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1:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/03/11 (Sat) 10:59:13
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雑記帳
2023年03月11日
山本健『ヨーロッパ冷戦史』
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https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E5%86%B7%E6%88%A6%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%81%A5/dp/4480073736
ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2021年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、より広範な地域を対象とした冷戦史研究が進展した結果、冷戦史研究において冷戦の「主戦場」でもあったヨーロッパの相対的地位が低下し、蓄積されたヨーロッパに関する冷戦史研究の成果の多くが充分には活かされていない、との認識から、冷戦下のヨーロッパに焦点を当て、その全体像を描き出そうとします。また本書は、冷戦下のヨーロッパを国単位ではなく、「陣営(ブロック)」単位で把握し、軍事的および政治的な関係だけではなく、経済関係にも焦点を当てます。「陣営」は(一定以上)価値観を共有し、相手「陣営」を敵および脅威と認識し、この対抗関係はゼロサム的だった、と本書は評価します。当然、両「陣営」ともに内部では対立や利害関係の衝突はあるわけですが、両「陣営」の軍拡や諜報活動や宣伝合戦などが、相手「陣営」は敵との認識を再生産させた、と本書は指摘します。
本書はまず、第二次世界大戦の直後において、ヨーロッパの東西分断は既定路線ではなかった、と指摘します。スターリンはソ連軍の支配圏において、敵対的な政権の樹立を容認するつもりはなかったものの、共産党による****政権を直ちに築くつもりもなく、米英と協調しての、ファシズムに対抗する国民解放戦線の組織化を目的としていました。チャーチルは、第二次世界大戦当初にフランスがドイツにあっさりと敗北し、独ソ戦と太平洋戦争の開始までイギリスが孤立したことから、米ソとの協調維持を最優先していました。しかし、ソ連がロンドンのポーランド亡命政府と第二次世界大戦中の1943年に断交していたので、まずポーランド問題が英ソの最初の対立点となります。第二次世界大戦後、ポーランドの領土は、東部がソ連に奪われ、西部がドイツ領を奪うことになり、この点で西ドイツは強く反発し、ヨーロッパにおける冷戦形成の一要因となりました。ソ連はドイツの分断ではなく統一とソ連の影響力の維持を当面の目標としていましたが、イギリスは占領費用軽減のためドイツの分断へと傾き、ドイツの賠償能力維持のため、ドイツに過酷な賠償を課そうとするソ連や、ドイツの産業を発展させまいとするフランスの方針と対立します。
米国は勢力圏の分割という英ソの発想を嫌っており、東欧を実行支配するソ連の勢力圏を実質的に受け入れないわけにはいかないものの、自由選挙の導入により一定の制約を課そうとしました。第二次世界大戦の終結直前(1945年4月12日)に米国のローズヴェルト大統領が死亡し、副大統領から大統領に昇格したトルーマンはソ連の非妥協的態度を知らされ、ソ連に対して強硬路線を示すようになります。また、日本の降伏直前の選挙でイギリスではチャーチルに代わって労働党政権が誕生し、その社会主義的性格と植民地維持への強い執念を米国は嫌い、米英関係は良好ではありませんでした。英国では、米ソに与さない第三の路線も検討されました。英国の植民地維持方針はソ連との対立を深めることになり、米ソ関係に先立って英ソ関係の悪化が進行しました。米国もドイツ問題などでソ連への不信感を強めていき、米英はドイツ分断の現実的可能性を考えるようになります。
冷戦の始まりについて1947年とする見解が有力なようで、同年3月のトルーマンの演説が注目されてきましたが、スターリンはこのトルーマン・ドクトリンはさほど重視しておらず、西欧において各国政府から共産党が追放されたことの方を深刻に受け止めていたそうです。上述のように、スターリンは当初、共産党による****政権を直ちに築くつもりはなく、ファシズムに対抗する国民解放戦線の組織化を構想していましたが、それが破綻したことを意味するわけです。1947年には、米国側のマーシャル・プランによるヨーロッパ復興計画が提示され、そのための欧州経済協力委員会(CEEC)が発足した一方で、マーシャル・プランによるヨーロッパ復興計画をとても受け入れられないと判断したソ連が東欧諸国に圧力をかけ、マーシャル・プランへの参加を断念させ、コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)が設立されたことで、世界が二分されている、との認識が米ソ双方で公然と語られるようになります。ドイツは、米英仏の占領地域での通貨改革と、それに対抗してのソ連のベルリン封鎖によって、ドイツの分断は決定的になり、1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立します。本書は、スターリンによるベルリン封鎖は、ドイツの西側を米国陣営に完全に立たせた点で大失策だった、と評価します。
こうして1949年までにはヨーロッパが東西の陣営に分断されることになり、1949年には北大西洋条約が締結されて機構化されました(NATO)。一方ソ連はスターリン政権期には、多国間軍事同盟ではなく、ソ連と東欧各国との二国間相互援助条約網で対処しようとしました。軍事面では、1950年の朝鮮戦争勃発により、否定的な感情が強かったドイツの再軍備も進展します。冷戦はヨーロッパを経済的にも分断し、東欧諸国の貿易は、戦間期には75%が西欧で占められており、東欧諸国間の貿易は15%だったのに対して、戦後には東側陣営内の割合が60%以上に増加します。これは、東欧諸国がソ連型経済体制を導入し、冷戦下で自給自足的傾向を強めたからでした。ヨーロッパでは、冷戦下において西側陣営で統合の動きも進みました。それが具体的に始まったのは1950年で、フランスが主導しました。1951年には欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が成立し、現在の欧州連合(EU)の前身となります。こうして西側陣営が経済協力を進め、経済が成長していったのに対して、東側陣営の経済協力は西側ほど進まず、経済成長も頭打ちになった、と本書は指摘します。
1953年3月のスターリンの死は、ヨーロッパにデタント(緊張緩和)をある程度もたらし、たとえば、ココム(対共産圏輸出統制委員会)の禁輸綱目が削減されました。ただ本書は、すでに冷戦構造が長期化すると想定されるようになり、その枠内でのデタントの模索だった、と指摘します。上述のように、スターリン政権期のソ連は多国間軍事同盟に消極的でしたが、スターリン没後に多国間軍事同盟としてワルシャワ条約機構を創設します。ただ、ワルシャワ条約機構は当初、軍事同盟としては張子の虎で、軍事同盟としての実態を有するのは1960年代末になってからであり、政治的意味合いの方が強かった、と本書は指摘します。
上述のように、当然のことながら東西両陣営ともに内部には対立や利害関係の衝突はあり、1956年3月のフルシチョフによるスターリン批判を契機として、ポーランドとハンガリーでは同年に国民の蜂起がありましたが、ポーランドでは新指導者のゴムウカの手腕もあって割と穏便に事態が収拾されました。一方ハンガリーでは、ソ連軍の武力介入を招いてしまいました。西側陣営も、1956年に勃発したスエズ動乱(第二次中東戦争)での対応などに起因する米国への不信感から、西独がヨーロッパ独自の核武装を模索するなど、一枚岩ではありませんでした。
スターリン死後にデタント傾向が継続的に強くなっていったわけではなく、いわゆるベルリンの壁の建築へと至ります。当時、経済、とくに消費文化では西ベルリンが東ベルリンを圧倒しており(これは西独と東独の国家間の違いも反映していたわけですが)、ベルリンが東独から西独への亡命の拠点になっており、東独、さらには東側陣営にとって大きな問題になっていました。ベルリンの壁をめぐるやり取りから、米国が西側陣営の諸国を最後まで守り通すのか、疑問を抱いたフランスと西独は、独自路線を模索するとともに、提携を図ります。とくにフランスは、自国の偉大さの維持(あるいは復権)に固執するドゴール大統領が、核兵器の開発などで米国に依存せずにすむような体制を構築しようとします。米英と仏独で、西側陣営分裂の可能性も見えてきたわけです。一方、東側陣営でも、中ソ対立が顕在化し、ヨーロッパでも、ルーマニアがソ連主導による東側陣営の経済統合路線に強く異を唱え、独自路線を模索し始めます。
このように東西両陣営は、相互に対立しつつ、内部にも対立関係を抱えて一枚岩ではなく、各国が独自の外交を模索し、それは二国間や多国間のデタントとして、1960年代以降に活発になります。フランスはドゴール政権で米国への不信感から独自のデタント政策を進め、1966年にはNATOからの脱退を表明します。1960年代のヨーロッパにおけるデタント傾向は経済にも反映され、1960年の東西貿易の総額は60億ドル程度でしたが、1960年代末には160億ドル程度にまで増加します。一方で、とくに東側陣営では軍拡が顕著で、1964年のフルシチョフ失脚後に政権を担ったブレジネフは、ソ連の核弾頭数を急増させ、フルシチョフ政権期には米国に対して圧倒的劣勢だった核戦力を、1972年までには同程度にまで引き上げました。これに対して西側陣営もNATO軍の核戦力を大きく増強します。ただ、1968年にいわゆるプラハの春をソ連軍が武力鎮圧したさいも、NATO諸国の反応が抑制的だったように、東西の陣営間の直接的な武力紛争には至りませんでした。ヨーロッパはまさに「冷戦」だったわけで、ここはアジアと大きく異なるところだと思います。
1960年代のデタント傾向をさらに促進する重要な契機は、西独におけるブラント政権の成立でした。西独はずっと東独を認めず、東独を承認している国家とは国交を締結せず、すでに国交がある国でも東独と国交を締結したら国交断絶したくらいで、これがヨーロッパにおけるとくに多国間のデタントを妨げていた側面も多分にありましたが、ブラント政権の東方政策では、東側陣営との関係改善が図られ、事実上「二つのドイツ」を認めることになります。これによりヨーロッパにおける多国間デタントへの道が開かれます。これが、欧州安全保障協力会議(CSCE)の開催と1975年8月のCSCE首脳会議におけるヘルシンキ宣言へとつながります。このヘルシンキ宣言により、第二次世界大戦後のヨーロッパの現状が承認され、これは第二次世界大戦後に国境を西側に拡張したソ連にとって勝利とも言えました。一方で、ヘルシンキ宣言では人権と基本的自由の尊重と経済および文化における協力が謳われ、これが東側諸国を動揺させていくことになります。
こうしてデタントには一定の成果が見られましたが、1970年代には、石油危機により西側の経済成長が鈍化し、東西貿易は停滞し、東欧諸国も経済が悪化し、累積債務が膨らんでいきます。これが、東側陣営解体の一因となりました。こうした状況で、1970年代後半以降、デタントが継続した側面を否定はできないものの、大きく進展したとはとても言えず、軍事技術の発展による軍拡も進みます。東欧諸国の経済状況が悪化する中で、ポーランドでは自主管理労組「連帯」が急速に勢力を拡大し、NATO諸国はソ連の介入を警戒します。しかし本書は、経済的に苦境にあったソ連は、早々にポーランドへの軍事不介入を決めており、「連帯」が政権を掌握した場合、その政権との協力さえ考えていた、と指摘します。つまり、ソ連は事実上ブレジネフ・ドクトリンを放棄していた、というわけです。ポーランド政府は戒厳令を施行し、「連帯」は弾圧されますが、これをめぐって、レーガン政権下で強硬路線の米国と、融和的な西欧諸国との間で対立が生じます。
1985年、ソ連でゴルバチョフ政権が成立し、国内経済の立て直しを最優先し、対外的には緊張緩和と軍縮および西側との経済協力を進めていきます。これが1989年の東欧革命へとつながり、東側陣営は崩壊します。ゴルバチョフ自身は、社会主義体制を崩壊させようとしたわけではなく、コメコンの統合も進めようとしましたが、もはやそれだけの余力はソ連にはなく、東側陣営は疲弊しており、西側陣営と比較して経済力と技術力が明らかに遅れていました。ソ連の経済不振に追い打ちをかけたのが、1986年の石油価格暴落でした。ソ連は東欧を重荷と考えるようになり、コメコンで東欧諸国を縛ることはなくなります。こうして、1989年の東欧革命の舞台は整い、1990年10月、ヨーロッパにおける冷戦の主要な舞台であり続けた東西ドイツは、実質的に西独による東独の吸収という形で統一し、1991年にはワルシャワ条約機構が軍事同盟としての役割を終え、コメコンが正式に解散し、年末にはソ連が解体となり、ヨーロッパにおける冷戦は終結します。
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2:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/03/11 (Sat) 11:03:07
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蘇る亡霊ゾンビ 殺人鬼スターリン
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スターリンは軍が信用できず一般兵士の銃からは実弾を抜いた _ モスクワ攻防戦80年目の真実
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赤い****者の悲劇 ヨシフ・スターリン
100人の20世紀 『スターリン』 - ニコニコ動画
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ロシアの若者の間ではスターリンが大人気
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ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
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米国の資本家はスターリンを倒す為にヒトラーを支援した
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スターリンはなぜ北海道占領計画を放棄したのか?
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ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年~1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html
馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
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ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
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共産主義者のルーズベルトは意図的に東欧をソ連に支配させた
アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/963.html
共産主義者のルーズベルトは意図的に北方領土をソ連に支配させた
2019.01.21 旧ソ連の北方領土占領、米国が軍事支援していた…歴史の定説を覆す発見文=粟野仁雄/ジャーナリスト
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26352.html
アメリカとマルクス - 内田樹の研究室
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ヒトラーの共産主義との戦い
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米英金融資本とナチスの緊密な関係
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英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
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20世紀初頭以来、 ポーランドは米英と手を組み、反ロシア政策を継続
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ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した
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アフター・ヒトラー
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昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは
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関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1055.html
近衛上奏文
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1126.html
昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html
西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html
広島・長崎への原爆投下はソ連に中国から撤退させるのが目的だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14031212
ユダヤ人のエージェントで強硬な****だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html
チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html
J・F・ケネディ-は東西冷戦を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html
▲△▽▼
帝政ロシアの歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/603.html
ユダヤ人を迫害するロマノフ朝はユダヤ人の不倶戴天の敵だった、ロシアの富を収奪しようとするユダヤ資本がロシア革命を起こさせた
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/496.html
茂木誠 _ 超日本史・ユダヤから紐解くロシア・ウクライナの歴史 - YouTube 動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/906.html
ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html
共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html
東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html
ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html
社会主義の20世紀 |バルトの悲劇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/788.html
社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 ~プラハの春・ドプチェクの証言~
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html
20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/116.html
パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html
革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html
ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html
帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html
「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html
ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html
アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html
社会主義の20世紀 |バルトの悲劇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/788.html
社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html
犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html
右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html
ソ連崩壊後のロシアを米英金融資本に売り渡したボリス・エリツィン
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エリツィン大統領
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ペテルブルク大学の法学部教授になろうとしていたプーチンが政治家に転身した経緯
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プーチンとその師ドゥーギンはサタニスト(キリスト教の神を拒絶する者)だった
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プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html
プーチン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html
玉砕を覚悟したプーチン大統領が弾くソ連軍歌『カチューシャ』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003159
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3:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/03/11 (Sat) 11:04:18
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日本の学生運動は体制側の分割統治政策によって滅ぼされた
右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html
欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html
共産主義者とはどういう人間なのか?
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若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html
不破哲三の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/650.html
日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html
左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/671.html
若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html
重信房子が ばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14006452
かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html
中島みゆき「世情」_ 1970年代に学生運動をやっていた左翼学生はその後どうなったのか?
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学生運動に挫折して自殺した恋人を歌った森田童子の名歌『僕たちの失敗』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003211
日本の歌曲はシューベルトやモーツァルトより名曲が多いが、名曲は1970年代に集中している
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003099
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2024/11/14 (Thu) 05:56:55
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サマーズ氏: 資本主義に反対することは自由に反対すること
2024年10月28日 globalmacroresearch
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/55674
アメリカの元財務長官で経済学者のラリー・サマーズ氏がダートマス大学でのインタビューで資本主義と社会主義の違いについて語っている。
社会主義とは何だったのか
社会主義がほとんど旧世代の遺物となってから長い時間が過ぎたが、恐らくそのためになぜ資本主義が成功しているのかということについて考える人は少ない。
そしてまさにそれが理由で日本やアメリカなどの資本主義国家とされる国に、実体経済を自由市場ではなく中央政府が支配する社会主義の影が忍び寄っていると筆者は考えているのだが、だからこそサマーズ氏に社会主義の国々がどういうものだったのかを語ってもらおう。
サマーズ氏は大学生たちに次のように語りかけている。
わたしはこの部屋にいる学生たちと同じくらいの年か、それよりも少し年上だった頃に、ここにいる学生がもう体験できないことを体験したことがある。
それは西ベルリンと東ベルリンを繋いでいたチェックポイント・チャーリーを通ったことだ。
チェックポイント・チャーリーとは、戦後に東西に分断されていた西ベルリンと東ベルリンを繋いでいた検問所のことである。第2次世界大戦後、アメリカと旧ソ連に分割統治されていたベルリンは、半分が資本主義、もう半分が社会主義によって運営されていた。
結局、ドイツは資本主義だった西ドイツが繁栄し、社会主義だった東ドイツが貧困に陥ったため、東ドイツが西ドイツに吸収される形で統合されたのだが、これはその前の話である。
サマーズ氏は次のように述べている。
それは2024年と1954年を繋ぐ門を通るような経験だった。その前後ではすべてが違った。西ベルリンと東ベルリンにはまったく共通点はなかった。
社会主義の失敗
当時、社会主義の国は次々に退廃していった。資本主義経済では起業家が消費者の需要に合わせてどのような商品を作るかを決め、需要が高い商品を作った起業家ほど高い対価を得る。
一方で社会主義の国ではどういう商品が作られるべきかを政府が決定する。
その結果は明らかである。資本主義国家では消費者が欲しがる商品がどんどん作られ、社会主義国家では消費者が欲しがらない商品がどんどん作られた。
そして西ベルリンは栄え、東ベルリンは貧困に沈んでいった。ソ連は崩壊した。中国は鄧小平氏の時代から資本主義をある程度受け入れていった。
今でもかなり社会主義的な小国はある。サマーズ氏は次のように言っている。
北朝鮮は人に出入りをさせないが、それは抜け出す人が出ないようにするためだ。だから韓国から北朝鮮に行くことはできない。
北朝鮮に自由に出入りできないことには理由がある。社会主義国と資本主義国では貧富の差が激しいために、北朝鮮の人々が韓国の豊かな暮らしを見れば、誰もが北朝鮮から逃げ出したいと思ってしまうだろう。
国民にチェックポイント・チャーリーを通らせてはならない。だから自国民を囲うしかないのである。
社会主義の本質
読者の多くは、こうした社会主義の話が過去の遺物であるか、または北朝鮮のような極端な国のものだと思うだろう。
元々、社会主義は裕福な起業家たちを羨んだ労働者や農民に支持されて始まった。起業家が株式を持つことを禁じ、株主の役割を政府が担った結果、政治家だけが豊かになる社会が出来上がったのである。
しかしそれは今の日本に似ていないだろうか? 給与所得の半分を政府に持っていかれる現状は本当に資本主義なのか。東京の真ん中に税金で作られた巨大便器は消費者が望んだ商品なのか。これは社会主義の製品と何が違うのか。
出典:産経新聞
社会主義の本質は、人々の自由な商業活動、自由な物品の売買を禁じ、政府の決めたように経済を動かすことである。
サマーズ氏は次のように述べている。
社会主義を望む人々の衝動を理解することは困難だ。
合意した2人の大人が寝室で何をしようと自由であるのに、なぜ合意した大人同士が市場経済のなかで、互いに合意した賃金で雇ったり雇われたり、合意した金利でお金を貸したり貸されたり、合意した価格で商品を売ったり買ったりを自由にしてはいけないのか?
資本主義に反対することは、合意した大人同士が第三者に害を与えないかぎり、互いに利益がある行為をやっても良いという考えに反対することだ。
資本主義の本質はこうである。人々に自由な経済活動をさせれば、優れた起業家のような非常に裕福な人々が出てきてしまう。それを羨んだ人々は政府がそれを止めてくれると思い、起業家から自由を奪って政府にそれを与えた結果、起業家ではなく政治家が豊かになり、人々はむしろ更に貧しくなったのである。
サマーズ氏は次のように言っている。
反資本主義という姿勢は、本質的には反自由なのだ。
だがそれはまさに日本の状況ではないのか。自分の力で金を稼いだ高所得者から、当選させてくれと乞食のように頼む政治家に金を移転するのが今の日本経済である。
そしてそれは与党を支持した国民の多数派には決して移転されない。それを期待している人々は、控え目に言っても間抜けである。
他人の自由を奪うと自分に返ってくる。ばら撒き政策とはそういうものである。
ハイエク氏: 現金給付や補助金はそれを受けない人に対する窃盗である
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/35564
現実には金融所得の税率は低く、給与所得の税率は 高いのだから、多数派に支持された政府が多数派だけ損をする社会を作っているのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/55674