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2022/12/14 (Wed) 09:27:30
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Renée Fleming sings “Marietta’s Lied” from Erick Korngold’s Die Tote Stadt - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ErdxbjzOFp4
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「音楽&オーディオ」の小部屋
まだ音楽に感動する力が残っていた!
2022年12月14日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi
現役を引退してから「時間に縛られない生活がこれほどいいものか」と、毎日のように自由を満喫しているが惜しむらくは若い頃に比べて「感動する力」が弱ってきていることが心残り。
20~30代にかけて、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ32番」、モーツァルトのオペラ「魔笛」、そしてジネット・ヌヴ―が弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」に涙したあの感動は今いずこ~。
その反動のように「好きな音で聴けば(あの感動が)少しは蘇るかもしれない」と、オーディオに邁進しているものの、所詮は音楽の僕であって、やはり限界を感じることが多々あり、ときどき虚しくなってしまう。
ところが・・。
まだ、音楽に感動する力というか、「命の泉」が涸れ果てることなく残っていたんですよねえ(笑)。
その思いを強くしてくれた曲目が、コルンゴルト作曲「歌劇 死の都」からアリア「私に残された幸せは~マリエッタの歌~」。ソプラノは「ルネ・フレミング」。
先日来「オペラ専門チャンネル」(ネット)をたびたび紹介しているが、好きな曲目になるとパソコンににじり寄って曲名と歌手を確認しており、その一環として発見したのがこの曲だった。
6分ほどのアリアだが歌唱力といい、メロディーといい、もうゾッコンで、ウ~ンと思わず涙ぐむほどの感動ぶり。
何とかCDを手に入れたいなあ!
まずは「ルネ・フレミング」のCD一覧をネットで開陳させて、それらしきタイトルを探し回った結果、ようやく「歌劇 死の都」を突き止めた。
となると、話は早い。
ネットで注文して3日ほどで届いた。一番最後の「トラック16」に「死の都」が収録されている。
さっそく「ブルーレイ」に収納して「リピート」再生でおよそ2時間あまり耳を傾けた。曲目が6分ほどだから20回ぐらい連続して聴いたことになる。
屈託のない伸び伸びとしたソプラノがあたりを睥睨するかのように音響空間を漂いながらどこまでも気持ちよく広がっていく。
もう「たまらん」の一言で、フレミングって歌手はまったく盲点だったなあ~。
それにしても「歌劇 死の都」って、どれだけの人がご存知なのだろうか。改めてネットラジオの威力、そして設定してくれた「博士」に感謝です~。
「好きな音」に巡り合うことと「好きな音楽」に出会うこと、うれしさの点でどちらに軍配を上げるか、これは難しい質問だが「永続性」となると音楽でしょうかね。
12月の中旬ともなると、この1年を振り返ってそろそろ「ベスト10」を考えないといけないが、文句なくベスト1はこの曲目の発掘で決まり。
さあ、となるともっと突き詰めたくなった。久しぶりに出会ったこの「心震える感動作品」をどのスピーカーが一番うまく再生できるかな。
「真空管アンプ転がし」は常習犯だが、「スピーカー転がし」となると極めて珍しい(笑)。
「スーパー10+サブウーファー」 → 「AXIOM80+サブウーファー」、そしていろいろと「紆余曲折」があったが、とうとう最後には・・。
以下、続く。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi
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《死の都》(Die tote Stadt)は、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの作曲による3幕のオペラ。
作品は、ベルギー象徴主義の詩人ジョルジュ・ローデンバックが、自作の小説『死都ブリュージュ』(仏語:Bruges-la-Morte)を改作した戯曲『幻影』に基づく。本項目ではこの原作小説についても言及する。
経緯
《死の都》が1920年12月4日に初演された時点でコルンゴルトは23歳だったが、既に2つの1幕オペラ、《ヴィオランタ》と《ポリュクラテスの指環》を成功させ、新進オペラ作曲家としての名を広めていた。この2作が大成功に終わったために、《死の都》の初演権を巡ってドイツの劇場の間で熾烈な争いが繰り広げられた。
結局前例の無いことに、ケルンにおけるオットー・クレンペラー指揮による初演と、ハンブルクにおけるエゴン・ポラータ指揮による初演が同時に行われることとなった。
「喪失感の克服」という《死の都》のテーマは、第1次世界大戦で大きな痛手を負った当時の聴衆に共感をもって迎え入れられ、このオペラの人気に火をつけた。《死の都》は1920年代で最大のヒット作の一つとなり、初演から2年のうちにウィーンでは60回以上も上演され、ハンス・クナッパーツブッシュによるミュンヘン上演、ジョージ・セルによるベルリン上演などで隣国ドイツにも受け入れられ、さらに海を渡ったニューヨークのメトロポリタン歌劇場においても数回の上演が行われた。
しかし、ナチス政権の台頭を迎えると、コルンゴルトがユダヤ系であることを理由に彼の作品は上演を禁じられ、コルンゴルト本人もアメリカへの亡命を余儀なくされる。その結果、彼自身やその作品もろともこのオペラの存在が忘れられていった。
第二次大戦中に映画音楽を作曲して糊口をしのいでいたコルンゴルトは、1949年のウィーンへの一時帰国の際にこのオペラの復活上演を試みるが失敗し、死の二年前にあたる1955年にようやくミュンヘンでの蘇演を実現した。没後、コルンゴルト作品の再評価が進む中でこのオペラの注目も高まり、1975年のニューヨーク・シティ・オペラによる復活上演と、エーリヒ・ラインスドルフ指揮ミュンヘン放送管弦楽団による全曲盤発売などで、20世紀を代表するオペラという評価を確立した。
日本においては、まず1996年9月8日に井上道義の指揮する京都市交響楽団が京都コンサートホールにおいてコンサートオペラ形式(ホールオペラ形式)で初演。舞台初演は2014年3月8日に沼尻竜典の指揮、栗山昌良の演出でびわ湖ホールにおいて行われた。
楽曲
コルンゴルトの楽曲は艶やかで美しく、どことなくリヒャルト・シュトラウスとジャコモ・プッチーニの作曲様式を折衷したものとなっている。つまりシュトラウス風の巨大な管弦楽法を操る一方で、本作には華やかで覚えやすい「プッチーニ風」の甘い旋律がふんだんに盛り込まれているのである(ちなみに両者ともコルンゴルトの少年時代から青年時代にかけての支持者であった)。
本作の中で最も有名なアリアは、「マリエッタの唄」という俗称で知られる「私に残された幸せは "Glück, das mir verblieb" 」と、「ピエロの唄」と呼ばれる「私の憧れ、私の幻はよみがえる“Mein sehnen, mein wähnen”」の二つである。
「マリエッタの唄」は、オペラではソプラノとテノールのデュエットとして作曲されているが、しばしば演奏会や録音では、ソプラノ独唱で歌われる。一方の「ピエロの唄」は、バリトン独唱のために作曲されている。
全体として楽曲はつねに質が高く、水準においてはリヒャルト・シュトラウスの楽劇と肩を並べている。本作が顧みられていない現状の理由は二つある。一つはナチス時代にコルンゴルトの作品が葬り去られてから、なかなか名誉回復が進んでいないこと。もうひとつは、主役の二人であるパウルとマリエッタに、極めて高い技術が要求されていることである。
パウル役に挑もうとするテノール歌手は、2時間あまりほぼずっと舞台に留まり、ワーグナーの楽劇のような、巨大なオーケストラを圧倒しながら歌い続けるだけの体力が要求される。しかし、《死の都》のパウルはそれに加えて高音域を要求されるため、配役が非常に難しい。難度の高いマリエッタ役のテッシトゥーラは、リヒャルト・シュトラウスの楽劇《影のない女》の王妃役を歌いこなすようなソプラノでなければ、おそらく乗り切ることはできないであろう。
編成
ピッコロ1(第3フルート持ち替え)、フルート2(第2奏者は第2ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コーラングレ1、クラリネット(A管およびB♭管)2、バスクラリネット1、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、バストランペット、トロンボーン3、チューバ、マンドリン、ハープ2、チェレスタ、ピアノ、ハルモニウム、ティンパニ4、グロッケンシュピール、鉄琴、トライアングル、タンブリン、ラチェット、小太鼓、大太鼓、スタンドシンバル、シンバル、銅鑼、弦楽五部。
舞台上では次の楽器が使われる。 オルガン、トランペット2、トライアングル、タンブリン、小太鼓・大太鼓、シンバル、チューブラーベル、ウィンドマシーン、トランペット2、トロンボーン2
劇
台本は、作曲者自身とその父ユリウスがパウル・ショット(Paul Schott)という変名で執筆した。これは、音楽評論家として知られたユリウスの名前を出すと、作品の評価に影響が出ると考えてのことで、「パウル」はオペラの主人公、「ショット」は楽譜を出版したショット社から採られている。この事実は、1975年のニューヨーク公演まで明らかにされていなかった[5]。
《死の都》の筋書きは、ジョルジュ・ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』から自由に翻案されている。原作からの変更点は、登場人物の名前など多々あるが、中でも目を見張るのは作品の結末を変更したことである。原作は亡き妻に生き写しの娘を絞め殺す陰惨な物語であるが、《死の都》では殺人までの成り行きを主人公による幻想とし、むしろ前向きな物語に変更している。
なお、劇のラストにはさまざまな解釈があり、例えば1983年にベルリン・ドイツオペラで上演されたゲッツ・フリードリヒ演出では、ジェームス・キング扮するパウルが「生きる者は現世で死者と出会うことは二度とできない」と悟った後「マリエッタの唄」を口ずさむが、そこでブリュージュを捨てようと決心するのではなく、ピストル自殺を図ろうとする場面で幕切れとなる。
登場人物
主役
パウル(テノール)
マリー/マリエッタ(一人二役、ソプラノ)
フランク(バリトン)
ブリギッタ(メゾソプラノ)
フリッツ/ピエロ(一人二役、バリトン)
脇役
ガストーネ/ヴィクトリン(テノール)
ユリエッテ(ソプラノ)
リュシエンヌ(ソプラノ)
あらすじ
第1幕:19世紀末のブリュージュ(ブルッヘ)。主役のパウルは若い中産階級の男で、妻マリーの死という現実を甘受することができずにいる。妻を偲んで自宅に「なごりの部屋」と呼ばれる一室を構えたパウルは、そこにマリーの形見である肖像画や写真、一束の遺髪といったものを陳列している。パウルの友人フランクがパウルの住まいに立ち寄り、生きることへの執着を説くが、パウルはマリーが「まだ生きている」と言い張り、ブリュージュの街路でマリーに出逢い、彼女を自宅に招いたのだと熱っぽく語る。
間もなく、若くて美しく、そして亡きマリーに生き写しの踊り子マリエッタがパウルの家を訪れる。パウルは彼女のことをマリーと呼びかけて、彼女に訂正される。そういったパウルの奇妙な言動にマリエッタはうんざりしながらも、自分に興味を持ってもらおうとして、魅惑的に歌ったり踊ったりするが(マリエッタの唄)、そのうちにマリーの肖像画を見つけ、自分がマリーの代わりにされているのだと悟って家を出て行く。
亡き妻への忠誠心とマリエッタへの興味に引き裂かれるパウル、椅子に倒れ込むなり彼の目の前に幻覚が展開する。マリーの肖像画から彼女の亡霊が歩み出て、自分のことを忘れないでくれと催促するが、その後マリーの幻影はマリエッタに姿を変えて、パウルに自分自身を見失わずに、自分の生き方を続けるようにと説く。
第2幕は、パウルが抱く幻想の余韻で幕を開ける。舞台は変わって水路の巡らされたブリュージュの街となる。マリエッタの家の前を徘徊するパウル。そんな様子に家政婦のブリギッタは辟易し、修道女となってパウルを咎める。やがてフランクが現れるが、彼もまたマリエッタの虜となっていた。彼女に受け入れられた証としてフランクが示したマリエッタの家の鍵を、パウルは力ずくで奪い取った。
やがてマリエッタが舞台仲間たちと一緒に船に乗って現れる。彼らはパウルのことを皮肉ったりしてはしゃいでいる(ピエロの唄)。やがて彼らがマイアベーアの『悪魔のロベール』の稽古をしようとすると、マリーの清楚なイメージをマリエッタに重ねているパウルは、不埒な娘を演じようとするマリエッタを諌める。パウルを囃し立てる舞台俳優たち、しかしマリエッタは彼と彼女との問題であると言い張って二人きりにさせる。マリーの幻影を打ち砕く事に執念を燃やすマリエッタ、ついにパウルは彼女の誘惑に負け、彼女と一夜を共にすることになる。
第3幕では、舞台は再び自宅へと戻る。勝ち誇った様子のマリエッタ、だがパウルは先妻への思いから自分を恥じ入るようになり、外を行く聖職者の行列さえ自分を非難しているように感じている。その様子に業を煮やしたマリエッタは、パウルの目をさまそうとマリーの遺髪を引っ張り出してもてあそぶ。激嵩したパウルは遺髪の束を奪い返すと、その遺髪でマリエッタを絞め殺してしまう。我に返ったパウルは、マリエッタの亡骸にすがりながら「これで彼女もマリーそっくりになった」と漏らす。
パウルがふと目を覚ますと、マリエッタの姿がどこにも見当たらないことに驚く。程なくして家政婦ブリギッタが「お客様がお忘れ物の傘を取りに戻られました」と告げる。彼は今までずっと幻を見ていたのだ。パウルはブリュージュを去ることを決意し、友人フランクの傍ら、マリーの形見のある我が家を離れて、新しい暮らしに思いを馳せるのであった。
マリエッタの唄
マリエッタの唄(Glück das mir verblieb)は、第1幕でパウルの望みに応えてマリエッタが歌う曲で、本来の名称は「私に残された幸せ」である。
歌詞は、恋の喜びを物語っているが、一抹の哀しみも感じさせる。というのも、この歌は生の果敢無さが主題でもあるからである。浮世において変わることのない愛の力を賛美する節において、マリエッタとパウルの声が結び付く。
独唱曲としては、リリコ・スピントを音域とするソプラノ歌手のレパートリーとして歌われることが多い。
商業的利用
アリア《マリエッタの唄》は、以下の映画に利用されている。
ラ・パロマ(1974年、ダニエル・シュミット監督)
アリア(1987年、ブルース・ベレスフォード監督)
ニューヨークの奴隷たち(1989年、ジェームズ・アイヴォリー監督)
ビッグ・リボウスキ(1998年、コーエン兄弟監督)
25年目の弦楽四重奏(2012年、ヤーロン・ジルバーマン監督)
死都ブリュージュ
死都ブリュージュは、ジョルジュ・ローデンバックによる小説であり、彼の代表作である。『死の都』の原作としても知られるため、本項目で触れることにする。
港湾施設の機能が失われたことなどによって、衰退期にあったブリュージュ(ブルッヘ)を舞台としている[1]。この作品の特色は、ブリュージュという都市自体を作品の「主人公」に据えたことにあり、ローデンバック自身もはしがきでその旨を述べている。
オペラ化の際に、ユーグはパウルに、亡き妻(戯曲では「ジュヌヴィエーヴ」の名があった)はマリーに、ジャーヌはマリエッタに名称が変更されている。
あらすじ
かつてユーグ・ヴィアーヌは、美しく、かけがえのない妻を失った。彼は悲しみに暮れ、その喪に服するあまり、死の雰囲気を湛えたこのブリュージュに移り住んで来たのだった。それからもう5年が経とうとしていた。客間には妻の肖像や遺品を並べ、ガラスケースの中には束ねられた遺髪をかざって、その面影が色あせないように常に気を使っていた。
ある時、街で亡き妻と瓜二つのジャーヌという女性を見つける。神の与えたもうた奇跡とばかりに、ユーグはジャーヌに夢中になる。しかし、交際を深めるうちに、亡き妻には無かったジャーヌの醜い性格と、情欲に溺れて行く自分に苦悩するようになる。高名な「聖血の行列」の日、ユーグはジャーヌの執拗な求めを受け入れ彼女を家に入れるが、遺品をもてあそび、妻を冒涜するジャーヌにユーグは激昂し、ジャーヌが首に巻き付けていた遺髪を取り返そうとして、誤ってジャーヌを絞め殺してしまう。ユーグは肘掛け椅子に身をうずめ、ブリュージュの街に鳴り響く鐘の中で、「死んだ……死んでしまった……死の都ブリュージュ」と、ひとりごつのだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E9%83%BD
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2022/12/14 (Wed) 09:29:24
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エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日)は、オーストリア出身のアメリカ合衆国の作曲家・指揮者。神童として知られ、ハリウッド史上最も重要な作曲家の一人となった。ユダヤ系。
神童として
音楽評論家・ユリウス・コルンゴルトの次男として、モラヴィア地方のブリュン(現在はチェコのブルノ)に生まれた。幼い頃から作曲の才能を示し、モーツァルトと同じ名前と相まって「モーツァルトの再来」と呼ばれる程の神童ぶりであった。9歳の時に作曲したカンタータを聴いたマーラーは、「天才だ!」と叫び、11歳の時に作曲したバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の御前演奏として初演され、万雷の拍手をもって迎えられた。
その後も快進撃は続き、12歳で書いた『ピアノソナタ第1番 ニ短調』はリヒャルト・シュトラウスに戦慄と恐怖を与え、名ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルは13歳の作品『ピアノソナタ第2番 ホ長調』(作品3)をヨーロッパ中に紹介し、ベルリン・フィルの大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに『劇的序曲』(作品4)を委嘱する。幼少時の『シンフォニエッタ』(作品5)を完成させた15歳の頃には、コルンゴルトは既にプロ作曲家として第一線で活躍していたのである。
ただし、バレエ音楽『雪だるま』のオーケストレーションはツェムリンスキーが補筆しており、『ピアノソナタ第1番 ニ短調』はマーラーの助言[2]を受けて改訂するなど、成人前は完全に独力で作曲していたわけではない。
頂点から亡命へ
16~18歳で書いたオペラ『ポリクラテスの指環』(Der Ring des Polykrates、作品7)、『ヴィオランタ』(Violanta、作品8)はプッチーニの絶賛を受け、この成功によってオペラ作曲家としての地位を確立し、1920年、オペラ『死の都』(Die tote Stadt、作品12)の大成功によって、23歳にしてオペラ作曲家としての世界的評価を確立する。1927年、満を持して作曲したオペラ『ヘリアーネの奇跡』(Das Wunder der Heliane、作品20)を初演した当時、コルンゴルトの名声は頂点に達し、ウィーン市から芸術勲章を、オーストリア大統領からはウィーン音楽大学名誉教授の称号を贈られ、さらに1932年、大新聞『新ウィーン日報』のアンケートで、シェーンベルクと並んで存命する最高の作曲家に選ばれた。その後、管弦楽曲、協奏曲[3]、室内楽曲、歌曲、編曲と旺盛な音楽活動が続き、結局この時期が事実上、作曲家コルンゴルトの絶頂期であった。
1926年、ザルツブルク音楽祭で新進の音楽プロデューサーマックス・ラインハルトと知り合い、彼の要請でヨハン・シュトラウスのオペレッタ『こうもり』をミュージカルに編曲。ニューヨークでのブロードウェー公演の成功が縁となり、1934年、ラインハルトの招請でハリウッドに赴き、シェイクスピア原作の映画『真夏の夜の夢』の映画音楽として、メンデルスゾーンの同名の劇音楽の編曲を行い、関係者の称賛を浴びる。
映画音楽と云う新しいジャンルに足を踏み入れたコルンゴルトであったが、この頃から彼の名声に陰りが出始める。その後、ウィーンとハリウッドを往復する日々を送りながら、『ヘリアーネの奇跡』以来久しぶりのオペラ『カトリーン』(Die Kathrin、作品28)を書き上げ、初演を間近に控えていた1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合により、『カトリーン』初演は流れ、ユダヤ系だったコルンゴルトはアメリカに亡命し、仕方なく映画音楽を書きながら亡命生活を送るよりなかった。亡命の際には多くの自筆譜をオーストリアに残してしまったが、友人の協力のおかげでそのほとんどを持ち出すことができ、持ち出せなかった曲も、記憶を元に復元した。
映画音楽との出合い
生活のためにオペラを諦め、映画音楽を書くことになったが、それでも美しい旋律、優れた管弦楽法は、緩みきった映画音楽業界に革命をもたらした。経営者側は彼のために高額な契約を結んだが、年間2作の作曲でよく、しかも旧来の作品の引用は自由と云う破格の待遇を与えていた。
1935年に、初期の傑作『海賊ブラッド』(Captain Blood)を書き大絶賛された翌年、1936年に『風雲児アドヴァース(英語版)』(Anthony Adverse)でアカデミー作曲賞を受賞。40以上のライトモチーフを使い、オペラ並みの作品に仕上げている。ただ、あまりにも出来が良すぎて、賞はワーナーの音楽部門全体に贈られ、オスカーは音楽部長が受け取ってしまった。1938年には『ロビンフッドの冒険』で2度目のアカデミー賞に輝く(今度はコルンゴルト自身がオスカーを獲得)。コルンゴルトは最初、この作品のスコアを書くのを断ったのだが、ワーナー音楽部長の説得とナチス・ドイツによるオーストリア併合により仕方なく引き受け、オスカー獲得につながった。
映画音楽家としてのコルンゴルト
コルンゴルトは映画音楽作曲をオペラ創作の延長上に見なしており、ロベルト・フックスやマーラー、リヒャルト・シュトラウスから直接学んだ後期ロマン派的作風を、そのまま映画音楽に持ち込んだ。また、気に入った映画音楽は自作の芸術音楽に転用できる権利も保有していた(実際、ヴァイオリン協奏曲や弦楽四重奏曲第3番などが作曲された)。大管弦楽団を使ったシンフォニック・スコアは、後のハリウッド映画音楽の基礎となり、映画音楽の先輩にあたるアルフレッド・ニューマンや、後世のジョン・ウィリアムズにも多大なる影響を与えた。
大戦後~忘却の晩年
ヒトラーが倒れるまで純粋な音楽作品の創作を封印していたコルンゴルトにとって、第2次世界大戦の終結は転機となった。
1946年、『愛憎の曲(英語版)』(Deception)を最後に、純音楽作曲家に戻るべく、新作を携えウィーンを訪れるも、当時の映画音楽に対する評価の低さや、後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の音楽業界から受け容れられず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて事実上ウィーンの楽壇から抹殺され、失意の内にハリウッドに戻り、不遇の中、同地で1957年、脳出血で死去した。2曲目の交響曲を作曲中だった。遺体はハリウッドのハリウッド・フォーエバー墓地(英語版)に埋葬されている。
戦後の主要作品として『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』(作品35、ハイフェッツが世界初演し、その後も愛奏した)や『弦楽合奏のための交響的セレナード』(作品39)、『交響曲 嬰ヘ調』(作品40、フランクリン・ルーズベルトの思い出に捧げられた)、『主題と変奏』(事実上最後の作品)などが挙げられる。
再評価
没後の再評価は1970年代、彼自身の映画音楽から始まった。二男のジョージ・コーンゴールドがプロデュースした、チャールズ・ゲルハルト指揮、ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団演奏による映画音楽集のレコードが良好な売れ行きを示した頃から、コルンゴルトの音楽の再評価が始まる。前記したように、ジョン・ウィリアムズなどの、シンフォニックタイプの作曲家に与えた影響は大きい。
また、ラインスドルフ指揮によるオペラ『死の都』、ケンペ指揮による『交響曲 嬰ヘ調』のレコード等で、彼のクラシック音楽の再評価も始まるなど、『コルンゴルト・ルネッサンス』の端緒がここに始まった。
現在、欧米においてはコルンゴルトに対する偏見は少なくなり、20世紀のクラシック音楽の作曲家の一人として、その作品は多くのCDがリリースされ、一流演奏家もコンサートで取り上げている。
主要な作品
「コルンゴルトの楽曲一覧」も参照
交響曲
交響曲 嬰ヘ調 作品40
協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35(自作の複数の映画音楽に基づく。ヤッシャ・ハイフェッツにより世界初演された)
チェロ協奏曲 ハ長調 作品37(自作の映画音楽の拡大改作)
左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ調 作品17(パウル・ヴィットゲンシュタインのために作曲)
管弦楽曲
ベイビーセレナード 作品24(オペラ「カトリーン」と共通の、ジャズ・ベースの楽想をもつ)
室内楽曲
ピアノ三重奏曲 ニ長調 作品1(ブルーノ・ワルターが初演時にピアノを弾いた)
ヴァイオリンソナタ ニ長調 作品6(フィナーレに自作歌曲が転用されている)
弦楽六重奏曲 ニ長調 作品10(ロゼー四重奏団により初演)
ピアノ五重奏曲 ホ長調 作品15
2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲 作品23(パウル・ヴィトゲンシュタインのために作曲)
劇音楽『空騒ぎ』作品11(本来はオーケストラのための作品だが、ヴァイオリンとピアノのために編まれた組曲も有り、更に原典版と改訂版が存在する。
弦楽四重奏曲第1番 イ長調 作品16
弦楽四重奏曲第2番 変ホ長調 作品26
弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 作品34
オペラ
ポリクラテスの指輪 作品7
ヴィオランタ 作品8
死の都 作品12
ヘリアーネの奇蹟(英語版) 作品20
カトリーン 作品28
ピアノ曲
ピアノソナタ第1番 ニ短調
ピアノソナタ第2番 ホ長調 作品2
主題と変奏
この他、多数のピアノ曲、声楽曲がある。
映画音楽
風雲児アドヴァース(英語版) (1936) マーヴィン・ルロイ監督、フレデリック・マーチ、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演
ロビンフッドの冒険 (1938) エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演
シー・ホーク (1940) エロール・フリン主演
嵐の青春(英語版) (1942) サム・ウッド監督(後のアメリカ大統領であるロナルド・レーガンが出演した最良の作品として知られる。メイン・タイトルが『スター・ウォーズ』と酷似している事でも有名[4])
永遠の処女(英語版) (1943) シャルル・ボワイエ、ジョーン・フォンテイン主演
楽聖ワグナー(英語版) (1955)ウィリアム・ディターレ監督、イヴォンヌ・デ・カーロ主演。コルンゴルトもハンス・リヒター役でカメオ出演している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%88
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2022/12/14 (Wed) 09:33:59
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エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897 - 1957)
映画音楽の分野で大貢献した人。ヴァイオリン協奏曲が素晴らしい。
ヴァイオリン協奏曲
4.0点
自作の映画音楽の主題を引用して書いた曲。ドリーミーな雰囲気に浸れて楽しい。主題が美しく映画音楽が好きな人ならこの曲も好きになるに違いない。
https://classic.wiki.fc2cn.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29
Korngold: Violin Concerto, Heifetz & Wallenstein (1953)
https://www.youtube.com/watch?v=H76LpY91NO4
Erich Wolfgang Korngold (1897-1957)
Violin Concerto in D major, Op. 35
(00:05) 1. Moderato nobile
(07:57) 2. Romanze: Andante
(15:10) 3. Finale: Allegro assai vivace
Jascha Heifetz (1901-1987), Violin
Alfred Wallenstein (1898-1983), Conductor
Los Angeles Philharmonic
Rec. 1 January 1953, at Republic Pictures Studios, in Hollywood
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ
指揮:アルフレッド・ウォーレンスタイン
ロサンジェルス・フィルハーモニック
録音:1953年1月1日 リパブリック・ピクチャーズ・スタジオ (ハリウッド)
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2022/12/14 (Wed) 09:39:56
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インターネットの音楽関係ブログへのリンク
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1207.html
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音楽関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14037397
日本の歌曲はシューベルトやモーツァルトより名曲が多いが、名曲は1970年代に集中している
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003099
ポピュラー音楽関係投稿集
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音楽は女性ヴォーカル以外は必要ない
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映画音楽の名曲
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フランシス・レイは音楽史上最高のメロディー・メーカー
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エレニ・カラインドルーの音楽が無ければテオ・アンゲロプロスの映画は二流
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SP時代の演奏家はこんなに凄かった
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クラシック音楽 _ バロックと古典派の音楽
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クラシック音楽 _ ロマン派の音楽
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クラシック音楽 _ 世紀末の音楽
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クラシック音楽 _ 20世紀の音楽
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チャイコフスキーとロシア音楽の名曲
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伝説の名ピアニストとその歴史的名盤
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伝説の名ヴァイオリニストとその歴史的名盤
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伝説の弦楽四重奏団とその歴史的名盤
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室内オーケストラの名指揮者とその歴史的名盤
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フルオーケストラの名指揮者とその歴史的名盤
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最美の音楽は何か?
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20世紀の作曲家
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マイナーな作曲家が書いた名曲
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日本のミュージシャン
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