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死海文書(イスラエル 紀元前250年- 紀元70年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E6%B5%B7%E6%96%87%E6%9B%B8
死海文書(Dead Sea Scrolls)は、1947年以降死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にあるクムラン洞窟などで発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。
死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。文書は大部分がヘブライ語で書かれており、2割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテア語の文書を含んでいる。多くは羊皮紙であるが、一部は砂漠では生産されない牛皮であり、また一部パピルスもある。文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている。死海文書を記したグループ(以後、クムラン教団と呼ぶ)については、伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流であるが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、あるいは未知のユダヤ教内グループによって書かれたとする意見もある。
死海文書の内容は大きく分けて3つに分類することができる。
第1は「ヘブライ語聖書(旧約聖書)正典本文」(全体の4割)
第2は「旧約聖書外典」と「偽典」とよばれる文書群(エノク書、ヨベル書、トビト記、シラ書などでユダヤ教の聖書正典としては受け入れられなかったもの、全体の3割)
第3に「宗団文書」と呼ばれるもので、クムラン教団の規則や儀式書、『戦いの書(英語版)』(1QM(オランダ語版)、1Q33、4Q285(オランダ語版)、11QSM)と呼ばれる書など(全体の3割)である。
死海文書の研究は、特定の教派によらない超教派による国際的な委員会によって行われることになった。
委員のジョン・アレグロはソルボンヌ大学教授アンドレ・デュポン・ソメール(英語版) (André Dupont-Sommer) の感化を受けて「死海文書の内容がキリスト教の起源に関する重大な発見をもたらす」ものだと主張するようになる。1956年1月BBCのラジオ放送でアレグロは
「死海文書の中に「義の教師なる人物がアレクサンドロス・ヤンナイオスによって捕らえられ、十字架にかけられ、弟子によっておろされ、その遺体が再臨の日まで守られること」が書かれており、これこそがキリスト教のルーツである」
と述べ、大反響を巻き起こした。3月16日にド・ヴォーと委員会はタイムズ紙に反論を掲載、そのような記述が死海文書にはないことを明らかにした。後にアレグロ本人も「自分の推論」と認めている。
アレグロは1970年にはユダヤ教やキリスト教が幻覚剤であるベニテングタケの効果によって生まれたことを述べた『聖なるきのこと十字架』を出版して以降、学者として認められなくなった。しかし、アレグロの主張はその後の死海文書をめぐる「カトリック教会の陰謀論」の原型として利用されることになる。
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エッセネ派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%8D%E6%B4%BE
長きにわたって死海文書の作成者と思われるクムラン教団(Qumran Community)はエッセネ派に属するグループあるいはエッセネ派そのものであると考えられてきた。
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2024/01/21 (Sun) 07:16:09
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死海文書に関する興味本位の本の誤りをきっぱりと正す書・・・【山椒読書論(177)】
2013年4月23日
https://enokidoblog.net/sanshou/2013/04/8836
1947年に死海の西岸の荒野(クムランと呼ばれる地域)で多数の死海の巻物(死海文書)が発見されて以来、死海文書を扱った興味本位のセンセーショナルな本が相次いで出版されてきた。私は、これらの本によって植え付けられた誤った知識に毒されてしまっているのではないか、という懸念を払拭できないできた。
そこで、学術的に最も信頼できる
『死海文書のすべて』(ジェームス・C・ヴィンダーカム著、秦剛平訳、青土社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E6%B5%B7%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BBC-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%A0/dp/4791761723
で知識の洗い直しを試みた次第である。
私が一番確認したかったことは、死海文書を残したクムランの宗教共同体の人々と、イエスおよび最初期のキリスト教徒との関係である。死海文書と新約聖書の成立時期を同時代と見做し、死海文書に登場する「義の教師」あるいは「悪しき祭司」がイエスを暗示しているという説さえあるからである。
本書はかなり専門的であるが、私の上記の疑問を解明してくれているので、大いに満足している。
考古学的にも書体学や他の文献との比較研究からも、クムランの共同体はイエスが生きた1世紀よりかなり以前の紀元前2世紀の後半に存在したことが明らかにされ、「義の教師」は、エルサレムから自分の支持者の小さな集団を率いてクムランに都落ちした、クムランの共同体の創始者、「悪しき祭司」は「義の教師」のライヴァルか敵対者だったと見做されているからである。
言うまでもなく、死海文書が著された時期は、新約聖書の諸文書が著された時期――イエスの死の40~60年後――より相当早いのだ。
メシア出現や終末論の観念、所有物を共有する慣習、光と闇の二元論など、クムランの人々の信仰と最初期のキリスト教徒のそれの間で類似するものが多いのは、当然と言えば当然である。両者ともユダヤ教から多くのものを受け継いでいるからである。
一方、「初期のキリスト教信仰の独自性は、ガリラヤのナザレ出身の貧しい女と大工の間に生まれた子が、教え、癒し、苦しみ、死に、復活し、天に上り、そして生ける者と死者を裁くために栄光のうちに再臨すると約束したメシアにして神の子だったというその中心的な告白にあるという単純だが深遠な事実に光をあてたことである」。歴史上の人物・イエスがメシアだったと申し立てることによって、キリスト教は成立したのである。
https://enokidoblog.net/sanshou/2013/04/8836