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世界の文学
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インターネットの電子図書館、青空文庫
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カルト宗教と心の病
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▲△▽▼
理趣経(南インド 7世紀)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E8%B6%A3%E7%B5%8C
理趣経 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%90%86%E8%B6%A3%E7%B5%8C
「理趣経を読み解く」現代語訳 - 真言宗単立本山 威徳山金剛寺
https://kongozi.jp/blog/7832
「理趣経を読み解く」解説(前編)
https://kongozi.jp/blog/7902
「理趣経を読み解く」解説(後編)
https://kongozi.jp/blog/7908
『理趣経』(りしゅきょう)、正式名称『般若波羅蜜多理趣百五十頌』(はんにゃはらみったりしゅひゃくごじゅうじゅ)は、『金剛頂経』十八会の内の第六会にあたる『理趣広経』の略本に相当する密教経典である。主に真言宗各派で読誦される常用経典である。
理趣とは、道筋の意味であり、「般若の知恵に至るための道筋」の意味である。他の密教の教えが全て修行を前提としている為、専門の僧侶でないと読んでもわからないのに対し、『般若理趣経』は行法についてほとんど触れておらず、一般向けの密教の入門書という位置づけだと考えられている。
真言宗では、18会からなる『金剛頂経』系テキストの内、読誦の功徳を強調する『理趣経』を毎日の勤行で唱えるのが習わしである。
十七清浄句
真言密教では、「自性清浄」という思想が根本にある。これは天台宗の本覚思想と対比、また同一視されるが、そもそも人間は生まれつき汚れた存在ではないというものである。『理趣経』は、この自性清浄に基づき人間の営みが本来は清浄なものであると述べているのが特徴。
特に最初の部分である大楽(たいらく)の法門においては、「十七清浄句」といわれる17の句偈が説かれている。初句:「妙適清浄の句」の句とは文章の句のことではなく、ごく軽く事というほどの意味である。[3] また、初句は総論で、四の四倍の十六の各論に総論を一つ足して十七句となっている。[4]
妙適淸淨句是菩薩位 - 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
慾箭淸淨句是菩薩位 - 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 - 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 - 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 - 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 - 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悦淸淨句是菩薩位 - 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
愛淸淨句是菩薩位 - 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
慢淸淨句是菩薩位 - 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
莊嚴淸淨句是菩薩位 - ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
意滋澤淸淨句是菩薩位 - 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
光明淸淨句是菩薩位 - 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
身樂淸淨句是菩薩位 - 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
色淸淨句是菩薩位 - 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
聲淸淨句是菩薩位 - 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
香淸淨句是菩薩位 - この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
味淸淨句是菩薩位 - 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
このように、十七清浄句では男女の性行為や人間の行為を大胆に肯定している。
仏教において顕教では、男女の性行為はどちらかといえば否定される向きがある。これに対し『理趣経』では上記のように欲望を完全否定していないことから、「男女の交歓を肯定する経典」などと色眼鏡的な見方でこの経典を語られることがあったり、十七清浄句は欲望の単なる肯定であると誤解されたり、また欲望肯定(或は男女****)=即身成仏であると誤解されたりする向きも多い。しかしこれは真言密教の自性清浄を端的に表した句偈である。 『理趣経』の最後の十七段目は「百字の偈」と呼ばれ、一番中心となっている部分だが、 「人間の行動や考えや営み自体は本来は不浄なものではない。しかし、人たるものそれらの欲望を誤った方向に向けたり、自我にとらわれる場合が問題なのだ、そういう小欲ではなく世の為人の為という慈悲の大欲を持て。 大欲を持ち、衆生の為に生死を尽くすまで生きることが大切である」と説き、「清浄な気持ちで汚泥に染まらず、大欲を持って衆生の利益を願うのが人の務めである」と説かれていることがその肝要である。
中村元は「欲望を持ち、煩悩に悩まされている凡夫の暮らしのなかに、真理に生きる姿を認めようというのが『理趣経』の立場である」と解釈している。
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金剛頂経とは
https://yasurakaan.com/shingonshyu/kongouchiyoukiyou/#:~:text=%E9%87%91%E5%89%9B%E9%A0%82%E7%B5%8C%E3%81%AF7%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E9%A0%83%E5%8D%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A7%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%97%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%20%E4%B8%8D%E7%A9%BA%E4%B8%89%E8%94%B5,%E3%81%8C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AB%E6%B8%A1%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A5%BF%E6%9A%A6746%E5%B9%B4%E3%81%AB%E5%B0%86%E6%9D%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E9%87%91%E5%89%9B%E9%A0%82%E4%B8%80%E5%88%87%E5%A6%82%E6%9D%A5%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E6%91%82%E5%A4%A7%E4%B9%97%E7%8F%BE%E8%A8%BC%E5%A4%A7%E6%95%99%E7%8E%8B%E7%B5%8C%20%28%E5%A4%A7%E6%95%99%E7%8E%8B%E7%B5%8C%29%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
金剛頂経はサンスクリット語で ヴァジュラシェーカラ・スートラ/タントラ(Vajraśekhara Sūtra/Tantra)と言い、大乗仏教の経典であり、真言宗では大日経と共に根本経典として「両部の大経」と言います。
金剛頂経の由来
金剛頂経は7世紀の中頃南インドで成立し中国の不空三蔵がインドに渡って西暦746年に将来したものが金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)です。
不空三蔵は金剛智三蔵より真言の法を授かった僧で、西域生まれでインド、スリランカから経典を持ち帰り多くの経典を翻訳した伝持の第四祖、付法の第六祖になります。
その後遣唐使として唐に派遣された弘法大師空海が日本に持ち帰ることになります。
大日経が大日如来の理性に於ける平等な世界の胎蔵界を説いているのに対して、金剛頂経では如来の智慧の世界である金剛界を説いています。
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2024/01/23 (Tue) 16:25:47
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密教は宗教の最終到達点
1. インド密教の起源
今、テレビや雑誌などで、ヨガや瞑想が取り上げられ、若い女性を中心に流行っていますが、何も知らずに興味本位や健康法、趣味などで生活に取り入れると、取り返しのつかないことになります。
何故、ヨガや瞑想が危険かと言うと、これらの起源は一般には良いこととしてしか知られていませんが、およそ健康法などとは全く関係の無いものだからです。もともと、ヨガや瞑想は一般の人たちには縁の無い、インドやチベットなどの行者が「悟りを開く」と言う目的で行なっている修行法です。
ヨガの起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。「尸林」とは中世インドの葬儀場のことで、大きな都市に隣接してこの尸林が存在していました。死者の遺骸は都市部から尸林に運ばれ、荼毘にふされるかそのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられました。しばしば尸林は処刑場を兼ねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていました。
これらはまともな神経の人間には実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所であり、しばしば魑魅魍魎が徘徊する場所として恐れられていました。
この尸林では、「尸林の宗教」といったものがあり、墓場に女神が祀られ、女神に仕える巫女が住み、死体や血液を用いる黒魔術的な秘儀を行なっていたのです。
尸林の土着の女神たちは、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か仏教の女神として崇拝されていました。それぞれの尸林の女神の祠(ほこら)には巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術を生業としていました。
その巫女は苦行母(茶吉尼・ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)と言いました。シヴァ神の神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に彼女たちは侍女兼巫女として仕えていたのです。
その聖地(墓場)に土着の女性たちは、多くはアウト・カースト(日本で言う穢多非人)の出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていました。彼女等は1年の特定の祭日、又は月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物として食し、酒を飲み、歌舞音曲を楽しむというオルギア(秘教的儀式)を行ないました。
この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式です。ガナチャクラとは仏教行者の行なう修法の一種であり、修法を構成する儀礼は曼荼羅制作、護摩、観相(瞑想)法、飲食、歌舞、供犠、性瑜伽(ヨガ)などです。
ガナチャクラの構成員は9名であり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神、パイラヴァを召喚した男性行者が1名がアジャリとなり、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行なう儀礼です。
天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽(性行為・読み方はヨガ、ヨガのポーズはこの性行為の秘儀が元になっています。)します。この位置変換を「瑜伽(ヨガ)女の転移)(サンチャーラ)と言います。
女性行者が8名に臨時のメンバー(行者でない女性)を1名加えた9名と言う説もあります。その場合は中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立することになります。この結果、中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合することになります。
この儀式はインドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっています。ちなみに切断された女神の遺体が落下した場所が前出の聖地です。
星辰の回転を象徴しながら、都合8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は「大楽(マハースーカ)」と呼ばれ、子の大楽が行者を「梵我一如」の境地に連れ去ると言われているようです。 梵字はこの瑜伽(ヨガ)のポーズを記号化したものであることから、ヨガのポーズや梵字には多くの憑依霊や狐などの動物靈を呼び寄せる大変危険なものなのです。
上記の尸林に集まる巫女の内、ダーキニーと呼ばれた人たちは、空海が日本に密教を持ち込んだ時に茶吉尼天(ダキニテン)という女神として現在の稲荷神社に祀ってしまいました。稲荷神社でキツネを眷族として祀っているのは、このダキニテンからきています。
というのは、もともとダキニテンはインドの墓場、尸林で性行為を伴う黒魔術をおこなっていたダーキニーであり、インドでは人肉を食らいながら裸で踊り狂い、左手には人の腎臓(もしくは心臓)、右手には人からもぎ取った手足を持っている姿で描かれていますが、何と日本の稲荷神社で茶吉尼天となったダーキニーは優しい姿で左手には宝玉、右手には剣を持って描かれています。
そして、何故キツネかと言えば、もともとダーキニーは夜になると死肉をあさるゴールデンジャッカルの変身した姿だと言われていたり、ゴールデンジャッカルを人食い女神の眷族(けんぞく・使いっ走り)として使っていた、と言うことから来ていますが、日本にはジャッカルが存在しないため、ダーキニーとジャッカルのコンビが茶吉尼天とキツネのコンビに変容してしてしまったようです。
ヨガや瞑想が危険であるのは、健康法などとごまかしてヨガのポーズをとったり、瞑想したりしている内に、知らず知らずに黒魔術の儀式を行なっていることになり、そこに数多くの悪霊を呼び寄せ、額にある霊的な目(第三の目)を横目(正しくは縦目)に開き、サタン(悪魔)との契約を結ぶことになり、悪の強靭なエネルギーを得て、自らの体内に取り入れて、魂を悪魔に捧げることとなり、それが密教で言う「悟り」であるとされていますが、ヨガや瞑想に関わり続けることで、人生を台無しにし、魂をも堕落させ、取り返しのつかない過ちを犯すことになるからです。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/onmyoukai/newpage109.html
尸林の土着信仰
尸林(しりん)、シュマシャーナとは中世インドの葬儀場のことである。大きな都市に隣接して、この寂しい尸林が存在する。死者の遺骸は、都市部から尸林に運ばれ、荼毘に付されるか、そのまま放置されて鳥獣の貪り食うにまかせられた。
しばしば、尸林は処刑場をかねており、斬首されたり、串刺しにされた罪人の死骸が晒されていた。
これらは、まともな神経の人間には、実に恐ろしい場所であり、実際に野獣が跋扈する危険な場所でもあった。そして、しばしば、魑魅魍魎が徘徊する場所として、恐れられていた。
インドの尸林には、嘗て女神が祀られていた。そして、尸林自体もバドラカーリーなどのように女神の名前がつけられていた。これらは土着宗教の女神たちであり、それぞれの尸林を管理する教団によって、ヒンドゥー教か、仏教の女神(守護女尊)として崇拝されている。それぞれの尸林の女神の祠には、巫女が仕え、女神を供養する傍ら、呪術(Necromancy)を生業としていた。
その巫女は、苦行母(ダーキニー)または、瑜伽女(ヨーギニー)という。大神シヴァの神妃サティーの暗黒面を表象するドゥルガー女神に、彼女たちは、侍女兼巫女として仕えている。その聖地(ピータ)に土着(クセトラジャー)の女性たちは、多くはアウト・カーストの出身で、昼間は牧畜や工芸等の底辺労働に従事し、夜間は(アウト・カーストの女性に特有の)妖術を使うとみなされていた。
彼女らは一年の特定の祭日、または、月の特定の祭日に尸林に集まり、人肉や排泄物を含む反日常的な食物、つまりは聖なる食物(<三昧耶>(サマーヤ))をとり、酒を呑み、歌舞音曲を楽しむというオルギアを行った。
古代のディオニュソスの祭儀か、どちらかと言うとキリスト教によりディフォルメされた魔女のサバトに似た狂乱の宴である。もちろん、この土着の「尸林の宗教」は、文献も残さず、伝承も不確かな存在であり、ヒンドゥー教や、仏教サイドの文献から存在そのものを再構築するしかない。しかし、その痕跡は現代にも残されている。
津田博士が1975年にカルカッタのカーリー寺院を訪れたときは、暗い回廊の下に黒衣をまとったダーキーニーが、黒い羊の首、四、五体を並べた前にひとり座していたという。
もちろん、多かれ少なかれ性的儀礼を含む自然崇拝的宗教は、世界中に伝播している。『旧約聖書』においても、IHVH神はバアル神と鋭く対立した。
何故なら、バアル(男性原理)及びバアラテ(女性原理)とは大地の豊饒を司る精霊で、その集合体が神格化、宗教化したバアル神だったからだ。夫婦の神の交わりにより、土地を肥やし、作物を生む。農民は、その神々に帰依する者となり、神々の交わりを模倣して神聖な****を行うことで豊饒を祈る。
遊牧民の神であるIHVH神は、この性的な豊饒儀礼とは無縁であった。
性的祭儀はハムの子孫であるカナン人が発展させ、イスラエルに教えたのである。
聖書は、これを避難して<アモリ人の悪>(『創世記』15章16)と呼び、その祭儀に参加する者を「高きところでバアルと頸城をともにする者」と呼んだ。
潔癖主義のユダヤ教は、カナン人の信仰だけでなく、神殿娼婦を置き性の崇拝を織り込んだ古代の有力な宗教と対決を続けてきた。
しかし、農耕神の素朴な性的儀礼と尸林の宗教は、かなり異なる。バアルの聖なる交合は、大地の実りをもたらす開放的な営みであるが、墓所における性の儀礼は、人間の心の深奥部へ辿り着こうとする閉鎖的な営みだからだ。
この尸林におけるオルギアの中核をなすのは、ガナチャクラと呼ばれる性魔術儀式である。中世インドまでの中期密教において、九想観等の死体が崩壊する様を瞑想する技術はすでに確立しており、宗教者が修行のためや、純粋に供犠のために尸林を訪問する機会はあったのである。
インドにおいて宗教者とは常に男性であり、タントラ行者は、土着宗教の巫女たちと****を含む儀式を行ったと考えられている。
ガナチャクラの構成員は9名である。 つまり、破壊神シヴァの最も凶暴な姿を具現した神パイラヴァを召喚した男性行者が1名、そして、その周囲を円形に囲む女神を召喚した女性行者が8名の計9名で行う儀礼である。
天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と瑜伽する。
この位置変換を<瑜伽女の転移>(サンチャーラ)という。女性行者が8名に臨時のメンバー(行者ではない女性)を1名加えた9名という説もある。その場合は、中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女一組に対して、円形に8名の女性行者が並び、曼陀羅が常時成立することになる。
この結果、中央の男性行者は、すべての女性行者と平等に和合することになる。
この儀式は、インドの古代神話世界において、ヴィシュヌ神が金輪剣(チャクラ)を用いてシヴァの神妃サティーをばらばらに切断し、地上に落としたあと、サティー女神が復活し、シヴァ神と再結合を果たした説話をかたどっている。
星辰の回転を象徴しながら、都合、8回(1対8)の性的和合により発生する宇宙的快楽は、<大楽>(マハースーカ)と呼ばれ、この<大楽>が行者を<梵我一如>の境地に連れ去るのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/sirin/2smshna.html
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2024/01/23 (Tue) 16:26:31
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梵我一如はエロスの世界
フツーの人が本物の の体験をするのはまず不可能です。 どうしてもと言うなら クスリに頼るしかないでしょう。 クスリが「宗教儀式」に使われるのはそういう事情なのです:
芥子の花
ふ~しょう♪ふ~めつ♪ふ~くう~♪ふ~じょう♪~
読経は続いている。焼香の煙が静かに漂い流れてくる。
私の実家は阿波の国、土佐との国境で、海底で堆積し褶曲された山々がある所では隆起しある所では黒潮が流れる青い海へと没した海辺に開けたのどかな土地にある。
宗派は真言、それで弘法大師いわれの話しがここかしこに言い伝えられている。
大師さんが休み、杖をついたところ、そこから清水が湧いてきたとか、ちょうど大石が落ちてきた時、弁当に使っていた箸を地面に突き刺すと忽ち箸は大木の杉の木になって大石の落下をくい止めたとか、小さな頃から法事がある度に先代のおじゅっさんから先祖の逸話を聞くと伴に大師さんにまつわる話しを数多く聞いてきた。
・・・ないし♪むろし♪やくむろしじん♪・・・
遠い声を聞く様に清んだ先代のおじゅっさんの話し声が重なって聞こえてくる。
裏山に住む狸の話をしてくれた事や椎の大木の陰に潜む天狗が夜な夜な空を飛ぶ話しとか、そんな幾つかの話しの中にあって、ことさら不思議と胸の内にわだかまった話し
「大きな声では言えないがね寺の裏山には終戦頃まで芥子の花が咲みだれていてね・・・」
何か咲きみだれる見知らない花々が秘密めいて思い出されてくる。
これは我が母校の校章となっているからだろうか?
焼香の匂いが一層強く漂い私はさらに静かにゆっくりと夢想の翼が開いていく様に感じられてきた。 月の青い光が降り注ぐ裏山に白い花びらの芥子の花が青白く濡れている。 これは梶井基次郎が書いた『櫻の木の下に死体が埋まっている』より尚妖艶ではないだろうか?
芥子の花の下には骨が埋まっているのに違い無いのでは。
空海さんはさすが博学やったんやな~と思ってしまう。 真言密教の片田舎の末寺に芥子の花が咲き乱れていたと言う事は日本各地の数多くの寺々では芥子が植えられ使われていたのではないだろうか?
さても、古く真言密教の儀式において護摩火に芥子も焼香のひとつとして投げ入れる秘儀が常時おこなわられていたのでは?・・・
かの時代なら十分うなずけれることなのでは。
薄暗い堂内に掲げられた曼荼羅に昇る火と立ち込める煙、それと伴に強い香を焚けば祈りを捧げる人々、 みんな酩酊しないわけが無いのではないだろうか。
人々の眼前に現れるのは極楽浄土だったのではないだろうか。
夢想する私の耳には空海さんが唐国から船で帰るさい墨染めの衣の袖の下には身毒(インド)渡りの芥子坊主を忍ばせた・・・・
サラサラと芥子坊主の中の乾いた実の音が聞こえてくる。
そしてその音はサラサラ サラサラと木霊し流れ来て私の脳内の神経節の一部にエンドルフィン、エンケファリンとして反応し点滅している様に感じられてくる。
それはランニングハイのような高揚なのだろうか?
いやいやそれは今まさに私の脳内で芥子坊主から滲み出した黒く変色した果汁が翼を開ける様に広がっている高揚なのではないだろうか?
・・・ぎゃあ~てい♪ぎゃあ~てい♪はらさそ~うぎゃあ~てい♪・・・・
読経は尚も続いている。
ああ・・・またもや何処か人知れない廃寺の裏山でひっそりと月の光に濡れながら青白く咲く芥子の花と唄う様に揺れる芥子坊主の姿が私の頭の中で映像として結びだしてきた。
http://plaza.rakuten.co.jp/maeno7547/diary/200901310000/
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ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i あ…ん? ああ…あああ…いや? いや? ダメぇ!
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20 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2010/01/21(木) 22:13:43 ID:rkoUr6r70
薬を使ってのセックスは通常の快感の100倍だってね
****時なんか脳天がブチ破れるほどの快感
女は常にいきっぱなし
_______________
ヘロイン (heroin, diamorphine) は、アヘンに含まれるモルヒネから作る麻薬。
塩酸モルヒネを無水酢酸で処理し、生成する。
依存性の極めて強い麻薬であり、麻薬及び向精神薬取締法で、その製造・所持・医療目的を含め、規制対象になっている。
現存するあらゆる薬物の中で「快」の面でも「悪」の面でも最も高峰に位置するものとして、「薬物の女王」(The queen of drug) の代名詞を持つ。
使用法はスニッフィング(鼻からの摂取)、経口摂取、静脈注射など様々であるが、この中でも特に、静脈注射をもって摂取した直後数分間にわたって続く
「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものといわれ、時には
「オーガズムの数万倍の快感を伴う****を全身の隅々の細胞で行っているよう」、
また時には
「人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態」
とも表現される。
常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいといわれるその至福感は、しばしば「約束された安堵」などとも表現される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%B3
人間の脳には主に3系の神経節に分かれております。
そうA・b・cといった具合にです。
A10というところは快楽(ドパミン)
B系は鬱と深くかかわる(セロトニン)
C系は憤怒系(アドレナリン・ほか)
Aに作用させたものが主に「覚せい剤」といわれるもので、
その他モルヒネ・ヘロイン・大麻(THC)などはダウナー系であり
覚せい剤とはまったく異質なものである。
特に最近麻薬指定を受けた「マジックマッシュルーム」(私も数年前まで栽培してた)などはB系のセロトニンという神経伝達物質受容体(シナプス)に結合しガキのころに恋愛したようなホンわかしたいい気分にさせてくれる。
もちろん幻覚は強烈です!
LSD(リゼルグサンジエチルアミド)も同様な状況になる。
覚せい剤はその瞬間的な強烈な効き目とトリップ中の性感覚の急増に伴い女性が常用するとなかなか抜け出せなくなってしまいます。
精神的依存はかなり強烈であるといえます。
最強な依存度を誇るのは「ヘロイン」です!
ダウナー系最強で、禁断症状が一番強烈で骨がきしむような痛みを伴いヘロインなしでは生きてゆけないくらいの禁断症状に見舞われます。
上記2種類に比べればL・きのこ・大麻(THC)などは健康食品程度のもんです(笑)
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覚せい剤(シャブ、速いの、冷たいの、エス、スピード、アイス)
日本が世界一の消費国家です。
外観:白い無臭結晶で、舐めると苦い。
使用方法:静脈注射、炙った煙を吸う、鼻孔注入、経口、アナル、注入
性器塗布
効果:注射なら直ぐ、炙りや鼻孔注入なら5~10分ぐらいで効果が現れ、2~5時間程続く。
目が冴え、疲れ眠気がなくなり、気分は最高! 薬が切れるまで、不眠不休で動ける。
****だけのエロティックなケモノになる
鼻孔が開き、手足が冷たくなる。効き始めに、お腹がゆるくなる人も多い。
薬が切れると、激しいウツや過度な倦怠感、イライラなどバッドな症状に襲われる。
頭痛や全身の筋肉痛も辛い。
この不快感から抜け出すために、また入れる。
それまでの不快感がなくなり、一気に気持ちよくなる。
常用して、3、4ヶ月で幻聴/幻視が発生し、
5年後には統合失調症のような症状を一生かかえることになるようだ。
マジで、「人間やめますか? 覚せい剤やめますか?」状態になるそうです。
「まじで、人間やめますか? 覚せい剤やめますか?
所感:ヤクザ関係で、シャブ漬けされるケースもある。
方法としては、無理矢理、性器やアナルなどに塗布するようだ。
女性受刑者の8割は、覚せい剤犯なので、女性の方は注意してください。
メタンフェタミン、アンフェタミン:
日本では、純度の高い覚せい剤であるメタンフェタミンが多く流通している。
アンフェタミンは、海外で多く流通しているメタンフェタミンより、純度の低い覚せい剤。
特徴は、錠剤錠になっている。
ヤーバー(赤シャブ):
およそ、メタンフェタミン1対アンフェタミン2の割合でミックスされており、直径5mm・約90mgほどの赤い錠剤だ。
甘ったるい匂いがし、「WY」と刻印されているものが多い。
これは、現在日本にも入って来ている。
知らずに中毒にさせられ、ヤバイことになっている女性が多くいるようです。
女性の方は、気を付けてください。
http://blog.livedoor.jp/five55/archives/50732585.html
覚醒剤シャブ中毒の幻覚と怖さ
最近ケシ、大麻栽培、それを保持、利用で捕まる大学生が報道されて、早慶戦状態になっている。
外部の人間には、なんで?学生が・・・と理解不可能だ。
実のところ、あの麻薬、覚醒剤(=シャブ、水溶液して使用するとシャブシャブ音がする俗称)の効能は、元ヤクザに聞いたところによると、SEXへの効能のようだ。
これを目的で常用している人が多い。
ウラのルートで情報が入る芸能関係で検挙されたり、逮捕されている人は、みんなスマした顔してもセックスで頭が一杯、そういう人が日本中に充満しているのだろう。
表からは見えない日本と日本人が変質しているのかもしれない。
シャブの値段、昭和60年代~平成の始めの頃、小袋(2グラム程度)で2万円~5万円。 それを水に溶かして、三、四回分。
それをセックスの前に打ち、相手の女にも打つ。 快感がまるで違うんだ、という。数倍の快感が得られるという。
こっちが打って、相手の女が打っていないと、快感のギャップで、女は恐怖感をもってしまうらしい。
元ヤクザ氏は、シャブ(覚醒剤)を注射し続けて、中毒になった。
10年に渡って続けて、幻覚で自分がなにやっているか、わからなくなって、元ヤクザ氏は、家の中で家財を壊し、メリケン粉はぶちまけ、自分の子どもを学校から連れ出し、一家連れてドライブ、免許停止で無免許運転。
交通事故で車が停車している時、奥さんや子ども連れて逃げ出し、元ヤクザ氏が逮捕された。 奥さんが警察に届け出て、指名手配になった。 家に帰ってきたとき、警察へ電話して、逮捕される。
そのとき、幻聴や幻覚で自殺しようとして、腕を切りつけた。
急所を外れていたので一命を助かったが、その後も留置場で、縫いあわせた傷口を切ったり、幻覚に悩まされ続けて、その後も自殺を図る。 シャブが効いている間は、あまり痛くもないから、無茶をやる。
幻覚で留置場の壁がだんだん狭まって、今までやっていた恐喝や暴力沙汰の相手が復讐に来るとか、恐怖に悩ませられ、逃げる逃げられない状態で、気が狂うんだそうだ。
覚醒剤を固まりから、粉を溶いて注射液を静脈注射をすれば、すぐ効いてくる。
先ず、気が大きく、目はさえて、腹がすいた感覚がない。 メシを食わなくても平気だ。 だから、大抵の中毒者は痩せている。
その元ヤクザ氏は、当時愛人を6人囲っていた。 若気の至りで、シャブさえ打っていれば、元気、元気で、SEXは何回でもできるか、試したそうだ。
メシも食わないで、24時間で何人相手できるか。
空腹感はなかったが、途中で、カツどん一杯は食べたそうだが、シャブを打って、6人全員制覇したという。 結局、時間は25時間かかったらしいが。
それが、10年目で幻覚が激しくなり、警察官が家に隠れているとか、二階からセックスしている声が聞こえるとか、ちょっとしたことで妻への暴力を振るう。
つまりは「人間が壊れた」状態になった。
留置場から拘置所へ送致され、そこで、幻覚で苦しむ日々が続き、数ヶ月続き、監禁されて禁断症状から、或る日、頭から熱いものが抜け打たように気分が変わった、という。 同時に精神の変化も起こして、今まで本嫌いだった元ヤクザ氏、独房で読書三昧。 気が(良い方に)変になって、自分自身、別人になったかと思ったそうだ。
仏教書を夢中に読んでいたから、それが契機で精神と肉体の遊離を経験した。
これを「死後の世界を見た」「悟りを開いた」という。
本人しか分からない部分であるから、第三者からは、違うとも、その通り、ともいえない。 それが、刑務所内で、仮釈放の条件を満たす模範囚だったにも係わらず、「悟りを開いた」ことは、普通の常識では理解されない。
社会では適応できる人とは認められないようだ。 結局、ぴったり満期まで刑期を勤めることになった。 元ヤクザ氏の話である。
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○○ ○子の法廷で告白
覚せい剤にハマッていった経緯を告白した○○被告。
また、覚せい剤は夫からもらっていたと語ったが、裁判官に
「あなたの方から(覚せい剤が)欲しいと言ったことはなかった?」
と聞かれると、「…はい」。
「あった?」と重ねて聞かれ、「はい」と答えた。
かつて国民的アイドルだった○○被告が、“覚せい剤おねだり”をしていたまさかの事実。
麻薬中毒患者への取材を多く行ってきたジャーナリストは
「使用すると疲れを感じなくなる、頭がすっきりする、といった効果があるのは事実。
しかし、男女で一緒に使用した場合に何より“魅力的”なのは催淫効果。
100%、セックス目的といっても過言ではない。 それほど性的快感への寄与は絶大で、とくに女性は絶頂感が延々と続くなど、顕著な効果があるとされています」
と指摘する。
セックスの快感のために覚せい剤を“おねだり”していたとしても不思議ではないのだ。 公判では、夫への尽きせぬ愛情を垣間見せた○○被告だが、その原動力のひとつとなっているのは、2人きりで味わった、この世のものとも思えない快感なのかもしれない。
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2008/11/nozawa22-10.html
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穴という穴を…村西監督が明かす薬漬けSEXの実態
快感は数十倍
1980年代に「AVの帝王」として君臨し、性を知り尽くした村西とおる監督は、こう解説する。
「覚醒剤を使ってセックスをすると、快楽が倍増するのです。
女性はクリトリスがひと皮むけたような快感が得られ、男性もペニス全体がカリになったように敏感になる。 1+1が、10、20にもなっていくわけです」
こうした快感がエスカレートしていくと、肛門に指や男性器などを挿入するアナルセックスへと行き着くという。
「ある物はすべて持ってゆく置き引きのように、穴という穴を使わずにはいられなくなる。 覚醒剤の威力でアナルの感度が開発されてしまうんです。
この快楽を知ってしまうと、宇宙飛行士が何度も宇宙へ行きたがるように、覚醒剤をなかなかやめられなくなるわけですね」
http://www.zakzak.co.jp/gei/200908/g2009081502_all.html
566 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 15:52:53 ID:jLvabwe60
最初の頃は冗談で、そんなことはあり得ないと思いつつ
「のりpがヨダレをたらしながらシャブセクで絶頂」
とか言ってたけどだんだん真実味を帯びてきたな。
634 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:17:58 ID:BAtwyZpA0
のりピーも、クラブで
「白目をむいてヨダレを垂らしていた」
という目撃談があったが、セックスの場合、そういった症状が顕著に出る。
651 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:23:33 ID:i4Zwi0OSO
よだれとか垂れ流れるならおしっこも垂れていきそう。
パンツも普通に黄ばんでそうで何か不潔
663 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:27:49 ID:KfMmuipEO
>>651
ヤク中セックスは糞尿垂れ流しがデフォ。
浣腸もせずにアナルに入れるから、糞塗れだよ。 潮吹きも止まらない、潮は小便。 まさに本当の汚物塗れのセックス。
691 :名無しさん@十周年:2009/08/16(日) 16:39:47 ID:KfMmuipEO
乱用者は普通の感覚、普通の生活ではないんだよ。 誰かが掃除しているんだろ、
ラブホスレでも読んでみな。 バイト清掃員の話が腐るほどあるから。
ポンプや薬物残留があり、薬物を使用したと思われる部屋はベッドが糞尿まみれになっていたり、うんこがテーブルの上に残っていたとか。 ラブホのバイト清掃も大変だよな。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/08/sex_15c0.html
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4:777
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2024/01/23 (Tue) 16:27:31
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秘密仏教(密教)の秘密とは…
父母や先祖の髑髏に漆を塗って祭壇に祀る。
そしてへールカと呼ばれる中央の男性とダーキニーと呼ばれた女性行者が9名とその前で契りを交わし、その和合水を髑髏に塗り付ける。
髑髏の「建立」
髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。
続いて,地面に血を用いて曼荼羅を描き中心に指導者がそのパートナーと座し,その周囲に円形に8人の容姿端麗な美女を配置する. 天体の運行を模す形で周囲の女性が位置を変え、順番に中央の男性と和合を行なう。
中央の歓喜仏の姿勢で交合する男女1組に対して、円形に8名の女性が並び、曼荼羅が常時成立する様にする。 中央の男性行者はすべての女性行者と平等に和合し,それを5日間続ける.
そしてその和合水(****=男性の****と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねる。 それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香を焚けば死者の姿が煙のなかに現れる。
その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻る。
このような修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。 さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。
このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二渧(和合水)を厳守する。
舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。 顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女のように化粧する。
こうして髑髏が完成したら、それを壇上に祭り、山海の珍味を供え、反魂香を焚き、子、丑、寅の三刻に祭祀を行う。 そして卯の刻になったら、七重の錦の袋に入れる。
こうして、行者はその袋に入った髑髏本尊を、夜は行者が肌で抱いてあたため、昼は壇に据えて山海の珍味を備えて供養する。
これを7年間続けるのである。
そして、8年目になると、髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現す。
下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語る。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/tachikawa/dokurohonzon.htm
髑髏の「建立」。
用意した髑髏を加工して組み立てる。 これには大頭、小頭、月輪形の三種類の制作法がある。
大頭とは、髑髏をそのままにして、頤(おとがい)と舌をつくって髑髏にしつらえ、また歯をつけて、髑髏全体に生身の肉がついているかように見えるまで、何度も漆を念入りに塗ったあと、箱の中に納めておく。
つづいてすでに訳知りの容姿端麗な美女と****し、その和合水(****=男性の****と女性の愛液)をこの髑髏に百二十回塗り重ねるのである。
髑髏を守っているという七魄(人間の魂は三魂七魄からなるとされる)に和合水(三魂の象徴)を三魂七魄の本尊としての準備が整うわけである。
それから毎夜子丑の刻(午前零時と午前二時)に反魂香を焚いて髑髏を薫染する。 反魂香とは、漢の孝武帝が李夫人の死後も恋しくてならず、方士に香を造らせ、それを焚いて夫人の面影を見たという故事にちなむもので、それを焚けば死者の姿が煙のなかに現れるとされる香である。
その一方で反魂の真言を千回唱える。そうすれば死者の魂が戻るというのである。
このようなず修法を行ったのち、髑髏の中に種々の相応物や秘密の符を書いて納め、頭頂に銀箔と金箔をそれぞれ三重につけ、その上に曼荼羅を書き、その上に金銀箔をおす。さらにその上に曼荼羅を書き、銀箔と金箔をおし重ねてはりつける。
このような曼荼羅画を交えた箔おしの所作を略式では五重か六重、通式では十三重、最高では百二十重とする。
曼荼羅を書く染料はすべて男女の交合の二渧(和合水)を厳守する。舌や唇には朱をさし、歯には銀箔をおし、目には絵の具で若々しく綺麗に彩色するが、義眼に用いる玉を入れてもよい。
顔にはお白いを塗り、紅をつけて、美女か、童子(美少年)のように化粧する。
その際、表情は貧相にせず、笑みをたたえ、決して怒ったような顔つきにしないことが大切である。
http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/shingontatekawa.html
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5:777
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2024/01/23 (Tue) 16:27:56
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インドにおける密教は変容し、****崇拝の濃厚なものになり、やがてチベットに伝わり、ラマ教になるのだが、ラマ教は密教という点では空海が遺した真言密教との違いはないといっていいであろう。
しかしながら両者は神秘性の表現においてははなはだ異なっている。
ラマ教は、インドで衰弱段階に入った後の左道密教といわれるものに相似し、****をもって宇宙的な原理を表現することに於いて強烈で得あるが、空海がもたらした密教はそういう思想を内蔵しつつも教義全体の論理的筋肉がまだ若々しく、活動がなお旺盛で、****崇拝へ傾斜するような傾向は外部からは窺いにくい。
しかし空海の没後、数百年を出ずして彼の密教も左道化した。
「真言立川流」 と呼ばれる密教解釈が、平安末期から室町期にかけて密教界に瀰漫し、とくに南北朝時代にはその宗の指導者である文観(もんかん) が後醍醐天皇の崇敬を受け、立川流が密教の正統であるかのような座を占めたことなどを見ても、空海の体系には、****崇拝を顕在化させる危険が十分内在したというべきであろう。
http://singetu.ddo.jp/kuukai_huukei/56.htm
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6:777
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2024/01/23 (Tue) 16:28:22
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立川流の成り立ちと経緯
「真言立川流」を始めたのは見蓮と言う人物で、陰陽師を習得した真言宗の僧侶兼陰陽師だった。
北斗・北辰妙見信仰に始まる「交合に寄る歓喜行」は、日本の信仰史上に連綿と続いた呪詛巫女の神行であるから、真言宗の僧侶兼陰陽師だった見蓮が創始した八百万の神・陰陽修験と陀羅尼真言密教の習合教義である真言密教立川流に、その奥義が取り入れられていても「自然な流れ」と言える。
この真言立川流、今の時代ではとても理解されないが、当時、素朴な民衆を矛盾無く導く為に、性に対していたずらに禁欲をさせるより、「肯定した上で民意をリードしよう」と言う考え方があった。
真言密教立川流の始祖と言われ、立川流開祖見連に奥義を授けた仁寛僧正は、伊豆の大仁に住まいし真言宗の僧侶で、陰陽師だった見蓮に、真言密教の秘伝「歓喜法」を授けた者である。
仁寛に限らず高野山系の僧達の多くも、鎌倉時代末期近くまではこの男女交合の「秘術」を理念としていた。
仁寛は、鳥羽天皇の暗殺を謀ったとして、捕らえられて、「伊豆大仁」に流されていた。言わば、****の流人である。 そこで陰陽師修行中の見蓮に出会い、醍醐三宝院流秘伝の奥義を伝授されたのだ。
現代人の宗教観とは合致しないであろうが、本来、いずれの宗教も「現世利益」が基本である。 つまり他人の事はどうでも良く、祈る者だけに「利を与える」のが元々の教義だった。 本来、信者の本音で言えば「現世利益」が無い信仰など魅力がある訳が無い。
近・現代に於いて「教えが改善された」と言えばその通りだが、元々の信仰はそんなに立派なものではなく、自分の「利」の為に祈るもので、呪詛的には「相手を呪い殺す願い」をも受け入れる事が「信仰(宗教)の実態」と言って良かったのである。 この辺りを理解すると、個人の「現世利益」の考え方から、極楽浄土に「性的な境地」が結び付く教義「真言密教立川流」に、現実感が出て来ても不思議ではないのである。
常識的に見て密教経典の意味解釈は、解釈する側の意志で加工が可能である。弘法大師(空海)が日本にもたらせた密教は、やがて日本で加工されて行ったが、その原点に近いものがインド・ジャンム・カシミール州最大の地方「ラダック(Ladakh)」に残っている。
このラダック地方の土着宗教がタントラ教の影響を受けた密教で、いわゆるチベット仏教である。 ラダックには多数の仏教寺院、ゴンパがあり、全人口が敬けんな仏教徒である。
釈迦生誕の地に近く、「真言・天台両宗の源流」とも言える「敬けんな仏教徒の地ラダック地方」には、つい近代の英領インド時代に禁止されるまで「一妻多夫」の習慣があり、一人の妻を兄弟で共有していたが、それはチベット仏教においては「けっして教えには背いては居ない」のである。
つまり密教において、性はかなり「おおらかな扱い」であり、現在の日本人が意識する厳しい戒律は「無かった」のである。
元来性行為と言うものは、単に「男女が交われば良い」と言う即物的なものではない。 そこには精神的感情が介在する。 それも複雑で、一口に「愛」とばかりにかたずけられない。
****の本質は、想像力をたくましくして、被虐心、加虐心、羞恥心に触覚、聴覚、視覚を駆使して、初めて上等な性感を得る。 つまり【右脳域】の本能的無意識の境地に入る為の「行」として捉えるのである。
人間の感性は複雑で、あらゆる情報を脳で処理する事で、結論を導きだす。従って、性的快感も単純ではなく、それに拠る精神的癒し効果も認められる。
つまり、性と精神はリンクしていて、人格の形成にも関与する重大事項と言えるのだが、これを「無理やり離して考えよう」と言う間違った傾向がある。 喜怒哀楽は人間の基本的な感性で、【右脳域】の思考である。 その内の「喜」を以って「楽」を為すのが、密教における****呪詛所謂「歓喜法」に拠る「極楽浄土」の境地である。
人間は、性行為や食事、音楽や映像鑑賞の際に「ベータ・エンドロフィン」と呼ばれる快感ホルモン物質を分泌させ快感を得る。 言うなれば、宗教行為と性行為、音楽の演奏などは、ある意味同質の目的、快感ホルモン物質の分泌を促す為にある。
宗教に陶酔したり、音楽に聞き惚れたり、視覚、嗅覚、五感の刺激がこの快感ホルモン物質の分泌を促すのなら、人は神の教えで救われても不思議はない。 それを経験的に学習しているから、いかなる宗教にも音楽や雰囲気創りの演出は付き物で、そのトリップ状態は、けして否定すべき物でもない。
言うなれば、宗教行為と性行為が合体した真言密教立川流は、「究極の奥義」だったのではないだろうか?
この快感ホルモン物質がモルヒネと同じ作用を持つ「脳内麻薬」で、精神的ストレスの解消と肉体的老化防止の特効薬であり、必要なホルモン物質なので、健康な性行為の抑制は必ずしも人間の為にはならない。 当然の事ながら、気の持ち様で「自然治癒力が増す」などの奇蹟は現に症例が多いから、宗教の奇蹟も存在する。 真言密教では、この生物反応的効能を肯定して、「修験道に活用しよう」と考えた。
快感ホルモン物質が大量に分泌されると、人間はトリップ状態になる。
従ってかがり火の燃え盛る呪詛の場で、陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)が流れる荘厳な雰囲気の中、激しい性行為を繰り返す事によって、常人には無い激しい反応を見せる。 それが呪詛の効果で、真言密教で言う所の「極楽浄土」である。
その状態が「呪術の効果をもたらす為に必要だ」としていたから、立川流は成立した。 それにしても、呪詛の為に身体を提供して「歓喜法」を体現する呪詛巫女の存在は、現在の感覚では理解が難しい。
しかし、密教の教えの詰まる所は「空」である。 空に私心は無い。
有にしても無にしても、そこには私心が介在するから、空に成れば、如何なる行を求められても、それを不条理と思う事は無い。 実は、「気」も、奇跡と扱うには「ペテン染みた」物理現象である。 言わば、思い込み(既成概念)と言う物差しを外した所に奇跡とも思えるパワー現象が生じる。 しかし、そこに到達するには、「空」が要求されるのである。 その「空」に、成りおおせないのがまた、人間である。
行を施され、呪詛巫女が空に及ぶには、その行の厳しさに相応の覚悟が要る。女性の身体は不思議なもので、縛り上げて三日ほど変わる変わる攻め立てれば「脳で考える気持ち」とは別に、身体が****の快感を覚えてしまう。
つまりそちらの感性は【右脳域】の本能的無意識が覚醒するからである。 そうなればしめたもので、女性から呪詛(****)に応じる様になり、滞りなく行える呪詛巫女が完成する。 当初の呪詛巫女の仕込み方は大方そんな処である。
呪詛巫女の確保については多くの方法がある。 その一つが、前述した律令制における被差別階級として賤民の利用である。
奴婢として地方の豪族が所有し、基本的に家畜と同じ所有物扱いの私奴婢と呼ばれる身分の者の中から「婢」の身分の女****隷を選び出し、執拗に****を施して極楽浄土を体現させ、呪詛巫女に仕立て上げた。
八百六年(大同元年)、ちょうど桓武天皇が崩御し、第一皇子が平城天皇として即位(八百六年)の準備をしていた頃、唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。
仏教の発祥はご存知インドであるが、実を言うとインドには「密教」と呼ぶ言葉や宗派はない。 金剛乗(ヴァジュラヤーナ)、或るいは大乗(マハーヤーナ)等が相当しそうだが、厳密には意味がかなり異なっていて「伝播の途中で変化したものと」考えられる。
大陸での修行を終えた空海(弘法大師)は、持ち帰った経典に重さを付ける為に「密教呪法」の存在を強調し、その呪法効果を期待させる事に成功する。 当時の日本の指導階層は血統を重んじる氏族で、世継ぎを得る為には多くの妾を抱える社会だったから凡そ禁欲的な教えでは受け入れられない。
空海(弘法大師)の教えは、その教義の中で「人の世界の理性的な原因の世界」を肯定し、然る後に
「密教呪法」に拠り身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる)、
口に真言(真実の言葉)陀羅尼を唱え、
心に本尊(大日如来)を念ずる
事により、仏の不思議な力で「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)出切る」としている。 その教えを秘密仏教、即ち「密教」と称し、教理と行に呪術的かつ具象的表現を伴う教義を成立させ、「潅頂」と言う入門の密教儀式をしていない者に師の許しなく真言や行の内容を軽々しく教えを説き伝える事を禁止してこれに反する行為は大罪としてその自戒を三昧耶と呼んでいる。
密教とは、「深遠な秘密の教え」の意味で日本では主として真言宗(東密)、天台宗(台密)と結び付いて発展した。 手に印を結び(手の指で種々の形をつくること)、口に真言・陀羅尼を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事によって、仏の不思議な力により「煩悩にまみれた生身のまま成仏(即身成仏)できる」とされている。つまり本能(煩悩)で汚れた人々を、「真言・陀羅尼を唱える事で救う」と言う教えである。
この真言宗の教えの中の密教と日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、修験者が生まれている。修験者とは、修験道を修行する人で、山伏とも言い、修験道とは高山などで修行し、呪術(呪詛・まじないの力)を体得しようとする宗教である。
当然の事ながら、陰陽修験は呪詛を使う。 呪詛の目的は、それを行なう事に拠ってあらゆるものを操ろうとするものである。
修験道には、役小角を祖とし天台宗の本山派(天台山伏)、真言宗の当山派(真言山伏)などがある。 弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)達が、我が国にもたらした密教は、強力な「現世利益の秘法」であったのだ。 本来の仏教は祈りによる現世利益で、まずは手っ取り早く長生きや裕福と言った幸せを願う物だった。
この現世利益については、現在の中国式寺院にその面影を見る。 お金に見立てた寺院発行の紙の束を、供え物として火にくべ、金持ちに成る様、先祖に祈るのだ。 そうした教えが、真言宗の密教として伝えられ、日本古来の山岳信仰・神道などが結びついて、陰陽修験の呪詛を使う真言密教・立川流が成立した。
真言密教立川流は陰陽修験の呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に****の行を採用した。 立川流の教義は、真言宗の
「即身成仏・即事而真(そくじにしん・物そのものが真実)」、
「当相即道(とうそうそくどう)」
の意味は、「ありがたちそのままが理想」と言うであり、つまり「自然の欲望(煩悩)は自然な事である」としている。
「本有平等(ほんぬびょうどう)」の意味は
「本来もっているものが皆同じく真実を宿す」という真言を、男女二根の交会、
淫欲成就の妙境をそのまま「即身成仏の意味」
に解したもので、ごく自然な人間の命の営みを、素直に容認したものである。
この教義の根拠として「首拐厳経」、「理趣経」などが用いられて、なかでも「理趣経」の十七清浄句の、「欲望は浄らかなり〈大楽の法門〉」と言うその教えは「一切の法は清浄なり」と言う句門であった。この時点で、愛欲に対する罪悪の考え方はまったく存在しない。
「一切の法(手段)は清浄なり」を「男女の****も清浄なり」と解すれば、良いのである。
如来は十七の清浄なる菩薩の境地を挙げて、男女交合の「妙適なる恍惚境」も、
欲望、箭の飛ぶ様に速く激しく働くのも、男女の触れ合いも異性を愛し堅くい抱き、男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由である。
男女相抱いて「縛(しば)ごう」と満足するも世の一切に自由とは、解釈の仕方では現代で言うSM的な行為まで性愛の形として肯定している。 つまり、欲望に身をゆだねて「恍惚境」に入る事を、真言密教は教義として肯定しているのである。
それはそうだろう。 禁欲主義は生き物としての最も基本的な「種の保存本能」に矛盾している。
「全ての主である様な心地となる事」、
「欲心をもって異性を見る事」
も、また、
男女交合して「適悦なる快感を味わう事」、男女の愛、これらの全てを身に受けて生ずる「自慢の心」も、ものを荘厳る事、全て思うにまかせ「意滋沢ばしき事」、
満ち足りて光明に輝く事も、身体の快楽も、この世の色も、香も、ものの味もまた清浄なる菩薩の境地である。
と、立川流では、全てのものをその本質において積極的に肯定している。つまり****の煩悩を含めて、人間の存在が完全に清浄なもの、菩薩のものとして肯定されており、****肯定の句として知られている処である。
何が故に、これらの欲望の全てが「清浄なる菩薩の境地」となるのであろうか。
それは、菩薩が人々の【右脳域】に存在し、これらの欲望を始め世の一切の法は、「その本性は清浄なものだからである」と、自然に存在する性的欲望を菩薩のものとして肯定しているからである。
故にもし、真実を見る智慧の眼を開いて、これら全てを「あるがままに眺める」ならば、人は真実なる智慧の境地に到達し、全てに於いて「清浄ならざるはない境地」に至るのである。
真言宗開祖・弘法大師(空海)は、仏教とは異教である儒教を廃してその禁欲思想に攻撃こそすれ認めてはいない。 現代人の感覚では理解し難いかも知れないが、弘法大師・空海が日本に持ち帰った経典の中にインド・ヒンドゥー教の影響を受けた経典が多数含まれていた事も事実で、日本の初期密教の成立にヒンドゥー教の生命への畏怖を根源とした性的な教義が混ざっていて当たり前である。
つまり真言密教・立川流に拠ると、弘法大師・空海が持ち帰った真言密教の教義解釈は「****に拠って穢れが浄化される」 と言う解釈なのである。
儒教の抑制的な考え方は人間の本質と矛盾する教えであるから、現実に起こり得る様々な事象を闇に葬るばかりで結果的に「在る事」を「無い」と建前で覆い隠すに過ぎず、何ら解決には至らないからである。
ところが、後世の真言宗僧侶達は時の権力におもねり、開祖・弘法大師(空海)の教えを翻して儒教の抑制的な考え方を取り入れて真言密教の王道たる立川流を「淫邪教」と廃し始め、弾圧の挙句その存在まで闇に葬った。
愛欲は生きる事の一部であり、後世に血脈を引き継ぐ原点である。
開祖・弘法大師(空海)が「あるがままに眺める」とした真言宗の抑制的改宗は、信念とは別の御都合主義の為せる業で教義を変節したのであり、人間の本質として必ず「在る事」を「無い」と建前で覆い隠して対処を放置する事こそ、現実に正面から向き合わない「邪教」ではないのか?
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2024/01/23 (Tue) 16:28:59
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立川流の呪詛様式
立川流の経典は理趣経を習している。 そして呪詛を使い、あらゆるものを操ろうとしてその呪詛の手段に****の行「歓喜行」を採用した。 邪神とされる荼枳尼天(だきにてん)を拝し、特に髑髏を本尊とする為、世間から邪教と解される原因と成っている。
確かに、髑髏の存在は「死と言う現実」を見せ付けられるものであり、並みの人間で有ればそれだけでも不快に感じるのは事実である。また、髑髏には生前のその持ち主の魂が宿っていそうで、精神的には犯すべからぬ畏怖の対象であるから、その辺りの抵抗感が存在して、違和感が生じても不思議はない。
にも関わらず、真言立川流が髑髏を本尊としたには、こうした精神的な意識に元付く既成概念そのものを、共通して一気に変革させる狙いを試みていたのではないのだろうか?
真言密教立川流の髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は、王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂と一千人の髑髏の上部を集めたもの、「法界髏(ほうかいろ)」と言う儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。
その様に選ばれた髑髏の表面に、女人の協力を得て、****の際の和合水(****と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、更に髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。
しかもその七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」の間絶え間なく本尊の前で****し、真言を唱えていなければならない。 こうして約七年間もの歳月を「歓喜行」に費やして作られた立川流の髑髏本尊はその位階に応じて「三種類の験力を現す」と言う。
下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して「三千世界の全ての真理を語る」と言う強烈な現世利益の本尊である。
真言密教立川流の真髄は****によって男女が真言宗の本尊、「大日如来と一体になる事」である。 立川流の金剛杵は特殊な金剛杵であり、片方が三鈷杵(さんこしょ)、もう片方が二鈷杵(にこしょ)になっている。 この金剛杵を割五鈷杵(わりごこしょ)と言う。
本堂のお勤め場所の周りに星型の結界が、蝋燭としめ縄で張られる。 しめ縄はいわば神の「結界占地」を標示するもで、神域に張られる事になっている。
蝋燭の炎は、「歓喜行」の間絶やす事は無い。
反言真言を唱え、星形の結界(五芒星)は陰陽師家、安倍晴明の判紋である。
格子状のしめ縄の結界は、九字紋と同じ形状であり、九字紋は横五本縦四本の線からなる格子形(九字護身法によってできる図形)をしている。 九字結界は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を星型に配置し、その間を結んで五芒星(晴明判紋)となす。 安倍晴明判紋は晴明桔梗とも呼ばれ、五芒星と同じ形をしている。五芒星(九字護身法に拠って出来る図形)の意味は、一筆書きで元の位置に戻る事から、「生きて帰ってくる」と言う意味でもある。
「歓喜行」はこのしめ縄の結界の中で全ての障害を排して執り行うのである。呪法に使う髑髏にも、それなりの確りした仕度がいる。
亡なって間もない人頭を、丁寧に洗い清めて、真言を唱えながら漆を塗る。朱色を出すには「辰砂(水銀)」を使う。水銀と硫黄からなる硫化水銀鉱が、「辰砂」であり、細かく砕くと水銀朱の朱が取れる。
この「辰砂(水銀)」、弘法大師(空海)が多用していた事で知られている。
真言密教立川流に取って、朱は血の色であり、活力と蘇生の呪術には欠かせない。 仕上がったら、よく乾燥させ、上等な桐箱に収めて置く。
そして七日七晩に及ぶ壮絶な「歓喜行」を行い、八日目の朝、「開眼供養を迎える」と言う荒行である。
この本格的な「歓喜行」は、真言密教立川流の僧正が呪詛を用いる為に強力な呪力を有する****に塗れた髑髏本尊を会得させる為の物だった。これが、「髑髏本尊・歓喜法」と言う秘術である。
立会いの僧正や男女の信者達は、願主が「歓喜行」を行うを、眼前にて見守りながら「反魂真言」を絶やさず唱える。 一度達しても、茶吉尼(だきに)天の妖力の色香は強烈で、男はすぐにまた活気を取り戻す。
願主は真言密教秘伝の強壮の秘薬と食べ物をとりながら、和合と髑髏に和合水の塗布を続けて、七日目の深夜「結願」を迎える。
いよいよ「結願」を迎えた八日目に入った深夜十二時を過ぎからは、「開眼供養」を夜明けまで行う。 和合水と反魂香にまみれた髑髏の頭部に、金箔を幾重にも重ねて張り、口に紅、歯に銀箔を施し、作り物の眼球を入れて、最後に化粧するのだ。 その後、錦の袋に入れて七年間、願主が毎夜抱いて寝る。 願主が歓喜行をする時は傍らに捧げ、仮本尊となす。
八年目に、ようやく「髑髏本尊」が完成する。 この本尊に妖力が宿り、「呪詛祈願の達成効果を保持する」としていた。 陀羅尼・呪文(オンマニ・ペドフム)や反魂真言を唱えて、****を繰り返す「歓喜行」は多分に異様である。
しかしこの淫靡な儀式の奥には、別の真実が隠れている。
理趣経は、「本来男性と女性の真の陰陽があって初めて物事が成る」と説いている。 この儀式に七年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が「大日如来」の導きで、悟りを得る事がその目的だからであり、何の事は無い互いの情が移る年月である。 そうなれば髑髏本尊は、単なるシンボリックな物に成ってしまうのである。
何故こうした信仰が成立するのか、種明かしをして置く。
人間は「恐怖心や高揚心、羞恥心」と言った興奮を背景にすると、普段の判断とは全く違う感覚で物事を受け止める。こうした興奮の心理的な影響は極論理的なものであるが、当事者は意外と「興奮に影響されている」とは思い到らずに「自分の正常な判断」と結論着けてしまう。 その興奮に影響される判断が、興奮が覚めても「正常な判断」と確信されて残る所に所謂「洗脳状態」に陥る状態が、信仰などに利用される心理的な手段である。
真言密教立川流、その教義は、遠く印度の仏教に遡る。 印度の仏教の教えの中に、白い狐に乗り移った茶吉尼天と言う魔女が、大日如来の教えで、「仏法諸天の仲間入りをした」と言うのがある。
これが日本では、後に稲荷神社に成る。 財産や福徳をもたらすとして信仰され、老舗の商家の奥庭に、祭られたりしていた。
当時の商人の考え方は、「商は長くやるもの」であり、家業、商売を代々繁栄させるのが使命であるため、老舗跡の跡継ぎの確保は重要だった。 その為には跡継ぎに困らない様に妾を持つほどの艶福家で無ければならず、性的パワーのある稲荷の社を祭ったのである。
つまり、幸せにしてくれる神様で、その茶吉尼天が、真言立川流の御本尊である。 茶吉尼天の法力を高める秘法が、密教の儀式である。 茶吉尼天の法力を高める為には、男女和合の性エネルギーのパワーが必要で有る。
つまり初期の仏教は、信じればご利益があると言う「現世利益」の教えで有ったものが、時代とともに変遷して、道徳教育的な目的から「悪行を積むと地獄に落ちる」と言う死後の利益に変わって行った。
一方で修験道師が村々に分け入って布教し、植え付けて行った矛盾とも取れる「おおらかな性意識」は、庶民の中で生き続けていた。
真言密教立川流の本尊・荼枳尼天(だきに天)は、元々はインドのヒンドゥー教の女神で、「荼枳尼天」は梵語のダーキニー(英字:Dakini)を音訳したもので、ヒンドゥー教ではカーリー(インド神話の女神/仏教・大黒天女)の眷属とされる。
このヒンドゥー教の女神が仏教に取り入れられ、荼枳尼天は仏教の神となる。元々は農業神であったが、インドの後期密教においては、タントラやシャクティ信仰の影響で、 荼枳尼天は裸体像で髑髏などを抱えもつ女神の姿で描かれるようになって、後に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるようになった。
荼枳尼天は、自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、その人の心臓をとってこれを食べると言われたが、その荼枳尼天が、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、仏教神となって「死者の心臓であれば食べる事を許された」とされる。
日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、荼枳尼天は、性愛を司る神と解釈された為、その男女の和合で「法力を得る」とする真言密教立川流と言う密教の一派が形成され、荼枳尼天を祀り、髑髏を本尊とし****の儀式を以って即身成仏を体現したとされる流派が興隆を極めた。
真言密教と陰陽道を究めた人物に仁海(じんかい)僧正がいる。醍醐寺隨心院は、九百九十一年(平安時代中期・正暦二年)に雨僧正と呼ばれていた仁海僧正によって建立され、千二百二十九に門跡寺院となった真言宗善通寺派の大本山である。「雨僧正」と呼ばれ、占術の祈祷で「祈雨祈願に成功した」とされる仁海僧正は和泉国の小豪族の家に生まれ、七歳で高野山に上る。 そこで、占星術を身につけ、学僧としても、知られるようになる。
仁海はしばしば五行の考えに基づく易を使う。安倍晴明より少し後の時代に活躍した仁海は、しばしば五行の考えに基づく易を使う。 このことは当時の僧侶が仏教の経典だけではなく、中国の「易経」のような中国特有の古典にも通じていたことを示している。 仁海僧正の私生活を「生臭坊主であった」とする評があるが、それは当時の僧を後世の常識感覚で評するからである。
そもそも、日本の神官や僧侶は、長い事氏族が武士や官僚と兼務していたもので、勢力争いもするし女性も抱く。 高僧と言えども例外ではないから、正妻を置いたかどうかを問わなければ、江戸期以前の僧侶は全て「生臭坊主」である。 と言うよりも、「女性との交わりを呪詛パワーの源」と言う解釈が、密教に於いては為されていたのである。
陰陽師の見蓮に、仁寛が密教の秘術を伝授して、かれこれ百年に成ろうとする頃、北条(平)政子が心血を注いで礎を作った流石の鎌倉幕府執権・北条得宗家も、代を重ねて落日を迎えようとしていた。 鎌倉幕府が弱体化していた頃、敵対していた勘解由小路(賀茂)家と土御門(安倍)家の両家は天皇の皇統護持の為に和解している。
◆真言密教立川流・南北朝との関わり
北条(平)政子が心血を注いで築きあげた「鎌倉幕府執権・北条得宗家」も、体制百三十年余りを数えて****への反感も膨れ上がり、流石に屋台骨が揺らぎ、「時節到来」と倒幕の機運も、静かに盛り上がりつつあった。
そんな時に、皇位に目覚めた後醍醐天皇(第九十六代)が、突如現れた。 それは取りも直さず、地に潜っていた「勘解由小路党」を、そして幕府御家人衆に甘んじていた「源氏の血筋」を目覚めさせる事となった。
この後醍醐天皇(第九十六代)、まさしく密教の申し子だったのである。
京都醍醐寺は、皇統・大覚寺統(後の南朝)を護持する為の寺であり、後醍醐天皇の支えだった。その醍醐寺は、真言密教の教義を支持していた。 従って後醍醐天皇は、真言密教を信奉していたのである。
本来、男女の交合は尊い物である。男女の陰陽を現世の基本として、人々の生活の向上、平和と幸福を願う呪詛(法力)の為のエネルギーの源が、男女交合の歓喜パワーであり、密教理念としていた。 この教義を後醍醐天皇が信奉した事は、彼がしごく「人間的であった」と言う事である。
真言密教の理念は、けして浮ついた邪教ではない。 至極まじめで、日本に入って来た初期の頃の真言宗の教えの一部として、間違いなく存在した。
それはそうだろう、武器を携えて破壊と殺戮に行くよりよほど良い。 精神的な愛に於いて、****はあってもなくても良い。そして独占欲はそれも愛情で有るが、それが愛情の全てではない。 その違いが判らないと、大人の対応は出来ない。
全てに拘束を欲する愛情もあれば、全てを赦す愛情もある。 難しい所で有るが、愛し方はそれぞれで、自分と違うからと言って、愛が無いとも言いきれない。
空海(弘法大師)が唐から伝えた経典では、何よりも性に対する位置づけが「生命力パワー」と言う前向きな思想からなっている。 真言密教でも、その「生命力パワー」は認められていた。
京都醍醐寺に文観弘真と言う僧侶がいた。彼は先人で有る仁寛僧正を信奉し、その弟子が興した見蓮の真言密教立川流を継承していた。
勿論同じ醍醐寺に、文観弘真に対立する勢力もある。後醍醐天皇(第九十六代)と文観弘真僧正が結び付けば、当然反対派もまた結び付くのが世の習いである。
話は、鎌倉時代末期の事である。
後宇多上皇(第九一代)の皇子・尊治親王(後醍醐天皇)は宋学者の玄恵や文観から宋学の講義を受け、宋学の提唱する大義名分論に心酔し、鎌倉幕府の倒幕を目指し、宋の様な専制国家の樹立を志した。
千三百十七年の文保の御和談に於いて花園天皇から譲位され践祚(せんそ)した尊治親王(後醍醐天皇)は野心満々で、平安時代の聖代(延喜帝・醍醐天皇や天暦帝・村上天皇の政治)のような復古的天皇親政を行うべく、当時の醍醐天皇(第六十代)に肖って自ら後醍醐天皇(第九十六代)と名乗り、手初めに父である後宇多上皇が行っていた院政を停止させ、天皇としての実権を確立した。
鎌倉時代末期、北条寺の僧・道順から真言密教立川流の奥義を学んだ文観は、「験力無双の仁」との評判を得ていた。 これを耳にした後醍醐天皇は彼を召し抱え、自身の護持僧とした。 文観僧正は、後醍醐天皇に真言密教立川流を直伝する。
茶吉尼天のイメージが演出され、衣服の透ける様な美女姿を宮中に現し、天皇は絶倫になる。 退屈な宮中生活にあって、これが「楽しくない」筈はない。
若き天皇は好色でこの教えを痛く気に入り、自ら実践する事で極楽浄土を体感し、教義は宮中に広がった。 後醍醐天皇の相手と成った女妾、女官も数多く、皇子・皇女と認められただけで、十六人に及ぶ親王、内親王を設けている。
つまり、「皇統を繋ぐには親王が多いに越した事は無い」と言う事態に見舞われたのだ。 「勘解由小路党の女人(白拍子)」も天皇相手に、歓喜の行で大活躍したのかも知しれないが、詳しい記述はない。 唯、夜な夜な「おごそかな歓喜儀式が、宮中で盛大に執り行われた」と、想像にするに難くない。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」は、九字呪法である。 そして男女による「歓喜法」で「極楽浄土」を体現する。 その強烈なパワーを持って、四方に幸せをもたらす。
この教えに傾倒した後醍醐天皇は真言密教立川流を保護し、文観を政務の補佐役にする。 文観の権力は強くなり、一時、日本中に真言立川流は広がって行った。
この辺から、雲行きが怪しくなる。
真言立川流が、余りの隆盛を見せた事で、真言宗右派(禁欲派)が嫉妬し、文観の立川流(左派)から、宗派の最高権力を奪取すべく行動を起こす「きつかけ」と成った。 右派が、後醍醐天皇の対立相手、大覚寺(持明院統方)と組んだのである。 これは、宗教上の権力争いで、醍醐寺統(後醍醐天皇)と左派(真言立川流)連合が勝っていれば、その後の日本の宗教観は変わっていたかも知れない。 「菩薩の境地」が、精神的抵抗無く庶民のものに成っていたかも知れないのだ。
だが、醍醐党が破れ真言立川流は衰退して行った。 つまり、負けた方が「弾圧された」のである。 そこに至る経過が、南北朝並立の争いとリンクしていた。
文観は、当時としては珍しく、八十歳と言う長寿を全うしたそうである。 文観は死期を迎える僅か前まで、村娘を相手に日々のお勤めを欠かさず、真言密教立川流を守っていたのだ。
真言密教立川流(真言宗左派)は、対立する宗教勢力(真言宗右派)と結び付いた政治勢力(北朝方)が、南朝方に勝利すると、倫理観を前面に出して「淫邪教」の烙印を押されてしまった。
所が、本来の立川流の教義の形成経緯は、密教の命の持つ力(パワー)に対する純粋な信仰心と土着の呪術・占術を一体化した修験密教の教義を、誓約(うけい)の概念をも含めて理論武装し、再構築したもので、ただ単に****な目的の宗教では無いのである。
真言宗右派(反立川流禁欲派)と北朝(持明院統・光明天皇)、足利尊氏派が、真言宗左派(密教立川流・文観弘真僧正)と南朝(大覚寺統・後醍醐帝)、新田義貞・北畠顕家派に勝利し、文観僧正に拠って頂点を極めた真言密教立川流は、急速に衰えて行く。
元々、仏教と儒教は異なる宗教であるから、仏教・真言宗の開祖・弘法大師(空海)が儒教を否定した。 その開祖・弘法大師否定した儒教思想を、主流と成った真言宗右派は、チャッカリ教義に取り入れて真言密教立川流を邪教とし禁欲の教義を広めた為、安土地桃山期には立川流はほとんど無くなり、江戸初期には完全に消滅してしまった。
後醍醐天皇が吉野へ逃れ、足利氏と持明院統(北朝)が勢力を拡大すると、醍醐寺大覚寺統の「真言密教立川流」は徹底的に弾圧されて先細りと成り、やがて衰退して消滅している。
弘法大師(空海)がもたらした真言密教の、鎌倉初期に封印された教えには、性は「生きる為の活力の元」と書いてある経典も数多くあった。真言密教に大きく影響を及ぼした理趣経の経典は、その基礎に大陸での「妙見信仰」がある。
実はこの妙見信仰は弘法大師・空海が経典として持ち帰る前に、既に大陸からの移住者(渡来人)達に拠って先行して伝来し普及していた。 そして列島独自の原始宗教と習合し、陰陽修験道として集成していたのである。 そうした経緯から、弘法大師・空海の真言密教は陰陽修験道とは一体化の道を辿り、総本山金剛峰寺は修験道の修行の地と成るのである。
さて妙見信仰の伝来当初は、渡来人の多い南河内など辺りでの信仰であった様だが、次第に畿内などに広まって行った。 しかし朝廷の統制下にない信仰であった為、統治者としての統制が取れない。 神の威光で統治する朝廷にとって、庶民の間で勝手に広がった「妙見信仰」は危険な存在だった。
七百九十六年(延暦十五年・平安遷都直後)に妙見信仰最大の行事「北辰祭(妙見祭)」を禁止した。表だった理由は「風紀の乱れ」であった。
これは何を意味するのか?
庶民の間に、男女の交わりを指す隠語として「お祭りをする。」と言う用法がある。 本来、信心深いはずの庶民の間で、神の罰当たりも恐れず使われていたこの言葉の意味は、何故なのだろうか?
命を繋ぐこの行為を、「ふしだらなもの」ではなく、「神聖なもの」と捉えられていたからに他ならない。 元々「生み出す」と言う行為は神の成せる業で、それを願う行為が「お祭り(****)」なのである。
気が付くと、神前で挙げる結婚の原点が此処に垣間見れる。 日本における所謂庶民参加の祭り行事のルーツは、北斗妙見(明星)信仰が源であり、陰陽修験の犬神信仰の影響を受けているから大抵その本質は「****闇祭り文化」である。
つまり、建前(本音はただの****のはけ口かも知れないが?)子供(命)を授かる事が豊作を祈る神事であるからだ。
例えば、京都・宇治の「暗闇祭り」、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で、相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。 京都府宇治の県神社の「くらやみ祭り」は、明治維新まで無礼講の祭りだったのである。
こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事である。
◆【私の愛した日本の性文化】
当時の庶民感覚は、元々「性」に対しておおらかだった。 信仰が庶民に浸透して行くには、それなりの現世利益が必要で、「北辰祭(妙見祭)」は、当時の庶民が日頃の憂さをおおっぴらに晴らす有り難い行事として、「大いに支持された」と言う事だろう。 そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。
朝廷の「北辰祭(妙見祭)」禁止から十年、八百六年(大同元年)唐から帰国した空海(弘法大師)は高野山(和歌山県伊都郡高野町)に真言宗・総本山金剛峰寺を開山する。 空海(弘法大師)が信徒獲得の為に目を付けたのが、北辰祭(妙見祭)禁止に対する「庶民の不満」である。
空海の教えは、
身に印契を結び(両手の指を様々に組み合わせる事)、
口に真(真実の言葉)を唱え、心に本尊(大日如来)を念ずる事
により「即身成仏(煩悩にまみれた生身のままでも救われる)に成る事が出来る。」として「性」を積極的に肯定している。
この妙見信仰や、修験道と結び付いた弘法大師(空海)の真言密教は庶民にも浸透して行った。
そもそも密教には、人間は「汚れたものではない」と言う「自性清浄(本覚思想)」と言う考えがある。 真言立川流が弘法大師(空海)の「東密(真言密教)の流れを汲む」とされるのに対し、
伝教大師(最澄)の台密(天台宗の密教)でも男女の****を以って成仏とし、摩多羅神を本尊とする「玄旨帰命壇」と言う一派があった事からも、****を通じて即身成仏に至ろうとする解釈が密教中に存在したのは確かである。
http://jiyodan.exblog.jp/7936468/
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2024/01/23 (Tue) 16:29:36
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民出身で各地を転々としながら多くの作品を生み出しました。世阿弥が書いた『風姿花伝』という芸術論には、神や仏に捧げるものでありながら、大衆的な娯楽としても人々を楽しませなければならないと苦悩する有様が書かれています。
能も狂言も庶民のなかから生まれたものですが、特定の貴族が愛好し、次第に権力者たちに取り立てられるようになりました。しかし一方で、役者は身分の低い者とされ、差別されていました。世阿弥は日本が生んだもっともすばらしい芸能人だと私は思っていますが、彼も当時の貴族から「乞食所行」と呼ばれていたのです。生まれた年も死んだ年もはっきりとしませんが、各地をさすらう一生だったようです。
世阿弥は、当時の社会で自分と同じように卑しい者とされ、差別されていた人々に目を向けていました。「三卑賤」と呼ばれる3つの名曲がありますが、これは殺生をして地獄へ堕ちた漁師や猟師が通りすがりのお坊さんに救われるという物語です。仏教の教えである「不殺生戒」(生きものを殺してはいけないという戒め)が行き渡っていた当時としてはとても意外な結末で、彼らも仏の慈悲によって地獄から救われるのです。
日本の芸能は社会の底辺から生まれた
沖浦さん 室町時代を境に、日本社会はしだいに中世から離れて現代につながる新しい要素が出てきます。具体的にいうと、鉄を利用したり森林を開拓したりすることによって農耕生産力が大きくあがり、余裕が生まれます。また、社会的分業が進み、さまざまな手仕事が生まれ、商品市場ができます。交通の便もよくなります。朝鮮から伝わった活版印刷も始まります。生産、交通、コミュニケーション、メディアの各分野で、社会生活が発達したのです。
芸能もそのなかに組み込まれていったわけですが、先ほども述べたように、芸能者の地位は低くおとしめられていました。当時の日本は農本主義社会で、主食である米をつくる農民が「良民」とされていました。商業や工業にたずさわる人は農民よりも低い身分とされていましたが、生産に従事しない芸能はさらに低い身分とされていました。
もともとは神に最も近い存在とされていたのですから、一番高い身分でも不思議ではありません。しかし、室町時代には、かつてのような宗教的な役割は否定され、物を生産しないで各地を流浪する芸人で、社会的にも卑しいとされてしまったのです。
安土桃山時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉による宗教政策によって、力をもっていた寺社の勢力が衰えていきます。寺社が握っていた芸能の興行権も大幅に制限され、寺社に管理されていた遊芸民たちの芸能活動は、各地の芝居小屋、つまり自由な市場へ積極的に進出することによって活発化しました。
そしてこの頃から神仏信仰とは無縁な形で、芸能をエンターテイメントとして演じ、木戸銭といわれる入場料さえ払えば誰でも入れる芝居小屋という興行形態がしだいに確立していったのです。
しかし広く大衆にもてはやされるためには、常に時代にふさわしい芸能を自分たちで創り続けていかねばなりません。この頃に生まれた芸能で代表的なものが「歌舞伎」や「人形浄瑠璃」「説教芝居」です。西洋社会における文化、すなわち音楽や絵画、演劇は、王侯貴族がパトロンとなった宮廷文化を中心に発展しましたが、日本の三大芸能はすべて低い身分におとしめられた人々のなかから、自主的かつ創造的に生まれたものです。
「河原者」「河原乞食」とさげすまれながら、また、権力からの度重なる弾圧にもかかわらず、世界の芸能史上でも高く評価されている新しい舞台構造と演技様式を創り出していったのです。
突き抜けるパワーがあってこそ芸能
歌舞伎とは「かぶき者が演じる芝居」というところから名付けられています。「かぶく(傾く)」とは、中世の頃は自由奔放にふるまうという意味でしたが、そこから異様な身なりで新時代の先端をいくファッションや、体制に背を向けて生きるアウトローを「かぶき者」と呼ぶようになりました。
歌舞伎は、そうした「かぶき者」たちから生まれました。今でこそ日本を代表する伝統芸能のように思われていますが、原点は底辺に生きる人たちが最先端のファッションに身を包んで反体制を表現した芸能だったのです。
三大芸能のほかにも、大道芸や門付芸、見せ物芸など数多くの芸能があり、人通りの多い道端や寺社の境内、お祭りなどで演じられていました。人々はそうした芸能を楽しみつつも、各地を転々としながら暮らす遊芸民たちを「その日暮らしの漂白民」として差別的に見ていました。
その歴史は今の芸能のあり方や実態にもつながっているように思えます。華やかな芸能界に対する差別も、見えにくいながらも今日でも残っていますし、華やかなオモテ側のメディアに登場しない芸能の世界では、さらにきつい差別の影が残っています。
だからこそ、芸能には娯楽的な部分だけでなく、怒りや反骨心など、この不安定で行き先もよくわからぬ時代を突き抜けるパワーが不可欠だと思っています。このような芸能の原点と歴史を知ってもらうことで、「芸能とは何か」をあらためて理解してもらえるのではないでしょうか。
(取材:2009年11月)
http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/okiura2.html
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2024/01/23 (Tue) 16:30:19
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民出身で各地を転々としながら多くの作品を生み出しました。世阿弥が書いた『風姿花伝』という芸術論には、神や仏に捧げるものでありながら、大衆的な娯楽としても人々を楽しませなければならないと苦悩する有様が書かれています。
能も狂言も庶民のなかから生まれたものですが、特定の貴族が愛好し、次第に権力者たちに取り立てられるようになりました。しかし一方で、役者は身分の低い者とされ、差別されていました。世阿弥は日本が生んだもっともすばらしい芸能人だと私は思っていますが、彼も当時の貴族から「乞食所行」と呼ばれていたのです。生まれた年も死んだ年もはっきりとしませんが、各地をさすらう一生だったようです。
世阿弥は、当時の社会で自分と同じように卑しい者とされ、差別されていた人々に目を向けていました。「三卑賤」と呼ばれる3つの名曲がありますが、これは殺生をして地獄へ堕ちた漁師や猟師が通りすがりのお坊さんに救われるという物語です。仏教の教えである「不殺生戒」(生きものを殺してはいけないという戒め)が行き渡っていた当時としてはとても意外な結末で、彼らも仏の慈悲によって地獄から救われるのです。
日本の芸能は社会の底辺から生まれた
沖浦さん 室町時代を境に、日本社会はしだいに中世から離れて現代につながる新しい要素が出てきます。具体的にいうと、鉄を利用したり森林を開拓したりすることによって農耕生産力が大きくあがり、余裕が生まれます。また、社会的分業が進み、さまざまな手仕事が生まれ、商品市場ができます。交通の便もよくなります。朝鮮から伝わった活版印刷も始まります。生産、交通、コミュニケーション、メディアの各分野で、社会生活が発達したのです。
芸能もそのなかに組み込まれていったわけですが、先ほども述べたように、芸能者の地位は低くおとしめられていました。当時の日本は農本主義社会で、主食である米をつくる農民が「良民」とされていました。商業や工業にたずさわる人は農民よりも低い身分とされていましたが、生産に従事しない芸能はさらに低い身分とされていました。
もともとは神に最も近い存在とされていたのですから、一番高い身分でも不思議ではありません。しかし、室町時代には、かつてのような宗教的な役割は否定され、物を生産しないで各地を流浪する芸人で、社会的にも卑しいとされてしまったのです。
安土桃山時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉による宗教政策によって、力をもっていた寺社の勢力が衰えていきます。寺社が握っていた芸能の興行権も大幅に制限され、寺社に管理されていた遊芸民たちの芸能活動は、各地の芝居小屋、つまり自由な市場へ積極的に進出することによって活発化しました。
そしてこの頃から神仏信仰とは無縁な形で、芸能をエンターテイメントとして演じ、木戸銭といわれる入場料さえ払えば誰でも入れる芝居小屋という興行形態がしだいに確立していったのです。
しかし広く大衆にもてはやされるためには、常に時代にふさわしい芸能を自分たちで創り続けていかねばなりません。この頃に生まれた芸能で代表的なものが「歌舞伎」や「人形浄瑠璃」「説教芝居」です。西洋社会における文化、すなわち音楽や絵画、演劇は、王侯貴族がパトロンとなった宮廷文化を中心に発展しましたが、日本の三大芸能はすべて低い身分におとしめられた人々のなかから、自主的かつ創造的に生まれたものです。
「河原者」「河原乞食」とさげすまれながら、また、権力からの度重なる弾圧にもかかわらず、世界の芸能史上でも高く評価されている新しい舞台構造と演技様式を創り出していったのです。
突き抜けるパワーがあってこそ芸能
歌舞伎とは「かぶき者が演じる芝居」というところから名付けられています。「かぶく(傾く)」とは、中世の頃は自由奔放にふるまうという意味でしたが、そこから異様な身なりで新時代の先端をいくファッションや、体制に背を向けて生きるアウトローを「かぶき者」と呼ぶようになりました。
歌舞伎は、そうした「かぶき者」たちから生まれました。今でこそ日本を代表する伝統芸能のように思われていますが、原点は底辺に生きる人たちが最先端のファッションに身を包んで反体制を表現した芸能だったのです。
三大芸能のほかにも、大道芸や門付芸、見せ物芸など数多くの芸能があり、人通りの多い道端や寺社の境内、お祭りなどで演じられていました。人々はそうした芸能を楽しみつつも、各地を転々としながら暮らす遊芸民たちを「その日暮らしの漂白民」として差別的に見ていました。
その歴史は今の芸能のあり方や実態にもつながっているように思えます。華やかな芸能界に対する差別も、見えにくいながらも今日でも残っていますし、華やかなオモテ側のメディアに登場しない芸能の世界では、さらにきつい差別の影が残っています。
だからこそ、芸能には娯楽的な部分だけでなく、怒りや反骨心など、この不安定で行き先もよくわからぬ時代を突き抜けるパワーが不可欠だと思っています。このような芸能の原点と歴史を知ってもらうことで、「芸能とは何か」をあらためて理解してもらえるのではないでしょうか。
(取材:2009年11月)
http://www.jinken.ne.jp/be/meet/okiura/okiura2.html
6. 中川隆[-13501] koaQ7Jey 2018年11月07日 11:59:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20242] 報告
▲△▽▼
巫女(みこ/シャーマン)
https://jiyodan.exblog.jp/7937207/
御託宣(ごたくせん)の神・事代主(ことしろぬし)の神に始まるシャーマニズムに於いて「神懸(かみがか)り」とは、巫女の身体に神が降臨し、巫女の行動や言葉を通して神が「御託宣(ごたくせん)」を下す事である。
当然、巫女が「神懸(かみがか)り」状態に成るには、相応の神が降臨する為の呪詛行為を行ない、神懸(かみがか)り状態を誘導しなければならない。
巫女舞に於ける「神懸り」とは、すなわち巫女に過激な舞踏をさせてドーパミンを発生させる事で、神道では恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態の呪詛行為の術で、仏法では脱魂(だっこん)と言い現代で言うエクスタシー状態(ハイ状態)の事である。
現代に於いても人々に踊り好き祭り好きが多いのも当たり前で、ディスコダンスでも盆踊りでも夜明かし踊ればベータ・エンドロフィンが脳内に作用して疲れ心地良いダンシング・ハイの興奮状態を招く。
その最も初期に行なわれ、永く陰陽修験に伝え続けられた呪詛行為の術が、すなわち巫女に過激な****をさせてドーパミンを発生させ、脳内麻薬のベーター・エンドロフィンを大量に発生させ、セックスハィの陶酔状態にする。
そうした事で、巫女がオーガズム・ハイの状態(ラリル状態)に成れば、その巫女の様子から周囲が神の降臨を認め、「神懸(かみがか)り」と成る。
日本の独自文化と言えば、この国では古来から女神が多いのだが、実を言うとその資格について現代では考えられない条件があった。
それは****の儀式を執り行う事である。
歴史を知らない者にして見れば、「何で神聖な神社や巫女が****儀式と結び付くのか?」と疑問に想うかも知れない。
しかし歴史にはその時代時代で必要な事情があり、また、歴史には前代から受け継がれる連続性の記憶がある。
弥生時代から古墳時代までの間、日本列島は縄文原住民族と渡来した多くの他民族・他部族が混在する人種の坩堝(るつぼ)だった。
その日本列島に在って、部族間の争い事に対処するもっとも有効な呪術は、次代が混血する為の****に拠る人種的和合の「誓約儀式(うけいぎしき)」だった。
つまり異部族間の****が人種的和合の為の呪術だったからこそ、巫女に拠る神前****儀式や神前娼婦などの文化が残った。
これは理屈に合っていて、後の江戸末期に「公武合体」のスローガンの下に皇女・和宮を十六歳で徳川十四代将軍・家茂に嫁がせている。
つまり「誓約(うけい)」の概念の基本が、何百年経ても血の混血で在った事が、証明されている。
大和合の国(日本列島)黎明期の女神は、神の言葉を天上から受け取り、御託宣(ごたくせん)として下界の民に伝えるのが役目、つまり巫女(シャーマン)だった。
そこに介在したのが、神事として奉納する****の儀式である。
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、巫女の神前****行事が神殿で執り行われていたのだ。
弥生期初期の頃は、大きく分けても本来の先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系渡来人、呉族(ごぞく/海洋民族)系渡来人の三つ巴、その三っも夫々に部族集団を形成していた。
つまり最大の政治(まつりごと)は、それらの勢力の争いを回避する手段の発想から始まり、その和解の為の最も実効があるツール(道具)が誓約(うけい)誓約(うけい)の****に拠る血の融合だった。
そしてその誓約(うけい)の****は、新しい併合部族の誕生を呪詛(祈る)する神事と位置付けられて、主要な「祀(祭・奉)り」となった。
語呂合わせみたいな話だが、祀(祭・奉)り事は政治(まつりごと)であり、政治(まつりごと)は性事(せいじ)と言う認識が在った。
そして誓約(うけい)の精神こそ民族和合と言う最大の政(祭り)事であり、巫術と称するシャーマニズムに満ちた神楽舞の真髄なのではないだろうか。
理解して欲しいのは、当時の物差しが現代と違い、子宝を得る事も実りの豊穣を得る事も、同じ命を産み出す神の恵みであり、その作業を神の御前(みまえ)で執り行い奉納してご利益を願い、同時に巫女を通して神の声(御託宣)を聞くのである。
勿論民人も、只、巫女に何か言われても易々とは信じない。
巫女が神懸(かみがか)りに成って初めてその御託宣(ごたくせん)が信用される。
この御託宣(ごたくせん)を得る為のアンテナが、巫女の女体そのもので、オーガズム・ハイ状態(神懸/かみがかり)の神域を巫女が彷徨(さまよ)う事に拠って、天上神の声が聞えて来るのである。
それ故に神事として奉納する****の儀式が真面目に要求され、思想的違和感は無かったのである。
これも、もう少し掘り下げると、初期黎明期の征服部族長(氏族の長)の神格化に辿り着く。
当初は専門の巫女が居た訳ではない。
征服地の統治を容易にするには、民人が信用する絶対的な逆らえない武力以外の力が必要で、それは天上からの神の声である。
氏族長の神格化を進めるにあたって、氏族長を神と成し、屋敷を神域化して神社とすると同時に、その后妃(ごうひ/妻)を、シャーマン役の女神に任じ御託宣(ごたくせん)の能力を持たせる。
つまり女神は、氏族長の后妃(ごうひ/妻)であり、「氏族長(神)の言葉」を、后妃(ごうひ/妻)に御託宣(ごたくせん)させる茶番劇的な「ペテン・カラクリから始まった」と考えるのが合理的である。
それが段々に様式化されて行き、氏族長の后妃(ごうひ/妻)から****の儀式を執り行う専門の巫女(シャーマン)に替わる。
その女体のアンテナで御託宣(ごたくせん)を得るオーガズム・ハイ状態(神懸/かみがかり)の神域を、巫女が彷徨(さまよ)う為の儀式が、****呪詛(せいこうじゅそ)と言う「術(すべ)」と成って陰陽呪術に発展、後に本書で記述する「人身御供伝説」への流れが形成されて行くのである。
定説では、遊女の原型は飛鳥期頃から始まって「神社の巫女が官人を接待した事」に由来し、平安期の白拍子も「神社の巫女から発祥した」とされる。
その白拍子は源義経の愛妾・静御前で有名で、白拍子の為す遊芸も元は「神事音楽の巫術から」とされている。
その背景に在ったのは、正に巫女のシャーマニズムと****呪詛が「誓約(うけい)誓約神話(うけいしんわ)」の古代信仰文化として深く関わっていた事に他ならない。
実はこれらの誓約神話は、多くの多部族・多民族が日が昇る東の外れの大地・日本列島で出遭った事に始まる物語である。
そのが多部族・多民族夫々(それぞれ)に部族国家(倭の国々)を造り鼎立していた日本列島を混血に拠って統一し、日本民族が誕生するまでの過程を暗示させているのである。
元々神道のお祀り(祭り)の意味の内には、異民族(異部族)和合と五穀豊穣の豊年祈願などの呪詛目的を含んでいる。
いずれにしても、巫女は神事としてお祀り(祭り/****呪詛)に拠る神懸り(かみがかり/神霊降臨)の依り代(よりしろ/憑り代)を役目として負っていた。
そこから派生して、巫女が官人を接待する風習が出来上がって遊女の原型が生まれて行ったのではないだろうか?
現代科学に於いてもこのジャンルは存在を認めていて、エクスタシー状態(ハイ状態)とは恍惚忘我(こうこつぼうが)の絶頂快感状態で、宗教的儀礼などでは脱魂(だっこん)とも解説される。
その宗教的儀礼に於けるエクスタシー状態の際に体験される神秘的な心境では、「神迎え又は神懸かり」に相応しくしばしば「幻想・予言、仮死状態などの現象を伴う」とされている。
尚、アイヌ語では「オイナ」と発音する女性(おんな)は中文(中国語)では女(ニュィ/ニョイ)と発音し、アイヌ語のオイナカムイ(oyna kamuy)は「巫術の神」と解釈するズバリ女神である。
その「巫術の神」は、アイヌラックル (aynu rak kur)で、人間・臭い・神 (つまり半神半人)であるから、原始神道に於ける巫女の原型かも知れない。
◆【性文化史関係一覧リスト】
http://miracle-jiyoudan.com/seibunka_yougo.html
をご利用下さい。
この文章は、
小論・【遊女(女郎)の歴史】
http://miracle-jiyoudan.com/yuuzyonorekisi.html
の一部として記載されています。
◆世界に誇るべき、二千年に及ぶ日本の農・魚民の性文化(共生村社会/きょうせいむらしゃかい)の「共生主義」は、地球を救う平和の知恵である。
https://jiyodan.exblog.jp/7937207/
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2024/01/25 (Thu) 14:58:14
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佐倉哲エッセイ集
https://www.j-world.com/usr/sakura/index.html
佐倉哲エッセイ集 仏教について
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html
佐倉哲 無我の思想 --- 仏教のアートマン(永遠不変の魂)否定 ---
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_0.html
佐倉哲 空の思想 --- ナーガールジュナの思想 ---
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html
佐倉哲 ブッダと大川隆法
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html
佐倉哲 仏教における「魂」と「神」
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul01.html
佐倉哲 ある仏教徒の「死後の世界」観
https://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/masutani.html
法華経の教えってどんなんなんでしょうか?
https://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html
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2024/01/25 (Thu) 18:08:28
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仏教と日本人-壺齋散人の仏教研究
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism.index.html
仏教入門:仏教と日本人-壺齋散人の仏教研究
https://japanese.hix05.com/Buddhism/nyumon.html
佐々木閑「大乗仏教」
高崎直道「唯識入門」
渡辺照宏「お経の話」
田上太秀「涅槃経を読む」
柳宗悦「南無阿弥陀仏」
柳宗悦「南阿阿弥陀仏」その二:浄土諸宗の比較
仏教の思想
https://japanese.hix05.com/buddhism2/buddhism200.index.html
智慧と慈悲<ブッダ>:仏教の思想①
仏教の現代的意義:梅原猛の仏教概論
存在の分析<アビダルマ>:仏教の思想②
ダルマの体系:倶舎論の構成
アビダルマの宗教史的位置づけ
空の論理<中観派の思想>:仏教の思想③
認識と超越<唯識>:仏教の思想④
大乗の実践哲学:上山春平
絶対の真理<天台>:仏教の思想⑤
日本天台と鎌倉仏教
法華経の構成
無限の世界観<華厳>:仏教の思想⑥
華厳経の構成
三界唯心:華厳経十地品
四種法界と円融無礙
無の探求<中国禅>:仏教の思想⑦
中国禅の特色
日本の禅
不安と欣求<中国浄土>:仏教の思想⑧
梅原猛の中国浄土論
生命の海<空海>:仏教の思想⑨
曼荼羅の世界
空海と最澄
絶望と歓喜<親鸞>:仏教の思想⑩
梅原猛の親鸞論
法然と親鸞
古仏のまねび<道元>:仏教の思想⑪
永遠のいのち:仏教の思想⑫
梅原猛の日蓮論
日蓮の思想と行動
論の解説:仏教研究
https://japanese.hix05.com/buddhism4/ron.index.html
廻諍論を読む
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism37.ejoron.html
廻諍論を読むその二:アビダルマ批判
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism38.ejoron2.html
明らかなことば:中論への月称の注釈
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism39.akiraka.html
知恵のともしび:中論への静弁の注釈
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism40.chie.html
中論を読む:仏教研究
https://japanese.hix05.com/buddhism4/churon.index.html
中辺分別論:唯識派の三性説
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism41.chuhen.html
唯識二十論
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism42.yuishiki20.html
大乗起信論を読む
https://japanese.hix05.com/Buddhism/buddhism02.daijo.html
仏教経典の研究:お経を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism2/okyo.index.html
金剛般若経を読む
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八千頌般若経を読む
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般若心経を読む
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維摩経を読む
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宝積経迦葉品を読む
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中道の思想:宝積経迦葉品
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勝鬘経を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism3/shoman01.html
法華経を読む-仏教経典の研究
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華厳経を読む
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華厳経十地品(十地経) を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism3/juchikyo.index.html
日蓮を読む
https://japanese.hix05.com/buddhism3/nichiren.index.html
鈴木大拙の仏教思想ー仏教と日本人
https://japanese.hix05.com/Daisetsu/daisetsu.index.html
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2024/01/25 (Thu) 18:15:51
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釈迦の本当の教え
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008350
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/735.html
釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html
不可触民(ダリット)の世界 _ 釈迦が見た地獄とは何だったのか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/707.html
来世も続く差別 インドの カースト制度が極悪すぎる
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14071932
釈迦の言葉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/741.html
参考資料 _ ダンマパダ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/737.html
参考資料 _ スッタニパータ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/736.html
参考資料 _ ブッダ最後の旅
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/738.html
大人の教養TV
【カースト制度】とは?インド最大の闇
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【ヒンドゥー教】驚愕の神話!ヤバすぎる神様たち…成立から問題点まで
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【仏教】とは?教えから歴史、宗派の違い
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14150214
【アンコールワット】感動の世界遺産
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14150212
ヒンズー教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/392.html
密教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/384.html
仏教信仰は人間を堕落させる _ タイがバイシュン国家になった理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/708.html
タイは天国に二番目に近い国 1 _ タイの仏教
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html
仏教国 タイ _ 世界中が感動したタイの CM
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003357