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2023/10/04 (Wed) 02:34:10
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桜井茶臼山古墳 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%A1%9C%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
桜井茶臼山古墳 箸墓に続くヤマトの大王墓
考古学チャンネル
2021/08/14
https://www.youtube.com/watch?v=TyhYLtsbXlw&list=PLazcYz0D6gj5SCWir20820pGZ-Z7GfeJG&index=6
考古学チャンネルです。この動画は、桜井茶臼山古墳について解説した動画です。
桜井茶臼山古墳は、奈良県桜井市の東部にある、全長200m、後円部径110m、前方部幅60mの前方後円墳です。
埋葬施設は竪穴式石室で、全面水銀朱が塗布されていました。天井石で閉塞した上には、方形檀が築かれていました。方形檀は板石や円礫で葺かれ、周囲に壺型埴輪が樹立されました。方形檀の周囲は150本の丸太垣で取り囲まれていることが明らかになりました。このような例は他にはなく、埴輪の樹立が確立する前の葬送儀礼あり方であるのか、今後の検討課題です。
出土遺物は、1つの墳墓からの出土数としては最多の81面以上の鏡をはじめとした、大王墓にふさわしいものです。墳丘規模からしても、大王墓の可能性は非常に高いと考えられていますが、オオヤマト古墳群からは離れて、単独で築かれており、大王墓ではないとする説もあります。
大王墓にふさわしい墳丘規模と副葬品を持ちながら、他に類を見ない丸太垣の構築や、柄鏡形の墳丘形態、単独で立地することなど、謎の多い古墳です。
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桜井茶臼山古墳出土の銅鏡片、103枚分と判明 「国内最多」
https://mainichi.jp/articles/20230907/k00/00m/040/171000c
桜井茶臼山古墳から見つかった大量の銅鏡片=奈良県立橿原考古学研究所提供
奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末)で過去に出土した銅鏡の破片385点を県立橿原考古学研究所(橿考研)が詳しく調べたところ、少なくとも銅鏡103枚の部位であることが判明した。橿考研が7日に発表した。これまで国内最多の81枚と考えられていたが、さらに枚数が多かった。銅鏡はこの時代の政治権力・初期ヤマト王権の権威の象徴とされ、専門家は「王権の権威の巨大さを改めて示す結果だ」と話している。
桜井茶臼山古墳は全長204メートルの前方後円墳。被葬者は不明だが、規模や邪気を払うとされる赤色顔料で塗られた石室の装飾などから、3世紀に成立した初期ヤマト王権で大王だった人物が埋葬されたとみられている。
銅鏡片は既存の銅鏡のデータと照合して種別を判定した。写真は画文帯神獣鏡の写真の上に銅鏡片を載せたもの=奈良県立橿原考古学研究所提供
銅鏡片は既存の銅鏡のデータと照合して種別を判定した。写真は画文帯神獣鏡の写真の上に銅鏡片を載せたもの=奈良県立橿原考古学研究所提供
橿考研は2010年、古墳からこれまでに出土した385点の破片は13種類81枚の銅鏡の部位で、種類・枚数ともに国内最多との見解を示していた。しかし、20年度から破片の形状などをより精密に計測し、全国で出土した銅鏡のデータと照合。その結果、さらに多い14種類103枚の銅鏡のものと特定できたという。
流通管理し、各地の首長支配
銅鏡は弥生時代から古墳時代にかけ、大陸から輸入された祭祀(さいし)道具で、古墳時代には国内でも製造されるようになった。初期ヤマト王権が鏡の流通を一元的に管理し、各地の首長を支配していたとされる。
橿考研は今回の破片の調査で銅鏡の産地も詳しく分析し、中国産が56枚、国産が21枚あることも判明した。産地不明は26枚。鏡の種類は、縁の断面を三角形にした「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」や、幾何学模様が特徴の「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」などバラエティーに富んでいた。月や太陽、神獣などが文様で表現された「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」の破片が含まれていたことも分かった。
古墳での銅鏡の出土数は、京都府木津川市の椿井大塚山古墳(全長175メートル)が2番目で、36枚以上。奈良県河合町の佐味田宝塚(さみたたからづか)古墳(同112メートル)が35枚程度と続く。桜井茶臼山古墳の枚数は突出している。
桜井茶臼山古墳から出土した大量の銅鏡片。全国の出土鏡の写真の上に銅鏡片を載せてどの銅鏡かを判別している=奈良県橿原市畝傍町の橿原考古学研究所で2023年9月7日午後0時16分、皆木成実撮影
桜井茶臼山古墳から出土した大量の銅鏡片。全国の出土鏡の写真の上に銅鏡片を載せてどの銅鏡かを判別している=奈良県橿原市畝傍町の橿原考古学研究所で2023年9月7日午後0時16分、皆木成実撮影
「国内製造の過程探れる」
かつて橿考研で桜井茶臼山古墳の発掘調査に携わった寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長(考古学)は「量、質とも突出した銅鏡が副葬されていたことが改めて分かり、初期ヤマト王権の大王の権威の大きさを示している。輸入品と国産が交じっており、銅鏡が国内で作られていくようになった過程を探る上でも価値がある」と指摘している。
今回の研究成果は11月3日午後1時、橿原市大久保町の県社会福祉総合センターで開催する公開講演会で紹介する。入場は先着順。無料。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)。【皆木成実】
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石室に銅鏡103面以上、国内最多 倭国王の絶大権力明らかに 桜井茶臼山古墳
https://www.sankei.com/article/20230907-S3HPIEWGKNPNXPLWMFZUQNUTRA/
桜井茶臼山古墳から出土した「三角縁神獣鏡」の破片=7日、奈良県橿原市の橿原考古学研究所(恵守乾撮影)
初期ヤマト王権の大王墓とされる奈良県桜井市の桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(3世紀末、全長204メートル)で、石室内に銅鏡103面以上が納められていたと県立橿原考古学研究所が7日、発表した。同古墳では国内最多の81面が確認されていたが、精緻な3次元計測でさらに増加。担当者は「石室は徹底的に盗掘され、当初は200~300面の鏡があったのではないか」とし、倭国を統治した王の絶大な権力を示す一級の資料になりそうだ。
大量の銅鏡が副葬された桜井茶臼山古墳。絶対的な権力を誇る倭国王の姿が浮かび上がった=奈良県桜井市(本社ヘリから、安元雄太撮影)
大量の銅鏡が副葬された桜井茶臼山古墳。絶対的な権力を誇る倭国王の姿が浮かび上がった=奈良県桜井市(本社ヘリから、安元雄太撮影)
石室は長さ6・8メートル、幅1・1メートル、高さ1・7メートル。平成21年の発掘で、盗掘によりバラバラに割れた数センチ大の銅鏡の破片が出土し、今回すべての破片385点を3次元計測。光の照射で微細な凹凸が分かるため、本来の模様などを復元して種類を特定し、103面分が確認できたという。
内訳は、邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼が中国・魏から与えられたともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が26面、中国製の画文(がもん)帯(たい)神獣鏡19面などがあり、直径は20センチほどと推定。また、文様の特徴から日本製の内行花(ないこうか)文(もん)鏡も12面確認。銅鏡は弥生時代以来、中国から大半を輸入していたが、国内で本格的に製造を始めたとみている。
鏡片の表裏には繊維の痕跡もあり、布製の袋に包んでいたことが判明。石室には、破片ではなく完全な形の鏡を1枚ずつ袋に入れて納めたという。
同古墳に次いで銅鏡が多い古墳は京都府木津川市の椿井(つばい)大塚山古墳(同175メートル)の36面以上。三角縁神獣鏡33面を含む計34面が出土した奈良県天理市の黒塚古墳(同130メートル)も知られるが、桜井茶臼山古墳はその3倍に上る。
同古墳では、平成21年の調査で「是」と記された三角縁神獣鏡の破片を確認し、「正始(せいし)元年」(240年)の文字のある鏡と同じ鋳型で作られたことが判明。卑弥呼が魏から金印や鏡を受け取った年にあたり、被葬者は卑弥呼の数世代のちの王の可能性も指摘されている。銅鏡の一般公開については今後検討するとしている。
桜井茶臼山古墳 昭和24、25年に石室が発掘され、権威の象徴とされる玉杖(ぎょくじょう)や大刀などが出土。平成21年の発掘では大量の銅鏡片のほかに石室を厳重に囲んだ柱列の跡が見つかった。邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡から南に約4キロに位置。奈良から伊勢方面へ抜ける場所にあり、東国支配を目指した王の墓ともいわれる。国史跡。
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大量の銅鏡が写す絶対的権力 国家形成「連合政権」論に一石 茶臼山古墳
2023/9/7
https://www.sankei.com/article/20230907-FTC2HLS5XBK6FFEMQPTAFWPEJ4/
大量の銅鏡が副葬された桜井茶臼山古墳。絶対的な権力を誇る倭国王の姿が浮かび上がった=奈良県桜井市(本社ヘリから、安元雄太撮影)
初期ヤマト王権の大王墓とされる奈良県桜井市の桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(3世紀末、全長204メートル)で、石室内に納められた銅鏡が103面以上に上ることが7日、判明した。東北南部から九州までを統治したといわれる初期ヤマト王権。邪馬台国の時代に続くこの段階は、畿内勢力による連合政権とみられていたが、今回の発掘によって、突出した1人の支配者が早くも存在した可能性が浮上。古墳時代の国家体制を考えるうえで、大きな一石を投じることになった。
「これまでは、倭国の王といっても脆弱(ぜいじゃく)な面があると思われていたが、他を圧倒する隔絶した力があった」。奈良県立橿原考古学研究所の岡林孝作・学芸アドバイザーは指摘する。
魏志倭人伝は女王・卑弥呼誕生の経緯について、倭国で戦乱が続いたため各地の勢力が「共立」したとし、連合政権だったことを示している。
これに続く初期ヤマト王権も権力基盤は盤石ではなかったと考えられ、絶対的権力を握るのは国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)などが築かれた5世紀といわれてきた。
従来の国家観の見直しを迫ることになったのが、大量の銅鏡の発見。太陽光を反射する鏡は神聖なものとして祭祀(さいし)で使われた一方で、中国製の銅鏡は中国王朝の後ろ盾を得たことを示す政治的な意味が強かった。
魏志倭人伝によると、卑弥呼は景初3(239)年に中国に使者を派遣し、皇帝から銅鏡百枚などを与えられた。卑弥呼は中国王朝の権威を通じて権力強化を図り、銅鏡はその象徴とされる。
桜井茶臼山古墳の被葬者も大量の銅鏡を入手することで権威を高め、列島支配を推進。さらに、国内での銅鏡生産を始めたことで〝脱中国〟を模索した姿もうかがえ、当時の対中外交を考えるうえでも重要な資料となった。(小畑三秋)
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「一級の鏡ばかり」研究者も感嘆 邪馬台国に続くヤマト政権の王の実像に迫る
2023/9/7
https://www.sankei.com/article/20230907-CCZDU7CCPJK3VEXUFB63ZQEHR4/
銅鏡の破片。追加調査の結果、副葬された銅鏡の枚数が国内最多を更新した=7日、奈良県橿原市の橿原考古学研究所(恵守乾撮影)
銅鏡が国内最多の103面以上あることが分かった桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(奈良県桜井市)。盗掘によって数センチ大の破片に変わり果ててはいたが、邪馬台国(やまたいこく)時代に続く初期ヤマト王権を率いた「倭国王」の実態に迫る発見となった。古墳の築かれた奈良盆地東南部は、邪馬台国の有力候補地の一角。被葬者は女王・卑弥呼から鏡を譲り受け、中国からも大量に鏡を入手した人物だったのか。
「邪馬台国の時代に製造された鏡がこれだけの量、副葬された場所は他にない。鏡の量だけでなく、質も他の地域と比べて突出し、倭王クラスの墓と言いきっていい」
大阪大大学院の福永伸哉教授は銅鏡の面数だけでなく種類に着目する。26面が確認された三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)について、「半数以上が卑弥呼の使者が魏から持ち帰った240年代に製造された」と指摘。中国製の画文帯(がもんたい)神獣鏡19面も、形式などから2世紀末~3世紀末ごろとし、邪馬台国からヤマト王権への一体的な流れがあったとする。
ヤマト王権は従来、諸豪族が王を押し立てて成立したとする見解もあるが、福永氏は「(今回の桜井茶臼山の成果から)ピラミッド型とまではいえないまでも、政権中枢が諸豪族より突出した力をもっていた可能性も考えられる。ヤマト王権の構造や成り立ちについても再考を迫る成果といえる」と述べた。
大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長の白石太一郎氏は「まさに『倭王の墓』。同時代の他の古墳と比べて鏡の量は圧倒的で、種類も多様性に富んでいる」と話す。
桜井茶臼山古墳を含め、3世紀半ば~4世紀の奈良盆地東南部には、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(桜井市、全長280メートル)や景行天皇陵(同県天理市、同300メートル)など大型前方後円墳が6基存在する。両古墳など4基は宮内庁の管理で発掘も制限され、白石氏は「(調査できない)他の大型古墳のありようを考える上でも重要な成果」と意義を強調した。
今回の銅鏡を調査した大手前大の森下章司教授は「代表的な鏡とされる中国製、国内製、三角縁神獣鏡の3種類すべてを大量に持っていたことが最大の特色。質の優れたものがえりすぐられている」とし、「トップクラスの王墓の副葬品の様相が分かった」と話した。
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2023/10/04 (Wed) 02:38:06
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https://www.youtube.com/watch?v=yDs3TLCPcmQ
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山の辺の道05 三輪山に登る
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2018/05/15
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もぎせかチャンネル
2018/05/18
https://www.youtube.com/watch?v=5_V9ZtPhaUQ&t=25s
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