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2024/01/15 (Mon) 16:51:07
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壺齋散人 ドストエフスキーの小説「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年1月13日 08:19)
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7606.html#more
「悪霊」は、ドストエフスキーのいわゆる五大長編小説の三番目の作品である。最後に書かれた「カラマーゾフの兄弟」と並んで、かれの最高傑作との評価が定着している。たしかに、テーマの重さとか、構成の見事さなど、優れた小説としての要件を満たしている。しかも、ドストエフスキー自身の思想も盛り込まれている。この小説を書いた時点でのドストエフスキーは、若いころの自由主義的でかつニヒルな考えを克服して、いわゆるロシア主義的な思想を抱いていた。この小説は、自由主義とか社会主義あるいはニヒリズムを批判することに急である。それに替えて、伝統的なロシア主義を主張するような描写が多い。その主張は、たしかにドストエフスキー自身の当時の思想を踏まえたものといえる。だが、これは小説であって、プロパガンダではないので、ドストエフスキーはそうした主張をたくみに、つまり文学的な形で表現している。それがさも文学的に見え、ドストエフスキーによるプロパガンダと感じさせないところが、この小説の巧妙なところだろう。
ドストエフスキーがこの小説を書く気になった直接の動機はネチャーエフ事件である。これは1869年に起きた殺人事件で、ドストエフスキーに大きな衝撃を与えたと思われる。かれはその事件をモデルにして、事件後さっそく小説の構想に取り掛かり、二年後の1871年から雑誌に連載を始めた。ネチャーエフ自身は、革命家を自認していたが、たいした思想があったわけではなく、ナロードニキ的な激情にかられて行動していた。その行動が逸脱して、仲間内でスパイ騒ぎが持ち上がり、スパイの嫌疑をかけたメンバーを殺害したというものである。そういう事件の特徴をドストエフスキーはそのまま生かす形でこの小説を構想した。それについては、ネチャーエフをピョートル・ヴェルホーヴェンスキーという人物に仮託し、かれをとりまくいくつかの人物像に、社会主義だとかニヒリズムをかぶせている。それにニコライ・スタヴローギンという全く新しい人間像をからませることで、小説の構成に厚みを持たせている。
この小説の中心軸は、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーである。この人物にドストエフスキーはネチャーエフを重ねている。その上でかれを、世界的な革命運動と結び付けている。その革命運動が社会主義をイメージしていることは、文中たびたび社会主義インターナショナルへの言及があることからうかがえる。ドストエフスキーは、ロシアにも西欧の社会主義運動の波が押し寄せていると感じ、それに対してかれなりの危機感を覚え、それを小説という枠のなかで表明したのではないか。
しかし、小説の形式上の主人公はニコライ・スタヴローギンに設定されている。スタヴローギンは、ピョートルやかれを取り巻く人間たち(革命運動のメンバーたち)に精神的な影響を及ぼし、かれらによって指導者と見做されているのだが、自分自身は、その運動には具体的なかかわりはもたないし、また、かれらによるスパイ殺害事件にもかかわってはいない。そういう人物が小説の主人公としてユニークな役割を果たしているので、この小説は単なる革命騒ぎをめぐる物語という範疇を大きく逸脱し、壮大さを感じさせるようなものになっている。
スタヴローギンをめぐる逸話の数々を別にすれば、この小説は、社会主義運動組織によって引き起こされた革命騒ぎと、それに関連した仲間割れを描いたものと言える。その革命騒ぎとか仲間割れといったものが、戦後の日本の学生運動に似ているというので、この小説は、そういう流れとの関連において、日本では読まれたという経緯を指摘できる。だがそれは小説そのものとはあまりかかわりのないことなので、ここではこれ以上触れない。
ともあれ、この小説が、レーニンが左翼小児病と呼んだような、幼稚な社会主義運動を茶化したものだということは間違いないと思われる。その小児病を引き起こしているのが悪霊というわけである。この小説のタイトルとなった悪霊とは、新約聖書のルカ伝からとられたものである。人間にとりついていた悪霊が、イエスの許しを得て人間から豚に乗り移ったとたん、崖から湖に落ちておぼれ死んだという逸話である。その逸話をもとに、社会主義者たちには悪霊が取りついているとほのめかしたわけである。
聖書のこの逸話は、プーシキンの詩の一節とならんで、本文に先立つ冒頭の部分で引用されているほか、小説の最後に近い部分で、ステパン先生が聖書売りの女と対話する場面でも出てくる。そのほか、本文には入らなかった「スタヴローギンの告白」の中でも出てくる。というか、「スタヴローギンの告白」を本文から排除したために、それにかわるものとして、ステパン先生にこの逸話を語らせたのだと思う。そんなわけだから、ドストエフスキーはこの悪霊という言葉に、かなりこだわっていたということができよう。こういう言葉を使うことで、社会主義思想とその運動を罵倒したかったのかもしれない。
この小説には、社会主義思想のほか、ナロードニキの思想とか、無政府主義とか、ニヒリズムとか、ロシア主義といったものもとりあげられる。小説でありながら、思想のオンパレードになっているのである。そうした色々な思想のなかで、ドストエフスキーが自分にもっとも親和的だと考えたのがロシア主義だと言えそうである。そのロシア主義をもっともスマートに体現しているのは、シャートフであるが、かれはピョートルらの一味によって殺されてしまう。それによってドストエフスキーは何を言いたかったのか。おそらくロシア的なものへの、自分自身の両義的な感情を吐露したかったのかもしれない。
なお、ドストエフスキーのこれ以前の小説は、だいたいペテルブルグを舞台にしているのだが、この小説の舞台は架空の(あるいは匿名の)都市である。その都市には社交界があり、また大勢の労働者を雇用する工場(シュピグーリン工場と呼ばれる)が存在することから、結構大きな都市だと思われる。社会主義運動が起ってもおかしくないようなところなのである。じっさい、労働組合らしきものによる争議も起こる。社会主義への懐疑をテーマとするこの小説にはふさわしい舞台といえよう。
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7606.html#more
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2024/01/15 (Mon) 16:55:03
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ドストエフスキー作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person363.html#sakuhin_list_1
ドストエフスキーの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html
ロシアのキリスト教 _ テレビドラマ 『ドストエフスキー 白痴』2003年
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007014
黒澤明 白痴(松竹 1951年)
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14004609
ニーチェやドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007256
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2024/01/15 (Mon) 20:12:19
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ドストエフスキー「永遠の夫」を読む
続壺齋閑話 (2023年12月30日 09:35)
https://blog2.hix05.com/2023/12/post-7581.html
ドストエフスキーの小説「永遠の夫」は、「罪と罰」と「白痴」の間に書かれた。「罪と罰」はドストエフスキーにとって転換点を画すもので、それまでの主観的な心理小説の域から、客観的でスケールの大きな物語展開を試みたものだった。そのスケールの大きさは、「白痴」でさらに大きな規模で展開されるのだが、その二つの作品に挟まれたかたちのこの「永遠の夫」は、比較的短いということもあって、以前の主観的な心理小説の段階に逆戻りしている感がある。登場人物の少なさがそれを裏付けている。この小説には二人の男が登場するのだが、その二人の男は、まるで一人の男の裏表のように扱われており、実質的に一人の男といってよいくらいなのである。
テーマは寝取られ男である。または、他人の妻を寝取った間夫といいかえてもよい。この小説は妻を寝取られた男と、その妻を寝取った男(間夫)との奇妙な関係を描いているのである。その二人の男が一対一の形で対面するのなら非常にわかりやすい構図になるところ、この小説に出てくる不倫の妻はもはや死んでいて、生前にはこの二人以外の男ともかかわっていた。つまりロシア女としてはめずらしいほど尻軽な女なのである。だから、寝取られた男は、複数の男に妻を寝取られたわけで、この小説の主人公だけを恨むだけではすまない。じっさいかれは、妻を寝取った複数の男たちに接触をはかり、憂さ晴らしに励んでいるのである。その憂さ晴らしのなかでも、この小説の主人公であるヴェリチャーリニコフに対するものが一番手が込んでいるというわけである。
この小説は一応、寝取った側のヴェリチャーニノフの視線から語られていく。舞台はペテルブルグ。そのペテルブルグの路上で、ヴェリチャーニノフは誰かに尾行ざれていると感じる。それが何度かあったのちに、尾行相手が突然姿をあらわにする。それが寝取られ亭主のトルソーツキーなのだった。二人は九年ぶりの再会だった。九年以前にヴェリチャーニノフは田舎の農園でトルソーツキー夫妻と仲良くなり、しかもトルソーツキーの妻を寝取ったのだった。そのことを思い出したヴェリチャーニノフは、いまさらトルソーツキーが何のつもりであらわれたのかと不審に思う。トルソーツキーによれば、妻が最近死んだばかりなので、生前妻と親しくしていた人たちと、妻の思い出を共有したいというのだが、それにしても釈然としない。もしかしたら、九年ぶりに妻を寝取った相手に仕返しをしにきたのではないか。それにしては、自分を責める様子はなく、むしろ寝取られたことを知らないふりをしている。妻を寝とったものは、ほかにいる、それはパウーノフとかいう若い男で、自分はその男に会うつもりでペテルブルグに出てきたのだという。ところがその男は死んでしまったので、昔の思い出を共有できるのはあなたしかいない、というようなことをトルソーツキーは言うのである。
そのトルソーツキーはリーザという娘を連れてきていた。その娘は、ヴェリチャーニノフの子である可能性が高い。実際ヴェリチャーニノフはその娘を自分の実の子だと確信するのである。トルソーツキーは妻が死んだことを幸いに、その娘を実の父親ヴェリチャーニノフに押し付けに来たのではないか。そんなふうに当のヴェリチャーニノフは思い、読者もまたそのように思わせられる。それだけなら単純な話に終わるところ、トルソーツキーのヴェリチャーニノフへの思いはそんなに単純なものではない。かれは執拗にヴェリチャーニノフに付きまとい、キスまでねだる始末なのだ。あたかも同性愛者の如くに。
リーザは不幸にして死んでしまう。リーザの死をトルソーツキーが悲しむ様子はない。悲しんだのはヴェリチャーニノフのほうだが、それはリーザを実の娘と思っているからである。だが不思議なことに、ヴェリチャーリノフはリーザのことを速やかに忘れてしまうのだ。
小説は、ヴェリチャーニノフとトルソーツキーの奇妙な間柄を執拗に追いかける。一応ヴェリチャーニノフの視点から語っているので、その間柄が奇妙に映るのは、ヴェリチャーニノフの視点から見るからである。多少客観的視点にてたば、もう少し違う光景に見えたかもしれない。
そこで一つとびきり奇妙なことがおきる。トルソーツキーが結婚するというのだ。トルソーツキーは禿頭の五十男で、自分自身の財産をそんなに多くもっているわけではない。にもかかわらず、中産階級の家庭からまだ十五歳の少女を妻にすると決めたのだという。ロシアでは、女は十六歳で結婚できることになっているから、彼女との結婚はおかしなことではない、とトルソーツキーはいう。だが、ヴェリチャーニノフにはそうは思えない。これは自分に対する奴のあてこすりだと思うのである。どうだ、おれだってこんな可愛い娘と結婚する能力はあるんだ、ただの寝取られ亭主とは違うんだ、ということを自分に見せつけたいと思っているのではないか。以前のように、俺の新しい女房を寝取ってみるがいい、そう簡単には寝取らせないぞ、そういうトルソーツキーの意地のようなものを、ヴェリチャービノフは感じるのである。
そんな具合に二人の関係はかなりもつれたものだ。そのもつれのようなものを延々と広げて見せようというのが、この小説の表向きの体裁などのである。奇妙なことに、二人は次第に強い友情で結ばれていくのを感じる。その友情は何に根差しているのか。一人の女を共有したという一体感か。つまり穴兄弟としての連帯感か。そのあたりは曖昧な書き方だが。
https://blog2.hix05.com/2023/12/post-7581.html
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寝取られ亭主の悲哀:ドストエフスキー「永遠の夫」
続壺齋閑話 (2024年1月 6日 07:59)
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7592.html
寝取られ亭主をテーマにした「永遠の夫」は、寝取った側のヴェリチャーニノフの視点から書かれているので、寝取られた側としてのトルソーツキーは、他人の視線の先にある滑稽な人物というような役割に甘んじている。しかし小説のテーマが寝取られ亭主であるかぎりは、彼の言い分を彼の立場に寄り添うようにして聞くのも大事なことだろう。前稿では、小説の語り口にあわせて、ヴェリチャーニノフの視点から分析したものだったが、ここではそれを反転させて、トルソーツキーの視点から分析してみたい。
そもそもトルソーツキーはなぜ、九年前に済んでしまった出来事を蒸し返すようにしてヴェリチャーニノフの前に現れたのか。しかもかれはかなり卑屈なやりかたであらわれたのである。かれをその行動に駆り立てたきっかけは妻の死だった。妻が死ぬとすぐに、トルソーツキーは娘をつれてペテルブルグに出てきて、ヴェリチャーニノフに付きまとうようになったのである。妻が生きている間は、妻の不倫を暴くようなことははばかられたのであろう。それほど妻は彼に対して支配的な影響力をもっていたわけだ。なにしろかれは、妻が間男をしているのを十分認識していながら、そのことで妻を非難することができないでいたのだ。そんなかれを「永遠の夫」と呼んだのはヴェリチャーニノフだが、それは「生涯、ただ夫であることに終始し、それ以上の何物でもないような」存在のことである。それ以上の何物でもない、ということは、「自分の細君のお添物になってしまう」ことだ。何の性格も特徴もたない。ひとつだけ特徴があるとすれば、それは額に角が生えていることだ。
寝取られ亭主のシンボルとして角を連想するのは、ヨーロッパ諸国に共通しているらしい。ラブレーの愉快な小説の中では、頭に角がはえて来るのがいやで、意地でも結婚しない男が出てくるが、角が生えてくる、つまり女房を寝取られることを恐れる気持ちは、ラブレーに限らず、ヨーロッパ文学に共通したモチーフになっている。ロシアといえどもそのモチーフを共有しているということらしい。
だからこそトルソーツキーも、ヴェリチャーニノフに向かって、自分の禿頭に二本指をつきたて、あなたのおかげで角が生えてきましたととぼけてみせるのである。
話が脱線したので、もとに戻そう。女房が死んだことで、トルソーツキーは単なるお添え物であることから脱し、自分なりに自己主張を始める気になったのではないか。だが、すでに終わったことを蒸し返しても、ろくなことはない。しかしそのまま黙っているのも癪に障る。幸か不幸か、トルソーツキーの女房は一人娘を残して死んだ。この娘が自分の子ではなく、不倫相手の子であるとは、いくら鈍感なトルソーツキーでもわかる。かれはその相手、つまり娘の父親がヴェリチャーニノフだと考えている。そこで娘を巧みに利用することで、寝取った男への意趣返しをしてみよう、という気になったのではないか。そのさいに、トルソーツキーは、娘に対する父親らしい気遣いは全くといってよいほどしていない。娘が死んだときにも、葬式にも現れないほどだ。
娘をヴェリチャーニノフに押し付けたことは、それなりの効果を生んだ。ヴェリチャーニノフはすっかり父性本能を刺激されてしまったのだ。そうしたヴェリチャーニノフの脂下がった顔を見ることは、トルソーツキーにとっては気晴らしになったことだろう。ましてその娘が死んだことで、ヴェリチャーニノフは大きな打撃を受けたはずだ。つまりヴェリチャーニノフは自分の妻を寝取ったことの始末をつけさせられたわけで、それがかなっただけでも、トルソーツキーには、ヴェリチャーニノフにまとわりついた甲斐があったということになる。
これだけのことが起きれば、女房を寝取られたことへの意趣返しは一応達成されたと考えるのが普通ではないか。ところがトルソーツキーの意趣返しは止むことがないのである。かれは、恋敵であるヴェリチャーニノフを憎んでいるのではない。むしろ仲良くしたいと願っている。なにしろかれは、自分の田舎の家にヴェリチャーニノフを招待するのだ。その家には、結婚したばかりの新しい妻が一緒に住んでる。トルソーツキーは、ヴェリチャーニノフがその新しい妻も寝取ったらどうかと挑発したりするのである。ここまでくると、トルソーツキーの異常さがくっきりと浮かび上がってくる。トルソーツキーは単に女房を寝取られたことへの意趣返しに夢中になっている男ではなく、寝取られ男であることに一種の快楽を感じている男であるというイメージを喚起する。かれはだから一種のマゾヒストといえなくもない。ふつうのマゾヒストは、身体に虐待を加えられることに快楽を感じるものだが、トルソーツキーの場合には、自分の妻が他人に抱かれることに快楽を感じるようなのである。
ということは、この「永遠の夫」という小説は、マゾヒストの傾向が見てとれる精神病者の物語だと言えるのではないか。ドストエフスキーは精神病質をもった人間を描くのが好きだった。この「永遠の夫」もその例に漏れないということなのであろう。
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7592.html
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2024/01/15 (Mon) 20:18:24
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ドストエフスキーの小説「罪と罰」を読む
続壺齋閑話 (2023年11月18日 08:27)
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7505.html
「罪と罰」は、ドストエフスキーの五大長編小説の最初の作品である。この作品を契機に、ドストエフスキーの小説世界は飛躍的に拡大し、かつ深化した。それを単純化して言うと、登場人物の数が増え、その分物語の展開が複雑になったこと、また、登場人物ごとの語り手の描写が綿密になったことだ。これ以前のドストエフスキーは、原則として一人の主人公を中心にして、かつその主人公の視点から語るというやり方をとっていた。極端な場合には、主人公の独白という形で語られもした。そういう叙述のやり方は、主観的な描写といえるだろう。語り手と主人公とが一体となっているからである。ところがこの「罪と罰」では、主人公のほかに多くの人物が出てきて、語り手はそれらの人物の視点に立っても語るようになる。つまり、語り手は、小説の世界にとっては第三者の立場に立っているのであり、その立場から登場人物たちの考えとか行動をなるべく客観的に描写しようとしている。つまり、客観的な描写につとめているわけである。もっとも、この小説では、主人公であるラスコーリニコフの存在感が圧倒的であり、かれの視点からの描写が大半を占めているので、まだ完全な意味での客観描写とはいえないかもしれない。そうした客観的な語り方への志向は、「白痴」以降次第に高まり、「カラマーゾフの兄弟」において頂点に達するのである。
「罪と罰」というタイトルが示しているように、小説のテーマは、主人公が犯した罪と、それに対する罰である。その犯罪というのは、金貸しの老婆を殺して金を奪ったというものだが、その罪を犯した主人公のラスコーリニコフは、自分が悪いことをしたという意識を最後まで持つことがない。かれは結局自首することで社会に対して自分の罪を認める仕草をするのであるが、それは自分の犯した罪を心から反省し、その罪にふさわしい罰を受けたいと考えたからではない。かれは、自分の殺した相手虱のような存在であり、社会にとって無用なばかりか、有害でさえあるのだから、殺されて当然であり、自分はその当然のことをしたにすぎないと思い続けている。その思いは、小説が終わるまでかわらない。ではなぜかれは、自首したのだろうか。そこがよくわからないところがある。ソーニャという女性の影響があったとか、あるいは宗教的な意識に目覚めたとか、いろいろこじつけることができるかもしれないが、決定的な理由は見当たらない。そこがこの小説の不気味なところである。つまり、小説としての解決はなく、それを読者にゆだねているのである。それは、小説の末尾の部分が、かなり説明調になっていることにうかがわれる。その部分では、語り手が前面に立って、ラスコーリニコフの心理状態を分析し、かれにかわってその身の行く末を、つまり真の意味での罰を受けるべきことを、ほのめかしているのであるが、そのほのめかしを読者に向かって一方的に投げかけるのではなく、一緒になって考えてほしいというような投げかけ方をするのである。
そこからうかがわれるのは、ドストエフスキーがラスコーリニコフという人物像に対して、自分を納得させるだけの明確な性格付与をできていないのではないかとうことである。ドストエフスキーは一応ラスコーリニコフを新たなタイプの自由思想にかぶれた人物として描いたうえで、それを否定するように、かれに罰を与えるという構成をとっている。ところが、ラスコーリニコフを徹底した悪党として描くことはしなかった。ラスコーリニコフにも一理があるというような描き方をしている。だから、読者はラスコーリニコフを単純な犯罪者というふうには割り切れないし、かれが罰せられたことにも安堵感を覚えることができない。じつに複雑な思いにとらわれるのである。この小説を、ロシア主義者に転向したドストエフスキーが、かつて自分も抱いていた自由思想を断罪する目的で書いた、というような批評がなされたことがあったが、そんなに簡単に割り切れるものではないだろう。
この小説の中に出てくる人物の中で、ラスコーリニコフと同じような自由思想を抱いているものは他にはいない。ラスコーリニコフだけが、とびはずれて突飛な考えを抱いていることになっている。他の人物は多かれ少なかれロシア土着の考え方になじんでいる。ロシア土着の考えとは、この世を神の摂理が働いたものと受けとるもので、人間がどうこうできるようなことではないと考えるものである。だが人によってその考え方にニュアンスの相違はある。その相違をドストエフスキーは丁寧に描写している。そこにこの小説の一つの魅力がある。この小説は、メーンプロットは比較的単純なのだが、登場人物の数が多く、それぞれがユニークな性格の持ち主なので、かれらの考えや行動を追いかけるだけで、多彩で躍動的な小説世界が展開するという構成をとっている。
ラスコーリニコフを囲む登場人物たちの多くは、社会の下層に属する庶民である。地主や弁護士といった上層のものも出てくるが、それはロシアの小説の伝統にしたがったまでのことで、ソーニャを始め下層に属する人物たちが、この小説では異彩を放っている。下層に属する人間たちにこれほど存在感を持たせたのは、ロシアの文学史上ではドストエフスキーが最初の人ではないか。そのことについては別稿で改めて取り上げたい。
それにしても、ラスコーリニコフ自身が、極度の貧困にあえぐ人間として描かれており、その境遇から脱するために罪を犯したということに、あるいは同感させるような描き方をしている。もっともラスコーリニコフは妙なエリート意識をもっていて、そのエリート意識で自分の行動を合理化する。ラスコーリニコフのエリート主義は、ニーチェのエリート主義の先駆けというべきもので、エリートのために愚民が犠牲になるのは当然だと考えている。そんなエリート主義をなぜドストエフスキーがこの小説の主人公であるラスコーリニコフに持たせたか。そんなエリート主義を感じさせるからこそ、読者はラスコーリニコフに共感できない。小説の主人公として、かれほど読者の共感を得られない人物像はほかにないのではないか。本物の悪党ではないにかかわらず、他人の共感を全く得られない人物像というのは、実に奇妙なものである。
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7505.html
ラスコーリニコフとソーニャ:ドストエフスキー「罪と罰」を読む
続壺齋閑話 (2023年11月25日 08:21)
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7518.html
ラスコーリニコフを「回心」させたということで、ソーニャという女性は、この小説の登場人物の中ではもっとも重要な役割を持たされている。ドストエフスキーには、自身は不幸でありながら、ひとを精神的に高めさせるような不思議な魅力をもった女性を好んで描く傾向があるが、この小説のなかのソーニャはそうした女性像の典型的なものであろう。ドストエフスキーは、この不幸な女性を、聖母のような慈悲深い女性として描いているのである。聖母は、掃きだめの中でうごめいているような惨めな人間たちに慈愛の眼を向け、温かく包み込み、生きる勇気を与える。ソーニャは、ラスコーリニコフに対してそんな聖母のようなイメージで接しているばかりか、ラスコーリニコフが収容された監獄の囚人たちにまで強い影響を及ぼすのである。
小説の冒頭近い部分でラスコーリニコがマルメラードフに出会うシーンを早くも挟んでいるのは、ソーニャの登場の前触れのような位置づけだ。ソーニャが実際に登場するのは、マルメラードフが死ぬ場面であるが、彼女のことはすでにマルメラードフの口からきかされているので、読者はすでに彼女を知っているわけである。最初の(冒頭近くの)場面では、マルメラードフは自分の娘であるソーニャが、家族のために自身を犠牲にし、父親たる自分までが彼女を食い物にしているという事情を話す。彼女は、家族を養うために、黄色い鑑札をもらう羽目になっているのだ。黄色い鑑札とは、職業的バイシュン婦に交付される身分証のことである。彼女は、まだ18歳くらいの体の小さな女で、青い眼が印象的というふうに紹介される。家族とは離れて一人暮らしをしているが、それは売女を住まわせておくわけにはいかぬというアパートの大家の意向なのである。しかし彼女は、この小説の中では娼婦らしい振る舞いは一切しない。ただ、けばけばしい衣装をつけていることが、商売女らしい印象を与える程度である。
ソーニャは、ラスコーリニコフを含めて、誰に対しても謙虚に振舞う。自分自身が置かれている惨めな境遇を恨んだりもしない。家族といっても、血のつながっているのはぐうたらな父親だけで、あとは父親の後妻とその三人の子供たちなのだ。でもソーニャは、後妻や連れ子たちに対しても肉親のような気持ちをもって接する。かれらを含んだ家族のために自分の身を売ることに甘んじるのである。もっともドストエフスキーは、どういうわけか、彼女の娼婦としての振舞いについては一切触れようとはしない。だから、マルメラードフの話だとかそのほかの周辺的な説明がなければ、読者は彼女を娼婦として受け取るきっかけがないほどなのである。
ともあれラスコーリニコフは、彼女を一目見た時から、異常な関心を覚える。その関心はやがて強い精神的な絆に高まっていくのだが、しかし普通の意味での性愛ではない。ラスコーリニコフはソーニャを、一人の女としてではなく、精神的にたよるべき人間として受け止めるのである。ラスコーリニコフには、精神的に頼れる存在がなかった。母や妹は近すぎてほとんど自分自身と一体のような存在であるし、心を開いて話のできる友人もいない。ラズミーヒンは、色々な意味で便利な男ではあるが、心を開いて話せる相手ではない。ところが、ソーニャには、自分の心を開かせる何かがあった。心の平安を失ったラスコーリニコフには、身近に人間がいてくれることが必要だったのだが、その人間がソーニャだったというのである。
そのソーニャは、信仰心のあつい女として描かれている。彼女が頑迷といえるほど心のとがったラスコーリニコフをついに回心させるに到るのは、その信仰心なのである。彼女は聖書の一節をラスコーリニコフに読んで聞かせ、また、自分の身に着けていた十字架を、ラスコーリニコフの十字架と交換したりする。そういうやりとりを通じて彼女は、ラスコーリニコフの心をとらえていくのである。娼婦としてのソーニャにあつい信仰心を持たせたのは、ドストエフスキーのこだわりだったろう。ドストエフスキーは、「罪と罰」の直前に書いた「地下生活者の手記」のなかで、リーゼという絶望した娼婦を描いていたが、そのリーゼには心のよりどころとなる信仰があるようには見えなかった。それゆえ彼女は、絶望の淵から這い上がることができず、破滅していく。ところがソーニャは、その信仰を通じて、ラスコーリニコフを回心させるばかりか、自分自身もまた未来に希望を持つようになるのである。
そういう設定は、いささかの甘さを感じさせないでもない。その甘さは、ドストエフスキー自身の「回心」に根差しているのかもしれない。この小説を書くころには、ドストエフスキーのロシア的なものへの回帰はいっそう進み、そのロシア的なものの象徴としてキリスト教への信仰があった。そういうものをドストエフスキーは、ソーニャによって代表させたと受け取ることもできるわけで、ソーニャこそはドストエフスキーが達したロシア的なものの境地を象徴するシンボルとして位置づけられていたといえるのではないか。
ともあれ、同じく娼婦であっても、リーザとソーニャとでは根本的に異なる。リーザは誰からも愛されず、また自分自身愛を貫くことができなかったために、生きていることに絶望せざるをえなかった。ソーニャは、ラスコーリニコフの愛を感じることができた。愛を感じることのできる人間は、生きることに絶望したりはしない、実際ソーニャは、自分の生涯をラスコーリニコフに結びつける決断をするのである。
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7518.html
ラスコーリニコフとポルフィーリー・ペトローヴィチの対決:ドストエフスキー「罪と罰」を読む
続壺齋閑話 (2023年12月 2日 08:03)
https://blog2.hix05.com/2023/12/post-7534.html
「罪と罰」は、ラスコーリニコフの犯した殺人をテーマにしたもので、殺人の実行とかその動機については最初からあまさず描写されている。したがって通俗的な探偵小説のような謎解きサスペンスの要素はない。ところが、そこに予審判事のポルフィーリー・ペトローヴィチが一枚からむことによって、サスペンスの雰囲気が生まれてくる。ドストエフスキーは、巧妙なやり方で読者をポルフィーリー・ペトローヴィチに感情移入させ、そのことでポルフィーリー・ペトローヴィチの視点からこの殺人事件のなぞ解きをしているような気分にさせるのである。これはなかなか高度なテクニックである。
ラスコーリニコフは三回にわたってポルフィーリー・ペトローヴィチと直接会話を行っている。その会話を通じて、ラスコーリニコフはポルフィーリー・ペトローヴィチが自分を疑っていることを知り、かつかなり正確な事実認識に達していながら、物証が不十分だという理由で起訴を躊躇していることを知る。そのうえで、ポルフィーリー・ペトローヴィチは自分に対して自首を勧めたりする。そんな遠回しなことをせずに、一挙に逮捕したらよさそうにと思いながら、ラスコーリニコフはポルフィーリー・ペトローヴィチの真意を測りかねて困惑するのである。
そもそもラスコーリニコフをポルフィーリー・ペトローヴィチに引き合わせたのは親友のラズミーヒンである。ラスコーリニコフは、老婆が質草として預かっていた品々を警察が押収しただろうと考え、そうなら、自分も呼ばれるだろうと推測する。彼自身老婆に質草をあずけていたからだ。そこで呼ばれる前にこちらから申し出たほうがよいのではないかとラズミーヒンに話したところ、ラズミーヒンは縁者であるポルフィーリーを紹介したのである。だからラスコーリニコフとしては、かれと会うのはマヌーバーのようなものだった。ところが、ポルフィーリー・ペトローヴィチはなかなかの曲者で、すでにラスコーリニコフが犯人だとにらんだうえで、その登場を待っていたのである。
ポルフィーリー・ペトローヴィチがラスコーリニコフを犯人だと推測したのは、たまたまラスコーリニコフの書いた文章を読んで、こんなことを考える男ならきっと殺人を平気でやるに違いないと思ったからだ。その文章を読んだすぐあとに、老婆殺しが起こったので、これを書いた男であるラスコーリニコフならやりかねないと考えたのである。だがそれは、ただの推測であって、裏付けとなる証拠があるわけではない。それに警察ではすでの他の人物を犯人として逮捕している。そんなわけだから、ラスコーリニコフを犯人と決めつけるためには、強固な裏付けとなる証拠が必要だった。それがまだ揃わない段階では、強気に出るわけにはいかない。しかし自分の推測を当の本人に話してきかせ、その動揺を見て楽しむくらいはいいだろう。まあそんな気持ちで、ポルフィーリー・ペトローヴィチはラスコーリニコフに対面したのである。
思いがけない対面となって、ラスコーリニコフは動揺する。だが決定的な証拠があるわけではなく、そんなに簡単につかまることはないだろう、とタカをくくる。実際ラスコーリニコフは、捜査当局によって逮捕されることはなく、あくまでも自分から自首したのである。それもまったく別の理由に基づく心境の変化によるものだった。だからこの件に関しては、ポルフィーリー・ペトローヴィチを含めて、ロシアの捜査当局は大した能力は発揮していないのである。
二度目に会ったのは、ラスコーリニコフの心境の大きな変化があって、自首してもよいと思うようになってからだ。当初は警察に自首しようとも考えたが、いきがかり上ポルフィーリー・ペトローヴィチと対面することになった。そのころには、ポルフィーリー・ペトローヴィチの捜査も進んでいて、すくなくとも状況証拠は固まってきた。あとは本人の自白があれば、体裁は整う。そこでかれはラスコーリニコフに自首をすすめるのである。ラスコーリニコフも半分そんな気持ちに傾くのであったが、思いがけないことがおこる。ミコライという男が、老婆を殺したのは自分だといって自首してきたのである。これには、ポルフィーリー・ペトローヴィチもラスコーリニコフも面くらう。こういう不可思議なことがロシアでは起こりうる、とドストエフスキーは読者に注意をうながしているように文面からは伝わってくる。
三度目にあったときには、ポルフィーリー・ペトローヴィチは再びラスコーリニコフが犯人だと確信していた。ミコライの自首は特異な宗教的妄想がさせたもので、事件とはかかわりがない。ミコライは分離派の信者であるが、分離派というのは、自分自身に苦悩を課すことを喜びとする。殺人事件の犯人だと自首すれば、自分は殺人犯として社会から糾弾され、責められるであろう。その社会による責め苦が自分にとっては宗教上の試練になる。そう考えて自首したものだ、とポルフィーリー・ペトローヴィチは確信したのである。
とはいえ、ラスコーリニコフを検挙できるだけの物証があるわけでもない。「ウサギを百匹あつめても、決して馬にはなりません。嫌疑を百あつめたところで、証拠にはならんものです」(工藤精一郎訳)というわけである。
そういうわけでポルフィーリー・ペトローヴィチはラスコーリニコフに改めて自首をすすめるのである。かれのできることはそこまでだというのだろう。日本の捜査当局なら、状況証拠だけで検挙し、あとは自白で補強しようとするところだろう。ロシアでは、ドストエフスキーの時代においても、証拠中心主義が貫かれていたということか。
ポルフィーリー・ペトローヴィチは、ラスコーリニコフの判断にほとんど影響を与えることはなかったわけで(決定的な影響はソーニャによるものである)、それを踏まえるとかれを登場させることにはあまり意味がないとも言えなくはないが、しかし、かれが介在することで、ラスコーリニコフの心境が陰影深く描写されることともなり、小説の運びにサスペンスの要素を持ちこむこともできている。その意味では、それなりの役割を果たしていると言えるのではないか。なお、ポルフィーリー・ペトローヴィチは父称で呼ばれるだけで、姓が省かれている。姓なしで呼ばれてるいるのは、この小説の中ではかれだけだ。ドストエフスキーの他の小説にも、姓ぬきで呼ばれている人物はいないのではないか。
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ルージンとスヴィドリガイロフ:ドストエフスキー「罪と罰」から
続壺齋閑話 (2023年12月 9日 08:21)
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小説「罪と罰」には、悪党が二人出てくる。ルージンとスヴィドリガイロフである。どちらもたいした悪党ではない。そこいらで見られるようなけちな悪党といってよい。つまり小悪党である。二人ともラスコーリニコフの妹ドゥーニャに気があって、なんとかものにしたいと考えている。その望みをかなえるために、小悪党らしい細工を弄したりするが、結局思いはかなわない。ドゥーニャはそんなやわな女ではないのである。それにしてもドストエフスキーはなぜ、この二人を小説の重要なキャラクターとして持ちこんだのか。悪党がいないからといって、小説がなりたたないわけでもなかろう。だが、悪党がいることで、小説に深みが出るとは言えそうである。ドストエフスキーは、その深みを狙って、悪党を二人も登場させたということか。
まず、ルージンから。小説が始まった時点で、かれはすでにドゥーニャのフィアンセのように振舞っている。かれは女地主マルファの縁者なのだが、そのマルファがかれとドゥーニャの結婚話をまとめたのである。そこまで到る間に、ドゥーニャの身にはいろいろ面白からぬことがあり、ドゥーニャはいささか気落ちしていた。つまり弱気になっていた。母親と二人の貧しい暮しぶりで、たった一人の兄はペテルブルグの大学を休学し、どうやら困窮に陥っているらしい。そんなことからドゥーニャは家族のために自分が犠牲になるつもりになりかけていたのである。そんな彼女の境遇に付け入る形で、ルージンは彼女をものにしようとするのだ。
母親は、娘がルージンと結婚するという話に乗り気である。なにしろ貧しさにあえいでいる身にとって、いささかの資産を持つ男と結婚すれば、ドゥーニャは無論、家族にとっても善いことに違いないと思い込んでいるのだ。ところが、妹の結婚話を母親からの手紙で知らされたラスコーリニコフは、たちまちルージンのあさましい人間性に反発し、この結婚話をぶち壊してやろうと決意する。ルージンがドゥーニャと結婚する気になったのは、彼女が聡明でエレガントでありながら、貧乏なために謙虚であり、したがって夫に対して従順にふるまうだろうと見込んだからなのであった。それを見抜いたラスコーリニコフは、妹の幸福のためにもその結婚話を破談にしようと決意するのである。
ルージンは非常に高慢な男で、なんでも自分の思い通りになると信じている。だから、ドーゥニャの兄が反対しても簡単に撃退できると思い込んでいる。ところが、ドゥーニャまでが兄と一緒に自分に対して反抗的な態度をとる。しかも彼との結婚を考え直すというのだ。ルージンとしては、折角手に入れそうになった上玉の女を簡単にあきらめられない。そこでつまらぬ策を弄してドゥーニャの気持ちをもう一度自分になびかせようと務める。そのやり方があまりにもえげつなく、しかも見え透いているので、小悪党だという印象を与えるのである。
そのやり方とは、ラスコーリニコフと深い関係にあるらしいソーニャを陥れるというものだった。ソーニャに、自分の金を盗んだという嫌疑をかけたうえで、その罪を許し、自分の心の広さを見せびらかせば、ドゥーニャは自分を見直すだろうと考えたのである。だが、その目論見は、かれの同居人であるレベジャートニコフによって粉砕される。レベジャートニコフは衆目の前で、ルージンの悪だくみを暴いて見せるのである。かれのやり方があまりにもえげつないので、友人のレベジャートニコフですら我慢ならなかったのだ。それほどルージンのやり方は、小悪党らしいいかさまぶりだったのである。だから、かれが小説から退場するについて、読者がたいした未練を感じることはないのだ。
次に、スヴィドリガイロフ。かれはルージンに比べれば多少の陰影を感じさせる。しかし動機と行動に一致しないところがあって、やや謎めいたところがある。かれは田舎の女地主マルファの亭主であって、ドゥーニャを家庭教師としてやとっていた。そのうち彼女を欲しいと思うようになったものの、その気持ちをストレートに表現することができず、倒錯的な行動に出る。あることないことかきまぜて、ドゥーニャを徹底的に誹謗中傷したのだ。だが、その嫌疑がはれると、マルファが彼女に同情して、縁者のルージンを結婚相手として斡旋したのである。そのマルファの死には謎めいたところがあるのだが、とにかく自由になれたスヴィドリガイロフは、ドゥーニャの後を追ってペテルブルグに出てくるのである。
スヴィドリガイロフは、マルファからの遺贈だといって金の贈与を申し出たり、自分からも多少の金額を贈与したいなどといって、ドゥーニャたち一家の歓心を買おうとする。始めは金の力で思い通りにしようと企んだのである。だが、金では如何ともしがたいと感じさせられる。そのうち、ラスコーリニコフの例の秘密を知ってしまう。その秘密をネタにラスオーリニコフをゆすり、妹のドゥーニャに影響力を発揮させて、彼女の気持ちを自分に向かわせられないか、そんなふうに思ったフシもあるように書かれているのだが、どういうわけか彼は、実際にラスコーリニコフを脅すようなことはしない。そのかわりにドゥニャに向かって直接思いをぶつけるのである。
それに対して、身の危険を感じたドゥーニャが、かねて用意していた護身用のピストルをかれに向けるということがあり、スヴィドリガイロフは徹底的に憎まれたと思わざるをえなくなる。その後のスヴィドリガイロフの行動は、小悪党らしくなく、かえって謎に満ちたものである。かれは絶望のあまり、ドゥーニャのものだったピストルで自分の頭をうち、自殺してしまうのである。
こんな具合に、二人の小悪党はいづれもドゥーニャをめぐって企みをはかるということになっている。その企みが頓挫すると、一方は未練がましく去っていき、もう一方は、絶望から自殺するというふうに、対称的な反応を見せる。同じく小悪党といっても、それぞれに個性をもっているというわけであろう。
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ロシアの下層社会:ドストエフスキー「罪と罰」から
続壺齋閑話 (2023年12月16日 08:12)
https://blog2.hix05.com/2023/12/post-7561.html
ドストエフスキーは、「罪と罰」の中でロシアの下層社会の人々を描いた。ロシア文学の歴史上、下層社会の人々を正面から描いた作家は、彼以前にはいない。プーシキンとかゴーゴリといった作家が描いたのは、地主とか役人であり、要するに上層階級に属する人間だった。ドストエフスキーが初めて下層社会の人間を本格的に取り上げたのである。かれはすでに「死の家の記録」のなかで、下層階級出身の囚人たちを描いていたが、囚人というのは、階層を超えた特殊性を持っているので、それを描いても、厳密な意味で下層社会の人間を描いたことにはならない。純粋な下層社会を描いたといえるようなものは、ロシア文学では、この「罪と罰」が最初なのである。
もっともこの小説に出てくる下層社会というのは、大都会ペテルブルグに住む人々である。ペテルブルグは、ロシアの首都であるから、全国からいろいろな人間たちが集まってくる。それらの人間は最初から落ちぶれていたわけではなく、何かの理由で社会から落ちこぼれてしまったのであろう。ソーニャの一家がそのよい例である。もともと下級の官吏だった父親が、仕事を失ったことで、一家まるごと下層階級に身を沈めたということになっている。
この時代のロシア社会はまだ農村的な雰囲気を多く持っていたから、本当の意味での下層社会は農村部にあったのかもしれない。農奴制は表向きは廃止されたといっても、土地は大部分地主が押さえており、農民はだいたい貧しい暮らしをしていたと思う。だが、農村部というのは分散的なので、下層社会といった集合的なイメージとは結びつかないかもしれぬ。貧しい人々が寄り集まり、一種の社会(下層社会)が形成されるのはペテルブルグのような大都会だったと思われる。だからドストエフスキーがそこに眼をつけたのは自然なことだったといえよう。
この小説の中で、下層社会のありようがもっとも生々しく描かれるのは、マルメラードフの法事の場面である。この場面の一環として、ルージンのソーニャに対する侮辱騒ぎが演じられるのだが、それは別として、法事に集まった顔ぶれがロシアの下層社会を代表しているというわけである。
この法事は、カテリーナ・イワーノヴナがラスコーリニコフからもらった金を奮発して開いたもので、彼女は大勢の人が集まるのを見越して、盛大な用意をして待っていた。葬式そのものは、実に質素なものだったが、せめて法事くらいは世間並みに賑やかにやりたいというのが彼女の願いだった。だが、法事に集まったのは、ごく少数の人々だった。「要するに、現れたのは、ポーランド人と、あぶらでとろとろのフロックを着た、いやな匂いのする、にきびをいっぱい出したみっともない無口の事務員、それに耳の遠い、目もほとんど見えない老人・・・さらには飲んだくれの退役中尉がやってきたが、これも実は糧食部に務めている役人で、無礼極まる高笑いをする男で、なんと<あきれたことに>チョッキも来ていない」(工藤精一郎訳)といった有様だった。ポーランド人は二人の同国人を連れてきたが、それは一度もこのアパートに顔をだしたこともなく、ごちそう目当てにやってきたというのがミエミエなのであった。
アパートに住んでいる人々の大部分は、マルメラードフの運命に無関心だということがわかる。かれらはたとえご馳走を出されても、他人のことにかかずらう余裕はないのであろう。それに加えて、マルメラードフの娘ソーニャが黄色い監察を交付されていることもあったようだ。地方から来た二人の婦人は、そのことを理由にして法事への参加を拒否したということだ。彼女らはアパートの宿主アマリア・イワーノヴナからそのように忠告されていたのである。そのアマーリアは外国人だということになっている。そこでカテリーナ・イヴァーノヴナは、ラスコーリニコフに向かって怒りをぶつけるのである。「ねえ、ロヂオン・ロマーノヴィッチ、お気づきになって、ペテルブルグにいるすべての外国人、といっても、主にどこからか流れてきたドイツ人ですが、そろいもそろって、必ずといっていいくらい、わたしたちよりばかですわねえ!」
アパートのほかの住民が集まってくるのは、ルージンによるソーニャへのいじめが始まってからである。騒ぎを聞きつけて集まって来た彼らは、もとからいた連中が酔っ払った騒ぎたてていることをよそに、さめた目でこのいじめを見ていた。その表情には、ルージンの気持ちをひるませるほどの威圧感があった。かれらは、ふつうのことには関心を払わないが、弱い者が理不尽にいじめられるのは許せないのである。
結局ルージンは形勢の悪さを自覚して、群衆を押しのけながら去っていく。その直後、アマーリアが群衆の騒ぎに興奮し、発作的にカテリーナ・イヴァーノヴナの追い出しにかかる。追い出しを食ったカテリーナ・イヴァーノヴナは絶望して叫ぶのだ。「良人の葬式の日に、ひとのご馳走を食うだけ食ったあげく、孤児をかかえたわたしを往来に追い出すなんて! どこへいけというのさ!・・・神さま! 世の中に正義というものはないのでしょうか! わたしたちより身寄りのない者でなくて、いったい誰をあなたはお守りくださるのです?」
こうした叫びが、ロシア文学の中で響いたことはかつてなかった。ドストエフスキーは、ロシア社会の抱えている理不尽さを暴くのに熱心だったが、その理不尽さをもっともよく味わわされているのが下層社会の人間だと思い知って、この小説の中で、カテリーナ・イヴァーノヴナという不幸な女に叫ばせたわけであろう。
https://blog2.hix05.com/2023/12/post-7561.html
ラスコーリニコフのペテルブルグ:ドストエフスキー「罪と罰」
続壺齋閑話 (2023年12月23日 08:07)
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小説「罪と罰」はペテルブルグを舞台にして展開する。ペテルブルグは十八世紀の初期にロシア皇帝ピヨートル一世がネヴァ川の河口に建設した人工都市である(都市名はピョートルにちなんでいる)。もともとフィンランド人が住んでいたところだ。だからフィンランド人が結構住んでいる。この小説にフィンランド人は出てこないが、ドストエフスキーのペテルブルグを舞台にした他の小説には出てくるし、またプーシキンらのペテルブルグを舞台にした作品にも出てくる。そのプーシキンの「青銅の騎士」はペテルブルグの建設とその直後におきた大洪水をテーマにしている。ペテルブルグは湿地帯なので洪水が起きやすいのである。市内に縦横にめぐらされている水路は、水運とともに排水の便に供されている。
ペテルブルグは,1711年にロシア帝国の首都となり、1917年にボリシェビキ革命が起きるまで、ほぼ二百年にわたりロシアの首都だった。首都には役人と軍人が多い。住民の上層部はほとんどがそうした階層の人間によって構成されている。だから、ペテルブルグを舞台にした小説にはやたらと役人とか軍人が出てくるのであるが、「罪と罰」はやや例外に属していて、下層階級の人間が多数出てくることは、前稿で指摘したとおりである。
ペテルブルグは、モスクワと比べ町の規模は小さい。この小説の中では、主人公のラスコーリニコフは徒歩で市内各地を歩き回っている。歩いて回れる範囲におさまるほど、こじんまりとしているのである。
小生は、数年前にペテルブルグを観光目的でおとずれたことがある。その際に歩き回った範囲が、だいたいこの小説の舞台となった場所とほぼ一致していたので、多少懐かしい思いにとらわれたところだ。そこで小生の歩き回った範囲と、この小説の舞台となった範囲を対照しながら紹介したいと思う。
小生は、ロシア旅行の一環として、ベリーキー・ノブゴロドからバスに乗って市内入りした。市の東側にあるバスターミナルから地下鉄でサドーヴァヤ駅に至り、地上に出るとセンナヤ広場があった。この小説の舞台の中心となる場所である。センナヤ広場に近接してモスコフスキー大通りが南北に走っている。その通りに面したドーム・ヴャゼームスコイというところに投宿した。これは文字通りにはヴャゼームスカヤの家という意味だが、ロシア語のスラングで木賃宿という意味もあるそうだ。アパートメント風の宿なので、そんな印象が当てはまるかもしれない。この小説に出てくる人々は、だいたいがアパートメントに住んでいるのである。
小生はこのホテルを足場に、エルミタージュとか、そこから伸びるペテルブルグのメーンストリート・ネフスキー大通りとか、ネヴァ川にかかる橋だとか、ヴァシリエフスキー島といったところを歩き回ったのだったが、これがだいたい、ラスコーリニコフの歩き回った場所と重なり合うのである。
ラスコーリニコフ自身は、センナヤ広場近くの路地のアパルトメントに住んでいる。かれは自分のアパルトメントを出入りする際には、かならずセンナヤ広場を横切るから、きっと広場からのびている路地にかれのアパルトメントはあるのだろう。一方、かれの友人ラズミーヒンはヴァシリエフスキー島のアパルトメントに住んでいる。また、母と妹が身を寄せる安アパートは、モスコフスキー通りから西側に五百メートル離れてやはり南北に走っているヴォズネセンスキー通りにある。ラスコーリニコフの行動範囲は、この三つの場所をめぐる限られた範囲のものである。ソーニャのアパートとか、マルメラードフ一家の住んでいるアパートとかは、センナヤ広場の周辺にあるのだろう。老婆の住んでいるアパートとか、警察署なども、センナヤ広場から遠くはないはずだ。というわけで、この小説の空間設定は、センナヤ広場を中核にして、狭い範囲に限られている。
そのセンナヤ広場だが、小生がおとずれた際には、こぎれいな近代的空間だった。ところがこの小説の中では、センナヤ広場は、周囲に貧民街が広がるような雑然とした空間だという印象を与える。母や妹が住んでいるヴォズネセンスキー通りも、スラム街のように書かれているが、これも小生が訪れたころには、近代的な印象のこぎれいなところだった。そんなわけで、ペテルブルグの町は、ドストエフスキーの時代からはかなり変化したことをうかがわせる。
スヴィドリガイロフはソーニャと同じアパルトメントに住んでいることになっている。そこからかれはドゥーニャを訪ねに行く。たいした時間は要しなかっただろう。かれがドゥーニャのところを辞したあと、ピストル自殺をするのは、ネヴァ川に近い場所だというから、おそらく、聖イサアク大聖堂のあたりではないか。ヴォズネセンスキー通りを北上すると、聖イサアク大聖堂を経てネヴァ川につきあたるから、非常にありうることである。距離は一キロないのではないか。
なお小生は、エルミタージュの裏手から船に乗ってペテルゴフ島に至り、夏の宮殿なるものを見物したものだが、この小説にはその島のことは出てこない。
https://blog2.hix05.com/2023/12/post-7572.html
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2024/01/15 (Mon) 20:23:18
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ドストエフスキーの小説「白痴」を読む
続壺齋閑話 (2023年10月 7日 08:15)
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7424.html
「白痴」は、ドストエフスキーのいわゆる五大小説のうち、「罪と罰」に続く二作目の作品。「罪と罰」でほぼ確立した客観描写の手法を一層大規模に展開したものだ。客観描写とは、いささか便宜的な概念で、登場人物の心理や行動を、第三者の視点から客観的に描写するというものだ。初期のドストエフスキーは、主人公の独白であったり、あるいは特定の人物になりかわっての第三者の説明であったり、要するに特定の人物の視点からする語りという点で、主観描写といってよかった。そうした主観的な方法を棚に上げて、あくまでも多数の登場人物の心理や行動を第三者の視点から客観的に描写するという方法をドストエフスキーは「罪と罰」において確立したのだった。「白痴」においては、その方法をより一層大規模に展開している。そういう点では、「悪霊」以下の晩年の大作群への橋渡しともいえる。
筋書きは比較的単純である。だが登場人物はやたらに多く、しかもそれらの人物がそれぞれ勝手に自己主張をする。一応ムイシュキン公爵という人物を主人公に設定してはいるが、かれの動きだけが取り上げられているわけではなく、他の数名の人物にも、ムイシュキン公爵に劣らない役割があてがわれている。ムイシュキン公爵は一時小説の流れから消えてしまうこともあるくらいだ。かれの不在中は、他の人物が小説の主人公をつとめ、その視点から物語の進行する様子が語られることもある。それら人物は、それぞれユニークな思想や行動様式をもっているので、かれらに即して語られる部分は、相互に矛盾反発することもある。要するにこの小説の中では、ドストエフスキーは多くの登場人物にそれそれ勝手な言動をさせて、それら相互の矛盾とか齟齬といったものを楽しんでいる様子をうかがうことができるほどなのである。
単純ながら、筋書きらしいものはある。でなければ小説として成立しない。それをごく簡単にいえば、一青年のイニシエーションということになろう。その青年ムイシュキン公爵が、青春の門出にあたってロシア社会に立ち向かい、それの課す試練に直面する。それを乗り越えることではじめて、かれは一人前のロシア人としてロシア社会に受け入れられる。ところが、かれはそれに失敗する。つまりイニシエーションを無事くぐりぬけることが出来なかったのだ。その理由はいろいろある。かれの本来天真爛漫な性格が社会の過酷さに耐えられなかったということもあるが、それ以上に異性に対してどう振舞えばよいのか、まったく理解できていないこともある。かれについてまわる「白痴」という烙印や、時折見舞われる癲癇の発作が、かれの一人前の人間としての評判をいたくそこなうということはあったが、結局かれがイニシエーションの儀礼に失敗した理由は、人間として未熟過ぎたということに尽きるのではないか。
イニシエーションというのは、そのタイミングや規模においてさまざまな違いこそあれ、一人の人間が一人前の人間として社会に受け入れられるためには不可避の儀礼である。それに失敗することは、彼が属すべき社会から疎外されるということを意味する。じっさい、この小説の主人公ムイシュキン公爵は、ロシア社会がかれに課すイニシエーションの課題を適切にこなすことが出来なかったために、ロシア社会から放逐され、かれがそこからやってきたスイスの精神病院に送り返されてしまうのである。
この小説は、ムイシュキン公爵が少年時代を過ごしたスイスの精神病院を抜け出し、生まれ故郷のロシアにやってくることから始まる。そして、恋愛もどきの体験を含めた様々な体験をした挙句、自分に迫ってくる事態の重みに耐えきれず、ついに精神的な破綻に追い込まれるまでの過程を描く。その間の時間の経過はそんなに長いものではない。長くてもせいぜい一年くらいであろう。その短い期間にムイシュキン公爵は様々な人々と出会い、かれらとのかかわりを通じて、ロシア社会で生きていくための基本的な作法を学ぶように期待される。人のいいムイシュキン公爵は誰からも愛され、イニシエーションは順調に進むかと思われるのだが、かれにとって最大の試練は、異性との関係をそつなくこなすことであって、それに失敗したことがかれにとっては命取りになるのである。
ムイシュキン公爵は、二人の美しい女性となみなみならぬ関係になる。それにしても、かれの女性との関係は異様なものだ。かれはその二人を平等に愛してしまい、どちらか一方だけを愛するということができない。だが、そういう愛し方は、ロシア社会にとってはスキャンダルそのものなので、かれはそのロシア社会から排除される羽目になるのである。ムイシュキン公爵は、女性関係にかぎらず、色々な面でユニークである。かれの人間像は別途稿を改めて解明したいと思う。
女性関係以外にも、読ませどころは多々ある。この小説は、ムイシュキン公爵がペテルブルグへ向かう汽車の中でロゴージンと出会い、最後はロゴージンと共にある女性(ナスターシャ・フィリッポヴナ)の死を見届けるところで終わるのだが、そのロゴージンはロシア的なやくざ気質を体現した人物として描かれている。そのロゴージンが、なぜナスターシャを殺したのか、それは謎のままに残される。それまでは、人物の心の襞にたちいった描写に心掛けていたドストエフスキーが、この最後の修羅場の描写については及び腰になっているのである。
ロゴージンとのかかわりの延長で、レーベジェフといった胡散臭い男や、イポリートに代表される当代の自由思想家たち、そしてロシア社会を実質的に動かしている地主とか軍人・役人の類が出てくる。ロシアはまだ半封建社会なので、近代的なビジネスに従事する人間はいないに等しい。人間らしい尊厳を感じさせるのは、地主とか軍人・役人といったたぐいの連中なのである。そんななかで、ロゴージンとかイポリートといった人物は、いわば社会のはみ出し者である。そういうはみ出し者に重大な役割を与えているこの小説は、ロシア文学の伝統からかなり外れている。
ともあれこの小説の最大の特徴は、大勢の登場人物がそれぞれに個性を発揮して、勝手放題なことを言ったりしたりするところにある。登場人物たちが互いに勝手なことを言いながら、てんでばらばらにならずに、ある種のハーモニーのような響きを奏でるのを、バフチンはポリフォニーと呼んだ。この小説はそのポリフォニーの最初の大規模な実験と言ってよいのではないか。
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7424.html
ムイシュキン公爵の人間像:ドストエフスキー「白痴」から
続壺齋閑話 (2023年10月14日 08:03)
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7439.html
ドストエフスキーの小説「白痴」は、ムイシュキン公爵という青年を中心に展開するのだが、そのムイシュキン公爵というのがきわめて特異な人間像として造形されている。小説のタイトルである白痴としての人間像だ。その白痴という言葉が、小説のいたるところで、ムイシュキン公爵の基本的な属性として言及されている。なにしろ、小説の中に出てくるすべての人物にとって、ムイシュキン公爵が白痴であるということは、疑い得ないことであり、共通認識になっているのである。では、その白痴という言葉で、どのような性格なり知的な能力なりが表象されているのだろうか。性格という点では、ムイシュキン公爵は裏表のない天衣無縫というべきお人よしであり、したがって人に騙されやすい。世の中ではそういうタイプの人物を評して「ばか」と呼ぶので、ムイシュキン公爵が馬鹿とよばれるのは不自然ではない。ロシア語では、「馬鹿」と「白痴」は同じ言葉(Идиот)で表されるからである。一方、知的な能力という点では、ムイシュキン公爵の知能が幼児並に低いということはない。たしかにかれは、常識をわきまえないようなことを繰り返すが、自分のしていることや発言の内容に関して自覚的であるし、判断も常軌を逸しているとは言えない。だからかれを、低能という意味での「白痴」と断定するのは不当というべきだろう。
先にも述べたように、ムイシュキン公爵と接した人物は、例外なしに、かれが白痴であると直感する。これは、ナスターシャ・フィリッポヴナやアグラーヤ・イヴァーノヴナのように、かれを愛してしまう女性でさえ免れなかったことだ。彼女らのムイシュキン公爵についての第一印象は、かれが白痴であるというものだった。もっとも彼女らは、あからさまに「白痴」という言葉は使っていない。「お馬鹿さん」というような、カモフラージュされた言葉を使っているのだが、それにしても、ムイシュキンの第一印象は、彼女らのような人にとっても「白痴」であるというものだった。
しかし、他人の第一印象で白痴と判断されるというからには、なにか特別な雰囲気を当該の人物が発散していると考えなければ不自然であろう。つまり見た目に白痴とわかるようでなければならない。そういう雰囲気を漂わせている人は確かにいる。知能の低さが顔に現れているような人である。しかし、この小説の中のムイシュキン公爵は、そういうようには見えない。たしかに、お人よしのあまりに簡単にだまされたり、あるいは自分の心をコントロールできないためにしばしば放心状態に陥ったりはする。しかし、それはそうしばしば起きることではなく、普段のムイシュキン公爵はごく普通の人間なのである。にもかかわらず作者はかれを白痴として描き、すべての登場人物にかれが白痴であると判断させているのである。
ドストエフスキーは、どういうつもりで、そのように設定したのだろうか。ムイシュキン公爵が世間知らずでお人好しなために、はた目に子供っぽく見え、そこが「ばか」と呼ばれる理由になるとしても、生まれながら知能の発達がおくれた精神薄弱者と決めつけるのはすこしやりすぎではなかったか。ムイシュキン公爵の知能レベルは、世間並みの水準を大きく逸脱しているようには見えないし、また、人間関係もかれなりにうまくこなしている。普通の人間である友人たちに、影響力を発揮するほどである。知能の遅れた「白痴」にはそんなことはできないと思われるから、ムイシュキン公爵を「白痴」と呼ぶことは、言葉の誤用ではないかと思われるのである。
もっともムイシュキン公爵には、判断の甘いところがあり、そのために自分を窮地に追い込むことはある。その典型は、アグラーヤの愛に適切に応えられなかったことである。ムイシュキン公爵とナスターシャとの関係に疑問を抱いたアグラーヤが公爵に試練を与えた時、公爵はアグラーヤにたいして誠実を貫くことができず、中途半端な態度を見せた。それを二人の女を股にかけて弄んでいるとアグラーヤが判断し、結婚式の日取りまで決まっていたアグラーヤとの婚約が解消される事態に公爵は追い詰められるのである。その最大の理由は、公爵の判断が優柔不断だったことと、公爵が二人の女性のどちらをも愛していたということだった。同時に二人の女性を愛するというのは、事実としては成り立ちうるが、しかし道徳的に許されることではない。その世間的な道徳が、どうもムイシュキン公爵にはよくわかっていなかったようなので、その点では「馬鹿者」と呼ばれても致し方がないところだ。だがそれを以て「白痴」と呼ぶのは行き過ぎというべきであろう。
ムイシュキン公爵には、白痴呼ばれるような要素のほかに、癲癇持ちという面もある。その部分はドストエフスキーも共有していたので、ドストエフスキーはムイシュキン公爵に自分自身を投影したのだという解釈も出された。しかし、癲癇持ちだという要素を除いては、ムイシュキン公爵にドストエフスキー自身の影を見ることには大した根拠がなさそうである。ドストエフシキーの性格のゆがみは、たとえば賭博好きという面に読み取ることができるが、ムイシュキンは賭博とは無縁な人間として描かれており、そのほか、ドストエフスキー自身を暗示させるようなものは、癲癇発作の描写を除いては見られない。その癲癇発作の描写は、アグラーヤとの事実上の婚約を記念して開かれた上流社会のパーティの場でおこった。上流社会の雰囲気になれていないムイシュキン公爵は、すっかりどぎまぎしてしまい、その挙句に癲癇の発作におそわれる。その際に、壊してしまうことをおそれて決して近づかないよう気を付けていた高価な陶器を壊してしまうのである。陶器を壊したことは余分な脚色だと思うが、癲癇発作の描写は、ドストエフスキー自身の体験をそのまま描いたのであろう。
だが、白痴と言い、癲癇と言い、それは小説の本筋ではない。本筋は、ムイシュキン公爵を、子供のように天真爛漫な人間として描くことにあったと思われる。この小説はあくまでも、ムイシュキン公爵の人間としての成長に欠かせないイニシエーションを描くことを目的としていたと言えるのである。
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7439.html
謎の女ナスターシャ・フィリッポヴナ:ドストエフスキーの小説「白痴」から
続壺齋閑話 (2023年10月21日 08:46)
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小説「白痴」の中でもっとも強い存在感を発揮しているのは、主人公のムイシュキン公爵を除けばナスターシャ・フィリッポヴナという女性である。この女性は、ドストエフスキーの小説で初めて登場する新しいタイプの女性である。この女性は非常に複雑な性格に描かれており、一筋縄の理解を拒むような謎に満ちた存在なのだが、それでもあえて彼女の特質を単純化していえば、自滅型の女性ということになるのではないか。彼女の行動には、とても合理的に説明できないような部分が多すぎるし、というより、自分にとって不利な行動に走り、そのために破滅しかねない目にたびたび合う。その挙句に、ロゴージンの手にかかって死ぬのであるが、その死に方には自殺の影がただよっている。彼女はだから、死ぬために生まれてきたといってよいほどなのだ。こんなタイプの女性は、ドストエフスキーの他の小説には見られないし、また、ロシア文学の伝統からも大きく逸脱した人物像というべきである。
このナスターシャ・フィリッポヴナにムイシュキン公爵はまいってしまうのである。かれは彼女に会わないうちから、(ロゴージンを通じて)その魅力に取りつかれてしまい、じっさいに会ってからは完全に悩殺されてしまう。彼女のほうがムイシュキンに魅了されたということはない。彼女はたしかにムイシュキンを受け入れ、一時はその情婦のようにさえ振舞うのであるが、最後までムイシュキンを愛してはいなかっただろうことは、ムイシュキンとの何度目かの結婚の約束を破り、死ぬために婚礼の場を去ったことからうかがわれる。彼女が死ぬために生まれてきたというのは、常に死を意識しながら生きていたということである。
何が彼女をそんな気にさせたのか。それは、表向きには、彼女の育った境遇に原因があるというふうに書かれている。彼女は孤児の境遇を富豪のトーツキーに拾われ育てられたということになっている。成長後はトーツキーの慰め者になった。トーツキーという男は、小説の中で大した役割を果たしておらず、単にナスターシャ・フィリッポヴナの支配者というふうにしか描かれていないので、その人物像は曖昧である。だが、どういうわけか、ナスターシャ・フィリッポヴナを独占し続けようとはせずに、彼女を持参金付きで結婚させようとする。その相手として選ばれたのは、ガブリーラ(ガーニャという愛称で呼ばれる)という男である。この男は、イヴォルギン将軍の息子で、なかなかの曲者である。この男との結婚話に、ナスターシャ・フィリッポヴナは乗り気になれない。トーツキーが自分を商品か何かのように扱っているからだ。そこで、その結婚話をぶち壊すために、一計を案ずる。ロゴージンがその計略の片棒を担ぐ。彼女の持参金として用意された金額以上で、彼女を買い取ろうというのである。こんな人身売買めいた話がまことしやかに語られるところに、この小説の異様さの一つの現れを見ることができる。
彼女は、いったんロゴージンと一緒に暮らしたりするが、やがてロゴージンと別れて自立した生き方をめざす。そんな折に、ムイシュキン公爵との関係を深める。彼女がムイシュキン公爵と懇ろな関係になったいきさつは曖昧である。彼女は、始めて会ったときからムイシュキン公爵を白痴だとみており、したがってまともな交際相手とは考えていなかったはずなのだ。その彼女が、ムイシュキン公爵と一時期同棲したり、婚約したりするのは非常に不自然なのだが、それはどうも彼女が自暴自棄になっていることを暗示しているようなのである。
彼女の自暴自棄ぶりは、常軌を逸した行動を繰り返し、世間の嘲笑を自ら招くところにも現れる。ムイシュキンとの婚約話も、やはり彼女の自暴自棄からきているようなのだ。なぜ自分に対してそんなに軽はずみであることができるのか。そこをどう解釈するかによって、小説の読み方の度合いの深さの違いも決まってくるのではないか。
ナスターシャ・フィリッポヴナとアグラーヤ・イヴァーノヴナの関係は実に変わったものだ。二人は一応、ムイシュキン公爵をめぐって恋敵の関係にあるのだが、二人とも心から公爵を愛しているわけではない。ナスターシャ・フィリッポヴナのほうは、公爵を自暴自棄を演じるについての小道具として利用しているフシがあるし、アグラーヤ・イヴァーノヴナのほうは、自分の女としてのメンツを保つために、ナスターシャと張り合うのだ。しかもナスターシャはアグラーヤに対して意味深長な手紙を出したりする。その手紙の中で彼女は、アグラーヤに対する同性愛めいた告白をしている。それをどう受け取ったら良いのかアグラーヤは混乱する。その混乱を解消する意図からも、彼女はナスターシャと直接会って、自分と彼女との関係を整理したいと思う、だが、その二人の会談にはムイシュキン公爵が立ち会っていた。彼の存在が、二人の女性の気持ちを乱し、意外な結果を呼ぶ。アグラーヤは、ムイシュキンが自分だけを愛しているわけではないと判断して彼との関係を絶ち、一方ナスターシャのほうは、行きがかり上、かれと正式に婚約する羽目になる。だが、彼女にはそもそもムイシュキンの妻になる気などなかったのである。
そんなわけで、ナスターシャ・フィリッポヴナは、ムイシュキン公爵との婚礼の当日に、ロゴージンを伴って会場から蓄電する。その直後に彼女は、ロゴージンの手にかかって死ぬ。死因の真相は小説の文面からは明らかではない。しかし彼女がロゴージンに命じて自分を殺させたというふうに伝わってくるのである(ロゴージンは彼女の胸をナイフでさしたのだが、ほとんど出血しなかった。それは彼女が覚悟の上で、自分の胸をさしだしたからだと推測できる)。彼女はおそらく自分の人生に絶望し、生きる気力を失ったのだと思う。ドストエフスキーは、絶望した女性を描くのが好きだったが、ナスターシャ・フィリッポヴナほど深い絶望を感じさせる女性はほかにない。
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7452.html
アグラーヤ・イヴァーノヴナと女の意地:ドストエフスイー「白痴」から
続壺齋閑話 (2023年10月28日 08:02)
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7466.html
アグラーヤ・イヴァーノヴナは、ムイシュキン公爵とともにこの小説の主人公だと作者はわざわざ断っている。だが、作者がそういう割には、アグラーヤの人物像は鮮明ではない。もうひとりの重要な女性ナスターシャ・フィリッポヴナと比べると、その性格は曖昧だし、行動にも筋がとおっているようにも思えない。ナスターシャ・フィリッポヴナを駆り立てていたのは、生きることへの絶望だったと前稿で指摘しておいたが、アグラーヤ・イヴァーノヴナを駆り立てていたものはなんだったのか。小生の印象では、女の意地だったように思う。彼女は非常に自尊心の強い女性で、その自尊心が自分に対するムイシュキンの曖昧な態度や、また、ムイシュキンがほかの女を愛することをゆるさなかったのだ。その自尊心は非常に情動的なものなので、小生はそれを女の意地と呼んだわけである。
だいいち、アグラーヤがなぜムイシュキン公爵の愛を受け入れ、しかも事実上婚約までしたのか、その動機がはっきりしない。彼女は、ムイシュキンを初めて見た時に、かれを白痴として認識したのだし、その後も、かれについて深い関心を抱いていたとは思われない。だから彼女がムイシュキンのプロポーズを受け入れたシーンを、小生は非常に意外に受けとめたものだ。そのシーンでは、ムイシュキンがひたすらアグラーヤへの愛を告白し、その愛を受け入れてほしいと懇願するのだが、その懇願にほだされるように、彼女はムイシュキン公爵の愛を受け入れる。かといって、そこに迷いがないわけでもない。無条件に喜ぶわけにはいかないのだ。その証拠に、母親や姉たちが、彼女とムイシュキン公爵との事実上の婚約を祝福せざるをえなくなったときにも、わたしはまだかれと正式に婚約したわけではないといって、はぐらかしてしまったほどである。あんなお馬鹿さんとは、まだ結婚すると決めたわけではないと彼女は言うのである。
白痴であるムイシュキンとアグラーヤが結ばれることには、母親や姉たちのほうが否定的だった。確かにムイシュキンは人柄もいいし、財産もほどほどにある。白痴だということを除けば婿としては申し分がない。だが、やはり、白痴というのは致命的な弱点である。なにしろムイシュキンは世間に知られた白痴であって、だれでも一目見ただけで、かれが白痴だとわかるほどなのである。これは一人前の人間としては、かなりマイナスの要素である。隣人として付き合うのならともかく、夫や婿にするのはためらわれる。それが彼女たちの本音だったが、ほかならぬアグラーヤがムイシュキンとの結婚を望むのであれば、彼女の幸福のためにも、それに反対し続けるいわれはないのだ。
もっとも本人のアグラーヤにしてからが、ムイシュキンを無条件に受けいれたわけではなく、大きな条件付きであった。その条件とは、ナスターシャ・フィリッポヴナとムイシュキンとの関係をきれいに清算させることだった。ナスターシャは、かつてムイシュキンと事実上の婚姻関係にあったのだし、いまでも完全に切れているかどうかわからない。ムイシュキンはナスターシャのことを、あの女は気ちがいだといって、まともに相手にしないふりをするのだが、その一方で、あれほどかわいそうな女はないといって深く同情したりする。そこがアグラーヤには、あやうく感じられるのだ。その上ナスターシャは、自分に奇妙な手紙をよこした。その手紙の中でナスターシャは、アグラーヤに対する同性愛的な感情をほのめかしていたのである。
そんなわけだから、アグラーヤはナスターシャと直接会って、自分の疑問を晴らさないではおられなかった。その会見には是非ムイシュキンを同席させ、この奇妙な三角関係に終止符を打たねばならなかった。その会見には、自由思想家の結核患者イポリートがひと肌脱いでくれた。かくして実現した三人の会見(それにロゴージンも加わっていた)は、思いがけない結果になる。ナスターシャに対して未練を捨てきれない様子のムイシュキンに腹をたてたアグラーヤが、ムイシュキンとの絶交を決断し、一方ナスターシャのほうは、ロゴージンとの婚約を解消して、ムイシュキン公爵ともう一度婚約することになるのである。
もっとも、この奇妙な展開は、事前に意図されていたものではなく、その場の勢いに乗った形で偶然出来したというふうに感じさせる。ナスターシャがムイシュキンとよりを戻したのは、新しい出発を見込んでのことではなく、これまでの腐れ縁に最終的な決着をつけるためだった。彼女はその後、ムイシュキン公爵との婚礼の場からロゴージンを伴って蓄電し、ロゴージンの手にかかって息絶えるのである。
一方、アグラーヤのほうは、その後あるポーランド人と結婚する。その結婚は、アグラーヤ自身の選んだものだったが、じつは相手は詐欺師まがいの男だったということが判明する。その男はポーランドの貴族を自称し、莫大な財産を所有しているといふれこみだったが、実は普通の庶民の出であり、財産もほとんどないということがわかったのである。もっともそれについてアグラーヤが不服を抱いたという記述はない。おそらく彼女は自分自身が選択した結婚を後悔する理由を持たなかったに違いない。それは彼女の意地から出たことであり、その結婚を後悔することは、彼女の意地に反することだったと思われるからだ。
https://blog2.hix05.com/2023/10/post-7466.html
イポリートと自由主義者たち ドストエフスキー「白痴」から
続壺齋閑話 (2023年11月 4日 08:11)
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小説「白痴」の中でドストエフスキーは、当時流行りつつあったロシアの自由主義思想を正面から批判している。おそらくドストエフスキーの本音だったと思われる。彼自身若いころにその自由主義思想にかぶれたのであったが、色々な事情があってそれを捨てて、ロシアの伝統を重視する保守主義者に転向した。かれは、この小説の中で、自由主義思想を攻撃する一方で、「白痴」のはずのムイシュキン公爵を一人前の思想家にしたてて、かれにも自由主義思想への攻撃とロシアの伝統を擁護する考えを滔々と述べさせているのである。そのムイシュキン公爵の演説は別に取り上げるとして、まず自由主義思想への攻撃について見ておこう。
自由主義思想の批判が前景化するのは小説の後半部分に入ってからである。第三篇の初めの部分で、リザヴェータ夫人が、三人の娘たち、とりわけ末娘のアグラーヤが二ヒリストになったのではないかと心配する。リザヴェータ夫人が二ヒリストというのは、既存の伝統的なロシア的価値を否定する連中であり、かれらのそうした態度を支えているのが自由主義思想なのである。だから、ここではとりあえず、自由主義思想はロシア的なものへの否定という形で表象される。
その自由主義の本質について、エヴゲーニイ・パーヴロヴィッチという端役が次のように定義している。「ロシアの自由主義は、現存する社会秩序に対する攻撃ではなく、ロシアそのものに対する攻撃であるということです。いや、単なる秩序、ロシアの社会秩序に対する攻撃ではなくて、ロシアそのものに対する攻撃なのです。わが自由主義者はロシアを否定するところまで、つまり、自分の母親を呪い鞭打つところまでいってしまったのです」(木村浩訳)。
もっともそのロシアの社会秩序とかロシアそのものの本質とかについては、ドストエフスキーは、無条件に賛美しているわけではない。かえって否定的なイメージを付与している。たとえば次のような調子である。ロシアでは、発明家とか天才と言われる人々は馬鹿としか思われない。まともな人間が理想とするのは官庁の高官とか将軍たちなのである。そういうポストなら、だれでも努力すればなれる。だから、「わが国の乳母たちのあいだでさえ、将軍の位はロシア人の幸福の頂点と考えられているのである。つまり、平穏で立派な幸福というものこそ、最も一般的な国民的理想なのである」。
ともあれ、ムイシュキン公爵の前に、ロシアの自由主義を代表するような面々が現れ、言いたい放題のことを言う。その主張は、自分の利益を無上のものとするもので、自分がいい目をするためには、他人に多少いやな思いをさせても許されるというものだ。結局、かれらはムイシュキンにたかろうとする悪党に騙されていたことがわかり、撃退される。この面々を代表するのがイポリートである。かれはまだ二十歳になるかならぬかの若造で、しかも結核患者であり、幾ばくの余命も残されていないのであるが、そのイポリートが、遺書(本人は「弁明」と読んでいる)という形で自分の思想を表明する。その遺書の中に、当時のロシアの自由主義思想の神髄が盛られているというわけである。
この遺書はかなり長いもので、自由主義思想とは関係のない個人的なことがらの方が大部分をしめるのであるが、ところどころ自由主義思想の、それもロシア的な自由主義思想の特徴がうかがわれるのである。内容的には大したことではない。余命いくばくもない人間には、他人を十人殺す権利があるとか、あるいはキリスト教を否定する主張などである。キリストについては、かれもまた、自分のように死を現実のものとして予感していたなら、安閑とはしていられなかっただろうといって、その信仰の崇高さに疑問をなげている。
キリストへの信仰に疑問をぶつけるシーンは次のように表現されている。「もし死というものがこんなにもおそろしく、また自然の法則がこんなにも強いものならば、どうしてそれに打ち勝つことができるだろう、という考えが浮かんでくるはずである。生きているうちには自然に打ち勝ち、それを屈服させ、『タリタ・クミ』と叫べば女は立ち上がり、『ラザロよ出よ』と叫べば死者が歩みだしたというキリストでさえ、ついには打ち勝つことのできなかった自然の法則にどうして打ち勝つことができようか」。これは奇蹟を否定し、キリストさえも自然法則に服するといっているわけで、当時の無神論の主張の一つの典型といってよい。
面白いのは、こんな幼稚な主張にかかわらず、アグラーヤが強い関心を示したことだ。彼女の意見は表立って言及されることはないのだが、イポリートの弁明に共感している様子から、彼女もまた、ロシア的ではあるが、ある種の自由主義思想に共感していたことがうかがわれるのである。
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7479.html
ムイシュキン公爵のロシア主義 ドストエフスキーの小説「白痴」から
続壺齋閑話 (2023年11月11日 08:19)
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7492.html
ドストエフスキーは小説「白痴」のなかで、自分自身の思想を表明して見せた。この小説を書いた頃には、ドストエフスキーの自由主義的な傾向は放棄され、ロシア主義ともいうべき伝統的な保守主義を抱くようになっていた。そのロシア主義思想を表明するについて、かれはムイシュキン公爵ほどそれに相応しいキャラクターはいないと思ったようだ。なぜか。ムイシュキン公爵は自他ともに認める白痴であって、精神的な能力は極度に低いとされているので、そのかれが高尚な思想を抱くというのは考え難いのであるが、しかし白痴であるからこそ、ロシアの民衆の間に根強くはびこっている因習的な考えを体現するには適していた。そう考えてドストエフスキーは、あえてムイシュキン公爵にロシアの因習的な思想であるロシア主義を語らせたのであろう。
この小説にはイポリートを代表とする自由主義者たちが出てきて、自由主義的な思想を大いに主張するので、ムイシュキン公爵によるロシア主義思想の開陳は、自由主義思想への反論という形をとる。もっとも面と向かって議論するわけではない。イポリートらが、自由主義思想を主張しているあいだ、ムイシュキン公爵は口をはさんだりしないで、かれらに言いたいことを言わせている。隣人からその評価を聞かれて、感心しませんなと感想を漏らす程度である。
ムイシュキン公爵がロシア主義的な考えを公然と述べるのは、自分のために催された社交パーティの席においてである。しかもあらかじめ意図していたわけではなく、ちょっとした弾みから、そうなってしまったのだった。パーティの出席者の一人に身分の高い人がいて、その人が子供の頃のムイシュキンをおぼていたばかりか、ムイシュキンの保護者だったパヴリーシチェフについて言及した。その言及の仕方が、パヴリーシチェフがあたかもロシアにとっての裏切り者だったというようなニュアンスなのであった。というものかれは、パヴリーシチェフがカトリックに改宗したというのだが、カトリックに改宗するということは、普通のロシア人にとっては、古き良きロシアを裏切る許しがいことだと考えられており、その考えにムイシュキンも同調していたのであった。
だから公爵の示した反応は激しいものだった。「パヴリーシチェフがカトリックに改宗したんですって? そんなことはあるはずはありません」と強く否定するのである。公爵が思うには、パヴリーシチェフはじつに聡明なキリスト教徒で、真のキリスト教徒なのである。公爵にとってキリスト教徒とは、ロシア正教のことをさすから、カトリックはそれには含まれない。カトリックは非キリスト教的な信仰も同じなのである。
カトリックは非キリスト教的であるばかりか、そもそも無神論の巣窟なのである。「無神論は彼らの自己嫌悪の情によってその基礎が固められたのです。それは彼らの虚偽と精神的無力との産物なのですよ、無神論というのは」というのである。社会主義は唾棄すべき思想だが、これもまたカトリックの産物である。社会主義は「その兄弟分である無神論と同様、絶望から生まれたものです。それはみずから失われた宗教の道徳的権力にかわって、渇に悩む人類の精神的飢渇をいやし、キリストによってではなく、暴力によって、人類を救おうとするために、道徳的な意味においてカトリックに反対して生まれたものですから!これもまた暴力による自由ですね、これもまた剣と血による統一ですね!」(木村浩訳)
ムイシュキン公爵の理屈にはやや不自然なところも見られるが、要するにカトリックはロシア的ではないから、したがってキリスト教的でもないということだ。そのカトリックによって、西欧社会全体をドストエフスキーが代表させていることは間違いない。ドストエフスキーにとっては、プロテスタントはカトリックの派生物であり、カトリックと本質的な違いはない。そのようなものとして、真のキリスト教であるロシア正教の前には、非キリスト教的でかつ無神論的な考えなのである。
そんなわけだから、われわれロシア人はカトリックの侵略に立ち向かい、純粋なロシア主義を守らねばならない。ムイシュキン公爵は言うのだ。「反撃が必要なのです、一刻の猶予もなりません。われわれが守ってきた、彼らのいままで知らなかったわれわれのキリストを、西欧に対抗して輝かさなくちゃならないのです」。
こうしたロシア人の西欧への対抗意識は根強いもののようで、21世紀の現在でもかれらの行動を強く規定している。かれらが無謀なウクライナ戦争を始め、しかも西欧社会全体を敵に回して必死に戦っているのも、西欧に対するロシアの劣等感の現れであるといえなくもないのである。
https://blog2.hix05.com/2023/11/post-7492.html
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2024/01/15 (Mon) 20:24:18
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江川卓「ドストエフスキー」を読む
続壺齋閑話 (2023年9月30日 07:58)
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7411.html
江川卓はロシア文学者であって、ドストエフスキーの作品も多数翻訳している。その江川がドストエフスキーを論じたのが、岩波新書に入っている「ドストエフスキー」だ。ドストエフスキーの作品世界を、伝記的な事実と絡ませながら論じている。たいして独創的な知見はうかがわれぬが、いくつか興味をひく指摘がある。
まず、「ゼロの語り手」という言葉で言及されているものだ。これは、小説とは基本的に「語り」であるという前提に立ったうえで、その語りを作者がするのか、あるいは、作者は表に立たないで、架空の人物に仮託して語らせるかに応じて、小説の語り方が違ってくる。ドストエフスキーの場合は、架空の人物に託して語らせ、作者自身が表に出てこない体裁のものが多い。そういう創作態度を江川は「ゼロの語り手」という。つまり作者が不在の語りというわけである。そういわれれば、処女作「貧しき人々」が往復書簡という体裁をとっており、作者がまったく出てこないということに、思い当たらせられる。
語り手が複数あり、しかもそれぞれの語り手がてんでに自分の言いたいことを言うというシチュエーションもありうる。そういうケースでは、複数の語り手が同時に違ったことを語るわけであり、構成的に破綻しやすいはずだが、ドストエフスキーの場合には、その複数の語りが互いに響きあって、独特のハーモニーが生まれる。それを「ポリフォニー」と名付けたのは、ロシア・フォルマリストのバフチンだが、江川はこの「ドストエフスキー」論を書くにあたって、バフチンらロシア・フォルマリストの説を大いに意識しているように伝わってくる。先ほどの「ゼロの語り手」という言葉も、ロシア・フォルマリストの一人エイヘンバウムのモットーである。
次に「ユロージヴィ」について。これはドストエフスキーの小説に出てくるある種の人物像を形容した言葉で、日本語に訳すと「聖なる道化」といったような意味の言葉だ。日本の小説世界では、こういう人物像は全く出てこないが、ドストエフスキーの小説は、そうした人物像のある種神話的な振舞いが、独特の世界を作り上げている。「白痴」の主人公ムイシュキン公爵はユロージヴィの一典型である。「カラマーゾフ」に出てくるアリョーシャもムイシュキン公爵と同じようなユロージヴィとして描かれている。そのほか、「罪と罰」のソーニャとリザヴェータ、「悪霊」のマリア・レビャートキナ、「未成年」のヴェルシーロフなどにも「ユロージヴィ」の特徴を見ることができる。バフチンが、ドストエフスキーにおける「広場の笑い」と名付けたものは、このユロージヴィたちが醸し出すのである。
「広場の笑い」は神話的な衣装をまとうことが多い。ロシアの神話は、キリスト教以前のロシア土着の世界観を反映したものが多いが、そうしたロシア土着の神話的な雰囲気がドストエフスキーの小説世界には充満していると江川は言うのだ。ドストエフスキーの小説には、「分離派」と呼ばれる宗教セクトがたびたび登場する。そのセクトは、ロシア正教の集権化に対抗して生まれたものだが、そこにはロシア土着の世界観がかなりかかわっていたようである。ロシア土着の世界観が、キリスト教の侵略的な振舞いに対抗して、分離派を生んだというわけである。
「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフにしてからが、分離派を意味する「ラスコーリニキ」をもじったものだ。「死の家の記録」に出てくる柔和な老人、「未成年」のマカール老人、そして「カラマーゾフ」のゾシマ長老などはみな、分離派の思想の持ち主である。ということは、ドストエフスキー自身にそうした分離派の傾向があったと江川は言いたいようである。
たしかに、あやしげな民族主義に染まっていった晩年のドストエフスキーからは、分離派的な神がかりな面を感じとることができる。江川はそんなドストエフスキーの分離派的な傾向は、若いころからのものだったと捉えているようである。分離派の特徴は、苦難を栄光として受け止めるということにある。そうした自虐的な姿勢は、ドストエフスキーの小説世界の多くの登場人物たちに見られるところである。
自虐的な人間は、他者からの迫害を呼び込みやすいといわれる。そこから差別のメカニズムが生まれる。ドストエフスキーの小説には、「カラマーゾフ」のスメルジャコフを筆頭に差別され虐げられる人間像が多数出てくる。そうした被差別性へのドストエフスキーのこだわりを、江川は、ドストエフスキーが癲癇患者として自分自身へのコンプレックスをもっていたことに結び付けている。ドストエフスキーの精神病体質については、もっと深い事情が絡んでいると思われるので、そう単純化するわけにはいかないが、かれが異常な精神状態に強いこだわりを持っていたことは事実といえるだろう。
この小論を通じて江川は、ドストエフスキーを「われらの同時代人」と定義づけ、その現代的な意義について繰返し強調している。江川によれば、ドストエフスキーの現代的な意義は、かれがソ連の全体主義を予見していたということにあるらしい。江川がそういうわけは、ソ連への江川自身の嫌悪感を、ドストエフスキーによって根拠づけたいということらしいが、ドストエフスキーが小説世界の中で描いたのは、同時代のロシアの混沌とした現実であって、未来のソ連体制を予感していたわけではない。
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7411.html
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2024/01/15 (Mon) 20:25:45
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中村健之介「永遠のドストエフスキー」を読む
続壺齋閑話 (2023年9月16日 07:53)
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7391.html
中村健之介のドストエフスキー論「永遠のドストエフスキー」(中公新書)は、副題に「病という才能」とあるとおり、ドストエフスキーについて、その「パーソナリティの特徴は病である」と言っている。「病い」とは心の病いのことである。ドストエフスキーが癲癇を患っていたことはよく知られており、その病的な体験が「白痴」などの作品に表現されていることは、かねがね指摘されている。中村は、ドストエフスキーが癲癇を患うことになったのは、シベリア流刑中のことだと言ったうえで、彼の作品には、「貧しき人びと」のような初期のものからすでに、心の病を感じさせるものがあると指摘し、ドストエフスキーは若いころから統合失調症を患っていた、その異様な体験が、かれのすべての作品を彩っているとした。つまり、ドストエフスキーは作家としての生涯を通じて精神病患者だったのであり、その患者としての異様な体験がそのまま作品に反映されている。かれの作品のなかの、登場人物たちの異常な振る舞いは、かれ自身の体験をそのまま語っているというのである。
このような見方は、小生の知る限り他には見られず、画期的なものだ。上述したように、ドストエフスキーが癲癇を患っており、その症状が作品に反映されていることは、いまでは周知のことだが、ドストエフスキーが統合失調症を患っていたと主張したものはなかったのではないか。ドストエフスキーの作品に、精神病を感じさせるようなものがあることは広く気づかれてはいた。だが、それがドストエフスキー自身の統合失調症に基づくとする見解はなかったといえる。ドストエフスキーには、実生活においても、作品の中においても、精神的な異常さを感じさせるものがあるのは、誰もが気づくことだったが、それが彼自身の統合失調症にかかわると見る見方はほとんどないといってよかった。中村はだから、画期的なドストエフスキー像を提示したといえる。
中村は何を以てドストエフスキーを、統合失調症患者と決めつけるのか。かれはそれについての論拠を、ドストエフスキーの小説と書簡を読み解くことで明らかにしようとする。小説については、初期の「貧しい人びと」から最晩年の「カラマーゾフの兄弟」に到るまで、ドストエフスキー自身の統合失調症体験がそのまま作品に反映されていると指摘する。とりわけ、「貧しい人びと」と「二重人格者」は、癲癇を発症する以前の作品であることから、その作品の中の異常な精神状態の描写は、癲癇体験以外の理由によって説明されねばならぬ。そこで中村は、この二つの小説の中から、異常な精神的状態の描写をとりあげ、それらが、じっさいに統合失調者でなければ書けないような類の体験だといい、そこからドストエフスキーが統合失調症患者だったと説明するのである。同じようにして、二人目の妻アンナとの往復書簡を読み込むことで、ドストエフスキーが実際生活の上で統合失調症の症状を頻繁に示していたことを指摘し、それをもとにドストエフスキー統合失調症説を補強しようとしている。もっともドストエフスキーがアンナと結婚したのは四十歳を過ぎてからのことで、すでに癲癇を患ったあとのことではあるが。
そこで我々読者としては、中村の推論がどこまで信用できるものなのかが問題となろう。たしかに中村が、ドストエフスキーの小説のなかに現れる精神病理的現象は、それを実際に体験したものでなければ書けない類のものだということには一定の根拠を認めることができる。しかし、精神病の中でも統合失調症は、重度な人格障害を伴うもので、知的能力を著しく低下させる。そういう状態で、ドストエフスキーの小説のように、高度に知的な文学作品を構築することが、果たしてできるのかどうか疑問である。中村は、精神科の医師の言葉を引用しながら、統合失調症患者は、正常と異常との両方を行ったり来たりしているのであり、正常の状況の中では、高度に知的な作業もできると考えているようだ。しかしごく軽度のケースならばともかく、統合失調者症の本物の患者が、このような高度な知的営為に耐えられるとは考えにくい。だから、中村の言い分をそのまま受け入れることには抵抗があるとえよう。
ともあれ、とりあえず、ドストエフスキーの初期の小説「貧しい人びと」と「二重人格」についての、中村の分析ぶりを見てみよう。「貧しい人びと」の主人公ヂェーヴシキンには明らかに統合失調症の兆候がみとめられる。かれは、著しい迫害妄想に陥っており、また、かなり深刻な離人症状を示している。どちらも統合失調症に典型的な症状である。特に迫害妄想は、誇大妄想のかたちをとり、深刻な被害意識をもたらす。じっさいヂェーヴシキンは誇大妄想の塊のような人間なのである。一方「二重人格」のテーマは文字通り自己の分裂であり、自己の分裂とは統合失調症の核心的な症状である。
こんなわけで、ドストエフスキーの初期の二つの作品において、すでに統合失調症の問題がドストエフスキーの小説世界の核心的なテーマとなっていたというのが中村の指摘であり、それを踏まえながら中村は、ドストエフスキー自身がその統合失調症を患っており、患者としての自分の異常な体験をそのまま書いているのだと主張するのである。その上で、いわゆる五大長編小説と呼ばれる後期の作品群も、一貫して自分自身の統合失調症体験を踏まえたものだという主張を重ねているのである。
妻アンナとの往復書簡については、ドストエフスキーはとりわけ被害妄想について繰り返しアンナに訴えている。その被害妄想は深刻なもので、明らかに精神的な異常を感じさせるので、ドストエフスキーが精神病を患っていたことの傍証とはなるだろう。じっさい中村は、それらの手紙のなかでのドストエフスキーの異様な言い分をもとに、かれが統合失調症を患っていたと主張するのである。一方妻のアンナの反応は、夫を奇妙な人だと思い、そのことで悩みもしたようだが、夫を見放すことはなく、冷静に対応していたという。彼女が冷静になれたわけは、彼女の性格がおっとりしていたせいかもしれず、また、夫のドストエフスキーが、一緒にいるのが耐えられないほど壊れてしまっていたわけでもないということかもしれない。
そんなドストエフスキーだが、不思議なことに、四年間の監獄生活の時期が、精神的にもっとも安定したいたと中村は言う。じっさいドストエフスキー自身も、「懲役のほうが気持ちが穏やかだった」と口癖のように言っていたそうである。なぜ彼がそんなふうに思ったのか、それについては詳しく立ち入って考えていない。監獄のなかでは、他人との関係が単純化されるので、精神的なストレスも緩和され、異常な精神状態に陥ることが少なくなった、あるいはなくなってしまった、ということだろうか。もっとも、この懲役中に癲癇の発作が始まったわけで、それをどう考えるかは、また別の問題である。
いずれにしても、ドストエフスキーが統合失調をほぼ生涯にわたって患っており、その症状を直接描写することで、かれの作品世界が形成されたとする中村の推論は、その有効性はともかく、面白い試みである。
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ドストエフスキーの反ユダヤ主義:中村健之介「永遠のドストエフスキー」
続壺齋閑話 (2023年9月23日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7400.html
中村健之介は「永遠のドストエフスキー」の中で、ドストエフスキーの反ユダヤ主義を取り上げて論じている。ドストエフスキーの反ユダヤ主義が大きな論争の対象となったのは、ゴールドシュテインの1979年発行の著作「ドストエフスキーとユダヤ人」がきっかけだったと中村は言う。その著作の中でゴールドシュテインは、様々な例を取り上げながら、ドストエフスキーの反ユダヤ主義を激しく攻撃したのだった。それが非常に大きな反響を呼んで、いまやドストエフスキーを論じるについて、その反ユダヤ主義的傾向を無視するわけにはいかなくなったという。
ドストエフスキーの反ユダヤ的傾向が、それまで見逃されていたわけではなかった。じっさいドストエフスキーの著作には、ユダヤ人を馬鹿にした描写はいたるところにあり、だれでもその反ユダヤ的傾向に気づかないわけにはいかないからだ。だが、そうした反ユダヤ的な傾向は、ドストエフスキーに限ったことではない。中村は言及していないが、プーシキンやゴーゴリの作品の中でも、ユダヤ人は否定的に、嘲笑の対象として描かれている。
だから、ゴールドシュテインがドストエフスキーを反ユダヤ主義批判のやり玉にあげたのは、なにか含むところがあったからだろう。それにしてもゴールドシュテインによるドストエフスキーの反ユダヤ主義への攻撃には、中村は疑問を投げかけている。中村が言うには、「そもそもドストエフスキーの小説には、『立派』な人間などまず登場しないのだ。だから、小説の中のユダヤ人の人物表現を取り上げて、その表現力、性格造形力を無視し、『立派』な人間に書かれていないからドストエフスキーは反ユダヤ主義者などと言うのはどうかしている」と。要するにゴールドシュテインは、一人のユダヤ人として、ドストエフスキーによるユダヤ人への嘲笑的な態度に腹をたて、この偉大な「博愛主義者」として通っている男の顔に泥をぬってやろうと考えたということか。そうだとしたら、ゴールドシュテインは、金玉を蹴られた犬のような反応を見せたということになる。
中村は、ドストエフスキーの小説においては、貶められているのはユダヤ人だけではなく、ロシア人も貶められている、という。ドストエフスキーが貶めているのは、特定の人種ではなく、ひどいことを平気でする人間なのである。そう言って中村は、ドストエフスキーは確信犯的な反ユダヤ主義者ではない、その証拠に、監獄時代にはユダヤ人と仲よく暮していたことをあげる。とはいえ、ドストエフスキーには、ポーランド人、ドイツ人、フランス人を含めて外国人嫌いの傾向はあり、それがユダヤ人への対応にも反映している可能性はあるとしている。
ドストエフスキーが熱烈なロシア礼賛者であったことはよく知られている。特に晩年にはそうした傾向が強まった。そのナショナリズムの熱気が、ドストエフスキーの晩年の小説のなかで、ユダヤ人がより否定的にかかれる原動力になった可能性はあるようだ。その点は中村も認めざるを得ないようで、晩年の小説を中心として、ドストエフスキーの反ユダヤ感情がだらしなく吐露されるようになった。そのことについては、何人も擁護できない。そう言って中村は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義を擁護するモーソンを批判する。そのモーソンはゴールドシュテインについて、「ドストエフスキーの反ユダヤ主義が生まれてきた社会的背景を明らかにしようとしないこと、また、ドストエフスキーのユダヤ人嫌いがドストエフスキーの前あるいは後の反ユダヤ主義的な考えとどのような関係にあるのかを問おうとしないこと、それはゴールドシュテインの批評の『歴史性の欠如』だと批判している」。
ドストエフスキーの反ユダヤ主義が否定できないこととして、それがどれほど強い信念によるかについては、中村は懐疑的である。「ユダヤ人についてのドストエフスキーの発言は、社会評論家としてはひどい悪口を言っているのに、どこかいいかげんで、無責任なところがあるし、筋金入りの反ユダヤ主義者という印象を与えない・・・ドストエフスキーは確信犯的な反ユダヤ主義者ではなかった。しかしかれは、しばしば理想や妄想の危険性に気づかず、それにひきずられることがあった」。
要するにドストエフスキーの反ユダヤ的言動はかれの妄想のなさしむるところであり、また、晩年に極端になる熱狂的な愛国感情は、ゆがんだ理想がもたらしたものだということになる。ドストエフスキーは、その病を生きることで豊饒な作品世界を生む一方、その病にかられて反ユダヤ主義を亢進させたと中村はいいたいようである。かれにとってドストエフスキーとは、心を病んだ人間なのである。
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7400.html
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2024/01/15 (Mon) 20:27:11
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ドストエフスキー「地下室の手記」を読む
続壺齋閑話 (2023年9月 2日 07:56)
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7368.html
「地下室の手記」は風変わりな人間の手記という体裁をとっている。その点では、「二重人格」と同じである。二重人格は、頭のいかれた人間の手記で、読んでいるほうといえば、とてもまともなふうには受け取れなかった。頭がいかれた人間の言うことなので、前後に脈絡があるわけではなく、しかも精神病院をスペインの王宮と間違えるような、支離滅裂ぶりである。それに比べればこの「地下室の手記」は、たしかに異様ではあるが、理解できないわけではない。この手記の作者のような人物は、そうざらにいるものではなかろうが、しかしそんな人間がいても別に不思議ではないと思わせられる。
「二重人格」の主人公が頭のいかれた人物の手記なのに対して、この「地下室の手記」は、自意識過剰な人間の手記なのである。この人間は、自分が自意識過剰なのは十分に自覚していて、自分がいつも不幸なのは、自意識が過剰なためだと思い込んでいる。なにをやっても、つねにこの自意識が伴うので、かれは普通の人間のように生きることができない。ものごとに熱中することができないのだ。どんな物事に対しても、その物事と自分自身との間に、過剰な意識が介在し、そのためかれは人なみの生き方ができないのである。そんな思いを彼は次のように表現している。「いったい自意識を持った人間が、いくらかでも自分を尊敬できることなど、できることだろうか」(江川卓訳)。
そういうわけでこの手記は、自分自身を徹底的に軽蔑しながら、世界全体を呪い続ける男のぼやきなのである。とはいっても、そんな男が現実に存在するわけではない。この手記全体がフィクションだと、わざわざこの本の冒頭に置かれた序文のような文章の中で宣言されているのだ。そこでは次のように言われている。「この手記の筆者も『手記』そのものも、いうまでもなく、フィクションである。しかしながら、ひろくわが社会の成立に影響した諸事情を考慮に入れるなら、この手記の作者のような人物が我が社会に存在することはひとつも不思議ではないし、むしろ当然なくらいである」。
ここで「わが社会」と言われているのは、無論ロシア社会のことである。日本社会には、こんなタイプの自意識過剰な人間は存在する余地もないし、また、いわゆる西欧の社会にも、この手記の作者に近いタイプの人間はそうざらには存在しないだろう。西欧にも自意識の強い人間はいるであろうが、その自意識がねじ曲がっていて、健全な社会生活を不可能にするほど人間性というか人格というか、要するに一人の人間の生き方を損なっているような例がふつうに見られる社会は、この手記がものされた時代のロシア以外にはありえないと思われるのだ。
そんなわけでこの手記は、一人の特異な人間の自意識を解剖して見せたというにとどまらず、ロシアという特殊な社会を特徴づけている根本的な要素としての、民族的な自意識というべきものをあぶりだして見せているといってよい。これはロシア人の民族としての集合的な自意識の解剖の書といえるのではないか。
だいたいドストエフスキーが、小説を書き始めるにあたって、頭のいかれた人間を好んで主人公にしたということには、深いわけがありそうである。かれが繰返し描いた頭のいかれた人間像というのは、特殊なタイプの人間ではなく、すくなくともロシアにおいては、普遍的ともいえるタイプなのではないか。そういう問題意識がドストエフスキーにあったからこそ、かれは頭のいかれた人間像を繰り返し描いたに違いないのだ。いかれた頭というのは、ドストエフスキーにとって、ロシア人のもっとも顕著な属性なのである。
この手記の作者も、多分に頭のいかれたところはある。かれの場合には、そのいかれた頭で過剰な自意識を囲い込んでいる。かれがなぜ自意識過剰なのか、その理由のようなものについては、読者には示されない。だいたいこの小説は、自意識過剰な人間の手記をそのまま採録したという体裁をとっているので、作者たる男の頭に浮かんだこと以外は、表面化せず、したがって読者は、この男を客観的な視点から見る余裕をもたないのである。作者が読者に向かって言うことは、自分が自意識過剰なために、不当に苦しめられていること、その苦悩を自分の力ではどうすることもできないこと、したがって死んでしまうくらいしか、解決法は見当たらないという諦念なのである。この男は執筆当時四十歳なのであるが、ロシアでは、四十年というのは人間の平均寿命なのであり、自分はその寿命を生き抜いたという自覚がある。だから、やがておとずれる寿命の期限だけが、かれを深刻な苦悩から救い出してくれるというわけである。
手記は当然のことながら、作者の頭に浮かんだことがらをそのまま文章にしたものだ。その作者は自意識の塊のようなものだから、からが語ることがらはすべて、かれの自意識をくぐりぬけてきている。だからどんなことも、それ自体としての意味をもつことはない。すべては、己の自意識にとってどんな意味があるのか、ということを基準にして解釈される。かれが手記で語ることは、かれの自意識が解釈しなおしたものなのである。その自意識はマイナー・コンプレックスの塊のようなものだから、その自意識を刺激するものは、ことごとく彼の劣等感をかきたてたり、逆に妙な優越感を合理化したりする。手記の前半でさんざん自分の劣等感について語った後、作者は数年前の出来事を苦い気持ちで思いだすのだが、その思い出というのが、かれの強烈な劣等感と、それの補償としての優越感からなっているのである。彼の劣等感は、自分より上だと認めざるを得ない人間たちによって強制される。一方かれの妙な優越感は、自分より弱いと感じる人間によって掻き立てられる。かれは、自分より弱いと認められる人間を相手にすると、徹底的に強圧的に振舞い、そのことで、自分の劣等感が補償されることを感じるのだ。
そういうタイプの人間は、ロシア以外にも存在するかもしれないが、ロシアではそういう人間こそが、社会の主流になっている。ロシアという国は、強い立場のものは弱い立場のものを見下し、虫けらのように扱う一方で、弱い立場の人間は、自分の弱い立場に忍従して、強いものの前に虫けらのようにいへりくだるのである。一番都合の悪いことは、その虫けらが自意識をもっていることである。なまじ自意識などというものがあるおかげで、弱い立場のものは、つねに自分についてコンプレックスを感じざるをえない。そんな社会は、精神病院のようなものだ。それが、この作品の作者ドストエフスキーの偽らざる気持ちだったのではないか。
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7368.html
絶望する娼婦リーザ:ドストエフスキー「地下生活者の手記」
続壺齋閑話 (2023年9月 9日 07:59)
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7379.html
「地下生活者の手記」は、手記の作者のみじめで情ない生き方を自虐的につづったものだ。とにかくそういうみじめで情けない話をうんざりするほど読者は聞かされるのである。そうした話のなかでも、もっともみじめで情ないのは、リーザという若い娼婦にまつわる話である。この娼婦は、人間の原罪を一身に背負った聖母のような女性として描かれており、その聖母のような女性が、この手記の作者のようなどうしようもない悪党に****されるというのは、キリスト教徒にとっては、非常にショッキングなことに違いない。じっさいこの女性にまつわる話は、じつにショッキングでスキャンダラスなのである。
手記の作者がこの女性と出会ったのは淫売宿においてである。客と娼婦の関係としてであった。久しぶりに集まった昔の悪友たちとの間でさんざん不愉快なやりとりをしたあげく、その仲間たちがしけこんだ淫売宿にかれもついていくのである。手持ちの金がないので、憎らしい友人から金を借りるという体たらくをともなってだ。そんなわけだから、かれはむしゃくしゃした気分で女を迎えた。その女を相手にかれは、身体的な快楽にふけるのではなく、精神的にいじけきった快楽にふけるのである。つまり彼女を精神的にいじめて、そのことで自分のほうが優位に立っていると錯覚し、その錯覚を通じて精神的な快楽を味わおうというのである。もっともかれにまともな精神を期待できるわけではない。いじめっ子が弱い者をいじめることで快楽を味わうような、倒錯的な精神なのである。
彼女へのいじめの中でもっとも手の込んだものは、彼女をそのみじめな境遇から脱してまともな生活にもどれと諭すことである。作者は弱い者を前にして、自分が一方的に優位に立っているという立場に安心して、説教を垂れるのである。無論その説教は、彼女の境遇に深く同情してのことではない。かれは彼女に向かって説教を垂れながら、心の中では舌を出しているのである。なぜそんな倒錯的なことをするのか。それがわかるくらいなら、説教などしないであろう。かれはいじめっ子として振舞うことで、自分が幾分か高められたと感ずるようなのである。
始末の悪いことには、かれのそうした説教が、彼女に対して効果を及ぼしたのだ。かれの説教を聞いて、彼女は幾分か人間性を取り戻した気持ちになったのである。その証拠に彼女は、自分へ向けて書かれたラブレターを説教者に見せる。わたしにも人に愛された経験があるので、人間としての誇りはわかっているつもりです、と言いたいかのようなのだ。ともあれ、己の説教に陶酔した作者は、是非自分を訪ねてきなさいといって、彼女に住所を記した名刺を与えるのだ。
かれはそのことを早速後悔する。彼女に説教することで、自分が彼女よりもはるかに優れた境遇にいることを匂わせたのであるが、じっさいには、乞食といってよいようなひどい境遇に置かれているのだ。そんな姿を彼女に見られたら、幻滅させたうえに、軽蔑されるに違いない。過剰な自意識にとらわれている彼としては、自分より劣った人間に軽蔑されるほど屈辱的なことはない。だからかれは、彼女が訪ねてこないように祈るのだが、その願いはかなわなかった。彼女はかれと別れてから三日後にかれのところへ訪ねてくるのだ。
予期していたこととはいえ、かれにとっては至極厄介な事態であった。そこでかれがどんな行動に出たか。かれは彼女を徹底的に侮辱したのである。そうすることで、自分自身の振る舞いの馬鹿さ加減を幾分かでも和らげようとするかのように。
作者の彼女への侮辱の言葉は、読者の耳にも卑劣な響きに聞こえる。いくら自分の馬鹿さ加減に体裁を繕ろうとしても、相手をわけもなく侮辱していいわけがない。ところがこの人物には、そうした常識は一切通じない。かれにとって重要なのは、自分自身の精神状態を安定させることであって、そのためには、過剰な自意識を宥めねばならない。そのための手段はこの場合、相手を徹底的に貶めることなのだ。
しかし彼女は、自分が貶められているのは、自分のせいというより、相手つまり手記の作者の不幸がなさしめるものだと考える。そこが、彼女が聖母のような女性だという所以である。そんな彼女を作者は、追い打ちをかけるように侮辱しつづける。彼女を一人の人間として認めようとはしないのだ。それは作者が、彼女に金を握らせることによって頂点に達する。金を握らせることで、自分らの関係は対等の関係ではなく、娼婦と客の関係だと思い知らせる効果があるわけである。作者自身にそういう自覚があったかどかは別にして、クリティカルな場面で女に金を握らせるという行為は、彼女の人格を否定することを意味する。
それゆえ、金を握らされ、侮辱されたと感じたリーザの絶望は深いのだ。ドストエフスキーはなぜ、そんな場面をことさらのように描いたのか。鷹揚にみつもっても、ここには救いというものはない。あるのは、傲慢と皮肉と絶望のたぐいだけだ。この作品を転機にしてドストエフスキーの小説は深みをましていくと評されるのだが、その深みの実体は、どうも人間を突き放してみる見方に宿っているようである。
https://blog2.hix05.com/2023/09/post-7379.html
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2024/01/15 (Mon) 20:30:39
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ドストエフスキー「虐げられた人々」を読む
続壺齋閑話 (2023年8月 5日 08:07)
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7315.html
ドストエフスキーが「虐げられた人々」を雑誌「ヴレーミャ」に連載したのは1861年のことで、「死の家の記録」を発表した翌年のことである。ドストエフスキー四十歳の年のことだ。この小説は、色々な点でドストエフスキーの転機を画すものとなった。まず、大勢の人物を登場させ、それら相互の関係を立体的に描こうする姿勢が見られることだ。ドストエフスキーの初期の作品は、少数の人物に焦点を当て(「貧しき人びと」は二人の人物の往復書簡という形をとっている)、きわめて単純な物語設定だった。「死の家の記録」には大勢の人間が出てくるが、それらは互いに結びあわされることはなく、語り手の目に映ったさまが平面的に描写されているだけだった。ところがこの「虐げられた人々」は、大勢の人物を登場させて、しかもかれら相互の間に何らかの結びつきが設定されている。要するに小説の構造が立体的なのである。その立体的な小説の構造は、その後のドストエフスキーの小説世界の大きな骨組みとなっていくわけで、その意味で彼の小説の転機となったと言えるのである。
次に、登場人物たちのそれぞれにきわめてユニークな性格を付与していることである。この小説には、イフメーネフ老夫妻とその娘ナターシャを片方に据え、その対極にワルコフスキー侯爵という人物を置いている。イフメーネフ老人は善意の象徴のような人間として描かれ、それに対してワルコフスキーのほうは悪の権化のようなものとして描かれている。その上で、善意が踏みにじられ、悪がはびこるという具合になっている。題名にあるとおり、弱い人々が悪いやつによって虐げられるというのが、この小説のテーマなのである。悪が栄え、善が亡びるというのは、別に珍しいテーマ設定ではないが、どうもロシアという国は、そもそも悪が善を滅ぼすようにできている。だからといって、ロシアをあしざまに扱ういわれはない。それはいかにもロシアらしい性格なのであって、人々が一様に幸せに暮らせるような社会は、根本的に非ロシア的なのである、というドストエフスキーの信念のようなものを、この小説に感じることができるのである。
ワルコフスキーとイフメーネフという善悪両対極にはさまれ、両者の間を媒介するような役回りとして、アリョーシャとナターシャの二人が出てくる。アリョーシャはワルコフスキーの息子であり、ナターシャはイフメーネフの娘である。要するに仇同士の子どもたちが結ばれようとしているわけである。ドストエフスキーはおそらく「ロメオとジュリエット」を意識していたのだと思われる。若い男女の恋が、宿敵同士の和解をもたらすというのは、通俗的ではあるが、なかなかインパクトのあるアイデアなのである。シェイクスピアの戯曲では、恋人たちの死がかれらの両親の和解を導くという設定になっていたが、この小説ではそういうことにはならない。若い男女は、自分の意思で相手を捨てるのだし、その結果ワルコフスキーだけが、自分の意思を通すことになるからである。要するにこの小説では、悪は栄え、善は報われないという、いかにもロシア的なシニシズムが貫徹されるのである。
この小説は、イフメーネフとワルコフスキーの対立関係を中心にして展開していくのであるが、それと並行する形で、ネリーという薄幸の少女の物語が展開する。この小説は、ネリーの祖父スミスがペテルブルグの街頭で野垂れ死にするところから始まり、ネリー自身の死によって幕を閉じるので、形式上は、ネリーの存在が小説全体の枠組をなしているようにも受け取れる。だが、小説の本体はあくまでもイフメーネフとワルコフスキーの対立関係にあり、ネリーをめぐる物語は挿話的な扱いである。ただそのネリーがワルコフスキーの実の娘であり、その実の娘が父親を呪いなから死んでいくというところに、ドストエフスキーの意趣を見てとることができる。ロシアでは、正義が実現されることはありえないが、しかし虐げられた人々がその魂まで売り渡すことはない。だから父親を呪いながら死んだネリーは、ロシアの虐げられた民衆を象徴するような役柄を与えられているわけである。
ところでこの小説は、イヴァン・ペトローヴィチ(ワーニャ)という青年による一人称の文体で語られている。この青年は、目下売り出し中の作家ということになっており、ドストエフスキー自身を投影した人物像ではないかと評されたこともあったが、どうやらそれは便宜上のことで、ドストエフスキー自身とは全く関係がないようである。この青年は、孤児であったところイフメーネフ夫妻に引き取られて育てられたことになっているので、イフメーネフのほうに肩入れする書き方になっているのは自然としても、それにしては、書き方が中立的である。一応ワルコフスキーを悪人と考え、イフメーネフを善意の人として語ってはいるが、かならずしもイフメーネフのために全力を尽くすといえるほどのことはしていない。むしろ事態の成り行きに任せるような語り方である。天涯孤独になったネリーを引き取ったのはかれであるが、そのネリーに対してもそんなに気を使っている様子はうかがえない。なにについても中途半端である。小説の雰囲気をあまり主観的なものにさせないための工夫かもしれぬが、それなら他に書きようもあったわけで、いかにもそっけない印象を与える。
この小説が、或る意味ロシア的な深刻さを扱っているにかかわらず、文面からそうした深刻さがあまり強く伝わってこないのは、語り手の中途半端な姿勢にあると思われる。ドストエフスキーは、「死の家の記録」で採用した一人称の文体を引き続き実験的に試みたと思うのだが、それによって、登場人物の描写が甘くなっている。ドストエフスキーの持ち味は、ストーリー展開の妙というより、登場人物の心理描写の見事さにあると思われるので、そうした心理描写を深めるためには、一人称の文体では限界があるのではないか。ドストエフスキー自身としては、この小説で、さまざまな人間たちが織りなす人間模様といったものを立体的に表現しようとしたのだと思うが、一人称の形をとったことで、その意図がだいぶそがれたのではないか。
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7315.html
イフメーネフ老夫妻とナターシャ:ドストエフスキー「虐げられた人々」
続壺齋閑話 (2023年8月12日 08:19)
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7328.html
ドストエフスキーの小説「虐げられた人々」のメーンプロットは、イフメーネフ老人一家がワルコフスキー公爵によって迫害され、ついにはウラル地方の片田舎に夜逃げすることを強いられるというものだ。彼らが公爵に迫害される理由は、公爵にとって彼らが不都合な存在になったことだ。特に娘のナターシャが公爵の息子アリョーシャと恋仲になったことが公爵には許せない。公爵は息子に金持の娘をめあわせ、その娘の財産を手に入れようとするのだが、それにはナターシャの存在が邪魔になる。そこでなにかにつけ、ナターシャを貶めるようなことをし、息子の愛に歯止めをかけようとするのだが、なかなかうまくいかない。その挙句、娘を含め、一家全体を破滅に追いやろうと考える。そういう腹黒い打算が働いて、イフメーネフ一家は没落させられるのである。
なんとも救いのない話である。要するにロシアでは、悪が栄え善は亡びるようにできている、そういうドストエフスキーの冷笑的な視線がこの小説を支配しているのである。そうした意味ではこれは、典型的な悪漢小説である。その悪漢の活躍が、ワーニャという青年の視線から描かれるのだが、ワーニャはイフメーネフに育てられた恩があるにもかかわらず、イフメーネフのために何もしてあげられない。ただ事態の成り行きを静観するのみなのである。
イフメーネフ老人は、自分がなぜワルコフスキーから迫害されるのか、その理由がわからない。イフメーネフ老人とワルコフスキー公爵との関係は、小説の始まったころの時点では良好だった。イフメーネフはワルコフスキーのために、その領地の経営をうまくこなしていたのであるし、人間同士としての付き合いにもとくに問題はなかった。だが、ワルコフスキーが息子のアリョーシャをイフメーネフの家に預けたことがきっかけで、アリョーシャとナターシャが愛し合うようになると、突然態度を激変させる。ワルコフスキーは、ナターシャについてのたちの悪い噂をまき散らしたり、イフメーネフ老人を横領の容疑で訴えたりするのだ。
イフメーネフ老人にとって一番こたえたのは、ワルコフスキーのあくどい仕打ちにかかわらず、娘のナターシャがアリョーシャを深く愛し、家を捨ててアリョーシャのもとに走ってしまったことだ。そんな娘の行動をイフメーネフ老人は、親に対する侮辱と受け止め、なかば勘当してしまうのである。ナターシャは結局老人のもとに戻ってくるが、それはアリョーシャに捨てられたからだ。捨てられて行き場を失った若い女が、両親に再び保護を求めたわけだ。だが両親はすでに破産していて、まともな生活ができる状態ではない。そこで粗末な職をもとめて、ウラルの田舎町へと夜逃げ同然に移っていくのである。
そんなわけで、イフメーネフの立場からすれば、この小説は不条理きわまりない悪行の犠牲になった気の毒な人々の話ということになる。逆にワルコフスキーの立場からは、自分の力を謳歌する物語といえよう。語り手自身は、イフメーネフ側の人物なので、イフメーネフに同情し、ワルコフスキーを呪詛したりするが、しかしなにか有用なことをするだけの能力があるわけでもないので、単に第三者として傍観した事柄を読者に報告しているというに過ぎない。
イフメーネフ老人は、語り手の目からは紳士的な立派な人物というふうに描かれてはいるが、しかし利口な人間としては描かれてはいない。かれはただの田舎者であり、世の中の事情には乏しい知識しかもっていない。だから、ワルコフスキーからの攻撃を前にして、ほとんど無防備である。ワルコフスキーのほうも、そんなに利口な人間としては描かれてはいないので、そんな小物に簡単にねじ伏せられてしまう老人は、多少滑稽でないわけでもない。そんな老人に対して、語り手のワーニャも、なにか有用なことをしてやれるだけの才覚を持っていない。そのため合理的な反撃を加えることができず、ワルコフスキーの悪行を歯ぎしりしながら傍観するばかりなのである。
イフメーネフ老人側の人物としてもっとも陰影に富んでいるのはナターシャである。彼女は両親との絶縁を覚悟してまでアリョーシャとの愛を優先させたのであるが、その肝心のアリョーシャが、いまひとつ自分に対して誠実でない。その挙句、他の女を愛するあまり、ナターシャを捨ててしまうのである。そこには父親であるワルコフスキー公爵の姦計が働いているのであるが、愛する女性を最後まで守ることができなかったことに違いはない。ナターシャはそんな情ない男に捨てられてしまうのだ。そんなナターシャを、語り手のワーニャは愛していたというふうに匂わせているが、この二人の愛が小説の中で成就することはない。
以上、イフメーネフ側にたてば、この小説は救いのない物語ということになる。世の中は強いものと弱い者とで構成され、強い者が弱い者を虐げるのは自然の法則に合致しているのだ、というような冷めた視線を強く感じさせる小説である。
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7328.html
小悪党の父親と精神薄弱の息子:ドストエフスキー「虐げられた人々」
続壺齋閑話 (2023年8月19日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7341.html
小説「虐げられた人々」には、虐げられる立場の人と虐げる立場の人が出てくる。虐げる立場の人の振舞いが非人道的であればあるほど、虐待は凶悪化し、虐げられる人々の苦悩も深くなる。だから、虐待をテーマに小説を書こうとしたら、虐待する側の人間を、思い切り悪人として描写せねばならない。この小説で、その悪人を代表するのは(というより唯一の悪人は)、ワルコフスキー公爵である。たしかにワルコフスキー公爵は、悪を悪として楽しんでいるふうがあり、かなりな悪人には違いない。ところがその悪党ぶりが、どうも中途半端なのである。かれはイフメーネフ一家や、ネリーの死んだ母親をひどい目にあわせはしたが、それはケチくさい打算によるものであって、悪事としてはスケールが矮小なのである。だからかれは、悪人とはいっても中途半端な悪人、世にいうところの小悪党にすぎない。
一方、ワルコフスキーの息子アリョーシャは、精神薄弱者として描かれている。かれはナターシャとの愛を弄ぶような仕方で彼女を深く傷つけ、しかも捨ててしまうのである。だからかれも悪党のたぐいと言ってよい。しかし本物の悪党ではない。悪党には悪党なりの責任能力があるといえるが、かれにはそういう能力はない。明白に禁治産者といってよいほど、意思の自律性を欠いており、それを父親からコントロールされているだけで、責任能力はまったく持っていないのである。だからアリョーシャのなした行為については、誰も責めることはできない。そこはナターシャもわかっていて、アリョーシャには、自分の意思で行動することを求めるのは無駄だと知り、彼が自分を捨てるのを、だまって享受したのである。
こう書くと、ナターシャをはじめ虐げられる立場の人々が、或る意味馬鹿げた境遇に陥っているように思える。かれらを虐げているのは、ケチな了見の小悪党で、対処如何によっては反撃することも可能だろうが、かれらにもそんな能力もなく、ただただ己が不運を嘆くほかはない。これは虐げられる人々に即して言えることにとどまらず、小説の語り手にも言えることだ。語り手の語り方にはいろいろなやり方があるはずで、虐待の当事者(虐待する側と虐待される側)の関係を客観的な視点から描きだすこともできたはずなのだが、どういうわけか、この小説の語り手は、虐待がある意味自然なことであって、それを人間の手で防ぐことはむつかしいし、ロシアの現実となじまない、というふうに思い込んでいるふうがある。つまり、ロシアでは、人間同士の虐待関係は天の摂理を受けたごく当たり前の現象だと思い込んでいるようなのである。
ワルコフスキーは、この小説の中では、二組の人間たちにひどい虐待を働いたことになっている。一組は、ネリーの母親とその父(つまりネリーの祖父)。かれらを、金もうけの手段として弄んだ挙句破滅させた。もう一組は、イフメーネフとその娘ナターシャ。イフメーネフに対しては根拠のない中傷と攻撃を加えて破産させ、ナターシャに対しては、自分の息子アリョーシャとの愛を引き裂いた。その裏には、ナターシャを他の裕福な女と結婚させ、その持参金をせしめようとするケチな打算が働いていた。二組のどちらの場合も、小金をもうけたいというじつにケチくさい動機が働いていたわけであり、そういう意味でワルコフスキーは小悪党だと言うのである。
ドストエフスキーの成熟期の小説には、迫力満点の本格的な悪人が登場する。それらの悪人は、経済的な動機よりも、もっと精神的な動機に基づいて悪事を働く。その悪行はだから、信念に裏付けられたものであり、そういう点では悪魔的といってよい。ところがこの小説の中のワルコフスキーには、そうした精神性は一切感じられない。かれはただ金が欲しくて他人を利用するだけの、利己的でけちくさい小悪党に過ぎない。ドストエフスキーの悪党像の中では、スケールが小さい。だが、後のさまざまな悪党たちの先駆者としての意義は、ドストエフスキーにとってはあったといってよかろう。
そんな小悪党を父親に持ったアリョーシャのほうは、父親の影響から自由になれないという点で、小悪党に操縦されるみじめな倅という位置づけである。いわば人形遣いに操られる人形、猿回しのサルのようなものである。その猿の愛がなぜナターシャの心をとらえたのか、そこがいまひとつ曖昧な書き方になっている。ナターシャとアリョーシャの愛は、この小説のもっとも核心的な部分であるから、かれらの愛に不純な部分があるとすれば、小説の展開にとっては、ゆゆしい傷になるといえる。だがドストエフスキーは、その愛をとことん追求することはせず、曖昧なままに終わらせている。それは一応、ワルコフスキーのたくらみが成功したということを意味しているが、そんな悪だくみに圧倒されるような愛ならば、それは真の愛とは言えないだろう。その理由としてドストエフスキーは、アリョーシャが精神薄弱者であって、自分では正常な判断ができず、保護者である父親の意向に従わざるを得なかったということにしているが、しかしそんな愛がまともな愛と言えるだろうか。一方ナターシャのほうも、自分がなぜアリョーシャを愛してしまったのか、そのことに自覚的ではなかったようだ。本当に愛しているのなら、命をかけてアリョーシャを自分のもとに引き留めるだろう。ところが彼女は、アリョーシャに新しい思い人ができると、あっさりその思い人に恋人を譲ってしまうのである。そんな愛が本物の愛というわけにはいかないから、ナターシャははじめから、アリョーシャを心から愛しているわけではなかったというふうに思わせられるのである。
ともあれ、この小説の中のアリョーシャは、かなり影の薄い人物として描かれているとはいえ、後にドストエフスキーの小説世界で大きな存在感をしめすことになる、一連のユニークな人物像(「白痴」のムイシュキン公爵、「カラマーゾフ」のアリョーシャなど)の原型となるものである。それらの人物像には、ドストエフスキー自身の精神障害体験が反映されているといわれるが、この小説の中では、むしろネリーのほうがてんかん発作を繰り返す精神障害者として描かれている。アリョーシャのほうは、精神障害者(精神病者)というよりは精神薄弱者(知恵遅れ)としての位置づけである。
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7341.html
虐げられた少女ネリー:ドストエフスキー「虐げられた人々」
続壺齋閑話 (2023年8月26日 07:50)
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7354.html
小説「虐げられた人々」は、犬を連れた老人の野垂れ死の場面から始まり、その老人の孫娘ネリーの死で終わる。しかもネリーと老人をめぐっては、それ自体にドラマ性が潜んでいるので、かれらの存在がこの小説の枠組をなしているともいえる。だが、小説のメーンプロットは、あくまでもワルコフスキーとイフメーネフの対立であり、その延長としてのアリョーシャとナターシャの愛の破綻であって、ネリーをめぐる物語はあくまでもサブプロットの位置づけである。そのメリーはしかし、語り手とは特別の関係にもあるので、その存在感は、メーンプロットの人物たちに劣らない。
実は小説のタイトルである「虐げられた人々」という言葉にもっとも相応しいのはネリーなのである。彼女こそは、薄幸の少女というくらいでは説明できないほど、徹底的に打ちのめされ、虐げられている少女なのである。この少女をドストエフスキーは癲癇患者として描いている。ドストエフスキー自身が癲癇持ちだったので、自身の一部を彼女に投影したといってよい。それくらいであるから、彼女の存在は小説にとってかなり重い役割を持っているはずなのだが、ドストエフスキーの彼女の描き方は、そっけないといってよいほどである。それは、小説全体がある人物(ワーニャ)の視点から、一人称で語られているからで、その人物がネリーを自分にとって特別の存在として意識していないためである。一方ネリーのほうは、幼心ながら、ワーニャに対して恋愛感情をもっている。彼女が死に急ぐのは、自分のワーニャに対する恋愛感情が実を結ぶ可能性がないことに絶望したからだといえるのである。
そうだとしたら、ネリーは徹底的に報われることのない不幸な少女ということになる。この小説には、他にも不幸な境遇の人が出てくるから、不幸のオンパレードを呈しているといってよい。
ともあれ、ネリーの不幸の淵源はワルコフスキー公爵である。ワルコフスキーは、金目当てにネリーの母親をかどわかし、その父つまりネリーの祖父から金を奪って破産させた。その挙句にネリーの母親を捨てたのである。要するにワルコフスキーの血も涙もない無慈悲な行いが、ネリーの不幸の淵源なのである。そのワルコフスキーは、ネリーの実の父親なのだが、彼女は母親の言いつけもあって、父親を絶対ゆるさない。死に臨んでの遺言に、実の父親であるワルコフスキーを呪詛する言葉を残したほどだ。娘に呪詛されても、ワルコフスキーが悪びれることはない。こいつは、ネリーが自分の娘だと知っていながら、手を差し伸べるどころか、その不運をせせら笑うのである。
だいたいワルコフスキーが、ネリーたちに近づいたのは、彼ら母子の存在が自分にとって都合が悪いので、なんとか始末をつけたいと思ったからである。そこでワルコフスキーは、マスロボーエフという男を雇って、ネリーたちの動向を探らせる。マスロボーエフはたまたまワーニャと昔なじみの間柄だったので、なにかとワーニャとかかわりあうことになる。そして一時は、ワルコフスキーの悪事を成敗してやろうとも思うのだが、やはり金の誘惑には勝てず、ワルコフスキーの軍門に屈して、ネリーを救い出すまでは到らないのである。
つまりワルコフスキーは、誰に対しても勝利者としてふるまい、決して都合の悪い状態に追い込まれることがないのである。ロシアでは、頭の回転の速いやつが、頭の足りないやつを好きなように扱うのは、自然法則のようなものなのである。自然法則といってはあまりにもえげつないなら、神の摂理といってよい。神は頭の良い人間に栄光をさずけ、頭の足りない人間には忍耐を授けたというわけである。
それにしても、ネリーの描き方は実にあっさりしている。語り手のワーニャの意識を通じて、その視線に映ったものだけを描写するというスタイルをこの小説はとっているので、客観小説のように、登場人物個々の心理状態をことこまかく描写するというわけにはいかないのだ。語り手の注意を惹かなければ、どんな事態も見逃されてしまう。それは一人称というスタイルを選んだ以上避けられないことだ。なにしろワーニャの意識は、ナターシャのほうに集中していて、ネリーのことほとんどほったらかしに近いのである。ワーニャがネリーに注意を向けるようになるのは、彼女の病状が極度に悪化してからで、その時にはすでにネリーの運命は尽きかかっていたのである。ネリーは、たとえわずかでもワーニャの気を惹くことができたら、もっと生きることに前向きになったかもしれない。彼女が死に急いだのは、誰にも愛されないという絶望からである。絶望ほど人を虐げるものはない。ネリーは究極の虐げられた少女なのである。
https://blog2.hix05.com/2023/08/post-7354.html
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2024/01/15 (Mon) 21:07:35
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ドストエフスキー「死の家の記録」を読む
続壺齋閑話 (2023年7月 8日 08:11)
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7265.html
「死の家の記録」がドストエフスキー自身のシベリアでの投獄生活から生まれたことは、文学史上の定説になっている。ドストエフスキーは、いわゆるペトラシェフスキー事件に連座して死刑の判決を受けた後、死刑執行直前に判決が取り消され、四年間のシベリア流刑を言い渡された。死刑にまつわる逸話自体が非常にショッキングなことなのだが、流刑生活のほうもかれにとってはショッキングだった。その流刑をきっかけにして、かれは「自由主義」思想を捨てて「健全な」保守思想を抱くようになったほどだ。それほどこの流刑は、かれにとっては人生の転機となった事態であった。それをドストエフスキーは無駄にやりすごすことはできなかった。その体験を自身の文学の糧にすることで、文学者として一段の成熟をめざそうとした。この「死の家の記録」と題した小説は、そうしたドストエフスキーの意図が込められたものであって、かれはこの小説によって、作家として一段と大きな成長を遂げたといえるのである。
ドストエフスキーがシベリアでの流刑生活を送ったのは、1850年から1854年までの四年間、30歳から34歳までの期間である。出所後四年間軍隊勤務をし、1858年に首都ペテルブルグに帰還。その二年後の1560年「死の家の記録」を刊行した。この小説を書くについては、ドストエフスキーはかなり周到な準備をしたようである。表向きは自分自身の体験という形ではなく、架空の人物の体験という形をとっており、その身分とか刑の理由とかはまったく架空のものとして設定している。ドストエフスキー自身は****であるが、この小説の主人公ゴリャンチコフは粗暴な殺人犯である。かれは結婚したばかりの妻を、たいした理由もなく殺したということになっている。もっともそのことは、この小説全体の語り手が、別に聞きつけた噂として語られ、主人公自身はそれについて何も言ってはいない。だから真実のところどうなのかは、明らかにはされていないのである。だいいちこの小説は、監獄での毎日を描くことで成立しており、なぜ罰せられたのかとか、そういう周辺的な事情にはいっさい関心を払っていない。というかこの小説は、ほとんどすべてといってよい部分が、ゴリャンチコフの手記の内容をそのまま掲載したものであって、小説の語り手は、その手
記をどのような経緯で手に入れたかについて、簡単な言及をしているにすぎない。だからこれは小説といっても、特定の人物の手記というにすぎないのだ。語り手が最低限必要な情報を、小説の導入部として加えた文章は、わずか数ページである。
そんなわけだから、手記についての語り手の言及は、ごく表面的なことがらにとどまる。ゴリャンチコフの人間像についても、噂で聞いたことをそのまま鵜呑みにしているような浅はかなものである。ただ一つ気になるのは、語り手が、「これは狂った頭で書かれたものだとほぼ確信した」と言っていることである。だが、読んで分かる通り、この手記は決して狂った頭で書かれたとは思えない。かえって明晰な頭脳を感じさせるような書き方である。ドストエフスキーは、前作の「二重人格者」では文字通り狂人を主人公にしていたわけだし、処女作「貧しき人びと」のジェーヴシキンにも狂気を感じさせるものがあったが、この手記の作者ゴリャンチコフには、そうした狂気は全く感じられない。狂気どころか、きわめて理性的な冷静さを感じるばかりである。ドストエフスキー自身は、服役中に癲癇の発作に見舞われ、かなりその症状に苦しんだと言われているのだが、この小説には、そうしたドストエフスキーの個人的な病状は全く反映されていないと言ってよい。とはいえ、この小説がドストエフスキーの監獄での体験をもとにしていることは明らかである。ドストエフスキーは、監獄に入ることではじめて、ロシアの一般民衆に接し、民衆の考え方とか、その生きざまを詳細に知ることができた。ドストエフスキーも含めて、この小説が現れる以前には、ロシアの文学が一般民衆を詳細に描くことはなかった。プーシキン以来のロシア文学は、貴族とか軍人、役人といった上層階級の人物ばかりを描いており、民衆にはほとんど触れていない、というかまともな考慮を払っていない。ところがこの小説は、監獄が舞台ということもあって、一般民衆出身の囚人が多数出てくるわけだから、いやおうでも、一般民衆の生き方に注意を向けることになるのである。
こうしてみると、この小説でドストエフスキーが狙ったのは、よく言われるような、自身が体験した異常な事態を感情をこめて描くというようなことではなく、監獄を舞台にした一般民衆の生きざまを描いてみたいということだったのではないか。ロシア人のロシア人らしいところは、もしそんなものがあったとして、貴族とか役人ではなく、一般民衆が体現しているに違いない。そういう思いがドストエフスキーを駆り立て、ロシアの民衆の生きざまを生き生きと描いてみたい、という野心を起こさせたのではないか。その野心がかなりな程度実現できれば、これはロシア文学史上最初に、一般民衆が体現している、ロシア人のロシア人らしさを深く掘り下げて描いた作品だといえることになる。
手記を一読してわかることだが、主人公はいたるところで、ロシア人のロシア人らしさにこだわっている。彼自身は貴族であり、一般民衆とはかなり違った視点に立っているが、一般民衆は、いわばロシア精神のようなものをまるごと体現している。そのロシア精神とは、大部分が非合理的な感情に支配されたものだが、しかし、自分の名誉にこだわったり、あるいは必要以上に意地をはったりといった、ポジティヴな面も併せ持っている。ドストエフスキーは、そういた一般民衆の生きざまを、ネガティヴな面とポジティヴな面とを併せ持つ複合的なものとして、その全体像をもれなく表現しようとした形跡が指摘できるように思われる。
もしそうだとしたら、この小説は、ドストエフスキー自身が体験した「死の家の記録」というよりは、「死の家」つまり監獄を舞台に展開されたロシアの一般民衆の生きざまを全体的に描き出したものだと言えるであろう。そのロシア民衆の生き方を、記録の作者は軽蔑していない。かれは貴族として、ほかの囚人仲間からは疎外されていると感じているが、そのことで囚人たち、つまりロシアの民衆を憎んだり軽蔑したりはしない。かえって自分の偏屈さを反省するくらいである。
ドストエフスキー自身が体験した監獄生活は、四年間だったが、この手記の主人公は十年間監獄で暮らしたということになっている。しかし手記がカバーしているのは最初の一年間のことがほとんどで、最後の一年間が申し訳程度に触れられているに過ぎない。他の八年間は、最初の一年間をそのまま引き延ばしてコピーしたようなもので、とりわけ注目に価するようなことはなかったというのがその理由である。
なお、主人公は出獄後、監獄のある街に引き続き住み続け、そこで人々の噂の種にされながら、ひっそりと死んだということになっている。当時のロシアでは、流刑囚は、刑期の終わった後、完全にお役御免になるわけではなく、監獄の外部で流刑者として暮し続けなければならなかったようである。ドストエフスキー自身も、刑期の終わった後、刑期と同じ期間軍隊生活を義務付けられたようである。
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7265.html
ロシアの監獄事情と囚人気質:ドストエフスキー「死の家の記録」
続壺齋閑話 (2023年7月15日 07:54)
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7278.html
ドストエフスキーがオムスクの監獄に収監されたのは政治囚としてだ。かれはその体験をもとに「死の家の記録」を書いたわけだが、自身の体験をそのまま書いたわけではなく、かなりな改変を加えている。おそらく検閲をはばかって、架空の話という外見を施す必要を感じたからだろう。舞台となった監獄はオムスクではなく、イルトゥイシ川上流の、カザフとの国境近くの要塞ということにしているし、小説の主人公である「死の家の記録」作者は、****ではなく殺人犯である。監獄全体がそうした凶悪犯を収監しているように描かれているのである。なおこの小説の中では、カザフをキルギスと呼んでいる。帝政ロシア時代には、カザフ以下現在中央アジア五か国といわれる地域をキルギスと呼んでいたのである。
監獄の規模はたいして大きくはない。収監されている囚人の数は250人ほどという設定である。囚人の入れ替わりはあるが、つねにこの数に保たれている。囚人の大部分は、殺人など凶悪犯罪を犯した連中だ。この連中は、平気で人を殺すのだが、それはロシアの民衆には珍しい傾向ではない。「わが国の民衆の間ではまったくばかばかしい理由で殺人が行われることがある」(工藤精一郎訳)というのである。中には、身代わりになって送られてくる馬鹿者もいる。わずかの金で自分の身を売ってしまうような人間がいるのだ。そういう馬鹿者は、囚人仲間から徹底的に軽蔑される。人を殺して監獄にぶち込まれるのは仕方がないとしても、他人の罪を身代わりにしょって監獄にぶちこまれるのは、どうにも救いようなない馬鹿者とみなされるのだ。
というのも、囚人たちは自由のすばらしさを、かれらなりにわかっているからだ。かれらが監獄を耐えがたいと思うのは、労働の辛さとか絶え間のない苦役といったものよりも、それが強制された義務であることによる。自分の意志に従って生きられないということこそ、かれらの耐えがたいことなのである。囚人たちの最大の関心事は金であり、一部の変わった者を除けば、みなだれも金に異常な執着を見せる。それはなぜかというに、監獄の中では、金の使い道を決めることくらいにしか、自分の自由を感じることがないからである。だから、いざ金を使う段になると、かれらは非常に気前がよくなる。気前のよさが、かれの自由のあかしと感じられるのである。「金をつかうことによって、彼はもう自分の意志で行動しているのである」。
ともあれ監獄に凶悪犯を閉じ込めておくのは、ロシアにあっては、かれらの暴力から社会を守るためである。「監獄や強制労働の制度が犯罪者を矯正するものでないことは、言うまでもない。それらの制度は犯罪者を罰して、今後凶悪な犯人にその安寧秩序をおびやかされることのないように、社会を保護するだけである」。これはいまの日本にもあてはまることである。いや、世界中どこの国でも当てはまることだ。監獄は犯罪者から善良な国民を守るための砦なのである。
この作品に出てくる犯罪者の大部分は百姓である。記録者のゴリャンチコフのような貴族は数名にすぎない。その貴族を百姓たちは毛嫌いする。その毛嫌いぶりは、要するに自分とは同じ仲間とは思えないことからくる。百姓たちはつねに貴族たちに冷たい視線を向けている。そのため、ゴリャンチコフなどは息苦しさを感じるほどである。とはいえ、百姓たちが互いに信頼しあっているというわけではない。「囚人たちは半数が百姓出のくせに、たいてい百姓を幾分見下している」。百姓同士で尊敬を集めるような人間は、どこかなみはずれたところを持っている。それはむち打ちの刑を平然と耐えたり、上司と称される獄吏やその手下どもにへりくだらないような人間である。要するに自分に対して誇りを持てるような人間が尊敬される。逆にいえば、囚人たちはみな、自分を人間として見てもらいたいという欲求を持っている。「身分がどうであろうと、どんなに虐げられた人間であろうと、だれでも、よしんば本能的にせよ、無意識にせよ、やはり自分の人格を尊重してもらいたいという気持ちがあるのである。囚人は言われなくても自分が囚人で、世間から見捨てられた人間であることは知っているし、上官に対する自分の立場も知っている。しかしどんな刻印、どんな足枷をもってしても、自分が人間であることを囚人に忘れさせることはできないのである」。
囚人の中には、命知らずのタイプの人間がいて、なにかがきっかけで思いもよらぬような行動を起こすことがある。それもやはり、自尊の感情がかれを駆り立てるからだ。「こんな人間が一生の間に、時として、急激な民衆運動や革命などが起ったりすると、とつぜんくっきりと大きく浮かび上がって、一挙に自分の全活動力を発揮することがある。彼らは言葉の人でないから、運動の首謀者や指導者にはなれないが、その主要な実行者となって運動の先頭にたつのである」。
囚人には、百姓や貴族のほか、外国人も含まれている。ポーランド人やタタール人、チェルケス人などである。ジプシーやユダヤ人もいる。ユダヤ人は一人だけだったが、この男は監獄の町に住むユダヤ人のネットワークにつながっていて、なにかと便宜を受けていた。この男は声を張り上げて泣くのが癖であった。そのことについて、このユダヤ人は、「声を張り上げて泣き悲しむのはイェルサレムを失った悲しみを意味し、この悲しさをあらわすときはできるだけ激しく泣き、胸をたたくように聖典に定められていると、わたしに説明した」のであった。このイェルサレムを失った悲しみが、十九世紀の半ば以降、ロシアのユダヤ人社会にシオニズムを流行らせた原因である。
ポーランド人は、けっしてロシア人と融和せず、自分たちだけで別の世界を作っていた。その点は、ウクライナ人も同然だった。小ロシア人とも呼ばれるように、ウクライナ人はロシア人とは近い人種であるにかかわらず、なぜかロシア人となじもうとはせず、冷笑的な視線をロシア人に向けているのである。ロシア人を冷笑するウクライナ人というのは、まさにあのゴーゴリも同様である。ゴーゴリはロシア人を徹底的に貶め、この世でもっとも野蛮な生き物として描いていた。
ざっとこんな風に、ロシアの監獄の実態とそこに収監されている囚人を描くことを通じて、ドストエフスキーは、自分の監獄体験をそのままに描くのではなく、そこにロシア人というものへの深い観察と理解とを示したかったのではないか。なにしろ、先述したように、プーシキン以来のロシア文学は、ロシアの上層階級に属する人間をもっぱら描き、一般民衆に注意を向けることがなかった。ドストエフスキーが初めて、一般民衆の生き方や考え方を小説の主要なテーマとして提示したのである。そういう意味でこの小説は、ロシアの近代文学に大きな転換をもたらした記念すべき作品ということができるのである。
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7278.html
笞刑と足枷:ドストエフスキー「死の家の記録」
続壺齋閑話 (2023年7月22日 07:53)
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7291.html
ロシアの監獄に収監された囚人は三種類に分類される。既刑囚、未刑囚、未決囚である。既刑囚はすでに刑罰の執行が終わったもの、未刑囚は刑罰の執行がまだ終わっていないもの、未決囚は判決が出ていないものである。未決囚はともかく、既刑囚とか未刑囚とかは何を意味するのか、日本的な感覚ではわからない。日本では懲役刑に服することが刑罰そのものだから、既刑囚と未刑囚を区別する理由がない。ところがロシアでは、懲役刑は単独ではなく、笞刑と組み合わされる。その笞刑を終えたものを既刑囚といい、まだ終えていないものを未刑囚というわけだ。笞刑は怖ろしい刑罰で、囚人たちは死と同じように恐れている。笞で叩き殺されることも珍しくはないのである。じっさいこの小説でも、笞刑を受けて死んだ者が出てくる。
そんなわけだから、囚人は笞刑をまぬがれるためにとんでもないことをする。「処刑の時期を延ばすために、未刑囚は思い切ったことをしでかすことがある。たとえば、処刑の前夜に上司のだれかを、あるいは囚人仲間のだれかをナイフで刺し殺すというようなことをする、すると裁判のやりなおしということになって、処刑が二か月ほど延期される。それで目的は達しられたわけである」(工藤精一郎訳)。囚人にとっては、どんなに厳しい事態が待ち受けていようが、目前にせまった笞刑をまぬがれることが、最大の問題なのだ。人を殺すことなど、まったく問題にならない。
笞刑を受ける側は、一部の変わった人間を別にすれば(そういう人間は笞刑を受け入れるだけの強さをもっている)、死ぬほどの苦痛を味わうことになり、じっさい死んでしまうものもいる。だから「笞刑は、その数が多い場合、わが国で行われているすべての刑のうちでもっとも重い刑だということになる。これはちょっと考えると、ばからしい、ありえないことに思われるかもしれない。ところが、五百本とは言わず、四百本ぐらいの笞でさえ、人間をなぐり殺すことができるのである」。
一方、笞刑の遂行者には、すべてではないが、自分で笞を振るい、囚人が悶絶する様を眺めることに快感を覚えるようなものがいる。そういう人間は、「自分のいけにえを笞打つことに、サド侯爵やブレンヴィリエ侯爵夫人を思わせるようなある種の快感」を覚える。その感じには「甘美と苦痛がないまぜになって・・・心をしびれさせるような何ものかがあるのだ」。そう言ったうえで、「死の家の記録」の作者は、「暴虐は習慣である。それは成長する性質をもち、しまいには、病気にまで成長する。わたしが言いたいのは、どんなに立派な人間でも習慣によって純化されると、野獣におとらぬまでに暴虐になれるものだということである」と断言する。だが、「他の人間に対する体刑の権利が人間にあたえられるということは、社会悪の一つであり、社会がその内部にもつ文明のいっさいの萌芽と、いっさいのこころみを根絶するもっとも強力な手段の一つであり、社会を絶対に避けることのできぬ崩壊へみちびく完全な要因である」とも言って、作者は人間がほかの人間に暴力をふるう権利を与えることに疑問を呈している。
刑吏はもともと囚人だったものから選ばれる。既刑囚で流刑の宣告を受けたものの中から、刑吏としての素質を持っている者が、監獄に残されて終生刑吏として働かされるのである。かれらは先輩の刑吏から仕事のやり方を教わり、それを実践しているうちに、次第に自分の仕事に快感を覚えるようになり、「おそろしく醜悪な人間」になるのである。
笞刑は囚人を震え上がらせるものだが、足枷はかれらの人間としての尊厳を、慢性の病気のように損なう。帝政時代のロシアにおいては、収監された囚人は、刑期を終えて解放されるまで、刑期のない囚人は死ぬまでの間、足枷をつけたまま暮さねばならない。身体が健全なうちは、足枷をつけたままなんとか動き回ることができるが、病気で体が弱っているときなどは、非常につらい思いをする。それはともかく、寝ているときも、風呂場で裸になったときも、つねに足枷をつけたままというのは、異様なことである。それについて、記録作者は、足枷は逃亡防止のためではなく、囚人への処罰の手段として用いられているのだろうと推測する。じっさい、死にかかっている病人にまで、足枷はつけられたままなのである。「足枷は~恥辱を与える一つの罰なのである。恥辱と苦痛、肉体と精神に加えられる罰なのである・・・徒刑囚に罰だけのためにはめられるものだとすると、わたしは問いたい、死にかけている者まで罰する必要があるのだろうか」。
記録作者はそう言って、ロシア社会の野蛮な体質を告発するのである。なお、笞を使った処罰は、アメリカ南部の白人が黒人を罰するときに好んでしたことである。アメリカ映画「それでも夜は明ける」には、笞を振るって黒人女を叩きのめすシーンが出てくるが、笞は背中の肉に食い込んで、深い溝のような傷をつける。容易にはもとに戻らない。打たれたところに笞の破片が食い込むことがある。それをピンセットで丁寧に抜かなければならない。笞というのはじっさい、怖ろしい罰なのだということがわかる。一方足枷のほうは、ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」でも触れられているから、これもロシアだけの習慣ではなかったようだ。ただ、ロシアでは笞や足枷が、人に恥辱を与えるための組織的な方法として、徹底的な残酷さをもって用いられたということらしい。
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7291.html
抗議と逃亡:ドストエフスキー「死の家の記録」
続壺齋閑話 (2023年7月29日 07:34)
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7302.html
監獄、とりわけロシアのような国の監獄は耐え難いものだと思うが、この小説に出てくる監獄は、司令官である所長(少佐と呼ばれる)がどうしようもない悪党ということもあって、耐えがたさは異常なものだった。その所長を、記録作者は憎しみを込めて描いている。たとえば、「その赤黒い、にきびだらけの、凶悪な顔が、わたしたちに何とも言えぬ重苦しい印象をあたえた。まるで残忍な蜘蛛が、巣にかかった哀れな蠅をめがけて飛び出してきたかのようであった」(工藤精一郎訳)といった具合である。
囚人たちはその所長(少佐)を日頃恐れていた。少佐が理性とは無縁な人間であり、その場の感情にまかせて、どんな残忍な行為でもいとわないということを知っているので、彼の怒りの犠牲となることを恐れていたのである。いつも囚人に向かって威張り散らし、大した理由もなく処罰する。笞で打つのである。笞で打たれてはたまらないから、囚人たちは少佐の前ではおとなしく振舞い、決して逆らったりはしない。それをいいことに少佐はますますつけあがり、まるで自分が囚人たちの神であるかのように、勝手放題に振舞うのである。
だが囚人たちの間に、少佐の理不尽に対して抗議したいという動きが出ることもある。個人としては反抗できないが、囚人全体としては反抗することがある。それは囚人全体にとっての共通の不満が、かれらを団結させるときに起る。とくに、食費を切り詰められて、まずいものを食わされ続けると、囚人たちの共通の不満は限界点を超えて燃え上がる。そこで皆で一体となって抗議しようということになる。その際、貴族とか外国人は仲間から外される。しかも露骨に仲間外れをするので、記録作者のゴリャンチコフはそれに侮辱を感じたほどである。
だがその抗議も、いざ少佐と面と向かう段になると、意気消沈してしまう。激高した少佐が「暴徒め! 列間笞刑だ! 扇動しやがって! 全員裁判だ! きさまら!」と叫ぶと、囚人たちは一様に、「わしらァ満足だよ」と答えるのである。だがこの時の抗議は、多少の効果を伴った。囚人たちのこのような抗議を許すのは、司令官としては失敗だということを少佐は十分心得ていて、事態のもみ消しにかかったほか、囚人たちの不満を多少は和らげようとして、食事の内容をすこしは充実させたのである。この少佐は、別の案件で裁判にかけられ、退官願いをださせられる羽目になったのだった。「軍服を脱いだとたんに、彼の威厳はすっかり消えてしまった。軍服を着てこそ彼は雷であり、神であった。文官服を着ると、彼はとたんに全く何者でもなくなり、下男じみてきた。こうした人々にあっては軍服がいかに多くの意味を持つか、驚くべきことである」。
囚人による抗議は滅多におこることはなかったが、逃亡はけっこう多発した。だが成功することはまずなかった。色々な理由で、逃亡するには不都合すぎたのだ。それでも、作者がこの監獄にいた時期に、一度大きな逃亡事件が発生した。逃亡したのは二人の囚人と、かれらに誘われた一人の警護兵だった。首謀者は特別官房の囚人であり、もう一人は****である。その二人が警護兵を抱き込んで逃亡したのでは、監獄のメンツはまるつぶれだった。だから監獄の上層部は慌てふためいた。その慌てぶりを、他の囚人たちは楽しんで見ていた。かれらは、この逃亡が成功するのを望んだほどだった。じっさい逃亡騒ぎは数日間にわたり、成功したかにも思えた。
だが、逃亡後八日ほどで、かれらはつかまってしまったのだ。するとそれまで逃亡者たちをほめそやしていた囚人たちは、一転してこきおろしはじめた。そして逃亡者らが監獄へ引き立てられてくると、「どんな目にあわされるか見てやろうと、柵のほうへ駆け出していった」。「千はくらわされるだろうな」とある囚人が言うと、「何の千くらいで済むもんか!・・・なぐり殺されるよ。だっておめえ、特別官房の囚人だぜ」と他の囚人が言うのだった。
これは成功というものの持つ意義を端的に物語っていると作者は言う。ロシアでは、成功してこそ英雄扱いされるが、成功しなければ鼻にもかけられないのである。
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ドストエフスキー「二重人格」を読む
続壺齋閑話 (2023年6月24日 08:03)
https://blog2.hix05.com/2023/06/post-7237.html
「二重人格(Двойник<分身>とも訳される)」は、ドストエフスキーにとって二作目の小説である。処女作「貧しき人びと」刊行後わずか二か月後に、雑誌「祖国雑記」に発表した。ドストエフスキー自身はこの小説に大きな自信をもっており、「貧しき人びと」の十倍ほどの価値があるといっているが、世間の受けは芳しくなかった。批評家の評価も低かった。題材の異常さが、この小説を受け入れがたくさせたのだと思う。たしかに、今日の読者にもわかりやすいものではない。そのわかりにくさは、小説の主人公の人格があまりにも浮世ばなれしており、人間的な共感をさそうものではないところに根差しているように思える。
テーマは、タイトルにあるとおり、ある種の精神障害である。この小説が描いている精神障害は、二重人格という言葉が示しているように、自分自身の幻影に悩まされるという症状である。ドイツ語ではドッペルゲンガーと言われ、自分自身の幻影あるいは幻像が、自分の意志とは関係のない行動をし、そのことで自分をおびやかしていると受け取る症状である。いまの精神医学では「分離性同一性障害」と呼ばれ、離人症に近似した症状に分類されている。離人症に共通するのは、自我が自分自身をよそよそしく感じるという症状であり、それが高じると、自我が分裂し、自分のほかにもう一人の自分が見えるようになる。だが、分裂症(統合失調症)とは区別され、別の精神障害として分類されている。
小説の主人公は、ゴリャートキンというペテルブルグの役所に勤める下級官吏である。「貧しき人びと」の主人公の一人ジェーヴシキンも下級官吏であったが、そのジェーヴシキンが貧しい人間として描かれているのに対して、ゴリャートキンは貧しい人間としては描かれていない。かれには家僕もいるし、貯金もいくらかある。要するにまあまあの生活を送っている。「貧しき人びと」が、ロシア人の中にある貧困を表立ったテーマの一つにしているのに対して、この小説にはそうした問題意識はなく、したがってゴリャートキンをわざわざ貧しく描く必要はなかったわけである。その代わりにゴリャートキンには別の特徴が設定されている。頭がいかれている、という属性である。
ゴリャートキンが頭がいかれている、つまり狂人だということは、小説の冒頭からほのめかされている。この小説のテーマである分身の幻像が登場する以前に、ゴリャートキンはすでに頭のいかれた人物として描かれている。かれは身分の高い上官の屋敷に、招かれてもいないのに押しかけて、開催されているパーティに闖入してひと騒ぎ起こした後、力づくで追い出されているのである。そのことについてゴリャートキンが深刻に反省する様子はない。そんなゴリャートキンの前に突然、自分自身の分身があらわれるのである。
その分身の描かれ方があまりにも常軌を逸しているので、読者は頭が混乱し、自分もゴリャートキンの狂気に巻き込まれているのではないかと思い込むほどである。分身のゴリャートキンは、ゴリャートキン自身の心の中にいるだけではなく、現実世界に厳と存在して、ゴリャートキンの職場の人間とか、家僕をはじめとして周囲の人間との間に、現実のやりとりをしているのである。われわれ読者はそれを読んで、これはおそらく、同じ一つの現実が、ゴリャートキンの目で見たのと、ほかの人々の目で見られたのとは、違って見えるのだろうと推測する誘惑を覚えるほどだ。他の人々が見たり接したりしている相手を、ゴリャートキンは自分なりに勝手に受け取っているのではないかと思ったりするのである。
そう思わせるのが、ドストエフスキーの意図だったのかもしれない。並の小説なら、最高のレベルに語り手がいて、その語り手が小説全体の進行役をつとめるような具合になっている。この小説の場合には、ゴリャートキンの目に映った世界と、ほかの人々の目に映っている世界とのずれは、語り手が調整すればよいことになる。ゴリャートキンはそう思っているが、実はそうではなく、かれの幻想にすぎないのだという具合にである。そうした小説の語り方をめぐる問題については、別途考察を加えてみたいと思う。
この小説のミソは、ゴリャートキン自身に幻想の自覚がないことである。かれは自分を狂人だとは思っていないから、自分の分身を幻影などとは思わず、実際に生きているほかの人物だと思い込んでいる。たしかにその男は、自分と同姓同名であるばかりか、姿形は生き写しのように似ており、生まれ育ちも同じである。にもかかわらず、ゴリャートキンはその男の実在性に疑いをさしはさまない。気に入らないが、自分とは別の人間だと思っている。このようにそれと自覚のない幻影症状を描くのがこの小説の眼目である。これはだから、今の言葉でいえば「分離性同一性障害」の一症例ということになろう。
ドストエフスキーがなぜ、このような精神障害を小説のテーマに選び、その出来栄えについて大きな自信をもったのか。それについては様々な見方がある。日本のドストエフスキー研究者中村健之助は、ドストエフスキーは癲癇を患う以前から精神障害の症状に苦しんでおり、その体験を自分の小説にも取り入れた。「二重人格」はその最初の本格的な試みだったといっている。たしかにそう思うだけの理由はあるようだ。もしもその通りだとすれば、ドストエフスキーは癲癇だけではなく、統合失調症に似た症状にも悩んでいたということになる。
https://blog2.hix05.com/2023/06/post-7237.html
「二重人格」におけるドストエフスキーの語り口
続壺齋閑話 (2023年7月 1日 07:50)
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7251.html
近代小説の最大の特徴は客観描写ということにある。小説には語り手がいて全体の進行役を務める。語り手は主人公たちを俯瞰する一段高いところに位置していて、そこから登場人物を第三者の目で眺め、登場人物の心理に立ち入る場合でも、あくまでも客観的な視点から描写する。そこでは内面は外面を通じて現れるのである。だから、主人公が多少エクセントリックであって、読者が感情移入できないような場合でも、語り手が間に入ってその隙間を埋めてくれる。だから読者は、自分自身第三者の立場から小説の進行に立ち会いながら、しかも登場人物たちの内面に触れることもできるのである。
ところがドストエフスキーは、処女作の「貧しき人びと」を、二人の人物の往復書簡という形で構成した。そこには語り手はいない。読者は何らの前置きもなく、突然二人の人間の書いた書簡を突き付けられる。それについて何らの説明もないため、たまたま手にした書類を読んでいるような気になる。その書類がどのようないきさつで書かれたのかとか、その書類を書いた人物がどんな人なのか、われわれ読者は、その書類を読むことで理解せねばならない。こういうスタイルは、近代小説の常識から大きくはずれたことであって、ドストエフスキーがいかに特異な作家だっかた、ということを考えさせるところだ。
ドストエフスキーがこの小説「二重人格」に語り手を導入したについては、それなりの理由が考えられる。ドストエフスキーはこの小説の主人公たるゴリャートキンを、狂人として設定したのであったが、狂人が主人公では、かれの独白を中心に小説を組み立てては、わけのわからないものになってしまう。じっさいこの小説の中でのゴリャートキンはのべつまくなくわけのわからぬことを言っているのであって、かれの言葉をまともに受け止めているだけでは、われわれ読者はいったいどんなことが、どんないきさつで起きているのかわからなくなってしまうのである。だからこの小説には、全体の進行役としての語り手が必要になったわけで、その必要性はゴリャートキンという特異な人物を主人公に設定したことによる、不可避の選択だったと思われるのである。
「貧しき人びと」の主人公ジェーヴシキンにも頭のいかれたところがあって、かれもまた狂人に近い精神状態なのだが、かれがワルワーラに向かって書いた手紙は一応筋が通っているし、また人間的な感情も感じさせので、われわれ読者は彼とワルワーラが相互に交わした手紙のやりとりを通じて、小説の進行についての明確な観念をもつことができる。それに反してこの小説の主人公ゴリャートキンには、そういった期待は持てない。かれの頭は完全にいかれてしまっているので、かれの独白からは、読者は何ら明確な観念を結ぶことができないのである。だからどうしても第三者としての語り手が必要になる。ドストエフスキーとしては、語り手の存在なくしても、この小説を構成するのはそれほど困難ではなかったかもしれない。語り手の代わりに別の人物に主人公を観察させるなど、事態の客観的な把握にふさわしい方法はいくらでもあるからだ。それゆえドストエフスキーがこの小説に語り手を持ち込んだことについては、ドストエフスキーなりの魂胆が働いていたと考えれられる。
その魂胆を明らかにするのは、ちょっとむつかしいかもしれない。というのは、この小説の中の語り手は、客観的な視点という点では中途半端だからである。小説の外から事態の進行を見ているというよりは、小説の中にいながら、事態の進行に付き合っているといったふりをしているのである。この語り手はだから、純粋な語り手ではなく、主人公の影のようなものなのだ。そういう中途半端な性格をもっているために、この小説の語り手を、近代文学における普通の語り手と同一視するわけにはいかない。
ドストエフスキーはおそらく、「貧しき人びと」と同様に、なるべく小説の登場人物に語らせながら、それでは足りない部分を語り手に埋め合わせさせたのではないか。その場合、近代小説の伝統にしたがって、小説の外部からそれを俯瞰するというような役割はもたせず、小説の内部におりながら、時折口をはさむというやり方で、小説の進行具合を読者にわからせるように図ったのではないか。
じっさいこの小説の中の語り手は、ゴリャートキンの代理人のような顔をして語っているように見える。かれはあくまでも、ゴリャートキンのために、ゴリャートキンに代わって語っているのであって、第三者として語っているわけではないのである。
たとえば次のような場面描写がある。「『おや、この男は鬘をかぶっているな』とゴリャートキン氏は考えた。『もしあの鬘をぬがせようもんならおれの手の平とちっともちがわないつるつるの禿頭が現れるに相違ないぞ』こんな重大な発見をするとゴリャートキン氏は、ふとアラビアの酋長たちのことを思い出した。預言者マホメットとの血縁関係を示すためにかぶっている緑色のターバンを脱がせたら、中身は御同様毛の一本も生えていないつるつるの禿頭なのだ」。これは、ゴリャートキンが身分の高い上官の家で騒ぎを引き起こしたときのゴリャートキンの精神状態を補足説明したものだ。ゴリャートキンだけに語らしていたのでは、かれが禿頭のことを考えていたことはわかるが、それが狂気から発した妄想だということまでは、なかなかわからない。そのわからないところを、語り手がゴリャートキンに代わって説明してくれているのである。
この小説はドストエフスキーとしては二作目にあたるが、後のかれの小説手法を先取りしているところがある。ドストエフスキーの最大の特徴は、登場人物たちに勝手なことを言わせながら、その言い分が互いにこだましあって、全体としては不思議な調和を醸し出すということにある。そうした語りのスタイルをバフチンは「ポリフォニー」と呼んだわけだが、そのポリフォニーの原初的な形がこの小説に認められるのである。
なお、ゴリャートキンには「裸ん坊」という意味がある。だがゴリャートキンの意識は常に濁っているので、彼本来の裸の自分をさらすことはないのである。
https://blog2.hix05.com/2023/07/post-7251.html
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貧しき人びと:ドストエフスキーの処女作
続壺齋閑話 (2023年6月10日 08:14)
https://blog2.hix05.com/2023/06/post-7210.html
ドストエフスキーが処女作の「貧しき人びと」を書いたのは、満二十四歳のときだから、若書きといえる。若書きにありがちな不自然さを感じさせる。たとえば、この二人の人物設定だ。二人ともこの小説のテーマである「貧しさ」を象徴する人物として設定されているが、そもそもかれらは普通の庶民ではない。マカール・ジェーヴシキンは一応九等官の役人という設定だし、ワルワーラ・ドブロショーロワは、孤児の身の上とはいえ、侍女を召している。侍女を召しいているほどの人間が、赤貧の境遇にあるとはいえまい。そこでタイトルにある「貧しき」というのは、文字通りの意味ではなく、どちらかといえば、「哀れな」というような意味合いの言葉ではないかとの推測がなされてきた。ロシア語の бедный という言葉には、フランス語の pauvre と同じく、「貧しい」と「哀れな」という二重の意味があることを踏まえてだ。
一応「貧しき人びと」として前提したうえで、この小説を読みたいと思う。そこでドストエフスキーが、自分の文学的なキャリアのスタートにあたって、なぜ「貧しさ」を選んだのか、ということが問題になる。プーシキン以来、ロシアの近代文学において、貧しさがメーン・テーマとなった作品が書かれたことはない。ドストエフスキー以後にも、社会主義リアリズムも含めて、正面から「貧しさ」を取り上げた作品はほとんどないのではないか。そんなわけだから、ドストエフスキーが処女作のテーマとして貧しさを選んだということには、ちょっと引っかかるものを感じるのだ。この小説の中で、貧しさは、ただに生活上の困苦をもたらすばかりでなく、人間性を破壊するものとして描かれている。ワルワーラは貧しさに耐えられず、意に添わぬ結婚を決断するのだし、ジェーヴシキンは、ただ一つの生きがいである彼女を失って、生きていく望みを砕かれるのである。かれらの絶望の深さは、かれら自身の手紙の文言から伝わってくるのだが、それは本人の心からの叫びであるから、実に身につまされるような悲惨さを以て迫ってくるのである。
小説は、二人の人物の間の往復書簡集という構成をとっている。何らの導入もなく、いきなり二人が互いにあてた手紙が、時間の順を追って紹介される。ということは、小説の語り手が不在だということだ。普通、書簡体の小説にあっては、小説全体の語り手がなんらかの形で導入の役割を果たすものである。ところがこの小説には、そのような導入の工夫がないために、われわれ読者は、たまたま接した他人の手紙を盗み見たような感じになる。その手紙というのが、中年の冴えない男とうら若い女性との間の、愛の告白のようなもので、その愛が成就することなく、不幸な別れで終わっている。なぜそうなってしまうのか、その事情は手紙の文面から伝わってくるようになってはいるが、なにせそれは本人たちの、いさいさか逆上気味の説明を通してなので、主観的な思い込みの域を出ないとも言えない。彼らの置かれた状況を、第三者の客観的な視点から説明するということがないので、かれらの叫びはどうしても主観的な雰囲気を帯びざるをえない。そのかわり第三者には到底思い浮かばないような、当事者の心の痛みがストレートに伝わってくるということはある。
このように、小説の構成において、語り手を登場させないやり方を、江川卓は「ゼロの語り手」と呼んでいる。小説において、語り手は物語の進行を秩序を以て語り、登場人物たちの相互の関係とか、かれらの置かれている状況とかを、統一した視点から語るわけであるが、その語り手が不在であると、登場人物たちは、自分の言いたいことを勝手に言うようになり、人物同士の関係とか、かれらの置かれた状況とは無関係に、人物の主観的な思い込みがダラダラと表出されることとなる。それは、ほとんどの場合、小説の構成を破綻させる方向に働くものだが、ドストエフスキーの場合には、そうはならずに、人物同士の語り合いが、ある種のハーモニーを奏でるようになる。そう指摘したのは、ロシア・フォルマリズムの旗手バフチンで、バフチンはそれを「ポリフォニー」と読んだ。「ポリフォニー」とは多くの声が同時に聞こえてくるという意味だが、それららの声がばらばらにではなく、ある種の調和を醸し出すということに着目した言葉である。
そのポリフォニックな小説の構造は、ドストエフスキーの世界の最大の特徴だとバフチンは言ったわけだが、その特徴が早くもこの「貧しき人びと」にも現れていると指摘できる。これは、第三者としての語り手が不在のまま、登場人物たちがそれぞれ勝手なことを言いながら、しかもその言い分の間から、或る種の調和が生成してくるのである。
ドストエフスキーの小説世界の特徴について触れたついでに、かれのもう一つの特徴について触れておきたい。それは登場人物の病的な人間性である。ドストエフスキーの小説には、「白痴」のムイシュキン公爵を筆頭として、精神障害を思わせる言動をする人物が多出する。ムイシュキン公爵の場合には、その精神障害は癲癇を思わせ、ドストエフスキー自身が癲癇を患っていた事実がそこに重ねられるのであるが、「貧しき人びと」におけるジェーヴシキンの異様な言動は、癲癇というより、被害妄想を中核とした統合失調症を思わせるものである。ということは、ドストエフスキーは、自身が癲癇の発作に襲われる以前から、精神的な病理に深い関心を抱いていたということになる。そのことを以て、ドストエフスキーは、単に癲癇を患っていたのみならず、早い時期から統合失調症の症状に悩んでおり、その病的な体験を小説の世界に反映させたという見方もある(たとえば中村健之助)。
以上二つのことがらを抑えながらこの小説を読むと、全体の構図が分かりやすく見えてくるのではないか。往復書簡は、四月八日のワルワーラあてのジェーヴシキンの手紙から始まり、同年九月三十日付けのワルワーラの手紙で終わっている。その最後の手紙に対してジェーヴシキンは返事を書いたのだったが、それは彼女に届くことはなかった。その届かなかった手紙の中で、ジェーヴシキンはワルワーラを失ったことに伴う絶望を叫んでいるのである。一方ワルワーラのほうも、ジェーヴシキンへの切ない気持ちを吐露している。彼女は次のように書くのだ。「それでは、もう永久にお別れいたしましょう、あたくしの愛するお友だち、なつかしいお方、永久にさようなら!・・・」。こう書くことでワルワーラは、自分を待っている運命の厳しさに、おののいていたに違いないのだ。一方、届かなかった手紙の最後にジェーヴシキンが記した言葉は次のようなものである。「ああ、わたしの可愛い人、わたしのなつかしい人、わたしのいとしい人!」(以上、木村浩訳)
https://blog2.hix05.com/2023/06/post-7210.html
「貧しき人びと」のロシア文学談義
続壺齋閑話 (2023年6月17日 08:26)
https://blog2.hix05.com/2023/06/post-7223.html
「貧しき人びと」には、ジェーヴシキンとワルワーラがロシア文学について談義する場面がある。これは、ドストエフスキーが小説中の登場人物を借りて、自分自身のロシア文学論を展開したものとする見方もあるが、その部分を読んですぐわかるとおり、ドストエフスキー自身の文学観とは全く関係ないといってよい。そうではなく、これはジェーヴシキンの被害妄想の一例として扱われているのである。
かれらがロシア文学について手紙を通じて語り合うには、それなりの背景が設定されている。ワルワーラは、少女時代にポクロフスキーという青年から文学熱を吹き込まれていた。彼女はその青年を、少女心なりに愛してしまったようで、彼の誕生日祝いとしてプーシキン全集を贈ろうと考えたほどだった。彼女自身もプーシキンを愛読していたように書かれている。一方ジェーヴシキンのほうは、たまたま仲良くなったラタジャーエフという男が作家だったことで、そのラタジャーエフの小説を義理で読んだくらいで、ロシア文学そのものに関心があるわけではない。
かれらの文学談義は、ジェーヴシキンがワルワーラに当てた手紙の中で、友人ラタジャーエフの小説について言及したことから始まる。それを読んだワルワーラが、そんなつまらないものを読んでいないで、もっとましなものを読みなさいとばかりに、プーシキンの「ベールキン物語」を贈り届けるところから、彼らの文学談義が本格化する。その文学談義というのは、ジェーヴシキンが一方的に自身の読後感を披露するという形をとるのであるが、その読後感というのが、小説そのものについての感想というより、小説から自分が受けた衝撃といったものなのである。その衝撃が、被害妄想につながるのだ。
ジェーヴシキンは「ベールキン物語」の中の「駅長」という短編小説からいたく感銘を受けたと言う。この小説は、地方で駅馬車の駅長をしている老人が、たまたま駅に立ち寄った男に、一人娘を拉致されるという筋書きなのだが、その老人にジェーヴシキンは自分自身を重ね合わせ、その老人が一人娘を奪われたように、自分も愛するワルワーラを奪われるのではないかと、心配するのである。その心配には、全く理由がないとはいえないが、しかしあまり現実味はないので、被害妄想の類と言ってよい。
ジェーヴシキンは次に、ゴーゴリの小説「外套」についての感想を書き送る。それは「駅長」の場合よりはるかに被害妄想を感じさせるものだ。「外套」の筋書きはよく知られているので、詳しくは言わないが、ジェーヴシキンはこの小説の哀れな主人公アカーキイ・アカーキエヴィチに自分自身を重ねあわせ、アカーキイ・アカーキエヴィチが蒙った理不尽な仕打ちに強い怒りをおぼえるのである。その怒りは、次のような文章から伝わってくる。「しっかりした理由もないのに、何気なく、こちらの鼻先で、だれかが自分をたねに悪口をいったら、どうします? そりゃ、何か新調でもしたときには、ほんとにうれしくなって、夜も眠らずに、よろこぶものですよ。たとえば新調の靴なんか、有頂天になってはいてみるものですがね。これは本当のことです。わたしだって実感しました。ぴったりした洒落靴をはいた足はわれながら見た目に気持ちがよいものですからね。これはたしかによく書いてありますよ! そうはいうものの、フョードル・フョードロヴィチともあろう人が、こんな本を見逃しておいて、自己弁明ひとつしないのにわたしはびっくりしています」(木村浩訳)。
つまり、ジェーヴシキンは、外套の主人公アカーキイ・アカーケエヴィチに自分自身を同一視させ、アカーキイ・アカーキエヴィチの被った理不尽な仕打ちを、自分自身への侮辱として捉えているわけである。その侮辱への怒りは、おそらくかれを逆上させたのであろう、アカーキイ・アカーキエヴィチとフョードル・フョードロヴィチとを混同する始末である。その挙句に次のように叫ぶのだ。「いったい何のためにこんなものを書くのでしょうか? こんなことがなんの必要があるのです? 読者の誰かが代わりにこのわたしの外套を作ってくれるとでもいうのですか? 新しい靴を買ってくれるとでもいうのですか?」
こうしたジェーヴシキンの被害妄想を、ワルワーラのほうでは冷静に見ていて、たとえばかれの別の妄想について、次のように書いて諭すのだ。「あなたはみなに嘲笑されているとか、みながあたくしたちの関係を知ってしまったとか、同宿の方たちがあたくしを笑い種にしているとかおっしゃっています。マカールさん、そんなことはお気にかけないでください。後生ですから、お気を沈めてください」。
もっともワルワーラは、ジェーヴシキンの苦境をよく理解しているので、次のように書いて、かれを慰めることを忘れない。「ああ、あたくしの大切な方! 不幸は伝染病のようなものですわね。不幸な者や貧しい人たちはお互いに避けあって、もうこれ以上伝染させないようにしなければなりません」。
ドストエフスキーが、この小説の中にロシア文学談義を持ちこんだのは、一義的には、ジェーヴシキンの被害妄想を強調するためだったといえようが、ジェーヴシキンとワルワーラの不幸な関係を際立たせるという意図もあったのであろう。じっさい、「駅長」では哀れな老人が娘を永遠に奪われたのであるが、それと同じように、ジェーヴシキンも愛するワルワーラを永遠に失なってしまうのだ。愛するものを失う悲しさを、ドストエフスキーほど切々と描写した作家はそれほどはいない。後にソルジェニーツィンが、「ガン病棟」の中で、愛する女を永遠に失なったことへの嘆きを、心底から絞り出すように表現するシーンがあるくらいである。
https://blog2.hix05.com/2023/06/post-7223.html
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2024/02/01 (Thu) 21:21:37
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ステパン先生とワルワーラ夫人:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年1月27日 08:29)
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7633.html
小説「悪霊」のメーン・テーマは、ロシアに生まれつつあった革命組織の運動を描くことであるが、それに入る前に、ステパン先生とワルワーラ夫人との関係を描いている。これは、この小説の二人の主人公ニコライ・スタヴローギンとピョートル・ヴェルホーヴェヴェンスキーが、それぞれワルワーラ夫人とステパン先生の息子であることを考えれば、不自然なことではない。それに、語り手のアントン・ラヴレンチェヴィッチがステパン先生と特別深い関係にあり、したがってワルワーラ夫人とも密接な関係にあったことを考えれば、ステパン先生とワルワーラ夫人をめぐることから筆を起こすというのは、ある意味必然のことなのである。というのも、ステパン先生は、生来リベラルな傾向があって、ニコライ・スタヴローギンにリベラルな教育を施し、また、町の若者たちにも思想的な影響を及ぼしていた。だから、ステパン先生には、この小説のメーン・テーマである革命組織の運動に一定のかかわりを指摘することができるのである。それゆえ、ステパン先生の登場から小説を始めるのは、理にかなっている。
この長編小説は三部構成をとっているのだが、第一部は、ステパン先生とワルワーラ夫人を中心に展開していく。ニコライとピョートル、また五人組をはじめとした他の主要キャラクターも比較的早い段階で登場するのだが、第一部のメーン・キャラクターはステパン先生とワルワーラ夫人であり続ける。それゆえ、この小説の大事な部分をこの二人が担っているということになる。この二人は、メーン・テーマである革命運動の関係者という位置づけにとどまらず、かれらだけでも物語が成立するような、独特の関係性を築いているのである。それを簡単に特徴づけるわけにはいかないが、おそらく異論なく言えることは、かれらが古いロシアを代表しているということではないか。その古いロシアを象徴するかのように、ステパン先生は小説の最後を自分の死で飾るのであり、また、ワルワーラ夫人は、いままで真剣に面倒を見たことのない息子ニコライに未来を託そうと思うのである。
ステパン先生とワルワーラ夫人の関係は、ステパン先生がワルワーラ夫人の庇護を受けているというものである。ステパン先生は、ワルワーラ夫人の領地の隣に自分の小さな領地を持っていたという事情もあって、ワルワーラ夫人の息子ニコライの家庭教師役をつとめたのがきっかけで、ワルワーラ夫人の庇護下に入ることとなった。ステパン先生はリベラルな思想の持ち主で、ニコライもその思想に感化されたようである。また、ドロズドフ家の娘リザヴェータもステパン先生の教えを受けた。ステパン先生はそのほか、町に住んでいる青年たちにも精神的な影響力を発揮していた。こんな風にいうと、ステパン先生がロシアの新しい傾向を代表しているかのように聞こえるかもしれないが、ステパン先生のリベラリズムは根が浅いものであって、決して新しいロシアを代表したわけではない。その証拠に、ステパン先生は、リベラルな思想を実践しようとしているふうには見えない。かれは、ワルワーラ夫人の居候としてふるまい続けている。男が居候としてふるまい、その男を女が支配するというのは、これはいかにも古いロシアの姿なのである。
ワルワーラ夫人は、支配欲の強い女性であり、接する相手に対して威圧的に振舞う傾向がある。そんな性格だから、ステパン先生に対して庇護者然として振舞う。ステパン先生を、自分の思い通りにすることができると考えている。その証拠に、ワルワーラ夫人は召使として使っていたダーリアという女性とステパン先生を結婚させようとする。これはなかば強制的な命令だから、ダーリアが逆らえないのは無論、ステパン先生にも逆らえない。ところが、ステパン先生が本当に結婚したいと考えている相手はワルワーラ夫人なのである。ステパン先生は、いちどそんな自分の思いを、夫人に向かってほのめかしたことがある。そのさいに夫人が言った言葉は、そんなことは決してゆるしませんからね、というものだった。その言葉が頭にこびりついて、ステパン先生は夫人への思いを口に出して言えないのであった。
ワルワーラ夫人は、ステパン先生とは違って、リベラルな考えを持つことはない。彼女はロシアの伝統的な価値観を体現した人物なのだ。だから、新しく知事として赴任してきたランプケの夫人ユリアがリベラルなイメージを振りまくのをみて不快に感じる。そのユリアと相性がいいのはステパン先生で、かれはユリア夫人のサロンに集まったリベラルな青年たちとともに、ユリア夫人に愛嬌を振りまくのである。そんなこともあって、ステパン先生とワルワーラ夫人の関係は不安定になっていく。
ところで、ステパン先生の本名は、ステパン・トロフィーモヴィッチ・ヴェルホーヴェンスキーという。それがステパン先生と呼ばれるようになったのは、一つにはニコライらの家庭教師だということもあるが、それ以上に、ステパン先生が学者として自分を押し出していたためである。だがステパン先生の学者としての能力は大したものではなかった。だからかれが先生と呼ばれるのは、なかば嘲笑的な献辞だったのである。もっとも先生が学者として無能なのは、そんなに恥ずかしいことではない。ロシアでは、学者は無能だと決まっている、と語り手は言って、先生に花を持たせるのである。
ともあれ、ステパン先生とワルワーラ夫人に大きな危機がせまる。それは、ワルワーラ夫人が用意したダーリアとの結婚話に先生が難色をしめしたことから起きた。先生にはこの結婚は意に染まず、その不満を息子のピョートルに愚痴った。その愚痴をピョートルが夫人に漏らしたところ、夫人は激怒するのである。その時ステパン先生は、過去に聞かされた「わたしは決して許しませんからね」という言葉を、もう一度聞かされるのである。
先生と夫人をめぐるエピソードはそれこそ星の数ほどあるし、小説の途中から彼らの存在感は極めて小さくなるので、ここで一足飛びに、小説の最後の部分に移ることにしたい。この小説の最後は、ステパン先生の死が飾るのである。小説の最後の部分で、ステパン先生は生涯最後の旅に出る。というのも、その旅の果てにかれは死んでしまうのである。かれが旅に出た理由は、ワルワーラ夫人の支配から自由になりたいというものだった。かれはいまだに夫人を愛していたが、しかし、夫人の支配には我慢できなくなった。これ以上奴隷的に生きたいとは思わなかったのだ。その旅の途中、先生は聖書売りの女ソフィアと意気投合し、結婚しようとまで言うようになる。だが、結婚する前に彼は死んでしまうのだ。その彼の死のベッドにワルワーラ夫人が駆け付ける。夫人を見た先生は感極まって叫ぶ。わたしはあなたを愛しています。この二十年間、あなたを愛し続けてきました。その言葉を聞かされた夫人は絶句する。夫人もまた、かれを愛していたのだ。
こんなわけで、この小説にはステパン先生とワルワーラ夫人との不幸な愛をテーマとしたサブプロットが仕組まれているのである。このサブプロットがあるために、小説に厚みと深さが生まれるのである。
https://blog2.hix05.com/2024/01/post-7633.html
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2024/02/04 (Sun) 16:31:23
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ニコライ・スタヴローギンとは何者か:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年2月 3日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7647.html
ニコライ・スタヴローギンは、小説「悪霊」の中でもっとも重要な役割を担わされている人物だ。だが、それにしては謎が多い。この小説のメーン・プロットは、革命思想を抱いた集団の異常な活動ぶりを描くことからなる。その一環として、市街地の放火事件を起こしたり、密告の疑いをかけた男を殺したりする。また、自殺願望の男を、自分たちのシナリオに都合よく利用したりもする。そうした一連の事件がこの小説のメーン・プロットの内容をなすのであるが、それらに直接かかわるのは、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーのほうであって、ニコライ・スタヴローギンは全くと言ってよいほどかかわらないのである。にもかかわらず、かれは非常に影響力の強い存在で、インタナショナルに直接つながる重要人物だというふうに、その集団から思われている。ピョートルなどは、ニコライを自分らの運動の指導者と思い込んでいる。だが、本人はそんなことは思いもよらない。かれは、かつては革命運動にかかわったことがあるらしいが、いまでは、そんなことには興味を抱いていないのだ。
そんなニコライを、この小説はなぜ主人公として扱っているのか。メーン・プロットの趣旨からすれば、ピョートルとその仲間たちこそ、小説全体を動かしていくメーン・キャラクターであってよいはずである。ところが、ピョートルはニコライの付属物のような扱い方をされている。かれは、自分の意志で行動するというよりは、インタナショナルの指導を受けて行動するというふりをするのだが、そのさいに、ニコライがそのインタナショナルを体現する人物だと思い込んでいるのである。つまり、小説は、ニコライを小説全体を代表する主人公として設定し、ピョートルらの行動は、ニコライの立てた方針を具体化するというような擬制をとっているのだ。ところが、ややこしいことに、ニコライ自身には、革命への関心など全くない。そこが、かれが謎であることの原因なのである。
小説が展開する過程で、いくつか山場となる事件が起きる。シュピグーリン工場の労働者たちによる争議行為、市街地への放火とレビャートキン兄妹の殺害、シャートフの殺害、キリーロフの拳銃自殺などである。これらの事件にニコライは直接かかわっていない。ただレビャートキン兄妹が殺された事情は知っていたらしい。かれは無法者のフェージカが兄妹を殺すつもりだったことを知っていながら、それを見逃すことで、結果的に兄妹殺害に加担したということらしいのである。レビャートキン兄妹殺し以外の事件にかかわっているのは、ピョートルのほうである。だが、そのピョートルについては、行動の逐次的な描写がなされないので、読者としてはもどかしい気持ちをさせられるのだ。読者が聞かされるのは、主にニコライの行動についてであって、ピョートルはニコライとのかかわりのなかで、付随的に語られるといった扱いなのだ。それは、語り手の注目が、ピョートルよりニコライのほうへより強く向いているためである。
ニコライに直接かかわるエピソードとしては、四年ぶりに故郷へ戻ってきたその日に、シャートフから暴力を振るわれながら反撃しなかったこと、頭の狂ったびっこの女マリア・レビャートキナを妻と認めたこと、ガガーノフという男と決闘したこと、リザヴェータとのすれ違いの愛などがあげられる。だが、これらのエピソードは、ニコライ個人にかかわるもので、メーン・プロットたる革命運動の描写とはかかわりない。
とはいっても。ニコライが革命運動とまったくかかわりないということではない。革命運動と何らかのかたちでかかわっている人物とは、ニコライは接点をもっている。とうのも、かれはかつてはその運動のメンバーでもあったのだ。メンバーだった時代に、ピョートルと出会い、かれを強く感化したらしい。ニコライが革命運動にかかわったのはスイスにいた時分ということになっているが、そのスイスでピョートルの仲間のヴィルギンスキーらとか、シャートフ、キリーロフ、レビャートキン兄妹らと付き合っている。マリア・レビャートキナと結婚したのはスイスでのことだ。そんな背景があるから、ピョートルがニコライをいまでも仲間と思うことにはそれなりの理由があるのだ。
ニコライがなぜ革命運動から足を洗ったかについては、詳しい叙述はない。かれは、ピョートルらの動向を知っていながら、途中で姿を消してしまう。それをピョートルは裏切りだと思うのだが、ニコライ本人にはそんな運動にコミットしているという意識はないから、裏切りでもなんでもない。ただ、もはやこの町にいる理由がなくなったからにほかならない。その理由とは、一つにはマリア・レビャートキナとの関係にけじめをつけること、もう一つは、リザヴェータとの間に愛の関係を築くことだ。その二人とも死んでしまったからには、ニコライには町にとどまる理由はなにもないのだ。リザヴェータが死んだのは、不慮の事故のようなものだった。彼女はレビャートキン兄妹の殺害現場を見に行った時に、暴徒によって殺されたのだが、それはニコライとの愛人関係を疑われていたことと関係がある。暴徒たちは、レビャートキナはニコライに殺されたのであり、それはリザヴェータとの結婚にマリアが邪魔になったからだと邪推したのである。
こうしてみると、ニコライは、女性関係を調整するために故郷へもどってきたのであり、その際にたまたまピョートルらの革命遊びに巻き込まれたということになるようだ。そうだとすれば、この小説のメーン・プロットにとっては、ニコライは不可欠の存在とはいえない。にもかかわらすドストエフスキーがニコライをこの小説に登場させて、しかも重要な役割を担わせたのは、どんな理由からか。ドストエフスキーは、自分自身をニコライに重ね合わせ、ニコライを通じて、自分自身を語りたかったのではないか。ニコライには、精神病理現象が指摘できる。正常な判断能力を失ったり、耐えがたいほどの苦痛に快楽を感じたり、癲癇の発作への予感があったりというものだ。そういう精神病理現象は、ほかの小説でも繰り返し取り上げられている。それはドストエフスキー自身の精神病理を作品に反映したものと考えられる。そうした精神病理のほか、自分が抱えるさまざまな問題を、ドストエフスキーはニコライを通じて表現したかったのではないか。
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2024/02/11 (Sun) 02:29:25
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ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーと革命運動組織:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年2月10日 08:16)
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小説「悪霊」は、ネチャーエフ事件をきっかけに書かれた。ネチャーエフ事件とは、革命運動組織の仲間割れからおきたリンチ殺人事件である。それをネチャーエフが主導した。この事件では、80名以上の組織メンバーが検挙されたが、ネチャーエフ本人は外国に逃れた。ドストエフスキーがこの小説を書いたときには、まだスイスあたりで活動していた。そのネチャーエフに相当する人物がピョートル・ヴェルホーヴェンスキーである。
ピョートルは要領がよく、また組織能力の高い人物である。なにしろ、生まれて以来初めて訪れた町で、大勢の有力者と親しくなったばかりか、五人組と称する革命組織をあっという間に立ち上げてしまうのだ。しかもかれらを主導してとんでもないことまで実行する。リンチ殺人とか、自殺幇助という形をとった事実上の殺人である。余程の組織力がなければ、そんなことはできない。
ところがピョートルの行動には、謎の部分が多いのである。彼は一応革命運動の組織者である。組織者というのは、思想的にはっきりした態度をとり、しかも自立性がなければなるまい。ところがこの小説の中のピョートルは、確固とした思想をもった人物のようには描かれておらず、また、自立性も強いとはいえない。かれは、ニコライ・スタヴローギンの配下のように振舞っているのである。仲間たちに対しては、自分はインタナショナルの指示を受ける立場にあり、自分がかかわったこの五人組と同じような組織がロシア全国に無数にあるというようなことを言っているのだが、かれがインタナショナルと直接つながっているというようには書かれていない。インタナショナルにつながっているのはニコライとされているのである。そのニコライの権威を利用することで、ピョートルは自分自身の権威を基礎づけようとしている。ところが当のニコライは、インタナショナルとも、またいかなる革命組織ともかかわりがないようなのだ。ないようなのだ、というのは、小説自体がそのことに触れていないからだ。
ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーはステパン先生の息子である。だが、かれが父親と逢ったのは、この小説に登場する以前に二度しかない。生まれた時と、学生時代に一度逢った時だけである。生まれた時のことは覚えていないだろうから、実質的には一度逢ったきりだということになる。だから、かれが父親のリベラルな思想に感化されたということはない。かれが思想的な影響を受けたのは、ニコライからである。そのニコライをあまりにも崇拝してしまったために、かれはニコライの同意のもとに革命運動に頭を突っ込んだという形になっている。彼自身が、自分はニコライの指導を受けて運動に邁進していると思い込んでいるのである。そのちぐはぐさが、ピョートルの謎の多い行動の原因となっている。
ピョートルは、事実上生まれて初めて訪れた町で、町の名士たちと懇意な関係を築いたほかに、五人組と称する革命組織を立ち上げる。その組織のメンバーは、かれの父親であるステパン先生の弟子たちであり、したがってリベラルな考え方の持ち主だった。そのリベラリズムをピョートルは過激化させて、革命運動に巻き込んだということになる。しかし短期間にそこまでやったということは、ピョートルの組織能力が並々ならぬものだったことを物語っている。
だがピョートルは、革命運動を担うべき組織を立ち上げたはいいが、肝心の革命運動そのものを実施しようとはしていない。シュピグーリン工場の争議についても、ピョートル自身はまったくかかわっていない。メンバーのだれかが労働者をたきつけた可能性が指摘されているだけである。では、その肝心の革命運動のプログラムをピョートルはどう考えていたのか。どうやら、自分自身の考えは持っていないようである。それについては、ピョートルはニコライから具体的な指示がもらえると思っている。ところが、そのニコライが途中で姿を消してしまう。取り残されたと感じたピョートルが、自分でやろうと考えたのは、シャートフの殺害くらいなのである。
ピョートルの先導する五人組によるシャートフの殺害が、この小説最大の山場のひとつである。殺害の理由は、シャートフが自分たちを密告する可能性が強いというものだ。シャートフ自身には、そんなつもりはない。だから、ピョートルの妄想といってよいのだが、その妄想が五人組を動かすところに、ある種の不気味さがある。メンバーの中には(ヴィルギンスキー)、ピョートルのシャートフに対する個人的な怨恨がかれに殺意を抱かせたと指摘するものがあるくらいだ。ほかにも殺害に反対する意見が出たが、ピョートルは強引にシャートフを殺害する。直接手をくだしたのはピョートルだが、リプーチンとエルケリもそれに手を貸した。
リプーチンは、キリーロフの自殺幇助についても、ピョートルに従っている。かれはその時点では、ピョートルを全く信用しておらず、すぐにも五人組から足を洗うつもりになっていたのだったが、どうも余計なことに頭を突っ込みたがる傾向があって、とことんまでピョートルに付き合ってしまうのだ。五人組のメンバーの中には、リャムシンというユダヤ人がいて、これがシャートフ殺害について官憲に密告する。その密告にしたがって、五人組は検挙される。だが首領のピョートルはすばやく外国に高跳びして、逮捕を免れるのである。そのあたりは、ネチャーエフ自身の行動そのままである。
こうしてみると、ピョートルとかれが立ち上げた五人組は、革命運動のための組織を標榜しながら、実際にはなんら革命的な行動はしていない。かれらがやったことは、疑心暗鬼の末の仲間殺し(厳密には元の革命運動仲間の殺害)である。そこが、一時期日本を騒がせた、連合赤軍のリンチ殺人事件と似ているというので、この小説はたいへんな関心を呼んだものだ。日本では、ドストエフスキーの小説の中でもっとも重要視されるのは、いまだにこの「悪霊」なのである。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7661.html
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2024/02/17 (Sat) 21:45:46
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シャートフの死:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年2月17日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7674.html
小説「悪霊」の最大の山場は、ピョートルらによるシャートフ殺害だ。小説のモデルとなったネチャーエフ事件がネチャーエフらによる仲間の殺害だったということからすれば、この小説の山場がシャートフ殺害に設定されていることは自然なことだ。ネチャーエフ事件と同様、密告の防止が殺害の原因とされている。だが実際には、シャートフに密告する意志があったようには思えない。ピョートルの勝手な思い込みといってよい。ピョートルは、シャートフが組織から自発的に脱退しようとしていることに腹をたてており、その意趣返しとして密告の濡れ衣を着せ、シャートフ殺害を合理化したように受け取れるような書き方になっている。
シャートフの名が小説の中で現れるのは、まずダーリアの兄としてである。ダーリアはワルワーラ夫人に使える小間使いだ。後にワルワーラ夫人が彼女をステパン先生と結婚させようとする。シャートフ一家はもともとワルワーラ夫人の農奴だったから、夫人はダーリアを将棋の持ち駒のように扱うのだ。
シャートフ自身は、リザヴェータから興味を持たれるという形で現れる。語り手がかれをリザヴェータに引き合わせるのだ。その際にリザヴェータは、かれが持っている印刷機を、自分のために役立たせてほしいと要求する。それに対してかれは拒絶反応を示す。その理由は追って明らかにされる。彼が持っている印刷機は、過去のいやな思い出と結びついているのだ。その場面の中でシャートフは意味深長なことを語り手に言う。「かつてのぼくはただ下男に生まれついただけだったが、いまのぼくは、あなた同様、自分が下男になってしまったんですよ。わがロシアのリベラリストというのは、何よりも下男で、だれか靴を磨いてやる相手はいないかと、きょろきょろしているだけが能なんですよ」(江川卓訳)。
ついでシャートフは、ニコライが家に戻ってくる場面に居合わせ、そこでいきなりニコライに暴力を加えるという印象的な行為をする。かれがニコライに暴力をふるった理由ははっきり書かれていない。ただ、シャートフにとってニコライは主人の息子であり、またかつてスイスで一緒にいたことが明らかにされる。そのニコライにかれは、複雑な感情をもっていたようだ。一方では、思想的な影響を受けながら、もう一方では憎まずにはいられない。その憎しみの原因は、後のシーンでほのめかされる。愛する妻をニコライに奪われたあげく、その妻がニコライの子を産むことになったのである。だから彼には、ニコライを憎む十分な理由があるわけだ。そのシャートフの行為に対してニコライは反撃しない。それは、かれの気性からすれば理解しがたいことなのだが、その理由については、本文では明かされない。本文から排除された「スタヴローギンの告白」の中で多少触れられているばかりである。
シャートフは転向者として書かれている。かれは一時革命組織に属していた。おそらくニコライに影響されたのであろう。だが、ニコライが革命組織に属していたことをかれは知らなかったと書かれている。いずれにしても、シャートフは革命組織の運動に愛想をつかし、足を洗いたがっている。ところが革命組織のほうでは、勝手な脱会は許さない。もしそんなことをすれば、殺しにかかるだろう。そういう趣旨のことを、ニコライはシャートフに語って聞かせる。
一方シャートフは、自分が転向した理由をニコライに語る。それは、ロシア主義に目覚めたからだというのである。かれは、すべての国民はそれ固有の神を持つべきだと考える。神を持たない国民は人間らしい生き方はできない。だから、リベラリズムは非人間的なのである。ロシアの革命組織はリベラリズムを掲げているから、かれらは人間的な組織ではない。そんな組織に属するわけにはいかない、というのがシャートフの理屈なのである。
シャートフは言う。「すべての国民、と言わぬまでも多くの国民が一つの共通の神をもっていた例はいまだかつてなく、つねにそれぞれの国民が独自の神をもっていた。神が共通のものとなれば、神も神への信仰も、その国民自身とともに死滅する。一国民が強力であればあるほど、その神は独自である・・・しかし真理は一つですから、したがって、諸国民の間でただ一つの国民だけが真実の神をもつことができる。なるほど他の諸国民も自分たち独自の偉大な神をもってはいますがね、<神の体得者>である唯一の国民~それはロシア国民です」。
シャートフが、ニコライに向かって、チホンのところへ行けと勧めるのは、そのすぐ後である。
シャートフは結局、ピョートルらによって殺される。ピョートルがなぜシャートフ殺しにこだわったのか、その動機として密告があげられているが、シャートフ自身にはそのような意志はない。だから、密告はただの言い訳で、そのほかに理由があったのだろうと思わせる。その理由とは、シャートフに対するピョートルの私怨ではないか。そんなことをリプーチンがほのめかしたりする。
殺されるのに先がけて、シャートフの妻が妊娠した身体で戻ってくる。ニコライの子を宿しているのだ。そのことをシャートフは十分わかったうえで、妻と子と三人で新しく生き始めようとまで考える。シャートフは、基本的にはお人好しな人間なのである。そんな折に、ピョートルの使いがやってきて、印刷機を引き渡せという。それと引き換えに組織からの脱退を認めようというのだ。だがそれは嘘だった。シャートフはおびき出されたその場所で、ピョートルに頭を打ちぬかれ、殺されてしまうのだ。
シャートフには精神的な病理現象は感じられないが、ロシア主義に心酔している点では、ドストエフスキーの生き鏡のようなところがある。この小説のなかで、ドストエフスキー自身ともっとも似ているのはニコライだが、シャートフはその次に似ていると言えるのではないか。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7674.html
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2024/02/25 (Sun) 05:17:08
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キリーロフの自殺:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年2月24日 08:26)
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7686.html
キリーロフの自殺は、シャートフの殺害とならんで、小説「悪霊」の最大の山場だ。この二人は、ともに革命組織に属したことがあり、また、一緒にアメリカでの生活をしたうえで、故郷の町に戻ってきて、同じアパートで暮らしているが、互いに避けあうような仲になっていた。その二人のうち、シャートフは密告の懸念を理由に殺されるのであるが、キリーロフは別の形で利用される。キリーロフには自殺願望があって、それをピョートルが組織のために利用しようと考えたのだ。かれに適当な時期に自殺させ、そのさいに遺書を残させる。遺書には組織にとって都合のよいことを書かせておく。組織がやった犯罪行為を、自分がやったように見せかけ、官憲の操作をかく乱することが目的なのだ。ピョートルの目論見どおり、キリーロフはピョートルに都合のよい遺書を残して死んだ。
そこでキリーロフという人物については、彼がなぜ自殺願望を持つに至ったかが問題となる。それについては、キリーロフが自殺の意志を表現する場面がいくつかある。主なものは、スタヴローギンから決闘の介添人を頼まれた時のやりとり、及びピョートルから自殺の実行を促されたときのやり取りである。それらのやり取りのなかで、キリーロフは自分が自殺を決意した理由の一端を語っている。
その前に、小説の語り手アントン・ラヴレンチェヴィッチに向かって、自殺についての一般論的な見解を示している。その時には、かれはすでに自殺を決意しているので、人間が自殺することはごく自然なことだという確信をもっている。かれによれば、自殺する人には二種類ある。一つは非常な悲しみや憎しみから自殺する人、でなければ大した考えもなく突然自殺する人。問題なのは前者のタイプの自殺である。非常な悲しみや憎しみは生きることの苦痛や恐怖からくる。そこから次のような理屈が展開される。「生は苦痛です、生は恐怖です。だから人間は不幸なんです。いまは苦痛と恐怖ばかりですよ。いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。そういうふうに作られてもいる。いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている。ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。いまの人間はまだ人間じゃない。幸福で、誇り高い人間が出てきますよ。生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なのです。苦痛と恐怖に打ち勝つものが、みずから神になる。そしてあの神はいなくなる」(江川卓訳)
この理屈だと、自分は新しい人間、自ら神としての人間となるために自殺するのだということになる。死んで神となるというのは、これはキリスト教的な思想だ。キリストも死ぬことで神と一体となったのだ。もっともロシア正教を含めて、キリスト教は自殺に否定的なのだが。
スタヴローギンがキリーロフに決闘の介添人を頼んだのは、キリーロフなら断らないという確信があったからだ。その理由は明らかにされていないが、キリーロフにとって死は親しいものだと考えたのでもあろう。じっさいキリーロフは、二つ返事で了承する。その際にスタヴローギンは、キリーロフに向かって、「君はまだ同じ考えなんですね?」と尋ねる。同じ考えというのは、自殺するという考えのことである。キリーロフは「同じです」と答える。この時点で、スタヴローギンは決闘相手を殺す意志はもっておらず、自分が殺される可能性も念頭にあった。だから自分が しねば、それは自殺と大した相違はないということになる。だから、スタヴローギンがキリーロフを介添人に選んだのは、自殺の観念を共有していたからだと言えなくもない。
そうしたスタヴローギンの意志を見抜いたのだろう、決闘が終わった後、なぜ相手を殺そうとしなかったかとキリーロフはスタヴローギンに問い詰める。相手を殺す意志がないのなら、決闘を申し込む理由がない。それにスタヴローギンが生き残ったのは、相手への侮辱にほかならない。初めから相手を侮辱するつもりで決闘を申し込んだと受け取られてもしかたがない。それに対してスタヴローギンは、それよりやりようがなかったと弁明する。自分は死ぬのは怖くないが、相手の侮辱を耐え続けることはできない、というのだ。決闘をすれば、相手の侮辱もやむだろう。自分はそれを期待して、殺される可能性を受け入れながら、決闘を申し込んだというのである。それについてキリーロフは、「僕にとって重荷が軽く思えるのが生まれつきだとしたら、きみにとって、重荷がつらく思えるのも、やはり生まれつきかも知れませんね」と感想を述べる。キリーロフは、自分の自殺については鷹揚だが、他人が自殺的な行為をするのは、あまりよくは考えていないのだ。
キリーロフはかねてから、自分の自殺をピョートルらが利用することを了解していた。なぜそんな気になったのかわからない。本人は、どうせ自殺するのなら、いつ死んでも同じだし、また、他人が自分の自殺を都合よく利用するのもかまわないと言っているのだが、他人の都合で自殺することの大した理由にはならないだろう。そこが、キリーロフという人間の不可解なところだ。また、そんなキリーロフが自分たちの都合に合わせて死んでくれるだろうと期待するピョートルも不可解なところがある。
自殺の実行はシャートフ殺害の直後に設定される。キリーロフの遺書に、この殺害について事実関係を歪曲し、官憲を惑わせるようなことを書かせることが狙いだ。その場面で、キリーロフとピョートルの間でやりとりがある。その中でキリーロフは、自分が自殺することの意義を主張する。やはりキリーロフは、一人でひっそり死んでいくより、他人にその意義を知ってもらいたいタイプの人間のようである。自分が自殺する理由は、神を信じていないことを証明するためだとキリーロフは主張する。「ぼくには、自分が信仰をもっていないことを信ずる義務があるのだ。ぼくは自分ではじめ、自分で始末をつけ、扉を開いてやるのだ。そして救ってやるのだ。このことだけがすべての人を救い、次の世代を肉体的に生まれ変わらせることができる方法なんだ」。
それに対してピョートルは、キリーロフはいまだに神を信じていると受け取る。「何より頭にくるのは、あいつが坊主より熱心に神を信じていることだ・・・絶対に自殺なんかしっこない! ああいう、<思弁だけの>やつらが、このところやけに増えてきたな」。実際にはキリーロフは、拳銃で自分の頭を撃って死ぬのである。
https://blog2.hix05.com/2024/02/post-7686.html
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2024/03/02 (Sat) 09:20:45
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レビャートキンとレビャートキナ嬢:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年3月 2日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7700.html
レビャートキン大尉とその妹レビャートキナ嬢マリアは、小説「悪霊」の本筋にとって重要な人物ではない。ただし、主人公のニコライとは親密な関係にある。とくにマリアは、ニコライの妻である。ニコライはその事実を自分から世間に向かって公表せず、マリアのほうも、痴呆状態になってしまっており、ニコライを夫として認識できないでいる。兄のレビャートキンは、そんな妹をニコライとの絆をつなきとめておく人質みたいに扱っている。この二人は、小説の終わり近いところで殺されてしまうのであるが、それまでは、ニコライに付きまといながら、ニコライの人間性を浮かび上がらせる役目を果たし続ける。要するにニコライという人物にとっての写し鏡のような存在なのである。
ニコライがマリアと結婚したのはスイスにいた時のことである。その辺のいきさつは、小説から除外された「スタヴローギンの告白」の中で詳しく書かれている。現存のテクストでは、それとなく触れられているだけである。ともあれ二人はその後ロシアにもどり、シャートフらと同じアパートに住んでいる。時折スタヴローギンから金をもらっているが、だいたいは文無しの状態である。レビャートキンは大酒のみで、金がはいるとすぐに飲んでしまうのだ。
レビャートキンは、ガサツな人間で、無教養であり、自分の考えも持っていないので、小説のなかで気の利いた振る舞いはできない。ただ、詩を書くという変な趣味があって、その趣味をラヴレターの作成に活用する。レビャートキンは、リザヴェータにすっかり惚れ込んでしまい、彼女にラヴレターを書くのだ。無教養な男だから、女をうっとりさせるような文章は書けず、かえって女を警戒させるだけである。
そんなわけで、レビャートキンが活躍する場面はほとんどないのであるが、ひとつだけ、活躍する場面がある。レンプケ夫人が催した大パーティーの場面で、変な詩を朗読するのだ。その詩の作成にはリプーチンも加わっており、リベラリズムの思想が盛り込まれている。だが、支離滅裂な内容で、人の理解を期待できるような代物ではない。かれの果たした役割は、ただただパーティーをぶち壊しにするのに大いに貢献したということだけである。
レビャートキンは、頭の狂った妹にしょっちゅう暴力を加えている。そんな兄を妹は頭から馬鹿にしている。シャートフが彼女に向かって「兄貴と一緒にいてたのしいかい?」と聞くと、こういうのだ。「あんた、レビャートキンのことを言ってるの? あれはわたしの下男よ。あんなやつ、ここにいようといまいと、わたしには関係なし。私がね、一声、『レビャートキン、水を持ってきなさい、レビャートキン、靴をもちなさい』ってどやしつけてやるとね、さっそく駆け出すわ。どうかするとまちがえることもあってね、見ているとおかしくて」(江川卓訳)。
そんな彼女の異常な態度をシャートフは見抜いている。「自分に話しかけらえているのでなければ、この女はすぐに聞くのをやめて、たちまちころりと自分の空想にふけりだすんだから、ほんとにころりとですよ。大変な空想家でしてね、朝からぶっとおし、八時間でも一つところに座ってますよ」と語り手に向かって解説するのだ。
そんなマリアをニコライは、自分の正式の妻だと、世間に向かって公表する気になる。すくなくとも、マヴリーキーにはその事実を話す。だが、彼女を妻とする考えは捨てる。彼女は完全に狂ってしまっており、人間的な生き方は望めないと考えたからだ。だからといって、ぼろのように捨てるわけにはいかない。そこで、もう一度修道院に入る気はないかともちかける。だが彼女は拒絶する。自分を捨てようとする意志を感じたからだ。しかも彼女は、目の前にいるニコライをかつての自分の愛人だったとは認識できない。自分の愛人は公爵だったが、ニコライはその公爵ではない。では公爵はどこにいったのか。お前が殺したのか、とニコライに詰め寄るざまである。
ニコライが、自分こそあなたの夫なんだとくりかえすと、マリアは言うのだ。おまえはあの人じゃない、「わたしの鷹は、どんな上流のお嬢さんの前だって、わたしのことを恥ずかしがったりするはずがない!」
ニコライはそんなマリアのことを、「ええ、この白痴女め」と言って、彼女とこれ以上かかわるのをやめる。彼女は兄と一緒に殺されてしまうのだが、そのこと(殺されようとしていること)をニコライは知っていながら、やめさせることをしなかった。レビャートキンに大金が入ったことをかぎつけたフェージカが、かれらを殺して奪うつもりでいることをニコライは察知しながら、フェージカをそのまま野放しにしたのである。
この小説の中でのマリア・レビャートキナの存在は、ニコライの人間性の酷薄な面を浮かび上がらせるためにあるようなものである。一方兄のレビャートキンは、マリアの置かれた境遇の悲惨さを強調するための引き立て役に徹しているように思える。だから彼らは、殺された後は、小説の中でさえ、生きていた痕跡をまったく残さないのである。
なお、マリアはかつて子供を産んだことがあるとリザヴェータに話している。彼女が子供を産んだという話は、その場面で出てくるだけなので、ほんとにあったことなのか、それとも彼女の幻想にすぎないのか、読者には判断がつかない。ニコライもそんなことは匂わせていないからだ。ニコライが子供を産ませたのは、シャートフの妻マリーだけだということになっている。大体この小説は、語り手が小説の中の登場人物に設定されいてるおかげで、語り口が自由ではなく、したがってすべての事実が語られるわけではないのである。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7700.html
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2024/03/09 (Sat) 12:42:10
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スタヴローギンの告白:ドストエフスキー「悪霊」を読む
続壺齋閑話 (2024年3月 9日 08:43) |
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7709.html
「スタヴローギンの告白」は、そもそも「悪霊」のために書かれたものである。ドストエフスキーはこの文章を、第二部第八章に続くものとして書いたのだったが、色々な事情があって、本文から排除してしまった。出版社の意向に左右されたというのが有力な説である。この文章には、スタヴローギンがいたいけな少女を性的に虐待し、その結果自殺に追いやる場面が出てくる。それは、スタヴローギンの異常な人格を浮かび上がらせるための工夫だったと思われるが、あまりにも陰惨な内容だったため、出版社が拒絶反応を示した。ドストエフスキーはそれに逆らえず、この文章を排除することに同意したということらしい。
第二部第八章は、「イワン皇子」と題して、スタヴローギンとピョートル・ヴェルホーヴェンスキーのやり取りを描いている。革命に向けて決起を呼びかけるピョートルに対してスタヴローギンが拒絶する。自分には革命を起こそうという気はないし、そもそもそんな思想を抱いたこともない。自分は君が考えているような男ではないのだ、というのがスタヴローギンの言い分である。では、スタヴローギンとはそもそもどんな人間だったのか、という疑問がわく。その疑問に答えるのが、この文章「スタヴローギンの告白」なのである。
この文章は、スタヴローギンがチホン僧正という人物を訪問し、その際に自分の過去のことを記した文章を持参したということが書かれている。大半は、その文章の紹介と、それをめぐる二人の議論である。その文章は懺悔録といってもよいが、別に信仰を前提としたものではなく、単に自分が犯した罪を世間に知ってもらいたいという衝動から書かれたものだ。だいいちこの告白録はすでに印刷されており、スタヴローギンはその印刷物を世間にばらまく考えも抱いているのだ。それを印刷したのは、前後の文脈からしてシャートフだと知れる。そのシャートフがスタヴローギンにチホンと会うことをすすめたのである。シャートフはその文章を読んでいて、チホンなら理解してくれるだろうと考えたのではないか。
この文章は、三つの部分からなる。スタヴローギンがチホンを訪ねた経緯、「スタヴローギンより」と題された告白録の本文、その文章を読んでのチホンのアドバイスである。
スタヴローギンは、なぜ自分がここに来る気になったかわからないと言いながら、チホンに向かって、自分には悪霊が取りついていると告白する。それに対してチホンは、悪霊が取りついた人間は珍しくはない、と答える。信仰を持たない人間にも悪霊がとりつくことがあるのか、とスタヴローギンがいうと、それは十分ありえるとチホンは答えるのだ。
告白録の主な内容は、スタヴローギンがまだ幼い少女を****し、その結果少女が自殺に追い詰められたこと、及びスタヴローギンがマリア・レビャートキナと結婚したことである。その二つの事柄を通じて、スタヴローギンの異常な性格があぶりだされる。その性格は明らかに精神病理を思わせる。悪霊の存在に悩まされたりするところから、分裂症だと思わされる。ドストエフスキー自身に分裂症の傾向があったようなので、かれはスタヴローギンという人物像に、自分自身の精神病理現象を重ねたのではないか。
マトリョーシカと呼ばれる少女の****がこの告白録の中心である。だが、もっとも肝心な****の現場を記した部分が本文から脱落している。それについてはスタヴローギンがチホンに読ませるのをためらったためということになっている。スタヴローギンにためらわせるほど、陰惨な出来事だったわけだ。十二歳の幼い少女が死を選ばねばならぬほどの出来事であるから、陰惨には違いない。にもかかわらず、スタヴローギンは世事に気をまぎらわせて、その陰惨な出来事を忘れることもできるという自信をもっている。だが、時には良心の呵責に悩むこともある。そんな時には、余計なことは考えずに、世事に呆けることだ。そんな自分自身の姿をスタヴローギンは次のように自嘲する。「<自分が臭けりゃ、においもしない>というユダヤの諺が、そのときの私にはぴったりあっていたのである」。
いかに破廉恥な行為に無頓着なスタヴローギンといえども、少女を破滅させたという事実が、完全に忘れられるわけではない。自分から思い出そうとせずとも、その事実が別の姿をとってかれの意識を捉える。それは、かれには悪霊と見えるのである。悪霊という言葉は、小説のタイトルにも使われ、その場合には、ロシアを捉えている新しい思想のことを意味していたが、スタヴローギンが悪霊という言葉を使うときには、自分自身の個人的な悪行と関連させているのである。
少女の破滅と比べれば、レビャートキナとの結婚は、自業自得の結果だったとはいえ、そんなに破壊的なことではない。レビャートキナとの結婚はスイスにいた時のことで、その当時は、彼女はまだ狂ってはいなかった。彼女が狂い始めたのは、スタヴローギンに捨てられたと思い込むようになってからだ。
スタヴローギンの告白を読んだチホンは、一つアドバイスを与える。こんな恐ろしい罪を犯した人間には、世の中に居場所を求めることはできない。聖書が言うように、「この小さきものの一人を誘惑するならば」それ以上の罪はないのだ。だからスタヴローギンは、この世へのかかわりを捨てて、徳のある僧のもとで、隠遁生活をするのがよい。もっとも、「あなたは修道院にはいられることはない。剃髪されることもない。ただ秘密の、隠れた修道僧になられるわけです。俗界に暮らされていてもいっこうにさしつかえない」。
スタヴローギンは、小説のある時点で姿をくらましてしまうのだが、それはおそらくチホンの言葉に従ったのではないか。この「スタヴローギンの告白」が本文から排除されてしまった結果、スタヴローギンが逐電した理由が、本文だけからは推測できないことが残念と言えば残念である。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7709.html
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2024/03/16 (Sat) 21:48:16
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ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年3月16日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7721.html
ドストエフスキーの小説「未成年」は、いわゆる五代長編小説のうち四番目の作品である。「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」の間に位置する。ドストエフスキー研究で知られる寺田透はこの小説を、ドストエフスキーの第二の処女作と言っている。どういうつもりでそう言ったのか。処女作というと、その後の作品世界にとっての手がかりを示したものということになる。もしこの小説を処女作と言うならば、それを手掛かりとした作品は、「作家の日記」を別におけば、「カラマーゾフの兄弟」ということになる。だが、「カラマーゾフの兄弟」が「未成年」から生まれたとはなかなか考えがたいのではないか。
「未成年」はむしろ「悪霊」との関連において論じるのが理にかなっているのではないか。その関連において重視すべきは二つある。一つは語り口であり、もう一つは人物像である。語り口については、「悪霊」では基本的には小説の一登場人物の語りという体裁をとりながら、それがいつの間にか第三者の語りと混交するというような不思議なスタイルをとっていた。小説の構成にある程度の客観性を持たせようとする配慮がそうさせたのだと思う。それは読み手にとって、筋の進行がわかりやすくなるという効果をもたらした反面、なにか作り物めいたしらじらしさを感じさせないでもなかった。そのしらじらしさについて反省したのか、ドストエフスキーはこの「未成年」では、完全な一人称のスタイルに徹している。そのことで、小説の構成は厳密でかつシンプルなものになった。だがそのかわりに、客観的な描写を犠牲にせねばならなかった。この小説は完全な一人称で進行するので、語り手の意識に現れたもの以外は語られないのである。しかもその語り手は、未成年であって、したがって人間として未熟である。その未熟な人間の意識にのぼったことだけが語られるので、語り方は稚拙にもなり、また感情的になったり、誤解も多かったりする。そういう語り方は、語り手の個人的な心理的事実を語るには適しているが、複雑な事態を描写するには適していない。それをあえてドストエフスキーが行ったのはどういう理由からか、ということが問題となる。
人物像については、「悪霊」に登場するのは、ロシアに現れつつあった新しい世代の若者たちが中心である。かれらは、ナロードニキであったり、無政府主義者であったり、社会主義者であったりする。そんな若者たちにドストエフスキー自身は批判的である。それゆえ、語り手を通じてそういう思想を批判させたり、また、ロシア主義を主張させたりする。そんなわけで「悪霊」という小説は、きわめて政治的なメッセージを含んでいる。それに対して、「未成年」に出て来る人物像は、基本的には利己的な人間ばかりで、政治的な野心はほとんど感じさせない。ワーシャという人物や、かれの関係する若者たちが登場し、政治的な議論をする場面もあるが、かれらのそうした行いはあくまでも刺身のツマのような扱いであり、小説の前景になることは一度もない。その点は、「悪霊」と「未成年」とは、まったく違う世界を描いているといってよい。「悪霊」は、新しい世代のロシアの若者たちの政治的な行動をテーマとし、「未成年」のほうは、利己的な人間たちが繰り広げる世間話のようなものがテーマになっている。
世間話といったが、この小説にはたいした筋書きはないのである。一応クライマックスはあり、それに向かって様々な事態が展開していくという体裁にはなっているが、そのクライマックスというのが、基本的には金をめぐるごたごたなのである。この小説は、ソコーリスキー老侯爵の遺産をめぐる争いが基本的なテーマなのだ。それに主人公の父親ヴェルシーロフの狂気だとか、カテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナの確執とかがからんでくるが、それらはサブプロットいってよく、メーンプロットは遺産つまり金をめぐるごたごたなのである。ドストエフスキーの小説としては、めずらしく世俗的な内容である。
この小説の語り手は、アルカージー・マカーロヴィッチという未成年者で、かれが一年余りの間に体験した出来事を回想するという体裁をとっている。小説はそのアルカージーの回想録(本人は記録とか手記と呼んでいる)なのである。その回想録を語り手は一年前の九月十九日を起点にして書いたと言っているが、その九月十九日というのは、クラフトという若者から書類を受け取った日で、その書類というのが、老侯爵の遺産にまつわることが書かれていることからも、この小説が遺産相続争いをテーマにしたものだということができるのである。
遺産相続は、昔のロシア人にとっては深刻な問題で、したがって大きな関心の的ではありえたかもしれぬが、偉大な小説のテーマとしてはいかにもこまごましい印象を与える。そこで、ヴェルシーロフの狂気だとか、彼とカテリーナ・ニコラーエヴナとの不思議な愛憎関係とか、語り手のアルカージーとヴェルシーロフやそのほかの家族との関係とか、老侯爵をとりまく人間模様とか、幼馴染でならずもののランベルトとか、ワーシンを中心とした新しい青年たちとか、ドストエフスキーが大好きな不幸な女とかを登場させて、小説の展開に色を添えてはいる。だが、それらはあくまでサブプロット扱いであり、メーンプロットは老侯爵をめぐる遺産争奪の争いなのである。
第一、語り手のアルカージー自身が、遺産相続の行方を左右する重要な文書に始終こだわっているのである。この小説はそのアルカージーの意識のなかにあらわれたものだけを記録するという体裁をとっているので、そのアルカージーが遺産相続の行方に関心を集中しているかぎり、そのことが小説のメーンテーマであり続けるわけだ。
そんなわけで、この小説は、アルカージー・マカーロヴィッチの意識の範囲を展開の場としている。かれの意識にうつった世界を、多少の解釈を交えながら記録するという体裁をとっている。その結果、描写は極めて主観的にならざるをえないし、解釈の中には誤解も含まれているようなので、どれが事実でどれが誤解なのか、客観的に判断するすべがない。事実の判断基準がないのであるから、読者は語り手の言っていることを、眉につばしながら受け取らねばなるまい。「悪霊」の場合には、事実を自然に見せるための工夫として、ときたま第三者的な描写が行われ、それが事実の展開に自然なイメージを付与するのであるが、「未成年」には、そうした工夫は一切なく、あくまでもアルカージーの体験したことを聞かされる。それゆえ、語りの内容にはかなりな混乱も生じる。その混乱をドストエフスキーは楽しんでいるフシがある。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7721.html
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2024/03/23 (Sat) 10:29:31
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素顔のアルカージー・マカーロヴィチ ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年3月23日 08:37)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7730.html
小説「未成年」は、アルカージー・マカーロヴィチ・ドルゴルーキーという人物の回想録という形をとっている。その回想の中で、一年ほどの間に起きたことがらが再現されるのだが、その中では、アルカージーの目に映ったさまざまな事態の記述と並んで、アルカージーの自分自身についての反省のようなものも語られる。アルカージー・マカーロヴィッチは単なる語り手ではなく、彼自身の自己意識をもったプレーヤーなのだ。そこでここでは、そのアルカージーの素顔とでもいうべきものを取り上げてみたい。かれの素顔を知ることは、小説の読解を深めるには欠かせないと思われるからだ。
アルカージー・マカーロヴィッチは非常に自意識の強い男である。ドストエフスキーの小説には、たとえば「地下生活者の手記」の語り手のような自意識のかたまりのような人物が多く登場する。アルカージー・マカーロヴィチも、自意識の塊と言ってよいほど、自意識が強い男である。かれのそうした自意識の強さは、生まれ育ちに根差しているようだ。彼は、自分は私生児だと公言しているほど自己の出生に強いコンプレックスをもっており、少年時代に手ひどくいじめられたことで、いじけた性格になってしまった。そうした性格がかれを自意識過剰にしているのである。しかし、かれにはまた素直なところもある。その素直さは、おそらく未成年者としての未熟さからくるのであろう。
かれがこの回想録を書くのは、もうすこしで21歳になろうとする頃である(自分でそう書いている)。その回想録は、執筆時点から一年前の9月を起点としている。その起点の時点でアルカージーはおそらく二十歳にはなっていたと思う。ロシアで未成年といわれる年齢が何歳までをカバーするのか断定できないが、20歳を過ぎていれば、もはや未成年とは言えないのではないか。にもかかわらず、アルカージー・マカーロヴィチは自分を未成年と言っているし、周囲もまたかれをそのように見ている。それには、彼が初めてペテルブルグに出てきたときはまだ未成年だったという事情があるのだろう。彼がペテルブルグに出てきたのは、中学校を卒業して間もなくのことだったというから、二十歳にはなっていなかったと思われる。
ところで、小説の主人公が、遠いところからペテルブルグに出てきて、そこで一波乱起こすという設定は、ドストエフスキー好みのやり方である。「白痴」の主人公ムイシュキン公爵は、はるばるスイスからペテルブルグへやってきて、そこで遠い親戚を手がかりにして複雑な人間関係の中に入っていく。「悪霊」では、二人の主人公スタヴローギンとピョートルがやはり外国からペテルブルグへやってきて一波乱起こす。ピョートルの場合には、父親のヴェルホーヴェンスキーと実質的に初めて会ったというような設定になっている。アルカージーの境遇と似ているのだ。「罪と罰」のラスコーリニコフも、もとはといえば田舎からペテルブルグに出てきたのである。
私生児云々については、アルカージーはヴェルシーロフの子でありながら、他人の姓を名乗っている。その経緯は以下のようなものだ。ヴェルシーロフは地主で多くの農奴を抱えていた。その農奴の一人マカール・イヴァーノヴィチ・ドルゴルーキーが、ソフィアというやはり農奴出の孤児と結婚した。ソフィアはマカールにとって娘のような年齢である。そこへ地主のヴェルシーロフが茶々を入れて、ソフィアをマカールから略奪する。やがてソフィアに男の子が生まれると、その子はマカールの嫡子として登録される。法律上は、マカールとソフィアは依然婚姻関係にあったからである。ヴェルシーロフはその子を、自分の手元にはおかず、里子に出してしまう。その子は、幼年時代の五年間をアンドロニコフ家で過ごし、その後トゥシャールというフランス人が経営する寄宿舎に入れられる。さらにニコライ・セミョーノヴィチの家に下宿しながら、中学校に通う。そして中学校を卒業する頃合いに、実父のヴェルシーロフからペテルブルグに呼ばれるのである。
かれは父親のヴェルシーロフとは会ったことがなく、母親のソフィアとも数回会ったきりだった。そんな事情で再会することには相当のためらいがあったはずだ。父親に対しては、自分を簡単に捨てたことに対する恨みの気持ちがあった。じっさいかれは、父親のヴェルシーロフにその恨みをぶつけ、父子関係を簡単には認めたくないという思いがあった。しかし本人と会ってみると、憎めないばかりか、かえって親しみを感じるのだ。母親や妹のリーザについては、恨みの気持ちはなく、家族としての親愛感があるばかりだ。
以上のような設定で、先ほど言及したような強烈な自意識を抱えたアルカージー・マカーロヴィッチが、世間に乗り出していき、そこでもまれながら成長するはずであった。はずであった、というのは、この小説は並の教養小説とは違って、主人公アルカージーに大した進歩の様子が見えないのである。回想録を書いた時点では、かれはすでに二十歳を超えており、したがって立派な大人になっているわけだが、まだ自分を未成年とみなしている始末なのであるし、その言い分からは、かれを成熟した大人とみなすには、まだ何かが欠けていると感じさせられるのである。
アルカージーは、非常に自意識の強い青年ではあるが、自分から積極的にうって出るタイプの人間ではない。基本的には受け身のタイプなのである。自分で自分の運命を切りひらいていく能力は持たず、周囲の環境とか出来する事件に受動的に適応するという生き方しかできない。それについては、本人も自覚しているようで、出来事の不本意な展開にじりじりとするばかりなのである。
この回想の中では、アルカージーの体験した様々な出来事が語られる。実の父親ヴェルシーロフとの親子関係、ヴェルシーロフの意向を受けた形で秘書となった老侯爵とその娘カテリーナ・ニコラーエヴナとの関係。カテリーナにはアルカージーは恋心を抱く。そのカテリーナは、ある将軍の未亡人であって、アルカージーよりずっと年上なのである。アルカージーの腹違いの姉アンナ・アンドレーエヴナとカテリーナとの間には確執がある。その確執は、老侯爵の遺産をめぐる争いに根差している。その争いにアルカージーも巻き込まれる、遺産の配分を決定的に左右するような文書を、アルカージーは持ってしまうのである。この小説のメーンプロットは、その遺産をめぐるカテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナの確執を描くことにあるのだ。それに付随して、ヴェルシーロフとカテリーナとの不思議な愛憎関係とか、オーリャという不幸な女のこととか、ワーシンとその仲間の自由思想家たちとか、アルカージーの幼馴染で小悪党のランベルトとか、ワーシンの伯父で、これも小悪党のステベリコフといった連中が出てくる。この小説には実に多くの人物が出てきて、それぞれ勝手な振舞いをするのであるが、その振舞いぶりはアルカージーの意識に濾過されたうえで描写されるので、客観的な展望にはならず、しかも尻切れトンボになったりして、いささか未整理な印象を与える。だがそれは、この小説が一人称の体裁をとっていることからくるのであって、ドストエフスキーはそうした未整理な印象を織り込み済みにして、この小説を書いたのだと思う。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7730.html
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2024/03/30 (Sat) 09:04:14
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ヴェルシーロフの狂気 ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年3月30日 08:55)
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7741.html
アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフは非常に謎の多い人物である。そのためか、この小説では語り手のアルカージーについで強い存在感を感じさせるのであるが、その割りに決定的な意義をもつような行動はしていない。それはおそらく、この小説がアルカージーの回想という形をとっており、したがってアルカージーの意識を通過したことがらしか書かれていないという事情と関連するのであろう。かれはアルカージーの実の父親であり、アルカージーともっとも密接な関係にあるので、当然もっとも多く言及される。そのアルカージーにはヴェルシーロフは謎の多い人物に見えている。そこで当然のこととして、アルカージーは読者にとっても謎の多い人物というふうに映るわけである。
この小説のメーンテーマは、老侯爵をめぐるカテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナの確執である。その二人の女性にヴェルシーロフは深いかかわりをもっている。カテリーナとは強烈な愛憎で結ばれ、アンナは実の娘である。その二人に対してヴェルシーロフは、利己的な態度に終始する。利己的といえば、かれは実の息子であるアルカージーに対しても、なんら父親らしい態度をとることがなかったし、また、成長したアルカージーに対してもあまり父親らしい振る舞いはしない。そんな父親にアルカージーは不思議な感情を抱くのである。
ヴェルシーロフは、この小説の中でさまざまな役割を演じ、そのいずれにおいても不可解な行動をとっている。一番不可解なのは、アルカージーに対する行動である。アルカージーは、ヴェルシーロフがソフィアに産ませた子であるにかかわらず、自分では認知せず、ソフィアの法律上の夫マカール・イワーノヴィチ・ドルゴーキーの嫡子として届け出る。その後アルカージーを里子に出し、成長するまで一度も会うことがなかった。アルカージーが中学校を卒業した時点で初めて自分の家に呼び寄せたのである。生まれて以来一度も会うことがなかった息子を突然呼び寄せたのはなぜか、という疑問がまずわくであろう。しかもかれは、息子のアルカージーに対して、父親というより親しい友人のような振舞いをするのである。
父親ヴェルシーロフの自分に対する振舞いに非常に不可解なものがあると感じたアルカージーは、ヴェルシーロフには何か魂胆があって、そのために自分を利用しているのではないかと勘ぐるほどである。事態の進行にしたがって、老侯爵の遺産をめぐりどろどろとした事情が明らかになるにつけて、それにヴェルシーロフも一枚かんでいると感じたアルカージーは、ヴェルシーロフは自分を老侯爵を監視するスパイ役として利用しているのではないかと勘ぐる。アルカージーは、ペテルブルグに来た早々、老侯爵の秘書のような仕事をあてがわれたのである。それは考えすぎであったが、そう思っても不思議でないくらい、ヴェルシーロフの振舞いには不自然な点があった。そのヴェルシーロフをアルカージーは、実の父親であるにかかわらず、単にヴェルシーロフと呼び、一線を画す態度をとり続けるのである。
ヴェルシーロフには、不可解な過去の行動がいくつかあった。かれはソフィアを自分のものにした後、彼女を連れてヨーロッパへ向かったのだったが、途中リガに彼女を残して、単身でヨーロッパに旅行した。そしてソフィアを貧しい境遇のなかに放置したのである。だが、ヴェルシーロフに対するソフィアの気持ちはゆるがなかった。彼女はヴェルシーロフを本当に愛していたのか、それは最後まで曖昧なままである。ヴェルシーロフが彼女を真に愛していたのかも曖昧である。ヴェルシーロフは、ヨーロッパでカテリーナ・イヴァーノヴナと出会い、彼女に対して恋心を抱くようになった。カテリーナは未亡人になったばかりで、夫の残した義理の娘を手元においていた。ヴェルシーロフはその娘と結婚する決意をしたのであるが、そのこと自体が異常なうえに、かれはその決意を、わざわざリガに住んでいるソフィアに知らせに出かけ、ソフィアから同意の答えを引き出したのだった。その娘というのが、知的障害者であり、出産直後に死んだということになっている。その子の父親は、後にセリョージャ公爵だとわかるのだが、ヴェルシーロフは自分の子として引き取った。それも不可解な行動である。
セリョージャ公爵とは、ヴェルシーロフは強い因縁があった。さる人物の遺産相続をめぐりライバルの関係にあったこと、また、セリョージャ公爵から受けた侮辱をヴェルシーロフが耐え忍んだという事件もあった。アルカージーはヴェルシーロフの息子として、その侮辱を理由にセリョージャ公爵に決闘を申し出るつもりになったくらいである。遺産相続の争いについては、ヴェルシーロフが訴訟に勝ち自分が相続する権利を得た。ところがヴェルシーロフは、その権利を放棄して、セリョージャ公爵に相続させる。これもまた不可解な行動である。
もっとも不可解なのは、カテリーナ・ニコラーエヴナに対するヴェルシーロフの振舞である。かれがカテリーナを愛しているのは間違いない。しかしそれをストレートに表現することはしない。むしろ彼女を侮辱する手紙を送るようなことをする。しかし直接面会すると、彼女への愛を打ち明けたりする。非常にわかりにくい行動をとるのである。この小説のクライマックスは、カテリーナを銃殺しようとしたヴェルシーロフが、いったんは彼女の頭に銃を宛てたうえで、思い直して自分を撃つ場面であるが、なぜそんなことをしたのか、非常に不可解なのである。その不可解さは、語り手のアルカージーの認識が曖昧なことに根差しているとも受け取れる。かれは、ヴェルシーロフの行動が異常なのは、かれの内部にもう一人別の人物が住みついており、その人物がヴェルシーロフに異常な行動をとらせるのだろうと思うようになる。つまり、アルカージーの目には、ヴェルシーロフは分裂病の患者として映るようになったのである。
ドストエフスキーの小説には、異常な行動をする人物が多数出てくる。そうした人物は、だいたいが分裂病気質を感じさせる(「白痴」のムイシュキンは癲癇だが)。この小説の中のヴェルシーロフも、そうした人物像につながるのであろう。ヴェルシーロフ自身、アルカージーとの対話のなかで、自分の内部にはもうひとり別の人物が住みついていると語っている。アルカージーとの数多い対話の中でヴェルシーロフは時に自分の思想を語ることもある。たいして明確な思想ではないが、ロシアの現実に対して冷笑的な視線が感じられるようなものである。
https://blog2.hix05.com/2024/03/post-7741.html
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2024/04/06 (Sat) 09:11:09
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カテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナ 女の確執 ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年4月 6日 08:32)
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小説「未成年」のメーン・プロットは、カテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナという二人の女性の確執である。カテリーナ・ニコラーエヴナはソコーリスキー老侯爵の娘であり、アンナ・アンドレーエヴナはヴェルシーロフの娘であり、かつ老侯爵との結婚を願っている。それだけのことなら大した問題にはならないはずだが、そこに複雑な事情がからむ。カテリーナは、父の老侯爵がアンナと結婚することによって、遺産の大部分をアンナに相続させるのではないかと恐れる。実はそれ以前から、父親を信用せずに、財産の管理を自分がやるつもりでいた。そのために父親を禁治産者にするための相談をある人物としていたほどである。それにかかわる文書が、どういうわけかアルカージーの手に入る。その文書をめぐって小説は展開するのだ。
カテリーナはじつはヴェルシーロフとの間に深い因縁があった。ヴェルシーロフは彼女を愛していたのだ。その愛情は、すなおな形をとらず、倒錯的な形をとったのだが、彼女自身はヴェルシーロフに愛されていたことを認識しており、自分でも心のどこかで彼を愛していることを自覚している。小説のクライマックスに近い時点で、かれらは互いの愛を確認しあったほどだ。もっともその愛を貫くということにはならなかったが。
アンナは、母親の実家で育ったのだが、老侯爵にかわいがられており、老侯爵は彼女をセリョージャと結婚させ、巨額の持参金をもたせてやろうと考えていた。だが彼女はセリョージャとの結婚を拒否し、老侯爵と結婚したいという。それを老侯爵は受け入れる。二人は親子ほど年が違っているのだ。それがカテリーナには気に食わない。父親の老公爵がアンナと結婚したら、遺産の大部分はアンナに管理され、自分はつまはじきにされる恐れがある。そこで彼女は、いろいろと細工を弄した挙句、父親を郊外の別荘に軟禁してしまうのだ。
それに対してアンナのほうも策を弄する。カテリーナが父親を禁治産者にしたいという意向について相談した文書を手に入れ、それを種にして、老公爵と娘との間を引き裂こうとする手に出るのだ。その文書の存在はカテリーナも気にしていて、何とか処分したいと考えている。彼女がアルカージーに接触してきたのは、その文書をアルカージーが持っていると見当を付けたからだ。
このような設定のもとで、小説はクライマックスを迎えるのである。アンナは、老公爵を別荘から脱出させ、アルカージーの下宿先に連れてくる。なぜアルカージーの下宿なのか。彼女はアルカージーから例の文書を手に入れることができなかった。だが、アルカージーがそれを持っていることは確信していたので、かれに老公爵を合わせ、直接文書を示させようとしたのである。アルカージーも、老公爵を前にしては、公爵にとって致命的な意味を持つ文書を示さずにはいられないだろと踏んだからだ。
その策略にはランベルトもからんでいた。この小悪党は、アルカージーが有益な、つまり金になる文書をもっていることをかぎつけるや、アルカージーをだましてその文書を手に入れる。それは、カテリーナにもアンナにも高い金で買ってもらえるはずだ。もっともランベルトは要領の悪い男で、この文書を使ってうまい汁を吸ったというわけではない。
クライマックスは、老公爵とアンナのいるところにカテリーナが加わり、その三人がそろった時点でアルカージーが調整役を務めようとするところを描く。その場にヴェルシーロフとランベルトも加わり、愁嘆場が演じられる。アルカージーは、持っていると思い込んでいた文書が盗まれたこともあり、そのつもりでいた役割は果たせない。結局、老公爵自身が始末をつけるのである。老公爵は、この騒ぎが二人の娘つまりカテリーナとアンナの確執によるものだと見抜き、この二人を自分で仲直りさせる気になったのである。結局カテリーナが父親の面倒を見ることになり、アンナとの婚約は解消された、そのかわりにアンナにはいくばくかの遺産が贈られることになったが、アンナはそれを受け取る気になれないのである。
確執しあう二人の女のうち、不可解な行動が多いのはアンナのほうである。アンナはアルカージーの腹違いの姉であるが、姉弟愛のようなものは感じていない。アルカージーもアンナに対して素直にはなれない。だから彼女に文書を渡す気にはなれなかったのである。アルカージー自身は、その文書をカテリーナに渡すつもりでいた。もともと彼女の書いたものだからである。アルカージーがアンナに対して打ち解けないのは、アンナの兄から侮辱を受けたことも絡んでいる。アンナはその兄をアルカージーの篭絡のために差し向けたりするので、アルカージーはアンナについても心を許せないのだ。
一方、カテリーナに対しては、アルカージーは親密な気持ちを抱いている。というより彼女を愛してしまったのだ。それに気づいたタチアナ・パーヴロヴナが、お前たちは親子で同じ女に夢中になるのかと皮肉っている。
こうしてみると、アンナのほうは、意図が明確で、比較的単純に描かれている一方、カテリーナは複雑な陰影を感じさせる。その陰影は、ヴェルシーロフの存在と深いかかわりがある。彼女がビオリングと婚約したのは、平穏な生活を送りたいためだったが、ヴェルシーロフとの関係に決着がついて、もう余計なことに心を煩わされないと思ったところで、その婚約を解消している。この小説は、表向きはカテリーナとアンナとの女の確執であるが、深いところでは、カテリーナとヴェルシーロフの愛の確執がテーマなのである。
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7751.html
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2024/04/13 (Sat) 11:40:34
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セリョージャ侯爵とヴェルシーロフ親子 ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年4月13日 08:25)
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7764.html
セリョージャ公爵はヴェルシーロフ親子と深い因縁がある。ヴェルシーロフとは第三者の遺産相続権をめぐって争ったほか、個人的な怨恨もある。アルカージーとはともに放蕩の限りをつくした。またリーザとは肉体関係を持ち、妊娠させてもいる。ヴェルシーロフ親子はこの小説のカギとなる人物像なので、そのいずれとも深い因縁があるセリョージャ公爵は、奥行きのある複雑な人物像であってもよいのだが、どうも薄っぺらな印象をぬぐえない。それは、一人称で個人的な体験を語るというこの小説の構成上の制約かもしれないが、それにしても中途半端な人物だという印象がぬぐえないのである。
セリョージャ公爵がこの小説の中で登場するのは、アルカージーが父親のヴェルシーロフと初めて対面する場面においてである。その場面でヴェルシーロフは、遺産をめぐってセリョーザと争っていた訴訟に勝ったと言う。つまり、自分自身が小説の中に進んで現れるのではなく、他人によって言及されるという形で現れるのである。現れるのは彼の名前だけで、彼自身が現れるわけではない。つまり登場の仕方からして重みを感じさせないのだ。
セリョージャとヴェルシーロフとの個人的な怨恨とは、セリョージャがヴェルシーロフを侮辱したというものだ。その侮辱をヴェルシーロフは問題とせず、普通なら決闘沙汰になるところを、穏便にすませた。そのことで、臆病者呼ばわりをされた。アルカージーはそれを屈辱として受け取り、息子の自分が父親にかわって汚辱をすすぎたいと考える。じっさいアルカージーは、セリョージャに決闘する意思を伝えるのであるが、ロシアでは未成年者が決闘するという風習はないので、セリョージャに一蹴されるのである。
そんなセリョージャに対してヴェルシーロフは不可解な行動をとる。自分の権利になった遺産を、すっかりセリョージャに譲ってしまうのだ。どういう理由かは明かされない。語り手の意識のなかで、それについて明瞭なイメージがないからだ。語り手のアルカージーは、父親が遺残を譲ったことを、度量の広い性格のあらわれだとして喜ぶあまり、なぜヴェルシーロフがそんなことをしたのか、考えようとしないのである。
セリョージャのほうでは、譲られた遺産のうち三分の一をヴェルシーロフに返す意向を示す。ヴェルシーロフ自身はそれを受け取るつもりはないのだが、息子のアルカージーはその金をあてこんで、セリョージャから無心する。かれはその金を使って豪勢な暮らしをするばかりか、賭博に夢中になるのだ。かれが賭博に足を突っ込んだのはセリョージャに影響されたからだということになっている。セリョージャ自身は意思の弱い賭博中毒者なのである。かれは遺産に相当する分を使い果たしたばかりか、それでも足りずに、ステベリコフといういかがわしい人物から多額の借金をしている。その借金を盾に取られて、自分の身の破滅を呼び込むのである。
アルカージーがセリョージャから金をせびっているのは、父親の権利を代行して行使しているつもりなのだが、ヴェルシーロフは自分にはそんな権利はないといって、アルカージーをいさめる。しかしアルカージーはそれをまともに受け止めることがない。つまり恥じないのである。これは、いくら未成年といっても、アルカージーに不道徳な性格があることを意味している。
アルカージーはセリョーザと意気投合する。金づるだという理由からだけではなく、かれの人となりを気に入ってしまったのだ。一方セリョージャのほうは、別にアルカージーが気に入っているわけではない。彼としては、一つにはアルカージーの父親ヴェルシーロフとの関係に考慮を払わねばならないし、また、アルカージーの妹リーザと肉体関係を結んでいることもあって、アルカージーを大事に扱うべき理由があったのだ。アルカージーにはそんな事情はわからない。ただセリョージャが純粋に自分を大事にしてくれていると思い込んでいる。そこもまた未成年らしいのである。
セリョージャには軽率なところがある。その軽率さが災いして身を亡ぼすのである。かれはステベリコフから金を借りるなどして、腐れ縁のような関係に陥っていたのだが、その腐れ縁から、ステベリコフの犯罪に巻き込まれる。貨幣偽造の片棒を担がされるのだ。かれはその罪をあっさりと官憲に告白する。そして未決の状態で監獄に留置されている間に、脳炎を発症して死ぬのである。
いかにもセリョージャらしい死に方である。この男は、小説の中では、つまり語り手の語るところでは、堅固な意思を持つことなく、その場の雰囲気に流されてしまう軽率で浅はかな人物といったイメージを感じさせる。その割には結構重要な役回りを演じているのである。ドストエフスキーはなぜ、こんな中途半端な人物像をあえてこの小説の中に持ち込んだのか。セリョージャがこの小説の中で果たす役割は、別に彼一人が背負いこむ必要はない。別々の人物に担わせて済む話だ。にもかかわらずあえてセリョージャ一人にそれをすべて担わせている。その割には、セリョージャという人物には深みはない。かえって役の重みにひしがれているといった感じを与える。そんな男を愛してしまったリーザにも、愛の深さは感じられない。ゆきずりの恋を楽しんだというような感じである。実際彼女はセリョージャには執着する様子を見せず、妊娠した子を出産して愛することもないのである。
アルカージーにしても、リーザにしても、ヴェルシーロフの子供たちは、どこか抜けているところがある。母親の違う子どもアンナとその兄も、どこか常軌を逸脱した部分を感じさせる。そんな親子と関わり合いになるセリョージャ公爵にも、どこか異様なところを持たせねば釣り合いが取れないと思って、ドストエフスキーはかれを半人前の人間像として描いたのだろうか。
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7764.html
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2024/04/20 (Sat) 13:57:17
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マカール・イヴァーノヴィチ・ゴルゴルーキー ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年4月20日 08:54)
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7775.html
マカール・イヴァーノヴィチ・ゴルゴルーキーは、ロシア人の信仰のあり方の一つの典型を示している。ドストエフスキーはこの小説の中で、マカール・イヴァーノヴィチにたいして大きな役割は果たさせていないが、しかし彼のちょっとした言葉の端々から、ロシアの民衆の信仰心が伝わってくるように書いている。マカールは、農奴の出身であり、したがってロシアの最下層の民衆を代表する人間である。その最下層のロシア人にとってキリスト教信仰とはどんな意味を持つのか。そのことを考えさせるようにドストエフスキーは書いているのである。
マカール・イヴァーノヴィチは、20年ばかりロシアの各地を放浪した挙句に、ペテルブルグのヴェルシーロフのもとに身を寄せた。自分の最期が近いのをさとって、死に場所を求めてきたのである。じっさいマカール老人は、ヴェルシーロフの家で死ぬのである。死ぬ前にかれは、アルカージーにさまざまなことを語り、アルカージーに一定の影響を与える。だが、たいした影響ではない。この二人は生きる世界が違うから、アルカージーにはロシアの下層社会の信仰が、すんなりとは受け入れられないのだ。
マカール老人は、分離派の信徒ということになっている。ロシア正教で分離派は古儀式派とも呼ばれ、教会組織を持たず純粋な信仰だけで結びついた集団である。自分に試練を与えるために、進んで苦痛を求めるのが特徴だとされる。その試練のなかに巡礼が含まれるが、巡礼といっても単に各地を放浪して回るだけのことである。マカール老人も、20年間巡礼の旅と称してロシア各地を放浪したのだった。
マカール・イヴァーノヴィチが放浪するきっかけは、ヴェルシーロフが与えたことになっている。ヴェルシーロフは、マカール・イヴァーノヴィチから若い妻ソーニャを奪い、マカールにはそこそこの金を持たせて、巡礼の旅に出るよううながしたのであった。だが、マカール自身分離派教徒として放浪へのあこがれがあったので、半ば喜んで旅に出たのであった。かれは、ヴェルシーロフからもらった金を自分で使うことはなく、ソーニャへの遺産としてとっておいた。自分自身は乞食の境遇に甘んじたのである。
マカール老人が死の床を求めてヴェルシーロフの家にやってきたのは、アルカージーが長い昏睡から覚める頃合いだった。アルカージーは、昏睡から目覚めようというときに、「主よ、イエス・キリストよ、われらが神よ、われらを憐れみたまえ」という言葉を聞いた。マカール老人のささやきである。その言葉から、分離派の信仰の一端がうかがわれる。
マカール老人の風貌は、「髪が真っ白で、ふさふさと銀のように白いあごひげを生やした一人の老人」といった具合だったが、その笑い顔がアルカージーの心にひびいた。アルカージーは、笑いを下卑たものと考えていたのだが、マカール老司の笑い顔は、赤ん坊のそれのように純粋無垢に思えたのだ。
そこで、アルカージーが人間の笑い顔をどのように受け取っていたかを見ておきたい。アルカージーは言う、「人が笑うと、たいていは見ていていやになるものである。笑い顔にはもっとも多くなにか下卑たもの、笑っている本人の品位をおとすようなものがむき出しにされる」(工藤精一郎訳)。なぜかというと、「笑いはなによりも誠意を要求する。だが人々に誠意などあろうか。笑いは悪意のないことを要求する。ところが人々が笑うのはほとんど悪意からである。誠意に満ちた悪意のない笑い~それは陽気である。ところが今日の人々のどこに陽気があろうか」、というわけだからである。
笑いの中で唯一純粋なのは赤ん坊の笑いである。「赤ん坊だけが完全に美しく笑うことができる」。その赤ん坊のように美しい笑いを、アルカージーはマカール老人の顔に認めたのである。
そのマカール老人は、自分の死期をさとりながら、自分自身の一生に満足している。満足しているから、気持ちよく死んでいくことができる。それゆえ、次のように言うことができるのである。「年寄りはあとくされなく去らにゃいかんのだよ。おまけに、不平を言ったり、不服に思ったりして死を迎えたら、それこそ大きな罪というものだよ。だが、心の楽しみから生活を愛したのなら、きっと、年寄りでも、神はお許しくださるだろうさ。人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、何もかも知るのはむつかしいことだ。そこには人間の知恵の及ばない秘密があるのだよ。年寄りはどんなときにでも満足して、自分の知恵が咲き匂っているあいだに、感謝しながら美しく死んでいかにゃならんのだよ。毎日々々を満足しきって、最後の息を吐きながら、喜んで、麦の穂がおちるように、自分の秘密を補って、去っていくのだよ」。
マカール老人のこの言葉には、ロシアの民衆の世界観が反映されていると考えてよいのだろう。それを単純化して言うと、諦念による心の安寧といえようか。マカール老人はほかにもアルカージーの興味を引く話をする。その中には、自分の犯した罪を償う商人の話も出てくる。その商人もマカール老人同様、最後には放浪の旅に出る。その商人にとっての放浪の旅は、マカール老人の場合と同様、死を迎える準備だった。
こうしてみるとドストエフスキーは、ロシアの民衆の信仰は、美しい死を迎えるための心の準備をもたらしてくれるものととらえていたようである。その信仰は民衆のためのものであって、ヴェルシーロフのような貴族を自認するものには異端でしかない。ヴェルシーロフは、マカール老人がソフィアのために残した聖像を、無残にも打ち割ってしまうのだ。そこに貴族と民衆の間に深い分断があることを感じさせる。ヴェルシーロフは、ロシア人である前に、貴族としての矜持にこだわるのである。
そんなわけで、マカール老人の存在感は、「悪霊」におけるチホンの存在感とは違ったものである。チホンは貴族のスタヴローギンにも対等に接することができた。マカール老人は、ヴェルシーロフやアルカージーの前では、独り言をいうだけである。
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7775.html
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2024/04/28 (Sun) 11:35:23
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ワーシンと自由思想家たち ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年4月27日 08:30)
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7784.html
小説「未成年」の出だし近いところで、アルカージーはクラフトと会う目的でデルガチョフの家に出かけていく。クラフトが彼のためにあずかっている書類を受け取るためである。そこには、何人かの青年たちが集まっていて、何やら議論していた。その議論にアルカージーも加わることになる。青年のなかにはクラフトのほかワーシンとか教師と綽名された者などがいて、それぞれ勝手なことを言っていた。その議論が、当時のロシアの青年世代をとらえていた自由思想を踏まえたものなのだ。自由思想を抱いた青年たちは、「悪霊」にも登場するが、この小説の中の青年たちは、「悪霊」の青年たちに比べ、いまひとつ迫力を感じさせない。アルカージーなどは、思想らしいものを持っていないのだが、そのアルカージーと比べてもたいした違いはないのである。
アルカージーがデルガチョフの家に入っていったとき、若者たちはロシアの惨めさについて議論していた。クラフトがロシア人は二流国民だという思想を披露し、それをめぐって賛否こもごもの議論をしていたのだった。賛成するものは、ロシア人は「二流の国民であり、その使命はより高尚な国民のために単に材料となることであって、人類の運命において自分の自主的な役割というものを持っていない」(工藤訳)と言う。反対するものも、ロシアが二流国民だと決めつけることに反対しているわけではなく、二流国民ということに満足すべきだと言う。そうすれば馬鹿な愛国心から解放されると言うのである。いずれにしても、ロシアに否定的なところは共通している。
アルカージーがその議論に加わったのは、クラフトの主張にワーシンが疑問を呈したことに促されてのことだった。ワーシンはクラフトの議論が論理的ではなく感情的だという点を突いたのだったが、どういうわけかアルカージーはそれに促されて、突然しゃべりたくなったのだ。だがアルカージーはワーシンの言うことに納得したわけではなく、人間は感情的にならざるを得ないということを言いたかったのである。かれがそう思うのは、未成年者として、論理的に考える習慣が身についておらず、感情的に行動しているからであろう。
かれらの議論にはたいした内容があるわけではない。面白いのは、アルカージーがそこに社会主義的な匂いを感じ取り、それに反発していることである。かれはこう言って彼らを批判するのである。「あなた方の望んでいるのは、共同の宿舎、共同の部屋、stricte necessaire(絶対実需品)、無神論、そして子供をはなした共同の妻~これがあなた方のフィナーレでしょう、ぼくは知っているんですよ」。かれらはそんなことを議論していたわけではなく、単にロシアのみじめさを嘆いていたのであるから、こう受け取ったのはアルカージーの勇み足なのである。
そんなアルカージーにある皮肉屋が声をかける。「失礼ですが、お名前をお聞かせいただけませんでしょうか」と。それに対してアルカージーはこう答える、ドルゴルーキー、それもただのドルゴルーキー、元農奴マカール・ドルゴルーキーの息子で、元主人ヴェルシーロフの私生児だと。
デルガチョフの家を出た後、アルカージーはワーシンに話しかける。二人の間でヴェルシーロフのことが話題になる。ワーシンはヴェルシーロフを、傲慢であるが神を信じていると評する。彼が言うには、彼ら傲慢な人間は、「人間の前に頭を下げたくないから、神を選ぶ」のである。なおワーシンは、ステベリコフの甥ということもあり、その後もたびたび登場する。かれの言うことは、自由思想にかぶれていることを感じさせる。
この場面のあと、アルカージーはあらためてクラフトを訪ね、例の書類を受けとる。その書類が、小説の展開にとって重要な役割を果たすのである。ともあれクラフトは、「彼らを許してやりなさい」と言う。その上で、「彼らは他の人々に比べてばかでもありませんし、利口でもありません。彼らは~皆と同じように,狂気なのです」と言う。「今日、人々の中でいくらかましな者はみな~狂気なのです」と言うのである。
そのクラフトは、アルカージーに書類を渡すと、その日のうちに拳銃自殺してしまう。その理由は、小説の中では明らかにされていない。語り手のアルカージーに、それを追求する根気がないからだろう。
デルガチョフらの仲間は、後に官憲によって逮捕される。逮捕の具体的な理由は明らかにされていない。かれらの自由思想とか社会主義的な思想が、官憲の弾圧の網にかかったというような書きぶりである。
こんな具合に、この小説における自由思想家たちは、「悪霊」のそれに比べると、描写の仕方も中途半端だし、思想の内容も詳しく触れられているわけでもない。極めてぞんざいな扱い方である。
https://blog2.hix05.com/2024/04/post-7784.html
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2024/05/05 (Sun) 06:55:48
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不幸な女オーリャ ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年5月 4日 08:23)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7795.html
ドストエフスキーは、小説の中で不幸な女を描くのが好きであった。「虐げられた人々」の中のネリーとか、「地下生活者の手記」の中のリーザは、かれがもっとも力を込めて描いた不幸な女である。「罪と罰」の中のソーニャもそうした女の一人である。「未成年」にも不幸な女が出てくる。オーリャである。彼女は不幸であるとともに気位の高い女であって、その気位の高さが彼女を死に駆り立てる。彼女は、世間からさんざん愚弄されたことで、生きることに絶望し自ら首を吊って死ぬのであるが、それはぎりぎりの自尊心のためだったのである。
オーリャは母親とともにモスクワからペテルブルグに出てきたのだった。母親は長い間後家生活を続け、女手ひとつで娘のオーリャを育て、それなりの教育も受けさせたのだったが、わずかな年金では暮らしが成り立たない。ところで、死んだ夫がある商人に4000ルーブリ貸したことがあった。母親はそれを返してもらおうと考えて、その商人がいるペテルブルグにやってきたのであった。
母子の不幸はそこから始まるのである。母親はさっそくその商人にかけあったが、のらりくらりと言い逃れる。いささかのやり取りの後、明日改めて来てほしいと言われ、オーリャが一人で出向いていく。すると商人は、たったの15ルーブリを手渡して、もし処女だったら40ルーブリ上積みしてやろうと暴言を吐く。オーリャはこの侮辱に怒りを覚えたが、とりあえずその15ルーブリを持ち帰り、その金で家庭教師の求職広告を新聞にだした。
その広告はヴェルシーロフの目にもとまり、かれに不似合いな行動をとらせるのであるが、その前に、もう一つ嫌なことが起きる。ある女が訪ねてきて、新聞広告を見たが、もし職を探しているのなら、自分のところに訪ねてきなさいと言う。その言葉をすっかり真に受けたオーリャは、知らされた住所を頼りにそこへと赴く。ところがそこにはいかがわしい女たちがいた。先ほどの女が言っていた職とはバイシュンのことだったのである。オーリャはこの仕打ちにすっかり打ちのめされる。母親が言うには、「その時からあの娘の顔にけわしい表情がでて、それが死ぬまで消えなかった」のである。
ヴェルシーロフがオーリャを訪ねたのは、そんな折である。かれは、どういうわけか俄かに慈善心を起こし、新聞で求職しているオーリャに手を指しのべる気になったのである。かれはとりあえずオーリャにいささかの金を渡す。オーリャはそれを純粋な善意として受け取りはしたが、いままでのことがあるので、もしかしたらこれには裏があって、あの男は自分を侮辱するつもりなのではないかとも考える。
そんなオーリャに火をつける奴があらわれる。ステベリコフである。ステベリコフはヴェルシーロフに意趣を抱いていて、オーリャに彼の悪口を叩きこむのである。「ヴェルシーロフってやつは、よく新聞などに書き立てられる将軍連とまったく同類の人間です。彼らは軍服の胸にありったけの勲章を飾って、新聞広告を調べて家庭教師希望の娘たちをかたっぱしから訪ねて歩き、お好みの娘をあさってるってわけですよ。お好みにあわなけりゃ、ちょっと座って、すこしばかりお話をして、いろんなことをどっさりこと約束して、立ち去る~それで結構慰めになるのですよ」。
この言葉を聞いたオーリャは、「お母さん、恥知らずな男に仕返しをしてやりましょう」と言って、あらかじめ警察の住所係で調べていたヴェルシーロフの住所に出かけて行って、受け取った金を突き返すのである。その場面はすでに、小説のかなり前のところで描写されている。
オーリャはその直後に首を吊って死ぬのである。その報をアルカージーはワーシンから聞いたのだったが、「あのステベリコフがいなかったら、こんなことにはならなかったかもしれんな」と感想を漏らす。世の中にはステベリコフのような悪党がはびこっていて、そいつらが不幸な女をさらに不幸にして楽しんでいるというわけである。
ヴェルシーロフについては、とくにこれといった思惑があったわけではなく、とっさの思い付きでオーリャに助け舟を出したつもりでいたのだったが、意外な事態に展開したのを知って愕然とする。あの際にもっと丁寧に対応していれば、こんなことにはならなかったかもしれないと思って、多少は反省するのである。
だが、オーリャを死に至らしめたのは、特定の個人のせいというよりは、ロシア社会の、とりわけペテルブルグという都会の、冷たい体質だったといえなくもない。ロシアというところは、多少とも自尊心のある人間、とりわけ女性にとって生きづらいところの多い社会である。ロシアには無数の不幸な女がいるが、彼女らは、自分を無にするこつをわきまえていないと、生き残ることがむつかしい。多少とも自尊心をもっていると、生きることがむつかしいのである。ドストエフスキーの小説の中の不幸な女たちは、ソーニャを別にして、みな自尊心のために自分の不幸をさらに深刻に受け取らざるを得ないのだ。その結果、自尊心に押しつぶされて、自ら命を絶つことになるのである。
では、自分を無にするとはどういうことか。それは信仰にのめりこむことではないか。神に帰依することで、自分を無にするのである。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7795.html
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28:777
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2024/05/11 (Sat) 15:18:29
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ロシア主義と外国人嫌い ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年5月11日 08:41)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7805.html
小説「未成年」には、ドストエフスキーのロシア主義的心情と外国人への嫌悪感が盛り込まれている。外国人のうちでもユダヤ人は特に醜悪な描かれ方をしている。そこでこの小説は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義がもっとも露骨に表れているものとして受け止められてきた。また、ロシア主義については、単にロシア人の民族的特殊性を誇大に言い募るというよりは、ロシア人のコスモポリタン的な面を強調し、それをもとにロシア人の国際的な優秀性を誇示するというやり方をしている。ロシア人ほどコスモポリタンな民族はいない。そのロシア人こそが世界の手本となる資格があるというわけである。
ロシア人のコスモポリタン的な性格についてのもっとも白熱した議論が展開されるのは、第三部の第七章の中である。つまり小説の終わりに近い部分であり、それ以前に言及されてきたロシア人観を集大成するような形になっている。面白いことにそのロシア人観をヴェルシーロフが披露する。かれは息子のアルカージーに向かって、ロシア人のコスモポリタン的な一面を強調して見せるのである。まず、以下のような主張がなされる。
「フランス人が自分の祖国フランスにばかりか、広く全人類にまで仕えることができるのは、純粋にフランス人になりきるという条件の下においてのみなのだよ。同じことが~イギリス人にも、ドイツ人にも言える。ロシア人だけが、われわれの時代にすら、つまり総計がなされるはるか以前にということだが、すでに、もっともヨーロッパ人になりきるときにのみ、もっともロシア人になりきるという能力を獲得したのだよ。これこそが、わがロシア人が他のすべての民族と異なるもっとも本質的な国民的特徴で、この点についてわれわれは~世界のどこにもないものを持っているのだ」(工藤訳)。
つまりロシア人は、世界中でもっともコスモポリタン的な民族であり、コスモポリタンであることを通じてのみロシア的だというのである。この言い分の中でヨーロッパ的と言っているのが、ドストエフスキーにとってはコスモポリタン的であるということだ。なぜならヨーロッパのみが、ドストエフスキーにとっては、世界をあらわしているからである。
これは、ヨーロッパのほかの国民と比較してロシア人の長所を強調したものだ。そうした比較なしに、単にロシア的なものを扱うときには、ロシアに対して批判的になることもある。批判的というより、諦念といったほうがよいかもしれない。諦念というのは、ロシアのなさけない部分を認めざるをえないことからくる。そのなさけないものを前にしては、半ばあきらめのような気持にならざるを得ないのである。
ともあれドストエフスキーのロシア人観は、その長所と短所をないまぜにしながら、かなり入り乱れている。それについては、ドストエフスキーはアルカージー(つまり語り手)に次のように言わせている。
「たしかに、どうして人間が(それも、ロシア人は特にそうらしいが)自分の魂の中に至高の理想と限りなく醜悪な卑劣さとを、しかもまったく誠実に、同居させることができるのか、わたしには常に謎であったし、もう幾度となくあきれさせられたことである。これはロシア人のもつ度量の広さで、大をなさしめるものなのか、それともただの卑劣さにすぎないのか~これが問題である」。
以上でロシア人と言われているのは、ロシアの男たちのことだと思うが、ロシアの女たちもまた、それなりの長所と短所を持っている。これについても、ヴェルシーロフが息子のアルカージーに向かって説く。かれはアルカージーの母親を念頭に置きながら次のように言うのだ。
「ロシアの女というのは早く老ける、その美しさはつかのまのまぼろしみたいなものだ、そしてそれは、たしかに、人種的な特徴のせいばかりとはいえない、ひとつには、惜しみなく愛をあたえることができるからだよ。ロシアの女は愛したとなると、なにもかもいちどきにあたえてしまう~瞬間も、運命も、現在も、未来も。出し惜しみということを知らないし、貯えるということも考えない。そして美しさがたちまちのうちに愛する者の中に流れ去ってしまうのだ」。
以上はドストエフスキーのロシア主義の一側面を取り上げたものである。つぎに、その裏返しとしての外国人嫌いについて見てみよう。この小説の中には、数か国の出身者が出てきて、いずれも否定的に描かれているのだが、中にも否定的な描かれ方をされているのは、ユダヤ人、ドイツ人、フランス人である。ユダヤ人については、金に汚いことが強調される。ユダヤ人は金を手段にしてロシア人を迫害するいやな連中だというのが、この小説でのユダヤ人の印象である。ユダヤ人は、金に執着するばかりではない。金を得るためにはどんな汚いことでも平気でする。その代表的な例は、賭博の場でユダヤ人がアルカージーから金をちょろまかす場面である。しかも正々堂々とちょろまかすのである。そんなことをされては、どんな人間でもユダヤ人を憎まずにはいられないだろうと、ドストエフスキーは読者に呼び掛けているようである。
ドイツ人は、粗暴で暴力的な人種として描かれている。フランス人は高慢で抜け目のない人種として描かれる。アルカージーは、フランス人トゥシャールの運営する寄宿舎に入れられるのであるが、トゥシャールはアルカージーの身分の卑しさを、かれを差別する理由とする一方、アルカージーの保護者に対しては慇懃に振舞うのである。一方ドイツ人のビオリングは、カテリーナの意を受けてとはいえ、アルカージーに対して高圧的に振舞い、あまつさえ暴力を振るったりする。その暴力的な性格は、ドイツ人の民族性を体現したものだということになっているのである。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7805.html
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2024/05/18 (Sat) 16:30:12
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賭博者の心理 ドストエフスキー「未成年」を読む
続壺齋閑話 (2024年5月18日 08:08)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7817.html
ドストエフスキーには賭博癖があった。「罪と罰」と並行して書いた「賭博者」という小説は、自身の賭博経験を生かしているといわれる。その小説の中の主人公アレクセイには、ドストエフスキーの面影を指摘できる。「未成年」にも、賭博のシーンが出てくる。アルカージーの道楽としてである。その道楽をアルカージーはセリョージャ公爵に仕込まれたのであるが、いったんそれを始めると、その魅力にのめりこんでしまう。アルカージーにとって賭博は、遊びであると同時に手っ取り早く金を得る手段でもある。賭博を金を得る手段と考えるようになっては、なかなかやめられないであろう。
賭博は、当時のロシアでは非合法だったようだ。アルカージーが賭博の胴元に向かって、腹立ちまぎれに「密告してやるぞ」と叫んでいるから、ルーレット賭博が非合法だったとわかるのである。
ともあれアルカージーは、賭博の楽しみを覚えると、単身いかがわしい賭博場に通うようになる。負けることもあるが、勝つこともある。アルカージーにはたいした自尊心があって、自分が冷静に振舞いさえすれば、かならず勝てると思い込んでいる。その思い込みが、かれをいっそう賭博狂にさせるのである。そのことをかれも自覚していて、自分は賭博のために堕落したと認めているのである。
そんなアルカージーが、大胆な勝負に出る。その時にはまとまった金が欲しくて、それを賭博で稼ぎ出そうとしたのである。その金とは、セリョージャから受け取った金を返すためのものであった。かれには勝てるという自信があったので、大胆な勝負に打って出たのである。その自信をかれは次のように言い表している。「私は今でも、どんな激しい勝負のときでも、すこしも冷静さを失わず、頭脳の怜悧さと読みの正確さを保っていれば、血迷って雑なしくじりをしでかして負けるわけがない、という確信をもっている」(工藤訳)。
そういう確信は、賭博に確率論を応用することから生まれるのであろう。じっさい、この小説の場面では、かれは自分の勝負を確率論的な見地から計算している。その結果勝ってもいる。その勝ち方は偶然のものではなく、確率的にごくありうることだというふうに書かれている。
アルカージーは、賭博がもとでひどい目にあうのだが、それは勝負に負けたためではなく、他人とのちょっとしたいざこざのためであった。かれはかつてから、あるユダヤ人が自分の金を盗んでいるという妄想を抱いていたが、その妄想を大げさに持ち出し、そのユダヤ人を告発したのである。当然ながら賭場には混乱が生じる。かれの言い分はまともには受け取られず、かえってよそ者の言いがかりだと言われる。アルカージーはその場に居合わせたセリョージャに助け舟を求めるが、セリョージャは拒否する。そのためアルカージーは汚名を着せられたまま賭博場を出なければならなかった。
こんな具合に、アルカージーにとって賭博は、金を得るための手っ取り早い方法なのだが、それには余計なリスクが伴うのである。リスクは金を失う可能性ばかりではない。賭博場をとりまく雰囲気が人間を堕落させ、その挙句に始末の悪い事態に追い込まれることもある。そうした始末の悪さは、ドストエフスキー自身経験したものではなかったか。この小説の中の賭博のシーンが妙に現実味を感じさせるのは、そこにドストエフスキーの体験が込められているためではないか。
泥棒の汚名を着せられたアルカージーは、自分の名誉を挽回しようとするのではなく、かえってその汚名を受け入れる気持ちになる。それは彼に自虐的な傾向があるからだ。アルカージーはその自虐性を次のように表現する。「わたしは常に、おそらくほんの小さな子供の時分から、卑屈なところがあって、なにかわるいことをされ、しましそれが中途はんぱなものでなくて、ぐうの音も出ないほどに思い切り侮辱されると、そこでかならず受動的にその侮辱に服したいというやみがたい願望がわたしの内部に生まれて、相手の気持ちを先回りして、『おや、あなたは僕を辱めましたね、じゃ僕がもっともっと自分を辱めてごらんにいれましょう。さあ、どうです、たっぷり楽しんでください!』というような気持になるのである」。
こういう気持ちは、ドストエフスキー自身も持ちがちだったと思われる。かれには癲癇のほかにも精神病質があって、それがマゾヒズム的な自虐性をもたらしたのではないか。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7817.html
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2024/05/25 (Sat) 11:28:03
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カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキーの読み方
続壺齋閑話 (2024年5月25日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7826.html
「カラマーゾフの兄弟」は、ドストエフスキー最後の小説である。これを雑誌「ロシア報知」に連載しはじめたのは1879年の時であり、その翌年に単行本として出版した。その時ドストエフスキーはまだ58歳だった。かれは1881年に59歳で死ぬのであるが、作家としては早すぎる死といってよい。かれはこの小説の続編を構想していたので、もうすこし長く生きていたら、その続編と相まって、世界文学史上もっとも雄大な小説となったかもしれない。
非常に複雑な構成であり、その複雑性に応じてさまざまなモチーフがはめ込まれている。だから、色々な読み方ができる。もっとも安易な読み方は、カラマーゾフ一家が体現するロシア人の家族像とか、その家族を構成する人物を通じてのロシア人の民族性を読み取るものであろう。また、当時ドストエフスキーがかなり気にしていた新しい時代の思想への彼なりの批判を読み取ることもできよう。この小説には、極端な性格の人物が複数出てくるので、そういう人物像を通じて、ドストエフスキーなりの人間観、とくに精神病質の人間についてのかれなりの深い理解を読み取ることもできよう。さらに、バフチンが試みたように、小説の新しい方法論の実践としてこれをとらえる見方もあろう。要するにこの小説は、色々な読み方を許容する実に開かれた作品なのである。
かなり複雑な構成であるが、メーンとなるストーリーはある。それは父親殺しをめぐるカラマーゾフ一家とロシア社会との対立である。カラマーゾフ一家の内部でも、父親フョードルと三人の子供たちとの緊張した関係がある。その緊張した関係が、父親殺しというおぞましい事態をひきおこす。父親を殺したのは、一家の下男であり、かつ父親の庶子だと匂わされているスメルジャコフであり、それに次男のイヴァンが深くかかわっているのであるが、じっさいにその父親殺しの罪で裁かれるのは、長男のドミートリー(通称ミーチャ)なのである。三男のアレクセイ(通称アリョーシャ)はドミートリーの無罪を強く信じているが、それを実証的に証明することはできない。そんなわけで、この小説は、ミーチャが無実の罪を着せられたまま終わる。小説の終わり方としては、じつに後味が悪いのである。ドストエフスキーは19世紀の作家であるから、20世紀の作家のような問題意識はもっていない。20世紀の作家には、カフカをはじめ、社会の不条理をそのままに描くという姿勢が顕著に見られるが、まだ強い宗教感情を持っていたドストエフスキーのようなタイプの作家が、世界の不条理さをそのままに暴きだすというのは、ちょっとした驚きである。
そうした驚きを読者に感じさせるのは、この小説の語り方にも原因がある。この小説は、「悪霊」と似たやりかたをとっていて、作中の人物たちと面識がある一人物が、作中人物たちが繰り広げる人間模様を実際に自分が見聞したこととして語るという方法をとっている。「悪霊」の場合には、そうした語り方がいつの間にか客観的な叙述に変わってしまい、どこまでが語り手の語りで、どこからが、まったくの第三者、それは神と言ってよいが、その神の語りになるのかわかりづらいところがある。「カラマーゾフ」についても同じ事情が指摘できる。基本的には、特定の個人である語り手が見聞したことを語るというやり方をとっているのであるが、しかしそうした語り手の立場からは伺いしれないはずのことまでがあたかも実際に見聞したことのように語られる。しかも、「悪霊」の語り手が、作中人物の友人という立場を持たされているのに対して、この小説の中の語り手は、その身分があきらかにされていない。だから、事実上は、まったくの第三者か、あるいは神の立場から地上の事態を眺めているといった語り方をしている。にもかかわらず、神の目からみた事態を客観的に語るというのではなく、あくまでも借り手の主観に映ったことを語っているという建前をとっている。その建前が、事態のもつ不条理性をそのままの形で描写せしめたのだと思う。完全に神と同じ視点から語ったならば、もうすこし合理性ということにこだわっただろう。合理性というのは、理性にとって納得できるという意味である。この小説は、そうした納得を読者に与えない。この小説の終わり方に満足できない読者は星の数ほどあろうかと思うが、この小説は、納得できない者を含めて、なにもかも読者に吞み込んでもらいたいという態度に徹しているのである。
父親殺しは家族内の対立から結果したものだが、その家族、すなわちカラマーゾフ一家と社会との対立は、ミーチャの冤罪という形をとる。ミーチャに罪をなすりつけたのは、ロシア社会そのものなのである。だから、カラマーゾフ一家は、ロシア社会との対立に敗れたということになる。なぜそんなことになったのか。この小説のクライマックスは、ミーチャによる父親殺しを裁く裁判の場面であるが、その裁判では、ミーチャの弁護士を買って出た男が、実に有能な弁論を駆使して、検察側の起訴内容な完膚なきまでに反駁する。法技術的には、けちのつけようのない弁論であって、常識からすれば、ミーチャは無罪になるはずなのである。ところがミーチャは、事実によってではなく、偏見によって裁かれねばならなかった。その偏見はしかし、ロシア社会の維持のためには欠かせないものであって、それをゆるがせにしてはロシア社会が成り立たない。その偏見とは、父親の権威の尊重とロシア的家族の維持への期待に由来する。父親殺しとは、そうしたロシア的な価値観へのもっとも許しがたい行為である。それがおきたからには下手人を罰せねばならぬ。もし適当な下手人が見つからねば、どこからか見つけてくればよい。ミーチャはおあつらえ向きの下手人であった。かれには父親殺しを裁くうえでの動機とか状況証拠があった。それがあれば十分である。そう判断したのは、陪審員たちである。ロシアも多くの西洋諸国同様陪審制をとっており、ミーチャの場合には、十人からなる陪審員で構成されていた。その構成は、当時のロシア社会の構成にほぼ対応していた。役人と農民である。かれらこそ、ロシアの伝統的な権威を体現した人物たちだった。そのかれらが、ミーチャを生贄に選んだというわけなのである。
小説の主人公が、ロシア社会全体を敵に回すという設定は、ドストエフスキーの小説では、これが初めての試みである。ラスコーリニコフのような、ロシア的な価値観を軽蔑する人間は登場していてが、それは大局的に見ればごく些細な個人的な犯行であって、ロシア社会全体としては、たいした痛痒ではない。ところがカラマーゾフの家で起きた父親殺しは、それを放置しておけばロシア社会の土台に裂け目ができるほどのインパクトを与える。絶対に下手人に罰をあたえ、ロシア的な秩序を守らねばならない。じっさいこの裁判には、首都ペテルブルグや大都市モスクワの市民をはじめ、ロシア全体の注目が集まっていた。そんな注目を浴びながら、中途半端な結果に終わらせるわけにはいかないのである。
そんなわけで、この小説は極めて大きな社会的視野を感じさせる作品である。
https://blog2.hix05.com/2024/05/post-7826.html
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2024/06/01 (Sat) 13:08:37
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アリョーシャと少年たち ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
続壺齋閑話 (2024年6月 1日 08:13)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7836.html
カラマーゾフの兄弟は三人からなる。長男のドミートリー(ミーチャ)、次男のイヴァン、三男のアレクセイ(アリョーシャ)である。この三人のうち、小説全体の主人公は長男のドミートリーだ。なにしろこの小説は、父親殺しをモチーフにしており、その下手人として裁かれるのがドミートリーだからである。だが語り手は、アリョーシャを真の主人公のように位置付けている。というのも、今日「カラマーゾフの兄弟」として知られている小説は、もっと壮大な小説の前半部として書かれたからで、後半部では、もっぱらアリューシャにまつわることが書かれることになっていた。それはドストエフスキーの早すぎる死によって書かれることはなかったが、もし書かれていれば、前後合わせた壮大な小説の主人公をアレクセイが務めることになるのは、疑い得ないことだろうからである。そんなわけで、前半たる「カラマーゾフの兄弟」においても、アリョーシャが実質的に主役に等しい役割を与えられているのである。
三兄弟の関係を整理すると次のようになる。ドミートリーはフョードルの最初の妻アデライーダの産んだ子である。アデライーダは若い燕と蓄電し、息子にいくばくかの金を残した。息子は父親に捨てられ、下男のグリゴーリー夫妻に育てられた。成長後は、町のなかで一人暮らしをしている。次男のイヴァンと三男のアレクセイは、フョードルの二番目の妻ソフィアの産んだ子である。ソフィアは「憑かれた女(クリクーシカ)」と呼ばれる通り、精神に失調があったものと思われる。その母親からアレクセイは一種異様な性格を受け継いだ。その性格は、かれの「宗教的畸人(ユロージヴィ)」といわれるような素質のもととなる。そのかれが、後続の小説の主人公になると予告されているということは、その後続部の主題がユロージヴィをテーマにしたものであることを予感させる。
アレクセイは中学校を中退して父親のいる町に移る。その後、地元の僧院に入り、ゾシマという長老に師事する。このゾシマが、ユロージヴィの一典型を体現しているのである。19世紀のロシア正教会では、長老制というものが取り入れられて、長老が宗教的な影響を発揮するようになっていた。長老とは、教会の正規の位階から外れた存在で、個人的な資質を通じて信者たちを惹きつけていた。教会としては、そうした長老が、教会の位階秩序を乱さず、かつ信者たちを集める力を発揮する限りにおいて、その存在に敬意を払っていた。この小説の中でも、ゾシマが寄寓する僧院は、院長はじめ大部分の僧がゾシマに敬意を表している。
アレクセイは、もともとユロージヴィ的な素質があったうえに、ゾシマの強い影響もあって、次第にユロージヴィとしての本格的な資質を身に着けていく。その素質はまだ顕著な形では見られないが、かれに接する人がみな彼に大きな魅力を感じるところに現れている。かれは、大人と子供の区別なく、接する人をほとんど例外なく魅了してしまうのである。だから、彼の意見を聞くために多くの人が近づいてくるし、二人の兄弟からも頼られる。子供にいささかの愛情を持たない父親のフョードルさえ、アリョーシャには一目置くのである。
アレクセイは、多くの人々を感化するのであるが、とりわけ子供達には、特別な影響を与える。この小説の中には、大勢の少年たちが出てきて、それらの少年たちが、アリョーシャを囲んで互いに励まし合い、また、人間として成長していく。ドストエフスキーは、これ以前には子供の成長をテーマに取り上げたことはなかった。それがこの小説で初めて、子供の成長を追いかけるという、いわば教養小説的な手法をとりいれた。ドストエフスキーがなぜ、そんなことに新たな興味を覚えたか。それ自身興味深いことである。
この小説に出てくる少年たちは、十四歳を上限とする十名ばかりの集団である。その少年たちとアリョーシャは、年令の差を飛び越えて、平等な立場で接する。それが少年たちにはうれしくもあり、また、アリョーシャへの信頼感を高めることにもつながる。かれらとアリョーシャとの出会いは、少年同士のいさかいにアリョーシャが居合わせたことである。イリューシャという少年と、数名の少年が石をぶつけあっている場にアリョーシャが通りがかり、争っている理由を尋ねようとしたことがきっかけだった。アリョーシャがイリューシャに近づくと、イリューシャはアリューシャの手に嚙みついてひどい怪我をさせる。だが、アリョーシャは怒ることはない。なぜそんなことをしたのか、その理由が知りたいだけである。
理由はすぐに分かった。イリューシャの父親が、ドミートリーからひどい侮辱を受けたことにかれは腹を立てていて、ドミートリーの弟であるアリューシャも許すことができなかったのである。イリューシャの父親スギネリョフは、落ちぶれた退職官吏で、その日の生活にも困るような貧困にあえいでいた。しかし自尊心は失わない。その自尊心を息子のイリューシャも持っていて、父親を辱めた悪人の弟を許すことができなかったのである。かれの自尊心は異常なほどにすさまじい。いくら貧しくとも、人間らしさは失わないのである。そこにアリョーシャも感動する。かれはイリューシャと和解し、できたら役に立ちたかったのである。
アリョーシャとイリューシャの和解はじきに実現する。その前に、イリューシャと石をぶつけあっていた少年たちがイリューシャと和解する。それにはコーリャという少年が大きな役割を果たす。コーリャは14歳の少年だが、じつに大人びていて、ものごとを客観的に見る目を持っていた。かれは、鉄道のレールの間に横たわって、列車が上を通り過ぎるのを我慢したという逸話があるが。それは彼の度胸の現れであるとともに、事態を冷静に受け止められる能力をも物語っているのでもある。
アレクセイは、コーリャから絶大な信頼を受けるようになり、イリューシャからも愛され、また子供たちすべてから慕われる。アレクセイは、大人さえも好きになってしまうくらいだから、ましてや子供たちには無条件に好かれてしまうのだ。それは、アレクセイの持っている人柄がそうさせるのだが、その人柄を単純化していうと、無私の献身ということだろう。ドストエフスキーはそういう人物像こそロシアに固有なものであり、それはユロージヴィとよばれるような宗教的畸人たちに特に強く見られる傾向だと考えていた。宗教的畸人は他の小説でも登場し、だいたいが肯定的に書かれているが、この「カラマーゾフの兄弟」においては、小説全体の最大のテーマとなったわけである。
結局イリューシャは死ぬ。死因は結核だったようだ。貧困がかれの健康をさいなんだのである。この小説のラストシーンは、イリューシャの埋葬の描写である。その場でアリョーシャが少年たちにかける言葉が、ドストエフスキーとしては珍しく感傷的である。
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7836.html
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2024/06/08 (Sat) 15:13:33
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ドミートリーの冤罪 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年6月 8日 07:57)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7845.html
カラマーゾフ三兄弟のなかでもっとも複雑な性格の人物は長男のドミートリーだ。見かけ上は次男のイヴァンのほうが複雑に見えるが、しかしイヴァンは基本的には冷徹なリアリストであり、その行動原理はそれなりに一貫している。それに対してドミートリーには、そうした一貫性がない。その場の雰囲気にのまれて、やぶれかぶれに行動する傾向が強い。そういう傾向はあるいは単純な性格に帰せられるのかもしれないが、ドミートリーの場合には、そんなに単純な話ではないのである。かれは、父親殺しの嫌疑をかけられて裁判されるのであるが、自分は裁かれる資格が十分あると思っている。だが、父親殺しでは無罪を主張する。一方で自分は有罪だといいながら、他方では無罪だといいはる。そんな彼の言い分を裁判官たちが聞き入れるわけはない。かれは、裁判にまともに立ち向かうには、性格が複雑すぎるのだ。
ドミートリーが裁判所に引き立てられたときには、かれの有罪はすでに決まっていた。かれには有能な弁護士がつき、検事を向こうに回して巧みな弁論を行い、論理的にはかれは無罪でしかないと証明したにかかわらず、有罪となる。それはロシアの裁判に大きな役割を果たす陪審制度のためである。ロシアの刑事裁判では、陪審員の心証が大きくものをいう。その心証の大部分は偏見から成り立っているから、裁判では事実より偏見がものをいう場合が多い。ドミートリーの裁判もそういったもので、かれはすでに父親殺しの嫌疑を、事実によってではなく、偏見によってかぶせられていたのである。かれがなぜそんな偏見の犠牲者となったのか。その理由は、一つは彼自身にもある。かれは日頃から父親との確執を周囲のものにかくさず、ことあるごとに、「親父を殺してやる」とわめきちらしていたのである。それがかれにとって不利な状況証拠になる。しかもそうした状況証拠は、ロシアの裁判では決定的な意義を持つのだ。
ドミートリーが父親のフョードルを憎むようになった理由は二つある。一つは金の問題であり、もう一つは女のことである。金については、生みの母親からいくばくの財産を贈られていて、それを管理しているはずの父親が自分にその詳細を教えてくれないばかりか、踏み倒そうとしていると勘ぐっている。女については、同じ女を親子で愛したという不都合な事情がある。その女はグルーシャとかグルーシェンカとか呼ばれており、サムソノフという商人の養女のような身分である。養女であり、かつ慰み者だとほのめかされている。非常に気位の高い女で、カラマーゾフ父子のどちらをもまともには相手にしていない。からかい半分の気持ちなのである。そんなわけだから、初恋の相手だったポーランド人から声をかけられると、カラマーゾフ父子を打ち捨てて、昔の恋人のところに駆けつけたりする。その恋人に幻滅したこともあって、最後にはドミートリーを受け入れるようではあるが、それまではドミートリーを気晴らしの相手くらいにしか思っていなかったのである。
ドミートリーは、三歳のときに両親に捨てられ、下男のグリゴーリー夫妻によって育てられた。成人したあとは町の一角の借家に住んでいる。かれの当面の目的は、グルーシャと愛人関係を結ぶことである。そのグルーシャを父親のフョードルも気に入っていることをかれは知っており、どちらがグルーシャをものにするか争っている最中である。その最中に父親のフョードルがなにものかによって殺害される。その殺人事件は、状況証拠からしてドミートリーが下手人だと判断するのが合理的である。かれは日頃から父親を殺すと公言していたし、事件の起きた時刻に殺害現場にいたことが明らかだからである。
ドミートリーにはもう一人女がからんでいる。カチェリーナといって、これも非常に気位の高い女である。ドミートリーはかつてその女の窮状を救ってやったことがあり、それがもとで、女から求愛されるようになっていた。しかしかれはカチェリーナを愛する気にはなれない。生き方がちがうし、気性も男勝りの強さがある。しかも教養があって、傲慢さももっている。そんな女と一緒に暮らす気にはなれないのだ。かれは無教養で粗野な男であり、そのことを自覚してもいたので、自分がカチェリーナにふさわしいとは思っていないのだ。一方、グルーシャのほうは、気位こそ高いが、性格はくだけており、親しみやすい感じがする。結婚するならそんな女がいい。というわけでかれはグルーシャに夢中になるのだが、その同じ女を、父親のフョードルも手に入れたいと熱望するのである。
殺害現場にドミートリーが押し掛けたのは、グルーシャがフョードルの家に来ているのではないかと憶測したからだ。しかし彼女はいなかった。そこで柵を乗り越えて屋敷から出ようとして下男のグリゴーリーと鉢合わせ、たまたま持っていた銅の杵でグリゴーリーを叩きのめす。そのさいに多量の返り血を浴びて、そこらじゅうが真っ赤になる。てっきりグリゴーリーが死んだと思い込んだドミートリーは、自分は殺人事件で裁かれるだろうと観念するのである。そんなわけでかれは、裁判所で妙なことをいう。自分は殺人事件の容疑者として有罪だが、父殺しの件については無罪だと言い張るのである。グルゴーリーは、かれにとっては育ての親同然なのだが、そのことをかれが意識している様子は小説の文章からはうかがわれない。もっとも、グリゴーリーのほうも、育ての親というような態度はとってはいない。
父親殺しが起こった前後のドミートリーの行動には、かなり無理なところがある。事件の直前まで、かれは無一文に近い状態だったはずなのに、どういうわけか、事件の直後には大金を持っていて、その金を持ってグルーシャがいるはずのカフェに乗り込む。そこでかれは大盤振る舞いをやり、またいろいろな出来事があったあとで、グルーシャの愛を射止めるのだ。しかし、その金をかれがどこから用立てたのかについては、客観的な描写という形では示されていない。ドミートリー本人は、裁判の中で、それは以前カチェリーナから預かった金の一部だと抗弁するのだが、それにしても不自然なところがある。この小説には、これ以外に不自然なところは見受けられないので、余計に目立つのである。
ドミートリーは有罪を宣告され、シベリアへ流刑されることになる。グルーシャは一緒についていくつもりである。一方カチェリーナは、イヴァンと協力してドミートリーを脱獄させ、アメリカへ送り込むつもりである。もしイヴァンが死んだら、自分一人の力で脱獄を成功させるつもりである。計画を聞かされたドミートリーもその気になる。かれはとりあえずアメリカに逃れ、そこで生活基盤を再建したうえで、変装してロシアにもどり、アメリカ人としての余生を送りたいと考えている。結局ドミートリーは、堅実な考え方ができないのだ。自分を冤罪に陥れたロシアを、かれが恨みに思わないのは、ロシア人として生きる以外に、選択の余地がないと思っているからであり、その思いには、理屈では割り切れない事情がこもっているということのようだ。
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7845.html
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2024/06/15 (Sat) 13:07:14
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イヴァンと大審問官 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年6月15日 07:57)
https://blog2.hix05.com/2024/06/post-7858.html
カラマーゾフ三兄弟のなかでイヴァンは、性格がいま一つはっきりしないという印象を与える。長男のドミートリーにも性格の破綻を感じさせるところはあるが、それなりに自分の目的にしたがって行動している。かれの目的は快楽を追求することであり、その快楽を与えてくれるものが一人の女(ドルーシェンカ)であるかぎり、ただひたすらその女の愛を求める。かれの行動は非常に常軌を逸しているが、それも女の愛を得るための行動と見れば不自然さはない。また、アリョーシャのほうは、宗教的な奇人(ユーロジヴィ)として人物設定されていることもあり、その行動は宗教上の理由に根拠づけられている。ところが、イヴァンには明確な性格設定がなされているとはいいがたい。かれは、一応高等教育を受けており、インテリゲンツィアということになっている。ドストエフスキーは、インテリには自由思想を抱かせるのが好きであるから、イヴァンにもそうした自由思想を抱かせている。しかし、イヴァンの行動を追っていくと、とてもインテリとしての合理的な行動をしているとは思えない。かれには一種独特の性格の弱さがあって、そのために一人前の男としては物足りなさを感じさせる。実際、ドミートリーの裁判をめぐって彼が示す反応は、じつに幼稚なところを感じさせるのである。
イヴァンは、母親が死ぬと弟のアリョーシャともども父親に捨てられ、当初はドミートリー同様グリゴーリーに面倒を見てもらったが、やがて母親の縁者であるさる将軍夫人にひきとられ、その夫人が死んだあとは、夫人の相続人ポレーノフに引き取られた。二人の子供たちには夫人が一人千ルーブリずつ残してやった。ポレーノフはその金に手をつけず、自分の資産で二人を育てた。ポレーノフが死んだのは、イヴァンが中学生のころで、その後かれは大学に進むことができた。まだ幼い弟のアリョーシャは二人の婦人に引き取られた。イヴァンが父親の住む町に戻ってきたのは大学卒豪後まもなくのことである。兄のドミートリーが、相談相手としてかれを呼んだのだった。かれは父親フョードルの家に同居し、この小説の始まる時点では、父親と兄との仲介役のようなことを行っているのである。仲介がうまくいかなかったことは、父親が殺され、ドミートリーにその嫌疑がかけられたことからわかる。
フョードルを殺害したのはスメルジャコフであるが、それにはイヴァンも一枚かんでいる。かれは自分の手を汚したわけではないが、スメルジャコフがフョードルに殺意を持っていることを察しており、かれの殺人をほう助したわけではないが、それを見逃すというかたちで父親殺害に一枚かんだのである。スメルジャコフがフョードルの殺害を決意したのは、とりあえずは金のためということになっているが、自分の父親だと噂されているフョードルを恨んでいたようなので、怨恨も絡んでいると思われる。そのスメルジャコフは、どういうわけか、事件後しばらくして自殺するのである。
イヴァンはなぜ、スメルジャコフによるフョードルの殺害に、間接的にではあるが、加担したのか。その理由がいま一つ明らかではない。この小説は、カラマーゾフ三兄弟を主人公に設定しながら、一人イヴァンについてだけは、曖昧に流している部分が多い。かれとスメルジャコフのやり取りを読んでいると、スメルジャコフの怪しい雰囲気にのまれ、あたかも催眠をかけられているような印象を受ける。かれが父親殺しを見逃したのは、催眠にかかっていたためではないかと思わせられるほどである。かれは、イヴァンを裁く法廷にもあらわれ、真犯人はスメルジャコフであり、ドミートリーは無実だと証言するのだが、裁判所はそれにとりあわない。すでに犯人はドミートリーだと決めているからである。またイヴァン自身も、譫妄状態にあって、その証言には真実らしさがなかったこともある。小説はイヴァンがドミートリーの脱獄ほう助の計画をもっていたとほのめかすのだが、イヴァンがその計画を実施する可能性はほとんどないだろうと読者に感じさせながら終わるのである。
イヴァンの性格を裏打ちする思想をかれに表出させる場面がある。第五編第五「大審問官」に出てくる場面である。この場面に先立って、かれは弟のアリョーシャを相手にキリスト教の批判を行っている。アリョーシャが宗教的奇人の道を選び、キリスト教に一身をささげようとしていることに、水を浴びせることを意図したキリスト教批判である。そこでかれは、自分はキリストではなく、悪魔のほうに親近感を抱くといって、アリョーシャを悲しませる。そのうえで、大審問官の話をするのである。これは彼が作った劇詩の題名で、16世紀のロシアを舞台にして、キリスト教会の大審問官が、キリストが人々の魂の救済のために再びこの世に救世主として現れたことに対して、キリストを厳しく批判し、いまは教会が人々の魂を救済する役目を担い、キリストにはもはや出る幕はないので、とっとと消え失せてもらいたいと宣言するというような話である。
その話を聞いたアリョーシャは強く反発する。アリョーシャにとっては、キリストの復活はありうることなのである。キリストはいつの時代にも、どの国でも復活する、と強く信じている。キリストは万能なのだから、自分の意思でどんなこともできるのだ。そのキリストの復活を信ぜず、教会がキリストにとってかわると主張するのはジェスイットだけだ。なるほどジェスイットならば、そんなことをいうかもしれぬ。しかしロシアの正教では、教会をキリストの上位に置くようなまねはしない。そういってアリョーシャは反論するが、イヴァンはとりあわない。かといって自分の反キリスト論をアリョーシャに押し付けるわけでもない。ただ、自分はお前のようには思わないというばかりである。そういう中途半端なところがイヴァンにはある。かれはキリストをそんなに信じないが、かといって無神論者を自認しているわけでもないのだ。そういうところに、イヴァンの人間としての頼りなさを読者は感じ取らされるような書き方をドストエフスキーはしているのである。
ドストエフスキーは、この小説を含め、多くの小説で、自由思想は無神論に他ならないと書いているが、ことイヴァンについては、自由思想と信仰の自由はどうも両立しているようである。
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2024/06/22 (Sat) 09:38:29
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スメルジャコフの怨念 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年6月22日 08:29)
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スメルジャコフは、この小説のメーンテーマであるフョードル・カラマーゾフ殺しの下手人であり、そういう点では非常に重要な役回りを負わされているのだが、その割には人物像が明確ではない。だいいち、かれがフョードルを殺す場面は直接的には描写されていないし、また、かれがなぜフョードル殺しを決意したのか、その動機もあやふやである。金目的というふうにほのめかされてはいるが、いま一つ説得力がない。金目当てなら、その金を有効に使おうとするはずだが、かれはそれをイヴァンに与えてしまうのだし、事件後まもなくして自殺してしまうのだ。かれがかぜ自殺を選んだのか、それについても謎のままである。というわけで、この小説の中のスメルジャコフは、重要な役回りの割に、存在感が大きいとはいえない。
スメルジャコフは、スメルジャーシチャヤという女が生んだ私生児だった。スメルジャーシチャヤは白痴で、町全体の居候のような存在だった。彼女が二十歳のときに子を産んだ。それがスメルジャコフである。それについては、フョードルが誤解を呼ぶような発言をしたせいで、街の連中は生まれた子の父親はフョードルだろうと噂しあった。じっさいスメルジャコフは、パーヴェルという洗礼名につなげてフョードロヴィチの父称で呼ばれたのである。そのスメルジャコフを、フョードルの下男グリゴーリー夫婦が育てた。その育ての恩を、スメルジャコフが感じている様子はみられない。かれはグリゴーリーを、金玉を抜かれた馬だと言って蔑視するくらいである。
スメルジャコフは、下男に育てられた私生児であり、母親の記憶ももっておらず、ろくな教育も受けていない。自分自身粗野な下男である。主人のフョードルには、忠実に使えてきたということになっている。それはかれの正直な性格をフョードルが評価したからである。だから、この小説が始まった時点で、スメルジャコフがフョードルに殺意をもっていたとは断定できない。
スメルジャコフはろくな教育を受けていないのだが、自尊心は人一倍持っている。だから、他人から軽んじられることには我慢ができない。とはいっても、自分より身分の高いものに対しては、一応謙虚に振舞う。そのあたりの呼吸は身に着けているのである。そのスメルジャコフが、イヴァンには特別な関心をはらう。イヴァンがフョードルの屋敷にやってきて、最初にまともな会話を交わしたのはスメルジャコフだった。スメルジャコフはイヴァンに対しては妙になれなれしく振る舞った。イヴァンはそれを気味悪く思ったほどである。
スメルジャコフにまつわる話はあまり多くない。肝心のフョードル殺しは、間接的なかたちで言及される。スメルジャコフみずから表に立つ逸話としては、かれのてんかんの発作の場面と、イヴァンを相手にする会話の描写くらいである。その会話の中でもっとも重要な意義をもつのは、フョードル殺しの直後になされたものである。その事件の起きた当時、イヴァンはモスクワに行っていた。一方スメルジャコフは、事件のあった時刻にはてんかんの発作中だったということになっており、その発作で入院し、退院後は新たに借りた部屋に寝起きしていた。イヴァンはモスクワから帰ると早速その部屋にスメルジャコフを訪ねる。かれは、ドミートリーではなくスメルジャコウが殺人の真犯人だと思っているのだ。もっとも自分自身その共犯だという意識をもっている。スメルジャコフの犯意を見抜いたうえで、かれが殺人をしやすくする環境を整えるために、一時モスクワに遠出していたのだ。
イヴァンは何度かスメルジャコフと会って話したのだが、最初のころはまだかれが真犯人であるかどうか確証は得られていなかった。それが、会話を続けるうちに、スメルジャコフは自分が殺したと言うようになった。だが、イヴァンも予想していたように、自分だけの単独犯罪だけではなく、イヴァンも共犯であり、しかも主犯はイヴァンであり、自分はその手下として実行しただけなのだと主張した。イヴァンが父親殺しを思いついたのは、遺産のためだ。もし父親がグルーシャとめでたく結婚となれば、父親の遺産はグルーシャに取られてしまうだろう。それを阻止するためには、ドミートリーに父親殺しの罪をかぶせればよい。そうすれば、12万ルーブリある遺産をアレクセイと山分けすることができる。グルーシャの問題がなければ、遺産は三人の子供たちで三分することになる。それにくらべても、ドミートリーを父親殺しに仕立て上げて、自分とアレクセイでそれを山分けするのは魅力でしょう、そんなふうにスメルジャコフは言って、イヴァンをそそのかすのである。じつは、スメルジャコフは、初めてイヴァンとあったときから、かれに妙な親近感を抱き、この男とならうまくやれると値踏みしていたらしいのである。
スメルジャコフはイヴァンを巻き込めばフョードル殺しもうまみがあると思って、自分もそれに一枚かもうと決断した、というふうに考えられなくもない。しかし、他人の都合を前提にして、殺人などできるものではなかろう。やはり自分自身の利益を期待できねば話になるまい。だが、スメルジャコフにそういう思惑があったとは受け取れない。それは、彼が金に対して淡白なことからわかる。ではなにがかれを、フォードル殺しに駆りたてたか。それをおそらく怨念だったと思う、自分を私生児にしたのはフョ-ドルだとかれは思っていたに違いないから、フョードルに対して怨念を抱くのは自然である。その怨念がフードル殺しにかれを駆り立てた、と考えることには無理はない。
スメルジャコフは、フョードルを殺した際に、3000ルーブリを盗んでいた。それをイヴァンにも見せたうえで、どういうわけかイヴァンに譲ってしまうのである。その前に、イヴァンはスメルジャコフを殺人罪で告発すると宣言している。イヴァンは、スメルジャコフが真犯人だと証言したうえで、自分もそれに深くかかわっていたと認めると言い出したので、スメルジャコフはびっくりして金をイヴァンに渡した、と読み取れなくもない。
非常に不可解なのは、スメルジャコフがイヴァンとの会話の直後に自殺してしまうことだ。そのためもあって、ドミートリーの無罪は証明できなくなった。スメルジャコフが自殺した理由については、小説は明確なことをいわない。読者の想像にまかせるといった態度に徹している。イヴァンについていえば、かれがドミートリーの脱獄計画を煮詰めるのはスメルジャコフ自殺のあとのようである。スメルジャコフが死んでしまえば、ドミートリーの無罪を証明するのは不可能に近いだろう。そんな判断が働いたものと思われる。
それにしても、スメルジャコフは、イヴァンも驚くほどの大胆さを持った男として描かれながら、あっさりとした最期をとげる。そこに読者は不可解さを感じざるをえない。
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2024/06/29 (Sat) 11:18:47
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カチェリーナとグルーシャ ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年6月29日 08:12)
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ドストエフスキーの小説世界には、強烈なキャラクターの女性が必ず出てくる。彼女らは、男の主人公以上に強い存在感を発揮している場合が多い。「白痴」では、ナスターシャとアグラーヤがムイシュキン公爵を手玉にとるし、「悪霊」では、ワルワーラ夫人が物語全体の中心にいる。「罪と罰」のソーニャやそのタイプの女性たちも、一見ひ弱そうに感じさせるが、芯の強さを持っている。ドストエフスキーがこうした女性たちにこだわったのは、かれなりのロシア人観に根差しているのだと思う。ロシア人というのは、男がだらしないだけに、そのだらしない部分を女が補っている。女が毅然としていなければ、ロシア社会はまともには機能しない。そういう考えが働いて、女性に大きな比重を持たせているのが、ドストエフスキーの小説の特徴だと思う。
「カラマーゾフの兄弟」では、カチェリーナとグルーシャが強烈な存在感を発揮して、小説全体を躍動させている。二人ともドミートリーと特別な関係にある。カチェリーナは、ドミートリーに苦境を救ってもらったことで、彼に対して恩義を感じ、その恩義が恋愛感情に発展したという経緯があるが、その恋愛感情は次第に衰えていく。それに反比例するように、グルーシャのドミートリーへの恋愛感情が高まっていく。この二人の女性の非対称的な関係が、小説全体を彩っているのである。なにしろこの小説の主人公は、三兄弟の長男ドミートリーであるから、かれと特別な関係にあるこれら二人の女性の存在感は圧倒的に大きい。その二人が、ともに強烈なキャラクターの持ち主であり、男の主人公であるドミートリー以上に、強い存在感をもって読者に迫ってくるのである。
カチェリーナがドミートリーに苦境を救ってもらったというのは、一家を破滅から救ってもらったということだ。父親が多額の借金をかかえて破滅しそうになったときに、ドミートリーが5000ルーブリという金を提供してくれた。ドミートリーは、彼女が自分の部屋にやってきたら金を渡してやろうという条件をつけたのだが、それは性的な意味合いとして受け取られかねない条件だった。その条件をのんで彼女はドミートリーの部屋を訪れたのだったが、ドミートリーは性的な要求をもちださず、あっさりと金を渡した。そのことが彼女には、ドミートリーの人柄の高潔さを物語るように思え、それが彼への尊敬の念と、それを超えた恋愛感情の高まりをもたらしたのだ。彼女はその後、運よくそこそこの財産を手にしたが、財産を手にしたあとも、ドミートリーへの恋愛感情(疑似恋愛感情といってもよい)を持続させたのだった。
グルーシャは、グルーシェンカとも呼ばれるが、正式の名はアグラフェーナである。孤児だったところを商人のサムソノフに育てられたということになっている。一時は性的な関係も迫られたらしいが、サムソノフは高齢でもあり、この小説が始まった時点では、サムソノフとの性的関係はなく、フョードルとドミートリーの父子に執着されている。彼女のほうは、父子の愛をもてあそぶような態度をとる。じっさい、彼女は二人とも全く愛してはいないのだ。彼女には、少女時代に愛した男がいて、その男から会いたいと言ってくると、いそいそと逢いに出かけていくのである。だがその思い人がいかさまな男だとわかって、自分に対して熱烈な愛をささげるドミートリーのほうに心が傾いていくのである。彼女は、ドミートリーと結婚して、かれがシベリア送りになったら、自分もついていく気になる。彼女がそう思うようになった時点で、カチェリーナのほうはドミートリーに愛想をつかすのだ。
カチェリーナとグルーシェンカの関係は、ドミートリーをめぐる三角関係の二つの辺という関係である。その関係の中で、カチェリーナの嫉妬が大きな意義を帯びる。ふたりは、小説の比較的早い時点で衝突する。アレクセイがカチェリーナの家を訪ねて行ったときに、すでにグルーシェンカが来ていて、アレクセイの前で二人は罵りあうのである。その罵り合いは、アレクセイに強い印象を与えた。二人とも大柄な女で、男勝りの勢いがある。だから、罵り合いは迫力を感じさせるのである。罵り合いを始めたのはカチェリーナのほうだった。彼女は、グルーシャがドミートリーをもてあそんでいるようなことを、カチェリーナに向かって当てこすりのように言うので、かっとなって、グルーシャを「売女」呼ばわりするのである。それに対してグルーシャも、カチェリーナが金のために男の部屋に入っていったことをとりあげて、嘲笑する。こうなっては修復しがたい全面対決である。その対決は、ドミートリーとの関係においては、カチェリーナが愛の対象をイヴァンに切り替え、グルーシャがドミートリーと結ばれることを望むという形で決着する。
カチェリーナは、尊大で傲慢な女として描かれている。そのうえ長身ときているから、アマゾネスを思わせるような偉丈夫なイメージを感じさせる。グルーシャも長身のほうだが、カチェリーナよりは多少低い。その差が、彼女らの気持ちの差をあらわす。カチェリーナは一貫して尊大さと傲慢さを失わず、イヴァンに対しても保護者のような態度をとるのに対して、グルーシャのほうは、かつての思い人への思慕とか、ドミートリーからの求愛にこたえようとする姿に、ある種の謙虚さを感じさせる。ドストエフスキーは、この二人の女性のうち、グルーシャのほうを贔屓しているようである。グルーシャには、「貧しき人々」のワルワーラ以来、ドストエフスキーが描きつづけてきた、ロシア女性の一つのタイプとしての弱さの中に強さを感じさせるような女性像が認められるのである。
もっとも、カチェリーナも傲慢だけではなく、やさしさも感じさせる。たとえば、スギネリョフ一家に経済的な援助の手を差し伸べたりする。彼女が傲慢に振舞うときは、自尊心を傷つけられたと感じたときだ。そう感じるのは、嫉妬が強く働く時である。彼女は嫉妬に振舞わされながら生きているという印象を強く与える。こんなに嫉妬深い女性像は、ドストエフスキーの小説世界のなかでは、ほかに見られないのではないか。「白痴」の中のナスターシャとアグラーヤはムイシュキン公爵を挟んで三角関係を形成するが、そこには強烈な嫉妬は介在しない。ふたりともムイシュキンを本気で愛してはいないからだ。ところがカチェリーナは本気でドミートリーを愛しているらしいのである。というか、彼女はだれかを愛さずには生きていられないタイプなのである。
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2024/07/06 (Sat) 11:32:27
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ゾシマ長老 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年7月 6日 08:11)
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宗教的奇人と訳されるユロージヴィは、ロシア特有の現象らしい。裸あるいは異様な身なりで放浪し、キリスト教の教えを独特な解釈で説教して歩く。そうした行いが貧しい民衆の支持を集め、熱狂的な宗教集団を形成するに至る場合もある。16世紀ころからぼちぼち現れ、19世紀にはロシア全土でかなりの規模で社会に浸透したらしい。そのユロージヴィにドストエフスキーは大きな関心を寄せ、小説の中でたびたび言及している。初期の作品「死の家の記録」では、ユロージヴィを分離派と結びつけている。分離派は、ロシア正教会から分離した宗教集団のことをさすが、その教義には、独特のものがあり、奇行を多く含んでいるという。
「カラマーゾフの兄弟」には、ゾシマ長老という人物が出てくるが、これがユロージヴィの一つの典型である。アレクセイは、そのゾシマの教え子ということになっているから、かれもユロージヴィの予備軍である。ユロージヴィには、宗教的奇人という意味のほかに、人格的に破産した人間という意味もあり、そういうタイプの人間は、ドストエフスキーの小説には数多く出てくる。「悪霊」のレビャートキナはその典型的なものである。「カラマーゾフの兄弟」では、スメルジャコフの母親スメルジャシチャヤがそれにあたる。
宗教的な奇人という意味でのユロージヴィを正面から直接取り上げたのは、この小説におけるゾシマ長老が初めてである。19世紀のロシア正教には長老制度というものがあった。長老とは、教会の正規の位階制度からはずれたもので、したがって教会を正式に代表するものではないが、教会の一隅に寄寓することを許され、自分を個人的に信仰するものを相手に説教などをおこなっていた。すべてのロシア協会にあったわけではないが、その数はかなりの規模だったらしい。その長老の位置を与えられたのが、ユロージヴィと呼ばれる宗教的奇人だったのである。かれらの説は、ロシア正教会からすれば、異端と見まがうものを多く含んでいたはずだが、教会側はどういうわけか寛大に対処していたようである。
ゾシマ長老は小説の比較的早い段階で出てくる。第一篇でカラマーゾフ一家の紹介をひととおり終えた後、アレクセイとのかかわりで紹介されるのである。その後、第二編では、冒頭から出てきて、小説の進行上の主役を務める。彼の祝福を受けるために大勢の女たちが押し寄せ、また、カラマーゾフ一家もやってくるのである。それは、一家のメンバーが久しぶりに集合したことを記念するために、教会の場を借りたからであった。息子たちが集まってきたことに気をよくした父親のフョードルが、教会への寄進をかねて、教会に集まったというわけである。
ゾシマ長老は、信仰熱き婦人たちに祝福を与え、また、信仰の薄い婦人たちにもそれなりの祝福を与える。かれはアレクセイに対しては、父親代わりの役を自覚し、貴重なアドバイスを授ける。それは、自分が死んだら速やかにこの修道院を去って、娑婆世界を放浪し、妻も持たねばならぬというものだった。アレクセイはその指示にしたがい、長老が死んだら速やかに修道院を出て娑婆世界を放浪する覚悟を固める。また、リーザという少女に、結婚する約束を与える。もっともそれについては、リーザのほうがのちに心変わりするのであるが。
ゾシマ長老がアレクセイに放浪をすすめたのは、自分自身の体験を踏まえたうえでのことである。かれもまた、ロシア各地を放浪して回り、人生最後の時期になって、この修道院に腰を据えたのであった。その放浪をはじめ、ゾシマ長老の若き日々のことについては、第六篇において、ゾシマ長老の最後の談話という形で語られる。かれはその談話を終えた直後に死ぬのである。
その談話は、ゾシマ長老の死後、アレクセイによって編纂されたということになっている。したがってレポート風である。「故大主教ゾシマ長老の生涯」と題するこのレポートはかなり長大であり、岩波文庫版の邦文で76ページにのぼる。前半で、長老自身の出自や家族の不幸な生きざまが語られ、また、自身の若いころのこと、軍人生活とか決闘とかについて語られる。その後、放浪の旅の途中出あった謎の人物との対話が語られるが、この人物がかれに多大な影響を及ぼし、かれを宗教的奇人の道へと進ませた、というふうに思わせるようになっている。後半では、かれの宗教的な信念が語られる。それは、民衆と常にともにあることとか、人間の存在意義は愛することにあるといったものだ。おそらく分離派の主張を取り入れているのだろう。
談話を語り終わると、その晩に長老は死んだ。すると翌日の朝から大勢の人々が集まってきた。長老は棺に納められ、人々の悲しみの挨拶を受けた。ところが思いがけぬことがおきた。午後三時ごろには、つまり死後二十四時間もたっていないのに、棺から死臭が垂れ込めてきたのである。これはじつに意外なことであった。長老のような人に、人々は奇跡を期待するものだ。しかし死んだすぐあとに死臭をただよわすというのは、アンチ奇跡といってよい。その死臭を嗅いだもののなかには、長老が聖人などではなく、俗人だと言い出すものもあった。なぜなら聖人が死後すぐに死臭を放つことはありえないと思われるからである。
こうしたことは、通常は起こらないと思うが、ドストエフスキーがあえて小説の中で触れたのは、ゾシマ長老が、奇跡などに頼らず、民衆への愛によって民衆を教化するという姿勢を貫いたと言いたかったからではないか。ともあれドストエフスキーは、この小説においては、宗教的奇人と呼ばれる人々にかなり好意的である。
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2024/07/13 (Sat) 12:23:15
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ロシア式裁判 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟}を読む
続壺齋閑話 (2024年7月13日 08:25)
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小説「カラマーゾフの兄弟」のクライマックスは、ドミートリーの父親殺しの嫌疑をめぐる刑事裁判である。それに先立ち、司法当局者たちによる予備的な尋問が行われていた。ドミートリーがグルーシャとともにどんちゃん騒ぎをやっているところに、かれらは顔をあらわし、尋問を始めたのである。じつにみごとなタイミングであったが、それにはわけがある。たまたま警察署長ミハイル・マカーロヴィチの家に、判事のニコライと検事のイポリート、司法医のヴィルヴィンスキーが集まっていたところ、ヴェルホーヴェンという小役人が、フョードル殺害の一報をもたらした。かれらはさっそく現場に飛び。フヨードルが血だらけで死んでおり、札束を抜き取られた封筒が床の上に落ちているのを見る。かれらは、犯人は長男のドミートリーにちがいないと推測する。ドミートリーは日頃から父親殺しを示唆するような発言をし、また、父親との間で金のトラブルを抱えていたからである。
かれらは、ドミートリーのいるモークロエ村に直行し、ドミートリーをはじめそこにいる人々を尋問する。尋問は検事のイポリートが中心になって行い、それに判事と警察署長が立ち会うといったかたちだ。日本では、刑事事件の一次的な捜査は警察が担当することになっているが、ロシアでは、最初から検察がかかわるばかりか、裁判官まで介入することもあるということらしい。被告側は、弁護士をたてることはせず。とりあえず自分だけで尋問に応じる。黙秘権はあるようだ。
尋問を通じて検事は、ドミートリーの犯行を確信する。ドミートリーが金目的で父親を殺害し、封筒の中にあった3000ルーブリの札束を抜き取ってモークロエに直行し、そこで大判振る舞いをして楽しんでいたにちがいないと推論したのである。裁判本番におけるかれの弁論は、こうした確信のうえに行われたものだが、それが実証的なやり方ではなく、情緒的なものだというところに、その裁判の特異な性格を読者は感じさせられるのである。
裁判本体は、検事による論告と弁護士による反論を中心に行われ、最後に12人の陪審員たちによる評決というプロセスをたどる。検事による論告及び弁護士による反論は適宜証人尋問や証拠の提出をともなう。アメリカの裁判がとくにそうだが、ロシアの裁判も、検事や弁護士による弁論のテクニックが裁判の行方を大いに作用するようだ。物証よりも、状況証拠や犯罪行為の推測が大きくものをいう。じっさい、この裁判における検事イポリートの弁論などは、犯罪追及を目的とした科学的・実証的推論というよりは、陪審員たちの心証を左右することを目的とした、きわめて印象操作的な言説からなっているのである。
ともあれ、証人尋問と一通りの証拠調べののち、まず、検察側の論告がなされる。極めて長いものだ。論告は無論犯罪の成立を論証するものだ。そのために、物証が物をいうというのが、欧米の刑事裁判の基本的な流れだと思うが、ドストエフスキーの時代のロシアの刑事裁判は、物証よりも状況証拠とか容疑者の人間性といったものにもとづいて、犯罪を類推するというのが、この小説からは伝わってくる。
検事イポリートの論告は、きわめて文学的である。裁判の論告というより、一篇の小説を聞かされているような気になる。かれはまず、犯罪をおかしやすい人間の性格について解明し、そうした性格に共通するものをドミートリーも持っているということを根拠にして、ドミートリーが犯人だと決めつけるのである。今回の事案は父親殺しという、ロシア人にとってもっとも受けいれがたい犯罪である。その罪を犯す可能性があるのは、現場の当時の状況からしてごく少数の人間に限られる。スメルジャコフとグリゴーリーもその少数の中に入っている。ところが、ドミートリー以外のものには、事実上あるいは動機上、犯人といえる証拠がない。しかし、その少数の中から犯人を捜さねばならないとしたら、ドミートリー以外に犯人と考えられる人物はほかにはいない。したがってドミートリーが犯人である、ということになる。要するに積極的な証拠にもとづいて犯人捜しをするのではなく、状況証拠に基づきながら、消去法を活用して犯人を特定するというわけである。
弁護士フェチェコービチは、カテリーナがドミートリーのために首都から呼び寄せた有能な弁護士である。かれは、イポリートとは異なり、文学的ではなく、実証的な弁論を展開する。起訴の理由となっている事実がことごとく証拠不十分で、かつ空想的なものであることを証明しようとするのである。その証明は見事なもので、検事の論告はことごとく反駁されたと、その場に居合わせた大勢の人々に思わせた。なにしろ法廷には、地元の紳士淑女のほかロシアじゅうの注目が集まっていたのである。
陪審員たちによる評決は有罪だった。陪審員たちは、どうもロシア的な秩序の擁護者という意義をもたされていて、その自覚がドミートリーを有罪だと判断させたのであろう。この事件は、かならず犯人を特定せねばならない。うやむやに終えてしまっては、ロシア的な秩序が崩壊してしまうからである。じっさい陪審員の構成は、四人の役人と二人の商人、六人の百姓からなっているが、かれらはみなロシア的な秩序の体現者たちなのである。この陪審員の構成については、ある夫人が次のような感想をもらしている。「こういう微妙な複雑な心理的事件があんな役人や、おまけにあんな百姓たちの決定に任されるのでしょうか? あんな役人や、ましてやあんな百姓たちに、この事件がわかるのでしょうか?」
こうした疑問は、裁判が真実の解明と正義の実現を目的としたものだと考えれば納得できる疑問である。だが、ロシアの裁判は、ロシア的な正義を実現するためのものであり、そのロシア的な正義とは、この事件に関して言えば、尊属殺人には厳罰を与えねばならぬというものだった。そういった要請から見れば、陪審員たちはごく当然の評決をしたことになる。
https://blog2.hix05.com/2024/07/post-7900.html#more
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2024/07/20 (Sat) 08:30:54
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ドストエフスキーの排外主義 「カラマーゾフの兄弟」を読む
続壺齋閑話 (2024年7月20日 08:14)
https://blog2.hix05.com/2024/07/post-7910.html
ドストエフスキーは、反ユダヤ主義がよく批判の対象となる。熱心な批判者には当のユダヤ人が多い。ドストエフスキーのような、影響力の大きな文学者が反ユダヤ主義をまき散らしているのを、ユダヤ人としては放置しておけないと思うからであろう。そういう批判者は、ドストエフスキーの人間性そのものに攻撃を加え、世界の文学史から排除することを目指す。だが、そんなことでへこたれるようなドストエフスキーではない。
ドストエフスキーが、晩年の雑文のなかで反ユダヤ主義を煽るようなことを書いたのは事実だ。露土戦争にさいしては、ロシアがクリミア半島を領有しなければ、ユダヤ人に乗っ取られるとして、ロシアによるクリミア半島の領有を正当化したものだ。
そんなわけで、小説の中でも反ユダヤ主義を宣伝しているようにみなされるが、そんなことはない。たしかに、ユダヤ人を小ばかにしたような叙述は、「死の家の記録」以降、随所に指摘できる。しかし、ドストエフスキーが小ばかにしているのは、ユダヤ人だけではない。ポーランド人やドイツ人、フランス人なども同じように馬鹿にしている。ただ、ユダヤ人を取り上げるときには、金の亡者としての側面に焦点をあてているきらいはある。自分らが金に汚いと見られるのを嫌うユダヤ人としては、ドストエフスキーのそういうやり方は、かなりこたえるようである。ともあれ、ドストエフスキーが馬鹿にしている対象はユダヤ人にかぎらず、外国人全般に及ぶのである。そこに我々読者は、ドストエフスキーの排外主義を読み取ることができる。
「カラマーゾフの兄弟」の中で、嘲笑の対象となるのはユダヤ人とポーランド人だ。ドイツ的なものも嘲笑の対象となるが、それは比ゆ的な意味合いであり、正面から嘲笑されるのはユダヤ人とポーランド人である。
ユダヤ人については、二つの場面で言及される。ひとつはリーザがアリョーシャに向かっていう言葉である。彼女は、ユダヤ人は復活祭に子供をさらってきて殺すといわれているが、本当か? と聞くのである。「一人のユダヤ人が四つになる男の子を捕まえて、まず両手の指を残らず切り落として、それから釘で壁に貼り付けにしたんですって。そして後で取り調べられた時、子供はすぐに死んだ、四時間たって死んだといったんですって、四時間もかかったのにすぐですとさ。子供が苦しみうなりつづけている間じゅう、そのユダヤ人は傍に立ってみとれていたんですって」(米川正雄訳)。
こうしたリーザの偏見は、当時ロシアで流通していたユダヤ人の儀式殺人(ユダヤ教の儀式にキリスト教徒の血を用いること)についての風評に影響されたものであろう。ドストエフスキー自身、儀式殺人に関する文献を読んでいたということである。当時のロシアでなぜこんな風説が広まっていたのか、それ自体として興味深いところではある。
もう一つは、ドミートリーが金儲けに巧みになったのはユダヤ人の真似をしたからだと言及する場面である。ドミートリーはかつてオデーサで修行したことがあるが、その修行というのが、ユダヤ人の真似をして金儲けをすることなのだ。おかげでかれは金を儲けるのが上手になった。高利で金を貸すというユダヤ的な錬金術を身に着けたからである。
ポーランド人は、インチキで金をせしめる詐欺師のような連中として描かれている。ドストエフスキーがポーランド人を描く時には、だいたいがロシア人に向かって尊大に振舞いながら、どこかに抜けているところがあるために、余計な恥をかく人間としてである。この小説「カラマーゾフの兄弟」のなかでも、二人のポーランド人が役割分担をしながら、カードでいかさまを働き大金を詐取する。かれらのうち一人は、グルーシャの初恋の人で、グルーシャは愛を復活させたくて、彼に会いに来たのである。そのグルーシャを食い物にして詐欺を働くポーランド人を見て、さすがのグルーシャも愛がさめる。
検事らがフョードル殺害事件の尋問を始めた時、宿の亭主トリフォンがポーランド人らの詐欺を告発する。しかし事件のほうに忙しい検事らは、ポーランド人にかかわることなく、かれらを赦免する。そのおかけでポーランド人らは、だましとった金を懐に収めたまま解放されるのである。解放されたあともかれらはグルーシャにつきまとい、金の無心をしようとするが、さすがのグルーシャもそこまで付き合うことはしなかった。
この小説の中のユダヤ人とポーランド人のどちらがより嘲笑的に描かれているか、読者によって印象は異なると思う。じっさいには、ドストエフスキーにとって外国人一般が嘲笑すべき存在なのであって、ユダヤ人とポーランド人との間に大した差はないと考えていたのではないか。
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