/search?q=%e5%a4%a7%e9%ad%94%e7%a5%9e++1966%e5%b9%b4&FORM=HDRSC4


『大魔神』、『大魔神怒る』(だいまじんいかる)、『大魔神逆襲』(だいまじんぎゃくしゅう)の3作とも1966年に大映京都撮影所で製作され、時代劇と特撮が巧みに融合された作品である。時代劇の本場であった同撮影所で『座頭市シリーズ』や『眠狂四郎シリーズ』などに腕を振るった安田公義をはじめとする時代劇専門のベテラン監督が起用されており、時代劇としても重厚なリアリティが保たれている。

各作品は独立したエピソードをもつが、日本の戦国時代にて悪人が陰謀を巡らせて民衆が虐げられると、穏やかな表情の石像だった大魔神が復活して動き出し、破壊的な力を発揮して悪人を倒すという舞台や展開を同じくする。

娯楽性を追求して結集させた作風と大魔神の独特の設定で『ガメラ』シリーズと並ぶ大映の特撮映画を代表する看板作品となり、後年の漫画やアニメではしばしばパロディの対象とされ、テレビCMに採用されることもあった。なお、大魔神の元となったのはプロットのみ存在する『ガメラ対宇宙氷人』(『ガメラ対バルゴン』の前身)に登場する「宇宙氷人」である。また、「妖怪シリーズ」などに登場してきた「吸血妖怪ダイモン」は大魔神の影響を強く受けており、橋本力も『妖怪大戦争』にてダイモン役を演じている。


1966年(昭和41年)4月17日公開。併映作は『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』。大映京都撮影所作品。京都と東京の撮影所を使い分け、同作との自社製作による特撮2本立てという興行スタイルは、円谷英二を擁した東宝すら実現できなかった、日本初のものであった。製作予算は企画副部長だった奥田久司によると1億円で、配収も1億円と大ヒットはしたものの、「結局トントンで、あれだけ苦労して利益なし」だったという。

本作の企画書が大映本社に提出されたのは、1965年(昭和40年)の11月1週目の第124回企画会議でのことで、大映京都撮影所所長だった鈴木炤成、企画副部長だった奥田久司により、チェコスロバキア映画の『巨人ゴーレム』(1936年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督[注釈 1])で描かれたゴーレム伝説に材を採り[2]、大映京都撮影所の特撮技術を活用する旨となっている。企画時の題名は『大魔神現わる』[3]。作中の小源太や左馬之助などの人名も、奥田によるものである。

大魔神の身長は、画面でのリアリズムを考え、黒田義之特撮監督らによって15尺(約4.5メートル)に決められて2体作られるとともに、着ぐるみも2体作られ、手足などの部分も必要に応じて製作された[4]。黒田はのちに円谷プロダクションのテレビ作品に参加するが、彼によると、これは本作を観た同社社長の円谷一から声を掛けられてのことだという。

大映社長の永田雅一はこの興行を前に、「日本映画界は必ず復興する」との一文を当時の新聞紙上に寄せる意気込みを見せている[要出典]。大魔神シリーズはブルーバック合成が非常に効果を上げているが、この1作目の製作に当たって永田は京都撮影所に、ヨウ素電球190個を菱形に並べた11メートル×4.6メートルの大規模なブルーバック用のライトスクリーンを購入している。交流電気ではライトに光ムラが出るため、このライトスクリーンの電源には撮影所で直流に変換した電流が使用され、万全の態勢で撮影が行われた。大映京都のベテラン撮影技師の森田富士郎によれば、当時の価格で約1000万円という巨費を投じて輸入したこの機材は、大魔神シリーズ以外には同じく京都撮影所作品の『妖怪百物語』(1968年)など、「妖怪シリーズ」を除けばほとんど出番がなかったという。

1作目・2作目ともに本編と特撮両者にまたがってカメラを回した森田は、「本編と特撮両方を1人で撮らなければ空気層にリアリティが出ない」として、「1人で撮る」ことを条件に本作を引き受けた。森田は本作で撮影監督のポジションの重要性を訴え、これを務めている。森田は本作により、新人カメラマンを対象とする三浦賞を受賞した[4]。大魔神シリーズは大規模なブルーバック合成が絶大な効果を上げているが[注釈 2]、当時の合成画面の現像は合成素材のフィルム同士の調子を合わせるために2日寝かせて行わなくてはならず、現像所で合成画面が完成するまで20日かかるものだった。『大魔神』全3作に『酔いどれ博士』(三隅研次監督、勝新太郎主演)を挟んでの撮影を進める中、合成画面1カットの費用が当時の価格で30万円かかるため、その成果に対する心労や撮影スケジュール進行のストレスに、森田は「心臓がおかしくなった」と語っている。このため、『大魔神逆襲』は今井ひろしと連名で撮影を行っている。

大映は本作に先立ち、日米合作の航空特撮映画『あしやからの飛行』(マイケル・アンダーソン監督、1964年)を制作しているが、この際には青く塗装したホリゾント壁を使ってブルーバック合成が行われた。しかし、この手法では色ムラが出てしまうため、合成画面に苦心した。アメリカのスタッフは大映自前の東京現像所を信用せず、ブルーバック合成の現像はアメリカにフィルムを送って行うという状況だった。これを見た森田が、翌年の1965年(昭和40年)に玩具の戦車が大映京都撮影所正面入り口から出て来るというブルーバックのテストフィルムを独自に撮影すると、出来栄えが良かったために所内で評判となり、『大魔神』の企画のもととなったという。

三部作すべてで大魔神役スーツアクターを務めたのは、プロ野球選手出身の橋本力である。橋本を起用したのは黒田義之で、「主役はあんただから」と念を押したという。撮影は芋の粉やコルク屑、炭粉を使った粉塵が飛び交うものだったが、橋本はカメラが回っている間は、決して瞬きをしなかったという。それによって血走った眼が印象的な当たり役となり、『妖怪大戦争』でも吸血妖怪ダイモン役で血走った両眼を見せ、強い印象を残している[6]。荒れてしまった目は、茶でしかきれいにすることができなかったという[7]。森田も「あの人には頭が上がりません」と述べている。

作曲を担当した伊福部昭は、「魔神といっても神様ですから、神々しいイメージでいたところ、映像を見たら、青黒い顔に血走った目玉がギョロギョロ動いて睨みつけるというものだったので、さあこれはえらいことになったと、驚きながら作曲しました」と語っている。伊福部はこの魔神に三音階から成る非常に印象的なテーマ曲を与え、作品世界に重厚な奥行きを構築している。奥田久司によると、奥田をはじめ安田・三隅・森の3監督とも伊福部音楽の大ファンだという。

大映京都のスタッフは、長年築いた時代劇セットのノウハウをつぎ込み、見応えのある建物のミニチュアを制作した。これらは魔神の背丈に合わせ、フィルムの速度も2.5倍にされたうえ、瓦の各個の大きさまで1/2.5の縮尺で統一されているという徹底ぶりであった。崩れる城門は数十人で引っ張り、ブルドーザーも援用している。ラストシーンで崩壊する魔神のミニチュアは、高山良策の手によるものであるが想定通りには崩れず、かなりの試行錯誤が行われている。劇中最後の魔神のミニチュアの崩壊は、上方から圧縮空気を当てて行った。

砦のオープン・セットは、京都の沓掛にあった採石場に組まれた。2作目、3作目のオープンセットもこの沓掛の採石場が使われた。クランク・インは2月3日、クランク・アップは4月10日、テスト期間を入れれば3か月かけて撮影が行われた。

あらすじ
戦国時代、丹波の国の領主・花房家は、家老の大館左馬之助一派の下剋上によって幼い忠文・小笹兄妹の2人を残して滅ぼされ、領民たちは砦の建設のために苦役を強いられることになってしまった。花房の兄妹は忠臣・小源太の叔母で魔神の山の魔神阿羅羯磨(あらかつま)を鎮める巫女の信夫の下に身を寄せ、お家再興の機をうかがう。月日は流れ、忠文と小笹はそれぞれたくましい若者と美しい娘に成長していた。一方、彼らの潜む魔神の山には巨大な武神像があり、領民たちから篤く信仰されていた。これを快しとしない左馬之助は、忠告に上がった信夫の「このまま領民たちを苦しめ続けたら魔神による神罰がある」という言葉を嘲笑い、「神罰があるなら見せてみよ」と信夫を斬り殺し、こともあろうに山中にある武神像の破壊を配下に命じた。小笹が捕まり、その眼前で武神像の額に深々と鏨(たがね)が打ち込まれた。すると、鏨の傷から赤々とした鮮血が滴り始めたのである。同時に起こった地震、地割れ(武神像の祟り)の中、左馬之助の手の者たちは次々に地割れに飲み込まれていく。

怒り鎮まらぬ武神は、忠文の命乞いに身を捧げようとした小笹の眼前で動き出し、穏やかな相貌を憤怒の相に変えるや、光の球となって砦の建設現場へと向かう。折しも砦では、花房家最後の望みである忠文と小源太の磔処刑が執行されようとしていた。絶望し、ただ神に祈るのみの領民、そして勝ち誇る左馬之助の前へ、妖しく曇った天空から一点の光が地上に落ち、突如それは巨大な魔神の姿となった。

魔神は砦を突き破り、城下へ侵入する。必死にこれを止めようとする城兵たちも次々に踏みつぶされ、瓦礫の下敷きとなっていく。花房家の残党により忠文と小源太は救出され、左馬之助も逃亡むなしく魔神に捕まった。魔神は額に打たれた鏨を引き抜くや、これを左馬之助の胸に深々と突き通す。しかし魔神の怒りはなおも鎮まらず、無辜(むこ)の領民までもが巻き添えに、魔神による破壊はついに城下全体に及ぶかに見えた。

そのとき、魔神の足元に小笹が駆け寄ってひざまずいた。小笹は自らの命と引き換えに、魔神に怒りを鎮めてくれるよう懇願し、涙を落とした。それを見た魔神は自らの顔を穏やかな武神に変え、やがて土塊(つちくれ)となって崩れ去り、風の中に消えていくのだった。


キャスト
花房小笹:高田美和
花房忠文:青山良彦
花房忠文(少年時代):二宮秀樹
猿丸小源太:藤巻潤
大舘左馬之助:五味龍太郎
花房忠清:島田竜三
犬上軍十郎:遠藤辰雄
梶浦有助:杉山昌三九
中馬逸平:伊達三郎
巫女の信夫:月宮於登女
竹坊:出口静宏
吾作:尾上栄五郎
小郡主水:伴勇太郎
原田孫十郎:黒木英男
悠乃:香山恵子
茂助:木村玄
:暁新太郎
:志賀明
:森下昌子
:吉川初美
:大杉潤
:勝村淳
:森内一夫
:雨宮旭
:上原寛二
元木半蔵、大魔神:橋本力
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%AD%94%E7%A5%9E


▲△▽▼


mon********さん
2022/9/30 12:14
1966年の映画「大魔神」で
武神象のある滝は
どこの滝をロケしたのですか?

ベストアンサー
2022/9/30 13:53
大映映画「大魔神」の中で武人像『阿羅羯磨』が祀られている狼谷は
「日本の滝百選」にも選ばれた岡山県真庭市勝山町『神庭(かんば)の滝』です。
中国地方随一のスケールを誇る名瀑です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14268822289


神庭の滝
西日本屈指の名瀑 断崖絶壁を落下する景観は圧巻

真庭市ライブカメラ(神庭の滝)はこちら
https://www.city.maniwa.lg.jp/site/live-cam/1370.html


神庭の滝は「日本の滝百選」にも選ばれた、高さ110m、幅20mの中国地方随一のスケールを誇る名瀑。断崖絶壁を流れ落ちる滝の豪快さはいうまでもなく、まるで白布をまとったようにも見える水しぶきは神秘的な美しさです。
滝の中央には黒い岩が突起し、落下する水しぶきに逆らってのぼる鯉に似ていることから「鯉岩」と呼ばれています。
周辺には野生のニホンザルが生息しており、愛嬌いっぱいに迎えてくれます。道中には、葺き屋根から落ちる雨垂れにも似た風景が情緒を誘う「玉垂の滝」などもあります。渓谷林もすばらしく初夏の新緑と秋の紅葉が見事です。岡山県が誇る国指定名勝は、日本の滝百選にして、日本百景にも指定。

【猿について】
公園内で猿を飼育しているわけではありません。野生のため、野いちごや木の実が多い時期は山で過ごすため、公園内に猿がいない日もあります。 園内にはペットを同伴してのご入場はできません。

【ロケ地情報】
2003年(平成15年)のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」。監督が絶賛したこの滝では、森に逃げ込んだ武蔵を捕らえようと沢庵がお通に滝の前で笛を吹かせるシーンのほか、武蔵が村の衆に追われるシーンなどが撮影されました。
https://www.maniwa.or.jp/web/?c=spot-2&pk=2
2:777 :

2024/05/20 (Mon) 05:22:32

映画「大魔神」ネタバレあらすじ結末と感想
2024/3/20
https://eiga-watch.com/majin-monster-of-terror/

大魔神の紹介:1966年日本映画。魔人像を神と崇める花房家の領土を腹心の家老によって奪い取られ、平民をもののように扱い、神とされる魔人像まで壊したことから、魔人像の本体である大魔神が現れ悪人どもを退治する時代劇怪獣映画です。ゴジラやガメラなどの怪獣映画全盛の時期に大映が放った異色の作品です。
監督:安田公義 出演者:高田美和(花房小笹)、青山良彦(花房忠文)、藤巻潤(猿丸小源太)、五味龍太郎(大舘左馬之助)、島田竜三(花房忠清)、遠藤辰雄(犬上軍十郎)、杉山三九(梶浦有助)、伊達三郎(中馬逸平)、月宮於登女(巫女の信夫)ほか


大魔神のネタバレあらすじ:起
丹波の国の領主花房家は平民と共に平穏な暮らしをしていましたが、家老腹心の大館左馬之助一派らによって花房忠清は討たれ領土は乗っ取られました。幼い子供の忠文と小笹は小源太に連れられ逃げ、巫女の所に助けを求めました。巫女は山の魔人の神を崇めていて、二人と小源太を魔人の山の滝の上にある魔人像の横の洞窟に連れて行きました。そして神が住んだとされる祠に3人を過ごさせました。花房家から奪い取った領土では、平民を城造りの労働者に使っていました。男たちは自分の家に帰ることはできず、過酷な労働が続きました。疲労や病で倒れる物が続出していました。

大魔神のネタバレあらすじ:承
やがて10年が過ぎ、忠文と小笹は立派な大人になっていました。小源太と忠文は山や川に猟に行き力量をまかなっていました。しかし左馬之助らは魔人像が目障りでした。巫女は左馬之助に対し魔人さまの祟りが来るとしつこく言っていました。そのころ忠文は左馬之助を討伐して花房家を復活させると言い始めました。その時小源太が私が先に市中に行って花房家の残党と連絡を取り合い体制を固めると言ったため小源太に任せました。山を下りた小源太は左馬之助の配下の連中に見つかります。かろうじて逃げたものの捕らわれてしまいました。その光景を見た一人の子供が魔人像に助けを求めに来ました。子供は小笹と忠文に会い、小源太が捕らわれたことを告げました。忠文も山を下り、宙吊りにされた小源太を助けようとしますがそれが罠で忠文も捕らわれてしまいました。

大魔神のネタバレあらすじ:転
左馬之助が魔人像を破壊すると言い始めました。巫女が絶対に祟られると止めますが、左馬之助は巫女を切り殺してしまいます。そして配下の者たちは魔人の山へ向かいました。途中道に迷いますが、そこで小笹と子供を見つけ魔人像まで連れて行かせました。そして止める小笹をよそに魔人像を金槌で破壊し始めました。そして額に金属の杭を打ちこんだ時、魔人の額から血が流れました。その後地割れが起りだし、魔人像を壊しに来た連中は逃げました。小笹は涙ながらに魔人像に忠文や小源太を助けてくれと祈りを捧げました。

大魔神の結末
城の工事現場では小源太と忠文が張り付けにされています。左馬之助の指令でヤリが刺されようとした瞬間空から光の玉が下りてきました。降り立ったのは魔人像でした。そして腕を顔の前で振ったその時、埴輪の顔が怒りに満ちた鬼の形相に変わりました。左馬之助達の子分を次々殺し、大魔神は建物や塀を壊しながら突き進みます。忠文と小源太は大魔神によって助けられました。そして左馬之助は大魔神が額の杭を抜いて突き刺し殺されました。すべてを破壊し、悪人を倒し仁王立ちする大魔神の足元に小笹が駆け寄り、お礼の祈りをし、怒りを鎮めてくださいと涙を流しました。涙の粒が大魔神の足に落ちた瞬間大魔神は粉々に砕け、光の玉となって空へ飛んで行きました。



オーウェンさんの感想
この大映製作の「大魔神」は、1935年に製作されたフランス映画の「巨人ゴーレム」に多大な影響を受けて製作されたというのは有名な話です。

1935年に製作されたフランス映画「巨人ゴーレム」は、皇帝の暴虐な圧政に苦しむユダヤ人の僧侶が、泥人形のゴーレムに生命を吹き込み、ユダヤ人を迫害から守ってもらおうとする物語ですが、まさに、「大魔神」は、この「巨人ゴーレム」の基本的なコンセプトを、日本古来から伝わる”埴輪の武神像”に仮託して、農民を苦しめる悪領主を倒すために、その姿を現わすのです——-。

この大映の特撮時代劇「大魔神」という映画が、子供向けに堕していず、大人の鑑賞にも耐え得る立派なドラマになっているのも素晴らしいのですが、加えて、実写の人間を入れ込んだ見事なブルーバック合成や、二・五分の一の精巧なミニチュア・ワーク、そして、真っ赤に染まった空が印象的な見事な色彩設計などが完全に融合し、クライマックスのあの迫力のある破壊のシーンが生まれたのだと思います。

これこそが、我々、映画ファンの心を鷲づかみにした、この映画の最大の魅力だと思うのです。

特に城や日本家屋の破壊シーンは、東宝特撮映画で描かれる怪獣映画の大都市破壊のそれとはひと味違った”美学”が感じられて、いいんですよね。

瓦の一枚一枚までも精巧に作られた、この”圧倒的なリアリズム”は、ミニチュアだと全く感じさせない重量感に満ちて、本当に素晴らしいの一語に尽きます。

しかし、この映画「大魔神」が素晴らしいのは、何といっても、単純に悪を征伐するための神ではなく、”悪魔的にまで恐ろしい神の精神”を持ち合わせている事だと思うのです。

大魔神は、十字架のようになった柱に悪領主を押さえつけ、鉄釘で串刺ししただけでは怒りはおさまらず、今度は村里にその怒りの矛先を向けようとするのです——-。

単なる勧善懲悪の神であれば、悪領主を倒して、めでたし、めでたしで終わるところを、自らの怒りを鎮めるまで大暴れしてしまうのです。

つまり、時に”善神”にも、”破壊神”にもなってしまうのが、この大魔神の大いなる魅力だと思います。
本当に、映画好きの私の心を虜にし、”映画的興奮”で、ワクワクさせてくれます。

大魔神が歩を進める度に地響きが鳴り渡り、歩いた後が瓦礫と死体の山を築いてしまう。
これはもう尋常じゃありません。まさしく悪魔そのものではないかと思うのです。

柔和な顔を持つ”武神像”と、怒りが頂点に達した時に、顔が”仁王像”に変わる大魔神。
これは、一つの神像の中で、”優しき心と怒りの心”がせめぎ合い、その時の表情が”神像の顔”になるのだと思っています。

そして、この映画で大魔神の暴走を止めるのは、心が清らかで美しい、小笹(高田美和)の”切なる願いと涙”なのです——-。

小笹の必死の、命を懸けた切なる願いに打たれた、神像の”優しき心”が覚醒して、”怒りの心”を鎮め、再び、元の柔和な武神像の顔へと戻っていくのです。

元ネタになった「巨人ゴーレム」にはなかった、オリジナリティ溢れる「大魔神」の魅力の全てがここにあるのです。
https://eiga-watch.com/majin-monster-of-terror/
3:777 :

2024/05/20 (Mon) 05:30:51

7/16(金)公開「妖怪・特撮映画祭」上映告知~「大魔神」三部作予告篇【4K】~
2021/07/14
https://www.youtube.com/watch?v=JGAlzWT2cTg



2021/10/10 23:00
『大魔神』4Kで観てもすごい!見事な“職人技”を堪能できる名作特撮
https://moviewalker.jp/news/article/1053682/

「ゴジラ」「ガメラ」「ウルトラ」シリーズ…日本の特撮作品には世界に誇るべき名作、名キャラクターたちがひしめいているが、忘れてはならない存在が「大魔神」だ。シリーズ3作が公開されたのは1966年と実に半世紀以上も前のことだが、現代でも知名度は抜群。海外でも「MAJIN」として親しまれているほど。作品を観たことがない人も、“埴輪のような柔和な表情が、怒ると鬼のような形相に変わる”という設定だけでもご存知なのではないだろうか?

無力な民に代わって悪を討つ!神の怒りを宿した『大魔神』に観客が熱狂
記念すべき第1作の『大魔神』は、戦国時代、策略により一国の主となって民を苦しめる領主に大魔神が天罰を下すお話。当時、大映京都撮影所は『釈迦』(61)など特撮を駆使した超大作を成功させ、日米合作映画『あしやからの飛行』(64)の特撮スペクタクルが高く評価されるなど、特撮技術が成熟期を迎えていた。そんななか、よきライバルである大映東京撮影所の『大怪獣ガメラ』(65)が大ヒット。そこで京都撮影所は得意の時代劇を生かした特撮映画を模索して、ユダヤ教の伝説の映画化『巨人ゴーレム』(37)をヒントに『大魔神』を製作した。

本シリーズの魅力は、なんといっても大魔神のキャラクターにある。普段は山間に佇む温和な顔の武神像が、神の怒りを宿した魔神となって大暴れ。しかも一度暴れ始めると、破壊の限りを尽くすまで止まらない。血走った目を見開いて、人類に天罰を下す姿は、いま見ても戦慄を覚えるほど。ちなみに大魔神の着ぐるみに入って演じた、元野球選手という異色の経歴を持つ俳優の橋本力は、「神様はまばたきしない」ことからまばたきをこらえ演じていた。盛大にホコリが舞い散るなかでの撮影で充血した目が大魔神の鬼の形相をさらに盛り上げ、トラウマ級の名シーンを生みだすことになったのだ。

大魔神=アラカツマは昔話や伝説ではなくこの映画のために創作されたキャラクターだが、埴輪武人像をベースにしたデザインや、無力な民に代わって悪を討つ勧善懲悪の物語は日本人にマッチ。「映画」という枠を超え、荒ぶる神として浸透していくことになる。子どもの味方として親しまれたガメラに対し、大魔神は大人も楽しめるエンタテインメントとして人気を獲得。次回作を要望する声が大映に殺到したため、同じ年のうちに2本の続編が製作されるという伝説を打ち立てた。ちなみに同じ大映の「ガメラ」は年1作ペースだった。


半世紀以上も古びない、大魔神の作り込まれた造形
大人気のコンテンツだけにシリーズ3作品の後も、新たな作品が企画された。最初は公開からまもなく立ち上げられたテレビシリーズ案だが、予算などの関係から無理と判断されたそう。その後もSF作家の筒井康隆や「AKIRA」の大友克洋が脚本を執筆したほか、公募でストーリーを募るイベント式のプロジェクトなども企画されたがいずれも実現はしなかった。2010年には、現代を舞台にしたテレビシリーズ「大魔神カノン」が製作され溜飲を下げたが、映画化への道のりは遠かった。それだけに、今夏公開された『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(公開中)で55年ぶりにスクリーン復帰を果たしたのは大きな話題となったのだ。


本シリーズがゴジラなどほかの人気特撮シリーズと大きく異なるのは、まさにこの「本格的な新作が作られていない」点だろう。3部作以降、半世紀も新作が公開されていないのに、未だに伝説として君臨し続けているキャラクターは他に類を見ない。では、なぜこれほどまでに時代を超えて愛され続ける存在となったのか?それは、第1作の『大魔神』で職人と呼ぶべき匠のスタッフたちが圧倒的な熱量を注ぎ込んだことにより、“本物感”が溢れているからではないだろうか。

撮影の森田富士郎は、本編と特撮、両方の撮影を担当。フィルムの速度を2.5倍することによって、大魔神の動きを重厚に見せたほか、大胆なブルーバッキングによってリアルな合成映像を実現させた。ちなみに森田は『大魔神』で日本映画撮影監督協会の新人賞「三浦賞」を受賞している。

非常に大きな造形物がリアリティを生みだした
非常に大きな造形物がリアリティを生みだした
[c]KADOKAWA 1966
大魔神の身長は180cmの人間の2.5倍となる15尺(約4.5m)に設定され、リアルな恐怖を抱かせるサイズ感になっているが、それに伴い、ミニチュアセットは瓦一枚、柱一本に至るまで正確に1/2.5スケールで再現されている。時代劇で長年培った京都大映の技術を惜しげもなく投入した見事な造りで、大魔神が暴れる破壊のカタルシスの演出に一役買っている。


大魔神の造形は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」といった初期ウルトラシリーズの怪獣造形を手掛けた高山良策が担当。荒々しさと神々しさを兼ね備えた傑作を生みだした。高山とスタッフは約3か月かけて造形作業を行い、約4.5mの実物大を2体、人間が入るスーツタイプを2体制作したという。また、音楽は日本映画を代表する作曲家である伊福部昭によるもの。彼の代表作の一つである「ゴジラ」映画の劇伴とはまた違った荘厳なテーマが、スペクタクルに華を添えた。

4K修復によって音や映像、大魔神の質感もクリアに!
今年の夏に開催され、現在も全国巡回を行っている「妖怪・特撮映画祭」では、『大魔神』をはじめとする三部作の4K修復版が上映されたが、宮島正弘撮影監督の監修による修復で、映像も音も過去のマスターとは段違いにクリアに。これによって前述の“職人技”を隅々まで堪能できるようになった。半世紀前の特撮とは思えないほどリアルな存在感や、大魔神の眼差しの生々しさがより鮮明になり、恐ろしさが倍加したと言っても過言ではない。

そんな『大魔神』を自宅で楽しみたい方に朗報。三部作を収録した「大魔神封印函」4K修復版 Blu-ray BOXが現在発売中となっており、さらにApple TVアプリの「MOVIE WALKER FAVORITE」チャンネルでも4K画質の『大魔神』を配信中と、様々なデバイスで本作が見放題となっている。観たことがある人もない人も、ぜひ一度視聴して、職人技のすごさを存分に味わってみてほしい。
https://moviewalker.jp/news/article/1053682/p2

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