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ドストエフスキー(ロシア モスクワ 1821年11月11日 - 1881年2月9日)

1:777 :

2024/01/24 (Wed) 02:01:14

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ドストエフスキー(ロシア モスクワ 1821年11月11日 - 1881年2月9日)
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ドストエフスキー作品集
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壺齋散人 ドストエフスキーを読む
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ドストエフスキーの世界
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ルキノ・ヴィスコンティ『白夜 Le notti bianche』1957年
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ロシアのキリスト教 _ テレビドラマ 『ドストエフスキー 白痴』2003年
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黒澤明 白痴(松竹 1951年)
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ニーチェやドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
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1861年『虐げられた人びと』(Униженные и оскорбленные)
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1866年『罪と罰』(Преступление и наказание)
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1868年『白痴』(Идиот)
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1871年『悪霊』(Бесы)
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1880年『カラマーゾフの兄弟』(Братья Карамазовы)
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2:777 :

2024/05/11 (Sat) 15:21:43

ロシア主義と外国人嫌い ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年5月11日 08:41)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7805.html

小説「未成年」には、ドストエフスキーのロシア主義的心情と外国人への嫌悪感が盛り込まれている。外国人のうちでもユダヤ人は特に醜悪な描かれ方をしている。そこでこの小説は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義がもっとも露骨に表れているものとして受け止められてきた。また、ロシア主義については、単にロシア人の民族的特殊性を誇大に言い募るというよりは、ロシア人のコスモポリタン的な面を強調し、それをもとにロシア人の国際的な優秀性を誇示するというやり方をしている。ロシア人ほどコスモポリタンな民族はいない。そのロシア人こそが世界の手本となる資格があるというわけである。

ロシア人のコスモポリタン的な性格についてのもっとも白熱した議論が展開されるのは、第三部の第七章の中である。つまり小説の終わりに近い部分であり、それ以前に言及されてきたロシア人観を集大成するような形になっている。面白いことにそのロシア人観をヴェルシーロフが披露する。かれは息子のアルカージーに向かって、ロシア人のコスモポリタン的な一面を強調して見せるのである。まず、以下のような主張がなされる。

「フランス人が自分の祖国フランスにばかりか、広く全人類にまで仕えることができるのは、純粋にフランス人になりきるという条件の下においてのみなのだよ。同じことが~イギリス人にも、ドイツ人にも言える。ロシア人だけが、われわれの時代にすら、つまり総計がなされるはるか以前にということだが、すでに、もっともヨーロッパ人になりきるときにのみ、もっともロシア人になりきるという能力を獲得したのだよ。これこそが、わがロシア人が他のすべての民族と異なるもっとも本質的な国民的特徴で、この点についてわれわれは~世界のどこにもないものを持っているのだ」(工藤訳)。

つまりロシア人は、世界中でもっともコスモポリタン的な民族であり、コスモポリタンであることを通じてのみロシア的だというのである。この言い分の中でヨーロッパ的と言っているのが、ドストエフスキーにとってはコスモポリタン的であるということだ。なぜならヨーロッパのみが、ドストエフスキーにとっては、世界をあらわしているからである。

これは、ヨーロッパのほかの国民と比較してロシア人の長所を強調したものだ。そうした比較なしに、単にロシア的なものを扱うときには、ロシアに対して批判的になることもある。批判的というより、諦念といったほうがよいかもしれない。諦念というのは、ロシアのなさけない部分を認めざるをえないことからくる。そのなさけないものを前にしては、半ばあきらめのような気持にならざるを得ないのである。

ともあれドストエフスキーのロシア人観は、その長所と短所をないまぜにしながら、かなり入り乱れている。それについては、ドストエフスキーはアルカージー(つまり語り手)に次のように言わせている。

「たしかに、どうして人間が(それも、ロシア人は特にそうらしいが)自分の魂の中に至高の理想と限りなく醜悪な卑劣さとを、しかもまったく誠実に、同居させることができるのか、わたしには常に謎であったし、もう幾度となくあきれさせられたことである。これはロシア人のもつ度量の広さで、大をなさしめるものなのか、それともただの卑劣さにすぎないのか~これが問題である」。

以上でロシア人と言われているのは、ロシアの男たちのことだと思うが、ロシアの女たちもまた、それなりの長所と短所を持っている。これについても、ヴェルシーロフが息子のアルカージーに向かって説く。かれはアルカージーの母親を念頭に置きながら次のように言うのだ。

「ロシアの女というのは早く老ける、 その美しさはつかのまのまぼろしみたいなものだ、そしてそれは、たしかに、人種的な特徴のせいばかりとはいえない、ひとつには、惜しみなく愛をあたえることができるからだよ。ロシアの女は愛したとなると、なにもかもいちどきにあたえてしまう~瞬間も、運命も、現在も、未来も。出し惜しみということを知らないし、貯えるということも考えない。そして美しさがたちまちのうちに愛する者の中に流れ去ってしまうのだ」。

以上はドストエフスキーのロシア主義の一側面を取り上げたものである。つぎに、その裏返しとしての外国人嫌いについて見てみよう。この小説の中には、数か国の出身者が出てきて、いずれも否定的に描かれているのだが、中にも否定的な描かれ方をされているのは、ユダヤ人、ドイツ人、フランス人である。ユダヤ人については、金に汚いことが強調される。ユダヤ人は金を手段にしてロシア人を迫害するいやな連中だというのが、この小説でのユダヤ人の印象である。ユダヤ人は、金に執着するばかりではない。金を得るためにはどんな汚いことでも平気でする。その代表的な例は、賭博の場でユダヤ人がアルカージーから金をちょろまかす場面である。しかも正々堂々とちょろまかすのである。そんなことをされては、どんな人間でもユダヤ人を憎まずにはいられないだろうと、ドストエフスキーは読者に呼び掛けているようである。

ドイツ人は、粗暴で暴力的な人種として描かれている。フランス人は高慢で抜け目のない人種として描かれる。アルカージーは、フランス人トゥシャールの運営する寄宿舎に入れられるのであるが、トゥシャールはアルカージーの身分の卑しさを、かれを差別する理由とする一方、アルカージーの保護者に対しては慇懃に振舞うのである。一方ドイツ人のビオリングは、カテリーナの意を受けてとはいえ、アルカージーに対して高圧的に振舞い、あまつさえ暴力を振るったりする。その暴力的な性格は、ドイツ人の民族性を体現したものだということになっているのである。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7805.html
3:777 :

2024/05/11 (Sat) 15:24:25

ジャニーズの性的虐待事件は日本だけの問題ではない! グローバリストの小児性愛、人身売買、悪魔崇拝についてジェームズ斉藤が解説!
2023.09.13 14:00 文=中村カタブツ君
https://tocana.jp/2023/09/post_256147_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】

──日本ではジェームズさんが2年前に暴露していたジャニーズ事務所のペドがやっと問題視されるようになりましたね(笑)。

ジェームズ:ペドは日本だけでなく、世界的に根の深い問題なんですよ。なにしろいまアメリカでも『サウンド・オブ・フリーダム』という子供の人身売買を扱った映画が話題になっていまして、この間、ケネディ・ジュニア(アメリカ民主党の大統領候補の1人)の集会に言った時にも一番話題になっていましたね。「あの映画を見たか!」「やつらに人身売買をやめさせないといけない!」と言ってましたね。

──「やつら」というのはグローバリストたちですね。

ジェームズ:ペドのジェフリー・エプスタインのリストに載っていた人たちですね。バラク・オバマ、ビル・クリントンとかです。ケネディ・ジュニアの支持者たちがなぜこれを問題にしていたのかというとアメリカでは4秒に1人、子供が消えているためです。子供たちは拉致されて売られているといわれています。もともとアメリカは黒人奴隷の国でビジネスに必要な労働力のための人身売買ネットワークが発達しています。そもそもアメリカは黒人奴隷という人身売買により建国され、その後のフロンティア開拓が猛スピードで進んだようなもので、リンカーン大統領の奴隷解放後も、奴隷貿易の流通インフラがそのまま現代の人身売買ネットワークに変わっただけです。つまり、アメリカ経済は人身売買なしでは語ることができないほど、「永遠の奴隷制」で成り立っています。そういう中で、特殊案件としてペド関係のネットワークもあります。どういう顧客かというとさきほど言ったようにエプスタインのケースのようにエリートでペド性癖がある人たちです。エリートにペドが多い理由はサタニズムです。

ジャニーズの性的虐待事件は日本だけの問題ではない! グローバリストの小児性愛、人身売買、悪魔崇拝についてジェームズ斉藤が解説!の画像2
ジェフリー・エプスタインの顧客リスト
──だから、そこなんですよ。ジェームズさんはよくサタニズム、悪魔崇拝と言いますが、日本人には理解しにくいんですよね、悪魔を崇拝するということが。子供を誘拐して性の対象にするとか、生贄にするとか考えられないんですよ。

ジェームズ:日本は一神教の国ではないですからね。欧米の人々は一神教のキリスト教を本気で信じています。もちろん熱心ではない人もいますが、彼らの生活の中にキリスト教が根付いていますから、誰の心にもあることはあるんです。

──無神論者の日本人でも「お天道様が見てる」と言われるとなんとなく襟を正すような感覚ですかね?

ジェームズ:そうです。そういう刷り込みが欧米人にもあるのですが、日本の神道と違うのは一神教はキリスト教を除き、戒律が厳しいんです。十戒が代表的ですよね。ただし、新約聖書では一応旧約聖書のモーゼの十戒を継承していますが、新約を母体とするキリスト教独自の戒律はなく、行動規範を示さないのでさまざまな宗派が生まれているのですが。とはいえ、聖書の中には数々の禁止事項が書かれています。それこそ男色は聖書で禁止されていますが、古代バビロンの頃のユダヤ人は肛門****ばかりやっていたので神が怒ったんです。それが聖書のソドムとゴモラの記述です。

──あれって肛門****で神は怒ったんですか!?

ジェームズ:そうです。ほかには子供の生贄があったり、それは全部神の怒りに触れます。

──でも、いまLGBTを世界的に広めようとしている人たちがいますよ。完全に悪魔的ですよね?

ジェームズ:ですから、LGBTがここまで広がるのはサタニズムと連動しているからだと言えるのです。

──そうか。LGBTはサタニズムなんですね。

ジェームズ:聖書で禁止していることをやろうとしているんですから、それはサタニズムです。日本ではそれを理解していない人があまりにも多いんですが(苦笑)。

 基本的にはサタニズムとは神の否定、つまりアンチゴッドで、いまはこれを堂々とやれるほど、サタニズムの影響力が強まっているんです。たとえば、昔のサタニズムはコミュニズムを隠れ蓑にしていました。コミュニズムと言うと宗教性がないように感じますが、コミュニズムは無神論なので神の存在を否定しています。神の存在を否定した時点でアンチゴッドですからバリバリのサタニズムです。ただ、そう認識できた人が多くなかったのです。いまの時代コミュニズムが存在理由を失って、コミュニズムの裏に隠れていたサタニズムがもろに表に出てきました。

──確かに極左の人たちってセックスのことを言い出すのが好きですよね。

ジェームズ:それはなぜかというと性の問題が神への反乱の第一歩だからです。

──ソドムとゴモラを作りたいんだ。

ジェームズ:いえ、ソドムとゴモラ以前の話で、アダムとイブが神に逆らったんです。彼らは禁断の果実を食べました。それはセックスをしてしまったということです。しかも、エデンの園に蛇がいて、イブに禁断の果実を渡す時に「この果実を食べればお前も神になれる」と言ったんです。これこそサタニズムの始まりです。「自分は神である」と思った瞬間にサタニストになります。聖書の最大の矛盾はサタンがいたからこそ、神が存在しているということです。これを正教の解釈に基づけて考えると神というのは人間に対して選択肢を与えていると。神側につくか、悪魔側につくかです。これはドストエフスキーの小説の重要なテーマでもあります。ドストエフスキーは「人間というのは常に誘惑にさらされていて、そこで神を選ぶか、悪魔を選ぶかは個人の選択である」と言っています。

──『罪と罰』とか。

ジェームズ:まさにそうです。主人公のラスコーリニコフという名前にしても、あれは「ラスコーリニキ」というロシア正教会の古儀式派の人たちのことを暗示しています。ラスコーリというのは「破壊」とか「分離」という意味で、当時、正教会を反キリスト的だと言って批判していました。

──あ、そうなんですか? 『罪と罰』って宗教を意識して読むものだったんですね。いまネットで調べてみたら、ラスコーリニコフが殺したお婆さんって「金貸し」だったんですね。ただの金持ちのお婆さんだと思ってました(苦笑)。

ジェームズ:「金貸し」だったということはユダヤ人です。実はドストエフスキーは近代反ユダヤ主義のルーツなのです。ドストエフスキーはゴリゴリの正教ナショナリストで、『カラマーゾフの兄弟』なんかを書いた理由も、ロシアが近い将来ユダヤに乗っ取られるだろうという予感があったからです。その後実際、ロシア革命が起こってロシアはユダヤに乗っ取られました。そして、現在、ドストエフスキーの予言が世界中で当たろうとしています。

──ということは人身売買もユダヤと関係があると。

ジェームズ:当然です。もともとユダヤの古い儀式にあるんです。それは旧約聖書にも載っていて、子供を生贄にする有名な話があります。アブラハムが息子のイサクを神の生贄にしようとした、あの話です。あれが書かれているということは、当時のユダヤでは生贄が普通だったんです。古い風習としてあったんです。これについて20世紀を代表するイギリスの歴史学者のアーノルド・トインビーという人は「ユダヤ人は化石民族だ」と言っています。化石民族の意味は文明が発達する以前の文化をいまの時代に継承しているということです。


──生きてる化石だと。

ジェームズ:子供の生贄の発想はブードゥー教などの原始的な宗教の発想で、それをいまに残しているんです。エジプト文明、ローマ文明など、世界文明は発展の途上で生贄は排除してきたのですが、ユダヤの特殊性はそういう文明から外れていることです。だから、化石民族なんです。前文明時代を継承、特に子供の生贄が重要な文化的ウエイトを占めるようになってしまったのです。

──でも、それを世界的な大企業の社長さんであったり、元大統領がやっているというのがよくわからないんですよね。

ジェームズ:たとえば、彼らは人類の人口は減らすべきだと言っていますよね? しかし、そこには人殺しを肯定する考え、つまり神の啓示である「汝、殺すことなかれ」というモーゼの十戒の教義にモロに逆らっていることになります。神に対する反逆、それってサタニズムですよね?

──サタニズムですね。

ジェームズ:サタニズムというのは実は古代からずっと続いているんです。 そしてペドというのは現在のサタニズムを理解するための重要なテーマであり、現在の世界そのものを裏から動かしていますので今後も折に触れて解説していきましょう。

https://tocana.jp/2023/09/post_256147_entry.html
4:777 :

2024/07/20 (Sat) 08:38:52

ドストエフスキーの排外主義 「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年7月20日 08:14)
https://blog2.hix05.com/2024/07/post-7910.html

ドストエフスキーは、反ユダヤ主義がよく批判の対象となる。熱心な批判者には当のユダヤ人が多い。ドストエフスキーのような、影響力の大きな文学者が反ユダヤ主義をまき散らしているのを、ユダヤ人としては放置しておけないと思うからであろう。そういう批判者は、ドストエフスキーの人間性そのものに攻撃を加え、世界の文学史から排除することを目指す。だが、そんなことでへこたれるようなドストエフスキーではない。

ドストエフスキーが、晩年の雑文のなかで反ユダヤ主義を煽るようなことを書いたのは事実だ。露土戦争にさいしては、ロシアがクリミア半島を領有しなければ、ユダヤ人に乗っ取られるとして、ロシアによるクリミア半島の領有を正当化したものだ。

そんなわけで、小説の中でも反ユダヤ主義を宣伝しているようにみなされるが、そんなことはない。たしかに、ユダヤ人を小ばかにしたような叙述は、「死の家の記録」以降、随所に指摘できる。しかし、ドストエフスキーが小ばかにしているのは、ユダヤ人だけではない。ポーランド人やドイツ人、フランス人なども同じように馬鹿にしている。ただ、ユダヤ人を取り上げるときには、金の亡者としての側面に焦点をあてているきらいはある。自分らが金に汚いと見られるのを嫌うユダヤ人としては、ドストエフスキーのそういうやり方は、かなりこたえるようである。ともあれ、ドストエフスキーが馬鹿にしている対象はユダヤ人にかぎらず、外国人全般に及ぶのである。そこに我々読者は、ドストエフスキーの排外主義を読み取ることができる。

「カラマーゾフの兄弟」の中で、嘲笑の対象となるのはユダヤ人とポーランド人だ。ドイツ的なものも嘲笑の対象となるが、それは比ゆ的な意味合いであり、正面から嘲笑されるのはユダヤ人とポーランド人である。

ユダヤ人については、二つの場面で言及される。ひとつはリーザがアリョーシャに向かっていう言葉である。彼女は、ユダヤ人は復活祭に子供をさらってきて殺すといわれているが、本当か? と聞くのである。「一人のユダヤ人が四つになる男の子を捕まえて、まず両手の指を残らず切り落として、それから釘で壁に貼り付けにしたんですって。そして後で取り調べられた時、子供はすぐに死んだ、四時間たって死んだといったんですって、四時間もかかったのにすぐですとさ。子供が苦しみうなりつづけている間じゅう、そのユダヤ人は傍に立ってみとれていたんですって」(米川正雄訳)。

こうしたリーザの偏見は、当時ロシアで流通していたユダヤ人の儀式殺人(ユダヤ教の儀式にキリスト教徒の血を用いること)についての風評に影響されたものであろう。ドストエフスキー自身、儀式殺人に関する文献を読んでいたということである。当時のロシアでなぜこんな風説が広まっていたのか、それ自体として興味深いところではある。

もう一つは、ドミートリーが金儲けに巧みになったのはユダヤ人の真似をしたからだと言及する場面である。ドミートリーはかつてオデーサで修行したことがあるが、その修行というのが、ユダヤ人の真似をして金儲けをすることなのだ。おかげでかれは金を儲けるのが上手になった。高利で金を貸すというユダヤ的な錬金術を身に着けたからである。

ポーランド人は、インチキで 金をせしめる詐欺師のような連中として描かれている。ドストエフスキーがポーランド人を描く時には、だいたいがロシア人に向かって尊大に振舞いながら、どこかに抜けているところがあるために、余計な恥をかく人間としてである。この小説「カラマーゾフの兄弟」のなかでも、二人のポーランド人が役割分担をしながら、カードでいかさまを働き大金を詐取する。かれらのうち一人は、グルーシャの初恋の人で、グルーシャは愛を復活させたくて、彼に会いに来たのである。そのグルーシャを食い物にして詐欺を働くポーランド人を見て、さすがのグルーシャも愛がさめる。

検事らがフョードル殺害事件の尋問を始めた時、宿の亭主トリフォンがポーランド人らの詐欺を告発する。しかし事件のほうに忙しい検事らは、ポーランド人にかかわることなく、かれらを赦免する。そのおかけでポーランド人らは、だましとった金を懐に収めたまま解放されるのである。解放されたあともかれらはグルーシャにつきまとい、金の無心をしようとするが、さすがのグルーシャもそこまで付き合うことはしなかった。

この小説の中のユダヤ人とポーランド人のどちらがより嘲笑的に描かれているか、読者によって印象は異なると思う。じっさいには、ドストエフスキーにとって外国人一般が嘲笑すべき存在なのであって、ユダヤ人とポーランド人との間に大した差はないと考えていたのではないか。
https://blog2.hix05.com/2024/07/post-7910.html

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