777投稿集 3875791


縄文時代の美術 _ 縄文土器

1:777 :

2023/12/24 (Sun) 14:00:20

日本の名画・彫刻
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16832407

縄文時代の美術 _ 縄文遺跡
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16834613

縄文時代の美術 _ 縄文土器
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16831853

縄文時代の美術 _ 土偶
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16831852

縄文時代の美術 _ 環状列石
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833717


▲△▽▼


徹底解説!日本の美術史①「縄文時代の土器」:前期・中期・後期の器の形と装飾デザインの移り変わり
美術史チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=bEjhdx4OiRA&list=PL_LEo6mQTQ1jsY_kemJhdH0b6P9UVIL4g&index=1


火焔型土器 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%81%AB%E7%84%94%E5%9E%8B%E5%9C%9F%E5%99%A8

水煙土器 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B0%B4%E7%85%99%E5%9C%9F%E5%99%A8

亀ヶ岡式土器
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%BA%80%E3%83%B6%E5%B2%A1%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8


▲△▽▼


縄文時代の美術 _ 縄文遺跡
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16834613

縄文時代の美術 _ 縄文土器
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16831853

縄文時代の美術 _ 土偶
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16831852

縄文時代の美術 _ 環状列石
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833717


▲△▽▼


「土器」には人間の美意識が詰まってた!日本美術史を流れで学ぶ(第1回)~縄文・弥生時代の美術編~
https://irohani.art/study/11111/


我々、日本人は意外と気づきませんが、実は「日本」という国は美術文化的に超絶おもろい国です。マクロ的にいうと東洋ですけど、ちょこんと独立した島国であり、大陸の国々と比べて他国からの影響を受けにくい環境でユニークなカルチャーを育んできました。

今でもやっぱりユニークですよね。「わびさび」やら「kawaii」やら「無宗教」やら「和」やら「コンピューター」やら「オタク」やら「オリジナリティ大爆発」といった感じ。ただし「日本文化を守れ!」と意固地になるわけではなく、西洋も東洋も、キリスト教も仏教も、いろんな文化・宗教を柔軟に飲み込む姿勢で成長している……。こんな国、マジでレア。「多様性」という言葉にここまで敏感な国はマジでないですよ。そう、我々はけっこうおもしろい国で、おもしろいアート、クリエイティブを見ながら生活をしているんです。

この連載では、そんな面白おかしい日本の美術史を、極力フランクにおしゃべりする感覚でお届けしていきます。今回はその第1回「縄文・弥生・古墳時代の美術」です。

縄文時代の美術作品

縄文時代は紀元前1万4,000年~10世紀ごろを指します。むっちゃ広いです。縄文時代は1万3,000年くらい続くんです。

なぜ「縄文時代」というのかというと「縄文土器」が出たからです。先に縄で模様付けをした土器が出てきて「これは縄文土器と呼ぼう」となり、「縄文土器が出た時代だから、縄文時代ね」と名付けられました。なんだろう……なんか順序が逆転している気もしますが「縄文土器」はそれほどまでに重要な産物なんですな。

実はけっこう奥が深い縄文土器
じゃあなんでソース顔の縄文人たちは「土器作っちゃお」って思ったのか。それは現代人と同じで調理・貯蔵のためです。そう考えると、私たちが普段フライパンで料理して、ごはんをタッパーに入れてるのはすごく原始的な欲求なんだなぁ、という気がして遥かな気持ちになりません? 1万年以上経って、縄文土器はティファールとなったわけですよ。進化の途中で取っ手を付けて、取っ手がとれるようになったわけですね。

いやまぁ、そんな話はどうでもよいんですけどね(自戒)。縄文土器といえば、我々は学校でこんな感じのものを教わります。


深鉢形土器(火焔型土器) 縄文中期 新潟県十日町市笹山遺跡出土 十日町市博物館蔵 国宝


はい。これです。間違いなくこいつは縄文土器です。なかでも「火焔型土器」と呼ばれます。ただ、実は縄文土器って、これだけじゃない。そりゃ1万3,000年も経過したら、いろいろ進化しました。


年代 時代区分 縄文土器の種類
1万3,000年前ごろ 草創期 丸底土器
9,000年前ごろ 早期 尖底土器
7,000年前ごろ 前期 平底土器
4,500年前ごろ 中期 大型装飾土器
3,500年前ごろ 後期 磨消縄文土器
2,800年前ごろ 晩期 亀ヶ岡式土器


こんな感じで縄文土器は意外と奥が深いんですね。縄で模様が付けられ始めたのが早期のころで、最初は「いや絶対使いにくいやろ」っていう、自立しないコマみたいな形の尖底土器が作られ始めました。そこから学習して底が平らになり、皿などもでき始め、火焔型土器のような派手な装飾になり、だんだん逆に模様が単調になっていき、弥生土器へ……という時系列をたどります。

この中で上の火焔型土器は「大型装飾土器」の時代です。最も派手な時代ですね。今って基本的にろくろでぐるぐるしながら形をつくって模様を描きますよね。だからある程度、決まった形と模様になりますが、見て分かる通り火焔型土器の場合は超自由です。

上の画像とか見てみると、底の部分は土を細長く線状にしたうえで、壁を作ってますよね。これを「紐作り」といいます。こういうウィンナーの食べ方あるよね。

「紐作り」はろくろで作るのに比べて、そのくらいクリエイティブなんですよね。何の知識もない幼稚園児の絵がパワフルなのと一緒で、プリミティブ(原始的)だからこそのアート性が爆発してます。有名なエピソードでいうと、岡本太郎大先生が縄文土器の力強さ、いやらしさを絶賛していました。


弥生時代の美術作品

さて、時代は移り変わって、弥生時代。紀元前300年ごろ~300年ごろの時代です。作り方で言うと、焼き上げの方法が変わりました。弥生土器も縄文土器と同じく「紐作り」ですが、縄文土器が土器の下に草を敷いて焼くことで固めていたのに対して、弥生土器は土でドームを作って焼くようになりました。今の窯の原型です。

縄文土器より高温で焼けるようなった。その結果、縄文土器より丈夫になったという背景があります。


弥生土器の洗練されたデザイン

美術史的にみると弥生土器と縄文土器の大きな違いはデザイン性。もうなんかめっちゃシンプルで洗練されました。


壺 弥生時代(前期)奈良県田原本町 唐古・鍵遺跡出土 東京国立博物館蔵
ColBase: 国立博物館所蔵品統合検索システム (Integrated Collections Database of the National Museums, Japan)


「なんでシンプルになったのか」。その理由は一概には定義づけられません。例えば縄文時代の呪術や信仰といった文化が弥生時代で変わったから模様を付ける必要がなくなった説があります。

また機能的なところでいうと、弥生時代は大陸の人がたくさんやってきます。それで人****発したので、縄文土器のような複雑な形を作るのがめんどくさくなった説もあります。

ただデザインとして「縄文土器が優れていて、弥生土器が劣っている」というわけではありません。デザインの言葉には「Less is More(少ないほうが豊か)」という常識があります。西洋美術史でいうと、20世紀のデザイン学校「バウハウス」に代表されるように、少ないデザインで最大の効果を得るということが、優れているとされることもあります。

そう考えると、派っ手派手な縄文土器を何千年も見てきた当時の人は「いやいや、それあざといから。こっちのほうがかっけぇっしょ」とミニマリスト的に要素を減らしたのかもしれないです。



縄文・弥生時代を舐めちゃいかんぜよ

日本美術史、第1回は縄文・弥生時代の美術、というか土器について紹介しました。縄文土器っておもしろいですよね。ただ調理したり、貯蔵したりするだけなら、別に模様なんて付ける必要ないわけです。しかし土を焼く前に火焔型土器みたいな形にしちゃう。したくなる。ここに人間の美意識が詰まっているような気がします。

もちろん呪術的な意味合いや、もしかしたら機能的デザインの一部だったのかもしれません。しかし数千年前の人類もまた「どうせ作るんなら、カッコよくしようぜ」みたいな感覚があったんじゃないかな、と思います。いま私たちは日常でいろんなクリエイティブやアートに触れ、良くも悪くも“知ってしまった”。しかしほとんど何も知らなかった縄文人が造形したのが、あの形なんですね。この感覚はおもしろいっすよね。だって、絶対使いにくいもん。でも遊びたいんですよね。人間って変!


ということで、次回は「古墳時代の美術」について、たっぷり紹介したいと思います。造形のほか、絵画作品も登場し始める「日本美術史的には第一の分岐点」です。
https://irohani.art/study/11111/

2:777 :

2024/01/05 (Fri) 06:32:30

縄文土器と土偶のことを全然知らない人は絶対に見てください!【縄文時代】
世界ミステリーch
2023/11/13
https://www.youtube.com/watch?v=IYNbwCWP8E0

縄文時代を代表する縄文土器と土偶。皆さんは土器と土偶についてどれくらい知っていますか?どちらも1万年以上の長い時間をかけ変容していったのですが、今回の動画では縄文土器と土偶について、基本的な解説をお話ししていきます。なお、お話ししているものははっきりとわかっていることもありますし、古い時代なので様々な見解があります。一つの説として考察の参考などにお聞きください。

参考:縄文時代の不思議と謎 山田康弘著


• 縄文時代の謎!土偶に隠されたシンボルとは?【古代文明】
https://www.youtube.com/watch?v=BqsVBVAaSyk&list=PLeBS5noj71yhUZaDOM2LQHfxWU8JrPJ7K&index=1&t=0s


【世界ミステリーch公式】縄文時代 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLeBS5noj71yhUZaDOM2LQHfxWU8JrPJ7K

世界ミステリーch - YouTube
https://www.youtube.com/@sekaimystery/playlists
https://www.youtube.com/@sekaimystery/videos
3:777 :

2024/01/10 (Wed) 21:04:51

あああ
4:777 :

2024/01/13 (Sat) 18:58:00

縄文土器1:縄文早期、前期
https://j-art.hix05.com/01prehistory/pre01.zenki.html

(貝殻文沈線文系土器、東北縄文早期)

日本の歴史上最初の美術作品と称されるものは縄文時代の土器と土偶ということになっている。縄文土器がまず現れ、ついで土偶が現れた。土器の方はもともと美術品として作られたわけではなく、生活上の必要に迫られて作られたのであろうが、その制作にあたっておのずから、日常の用途に応じた目的と並んで、形や模様といった遊びの要素が付け加わった。その遊びの要素が、縄文土器を日本史上最初の美術品にせしめたのだと考えることが出来る。土偶の方は、土器におけるような日常生活上の用途があったとは考えがたいから、それを超えた要素、たとえば宗教的・儀礼的な要因があったと考えることが出来る。それ故、土器に比べると、土偶の類の美術的な性格はいっそう強まることとなる。

考古学者の間では、縄文時代を、早期、前期、中期、後期、晩期の五つに区分するのが普通である。そして早期に先駆けて、旧石器時代からの移行期としての草創期を位置付ける。だから普通、縄文早期から縄文時代が始まり、それ以前は草創期だったということになるが、いつから早期が始まり、いつから草創期が始まるかについては意見が分かれているようだ。もっとも有力なのは、紀元前1万年前に縄文早期が始まり、草創期はそれよりも5千年ほどさかのぼるのではないかとする見方だ。逆に縄文時代の終わりについては、弥生時代の始まりをいつとするかということと連動している。普通は紀元前200年頃が弥生時代の始まりだとされるが、それ以前より始まったとする見方もある。また、弥生文化が始まったからといって、縄文的な文化が一挙になくなったわけではなく、多くの地域ではかなり長い間この二つの文化が混交していたほか、東北や北海道では、縄文文化がかなり後まで残り続けていたのではないか、とも見られている。

縄文土器といえば、縄目の文様がすぐに思い浮かぶが、これが一般化するのは縄文前期からのことで、縄文早期やそれ以前の草創期にはほとんどない。また一口に縄文文様といっても、地域や時代によってかなりバラエティに富んでいて、これらを同じひとつの範疇でくくるのがもどかしいほどだ。

それでもおおまかな共通点がある。ひとつはそれらの土器の用途が煮炊きすることであったということだ。なかにはどんぐりの保存などに用いられることもあったと考えられるが、それは副次的な用途で、基本はあくまでも煮炊きすることだった、と考古学者は考えている。そこは弥生時代の土器とは異なる。弥生時代の土器には煮炊きの他に保存や食事の道具としての用途があり、それに応じて、さまざまな名称が付されているが、縄文土器の場合には「鉢」という名称のみが使われる。弥生時代にもこの鉢とよく似た形をしたものに「甕」と呼ばれるものがあるが、甕は保存を目的としているので、縄文土器には使わないといった具合だ。

用途が煮炊き用の鉢だということから、二つ目の共通点として、上部が広く下部が狭い筒型の形状があげられる。最初に現れた縄文土器の形状は、基本的には尖底広口の筒形を呈していたが、この形態がその後の縄文土器の基本形となった。底が尖っているのは地面に埋めやすくするためで、埋めた土器の周りで火を起こして、煮炊きしたのだと考えられている。

上の写真の土器は貝殻文沈線文系土器といって、東北地方縄文早期のものである。形が典型的な尖底広口になっている。模様は貝殻のヘリでつくった模様とへら状の道具で作った沈線とを混在させたものである。このタイプは関東以北で主流となったものである。


(押型文系土器、西日本・縄文早期)

一方縄文早期の西日本では、この写真のような押型文系土器がさかんに作られた。押型文とは硬いものを押し付けてつくる模様のことである。このほかに、普通の縄よりも細い撚糸を用いて文様をつけた撚糸文系土器と呼ばれるものが主に東日本で作られた。このように、縄文時代の早い時期から、土器には地域差があったわけである。


(羽状縄文系土器、関東・縄文前期)

縄文前期になると、縄目模様の土器があらわれる。これは羽状縄文系土器といって、広口の部分が羽根のように伸び広がっている一方で、腹の部分には縄目の文様がびっしりとつけられている。また、底の部分が尖ってなくて、地面に定着するようになっている。これ以降の土器は、このような定着型のものが主流になっていく。
https://j-art.hix05.com/01prehistory/pre01.zenki.html
5:777 :

2024/01/13 (Sat) 18:58:46

縄文土器2:縄文中期
https://j-art.hix05.com/01prehistory/pre02.chuuki.html

(加曾利式E型土器:関東地方、縄文中期)

縄文時代中期の土器になると、造形的な意思が強く働くようになる。それはひとつには腹面の模様の多様化につながり、もう一つには広口部分の装飾性の強化に向かった。この時期以降になると、意匠は単純化する方向に向かうので、縄文中期が造形的にもっとも華やかな時期だったということができる。

縄文のシンボルともいえる縄目模様は、編んだ縄を直接にか、あるいは縄を棒に巻きつけて絡条体を作り、それらを土器の表面に、回転させながら模様をつけていくという方法をとる。回転の方向は横の場合が多い。細い繊維を用いて縄よりも細く作ったものは撚糸といい。それで作った模様を撚糸文という。

縄文のほかに、渦文とよばれる渦状の模様も、縄文時代を通じて好んで使われた。模様のつけ方は、粘土に刻みを入れたり、あるいは細長い粘土を張りつけて隆起させたりするなどの方法がとられた。

この渦文が何を意味するかについては定説がない。巻貝の螺旋形ではないかとする説、ヘビがとぐろを巻いている姿だとする説、あるいは海流の渦を現すとする説など、さまざまである。いずれの説も、縄文人の生活と関連付けて説明している。巻貝は縄文人の食生活と深く結びつき、ヘビは縄文人の信仰と結びつき、渦巻は縄文人が海を生活の場にしていたことと結びつく、といった具合である。

広口に装飾を施すことは、中期以前にもなされていたが、本格化するのは中期になってからである。関東、甲信越地方がその中心地となった。

上の図は、加曾利式E型土器と呼ばれるもの。口縁部に並行する二本の帯模様(隆帯)があって、その間に渦状の模様が浮かび上がっている。土器全体についている筋状の模様は撚糸文である。この土器の形は製図用具のキャリパーに似ていることから、キャリパー式土器というニックネームもある。


(馬高式土器:甲信越、縄文中期)

これは馬高式土器。口縁部の模様が壮大で燃え上がった火を思わせることから火焔土器ともよばれている。あくまでも現代人が想像したうえでの命名であり、これを作った縄文人の意識に火焔のイメージがあったという保証はない。

口縁部の模様に神経が集中していて、下部の文様はごくあっさりと処理されている。縄文人なりのバランス感覚のあらわれだろう。


(曽利式土器、甲信越、縄文中期)

これは曽利式土器。口縁部の装飾が下部まではみ出しており、最下部には模様らしきものは省かれている。装飾の形は水煙を連想させるので、俗に水煙式と呼ばれることがある。実際に何をイメージした装飾なのかは、無論わからない。

以上はいずれも東日本の土器だ。これに比べると同時期の西日本の土器は、口縁部への過剰な装飾性に欠ける。それらは、口縁部におけるシンプルな装飾と、腹部の洗練された文様が特徴である。
https://j-art.hix05.com/01prehistory/pre02.chuuki.html
6:777 :

2024/01/13 (Sat) 18:59:54

縄文土器3:縄文後期、晩期
https://j-art.hix05.com/01prehistory/pre03.banki.html

(黒色磨研土器:九州、縄文晩期)

縄文時代の後期から晩期にかけて、日本各地の土器の形や文様は引き続き多様な展開を見せていくが、それでも西日本と東日本との間の大きな相違のようなものを認めることができる。西日本では、装飾性が抑えられ、次第に無文化する傾向が認められる。これは、土器の実用性が高まったことの反映と思われる。無文化とともに土器を研磨することによる薄手化の進行がその推測を裏付けている。

上の図は、大分県の大石遺跡から発掘された黒色磨研土器である。浅鉢であるが、口縁部には余計な装飾はなく、腹部も無文化してすっきりした形態になっている。しかも薄く仕上げられて、煮炊きの目的にとっては実用性が高くなっている。これから弥生土器への移行は、比較的スムーズに行われたと推測される。



(亀が岡系土器:東北、縄文晩期)

上の図は、青森県是川中居遺跡から発掘された亀が岡系土器である。一旦縄文を施した後にそれを削り取って、平面的なデザインにしている。口縁部の形態にもデザイン性が伺われる。

関東地方の加曾利B式と呼ばれる土器群も、「磨消縄文」といって、一旦施した縄文を消しとる手法が広く用いられている。

このように縄文後期~晩期の東日本においては、西日本のように実用性を重んじて装飾を省くというよりは、デザインをシンプルにする方向に向かった。

また縄文晩期になると、日本全国で土器の種類が増え、深鉢、浅鉢のほかに、壺、注入土器、香炉形、二口、とっくり型など、さまざまな形態の土器が生まれた。これは、煮炊きの目的が主だったものから、それ以外の用途への展開が見られたということだろう。
https://j-art.hix05.com/01prehistory/pre03.banki.html

  • 名前: E-mail(省略可):

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.