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777投稿集
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アメリカの歴史
2022.09.08XML
優生学に基づく民主主義の破壊を続けてきた米英の支配層を日本のエリートは信奉
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202209070000/
アメリカはウクライナの民主的に成立した政権を2014年2月にネオ・ナチを使ったクーデターで倒し、同じ年に香港でイギリスと共同で反中国運動を仕掛けている。最近では台湾周辺で軍事的な緊張を高めている。その際、アメリカ政府だけでなく西側のメディアは侵略や挑発を正当化するため、「民主主義」や「人権」といったタグをつけていた。民主主義の押し売りをしているわけではない。
日本とアメリカは「民主主義という共通の価値観」を持っていると反射的に言う人もいるが、日本とアメリカが行ってきたことを振り返るならば、そうしたことが言えるはずがない。アメリカは民主的に成立した政権を暗殺、クーデター、あるいは軍事侵略で破壊してきた国だ。その侵略を正当化するため、「民主主義国」を装っている。
アメリカは世界を股にかけて侵略を続け、民主的に選ばれた政権が犠牲になってきた。リンドン・ジョンソン政権が始めたベトナム戦争でアメリカは侵略国としてのイメージが付いたが、少なくともメディアの世界では、それが消し去られている。そうした工作が本格化するのはロナルド・レーガン政権になってからだ。
1981年にレーガンが大統領に就任、その翌年にはCIAのプロパガンダ担当オフィサーだったウォルター・レイモンドなる人物がNSC(国家安全保障会議)のスタッフになり、イメージ戦争が開始された。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
1982年6月にレーガン大統領は「プロジェクト・デモクラシー」という用語を公の席で初めて使ったが、このプロジェクトの目的が民主主義を広めることにあると錯覚してはならない。
この「デモクラシー」は本来の民主主義と全く関係がなく、アメリカを支配する巨大資本にとって都合の悪い国家、つまり民主主義的な国や体制を「民主主義」というタグを掲げながら崩壊させることがプロジェクトの趣旨。国内での作戦は「プロジェクト・トゥルース」と名づけられた。
1983年1月にレーガン大統領はNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名、プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)をNSCに設置した。ここが心理戦の中心になる。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
プロジェクト・デモクラシーについて、1983年5月17日付けのウォール・ストリート・ジャーナル紙はアメリカがソ連に対して「思想の戦争」を始めたと報じているが、思想と言うよりイメージの戦争だと言うべきだろう。
現在のアメリカという国は先住の「アメリカ・インディアン」を虐殺し、土地や資源を奪うところからスタートしている。そして植民地が建設されていった。イスラエルの「建国」で虐殺され、土地を奪われたアラブ人を「パレスチナ人」と呼ぶひとつの理由はその歴史を忘れないためだろう。同じように「アメリカ・インディアン」という名称を使い続けるべきだと考える人もいる。
次第にイギリスと植民地が対立、1775年にはイギリス軍と植民地軍が軍事衝突した。植民地側は1776年に独立を宣言し、83年のパリで調印された和平条約で独立は確定した。ジョージ・ワシントンが初代大統領に選ばれたのは1789年のことだ。
この戦いは「独立戦争」、あるいは「独立革命」と呼ばれ、イギリスの「帝国主義者」とアメリカの「民主主義者」との戦いという構図を描き、植民地側の指導者を神聖視する人が今でもいるが、その構図の中にアメリカ・インディアンや奴隷は描かれていない。
奴隷はアフリカ系だという印象を持つ人は少なくないだろうが、実際は違う。ヨーロッパ系やアジア系もいる。過酷な南部の綿花栽培で使われた奴隷がアフリカ系だったので目立つというだけのことだ。奴隷には「年期奉公」や「召使い」という形で西インド諸島や北アメリカへ連れてこられた人も含まれていた。「白人年期奴隷」という表現もある。
イギリスではオリバー・クロムウェルが率いる軍隊の侵略で多くのアイルランド人が虐殺され、相当数の人がアメリカへ連れて行かれたことも忘れてはならない。ピューリタン革命を成功させたクロムウェルは革命の仲間だった水平派を弾圧、それと並行してアイルランドやスコットランドを侵略、住民を虐殺したのだ。
クロムウェルの軍隊によってアイルランドでは50万人以上が殺され、一部は「年季奉公」や「召使い」として売られたと言われている。この当時、イギリスでは人身売買が行われ、「誘拐屋」も存在、1740年の飢饉では多くの人が売られ、誘拐されたとも言われている。(川北稔著『民衆の大英帝国』岩波書店、1990年)
同じ奴隷として白人奴隷と黒人奴隷が手を組むこともあり、1663年にはバージニアのグルセスター軍で白人年期奴隷と黒人奴隷が反乱を企てている。これは密告によって失敗した(藤永茂著『アメリカン・ドリームという悪夢』三交社、2010年)が、こうした団結は支配階級にとって危険であり、「人種差別」はひとつの解決策だったのかもしれない。「労働者の団結」も支配層は恐れ、人種のほか「性差別」が強調される。勿論、人種や性の問題がないわけではないが、それらに人びとの意識を集中させている。
アヘン戦争の後、中国からイギリスの植民地などへ運ばれた「苦力」も一種の奴隷だと言えるだろう。運ばれた先にはアメリカも含まれ、大陸横断鉄道の建設にも従事させられた。そうした中国人の多くは騙されたり誘拐されて苦力なったと言われている。
その間もアメリカ・インディアンは虐殺され、1864年には講和を結ぶためにコロラドのフォート・リオンへ向かう途中のシャイエン族約700名がサンド・クリークで約750名のアメリカ兵に襲撃され、老若男女を問わず、全体の6割から7割が虐殺されている。この出来事に基づいて「ソルジャー・ブルー」というタイトルの映画が1969年に制作されている。1890年12月にはサウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を騎兵隊が襲撃し、150名から300名が虐殺された。虐殺を正当化するため、ある種の人びとは先住の民は悪魔の創造物だと主張、ある種の人びとは劣等な種だと主張している。これが「自由と民主主義」を掲げる「正義の国」の実態にほかならない。
1904年にアメリカのセントルイスでオリンピックが開催されているが、その際、並行して「万国博覧会」も開かれた。1903年までアメリカの民族学局に所属していたウィリアム・マギーは「特別オリンピック」を企画、人種の序列を示している。トップは北ヨーロッパの人びとで、最下位はアメリカ・インディアンだ。アパッチ族のジェロにもが「展示」されたのもその時である。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021)
19世紀にイギリスでは優生学が広がり始め、アングロ・サクソンが最も優秀な人種だとされた。チャールズ・ダーウィンの従兄弟であるフランシス・ゴルトンが祖だとされているが、ハーバート・スペンサーは適者生存を主張、優生学はアメリカの支配層に広まり、カーネギー財団、ロックフェラー財団、そしてマリー・ハリマンらの支援を受け、優生学に基づく法律も作られた。
優生学の信奉者はアングロ・サクソン系、ドイツ系、北方系人種が優秀だと主張、劣等な種を「淘汰」するべきだと考える。そうした考えに引き寄せられたのがアドルフ・ヒトラーをはじめとするナチスであり、ウクライナのネオ・ナチもその神話を信奉している。アメリカが民主主義国だという妄想はいい加減、捨て去るべきだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202209070000/
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2022/09/08 (Thu) 18:39:08
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アメリカ合衆国の歴史と現代史
アメリカ先住民の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html
先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html
なぜ日本食は世界で人気があるのか _ ネイティブアメリカン料理
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/487.html
実は魅力ぎっしり、過小評価されている米大陸スキーリゾート7選
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/302.html
1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm
人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html
カリブ海諸島の3200~400年前頃の古代ゲノムデータを報告した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_12.html
カリブ海諸島の古代ゲノムデータをさらに拡張した研究や、
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_34.html
先コロンブス期カリブ海における2回の大きな人類集団の移動
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_34.html
アメリカ・インディアンの遺伝子 _ ハプログループ Q (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/179.html
3-10. Y-DNA「Q」 異民族の侵入者フン族の痕跡調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm
白人の遺伝子 _ ハプログループ R1b (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/187.html
3-3. Y-DNA「R1b」 ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm
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2022/09/08 (Thu) 18:41:37
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日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html
アメリカ人は頭がおかしい
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/556.html
アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html
コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html
アメリカが1898年の米西戦争以降に行った領土拡張
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/319.html
破壊、殺戮、略奪のために考えられた米国の価値観
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/120.html
極悪外資「ローンスター」 が今度は病院の診療報酬を差押え
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/477.html
安くて従順な子供を、朝から晩までこき使う資本主義の裏の顔
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/413.html
グローバル経済では人間が商品として売買される
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/884.html
アフリカは西洋から強制されたのではなく、金儲けのため自国住民を「販売」した
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/911.html
主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてるとこういう社会になる
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/784.html
キリスト教原理主義を知らないとアメリカ人の行動様式は理解できない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/565.html
キリスト教原理主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/438.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/391.html
欧米のキリスト教徒全員の行動指針となっているヨハネの默示録
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/506.html
100人以上が魔女として告発された「セイラム魔女裁判」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/127.html
アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1115.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1114.html
アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1108.html
イスラエル建国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1024.html
ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/739.html
世界を支配する者たちの隠された歴史 _ ロックフェラー、ロスチャイルドは王族、貴族の「下僕」にしか過ぎない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/315.html
東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html
異教徒は「人間」ではないので殺してもいい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/798.html
キリスト教への信仰心が消える欧州 ムスリムも増加で変わる宗教地図
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/169.html
アメリカは多民族がそれぞれ分断した国 _ アメリカンドリ-ムは日本人の妄想
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1199.html
西部邁ゼミナール 「アメリカ文明は欠陥品である」 伊藤貫
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/522.html
西部邁ゼミナール 「アメリカ帝国大混乱」伊藤貫〔評論家ワシントンD.C.在住〕
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/520.html
西部邁ゼミナール 「アメリカニズムを如何にせん」 佐伯啓思×伊藤貫×西部邁
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/521.html
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2022/09/08 (Thu) 18:42:30
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白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html
アメリカ・アングロサクソンの凶暴性・アメリカインディアンが絶滅寸前に追い込まれた仮説
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html
白人は人間ではない:高山正之
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/400.html
元弟子が語るイエス教団「治療」の実態 _ 性を敵視する欧米の文化
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/605.html
欧米人の恋愛は性的倒錯の一種
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/200.html
他人には絶対に知られたくない秘密って沢山あるよ _ フロイトが妄想だと信じた****の話はすべて事実だった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/418.html
Those Were The Days _ リリアン・ギッシュが独身を通した理由
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/487.html
ヒッピー文化は何もかも破壊していく文化だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1229.html
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2022/09/11 (Sun) 12:26:44
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歴史の流れを変える出来事が引き起こされた9月11日
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202209110000/
イギリスのエリザベス2世女王が9月8日に死亡した。この国はアフリカ、西アジア、南アジア、東アジアを植民地化、中国を侵略するために日本で明治維新を仕掛け、第2次世界大戦ではソ連を倒そうとして失敗している。イギリスのエリートは19世紀からロシアの制圧を目指し、ユーラシア大陸の周辺部を支配、内陸部を締め上げるという長期戦略を持っている。その戦略を踏襲したのがアメリカのエリートだ。
第2次世界大戦後、世界はアメリカを中心に動き始める。そのアメリカが世界を支配する暴力装置として破壊活動を実行する組織が編成されたが、その教師役はイギリスの情報機関や特殊部隊だった。
アメリカの破壊活動は大戦の終盤、1944年に組織された「ジェドバラ」が始まりだと言えるだろう。1941年6月にソ連へ攻め込んだドイツ軍は42年1月にモスクワで降伏、43年1月にはスターリングラードで降伏して戦争の趨勢は決した。
こうした展開を見て慌てたイギリスはアメリカと話し合い、1943年7月にシチリア島上陸作戦を行う。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。その1944年にジェドバラが組織されたわけだが、その目的はドイツ軍と戦っていたレジスタンスに対抗することにあった。レジスタンスの主力がコミュニストだったからである。
1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツが降伏。ウィンストン・チャーチル英首相はすぐにソ連への奇襲攻撃を計画、JPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。
その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
イギリスの戦略に同調するアメリカ人エリートは少なくなかったが、民主主義を尊重する雰囲気は今より強かった。そうした中、登場したのがジョン・F・ケネディだが、1963年11月22日に暗殺され、私的権力は主導権を奪い返した。この出来事が歴史の節目だったことは間違いない。
そして1973年9月11日、チリのサルバドール・アジェンデ政権が軍事クーデターで倒された。クーデターを指揮したのはオーグスト・ピノチェトだが、その背後ではCIAの破壊工作(テロ)部門が暗躍、その部門に命令していたのはリチャード・ニクソン大統領の国家安全保障補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーだ。
このクーデターはふたつのことをもたらした。ひとつは自立した民主的な政権を倒してアメリカの私的権力が持っていた利権を守ったこと。もうひとつは労働者から基本的な権利を奪い、富をアメリカの私的権力やその手先へ集中させる新自由主義を世界で初めて導入したということだ。その上でイギリスのマーガレット・サッチャー政権が自国に新自由主義を導入している。彼女はフリードリッヒ・ハイエクと親しかった。
そして2001年の9月11日。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。世界貿易センターへの攻撃ではノースタワーとサウスタワー、そして7号館(ソロモン・ブラザース・ビル)が爆破解体されたかのように倒壊している。アメリカ支配層の好戦派はそのショックを利用して国外での侵略戦争と国内での収容所化を進めた。
ノースタワーが攻撃されたのはこれが初めてではない。1993年2月に地下2階にあった駐車場が爆破されているのだ。その爆破でコンクリートの床が破壊され、4階層に渡って幅30メートルの穴が空いたのだが、それでもビルはびくともしなかった。それほど強固な建造物だということだ。
その爆破事件を受け、1994年から2000年にかけてACEエレベーターという会社がWTCのエレベーター・システムを改良、96年から2000年にかけては新しい治安システムを導入するための工事が実施されている。その間に「何か」が仕掛けられてもわからないだろう。
新しいシステムを設計、建設のためにサウジアラビアと関係が深い4社が雇われたが、その選定にあたったのはクロル・アソシエイツ。CIAやイスラエルの情報機関モサドと緊密な関係にあり、ウォール街のCIAと呼ばれてきた会社だ。(George W. Grundy, “Death of a Nation,” Skyhorse, 2017)
WTCの治安を担当することになったストラテセク社は1996年から2000年にかけて新しいビルの治安システムを導入するための工事を実施した。1993年から2000年にかけてマービン・ブッシュがこの会社の重役を務めているが、この人物はジョージ・W・ブッシュの弟だ。
また、サウス・タワーの90階、そして94から97階のフロアーにオフィスがあったフィデュシアリー・トラストで働いていたスコット・フォーブスによると、攻撃直前の9月8日から9日にかけて動力が落ちたという。50階から上は電力の供給がなくなり、監視カメラやドアのセキュリティ・ロックも機能していない。この故障を修理するために多くの技術者が荷物を携えてタワーに出入りしていたという。この情報をフォーブスは9/11委員会を含む各方面に手紙で知らせたが、無視されたという。(前掲書)
ドナルド・トランプは2019年6月、ABCのジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けているが、その中で2001年9月11日の攻撃について、「イラクは世界貿易センターを崩壊させなかった。イラクではなかった。ほかの連中だ。その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。あなたもそうかもしれない。」と語っている。もし9/11に関する機密文書をトランプが持ち出していたなら、誰かを脅すことができるかもしれない。
2001年当時、オサマ・ビン・ラディンは肉体的に戦闘を指揮できる状態ではなかった。フランスのル・フィガロ紙によると、その年の7月4日から14日にかけて彼はドバイのアメリカン病院に入院しているのだ。彼は腎臓病を患い、人工透析を必要としていた。
ドバイの病院でビン・ラディンを治療していたのはアメリカ人医師のテリー・キャラウェイで、入院中にサウジアラビアのトゥルキ・アル・ファイサル総合情報庁長官やCIAエージェントのラリー・ミッチェルが見舞っているという。
CBSニュースは2002年1月、パキスタンの情報機関(ISI)の情報として、オサマ・ビン・ラディンは2001年9月10日にパキスタンのラワルピンディにある軍の病院へ入院、透析を受けていると伝えた。
攻撃直後、そのオサマ・ビン・ラディンは世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃に関与していないと語っている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202209110000/
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6:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2022/12/29 (Thu) 17:59:20
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2022年12月29日
徴兵逃れの勇者 / 米国メディアを支配する者 (中編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68918418.html
偽りの開戦理由
Vietnam war 3213Anti-war protest 7743
( 左 : ベトナム戦争に徴兵されたアメリカの若者 / 右 : ベトナム戦争に反対する大学生)
建国の父祖が目指していた理想と違い、アメリカ合衆国は“しょっちゅう”戦争ばかりしている。しかも、その動機が“謎めいた”事件に基づき、“いかがわしい”口実で開戦なんだから、一般のアメリカ国民が怪しんでも当然だ。
Walter Schweiger 1(左 / ヴァルター・シュワイガー )
例えば、米国が第一次世界大戦に参加したのは、ルシタニア号(Lusitania)の撃沈に原因があった。1915年5月7日、1,959名を乗せたルシタニア号は、渡航先のニューヨークからリバプールに戻るべく、大西洋を航行中であった。ところが、この豪華客船はドイツの潜水艦たる「U-boat 」に発見されてしまう。「U-20」の艦長を務めていたヴァルター・シュワイガー(Walter Schweiger)は、武器を密輸する民間船舶を素通りさせず、「G Type魚雷」を****し、著名人が乗っているルシタニア号を撃破。この兇行は英米の国民に伝わり、“警告無し”の魚雷****は、瞬く間に「ドイツ憎し」の感情に転化した。
確かに、ドイツ軍による“卑劣”な攻撃は深刻で、128名のアメリカ人を含む1,198名が亡くなっている。水兵でもない無辜の乗客が海に沈んで命を落とした訳だから、アメリカの世論が激昂しても当然だ。毎度の事だけど、歐米のマスコミはドイツ軍の残虐性を喧伝し、シュワイガー司令官を「赤ん坊殺し(baby killer)」と罵っていた。
しかし、ルシタニア号には世間に知られたくない「秘密」があった。後の史書によると、この船は小銃の弾薬4,200箱、弾頭の信管3,250個、榴散弾5,000個を詰めたボックス1,248箱、750トンものライフルや機関銃を積んでいたのだ。ルシタニアの乗客は、魚雷が命中した後、二回目の爆発を耳にしたというが、おそらく積み荷の弾薬に引火したのかも知れない。
この疑惑は1980年代の海底探査で明らかにされた。アイリス人の潜水夫を率いるイオン・マクゲリー(Eoin McGarry)は、ルシタニア号の所有者であるグレッグ・ベミス(Gregg Bemis)の依頼を受け、海底300フィートに沈むルシタニア号を調査した。すると、マクゲリーのチームは驚くべき「遺品」を発見したという。彼らは沈没船の中から「レミントン社製の弾丸カートリッジ(Remington .303 caliber bullets)」を引き揚げていたのだ。(Erin Mullally, 'Lusitania's Secret Cargo', Archaeology, Vol. 62, Number 1, January / Fevruary 2009.)
Lusitania NYT article 1Lusitania bullets 1
(左 : ルシタニア号の沈没を伝える「ニューヨーク・タイムズ」紙 / 右 : 沈没船から発見された疑惑の弾丸 )
撃沈事件が起こった当時、ブリテン政府は「軍事用の武器・弾薬」を搭載していたとは認めず、米国からの“密輸”を否定していた。しかし、この秘密に関しては、マーセイ卿のジョン・チャールズ・ビガム(Lord Mersey / Viscount John Charles Bigham)だけでなく、海軍大臣だったウィンストン・チャーチルも知っていたはずだ。むしろ、彼らが仕組んでいた可能性の方が高い。そして、この偽装工作にはウッドロー・ウィルソン大統領も一枚噛んでいたはずだ。となれば、彼の背後には師匠である「ハウス大佐」こと、エドワード・マンデル・ハウス(Edward Mandell House)が控えていた、と考えるべきで、アメリカを参戦させるための陰謀と結論づけてもおかしくはない。
Lord Mersey 001Winston Churchill 8834234Woodrow Wilson 1Edward Mandell House 2
(左 : ジョン・チャールズ・ビガム / ウィンストン・チャーチル / ウッドロー・ウィルソン / 右 : エドワード・マンデル・ハウス )
アメリカの対外戦争は、たいてい「八百長事件」が引き金となっている。第一次大戦でも、合衆国政府は中立を言いながら、裏で中立違反をしていた。しかも、ジェイムズ・ブライス卿(Lord James Bryce)が拵えたプロパガンダを広め、敵国ドイツを「極悪非道のケダモノ」にしていたのだ。米国のマスコミが政府とグルになるのは、いつもの通り。正義を振りかざす米国のジャーナリストは、「卑劣な攻撃によってアメリカ国民が殺された !」と宣伝し、好戦的な世論を形成しようとする。英国のマスコミも政治プロパガンダの達人で、予め「決め台詞」が用意されていた。「ルシタニア号を忘れるな(Remember the Lusitania)」とか、「正義の剣を取ってルシタニアの敵討ちだ (Take Up the sword of justice, avenge the Lusitania.)」というポスターを見れば直ぐ判る。
Lusitania propaganda poster 002Lusitania propaganda poster 003Remember Pearl Harbor poster 3Remember Pearl Harbor poster 5
(左 :「剣を取れ」と呼びかけるポスター / 「ルシタニアを忘れるな」のチラシ / 「パール・ハーバーを忘れるな」のポスター / 右 : 「卑劣な日本軍による奇襲」を示す宣伝ポスター)
これって、真珠湾攻撃の時に作られた「パール・ハーバーを忘れるな(Remember Pearl Harbor)」や「パール・ハーバーの仇討ちだ(Avenge Pearl Harbor)」というスローガンの原型じゃないのか? 早くから「大衆社会」となっていたアメリカでは、政治プロパガンダの研究が進んでいた。例えば、ユダヤ人ジャーナリストのウォルター・リップマン(Walter Lippmann)は日本でも有名で、『世論』という著書は岩波文庫に収められている。
心理戦や宣伝効果を研究したエドワード・バーネイズ(Edward Louis Bernays)も先駆的エキスパートで、第一次世界大戦が始まると合衆国政府に傭われた。彼は「広報委員会(Committee on Public Information)」に配属されたそうだ。ちなみに、バーネイズの母親アナ(Anna)は、ユダヤ人の心理学者ジクムント・フロイト(Sigismund Schlomo Freud)の妹で、エドワードはジクムントの甥に当たる。日本人は「プロパガンダ」という言葉を耳にすれば、直ぐに宣伝大臣のヨセフ・ゲッペルスを思い出してしまうが、本当に恐ろしいプロパガンディストとは、正体を隠しながら印象操作を行う宣伝係であり、諜報組織のスパイだけじゃなく、娯楽産業に潜む映画制作者も立派な工作員となり得る。
Walter Lippmann 2Edward Bernays 2Sigmunt Freud 111Joseph Goebbels 221
(左 : ウォルター・リップマン / エドワード・バーネイズ / ジクムント・フロイト / 右 : ヨセフ・ゲッペルス )
歴史を振り返ってみると、アメリカ人は「防衛戦争」の名目で侵略戦争ばかりしている。第二次世界大戦は日本による真珠湾攻撃が引き金となったが、実際はフランクリン・ローズヴェルト大統領の陰謀であり、共犯者はウィンストン・チャーチル首相だ。通説と違って、アドルフ・ヒトラーはアングロ・サクソン国との戦争を望んでおらず、全面戦争を望んだのは「戦争屋(war monger)」と呼ばれたチャーチルの方であった。
もちろん、共産主義者を利用して敗戦革命を望んだ近衛文麿や、対米戦争という博打をしたかった山本五十六も極悪人だ。こうした国賊を美化して『連合艦隊司令長官 山本五十六』という映画を連中は、単なる馬鹿なのか意図的な左翼なのか、よく分からない。映画のキャッチコピーは、「誰よりも開戦に反対した男がいた」という驚愕の一文だが、いったい誰が提案したのか、その本意を知りたい。まぁ、原作があの半藤一利というから、「歴史活劇の迷作」となっても当然だ。そもそも、「絶対に米国とは闘わない」という国防方針に背いたのが山本五十六じゃないか。
しかも、真珠湾攻撃を南雲忠一(なぐも・ちゅういち)海軍中将に任せて、山本は広島湾に停泊中の旗艦「長門」に隠れていた。建前上、「長門」の作戦室で戦況を伝える電報を目にしていたというが、どうして自分が最前線に立って指揮をしなかったのか? ハワイの奇襲で生死を賭ける下っ端には「命懸けで闘え !」と発破を掛けていたくせに、自分は安全な戦艦の中で勇ましくしていたんだから、捨て駒にされた水平は呆れてしまうだろう。
話を戻す。アメリカ人は「デモクラシーvsファシズム」という図式で第二次世界大戦を考えるが、共産主義国のソ連が「仲間」になっているのに、どうして全体主義国との闘いになるのか? 共産主義を蛇蠍の如く嫌うアメリカ国民やブリテン国民、そして革命を憎むイギリス貴族がソ連を手助けするなんて滑稽だ。だいたい、ヒトラーの手からポーランドを助けようとしたのに、戦争が終わってみると、スターリンの掌中に落ちていたんだから、何のために闘ったのか分からなくなる。
ベトナム戦争も“アメリカン・デモクラシー”や“共和政体”に反する対外戦争であった。最初からジョン・F・ケネディー大統領は、米軍の介入に反対だったし、陸軍大将のアイゼンハワー元大統領もインドシナ半島での地上戦に反対であったという。しかし、ケネディー大統領が暗殺されるとリンドン・B・ジョンソンが後釜に昇進し、ベトナムへの軍事介入は本格的な戦争へと発展する。CIAが率いる軍事顧問団は1963年の時点で1万6千人もいたというから、泥沼への“錘(おもり)”みたいな存在だった。
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( 左 : ジョン・F・ケネディー大統領 / 右 : 大統領に昇格したリンドン・B・ジョンソン)
しかし、開戦を決めるはずの議会では、ベトナム戦争を始めるべきかどうかの論争は無かった。本来、元老院で様々な点が討論され、最終的に開戦の議決となれば、執政官たる大統領に最高指揮権が授与される、というのが共和政体の原理原則だったはず。それなのに、準軍事組織を送っているうちに大々的な長期戦になってしまったんだから、アメリカ人じゃなくても驚きだ。ジョンソン政権は大勢の若者を戦地に送り、膨大な公金を浪費した。
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( 左 : 米軍の助けで脱出したベトナム難民 / 右 : 個人で逃れてきたベトナム難民 )
共産主義のドミノ現象を食い止めるはずだった戦争は、惨憺たる結果に終わり、アメリカ社会の凋落を招くだけだった。血と汗と涙を流したアメリカ軍は、執拗なベトコンの攻勢を防ぎきれず、南ベトナムは共産主義の津波に飲み込まれる破目に。しかも不幸なことに、アメリカは戦争をする度に難民を受け容れ、国内を異質な坩堝(るつぼ)に変えてゆく。サイゴン陥落でインドシナ難民が発生すると、彼らは米国に押し寄せ、アメリカの都市部にはリトル・サイゴンが出来てしまった。
徴兵逃れの権力者
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(上写真 / ベトナム戦争で負傷するアメリカ兵)
繁栄と愛国心に満ちた1950年代の古き良きアメリカ社会は、怒りに燃えた反戦運動で崩れ始め、精神異常をきたした帰還兵と無惨な姿に変わり果てた負傷兵を抱えることになった。その一方で、徴兵を拒むフラワー・チルドレンは、フランクフルト学派の頽廃思想に靡き、フリーセックスとマリファナに溺れる始末。大学のキャンパスは反戦を叫ぶ学生で溢れていた。しかし、アメリカの世間にも「裏と表の世界」がある。真面目な青年はベトナムのジャングルで死んでいったが、卑怯者と金持ちは安全地帯で生き延び、やがて出世を遂げてゆく。偽善大国のアメリカには、蛇の道だけじゃなく色々な裏口・抜け道もある。
例えば、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれたジェーン・フォンダ(Jane Fonda)は、トム・ヘイデンやテッド・タナーと結婚し、1980年代になるとエアロビックスで稼いでいた。海軍士官のジョン・ケリー(John Kerry)は、反戦運動のヒーローになって、後に上院議員や国務長官となる。以前、当部ログで述べたように、このユダヤ人は自作自演で負傷し、「Silver Star」や「Bronze Star」「Purple Heart」といった勲章をもらっていた。ケリーが大統領選挙に出馬した時、「Swift Boat Veterans for Truth」の退役軍人達は激怒し、ケリーの軍歴に異議を唱え、彼の武勇伝を否定していたという。
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(左 : 北ベトナムを支援する ジェーン・フォンダ / 過去を捨てて上流社会に入ったジェーン・フォンダ / 日本に留学したジェイ・ロックフェラー4世 / 右 : 反戦運動に勤しむジョン・ケリー )
大財閥の御曹司であるジェイ・ロックフェラー4世(John Davison Rockefeller IV)は、もっと悧巧で、国際基督教大学に留学し、英語を教えながら奇妙な極東民族と付き合っていた。大富豪は様々な回避ルートを持っている。日本を去ったジェイは、ハーバード大学に戻って東洋言語と歴史を勉強し、ここを卒業すると、イェール大学で****語を学んだそうだ。しかし、彼はベトナム戦争に従軍せず、安全な「平和部隊(Peace Corp)」に入って人道支援に勤しんでいた。
アーカンソーの州知事から大統領になったビル・クリントンは、もっと酷い。彼は地元の人脈と大学生の身分を巧みに利用し、庶民が逃れられない徴兵を免れていた。クリントンは1964年9月8日に選抜徴兵制度(Selectiev Service System)に登録し、同年11月17日に「2-S(学生免除)」の身分を得たという。当時、大学生は卒業するまでの間、徴兵を免除されていたから、高卒で戦地へ送られる若者とは違う扱いを受けていた。まぁ、政治家や経営者といった上層階級の紳士は、自分の子供だけは可愛いから、大学生に猶予を与えることで抜け道を作っていたのだろう。お金持ちの子弟は、大学院にまで進んで修士号や博士号を取得するから、労働者階級のボンクラ供とは違った世界に住んでいる。
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(左 : 学生時代のビル・クリントン / 中央 : ケネディー大統領と握手する若きビル・クリントン / 右 : ウィリアム・フルブライト上院議員 )
しかし、戦況が悪化してくると、「銀のスプーン」をくわえた御曹司にも“特権”の消滅が迫ってきた。1968年2月16日、連邦政府は大学院生に対する徴兵免除を廃止する。これにより、ジョージタウン大学を卒業したビル・クリントンは、もはや徴兵免除の対象ではなくなっていた。徴兵選考委員会は彼を「1-A(即座に兵役の対象になる者)」の身分にしていたそうだ。
ところが、アメリカのテーミス(掟の神)は、ヤヌス(双面の神)の性質を持っていた。この女神は一般家庭の子供には厳しく、上流階級の子弟に対しては、チョコレートよりも甘くなる。徴兵の影が差し迫ったビル・クリントは、何とかしてベトナム行きを免れようとした。そこで、彼は亡き父親ロジャー・クリントン(Roger Clinton, Sr.)の兄である、伯父のレイモンド・クリントン(Raymond Garland Clinton)に助けを求めることにした。頼りにされたレイモンドは、元判事で弁護士を務めるヘンリー・ブリット(Henry Britt)に相談を持ちかけ、二人は地元で海軍の予備役を監督するトリス・エリス(Trice Ellis)に働きかけた。依怙贔屓を承諾したエリスは、ビル・クリントンに海軍予備役の身分を確保し、この弱虫が軍事訓練を受けるものと勘違いしたらしい。(David Mikkelson, 'Was Bill Clinton a Felonious Draft Dodger ?', Snopes, January 6, 2003.)
依頼者に便宜を図ったエリスは、大卒の若者を得たことで喜んでいたが、狡賢いビル・クリントンは他の抜け道を探していた。法の網に詳しいブリットは、ガーランド郡の徴兵委員会で議長を務めるウィリアム・S・アームストロング(William S. Armstrong)に一肌脱いでもらうことにした。ブリットの親友であるアームストロング議長は、ビル・クリントンへの招集令状を引き出しの中に閉まって、しばらくの間“そっと”していたそうだ。
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口説き文句が得意なクリントンには、運命の女神も微笑んでいたようで、彼は幸運にも「ローズ奨学金(Rhodes Scholarship)」を得ることができた。セシル・ローズの名を冠した奨学金は、菊の御紋や葵の御紋よりも凄い。ローズ奨学生になればエリート街道へのキップを手にしたのも同然で、オックスフォード大学へ留学した者は、将来、様々な恩恵に与ることができる。先輩や有力者のネットワークを使えば、トントン拍子に出世間違いなし。ちなみに、オックスフォード留学組の同期には、後に労働長官となるロバート・ライシュ(Robert B. Reich)や、国務次官になるストロブ・タルボット(Nelson Strobridge Talbot Ⅲ)がいた。ロシアの専門家として有名なタルボットは、退官後、ブルッキングス研究所に天下って所長となっている。
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(左 : 知事になったビル・クリントン / 中央 : ロバート・ライシュ / 右 : ストロブ・タルボット )
ローズ奨学金をもらってオックスフォード大学へ留学したものの、クリントンには選抜委員会からの通知が届き、軍隊用の身体検査が要求されていた。しかし、小賢しいクリントンはアーカンソー大学の予備役制度(ROTC program)に目を附け、ベトナム派遣への召集令状を免れようと謀った。彼は地元選考委員会のウィリアム・ホーキンス(William Hawkins)に助けを求め、地元の予備役に潜り込むことができた。この時、クリントンは民衆党の上院議員(アーカンソー州の選出)であるウィリアム・フルブライト(J. William Fullbright)に仕えたリー・ウィリアムズ(Lee Williams)やユージン・ホームズ(Eugene J. Holmes)大佐の“根回しも”取り付けたそうだ。
こうした「回避手段」を駆使しているうちに、ベトナム戦争は段々と終結に向かってしまい、楽しい日々を過ごすビル・クリントンは、とうとう派遣されることなく、安全地帯で青春を謳歌することができた。この卑怯者は英国に留学しても、それほど真剣な勉強はせず、オックスフォード大学での勉強は、ジョージタウン大学とイェール大学のと間に存在する休暇みたいなものだった。ビル・クリントンが英国留学でした事と言えば、反戦運動に参加した事やマリファナを吸った事くらい。(Olivia B. Waxman, 'Bill Clinton Said He Didn't Inhale 25 Years Ago --- But the History of U.S. Presidents and Drugs Is Much Older', Time magazine, March 29, 2017.)
女たらしのクリントンは、留学先の英国でキャサリン・ジーヴ(Katherine Gieve)と恋仲になり、いつも通りのデートを楽しんでいたが、親友のフランク・アラー(Frank Aller)は違っていた。彼は徴兵を拒否したことで訴追され、色々と悩んだ末に自殺してしまった。せっかくローズ奨学金をもらえたのに、この青年は1971年に自ら命を絶つ。(Matthew Hoffman, 'The Bill Clinton we knew at Oxford from smoking dope, what else did he learn over,' The Independent, 11 October 1992.) 精神的に弱い者は、賢い「ズル」を考えることが出来ないんだろうなぁ~。
一方、イェール大学で法律を学んだクリントンは、さすが世渡り上手。大統領になると急に好戦的になり、米軍をソマリアに派遣するし、ボスニアやヘルツェゴヴィナといったバルカン半島で紛争が起こればNATOをも動かす。しかし、一番ハッスルしたのは不倫である。日本でもクリントンの愛人スキャンダルは報道され、ジェニファー・フラワーズ(Gennifer Flowers)やエリザベス・グレイス・ワード(Elizabeth Grace Ward or Gracen)、サリー・パデュー(Sally Perdue)、ドリー・カイル・ブラウニング(Dolly Kyle Browning)が紹介された。(それにしても、なぜ黒人贔屓のビル・クリントンは、白人の愛人ばかりなのか? とても不思議だ。)
ついでに言うと、ドイツ人のマリア・フェルトウェングラー(Maria Furtwängler)やカナダ人のベリンダ・ストロナッハ(Belinda Stronach)、アメリカ人のマジョリー・アームストロング・ポスト(Majorie Armstrong Post)やパトリシア・ダフ(Patricia Duff)とも肉体関係を持っていたそうだ。もう、「精力絶倫」としか言い様がない。
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(左 : ジェニファー・フラワーズ / エリザベス・グレイス・ワード / サリー・パデュー / 右 : ドリー・カイル・ブラウニング)
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(左 : マリア・フェルトウェングラー / ベリンダ・ストロナッハ / マジョリー・アームストロング・ポスト / 右 : パトリシア・ダフ )
でも、アメリカの軍人が一番激怒したのは、ホワイトハウスに研修生のモニカ・ルインスキー(Monica Lewinsky)を連れ込み、「尺八(blow job)」行為をさせたことだ。後に、国務長官になったヒラリー夫人は、アフリカのベンガジ事件でヘマをやらかしたけど、元々彼女は「灯台もと暗し」なんだからしょうがない。才女と呼ばれるヒラリー・ロダム・クリントンは、アメリカ人を殺害したテロリストを捕まえようとしたが、ついに発見できなかった。まぁ、白亜館に住んでいて、亭主のペニスが何処にあるのか分からなかったんだから当然だ。
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(左 : モニカ・ルインスキー / 中央 : クリントン大統領とモニカ / 右 : 謝罪会見で夫を睨み付けるヒラリー夫人)
元CIA長官のジョージ・H・W・ブッシュは、第二次世界大戦で日本海軍と戦ったが、息子のジョージはベトナム戦争に行かなかった。名門家庭の父親はこの馬鹿息子を徴兵制度から守るべく、ジョージ・ウォーカーをテキサス州の空軍に入れて身の安全を図った。この「出来損ない」は秀才が集まるハーヴァード大学でMBAを取ったが、アルコール中毒に陥って家族の厄介者になっていた。おそらく、父親の仲間がお膳立てをしたから、「テキサス・レンジャー」の所有者になれ、テキサス州の知事選に出馬できたのだろう。さらに言えば、9/11テロを企画した闇組織が、ジョージ・ウォーカーを大統領に据えたのかも知れない。
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( 左 : 軍人になった息子のジョージ・ウォーカーと父親のハーバート・ブッシュ / 右 : 華麗なるブッシュ・ファミリー)
ブッシュ家に仕えたディック・チェイニー(Richard Cheney)も、徴兵逃れで出世した政治家だ。国防長官や副大統領になったチェイニーは、戦争が始まる前の1962年、徴兵可能な年齢に達していたが、年齢的に若かったので徴兵されずに済んだという。1964年になると戦争が本格化となり、徴兵が拡大されたが、チェイニーは恋人のリンと結婚したばかりなので、三回目の学生猶予措置を求めた。1965年5月、ワイオミング大学を卒業したチェイニーは大学院に進んだので、四回目の猶予措置を得ることもできた。
1965年10月になると、徴兵選考委員会は既婚者にも徴兵を拡大したが、これには「子供を持たない者」という規定があったので、妊娠中の妻を持つチェイニーは、またもや徴兵猶予を得ることができたのだ。9ヶ月後の1966年1月19日、長女のエリザベスが誕生する。この娘はやがて下院議員となり、ドナルド・トランプ大統領を攻撃する民衆党員に協力し、弾劾委員会に賛成する共和党員になっていた。
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( 左 : ディック・チェイニー / 中央 : 新婚時代のリチャードとリン・チェイニー / 右 : 娘のエリザベス・チェイニー下院議員 )
1966年1月、リン・チェイニーは再び妊婦となり、夫のディックは「3-Astatus」という身分を得て徴兵免除となる。家族を養うのが大変だから「除外」してくれという訳だ。選考委員会は彼の申請を承認する。それにしても、子供を作って徴兵を逃れようとするなんて卑怯じゃないか。ネオコンの代表格となったチェイニーは、イラク戦争で多くの若者を戦地に送ったが、自分自身は何度も徴兵を逃れていたなんてズルい。おそらく、リン夫人と相談して計画的な妊娠を実行したんだろう。しかし、「時」を稼いで生き延びるのは賢い方法だった。1967年1月になると、チェイニーは26歳となっており、もはや徴兵の対象ではなくなっていたのだ。(Katharine Q. Seelye, 'The 2004 Campaign : Military Service ; Cheney's Draft Deferments during the Vietnam Era Emerges as a Campaign Issue', The New York Times, May 1, 2004.)
Al Gore Jr 9991(左 / アルバート・ゴア・ジュニア副大統領)
「巧妙な徴兵逃れ」は副大統領になったアルバート・ゴア・ジュニア(Albert Gore, Jr.)もやっていて、彼は陸軍に志願したというが、その職務は戦闘員じゃなく、「The Castle Courier」に記事を書く戦場ジャーナリストであった。アル・ゴアは政治家になっても従軍体験を自慢していたというが、危険な銃撃戦には一度も参加したことはなく、「戦争体験」といえば、現地の兵卒と一緒に酒を飲んだり、ポーカーをしたりといった「息抜き」だけだった。(Richard A. Serrano, 'Struggle With Conscience Was Gore’s Biggest Vietnam Battle', The Los Angeles Times, October 15, 1999.)
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(左 : アルバート・ゴア・シニア / 戦場に赴いたアル・ゴア・ジュニア / 右 : 妻となるティパーと一緒のアル・ゴア)
テネシー州の上院議員をしていた父親のアル・ゴア・シニアが政敵から非難されないように、息子のジュニアはベトナム戦争に赴いたと言うけど、現地でやったのは、せいぜいタバコとマリファナを吸ったくらい。戦闘服だけは立派に着こなしていたゴアは、一度も負傷せず、「帰還兵」のフリをして祖国に舞い戻っていた。当時、彼はまだ大学生だったから、ハーヴァード大学に復学したが、戦争反対の声明文に署名したそうだ。こんな奴が後に「地球温暖化」を叫び、二酸化炭素排出量の問題を云々するなんて冗談じゃない。
民衆党に支配された連邦議会は、 莫大なウクライナ支援を決めてしまったが、本当に議員達はウクライナの国防を考えているのか? 民衆党や共和党の大物議員達は、「極悪非道のロシア軍からウクライナを守れ !」と叫んで、武器や資金を提供するが、本当は別の「利益」があるから応援しているんじゃないか? もし、心から支援したければ、先ず自分の子供や孫をウクライナに派遣しろ ! ベトナム戦争を「不毛な遠征」と見抜いていたエリートは、ウクライナを「第二のベトナム」と思っているはずだ。「ロシア懲罰」という聖戦の裏には、巨大な利権が渦巻いている。
後編に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68918418.html
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7:保守や右翼には馬鹿しかいない
:
2023/03/07 (Tue) 18:54:34
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アメリカに取り憑いた病(『ソフト/クワイエット』パンフレット) - 内田樹の研究室
2023-03-07 mardi
http://blog.tatsuru.com/2023/03/07_1425.html
世界中どこでもヘイトクライムは存在するけれども、アメリカにおける「差別」と「暴力」の突出ぶり「病的」と形容してよいだろう。
リンカーン大統領が奴隷解放令宣言を発令したのは南北戦争中の1863年のことである。でも、人種差別はなくならなかった。南北戦争後の一時期は、南部諸州でも黒人の政治家が次々と登場し、黒人議員が州議会の過半を占める州さえあったが、その後にすさまじいバックラッシュが来た。北軍の撤兵と同時に、南部諸州では、公立学校における人種分離、公園、レストラン、ホテルなど公共施設の使用禁止・制限、識字能力試験を課すことによる投票権を制限するなど、黒人を排除するためのさまざまな州法が制定された(「ジム・クロウ法」と総称される)。
私たちは奴隷解放宣言のあと、緩慢にではあるが、アメリカにおける人種差別は段階的に解消されたのだろうと考えてしまうが、それは違う。いったん黒人たちは奴隷身分から解放されたのだが、南部諸州では、彼らを事実上の被差別身分に落とすことがもう一度合法化されたのである。
それが19世紀末のことである。1964年の公民権法で、黒人と白人が同じ人間として基本的な人権を享受できることが史上初めて確定するまでには、さらに100年を要した。それから半世紀を経ったアメリカでBlack Lives Matter 運動が起きたことで、私たちは人種差別がいまだにアメリカ社会を深く蝕んでいることを知った。
なぜ、人種差別の廃絶がアメリカでは遅々として進まないのか?
マイノリティ差別はどこの国でもあることだ、アメリカだけではない。人間とは所詮「そういうものだ」としてシニカルに思考停止する人がいるかもしれない。でも、それは半分正しくて半分間違っている。人間はしばしば非道で残虐であるが、それにしても程度の差というものがある。店舗やレストランでマイノリティを差別的に扱うことと、マイノリティであるという理由で殺すことの間には決定的な差がある。相手の人格を攻撃することと、相手の身体を破壊することの間には、ふつうの人間にとっては越えることの非常に困難な心理的な壁があるはずである。そもそも法治国家であれば、それは重罪人として残る人生を獄中で送るという「割に合わない」代償を支払わなければならない。
けれども、アメリカではその壁が低い。非常に低い。だから、もののはずみで人はこの壁を越えてしまう。
本作は、差別意識がいささか過剰だけれども、ふつうに市民生活を送っている人が、もののはずみで殺人を犯す話である。その日常から異常へのあまりに容易な切り替えがこの映画が観客にもたらすショックと恐怖の根幹部分をかたちづくっている。
ヨーロッパにも人種差別暴力を挿話的に描いた映画はいくつもある。レイシストやセクシストが汚い言葉を吐き散らす場面を私はさまざまな映画で観てきた。でも、そういうことをするのはたいてい「ふつうの人」ではない。スキンヘッドとか、ジャンキーとか、浮浪者とか「ふつうじゃないスティグマ」を背負った人たちである。そういう人たちの差別的なマインドがどうして生まれたのかは、理由がわかる。彼ら自身が「ふつうの人」たちから差別されてきたので、その怨恨を「彼らよりさらに社会的に周縁的で、反撃する実力のない人」に向けるのである。仕組みは分かり易い。だから、社会福祉制度が整備されたり、細やかな気づかいを示してくれる人が身近にたりすれば、このタイプの被差別意識はかなり緩解するはずだと私たちは信じることができる。
でも、怖いのは、別に誰からも差別されていないし、その人種属性によって社会的不利益をこうむってもいない「ふつうの人」の中に育つ差別意識とマイノリティへの憎悪である。彼らは何か具体的な被害をこうむっているわけではない。その差別意識と憎悪は幻想的なものである。
現実的根拠を持つ偏見なら現実的政策によって矯正可能である。だが、幻想に養われた偏見は現実をどれほどいじっても矯正できない。この映画の怖さはそこにある。
なぜアメリカではそのような幻想的な差別意識が「ふつうの人」の心理の深層に根を張っているのか。それについて個人的な説明を試みたい。
アメリカは自由の国である。これについてはどなたも異論がないと思う。でも、言葉を付け加えるなら「アメリカは自由に病的に高い価値が付与されている国である」ということになる。
アメリカは独立戦争を戦って英国の植民地から主権国家になった。だから、市民には不当な政府の支配を実力を以て否定する権利があるというのはアメリカ建国の基本的なアイディアである。独立宣言には、政府が市民たちの権利を損なうふるまいをした場合には、「人民には政府を改革し、あるいは廃絶し、新しい政府を立ち上げる権利がある」と明記してある。
独立宣言の11年後に制定された合衆国憲法では、さすがに市民の抵抗権・革命権は明記されていない。それを補うように、憲法修正第1条と第2条に「自由を保障する」という文言が書き込まれている。
憲法修正第1条は「信教の自由、言論出版の自由、人民が政府に請願する権利」を保証している。「請願(petition)」というのは「抵抗権」「革命権」の希釈された表現である。市民は政府に対して「もろもろの不都合の除去のために」、「平和裏に集会をする」権利があると修正第一条にはある。「除去(redress)」とは具体的にどういう手立てのことを指すのか、それは市民一人一人の判断に委ねられている。そのために市民が結集することは許されているが、「平和裏に(peaceably)」という限定がなされている。
「平和裏に」という限定を加えることで、憲法修正第2条には「武装権」が残された。
独立戦争における戦闘の主力は「武装した市民(ミリシア)」であった。武装した市民がアメリカにおける軍事的実力の本態なのである。だから、合衆国憲法では常備軍の保持が禁じられている(ほとんどの人は知らないと思うが、合衆国憲法8条12項に明記されている)。
2020年1月6日の連邦議会への乱入事件は私たち日本人には「暴徒の乱入」としか見えないけれど、叛徒たちは、主観的には、独立宣言に明記された市民の自由を抑圧する政府を「改革・廃絶する権利」を行使したのである。あれを「もろもろの不都合の除去」のための「請願」であると考える市民にとっては、あれが違法とされることはおおいに心外であっただろう。
アメリカは市民的自由を重く見る社会である。病的なほど重く見ると言ってよいと思う。だから平等がこれほど激しく忌避されるのである。というのは、自由と平等は原理的には両立しがたいからである。
考えればわかると思うが、全国民が等しく豊かで、健康で、文化的な生活を送れる社会を実現しようと思ったら、とりあえず富裕な人から税金を多めに取り、弱者差別を法律で禁止し、弱者を守り、養う仕組みを作らなければならない。言論の自由をある程度規制し(レイシスト、セクシスト的発言は抑制の対象になる)、私財の一部を公共に供託させるシステムなしに平等は実現できない。公権力が市民の生活に介入して、市民的自由の一部を制限することなしに、平等は達成され得ない。
でも、それだけは絶対に許せないという人たちがアメリカにはたくさんいる。驚くほどたくさんいる。彼らは「社会的公正」とか「平等」を端的に悪であると見なす。そんなものは近代西欧が生み出した「イデオロギー」に過ぎない。生得的な差異や能力差によってヒエラルキーが形成されることのどこが悪いのかと言い切って、「政治的正しさ」を一蹴し、民主主義より個人の自由を優先する過激なリバタリアン(今では「新反動主義者」とか「加速主義者」と呼称されるらしい)が今アメリカには簇生している。
でも、こういう確信犯的な差別主義者がアメリカで大量発生するのは、ある意味で当然なのである。それはアメリカでは「自由は平等に優先する」ということが国是のうちに埋め込まれているからである。あまりそういうことを言う人がいないので、私が代わって説明する。
そもそも合衆国憲法には「平等の実現」は政府の目標としては掲げられていない。
独立宣言にはこう書かれている。「万人は平等なものとして創造されており、万人は創造主から奪うことのできないいくつかの権利―生命、自由、幸福追求の権利―を賦与されている。」
つまり、合衆国建国に先立って、すでに万人は神によって「平等なものとして」造されているのである。すでに創造主によって平等は達成されているのである。
「生命・自由・幸福追求の権利」は政府が保証し、これを守らなくてはならない。それはアメリカの立国の根本原理である。だから、それを怠った政府は「改変・廃絶」されるリスクを負う。だが、「平等を実現せよ」とは独立宣言にも、憲法にも書かれていない。だから、平等の実現を怠った政府は「改変・廃絶」されるリスクを負わない。
平等の実現は政府の義務でも市民の義務でもないのである。万人は平等なものとして創造されているのだから、そのあとの自由な競争によってどれほど強弱貧富の差が生まれたとしても、それは自己責任なのである。
そういう思想がアメリカの場合は建国以来ずっと生き続けている。 生き続けているどころではない。それはむしろ強化されている。自由を享受できる人々、平等を忌避する人々は強者であり、勝者であり、社会のルールを決め、政策を決定することができる人たちである。だから、アメリカでは「社会的公正や社会正義の実現より私の自由の方がたいせつだ」と断言することは少しも疚しいことではないし、恥ずべきことでもないのである。
この映画の監督ベス・デ・アラウージョは母親が中国系、父親がブラジル人という女性である。彼女にとってどういう社会が「まとも」に見えるのか、個人的基準を私は知らないけれども、映画を観る限り、マイノリティの側にいる彼女はアメリカを「かなり異常な社会」と見なしていることはわかる。
映画の冒頭で、「アーリア人団結のための娘たち」の一人は同僚のマイノリティが自分より早くマネージャーに登用されたことを「アファーマティブ・アクション」だとして言葉激しく批判する。われわれは平等に創造されたものとして自由な競争をしているのだ。たまたまアメリカ社会においてマイノリティである者が、それを理由に過剰なアドバンテージを享受するのは「アンフェア」だという彼女の反平等主義の演説は「娘たち」全員の喝采を浴びる。おそらくこの喝采に唱和する人がアメリカには数千万人いるのだと思う。
「娘たち」がすさまじい暴行を加える中国人姉妹は彼女たちより富裕であり、彼女たちよりもよい家に住んでいる。この中国人姉妹は「娘たち」の眼には彼女たちよりも社会的に成功しているように見える。それが憎しみを倍加する。貧富の差は能力差の帰結だという自由競争ルールを奉じているはずの「娘たち」は、なぜかマイノリティについては、その成功や富裕が自由競争での努力のトロフィーだということを決して受け容れない。それは「平等」主義的な権力の干渉によって得た「不当利益」なのだ。
マイノリティが自分たちより劣位にあれば「自由」の名において侮り、自分たちより上位にあれば「平等」の恩恵だと言って罵る。ここには出口がない。「娘たち」のこの心理造形には、おそらくマイノリティであるデ・アウラージョ監督自身の実体験が濃厚に反映しているのだと思う。
でも、これを何らかの政治的主張を語る映画(pièce à these)だとは私は思わない。これは間違いなく、ヒッチコックの『ロープ』を本歌取りしたワンショット・リアルタイムの実験作品である。そして、観客サービスの行き届いたホラー映画でもある。「人間はモンスターより怖い」という(太古から知られた教訓を語る)恐怖譚である。
映画は「死んだはずのもの」が湖水から浮かび上がるという『13日の金曜日』的な場面で終わる。「死んだはずのものの再訪」をフランス語ではrevenant(幽霊)と言う。「娘たち」のマイノリティへの憎しみは決して終わることなく、この後も繰り返しさまざまな症状として「再帰」してくるだろう。それがアメリカに取り憑いた幽霊なのだ。アメリカがこの幽霊と縁を切れる日が来るだろうか。たぶんいつかは来るのだろうけれど、まだずいぶん先のことだろうと私は思う。
http://blog.tatsuru.com/2023/03/07_1425.html
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8:保守保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/04/04 (Tue) 05:57:41
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2023.04.04XML
日本に中露との戦争を準備させているのは米国を支配する私的権力
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304040000/
東アジアでの軍事的な緊張が急速に高まっているが、そうした状況を作り出しているのはネオコンをはじめとするアメリカの好戦派にほかならない。岸田文雄、菅義偉、安倍晋三、野田佳彦、菅直人・・・いずれの内閣ともネオコンの操り人形にすぎない。日本の政治家に焦点を合わせた議論は無意味だ。
日本は中国やロシアと戦争する準備を進めているが、それはアメリカの支配層から命令されてのこと。アメリカ政府も背後の強大な私的権力に操られている。その私的権力は19世紀に作成した世界制覇計画に基づいて動いてきた。「軍産複合体の利益」の利益は副産物にすぎない。
日本は明治維新以来、イギリスとアメリカの私的権力、より具体的に言うならば米英金融資本に支配されてきた。その支配システムが天皇制官僚体制であり、この構図は第2次世界大戦の前も後も基本的に変化していない。明治体制が続いているのだ。
勿論、そうした流れの中にも波はある。直近の波は1991年12月にソ連が消滅した時に始まった。その波の性格は1992年2月に国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)草案に書かれている。
20世紀の前半からアメリカの国務省はファシストの巣窟だったが、その背後には金融資本が存在していた。ナチスの資金源がウォール街やシティ、つまりアメリカやイギリスの金融資本だということは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。
近代ヨーロッパは南北アメリカ大陸、アフリカ、アジア、オーストラリアなどから資源、財宝、知識を略奪して始まった。
まず、11世紀から15世紀にかけて中東を軍事侵略(十字軍)、財宝や知識を手に入れ、スペインやポルトガルは15世紀になると世界各地で略奪を開始する。1521年にはエルナン・コルテスが武力でアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪い、それ以降、金、銀、エメラルドなどを略奪、先住民を使って鉱山を開発した。
そうして手に入れた財宝を海賊に奪わせていたのがイギリス。14世紀から16世紀にかけて起こったルネサンスはそうした略奪と殺戮の上に成り立っている。
インドへの侵略と略奪で大儲けしたイギリスは中国(清)に手を伸ばすが、経済力では太刀打ちできない。そこで中国にアヘンを売りつけ、1839年から42年にかけて「アヘン戦争」を仕掛けた。1856年から60年にかけては「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」。この戦争でイギリスが手に入れた香港はその後、秘密工作や麻薬取引の拠点になる。犯罪都市になったとも言える。
こうした戦争でイギリスは勝利したものの、征服はできなかった。戦力が足りなかったからだ。そこで目をつけたのが侵略拠点としての日本列島であり、傭兵としての日本人だ。イギリスは長州と薩摩を利用して徳川体制を倒す。これが明治維新であり、天皇制官僚体制の始まりだ。
こうした仕組みを揺るがす出来事が1932年にアメリカで起こる。巨大資本の意向通りに動かないニューディール派のフランクリン・ルーズベルト(FDR)が大統領に選ばれたのだ。そこでウォール街の大物たちがクーデターを計画したことは本ブログでも繰り返し書いてきた。FDRの立場は反ファシズム、そして反帝国主義でもあり、そのために帝国主義者のウィンストン・チャーチルとは関係が良くなかった。
ウォール街やシティはナチスへ資金を提供、ナチスが実権を握るとドイツとロシアとの関係は悪化する。1941年5月にはアドルフ・ヒトラーの忠実な部下だったルドルフ・ヘスが単身飛行機でスコットランドへ飛んび、イギリス政府と何らかの話し合いを持つ。ドイツ軍がソ連に対する侵攻作戦を始めたのはその翌月だ。この侵攻作戦はバルバロッサ作戦と呼ばれているが、この時に東へ向かったドイツ兵は約300万人、西部戦線に残ったドイツ軍は90万人だけだと言われている。
これだけの作戦を実行するためには半年から1年の準備期間が必要であり、1940年夏から41年初頭から準備を始めていたと推測できる。その時期、つまり1940年9月7日から41年5月11日にかけてドイツ軍はロンドンを空襲していた。4万人から4万3000名のロンドン市民が死亡したという。ドイツ軍によるロンドン空襲は陽動作戦と考えることができる。
ソ連の外交官や情報機関は1941年1月の段階でドイツ軍がその年の6月からソ連侵攻作戦を始めるとクレムリンに警告していたが、ヨシフ・スターリンは動かなかった。ロシア革命以降、ソ連軍とドイツ軍の関係は良く、スターリンはその関係を警戒していたとも言われている。
実際、ドイツ軍は1941年6月にソ連に対する軍事侵略を開始、7月にはレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫った。イギリスは動かない。
アドルフ・ヒトラーは10月3日、ソ連軍は敗北して再び立ち上がることはないとベルリンで語り、またチャーチル英首相の軍事首席補佐官を務めていたヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)
1941年12月に日本軍はマレー半島と真珠湾を奇襲攻撃してイギリスだけでなくアメリカとも戦争を始めるが、その翌月、1942年1月にドイツ軍はモスクワでソ連軍に降伏する。この段階でドイツの敗北は決定的だった。アメリカが参戦しなくてもヨーロッパではドイツが敗北し、ソ連が勝利することは確定的だった。
ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢に見えたが、11月になるとソ連軍が猛反撃に転じ、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲された。そして1943年1月にドイツ軍は降伏。その月にFDRとチャーチルはモロッコのカサブランカで協議、シチリア島上陸作戦が決まる。この作戦は1943年7月に実行されるが、これは対ソ連戦の始まりだ。ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからである。
この年の11月にアメリカでは大統領選挙があり、FDRが勝利した。すでにドイツの敗北は決定的であり、必然的に日本の敗北も視野に入っていた。戦争終結後にもFDRが大統領を務めるということは、ウォール街とファシズムとの関係が追及される。
金融資本にとって危機的な状況だと言えるが、こうした事態にはならなかった。FDRが1945年4月12日に急死したからだ。中心人物を失ったニューディール派の影響力は急速に弱まり、「赤狩り」もあってホワイトハウスの政策が帝国主義に戻る。
ドイツはFDRが死亡した翌月の1945年5月に降伏、チャーチルをすぐにソ連への奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日に提出された案が「アンシンカブル作戦」だ。
その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
この作戦を無用にした別の理由が7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場で実施されたプルトニウム原爆の爆発実験。この実験の成功で原爆製造への道が開け、正規軍による奇襲攻撃の必要がなくなったのである。爆発実験の実施日は当初、7月18日と21日の間とされていたが、ハリー・トルーマン大統領の意向でポツダム会談が始まる前日に行われた。
トリニティでの実験成功を受けてトルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可。そして26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表、8月6日に広島へウラン型を投下、その3日後に長崎へプルトニウム型を落としている。
原子爆弾の研究開発プロジェクトはマンハッタン計画と呼ばれているが、その計画を統括していた陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
8月6日に広島へ原爆を投下しなければならない理由もあった。1945年2月、クリミアのヤルタ近くで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連の首脳による話し合いでソ連の参戦が決まっていたのだ。ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結してから2カ月から3カ月後にソ連が日本に宣戦布告するという取り決めがあった。
この時のアメリカ大統領はルーズベルト。ソ連が参戦して中国東北部へ軍事侵攻、そのまま居座る事態をトルーマン政権は避けたい。中国を国民党に支配させようとしていたからだ。ソ連に撤退させる「何か」が必要だった。
ナチスによるソ連征服が失敗し、大戦は終結、チャーチルは1946年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言した。公開されたFBIの文書によると、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。(Daniel Bates, “Winston Churchill’s ‘bid to nuke Russia’ to win Cold War - uncovered in secret FBI files,” Daily Mail, 8 November 2014)
このチャーチルを「最初のネオコン」と呼ぶ人もいるが、ネオコンは1992年2月にDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。「唯一の超大国」になったアメリカは他国に配慮することなく単独で好き勝手に行動できる時代が来たと考えたのだ。
そのドクトリンは第1の目的を 「新たなライバル」の出現を阻止することだとしている。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないというわけだ。言うまでもなく、日本がアメリカのライバルになることも許されない。その上でアメリカの戦争マシーンの一部になるということだ。
その時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツだ。そのウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから、DPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
そのドクトリンに基づき、ジョセイフ・ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した。日本に対し、アメリカの戦争マシーンの一部になれという命令だろうが、当時の日本にはその道を歩こうとしない政治家もいたようだ。
そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)た。その10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。
結局、日本は戦争への道を歩み始め、自衛隊は2016年に軍事施設を与那国島に建設、19年には奄美大島と宮古島にも作り、23年には石垣島でも完成させた。
アメリカの国防総省系シンクタンク「RANDコーポレーション」が昨年に発表した報告書によると、アメリカ軍はGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲しようとしているが、配備できそうな国は日本だけ。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにする。そしてASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたという。
岸田政権は昨年12月16日に「国家安全保障戦略(NSS)」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」の軍事関連3文書を閣議決定し、2023年度から5年間の軍事費を現行計画の1.5倍以上にあたる43兆円に増額し、「敵基地攻撃能力」を保有することを明らかにした。日本政府が言う「敵基地」には軍事基地のほか工業地帯やインフラも含まれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304040000/
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9:保守保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/04/05 (Wed) 14:30:20
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【Front Japan 桜】 アメリカよ、中国に勝てるのか?[桜R5/4/5]
キャスター:宮崎正弘・佐波優子
https://www.youtube.com/watch?v=Kk3Bzv6C9-U
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10:777
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2023/07/28 (Fri) 03:47:30
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2023年07月27日
怪しい側近に操られる大統領 / アメリカン・デモクラシーの実態
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68934207.html
軽い神輿になる大統領
Bernard Baruch & FDR 213Bernard Baruch & Winston Churchill 8823
( 左 : フランクリン・ローズヴェルト大統領とバーナード・バルーク / 右 : ウィンストン・チャーチル首相とバルーク )
形式上、デモクラシーでは有権者が議員を選んでいるが、必ずしもその政治家が民衆の意思を反映しているとは限らない。特に、合衆国大統領の補佐官とかアドヴァイザー、政権の支柱となる閣僚には、大統領を操ったり、別の人物から指令を受けて動く奴もいる。疑惑の選挙でホワイトハウスの主人となったジョー・バイデンはその典型で、誰が見ても“操り人形”にしか思えない。政治に詳しくない庶民でも、「いったい、ジョーは誰の命令で動いているんだ?」と言いたくなる。
バイデンが来日し、岩国の空軍基地を訪問した時、彼は信じられない「嘘(妄想)」を口にした。バイデンはアメリカ兵の前で、「私の息子ボーは、イラクで命を失いました」と。確かに、彼の長男であるボー・バイデン(Joseph Robinette Biden)は2008年にイラクへ派遣されたが、2009年には無事にアメリカに戻っている。帰還後、ボー・バイデンはデラウエア州の司法長官になったが、2015年5月30日、脳腫瘍のためメリーランド州のベゼスダ病院で亡くなった。
Biden 21344Joe & Beau Biden 2
( 左 : 痴呆症が進んだジョー・バイデン/ 右 : 息子のボー・バイデンと一緒のジョー・バイデン )
ところが、ボケ老人と化したジョー・バイデンは、陸軍少佐のボーはイラクで戦死したと思っている。米国大統領を迎えた日本人ばかりでなく、アメリカ国民もバイデンの痴呆症にショックを受けていた。在日米軍の将兵なら、「こんな奴が最高司令官で、ウクライナ紛争について指令を出しているのか?」と疑ってしまうだろう。それにしても、息子の死を勘違いする父親なんて、普通の日本人じゃ考えられない。
Obama 12313(左 / 青年時代のバラク・オバマ)
日本語を知らないアメリカ人でも、「担ぐなら、軽くて、ちょっとパーがいい」という戯れ言に同意するだろう。愚劣な“神輿(みこし)”は、ホワイトハウスにも収納されている。昔、腐敗の街「シカゴ」で黒人を動員していバラク・フセイン・オバマは、まさしく赤く染まった黒いマリオネット(marionnette)。この「コミュニティー・オーガナイザー(住民をオルグする者)」は、金融、軍事、外政、科学についての知識は空っぽだ。しかし、大衆を前にした演説だけは上手かった。黒い聴衆は、オバマが語る「夢」とか「希望」に大感激。とはいっても、オバマの言葉は空手形。主流メディアはオバマの雄弁さを褒め称えたが、名演説と言っても、白人に対する恨みが十八番(おはこ)なだけ。
唖然とするのは、何の業績も無いオバマが、いきなり世界的に有名な『ハーヴァード・ロー・リヴュー(Harvard Law Review)』誌の編集長に選ばれたことだ。オバマは80名の編集員から選ばれたというが、こんなのは「有色人種優遇政策(affirmative action)」の一環だろう。(Fox Butterfield,‘First Black Elected to Head Harvard's Law Review,’The New York Times, February 6, 1990.)ハーヴァード大学の名物法学者であったロスコー・パウンド(Roscoe Pound)が生きていたら、きっと猛反対したはずだ。たぶん、墓の中で眠るジェイムズ・マディソン(James Madison)やジョセフ・ストーリー(Joseph Story)、ジェイムズ・ケント(James Kent)、ジェイムズ・ランディス(James McCauley Landis)も目が覚めてしまうだろう。(ちなみに、東京生まれのランディスは、ハーヴァード・ロー・スクールの総長や証券取引委員会の会長を経て、ジョン・F・ケネディー大統領の法律顧問になった。)
Joseph Story 1James Kent 1Roscoe Pound 1James Landis 11
(左 : ジョセフ・ストーリー / ジェイムズ・ケント / ロスコー・パウンド / 右: ジェイムズ・ランディス )
日本の地上波テレビは一切報道しなかったが、オバマは悪名高いテロリストのビル・エアーズ(William Ayers)の教え子だ。オバマが執筆したという自伝『Dreams From My Father』は、実質的にエアーズによる代筆だった。2009年10月のインタヴューで、エアーズ自身が暴露したので、オバマは赤っ恥をかいている。(‘Terrorist Ayers Confesses Sharing Obama's 'Dreams', Investor's Business Daily, November 26, 2013.)でも、意外と黒人からの非難は無い。おそらく、「黒人枠」でハーヴァード大学やシカゴ大学のロー・スクールに潜り込んだ、と勘ぐっているんじゃないか? だいたい、黒人の劣等生は、いくら頑張っても“感動的”な文章なんて書けない。ただし、マイク・タイソン(有名なプロ・ボクサー)やクリス・ロック(漫談師・俳優)と比べたら、ヤバマはちょっとだけ“知的”なのかも。
Robert Rubin 213Bill Ayers 382Obama 6632
(左 : ロバート・ルービン / 中央 : ビル・エアーズ / 右 : 「優秀な学生」と評されたバラク・オバマ )
オバマが歩んだ出世街道には色々な導師がいて、有名な世話係といえばユダヤ人のロバート・ルービン(Robert Rubin)だ。そして、大統領選挙の出馬前にはズビグニュー・ブレジェンスキー(Zbigniew K. Brzezinski)に紹介され、この大御所が後見人のようになっていた。彼はオバマがズル編入したコロンビア大学で教鞭を執っていたが、カーター政権が誕生すると国家安全保障担当の補佐官になった。ちなみに、ブレジンスキーは1972年に『ひよわな花 日本』という本を出版しており、50年近く前の古本にもかかわらず、市場では高値になっている。
Cyrus Vance 724Jimmy Carter 43Zbigniew Brzezinski 001
( 左 : サイラス・ヴァンス / 中央 : ジミー・カーター / 右 : ズビグニュー・ブレジェンスキー )
今では懐かしいが、「人権外交」という愚かな方針で馬鹿にされたジミー・カーターは、大統領選前、ワシントンのヘドロに染まっていない“クリーン”なイメージを“売り”にしていた。ところが、大統領に当選するや否や、タウンミーティングで述べた言葉を翻し、自身の政権をエスタブリッシュメントで塗り固め、民衆の期待を裏切る人事を行っていた。
例えば、国務長官にはアヴェレル・ハリマンの部下であったサイラス・ヴァンス(Cyrus Roberts Vance, Sr.)が就任し、財務長官にはヴェルナー・マイケル・ブルーメンタール(Werner Michael Blumenthal)が選ばれた。彼はドイツから逃れてきたユダヤ人。国防長官にはユダヤ人で核物理学者のハロルド・ブラウン(Harold Brown)が任命され、エネルギー省の長官には、これまたユダヤ人が選ばれ、ニクソン政権で国防長官、フォード政権でCIA長官を務めたジェイムズ・シュレッシンジャー(James Rodney Schlesinger)が就任する。複雑怪奇な外政となればカーターの不得意分野で、三極委員会(Trilateral Commission)にお任せの状態だった。ブレジンスキーと同じく、ブルーメンタールやブラウン、ヴァンスは、デイヴィッド・ロックフェラーが牛耳るCFR(外交問題評議会)のメンバーだった。
Werner Michael Blumenthal 1Harold Brown 1James Schlesinger 1Henry Morgenthau Jr 2133
( 左 : ヴェルナー・マイケル・ブルーメンタール / ハロルド・ブラウン / ジェイムズ・シュレッシンジャー / 右 : ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア)
Harry Dexter White 213( 左 / ハリー・デクスター・ホワイト )
フランクリン・デラノ・ローズヴェルト(FDR)の場合も同じで、彼の周りには“いかがわしい”奴らがズラリと顔を並べていた。例えば、財務長官には恩返しということでヘンリー・モーゲンソーの倅(せがれ)であるヘンリー・モーゲンソー・ジュニア(Henry Morgenthau, Jr.)が就任し、その部下にはハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)がいた。彼は「ジュリスト(Jurist)」なるコード・ネームを持ち、NKVD(ソ連の秘密警察)のエージェントであった。このユダヤ人は「ハル・ノート」の素案を書いた財務官僚で、日米の両国で悪名高い。
ところが、京都産業大学の教授を務めていた須藤眞志(すどう・しんじ)は、肝心な点を見逃していた。彼は著書の中でホワイトについて解説したが、「ジュリスト」がユダヤ人であることに言及していないのだ。(須藤眞志『ハル・ノートを書いた男 日米開戦外交と「雪」作戦』文春新書、平成11年、pp.126-127.を参照。) 日本の大学教授や歴史家というのは、民族差別や人種偏見に対する非難を恐れているのか、ユダヤ人に対する批判が甘く、歐米の左翼学者が述べたことを日本語で繰り返すだけの九官鳥が多い。
州知事や学長から成り上がったウッドロー・ウィルソン大統領には、「大佐」と呼ばれていたエドワード・マンデル・ハウス(Edward Mandell House)が影のように纏わり付いていた。ハウス大佐と似たような“調教師”がローズヴェルト大統領にも附いていて、それがルイス・マクヘンリー・ハウ(Louis McHenry Howe )というジャーナリストで、“小妖精(elfin)”と呼ばれた政治顧問だ。ルイス自身は大統領に仕える「無名の士(no-man)」と述べていたが、FDRに及ぼす影響は甚大だった。Julie M. Fenster, FDR's Shadow : Louis Howe, The Force That Shaped Franklin and Eleanor Roosevelt, New York : St. Martin's Press, 2009, p.222.) しかも、彼はエレノア夫人のアドヴァイザーにもなっていたから凄い。
Edward Mandell House 2133Louis McHenry Howe 213FDR & Eleanor 2143
(左 : エドワード・マンデル・ハウス / 中央 : ルイス・マクヘンリー・ハウ / 右 : エレノア夫人とフランクリン・ローズヴェルト大統領)
もっとビックリするのは、選挙後、ハウが大統領の家族と一緒にNYのオルバニーからホワイトハウスに移り、二階のリンカン・ベッドルーム(Lincoln Room)に陣取っていたことだ。(Jean Edward Smith, FDR, New York : Random House, 2007, p.334.)白亜館の主人たるFDRは、朝8時頃起きると、ベッドで朝食を取り、食べながら「New York Times」や「Herald Tribune」「The Washington Post」「Chicago Tribune」といった新聞に目を通していた。そして、ルイス・ハウが用意したファイルを受け取っていたそうだ。ハウはこれを「日報ラッパ(Daily Bugle)」と呼んでいた。奇妙な関係に思えてしまうが、FDRが髭を剃ったり、着替えをしたり、タバコをふかしている時も、ハウはずっと大統領の側にいたらしい。シャーロック・ホームズとドクター・ワトソンじゃあるまいし・・・。
FDRの影法師みたいな立場のルイス・ハウだが、その異様な人相と違い、家柄は結構よかった。
父親のエドワード・ポーター・ハウ(Edward Porter Howe)は元陸軍の大尉で、除隊後は不動産やベンチャー・ビジネスに乗り出す冒険家であった。しかし、商人の才能は無かったようで、大尉の家族は貧乏生活に転落する。だが、「腐っても鯛」というか、失敗にめげない軍人魂は健在で、彼は友人からお金を借りて、NY州のサラトガで発刊される弱小の地元紙『Sun』を買収した。ジャーナリストで満足できないエドワードは、次第に政治への野心を抱くようになり、民衆党員としてインディアナ州の上院議員を目指すが、あえなく落選。
それでも、政界への熱意を断念できず、スティーブン・グローバー・クリーヴランド(Stephen Grover Cleveland)を支援する。この応援が功を奏したのか、エドワードはサラトガの郵政局長という役職を得ることが出来た。しかし、人生には山あり谷ありだ。武士の商法といえばそれまでだが、「Sun」の経営は上手く行かず、最終的に売却する破目に。息子のルイスも相当な苦労をしたそうだ。
「アメリカ貴族」とも言えるFDRと同じく、ルイス・ハウも“そこそこ”名のある家族の出身だった。父親のエドワードは血筋が良く、彼の祖先は独立戦争以前から新大陸に渡ってきたそうだ。最初はコネティカットに住んでいたが、独立戦争後にヴァーモントに移ったそうである。
ルイス・ハウの母親、エリザ・ブレイク・レイ(Eliza Blake Ray)も名門の出身で、父親のジェイムズ・ミッチェル・レイ(James Mitchelle Ray)は、インディアナポリスにある歳入庁で副長官職を拝命していた。エリザの母、マリア・レベッカ・コー(Maria Rebecca Coe)の祖先も毛並みが良く、祖先の一人であるレベッカ・クック(Rebecca Cook)は、「メイフラワー号」で新大陸にやって来たフランシス・クック(Francis Cook)の子孫であるという。
両親の家系から観れば、ルイス・ハウは西歐系のサラブレットに見える。しかし、その容姿はお世辞にも魅力的とは言えず、幼い頃には喘息を患う虚弱体質の児童であった。彼の顔写真を目にすると、「皮膚病の痕があるのか?」と思えてしまうが、これは彼が少年の時に“やらかした”自転車事故の“結果”だ。無謀にも、ルイスはブレーキの無い自転車に跨がり、スピードを出していい気になっていた。ところが、ひょんな事で彼は転んでしまい、顔を地面に叩きつけることに。これが原因で、ルイス少年には一生涯「顔」に残る傷が出来てしまった。第二次大戦中、ドイツ軍でコマンド部隊を率いていたオットー・スコルツェニー(Otto J. A. Skorzeny)中佐みたいに、大学時代の決闘で左頬に傷が出来たのなら自慢になるけど、自転車から転げ落ちて傷が出来たんじゃ女の子に自慢できないし、何よりも格好悪い。
Louis McHenry Howe 882(左 / 大きいカラーが特徴のルイス・ハウ)
後に、政界で“有名人”となったルイスは、その人相と人目を引く大きなカラーで著名になった。確かに、当時のアメリカ人男性は硬いカラーの服を着ていたが、ルイスの襟カラーは特大であった。それゆえ、周囲の者は嘲笑うかのように、彼を「ルイス・ザ・ジャイアント・カラー(Louis, The Giant Collar)」と呼んでいたそうである。
ある人々からは「中世の妖怪(mediaeval gnome)みたいだ」と評されたルイス・ハウは、その容姿も風変わりであったが、個人的な趣味も尋常ではなかった。1970年代のヒッピーじゃあるまいし、彼は自分の部屋で香を焚く事があったらしい。知人によると、彼の部屋に充満する煙とタバコの臭いは相当キツかったそうだ。一般人から見れば、ルイスは奇妙な側近に思えてしまうが、よく判らない事情でローズヴェルトの指南役(guru)となっていた。NYの五番街にある邸宅で大統領と一緒に暮らすこともあったらしい。もちろん、女房のエレノア・ローズヴェルト夫人は承知の上だ。しかし、母親のサラ・デラノ・ローズヴェルトは、息子に変な影響が及ぶのでは、と心配していたという。
Sara Delano Roosevelt 213Harry Hopkins 111Jesse Strauss 1Oscar Solomon Straus 1
(左 : サラ・デラノ・ローズヴェルト / ハリー・ホプキンス / ジェシー・I・シュトラウス / 右 : オスカー・ソロモン・シュトラウス )
このルイス・ハウが1936年4月に亡くなると、その後釜に納まったのは、あのハリー・ホプキンス(Harold Lloyd Hopkins)だ。ホプキンスはヤルタ会談で常に大統領に付き添い、そっと耳打ちする補佐官として有名だった。それ以上に注目すべきは、ホプキンスがエレノア夫人とも親しい関係で、二人とも赤い進歩派だった点である。ホプキンスはユダヤ人ではなかったが、彼をFDRに紹介したのは、有名な百貨店「メイシーズ(Maycy's)」の社長を務めたジェシー・I・シュトラウス(Jesse Isidor Straus)であった。このユダヤ商人は、ローズヴェルト大統領と親しく、後に駐仏アメリカ大使になっている。ちなみに、彼の叔父は、ユダヤ人で初の商務長官になったオスカー・ソロモン・シュトラウス(Oscar Solomon Straus)である。1921年、オスカー・シュトラウスは進歩党から出馬してNY州知事を狙うが、やはりユダヤ人じゃ人気が出ないのか、有権者の支持を得られず失敗に終わっている。でも、米国ユダヤ歴史協会(American Jewish Historical Society)の総裁にはなれた。
FDRの背後で動くユダヤ人
Bernard Baruch 7732( 左 / バーナード・バルーク)
ホプキンスとは違う立場で、FDRに影響を与えたのは、ウォール街の大物と評されたバーナード・バルーク(Bernard Mannes Baruch)だった。このユダヤ人の投資家は、第一次世界大戦の前から裕福で、100万ドル以上の財産があると囁かれていた。戦後はその資産が2億ドルに膨れ上がったんじゃないか、とも言われていたから凄い。彼はウィルソン大統領のアドヴァイザーになると、1918年に「戦時産業局(War Industries Board)」の局長に就任し、軍需物資のビジネスで一儲けしていた。
1930年代になると、いつの間にか大統領の顧問に登り詰めており、ウィンストン・チャーチルが訪米すれば、真っ先に密談をする重鎮になっていた。やはり、チャーチルはユダヤ人と反りが合う。バーナード・バルークの出自を調べてみると、典型的なユダヤ移民の子孫であることが判る。自伝を出版したバルークは、自らをサウス・カロライナ生まれの“アメリカ人”と称していたが、本質的にはコスモポリタンのエイリアンだろう。
アメリカ版のシャイロックたるバルークは、父と母の家系からもユダヤ人であることは明白だ。父親のサイモン・バルーク(Simon Baruch)は、1840年7月29日、ポーランドのシュバジェンツ(Swarzendz / Schwersenz / 当時はドイツ領)で生まれたが、彼が自身の祖先について話すことは滅多に無かったそうだ。(Bernard Mannes Baruch, Baruch : My Own Story, New York : Henry Holt and Company, 1957, p.3.) サイモンの父、つまりバーナードの祖父に当たるベルンハルト・バルーク(Bernhard Baruch)は、ラビを排出した家系で、スペインに住んでいたセファラディー系のユダヤ人であったという。孫のバーナードによると、バルーク家はポーランドとロシアの系統が融合した血筋らしい。(「バルーク」というファースト・ネームは、この祖父から由来するそだ。)
シュバジェンツで生まれ育ったサイモン・バルークは、プロイセン軍に引っ張られるのが厭で、ドイツ領のポーランドを離れ、1855年にアメリカへ渡ってきた。彼は15歳の時、ポーゼンのギムナジウム(日本で言う高等中学校)に通っていたが、徴兵に怯えたので、遠く離れた米国に逃れた、という訳だ。当時から、アメリカはユダヤ人の「避難所」になっており、ユダヤ人は拒絶されることもあったので、「ポーランド人枠」や「オーストリア人枠」を利用して、偽装入国することもあった。ユダヤ人というのは世界各国に同胞が散らばっており、一匹狼が見知らぬ土地に流れ着いても、何らかの「手助け」を売ることができる。
サイモンも新天地の米国で頼りになる同胞がいて、それがサウス・カロライナ州のカムデン(Camden)に住み、そこで小さな雑貨店を営むマンネス・バウム(Mannes Baum)であった。(バルークのミドル・ネームである「マンネス」は、このユダヤ商人のファースト・ネームから貰った名前である。)
徴兵逃れのサイモンは、バウムの女房からその才能を認められ、チャールストンにある医学カレッジ(South Carolina Medical College)に進むよう勧められたという。サイモンは後にヴァージニア州リッチモンドにある医学校(Medical College of Virginia)にも通い、そこでも医学を勉強したそうだ。ところが、移住先のアメリカで南北戦争が始まると、医学を修めたサイモンは、歩兵とならず得意分野を活かしてアシスタントの軍医になった。(上掲書、p.5.)ヘンリー・キッシンジャーのように“軍歴”を持つユダヤ人は珍しくないが、勇猛果敢な戦士というより、外国語を駆使する情報収集係とか、武器や弾薬を配達する兵站係というのが多い。日本に来たチャールズ・ケーディス(Charles Louis Kades)も、激戦を経た陸軍の大佐じゃなく、軍服を着た「弁護士」上がりの役人だった。
プロイセンの軍隊を嫌ったサイモンは、ロバート・リー将軍が率いる南軍に属したが、戦争の事については息子にあまり喋らなかったそうである。確かに、剣じゃなくメスを握ったアシスタントじゃ華々しい功績は無いし、北軍に捕まった時の惨めな“体験”では話にならない。ただし、サイモンは1864年7月に「軍医(Surgeon)」に昇格し、ノース・カロライナ州のトマスヴィルに派遣されたという。でも、激務のせいか、チフスに罹ってしまった。高熱にうなされたサイモは、敵軍に捕まってしまい、一巻の終わりかと思いきや、あっけなく釈放された。ただし、本人が知らないうちに解放されたというから驚く。何とも情けない話だが、ユダヤ人の「軍人」には、これといった“武勇伝”が無い。
バーナード・バルークを産んだイザベラ・ウルフ(Isabelle Wolfe Baruch)もユダヤ人で、彼女の先祖はアイザック・ロドリゲス・マルケス(Isaac Rodriguez Marques)というセファラディー系の移民であった。アイザックは1690年代に新大陸のニュー・ヨークに住み着き、ヨーロッパとアングロ・アメリカ、そしてラテン・アメリカを行き来する貿易で生計を立てる船主だった。(上掲書、p.13.)このアイザックが何処で生まれたのか判らないが、ジャマイカ生まれという推測もある。確かなのはスペインやポルトガルにいたユダヤ人という点だけである。
独立戦争が起こる前、アメリカ大陸にはイギリス人やオランダ人の奴隷商がいた。しかし、奴隷を扱う貿易商はヨーロッパ人だけじゃなく、数は少なかったがユダヤ人にもいた。アイザックも所有する「ドルフィン号」でアフリカ黒人を輸送していたそうだ。アイザックにはアイザック・マークス(Isaac Marks)という孫がいたそうで、このアイザックにはサミュエル(Samuel)という息子が生まれていた。サミュエルにはデボラ(Deborah)という娘がいて、このデボラ・マークスはチャールストンでラビを務めるハートウィッグ・コーエン(Hartwig Cohen)と結婚した。
デボラとハートウィッグの間には、サラ(Sarah Cohen)という娘が生まれ、彼女がバーナード・バルークの祖母となる。サラはセイリング・ウルフ(Saling Wolfe)と結婚し、子供を13人もうけるが、そのうちの三人は夭折したそうだ。バーナードの母となるイザベルは、ウルフ家の長女であった。父親のセイリングは裕福な奴隷貿易商人であったようで、孫のバーナードによると、田園地帯に住むイギリス紳士(English country squire)のように見えたそうだ。(上掲書、p.19) でも、実際はイギリス人の地方名士を真似ただけのユダヤ成金じゃないのか?
イザベラ・ウルフは戦争から戻ってきたサイモン・バルークと結婚し、四人の息子を産んでいた。長男がハートウィッグで、次男が投資家になるバルークだ。三男がハーマンで、末っ子がセイリングという名前だった。
「バンチ(Bunch)」というニックネームで呼ばれたバーナード少年は、南北戦争で疲弊したカムデンに住んでいたが、比較的裕福な家庭で育っていた。彼は快適な環境で暮らし、家には黒人の乳母であるミネルヴァ(Minerva)が仕えていたという。子供達は彼女になついていたらしい。ミネルヴァは結婚していない、つまり夫がいないのに、なぜか子供を5人産んでいた。彼女はバーナードの母親イザベラに、よく謝っていたそうで、「奥様、私はまた過ちを犯してしまいました」というのが口癖だった。
黒人家庭は今も昔も複雑で、親が違う兄弟とかは珍しくない。両親・祖父母さえはっきりしない黒人も多く、風邪かと思ったら妊娠で学校を休む女子高生もいるから、日本人だと天を仰ぎたくなる。白人家庭で育った黒人の養子なんかはもっと複雑だ。精神的には「白人」となるが、鏡に映った顔を見れば「黒人」ということが厭でも判る。本当に気の毒だけど、養子の黒人は自分が何者なのかも判らないまま大きくなる。学校で「アメリカ史」を習っても、黒人にしたら「外国史」に過ぎず、“祖先”の過去を物語った歴史じゃない。カルフォルニアやニュー・ヨークでは、奴隷制の賠償金を要求する黒人がいるけど、祖先が誰なのか判らぬまま請求するなんて無茶だろう。しかも、「一人当たり120万ドルよこせ」なんて法外だ。(Cheyanne M. Daniels,‘Inside a California proposal to pay $1.2 million in reparations to Black Americans, ’The Hill, May 4, 2023.)
脱線したので話を戻す。当時のサウス・カロライナ州や他の南部地域でも、中流の白人家庭には黒人の女中や乳母、小作人などが普通にいて、BLM運動が勃発するような雰囲気じゃなかった。黒人もちゃんと“身分”を弁えていたから、あえて白人の旦那衆と揉め事を起こそうとは思わなかった。バルーク家も当然の如く黒人の召使いを雇っていたから、リベラル・メディアを牙城とするユダヤ人は、なるべく過去に触れないよう注意している。ましてや、奴隷商人なんてNGだ。
バーナード・バルークは自伝の中でミネルヴァから聞いた話を紹介している。当時の南部黒人で“幽霊”や“お化け”を信じている者は少なくなかった。ミネルヴァによると、黒人は「hants(森に住む怪物で、人間を拷問したり襲ったりする)」を信じており、原始的な迷信に怯えていたという。黒人は自宅にある窓ガラスを嫌っていたという。(上掲書、pp.30-31) なぜなら、窓越しに「hants」が部屋の中を覗いている、と信じていたからだ。現在の黒人は馬鹿にするけど、昔の黒人は「hags(普通の人間を装うお化け)」や「boo-daddies(魔術師の医者が受肉化した妖怪)」などを信じていた。
Curtis Dall 4432
( 左 / カーチス・ドール)
ウォール街やワシントンには、得体の知れないフィクサーやユダヤ人の富豪が蠢(うごめ)いている。彼らは大恐慌の最中でも私腹を肥やすし、戦争となれば欣喜雀躍だ。元ボクサーのバーナード・バルークも、銭儲けに関しては敏感で、サメよりも速く、ハイエナよりも貪欲だった。彼はFDRの娘アンナと結婚したカーチス・ドール(Curtis B. Dall)に親切で、FDRの娘婿に銭儲けのヒントを与えたそうだ。
このドール氏は第一次世界大戦の時、海軍航空隊に属する少尉として海外に派遣され、戦後は証券業界に入って、リーマン・ブラザーズやメリル・リンチの役員になったそうだ。(退役した時は大佐になっていた。)興味深いのはドール氏が出逢った人々で、彼は政財界の重要人物と接していたそうである。
例えば、1927年頃、勤め先のリーマン・ブラザーズにクーン・ローブ社(Kuhn, Loeb & Co.)のフレデリック・ウォーバーグ(Feredric Marcus Warburg)が入ってきたという。後にクーン・ローブのパートナーになるフレデリックは、ドール氏の仕事を手伝ってくれたそうで、仕事の合間には社会問題や戦争の話をしたそうだ。こういう間柄になったので、ウォーバーグ家の御曹司は、同僚のドールに一族の逸話を教えてくれたという。1918年11月、フレデリックの伯父でドイツに住むマックス・ウォーバーグ(Max Warburg)は、皇帝直属のシークレット・サーヴィスで働く隊員だった。停戦後、マックスは50万ドルの金塊をドイツからロシアに運び、レオン・トロツキーに渡したそうだ。(Curtis B. Dall, FDR : My Exploited Father-In-Law, Tulsa : Christian Crusade Publications, 1967, p.29.)
「ウォバーグ家の歴史」を一族の者から直接聞くことが出来たというのは本当に貴重なことだ。伝聞とはいえ、フレデリックの話は本当だろう。何しろ、彼の父親はフェリクス・M・ウォーバーグ(Felix M. Warburg)だし、母親はジェイコブ・シフ(Jacob Schiff)の娘であるフリーダ・シフ(Frieda Schiff)ときている。まさにユダヤ人富豪のサラブレッドといったところだ。
Frederick Warburg 1Frieda Schiff Warburg 1Felix M Warburg 1Max Warburg 2
(左 : フレデリック・ウォーバーグ / フリーダ・シフ / フェリクス・M・ウォーバーグ / 右 : マックス・ウォーバーグ)
ドール氏は別のエピソードも紹介していた。彼がグッド・ボディー社に勤めていた頃、岳父の顧問を務めていたバーナード・バルークと面会する機会を持ったという。最初は緊張したが、段々と打ち解け合い、ドール氏は投資物件の話題を持ちかけてみた。例えば、「ナショナル・デイリー・カンパニーの株について、どう思うか?」と尋ねてみたそうだ。しかし、返ってきた答えは凡庸な意見で、これといった特ダネではなかった。バルークは素っ気なく、「素晴らしい会社だから、いい投資になるでしょう」と言うばかり。これでは何のアドヴァイスにもならない。
ところが、落胆して沈黙するドール氏を哀れんだのか、バルークは突然「ドールさん、私は銀が好きなんです」と言い出した。最初、何を意味するのか解らなかったドール氏は、「そうなんですか?」と訊くしかなく、ただポカンとしていたそうである。バルークは彼に向かって、「事実、私は世界市場で流通する銀の16分の5を持っているんですよ(In fact, I own about 5/16ths of the world's visible supply of silver.)」と伝えていた。勘の鈍いドール氏はピンとこなかったようで、「それは大変な量ですね」としか応えなかった。バルークも「ええ、とてもたくさんの銀ですよ」と繰り返すだけだった。
この会話は「客人が到来した」との執事の連絡で中断されてしまった。しかし、バルークの助言を真剣に考えなかったドール氏は、数ヶ月後にバルークの意味が分かるようになる。何と、米国議会は公開市場で扱われる銀の購入価格を二倍にしてもいい許可を財務省に与えたのだ。(FDR : My Exploited Father-In-Law, p.74.) この知らせを受け、****では農民や商人が大騒ぎとなった。なぜなら、農産物や商品との交換で、米国から受け取る銀の量が半分になるからだ。物価の急激な高騰は、他の国々でも大災難をもたらした。もしも、あの時、ドール氏がバルークの“ヒント”に従って銀を購入していたら、彼はかなりの利益を手にしていたに違いない。
「格差社会」というのは何処の国にもあって、裕福な者はその富を更に増やすことができる。なぜなら、彼は様々な人脈を使ったり、その高い地位を利用して、“上質なインサイダー情報”を得ることができるからだ。ローズヴェルト政権で隠然たる権力を誇るバルークも、内部情報を摑んで自分の富を増やしていた。
よく「類は友を呼ぶ」というが、バルークも同類のユダヤ人と組んでいた。彼はユージン・マイヤー(Eugene Isaac Meyer)を誘って、1915年、アラスカにある「ジュノー金鉱会社(Alaska Juneau Gold Mining Company)」に投資を行っていたのである。ユージン・マイヤーは、フランス系ユダヤ人のビジネスマン、マルク・ユージン・マイヤー(Marc Eugene Meyer)の息子であった。マルクは雑貨店から金融業界の大手になった「ラザード・フレール(Lazard Frères)」の社長を務めていた。息子のユージン・ジュニアは、いかにもユダヤ人らしく、マスメディアに食指を伸ばし、経営難に陥っていた「ワシントン・ポスト」紙を買収した。彼の娘であるキャサリン・マイヤー(Katherine Meyer)は父の跡を継ぎ、ピューリッツァー賞をもらう名物オーナーになっていた。彼女はフィリップ・グラハム(Philip Graham)と結婚し、社長夫人の「キャサリン・グラハム」として新聞社に君臨する。
Eugene Meyer 111Katherine Meyer Graham 1Philip Graham 214
(左 : ユージン・マイヤー / 中央 : キャサリン・マイヤー ・グラハム / 右 : フィリップ・グラハム )
商売上手なバルークは、以前から金の重要性に目を附けており、1933年2月まで、コツコツと金塊を買い漁っていた。彼はニュー・ヨークにある銀行の地下室(金庫)に、66本の光り輝く延べ棒を貯め込んでいたそうだ。(Jordan A. Schwarz, The Speculator : Bernard Baruch in Washington, Chapel Hill : The University of North Carolina Press, 1981, p.296.)ところが、間もなくバルークの“貯金”は停止する。なぜなら、フランクリン・ローズヴェルト大統領が1933年4月に大統領命令を発し、アメリカ国民が所有する金(ゴールド)を巻き上げることにしたからだ。
John Garner 11(左 / ジョン・N・ガーナー)
テキサス州の下院議員からローズヴェルト政権の副大統領にまで登り詰めたジョン・N・ガーナー(John Nance Garner)は、元々テキサスの銀行家であった。しかし、バールークとは“反り”が合わず、それほど親しい関係にはならなかった。彼はインサイダー情報で儲けているバルークをからかうつもりでFDRに質問を投げかけたという。「大統領、我々の友人の中には、大量の金を保有する者がいるんですよ」と。すると、FDRは「誰なんだい?」と尋ねた。ガーナーは嬉しそうに答え、「バルークですよ! 私は彼が金塊を山のように貯め込んでいるのを知っているんです」と述べたそうだ。(上掲書、p.297.)
後に、FDRはコーネル大学のジョージ・ウォーレン(George Warren)教授の勧めもあってか、バルークが喜びそうな方針を発表した。何と、合衆国政府が新たに採掘された金を市場価格を上回る値段で、しかも固定価格で買い取ることを明らかにしたのだ。これなら、バルークはボロ儲けとなる。事実、バルークは自伝の中で儲けたことを認めているのだ。(Baruch : My Own Story, p.230.)
Joseph Robinson 1(左 / ジョセフ・ロビンソン )
ところが、大儲けしたユダヤ人には心配事があった。所得が増えれば税金も増える。そこで、バルークはアーカンソー州選出の上院議員、ジョセフ・ロビンソン(Joseph Taylor Robinson)を利用することにした。バルークはロビンソンに働きかけ、減税の政治キャンペーンを張ることにしたのである。日本人でも呆れてしまうが、1935年1月以降、鉱山への投資から得られた利益に対するキャピタル・ゲインズ課税を削減すべし、というのが、その内容だった。(The Speculator, p.298.)大統領の執務室に出入りする政治顧問が、自分の利益を増やすべく、特定の減税方針を画策するなんて言語道断だ。でも、アメリカの富裕層では常識なのかも知れない。
株への投資や先物取引などは、素人が手を出す領域じゃない。株は博打だ。しがない庶民は、一攫千金の夢を抱いて株に手を出すが、所詮、情報を持たない“アマチュア”なので、相場を熟知するプロには勝てない。むしろ証券会社の“カモ”にされるだけ。株の世界では大口のお客だけが守られる。虎の子を預ける庶民は、「カス」とか「クズ」と呼ばれていた。
Martha Stewart 1(左 / マーサー・スチュアート )
インサイダー取引で有罪となったマーサー・スチュアート(Martha Helen Stewart)は、庶民に対する貴重な教材だ。彼女は2001年12月まで、「ImClone Systems」の株を保有していたが、それが暴落するとの情報をメリル・リンチのブローカーであるピーター・バカノヴィッチ(Peter Bacanovic)から教えられ、即座に持ち株を売却してしまった。マーサは4万5千673ドルの損失を免れたが、この不正がバレて禁錮刑と罰金刑の判決を受けることに。2004年、犯罪者となったマーサは、ウェスト・ヴァージニアの刑務所で服役した。彼女料理や園芸、内装装飾などをテーマに、御洒落なライフスタイルを提案していたが、有罪判決を受けたことで、自身の冠番組をなくし、その名声も地に落ちた。しかし、刑期を終えると、以前の仕事を再開し、マーサは失った富を取り戻した。有名人は失敗を肥料にして富を増やす。一般国民だと単なる前科者で、再就職なんて無理なのに・・・。
かつて、アメリカ人は敗戦国の日本人に 「アメリカン・デモクラシー(民衆支配の統治形態)を自慢していたが、現在でも同じプライドを持っているのだろうか? 愛想がいいだけの木偶の坊が人民投票で選ばれ、資金を提供する旦那衆が「操り人形」を動かすのが、アメリカン・デモクラシーの実態だ。そう言えば、プラトンやアリストテレスは、デモクラシーを最悪の統治形態と呼んでいたよねぇ~。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68934207.html
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2023/08/11 (Fri) 04:24:12
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非ユダヤ系アメリカ人にはバカしかいない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14138805
コーカソイドは人格障害者集団 中川隆
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html
白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html
アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007474
アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007480
コロンブスとユダヤの意外な関係|茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=l4XEUj2_b4E&list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE&index=21
ユダヤ人の避難所 ニューヨークのはじまり|茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=noZBGbxgiwI&list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE&index=22
北米植民地戦争とアメリカ独立/ロスチャイルド家のはじまり|茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=-lDkXUiZcJA&list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE&index=23
19世紀アメリカへのユダヤ移民/名前でわかるユダヤ人|茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=JjN31hHSuOI&list=PLGqoPsu9icDYmqlUflf_TmVklScqHwoQE&index=24
茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
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吉岡孝浩×茂木誠 - YouTube
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茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
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茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
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アシュケナージ系ユダヤ人の歴史
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14043502
ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14077515
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2023/08/27 (Sun) 08:29:55
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イラク戦争の背景
東北学院大学講師・世界キリスト協議会前中央委員
川端 純四郎
ご紹介いたします。
先生は1934年のお生まれです。東北大学文学部に学ばれ、博士課程を終えられてから、ドイツのマールブルグ大学に入学されました。帰国後、東北学院大学教員として35年間お勤めになりました。その後ひきつづき講師として、現在も勤務されています。一貫して平和、人権、政治改革の活動に積極的に関わっておいでになりました。
「9条の会」の講師団メンバーとしても、全国を股にかけて講演なさっており、昨年は1年間で80回以上の講演会を開いておられます。
先生は今朝8時前に仙台を発ち、はるばる鋸南町においで下さいました。今日の講師としてほんとうにふさわしく、よいお話をうかがえると思います。早速、先生からお話をうかがいたいと思います。 先生、どうぞよろしくお願いいいたします。
安藤
みなさん、こんにちは。 安房郡の水清き鋸南町に伺って、こうしてお話できることをありがたいと思っています。初めておうかがいしました。木更津まで来たことはあるのですが、今日、電車で君津を過ぎたらとたんに山が美しくなり、あそこまでは東京郊外のなんとまあみっともない風景でしたけれど、あそこから南に来ると一気にほんとうに昔のよき日本の風景がよみがえってくるようでした。ほんとうに嬉しく思いました。
いま、「さとうきび畑」の朗読と、合唱団のコーラスをお聞きしたのですが、どちらも聞いていて涙が出ました。
私は、戦争に負けた時小学校6年生でした。仙台で敗戦を迎えましたが、仙台も空襲で全滅いたしました。街の真ん中にいましたから、もちろんわが家も丸焼けでした。忘れられない思い出があります。街の真ん中の小学校でしたから、同級生が一晩で8人焼け死にました。隣の家の、6年間毎日いっしょに学校へ適っていた一番仲の良かった友達も、直撃弾で死にました。今でも時々思い出します。
今このような歌を聞くと、どうしてもその人のことを思い出します。思い出す私の方はもう70になりますが、記憶に出てくるその三浦君という友達は、小学校6年生のまま出てきます。どうして小学校6年で人生を終わらなければいけなかったのか、生きていてくれたらいろんな事があったのに、と思います。戦争なんて二度としてはいけない、というのが一貫した私の願いです。
私は牧師の家に生まれました。父はキリスト教の牧師で、教会で生まれ教会で育って、讃美歌が子守歌でした。牧師の中には戦争に反対した立派な牧師さんもおられたのですが、私の父のような多くの普通の牧師は、政治や社会に無関心で魂の救いということしか考えていませんでした。で、私もその親父に育てられましたから、大学を出、大学院に入って博士課程までいって、ずっとキルケゴールや実存哲学という、魂だけ見つめているような学問をやっていて、政治とか経済、社会とかは25歳までいっさい関心がありませんでした。
25歳の時チャンスがあって、ドイツ政府の招待留学生となってドイツヘ勉強に行くことになりました。1960年のことでした。1960年にドイツへ行ったというだけで、どんなにノンポリだったか分かります。安保改訂問題で日本中が大騒ぎの時、それを尻目に悠々とドイツ留学に行ったのです。幸か不幸かまだ世界は貧しくて、飛行機などというものは贅沢な乗り物で、まだジェット旅客機機はありませんでした。プロペラ機でヨーロッパヘ行くには途中で何遍も何遍も着地し、給油して、今のようにノンストップでシベリヤを越えて、などというのは夢のような話でした。しかもベラ棒に高いのです。船の方があの頃はずっと安かったのです。特に貨物船に乗せてもらうと飛行機よりずっと安いのです。そこで一番安いのを探して、5人だけ客を乗せるという貨物船をみつけました。
その船で神戸を出航し、インド洋からスエズ運河をぬけ、地中海を渡ってイタリアのジェノバに上陸。そこから煙を吐く蒸気機関車でアルプスを越えて、ドイツのマールブルクという町に着きました。
実は、飛行機をやめて船で行ったということが、私の人生を大きく変えることになりました。あの時もし飛行機で行ったなら、私は一生、世間知らずの大学に閉じこもって勉強だけしている人間で終わった、と思います。
ところが船で行ったおかげで、しかも貨物船に乗ったおかげで、私は途中のアジア・インド・アラブの国々をくわしく見ることができました。まっすぐ行けば船でも二週間で行くそうですが、何しろ貨物船ですから、途中港、港に寄って荷物を下ろし、また積んで、一つの港に4日から5日泊まっているのです。おかげでその間、昼間は上陸してそのあたりを見て歩き、夜は船に帰って寝ればいいのですから、東南アジアからアラブ諸国をくまなく見て歩きました。
1ヵ月かかりました。神戸からジェノバまでのこの船旅。その時見たものが、私の人生を変えたのです。何を見たかはお解りですね。アジアの飢えと貧困という厳しい現実にぶつかったのです。
降りる港、港で、ほんとうに骨と皮とに痩せせこけた、裸足でボロボロの服を着た子供達が、行く港も行く港、集まって来るのです。船の事務長さんに、「可哀想だが、何もやっては駄目だよ。1人にやると収拾がつかなくなるよ」と言われていました。だから心を鬼にして払いのけて通り過ぎるのですが、その払いのけて通り抜ける時に触った子供の肩、肉などなんにもない、ただ骨と皮だけのあの肩、あの感触が、今でも時々蘇ってきます。
船に帰って、眠れないのです。明日も、あの子供たちに会う。どうするか。私が考えたことは、「神様を信じなさい。そうすれば救われます」と言えるか、ということでした。
どんなに考えたって、言えるわけがありません。飢えて捨てられた孤児たちに、こちらは着るものを看て、食うものを食っておいて、「神様を信じなさい、そうすれば救われます」などとは、口が裂けても言えないと思いました。牧師館で生まれて、キリスト教しか知らずに育って、キリスト教の学問をして来て、それではお前キリスト教って何なのか、25年お前が信じてきたキリスト教とは、飢えた子供たちに言えないようなキリスト教なのか。とれが私の考えたことでした。
もし言えるとしたら、ただ一つしかない。そこで船を降りて、服を脱いで、子供たちに分けてやって、食っているものを分けてやって、そこで一緒に暮らす、それなら言える。言えるとしたら、それしかありません。言えるじゃないか、と自分に言い聞かせました。
それなら、船を降りるか──。くやしいけど、降りる勇気がありませんでした。折角これからドイツヘ勉強に行くという時、ここで降りて、一生インドで暮らすのか、一生アジアで暮らすのか、どうしてもその気にならないのです。
ですから理屈をこねました。
「降りたって無駄だ。お前が降りて背広一着脱いだって、何百人人もいる乞食の子に、ほんの布切れ一切れしかゆきわたらないではないか。自分の食うものを分けてやったって、何百人もの子供が1秒だって、ひもじさを満たされる訳がないじゃないか。お前が降りたって無駄だ。それは降りたという自己満足だけで、客観的にはあの子らはなんにも救われない。」
「だから降りない、勇気がないのではなく、無駄だから降りない。」と自分に言い聞かせるのです。でも、降りなければ「神様を信じなさい」とは言えません。言えるためには降りなければならない、しかし降りても無駄なのだ。
堂々巡りです。寄る港、寄る港でこの間題に直面しました。毎晩毎晩同じ問題を考え続けて、結局、答えが見つからないまま、閑々として港を後にしました。、出港の時、あの子たちを見捨て自分だけドイツへ行くことに、強い痛みを感じました。これは永く私の心の傷になって残りました。
このようにして初めて、世の中には飢えた仲間がいるという、当然分かっていなくてはいけない事実に、何ということでしょう、25にもなってやっと気づいたのです。飢えた子供たちがいる、それを知らんぷりしてドイツに行くのか、お前が降りてあの子たちと一緒に暮らすことはあまり意味ないかも知れない、しかしやっぱり船を降りないのだとしたら、せめて世の中に飢えた子供なんか生まれないような社会を作るために、自分で何かしなければいけないのではないか。ただ魂の中だけに閉じこもっていていいのか。
これが、私がヨーロッパヘ行く1ヵ月の旅で考えたことでした。
ドイツヘ行って、宗教の勉強をしました。ブルトマンというドイツの大変偉い先生の所に1年いて、いろいろ教わりましたが、結局、私の結論としては、実存哲学だけではだめだということでした。自分が自分に誠実に生きる──これが実存的、ということですが、それだけでは駄目だ。自分が生きるだけでなく、みんなが人間らしく生ることができるような世の中になるために、自分にできる何か小さなことでもしなければいけない。
こう思うようになって、日本に帰ってきたのです。
それじゃあ、世の中で、そのように飢えて死ぬような子がいなくなるような社会とは、どうすれば出来るのか。これはやっぱり、飢え、貧困、戦争、差別、そういうものが生まれる原因が分からなければ、除きようがありません。原因を勉強しなければいけない。そのためには社会科学を勉強しなければいけない。特に経済学を勉強しなければいけない──。
ドイツヘの留学は、大学院の途中で行きましたので、帰国して大学院に復学しました。幸い東北大学は総合大学ですから、中庭をへだてて向こう側が経済学部でした。帰ってきた次の日から、私は、経済学部の講義を経済原論から、授業料を払わずにもぐりで、後ろの方にそっと隠れてずっと聞きました。
それからもう45年になりますが、ずっと宗教哲学と経済学と2股かけて勉強してきています。今日も、多少経済の話を申し上げるわけですが、やっぱり自分がクリスチャンとして、今もクリスチャンであり続けていますが、同時に、自分の救いということだけ考えていたのでは申し訳ないと思うのです。現実に飢えて死ぬ子がいるのです。ユネスコの統計によると、毎日2万人の子が栄養不足で死んでいるそういう世の中、このままにしておくわけにはいかない、自分でできることは本当に小さいけど、その小さなことをやらなかったら、生きていることにならない──。そう思って45年過ごしてきたわけです。
キリスト教の中でずっと生きていますので、一般の日本の人よりは外国に出る機会が多いと思います。特に世界キリスト教協議会という全世界のキリスト教の集まりがあります。その中央委員をしていましたので、毎年1回中央委員会に出かけて、1週間か2週間会議に参加しました。世界中のキリスト教の代表者と一つのホテルに缶詰になり、朝から晩までいろいろと情報交換したり論議したりします。そのようなことを7年間やりましたので、世界のことを知るチャンスが多かったと思います。それを辞めてからも、自分の仕事や勉強の都合で、今でも毎年二週間ぐらいはドイツで暮らしています。そうしていると、日本ってほんとうに不思議な国だということが分かってきました。
日本にいるとなかなか分からないのです。島国ですし、おまけに日本語という特別な言葉を使っています。他の国との共通性がない言葉です。ヨーロッパの言葉はみんな親戚のようなものですから、ちょっと勉強するとすぐ分かります。一つの言葉の、ドイツ弁とフランス弁、ベルギー弁、オランダ弁というようなものです。日本で言えば津軽弁と薩摩弁の違い程度のものです。津軽と薩摩では、お互いに全然通じないとは思いますが、それでも同じ日本語なのです。ヨーロッパの言葉とはそういうものです。ですからお互いに何と無く外国語が理解できるというのは、別に不思議なことではないのですね。ですから、自分の国のことしか知らないという人は、非常に少ないのです。
新聞も、駅に行けばどんな町でも、ヨーロッパ中の新聞が置いてあります。ドイツのどんな田舎町へ行っても、駅にいけばフランスの新聞もイタリアの新聞も売っていますし、それを読める人がたくさんいるのです。そういう社会ですから、日本人とはずいぶん違います。自分の国を客観的に見られる。他の国と比べて見ることができるのです。
日本にいると比べられません。そのうえ、日本はマスコミが異常です。ワンパターンのニュースしか流しません。ヨーロッパではいろんなテレビがあって、テレビごとに自由な報道をやっています。バラエティー番組のようなものがなくて、ニューハ番組が充実しています。きちんとした議論をテレビでやっています。ですから日本にいるよりは、比較的自分の国の様子を客観的に見られることになります。ドイツに行く度に、日本とは不思議な国だなあと思うのです。
例えば、もうだいぶ前、バブルの頃です。日本のある有名なモード会社がミラノに支店を出しました。そしてマーケティング調査をしました。どんな柄が流行っているか、アンケートを集めそれを整理するために、イタリア人女性3人雇ったそうです。アンケートの整理をしていたら5時になりました。あと少ししか残っていなかったので、日本ならの常識ですから、「あと少しだからやってしまおう」と日本人支店長は声をかけました。ところがイタリア人女性3人は、すっと立って「5時ですから帰ります」と言って出て行こうとしました。思わず日本人支店長は怒鳴ったのだそうです。「たったこれだけだからやってしまえ」と。途端にこの日本人支店長は訴えられました。そして「労働者の意志に反する労働を強制した」ということで、即決裁判で数万円の罰金をとられました。
これがヨーロッパの常識です。つまり9時から5時までしか契約していないからです。5時以後は命令する権利はないのです。9時から5時までの時間を労働者は売ったんであって、5時以降は売っていないのですから、自分のものなんです。会社が使う権利はありません。当たり前の話です。
その当たり前の話が日本では当たり前ではないのです。残業、課長に言われたので黙ってやる。しかもこの頃は「タダ残業」ですからネ。本当にひどい話です。常識がまるで違うのです。あるいは有給休暇。ドイツのサラリーマンは年間3週間とらねば「ならない」のです。3週間休まなければ罰せられます。日本は有給休暇など殆どとれません。ドイツでは取らないと罰せられます。ですからどんな労働者でも3週間、夏はちゃんと休んで、家族ぐるみイタリアへ行ってゆっくり過ごしてきます。有給になっているからです。或いは日本では1週間40時間労働です。ドイツはもう随分前から36時間です。土日出勤などありえない話で、日本のように表向き40時間労働でも、毎日毎日残業で、その上休日出勤、日曜日には接待ゴルフなど馬鹿なことをやっています。接待ゴルフなど、ドイツには絶対ありません。日曜日は各自が自由に使う時間で、会社が使う権利はないのです。
そういうところもまるで常識が違います。或いは、50人以上だったと思うのですが、50人以上従業員がいる会社、工場は必ず、労働組合代表が経営会議に参加しなければいけないことになっています。そんなことも、日本では考えられないことです。ですから配置転換とかもとても難しいし、労働者の代表が入っているから、簡単に首は切れません。
そういういろんな面で、日本の外に出てみるとびっくりするようなことが山ほどあります。日本という国は、高度に発達した資本主義国の中で例外的な国なのです。資本主義が発達した点では、アメリカにもフランスにもドイツにも負けないのですが、資本主義が発達したにしては、労働者が守られていない。或いは市民の権利が守られていない。会社の権利ばかりドンドンドンドン大きくなっているのです。それが日本にいると当たり前のように思われています。外国で暮らしていると、日本は不思議な国だと分かります。特にこの数年それがひどくなってきているのではないでしょうか。
私たちの暮らしは、戦後50何年かけて、少しずつよくなってきました。例えば年金なんかも少しずつ整備されてきた。健康保険制度も整備されてきた。介護保険も生まれてきた。或いは、労働者も土曜日チャンと休めるようになってきた。ところがこの数年、それが逆に悪くなつてきています。年金は削られる一方、介護保険料は値上がりする、労働者は首切り自由でいくらでも解雇できる。労働者を減らすと政府から奨励金が出る。タダ残業はもう当たり前・・・。
特にこの数年、構造改革という名前で、日本の仕組みが変わってきています。いま申し上げたように、戦後50年かけてみんなで、少しずつ少しずつ作ってきた、いわば生活の安心と安全を守る仕組み、そういうものが今はっきり壊されかかっているのではないでしょうか。
小泉首相という人は「自民党をぶっ壊す」といって当選したのですが、この4年間を見ていると、あの人は自民党を壊したのではなく「日本を壊した」のではないかと思われます。これまで日本が戦後50年かけて作ってきた社会の仕組みが、バラバラにされているのです。フリーターとかニートがもう30%でしょう。そうなると当然、この人たちは生きる希望がありません。お先真っ暗。いまさえよければ、ということになる。ですから若者が当然刹那的になる。人生の計画なんて立たない。今さえよければということになっていきます。
昔なら10年に1回あるかないかのような犯罪が、いま毎日のように起きています。私は仙台にいますが、この正月には赤ん坊の誘拐事件で一躍有名になってしまいました。あんなことが日常茶飯事として起こっています。栃木県で女の子が山の中で殺された事件は、まだ解決されていませんが、こんな事件が今は「当たり前」なのです。世の中がすさんできて、何が善で何が悪なのか、みんなに共通な物差しというものがなくなったというふうに思われます。
そのような世の中の変化、私は多分、「構造改革」というものがその犯人なのだ、と思っています。
《逆戻りの原因はアメリカの変化》
その構造改革というのは、どこから来たのか。もちろんアメリカから来たのです。アメリカが変化した、日本はそのアメリカに右ならえをした、それが構造改革です。
それでは何が変わったのか、これが一番の問題です。この変化の行き着くところが、憲法改悪です。
社会の仕組み全体がいま変わろうとしているのです。憲法も含めて。いったい何がどう変わるのか。いったいどういう構造をどういう構造に変えるということが構造改革なのか。そこのところがアメリカを見ればよく分かってきます。アメリカがお手本なのですから。
アメリカはソ連崩壊後変わりました。ソ連とか東ドイツは自由のないいやな国でした。昔1960年に西ドイツヘ留学した折、東ドイツへ何回か行く機会がありました。ふつうはなかなか行けないのですが、幸いキリスト教国なので、ドイツのキリスト教はしっかりしていまして、東ドイツと西ドイツに分裂しても、教会は分裂しなかったのです。東西教会一つのまんまです。ですから、教会の年1回の大会には、西で開く時は東の代表がちゃんと来たし、東で開く時は西の代表が行けたのです。ですから一般の人の東西の往来が難しかった時でも、キリスト教の人だけはかなり自由に行き来ができました。
私も連れていってもらって、何回か東ドイツへ行って見ました。ご存じのように自由のないいやな国でした。ですからソ連や東ドイツが崩壊したのは当然だし、いいことだと思います。しかしソ連や東ドイツが100%悪かったかというとそんなことはありません。良い部分もありました。何から何まで全部ひっくるめて悪だったというのも間違いです。基本的に自由がない。ですから、ああいう国は長くは続かない。これは当然そうだと思います。滅びたのは当然だと私は思います。
しかし同時に、良い面はなくしては困るのです。良い面は受け継がなければいけません。最も目につくのは女性の地位でした。これは立派なものでした。いまの日本なんかより遥かに進んでいました。男女の平等が徹底的に保障されていました。専業主婦などほとんど見たことがありません。だれでも自由に外に出て、能力に応じて働いていました。それができるような保障が社会にあるのです。文字通りポストの数ほど保育所があって、子供を預け安心して働きに出られるようになっていました。同一労働同一貸金の原則はきちんと守られていて、女性だから賃金が低い、女性だからお茶汲みだけなどというようなことは一切ありませんでした。これは凄いなと思いました。あれは、日本はまだまだ見習わなければいけないことです。
もう一つ私がびっくりしたのは、社会保障です。私が初めて東の世界を見たのは、何しろ1960年の頃のことです。日本はまだ社会保障がない時代でした。いま若い方は、社会保障はあるのが当たり前と思っておられる方も多いと思いますが、そんなことはないのです。日本は1972年が「福祉元年」といわれた年です。それまでは、福祉はなかったのです。大企業とか公務員だけは恩給がありましたが、商店の経営者とか家庭の主婦なんか何もありませんでした。健康保険も年金も何もありませんでした。72年からようやく国民皆年金、国民皆保険という仕組みが育ってきたのです。
もともと資本主義という仕組みには、社会保障という考えは無いのです。自由競争が原則ですから、自己責任が原則です。老後が心配なら、自分で貯めておきなさい。能力がなくて貯められなかったら自業自得でしょうがない。こういうのが資本主義の考え方です。労働者が、そんなことはない、我々だって人間だ、人間らしく生きていく権利がある。だから我々の老後をちゃんと保障しろと闘って、社会保障というものが生まれてくるのです。自然に生まれたのではありません。
労働者が団結して闘って、止むを得ず譲歩して社会保障が生まれてくるのです。資本主義の世界で最初の社会保障を行ったのはビスマルクという人です。ドイツの傑物の大首相といわれた人です。ドイツの土台を作った人ですが、この首相の頃、何しろマルクス、エンゲルスの生まれた故郷ですから、強大な共産党があり、国会で100議席くらいもっていました。そこで、ビスマルクが大弾圧をやるのです。社会主義取り締まり法という法律を作って共産党の大弾圧をし、片方では飴として労働者保険法という法律で、労働者に年金を作ります。世界で初めてです。辞めた後年金がもらえる仕組み、病気になったら安く治してもらえる仕組みを作った。こうやって鞭と飴で労働運動を抑えこんでいったのです。
社会保障というのは、そうやって労働者の力に押されてやむを得ず、譲歩として生まれてくるのです。放っておいて自然に生まれてくるものではありません。
そこへ拍車をかけたのが、ソ連や東ドイツです。ソ連や東ドイツヘいってみて、1960年の時点なのですから、日本にまだ社会保障などなかった時、そう豊かではなかったのですけれども、老後みながきちんと年金をだれでも貰える、そして、病気になればだれでも、医者に行って診察を受けて治療を受けられる。これにはほんとうに驚きました。これが社会主義というものかと、その時は思いました。ただ自由がないのです。例えば、牧師さんの家に泊めてもらうと、こちらがキリスト教徒ということが分かっていますから、牧師さんも信用して内緒話をしてくれるわけです。
外国から来る手紙はみな開封されていると言っていました。政府が検閲して開封されてくる。だから、「日本へ帰って手紙をくれる時は、気をつけて書いてください。政府の悪口など書かれると私の立場が悪くなるから。手紙書くときは開封されることを頭に入れて書いてくれ。」というふうに言われました。こんな国には住みたくないなと思いましたけれど、同時に社会保障という点では驚きました。こういうことが可能な社会の仕組みというのがあるんだなあ、とこう思ったのです。
その後、スターリン主義というものによって目茶苦茶にされていくのですが、私の行った頃はまだ、東側の社会保障がある程度きちっと生きていた時代です。こうして、ソ連や東ドイツが社会保障というものを始めると、資本主義の国もやらざるをえなくなってきます。そうでないと労働者が、あっちの方がいいと逃げ出してしまいます。ですから西ドイツが一番困りました。地続きですから、何しろ。ですから、東に負けないだけの社会保障をしなければならなかったのです。そうすると、自由があって社会保障があるのですから、こっちの方がいいということになります。いくら向こうは社会保障があっても自由がないのです。こうして西ドイツは大変な犠牲を払って、社会保障先進国になってきました。そのことによって、東ドイツに勝ったのです。
実際西ドイツの労働者は、別に強制されたわけではありません。自主的に西ドイツを選んだのです。ですからあのような東西ドイツの統一も生まれてきたのです。
つまり資本主義の国は、ひとつは自分の国の労働者の闘いに押されて。そこへもってきて、ソ連、東ドイツの社会保障という仕組みの外圧で、それに負けるわけにいかないものですから、そういう力があって、社会保障というものを造り出していくのです。しかし社会保障というものは莫大な財源がかかります。
《社会保障をやめて小さな政府へ──構造改革の中身(1)》
いま日本政府は社会保障をどんどん削っていますけど、それでも国家予算の中で一番多い費目は社会保障です。大変な財源が必要なのです。そこで資本主義の国は、新しい財源を見つける必要ができてきます。
そこで見つけたのが2つ。1つは累進課税です。それまでの資本主義にはなかった、累進課税という新しい仕組みです。つまり収入の多い人ほど税率が高くなるという仕組みです。日本でも1番高い時は1980年代、1番大金持ちはの税率75%でした。ですから、年収10億あれば7億絵5千万円税金にとられたのです。今から考えれば良く取ったものです。今は35%です。大金持ちは今ほんとうに楽なのです。35%ですむのですから。年収10億の人は3億5千万払えばいいのです。昔なら7億5千万取られたのです、税金で。「あんまり取りすぎではないか、これは俺の甲斐性で俺が稼いだ金。それを取り上げて怠け者のために配るのか。」と彼らはいいました。
そうすると政府は、「いやそういわないでくれ。そうしないと、資本主義という仕組みがもたない。だから体制維持費だと思って出してくれ。そうでないと社会主義に負けてしまう」と言って、大金持ちからたくさん取ったのです。大企業も儲かっている会社からたくさん税金取った。法人税もずっと高かったのです、以前は。こうやって大金持ち、大企業からたくさん取る累進課税で一つ財源を作ったのです。
もうひとつは、企業負担です。サラリーマンの方はすぐお分かりですが、給料から社会保障で差し引かれますね。そうすると、差し引かれた分と同額だけ会社が上乗せするわけです。自分が積み立てたものが戻ってくるだけなら、貯金したのと同じです。労働者の負担する社会保障費と同額だけ会社も負担しているのです。倍になって戻ってくるから、社会保障が成り立つわけです。
これも資本主義の原則からいえば、おかしいことです。いまいる労働者の面倒を見るのは当たり前です。会社は労働者がいるから成り立っているのですから。だけど、辞めてからは関係ないはずです。契約関係がないのですから。辞めた人が飢え死にしようがのたれ死にしょうが、会社の責任ではないはずです。
だけども一歩ふみこんで、それでは資本主義の仕組みがもたないから、労働者が辞めた後まで面倒みてくれ、そこまで企業負担してくれ、そうしないと資本主義がもたないから、ということになります。
こうやって、社会保障というものが資本主義の国で成り立っているのです。これは、ただの資本主義ではありません。資本主義の原則に反するような累進課税とか、企業負担というものを持ち込んで、社会主義のよいところを取り入れた資本主義です。これを「修正資本主義」と呼びました。
資本主義の欠点を修正して、社会主義に負けないようないい仕組みに造り直した資本主義ということです。学者によっては、資本主義の経済の仕組みと社会主義経済を混ぜ合わせた「混合経済」と呼ぶ人もいます。所得再配分機能を政府が果たすということです。もちろん修正資本主義というものは、このような良い面だけではなくて、公共事業という名前で国民の税金を大企業の利益のために大々的に流用するというようなマイナスの面もあることも忘れてはなりません。
しかし、ともかくこうやって、西側の世界は、自由があって社会保障がある、そういう社会に変わっていくのです。そのことで東に勝ったのです。ところが、そのソ連と東ドイツが居なくなったのです。
その前にもうひとつ。先進資本主義国というのは或る一種の傾向として、労働者が闘わなくなってきます。これは先進資本主義国の宿命のようなものです。つまり資本主義国というのはご存じのように、地球上の大部分を占めている低開発諸国、貧しい第3世界といわれた世界から、安い原料を買ってきてそれを製品にして高く売っています。そして差額、莫大な差額を儲けている。超過利潤と呼ばれています。だから遅れた国は働けば働くはど貧しくなるのです。一生懸命働いてコーヒー豆作っても、それを安く買われてチョコレートやインスタントコーヒーなどの製品を高く買わされるのですから、結局差額だけ損をすることになります。
この20年、先進国と遅れた国の格差は開く一方、全然縮まらない。地球上の富を先進国が全部集めちゃって、とびきりぜいたくな生活をやっています。ですから先進国の労働者にも、当然そのおこぼれの分け前に預かるので、低開発国の労働者にくらべれば、ずっと豊かになります。豊かにれば闘わなくなってしまいます。その上、それを推し進めるようなありとあらゆる謀策が講じられているのです。
資本主義というのは、物を売り続けなければなりたたちません。売ったものをいつまでも使われていたのでは、資本主義は成り立たないのです。早く買い換えてもらわなければなりません。いま、日本の車はよく出来ているので、30年は楽に乗れるのに、30年乗られたら日本の自動車会社はみな潰れます。3年か5年で買換えてもらわなれりばいけません。買い替えてもらうには、自分の車は古いと思ってもらう必要があります。ですからコマーシャルで、朝から晩まで何回も、「あんたは古い、あんたは古い。こんないい車ができてます。こんな新しい車が出ましたよ。もっといいのが出ましたよ」と宣伝して洗脳しいるのです。だから3年も乗ると、どうしても買換えざるをえない心境に引き込まれてしまいます。全てのものがそうです。まだまだ使えるのに新しいものに換えてしまう。そういう仕組みができているのです。
そうしないと、資本主義はもちません。ですから労働者はどうなるかというと、「次、この車に買換えよう、次、パソコンこっちに買換えよう、次、今度はデジタルテレビに買換えよう、じゃあセカンドハウス、つぎは海外旅行・・・」。無限に欲望を刺激され、自分の欲望を満たす方に夢中になって、社会正義とか人権とか考えている暇がなくなっていくのです。
いま日本の大部分がそうですね。「もっといい生活を」ということだけ考えています。ほかの人の人権だの社会正義なんて見向きもしない。見事に資本の誘惑にひっかかってしまいます。
もちろん、欲しいからって、お金がなければ買えません。家がほしい、車がほしい、パソコンほしい・・・。それが、実はお金がなくても買える、なんとも不思議な世の中です。ローンというものがあるのですね。
フォードという人が見つけたのです。それまでは、「つけ」で何か買うなどということは、労働者にはありませんでした。労働者が「つけ」で買ったのはお酒だけです。酒飲みはお金がなくても飲みたいのです。だから酒屋だけは「つけ」がありました。大晦日に払うか払わないかで夜逃げするかどうかもあったでしょうが、今は家を「つけ」で買う、車を「つけ」で買う、なんとも奇妙な世界になってきました。これをフォードが始めたのです。それまでは、自動車というのは大金持ちのものでした。フォードが、あのベルトコンベアーというのも発明して、大量生産を始めたのです。そうなれば、大量に売らなれりばなりません。大量に売るためには労働者に買ってもらわなくてはなりません。でも労働者にはお金がないのです。そこで、ローンという、とんでもないものを考え出したのです。ローンなら金がなくても買えるんですから、みんな買う。当然な話です。
そりゃあ豊かなのに越したことはありません。マイホームが欲しくなる。ですからみんなローンで買う。そして「マイホーム」という感じになるのです。でも本当はマイホームではありません。あれは銀行のものです。払い終わるまでは、所有権は銀行のものです。銀行から借りてローン組んだだけなんです。こうして次々と新しいものを買わされていく。そのローンは多くの場合退職金を担保に組みます。一度退職金を担保にローンを組んでしまったら、ストライキはできなくなります。会社と闘って退職金がすっとんだら終わりなのです。家も途中でおしまいになってしまいます。ですから、ローンでマイホームが変えるようになってから労働運動は一気に駄目になりました。みんな闘わない、会社と喧嘩したくない、というふうになります。これはもちろん、向こうは計算済みのことです。
ですから、高度に発達した資本主義社会というのは、労働者が、ある程度ですが、豊かになり、そして、このような消費社会に組み込まれてしまって、身動きができなくなるのです。
こうして、いま日本では労働組合も、労働運動もストライキもほとんど力を失いました。そうなれば、政府は社会保障なんて、何も譲歩する必要がはありません。労働者が必死になって運動するから、止むを得ず健康保険とか年金制度とかやってきたのであって、労働者が闘わなければ、その必要はないのです。いま、どんどん社会保障が悪くなってきています。次から次から悪くなる。20年前だったら、いまのように社会保障が悪くなったらたちまち、大ストライキが起こりました。しかし今は何も起きません。労働組合が弱体化している、労働運動が骨抜きという状態です。
そこへもってきて、ソ連や東ドイツがいなくなったのです。こうなればもう社会保障をやる必要はありません。社会保障は止めます、修正資本主義は止めます、ということになるわけです。修正資本主義にはいろいろな意味があるのですけど、一つの特徴は、大金持ちや大企業からお金を取って、弱い立場の人たちに配るところにあります。所得再分配と言われる働きです。だから政府は大きな政府になります。こういう仕組みが修正資本主義で、いろんなマイナス面もあるのですが、プラスの面も大いにあります。
この仕組みをやめる、というのが今のアメリカです。もう政府は面倒みません、自分でやりなさい、と自由競争に戻る。自由競争一筋。これが、ソ連が崩壊した後に新しくなったアメリカの仕組みなのです。そして、それに日本が「右へならえ」ということなのです。
それに対してヨーロッパは、アメリカのいうことを聞かず、「われわれはこれからも、社会保障のある資本主義でいきます。むき出しの裸の自由競争には戻りません」。これがヨーロッパなのです。なぜヨーロッパがそういえるかというと、労働運動が強いからです。先進資本主義国なのになぜ労働運動が弱くならないのか。これはこれで時間をかけて考えなければならない問題なのですが──。
現実の問題として強い。ヨーロッパだって大企業は社会保障を止めたいにきまっています。しかし止めると大騒ぎになります。労働者が絶対に言うことを聞きません。だからやむを得ず守っているのです。企業負担もうんと高いです。日本の会社の倍以上払っています。ですからトヨタ自動車もフランスに、フランス・トヨタを作っていますけど、日本トヨタの倍以上払っています。それでも儲かっているのです。
ですから、ヨーロッパでも、社会保障は少しずつ悪くなってきてはいますが、日本に比べれば遥かに違います。このようにして、ヨーロッパはアメリカと別の道を進み始めました。アメリカは剥き出しの資本主義に戻りますが、ヨーロッパは修正資本主義のままでいこうとしています。
しかし、それでは競争で負けます。アメリカや日本は企業の社会保障負担がうんと減っていますから、利潤が増えています。ヨーロッパは高い社会保障負担でやっていますから、儲けが少ないのです。そこで競争しなくてすむようにEUいうものを作って、枠を閉ざしちゃいました。アメリカや日本の会社がヨーロッパに来るときは、ヨーロッパ並みの負担をしなければ、EUには入れません。だからEUの中でやっている時には、日本にもアメリカにも負ける心配はないのです。
そういう仕組みを作って、アメリカとは別の道を進み始めました。そのためにユーロという別のお金も作りました。イラク戦争で表面に出てきたのですが、イラク戦争がなくても、ヨーロッパはアメリカとは別の道を進み出していました。もう2度とアメリカとは一緒にならないでしょう。
《規制緩和とグローバリゼーション - 構造改革の中身(2)》
もう一つ、ソ連、東ドイツ崩壊の結果、アメリカが大きく変化したことがあります。それは何かというと、大企業・大資本を野放しにしたことです。
ソ連がいる間は、大企業や大資本に、「あなた達は資本主義なんだから儲けたい放題儲けたいだろうけど、それをがまんしてください。あなたたちがやりたい放題にやったら、他の資本主義国はみんな負けてつぶれてしまう。アメリカの資本と競争できるような資本などどこにもありませんから。そうなれば、ソ連の方がましだということになる。だから、やりたい放題は抑えてほしい」と言ってその活動を制限してきました。
具体的に何を抑えたかというと、為替取引を規制したのです。これが一番大きな規制です。いまではもう、中央郵便局へ行って「ドル下さい」といえば、すぐドルをくれます。「100ドル下さい」といえば「ハイこれ1万2千円」。ユーロでも、「下さい」といえば「100ユーロ・ハイ1万4千円」とすぐくれます。でもこれはごく最近のことです。それまでは、外貨・外国のお金は、日本では勝手に手に入りませんでした。お金を外国のお金と取り替える、つまり為替取引は厳重に規制されていて、個人が勝手にはできなませんでした。外国旅行に行くとか、何か特別な理由が認められた時しか、外国のお金は手に入りません。
いまは何も制限ありません。自由にだれでもいつでもできます。理由など聞きませんから、100ユーロとか千ドルくださいと言えば、そのままくれます。これが為替取引の自由化というものです。これがなかったのです。ソ連が崩壊するまでは、アメリカも厳重に規制していました。それをとっぱらったのです。理屈っぽく言えば、資本の国際移動が自由にできるようになったということです。こうして、アメリカの巨大な金融資本が、世界中を我が物顔にのし歩く時代が来るのです。
もうソ連も東ドイツもなくなったのですから、「いや永いことお待たせしました。今日からもう儲けたい放題儲けていいですよ。やりたい放題やっていいですよ」ということになったのです。これが規制緩和とことです。規制緩和ということは要するに、大資本が野放しになったということです。そうなったらどうなるか、世界第2の経済大国といわれる日本でさえ、全然太刀打ちできません。アメリカの巨大資本、金融資本・銀行ですね。日本の銀行とは勝負になりません。ボブサップと私が裸で殴り合ぅようなもので、一コロで殺されてしまいます。
それでもやれというなら、ボブサプは手と足を縛ってもらって、目隠ししてもらって、こちらは金槌でも持たしてもらって、それでやっと勝負になるのです。今まではそうだったのです。それを全部外して自由にする、無条件で自由競争にするというのです。負けないためには、相手に負けない位大きくなるしかないですから、合併、合併、合併。あっという間に30ほどあった都市銀行が3つになってしまったのです。UFJとか「みずほ」とか、元何銀行だったか覚えておられる方おられますか。すぐ言えたら賞金をさし上げてもよろしいのですが、まず、言える方おられないでしょう。合併、合併であっという間に3つになりました。3つにになってやっとなんとか対抗できるというくらいにアメリカの巨大銀行というのは大きいものなのです。それでもダメで、長銀はのっとられてしまいました。北海道拓殖銀行も山一証券ものっとられてしまいました。次々とのっとられています。
ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられまし。広くていい温泉なんですけど、驚いたことにゴールドマンサックスでした。世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの代表のようなものです。これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送していました。古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、ゴールドマンサックスが。
どうするかというと、従業員みんな首切っちゃってパートにして、腕利きのマネージャーを送り込み、部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの観光客をワーツと呼ぼうという作戦なんですね。儲かるようにして高く売るのです。ゴールドマンサックスが経営するのではありません。いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直してすぐに売っちゃうのです。これが投資銀行のやっていることです。確かに、いわれてみればそのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカからごっそり観光客が来ると思います。そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。そして近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパーなんていって売り出す気なのですね。ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。
アッという間に日本はアメリカ資本に乗っ取られようとしています。去年のホリエモン合併もそうです。今年から商法改正(改悪)して、乗っ取りを認めるということになったのです。株の等価交換、面倒な仕組みですから詳しいことは申し上げませんが、アメリカ株1億ドル分と日本の株1億ドル分を、等価父換していい、こういっているんです。ところが、アメリカの株の値段が高いのです。ですから1億ドルといっても、株の数からすると、例えば千株位しかない。日本は株が安いですから、同じ1億ドルで1万株位あるのですね。そうすると、千株と1万株で取り替えますから、あっという間にアメリカは大株主になってしまう。この等価父換を認めると、日本の大企業全部乗っ取られてしまう。
そこで、日本の優良企業が狙われています。超優良企業を株式等価交換で、簡単にアメリカが乗っ取ることができる。今年からそれが可能になるはずだったです。それで去年、実験をやったのですね。ホリエモンにやらせてみたのです。ホリエモンはアメリカのリーマン・ブラザースから借りてやったのです。で、出来そうだなと分かったので、アメリカはお金を引き上げてしまいました。ホリエモンに乗っ取られては困る、いずれ自分が乗っ取るのですからネ。最後の段階で資金引き上げましたたから、ホリエモン降りる外なかった、多分そういう仕組みだったのではないかと思います。
今年から自由に、日本中の会社をアメリカが乗っ取れるはずだったのですが、あのホリエモン騒動のおかげで日本の大企業が震え上がり、政府に泣きついて、「なんとか商法改正を見送ってくれ」と。それで見送りになりました。ですから、ちょっと一息ついているのです。今年すぐ、乗っ取られるというわけではありません。でも、いつまでも見送りというわけにはいかないでしょう。2・3年後には解禁。そうなれば、日本はほぼアメリカ資本に支配される、ということになるでしょう。
日本ですらそうなのですから、まして、フィリピンとかタイとかいう国はたまったものではありません。あっという間に乗っ取られてしまいます。アメリカに勝手に経済的属国にされてしまう。それに対して、いやそんなの困るから、アメリカ資本が自分の国の株を買うことを法律で禁止する、というようなことをやろうとすると、アメリカはそれを認めないのです。グローバリゼーションだから地球はは「一つ」だというのです。いくら規制緩和しても相手国が法律で規制してしまったら終わりです。ですから、自分の国だけ勝手に現制することは認めません、地球はひとつですよ、グローバリゼーションですよ、ときます。フメリカの大資本が地球上のどこの国でもアメリカ国内と同じ条件で商売できるようにする、これがグローバリゼーションです。いやだと断ると制裁を加えられます。
クリントン大統領の時は経済的制裁だけですんだのですが、ブッシュになってから、軍事的制裁になりました。いうことを聞かないと軍事制裁だぞという、これがネオコンという人たちの主張です。イラクを見ればみな震え上がるでしょう。ですから、アメリカの言いなりにグローバリゼーションで国内マーケットを開放して、アメリカ資本に全部乗っ取られてしまう、というのがいま着々と進行しているのです。
《アメリカの孤立》
そこでどうなったかというと、ヨーロッパと同じように、「そんなの困る。自分の国の経済の独立は自分たちで守りたい」という人たちが手を繋いで、「アメリカに支配され引きずり回されないように、防波堤を作ろう」という動きが始まりました。だいたい5・6年前からです。アセアン(ASEAN東南アジア諸国連合)の動きが始まりました。5つの国です。インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン。元来はアメリカが造らせた組織だったのですが、いつのまにか自主独立を目指す組織に成長しました。
手を繋ぎ、アメリカに引きずり回されないように、アメリカの資本が勝手に入ってこないように、自分たちの経済は自分たちでやりましょう、と。ところが、ASEANが束になったってアメリカにはとてもかないません。そこで、知恵者がいました。アセアンだけではかなわないので、中国と手を繋いだのです。「アセアン、プラス中国で、アジアマーケットを作り、アメリカにかき回されないようにしよう」しようというのです。確かに、中国が入ったらアメリカはうかつに手が出せません。しかし中国だけ入れると、反米色があまりにも露骨ですから、「アセアン、プラス・スリーでいきましょう。アセアン+日本+韓国+中国、でいきましょう」ということになります。日本はアメリカの51番目の州だといわれているのですから、日本が入れば、アメリカも安心します。
EUのように、アセアン+スリーで、自分たちの経済は自分たちでやれるように、アメリカに引きずり回されないような自立したアジアマーケットを形成することが目標です
ただひとつ、日本が具合が悪いのです。日本はそのスリーに入っているのですが、(アセアンの会議に)行く度に「アメリカも入れろ、アメリカも入れろ」というのです。アセアン諸国はアメリカから自立するために作っているのですから、「アメリカを入れろ」といわれたんじゃあ困るので、結局日本は棚上げになってしまいます。実際にはアセアン+中国で、経済交流が進んでいます。いずれ2010年には、東アジア共同体・EACというものを立ち上げる、という動きになっています。
そうなってくると韓国が困りました。日本・アメリカ側につくのか、中国・アセアン側につくのかで、2・3年前から中国側に大きく傾いています。留学生の数を見ると分かります。中国の北京大学には世界中の留学生が集まります。21世紀は中国と商売しなければメシが食えなくなることが分かっていますから、将釆、中国語がしゃべれる人が自国のリーダーになり、中国の指導者に友達がいないと困ります。それには北京大学に留学するのが一番いいのです。あそこはエリート養成学校です。この前行った時聞いてみたのですが、入学試験競争率5千倍だそうです。超難関です。大学の構内を歩いて見たのですが、広い敷地に6階建てのアパートが36棟ぐらい建っていて、みな学生寮です。全寮制。そばに教職員住宅があって、朝から晩まで共に暮らしながら勉強しています。授業は朝7時からです。ものすごく勤勉に勉強しています。
35年間私は大学の教員でしたが、愛すべき怠け者の学生諸君を教えてきたわが身としては、「あ、これはかなわないなァ、20年もしたら──」と思いました。向こうは国の総力を上げて次の時代の指導者を養成しているのです。日本はもう全然、ニートとかフリーターとかいって、若者の気迫がまるでレベルが違います。これは置いていかれるな、という気持ちになりました。このように世界中の国が、いま一流の学生を北京大学に送り込んでいるのですが、去年、北京大学留学生の中で一番数が多いのが韓国なのです。
おととしまで韓国の学生は殆どアメリカヘ行っていました。去年あたりから中国へ変わったようです。つまり韓国は、21世紀の自国は、アメリカ・日本ではなく、中国・アセアンと組むことで繁栄を図りたい、と向きを変えたということです。
それに拍車をかけたのが小泉首相の靖国参拝。これで韓国は怒っちゃってあちらを向いた。そうなると、アセアン、中国、韓国と繋がって、日本だけはずされてしまった、という状況がいま生まれつつあります。
さらに中国は、数年前からいま、「ふりん政策」を国の方針としています。フリンといっても男女の不倫ではありません。富、隣。隣の国を富ます、隣の国を豊かにする──富隣政策です。隣の国と仲良くする。中国だけ儲けたのでは相手に恨まれてしまいます。英語では「ウィン、ウィン」(win-win)というようです。どっちも勝つ、中国も儲けるけど相手も儲けるような関係を必ず作っておく、ということが基本政策です。
つまりアメリカは、やっとソ連を倒したと思ったら、今度は中国が出てきたのですから、中国を目の敵にしているのは当然です。中国にすれば、アメリカにやられないためには、単独では対抗できませんから、周りの国と手をつなぐ、ということです。
アメリカは修正資本主義を止めて自由競争の資本主義に戻りました。その結果大企業・大資本は野放しになりました。そのためにアジアにそっぽを向かれることになりました。アメリカにはついていけない。アメリカに勝手にされては困る。もちろんアメリカと喧嘩をしては駄目ですが、自分の国は自分の国でやれるようにしなければならない──、というふうに変わったのです。
そして最後に、3年前から南米が変わりました。ようやく日本でも報道されるようになりましたからご存じと思います。ただ日本のマスコミはちょっとしか書きませんから、気づいておられない方もおありかと思います。南米がものすごい勢いでアメリカ離れを始めたのです。
今まで200年、南米はアメリカの裏庭といわれていました。アメリカはやりたい放題やっていました。チリは世界一の銅の産出国ですが、このチリの銅はすべて、アナコンダというアメリカの銅会社が一手で採掘していました。だからいくら掘ってもチリは豊かにならない。アメリカのアナコンダだけが儲かるのです。
ブラジルは世界一の鉄の産地です。これもみな掘っているのは欧米の会社で、いくら掘ってもブラジルは豊かにならない。ベネズエラは世界第五位の産油国です。これもみなアメリカの石油資本が持っていく。
こういう国はこれまで軍事****政権でした。 政治家は、自分の国の資源をアメリカに売り渡し、自国の国民の反発は力で抑えつけ、莫大なリベートを貰って自分たちだけベラボウな贅沢をしてきました。これがアメリカと南米のパターンだったのです。
それが、3年ほど前から、「おかしいではないか。やっぱりベネズエラの石油はベネズエラ人のものだ。石油を掘ったら、ベネズエラが豊かにならないとおかしいではないか。いくら掘ってもアメリカだけ儲けるのはおかしい。石油をアメリカの石油会社から取り上げて、ベネズエラで掘ることにしよう。国有化しよう」というような政策を訴える大統領が、当選するようになりまし。この3年間で、南アメリカは80%が、このような自主独立派の大統領になりました。アメリカ資本に任せず、自国の経済は自分でやろうという政策を掲げた大統領が、次々と当選したのです。
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2023/08/27 (Sun) 08:35:56
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いまでは、南アメリカでアリカの言いなりというのは、多分コロンビアしかないと思います。あとは殆どみな、自分の国は自分でやりましょというふうに変わってきました。ベネズエラのウゴ・チャベスという人がそのチャンピオンです。ご存じですね、時の人です。アメリカはそのチャベスの当選を必死になって妨害したのですが、結局ダメでした。チャベスが圧倒的多数で選出されました。その彼の言い分がふるっているのです。
「失礼にならないようにアメリカから遠ざかりましょう」というのです。いきなり遠ざかったのではゴツンとやられますから、アメリカを怒らせないように、喧嘩しないように、少しずつ「小笠原流」で遠ざかって自主独立に向かいましょうというのです。
これがいま世界の合言葉です。「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる。」日本もそうしなければいけない、と私は思っているのですが。絶対にやりません。
こうやってアメリカは、ソ連や東ドイツがなくなってから、修正資本主義をやめて、いまの言葉でいえば「新自由主義」という仕組みに代わりました。日本はそれに右ならえしたのです。いま申し上げたように、このアメリカの新自由主義経済に無条件で追随しているのは、日本しかありません。あとはみな、「失礼にならないように」距離をおきました。
日本だけが無条件でついていきました。だから「ポチ」だといわれるのですネ、確かにポチと言われてもしょうがないほど、無条件でついていきます。それは恥ずかしいことですが、日本が追随していく。これが構造改革なのです。修正資本主義経済から新自由主義経済に変わるということです。簡単にいえば、弱い人の面倒を政府が見るような仕組みから、もう弱い人の面倒は見ませんという仕組みに、変わっていく──。これが構造改革です。
だから、社会保障はどんどん悪くなる。自由競争で勝ち組と負け組がある。中には1千万ぐらいのマンション買って落ち着いているのもいる。片方には、国民健康保険料さえ払えなくて医者にも行けない。そういう人がもう全国で膨大な人数出てきている。まさに格差社会です。
どんどんその格差が広がっています。金持ちからお金を取って弱い人の面倒を見る、というのが修正資本主義なのですが、それを止めてしまいました。野放しなのです。強い人はますます強くなり、弱いものは負けたら自己責任なんですよ。こういう仕組みにいま変わったのですね。
それがいいか悪いか、止むを得ないのかどうかは、いろいろな立場によって考えが違うのですが、事実はそうなったのです。
しかしヨーロッパは別の道をとっています。このように別の道もありうるというのも事実なのです。ヨーロッパのように社会保障を止めない資本主義もあり得るのです。
日本の場合、アメリカほど徹底していませんが、流れとしては「政府はもう弱い人の面倒は見ません」、という方向に大きく動いています。
《憲法改悪の要求》
こうして、アメリカは新自由主義経済で自国の企業を野放しにして、それを世界中に押しつけようとしたのですが、意外に抵抗が大きかった。ヨーロッパはいうことを聞かない。アジアも聞かない、南米も聞かない。これでは困るので力づくで押しつける。こういうことになるのですね。力づくで押しつける時に、最大の目標・ターゲットはもちろん中国です。やっとソ連を倒して、21世紀はアメリカが王様になれると思ったら、中国が巨大な国になってきて、アレリカの前に立ふさがっいます。このままではアメリカは王様ではいられません。中国を抑え込むことが21世紀へ向けてのアメリカの最大の長期的課題になっています。しかし戦争はできません。中国と戦争したのでは共倒れになります。唯一の道はエネルギーを抑えることです。
ネオコンという人たちの書いた文章を読むと、非常にはっきり書いてあります。21世紀にアメリカが世界の支配権を握るには、中近東の石油を抑えなければならないというのです。中国は石油の自給ができません。どんどん石油を輸入していますが、殆どいま中近東から輸入しています。アメリカが中近東の石油を抑えれば、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなる。当然でしょうね。
世界一の産油国サウジ・アラビアはすでにアメリカ側の国です。そこで第二の産油国であるイラクをアメリカは分捕りたいのですが、その理由がありません。そこでアメリカは「大量破壊兵器、テロ応援」という嘘をつきました。プッシュ大統領も、ついにウソであったことを認めました。
ではなぜイラク戦争をやったのか。本当の理由はまだ公表されていません。しかしネオコンという人たちの文章を読むと、明らかに「石油を抑える。抑えてしまえば中国は言うことを聞かざるをえない」。ここに本当の理由があったことは明白です。そうだとすれば、恐ろしい話ですが、(次に)絶対にイランが狙われます。
世界第1の産油国サウジアラビアは、昔からアメリカの同盟国です。第2位のイラクは抑えてしまいました。そしてイランは第3位の産油国です。ここを放っておいたのでは意味がないのです。中国はいくらでもイランから石油の輸入ができます。どうしてもイランまで抑えなければならないというのは、アメリカでは、いわば常識です。どんな新聞雑誌でも次はイランだということが堂々と語られています。
ライス国務長官も3日前、「今イランに対するは軍事力行使の予定はない」と言っていました。「今は」です。イランは核開発やっているというのが理由です。たしかに妙な国ですが、しかし別に悪い国ではありません。あのあたりでは1番民主的な国です。曲がりなりにも選挙で大統領を選んでいますから。女性はみな顔を出していますし、大学へもいっています。イランは近代化した国なのです。サウジアラビアなどの国に比べたら、ずっと民主的な近代国家です。イスラム教のお妨さんが、選挙で選ばれた大統領より偉い、というのだけが変ですが、全員がイスラムですから、他国がとやかく言うことではないです。
ですから、イランが悪魔の国というのは嘘なのです。イラクがそういわれたのも同じで、要するに悪魔の国と誤解させて、戦争しかけてもやむを得ないと思わせるための宣伝が行われているのです。
イランはイランで、自分で自分他ちの国を近代化していけばいいのであって、核兵器持つなといっても、隣のパキスタンもインドも持っているのです。こちらのイスラエルもです。イランだけ持つなといっても、聞くわけありません。イランに持たせたくないのなら、「俺も止めるからあんたも」と言わなければなりません。「俺は持っている。お前だけ止めろ」と言ったってイランが聞くわけありません。そんな理屈が通るはずがないのです。実に馬鹿な理屈です。
本当にイラクに核開発をやめさせたいのなら、イギリスもフランスもアメリカも 「先ず自分が止める、だからお前も止めろ」と言うしかありません。お前だけ持つなと言って、聞くと思う方がどうかしています。核開発は現在の大国の論理では抑えられません。イランに言わせれば、「イラクがなぜあんなに簡単に戦争しかけられたかといえば、核兵器を持っていなかったからだ。持っていたら恐ろしくてとても戦争なんか仕掛けられない」ということになります。だからイランはいま核開発を急いでいるのです。核兵器を持たないとアメリカに攻められるから。そう思い込んでいるのです。
そう思わせるようなことをアメリカはやってきたのですから、イランに核兵器開発を止めさせるためには、イラクから撤収して、中東の平和は中東に任せる、という姿勢を示すしかありません。自分がイラクを分捕って居座ったままで、イスラエルやパキスタンやインドの核兵器には文句をいわずイランにだけ、というのは通じない理屈です。実にゆがんだ国際常識というものが罷り通っている、と思います。
もしアメリカがイランまで分捕ってしまえば、サウジアラビア、イラン、イラクと合わせて、世界の石油の70%ぐらいになるはずですから、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなります。だからつぎはイランだというのが、ネオコンの論理です。
ただ問題は、イランに戦争を仕掛けるとしても単独ではできなません。兵隊がたりない。徴兵制ではなく志願兵制度ですから。いま、ありったけの兵隊さんがイラクに行っています。あれ以上いないのです。だからハリケーンが来ても出せなかったのですね。そうすると、イランに出す兵隊なんていないのです。そこで、アメリカの右翼新聞の社説など、堂々と書いています。「イラクにいるアメリカ軍でイランを乗っ取れ。カラッポになったイラクの治安維持は、日本にやらせろ」と。
アメリカの論理から言えばそうなるのでしょう。自衛隊にイラクの治安維持をといいますが、実際は内乱状態ですから、今も毎日アメリカ兵は毎日5人位殺されています。そんなこと引き受けたら、自衛隊員何人死ぬか分かりません。第一そんなことは、憲法9条があるかぎりできないのです、絶対に。憲法があるおかげで、自衛隊はイラクにいますけれども、ピストル1発撃つことができないのです。憲法9条第2項というのがあるのです。自衛隊は戦力ではない・交戦権はないとなっていますから、不可能なのです。だから給水設備備を作るとか、学校修理とか、そういうことしか出来ません。これじゃあアメリカから見れば役に立たないのです。
《平和憲法こそ 日本生存の大前提》
そこで、「9条2項を変えて、戦争ができる自衛隊になってくれ」というのがアメリカの強い要求なのです。みんな分かっています。言わないだけです。日本の新聞記者も知っています。しかし、「9条変えろ」がアメリカからの圧力、と書くと首になるから書かないだけです。でも誰も知っています。アメリカのに戦争に参加しなさい、という強い圧力がかかっているのです。
ここのところをよく見極めておくことが必要です、「9条を守る」ということは、「アメリカの言いなりにならぬ」ということと一つ、なのです。
アメリカと喧嘩しては駄目ですから、「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる」のが何よりも大切です。仲良くするけれども言いなりにはならない、ということです。ところが、憲法が危ないという、この危機的な状況にもかかわらず、国内で労働運動が弱体化していますから、ストライキも起きない。大きなデモも起きない。大反対運動も起きない──。という状況です。
ではもう駄目なのでしょうか。そうではないと思います。それには日本の国内だけではなく、世界に目を向ける、アジアに目を向けるこちとが必要のです。ご存じのように、これからの日本は、中国と商売せずには、生きていけなくなりま。いま、大企業だけですけど、多少景気がよくなってきています。全部中国への輸出で持ち直したのです。中国マーケットがなくなったら日本経済はおしまいだ、ということは誰も分かってきています。
お手元の資料の中の(貿易額の)丸い円グラフは、2003年のもので少し古いのですが、アメリカ20.5%、アジア全体で44.7%、つまり日本にとって一番大事な商売の相手は、アメリカではなくてアジアなのです。
アジアと仲良くしなかったら、経済が成り立たないところへ、いま既にさしかかっているのです。左隣の棒グラフは2004年ですが、左上から右に折れ線がずうっと下がってくる。これが日本とアメリカの貿易です。点線で右へずうっと上がっていくのが中国との貿易。遂に去年(2つの折れ線が)交差し、中国との貿易の方がアメリカとの貿易額より多くなりました。しかも鋏状に交差していますから、今後この2つは開く一方になってきています。
つまり、あと2・3年もすれば、日本は中国との商売なしには生きていけない、ということが国民の常識になるということです。いま既に、中国を含めたアジアが、日本の一番大事なお客さんなんです。仲良くしなければいけません。一番大切なお客さんの横っ面ひっぱたいたんじゃ商売は成り立ちません。
靖国参拝などというものは、一番大事なお客さんの横面ひっぱたくと同じことなのですから、個人の信念とは別の問題です。小泉首相は総理大臣なのですから、個人の心情とは別に日本の国全体の利益を考えて行動しなければいけません。それは総理大臣の責任だと思います。その意味でアジアと仲良ぐできるような振舞いをしてもらわなければ困るのです。
もう一つ。アメリカとの商売はこれからどんどん縮小していきます。それは、ドルというものの値打ちがどんどん下がっていくからです。これはもう避けられません。
昔はドルは純金だったのです。1971年まで、35ドルで純金1オンスと取り換えてくれました。だからドルは紙屑ではありませんでした。本当の金だったのです。
われわれのお札はみな紙屑です。1万円なんて新しくて随分きれいになりましたけど、綺麗にしただけちょっとお金がかかって、印刷費に1枚27円とかかかると聞きました。27円の紙がなぜ1万円なのか。これは手品みたいなものです。あれが5枚もあるとなかなか気が大きくなるのですが、本当は135円しかないのです。それが5万円になるのは、法律で決めているのです。日銀法という法律で、こういう模様のこういう紙質のこういう紙切れは1万円、と決められている。だから、あれを1万円で受け取らないと刑務所に入れられます。法律で決まっているからです。ですから日本の法律の及ぶ範囲でだけ、あれは1万円なのです。その外へ出ると27円に戻ってしまいます。
金と取り換わらないお札というのは、簡単にいえばその国の中でしか通用しません。他の国へ行ったら、その国の紙屑と取り換えなければ通用しません。ところが、ドルだけは世界で通用しました。純金だからです。
ところが、1971年にアメリカはドルを金と取り換える能力を失いました。ベトナム戦争という馬鹿な戦争をやって莫大な軍事費を使ったのです。背に腹は代えられなくてお札を印刷し、航空母艦を造ったりミサイル、ジェット機を作ったりしたのです。そのために、手持ちの金より沢山のお札を印刷しちゃったのです。
その結果、アメリカは、ドルを金と取り換える能力を失ったのです。そこで、71年8月15日、ニクソン声明が出されました。「金、ドル交換停止声明」です。あの瞬間にドルも紙屑になったのです。ドルが紙屑になったということは、ドルがアメリカの国内通貨になったということです。
ところが、問題はそれ以後なのです。世界で相変わらずドルが適用したのです。皆さんも海外旅行へ行かれる時は、大体ドルを持って行かれますね。どこの国へ行っても大丈夫なのです。金と取り換えられないお札が何故世界で適用するかは本当に不思議で、経済学者にとって最大の難問なのです。いろんな人がいろんな答を言っていますけど、あらゆる答に共通しているのは、ひとつは「アメリカの力の反映」だから、ということです。
つまり、日本が自動車を作ってアメリカヘ売ります、ドルを貰いますネ。日本は損をしているのです。自動車という貴重なな物質がアメリカへ行って、紙屑が返ってくるのですから。物が減ってお札だけ増えると必ずバブルになります。
バブルの犯人はそこにあるのです。日本が輸出し過ぎて貿易黒字を作り過ぎているのです。だから日本は、アメリカに自動車を売ったら、「純金で払ってください」と言わなければなりません。ところがそう言うと、ジロッと睨まれてお預けになってしまいます。日本には米軍が5万人います。「アメリカのドルを受け取らないとは、そんな失礼なこと言うなら、在日米軍クーデター起こしますよ」、これで終わりなのです。黙って受け取ってしまう。だから日本は無限に物を提供し、無限に紙屑をもらう。こうしていくら働いても日本人の生活はよくならないのです。しかもその紙屑でアメリカの国債を買っています。アメリカに物を売って、払ってもらった代金をアメリカに貸している。言ってみればツケで輸出しているようなものです、現実に。アメリカにいくら輸出しても日本は豊かにならない仕組みになつています。
2週間前に『黒字貿易亡国論』という本が出ました。有名な格付け会社の社長さんですが、「貿易黒字を作るから日本は駄目なのだ」、ということを詳しく論じたたいへん面白い(文芸春秋社の)本です。確かにそうだと思います。だからドルは、本当は受取りたくないのです。みんな紙屑なんです。だけど受け取らないと睨まれる。アメリカの軍事力が背景にあるのです。
その力をバックにして、紙切れのお札を世界に通用させている。例えていえば──餓鬼大将が画用紙に絵をかき1万円と書いて鋏で切り、これ1万円だからお前のファミコンよこせ、とこれを取り上げる──のと同じです。いやだと言ったらぶん殴るのです。怖いから黙って渡して紙屑もらうことになります。その紙屑で、他の人から取り上げればよいのです。「お前のバイクよこせ、よこさなかったらいいつける」。「あの人、あんたの紙屑受け取らない」、するとガキ大将が釆て、ゴツンとやってくれる──。餓鬼大将の力の及ぶ範囲ではそれが通用するのです。
露骨にいえば、ドルがいま世界に適用しているのは、そういう仕組みが一つあります。
もう一つは、ソ連の存在です。もし紙屑だからアメリカのドルを受け取らないといったら、アメリカ経済は潰れます。アメリカが潰れたらソ連が喜ぶ。だから紙屑と分かっていても受け取ってきた。ソ連に勝たれては困るから──。
これも確かに一理あります。ということは、ソ連がいなくなって、紙屑は紙屑だということがはっきりしてきたのです。今まではソ連がいるために、紙屑なのに金のように適用したが、今や「王様は裸だ」というのと同じで、「ドルは紙屑だ」といっても構わない時代です。
ともかくドルが危ないのです。私が言ってもなかなか信用してもらえませんが、経済誌『エコノミスト』、一流企業のサラリーマンなら必ず読んでいる雑誌すが、これの去年9月号が中国“元”の特集でした。その真ん中へんに「プラザ合意20年」という対談がありました。その中で、榊原英資さんは「5年以内にドル暴落」と言っています。
榊原さんは大蔵省の元高級官僚で日米為替交渉の責任者を10年やりました。円・ドル問題の最高責任者だった人です。「ミスター円」といわれていました。通貨問題に最も詳しい現場の責任者です。停年で大蔵省をやめて今は慶應大学の先生になっています。この人が「5年以内にドルが暴落する」、つまりドルが紙屑だということが明らかになる日が近いと言っているのです。
ソ連がいる間は隠されていたのですが、いまはもう、ドルは紙屑だから受取りたくないという人たちが増えてきています。これまでは世界通貨はドルしかなかったので、受け取らなければ商売ができなかったのですが、今ではユーロという代わりが出来てしまいました。ドルでなくてユーロで取引する国が増えてきています。そしてユーロの方が下がりにくい仕組みになっています。ドルは下がるのです。
なにしろアメリカは、永いことドルが世界通貨ということに慣れてきました。だから自動車が欲しければ日本から自動車買って、アメリカは輪転機を回せばよいのです。紙とインクがあればいいのですから。ほかの国はこんなことできません。自動車が欲しければ、一生懸命働いて何か輸出し、その代金で輸入しなければならないのです。アメリカ以外の国は全部そうやっているのです。
輸入は輸出と一緒です。輸入するためには輸出しなければなりません。ところがアメリカだけは輸出しないで輸入ができるのです。ドルという紙切れが世界通貨ですから。極端に言えば、欲しい自動車や石油を日本やアフリカなどから買って、紙とインクで支払う。実際そうして世界の富がアメリカに集まったわけです。
71年以降の30年間、この仕組みのために、世界中にドルが溢れ出ました。ドルがどんどん増えますから、当然値打が下がります。こうしてドル下落傾向。(資料の一番下のグラフがそうです。円が上がっていく様子、為替取引だから短期的には上下しますが、長期的には間違いなく円高。ドルがドンドン下がるのは確かです。)これがあるところまでいくと、ガクッと下がります。
あるところまでいくと、「ドルは信用できない、下がる通貨は持っていたくない」となります。ですからドルを受け取らない、ユーロか何か、別な、下落しない通貨でなければ受け取らないということが出てくる。そうなるとドルは暴落します──。榊原氏がそういっているのです。
ヨーロッパはユーロでいくでしょう。アジア経済圏はなんといったって元です、中国の。中国は賢いですから、元を押しつけないで、何かアジアの新しい通貨を作るかもしれません。しかし元が中心になることは間違いないでしょう。ドルはアメリカでしか使われなくなる。そうすると、今まで全世界で使われていたドルが、みんなアメリカに集まって来るわけですから、アジア、ヨーロッパで使われいていたドルがみな戻ってきて、簡単にいえばドルの値打が3分の1に下がることになります。
アメリカの生活は大きく収縮します。一家で3台自動車持っていた家は1台に。1台持っていた家は止めなくればならなくなる、ということです。
アメリカ経済の収縮。これは大変恐ろしい話なのです。世界経済が大きく収縮し、日本経済は大きな打撃を受けます。しかし避けられない動きなのです。いつのことか分からないが、そう遠くない将来にドルの信用がドンと落ちていく。結果として日本がアメリカにだけ頼っていたら、大変なことになります。
いまのうちに、アメリカに輸出してドルをもらったらユーロに代えておいた方がいい。ユーロの方は下がらないからです。EUという所は、国家財政が赤字だと加盟できないことになっています。赤字だと穴埋めにお札を出すので乱発ということになって下がるのです。だからユーロは一応下がらない仕組みになっています。乱発できないようになっているのです。ドルは短期的に持つのはかまわないが、3年、4年と長期的に持っていると下がってしまいます。それならユーロにしておいた方がいいとか、これから生まれるかもしれないアジア通貨にしておいた方がよいとかいうことになります。世界の大企業や国家が、決済のために多額のドルを持っていますが、これがユーロに切り替えられるとなると、ドルはもう世界通貨ではなくなります。
そうなると、アメリカだけに依存している国は、大変苦しくなります。21世紀の日本を考えた時、アメリカと仲良くするのは大切ですが、しかしアメリカ一辺倒では駄目な時代になっているのです。アジアと仲良くしなければいけません。
しかしアジアと仲良くするのには、無条件ではできません。なぜなら、60年前、アジアに戦争を仕掛けて大変な迷惑をかけた。その後始末がちゃんとできていないのです。仲良くするするためには、60年前のマイナスを埋めるところから始めなければいけません。別に難しいことではないのです。「あの時はごめんなさい。2度とやりませんから、勘弁してください」。これで済むわけです。
問題は、「2度とやりません」が、信用してもらえるかどうかです。信用してもらうための最大の決め手が「憲法第9条」です。憲法9条第1項、第2項がある限り、日本は2度と戦争はできません。イラクの状態を見ても、自衛隊は鉄砲一発撃てない。(世界中)みんなが見ています。この憲法9条第1、第2項がある限り、日本は戦争はできません。だから安心して日本と付き合うのです。
もし日本が憲法9条を変えて、もう1回戦争やりますということになったら、アジアの国々は日本を警戒して、日本との付き合いが薄くなってしまいます。いま既にそうなりつつあります。小泉首相は靖国に何度も行く。自民党は憲法9条を変えることを決め、改憲構想まで発表した。アジアの国々は用心します。「そういう国とは、あまり深入りしたくない」。
小泉首相は「政冷、経熱」でいいじゃないか、といいます。政治は冷たくても経済では熱い関係というのでしょうが、そんなことはできません。中国と日本の経済関係はじわっと縮小しています。統計でもそれははっきり出ている。
おととしまで中国の貿易のトップはアメリカでした。次が日本、3位はEU。これがひっくり返ってしまいました。去年はトップはEU、2位アメリカ、3位日本です。明らかに中国は日本との商売を少しずつ縮小させている。その分EUに振り替えています。
去年5月、ショッキングなことがありました。北京・上海新幹線という大計画をEUに取られました。北京~上海って何キロあるのでしょう。日本の本州より長いのではないでしょうか。このとてつもない計画があって、去年、まだ予備調査の段階すが、日本は負けました。ドイツ、フランスの連合に取られました。予備調査で取られたということは、本工事は駄目ということです。中国にすれば、日本にやらせるのが一番便利なのです。近いですし、新幹線技術も進んでいます。まだ1度も大事故を起こしたことがありません。ドイツもフランスも、1回ずつ大事故を起こしたことがあります。技術からいっても資本からいっても、日本にやらせれば一番いいのに、日本が負けました。明らかに政治的意図が働いたと思われます。日本との関係を深くしたくない。いざという時、いつでも切れるようにしておく。いざというとき、切れないようでは困る。そういうことではないでしょうか。
いまのままアメリカ一辺倒でいいのでしょうか。私は長島さんをよく思い出します。後楽園での引退試合の時、最後に「読売ジャイアンツは永久に不滅です」といったのです。永久に不滅どころか、去年のジャイアンツのサマといったらもう、見ていられない。アメリカもそうなるのではないでしょうか。小泉首相は「アメリカは永久に不滅です」と、いまもいっているのですが、そうではないのではないでしょうか。
アメリカにさえ付いていれば、絶対大丈夫という時代は終わったのです。アメリカとも仲良くしなければいけませんが、しかしアジアとも仲良くしなければいけない、そういう時代がいま来ているのです。仲良くするのには、憲法9条を守ることが大前提です。これを止めてしまったら、アジアとは仲良くできません。
憲法9条は、日本にとって“命綱”です。いままでは、憲法9条というと、「理想に過ぎない。現実は9条で飯食えないよ」という人が多く、中には鼻で笑う人もいました。しかしいまは逆です。9条でこそ食える。9条を変えたら、21世紀日本の経済は危ないのです。
憲法9条を守ってこそ、この世紀の日本とアジアとの友好関係を守り、日本も安心して生きていけるのです。こういう世の中をつくる大前提が憲法9条です。憲法9条は美しいだけではなく、現実に儲かるものでもあります。そのことがやっと分かってきました。
奥田経団連会長は、去年までは小泉首相を応援して靖国参拝も賛成だったのですが、そんなこといってたらトヨタは中国で売れなくなります。そこで今年の正月の挨拶でついに、「中国との関係を大事にしてほしい」と、向きが変わりました。
財界が、中国と仲良くしなければ自分たちは商売ができない、となってくれば、日本の政治の向きも変わるだろうと思います。あと3年たてば多分、これは日本の国民の常識になってきます。中国と仲良くしないと経済が駄目になる。それは中国のいいなりになることではないのです。良くないことはきちんという。だけど敵にするのではなく、仲良くする。でなければ、日本の経済は成り立たない。これがみんなの常識になってくるでしょう。
これまで60年、アメリカベったりだったから、アメリカから離れたら生きていけないと皆思ってきました。しかし現実の数字はそうでなくなっています。一番大事な経済の相手は、もうアメリカではなくアジアなのです。これに気づくのにあと2・3年かかるでしょう。これが世論になれば、もう、憲法を変えるなどということは、絶対にできません。
しかし、この3年の間に、国民の世論がそのように変わる前に、憲法が変えられてしまったら、どうにもなりません。
あと3年、必死の思いでがんばって、子供たちに平和な日本を残してやるのが、私たちの務めだと思います。そう思って、私も必死になってかけ回っています。あと3年ぐらいはまだ生きていけるだろうから、なんとしても3年間は9条を守るために全力をつくしたいと決心しています。
ありがたいことに、9条を変えるには国民投票が必要です。国会で決めただけでは変えられません。国民投票で過半数をとらないと、憲9条は変えられないのです。逆にいえば、これによってこちらが憲法9条を守る署名を国民の過半数集めてしまえばいいことになります。住民の過半数の「9条を守る」署名を3年間で集めてしまう。そうすればもう、変えることは不可能になります。
そうすれば、子供たちに憲法9条のある日本を残してやれます。2度とアジアと戦争する国にならないようにして、そしてもし長生きできれば、新自由主義という方向、つまりアメリカ言いなりではなく、もっと自主的な経済ができるように、せめてヨーロッパのような修正資本主義、ルールのある資本主義の仕組みにもう一度戻すこともできるでしょう。
日本中で、飢えている人、因っている人、貧しい人が、それでも人間らしく生きていけるような、最低限の保障ができる、生きる希望が出る──。そういう社会にすることが大切なのだ、と思います。これは長期的展望です。簡単にはできません。一度、新自由主義になってしまったので、10年位かかるでしょう。国民が賢くなって、正しい要求を政府につきつけていかなければいけません。その中心になる労働運動の再建が必要です。
結局国民が主権者なんですから、 国民の願いがかなうような、そういう日本に作り替えていきたいなと、そういう道を進んでいきたいなと思います。
鋸南町は合併を拒否なさったというので、日本でも有数な自覚的な町といえます。合併するとまず住民自治がダメになります。大きくなるということは、住民自治が駄目になることでもあります。住民が主人公になる町こそ大切。ぜひこの美しい山と海と禄のある町で、1人1人が主人公であるような地域共同体というものを、みんなが助け合える町になることを私も希望して、講演を終わらせていただきます。
http://kyonannet.awa.or.jp/mikuni/siryo/2006/kawabata-kouen060114.htm
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2023/09/06 (Wed) 04:28:05
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2023.09.05XML
2001年9月11日の出来事でネオコンに抵抗する勢力は弱体化した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309050000/
ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。いわゆる「9/11」である。
その前日、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドは軍事予算のうち2兆3000億ドルが行方不明になっていることを認めていた。これは大スキャンダルだったが、9/11のため、この問題は吹き飛んでしまった。
また、ネオコンに担がれていたブッシュ大統領の「財布」と言われていたエネルギー投機会社エンロンの破綻が不可避の状態で、経営内容にメスが入れられようとしていた。ところが倒壊した7号館に保管されていた膨大な関連書類は消えている。
エンロンを生み出した新自由主義的な強者総取りの政策は社会を破壊し、人びとの怒りは高まっていた。2001年7月にイタリアのジェノバではG8サミットが開かれたが、そこへ約20万人が抗議のために集結、取り締まり側は暴力行為をでっち上げる事態になっていた。
また9月10日から11日にかけて、大統領の父親であるジョージ・H・W・ブッシュ元大統領はフランク・カールッチやジェームズ・ベイカー3世とリッツ・カールトン・ホテルでシャフィク・ビン・ラディンと商談していた。
ブッシュたちアメリカ人3名は巨大投資会社カーライル・グループの幹部だったが、商談相手が問題。ジョージ・Wは9/11の直後、詳しい調査をしないまま実行責任者をオサマ・ビン・ラディンだと断定したが、シャフィクはオサマの兄弟だからだ。
ビン・ラディン家はサウジアラビア最大の建設会社を経営、アフガニスタンでCIAは対ソ連戦の主力戦闘員として、サウジアラビアから派遣されたムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使っていた。その戦闘でビン・ラディン家の会社は建設機械を使い、地下要塞網を建設したと言われている。
ところが、9/11では複数の旅客機がサウジアラビアなど中東出身の人びとにハイジャックされたとされている。証拠はないのだが、そういうことにされ、人びとの目はサウジアラビアに向けられた。
当時、サウジアラビアの駐米大使として赴任していたのはバンダル・ビン・スルタン。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しい関係にあった。バンダルは後にサウジアラニアの情報機関、総合情報庁を率いることになる。彼の後任大使になるトゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウドは2001年8月31日、つまり9/11の11日前まで総合情報庁の長官を務めていた。
9/11の直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めている。
その一方、国内では「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が制定された。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認してしまった。
この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。
ロナルド・レーガン時代、アメリカでは憲法の機能を停止させる仕掛けをつくっている。「COG」だ。このプロジェクトはロナルド・レーガン大統領が1981年に承認した「NSDD55」から始まる。COGは上部組織と下部組織に分かれ、上部組織は「プロジェクト908」、下部組織は「フラッシュボード」とそれぞれ呼ばれていた。
COGプロジェクトは極秘にされていたが、1987年7月に開かれたイラン・コントラ事件の公聴会において、ジャック・ブルックス下院議員が触れている。オリバー・ノース中佐に対し、「NSCで一時期、大災害時に政府を継続させる計画に関係した仕事を担当したことはないか?」と質問したのだ。この計画とはCOGプロジェクトにほかならない。
ノースに付き添っていた弁護士のブレンダン・サリバンは質問に動揺し、委員長のダニエル・イノウエ上院議員は「高度の秘密性」を理由にして、質問を打ち切ってしまう。イノウエ議員はCOGについて知っていたということだ。
ブルックス議員が取り上げた当時、COGは核戦争を前提にしていたのだが、1988年に変質する。大統領令12656が出され、その対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更されたのだ。そして2001年9月11日、「国家安全保障上の緊急事態」が起こった。9/11だ。
ジョージ・H・W・ブッシュ、フランク・カールッチ、ジェームズ・ベイカー3世、バンダル・ビン・スルタン、オサマ・ビン・ラディンたちを平和的だと表現することはできない。CIAと関係が深いことも事実だ。
しかし、H・W・ブッシュやベイカーは1980年代からネオコンと対立していた。当時、ブッシュやベイカーたちはイラクのサダム・フセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤と認識していたのだが、ネオコンはフセインを倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断して両国を制圧しようと目論んでいた。最終的に「大イスラエル」を樹立、つまり中東全域をイスラエルに支配させようとしていたと言われている。
また、ソ連消滅後、H・W・ブッシュやベイカーはNATOを東へ拡大するつもりはなかったようだが、ネオコンは拡大させてロシアを制圧しようとしていた。ジョージ・H・W・ブッシュが再選されなかった理由はこの対立にあったとも言われている。
選挙でブッシュに勝ったビル・クリントンもCIAと関係が深く、 第1期目は旧ソ連圏への軍事作戦に消極的だった。そのクリントンはスキャンダル攻勢にあう。スキャンダルが沈静化するのは1997年に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代してからだ。その後、NATOは東へ拡大、2014年2月にはクーデターでウクライナにネオ・ナチ体制を樹立した。
こうしてみると、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジェームズ・ベイカー3世、バンダル・ビン・スルタン、オサマ・ビン・ラディンなどは9/11の実行グループではない可能性があるように見える。一種の予防措置として実行グループが秘密工作に引き摺り込んだのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309050000/
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2023/09/06 (Wed) 04:37:07
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ジョージ・W・ブッシュ大統領 (アホ息子 の方)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/814.html
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2023/09/09 (Sat) 10:50:41
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2023.09.09XML
2001年だけでなく1973年の9/11もアメリカ支配層の世界支配戦略で重要な役割
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309090000/
ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が2001年9月11日に攻撃された。いわゆる「9/11」だ。その年にスタートしたばかりのジョージ・W・ブッシュ政権は攻撃について詳しい調査をしないまま実行責任者をオサマ・ビン・ラディンだと断定、アメリカ憲法の機能を停止させた。同時にアフガニスタン、そしてイラクを先制攻撃、世界制覇戦争を始めている。
欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、ポール・ウォルフォウィッツは国防次官時代の1991年にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にし、9/11から10日ほど後にはイラク、ついでシリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランの名前が記載された攻撃予定国リストを統合参謀本部で見たという。(3月、10月)
この9/11の28年前、今から50年前の1973年9月11日に南アメリカのチリで軍事クーデターがあった。1970年の選挙で勝利、大統領に就任したサルバドール・アジェンデはアメリカによる帝国主義的な支配に反対していた政治家で、巨大資本から敵視されていた。そして巨大資本の代理人であるヘンリー・キッシンジャーを後ろ盾とするオーグスト・ピノチェトがアジェンデ政権を倒したのだ。キッシンジャーの手先として動いていたのはCIAの破壊工作部門である。
クーデターの布石としてCIAはチリ軍参謀総長レネ・シュネイデルを殺害した。この軍人は憲法を遵守する考え方の持ち主で、CIAにとって好ましくない人物だった。さらにアメリカの金融機関やIBRD(国際復興開発銀行、通称「世界銀行」)はチリへの融資をストップして経済面から揺さぶりをかけ、労働組合はストライキで社会を不安定化させていた。チリに限らず、CIAは労働組合を支配下に置いている。
CIAやイギリスの対外情報機関MI6は1960年代からイタリアで破壊工作を連続して実行していた。第2次世界大戦中、西ヨーロッパでドイツ軍と戦ったのは事実上、レジスタンスだけ。そのレジスタンスの主力がコミュニストだったことから大戦後もイタリアやフランスはコミュニストが強く、米英の支配層はレジスタンス人脈を嫌っていた。コミュニストではないが、レジスタンスに参加していたフランスのシャルル・ド・ゴールの命が狙われた理由もここにある。
例えば、イタリアでは1969年にパドゥア大学とミラノの産業フェアで爆弾テロ、そしてミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行が爆破された。1970年にクーデターが試みられ、74年にはボローニャ近くで列車が爆破され、80年にはボローニャ駅が爆破されている。
国立農業銀行を爆破したひとりとされているステファノ・デレ・キアイエは1970年のクーデター未遂の後にスペインへ逃げ込み、その後はイタリアとスペインとの間を自由に行き来している。1974年4月には有力貴族でファイスストやCIAとの関係が深いバレリオ・ボルゲーゼとチリを訪問、ピノチェトと会談した。
1975年春にはチリの情報機関DINAのオフィサーだったマイケル・タウンレイが西ヨーロッパへ派遣され、現地の右翼活動家をリクルート、亡命している反体制派を「無力化」する手配をしている。そして1975年10月、ピノチェト体制に反対する運動を組織していたベルナルド・レイトンがローマで銃撃され、重傷を負った。デレ・キアイエの協力を得ての作戦だった。(effrey M. Bale, “The Darkest Sides Of Politics, I,” Routledge, 2018)
1976年9月にはアジェンデ政権で外務大臣などを務めたオルランド・レテリエールがワシントンDCで暗殺された。CIAが暗殺計画を知らなかったとは思えないが、その時のCIA長官はジョージ・H・W・ブッシュにほかならない。
チリのクーデターはオーストラリアの情報機関も協力していた。この事実を知ったゴウ・ウイットラム首相はASISに対してCIAとの協力関係を断つように命令した。
ASIS以外にもオーストラリアには情報機関があり、いずれもアメリカの指令で動いていた。その仕組みをウイットラム政権が揺るがすことを恐れたアメリカ政府はウイットラムの排除を目論む。CIAは1975年11月、イギリス女王エリザベス2世の総督であるジョン・カー卿を動かしてウイットラム首相を解任している。
カーは第2次世界大戦中の1944年、オーストラリア政府の命令でアメリカへ派遣されてCIAの前身であるOSS(戦略事務局)と一緒に仕事をし、大戦後はCIAときわめて深い関係にあった。(onathan Kwitny, "The Crimes of Patriots," Norton, 1987)
ウイットラムが解任された後、 オーストラリア政府が米英支配層の政策に逆らうことはなくなった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309090000/
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2023/09/19 (Tue) 03:22:46
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2023.09.19XML
「土壇場を迎えたアメリカ帝国主義」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309190000/
アメリカの支配層は自由、人権、民主主義という看板を掲げながら国外で侵略戦争を仕掛け、国内では管理体制を強化し、富を独占するための支配システムを世界に広げようとし、その切っ先をロシアや中国の喉元に突きつけています。1991年12月にソ連が消滅、「唯一の超大国」になったアメリカは好き勝手に行動できると考えるようになった結果だと言えるでしょう。その帝国主義的な姿勢が中露の反撃を招き、アメリカの支配層は窮地に陥りました。次回の「櫻井ジャーナルトーク」ではそうした状況について考えたいと思います。
アメリカにも憲法があり、人びとの権利が定められていますが、憲法の規定を無効にするためのプロジェクトCOGが1982年にスタートしました。ソ連が消滅した直後の1992年にはアメリカが「唯一の超大国」になったという前提で世界制覇プロジェクトが国防総省の「DPG草案」という形で作成され、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれています。
そのCOGとウォルフォウィッツ・ドクトリンは2001年9月11日から本格的に始動、 アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナというように火をつけ、今、東アジアの軍事的な緊張を高めています。アメリカはイギリスやオーストラリアとAUKUSなる軍事同盟を組織しましたが、彼らは相手が弱小国でない限り、基本的に自分たちが最前線に出て来ることはなくなっています。ロシアや中国との戦争では日本や韓国が矢面に立たされそうです。
ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」にしろ、ズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」にしろ、ハルフォード・マッキンダーが1904年に発表した理論に基づいていますが、その理論のベースはイギリスが19世紀に始めた「グレート・ゲーム」、つまりロシア制圧プロジェクトです。
19世紀の終盤、イギリスは1899年から1902年にかけてのボーア戦争(南アフリカ戦争)で金やダイヤモンドを産出する南アフリカを奪い取ることに成功、アメリカは先住民を虐殺しながら西海岸に到達、1898年のアメリカ・スペイン戦争で南アメリカやフィリピンを奪いました。
イギリスは1839年から42年にかけて「アヘン戦争」、56年から60年にかけては「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」で中国(清)に勝利しますが、内陸部を占領する戦力がありません。イギリスが日本で明治維新を仕掛けた理由はそこにあるのでしょう。
1853年にマシュー・ペリーが指揮する艦隊を江戸湾に送り込んだアメリカは67年にアラスカを手に入れ、ハワイも占領していますが、アメリカ支配層が最も欲しがっていた場所はカリフォルニアのはるか西にある「新たな西部」、つまり中国東北部だったと言われています。
ボーア戦争で重要な役割を果たしていたセシル・ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出し、大儲けした人物。そのローズはネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレットらと支配者グループを形成、アルフレッド・ミルナーはその後継者です。
ローズは優生学を信奉していました。1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に書いた『信仰告白』で彼はアングロ・サクソンは最も優秀な人種であり、その居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張してます。領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務だというのです。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877)
イギリスでは19世紀にハーバート・スペンサーが適者生存を主張、競争で強者が生き残ってその才能が開発され、その一方で弱者は駆逐されるとしています。弱者に無慈悲であればあるほど社会にとっては「優しい」のだというのです。イギリスの人類学者、フランシス・ゴルトンは「遺伝的価値の高い者を増やし、遺伝的価値の低い者を減らす」ことで社会を改善できると主張していました。このゴルトンは優生学の創始者とされていますが、彼の従兄弟は『種の起源』で知られているチャールズ・ダーウィンです。
こうした思想はローズなどイギリスの支配者グループに影響を与え、アメリカの支配層にも影響を及ぼし、カーネギー研究所、ロックフェラー財団、ハリマン家のマリー・ハリマンらの支援を受けて優生学を広める運動が展開されました。そうした運動に感銘を受け、自国で実践したのがアドルフ・ヒトラーにほかなりません。
アメリカが掲げる自由、人権、民主主義という看板を支えているのはそうした思想なのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309190000/
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2023/10/28 (Sat) 16:23:27
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内田樹さん講演会「市民社会とコモン」~ なかまとつくる、くらし。
2021/01/21
https://www.youtube.com/watch?v=ZbLzsQPe56c
2021年1月11日に、内田樹さん講演会「市民社会とコモン」~なかまとつくる、くらし。
を開催しました。
コモンをヒントに、自由と平等、そして民主主義について、一緒に考えましょう。
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2023/11/10 (Fri) 22:00:38
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【イスラエル・ハマス戦争状態①】 報道されない各国の動きと減衰するアメリカ|伊藤貫×室伏謙一
2023/11/05
https://www.youtube.com/watch?v=upp-595yMVI&t=0s
【イスラエル・ハマス戦争状態②】報道されないパレスチナ問題の歴史|伊藤貫×室伏謙一
https://www.youtube.com/watch?v=bLHcs53SP2U
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2024/03/02 (Sat) 08:37:12
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配下の国が思い通りに動かなくなり、核戦争で脅すしかなくなったアメリカ政府
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403020000/
アメリカのロイド・オースチン国防長官は下院軍事委員会の公聴会で追加資金の承認を 議員に呼びかけた。ウクライナに対する600億ドルの新たな支援策が議会で通らないため、その資金がないとウクライナでロシアが勝利、NATOとロシアが直接軍事衝突すると主張している。アメリカの支援が続かなければ確実に負けると警告したというが、資金や武器弾薬を供給してもウクライナの敗北は決定的である。
短期的に見るとウクライナにおける戦闘は2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権が仕掛けたクーデターから始まるが、その背景には1992年2月にDPG(国防計画指針)草案という形で作成された世界制覇プロジェクトがある。
その当時、すでに国防総省もネオコンに制圧されていた。国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。ふたりともネオコンだ。そのウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから、DPGは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
そのドクトリンではドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないとしているのだ。
しかし、当時の日本政府はアメリカの戦争マシーンに組み込まれることを嫌がる。細川護煕政権が国連中心主義を主張したのはそのためなのだが、そうした姿勢を見てネオコンは怒る。細川政権は1994年4月に倒され、95年2月にはウォルフォウィッツ・ドクトリンの基づく「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」をジョセイフ・ナイは発表した。
そうした中、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、それから10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃された。そして8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載される。
アメリカではソ連消滅後、有力メディアが旧ソ連圏に対する戦争を煽り始め、その流れに逆らったビル・クリントン大統領はスキャンダル攻勢にあった。
クリントン政権で戦争を抑える上で重要な役割を果たしていたのは国務長官だったクリストファー・ウォーレンだが、1997年1月にブレジンスキーの教え子でもあるマデリーン・オルブライトへ交代、彼女は98年秋にユーゴスラビア空爆を支持すると表明する。
そして1999年3月から6月にかけてNATO軍はユーゴスラビアへの空爆を実施、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃された。この空爆を司令部はアメリカ大使館にあり、指揮していたのはブルガリア駐在大使だったリチャード・マイルズだと言われている。
2000年はアメリカ大統領選挙のある年だったが、1999年の段階で最も人気があった候補者は共和党のジョージ・W・ブッシュでも民主党のアル・ゴアでもなく、立候補を否定していたジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまりジョン・F・ケネディ大統領の息子だった。1999年前半に行われた世論調査ではブッシュとゴアが30%程度で拮抗していたのに対し、ケネディ・ジュニアは約35%だったのだ。
しかし、ケネディが大統領選挙に参加することはなかった。1999年7月、ケネディ・ジュニアを乗せ、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島へ向かっていたパイパー・サラトガが目的地へあと約12キロメートルの地点で墜落、ケネディ本人だけでなく、同乗していた妻のキャロラインとその姉、ローレン・ベッセッテも死亡している。
墜落地点から考えて自動操縦だった可能性が高く、操作ミスだった可能性は小さい。JFKジュニアが乗っていた飛行機にはDVR300iというボイス・レコーダーが搭載され、音声に反応して動き、直前の5分間を記録する仕掛けになっていたが、何も記録されていなかった。また緊急時に位置を通報するためにELTという装置も搭載していたが、墜落から発見までに5日間を要している。
2000年の上院議員選挙では投票日の3週間前、ブッシュ・ジュニア陣営と対立関係にあったメル・カーナハンが飛行機事故で死んでいる。このカーナハンと議席を争っていたのがジョン・アシュクロフト。ジョージ・W・ブッシュ政権の司法長官だ。ちなみに、選挙では死亡していたカーナハンがアシュクロフトに勝っている。
選挙の結果、大統領に選ばれたのはブッシュ・ジュニア。大統領に就任した2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカは侵略戦争を始める。
2002年には中間選挙が行われたが、この段階でイラク攻撃に反対する政治家は極めて少なかった。例外的なひとりがミネソタ州選出のポール・ウェルストン上院議員だが、そのウェストン議員は投票日の直前、2002年10月に飛行機事故で死んでいる。
メディアは「雪まじりの雨」という悪天候が原因だったと報道さしていたが、同じ頃に近くを飛行していたパイロットは事故を引き起こすような悪天候ではなかったと証言、しかも議員が乗っていた飛行機には防氷装置がついていた。しかも、その飛行機のパイロットは氷の付着を避けるため、飛行高度を1万フィートから4000フィートへ下降すると報告している。その高度では8キロメートル先まで見えたという。
ブッシュ政権はアメリカ主導軍を使い、2003年3月にイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を破壊し、100万人を超すと見られるイラク人を殺している。この数字は複数の調査でほぼ一致している。
例えば、アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると2003年の開戦から06年7月までに約65万人のイラク人が殺されたという。イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人が死亡、またNGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。
ネオコンは1980年代からフセイン体制を倒し、イランとシリアを分断しようとしていた。そのフセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤と考えていた勢力、例えばジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベイカーらとネオコンは対立、イラン・コントラ事件が発覚する一因になった。
結局、イラクではフセインを排除したものの、親イスラエル体制を樹立することには失敗。そこで次のオバマ政権は2010年8月にPSD-11を承認してムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させる。そして始まるのが「アラブの春」だ。
その流れの中でアメリカ、イギリス、フランスを含む国々は2011年春からリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた。この戦術はオバマの師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代に始めたものだ。
リビアに対する攻撃は2011年2月に始まり、3月には国連の安全保障理事会がアメリカなどの要請を受けて飛行禁止空域の導入を承認、5月にはNATO軍機が空爆を開始する。そして10月にムアンマル・アル・カダフィは惨殺された。
その間、地上ではアル・カイダ系武装集団のLIFGがNATO軍と連携して動いていたのだが、その事実が明らかになってしまう。例えば、反カダフィの武装勢力が拠点にしていたベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。
イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックは2005年7月、アル・カイダはCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだと指摘している。アラビア語でアル・カイダは「ベース」を意味、データベースの訳語としても使われる。
一般的にアル・カイダのリーダーだと言われ、イコンとして扱われていた人物がオサマ・ビン・ラディン。そのビン・ラディンを2011年5月、アメリカ海軍の特殊部隊が殺害したとオバマ大統領は発表している。
2012年からオバマ政権はシリア侵略に集中、リビアから戦闘員や武器をNATO軍がシリアへ運び、軍事支援を強化するのだが、そうした行為を正当化するためにシリア政府を悪魔化するための偽情報を流した。
ところがシリア軍は手強く、アル・カイダ系武装勢力では倒せない。そこでオバマ政権は支援を強化するのだが、アメリカ軍の情報機関DIAは、オバマ政権が支援している武装勢力の危険性を指摘する。その主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団で、アル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)といったタグをつけているとする報告を2012年8月にホワイトハウスへ提出したのだ。オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。2012年当時のDIA局長はマイケル・フリン中将だ。
この警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)という形で現実なった。この武装勢力は同年の1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧する。その際にトヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられ、広く知られるようになった。
アメリカの軍や情報機関は偵察衛星、通信傍受、人間による情報活動などで武装集団の動きを知っていたはず。つまりパレードは格好の攻撃対象だが、そうした展開にはなっていない。ダーイッシュが売り出された後、フリンDIA局長は退役に追い込まれた。
オバマ政権は「残虐なダーイッシュ」を口実に使い、シリアへアメリカ/NATO軍を直接投入しようと目論み、戦争体制を整える。2015年2月に国務長官をチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月に統合参謀本部議長をマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させたのだ。
ヘイゲルは戦争に慎重な立場で、デンプシーはサラフィ主義者やムスリム同胞団を危険だと考えていた。それに対し、カーターやダンフォードは好戦派だ。
統合参謀本部議長が交代になった数日後の9月30日にロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュなど武装勢力の支配地域は急速に縮小していく。アメリカ主導軍と違い、ロシア軍は本当にダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を攻撃したのだ。
シリアでの戦闘でロシア軍は 戦闘能力や兵器の優秀さを世界に示し、歴史の流れを変えた。アメリカを憎悪しながら沈黙していた国々がロシアの周辺に集まり始めた。そしてウクライナでもロシア軍は戦闘能力や兵器の優秀さを示し、アメリカ/NATO軍は惨めな姿を晒すことになったのである。
そうした中、ニューヨーク・タイムズ紙は、CIAがウクライナ領内、ロシアとの国境に近い地域に12の秘密基地を作っていたと伝えているのだが、特に驚くような話は含まれていなかったが、明らかな偽情報も含まれていたことが指摘されている。CIAの優秀さとロシアの邪悪さを宣伝することが目的だと見られている。米英を中心とした支配システムを維持するため、アメリカ/NATO軍は凄いと人びとに思わせなければならない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403020000/
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21:777
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2024/04/01 (Mon) 11:18:38
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クリントン大統領がエリツィン時代のロシアでやった事
伊藤貫【真剣な雑談】 第17回「アメリカ外交の巨悪と中東の絶望!!!」[桜R6/3/30]
https://www.youtube.com/watch?v=fTXHt0irDKE
特番『伊藤貫先生登場!その1 ~ アメリカ政治の混乱、民主主義という政治イデオロギーの欠陥~』ゲスト:国際政治アナリスト 伊藤貫氏
2024/03/30
https://www.youtube.com/watch?v=QUPANdUBvUA
特番『伊藤貫先生登場! その2 ~冷戦後のアメリカ軍事外交政策の大失敗、今後の国際政治 構造の変化~』ゲスト:国際政治アナリスト 伊藤貫氏
2024/03/31
https://www.youtube.com/watch?v=Kh8-JFSx7So
▲△▽▼
ロシア 聖なる我等が国
ロシア 愛する我等が国
固き意志 偉大な栄光や
永久に汝が富ならん
讃えよ我等が 自由なる祖国
いざ集え 兄弟よ
先人が知恵 我等がもとに
讃えよ 汝が誇りを
新世紀を間近に控えた2000年。プーチン大統領は、それまでの愛国歌からソ連国歌のメロディーに変えました。
ソ連からの独立後のロシアには未来への希望が満ち溢れていました。共産主義の呪縛からの解放、独立、そして自由。しかしエリツィン政権のもとでは共産主義からは逃げられましたが、安定した生活は得られませんでした。そして独立を境にしロシアからは光が失われつつありました。ロシアの大国としての誇りが失われ、犯罪は多発し、誇りである軍隊はほぼ崩壊に近くなりました。
アメリカには頭が上がらなくなり、西欧との生活環境の落差は広がる一方。これらに追い討ちをかけたのが98年の経済危機。帝政ロシア、ソ連を通じ自らの経済を見つめてきた、またロシア人の誇りのルーブルが紙くず同然となりました。
ロシアの人々は現実に打ちのめされました。しかし。ロシアの人々はこんなことではへこたれません。・・ですが、やっぱり自分達の生活には限界が近づいてくるわけです。
エリツィンは何もせず酒ばかりのんでいる。国民の生活の不満は政治に向けられました。そんな中。1999年の大晦日。ロシアと全世界に衝撃が走りました。エリツィンが突如辞任したのです。
後任は元ペテルブルグ市長プーチン。名も知らぬ若き男に大国ロシアは委ねられたのです。国民はあまり期待をしませんでした。「エリツィンよかましなだけだろう」と。
しかし、そんな国民のさめた目を横目に、「強いロシア」を掲げた大統領は次々と改革を断行。経済はだんだんと回復。生活も苦しいながらも徐々に改善。なんと言っても「強いロシア」が現実に感じられるようになったのです。
もう昔の我々ではない。昔の栄光を取り戻そうじゃないか!
ロシアの人々は沸き立ちます。
http://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/russian_anthem.html
アメリカを心底恐怖させた国ソ連は消滅しました。この時、アメリカ政府は、今後のロシアをどのようにしたらいいだろうかと考えました。
心優しい日本人であれば、「経済危機に陥っているロシアに支援を送る」とかなんとか善意に基づいた行動をとるでしょう。
しかし、「普通の国」アメリカはもちろんそのようなことは考えない。これは当然、「ロシアが二度とアメリカに反抗できないよう、この国を破壊し尽くそう」と考えた。
アメリカは国際通貨基金(IMF)を通して、ロシアに「改革のやり方」を伝授した
まず「政府による経済管理の廃止」。貿易が自由化され、西側の優れた製品がロシア市場になだれ込み、ロシアの国内産業は壊滅した。
次に「価格の全面自由化」。国内産業が駆逐され、輸入に頼るしかない状況で、ロシアの通貨ルーブルは急落し、国内はハイパーインフレーションに見舞われた。改革がスタートした92年のインフレ率はなんと2600%、GDP成長率はマイナス14.5%。ロシア経済はアメリカの思惑通り破綻した。
さらに大規模な「民営化」。国有財産はそれを今、手元に持つ人の所有となった。アパートの住人は、アパートの所有者となった。そして国有石油会社のトップは、その会社をほとんど無料で手に入れた。ここから生まれた新興財閥はエリツィン政権に賄賂を送って、税金をほとんど免除してもらった。当然、国家財政は大幅な赤字に転落した。
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/218.html
ロシアと社会主義
11日に発表された、ロシアの世論調査機関が行った国民意識調査によると、ペレストロイカを失敗と見なした人が56%、「1985年以前の体制を続けていれば生活水準は良くなっていたはず」とした
人が48%、「ペレストロイカがなければ超大国の地位を維持できた」と答えた人は36%に上ったという。
一般の日本人から考えると信じられない数字かもしれない。
西側メディアのプロパガンダによって、旧ソ連も人たちも今の北朝鮮の人のような生活を送っていたと考える人が大半なようだが、実情はそんな悪いものではなかったと思う。
確かにモノ=商品は質が悪く、流通量も少なかったが、きちんと働いていれば、生活に困ることはなかったし、老後も安心して過ごせたのだ。病院も学校もタダだった。
今は、1割のお金がある人は良い生活を、残りの9割の人は食うや食わずで1日中働く。
男性の平均寿命を見ると面白い。
85年には63才ぐらいだったものが、10年後には55才を下回ってしまったのだ。
もともと社会主義は競争を否定し、(成長を犠牲にして)平等と共生を重視する理念だった。
しかし、冷戦構造に巻き込まれ、米国と真っ向から世界対立する路線を進んだために、資本主義と競争する羽目になり、戦時態勢をずっと続けるようなことになってしまった。
本来なら2次大戦が終わった時点で、軍事から民生重視に産業を移行するべきだったものができなかった。その辺にソ連崩壊の最大の理由があるのではないか。
24時間仕事と金のことばかり考え、生き馬の目を抜くような人生しか
送れないのが、資本主義社会の本当の姿だと思う。
http://kenuchka.paslog.jp/article/11458.html
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2024/04/02 (Tue) 13:12:35
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2024.04.02XML
ウクライナやパレスチナで戦乱を引き起こした米英金融資本は苦境に陥っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/
ウクライナにしろパレスチナにしろ、戦乱の黒幕はシティとウォール街を拠点とする金融資本であり、東アジアで軍事的な緊張を高めているのも構図は同じ。シティとウォール街を拠点とする金融資本は緊密な関係にあるが、そうした構図を生み出しているのは19世紀にイギリスで作成された世界制覇戦略だ。
ところが、その戦略が大きく揺らいでいる。ウクライナでは金融資本の手先であるネオ・ナチ体制軍の敗北が決定的。ロシア軍は敵の要塞線を突破し、西へ進んでいる。
イギリスのベン・ウォレス前国防相は昨年10月1日、戦場で戦うウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えているとテレグラフ紙に寄稿した記事の中で指摘している。前線で戦う兵士の平均年齢は42歳だと言われていたので、この話は正しかったのだろうが、今の状況はさらに悪化しているはずだ。
ガザではイスラエル軍が建物を破壊、住民を虐殺している。アメリカやイスラエルが「建国」する際に行なったようなことを繰り返しているのだが、ハマスとの戦闘は苦戦しているようだ。ウクライナに軍事支援してウラジミル・プーチン政権を倒し、ガザを原爆が投下された長崎や広島のようにして早く軍事作戦を終わらせろとアメリカのティム・ウォルバーグ下院議員は言っている。それだけ苛立っているのだろう。
アメリカやイスラエルは先住民を虐殺したり追放した後、自分たちの「国」を建設した。パレスチナに「ユダヤ人の国」をでっち上げたイギリスはアイルランドやスコットランドなどでも住民を虐殺している。
例えば、ピューリタン革命で実権を握ったオリバー・クロムウェルはアイルランドに軍事侵攻しているが、侵攻前の1641年には147万人だった人口が侵攻後の52年には62万人に減少している。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。
ピューリタンは1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡った。この人たちはピルグリム(巡礼者)・ファーザーズと呼ばれているが、北アメリカでイギリスが植民した地域でピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。
ピューリタンの前からヨーロッパ人はアメリカ大陸へ移民している。1492年にはイタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に現れ、グアナハニ島に上陸したが、その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。これだけ数字に幅があるのは、ヨーロッパからの移住者が先住民を何人殺したかが不明だからだ。1890年にウーンデット・ニー・クリークで先住民の女性や子供がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少、生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。それを「合法化」するため、「強制移住法」が施行されている。
その間、1776年に「独立宣言」、そして81年に「建国」が宣言された。独立宣言では「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っているが、先住民について「年齢・性別・身分を問わない無差別の破壊を戦いの規則とすることで知られる、情け容赦のない野蛮なインディアン」と表現、アメリカ・インディアン虐殺が始まる。
勿論、先住民でけでなく奴隷も人間として扱われていない。奴隷というとアフリカ系を連想する人が多いだろうが、アイルランドなどから売られてきた奴隷もいる。中国から連れてこられた「苦力」も一種の奴隷だ。アメリカの「民主主義」はその程度の代物だということである。
アメリカを「建国」していた人びとが敵視していた イギリスの支配層も似たようなもの。19世紀後半のイギリスを動かしていたのは金融の世界に君臨していたナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)たちだ。
この中で世界支配の戦略を立てたのはローズだと言われているが、この人物は1877年にオックスフォード大学を拠点とする秘密結社「アポロ・ユニバーシティ・ロッジNo.357」へ入会、その直後に「信仰告白」を書いている。
それによると、ローズはアングロ・サクソンが「世界で最も優れた種族」だと主張、そのアングロ・サクソンが住む地域が広ければ広いほど人類にとって良いことだとし、そうした戦略を実現するために秘密結社は必要だとしている。ローズは大英帝国を拡大させ、アングロ・サクソンをひとつの帝国にまとめたいと考え、その目標を実現するためにアメリカも支配したかったのだ。おそらく、その帝国の中にイスラエルも含まれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/
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2024/04/04 (Thu) 09:20:01
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言論統制と教育システムの崩壊で知的水準を低下させた米国の時代は終焉へ向かう
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404040000/
ウクライナの戦闘で手先のネオ・ナチ体制軍がロシア軍に敗北したアメリカ/NATOは戦闘を継続するため、足掻いている。ロシア国内を不安定化させるためにテロを実行したものの、思惑通りには進んでいないようだ。ロシア人を団結させ、ヨーロッパに憧れていた「エリート層」の発言力をさらに低下させたようだ。
ロシアでは3月15日から17日にかけて大統領選挙があり、現職のウラジミル・プーチンが88%以上の得票率で勝利した。クロッカス・シティ・ホールに対する襲撃が引き起こされたのは選挙が終わり、ロシア国内の警戒態勢が解かれたと思われる3月22日のことだ。銃撃と放火で140名以上が殺され、約200名が負傷している。
4人の実行犯がウクライナに近いブリャンスクで逮捕され、テロの準備や逃走をサポートしたグループが逮捕されている。モスクワの支援網関係で11名、トルコで戦闘員を募集、訓練し、兵站を準備するなどしていた40名も逮捕されたという。
西側ではダーイッシュ-ホラサン(IS-KP、ISIS-K)の犯行だと宣伝されているが、逮捕された実行犯4名が敬虔なイスラム教徒だということはない。ダーイッシュやアル・カイダ系の戦闘集団はアメリカやその同盟国が編成した傭兵である。
ウクライナでネオ・ナチを率いているひとりのドミトロ・ヤロシュは2007年からOUN-B(ステパン・バンデラ派)系のKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)のリーダーになり、NATOの秘密部隊ネットワークに参加した人物だが、チェチェンやシリアで戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団と関係があり、2007年5月にはウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めている。
ロシア当局によると、SBU(ウクライナ安全保障庁)のバシーリー・マリューク長官に関しても逮捕令状を発行できるだけの証拠があるともいうが、このSBUは2014年にクーデターでネオ・ナチ体制が成立して以降、CIAの下部機関と化している。3月22日に実行されたテロの黒幕はアメリカやイギリスの情報機関、つまりCIAやMI6だと推測する人が少なくない。
アメリカをはじめ西側では1970年代からメディアやアカデミーの支配を進め、言論統制を強化、洗脳を進めてきた。並行して新自由主義が導入され、そのひとつの結果として庶民が学ぶ公教育のシステムが崩壊して知的レベルが低下している。
その実態をアップルのスティーブ・ジョブスは2010年の秋にバラク・オバマ大統領に語ったという。その時、オバマはジョブスに工場をアメリカで建設してほしいと頼んだのだが、拒否されている。
ジョブスによると、アップルは中国の工場で70万人の労働者を雇っているが、その工場を機能させるためには3万人のエンジニア必要。アメリカでそれだけのエンジニアを集めることはできないというのだ。アメリカで工場を作って欲しいなら、それだけのエンジニアを育てる教育システムが必要だというのだ。生産力が貧弱なら戦争にも勝てない。
その無惨なアメリカの実態がロシアや中国でも知られるようになり、 親欧米派の影響力を低下させている。ロシアではウクライナ戦争の帰還兵を中心とする新たなエリート形成が始まったという。これは欧米からの離脱とアジアへの接近を意味し、中国とロシアの関係を強化することになる。中国でも政策の転換が図られているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404040000/
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24:777
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2024/04/09 (Tue) 18:49:00
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アメリカでは1970年代に金融化が推進され、生産力が落ちて富の一極集中が進んだ。貧富の差が拡大したのだが、その結果、社会の荒廃が進み、公教育のシステムが崩壊し、国民の知的レベルが低下してしまう。
アップルのスティーブ・ジョブスは2010年の秋、バラク・オバマ大統領から工場をアメリカで建設してほしいと頼まれたのだが、それを拒否している。ジョブスによると、アップルは中国の工場で70万人の労働者を雇っているが、その工場を機能させるためには3万人のエンジニア必要。アメリカでそれだけのエンジニアを集めることはできないというのだ。アメリカで工場を作って欲しいなら、それだけのエンジニアを育てる教育システムが必要だというのだ。
ジョブスに指摘された状況は改善されていない。COVID-19騒動の後にアメリカでは社会の荒廃がさらに進み、教育体制も悪化しているはずである。
アメリカのエリート校は私立であり、高額の授業料を要求される。トルーマン・カポーティが書いた『叶えられた祈り』の中でウォール街で働いているディック・アンダーソンなる人物は「二人の息子を金のかかるエクセター校に入れたらなんだってやらなきゃならん!」と言っている。(トルーマン・カポーティ著、川本三郎訳、『叶えられた祈り』、新潮文庫)
エクセター校とは「一流大学」を狙う子どもが通う有名な進学校で、授業料も高い。そうしたカネを捻出するため、「ペニスを売り歩く」ようなことをしなければならないとカポーティは書いているのだ。アメリカの中では高い給料を得ているはずのウォール街で働く人でも教育の負担は重いということだ。
ハーバード大学教授から上院議員 になったエリザベス・ウォーレンによると、教育費の負担が親の肩に重くのしかかり、破産する人が少なくないという。公立の学校へ通わせようとしても、少しでもまともな学校を選ぼうとするなら、家賃の高い地域へ引っ越さなければならない。
アメリカ人が破産する理由は医療費と不動産だとされているが、不動産で破産する背景には教育の問題がある。アメリカでは経済的に豊かな愚か者が高学歴になり、優秀でも貧しい子どもは排除されていくことになるのだ。それで国力が上がるはずはない。イエレンの主張は経済力に劣る国の泣き言だとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404090000/
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25:777
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2024/04/11 (Thu) 18:56:22
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特番「山中泉さん登場!急展開するイスラエル・ハマス戦争、米民主党ネタニヤフ非難の背景にトランプの支持率、どうなる露ウク戦争」
2024/04/09
https://www.youtube.com/watch?v=mlLl_6bc_2c
<出 演>
松田政策研究所代表 松田学
一般社団法人 IFA代表理事 ファウンテン倶楽部創業者 山中泉氏
<目次>
<前半:無料パート>
〇イスラエル・ハマス戦争の急展開
〇民主党上院最上位チャック・シューマー院内総務がネタニヤフを厳しく非難、退陣要求。
〇シューマーやバイデンさえネタニヤフ非難に動いた真の理由は大統領選での
スィングステーツでのトランプとの支持率が拡大している背景があること
〇イスラエル軍ガザから一時撤収開始
〇米保守派、元軍人などのイスラエル、露ウク戦争の直近の見方
〇米下院でのウクライナ支援予算の通過状況とジョンソン下院議長の豹変
<後半:有料パート>
〇過去のユダヤ・ロビーの強大な議員への圧力で絶対の自信を持っていたネタニヤフも
米国内事情で一気に守勢に追い込まれている背後の事情など
〇モスクワ劇場テロの 保守派の分析
〇その他
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26:777
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2024/10/10 (Thu) 16:10:54
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アメリカの軍産複合体が戦争を必要としており、アメリカ政府は戦争を厭わない
2024.10.10
https://blackasia.net/?p=46447
戦争に巻き込まれた人間はただ死んでいくだけだ。 しかし、戦争をしかける側は同盟国に武器・弾薬を供給し、それらがどんどん使い捨てで消費されることによって、次から次へと武器・弾薬を売ることができる。軍需産業はフル回転し、どんどんカネが入る……。(鈴木傾城)
中東の戦争はアメリカの戦争でもある
中東情勢が悪化している。イスラエルとハマスの戦争は長期化し、レバノンのヒズボラとの衝突も激化している。
ヒスボラを支援していたのはイランなので、ヒスボラの幹部を根こそぎ暗殺されたことでイランもイスラエルに対して報復攻撃に入り、状況はいっそう混迷を極めるようになった。
ガザ地区では、イスラエル軍の攻撃により多数の民間人犠牲者が出ているのだが、国連によると、避難を強いられた住民は90%を超え、人道危機が深刻化している。
この状況下、アメリカの中東への関与は一層深まっている。アメリカは原子力潜水艦の配備を公表し、空母「ジェラルド・フォード」と「アイゼンハワー」を中東周辺に派遣した。さらに、迎撃ミサイルシステム「THAAD」や地対空ミサイルシステム「パトリオット」の追加配備もおこなった。
さらにアメリカはイスラエルへの軍事支援も強化している。特殊作戦要員の派遣や爆弾、致死性兵器の供与など、多岐にわたる支援をおこない、米海兵隊の中将をイスラエルに派遣して、ガザへの戦術攻撃の策定でも作戦に深く噛んでいる。
中東の戦争は、イスラエルの戦争だけではなくアメリカの戦争でもあるのだ。なぜ、アメリカはここまで「戦争」に加担するのか。それは、アメリカという国家自体が民間にも軍需産業を抱えているからでもある。
アメリカは私たちの想像を絶する数の企業が「軍事」でかかわっている。
アメリカ軍の総本山は「国防総省」、通称ペンタゴンだが、このペンタゴンが直接的に契約している軍事企業「プライム・コンストラクター」と呼ばれる企業群は約2万社ある。そして、この軍事企業がさらに下請け企業や孫請け企業を使っているのだが、それが1万2,000社近くあるのだ。
アメリカという国の中心に軍産複合体が存在する
それだけではない。アメリカの国防総省には他にも多くの民間組織、たとえばグーグル、マイクロソフト、アマゾン、オラクルのようなIT企業、さらに石油企業、各大学、シンクタンク、銀行がかかわっている。
アメリカの軍事関連のビジネスは広く、深く、民間と協力関係を持っており、切り離すことができない。こうした軍事関連の企業集団をすべて合わせたものを「軍産複合体」と呼ぶ。
これがアメリカでもっとも大きな影響力を持つ組織である。
アメリカは戦争が切れない国なのだが、その理由はアメリカという国の中心に軍産複合体が存在しているからでもある。この巨大組織は、兵器を研究し、作り出し、維持し、消費しなければならない。
アメリカはつねに世界を見回し、自分たちの敵を見つけ、積極的に紛争の種をしかけ、そこに深く介入していく。世界中どこの紛争でも、その裏側にはかならずアメリカの影があった。
戦争によって経済をまわす。これを「ウォー・エコノミー」という。日本語でいえば「戦争経済」である。戦争は悲惨な殺し合いであり、街の破壊であり、悲劇を大量に生み出す行為だ。こんなものがなぜ「経済」に結びつくのか。
戦争に巻き込まれた人間はただ死んでいくだけだ。しかし、戦争をしかける側は同盟国に武器・弾薬を供給し、それらがどんどん使い捨てで消費されることによって、次から次へと武器・弾薬を売ることができる。
軍需産業はフル回転し、どんどんカネが入る。兵器・弾薬だけではない。兵士に提供する衣服や食料、輸送、医療、エネルギー。戦争にかかわる企業のすべてが濡れ手に粟の大儲けになる。日本人だけが知らない事実がここにある。
戦争はアメリカにとって「儲かるビジネス」だったのだ。
ウォー・エコノミーは莫大な利益をもたらす
さらに戦争は巨大な破壊を伴うので、戦争が終われば今度は復興事業が潤うことになる。戦勝国の企業は敗戦国に入り込んで、次々と復興事業にかかわってここでも大儲けしていく。
その国に資源があれば、今度はアメリカの資源企業がそこに入り込んで権益を独占する。そして、その資源の独占を通してアメリカという国家もより肥えていく。これが「ウォー・エコノミー」の正体である。
壊す過程で儲け、復興の過程で儲ける。こうした金儲けは「スクラップ・アンド・ビルド」といわれるが、これがうまく当たると、ウォー・エコノミーは莫大な利益をもたらす。
ただ、条件がある。それは「絶対に戦争に勝つこと」である。戦争に負けてしまえば自分たちがスクラップ(破壊)されて、甚大な被害をこうむることになる。
アメリカがベトナム戦争終結後に未曾有の経済不況に陥ったのは、戦争に負けて「スクラップ・アンド・ビルド」が回らなかったからだ。
アメリカが2001年のアフガニスタン戦争、2003年のイラク戦争で泥沼に陥って2008年9月15日のリーマン・ショックで金融崩壊しそうになったのも、「スクラップ・アンド・ビルド」が回らなかったからだ。
アメリカは意気揚々とベトナムやアフガニスタンやイラクのような「小国」に戦争をしかけたのは、負けるわけがないと思ったからである。しかし、アメリカの思惑通りには運ばなかった。
これらの戦争でアメリカは敗北を喫して軍産複合体は儲かっても、アメリカ国家自体は巨大なダメージを受けたので、結果的には政府から仕事をもらう軍産複合体もダメージを受ける。
戦争は勝たなければならないが、アメリカは勝てなかった。それがアメリカに国家的な困難をもたらした。ウォー・エコノミーにはそうした負の側面もある。しかし、アメリカはウォー・エコノミーを回さずには得られない。軍産複合体を抱えているので、戦争が必要な体質になっているからだ。
最終的には中国が最大の標的となっていく
アメリカはドル基軸通貨によって世界を支配している。しかし、ロシアやイスラム諸国や中国などの反米国家はドルのくびきから逃れたい。ドルの支配が続く限り、アメリカのいうことを聞かざるを得ないからである。
そうした反米国家の反米政権を倒すにも軍事力がいる。アメリカから軍産複合体が消えないのは、ウォー・エコノミーと同時にドル基軸通貨の維持のためでもある。
ドル基軸通貨を切り崩そうとしたり、アメリカに対抗できるほどの巨大な軍事力と経済力を持つ国があると、アメリカはかならず叩きつぶすために「戦争」をしかけていく。それがアメリカの繁栄の裏の顔でもある。
アメリカは戦争を恐れていない。しかし、アメリカが戦争に動くのであれば、それはかならず勝てる戦争でなければならず、さらに「スクラップ・アンド・ビルド」がまわる戦争でなければならない。
そのためにアメリカは「どこでどのような戦争をしかければ自分たちが勝って儲かるのか」を虎視眈々と狙っている。
現在、アメリカは中東に注力しているが、アメリカの覇権に挑戦するようになった国として「中国」の存在が巨大化している。もし巨大な「スクラップ・アンド・ビルド」による市場が望める国があるとしたら、中国は申し分のない国である。
アメリカ人は、すでに右から左まで「中国はアメリカの敵」であることを共通認識として持つようになった。今、アメリカは中国をグローバル経済から切り離しているところだが、そのさらに先は何があるのか。
世界は今、中東に気を取られているかもしれないが、 最終的には中国がアメリカの最大の標的となっていくのは間違いない。
アメリカはいつか中国を軍事的に叩きつぶしにいくだろう。アメリカの軍産複合体はウォー・エコノミーを必要としている。アメリカの軍産複合体が戦争を必要としている。そして、アメリカ政府は戦争を厭わない。中国はすでに標的なのだ。
https://blackasia.net/?p=46447