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1:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/03/19 (Sun) 13:23:00
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日本の街がきれいになった理由
2023年03月19日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12794407613.html
「日本の街はきれいだ、ゴミがどこにも落ちていない」と外国人に評判になっているといわれる。
https://www.youtube.com/watch?v=mWOGfYYECrc&ab_channel=%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%ABTVBonSoirTV
しかし、私の知る限り、今から半世紀前の日本社会は決してきれいではなかった。
いたるところにゴミが捨てられ、とてもきれいとは言えない街並みだった。それは観光地でも同じで、当時は、外国人観光客はほとんどいなかったが、国内の観光地は、どこも悲惨なゴミに溢れ、トイレも入るのをためらうほど汚かった。
公衆トイレも少なく、コンビニのような店もトイレを貸してくれなかった。どうしてもトイレに行きたければ、駅か公共施設、ガソリンスタンドなどに頼み込んだ。間に合わずにおもらしする人も少なくなかった。
私が尾瀬に初めて行ったのは1970年代で、それから五回くらい行っているが、70年代の尾瀬は、今では信じられないほどゴミだらけで、当時のハイキングには缶詰が多用されていたので、至るところに空缶の山ができていた。
トイレもなかったので、登山者はヤブに入って用を足すしかなく、このため富栄養化が進んだ場所もあった。
権威主義に埋もれていた行政は、評価されない(票にならない)自然管理に対しては予算不足を口実に、ろくな手入れをしなかったので、日本一美しいはずの尾瀬なのに、まるで大自然の恥部と思うほどゴミが多かった。
そこで、尾瀬長蔵小屋の三代目、四代目、平野長靖氏、太郎氏らは、尾瀬に捨てられた空缶を拾い集めてプレスし小屋の敷地に埋めていた。これは行政が無作為だったので、やむにやまれずやっていたことだ。
もしも、空缶を指定処理しようとすれば、物凄い手間と資金が必要だったのだ。
ところが行政側は、突然、埋めた空缶を発見して、長蔵小屋を告発起訴した。太郎氏は罰金120万円の判決を受けた。
https://plaza.rakuten.co.jp/atoyota/diary/200402020000/
私は、事情を知っていたので、この行政の姿勢には憤った。
そもそも、尾瀬は、東京電力が、全部ダム底に沈めようと計画していたのを、長蔵小屋初代と二代目が体を張って差し止めたのだが、全域を買収していた東電は、ダム計画がうまくいかなくなると、あたかも尾瀬の守護神であるかのように装って、ちゃっかりと東電小屋の営業を始めた。
長蔵小屋の空缶を告発したのも、尾瀬の自然美をこの世から消し去ろうとした東電のようだ。
当時の日本社会は、高度成長バブル全盛期で、「カネになること」が正義であるかのような価値観に洗脳された者ばかりで、
自然保護への関心も低かった。
我々が登山に夢中になっているころ、周囲の人は「なんで金にならない危険で馬鹿げた登山などするのか」と白い目で見る者が少なくなかった。
そして山登りというと、山菜取りや希少植物、川魚釣り、狩猟など、何かを持ち帰らな帰れば行った意味がないと考える人が多かった。
だから、純粋に「大自然を楽しむ」という価値観は、まだ定着しておらず、都会でも、「ゴミを拾うのは疲れるだけ損だ」と考える人が多く、「金にならない、実利のないことは無意味」という価値観に支配された人が大半を占めていた。
ゴミが落ちていても、「清掃人業者が拾えばよい」と、ちょうど今の諸外国や韓国社会と同じだったように思う。
当時は、行政からして率先して「利己主義」を前提にしていたのだ。
最初に、日本社会で、「金にならない清掃活動」という「利他主義」を実践しはじめたのは誰だったかといえば、たぶん、1980年代あたりの大本教の流れを汲む新興宗教団体ではなかったかと思う。
例えば松下幸之助のPHPなどが、率先して組織的に街頭清掃活動を行った。
https://shuchi.php.co.jp/article/907
私は、船井幸雄の思想活動も大きな影響を与えたと評価している。
コンビニが、トイレに「きれいに使っていただいて、ありがとうございます」と書くようになったのは船井イズムの浸透によるものだろうと思う。
https://uranaimae.com/2022/05/13/kirei-toilet/
1990年代に入って、日本社会は自民党による消費税導入とともに経済的に衰退しはじめるが、一方で、利他主義思想が人生の価値観として若者たちに提起される時代が始まった。
資本主義の金儲け一辺倒の価値観が見直され、「そんなに急いでどこに行く」というような標語にあるような、「時間を有意義に過ごす」という古くて新しい価値観が登場するようになった。
「なんでも早ければ、儲かれば、よいわけではない」と人々が価値観を振り返る時代がきたのかもしれない。
私が思うに、「得することが正義」という価値観が「戦後」を代表したとすれば、「トクしなくてもいい、人の笑顔が大切だ」という社会理念が芽生えるようになって、はじめて「戦後」が終わって新しい「利他主義」の時代に入ったのかもしれないと思った。
「街が清潔で美しい」ということが人生の価値観と一致する「利他主義」の時代がやってきた。と、私のようなゴミ屋敷の住人が言える資格はないが、私でも、まともに呼吸ができて体が動くようになれば、なんとかきれいな家にしたいと思っている。しかし、建設資材が高騰しすぎて、壊れたものを修理さえできないのが実情だ。
日本人は、短所でもあり長所でもある「同調圧力」が強い民族なので、「右ならえ」の社会であり、大勢が「美しい街」を大切にするようになると、汚い家や道が犯罪であるかのように思われる。
私のゴミ家など、まるで犯罪者住宅なのだ。だから、日本社会が昔のように汚くなることは当分ないかもしれない。
私が船井幸雄の思想活動で、もっとも大きな意味があったと思っているのは、「短所是正法」という儒教的価値観を見直させるきっかけになったことだ。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828476.html
何度も書いてきたが、日本社会は、家康が林羅山らに命じて「朱子学」という儒教を武家社会に導入した。
これは、「人間関係には侵されざる序列があり、目上の者に従順に従え」という思想なのだが、これが全国に湧いて出た「儒者」たちによって社会全体に拡大した。
儒者たちは、藩校・寺子屋の教師も兼ねていたので、江戸時代から教育の普及とともに日本は儒教社会、すなわち序列社会へと移行した。
差別のある社会では、必ず「短所是正法」が横行する。上位の者は、下位の者を統制し、叱りつけることで自分の地位に陶酔できるわけだから、下位の者が間違ったことをしでかすと、鬼の首を取ったように喜んで罵倒し、「短所を是正してやろう」と思うのだ。
もちろん、これが逆効果で、それは上位の者の権威承認要求から来ているだけなので、本音では、下位の者の間違いを怒鳴りつけている自分に陶酔したいだけのことなのだ。だから、結果は正反対にしかならない。
船井幸雄は、このメカニズムに真正面から切り込んで、短所を是正する発想ではなく、長所を伸ばす発想を求めたのだ。
身分差別や序列の思想は、人々の自然な人間関係を拘束し、素直で温かい感情を硬直させるのだ。
儒教を導入すれば、権威主義、序列主義がはびこることで、人間関係の暖かさは損なわれる。代わりに登場するのが実利主義である。人間関係が悪ければ、あとは実利の関係しか残らないのである。
すると、社会全体が、本音よりも建前、心を満たすよりも利権を満たす、金にならないことはやらない…という思想に変化してゆくことになる。
そうなれば、金にならない街頭のゴミ掃除などやる者は少なくなる。利他主義が失われ、利己主義にとって変わられるのだ。
このようにして、儒教による硬直した社会とともに、社会秩序に対して愛を抱く者はいなくなり、街は荒れてゆく。
冒頭に書いた、「尾瀬が荒れていた時代」というのは、人々が「金儲けだけが正義」と勘違いさせられていた時代である。
そして、今に至って街が美しくなったことの意味は、もしかしたら、序列が崩壊し、「今を美しく生きたい」という価値観を人々が取り戻している成果なのかもしれないと思った。
確かに、私の子供時代に比べても、序列や差別、いじめを否定する世論が非常に強くなっている。
例えば、私に対し、20年以上、悪意の誹謗中傷を続けるlove2mac2002jp/らぶらぶMACなる人物がいる。
この男の、私に対する誹謗は、「私が中卒でデタラメばかり書いている」という内容ばかりなのだが、いまどき、「中卒」などと学歴差別を書けば非難殺到で、一発で、この男の差別体質が誰にでも理解できてしまう。
いまどき、学歴差別をする習慣は、世界でも儒教に束縛された韓国くらいしか残っていないので、たぶん、この男は韓国人ではないかと思っている。
まあ、私は、この人物の100倍以上は勉強しているので、学歴差別は逆に嘲笑するしかないのだが、私の子供時代は、この種の学歴や権威主義、「末は博士か大臣か」の価値観に洗脳された人物が大量にいて、そんな連中がいると、社会全体への不快感が増して、街が美しくならないのだ。
弁解ではあるが、我が家が汚いのも、近所に泥棒がいて被害を受け続けているせいもある。
逆に考えれば、「日本の街がキレイになった本当の理由」は、社会から不快な差別が消えていっていることの証左なのではないかと思う。
「みんな同じ人間だ」という連帯感が、社会全体を美しくするのである。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12794407613.html
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2:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/03/19 (Sun) 13:51:26
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自粛警察が日本をコロナから救った
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/137.html
マスク着用「個人の判断」に様子見ムードの日本人。世界が驚く“謎”言動はPTAや働き方に共通点が……
2023/03/18
https://news.goo.ne.jp/article/allaboutnews/life/allaboutnews-82764.html
マスク着用「個人の判断」に様子見ムードの日本人。世界が驚く“謎”言動はPTAや働き方に共通点が……
2023年3月13日よりマスク着用は「個人の判断」に委ねられたようですが、長く続いたコロナ禍で、日本人のある性質を耳にするようになりました。海外から見た日本人の不可解な言動とは?
(All About NEWS)
2023年3月13日よりマスク着用は「個人の判断」に委ねられましたが、様子見ムードか、公共交通機関はもとより屋外においてもマスク姿の人が多い様子。東京都内では、自治体の取り決めに従って「3月31日までは原則マスク着用」(都内の小学校教員)を続ける学校も。ヨーロッパ在住の筆者が、この状況について海外事情を交えながらお伝えします。
■日本人の行動は意地悪?
コロナ禍が始まって以来、「スパイト行動」という言葉をちらほら耳にするようになりました。「スパイト」は英語の「spite(意地悪)」が原義で、「スパイト行動」とは、
・自分が不利益を被ってでも、相手を陥れたり、制裁を加える意地悪な行為
・自分が我慢しているのに、他人が得をするのが許せず、足を引っ張る行為
などを指し、コロナ禍においてはマスク非着用者や旅行者を私的に取り締まったり、嫌がらせをする「マスク警察」や「自粛警察」がそれにあたります。具体的には、「自分が苦しい思いをしてマスクをしているのだから、他人も同じように苦しむべき」、「自分が旅行を我慢しているのだから、他の人だけ楽しい思いをするのは許せない」という考えが根底にあるようです。
スパイト行動について日本人と異なる国の人々とを比較したところ、日本人はよりスパイト行動を選択する確率が顕著に高かったとの経済学者による実験報告もあります。確かにヨーロッパから眺めてみると、日本人特有だなと感じられる行為には、スパイト行動ではないかと疑われるものが少なくありません。例えば……。
■「無痛分娩」はずるい?
無痛分娩はヨーロッパでは広く普及しているうえ、基本的に「自分は自分、他人は他人」の個人主義カルチャーが色濃いため、誰が無痛分娩を選択しようと周りがとやかく言うことはほとんどありません。しかし日本の場合は、Googleで「無痛分娩」と検索すると、
「無痛分娩 むかつく」
「無痛分娩 ずるい」
など、驚きのサジェストワードが表示されます。
これも「痛みに耐えてこそ母親」といった従来の価値観を軸に、「自分がこれほどの激痛を耐え忍んだのに、他の女性が苦しまないのは許せない」という日本人特有のスパイト行動かもしれません。
■任意参加(のはず)のPTA活動も……
本来、学校のPTA活動は任意参加なのだそうですが、半ば強制的に入会させるところも少なくないと聞きます。そんななか、PTAの退会者や不参加者に対して「フリーライド(他人が築き上げたものに便乗して利益を得ようとする行為)」と糾弾したり、不参加家庭の子どもを集団登下校のグループに入れない、PTA予算で準備される卒業記念品を渡さないなど、目に見える差別をしたりして強制参加に誘導するケースもある様子。
もともとPTAとは、その学校に通う全ての児童・生徒に対して提供する自発的なボランティア活動であるはずなので、それに参加しない家庭の子どもを「フリーライダー」と呼ぶのは筋が違う、保護者と教員たち(PTA)から搾取している自治体はどうなんだ、といった意見も高まっているようで、徐々に任意参加の風潮が広まっているとは聞きます。このケースもやはり、「自分だってPTA活動を我慢しているのに、参加せずに恩恵だけ受ける家庭は看過できない」というスパイト行動のなせる業なのでしょうか。
■「定時で帰れない」日本人の不思議
これぞ世界的にも有名な、日本人の“謎”習慣!
「何であいつは定時に帰るんだ?」とは自身もよく言われたフレーズですが、少なくとも過去に筆者が勤めていた企業では、たとえ仕事が終わっても、じっとPC前に鎮座して深夜までクライアントや上司からの指示を待つ、よほど促されない限り上司や先輩より先に帰宅しない、などの不文律が厳然としてありました。
ヨーロッパに住んでいると、
「日本人はなぜ、仕事が終わっても帰らないのか」
「ずっと会社で時間をつぶしている意味が分からない」
「どうして早く終わる仕事を引き延ばす?」
といった長時間残業に関する質問を受ける機会が多いのですが、現在に至るまで快答できたためしがなく、長らく煩悶(はんもん)していました。これもまた、スパイト行動にくくられる日本の企業文化なのでしょう。
今後、外国人から「みんなで苦しもう」的な日本人の不可解な習慣や言動について尋ねられた際には、「あ、それスパイト行動ね!」と返せば十中八九は正答なのかもしれませんね。
ライジンガー真樹のプロフィール
元CAのスイス在住ライター。日本人にとっては不可思議に映る外国人の言動や、海外から見ると実は面白い国ニッポンにフォーカスしたカルチャーショック解説記事を中心に執筆。All About オーストリアガイド。
https://news.goo.ne.jp/article/allaboutnews/life/allaboutnews-82764.html