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四国遍路 第七十一番札所 香川県 弥谷寺

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2022/06/10 (Fri) 07:09:16


四国遍路 第七十一番札所 香川県 弥谷寺


弥谷寺 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%BC%A5%E8%B0%B7%E5%AF%BA


弥谷寺(いやだにじ)は、香川県三豊市三野町にある真言宗大本山の寺格を持つ仏教寺院。弥谷山(標高382m)の中腹225m辺りに本堂があり、その背後の岩盤には創建時に千手佛が納められた岩穴が残り、山全体が霊山であるとの信仰があり、日本三大霊場(他は恐山・臼杵磨崖仏)の一つに数えられたといわれる。四国八十八箇所霊場の第七十一番札所。本尊は千手観音。

香川県 三豊市 三野町 大見乙70

地図
https://www.bing.com/maps?q=%E5%BC%A5%E8%B0%B7%E5%AF%BA&aqs=edge..69i57&FORM=ANCMS9&PC=SCOOBE


四国71番大本山弥谷寺【公式HP】
https://iyadanizi.xsrv.jp/



弥谷寺(いやだにじ)。

昔から死霊が行くと信じられている弥谷寺のイヤという言葉は、恐れ、慎むという意味で、敬うのウヤ・オヤなどと同義の言葉。徳島県の剣山麓の祖谷山(いややま)のイヤも同じ言葉で、奥深い山村、吉野川上流地方の人は古くは死霊のこもる山というイメージを持っていた。

弥谷参り。

人が死ぬと死者の霊をこの山に伴っていくのが弥谷参りという。
死後七日目、四九日目、ムカワレ(一周忌)、春秋の彼岸の中日、弥谷寺のオミズマツリの日などに、死者の髪の毛と野位牌(のいわい)などを持っていく。


三豊郡旧荘内の箱浦(詫間町)では弥谷参りを死後三日目、または七日目に行なうことになっている。七日目の仏事のことを一一夜(ひといちや)という。

弥谷参りに偶数で行くというのは、帰りに死者の霊がついてくるのを防ぐためであり、帰りに仁王門の傍の茶店で会食をしてから後を振り向かないで帰ることや、家に帰ってから本膳で会食をするというのは、死霊との食い別れを意味する。

墓に設けた棚をこわすのも、死霊が墓に留まるのを嫌がり、再び死霊が家に帰ってくるのを防ぐための風習。

死んでから後に何年かたって、彼岸の中日やオミズマツリに弥谷山へ行くのは死霊に再会するためのものであるかもしれないが、死して間もない頃に行なわれる弥谷参りの行事は、明らかに死霊を家から送り出すための行事であった。

七十一番の弥谷寺参詣をおもな行事として、四国八十八ケ所寺の中で七十二番の曼荼羅寺、七十三番の出釈迦寺、七十四番甲山寺、七十五番善通寺、七十六番金倉寺、七十七番道隆寺を巡ることが春秋の彼岸の中日に行なわれているが、香川県の西部一帯ではこれを七ケ所巡りと呼んでいる。

七か寺の中で弥谷寺参りだけは欠かせないところから見ると、この行事は新仏のあった家では死者の霊を送り出すため、そうでない家では弥谷山にこもっている死霊に会いに行くためのものであった。

このような寺々をめぐる風習が、やがては四国八十八ケ所遍路の風習にまで広がっていく一因になったといわれている。

埋め墓と弥谷山。


弥谷山は死霊のこもる山であるが、それをはっきりと物語っているのは山麓地方から付近一帯に行なわれている墓制がある。今ではそれは両墓制(りょうぼせい)と呼ばれ、死体を埋める埋め墓と死後一年とか二、三年目に建てられる参り墓(石碑)との二つの墓を有する墓制として知られているが、どちらかというとそれはそれほど古くない墓制であった。

死者の霊はなんということなしにひとりでに弥谷山に上っていくようになっている。弥谷山には死霊の行く山としての信仰が深く、付近の住民にとってはもちろん四国の霊地を遍歴する者にとっても、どうしても立ち寄らねばならぬ霊場なのだ。

http://haruhenro.blog60.fc2blog.us/blog-entry-46.html






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2022/06/10 (Fri) 07:23:10

ハンセン病患者と遍路
https://blog.goo.ne.jp/bunaman/e/a406aad520e4665b44bebaed42ec5899

 明治時代から昭和初期のころまで四国遍路の巡礼者には貧しい人々、村落を追われた人々がおおくを占めた。その代表例がハンセン病患者である。ハンセン病患者が出ると近親者が不幸な目にあうとされ、親族達はそれをひた隠しにした。明るみに出ると社会生活が難しかったからである。
早く患者たちを自分たちの生活領域から放逐しようとした。こうしてハンセン病患者はおおく四国遍路へ送り込まれた。故郷を追われるようにしてやってきた四国ではあるが、疲労と病いによりついに歩けなくなって「行き倒れ」てしまう。

たとえば、明治19年(1886)5月12日付けの高知県の「土陽新聞」には次のような記事が掲載されている。
「一昨日長岡郡五台山村にて四十四五の遍路姿の女が行倒れし死体を十二才ばかりの娘が揺り動かして泣いて居しと云ふが委細は聞き込みの上」。

 母一人娘一人の巡礼は、いったいどのような理由で始まり、どれくらい旅をし、そして娘はどうなったのか、後日の紙上で紹介されていない。こうした行き倒れ遍路が出た場合、江戸時代には死者の埋葬は村で行い、その人足費用などは村が負担した。
遍路の第一ピークといわれる明和・安永ころ(1764~79)には、当然ながら病人遍路、行き倒れ遍路も多くなり、何かと問題の種になるような巡礼者を江戸時代の各藩は歓迎しなかった。このため藩への立ち入りを規制し始めるようになる。例えば土佐藩では藩内に留まることのできる日数を30日以内とし、これを越えると追い払った。また、出入りの径路を限定し他のルートを一切認めなかった。このことが後の明治時代に入って遍路狩りと呼ばれた排斥運動へとつながっていく。


 ハンセン病は慢性の感染症であるが、現在は特効薬もあり恐るるに足らない病気きである。しかし、そうした知識が定着したのは戦後のことで、患者は不当な差別と人権侵害に曝されてきた。
当時、ハンセン病は伝染すると信じられていたため、彼らは接触が忌避され差別の対象となった。
とりわけハンセン病の巡礼者は宿での宿泊が拒否されることが多かった。
大正期の高村逸枝は遍路行で出合ったハンセン病の巡礼者の様子を「娘巡礼記」に書きのこしている。

「頭の地には累々たる瘡ありて、髪の根本にわだかまれるさま、身の毛もよだつばかりなり。しばしば手の指にて掻きむしるに、その瘡ぶたの剥げ口より青赤き汁のドロリと溢れたる、臭気例えむにものなし。(高村逸枝 )

・・・・・・・・・

■ハンセン病資料館
 
 すこし話しは飛ぶのだが、この遍路旅を終えた1週間後の4月21日、私は「国立ハンセン病資料館」(東京都東村山市青葉町4-1-13)を訪ねた。ハンセン病患者と遍路についてもっと勉強したいと思ったからだ。
というか、もうすこし詳しく云うならば、直接のきっかけは、その2日前の4月19日、毎月恒例の「歴史散歩の会」にあった。この日は東京都町田市の鶴見川の源流地点から小田急鶴川駅まで歩くコース。
そのコースの途中で町田市立自由民権資料館に立ち寄った。明治時代初期からの民権運動の歴史資料、書籍が非常に充実した資料館であることに驚いたのだが、そのPRコーナーで目にとまった資料があった。
全国のハンセン病療養所と入所者を撮り続けた趙根在(チョウグンジュ)の写真展のチラシだった。四国でたまたま手にとった本、そして帰宅後、偶然に目にしたチラシ。遍路とハンセン病の結びつきを強く意識した瞬間である。強いメッセージ性を放つチラシをみて、これはぜひ見てきなさいという啓示だと受け止めた。


自宅から車で2時間、国立ハンセン病資料館の前に立つと、母娘遍路像が目に飛び込んできた。まるであの「土陽新聞」の母娘がそこにいるかのような錯覚を覚えた。

その建立碑にはこう書いてある。

「お遍路は信仰の旅であると同時に、職を奪われ故郷を追われた人々の生活を支える旅でもあった。江戸時代以来、ハンセン病者の多くが、遍路となって四国へ渡った。四国にはお遍路を温かく持て成す風習があり、病者達は、これに残る命の糧を求めたのである。
しかし、不自由な身体に八十八ケ所の札所の旅は遥けく遠い。あるいは遭難により、あるいは病の進昂により、道半ば に斃れた遍路も少なくなかった。今もそうした人々の悲しい歴史が埋もれている。平成二年、わが国のハンセン病者が辿った苦難の人生を、歴史の事実として世に遺すため、多摩全生園大師講を中心に、「母娘遍路像建立委員会」を結成、同五年十一月、全国の人々から寄せられた善意をもとに、この「母娘遍路像は」建立された。
安んじて親族と暮らせるその日まで、隔てなく命輝くその日まで、母娘遍路の旅は果てない。
平成五年十一月吉日」

 このようなハンセン病患者の遍路姿は昭和十年代まで四国ではごく日常茶飯事であった。明治四十年(1907)の法律制定により、ハンセン病患者は人権無視の徹底した隔離政策の対象となり、非人間的扱いを受けた。これが全面的に改善されたのは長い闘争の末に法律廃止を勝ち取った平成八年(2001)以後のことである。

https://blog.goo.ne.jp/bunaman/e/a406aad520e4665b44bebaed42ec5899


近代の四国遍路と「癩」・病者 - 東京大学学術機関リポジトリ
https://core.ac.uk/download/pdf/43543970.pdf

ハンセン病者迫害の狂気『蛍の森』を読む
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n396/n396013.html

瀬戸内海の小島で見た人権侵害の歴史
国立ハンセン病療養所 長島愛生園訪問
https://blog.canpan.info/nfkouhou/archive/657






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2022/06/10 (Fri) 07:32:05



松本清張 砂の器 1974年 映画 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A0%82%E3%81%AE%E5%99%A8+1974%E5%B9%B4+



砂の器/1974年(邦画)
https://ameblo.jp/wonda007/entry-12137179923.html


初めて観たのは東京飯田橋の名画座で、高校二年の秋と記憶しています

その後、テレビで一度、レンタルで三度


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「砂の器」

1974年/日本

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


松本清張による同名小説を、野村芳太郎監督、橋本忍・山田洋次脚本で映画化した社会派サスペンス


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<原作> 松本清張

<監督> 野村芳太郎

<脚本> 橋本忍 山田洋次

<音楽> 芥川也寸志

<撮影> 川又昴


<キャスト>

丹波哲郎/今西刑事

森田健作/吉村刑事

加藤剛/和賀英良(子)

緒方拳/三木謙一

加藤嘉/本浦千代吉(父)

島田陽子/高木理恵子

山口果林/田所佐知子


佐分利信、松山省二、菅井きん、渥美清 他


まさにオールスターキャストに相応しいスケールの大きな映画です!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

松本清張作/昭和35年新聞掲載


テレビで過去何度もドラマ化していますが、ドラマでは犯罪の理由となる父親の設定が違ったりしており、根本的にはこの映画と別のストーリーと思った方がいいと思います!


この映画・・というより、この物語は犯人の動機がわからないと到底理解できないです!


テレビではこのあたりが曖昧にすり替えられており、原作の持っていた推理小説の要素は完全に消失しています

主人公(和賀英良)の父(加藤嘉)はハンセン病により故郷を追われます


その「ハンセン病」とは何か?


それを少しでも理解できていないとこの映画の真理に近づけません。某書籍よりの抜粋ですが、簡単に説明します


ハンセン病とは、らい菌が主に皮膚と神経を侵す感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。にもかかわらず、社会の無知、誤解、無関心また、根拠のない恐れから一部で差別、偏見が根強く残っています。


この小説は昭和35年が舞台ですが、主人公が父千代吉と放浪の旅の末、三木巡査に保護された昭和13年当時は、ハンセン病は前世の罪のむくい、悪しき血筋による病との迷信や迫害があったそうです。

さらに、ハンセン病は「業病」であり、凶悪な伝染病であると信じられ偏見、迫害をうけ、国家をもあげて隔離撲滅が行われていたとされています


ジブリの「もののけ姫」はハンセン病を描いており、さらに、以前このブログで紹介した「ベンハー」でも、「業病」という言い方をしています

なお、自分の説明不足、理解不足がありましたらお詫びいたします。ただ、この映画を紹介するにあたり、この部分は絶対に避けては通れないことをご理解いただきたいと思います



物語は、国鉄蒲田操車場で初老の殺害死体が発見されたことから始まります・・・


捜査が難航しますが、刑事たちの執念で追及・・美しい日本の四季の風景を織り交ぜながら捜査の過程を叙情豊かに描きます


人間ドラマ

壮大な音楽

謎ときのスリル

美しい日本の四季


父の難病ににより故郷を追われ、暗い過去と決別するため殺人を犯す、主人公の和賀!


美しい日本の四季の風景と、荒涼たる厳しい冬の風景が、父子との心情と重なり印象深い物語です


原作は上下巻で800ページを越す大作ですが、松本清張氏が数ある彼の映画の中で唯一「原作を超えた」と言わしめた映画です!



143分の大作映画の上、重くて暗い哀しい物語です!


しっかりと真正面から観るべき映画だと思います


つっこみどころも多く、ご都合主義のところもも否めません。友人曰く、3回借りて3回とも退屈で途中で寝たというのもわからないでもないですがねえ(笑)

一部の若手俳優たちの大根ぶりにもあきれます(笑)

ただ、映画は減点ゲームで観るべきではないと思います。そういう楽しみ方もありますしそれを否定するつもりもありません。映画は自由に楽しんでいいのですから!

何度も観るうちにアラも見つかってきますが、感動は薄れるどころか深まるばかりです

この長編を見事にまとめ上げた脚本がすごいですね。さらに、撮影が川又昴さんですからねえ~日本の四季の美しさと哀しさが見事です!


まるで風景が生き物のようでした


後半の回想シーンに目がいきがちですが、前半の構成がすばらしいと思います



この映画は、父と子の美しくも哀しい愛と絆の物語です!


「宿命」


人情味あふれる三木巡査(緒形拳)の養子になって生きる、という道は少年(和賀)にはあったはずなのにそこから逃げ出します。ハンセン病で施設に収容された時の父子の別れ


この時、彼は「父を捨てた」というより「過去を捨てた」のでしょうねえ・・・一緒に各地を放浪した彼等にとっては別れることが耐え難いことだったでしょう


施設でハンセン病の本浦千代吉が、立派に成長した息子の写真を見せられます


「知らねえ~そんな人は知らねえ!」


わなわなと震え叫ぶシーンは凄かったです

子どもとの縁を断ち切らなければならなかった父からの愛の叫びです!



「なぜ、和賀は殺人を犯さなければならなかったのか?」


父である本浦千代吉の設定さらに、和賀が恩人を殺害するに至った経緯が描かれていないテレビドラマとは全く別の物語であるということを、まず理解してください!

吉村刑事(森田健作)は、今西刑事(丹波哲郎)に尋ねます


「和賀は、父親に会いたかったんでしょうね?」


「そんなことは決まっとる!」


父も子と会いたがっている。でも、会わないと決めている!そのことを善人な三木にはわからなかった、そこが悲劇です!

善意が悲劇となります!

圧巻のクライマックス!

加藤剛扮する和賀の奏でるピアノ演奏と、ハンセン病を患った父親との悲哀の過去が交差するシーンは圧巻で、松本清張氏が「本では表現できない」と絶賛したほど感動的です

「宿命」の旋律と一体になります!


幼い和賀が、父と苦楽を共に歩んできた旅の映像

セリフは一切ありません


冬は凍えそうな雪の吹きすさぶ浜辺を歩き、桜が咲き誇る春はムラの子供たちにいじめられ・・切っても切れない父と子の絆です!


「宿命」


不覚にも涙がこぼれました・・・

自身の父と自分と二人だけの生活がよみがえった瞬間でした!


甘っちょろいと言われてもいい・・


この映画は沁みます!


ラストシーン


コンサートの中、逮捕しようとする刑事を止め、今西刑事が言い放ちます

「彼はもう、音楽の中でしか父親に会えないんだよ!」

不覚にも、また泣けました・・


「砂の器」


映画の冒頭にあります


「作っては壊れを繰り返す砂の器のように、人の幸せも儚いもの」


砂の器はどんなに完全に作っても、いずれは壊れる「宿命」なのだから・・・


▲△▽▼


砂の器を 1974年に松竹で映画化した際、

ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。

しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破する役割をさせてほしい」と説明し、最終的には話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。

協議会の要望を受けて、今西がハンセン氏病の患者と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、ハンセン氏病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へと変更されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E3%81%AE%E5%99%A8


▲△▽▼


松本清張著 『砂の器』とハンセン病 荒井裕樹

1 松本清張『砂の器』の問題点

『砂の器』は昭和35年6月から約1年にわたり読売新聞に連載された松本清張の代表作である。推理小説を要約することほど難しいことはないのだが、大体の筋だけ示しておこう。

将来を嘱望されている前衛音楽家和賀英良は、音楽界での成功ばかりでなく、大物政治家の愛娘との婚約も決まり、着実に名声を得つつあった。そんな折、彼の真の身元を知る元巡査、三木謙一が不意に現れる。実は和賀英良の正体はハンセン病者本浦千代吉の息子本浦秀夫であった。彼は戦後の混乱に紛れ身元を偽造し、現在の地位を手に入れたのだった。彼はその地位と名声を守るため三木謙一を殺害する。

この作品には「業病」という言葉が頻出する。かつてハンセン病(「癩病(らいびょう)」)は遺伝性のものと考えられ、「業病」や「天刑病」などと呼ばれ、前世の罪の報い、もしくは悪しき血筋による病との迷信があり、それを発病することは少なからぬ罪悪を犯すことと同義とされた。もし一人でも親族に発病者が出ると、その家は共同体の中で一切の関係性を断絶され、時には一家離散に追い込まれたという。そのような患者迫害が最も激しかった時期、それが昭和10年代の無癩県運動期であった。

本浦父子が放浪し、父千代吉が三木謙一巡査に保護され療養所に収容された昭和13年という時代はちょうどこの無癩県運動期に該当する。無癩県運動とは〈民族浄化〉を旗印に各府県警察の主導で患者狩りが広く展開された時代である。本浦父子もこの無癩県運動の被害者であったと言えよう。ハンセン病は〈一等国日本〉にとっては〈国恥病〉であり、その存在自体が〈国辱〉とされ、誤った伝染力の認識と相俟(あいま)って、国家を挙げて隔離撲滅が奨められた。ハンセン病は「業病」であり同時に凶悪な伝染病であるという、患者にとって極めて不都合な偏見が幾重にも重なり合っていた。そのような境遇に貶(おとし)められたハンセン病患者を父に持つ本浦秀夫は、戦後の混乱に乗じて自身の身元を偽造し、和賀英良に再生することに成功する。苦労して手に入れた現在の地位を守るために、自身の正体を知る三木謙一を殺害したのだ。しかしそのような嘘で作り上げた彼の栄光はもろくも崩れていく。まるで砂で作った器のように。

松本清張は『砂の器』の作品内時間を発表時期と同じ昭和35年前後に設定している。つまり彼はリアルタイムのこととして同作を書いたことになる。しかし昭和35年には、ハンセン病はすでに科学治療法が確立していたばかりか、患者たちは自分たちの権利獲得と境遇改善のための運動を広く展開していた。昭和34年には「癩病」から「ハンセン氏病」への改称の動きも出ている(『全患協運動史』参照)。そんな昭和35年当時に、松本清張がなんらの疑問を抱くことなく「業病」と言い切れるのはなぜなのか? 社会派と称された松本清張でも、ハンセン病問題に関しては見識が乏しかったとしか考えられない。彼が欲したのは作品の山場を作るに相応(ふさわ)しい〈社会的負性〉であった。その〈社会的負性〉に相応しいものとしてハンセン病=「業病」があったのだろう。とにかく、隠すべき〈社会的負性〉の象徴としてのハンセン病という偏見自体が、同作の中で全く疑われていないのは問題であろう。

2 映画版『砂の器』の問題点

映画版『砂の器』(監督野村芳太郎)は昭和49年に映画化され、同年の『キネマ旬報』の読者投票では一位に選ばれている。脚本を山田洋二と橋本忍が担当していることもあり、幾分ハンセン病問題に配慮した痕跡が窺(うかが)える。

原作から映画への最大の変更点は、刑事今西栄太郎による和賀英良の正体暴露の場面である。捜査本部の刑事たちを前にして、三木謙一殺害事件の真相を語る今西は、今まで隠されてきた本浦父子の境遇について言及する。原作ではわずか約6ページにすぎないこの箇所は、映画では約45分弱と全体の大半を占めることになる。「親知らず」の浜を夕陽に照らされながら父子の歩む美しい映像や、秀夫を苛める悪童たちを追い払う千代吉の姿など、悲惨な境遇に陥った親子の愛情を感傷的に描き出し、涙を誘う仕掛けがなされている。そのような感傷的なシーンとクロスして今西刑事の調査報告が差し挟まれ、和賀英良が三木謙一を殺害するに及んだ経緯が詳細に説明される。原作では和賀英良が正体を隠すことは殺人の単なる動機として描かれているのだが、ここではやむを得ない事情に換えられていると言えよう。原作ではすでに死亡したことになっている本浦千代吉が映画版では生存し、和賀英良の写真を差し出す今西刑事に向かって涙ながらに「知らん男だ」と叫ぶ場面は、息子の幸福を願い、親子の関係を自ら否定する父親の悲しい愛情という映画独自の脚色である。しかし、やはりここでも隠すべき〈社会的負性〉としてのハンセン病という偏見は相対化されていない。

映画が製作された昭和49年には、すでに他ならぬハンセン病回復者自身によって隔離政策への歴史的再考がなされていた。そのような時代に、無癩県運動によって隔離される本浦父子を感傷的に描くばかりで、ハンセン病=〈社会的負性〉という偏見を相対化する視点がなかったのは残念である。

さて、映画は当然のことながら映像を表現の手段とする。そのため不可避的にハンセン病患者を映像化する必要が生じる。『砂の器』はハンセン病患者を、シミのある土気色のメイク、ボロボロの衣裳、ずらしてはめられた軍手(歪んだ手)という形で表現したが、実はこれらの映像表現は、『小島の春』(昭和15年)、『ここに泉あり』(昭和30年)、『愛する』(平成9年)にも共通するハンセン病患者を映像化するための紋切型なのである。そしてこのように表現された患者たちはいずれも重く沈痛な表情をしている。いわば悲しげな表情もメイクの一部となっているのだ。もちろんこのような者もかつてはいただろう。しかし映像化される患者がことごとく同様の紋切型で描かれ、いつも泣いているものだと思われては、描かれる側としてはたまったものではないだろう。

3 ドラマ『砂の器』

2004年にTBS系列で放映された『砂の器』(中居正広主演)では、すでに原作の持っていた推理小説の要素は完全に消失している。このドラマの主眼は、それまで刑事視点から描かれてきた『砂の器』を和賀英良の視点から描きなおし、そこに単なる推理小説に収まらない人間性を描こうとしたことにあったのではないだろうか。

このドラマ版『砂の器』に言及するに際して最も強調しておきたいのは、作品の核ともいうべき本浦千代吉の設定が、ドラマ開始以前にすでに予想できたということだ。実はこれより先、某テレビ局により、本浦千代吉を精神障害者という設定でリメイクした『砂の器』が放映されたことがある。ハンセン病、精神障害者等がすでに人権問題で使えなくなっている現在、公共のテレビ番組で〈社会的負性〉として描けるのは、比較的人権擁護意識の高まっていない犯罪者、それも窃盗や強盗程度ではなく、確実に殺人を含む重大犯罪者だろうと思っていた。

しかしドラマが始まってみて、本浦千代吉が「31人殺し」の犯罪者として設定されていたのには正直驚いた。治安悪化が叫ばれる現在では、1人2人の殺人では〈社会的負性〉としてはインパクトが弱いとでも判断されたのだろうか? そもそも『砂の器』のメインになるのは、本浦秀夫から和賀英良への「すり替え」と、和賀英良のあまりにもショッキングな正体による。そしてそのショッキングさを担保していたのが、ハンセン病や精神障害者の父の存在であった。つまり『砂の器』という作品が作品として成立するためには、リメイクされる時代時代の〈社会的負性〉を必要とするのである。そして描かれる〈社会的負性〉が時代によって変遷をたどるということは、その時々の人権意識によって浸蝕される作品でもあるということだ。

今回のドラマも大変な好評を得たというから、『砂の器』はいずれまたリメイクされることだろう。その際、本浦千代吉はいかなる設定になるのだろうか? おそらくこの本浦千代吉は戦後文学・映画・ドラマ史上、もっとも不幸な役割を負わされた人物かもしれない。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n278/n278015.html


▲△▽▼


玉木宏さん主演の「砂の器」見たんですけど… 2011-09-17

もう1週間たってしまいましたが、玉木宏さん主演の
「砂の器」を見たので感想を書いておこうかなと思います。
当初は3月12日、13日に放送予定だったんですよね。
しかし11日に発生した大震災、津波による報道特別番組で
放送が見送られて、やっと先週末に2夜連続で放送されました。
今回で4回目のドラマ化だそうです。

僕が憶えているのは仲代達矢さんが今西刑事で田村正和さんが
和賀英良を演じたものとSMAPの中居くんが和賀を演じた
ものです。この時の今西刑事役は渡辺謙さんでしたね。

実はさっき野村芳太郎監督の映画版「砂の器」をDVDで
見たばかりなんです。ちょっと見てみようと思ったら
ぐいぐい引き込まれて最後まで見てしまいました。
今まで何度も見ていますが、見るたびに泣いてしまう、
深くて重いテーマを見事に映像で表現された名作だと
思います。この作品を見た方なら分かると思いますが、
本浦親子がお遍路姿で村から旅立つシーンで菅野光亮さん
作曲の「宿命」が流れだすとと何故か涙が毎回流れるのです。
もうパブロフの犬状態です~(笑)

僕が初めて映画「砂の器」を見たのは中学生の頃で
しょうか。その頃、松本清張さんの「わるいやつら」
という小説を読んでいて、面白くて学校の授業も
そっちのけで教科書で隠しながら読みふけっていて
はまってしまったんです。清張ミステリーに。
代表作はだいたい読んでますよ~。
もちろん「砂の器」も。

当時はよく劇場で上映されていたんです。「砂の器」って。
松竹の作品ですけど、新作を公開しても興行成績が
ふるわなかったりすると急遽「砂の器」が併映になったり
していた記憶があります。ある時期の松竹の屋台骨を
寅さんと共に支えた作品じゃないでしょうか。
リバイバルもよくされてたような気がします。
僕が見た時は「鬼畜」と2本立てでした。清張ミステリー
映画の特集だったのかも知れません。僕のお目当ては
「鬼畜」だったのですが同時上映の「砂の器」を見て
びっくりしました。原作との違いに。映画を見る前に
原作は読んでいましたが映画については予備知識が
なかったので、あの原作がこんな作品になるのかという
驚きと、癩病(現在はハンセン病)と言われる病気に目を
背けず、真正面から描ききった作り手たちの熱意にです。

ハンセン病とは当時は遺伝性のものと考えられていて
前世で犯した罪の報い、もしくは呪われた血筋などと
呼ばれ、一人でも親族に発病者がでると、その一家は
共同体の中から排除され、一家離散を余儀なくされた
んだそうです。外見に現れる疾患なので、謂れのない
差別の対象になったんでしょうね。
昭和10年代に「無癩県運動」という国による政策が
押し進められて患者さんたちを強制的に隔離して
しまったそうです。「砂の器」の中で本浦親子が旅を
するシーンはこの頃のことなんですよね。

現在ではハンセン病は菌が侵入する感染経路は
明らかにされていて、感染力は非常に弱く、薬で
快癒することは解明されています。

「砂の器」という作品の素晴らしさはハンセン病に
向けられた差別と偏見がいかに人間の尊厳を
奪い続けてきたのか、無知というものがいかに
愚かなことなのかということをミステリーという
小説や映画という媒体を通して強く人々に訴え
続けているということです。

ハンセン病に限らず、差別や偏見が人の人生を
狂わせるということは以前も「唐人お吉」の時に
感じたことですけどね。

原作は1960年に発表され、橋本忍さんと山田洋次さんは
3週間ほどで一気に脚本を書き上げたそうですが脚本を
読んだ当時の松竹会長、城戸四郎さんが題材のヘビーさに
製作にストップをかけたそうです。しかし野村芳太郎監督
以下スタッフは必ず映画化すると誓い、14年後にこの名作が
完成するのです。その情熱がこれだけの作品を生んだのかも
しれないですね。

出演している俳優さんたちみなさん素晴らしい演技です。
丹波哲郎さんは前半で見せる森田健作さん演じる若手の刑事と
地道にあちこち捜査の為に歩き回るシーンのどこか飄々とした
力の抜けた感じと後半の合同捜査会議で加藤剛さん演じる
和賀英良の悲惨な子供時代と犯行容疑を涙に耐えながら
語るシーン、すべていいですよね~
今回再見して丹波さんの魂と今西というキャラクターの
魂が共鳴しあったような感じを受けました。

緒形拳さんが殺される三木謙一役で出演されていますが、
出演依頼があった時、緒形さんは本浦千代吉の役をやりたいと
監督に申し出たそうです。しかし監督は映画化すると決めた時
から本浦千代吉の役は加藤嘉さんに決めていますからと
言われたそうです。緒形さんも名優ですけど、加藤さんしか
考えられないですよね。この役は。この作品の要ですもんね。
名演技ですよね~。親子で旅から旅へと彷徨うシーンで見せる
自分の運命に絶望した表情。息子に向ける慈愛に満ちた表情。
自分の為に息子にまで背負わせてしまった非常な宿命に言葉には
しないけれど許してくれと言っているような眼差し。
すべてが素晴らしいです。

重い宿命に抗いながら生きて来た男、和賀英良を演じた
加藤剛さん。彼が唯一信じられるのは音楽だけでは
ないんでしょうか。逢いたくても逢いに行けない父の為に
書いたのが「宿命」という曲なんだと僕は思います。
この曲を発表するまでは邪魔するものは許さないという
気持ちだったんじゃないでしょうか。複雑なキャラクター
をクールに演じてらっしゃいます。

この頃の島田陽子さんはとても清らかなイメージですね。
市川崑監督「犬神家の一族」の珠世さんとともに、見た人の
心にいつまでも残る女優さんですね。

映画版の話が長くなってしまいましたが、そろそろ今回の
ドラマのお話をしなければですね。

松本清張ファンとしては期待をしていました。今回も。
この作品の核であるハンセン病をどう描くのか。
ドラマ化する際はハンセン病を扱えないのは良く分かって
います。過去にドラマ化されたものすべて違う理由づけに
なっていました。松本清張さんの遺族からハンセン病は
扱ってほしくないという申し入れがあったという話も
聞きますがどうなんでしょうか。これを描けないのであれば
ドラマ化する必要ないんじゃないでしょうか。
ちょっと辛口ですけど。

2007年にテレビ朝日開局50周年記念として松本清張さん
原作の「点と線」が放送されました。これも2夜連続
だったんですけど、これが素晴らしいドラマだったんです。
松本清張さんが原作で訴えたかった精神がきっちり描かれて
いて俳優さんたちもみなさん良かったし、美術スタッフの
仕事がこれまた素晴らしかったのです!
芸術祭テレビ部門で大賞を受賞しています。
監督は石橋冠さん。脚本は竹山洋さんでした。

そのテレビ朝日で今度は「砂の器」ですよ。期待しない方が
おかしいじゃないですか。でも期待はちょっと裏切られました。
野村芳太郎監督の映画版が巨大な山のように聳え立っているので
新しく作る側は大変だとは思うのですが…。
監督は藤田明二さん。脚本は「点と線」と同じ竹山洋さん。

結論からいうととても残念な出来でした。出演している
俳優さんたちはみなさん良かったのになあ。ある一人を
除いては。どうしてああいうキャラクターが必要なんでしょうか。
作品のトーンを一人ぶち壊す俳優さんがいましたね~。

玉木宏さんのイヤミのない肩の力が程良くぬけた感じや、
佐々木蔵之介さんの利己的で心に深い闇をかかえた男の
冷たさや、小林薫さんの淡々とした中にも時折見せる
鋭さや、中谷美紀さんの重い作品の中のちょっとした安らぎ
など俳優さんたちはとても好感が持てるいいお芝居をされて
いるのに脚本と演出がどうも残念でした。

これでは俳優さんが可哀想です。
映画版を意識せず作られているように思いましたが本浦親子が
背負った「宿命」があの設定ではどうしようもありませんね。
えらそうなことを言って申し訳ないのですが
作り手の作品に対する愛情や熱意が感じられませんでした。
やはり今西刑事を主役にした方が自然だと思います。

もう少しテレビドラマと言えども、人間の業というものを
厳しく描いてほしかったと思います。
https://ameblo.jp/tron-12/entry-11021078890.html

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