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2023/07/15 (Sat) 09:26:46
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「このクマ、どっかおかしいんじゃねえのか?」北海道で31頭の牛を殺した謎のヒグマを追うリーダーが感じた“違和感”
#1
伊藤 秀倫2023/07/14
「OSO18のこと、書かないんですか?」
私がしばしばネットなどにヒグマの記事を書いていることを知っている人から、たまにそう訊かれることがある。そのたびに「(OSOが)捕まってからですかねぇ」と煮え切らない返事をしてきた。というのも、昨今世間を騒がせているこのヒグマに関しては確定情報が少なく、そこを無理して書けば、いたずらにOSOの恐怖を煽りたてる原稿になってしまいそうな気がしたからだ。一方で「そのうち捕まるだろう」と思っていたからこそ、「捕まってから」などと呑気なことを言っていたのも確かだ。まさか、最初の出現から4年以上もOSOが逃げ続けるとは考えもしなかった。いったい「OSO18」とはいかなるクマなのか。(全4回の1回目/#2に続く)
◆ ◆ ◆
唯一の目撃証言は4年前
“最初の事件”は2019年7月16日午前4時、世界自然遺産・釧路湿原の北に位置する標茶町オソツベツ地区の牧場で発覚した。牧場関係者が放牧中の牛1頭の姿が見えないことに気付き、捜索したところ、森の中で無惨な姿で殺されている牛の死骸を発見したのである。その関係者が思わず声をあげると、20メートルほど離れた藪の中から1頭のクマが飛び出し、逃げていった。後々まで、これがこのヒグマに関する唯一の目撃証言となる。
以来、8月5日に8頭、8月6日に4頭、8月11日に5頭……といった調子で連日牛が襲われるようになり、その被害は2ヵ月で実に28頭に及び、現場に残された体毛のDNAにより「同一犯」によるものと推測された。この頃になると、最初の事件が起きた地区の名前「オソツベツ」と、現場に残された足跡の幅が「18センチ」とされたことから、このヒグマは「OSO18」というコードネームで呼ばれるようになっていた。
「肉の味を覚えたクマは……」
翌20年には5頭が襲われ、すべて死亡。21年には24頭が襲われ、うち9頭が死亡。22年には8頭が襲われ、5頭が死亡。被害は標茶町だけでなく隣の厚岸町にも及んだ。結局この4年間で65頭の牛が襲われ、そのうち31頭が死亡、被害総額は7000万円を越えるとされている。1頭のヒグマによる被害としては近年類を見ないほど甚大であることに加えて、最初の事件現場で目撃されたのを最後に目撃情報が途絶えたことから、いつしか「OSO18」には「忍者」「怪物」「ゴースト」といったおどろおどろしい枕詞が冠せられるようになる。同時にOSOを扱った記事もセンセーショナルなものとなっていき、中には〈肉の味を覚えたことでいずれ人も襲われる〉といった随分飛躍のある論理を展開するものも散見されるようになった。
https://bunshun.jp/articles/-/64013
私自身がOSOに関する報道を追う中で、最初に「おや?」と思ったのは、襲われた牛が必ずしも「食害」されているわけではないという事実である。特に2021年7月には7頭の牛を襲い傷つけながらも1頭も食べていないというケースが報告され、牧場関係者は「OSOは、牛をもて遊び、ハンティングを愉しんでいるようだ」と呻いた。
だが私が知る限りでは、「愉しみとして家畜を襲うクマ」というのは聞いたことがなかった。本当にそのようなクマが存在するのだろうか――? この「謎」をぶつけるべき人物は、道東にいる。
日本で最もOSOに詳しい男たち
2023年6月9日。この日、北海道東部はこの時期特有の濃霧に覆われていた。新千歳から中標津へ向かうANA4883便の機内では、当機は到着地の天候次第では新千歳に引き返す可能性もある〈条件付き運航〉である旨のアナウンスが流れる。その言葉を裏付けるように新千歳を飛び立ってからというもの上空は厚い雲に閉ざされ、気流の乱れにより機内サービスが中止されるに至って、「今日はダメかな」とひそかに溜息をついた。だが45分のフライトの最後の最後になって、雲の切れ間から滑走路の誘導灯が見えたかと思うと、飛行機は無事に道東の玄関口、中標津空港に降り立った。
こんな日にここまでやってきたのは、日本で最もOSOに詳しい男たちに会うためである。
「なんだ、やけに遅ぇから、飛行機飛ばなかったのかと思ったよ」
そう言いながら、標津町にある事務所の奥からのっそりと現れたのはNPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」の主任分析官、藤本靖である。ヒグマの生態調査と有害駆除を手掛けるエキスパート集団の参謀役を担う藤本には過去何度か取材したことがあったが、最近ではもうひとつの肩書きの方で世間の注目を集めつつある。それは「OSO18特別対策班」リーダーというもので、彼は昨年から北海道の委託を受けてその任に就いた。そのため私も電話などで時々OSOに関する情報を藤本に聞いてはいたが、改めてOSOのことを書くならば、標津まで飛ばない手はなかった。
事務所で私を待っていたのは藤本だけではない。藤本の盟友である“現役最強のヒグマハンター”赤石正男もいた。言うまでもなく赤石も「OSO18特別対策班」のメンバーである。
私が知る限り、OSOについて日本で一番詳しいのは彼らをおいて他にはない。
https://bunshun.jp/articles/-/64013?page=2
「俺たちも何だかわからなかった」
早速、もっとも気になっていた「謎」をぶつけてみた。
「OSOが7頭もの牛を襲いながら、1頭も食わなかったことがありますよね。あれは牛を傷つけて、ハンティングを愉しんでいるからだ、というのは本当ですか?」
すると藤本は「確かに最初、そこは大きな謎だった」と応じた。
「食うために襲うんだったら、よくわかるんだ。でも食ってない。その話だけ聞いたときは、俺たちも何だかわからなかった。『このクマ、どっかおかしいんじゃねえのか?』とも思ったけど、実際に現地に行って現場をしっかり確認することによって、いろんなことがわかった。その謎も解けた。結論からいうと、愉しみのために襲ってたわけじゃない」
この「謎解き」については後述するが、まずはその前提として藤本らがOSO対策に関わるようになった経緯を簡単に説明しておく必要があるだろう。
「部外者」から「特別対策班」へ
というのも藤本らの住む標津町とOSOによる被害が相次いだ標茶町は約70キロ離れており、車で1時間余りかかる。通常、ヒグマの有害駆除は現場の自治体の委託を受けて地元猟友会があたる。OSOの場合は、当初標茶町の猟友会が中心となって箱ワナによる捕獲が試みられ、藤本らは基本的には部外者だった。
もっとも標茶町においては過去にヒグマの有害駆除の実績がほとんどなかったため、これまでに300頭以上の捕獲実績のある藤本らもアドバイザー役として最初の被害が出た直後に標茶町には入っている。藤本は「箱ワナの設置の仕方とかエサの置き方とかは伝えました」と言うが、この時点では、対策の中心はあくまで地元猟友会であり、藤本らにも遠慮があったようだ。また当時、標茶の鉄工所でOSO対策として大きな箱ワナを製作中という話もあり、「あ、したら、もう獲れるな」と藤本らは早々に標茶町から引き上げていた。
だが案に相違して、OSOは捕まらない。人間の思惑を見透かすように罠をたくみに避けながら、真夜中に次々と牛を襲っては、明け方までには姿を消す。牛を集中的に襲うのは7、8月までで、その後は痕跡さえ残すこともなく、雪に閉ざされる冬を迎えて時間切れ……の繰り返し。時間が経てば経つほど、事態の解決が難しくなることは明らかだった。
OSO18が人間社会に現れてから3度目の冬を終えようとする2022年2月、ついに北海道庁は藤本らのチームを「OSO18特別対策班」に任命した。
現場となった標茶町と厚岸町の面積を合わせると東京23区の約3倍になる。その広大な土地から1頭のヒグマを探し出す前代未聞の挑戦が始まった。
https://bunshun.jp/articles/-/64013?page=3
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2023/07/15 (Sat) 09:32:08
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「ついに“幽霊”の足跡を捉えた!」神出鬼没のヒグマ・OSO18を追い詰める“現役最強ヒグマハンター”の特殊能力
#2
伊藤 秀倫2023/07/14
https://bunshun.jp/articles/-/64014
OSO18の神秘性を高めているのは、その甚大な被害に比して実際の目撃情報はたった1件と極端に少なく、足跡などの痕跡さえほとんど残さない“神出鬼没”ぶりにある。(全4回の2回目/#3に続く)
◆ ◆ ◆
残雪期の足跡を追え!
そこで藤本靖をリーダーとする「OSO18特別対策班」が現地で最初に取り組んだことは、OSOの確かな痕跡をみつけて、その実像を正確にプロファイリングすることにあった。最初のチャンスは2022年3月の雪融け時期、冬眠明けのOSOが動き出し、かつその足跡が残雪上に残されるタイミングにあった。
もっとも、これとて口でいうほど簡単な話ではない。藤本はこう語る。
「ほどよく(気温が)あったかくて雪が融け始めたところをクマが歩いてくれれば足跡が残るけど、凍ってる上を歩かれたら足跡なんてなんもない。場所だって道路の上ならともかく、ヤブの中に入られたら、やっぱり基本的に足跡は追えないからね」
“現役最強のヒグマハンター”赤石正男も「みんな“残雪期なら足跡とれる(追える)でしょ”って簡単に言うんだけど、いろんな条件が揃って本当に足跡をとれるのは、せいぜい1週間しかない」と語る。
しかも特定の1頭の足跡を追うのだから、それは「砂漠の中で落とした1本の針を拾うようなもの」と藤本が表現するのも頷ける困難なミッションであることは間違いない。
結局、この残雪期の間、OSOの足跡を見つけることはできなかった。
予測されていたOSOの襲撃ルート
冬眠明け直後のOSOの足跡をとることが出来なかった以上、次なる捕獲のチャンスはOSOが牛を襲ったとき、ということになる。藤本は2019、2020、2021年という過去3年のOSOによる被害現場をプロットしていくことで、その冬眠場所を「厚岸町西部の森林地帯ではないか」と予測、これから迎える2022年の夏にOSOの被害が出る可能性があるルートを2つに絞った。予測冬眠場所から東へと向かう「厚岸ルート」と北へと向かう「アレキナイ」ルートだ。
2022年、被害場所と痕跡、移動ルートを示す地図 Map Date ©Google 2022 (Image 2022 TerraMetrics)
https://bunshun.jp/articles/photo/64014?pn=2
そして2022年7月1日、この年最初のOSOによる被害が出る。東アレキナイ牧野で3頭の牛が襲われたのである。藤本の読み通り、「アレキナイ~チャンベツ」ルート上だった。早速藤本らはルートに沿って特製の箱罠を設置したが、OSOがかかる気配はない。
その裏をかくように7月11日、2件目の被害が出る。中チャンベツの牧場で1頭の牛が殺されたのである。
https://bunshun.jp/articles/-/64014
なぜOSO18は牛の死骸に執着しないのか?
現場にかけつけた藤本は、木の生え方などからクマが潜んで接近しやすい地形と判断して、一計を案じる。
「現場近辺への人間の立ち入りを制限したうえで、死骸をもう一晩、その場に置いておくことにした。この地形ならOSOが現場に戻ってくる可能性はあるな、と」
一般にクマは自分の獲物と見做した死体には強く執着する。一度に食べきれない場合は、死体に付近の土や草をかぶせておいて、再び戻ってきて食べることもある。これがいわゆる「土まんじゅう」であるが、OSOは、なぜか獲物に対してそういう執着を見せない。
藤本はその理由をこう推測する。
「これまでのOSOの被害現場には、その直後から牧場関係者やハンター、役場の人間などが入れ替わり立ち替わりやってきて、たむろしている状態でした。人間への警戒心が強いOSOは、これを敬遠して現場に戻ってこなかったんじゃないか」
そこで現場への人間の立ち入りを制限し、人間の気配や臭いを消した場合、OSOがどういう反応をするのか、確かめておきたかったのである。
痛恨のミスと2つの収穫
果たしてこの日の深夜、OSOは現場に戻ってきた。翌早朝、パトロールしていた牧場関係者が前日に置かれた場所から牛の死骸が忽然と姿を消していることに気付いたのである。近くのヤブの中へと牛を引きずった跡が続いていた。藤本の読みは当たったわけだが、ここで「痛恨のミスがあった」と藤本は言う。
「前日に現場を確かめたときに俺たちは牧草地から回っていたから気付かなかったんだけど、実は裏に林道が通ってた。俺たちはOSOは牧草地の方から来るものとばかり思い込んでいたけど、実際にはこの林道を使ってた。翌朝そこで待ち伏せしていたら、もう終わってたはずなんだよね」
牛を襲った後でOSOは現場で騒ぐ人間を後目に、ゆうゆうと牧草地を歩いて去っていた。
「俺たちが夜明けに牧草地を確認したときにはなかった足跡が2時間後に行ったら、あった。恐らく現場近辺のヤブに潜んで人間が立ち去るのを待っていたんだと思う」(同前)
事件発覚後、OSOが獲物を引きずったヤブに無造作に立ち入っていた人もいたが、実はそのすぐそばでOSOが潜んでいたのである。それでも収穫はあった、と藤本は語る。
「ひとつにはOSOが現場に戻ってくることを確認できた。つまりOSOは“忍者グマ”でも“幽霊グマ”でもなくて、老練で人への警戒心が強い普通のクマだということです」
ついに幽霊の足跡を捉えた!
それだけではない。この2件目の現場では、人の立ち入りを制限していたおかげでOSOの足跡が大量に残されていた。
「ほとんどの足跡は前肢の上に後肢が重なっていて、正確な計測が難しかったんですが、赤ちゃん(赤石)が完璧な前肢の足跡を見つけてくれたんです」(藤本)
ついに捉えた「幽霊」の足跡は、川の砂地、しかも人目につかない橋の下にひとつだけあった。赤石でなければ、見逃していただろう。足跡が残りにくい川の中を歩くのは、老練なクマであれば、さほど珍しくはないというが、赤石が“現役最強のヒグマハンター”と称される所以は、最長で810メートル先の獲物を仕留める卓越した射撃技術のみならず、残されたヒグマの痕跡から、そのヒグマの行動をまるでその場で見てきたかのように“再現”する特殊能力にある。
赤石はこれまでの現場に残された痕跡から、OSOの行動パターンをこう分析する。
「上に跡つけねぇで、下からビューッと行っちゃうんだな。最初、牧草地に繋がる林(上)の方から来てるのかなと思って調べてたら、そっちからは来てねぇの。全部(牧草地の下を流れる)川の中を通って来てるんだな。とにかく人間の匂いがするところは徹底的に避けて、動くのは夜だけだね。もともとヒグマは明るいうちはあまり活動しないけど、OSOの場合はそれが徹底している感じはある。人間が来たなと思ったら、ぱっと体かわして、次の現場へ行ってるんだ。同じところに長居しねえから。次の場所もその前に下見しておいて、やる(襲う)んだから」
https://bunshun.jp/articles/-/64014?page=2
「OSO18」ではなく「OSO16」?
OSOの完璧な足跡が見つかったことで新たにわかったことがある。藤本が指摘する。
「足跡は時間が経つと崩れていくので、正確に測るのは意外と難しい。OSO18の名前の由来となった足の幅も、実際には18センチではなく、16センチ~17センチであることがわかった。だから正確には『OSO16』ですね(笑)」
たかが数センチ程度の違いと思われるかもしれないが、1センチ違えばそこから推定される身体の大きさも違ってくる。当初、足跡の幅が18センチとされたことからOSOは推定体重300キロから400キロというかなり大型の個体とされてきたが、これが17センチ以下ということになれば、そこから推定される推定体重は200キロからせいぜい300キロということになる。
「つまりOSOは化け物みたいにデカい熊、というわけではなく、一般的な成獣オスのサイズであることがわかりました」(藤本)
OSO18の正体と、新たな疑問
サイズの謎が解けたことで私が最初に抱いた謎――OSO18はなぜ牛を傷つけるだけで食べないのか――も、藤本によって以下のように解き明かされた。
「OSO自身のサイズが300キロ程度だとすれば、体重400キロを超えるような大きな牛を殺して引きずっていくことは難しい。だからOSOが殺すことができた牛は体重200キロ未満の若い牛がほとんどです。それ以上大きくなると襲っても仕留めきれずに傷つけるだけ。それがまるで牛をいたずらに傷つけ、ハンティングを楽しんでいるように見えたということでしょう」
OSOは牛を食べずに弄んだのではない。単に牛が大きすぎて殺せなかったから、食べることができなかったのだ。
どうやらOSO18の正体が見えてきた。だがそうなるとまた新たな疑問も湧いてくる。なぜ「老獪ではあるが普通のクマ」が、人間の必死の追跡を4年間も躱(か)わし続けることができたのだろうか。
https://bunshun.jp/articles/-/64014?page=3
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2023/07/15 (Sat) 09:45:37
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「ゲロ吐きながら」「肉の味を覚えたクマは…」“怪物ヒグマ”OSO18を追う“現役最強ハンター”が見たおぞましい光景
#3
伊藤 秀倫2023/07/14
https://bunshun.jp/articles/-/64015
「ヤツは人間の匂いがしたら絶対に近寄らないから」
OSO18について語るとき、「OSO18特別対策班」リーダーの藤本靖とエースハンターの赤石正男の口からはしばしばそんなフレーズが飛び出した。元来クマは人間の存在を察知すると自ら避けるのが普通だが、OSOの場合はそれがさらに徹底しているという。(全4回の3回目/#4に続く)
◆ ◆ ◆
左尻に2本線の傷
「老獪ではあるが普通のクマ」であるOSOに特別な点があるとすれば、それはその異常なまでの人間への警戒心の強さと言えるかもしれない。
では、なぜOSOはそこまで人間を警戒するようになったのか。
その手がかりは、OSOの姿を捉えた画像にある。
ネット上で「OSO18 画像」で検索すると、OSOが最初に人間社会に現れた2019年8月に標茶町に設置された定点カメラの動画から切り出された写真が出てくるはずだ。これを子細に見ると箱罠の前を横切るOSO18とされるヒグマの左後肢から尻にかけて「2本線」の傷のようなものが走っていることがわかる。この傷について藤本は「最初に箱罠にかかったときのものではないか」と推測する。
「OSOが出た当初、地元で設置した箱罠の出入口を閉じる扉にギザギザがついていたことがあった。俺が見る限り、その箱罠は奥行が短かったので、OSOは全身を入れることなく半身を突っ込んで奥のエサだけ取ろうとしたんだと思う。そこでギザギザのついた扉が尻に落ちてきて、OSOは驚いて逃げたんじゃないか」
この経験はOSOにとってトラウマであり、人間の臭いのするものへの警戒心を最大限まで高める痛い教訓となったはずだ。以来、OSOは箱罠に接近した形跡さえない。
エゾジカを食って肉の味を覚えた
この「左尻の2本線」は、藤本らがOSOを特定する際の重要な目印になっている。
「2022年の2件目の被害後、現場付近の定点カメラがヤブの中で牛の死骸を貪るOSOの姿を捉えていますが、この2本線が映っています。ちなみにこのときOSOは2時間半にわたり牛を食べており、食べるために牛を襲っていることが裏付けられました」(藤本)
それにしてもなぜOSO18は牛を襲うようになったのか。ヒグマは雑食性だが、食料の8割から9割は木の実や山菜など植物性のもので、残りはアリやハチなどの昆虫類、あるいはサケ類などである。過去には牛や綿羊など家畜を襲った事例もあるが、1頭のクマがここまで執拗に牛を狙うのは非常に稀なケースと言っていい。
その一方で近年、北海道ではヒグマの食性に影響を与えかねない問題も起きている。
エゾジカの爆発的な増加である。藤本がその背景を説明する。
https://bunshun.jp/articles/-/64015
「昔は冬になるとエサとなる植物が雪で埋もれる平地にこんなにシカはいなかった。エゾジカが生息するのは、風が強くて冬でも雪が少ない摩周岳付近に限られていたんです。ところが近年、牛の乳量を増やすために牧草の改良が進むと、その栄養価の高い牧草を食べるようになったエゾジカが爆発的に増えて、そのまま平地に定着するようになった。当然冬になると、平地で餓死するシカも一定数出てくるわけです。これらの肉をヒグマが口にする機会は確実に増えている。“肉の味”を覚えてもおかしくはないです」
「ゲロ吐きながらでも食うからね」
ただ、たとえOSOがエゾジカの死骸を口にしたとしても、そこから一足跳びに牧場の牛を襲うことにはならないはずだ。本来クマが警戒するはずの人間が生活を営む牧場までOSOを引き寄せる「誘因」となったものは何なのか?
藤本は「恐らくデントコーン(牛や豚など家畜のエサとなる飼料用トウモロコシ)でしょう」と指摘する。輸入飼料の高騰などの影響を受け、近年道内で作付け面積が増加し続けているデントコーンは、山に木の実が乏しくなる夏の間、ヒグマにとって大変魅力的なエサとなっている。道内におけるヒグマによるデントコーンの食害被害額は、2010年度の7800万円から2020年度は1億3700万円と70%増加している(「北海道新聞デジタル」2022年10月1日付)。
「デントコーン畑に入ったクマといったら、ひでぇもんだよ」と赤石。
「あたりのデントコーンをなぎ倒して、寝そべりながらものすごい量を食うんだ。よっぽどうまいんだろう。ゲロ吐きながらでも食うからね。すごいよ。食いながらウンコも垂れ流しで、“直行便”みたいなもんさ。それも一番甘いところだけ食うからね。農家からすればたまったもんじゃねえべさ」
「牛殺し」のイメージの強いOSOも実はデントコーンが大好物だという。
実際に昨年9月、OSOはオソツベツのデントコーン畑に現れている。定点カメラに「左尻に2本線の傷」を持つクマの姿が映っていたのである。
「その映像を見る限り、この身体でこんなに食ったらまともに歩けねえべや、というぐらい食ってるね。そういう意味では、OSOはものすごいデブですよ(笑)」(藤本)
もともとはデントコーンが狙いで人間の生活圏に侵入するようになったOSOは、そこで初めて牧場の柵の中で群れる山では見慣れぬ動物に気付いたはずだ。そしてどこかで口にしたエゾジカの肉の味が、OSOの肉食の本能を目覚めさせたのかもしれない。
https://bunshun.jp/articles/-/64015?page=2
「くくり罠」の大誤算
実は、このオソベツのデントコーン畑にOSOが入っていることがわかったのは、刈り入れまで1週間というタイミングだった。そこにデントコーン畑がある限り、OSOは何度でも通ってくる可能性が高いが、刈り入れられてしまえば、またどこかへと移っていってしまう。そこで藤本たちはラストチャンスにかけて、「くくり罠」を設置した。
「くくり罠」とは、獲物の通り道にあらかじめ設置し、ワイヤーでできた「輪」の中に獲物が足を踏み入れると、バネが作動し、ワイヤーが一気に締まって獲物の足を捉える罠だ。
くくり罠の「肝」は、設置する場所とカモフラージュの仕方にある。OSOがどこから現れ、どこを歩き、どこで立ち止まるのか。そしてどこで罠に足を踏み入れさせるのか。まるで見てきたかのように獲物の行動を予測して罠を仕掛けることは赤石が得意とするところでもある。
「罠にちゃんと入るように、段差のところは『階段』まで作ってやったからね」(赤石)
果たして罠をかけた翌日、OSOは罠に足を踏み入れていた。だが罠は作動しなかった。
「あれはね、大失敗」と赤石が苦笑しながら頭を掻く。
「(OSOのパワーを警戒して)太さ6ミリのワイヤーを使ったのがまずかった。ワイヤーが重いもんだから、バネの跳ね上げスピードが遅くなって、OSOはワイヤーの上を踏んで抜けてしまった。4ミリのワイヤーにしておけば、あのとき獲れてたはずだった」
こうして藤本らのチームがOSO捕獲に乗り出して以来、最大のチャンスは潰え、OSOは再び広大な釧路湿原の中へと姿を消した。だが赤石はこう断言する。
「一度、肉の味を覚えたクマは、消えたように見えても、いつかどこかでまた必ずやる。獲るまで終わらねぇよ」
この赤石の“予言”は的中する。
https://bunshun.jp/articles/-/64015?page=3
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2023/07/15 (Sat) 09:48:42
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「一度味を覚えたら、必ずまたやる」今年も子牛が“怪物ヒグマ”OSO18に背中を食われ…対策班リーダーが見た“異変”
#4
伊藤 秀倫2023/07/14
https://bunshun.jp/articles/-/64016
迎えた2023年。春先の残雪期という最初のチャンスも、冬眠明けのOSOの足跡はどこにも見つからなかった。今年は例年にないペースで雪が融け、3月15日には早々に残雪ゼロになってしまったことも不運ではあった。それでも「OSO18特別対策班」リーダーの藤本靖らに慌てる様子はない。過去の被害実績からアレキナイとオソツベツ近辺に絞って、多数の定点カメラを設置し、OSOの襲来に備えている。その映像を分析した藤本は、ヒグマたちの「ある異変」を指摘する。(全4回の4回目/#3から続く)
◆ ◆ ◆
「デカいクマがゴロゴロ来てる」
「今年、カメラに映ったクマがみんなデカいんだわ。中チャンベツからアレキナイにかけて、300キロから400キロクラスのデカいクマがゴロゴロ来てる。それだけ栄養豊富ということはシカを食ってる期間が長いんじゃないか。どんどんデカくなっている」
ハンターの赤石正男もこう語る。
「もうどうしたもんだか、すごいもん。シカの越冬地が浜中とか風蓮湖周辺なんだけど、雪が融けてシカがこっちに移動してくるのにあわせて、クマもついてきているんだな」
実はクマにとって最大の敵はクマである。人里付近に親子グマが現れるのは、山にいる身体の大きいオスグマを避けてくるからだ。クマは基本的に自分より身体の大きいクマがいる場所は避けようとする。
「いくらOSOといえど、体重400キロクラスのクマがゴロゴロといるエリアは避ける可能性が高い。だとするとアレキナイには出ないかもしれない。逆にオソベツ周辺は今のところ小さいクマしかいない。いずれにしろ最後はくくり罠で勝負することになるね」(藤本)
https://bunshun.jp/articles/-/64016
ところでヒグマは自分を追ってくるハンターの顔をちゃんと認識していると言われている。例えば赤石の顔をOSOは認識しているのだろうか?
「あいつは絶対わかっていると思う」と赤石はあっさりと頷いた。
「オレが罠をかけてても、そばにいるんだもん。オレはそれをわかっているから罠を仕掛けるときは、他の人連れて行かないよ」
――ではくくり罠もバレている?
「いや、わかってないみたいだな。(昨年夏に逃げられたときも)罠そのものには何度も足を踏み込んでいるからな。まだバレてないと思う」
当然のことながら昨年のような失敗がないよう、くくり罠は改良が重ねられている。あとはOSOが再び現れるのを待つだけだったが、その時は予想以上に早くやってきた。
OSOとの対決は最終局面へ
このインタビューは2023年6月9日に行ったものだが、それから約2週間後、この原稿を書いている最中に藤本の言葉を裏付けるようなニュースが飛び込んできた。
6月24日、標茶町上チャンベツの牧場で生後14ヵ月の乳牛の死骸が背中を食われた状態で見つかったのである。現場に残された足跡が16センチから18センチであったことから、犯人はOSOである可能性が高い。昨年7月以来となるOSOによる牛の襲撃は、〈400キロクラスのクマがゴロゴロといる〉中チャンベツを避けるようにその手前の地区で起きた。藤本の想定の範囲内である。OSOとの対決は、4年目にして、いよいよ最終局面に突入しつつある。
https://bunshun.jp/articles/-/64016?page=2
「今にひどいことになるよ」
一方で私の中で引っかかっていることがある。OSOがなぜ乳牛を襲うようになったか、そしてOSOがなぜこれほどまでに巧妙に人間から逃げ続けることができたのか。その答えを探っていくと、OSO18を作り上げたのは、最初から最後まで人間だったとも言えるからだ。栄養価の高い牧草を食べることで増えたエゾジカによって肉の味を覚え、家畜の飼料として作付け面積を増やしているデントコーンに引き寄せられるように牧場にやってきた。
そして人間の側がその捕獲にてこずっているうちに、人間のことを学習し、その危険を巧妙に避ける術を身に着けたのがOSO18という“怪物”である。
牧場にやってきたすべてのクマが牛を襲うわけではないはずだが、単純に両者の接触の機会が増えれば、襲撃に転じる可能性は高くなると言わざるを得ない。それは何も牛に限った話ではなく、例えば相手が人間であっても、接触の機会が増えれば何が起こるかわからない。それがヒグマが野生動物たる所以でもある。
藤本によれば、かつてOSOが出没した地域に今、OSOよりもはるかに大きなクマが〈ゴロゴロ〉いる。彼らもまたOSOと同じくエゾジカもデントコーンも口にしている。
先のインタビューで、私は藤本と赤石に「このままではいずれ、第2、第3のOSOが現れますか?」と尋ねた。間髪入れずに藤本は「出るよ。間違いなく」と答えた。
赤石の言い方ではこうなる。
「クマっていうのは、一度味を覚えたら、必ずまたやるから。これだけクマが増えて、ハンターは逆に減っていって、今にひどいことになるよ」
OSOとの戦いは、いずれ終わるだろう。だが、もしかするとそれは人間とクマがこれから迎える本当の戦いの「序章」に過ぎないのかもしれない。
https://bunshun.jp/articles/-/64016?page=3
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2023/07/16 (Sun) 00:50:01
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人喰いヒグマの “解体ショー” 腹から出てきたのは血まみれの半身、残り半分は内臓を露出したまま土中に【天理教布教師熊害事件】
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https://news.yahoo.co.jp/articles/a39c5e8b0a8c212a020d4be1182291ee39ac7bde
北海道でヒグマによる被害がもっとも多かった地域として、士別市があげられる
北海道でヒグマによる被害がもっとも多かった地域として、士別市があげられる。特に市西部の温根別町では、大正から昭和初期にかけて人喰い熊事件が多発した。
【写真】昭和55年に仕留められた身長2.43メートル、体重500キロのヒグマ
https://smart-flash.jp/sociopolitics/238738/image/0/?rf=2
なぜこの地域にヒグマの出没が集中したのか。
地形図を見ると、その理由を推測することができる。ひとつは石狩川と天塩川の関係である。南流する石狩川と、北流する天塩川が、それぞれ上流部の支流、雨竜川と剣淵川で交錯する、その地点こそが士別市西部である。
もうひとつは標高との関係である。北海道北東部を南北に走る天塩山地が、ピッシリ山(1032メートル)と三頭山(1009メートル)間の霧立峠(387メートル)で大きく標高を落とす。この峠を東に下っていくと、添牛内集落、次に温根別村、そして士別、剣淵の市街地に至る。
最後に開拓との関係が指摘できる。石狩平野の入植が早い段階から進んだため、増毛山地のヒグマは南への道を絶たれ、北上せざるを得なくなった。
これらを総合すると、次のようなことが言えるだろう。
石狩川、天塩川、そして日本海に囲まれた一帯のヒグマが、北海道内陸部に移動するために、もっとも都合のよい通り道が霧立峠である。言い換えれば、この地域を巨大な巾着袋と仮定して、その出入口にあたるのが士別市なのである。
この地域がヒグマの通り道であったことは、当時の新聞記事や地元民の証言からも知ることができる(文中に出てくる西原、学田、イパノマップは、いずれも士別市街と温根別集落の中間に位置する地名である)。
《熊は、奥士別(朝日町)から、士別の川西を経て、南士別、西原、雨龍への通り道であったとも言っていました》(剣淵町教育委員会『けんぶち町・郷土逸話集 埋れ木』所収「父が残した話題と記録 山口吉高」)
《おそらく西士別学田から南士別(演武)・イパノマップ、さらに温根別へと熊が通る路であったようです》(剣淵町教育委員会『けんぶち町・郷土逸話集 埋れ木』所収「さいもん語りと開拓 南條兵三郎」)
■【「天理教」布教師熊害事件】(昭和6年)
士別、剣淵地方で広く言い伝えられてきた事件に「天理教布教師熊害事件」がある。この事件は白昼堂々、市街地からほど近い場所で発生したことから目撃者も多く、討ち取られた熊が公衆の面前で解体されたため、ショッキングな事件として長く語り継がれてきた。概略は『林』(1953年12月号)で犬飼哲夫教授が記録している。
《白昼に道路を通行中に熊にさらわれた青年がある。
昭和六年十一月に上川郡温根別村にあったことで、午前十時頃道路から人のはげしい悲鳴が聞えたので、皆が駈け寄って見たら、道に小さな風呂敷包みと鮮血に染った帽子が落ちていて、誰かが熊に襲われたことが判り大騒ぎとなって捜索したところ、天理教布教師の原田重美さんという二十四才の青年であることが判った(後略)》(「熊」)
『熊・クマ・羆』(林克巳、1971年)によれば、事件が起きたのは《一度降った雪も消えて、小春日和を思わせる晩秋の日》であったという。他にもいくつかの記録があるが、なかでも『士別よもやま話』(士別市郷土史研究会、1969年)の及川疆の談話が詳しいので適宜引用する。
《旭川で用事を済ませて帰宅途中の天理教の原田布教師が、大津澱粉工場を過ぎて百メートルほどのところで、突然飛び出してきたヒグマに担ぎ上げられ北側の斜面に連れ去られた。
布教師の悲鳴は澱粉工場にも伝わり、働いていた連中は屋根に逃げるなど大騒ぎとなった。被害者に少し遅れて馬車で通りかかった某氏は、これまた悲鳴を上げながら馬の足も折れんばかりに町に走り込んだので、事件は町中に知れ渡った》
文中の「某氏」というのは、以下に出てくる石橋のことだろう。
《私の家の向かいに石橋三次郎さんという人が住んでいた。(中略)この人の話では、今の観月橋の所で熊が行商人を襲い、連れ去るのを目撃したという。
その時、石橋さんは馬に荷物を積んで温根別に向かう途中であった。ちょうど橋を渡ろうとする時で、橋の向かい側で助けを呼ぶ声が聞こえ、馬車から馬を外すのをどうしたかわからなかったといっていた》(『開基九十周年記念誌 風雪九十年ゆづり葉』所収、神山隆「クマ三題」)
新聞によれば、通報と同時に警察隊が組織され、水村、佐藤、石田の3名の射手がそれぞれ隊を組んで追いつめ、午後0時半頃に落葉松林内において水村が3発で仕止めたという(『小樽新聞』昭和6年11月8日夕刊)。
及川は以下のような詳細な回想を残している。
《斜面の上でこの熊は、猟師が三間に近づくまで微動だにせず、一気に躍りかかろうとした瞬間を射殺されたという。一発は両耳を貫通し、もう一発は両耳と両目の交差する眉間の一発で、事件発生からわずか二時間のことであったという》
また別の資料では、石田が討ち取った生々しい状況を、次のように記録している。
《昭和の熊取り名人、士別の石田正一氏も青年時代までイパノマップにいた事があり、(中略)その状況を「熊を発見して近づくと、立ちあがり俺をにらむ、あの時は全身総毛立った。」と語っていた》(渡道以来の思い出 矢萩吉郎)」(剣淵町教育委員会『けんぶち町・郷土逸話集 埋れ木』所収「朔北の地に根づいて 浅井隆則」)
加害熊の遺骸は市街地に運んで解体したため “解体ショー” のような状況となったが、腹の中から被害者の肉体が取り出されると、現場は阿鼻叫喚の様相を呈したという。
《死体の半分はすでに喰われていてこの半分というのが消防番屋「現士別信金本店」で町民のみている中で老兇漢の腹中から血糊と一緒にとり出される。
こわいものみたさ女ヤジ馬も現代言では失神とか、この山の王者のなれの果て、目方はそのまま測らなかったが脂気一つない肉だけですら四十三貫もとれたというからこれが健康なら優に百貫はこえていたであろう。
被毛(ひもう)が頭から肩にかけ僅(わずか)に生えているだけの裸も同様、ひどい虫歯で満足なものは一本もない。目も鼻もただれていてこのままではとうてい冬は越すことが出来なかったにちがいない。
ひ熊が人を襲うのは何の理由もなしにするものではなく、いろいろの条件が重なった結果であることを証明する様な事件であった》(及川疆)
この哀れな加害熊の頭骨は、《北海道開拓に伴う貴き犠牲の資料として北大博物館に贈られ永久に保存さるる事となった》(『小樽新聞』昭和6年11月23日朝刊)というので、同館に問い合わせたが、残念ながら、そのような事実は確認できなかった。
中山茂大
1969年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。明治初期から戦中戦後まで70年あまりの地元紙を通読し、ヒグマ事件を抽出・データベース化。また市町村史、各地民話なども参照し、これらをもとに上梓した『神々の復讐 人喰いヒグマの北海道開拓史』(講談社)が話題に。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a39c5e8b0a8c212a020d4be1182291ee39ac7bde
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6:777
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2023/07/20 (Thu) 07:47:11
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ヒグマ「OSO18」鮮明カラー画像を初公開、金色の毛は見られず…標茶町「貴重な一歩」
ヘアトラップの前を歩くOSO18(北海道標茶町提供)
北海道標茶町と厚岸町で放牧中の牛を襲っているヒグマ「OSO(オソ)18」の姿が、標茶町内に設置された自動撮影カメラにより、初めて鮮明なカラー画像で撮影された。捕獲を目指す標茶町は19日、画像を公表。「外見上の特徴も初めて把握できた。行動経路を読み解くのに役立つ貴重な一歩になる」としている。
撮影日時は、6月25日午前6時過ぎ。木に背中をこすりつける習性で立ち上がった時の体長は2~2・2メートル、四つんばいで歩く時の体高は1~1・2メートルと「通常の成獣の大きさ」で、首や額の上の毛が金色とみられていたが、画像では全身が真っ黒だった。
近くに設置した、体毛を採取するための「ヘアトラップ」に付着した毛を道立総合研究機構でDNA型鑑定した結果、OSO18と一致した。
撮影前日の6月24日には、約10キロ北で、乳牛1頭がOSO18に襲われ死んでおり、2019年以降、両町で被害に遭った牛は計66頭。このうち32頭が死んでいる。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%83%92%E3%82%B0%E3%83%9E-%EF%BD%8F%EF%BD%93%EF%BD%8F%EF%BC%91%EF%BC%98-%E9%AE%AE%E6%98%8E%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%82%92%E5%88%9D%E5%85%AC%E9%96%8B-%E9%87%91%E8%89%B2%E3%81%AE%E6%AF%9B%E3%81%AF%E8%A6%8B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9A-%E6%A8%99%E8%8C%B6%E7%94%BA-%E8%B2%B4%E9%87%8D%E3%81%AA%E4%B8%80%E6%AD%A9/ar-AA1e5yat?cvid=7657855ca6304a6b866e327c57de841c&ei=5
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2023/07/20 (Thu) 12:42:46
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【クマ「OSO18」(オソ18)】北海道で4年前から牛60頭以上を襲ってきたクマ 関連ニュースまとめ 【ニュースはじめから】
2023/07/20
https://www.youtube.com/watch?v=U68qx_RtMhQ
00:00 誰も姿を見たことがない…“忍者グマ” 牛を次々と襲う 北海道標茶町
02:51 コードネームは『OSO18』 姿を見せない“体長2m”巨大クマ 捕獲の「チャンス」は…
05:02 乳牛を襲うヒグマ「OSO18」今年も活動開始 新たな被害 警戒心が強く捕獲に至らず… 北海道
06:18 「OSO18」の鮮明なカラー写真初めて撮影 北海道・標茶町
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2023/10/13 (Fri) 21:55:36
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【三毛別羆事件】日本史上最悪のヒグマ襲撃事件を現地から解説
大人の教養TV
https://www.youtube.com/watch?v=ob6ZdqPsP_8
0:00 オープニング
1:02 三毛別の概要
1:24 北海道の開拓
5:49 ヒグマ
8:05 事件の始まり
14:06 最初の犠牲者たち
16:41 遺体の回収とお通夜
18:50 三毛別ヒグマ事件再現施設
21:22 次の犠牲者たち
25:12 犠牲者たちの特徴
25:56 駆除
28:26 エンディング
【三毛別ヒグマ事件】の50年後に起きた悲劇…
大人の教養TV 2nd
2023/10/13
https://www.youtube.com/watch?v=kOpio07svNk
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2023/11/05 (Sun) 05:37:14
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ヒグマ“激やせ”緊迫の北海道 記録的不漁 市街地に出没相次ぐ(2023年11月2日)
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16823671
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2023/11/08 (Wed) 05:09:49
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【ヒグマ】史上最多の被害…都市の“住宅街出没”の真相とは『every.特集』
2021/12/12
https://www.youtube.com/watch?v=NUCC68HzI48
ことし6月、札幌市の住宅街でヒグマに人が襲われ4人が重軽傷をおった。なぜヒグマが都市の住宅街に現れたのか。その足取りを追うと、ある可能性が浮かびあがってきた。山からおりて、都会に迫るヒグマ。その実態を追った!
ナレーター:槇大輔
(2021年12月10日「news every.」特集より)
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2024/04/29 (Mon) 17:34:43
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ヒグマが車に体当たり フロントガラスがひび割れ 北海道根室市の林道|TBS NEWS DIG
2024/04/29
https://www.youtube.com/watch?v=FKxshJRNMCo
きのう、北海道根室市の林道で、突然現れたヒグマが軽トラックを襲いました。その瞬間の映像です。
この映像はきのう午後1時ごろ、北海道根室市の林道を走る軽トラックのドライブレコーダーの映像です。
画面の左、1頭のクマが林の中に姿を消すと、 右からもう1頭のクマが現れ、車に体当たり。フロントガラスもひび割れます。車を急発進させますが、熊が追いかけてきます。
根室市内では、先週からクマの目撃情報が相次ぎ、警察が注意を呼びかけています。
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2024/06/21 (Fri) 08:40:35
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「馬鹿にしているのか」ヒグマ駆除 町と猟友会が交渉決裂「高校生のバイト以下」【羽鳥慎一モーニングショー】(2024年6月17日)
2024/06/17
https://www.youtube.com/watch?v=6QU9JqV9zm8
北海道でクマの出没が相次いでいます。猟友会のハンターらが、報酬の低さなどを理由に出動を辞退している奈井江町では、連日クマの親子が目撃されて、町民から不安の声が上がっています。
■ヒグマが現れた!人が襲われる事態も
15日、北海道上砂川町で撮影された映像です。林道を走る車がカーブに差し掛かると、数十メートル先で、木の枝が大きくしなります。
落ちてきたのは、ヒグマ。よく見ると、落下しながらも枝に捕まろうと前足を伸ばしています。道に落ちた後、ヒグマの姿はすぐに見えなくなりました。
陸別町にある天文台の駐車場です。建物の影から出てきたのは、ヒグマ。辺りを見回し、悠然と道路を歩いていきます。周りには車がとめられていて、人の生活圏にヒグマが現れたことが分かります。
銀河の森天文台 津田浩之館長
「まさか天文台の敷地内、しかも建物のすぐ下に出てきたというのは、(今までに)無かったものですから、驚いたというところです」
天文台によると、ヒグマの体長はおよそ1.5メートル。このヒグマによる被害はありませんでしたが、天文台は来館者に注意を呼び掛けています。
住宅街にほど近い林で撮影された映像には、体長およそ2メートルのヒグマが映っていました。二本脚で立ち、ダンスするような動きで、木に背中をこすりつけています。設置されたカメラが気になるのか、近付く様子も…。
観光客が通る車道に現れたヒグマ。人間を怖がる様子もなく、車の中を伺うそぶりを見せながら、ゆっくりと歩きます。
北海道ではヒグマの出没が相次ぎ、雨竜町では人が襲われる事態も…。周辺には今も、ヒグマ注意報が出されています。
■交渉決裂「日当8500円」町と猟友会対立
その雨竜町からおよそ30キロ。4800人ほどが暮らす奈井江町では、ヒグマ駆除を巡り“ある問題”が浮上しています。
奈井江町 三本英司町長(69)
「去年、おととしと、クマが山里じゃなくて、市街地まで出てくるようになってしまった。そこ(ヒグマ駆除)の体制を再構築しようということですね」
これまで奈井江町では、山に出ることが多かったヒグマをボランティアのハンターと協力して駆除してきました。
しかし、人里に降りてくるヒグマが増えたため、町は4月、猟友会に新たにクマの駆除などを行うチームへの参加を呼び掛けました。
北海道猟友会
砂川支部 奈井江部会
山岸辰人部会長(72)
「高校生のコンビニのバイトみたいな金額でやれ。ハンターばかにしてない?って話ですよ」
しかし、町が提示した金額は日当8500円、発砲を伴う場合でも1万300円。札幌市と比べると、半額以下だといいます。
山岸さん
「(Q.提示された金額について)冗談だろと思いましたよ」
猟友会は、1回の出動につき4万5000円を提示しましたが…。
山岸さん
「『予算がない。条例を変えなきゃならない、時間がない』と。後日、仲間内で全員で話し合ってお断りしようと」
町と猟友会の交渉は決裂。猟友会は、町のヒグマ駆除に協力しないことになりました。
そんななか、奈井江町で先週、3日連続で住宅街のすぐ近くで、ヒグマの目撃情報が相次ぎました。
根室市で4月、車を襲うヒグマが撮影されました。左には子グマがいて、襲ってきたのは子グマを守ろうと攻撃的になった母グマとみられています。
奈井江町のヒグマ目撃情報は、半分以上が親子連れのため、住民は不安を口にします。
近隣住民
「やっぱりドキドキしますね。畑なんかやってる時に、もしひょっとすると近いからね。来るんじゃないかとか、そういうのはありますけどね」
近隣住民
「奈井江川のほうにも出たっていうからさ。散歩をたまにしてたんだけど、今はこっちの方を歩いてるね」
「(Q.やっぱり出くわさないように?)うん、言われたもん。歩いてたら、どっかのおばさんに『危ないよ』って」
■ハンターのリスクと負担 高齢化も
野生動物の捕獲や駆除に協力することが多いハンターの団体「猟友会」。奈井江町の猟友会が「今回は協力できない」としたのには、報酬金額以外にもリスクの問題がありました。
山岸さん
「ひざ丈まで草があれば、彼らは体重200キロあって、5メートル離れた所に身を隠しても分からないですよ。だから、特殊部隊を相手にして、ハンターが勝負を挑むようなもんですよね」
実際に3メートル近いヒグマと対峙(たいじ)した北海道猟友会・砂川支部の池上治男支部長 (75)は、次のように述べました。
池上さん
「(Q.かなり鋭いですね?)だいたい275キロ、2メートル75センチ。手脚合わせたら、3メートルくらいのヒグマの爪なんです。これが手についてるわけ。5本!これ5つ!これで頭をドーンとやられて、犠牲になった人がたくさんいる」
さらに、自身の生活や猟友会の高齢化も…。
山岸さん
「正直、私たち仕事してるんで。それほど暇じゃないです」
介護関係の仕事をしているという山岸さん。奈井江の猟友会は5人が所属していますが、全員仕事をしながら、ハンターとして活動しています。さらに、5人中3人が70代だといいます。
山岸さん
「町民のためとか、住民のためとか。それは自分たちの生活あっての話で、余力でやる話で。自分たちの生活犠牲にしてまでやりますかって話です」
■途絶えたまま…猟友会との交渉
三本町長は、猟友会から協力を断られたことについて、次のように述べました。
三本町長
「たたき台でしか、まだなくてですね。残念ながら、そこの段階できちんとした意思の疎通が出来なかったということでしょうね」
1万300円という報酬額については?
三本町長
「どのくらいの報酬が妥当なのかっていうことでの議論が、おそらく全国でもされていないと思っていて、それを協議するということだと思うんですよ。そういう意味では見直しありきというよりも、それを作り上げていくということが協議の始まりであってほしかったという気はしますよね」
町が提示している1万300円というのは、予算で出せる最大の額なのでしょうか?
三本町長
「そういうことじゃなくて。だから、隣町と一緒のベース。それをベースに予算を組んだというだけの話ですよ。上がる可能性は全然あるし、上げることは一つも、やぶさかでないので。一回も上げるつもりないと言っていませんから」
町は「提示額は隣町を参考にしたベースの額で、安全確保の話についても、話し合いを進めていくつもりだった」ということです。
三本町長
「私たちとしては、町としての担当からの思いが伝わらなかったのかなと思って。そこのところは本当に反省しなきゃいけないなと思っています」
現在、猟友会との交渉は途絶えたままです。
町は「当面、猟友会に所属していないハンターにボランティアとして協力を仰ぐ」ということです。
■猟友会頼みに限界…どうすべき?
奈井江町側は、クマの駆除で発砲を伴った場合、1万3000円を支払うつもりだったとしています。これはあくまでも三本町長とのたたき台だったということです。「報酬・安全面についての協議の始まりであってほしかった。対応の仕方に反省はある」としています。
一方、猟友会側の主張です。
山岸さんは、緊急出動の場合、実際にクマを駆除した場合も含め、4万5000円の報酬を要求しています。町側の提示額については「高校生のバイト代以下」としています。
さらに、報酬だけでなく「クマ駆除の枠組みがない。罠の仕掛けから片付けまで丸投げ。やる気が感じられない」ということです。
他の自治体の例としては、幌加内町では昨年、釣り人がクマに襲われて死亡した事故をきっかけに報酬が増額され、1日1万5000円。札幌市では1日2万5300円、捕獲や運搬を行った場合は3万6300円になっています。
島牧村では1日2万6900円で、緊急時には4万300円に引き上げられます。さらに、実際にクマを捕獲した場合は10万円がプラスして支払われるということです。
今後の自治体と猟友会との関係について、酪農学園大学の佐藤喜和教授は「クマの駆除については猟友会頼みの自治体が多いが、高齢化・後継者不足により今後困る地域が出てくる。猟友会頼みのクマ対策を考え直す時期に来ているのでは」と指摘しています。
(「羽鳥慎一 モーニングショー」2024年6月17日放送分より)
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13:777
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2024/11/14 (Thu) 23:25:56
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クマの専門家に聞く!登山者のためのクマ対策
山と溪谷ch. 2024/11/10
https://www.youtube.com/watch?v=qhYidHkZwdE
登山者が知っておきたい「クマ対策」について、東京農業大学の山﨑晃司教授に教えていただきました。
クマは増えているのか?クマはどんなところにいるのか?
クマに遭わないようにするには?襲われそうになったらどう対処したらいいのか?
人を襲うクマが増えないようにするために、私たちにできることは?
クマに関するさまざまなギモンに答えていただきました。
【目次】
00:00 OP
01:14 2024年の登山における主なクマ被害と近年の傾向
11:45 クマは1年をどのように過ごしているのか (クマは森林限界まで上がってくる?)
17:05 クマに遭わないようにするには
24:05 クマに遭遇したときの対処法
30:34 さいごに
※訂正:20:59のヨセミテ国立公園での例は、 正しくはイエローストーン国立公園での例でした。
【山﨑晃司さんプロフィール】
東京農業大学地域環境科学部森林総合学科 教授。日本におけるクマ研究の第一人者。動物生態学・保全生態学を研究。日本クマネットワークの元代表で、現在は普及啓発委員会委員長。アフリカでのライオン研究の経歴も。著書に『ムーン・ベアも月を見ている クマを知る、クマから学ぶ 現代クマ学最前線』(フライの雑誌社)、『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』(分担執筆、小社刊)など。