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2022/06/26 (Sun) 06:13:21
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伝説のロック・フェスティバル 1969年ウッドストック
【ゆっくり解説】伝説のロックフェスについて語るぜ【ウッドストック/オルタモント】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=sL2I0NJOPec
ウッドストック・フェスティバル - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB
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ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(あるいは、8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に[1]、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている[2]。
30組以上のフォーク歌手やロック・グループなどが出演し、入場者は40万人以上であった[1]。このロック・フェスティバルは、アルスター郡ウッドストックにおけるアート・ムーブメントに関連して名付けられた。近郊のサリバン郡ベセルのロシア系ユダヤ人個人農場主マックス・ヤスガーの息子の了解を得られ、所有する酪農農場が会場となった。この一帯は、「キャッツキルバレー」と呼ばれるアメリカインディアンの共同居住区(保留地ではない)である。
主催者となった若者たちは、ボブ・ディランなど往年の歌手やアーティストたちが暮らすウッドストックに自分たちのレコーディング・スタジオを設立する資金集めの目的で、このロック・コンサートを企画した[2]。当初、1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、多くの人気ミュージシャンから出演の承諾が得られたことから、事前に18万6000枚のチケットが売れ、当日入場者は20万人を超えると予想された。実際はそれをはるかに上回る40万人以上が詰めかけ[1]、半数以上が入場料金を払わなかったため、事実上無料イベントの様相を呈した[2]。
開催地周辺の地図
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会場への高速道路は、会場に向かおうとする人々でごった返し、この週末は雨の上に、施設は人が混み合い、参加者は食べ物などを分け合っていた。暴力事件などは報告されていない。
度重なる雨による中断のためプログラムが遅れてしまい、最終日のトリを務めたジミ・ヘンドリックスが登場したのは月曜日の朝、8時30分だった[3]。それまでに帰った人もいて、彼らはヘンドリックスの演奏を見られなかった。この時のヘンドリックスの演奏は、1999年にほぼ全曲がアルバム『ライヴ・アット・ウッドストック』として発表された。
ウッドストック・フェスティバルは、カウンターカルチャーを集大成した、1960年代のヒューマン・ビーインと呼ばれる人間性回復のための集会でもあり、音楽イベントとしてのみならず、ヒッピー時代の頂点を示す象徴と捉えられている。
このフェスティバル自体は赤字となったが、レコードと映画化のため、最終的には収益にも結びついた[2]。
ウッドストックの会場では2件の出産があった(人数については諸説あり)。
このコンサートの模様は、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』[4]というドキュメンタリー映画として公開された。マイケル・ウォドレー(英語版)監督、マーティン・スコセッシ編集のこの映画は1970年に公開され、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
詳細
ウッドストックには愛と平和、反戦を主張するヒッピーや若者ら約40万人が集った。
しかし、初の大規模な野外コンサートであったため、現代の観点で捉えれば、混雑など至らない点も多かった。ヒッピーの中にはドラッグを使用する観客もいた。だが、規模と観客数の膨大さに比べれば、驚くほど平和的な祭典だった[4]。
また食糧や清潔な水の供給、雨天を避ける手段も十分とはいえず、トイレや緊急用のテントなど必要な施設も多くなかった。フェスティバルの計画段階ではこれだけ多くの人が集まるとは考えられておらず、そのための準備が全くできていなかったのである。フェスティバル終了後のゴミ問題も大きな問題だったが、観客の中にはゴミを片付けて帰る者もいた。
町の住民からは「ヒッピーが集まるヤスガー祭」と警戒され、場所を提供した農場主のヤスガーには、反対派の住民によって開催前から牛乳の購入打ち切りなどの嫌がらせを受けた。
とはいえ、少なくとも同年12月6日に開かれ死者まで出したローリング・ストーンズによるフリー・コンサート(オルタモントの悲劇)とは対照的に、1960年代を体験した同世代アメリカ人の「輝かしい記憶の余韻」として生き続けたとされている。
出演者
8月15日(金) 午後から深夜
リッチー・ヘブンス 「ゲット・トゥゲザー」「Handsome Johnny」「Freedom」など
スワミ・サチダナンダ(インドの聖者)による祈祷
スィートウォーター 「Motherless Child」「What's Wrong」「Why Oh Why」
バート・ソマー 「Jennifer」「She's Gone」「Things Are Going My Way」「Smile」
ティム・ハーディン 「If I Were a Carpenter」
ラヴィ・シャンカール 雨により途中で中止
メラニー 「Beautiful People」「ミスター・タンブリン・マン」
アーロ・ガスリー 「Coming Into Los Angeles」「Walking Down The Line」「アメイジング・グレイス」
ジョーン・バエズ 「勝利を我等に」「Joe Hill」「Swing Low, Sweet Chariot」
8月16日(土) 午後から翌朝
ザ・クイル 「Waitin' For You」
カントリー・ジョー・マクドナルド 「I Find Myself Missing You」「The "Fish" Cheer/I-Feel-Like-I'm-Fixin'-to-Die Rag」
サンタナ 「Persuasion」「Soul Sacrifice」
ジョン・セバスチャン 飛び入り参加
キーフ・ハートレー・バンド 「Spanish Fly」
インクレディブル・ストリング・バンド 「Catty Come」「This Moment Is Different」「When You Find Out Who You Are」
キャンド・ヒート 「オン・ザ・ロード・アゲイン」「A Change Is Gonna Come」「Going Up The Country」
マウンテン 「Stormy Monday」
グレイトフル・デッド 「St Stephen」「Mama Tried」「Dark Star」「High Time」「ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト」
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 「ボーン・オン・ザ・バイヨー」「バッド・ムーン・ライジング」「プラウド・メアリー」
ジャニス・ジョプリン 「Piece of My Heart」「ラヴ・サムバディ」「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」など
スライ&ザ・ファミリー・ストーン 「エヴリデイ・ピープル」「Dance to the Music」「Music Lover」「I Want to Take You Higher」
ザ・フー 「ピンボールの魔術師」「マイ・ジェネレーション」「See Me, Feel Me」「サマータイム・ブルース」など
ジェファーソン・エアプレイン 「White Rabbit」など
8月17日(日) 午後から翌朝
ジョー・コッカー&グリース・バンド 「アイ・シャル・ビー・リリースト」「フィーリン・オールライト」「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」など
大雨の為数時間中止
カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ 「Rock & Soul Music」
テン・イヤーズ・アフター 「I'm Going Home」など
ザ・バンド 「ザ・ウェイト」「アイ・シャル・ビー・リリースト」など
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ 「Spinning Wheel」「You've Made Me So Very Happy」など
ジョニー・ウィンターとエドガー・ウィンター 「Tobacco Road」など
クロスビー、スティルス&ナッシュ 「組曲: 青い眼のジュディ」「ブラックバード」「どうにもならない望み」「グウィニヴィア」「ミスター・ソウル」「自由の値」など
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド 「Everything's Gonna Be Alright」など
シャ・ナ・ナ 「カム・ゴー・ウィズ・ミー」「The Book of Love」「Duke of Earl」「踊りにいこうよ」「Teen Angel」など
ジミ・ヘンドリックス 「パープル・ヘイズ」「ヴードゥー・チャイルド (スライト・リターン)」など
出演を断ったアーティスト
ビートルズ
ドアーズ
レッド・ツェッペリン
ジェスロ・タル
ムーディー・ブルース
トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ(en:Tommy James and the Shondells)
バーズ
ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ(en:Paul Revere & the Raiders)
ボブ・ディラン
フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(en:The Mothers of Invention)
フリー
ジェフ・ベック(ジェフ・ベックグループ)
その後
1979年にウッドストック10周年記念コンサート(ウッドストック・リユニオン)が開かれたのに続き、1989年、1994年、1999年に記念コンサートが開かれている。とくに94年の25周年は「Woodstock II」と呼ばれ、ボブ・ディランやクロスビー、スティルス&ナッシュらが出演し、約30万人を集めた[5]。Woodstock IIIについてはウッドストック 1999を参照。
2019年にも企画されたが、中止された[6]。
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アメリカの音楽
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ジャズの名曲
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ポール・マッカートニーとビートルズの世界
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アメリカのスピーカーはスカッと抜けきっていて、人生バラ色、悩みなんて一切ありません。
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アメリカ人には音楽は理解できない _ ジャズなんか音楽じゃない
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まともな人間は音楽家になれない
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天才ピアニスト ヴァン・クライバーン(1934年7月12日 - 2013年2月27日)とは何だったのか? _ アメリカ人には音楽は理解できない
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アメリカの演奏家は何故みんな演奏技術だけ凄くて中身ゼロなのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/437.html
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あげ65