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2022/07/22 (Fri) 04:49:07
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ルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903年3月28日 - 1991年5月8日)ピアニスト
Rudolf Serkin - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Rudolf+Serkin
Rudolf Serkin Adolf Busch - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Rudolf+Serkin++++Adolf+Busch
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ルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903年3月28日 - 1991年5月8日)は、ボヘミア・ヘプ出身のユダヤ系ピアニスト。名は"Rudolph"と綴ることもある。20世紀の大ピアニストの一人に数えられている。ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュとの共演で若くして名声を得、ピアノ独奏、室内楽、協奏曲など数々の録音を残した。
経歴
1903年、ボヘミアのエーゲル(ヘプ)生まれ。両親はロシア系ユダヤ人。幼少のころにウィーンに移り、ピアノと作曲を学ぶ。作曲の師にはアルノルト・シェーンベルクがいる。1915年、12歳でウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を共演してデビュー。1920年、17歳でヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュのデュオ相手に抜擢され、ヨーロッパ各地で演奏活動。この縁により、のちにブッシュの娘イレーネと結婚する。1936年、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックと共演してアメリカ・デビュー。
1939年、ナチスから逃れるためにアメリカに移住、カーティス音楽院で教鞭をとる。1951年、マルセル・モイーズらとともにマールボロ音楽学校と同音楽祭を創設、主宰となる。1991年、アメリカのギルフォードで死去。
演奏と音楽
ドイツ音楽の正当な継承者と目され、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどの解釈で知られている。ドイツ音楽を得意としたゼルキンは、特にベートーヴェン演奏の評価が高かったが、録音には慎重で、コロムビア・レコードからの希望にもかかわらず結局ピアノソナタ全曲の録音を完成させなかった。晩年にはテラークで小澤征爾とのベートーヴェンのピアノ協奏曲や、ドイツ・グラモフォンでクラウディオ・アバドとのモーツァルトのピアノ協奏曲を録音。ゼルキンの古い録音の多くは廃盤となっていたが、生誕100年の2003年にソニー・クラシカルから相当数が復刻されている。また、オルフェオ等からライブ録音が時折発売され、そのなかでも特にラファエル・クーベリックとのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は評価が高い。
彼の息子であり、スタインウェイ・アーティストであるピーター・ゼルキンが幼少であったころ、良き友人であったカール・ウルリッヒ・シュナーベルにピアノを師事させていた。
録音・映像
Rudolf Serkin - The Complete Columbia Album Collection, Sony Classical, 2017年
ドキュメンタリー"Ozawa" Mayseles brothers film. CBS/Sony., 1989のなかで、小澤征爾とのリハーサルから演奏会までの様子がとらえられている。
伝記
"Rudolf Serkin: A Life" Stephen Lehmann & Marion Faber著, Oxford University press, 2002年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%B3
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2024/05/09 (Thu) 18:37:41
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Date: 5月 8th, 2024
audio wednesday (next decade) – 第四夜を終えて(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=41087
ウェスターン・エレクトリックの757Aを聴き終って、思い出していたのが、
吉田秀和氏の、ゼルキンについて書かれた文章だった。
以前、別項で引用しているが、もう一度読んでほしい。
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そのうち、私は、レコード会社の人からきいた、一つのエピソードを思い出した。
もう大分前のことになるが、現代の最高のピアニストの一人、ルドルフ・ゼルキンが日本にきた時、その人の会社でレコードを作ることになった。ゼルキンはベートーヴェンのソナタを選び、会社は、そのために日本で最も優秀なエンジニアとして知られているスタッフを用意した。日本の機械が飛び切り上等なことはいうまでもない。約束の日、ゼルキンはスタジオにきて、素晴らしい演奏をした。そのあと彼は、誰でもする通り、録音室に入ってきて、みんなといっしょにテープをきいた。ところが、それをきくなり、ゼルキンは「これはだめだ。このまま市場に出すのに同意するわけにいかない」と言い出した。理由をきくと「これはまるでベートーヴェンの音になっちゃいない」という返事なので、スタッフ一同、あっけにとられてしまった。今の今まで、そんな文句をいわれた覚えがないのである。
ことわるまでもないかも知れないが、レコードというものは、音楽家が立てた音をそっくりそのまま再現するという装置ではない。どんなに超忠実度の精密なメカニズムであろうと、何かを再現するに当って、とにかく機械を通じて行う時は、そこにある種の変貌、加工が入ってこないわけにはいかないのである。そう、写真のカメラのことを考えて頂ければ良い。カメラは被写体をあるがままにとる機械のようであって、実はそうではない。カメラのもつ性能、レンズとかその他のもろもろの仕組みを通過して、像ができてくる時、その経過の中で、被写体は一つの素材でしかなくなる。あなたの鼻や目の大きさまで変ってみえることがあったり、まして顔色や表情や、そのほかのいろんなものが、カメラを通じることにより、あるいは見えなくなったり、より強度にあらわになったりする。そのように、音楽家が楽器から出した響きも、録音の過程で、音の高い部分、中央の部分、低い部分のそれぞれについて、あるいはより強調され、ふくらませられたり、あるいはしぼられ、背後にひっこめられたり等々の操作を通過してゆく間に、変貌してゆく。
その時、「本来の音」を素材に、そこから、「どういう美しさをもつ音」を作ってゆくかは、技師の考えにより、その腕前にかかっている。レコードの装置技師は、いわゆる音のコックさんなのだ。もちろん、それでも、いや、それだから、すぐれた技師は、発音体から得られた本来の音のもつ「美質」を裏切ることなしに、その人その人のもつ音の魅力をよく伝達できるような「音」を作るといってもいいのだろう。
だが、ゼルキンが「これはベートーヴェンの音じゃない」といった時、日本の最も優秀な技術者たちは、その意味を汲みかねた。「何をもってベートーヴェンの音というのか?」困ったことに、それをいくら訊きただしてみても、ゼルキン先生自身、それ以上言葉でもって具体的に説明することができず、ただ「これはちがう、ベートーヴェンじゃない」としかいえない。それで、せっかくの企画も実を結ばず、幻のレコードに終ってしまった──というのである。
(「ベートーヴェンの音って?」より)
*
5月1日にかけたカザルスとゼルキンによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ。
「これはまるでベートーヴェンの音になっちゃいない」、
絶対に、そうはいわれなかったという自負はある。
http://audiosharing.com/blog/?p=41087