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北海道は底が浅い
東北の方が、風景、食べ物、温泉、女性、文化、すべてが遥かに素晴らしい
ニュース時評 2017.11.26
民間調査会社「ブランド総合研究所」(東京)がまとめた2017年度の「都道府県魅力度ランキング」で、1位は北海道、2位は京都、3位は東京となった。20-70代の約3万人以上を対象に、47都道府県の魅力度や認知度を調査したものだ。
北海道は、調査を開始した2009年から9年連続で1位だが、地元の人はそうは思っていないんじゃないだろうか。
私は昨年、北海道をぐるっとバイクで回ったが、札幌を除くとメシはあまりうまくなかったし、冬は地獄の寒さだ。
帯広でスノーモービル、ニセコなど10カ所近いところでスキーをしたが、ニセコ好きの中国の人に対しては、「越後湯沢のほうが、はるかにいいよ」と言ってやりたかった。
湖やいくつかの火山は見事なものだったが。
一方、東北は宮城の13位が最高で、青森17位、秋田24位、岩手、福島がともに34位、山形38位と昨年より順位を下げ、全般的に下位の県が多い。私は今年、お盆の休暇を利用して東北各県を2950キロも走破したが、メシや酒はどこもうまかった。
もちろん、北海道にも良いところはあるが、「東北に比べて北海道がダントツでいい」なんてことは私の経験上ありえない。
例えば、青森・岩木山(津軽富士)は弘前側から見ても、五所川原側から見ても、夢みたいにきれいだった。バイク野郎から見れば八幡平や鳥海山もすばらしいライディングスポットだ。
このランキングは県外の人のイメージが強く出ていると思う。沖縄は魅力度4位だが、沖縄の人もそうは思っていないはずだ。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/171126/soc1711260002-n1.html
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北海道でいいのは白樺とカラ松の森だけです。
風景も食べ物も温泉も女性も、単調で大味なので、一週間で飽きてしまいます。
北海道は賃金が内地の半分なので、ホテルや旅館の値段も内地の半分です。従って、北海道に移住するよりは内地の地方都市のマンションに住んで、春と紅葉シーズンだけ5000円の格安航空券か長距離フェリーで北海道に渡って、安い湯治宿かマンスリー・マンションに長逗留した方が絶対に得なのです。
北海道は
物価も住宅の建設費も内地より高い
夏は暑いし、アブがいて露天風呂にも入れない、
冬は毎日何時間もかけて雪かきしないといけない、暖房費も月6万、7万円とかかる。 雪道は危ない。 車にも金がかかる。
キツネが近くにいるとエキネコックスに感染するのでペットも飼えない。
いくら景色が気に入っても1週間も見ていれば飽きてしまう。
どう考えても北海道は春と紅葉シーズンの数週間だけ滞在するのが一番美味しいのですね。
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鬼気迫る風景では八幡平が、女性の美しさでは秋田女性が、温泉の泉質では福島の温泉が日本で断然 No.1
八幡平 焼山火口の湯/Point of No Return - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=fSFIVYot8xE
バイクで福島県「微温湯温泉」へ 2014 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=5gEp4Qwe22Y&t=213s
秋田焼山 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%84%BC%E5%B1%B1
焼山火口の湯 と 硫黄取りの湯には防毒ガスマスクを付けて行ってね:
念願の野湯に入湯‼天国と地獄を巡る山「秋田焼山」 - 2021年07月11日 [登山・山行記録] - ヤマレコ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3337668.html
硫黄取りの湯(秋田焼山) - 2019年07月21日 [登山・山行記録] - ヤマレコ
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1936675.html
温泉チャンピオン 郡司勇の温泉サイト » 後生掛温泉と野湯2か所、乳頭温泉
http://www.gunjion1000.com/?p=2839
温泉チャンピオン 郡司勇の温泉サイト » 東北の湯治場と野湯4か所 火口の温泉
http://www.gunjion1000.com/?p=2804
紅葉と野湯の秋田焼山 2014年10月 前編 【登・旅】
https://blog.goo.ne.jp/onsen_shouyou/e/e2aaabca86a1ca9310bf823dec320bd3
紅葉と野湯の秋田焼山 2014年10月 後編 【登・旅】
https://blog.goo.ne.jp/onsen_shouyou/e/80fe689525053b23d9eff2e6b2d4c1e5
秋田焼山 湯の沢の野湯(硫黄取りの湯) 【野】
https://blog.goo.ne.jp/onsen_shouyou/e/ccd1f238baa26ed60cf5bdc53683c8bb
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恐山のイタコ
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008482
残雪の出羽三山に「生まれかわりの旅」に出よう
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008313
つげ義春『ゲンセンカン』の風呂場として描写された今神温泉は野湯になっていた
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14006545
『見張りの湯』 から玉川源流へ _ 八幡平の温泉 _ 失われゆく湯治文化
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/314.html
つげ義春で有名になった八幡平の後生掛温泉と ふけの湯温泉はダメ温泉だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012998
玉川温泉では癌は治らない
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012040
恐怖の玉川温泉 _ 本当に怖いのは強酸性のお湯ではなく玉川温泉信仰
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/308.html
温泉マニアが熱狂する宮城県 東鳴子温泉 高友旅館
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012630
こういう温泉に行きたい_ 福島県 横向温泉「滝川屋旅館」
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012401
温泉マニアに超絶人気のボロ宿 福島県 横向温泉 中の湯旅館
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012009
白内障が治る 福島県 微温湯温泉 旅館二階堂
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012029
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日本の深層―縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫)– 1994/6/1 梅原 猛 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E2%80%95%E7%B8%84%E6%96%87%E3%83%BB%E8%9D%A6%E5%A4%B7%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A2%85%E5%8E%9F-%E7%8C%9B/dp/4087481786
『日本の深層』梅原猛 松岡正剛の千夜千冊 1418夜
https://1000ya.isis.ne.jp/1418.html
この本は梅原猛の数ある著作を画期する一冊で、
かつ、いまこそ読まれるべき「日本=東北」の深層をあざやかに解く一冊である。
ここには、石巻や仙台に隠された生をうけた梅原の、東北に寄せる深くて熱いまなざしが生きている。
縄文と蝦夷、アイヌと日本人、仏教と修験道、柳田国男の目、啄木の詩、賢治の心、さらには太宰や徳一を通して、 大胆な梅原日本学の入口が次々に示される。
梅原猛の母上は石巻の渡波(わたのは)の人である。石川千代という。父上の梅原半二は愛知の知多郡内海の出身だが、東北大学の工学部に学んで、そのときに石川千代と出会い、梅原猛を仙台で生んだ。
けれども両親ともその直後に結核に罹ってしまい、父は辛うじて治ったのだが、母上は悪化したまま1年半もたたずに亡くなった。猛少年はそのまま父上の実家近くの知多の片田舎に送られて、そこで梅原半兵衛の子として育てられた。
このことは長らく伏せられていたらしい。梅原は仙台に生まれたことも、養父と養母以外に実父実母がいることもずっと知らなかった。梅原の懊悩はこのことを知ったときから始まっているのだという。
しかしその懊悩は、やがて梅原の不屈の探求心と「負の思想」を駆動させてぶんぶん唸る内燃力となった。それが仏教研究となって火がつき、人麻呂の死への挑戦となり、それらがしだいに古代日本の各地の謎の掘り起こしへと広がり、総じてはいまや「梅原日本学」にまで至ったわけだった。
人生においては説明しがたい事態との直面こそ、しばしば「ヴァレリーの雷鳴の夜」(12夜)をつくるのだ。
ちなみに父上の梅原半二はトヨタの常務や中央研究所の所長を務めたトヨタを代表するエンジニアで、一世を風靡したコロナなどを設計した。梅原半二をそのように仕向けたのは豊田喜一郎だった。
そんなことはつゆ知らぬ梅原猛のほうは、私立東海中学から2カ月だけ通った広島高等師範をへて八高へ。ついで西田幾多郎・田辺元の京大哲学科か、和辻哲郎の東大倫理科かのどちらかに行きたくなって、結局京大に進んだのだが、もはや西田も田辺もいなかった。
こうしてギリシア哲学やハイデガーに向かっていくものの、しだいに虚無感に襲われて、いっときは賭博にはまり、これを脱するためにまずは「笑い」を研究し、ついで和歌論の研究に入っていった。1963年の壬生忠岑『和歌体十種』についての論考は、梅原のその後の日本古典研究の嚆矢となった論文だった。
あとの経歴は省こう。本書は、そういう梅原が自身の故郷というか、原郷というか、日本人の母国である東北を、かなり本気で旅したときの記録である。紀行ふうになっている。
梅原自身が本書で告白しているように、それまでの梅原はどちらかといえば「日本の中心の課題」を解くことを主にこころがけていたのだが、本書の旅をする十年ほど前から「辺境にひそむ日本」に注目するようになっていた。とくに縄文やアイヌとのふれあいが大きかったようだ。
けれども東北にはなかなか廻れない。それが本書をきっかけに起爆した。あえてこの辺境の旅を『日本の深層』と銘打ったところに、梅原のなみなみならぬ覚悟が表明されている。30年前のことだ。1983年に佼成出版社から刊行され、さらに山形や会津の話が加わって文庫本になった。
文庫本の解説は赤坂憲雄(1412夜)が担当した。「『日本の深層』は疑いなく、一個の衝撃だった。大胆不敵な、と称していい仮説の書、いや、あえていえば予言の書である」と書いている。
梅原の数ある本のうち、今夜、この一冊をぼくがとりあげるのを見て、すでに数々の梅原日本学に親しんできた梅原ファンたちは、ちょっと待った、梅原さんのものならもっとフカイ本に取り組んでほしい、松岡ならもっとゴツイ本を紹介できるだろうに、せめてもっと怨霊がすだくカライ本を選んでほしいと思ったにちがいない。
それはそうである。たしかに梅原本なら著作集ですら20巻を数えるのだから、『地獄の思想』『水底の歌』『隠された十字架』から『日本学事始』『聖徳太子』『京都発見』まで、なんとでも選べるはずである。しかし、いま、ぼくが梅原猛を千夜千冊するには、この「番外録」の流れからは本書がやっぱりベストセレクトなのだ。
本書が梅原にとっての初の蝦夷論や東北論になっていること、その梅原がいまちょうど東日本大震災の復興構想会議の特別顧問になっていること、この20年ほどにわたって梅原は原発反対の立場を口にしてきたこと、そしてなにより梅原が仙台や石巻の風土を血の中に疼くようにもっているということ、加うるに、ぼくもまた東北のことを考えつづけているということ、本書が現時点でのベストセレクトである理由はそういう点にある。
とくに前夜に森崎和江の『北上幻想』(1417夜)を紹介した直後では、梅原が本書で北上川をこそ東北の象徴とみなし、「母なる川」と呼んでいることを心から受け入れたい。
本書の旅程
春秋2回の旅は多賀城から始まっている。大野東人(あづまびと)が神亀元年(724)につくった多賀城跡を見て、梅原は太宰府との違いを感じる。太宰府は海に向かって開こうとしているが、多賀城は北方を睨んでいる。多賀城の跡には蝦夷と対峙する緊張がある。
ついで芭蕉(991夜)が「壷碑」(つぼのいしぶみ)と名付けた坂上田村麻呂(1415夜)の碑文を見る。例の「多賀城、京を去ること一千五百里、蝦夷の国界を去ること百二十里‥‥靺鞨を去ること三千里云々」という文章だ。この石碑にはヤマト朝廷の自負と、その管轄から外されている「陸奥」(みちのく)に対する睥睨があった。
多賀城から石巻に入り、梅原は初めて母の縁戚たちを訪ねた。石川家の檀那寺や石川家の墓にも参った。意外に大きな墓だった。いろいろ自身の来し方は気になるが、そのまま塩釜・松島から大和インターの東北自動車道を一気に走って平泉に行った。
3度目の平泉だったようだが、それまで梅原は平泉の平泉たる意義をほとんど掴めていなかった。それが今度はアイヌや蝦夷の文化に関心をもったせいか、少しは平泉の意味が見えてきた。安倍一族の奥六郡を藤原清衡が継承して拠点を平泉に移した意味、奥州における金採集がもたらした中尊寺金色堂の意味、そうしたことを背景にしてここにつくられていった“今生の浄土”の意味、そういうものがやっと見えてきた。
さらに金色堂の一字金輪像を眺め、「東北のみならず、日本の仏像の中で最もすぐれた仏像だ」という感想をもつ。これは梅原らしい目利きであった。毛越寺の庭を見て観自在王院のよすがを偲び、毛越寺とは毛人(えみし)と越の国の蝦夷とを合わせたものかと想っているのも、なるほど、なるほどだ。
金色堂の一字金輪像
花巻温泉に泊まって、和賀町で高橋徳夫・阿伊染徳美・菊地敬一・門屋光昭らと語りあい、この町の出身の東北学の泰斗・高橋富雄(1415夜)の東北論・蝦夷論に思いを馳せた。
梅原は、倭国といういじけた名を「日本」という国名に転じ、大王(おおきみ)やスメラミコトに新たな「天皇」というネーミングをもたらしたのは、ほかならぬ聖徳太子の仕事だろうと断じてきた人である。ただし、それにしては当時の日本も天皇も、倭国このかた「西に片寄りすぎてきた」とも感じていた。そうしたなか、高橋富雄が北の日本を称揚し、「北上はもとは日高見で、日の本も東北がつくった言葉だった」という見方をつねに主張しつづけてきたことには、いたく酔わせられる。この気分、ぼくもとてもよくわかる。
門屋光昭は鬼剣舞(おにけんばい)にぞっこんだった。誘われて、見た。鬼剣舞は、安倍一族の怨霊が一年に一度、鬼となってあらわれて、かつての恨みをはらすことを人々がよろこぶのである。そうであるのなら、東北にさかんなシシ舞もアイヌのイヨマンテの系譜であって、シシとは実は熊のことではないかと梅原は仮説する。そこには縄文があるはずだ。
案の定、和賀川をさかのぼって沢内へ行くと、そこには太田祖電がつくった碧祥寺博物館があって、マタギの日々が展示されていた。梅原はマタギこそ縄文の民の末裔で、日本神話以前の神々を熊とともに祀ってきたのではないかと思う。
花巻に戻って、あらためて宮沢賢治(900夜)がどのように東北を見ていたかということを考えた。
岩手をイーハトブと、花巻を羅須と、北上川の川岸をイギリス海岸と呼ぶ賢治は、東北をけっして辺境などとは見なかった。奥州藤原氏初代の清衡に似て、「ここが世界だ」とみなしていた。梅原は傑作『祭の暁』や超傑作『なめとこ山の熊』を思い出しながら、賢治には民族の忘れられた記憶を呼び戻す詩人としての霊力があったと、語気を強めて書いている。のちに叙事詩『ギルガメッシュ』を戯曲仕立てにした梅原ならではの見方だ。
賢治記念館から光太郎山荘に向かった。高村光太郎が昭和20年から7年間にわたっていた山荘で、昭和20年4月13日に東京空襲で焼け出された光太郎が、賢治の父の宮沢政太郎のすすめで花巻に疎開して宮沢宅にいたところ、8月10日にその宮沢宅も戦災で焼けた。それで光太郎は佐藤隆房の家に寄寓したのち、この山荘に移ったのだった。
が、行ってみて驚いた。聞きしにまさるひどい小屋である。杉皮葺の屋根の三畳半の小屋だった。ここで光太郎はすでに死後7年たった智恵子の霊といたのかと思うと、胸つぶれる気になった。
翌日は遠野に出向いた。案内役は佐藤昇で、続石(つづきいし)、千葉家の曲り家、遠野市立美術館、駒形神社、早池峰神社、北川家のおしらさまなどを順に見た。
梅原が遠野に来たのは初めてである。あまりに広く、あまりに都会的なのでびっくりしたようだ。自分が読んできた柳田国男の『遠野物語』の世界とずいぶん違っている。それに梅原は、そもそも柳田が『遠野物語』を書いた理由がいまひとつ理解できないままにいた。なぜ柳田が佐々木喜善が語る不思議な話を収集して並べたてたのか。泉鏡花(917夜)には絶賛されたけれど、これが民俗学の出発点というものなのか。
とはいえ、柳田を本気で読んでこなかった自分にも何かが足りないのだろうとも気づき、本書ではそれなりの取り組みを試していく。
卯子酉様の祠(遠野町)
『図説 遠野物語の世界』より
柳田は当初は山人の研究をしていた。先住民の研究だ。山人の動向は『遠野物語』では死者から届く声のようになっている。ところが柳田は、山人よりも稲作民としての常民をしだいに研究するようになった。
村落に定住している稲作民から見れば、遊民としての山人は異様なものと映る。徳川期の百科事典だが、『大和本草』や『和漢三才図絵』の中では、山人はなんとヒヒの次に図示されている。また常民としての稲作民は天皇一族につながる天ツ神を奉じ、これに対するに山人は国ツ神を奉じるものとされ、里人からは異人・鬼・土蜘蛛・天狗・猿などとして扱われた。
実際の柳田は生涯にわたってこうした山人を重視し、畏怖もしていた。それはまちがいない。しかし研究者として山人を追求しすぎることに不安も感じた。梅原は、柳田がそういう不安をもつにいたったのは、明治43年の幸徳秋水事件の影響があったのではないかと推理する。天皇暗殺計画が“発覚”したという事件だ。柳田はかなり大きな社会の変化を感じたのではないか。山人、国ツ神、鬼、天狗、猿といった「体制からはみ出された民」の復権を学者があえてはかろうとすることは、不穏な思想として取り締まりにあう時代になりつつあったのである。
こんなふうに、梅原は初めての遠野のことを書いていく。なんともいえない説得力がある。歴史や思想や人物についての自分のかかわりの欠如や希薄を率直に認め、そこから直截にその欠如と希薄を独力で埋めていこうとするところは一貫した梅原独得の真骨頂で、本書は旅の先々での記録になっているため、その“編集力”が如実に伝わってくる。
盛岡では県立博物館から渋民村に行った。ここでも梅原は幸徳秋水事件に衝撃をうけた啄木(1148夜)のことを思い、27歳で夭折した啄木に高い自負心と深い想像力があることを考える。それは啄木だけではなく、賢治や太宰治(507夜)に共通する東北性のようにも思えてくる。
たしかに東北人には想像力に富む文人が多い。たとえば安藤昌益や平田篤胤、近代ならば内藤湖南(1245夜)や原勝郎‥‥。ぼくがついでに現代から加えるなら、高橋竹山、藤沢周平、長嶺ヤス子、土門拳、寺山修司、福田繁雄、石ノ森章太郎、井上ひさし‥‥。
梅原はつねづね師匠格の桑原武夫(272夜)の口ぶりをついで、こうした風土的事情を「批評は関西、詩は東北」とも言ってきた。では、なぜ詩は東北なのか。啄木の歌や詩はゆきずりの女たちをみごとな恋の歌にしている。そうした女たちから愛されてきたことも歌っている。しかし啄木研究者たちはそれらが想像力の産物でしかなかったことを証した。啄木自身も『悲しき玩具』でこう歌った。
あの頃はよく嘘を言ひき。平気にてよく嘘を言ひき。汗出づるかな。
もう嘘はいはじと思ひき それは今朝 今また一つ嘘をいへるかな。
梅原は書く、「想像力の能力は嘘の能力でもある。嘘は想像力の裏側なのである。東北の人たちの話を聞いていると、嘘か本当かよくわからないことがある。多くの東北人は豊かな想像力に恵まれていて、奔放な想像力のままにいろいろ話をしているうちに、その話に酔って、自分でも嘘と本当のけじめがわからなくなってしまうのであろう」。
8月になって、ふたたび東北を訪れた。今度は花巻空港まで飛んで、そこから岩洞湖や早坂自然公園を抜けて岩泉に入った。このあたりの岩手県は何時間車をとばしても、集落に出会わない。日本列島でもこれはめずらしい。北海道を除いて本州ではあまりない。
佐々木三喜夫の案内で龍泉洞へ行って湧窟(わくくつ)を見た。ワクはアイヌ語のワッカ(水)、クはクッ(入口)だろう。どうやら八戸の閉井穴(へいあな)という洞窟まで通じているらしい。東北は土と水でつながっている。
宿に戻って、岩泉民間伝承研究会の『ふるさとノート』を読んでみると、畠山剛の『カノとその周辺』がおもしろかった。カノとは焼畑のことである。縄文中期に始まって今日まで至っている。このあたりではいまでも山を焼いて灰の上に種を蒔き、蕎麦や粟や大豆や小豆を栽培している。やっぱり東北は土と水の国なのだ。
翌日、葛巻町から浄法寺町の天台寺に向かって、あらためて北上川の大いなる意味を感じた。
ふつう、日本の多くの川は真ん中の山脈や高地から太平洋か日本海かに流れるようになっている。けれども北上川はちがっている。東北をタテに流れている。東の北上山脈と西の奥羽山脈のあいだの水を集め、長々と南下する。
それゆえにこそ縄文・弥生・古代の東北はこの北上川によって育まれ、蝦夷の一族たちもここに育った。まただからこそヤマト朝廷はこの北上川にそって、多賀城・伊治城・胆沢城・志波城・徳丹城などを築いた。
北上川こそ東北の「母なる川」なのである。安倍一族も藤原4代も、啄木も賢治も、この母なる北上川に母国の面影を見いだしたのだ。
この北上川は七時雨山(ななしぐれやま)のあたりで、東と西に分かれていく。梅原が向かった浄法寺町は七時雨山の北にある。ここでは北上川は馬渕川・安比川になっている。奥六郡のひとつにあたる。蝦夷の本貫の土地であり、安倍氏の大事な土地だった。アッピとアベはつながっていた。
浄法寺町の天台寺はこうした背景をもって、おそらくは安倍氏の力によって建てられたのであろう。天台寺というからには比叡の天台を意識したのだろうし、比叡山延暦寺のほうも、奥六郡を治める安倍氏の金や馬に目をつけたのであろう。
ところが、いざ天台寺に入ってみて梅原が注目したのは、山門の仁王像に白い紙がいっぱい貼られていたことだった。顔にも胸にも手足にも紙が貼ってある。なんだか痛々しい。
聞くと、この地方の人々は病気にかかるとここに来て、自分の病気の患部を仁王に当てて貼っていくのだという。なるほど関西にも、たとえば北野天神の牛のように悪いところを撫でるという習慣はある。けれどもこんなふうに紙をべたべた貼ることはない。
こういう信仰は仏教そのものにはない。これは土着信仰がおおっぴらに仏教のほうへ入ってきているせいだ。おまけに天台寺の中心仏はナタ彫りの聖観音と十一面観音なのである。ナタ彫りの仏像も関西にはない。特異なものである。しかし梅原は一目見て、これは一代傑作だと感じた。亀ケ岡式土器につながる芸術感覚がある。
このように奥六群の周辺の信仰感覚を見ていくと、ここはやはり縄文時代からの霊地であったろうという気がしてきた。
十一面観音体(左)聖観音(右)
『図説 みちのく古仏紀行』より
国道4号線へ出て十和田市を通っていよいよ青森に入った。まずは成田敏の案内で県立郷土館の風韻堂コレクションを見た。亀ケ岡土器を中心にした縄文土器1万点のコレクションだ。溜息が出るほどすばらしい。
郷土館では田中忠三郎が待ってくれていた。田中忠三郎といえば、ぼくには「津軽こぎん刺し・南部菱刺し・サキオリ(裂織)」などの東北古布のコレクターとしての馴染みがあるが、梅原には『私の蝦夷ものがり』の著者だったようだ。縄文文化の話の花が咲いた。
そもそも縄文文化には大きく二つの興隆期がある。ひとつは縄文中期で約五千年から四千年前になる。諏訪湖を中心に中部山岳地帯に燃えるような縄文エネルギーが爆発した。神秘的な力をもっていた。
もうひとつは後期の縄文文化で、東北と西日本に遺跡がのこる。こちらはエネルギーの爆発というより、静かで深みのある美を極めた土器群である。「磨消(すりけし)縄文」という。いったん付けた縄文を消した部分と縄文とのコントラストが美しい。亀ケ岡式土器は磨消縄文である。天台寺のナタ彫りはこの磨消縄文に通じるものだった。
亀ケ岡文化を飾る遺品に、もうひとつ、土偶がある。遮光器土偶や女性の土偶が有名だが、梅原は弘前の市立博物館で見た猪の土偶と郷土館で見た熊の土偶にいたく感銘している。まことにリアルな模造なのだ。人体をデフォルメしてやまない縄文人がこうした動物をリアルにつくったことに、梅原は新たな謎を発見していく。
猪の土偶(上)と熊の土偶(下)
津軽こぎん刺し
田中忠三郎『みちのくの古布の世界』より
南部菱刺し
田中忠三郎『みちのくの古布の世界』より
サキオリ
田中忠三郎『みちのくの古布の世界』より
8月は東北の祭の季節である。恐山の大祭(地蔵会)、秋田の竿燈、岩手の鹿踊り、山伏神楽‥‥。
いずれも盆の祭であって、死霊を迎え、それを喜ばせ、それを送る。そこで8月末に津軽に行った。ねぷたの里である。この里は新たに造営されたところで、毎年のねぷたの良品を展示している。
ねぷたの起源は坂上田村麻呂の蝦夷征伐にあるという。東北には田村麻呂伝説と義経伝説がやたらにあるが、なにもかもが田村麻呂のせいではあるまい。もともとは精霊流しが母型だったはずである。しかしねぷたの狂騒的熱狂やそのディオニソス性を思うと、そこには田村麻呂と蝦夷との闘いがよみがえるものもある。
青森のねぷたと弘前のねぷたはちがうらしい。青森の連中は青森ねぷたが本物で、弘前ねぷたはダメだと言う。弘前では青森ねぷたは下品で弘前ねぷたが昔のままを継いでいると言う。こういう津軽人の相互に譲らない自信は津軽の風土から来ているのであろう。
梅原は津軽を一周することにした。10時に青森を発って外ケ浜を北上し、蟹田(かいた)で西に入って今別から三厨を通って竜飛岬に向かう。そしてふたたび今別から南下して、今度は西に行って市浦(いうら)から十三湊(とさみなと)を見て、金木町・五所川原に着く。実はこのコースは太宰治の『津軽』のコースにもなっていた。金木町は太宰の故郷である。
太宰は『津軽』で書いている。津軽の者はどんなに権勢を誇る連中に対しても従わないのだと。「彼は卑しき者なのぞ、ただ時の運の強くして、時勢に誇ることにこそあれ」と見抜くのだと。その一方で、太宰は津軽人があけっぱなしの親愛感とともに、無礼と無作法をかこっていることを書く。あけっぴろげにするか、すべて隠すか、二つにひとつなんだとも書いた。
もう少し正確にいえば、津軽の親愛の力は相手にくいこむ無作法によって成り立っているのだ。梅原はそこに、啄木にも賢治にも感じられる真実と想像とを区別しなくなる東北的詩魂のマザーのようなものを見た。
たちねぷた 毎年1体が新調される
『東北お祭り紀行』より
金木町には太宰の生家の斜陽館がのこされている。観光客はみんな行く。しかしこの町で梅原を驚かせたのは川倉地蔵のほうだった。
何百という地蔵が並んでいるのだが、そのすべてが赤や青の現色の着物をまとい、顔に****や口紅をつけている。まことに不気味。これは生きている人間ではない。死んだ人間たちだ。
太宰はイタコについては何も書かなかったけれど、梅原はイタコの力を思い出し、さらに以前、弘前の久渡寺(くどじ)で見た数百体のおしらさまを思い出していた。そのおしらさまたちも金銀緞子の衣裳をつけ、信者たちは手に手に長い箸をもって祈っていた。
久渡寺は密教寺院だから、僧侶がやることは真言密教の儀式にもとづいている。しかし、おしらさまの前で信者たちが見せている祈りの姿は、もっと以前からの母型性をもっている。
実は梅原はこの旅の20年ほど前に、恐山のイタコに母親の霊をおろしてもらっていた。梅原の母上が梅原を生んで1年ほどで亡くなったことはすでに紹介しておいたが、そのため、梅原には母の顔や母の声の記憶がない。その母の声をイタコは乗り移って聞かせたのだ。
津軽弁だったのでよくは聞き取れなかったけれど、よくぞおまえも大きくなったな、立派になったな、わたしも冥土でよろこんでいるというところは、辛うじてわかった。
梅原はこの声が母の声だと感じた。同行していた友人たちは、終わって3倍の料金を払おうとしていた梅原の頬に、何筋かの涙が流れていたと言った。
生者と死者は切り離せない。そこに大地震や大津波があろうとも、切り離せない。イタコとゴミソとおしらさまもまた、これらは切り離せないものたちなのである。
家にイタコを呼び、おしらさまを遊ばせて1年を占った
それが久渡寺に数百体も集まっている
『東北お祭り紀行』より
次の旅は秋田の大館、能代から酒田に向かう旅である。途中に八森(はちもり)に寄った。加賀康三所有の「加賀家文書」を見るためだ。
加賀家文書というのは、幕末に加賀屋伝蔵という者が蝦夷地に渡って、そこで蝦夷(エゾ)の通訳をしていたのだが、その伝蔵にまつわる文書のことをいう。松浦武士郎が伝蔵に宛てた手紙なども含まれているのだが、梅原が見たかったのは伝蔵がつくったアイヌ語の教科書だった。
梅原がアイヌ文化に関心をもったのは、昭和54年に藤村久和と出会ってからのことである。以来、蝦夷の文化は縄文の文化で、その蝦夷の文化をくむのがアイヌ文化だという考えをもつようになった。ところが、このような見方は学界ではまったく否定されてきた。アイヌ人と日本人は異なる種族で、アイヌ語と日本語もまったく異なっている。
これは金田一京助が確立した大きな見方で、アイヌ語は抱合語であるのに対して、日本語は膠着語であって、仮に類似の言葉がいくらあろうとも、それは一方から他方への借用語か、文化の濃度差による移入語であるというものだ。金田一によってアイヌと日本は切り離されたのである。
しかしながら梅原はこの見方に従わない。屈強に抵抗をして、縄文≒蝦夷≒アイヌという等式を追いかけている。その後も、いまもなお――。学界的には劣勢であるが、学界というところ、けっこうあやしいところもいっぱいあるものなのである。
八森から男鹿半島に入って寒風山に登った。このあたりはなまはげの本場である。祭の中心には真山神社がある。
なまはげは坂上田村麻呂に殺された蝦夷の霊魂を祀るとも言われている。またまた田村麻呂の登場だが、もしもそうなのだとしたら田村麻呂以前に秋田に遠征した阿部比羅夫についてはそうした反抗の記憶がのこっていないので、やはり田村麻呂には強い中央に対する反発が残響したのだということになる。
しかしこれをもっとさかのぼれば、ここには蝦夷やアイヌがそのまま残響しているとも考えられてよい。アイヌ語でパケは頭のことをいう。なまはげとは生の頭、生首のことなのだ。証拠も何もないけれど、そういうふうなことも思いついた。梅原は本書のみならず多くの著作のなかで、こういうツイッターのような呟きを欠かさない。のちのち別の著作を読むと、その呟きがけっこうな仮説に成長していることも少なくない。
秋田、本庄を素通りし、この夜は酒田に入った。土門拳(901夜)の故郷である。しかしこの夜はアイヌの夢を見て眠りこんでいたようだ。
ケデ、腰ミノ、ハバキ、面をつけて、なまはげに変身する
『東北お祭り紀行』より
次の旅では妻子とともに出羽三山をまわった。海向寺で忠海上人のミイラに直面し、羽黒山で正善院に寄り、湯殿山では総奥之院を詣でた。ここでの体験と思索は、ふたたび三たび、梅原が新たな“深層編集”に挑むためのものだった。
仏教の研究から日本思想に入った梅原にとって、修験道はただただ奇異なものにすぎなかった。吉野大峰であれ、英彦山であれ、出羽三山であれ、仏教や仏教思想とはなんらのつながりのない土俗的な呪術に見えていた。こういうところは、ぼくと逆である。ぼくは早くに内藤正敏と出会って遠野や出羽三山に親しんだ。桑沢デザイン研究所で写真の講師をしていたときは、学生たちに真っ先に勧めたのは出羽三山旅行だった。
そういう梅原ではあったらしいけれど、縄文にさかのぼる日本の深層に関心がおよんでからというものは、修験道は梅原の視野を強く刺激するようになってきた。このへんの事情も正直に本書にのべられている。
羽黒山の開祖は能除太子で、崇峻天皇の第二皇子だとされている。蜂子皇子ともいわれた。しかしその像の容貌は容貌魁偉というどころか、ものすごい。あきらかに山人の顔だ。けれども羽黒山が能除太子を開祖にもってきたことには、深い暗示作用もある。崇峻天皇は仏教交流に大きな役割をはたしながらも、蘇我馬子に殺された。その皇子が祀られたのには、遠い山人との交差がおこっているはずなのだ。
湯殿山の御神体は湯の出ている岩そのものである。岩も重要だし、湯も重要だ。とくに東北においては、縄文以来、湯を大事にしてきた。
その湯は岩とともにある。縄文遺跡の近くに温泉が湧いていることが多いのも、東北の本来を物語っている。
帰途は最上川をさかのぼって、天童、作並温泉をへて仙台に出た。空港では源了圓(233夜)夫妻が待っていた。源はこのころは東北大学の教授で、梅原が信頼する数少ない日本学の研究者だった。
こうして春秋2度にわたる東北の旅が終わり、仙台空港から梅原は機上の人となって関西へ、京都へ帰っていくのだが、この紀行文が『日本の深層』として佼成出版社から刊行されると大きな反響になったとともに、山形や福島の読者から、これではわれらの故郷がふれられていない、残念だという声が寄せられてきた。
そこで、この文庫版には別途に書かれた会津の章と山形の章が入れられた。あらかた次のようなものになっている。
会津についての地名伝説の一番古いものに、『古事記』にのっている話がある。崇神天皇が大彦命(オオヒコ)を高志道へ、その子の建沼皮別命(タヌナカワワケ)を東国に遣わして、まつろわぬ者たちを平定するように命じた。そのオオヒコとタヌナナカワワケが父子で出会ったのが会津(相津)だったという記述だ。高志道は越の国のこと、東国は「あづま」で、関東を含めた北寄りの東国をいう。
越の国にも東の国にもまつろわぬ部族たち、すなわち蝦夷(エミシ)がいて、これを平定しようとしたという話だが、そしてどうやらその平定ができたという話だ(ちなみに、それでもまだまつろわぬ者たちがいたのが陸奥と出羽だった)。もっとも、これは表向きの話だ。
崇神天皇の時代はだいたい4世紀前半にあたる。梅原はこの古代エピソードには、会津地方が縄文文化と弥生文化の出会いの場所であって、二つの文化が重なっていった場所だという暗示がこめられていると見る。
よく知られているように、越後には火焔土器が目立つ。越の蝦夷による造形だったろう。記紀神話に登場する須勢理媛(スセリヒメ)はこの越の蝦夷たちの後継者で、かなり神秘的な地域を治めていたのだと思われる。会津地方は阿賀川などの水系交通でこの越とつながって、縄文土器の国々をつくっていた。火焔土器に似た土器が出る。
その一方、会津地方は弥生文化が早くにやってきた地域でもあった。盆地のせいだったろう。弥生中期の南郷山遺跡に出土する弥生土器はそうとうにすばらしい。こうして、縄文と弥生がここで交わった。それは「日本」の成立というにふさわしい。
梅原は他の著作でも何度も書いているのだが、縄文が終わって弥生が栄えたとは見ていない。農作の文化が広まって、政治制度や社会制度に大きな変化があらわれていても、信仰や習俗はかなり縄文的なるものを継続していたとみなしている。倭人とは縄文人と弥生人の混血でもあったのだ。ただ、その「日本」や「倭人」のその後の継続のかたちや活動のしかたが、西国と東国、また畿内と東北ではかなり異なったのだった。
会津を象徴する人物に徳一がいる。古代仏教史上できわめて重要な人物で、最澄と論争し、空海(750夜)が東国の布教を頼もうとしたのに、その空海の真言に痛烈な文句をつけた。
南都六宗の力が退嬰し、道鏡などが政治的にふるまうようになった奈良末期、この古代仏教を立て直すにあたっては、二つの方法があった。ひとつは旧来の仏教を切り捨てて新たな仏教を創造していく方法だ。これを試みたのが最澄や空海の密教だった。
もうひとつは、旧仏教が堕落したのは組織と人間がよくなかったのだから、別の土地に新たな寺院と組織をつくって、倫理的回復をはかるという方法である。前者がカトリックに対してプロテスタントがとった方法だとすれば、後者はイエズス会がとった方法で、徳一はこの後者の方法でイエズス会が海外に布教の拠点を求めたように、東国や東北に新たな活動を広めていった。
時代が奈良から平安に移ると、都を中心に最澄と空海の密教が比叡山や高雄山(神護寺)や東寺などに定着していった。このままでは奈良仏教は旗色が悪い。しかし最澄と空海の論法に旧仏教はたじたじだった。そこで東北の一角から徳一がこの論争を買ってでた。
最初は最澄を相手にした。このとき徳一は牛に乗り、その角のあいだに経机をおいて、最澄の教義を破る文章を書き上げたという。日本ではめずらしい激越な論争であるが、このときの徳一の文章はのこっていない。
空海のほうは徳一の才能を認めて、むしろ北への密教の拡張を託したかった。しかし徳一はこれを拒否して、痛烈な批判を書いた。この批判は『真言未決文』としてのこっている。ぼくも読んだが、11にわたる疑点をあげたもので、まことにラディカルだ。
平安期以降の会津は、この徳一のおこした恵日寺を中心に仏教文化を広げていった。まさにイエズス会である。恵日寺は磐梯山信仰ともむすびついたようだ。火山爆発に苦しむ住民の救済力として信仰されたからだ。同じく常陸の筑波山寺も徳一によって新たな拠点になっていく。
恵日寺のその後について一言加えると、いったんは会津仏教王国のセンターとなるのだが、源平の合戦のとき、恵日寺の僧兵たちが越後の城氏とともに平家側についたため、木曽義仲によって滅ぼされるという宿命になっていく。だからいまはその七堂伽藍の偉容は拝めない。
梅原はこうした徳一の断固たる活躍や恵日寺の宿命には、その後の会津が奥羽列藩同盟や戊辰戦争で背負った宿命のようなものを感じると書いている。白虎隊の滅びの精神は夙に徳一から始まっていたわけなのだ。
古代の奥羽は陸奥国と出羽国から成っていた。出羽の中心に山形県がある。梅原は山寺や、小国町を見て、最後に福島の高畠町の日向窟に向かい、自身の内なる東北を埋めていく旅となった。
この旅では、芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ山寺についての随想がおもしろい。まず慈覚大師円仁が建立した経緯の背後を調べた。円仁が朝廷の意向を携えて東北の布教に向かったのだとして、その宗教イデオロギーの背後にひそむものを見つけたいからだ。
調べてみると、ここが立石寺として「立て岩」を重視してきたことが見えてくる。立て岩は縄文以来の日本人の崇拝の対象である。ストーンサークルは東北各地にのこっている。円仁はその立て岩に香を炊いて天台仏教の色に染め上げようとした。そのため、いまではこの岩は「香の岩」とよばれる。しかし、そこにはさまざまな軋轢があったはずである。
伝承では、この地を所有していたのは磐司磐三郎というマタギの親分だった。そこへ円仁がやってきて、説得されてこの地を譲った。磐司磐三郎はそのため秋田のほうに移ったことになっている。そこでこの地は聖地となって、山の動物さえ円仁に感謝したという昔話になった。
が、これはもともとがマタギの聖地だったから、それを消すわけにはいかなかったのである。梅原はそのように見て、結局は京都の朝廷が仏教的自己聖地化をはかったのだと考えた。
山寺の奥の院には、絵馬と人形がたくさん納められている。その絵馬には結婚した若い夫婦が描かれている。
この息子や娘は、実は幼いときか、子供の頃に死んだ者たちなのである。それを両親が自分の子が結婚をする年頃になったろうとき、絵馬に花嫁あるいは花婿の姿を描いて納めたのだった。顔はおそらく亡くした子の面影に似ているのであろう。
このように死んだ息子や娘の結婚式をするという風習は東アジアにもあるようだが、これは決して仏教の思想によるものではない。仏教ではこの世は厭離穢土であって、だからこそ しねば極楽浄土に行けると説いていく。こういう仏教観にもとづけば、死んだ息子も娘も浄土に行ったと考える。ところが、ここには失った哀れなわが子を、この世と同様の幸せでうめあわせてあげたいという気持ちが溢れている。このような感じ方を円仁が広めたはずはない。
このように見てくると、山寺は死の山でもあったのである。ここは死の国の入口でもあったのだ。マタギはそのことをよく知っていたのであろう。
そして、そうだとすると、梅原には「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句も別の意趣に感じられたのである。芭蕉が奥の細道を通して把えようとした意図が、日本の深層への旅だったと思えてきた。
ぼくも想うのだけれど、3月11日で失った子供たちが結婚する年頃になったとき、今の東北の人たちが何をどのように手向けるか。将来の日本の心が、そのようなところにもあらわれるのではないかと予想する。
https://1000ya.isis.ne.jp/1418.html
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旅・ツーリング - 1ページ目2 - We Will Rise 人生はオルタナティブ
http://onelastwish.blog.fc2cn.com/blog-category-2.html
2020旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
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2019旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
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2017旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
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2016年旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
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2012旅ツーリング - We Will Rise カオスからの統合
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日本人の北海道幻想は映画やドラマで人為的に作られたもの
倉本聰 は西武の堤義明の親友で西武 富良野プリンスホテルの宣伝の為にドラマまで作った
テレビドラマ 田中邦衛 吉岡秀隆 中嶋朋子 竹下景子『北の国から フジテレビ 1981年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/843.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/616.html
テレビドラマ 天宮良・石田えり『昨日、悲別で 日本テレビ 1984年』
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/848.html
プリンスの墓標 堤義明怨念の家系
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/373.html
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蔵原惟繕 キタキツネ物語(東宝東和 1978年)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/845.html
キタキツネ物語 ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/search/%E7%8B%90%E7%8B%B8%E7%9A%84%E6%95%85%E4%BA%8B%E3%80%80%2F7?ref=watch_html5
The Glacier Fox 1978
https://www.youtube.com/watch?v=5PpKlcuTnfw
設定→字幕→自動翻訳→日本語 で日本語字幕が出ます
『キタキツネ物語』「小さな翼」ゴダイゴ
https://www.youtube.com/watch?v=bIQjN3cCxZg
1978年公開 監督・脚本・編集:蔵原惟繕
「小さな翼」
歌:ゴダイゴ
作詞:三村順一、奈良橋陽子
作曲:タケカワユキヒデ
編曲:ミッキー吉野
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日本で一番美しい道〜富良野・美瑛
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/610.html
北海道 弟子屈町 900草原 絶景ロード
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/601.html
キタキツネ物語の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/609.html
ムツゴロウの黒い噂 と 伝説の御蔵入りインタビューなど
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/621.html
【ゆっくり解説】北海道が独走する食べ物が美味しい都道府県ランキングTOP10 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=TmD3j7I_Cnc
北海道の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/577.html
北海道のライブカメラ・格安航空券、地図から検索 高速料金・ルート検索
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/599.html
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2022/06/20 (Mon) 23:53:33
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北海道移住を勧めないこれだけの理由 ~ これから移住を考える方へ ~
2021.08.22
http://ijyuu.wp.xdomain.jp/?p=140
これから北海道に移住しようかと思う方、ちょっと待ってください。
北海道への移住をすすめないこれだけの理由を列挙します。
なお、本内容に批判的なご意見が時々届きますが、本サイトは移住促進サイトではなく、私が移住で感じたことを良い面も良くない面も双方書いています。移住を検討されている方には両方の側面をみて判断してほしいですし、道内の方は北海道の課題をきちんと理解して解決に向けて努力することで地域の魅力向上につなげてほしいと思います。それを理解して読んでくださっている方からは同じことを感じるというご意見も頂戴しており有り難く読ませていただいています。
偏狭な愛郷心で北海道のいいことだけ書いてあることを期待してくる方にはお立ち去りいただければと思いますし、良くない面を私に感じさせない努力をしてくれた方がいいんじゃないかと思いますが。
データが語る真実
地方からは札幌へ流出する流れがあり、さらに札幌からは道外に流出する流れがあります。
これが北海道の包み隠さぬ事実です。
流出するのは、それだけの理由があるのです。
地元で生まれ育ってこれですから、移住者の末路がどうなるか、想像に難くありません。
北海道は全体で人口が減っていますし、市町村もほとんどがそうです。
人口が減る地域にはそれなりの問題があるなと住んでいて感じるのが現実です。
子どもを産めない環境
北海道の合計特殊出生率は、東京、京都に次いで、全国3位の低さだそうです。(2015.9北海道人口ビジョン素案出典)
都市部並みなのか、それとは違った原因なのか、子どもを産み育てられない環境があると、少なくともデータははっきり語っています。
原因はいろいろあります。
所得が低く家族が持てない、地域の支援機能など特によそ者にはゼロに等しく親戚が近くにいない限り育てられない、職場がブラックで子育て環境ではない、などなど。
さらに、2015年の労働経済白書によると、北海道は長時間労働が原因で、育児をしながら働く女性の割合が低いことも明らかになったとのこと(2015.9.15北海道新聞夕刊)。ブラックさだけが首都圏など大都市部と同様ということだと言えます。
子育て環境の問題は、後述します。
「自然は一流、サービス五流」の真実 ~ 北海道の課題を象徴する言葉 ~
北海道は「自然は一流、施設は二流、料理は三流、サービスは四流、関係者の意識は五流」と昔から言われています。道庁の資料にも記載があります。(2003.3ホスピタリティの向上に関する検討結果報告書)
自然一流、サービス四流どころかサービスも関係者の意識も五流、これが真実です。
この状況は変わったとは私はまったく思いませんし、北海道にポテンシャルがあると思われるものでも、大丈夫か疑問に感じる部分が多々あります。
自然一流
北海道の自然など珍しくもない
北海道の魅力は自然です。
ただ、世界をみるとこの程度の自然は別に珍しくもないのが現実です。
今でこそ自然環境の異なるアジア方面の観光客は物珍しさできますが、欧米やアフリカ方面でこの価値が受け入れられるかと言えば、難しいでしょう。北海道的な風景は欧米やアフリカには見られますからこの距離を来る価値はないです。東京や京都のように首都ブランドや歴史で売れるものはなく、観光面での力量の差は歴然としています。
自然を売り物にするだけのビジネスモデルでは、たちゆかなくなるのは時間の問題です。
自然が生活にもたらす猛威
この自然、異常気象時に確実に猛威を振るいます。
道路を寸断し、地元民・観光客問わず行き場に困った人々を避難所送りにし、多大な肉体的・精神的負荷をもたらし、時には生命をも奪い、すべての産業から家庭生活までを破壊します。
それが生活者としてどれだけ支障をもたらすことか、興味本位の時期がすぎればわかります。
避暑地の価値も低下
北海道と言えばかつては避暑地としての価値があったようですが、今の北海道の夏は暑いです。
にもかかわらずクーラーがないようなところも少なからずあり、夏は地獄と化します。そんな場所と比べると本州でクーラーにあたっていた方がマシです。(ちなみに北海道の学校にはクーラーなど皆無に等しいです)
避暑を目的にするなら、北欧などヨーロッパでも行ったほうがよほどいいです。(現実に良かったです)
施設二流
何がいいっすか?全然そうは思いませんが。
北海道の寒冷地対策の建築技術はすすんでいるので、そうした技術を適切に使えばいい施設はできます。それは観光客向けだけでなく、住民向けでもそうです。
ただし、現実にはそんな施設にはなかなかお目にかかれません。
富裕層向けのVIPな施設に行くことはそうそうないのでわかりませんが、庶民の目に触れる範囲では残念な施設ばかりが目立ちます。
カネ、技術、手入れ、いずれを怠ってもダメなので、公的施設系はまず最悪です。移住者にはこちらの方が身近な課題でしょうか。
一番象徴的にわかるのは冬です。すきま風、結露、カビ。水道は凍る。お湯はすぐ出ない。夏ならアリ、ハエ、カメムシなど虫の侵入。ネズミとかもふんだんにいます。
自然が厳しい観光地の施設なんかで上っ面だけきれいな内装をしていても1枚はがせばボロボロです。内装のすみにすき間ぱっくり割れてたり玄関のブロックが凍上で割れたりしていたりすると心底がっかりしますね。北海道の自然に対応しない本州規格を持ち込んでいいわけでもない。
料理三流
素材がいいだけ
食物の質はいいと思います。それは一般市民向けについても言えます。 ただその内実はあくまで「素材の質がいい」ということ。大都市部やその影響下の一部の個別事例を除き調理技術に特筆するほど秀でたものはありません。素材の質に依存しているものが多いのが現実です。
最近は食で町おこしなどと食べ物を開発するような動きもありますが、気をてらった一発芸の域を出ていないというか、値段がバカ高いこともあり、これを継続して買ってもらえると正気で思っているのか疑わしいような事例が多々見受けられます。
食で売っていくのは北海道は厳しいのが現実かもしれません。
サービスも関係者の意識も五流
サービス業のひどさ、これは呆れるしかないです。
店員が対応しない、客がいても私語しまくり、サービス業どうこう以前の領域の話がごろごろあります。
地方、札幌から離れた非利便地に行くほどひどくなります。学力にも比例します。
大手のチェーン店などマニュアルが同じはずでもこの法則に沿って地方に行くほどひどくなります。違いは地元採用の質の違い、この1点に尽きます。
こんなところに住んでいたら大人も子どももこの国の常識から外れていくんじゃないか、マイナス要素しか感じません。
北海道のサービス業の質の低さは昔からです。
観光業も一見さんの団体客を大量にさばくために山の中でもどこでも見境なくカニを出し画一的なサービスで大量需要期をさばいた結果、国内客からそっぽを向かれ、今はアジアの一見さん相手にたいして進歩のないような対応でさばいているだけです。
観光といえば、町おこしを目的としたイベントも各地が行われますが、それについて一言。
官製イベントを中心に多くは町おこしどころか一発屋稼業の域を出ずその必要性すら疑わしいですが、一部の魅力あるイベントも、他所から来てもらうのに広報力が弱く自分で日程等を調べないと行けなかったり、その日程も突然変えて気づいたら終わっていて行けなかったり、本当に継続的に客を呼んで町おこしをする気があるのか疑われるような事例も目につきます。
基本的に、ソフト面の力が弱いのが北海道の姿です。
その結果がどうなるかを考えると、北海道の産業の未来は暗いと思います。
子育て環境への疑問
~ 子育て環境にも不安がいっぱいです ~
産婦人科がない
産婦人科がありません。医療過疎でどんどん減っています。
地方では特に顕著で、最寄りの産婦人科まで100km以上というケースも多々見られます。
そこで産気づいたらどうしますか?
二次医療圏と言われる中核病院がある場所でも産婦人科医がいなくて分娩できないという地域も出ています。
その結果、都市部の病院に集中してまた大変なことになっているみたいです。
小児科も病院もない
小児科も少ないです
地方では最寄りの小児科まで60km以上というケースも多々見られ、我が家の通院距離もそれ以上あります。
大人の病院も少ないです
診療所程度のものなら地方にもありますが、一町村にひとつとかで、少し大きな病気になると100km以上離れた都市部の病院に救急車で送られることとも日常茶飯事です。病人の容態も心配なら、連日そんなことをしている救急隊員の方も心配です。
近年は道内ではドクターヘリの配備がすすみカバーする地域が増えてきましたが、ドクターヘリは夜は飛べません。吹雪など悪天候の日も飛べません。各圏域に1機ずつしかないので、利用がかぶると来ません。半分ぐらいの確率で断られるみたいです。
救急車も30分以上来ないような場所もいっぱいあります。
親戚が救急搬送されたことがありますが、救急車もずいぶんのんびりしています。事故で救急車が道端に落ちてることもあり大丈夫か?と思うこともあるのが、北海道の現実です。
こんな状況であなたが倒れたら、子どもはどうしますか?
医師不足をダシにした紹介状ビジネス
北海道の一部の地方都市では、医師不足を口実に大病院から患者を締め出し、開業医と紹介状で患者のやりとりをするところが出てきています。
これが移住者には医療からの排除につながっています。
開業医の良し悪しはその地域の地縁に根差した評判を耳にできないとわかりません。そのネットワークに移住者が入れるかと言えば厳しいでしょう。
先に取り上げたサービス五流は病院にも例外なく出ますが、経営的理由なのかやたらに無用な検査、再診、大病院に紹介されず誤診で症状を悪化させる人の話も現実に数多く聞きます。
実際、我が家でもどこの病院にかかるかは大きな問題で、かかりつけ病院なんてものとは無縁です。
このことは、地方の田舎の話だけではなく、中途半端な地方都市の方が深刻です。
学力は低い
全国学力調査のデータを待つまでもなく、昔から学力水準はとてつもなく低いです。
学校が小細工を弄してテストの成績が少し上下しようが、そんなことは本質的な問題とはかけ離れています。
地域に学力ニーズがないのがすべての原因
地域に学力に対するニーズがありません。それが原因のすべてです。
学力があるからそれだけで進学できるわけでもなし、学力を活かせる仕事があるわけでもなし。
進学は都市部に出ざるを得ないため、通えず二重生活、三重生活が必要になり、経済的に都市部以上の余裕がない限り無理です。
なので家庭の所得が低いと諦めざるを得ない現実があります。
就職でも高い学歴や学力を必要とする仕事が地域にはありません。
給料水準も低いので、都市部に出た子どもが帰ることもできない状況があります。
医師など高度な資格を持っていても、それを維持するために学ぶ場が地方にはなく、そうした学びに都市部以上の無用な労力を要する問題もあります。
移住者の子どもも必ず影響を受ける
そうした環境は、大人から子どもへ確実に影響を及ぼします。
さらにそうした環境に位置して地域の影響も多かれ少なかれ受ける学校や学級を通じて、移住者の子どもにも確実に影響を及ぼします。
我が家でも影響を避けるために地域との無用な接触を避ける努力はしましたが・・・やはり良くも悪くも確実に影響は及びます。
進学も困難
大学進学を考えても、学力的に大学と呼べるような学校へ進学できる高校がほとんどありません。
地方都市でかつて進学校とされていた学校も、昨今ではボロボロです。
北海道は学力に関しては、札幌市、旭川市、その他ゴミの3段階と思ったほうがいいです。
部活動や文化活動にも問題
長時間の遠距離移動を強いられる部活動
学校の部活動や少年団、習い事等で頑張りたい子どもたちもいると思います。
北海道ではその広域性の故に、大会などが広域で行われ、そのために長時間・遠距離移動を強いられます。
それにより勉強や他の活動に充てる時間が必然的に削られていきます。
またこうした移動での交通事故も少なからずみられるほか、かかる費用もバカになりません。
文化教養施設も少ない
また、博物館、美術館などの教養を高める施設は北海道、それも地方にはほとんどといっていいほどありません。東京などとは大きな違いです。その質にも大きな落差があります。
そうした文化教養に触れて育てられる環境と、そうでない環境。その差が与える影響は自明です。
辺地差別の現実
戦争時には率先して犠牲?
太平洋戦争中、地上戦となった沖縄では、犠牲者の多くを占めた地元沖縄県の方々に次いで、二番目に犠牲が多かったのは北海道の方々でした。平和の礎には北海道の方々の名前が数多く刻まれています。
北海道は日本で二位の犠牲を払わなければならないほど当時人口が多かったでしょうか。沖縄に近かったでしょうか。そんなことはないはずです。現在の日本の北の果てと南の果ての人々が過酷な激戦地に追い込まれ多く犠牲になった事実、それが何を語るか。
現代でもそれは変わりません。
自衛隊の海外派兵では、北海道の部隊が数多く派遣されています。ハイチとか、南スーダンとか、そうした地域への派遣が、北海道の気候条件でも生かせるような地域でしょうか。違うでしょう。それが何を意味するか。
この国では、今も昔も辺地に差別意識があるのです。
地方の人間を騙すようなビジネスモデルは昔からありますが、北海道などはまさにいいカモというのが現状です。
結局、北海道という地域がそういう目でみられているのが、この国の悲しい現実です。
北海道の中でも差別意識
北海道の中でさえそうした意識があります。
札幌→それ以外の地方都市→それ以外の市町村の順に見下していくような意識が少なからずあるのが、残念な現実です。
北海道の職員の中ですら、そうした意識が少なからずあり、人事などでもそうした雰囲気はぷんぷんと出ますし、現実に下位の地域の出先になるほど役所の対応もイマイチです。
履歴書に生涯残る黒歴史
あなたが北海道へ移住し、子どもが小学校以降卒業すると履歴書に残ります。
それがプラスになるのか。マイナスになるのか。
北海道外では北海道自体がそうなのかもしれませんが、北海道内ですらマイナスかもしれません。
地方都市やそれ以下の町村が残ることにより、「こいつはどんな劣悪な所に飛ばしてもいいのか」と使い捨て扱いされるかもしれません。
現に北海道では公務員の中でもそれをヘンな地縁とはき違えて飛ばしの材料にする事例もあるようです。
あなたは移住者でも、子どもはそうは見えません。
でも地域で地元民としてみてもらえるわけでもありません。
劣悪な労働環境
~ 労働環境にも不安がいっぱいです ~
賃金が低い
これに尽きます。
労働時間が長い
週休2日など浸透しておらず、休日が十分ではない職場もまま聞かれます。
移動距離・時間が長い
仕事にもよるでしょうが、北海道が広域な故に移動距離や時間が長いという問題があります。
現実に北海道の中を広域に駆けずり回っている仕事の方は、数多くいます。
このことは、拘束時間が長いことにつながります。
その分だけ給料を払ってくれるかといえば、そんなわけはありません。
移動時間は何も生み出しませんから。
東京では通勤に片道2時間3時間などという例はザラにあります。
ただ電車であればこの移動時間を何かに使うことはできます。
睡眠時間の足しにするもよし、読書など何かを学ぶ時間に使うもよし。
でも公共交通機関が無きに等しい北海道では車が基本形になります。
運転者は寝るなどできませんし、同乗者も読書なども不適な環境で、できることは限られます。
こうした時間がムダに使われる、そういう現実もあります。
この差が文化水準や学力水準の違いにも確実に結びついていると思います。
さらには交通事故などの懸念にもつながります。
広域な北海道では、道内企業でも遠距離の出張のほか、人事異動などで多くの単身赴任者や遠距離通勤者を生み出しています。
この移動も交通事故の危険にさらされ、現実に亡くなる人も多くいます。
その移動のうちのどれだけが本当に必要なのでしょうか。見直すことはできないのでしょうか。
北海道は交通事故王国です。
交通事故を撲滅したいならこうした現状を変えなければならないのに、無用な長距離移動をのさばらして何の反省もない職場に根性論だけで中身のある改善を伴わない交通安全の声をあげる資格などなく、北海道は人の命を極めて軽視しているのではないかと思います。
北海道の主力産業はブラック産業
農林水産業、観光業、食品加工業、世間ではブラック産業の象徴です。
労働環境の悪さの故に人材確保ができず、人材育成もできなくなった産業にどれだけの未来があるでしょうか。
他の産業の待遇が悪くなった結果、相対的に自衛隊の待遇が良く見えるようになり、そこに職をもとめざるを得なくなる現代の徴兵制がすでに北海道では現実に起きています。現に北海道の多くの町では住民登録があるだけでもれなく適齢期の若者に自衛隊から勧誘が届きます。その結果がどうなるかは先に示唆した通りです。
劣悪な住宅
~ 新築しない限りまともな生活は期待できない ~
快適な生活は新築の持ち家のみ
北海道の厳しい気候の中でも快適な生活ができるのは、新築の持ち家に限られます。
その中でも「適切な能力を有する業者が適切な技術で建てた場合」に限られます。
公営住宅なんかは最悪です。
断熱材が入っているのかも疑わしく隣の音も丸聞こえの薄い壁、雪の落ちない屋根、すがもり、カビ、ハエやカメムシなど害虫、水を落としても水道凍結等々トラブルの巣です。
夏は涼しい北海道どころか熱気こもる温室。冬はビールが飲めるどころか冷凍庫になります。
税金を使った不良資産そのものです。
官舎とか民間でも社宅とかはだいたい同様です。
民間住宅もピンキリですが基本的には同じです。
公営住宅ほどひどくはないですが、基本的にこの国の賃貸物件ではそんなに質のいい建材は使用されていません。
北海道固有の問題としては、水落としの問題、結露対策、暖房器具の問題(本州で使われるような室内型のストーブは使用禁止されることが多い)などが挙げられます。
冬に風呂なんか入ろうものならヒートショックで死にます。中高年はそうしたリスクも考える必要があります。それは公営物件はもちろんのこと、民間物件で比較的良質な類に入るものでさえ、そうなっても不思議でない物件は多々あります。
不動産会社を介さずに個人で貸しているような地方物件の中には、公営住宅以下、物置のような物件もままあります。
精神病の巣
こうした環境の故か、特に地方では本人や家族が精神をやられた話は少なからず聞きます。
転勤で地方に連れてこられた家族、都市部なら自宅から進学できる年齢なのに地方居住のせいでやむなく別居して進学した子ども、移住してきた本人や家族。
こういう人達が精神をやられ、病院送り、離婚、最悪自殺につながった例をいくつも見聞きしています。
移住でこんな結末を望んでいますか?
行政に地方の良さとか称したり移住を煽る前に、移住者道内出身者問わず、こうした精神疾患や予備軍の姿をきちんと分析して公表してもらいたいものです。
「生命は大事」なのか?
~ 生命尊重という現代価値が実践されているかも疑わしいです ~
行き倒れは昔も今も
かつて徒歩が主要な交通機関だった頃は猛吹雪の時に家を目の前にして行き倒れた住人や郵便配達人がいたと語り継がれています。
そうした伝承があるからこそ、それを教訓にして北海道は自然環境を前にしたおおらかさ、すなわち天気が悪いから無理しなくていいよ的なおおらかさがあるはずでした。
でも、行き倒れは残念ながら今もあります。
天候の急変で吹雪が急に発生し、道路が寸断されて車に閉じ込められ、亡くなる方が出ているのが北海道の残念な真実です。
道路を止められても困る
そうした教訓を受け、最近では道路を早期に通行止めにするようになってきました。 でもそれで解決かと言えばそうはなりません。
昔と違い、現在では仕事や買い物などで多くの人が数十キロ単位の行き来を日常的にしています。
それを突然通行止めにされても困る人がいっぱい出てきます。
その結果、危険でも通行止めになっていない道路を探して移動を図る人が多く出てきます。
地方では地元に仕事がなかなかありません。
近隣の都市部に通勤している人が数多くあり、地方でも朝の道路はけっこう車が多く走っています。
地元に子どもを残して親が都市部に働きに行っているようなケースもあります。
それで帰り道が通行止めになったとしたら、残っている子どもはどうしますか?子どもだけで吹雪の夜を越せますか?
地元に親戚等のいる地元民であればそういう親戚に頼む方法もあります。でもすべての人ができるわけではありません。転勤族や移住者などでは難しいです。そうした状況を救ってくれるシステムは地域にはありません。だから親は道路が止まろうが何しようが帰らざるを得ないのです。
北海道の厳しい自然に見合った対策が必要
新聞や郵便、宅配便が来ないとかその程度の不便であれば、数日ぐらい別に無理して来なくてもいいと個人的には思います。
でも無理してそういう仕事をやってしまう風潮が近年では強くあります。そういう無理をしなくてもいいおおらかさを失っているのが北海道の今の姿です。
吹雪のあとのスーパーの棚がからっぽだというニュースが出ます。 ニュースとしては面白いんでしょうが、スーパーには品物を切らしてはいけないという強迫観念を与え、運搬車が吹雪の中を無理して走るようになります。
私は吹雪の中をスーパーが無理して営業しなくてもいいと思いますし、しばらく食うに困らない程度の食糧を蓄えるのは北海道民の義務だと思いますが、コンビニがないと生きていけない人達からは営業圧力は強いですし、経営的にもそんな簡単に閉められないという現状もあるのでしょう。働く側にも給料が減る問題もあります。
外を出歩くのも危険な程度という注意喚起を気象台やニュースが出すようになってきましたが、そういう時にはあらゆる業種の人が出歩かない程度のおおらかさが必要だと思いますが、そうはなっていない、そうはできないのが現実です。
学校では、子どもの登下校の安全を考慮して早々に臨時休校を決める場合があります。
しかし、臨時休校になっても、親が仕事がある限り、子どもを預けるところもなく、子どもだけで家に放置されているケースが少なからずあります。
学校によっては、授業時数や行事がどうのと子どもの安全と天秤にかけたり、子どもと教職員は対応が別なため服務がどうのと、安全二の次の保身の発想の結果、教職員の子どもが家で放置されたり悪天候の中を遠距離通勤を強いられたりというケースもあります。
こうした北海道の厳しい自然に見合わない無理が強いられている状況がある中で、北海道では「生命が大事」なんて本当に思っているのか、疑問に感じざるを得ません。
「交通事故撲滅」なんて本心で思ってる?
昨今はワースト1こそ免れているものの北海道は交通事故王国です。
北海道の面積や道路延長が他県と格段に違うことや、人口差や事故統計に出ない被害など、都道府県ランキングには疑問を感じる部分もあるものの、交通事故王国であることは謙虚に受け止めないといけない真実です。
一応北海道も「交通事故撲滅」なんて謳っているみたいですが、本心でそんなことを思ってるのか疑問に感じることも少なくありません。
交通事故をなくしたければ、無用な交通をなくすことです。
しかし現実にはこれまでも書いたように、遠距離通勤や出張、人事異動などによる多くの単身赴任者などを生み出しています。子どもの部活動などでの遠征の問題もそうです。これらのほとんどが道路利用なのが現実です。
交通安全と言えば何とかのひとつ覚えのように取り締まりとかそういう方向に行きますが、制限速度で走ろうが何しようが事故に遭う時は遭いますし、交通指導員ですら交通事故で亡くなります。
そんな交通安全運動が、本当に北海道民の生命を守る目的でされているのか疑わしく、空々しく思うことが多々あります。
レジャーなど自分の意思で出てくる分には勝手ですが、そうでない部分には対策の余地が充分にあるはずですが、現実の北海道はそうはなってはいません。
家の目の前での行き倒れを生んでいた、徒歩が主要な交通機関だった時代とは違いますが、現代に見合った地域の体質の変革ができていないのが北海道の現実です。
結論
~ 今から移住するならやめたほうがいいです ~
移住は割と簡単でも、戻るのは難しい現実
北海道は移住者を受け入れやすい素地は、本州に比べると表面的には割とあるとは思います。
ただ、これらの問題に気付いたとき、逆に本州に戻れるかといえば、それは難しいです。
私なんかも若気の至りで北海道に幾度となく通うんなら住んだほうがいいんじゃね?程度で移住して、確かに何年かは北海道の魅力満喫で楽しいかもしれません。
それがなければ今の家族にも出会えなかったという意味では移住そのものを否定する気はありませんが、こういう問題に気付いたとき、使い捨てに遭ったとき、本州に戻れるかといえば容易ではありません。
子どもへの意義や興味を考えたときに、最近の旅の行先は北海道より本州などが多いです。
息子が京都に興味を持ちだし、意義も認められるのでそれに応えた結果、気がついたら年に4回も京都に行ってます。私が関西に住んでいたころはそんなものにたいした興味もなかったですが、北海道に来ないと出会えなかった息子のおかげで今では北海道にもとめた四季と趣の異なる四季に関心を持つようにもなりました。本州に住んでいれば飛行機に乗ることもなく日帰りで行けたようなところに行くのに、航空会社やホテルにせっせと貢いでいる状態です。今はまさにそれなら本州に住んだ方がいいんじゃね?状態です。
じゃあ戻れますか?と言われれば、それは難しいのが現実です。
気が付いたら年齢も重ね、仕事・生活・家族等々ついてくるものもいろいろあります。
こうなってしまったら、本州からみてもよそ者です。いいところ使い捨ての対象。それを受け入れる素地は少なくしがらみに満ちた本州に戻るのは、非常に困難なことだと言えます。
今、本州にいて、まともな生活基盤がある人なら、それを捨ててまで来る必要はないですし、捨てたら回復はまず不可能になります。それを捨てて北海道に来たから故郷になるかといえば、残念ながらそんなことはない大地です。
移住はやめなさい
今から北海道への移住を考えるなら、やめたほうがいいです。絶対に勧めません。
本州にいた方がいいかもしれません。
北海道は地域にもよりますが本州のような巨大地震リスクも少ないと思って来ました。
地震については甚大被害のリスクは確かに小さいですが、昨今の異常気象の中で、暴風雪など地震以外の災害リスクがあるのが現実です。地震の心配より先に吹雪に命を奪われかねません。
この国は残念ながらいずれまた戦争をするだろうと昔から思っていました。戦争法案と言われる安保法案も成立してしまい、この国はますます平和主義を放棄し戦争に近づいたと思います。
北海道なら食料も確保できて田舎なら空襲されず被害を免れるだろうと思いましたが、現実は先兵の養成地に過ぎず、子どもたちにはかえって危険な地域だと思うようになってきました。
移住者を使い捨てか何かのようにしか思っていない北海道にもがっかりするところはあります。
このような中では、北海道移住はやはりお勧めできません。
http://ijyuu.wp.xdomain.jp/?p=140
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3:777
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2022/06/20 (Mon) 23:56:31
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北海道に移住するとこういう目に遭う
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14016282
北海道は底が浅い、東北の方が、風景、食べ物、温泉、女性、すべてが遥かに素晴らしい
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14014159
北海道は観光に行く所であって、人間が暮らせる所ではない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/429.html
北海道の最低市町村ランキング
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html
【街が廃墟化】北海道「釧路」の繁華街がシャッター街に
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14020942
釧路にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/451.html
大借金で潰れた北海道夕張市が廃墟と空き地でゴーストタウン化してた
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/681.html
コストが安い暖房は? 優秀なコタツ、ファンヒーター
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/926.html
暖炉や薪ストーブはもう古い
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/529.html
暖炉型電気ヒーターの実用度
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/876.html
寒冷地での水道管の凍結を防ぐには
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/524.html
北海道民が教える「雪道の歩き方」5カ条
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/679.html
大雪の前に、どんな準備をしたらいいのか?気をつけるべきポイントは?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1127.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/463.html
厳寒が人体に与える影響
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/795.html
札幌市民が白樺並木を嫌う理由 _ 北海道で猛威を振るうシラカバ花粉症
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/949.html
「冬だけ生活保護でサバイバル」を認める、北海道の柔軟な公助の仕組み
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1088.html
日本政府は行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にしようとしている
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/522.html
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2022/06/21 (Tue) 07:36:32
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北海道は生活には向きませんが、道東の湖沼やカラ松の森の雰囲気は素晴らしいですね。 車中泊で酸化還元電位(ORP)が低い北海道の日帰り温泉巡りをするのがお薦めです:
北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
https://t2412.livedoor.blog/
然別峡野湯群 : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
https://t2412.livedoor.blog/archives/cat_23305.html
阿寒川野湯群 : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
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野湯&無料&寸志温泉 : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
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手湯&足湯&温泉スタンド : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
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名水・湧水 : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
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廃墟(廃湯)探索 : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
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渓流・湖沼・河口の釣魚 : 北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
https://t2412.livedoor.blog/archives/cat_23313.html
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露天風呂マニアの温泉探索記 _ 北海道東部の露天風呂めぐり
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/280.html
北海道の源泉掛け流し温泉≪けーじブログ≫
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/279.html
権蔵温泉 温泉悪食党
http://gonzoh.o.oo7.jp/
北海道の銭湯
http://gonzoh.o.oo7.jp/
北海道 青森県 秋田県 岩手県 山形県 宮城県 福島県の湯治宿案内
http://touji.onsenconcierge.net/
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北海道の温泉に行こう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/561.html
屈斜路湖畔 三香温泉 その人気の秘密
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/589.html
日本で一番美しい道〜富良野・美瑛 _ 白金温泉 森の旅亭 びえい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/610.html
雌阿寒 山の宿 野中温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/276.html
幌加温泉 鹿の谷
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/280.html
北海道 天塩郡 豊富温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/338.html
弟子屈町 湯治の宿 開紘 _ ここが川湯温泉で最高泉質?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/563.html
然別峡かんの温泉 復活
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/572.html
あの伝説の名湯は今_ 幻の秘湯 戦慄の二股ラヂウム温泉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/350.html
こんな温泉に泊まってみたい _ 北海道 八雲町 銀婚湯
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/226.html
アタマに効く温泉 _ 登別カルルス温泉
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/345.html
ニセコ薬師温泉 _ 温泉マニアに超絶人気の伝説の名湯がどうしてこうなった?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/560.html
伝説の名湯 岩内 朝日温泉 _ 飢餓海峡の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/230.html
日本最高のモール泉 『清乃湯』(北海道別海町)は何故廃業した?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/562.html
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車中泊:北海道温泉めぐり by ツッチーさん
車中泊:北海道温泉めぐり (8)登別温泉~ニセコ温泉郷~二股らじうむ温泉~見市温泉~八雲温泉~銀婚湯~谷地頭温泉
旅行時期:2017/07/24 - 2017/07/28
https://4travel.jp/travelogue/11281085
車中泊:北海道温泉めぐり (7)稚内~留萌~千歳基地航空祭
https://4travel.jp/travelogue/11281083
車中泊:北海道温泉めぐり (6)カムイワッカ湯の滝~ウトロ~湧別日の出岬温泉~枝幸~稚内
https://4travel.jp/travelogue/11281075
車中泊:北海道温泉めぐり (5)川湯温泉~和琴温泉~養老牛温泉~標茶温泉~別海町~羅臼温泉~相泊温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281078
車中泊:北海道温泉めぐり (4)糠平温泉~然別峡温泉~オソウシ温泉~十勝川温泉~雌阿寒温泉~阿寒湖温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281073
車中泊:北海道温泉めぐり (3)層雲峡温泉~大雪高原温泉~幌加温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281070
車中泊:北海道温泉めぐり (2)十勝岳温泉郷~旭岳温泉
https://4travel.jp/travelogue/11281067
車中泊:北海道温泉めぐり (1)長野・野沢温泉経由新潟港へ
旅行時期:2017/07/02 - 2017/07/06|14
https://4travel.jp/travelogue/11281064
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クルマで旅する<北海道・車中泊旅行ガイド>
クルマ旅の専門家がお届けする、北海道を車中泊で旅行するために役立つ情報が満載のスペシャルサイトです。
http://kurumatabi.net/hokkaido_wp/
「フェリー乗船レポート 」一覧
http://kurumatabi.net/hokkaido_wp/category/featured/ferry/
北海道は「車中泊天国」 2017/8/25
http://kurumatabi.net/hokkaido_wp/2017/08/25/post-287/
無料または格安オートキャンプ場が各地に点在。
北海道には無料または1000円~2000円ほどでオートキャンプができる施設が各地に点在しており、道の駅を利用するよりも、そういった施設で車中泊をしたほうが圧倒的に寛げる。特にバックドア下を利用する自炊派の人々には理想的な環境といえるだろう。
写真は道の駅びふかに隣接する森林公園びふかアイランドキャンプ場のフリーサイトで、料金は大人1泊300円。道の駅のほかに400円で日帰り入浴ができる温泉施設と1日100円でプレーできるパークゴルフ場が隣接しており、2500円払えば区画電源サイトも利用できる。
ただし… 最初はそういうキャンプ場を簡単には見つけられないかもしれない。
北海道といえども、低料金キャンプ場の大半は、ガイドブックに「オート不可」と記された施設である。ゆえに大半のキャンパーは、キャンプ場ガイドのその表示を見て利用を諦めているはずだ。
しかし実際は、サイトと駐車場が隣接し、空いていればクルマのすぐ横か後にテーブルを出せるキャンプ場はたくさんある。
それが可能かどうかは、キャンプ場のレイアウト地図を見れば見当がつくし、インターネットでキャンプ場の画像検索をすれば、ほぼ確実にわかる。またライダー向けのガイドブックには、低料金キャンプ場がよく掲載されており、それを参考にするのもひとつの方法だろう。
なお、北海道ではそういう車中泊向きのキャンプサイトが各地にあることを住民もよく心得ている。ゆえに本州よりも道の駅での車中泊に対する視線が厳しいことは覚えておこう。
美深アイランドのような北海道の格安キャンプ場を見つけるのにお勧めのガイドブックがこちら。北海道の出版社が発刊しているだけあって、中身の濃さが光っている。毎年発刊されるので、購入する際は最新版を手に入れよう。
北海道キャンピングガイド
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89
http://kurumatabi.net/hokkaido_wp/2017/08/25/post-287/
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クルマで旅する<北海道・車中泊旅行ガイド>「フェリー乗船レポート 」一覧
http://kurumatabi.net/hokkaido_wp/category/featured/ferry/
青函フェリー
http://www.seikan-ferry.co.jp/index.html
日本長距離フェリー協会 航路案内
http://www.jlc-ferry.jp/kouro.html
航路・ダイヤ・運賃|舞鶴・敦賀・新潟・秋田と北海道を結ぶフェリー航路。
http://www.snf.jp/searoute/index.html
さんふらわあで行く、首都圏・北海道の船旅 - 商船三井フェリー
http://www.sunflower.co.jp/ferry/index.shtml
北海道・九州・四国・沖縄のフェリー予約はクルーズシステムへ
http://www.cs-cruise.co.jp/index.html
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地図から検索 高速料金・ルート検索 料金・ルート・交通情報 ドラぷら
http://www.driveplaza.com/dp/ResultFromMap
ルート検索 - MapFan
https://mapfan.com/map/routes/search
北海道道路情報総合案内サイト「北の道ナビ」~ドライブに役立つ情報が満載!
http://northern-road.jp/navi/
距離と時間検索 北の道ナビ
http://d-time.hdb.hkd.mlit.go.jp/
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日本の掛け流し温泉の酸化還元電位(ORP)の比較
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14012669
北海道の温泉の酸化還元電位(ORP) は
北海道・源泉マニアの突撃入湯レポ
https://t2412.livedoor.blog/
【羅臼町】 「相泊温泉」
浴槽:温度44.5℃、pH5.8、ORP値は、88mvに収束した。
【羅臼町】 羅臼温泉 「熊の湯」
露天風呂(男湯)
浴槽内でORP計測。
浴槽:温度47.0℃、pH6.8、ORP値は-195mvに収束した。
上がり湯
熊の湯源泉:湯口温度54.5℃、pH8.6、ORP値は-315mvに収束した。
【標津町】 川北温泉「川北温泉露天風呂」
湯口:59.6℃、pH6.3、ORP値は-211mvに収束した。
浴槽:45.5℃、pH6.5、ORP値は-218mvに収束した。
【中標津町】 養老牛温泉 「湯宿だいいち」
大浴場
湯口:70.5℃
浴槽:41.5℃、pH7.58、ORP値は61mvに収束した。
打たせ湯付浴槽
浴槽:温度37.1℃、pH7.50、ORP値は66mvに収束した。
露天風呂(男湯)
湯口:70.7℃
浴槽:40.7℃、pH7.80、ORP値は40mvに収束した。
混浴岩風呂
熱湯湯口:70.3℃
中温湯口:41.2℃
浴槽:41.2℃、pH7.87、ORP値は45mvに収束した。
せせらぎの湯 大浴槽
湯口:68.8℃
浴槽:42.3℃、pH7.77、ORP値は57mvに収束した。
【足寄町】 雌阿寒温泉 「山の宿 野中温泉」
主湯口:温度46.0℃、pH5.75、ORP値-355mvに収束した。
浴槽:温度44.1℃、pH5.91、ORP値-340mvに収束した。
【弟子屈町】 川湯温泉「お 宿 欣喜湯 (旧川湯ホテルプラザ)」
湯口:温度45.2℃、pH1.72、ORP値は10mvに収束した。
浴槽:温度41.8℃、pH1.72、ORP値は32mvに収束した。
【弟子屈町】 川湯温泉 「川湯公衆浴場」
湯口:温度50.7℃、pH1.9、ORP値は121mvに収束した。
浴槽:温度45.9℃、pH1.9、ORP値は193mvに収束した。
【弟子屈町】 コタン温泉 「コタン共同浴場」
湯口:温度61.9℃、pH6.8、ORP値は18mvに収束した。
浴槽:温度41.0℃,pH7.1、ORP値は70mvに収束した。
【弟子屈町】 池の湯温泉 「池の湯」
露天風呂内でORP計測。
温度:40.9℃、pH7.0、ORP値は12mvに収束した。
【鹿追町】 然別峡かんの温泉「然別峡かんの温泉 湯宿こもれび荘 湯処ウヌカル・イナンクル」
「イコロ・ボッカの湯」
浴槽:温度40.0℃、pH7.20、ORP値は-83mvに収束した。
ウヌカルアンナーの湯
湯口:温度64.3℃、pH7.32、ORP値は-80mvに収束した。
浴槽:温度39.5℃、pH8.02、ORP値は-82mvに収束した。
波切の湯
湯口:温度52.1℃、pH6.67、ORP値は-138に収束した。
浴槽:温度44.1℃、pH7.12、ORP値は53mvに収束した。
コンカニペの湯
岩壁湯:温度37.1℃、pH7.98、ORP値は-128mvに収束した。
浴槽:温度37.3℃、pH7.67、ORP値は43mvに収束した。
シロカニペの湯
湯口:温度41.2℃、pH7.20、ORP値は-107mvに収束した。
浴槽:温度41.1℃、pH7.15、ORP値は-4mvに収束した。
【鹿追町】 然別峡温泉 「鹿の湯&夫婦(めおと)の湯」
・夫婦の湯 a
浴槽内でORP計測。
浴槽:45.5℃、pH6.9、ORP値は-36mvに収束した。
・夫婦の湯 b
浴槽内でORP計測。
湯口50.6℃、pH6.9
浴槽49.0℃、pH7.0、ORP値は-102mvに収束した。
・鹿の湯
浴槽内でORP計測。
浴槽:湯温42.3℃、pH7.2、ORP値は38mvに収束した
【足寄町】 芽登温泉 「芽登温泉ホテル」
大浴場
湯口(熱交換器使用):温度44.8℃、pH値9.54、ORP値は-328mvに収束した。
浴槽:温度38.6℃、pH値9.50、ORP値は-291mvに収束した。
大露天風呂
湯口❶:温度49.7℃、pH値9.36、ORP値は-314mvに収束した。
湯口❷(熱交換器使用):温度45.6℃、pH値9.34、ORP値は-318mvに収束した。
打たせ湯(熱交換器使用):温度39.5℃、pH値9.30、ORP値は-316mvに収束した。
浴槽:温度41.1℃、pH値9.13、ORP値は-197mに収束した
巨岩の湯(混浴露天風呂)
湯口❶:温度49.6℃、pH値9.25、ORP値は-323mvに収束した。
湯口❷(熱交換器使用):温度40.7℃、pH値9.51、ORP値は-321mvに収束した。
浴槽:温度42.6℃、pH値9.42、ORP値は-271mvに収束した。
【上士幌町】 幌加温泉「湯元 鹿の谷(かのや)」
内風呂(混浴)
湯口:温度63.5℃、pH6.7、ORP値は-293mvに収束した。
浴槽:温度63.5℃、pH6.7、ORP値は-59mvに収束した。
鉄鉱泉
湯口:温度56.4℃、pH6.9、ORP値は-159mvに収束した。
浴槽:温度39.4℃、pH7.6、ORP値は21mvに収束した
カルシウム泉
湯口:温度61.3℃、pH6.6、ORP値は28mvmvに収束した。
浴槽:温度42.8℃、pH7.6、ORP値は-32mvmvに収束した。
露天風呂(混浴)
湯口:温度54.1℃、pH6.9、ORP値は40mvに収束した。
浴槽:温度44.7℃、pH7.6、ORP値は37mvに収束した。
【美瑛町】 白金温泉 「森の旅亭 びえい」
内風呂(男湯)
湯口:温度46.3℃、pH6.8、ORP値は-137mvに収束した。
浴槽:温度41.6℃、pH7.2、ORP値は-6mvに収束した。
露天風呂(男湯)
湯口:温度46.4℃、pH6.7、ORP値は-139mvに収束した。
浴槽:温度40.6℃、pH7.1、ORP値は-50mvに収束した。
【蘭越町】 ニセコ湯本温泉 「蘭越町交流促進センター 雪秩父」
内風呂(男湯)大浴槽(通称・硫黄泉)
湯口:温度49.2℃、ORP値は-126mvに収束した。
浴槽:温度41.5℃、ORP値は-29mvに収束した。
内風呂 小浴槽(通称・鉄鉱泉)
湯口:温度56.3℃、ORP値は-235mvに収束した。
浴槽:温度41.5℃、ORP値は-83mvに収束した。
露天風呂(男湯)
湯口:温度48.7℃、ORP値は-119mvに収束した。
浴槽:温度44.6℃、ORP値は-69mvに収束した。
【島牧村】 モッタ海岸温泉 「モッタ海岸温泉旅館」
内風呂
湯口:温度52.2℃、pH6.6、ORP値は-201mvに収束した。
浴槽:温度43.5℃、pH6.8、ORP値は-129mvに収束した。
露天風呂
湯口:温度52.4℃、pH6.6、ORP値は-165mvに収束した。
浴槽:温度42.7℃、pH7.0、ORP値は-67mvに収束した。
【長万部町】 二股温泉 「二股らぢうむ温泉」
立ち浴(深湯)
湯口:温度44.4℃、pH6.6、ORP値は-23mvに収束した。
浴槽:温度43.8℃、PH6.7、ORP値は6mvに収束した。
座り浴(浅湯)
湯口:温度44.1℃、pH6.8、ORP値は-18mvに収束した。
浴槽:温度40.9℃、PH6.9、ORP値は48mvに収束した。
混浴露天風呂
湯口:温度44.4℃、pH6.9、ORP値は-28mvに収束した。
浴槽:温度42.1℃、PH6.9、ORP値は33mvに収束した。
【知内町】 知内温泉「ユートピア和楽園」一宿 (2019年7月再湯)
内風呂(男湯)
湯口:温度49.1℃、pH6.3、ORP値は61mvに収束した。
浴槽:温度46.7℃、pH6.6、ORP値は59mvに収束した。
混浴露天風呂
岩湯口:温度45.3℃、pH6.3、ORP値は38mvに収束した。
浴槽:温度43.4℃、pH7.0、ORP値は83mvに収束した。
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2022/07/24 (Sun) 20:40:59
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景色が良い道をドライブしよう・花鳥風月Visual紀行 _ まとめ
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北海道一周車中泊の旅 _ 北海道には見るべき風景なんか何も無い
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北海道に移住するとこういう目に遭う
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北海道の名湯
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北海道の温泉に行こう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/561.html
日本の掛け流し温泉の酸化還元電位(ORP)の比較
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温泉・旅館関係ブログへのリンク
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車中泊で温泉巡りしよう
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2022/09/12 (Mon) 09:15:26
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車中泊に向く軽自動車のおすすめ6選 小さくても快適に寝泊まり!【2022年最新版】
2022年09月09日
https://www.itmedia.co.jp/fav/articles/2209/09/news168.html
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2023/11/25 (Sat) 15:41:32
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北海道に移住するならどこが良い?比較的過ごしやすく仕事も見つけやすい道産子おすすめの地域5選
コスケの北海道でドライブを楽しむチャンネル
2021/01/28
https://www.youtube.com/watch?v=T3kKimIkqts
今回は私が勝手に考えた、北海道に移住するならここがおすすめ地域を5つ紹介したいと思います。
比較的仕事が見つけやすく買い物や交通の便など生活のしやすさはもちろん、生きていくのに最も大変な気候を最も重視して、私自身住んでみたいと思う場所を5つ選びました。
もし知人や友人が北海道に移住するなら勧める地域です。
ただし、あくまで私が勝手に考えたおすすめ地域で、他が駄目なわけでも誰にでもお勧めな訳でもありません。
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