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2022/06/11 (Sat) 09:27:47
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イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860年11月18日 - 1941年6月29日)ピアニスト・作曲家
イグナツィ・パデレフスキ メヌエット
Paderewski plays his Minuet in G (from 'Moonlight Sonata', 1936)
https://www.youtube.com/watch?v=6VjRoBIjjTY
Ignacy Jan Paderewski (1860-1941) plays his Minuet in G, filmed at Denham Film Studios, Buckinghamshire, England, in September 1936 for the movie 'Moonlight Sonata', directed by Lothar Mendes. Also in this beautiful vignette (featuring children dancing a charming minuet to Paderewski's playing), seated beside the piano, is the singer and actress Dame Marie Tempest (1864-1942) who studied with Manuel Garcia (brother of La Malibran and Pauline Viardot and teacher of Jenny Lind).
Paderewski plays "Menuet" in G - 1937 movie
https://www.youtube.com/watch?v=M9IBBd-9aRM&feature=emb_title
Rachmaninov plays Paderewski Minuet in G
https://www.youtube.com/watch?v=-hK3XoVdO-8
Sergei Rachmaninoff, piano
パデレフスキ 演奏会用ユモレスク Op.14-第1曲メヌエット(編曲:フリッツ・クライスラー)
https://www.youtube.com/watch?v=NwpmFTfpDe0
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パデレフスキ 画像
http://www.google.co.jp/search?q=Paderewski&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=wdJcUZjKDKi9iAe9r4CABw&ved=0CJgBEIke&biw=998&bih=892
パデレフスキ ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
パデレフスキ - YouTube
http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD&oq=%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD&gs_l=youtube-reduced.12...0.0.1.44.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0...0.0...1ac.
Paderewski - YouTube
http://www.youtube.com/results?search_query=Paderewski&oq=Paderewski&gs_l=youtube-reduced.12..0l3.2365.2365.0.3483.1.1.0.0.0.0.542.542.5-1.1.0...0.0...1ac.e7cOgo0BEqQ
パデレフスキ作曲 ピアノ協奏曲 イ短調 Op.17
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15876901
パデレフスキ: ピアノ協奏曲 Op.17
音楽史において、イグナツィ・パデレフスキほど特異な経歴を持つ作曲家はいないかもしれません。なんてったって、ポーランド第3代首相ですから。ピアニストが一国の首相になるなんて、最初で最後のことかもしれませんね。
作曲家・演奏家・編集者(ショパンの楽譜の校訂で有名)・政治家と、まさに八面六臂の大活躍をしたパデレフスキですが、作曲に関しては、残念ながら『メヌエット』くらいしか有名でないのが現状です。たしかに、それほど魅力的な作品が多いわけではありませんが(失礼)、それでも佳作はいくつかあると思います。
今回は、その中から、『ピアノ協奏曲 Op.17』を紹介したいと思います。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=MQvDfpoLMzs
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=SHgQPSiqFOc
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=dDuX5qjf9sk
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=iZct56t453c
http://takenoff.com/classic/h/ignacy_paderewski/20090720235749.html
曰く言い難く 2012/3/5 By 架空の人物
どのように表現したら良いのか、この曲は本当に切なく美しい音の雫に彩られた協奏曲です。
力強く牧歌的なオーケストラで始まるこの協奏曲は、次第に哀愁漂う切ない感じになって行き、ピアノの独奏が始まります。これが非常に美しく、いとおしく心の深部に迫って来ます。
チャイコフスキーやショパンとはまた違った感情の波を起こしてくれるでしょう。パデレフスキのその他の作品もそうですが、作風はスラブ的であり、またロマン派(国民学派)のように思えます。しかしこの協奏曲は国民学派という範疇には納まらず、非常に脆く懐かしく切ない感じを与えてくれます。私は彼の最高傑作だと考えています。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2-%E3%82%A4%E7%9F%AD%E8%AA%BF-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%B9%BB%E6%83%B3%E6%9B%B2-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AB/dp/B00005F4XX
ショパン : ワルツ集/パデレフスキ版第9巻 [楽譜]
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ (著)
内容が古いですが、多くの演奏家が使ってきました 2010/6/4 By nenemu
ピアニストのパデレフスキ(1860-1941)が編集した、有名な版で、長い間決定版とされてきました。ただ刊行後半世紀以上を経過しているので、最近の研究を反映しておらず、すでに古い内容となっています。編集も、フランス版、イギリス版等、複数の版から「いいとこ取り」をしていて、方針がはっきりしていないようです。
また印刷が荒く、譜面が読みづらいです。
今日のショパン演奏では、エキエル編ナショナル・エディション が決定版となっています。またはエキエル版以降の研究を反映した版の方が信頼性があります。
(音友版2008年刊New edition など。ウィーン原典版は未刊)
ただし多くの名演奏の録音は、このパデレフスキ版に基づいているので、他版を見ながら演奏を聴いていると違和感を感じる向きもあるようですし、「あの名演奏と同じ演奏がしたい」という人には、今でもこちらの方がよいのかもしれません。
先生に付いて習っている方は、よく相談して選んだ方がよいでしょう。
ショパンを弾けるようになりたい人へ, 2004/12/30 By "burako"
パデレフスキ版は原典に基づいて編集されていますので、ショパンの「こう弾いてほしい」という想いを最大限に汲み取っています。
楽譜の最後には小節に区切って、「こういう説とこういう説がある」などという、楽譜表記上でもめた部分や、「こちらの方が適切だと思われる」という編集にあたっての観点も事細かに述べられていますので、『楽譜を読む』勉強にもなると思います☆
私は演奏会を聴きに行くときのお供にしています*^__^*
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3-%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%84%E9%9B%86-%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E7%89%88%E7%AC%AC9%E5%B7%BB-%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3/dp/4636550102
パデレフスキの『メヌエット』(自作自演 1906年ピアノロール)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12990895
パデレフスキの『メヌエット(自作自演)』+『月光ソナタ』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10567024
パデレフスキが弾く『月光ソナタ 第3楽章』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11190170
パデレフスキが弾く『英雄ポロネーズ』(ピアノロール 1906年)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12104177
パデレフスキが弾く『英雄ポロネーズ』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10580407
パデレフスキ リスト:ハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ短調
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15489082
ハンガリー狂詩曲 S.244 第2番 嬰ハ短調
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9513275
クラヴサン曲集 第1巻 第5組曲 イ長調 第7番 髪の光沢剤(La bandoline)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10650775
19世紀生まれの7人のピアニストが弾く『木枯らしのエチュード』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10631113
19世紀生まれの5人のピアニストが弾く『別れの曲』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9587428
19世紀生まれの4人のピアニストが弾く『12の練習曲 Op.10 第7番 ハ長調』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10617488
19世紀生まれの4人のピアニストが弾く『メヌエット(パデレフスキ作曲)』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11125192
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イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860年11月18日 - 1941年6月29日)は、ポーランドのピアニスト・作曲家・政治家・外交官。高名なピアニストである一方、ポーランドの首相を務めたことで知られる。
生涯
第1次世界大戦後に発足したポーランド第二共和国の第2代首相。氏名はフランス語式に簡略化して、Ignace Paderewskiと綴られることがある。日本ではパデレフスキーとも表記される。
幼少時
現在ウクライナ領となっているポドリア地方の寒村クルィウフカ Kuryłówka) に生まれる。父親はポーランド貴族(シュラフタ)で、自宅の屋敷で経済学者として働いていた。生母はパデレフスキを産んで数ヵ月後に逝去したため、パデレフスキは遠い親族によって育てられた。
パデレフスキは幼年期から音楽に興味を示し、初めは個人教師についてピアノを学んだ。1872年、12歳でワルシャワ音楽院に進学し、グスタフ・ログスキ(Gustaw Roguski)に和声学を[1]、ユリウシュ・ヤノータ(Juliusz Janotha)とヤン・スリウィンスキ(Jan Śliwiński)にピアノを習う[2][3][4](ただし、この時期は「あなたはピアノに向いていない」と言われるなどピアノ教師に恵まれなかったと後年自伝で述べている)[5]。1878年に卒業後、母校のピアノ科で教師になるよう依頼され、それを引き受ける。1880年にアントニナ・コルサクヴナ (Antonina Korsakówna) と結婚し、まもなく最初の子アルフレト (Alfred) が生まれた。
しかしながら翌年になると長男の障害が判明し(1901年に死去)、10月にアントニナ夫人も亡くなってしまう。パデレフスキは音楽に献身することを決心して、1881年にベルリンに留学して、フリードリヒ・キール (F. Kiel) とハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban) に作曲を師事。1884年にウィーンに移り、ウィーン音楽院でレシェティツキに入門する。1885年から1886年までシュトラウスブルク音楽院で教鞭を執った後、1887年にはウィーンでのデビューを果たした。いくつかの文献には「作曲とピアノ、どちらも大したことなかった」とあるが、これは全くの間違いである。
国際ピアニストとして
やがて大変な人気を集めるようになり、その後の出演は(1889年パリ、1890年ロンドン)大成功となった。パデレフスキの輝かしい演奏は大熱狂を巻き起こし、ほとんど異様なほどの長さに渡って賞賛の的となった。パデレフスキの成功は、1891年にアメリカ合衆国においても繰り返された。パデレフスキの名は、たちまち高水準のピアノ演奏と同義となり、社交界が彼に跪いたのである。パデレフスキは、万全の技術を身につけるのに忍耐力が必要なことを、以下のように述べ、多くの人に記憶されてきた。「一日練習を怠ると自分には分かる。二日怠ると批評家に分かる。三日怠ると聴衆に分かってしまう。」( “If I miss one day’s practice, I notice it. If I miss two days, the critics notice it. If I miss three days, the audience notices it.” )ただし、ベルリンにはブゾーニとゴドフスキーがいたので、パデレフスキの評価はそこまでにはならなかった。
1899年にドゥ・ローゼン (de Rosen) 男爵未亡人ヘレナ・グルスカ (Helena Górska) と結婚し、1900年以降はめったに人前で演奏しなくなった。その代わりに作曲家として、それも主にピアノ曲の作曲家として有名になった。1901年にはオペラ《マンル Manru》がドレスデンで上演された。1908年には演奏時間が70分を超える大作交響曲ロ短調Op.24『ポーランド』を作曲。また、夫婦で社会事業や寄附活動も行なった例えば、貧しい農家の子女のために学校を開いたほか、1910年には、ドイツ騎士団に対するポーランドの戦勝500周年を記念して、古都クラクフの住民にモニュメントを贈った。また同年には、ショパン生誕100周年記念のモニュメントも建てている。1913年にパデレフスキはアメリカ合衆国に居を構え、サンフランシスコに2000エーカーのブドウ畑を所有し、ワイン製造業を興している。
政治家として
第1次世界大戦中にパデレフスキは、パリの「ポーランド民族委員会」の活動家となった。ポーランドは当時まだドイツ帝国やオーストリア・ハンガリー二重帝国の支配下にあり、この委員会は三国協商側から、連合国側ポーランドの代表と見なされていた。パデレフスキはこの組織のスポークスマンとなり、ロンドンにおける「ポーランド回復基金」など、その他の社会組織や政治組織をまもなく立ち上げた。1918年4月に、パデレフスキはニューヨーク市で、「アメリカ・ユダヤ人委員会」の指導者(ルイス・マーシャルなど)に会い、ユダヤ教徒を同権とすることと引き換えにポーランドの領土的回復の野心を支援してもらおうと交渉を持ち掛けたが、失敗したという。第1次世界大戦の末期、まだポズナニ市と大ポーランド全域の運命に決着がついていなかった時期にパデレフスキはポズナニを訪れ、1918年12月27日の演説において、ポズナニのポーランド人住民がドイツに対して武力蜂起を起こすように呼びかけた。
1919年に新生の独立ポーランドにおいて、パデレフスキはポーランド首相と外務大臣を兼務した(1919年1月 - 11月)。為政者としてパデレフスキは、ポーランドを代表してパリ講和会議に出席した。任期を終えると、国際連盟ポーランド大使を勤めた。
1922年にパデレフスキは政界を引退し、演奏活動に復帰した。長い中断の後での最初の演奏会はカーネギー・ホールで催され、目ざましい成功を遂げた。やがてスイスのモルジュに転居した。1926年のユゼフ・ピウスツキによるクーデターの後、パデレフスキは体制翼賛法案に反対する活動家となった。1936年に反体制メンバーがスイスのパデレフスキの邸宅で署名を行った。この間、1929年にヘレナ夫人が心の病から社会事業を続けられなくなり、1934年に亡くなった。1937年には映画『月光の曲(英語版)』に主演した[6]。
晩年
「1939年ポーランド祖国防衛戦争(ポーランド9月作戦)」の後にパデレフスキは国政に復帰し、1940年には、ロンドンにおける「ポーランド国家評議会」、すなわちポーランド亡命政府の指導者になった。今や80歳の芸術家が、再びポーランド回復基金を発足させ、財源確保のために何度か演奏活動を行なったのである(最も有名なのはアメリカ合衆国での演奏会)。このような演奏旅行の最中に、パデレフスキは1941年6月29日の午後11時に、ニューヨーク市に客死した。亡骸はアーリントン国立墓地に葬られたが、1992年にその遺灰がワルシャワに持ち帰られ、レフ・ヴァウェンサ大統領とジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領が列席する中、ワルシャワ聖ヨハネ聖堂の地下霊廟に埋葬された。
目下のところポーランドの大都市では、パデレフスキにちなんで通りの名前が付けられている。ニュージャージー州パースアンボイの通りも、パデレフスキを称えてつけられた。ちなみに、ポズナニ音楽アカデミーの名もパデレフスキにちなんでいる。
創作
ピアニストとしては一大巨頭であるパデレフスキも、作曲活動では全く振るわなかった。例外的に「パデレフスキのメヌエット」として知られる6つの演奏会用ユモレスクの第1曲「メヌエット」は演奏も平易であること、親しみやすい旋律からピアノ発表会などの曲目として人気がある。近年は、日本人によるピアノソナタの録音がなされるなど、メヌエット以外の曲も再評価が進んでいる。
その振るわなかった作曲活動も「後期ロマン派から近代の橋渡しとしては成功した」という見解もある一方、「盛期ロマン派から現代音楽の黎明期までを作曲家として活動するのは非常に困難だったから演奏家に転じた」という見解もある。同時代を生きて同類の失敗をした作曲家にツェムリンスキーがおり、似た評価を受けている。
全作曲作品
Op.1 - Prelude e capriccio, Minuetto - 2 Piano Pieces (ca.1886)
Op.2 - Gavotte, Melodie, in C major, Valse melancolique - 3 Morceaux for Piano (ca.1881)
Op.3 - Stara suita for piano: Prelude in d, Intermezzo in B, Air in F, Fugue in d.
Op.4 - Elegie for Piano (1883)
Op.5 - 3 Danses polonaises for Piano (ca.1883), arrangement also for Piano 4-hands
Op.6 - Introduction et Toccata for Piano (ca.1884)
Op.7 - 4 Songs (after Adam Asnyk) for Voice and Piano (1885)
Op.8 - Chants du Voyageur, 5 Pieces for Piano (ca.1883)
Op.9 - 6 Danses polonaises for Piano (ca.1883)
Op.10 - Album de Mai, 5 Scenes romantiques for Piano (ca.1884)
Op.11 - Variations et Fugue sur un Theme original for Piano (ca.1883)
Op.12 - Tatra Album, Tänze und Lieder des polnischen Volkes aus Zakopane for Piano (ca.1883), arrangement also for Piano 4-hands
Op.13 - Violin Sonata in A minor (1882)
Op.14 - 6つの演奏会用ユモレスク、6 Humoresques de Concert for Piano (ca.1887)
Op.15 - Dans le Desert, Tableau musical in Forme d'une Toccata for Piano (ca.1888)
Op.16 - Miscellanea, Series of 7 Piano Pieces (1886-96)
Op.17 - Piano Concerto in A minor (1888)
Op.18 - 6 Songs (after Adam Mickiewicz) for Voice and Piano (1893)
Op.19 - Polish Fantasy on original Themes for Piano and Orchestra (1893)
Op.20 - Manru, Lyrisches Drama in 3 Aufzügen (1892-1901), Libretto in German by Alfred Nossig
Op.21 - Piano Sonata in E flat minor (ca.1903)
Op.22 - 12 Melodies sur de Poesies de Catulle Mendes, 12 Songs for Voice and Piano (ca.1903)
Op.23 - Variations et Fugue sur un Theme original in E flat minor for Piano (ca.1903)
Op.24 - Symphony in B minor 'Polonia' (1903-09)
作品番号のないもの
2 Canons for Piano
Canzone in G major, Chant sans Paroles for Piano (ca.1904)
Et vitam venturi for Chorus, contrapuntal excercises
Hej, Orle bialy (Hey, White Eagle), Hymn for male Chorus and Piano or Wind Orchestra, Words by composer (1917)
Ich will den Herrn for Chorus, contrapuntal excercises
Impromptu in F major for Piano (ca.1879)
2 Intermezzi in G minor and C major for Piano (ca.1885)
Krakowiak (Fantasy) for Piano (1884)
Kyrie Eleison for Chorus, contrapuntal excercises
Mazurka in F major
Mazurka in G major (1896)
Miniatura in E flat major
Moment musical (1892)
Overture in E flat major for Orchestra, 1884
Piece in F major for Violin and Piano (1878)
Powódź (The Flood)
Suite in E flat major for Piano (ca.1879)
Suite in G major for String Orchestra (1884)
Valse mignonne for Piano (ca.1876)
著作
『パデレフスキー自伝――愛国の音楽者』(1940年、第一書房、翻訳:原田光子)
『闘うピアニスト パデレフスキ自伝 上巻』(2016年6月17日、ハンナ、翻訳:湯浅玲子)ISBN 978-4907121587 ※上記の新訳版。
『闘うピアニスト パデレフスキ自伝 下巻』(2016年7月9日、ハンナ、翻訳:湯浅玲子)ISBN 978-4907121594
パデレフスキ編 『ショパン全集』 全27巻 (ルドヴィク・ブロナルスキとユゼフ・トゥルチィンスキとの共編 / ポーランド音楽出版社) 「パデレフスキ版」または、「クラクフ版」と呼ばれる。現在はヘンレ、エキエル、ウィーン、ペータース新版の最新のリサーチが入手できる現在においても、学習者からプロ、アマチュアを問わず幅広く使われている。21世紀を迎えて新たな資料が発掘された今は「非和声音を常識的なものに変えすぎる」または「改竄に近い処理」と批判が多いが、それでもなおこの版で勉強するように指導するプロは、一定数存在する。初期のショパン国際ピアノコンクールでは、この版が推奨されていた。ショパンは決定稿を持たないピアニスト=コンポーザーだったので、パデレフスキが意図して改竄したとは言えない。2021年現在は財団法人ジェスク音楽文化振興会が日本語版の販売を行っている[8]。
日本の受容
瀧廉太郎は、パデレフスキの演奏をライブで聴いた初めての日本人らしい。1901年11月17日鈴木毅一宛書簡には「先日 当今欧州にて非常に有名なるピヤニストPaderewsky(パデレウスキー)を聴き申候 さすが上手なりされど驚く程の音楽者ならず Chopinをひく事一番上手なり Beethovenをひく事まづし大ピヤニストでハなく良きピヤニストなり」とあった。滝廉太郎の「Beethovenをひく事まづし」と記された感想から36年後、ベートーヴェンの月光ソナタを放送リサイタルで披露している[9]。放送リサイタルでは、パデレフスキが自分で用意した即興演奏の後に、月光ソナタを続けて弾いている。
野村あらえびすは「演奏は巨人的な見事さであったが、作曲は華麗で外面的であまり良いものはない。」と評している[10]。
中村紘子の著書『ピアニストという蛮族がいる』では、晩年のパデレフスキの演奏がダメになったという記述が見られる。1936年に白黒フィルムでパデレフスキの演奏が遺されているが、指の速度が確かに落ちていても風格のあるアゴーギクや美しいタッチは衰えはない。その演奏後は全ての聴衆がスタンディングで拍手を捧げており、彼の人気と名声の大きさが伺える。ただし、この映像は映画『Moonlight Sonata』(邦題『月光の曲』、(1937年)のワンシーンとして撮影されたものなので、観客の反応などは演出されたものである可能性は高い。なお、宮城道雄は日本封切時にこの映画に接しており、随筆[11]の中でパデレフスキの演奏を絶賛している。
一方、政治家としてのパデレフスキの評価は、丸山眞男が平凡社『政治学事典』の中で、「パデレフスキーのように、なんら政治的資質と関係のない声望…だけでリーダーシップの地位にのしあがることもおこりうる」として挙げているが、ただし、ここでの丸山はパデレフスキの一連の政治キャリアを知ってか知らずか完全に無視しており、まったく言及していない。パデレフスキはSP録音時の伝聞情報(よくあるものに「作曲とピアノどちらも大したことがなかった」「三つしかなかったピアノ・コンチェルトを一日10時間以上練習して2桁にした」「晩年の演奏はだめだった」「校訂も主観が多い」など)が多くの日本人に広まってしまい、パデレフスキ研究に基づいた正確な事実関係が、現代の日本にも広まっているとは言い難い。
パデレフスキのSP録音は日本でも当時から入手でき、プロアマ問わず高い人気を誇っていた。
2016年、日本パデレフスキ協会が設立された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
詳細は
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ _ 才能はともかくオーラだけは凄い
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/432.html
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2022/06/11 (Sat) 09:32:23
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Ignacy Jan Paderewski (1860-1941): His first recordings 1911-’12: Chopin, Liszt & more
https://www.youtube.com/watch?v=biQ5wp-lI2Y
• Chopin: Waltz in A-Flat Major, Op. 34 No. 1 "Valse brillante"
• Chopin: Nocturne in F-Sharp Major, Op. 15 No. 2
• Chopin: Waltz in C-Sharp Minor, Op. 64 No. 2
• Stojowski: 4 Pièces, Op. 26: No. 3, Chant d'amour
• Liszt: 12 Lieder von Schubert, S. 558: No. 9, Ständchen (Horch, horch! Die Lerch!)
• Schumann: Nachtstücke, Op. 23: No. 4, Ad libitum - Einfach (Rundgesang mit Solostimmen)
• Chopin: Polonaise No. 3 in A Major, Op. 40 No. 1 "Military"
• Chopin: Nocturne in E Major, Op. 62 No. 2
• Chopin: Étude in G-Flat Major, Op. 25 No. 9 "Butterfly's Wings"
• Chopin: Étude in F Major, Op. 25 No. 3 "Horseman"
• Chopin: Mazurka in A Minor, Op. 17 No. 4
• Chopin: Nocturne in F Major, Op. 15 No. 1
• Paderewski: 6 Humoresques de concert, Op. 14, Book 1 "À l'antique": No. 1, Menuet célèbre in G Major
• Paderewski: Miscellanea, Op. 16: No. 4, Nocturne in B-Flat Major
• Mendelssohn: Lieder ohne Worte, Book 4, Op. 53: No. 4 in F Major, MWV U114
Recorded in Morges, Switzerland, July 1911
• Mendelssohn: Lieder ohne Worte, Op. 19b: No. 3 in A Major, MWV U89 "Jägerlied"
• Debussy: Images, Book 1, L. 110: No. 1, Reflets dans l'eau
• Liszt: Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor "La campanella"
• Paderewski: 6 Humoresques de concert, Op. 14, Book 1 "À l'antique": No. 6, Cracovienne fantastique
• Chopin: Nocturne in F-Sharp Major, Op. 15 No. 2
• Chopin: Étude in C Minor, Op. 10 No. 12 "Revolutionary"
• Chopin: Étude in C Major, Op. 10 No. 7 "Toccata"
• Chopin: Étude in A-Flat Major, Op. 25 No. 1 "Harp Study"
• Chopin: Étude in F Minor, Op. 25 No. 2 "Bees"
• Chopin: Étude in E Major, Op. 10 No. 3 "Tristesse"
• Paderewski: 6 Humoresques de concert, Op. 14, Book 1 "À l'antique": No. 6, Cracovienne fantastique
• Liszt:12 Lieder von Schubert, S. 558: No. 9, Ständchen (Horch, horch! Die Lerch!)
Recorded in Paris, February 1912
• Schumann: Fantasiestücke, Op. 12
• Chopin: Waltz in A-Flat Major, Op. 34 No. 1 "Valse brillante"
• Chopin: Mazurka in A Minor, Op. 17 No. 4
• Liszt: 6 Chants polonais, S. 480: No. 1, Mädchens Wunsch (After F. Chopin)
• Chopin: Étude in C-Sharp Minor, Op. 25 No. 7 "Cello"
• Liszt: Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3 in G-Sharp Minor "La campanella"
• Stojowski: 4 Pièces, Op. 26: No. 3, Chant d'amour
• Liszt: 3 Études de concert, S. 144: No. 2 in F Minor "La Leggierezza"
• Liszt: 6 Chants polonais, S. 480: No. 1, Mädchens Wunsch (After F. Chopin)
• Chopin: Berceuse in D-Flat Major, Op. 57
• Chopin: Lieder ohne Worte, Op. 19b: No. 3 in A Major, MWV U89 "Jägerlied"
• Rubinstein: Valse-caprice in E-Flat Major
Recorded in London, June & July 1912
Ignacy Jan Paderewski, piano
For other great productions have a look at: https://www.marstonrecords.com/
& https://vimeo.com/user18903862/vod_pages
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イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)/ヨーロッパ録音全集(1911~12年) [APR 6006]
英APRは多くの未発表録音を発掘し、愛好家を驚喜させてきたが、パデレフスキの最初期録音の復刻ほど有難いものはない。これを聴いたことのない人はパデレフスキを知らないと云つてよい。
第一次世界大戦前のピアニストと云へばパデレフスキが第一等であつた。
断然としてである。
しかし、録音で聴くパデレフスキには疑問符が付きまとつてきた。
否、一般的に聴かれるのはポーランド首相を経て音楽界に復帰した後の録音であり、伝説は既に過去となつてゐたことを知つておく必要がある。
パデレフスキは1911年7月にスイスで、1912年2月にパリで、1912年6月と7月にロンドンで録音を残してゐる。これらは幻の音源として語られてゐたもので、当盤にはそれら全てが復刻されてゐる。しかも、お蔵入りになつた初出音源も多数含んでゐるのだから、狂喜乱舞せずにをれようか。
伝説は本物であつた。
忌憚なく云へば、斯くも情熱的な音楽をピアノから発した奏者はゐない。
独特の熱つぽい雰囲気を発散してをり、聴く者を魔術にかける。
感情に訴へかける音楽が最上だとしたら、パデレフスキこそ世界第一のピアニストである。
2枚組の1枚目は大半が未発売もしくは初出音源で、ショパンが10曲、自作が3曲、メンデルスゾーンが2曲、リストが2曲、ストヨフスキ、シューマン、ドビュッシーが1曲収録されてゐる。
爆発するリズム、神秘的な和音、官能的な溜め、洒落たルバート、英雄的なクレッシェンド、土俗的な踊り、愛の告白、
表現は無限で技巧は全霊を込めて注がれてゐる。
偉大なりパデレフスキ。世界を惚れさせた伝説がここに隠されてゐた。(2011.9.18)
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)/ヨーロッパ録音全集(1911~12年) [APR 6006]
再びパデレフスキを聴く。2枚組の2枚目では未発表及び初出音源は1曲だけだが、これまで聴く機会の少なかつた伝説的な録音ばかりであるのに違ひはない。特に再録音のある演目は復刻されることがなかつただらうから貴重だ。
ショパンが9曲、リストが4曲、シューマンが3曲、ストヨフスキ、メンデルスゾーン、ルビンシテイン、自作が1曲である。
最高傑作はシューマン「幻想小曲集」からの3曲で、特に2曲目「飛翔」は絶対的な名演だ。
激しいタッチから情熱が爆発し、絶妙なリズムの崩しは取り憑かれたやうな焦燥感を醸す。
パデレフスキ以上の演奏は断じてない。
ショパンのエチュードが全て素晴らしい。
革命のエチュードがこれほど情熱的に演奏されたことは稀だ。
細部の誤摩化しを指摘するのは何と心ない耳だらう。
当然だが自作自演はどれも見事である。メヌエットばかりが有名だが、幻想的クラコヴィアクの壮大な音響世界は感銘深い。
繰り返して云ふが、パデレフスキのアコースティック録音はなべてのピアノ録音に冠たるものだ。弾き出すと独特の神秘的な空気感が立ち籠める。音楽に命を吹き込んだその息吹とでも云ほうか。
比べれば他のピアニストの演奏など精巧な造花に過ぎないのだ。(2011.10.30)
イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)/HMV録音(1937~38年) [APR 5636]
英APRはパデレフスキの最初期ヨーロッパ録音を復刻して愛好家を歓喜させた。
一方、これはパデレフスキの最期の録音、1937年と1938年に行はれたHMV録音を集成した1枚だ。
パデレフスキの主要な録音はアメリカで行はれたヴィクター録音にあり、このHMV録音は全く問題にされない。仕方あるまい、この時パデレフスキは78歳、演奏家としては現役ではない。
演目はベートーヴェン「月光ソナタ」の他、ハイドンの変奏曲、モーツァルトのロンド、シューベルトの楽興の時、ショパンのノクターン2曲、ワルツ、マズルカ、ポロネーズ、リスト編曲ヴァーグナー「イゾルデの愛の死」、自作自演でメヌエットとメロディーだ。
自作のメヌエットに良さがあるが、他はタッチも弱々しく、弾き間違ひも多い。
何よりも覇気がなく、どんな音楽を弾いてゐるのかもよくわからない。
英雄ポロネーズは無惨この上ない。かつての伝説を知る者として寂しい限りだ。
だが、よいのだ。これは偉大なピアニストの形見である。
翌年ポーランドがナチスに侵攻され大戦が勃発、祖国救済の為に立ち上がり舞台に復帰、途上の1941年に鍵盤の英雄は大往生した。偉人であつた。(2013.3.17)
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/piano.html
若い人が旧世代を襲っていくのは世の常ですが、ピアニストの技術そのものはおそらく19世紀とは比べ物にならないほど上がっているのでしょう。
投稿: NY | 2012年2月24日 (金) 22時48分
演奏家の平均的な技量は比べものにならない位上がっているでしょう。
ですが、昔のヴィルトゥオーゾの表現力は凄いですよ。
リストやパガニーニの実演を聴いたら、現代の聴衆は腰を抜かすかもしれません。
技術を得た代償として、もしかしたら失ったものも有るのかもしれません。
投稿: ハルくん | 2012年2月24日 (金) 23時09分
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-a002.html
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2022/06/11 (Sat) 09:40:36
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イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(p)/ヨーロッパ録音全集(1911~12年)
Paderewski 1911 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Paderewski++1911
Paderewski 1912 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Paderewski++1912
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2022/07/20 (Wed) 10:28:19
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あげ66666
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2024/08/14 (Wed) 14:29:55
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Paderewski, Ignaz Friedman SP復刻版
uchukyoku1
https://www.youtube.com/playlist?list=PLF9sHH6NFGJMdemEZYu0-wlNGdTfX0Eje