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キッシンジャーの正体

1:777 :

2022/05/30 (Mon) 09:05:12

キッシンジャーの正体

CIAがリリースした1950年代から1970年代にかけての機密文書「家族の宝石」の中には、1970年代にヘンリー・キッシンジャーが関与したキプロスとチリのクーデターについても書かれている。
1974年、キッシンジャーは、ギリシアのキプロスへの介入を推進したこと、また1970年、チリの総選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選しそうになっていた時、キッシンジャーが中心となって「反アジェンデ」のプロパガンダを開始し、チリにおける左翼政権の誕生を妨害。

クーデターでアジェンデは射殺され、ピノチェトの軍事政権が成立したが、このことを促進し、ピノチェトを強くサポートしたのも彼であったこと、なども今回公開された文書には書かれている。
http://www.asyura2.com/07/war93/msg/591.html


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2019.01.06
ブラジル新大統領が米軍基地の建設を目論む(1/2)

 ブラジルの新大統領、ジャイール・ボルソナーロは同国にアメリカ軍の基地を建設する意向を示している。

 ​この人物はチリの****者だったオーグスト・ピノチェトを信奉​、つまり表面的な手法はともかく、巨大資本に奉仕するという政治経済的な立場はドナルド・トランプよりヒラリー・クリントンに近い。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領とは正反対の立場だ。軍事政権時代に拷問を行ったことで悪名高いカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラも彼は褒め称えている。軍事政権時代に****だったルセフも拷問されているが、その責任者でもあった。

 ピノチェトは1973年9月11日、軍事クーデターで民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を倒した。アメリカの巨大資本がクーデターの資金を提供していたが、政権転覆に命令は大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー。その命令でCIAの秘密工作(テロ)部門が動いたのである。

 アジェンデは国民の大多数である庶民の立場から政策を推進しようとしたが、これはラテン・アメリカに利権を持つアメリカの巨大資本やその代理人である現地の支配層にとって許しがたいことだった。

 選挙期間中、CIAは新聞、ラジオ、映画、パンフレット、リーフレット、ポスター、郵便物、壁へのペインティングなどを総動員してプロパガンダを展開したが、アジェンデが勝利する。

 それに対してチリの支配層は生産活動を妨害、アメリカの巨大金融機関はチリへの融資をストップ、世界銀行も同国への新たな融資を止め、1972年になるとトラックの運転手がストライキを実施、商店主、工場経営者、銀行なども同調して全国的なロックアウトに発展した。

 こうした揺さぶりはNSC(国家安全保障会議)の「オペレーション40」が指揮していたが、キッシンジャーは軍事クーデターを計画する。CIA長官だったリチャード・ヘルムズの下、秘密工作(テロ)部門が動いた。

 この計画はCIAの内部でも秘密にされていたが、それでも計画の一端は外部に漏れてしまう。例えば、ワシントン・ポスト紙のコラムニストだったジャック・アンダーソンが1972年3月にコラムで多国籍企業のITTがチリで秘密工作を実行していると暴露したのである。フランク・チャーチ上院議員を委員長とする「多国籍企業小委員会」はこの件に関する聴聞会を実施した。

 それでも工作は続き、キッシンジャーたちはチリ軍を支配するために護憲派だった陸軍総司令官を暗殺、その後任も憲法を遵守する立場だったために排除した。

 アジェンデは1973年8月にオーグスト・ピノチェトを陸軍総司令官に任命する。ピノチェトも護憲派だと判断したのだが、これが致命傷になった。

 クーデター後、ピノチェトはシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授の政策、つまり新自由主義を世界に先駆けて導入する。その政策を実際に実行したのがフリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授の弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060001/



ブラジル新大統領が米軍基地の建設を目論む(2/2)

 軍事クーデターで実権を握ったオーグスト・ピノチェトは1979年に健康管理から年金、教育まで全てを私有化しようと試み、関税を撤廃、資本や売買の規制を緩和、交換レートを固定した。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)

 一連の規制緩和でチリの民間部門は外国の金融機関から多額の資金を調達、1980年代に入ると債務額は倍増。債務危機が起こると外国の金融機関は銀行の国有化を求め。国有化された彼らの債権は私有化された国有企業の株券と交換することが許された。その結果、チリの年金基金、電話会社、石油企業などチリの重要な企業を外国の投資家は格安のコストで支配することになる。(James S. Henry, “The Blood Bankers”, Four Walls Eights Windows, 2003)

 当然のことながら、こうした政策で庶民は貧困化、その子供は教育を受けるチャンスを奪われ、さまざまな不平等を再生産することになった。これが「チリの奇跡」だ。

 新自由主義が庶民に塗炭の苦しみを強いることは事前に予測されていたことで、そのためには反対勢力を殲滅する必要があった。そうした意味でもピノチェトの軍事クーデターは重要な意味を持っている。

 後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は「少なくとも2025名」だというが、実際の犠牲者はそれを上回り、一説によると約2万人が虐殺されている。ブラジルの新大統領、​ボルソナーロに言わせると、「ピノチェトはもっと多くの人間を殺すべきだった」​。


 21世紀に入った直後、ブラジルはアメリカから自立する動きを見せていた。その当時の指導者、ルイス・シルバやジルマ・ルセフをアメリカは議会を使って排除する。

 議会でシルバやルセフの政治的な抹殺を先導していたのはブルーノ・アラウージョやエドアルド・クーニャだが、前者は巨大建設会社から違法な資金を受け取った容疑をかけられ、後者はスイスの秘密口座に数百万ドルを隠し持っていることが発覚した。

 ブラジルを再び植民地化するためにアメリカ支配層が使った組織としてMBL(自由ブラジル運動)やEPL(自由を求める学生)が知られている。両団体を創設したキム・カタグイリはミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉する「活動家」。MBLを率いているジュリアーノ・トレスとファビオ・オステルマンが学んだアトラス・リーダーシップ・アカデミーはアメリカの富豪、チャールズとデイビッドのコーク兄弟から資金が出ている。EPLのスポンサーもコーク兄弟だ。

 シルバやルセフを支えていた人々はアメリカ巨大資本の支配システムを壊さなかった。資金力、情報力、軍事力で圧倒しているアメリカ支配層が反撃してくるのは必然だったと言える。

 そのアメリカ支配層は邪魔な存在を皆殺しにしてきた。チリもそうだが、1965年のインドネシアは悪名高い。現在のインドネシアをカルト国家と呼ぶ人もいるが、確かに欧米権力層はカルトを支配の道具として使っている。その一例がワッハーブ派だ。

 アメリカ支配層は支配の仕組みとしてNATOや日米安保のような軍事同盟も利用している。ボルソナーロがブラジルにアメリカ軍の基地を建設すると言っている意味もそこにあるはずだが、そうした事態になるとブラジル軍はアメリカ軍の支配下に入ることになる。それをブラジル軍が受け入れるかどうかが問題になってくるだろう。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901060001/



詳細は

キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/141.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html

中曽根康弘とキッシンジャー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/736.html

日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html  
2:777 :

2022/06/01 (Wed) 03:34:32

ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(英語: Henry Alfred Kissinger、1923年5月27日 - )は、アメリカ合衆国の国際政治学者。ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官。


1923年、ドイツ国のフュルトでユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれた。

本来の姓名はハインツ・アルフレート・キッシンガー(ドイツ語: Heinz Alfred Kissinger)で、姓はバート・キッシンゲン(英語版)に由来する。父ルイス・キッシンガーは女子高で歴史と地理を教え、母パウラ(旧姓シュテルン)はアンスバッハ近郊ロイタースハウゼン出身の富裕な家畜業者の娘。


亡命

1歳下の弟ヴァルターと共に幸福な少年時代を過ごしたが、1933年に、アドルフ・ヒトラーを党首に擁き反ユダヤ人政策を推し進めるナチ党が、多くのドイツ人の支持を受けて自由選挙の末に政権を掌握したために運命が一変した。

一家は多くのドイツ人が支持した反ユダヤ人政策を嫌って1938年にアメリカ合衆国へ移住し、第二次世界大戦中の1943年に同国に帰化。なお、ドイツに残った親類はドイツ人に殺害されたとされる。親類が本当に存在したか、殺されたかの詳細は不明。ただし、当時のドイツにおける反ユダヤ主義についてキッシンジャーは「特に不愉快に感じたと思ったことはない」と告白している。

移住後はジョージ・ワシントン高校に3年半通う。後半2年間は夜間クラスで、昼間は髭そり用ブラシの工場で働き、週約15ドルの賃金が一家のアパート住まいの生活を助けていた。高校卒業後は、工場で働く一方職場近くにあったニューヨーク市立大学シティカレッジ経営・行政管理学部(ニューヨーク市立大学バルーク校の前身)にもパートタイム学生として通い、特に会計学で優秀な成績を修めた。


軍歴

第二次世界大戦中の1943年、大学での学業を中断してアメリカ陸軍に入隊する。陸軍ではドイツ語の能力を生かしヨーロッパ戦線の対諜報部隊軍曹として従軍した。すなわち、アレン・ダレスの部下としてOSSに配属されたのである。1945年5月のヨーロッパ戦線の終戦後はかつての母国ドイツに駐留し、多くのドイツ軍戦犯の処遇にあたった。これにあたって、多くのユダヤ人のアメリカ陸軍兵士が戦犯への激しい憎悪をむき出しにしていた中でキッシンジャーは「報復しようとは考えなかった。彼らがどうしてこのようなことをしたのかを知りたかった」と発言している。その洞察力を買われ、キッシンジャーはNATOスパイ学校の教官となった。ベトナム戦争時代には国家安全保障会議に「諜報委員会」を設けて自ら議長となった。


ハーバード大学院

1946年に復員し、ハーバード大学に入学。1950年、政治学の学士学位を取得し最優等で同大学を卒業する。引き続き同大学大学院に進学し、ウィリアム・ヤンデル・エリオット(英語版)の指導のもと19世紀のヨーロッパ外交史を研究し、1952年に修士学位を、1954年にはウィーン体制についての研究で博士学位を取得する[1]。

ノーベル平和賞受賞
受賞年:1973年
受賞理由:ベトナム戦争の和平交渉

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC


3:777 :

2022/06/05 (Sun) 20:36:26

あげ20
4:777 :

2022/06/28 (Tue) 13:07:27

あげ19
5:777 :

2022/07/05 (Tue) 16:49:04

あげ078
6:777 :

2022/07/09 (Sat) 05:35:53

あげ13
7:777 :

2022/07/18 (Mon) 15:25:35


世界人口の劇的削減、決め手は戦争と飢餓
2022年07月18日
http://tokaiama.blog69.fc2blog.us/blog-entry-1927.html

 世界人口の劇的削減、決め手は戦争と飢餓

 世界経済フォーラム(ダボス会議)の創始者は、クラウス・シュアブというスイスの経済学者になっているが、彼は、元アメリカ国務長官で、現代アメリカの黒幕といえるユダヤ人=キシンジャーの忠実な僕であった。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AF%E3%83%96

 ダボス会議は、シュアブの陰に隠れたキシンジャーが創立したものといえる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

キッシンジャーは、アメリカのベトナム侵略でも大きな役割を果たしている。キッシンジャーが指揮したトンキン湾事件は、もっとも良く知られた「偽旗作戦」の例だが、これはユダヤ人特有の発想であって、ユダヤ流「謀略戦争」のお手本だった。
 この謀略によって、アメリカはベトナム戦争に本格的介入を始め、ニクソン北爆に踏み切った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E6%B9%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

キシンジャーは、戦後、冷戦構造の骨格になっていた中ソ連携体制を破壊する目的で、珍宝島における中ソ戦争による対立を利用し、ニクソンに訪中させ、米中国交回復を演出した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%A8%AA%E5%95%8F

  http://www.y-history.net/appendix/wh1604-013_1.html

 このときのきっかけになった名古屋におけるピンポン外交の現場には、若い私も会場・宿舎警備員として加わっていたので、とても感慨が深い。
 私の人生でも、現代史に直接関与した唯一の大きな経験だった。
 私は荘則東や林美群と対話や握手できたことに感激していたが、まさか、その背後で、現代史を大きく転換させるキシンジャーの凄まじい陰謀が進行していることなど、当時の私の認識レベルでは理解できなかった。

 ニクソン訪中による「米中国交回復」は、ソ連を焦らせ、孤立させ、キシンジャーの狙い通り、中国の経済成長を利用して東側体制の根源的崩壊へと進んでいった。
 キシンジャーの人生は、謀略に次ぐ謀略であって、私の考えでは、おそらく、ビンラディンの仕業に見せかけた911テロも、イスラム国の暴虐も、イラク侵攻も、イラン制裁も、背後にはキシンジャーの思惑と謀略があったと考えている。

 ニクソン訪中は1972年だが、それから数年間にキシンジャーは、現在に及ぶアメリカ国家の基礎的な政治体制を確立した。その思想的根幹と経済政策は、新自由主義である。
 その頃(1974年)、キシンジャーは、全人類に君臨し、その命を弄ぶような恐ろしい計画を公開した。
 それは、地球上の人口をコントロールする必要があるというものだ。

 人口抑制/削減計画の源流・1974年キッシンジャーレポート (2022年5月)
 https://www.chibamai.com/post/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E6%8A%91%E5%88%B6-%E5%89%8A%E6%B8%9B%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81%E3%83%BB1974%E5%B9%B4%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88

 アメリカでは「キッシンジャー・レポート」が国家安全チームによって1974年に作成され、機密扱いにされましたが、1980年に公開になりました。インターネットでダウンロードできます。
全123ページ、斜め読みですが全部目を通しました。
 https://pdf.usaid.gov/pdf_docs/Pcaab500.pdf
 National Security Study Memorandum 200 で検索すればPDFが出てきます。

 一言で言いますと、このレポートは世界の支配勢力が、どれだけ世界人口の急増に危機感を抱いているかを表しており、その対策はどうすればいいのか、特に発展途上国の人口コントロールをどうすればいいのか、ということを学問的・統計学的な側面から分析したものです。

 当たり前の話ですが、地球の資源は無尽蔵でありませんから、人口急増すれば食糧不足、天然資源不足、社会不安などにつながります。そして国家安全チームとすれば、人口過密から生まれる民族・国家対立などの戦争やテロも懸念されるわけです。
 このレポートには最初から「ワクチン強制接種!」とは書いてありません(笑)。ただレポートの109ページ以降に、結構過激な解決策が載っています。

 この報告書が書かれたのは前述の通り1974年頃ですが、当時の世界人口は約39億でした。推測として2000年に世界人口は78億、2075年には103億になる可能性を述べています。実際は2000年の人口は約61億でしたから、多少予測は外れています。

 人口抑制の必要性が高いとされる国は以下のようになっています。
 インド、バングラデシュ、パキスタン、ナイジェリア、メキシコ、インドネシア、ブラジル、フィリピン、タイ、エジプト、トルコ、エチオピア、コロンビア (10ページ)
 ここで中国が対象になっていないのは、一人っ子政策を採用し始めたからではないかと思います。

 貧困層が多い国では衛生状態もわるく、乳幼児死亡率が高くなるため、親としては保険として子供を多く生みます。また農作業の機械化が進んでいないため、労働力の確保も必要です。

 日本などの先進国のような福祉手当や年金が十分でない国では、セーフティーネットがありませんから家族や親せきによる援助だけが頼りになるのです。そのため、家族の人数が多い方が働き手、つまり収入源が確保されることになります。
 レポートではこれら発展途上国の出生率をどのようにコントロールするか、を100ページに渡って提案をしています。

 イルミナティ国連は1974年に世界人口会議(World Population Conference)を開催し、「行動計画」を発表しています。
 発展途上国での出生削減につながるための行動として(11ページ)
 女性の教育を高め、雇用につかせること、乳幼児死亡率を低下させること、最貧地域の収入を上げること、が書いてあり、まあ常識的な論理です。
 家族計画による人口抑制も言及しています。

 アメリカと国連が主導で、これらの政策を推進するということです。しかしこれらの施策は、効果が出るには時間がかかることが難点なのです。
 文章が続き、グラフや表が続き、109ページに短期的解決法が載っています。

 人口過多国での経口避妊薬・子宮内避妊器具使用、男女の不妊化(特に女性に対する外科的処置)、避妊薬の注射→不妊ワクチン、現在既にアフリカで投与)など、それぞれに施策費用も挙げられています。
 かなり具体的な施策となっています。
 そして114ページには、それらの国での解決策としての「堕胎や中絶」が説明されています。

 現地の医師を訓練して、発展途上国の妊娠女性が「妊娠を終了させる(pregnancy termination)」ようにするための訓練資金を(国連組織から)提供する、とあります。国連としては、堕胎を直接強制しないけれども、間接的にそれを支持する、ということでしょう。
 ちなみにアメリカのPlanned Parenthood という家族計画推進組織があるのですが、黒人女性の妊娠に対しては強く堕胎を勧めている、という報告があります。

 このように、国連などの地球の支配勢力はここ50年以上、世界人口削減を真剣に検討してきました。
 ビル・ゲイツが過去にインドなどでワクチンを強制接種し、沢山の死傷者が出してインド政府の怒りを買ったのには、こういう背景があると言えます。

 ゲイツがコロナワクチンを利用して人口削減をしようとしているとの非難には、ちゃんと裏付けがあるのです。
 ビル・ゲイツはイルミナティや国連の意向を受けた、削減実行部隊と言えますが、最近の離婚やスキャンダルを見ると役割を下されたかもしれません。代りに誰かが台頭してくることでしょう。

 そして現在のコロナワクチンは、もはや発展途上国・先進国の区別が無くなり、長期的免疫低下を介した全人類の人口削減を狙っていると言っても、過言ではありません。
************************************************************************
 引用以上
 この文章は、「千葉舞」という人が書いたものになっているが、内容はInDeepの岡氏にそっくりで、両者の関係は、私には分からない。
 しかし、私の考えと、ほぼ同じなので、掲載することにした。すでに2回目だ。

 キシンジャーの「人口削減」発言に関しては、キシンジャーの後継者と目されるビルゲイツも、ほぼ同じ内容の発言を繰り返している。
 大雑把にいうと、現在78億人といわれる地球人口は5億人程度に抑制されるべきだというもので、これが世界を支配するユダヤ人グループによって、50年間引き継がれているわけだ。

強制ワクチンを受け入れたら・・・ヘンリー・ キッシンジャー  2021/03/02
  https://kuwanokazuya.com/20210302-vaccine/

 2009年2月25日 世界保健機関優生学会議における ヘンリー・キッシンジャーの講演

 群衆が、強制ワクチンを受け入れたら、それでゲームは終りだ! 2009年2月25日 世界保健機関優生学会議における ヘンリー・キッシンジャーの講演
https://t.co/8gxsHXfpOl

 群衆が、強制ワクチンを受け入れたら、それでゲームは終りだ!
奴等はなんでも受け入れる-血液や内臓を大多数のために強制的に寄付させたり。
大多数のために、奴等の子供は遺伝子操作をして不妊にしてやる。羊の心を支配して、群れも支配するのだ。
ワクチン製造会社は何十億ドルも簡け、今日、この部屋にいる皆の多くは、その投資家だ。
 我々双方にとって、非常に好都合。我々は群れの頭数を減らし、奴等は我々の絶滅サービスに金を払う。
 さて、ランチは何かね?

2009年2月25日 世界保健機関(WHO)優生学会議におけるヘンリー・
キッシンジャーの講演
*********************************************************************
 引用以上
 冗談みたいだが、上と同じ発言記録は、あまりに衝撃的な内容なので、世界中で無数にコピーされてネット上に出回っている。
 それは、ビルゲイツの同時期の発言と同じなので、おそらくユダヤ人会議(イルミナティ?)の合意なのだろうと考えるのが当然だ。

 ビル・ゲイツ 「ワクチンで人口削減が可能」
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm38860613

 上の動画は、YouTubeでたくさん公開されていたのだが、数年前にすべて削除され、現在ではニコニコ動画に転載されたものだけが残っている。
 ビルゲイツは、新型コロナ禍後も、さらに強力なパンデミックが起きると「予言」しているが、多くの人々からは、「ビルゲイツらダボス陰謀団の計画」と受け止められている。

 パンデミックを“予言”ビル・ゲイツに聞く 陰謀論、次のパンデミック、そして未来【報ステ×未来を人から 完全版】【Bill Gates】【未来をここから】2022/07/15
 https://www.youtube.com/watch?v=zh3jKd0AWFY

 「ビルゲイツは途上国の貧困や衛生に寄与してきました。……予想は不運にも当たってしまった」というテレ朝のナレーションには、「アホか!」というヤジが絶えないだろう。
 ビルゲイツの途上国支援の実態は、人口削減計画そのものだ。

 ビル・ゲイツの人体実験でインドの子供は50万人身体マヒした
 https://ameblo.jp/hiroiumi2004/entry-12655333095.html

 ビルゲイツは、アフリカ・インドなど人****発を起こしている途上国の多くで、「医療支援」と称して、現地当局者を買収して、得体の知れないワクチンを半強制的に接種させた。その大半で、恐ろしい結果が生まれている。
 https://ameblo.jp/kissy-seed/entry-11945622263.html

 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1106/14/news033.html

 https://wisdomkeeper.livedoor.blog/archives/51940423.html

 https://ameblo.jp/white-lilac719/entry-12593512794.html

 そして、ビルゲイツら「ダボス陰謀団」の努力の成果として、昨日のブログで書いた恐ろしい現実が我々に降りかかっている。

  英国政府の公式データは、今年の春以降に英国でコロナで死亡したうちの「94%」が「ワクチン接種者」であることを示す
  https://earthreview.net/reasons-for-death-in-uk/

 つまり、ワクチン接種は、ワクチンとしての機能を持たず、人々をワクチンによって殺害することだけに役立ってきたのだ。
 私は、ウクライナ戦争の背後にも、ダボス陰謀団の仕掛けがあるのではないかと強く疑っている。
 ロシアの民衆殺戮の規模を見ていると、明らかにウクライナ人のジェノサイドを狙っている。

 今日、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアと結びついていたウクライナ政府の腐敗幹部を一斉に摘発し解任した。
 https://www.afpbb.com/articles/-/3414939?cx_part=top_topstory&cx_position=2

 ウクライナ侵攻は、ウクライナ政権に深く浸透していた親ロ派腐敗幹部の存在がなければ成立しなかった。アゾフ連隊の暴走は、すべてプーチンの計画に沿って、親ロ派腐敗幹部が演出してきたものだったのだ。
 これを見ていると、ロシア・ウクライナ戦争は、周到に準備された第三次世界大戦への導火線であることを深く確信した。

 この背後には、ユダヤ人プーチンと結びついたダボス陰謀団の人口削減計画があるように思えて仕方ないのだ。
 まだ具体的な証拠を得られないので、説得力のある文章を示すことはできないが、世界には、パンデミック後に、桁違いに恐ろしい飢餓と戦争によって、もの凄い人口削減が待ち構えているようにしか思えない。

http://tokaiama.blog69.fc2blog.us/blog-entry-1927.html
8:777 :

2023/06/20 (Tue) 09:24:32

大統領の裏には彼がいる…!?ヘンリー・キッシンジャーとはどんな人物か|茂木誠
2023/06/17
https://www.youtube.com/watch?v=nUYtKMhVSi4
https://www.youtube.com/watch?v=NDU9Ju_Ooj0

9:777 :

2023/07/21 (Fri) 07:11:01

大統領の裏には彼がいる…!?ヘンリー・キッシンジャーとはどんな人物か|茂木誠
2023/06/19
https://www.youtube.com/watch?v=nUYtKMhVSi4&t=331s
https://www.youtube.com/watch?v=NDU9Ju_Ooj0&t=22s


茂木誠先生のもぎせかチャンネルはこちら
https://www.youtube.com/@maomao96363/videos
10:777 :

2023/12/04 (Mon) 10:54:44

2023年12月03日
ヘンリー・キッシンジャーの正体とは? / スパイ容疑とゲームの達人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html

「偉大なる外政官」と呼ばれた男

Henry Kissinger 635Henry Kissinger & President Nixon 324

  2023年11月29日、ニクソン政権とフォード政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー(Heinz Alfred Kissinger)が、コネティカット州の自宅で永眠した。享年100。子分の中曾根康弘と同じく、悪い奴は結構長生きするものだ。

  政治学者から国家安全保障補佐官にまで出世した外政官、というのがキッシンジャーの経歴である。彼に対するコメントは世界中から寄せられているそうだ。

  例えば、ニクソン政権時代、北京政府と仲良しだったので、毛沢東を真似る習近平はキッシンジャーを「世界的に有名な戦略家にして、****人の古い親友」と評していた。歐米の****主義者から共産****を守ってくれたので、この暴君はキッシヤジャーを懐かしみ、聡明なヴィジョンを以て米支関係の正常化に尽くしてくれた、と讃えている。(Pei-Lin Wu and Vic Chiang, 'China pays tribute to Kissinger,‘old friend of the Chinese people’, The Washington Post, November 29, 2023.)

  元KGB局員のウラジミール・プーチン大統領も、スパイ業界の同僚に哀悼の意を表した。優秀な諜報員であったプーチンは、キッシンジャーを「叡智に富み、長期的視野を備えた政治家」と評し、現実的で功利的な外政手腕を以て国際政治の緊張緩和を為しえた、と褒めている。(Mark Trevelyan, 'Russia's Putin praises Henry Kissinger as wise and pragmatic statesman', Reuters, November 30, 2023.)なるほど、キッシンジャーはプーチンが言うように「世界平和を強化する重要な米ソ協約を締結した」のかも知れない。

  アメリカのユダヤ人にとって「心の祖国」と言えるがイスラエル。この国からも偉大な同胞の死を悼むメッセージが届けられた。大統領のイサク・ヘルツォークによると、キッシンジャーは立派な決断と業績を重ねることでイスラエルの基礎を築き、同国のユダヤ人が平和的に暮らせるよう、大変な努力をしたそうだ。ヘルツォーク大統領は常にキッシンジャーの祖国愛(イスラエルに対する愛情と信念)を感じていたという。('Israeli officials laud Kissinger, as global public reaction mixed to diplomat’s death,’The Times of Israel, 30 November 2023.)

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( 左 : イサク・ヘルツォーク / ベンジャミン・ネタニヤフ / エリ・コーエン / 右 : イェー・ラピッド)

  米国に留学していたベンジャミン・ネタニヤフ首相もキッシンジャーの業績をを讃えている。ネタニヤフによると、キッシンジャーは「単なる外政官ではなく、公的生活における理念の力と知的能力を信じる思想家」でもあった。エリ・コーエン(Eli Cohen)外相もキッシンジャーの死を悼んでおり、イスラエルとアメリカとの関係を揺るぎない同盟にしてくれた支柱(恩人)の一人であるらしい。野党「Yesh Atid」の代表であるイェー・ラピッド(Yair Lapid)元首相もキッシンジャーを懐かしみ、彼を「知的巨人(intellectual titan)」と呼び、「国際政治の大御所(giant of international diplomacy)」と評していた。

ドイツからやって来た怪しいユダヤ人

  歐米の主流メディアのみならず、日本のマスコミもキッシンジャーの逝去を報じ、“偉大な外政官”と評していた。しかし、このユダヤ人には他人には知られたくない幾つもの「顔」があった。

Henry Kissinger 324(左 / 幼い頃のキッシンジャー)
  ハインツ・アルフレット・キッシンゲル(Heinz Alfred Kissinger)は1923年5月17日、ドイツのバイエルンにあるフュルト(Fürth)で生まれた。父のルイス・キッシンゲル(Louis Kissinger)と母のパウラ・スターン(Paula Stern)は、ナチスの台頭を恐れ、1938年にハインツと弟のウォルターを連れて米国へと逃れたそうである。この一家はユダヤ移民が群がるニューヨークで居を構え、兄のヘンリー(ハインツ15歳の改名)は、ジョージ・ワシントン高校に通うことにした。彼はここで一年間学ぶと、夜間学校へと転入し、ここを卒業すると、ブラシ会社の「レオポルド・アッシャー*」に勤めたという。しかし、ヘンリーは学業を諦めきれなかった。この少年は夜になるとニューヨーク市単科大学(City College of New York)に通い、得意の勉強を続けていたそうだ。

  (*註/ この勤め先はキッシンジャー家の従兄弟が経営していた。当時、ウクライナやポーランドからやって来たユダヤ人は、新天地のアメリカで苦労する事が多く、彼らは先に移住した親戚や友人を頼ったり、近くのシナゴーグに赴いて長老のラビに相談することが少なくなかった。生活に困ったユダヤ人から頼りにされた親戚や友人も、“同胞愛”に満ちていたから、彼らを自分の店や会社で雇うことがあった。でも、心温かいユダヤ人は、アフリカ移民の黒人やイスラム教徒のアラブ人には冷たかった。普段は「多民族共生」とか「人道主義」を口にしているのに、私生活ではレイシストなんだから、ユダヤ人のリベラリズムには嘘がある。)

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(左 / ジェイコブ・ジャヴィッツ)
  若い頃のキッシンジャーは、ドイツから逃れてきたユダヤ難民が集まる「ベス・ヒレル青年団(Beth Hillel Youth Group)」に属していた。ここには後の下院議員や上院議員となるジェイコブ・ジャヴィッツ(Jacob Koppel Javitz)がいて、彼は当時から非常に熱心な活動家であった。さらに、ここには最初の妻となるアン・フレイシャー(Anneliese Fleischer)もいたという。ちなみに、キッシンジは1964年にアン夫人と離婚し、1974年にネルソン・ロックフェラー州知事の秘書をしていたナンシー・マギネス(Nancy Maginess)と再婚した。やはり、ユダヤ人は出世をしたり金持ちになると、パッとしない古女房を捨てて、ヨーロッパ系の女と結婚したいのかなぁ~。(イタリア系ユダヤ人のシルヴェスター・スタローンも、サーシャ・ザックと離婚して、北歐美人のブリジッ・ニールセンと再婚したしね。)

Henry Kissinger & Ann Fleischer 22Henry Kissinger & wife Nancy
(左 : 最初の妻アン・フレイシャーと若き軍人のキッシンジャー / 右 : 再婚相手のナンシー・マギネスと大御所になったキッシンジャー )

  とにかく、ヘンリー・キッシンジャーの転機となるのは、合衆国陸軍へ入隊したことだ。彼はサウス・カロライナ州にある「クロフト基地(Camp Croft)」で基礎訓練を受けたあと、ノース・カロライナ大学とラファイエット大学にある「陸軍特別訓練プログラム」に編入した。キッシンジャーはヨーロッパに派遣されると、第84歩兵師団第335歩兵連隊の「G」中隊に所属し、諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の調査官として勤務していたそうだ。

Alexander Bolling 1(左 / アレクサンダー・ボリング)
  一般的に、ユダヤ人は陸軍や海軍に属していても、前線で生死を賭ける歩兵になることは滅多にない。大抵は作戦本部に勤務する軍官僚とか、軍人の問題を扱う法律家、あるいは情報収集や防諜活動に携わる諜報員、難しい言語を喋る通訳といった職種に就く。キッシンジャーも戦闘員ではなく、アレクサンダー・ボリング(Alexander Bolling)将軍の運転手を務めていたという。と同時に現地部隊に重宝されるドイツ語の通訳でもあった。何しろ、一般のアメリカ人(西歐系の白人)は、西ゲルマン語のイギリス語を話しているくせに、ドイツ人が話すゲルマン語を習得できない。彼らは大学教育を受けても、「ドイツ語は文法が複雑で単語も難しい」と弱音を吐く。こんな調子だから、陸軍少尉や海軍中尉、あるいは空軍大佐でもドイツ語となれば“お手上げ”だ。

Henry Thomas Buckle 11(左 / ヘンリー・トマス・バックル )
  そこで登用されるのが、何かと便利な“宮廷ユダヤ人”である。昔から、様々な国を渡り歩くユダヤ人には「多言語話者(ポリグロット / pólyglòt)」が多い。家庭ではイディシュ語を話していても、商売や勉強となるや、フランス語とかスペイン語、イタリア語のみならず、文字の違うギリシア語やロシア語でも話せる者がゴロゴロいる。英国の歴史家だったヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle)みたいな人物は別格だ。ラテン語はもちろんのこと、ヨーロッパの言語を幾つも理解できたという。フィールド・オフィサーとなるCIA局員でも、日本語とかアラビア語となれば降参で、たとえ日常会話を習得しても、文章を読んだり書いたりするとなれば日本人の通訳を必要とする。

  「カイロ大学の社会学科を首席で卒業した」という小池百合子は“例外”というか、“笑顔の詐欺師”みたいなもんだが、普通のアメリカ人だとアラビア語とか日本語の読み書きなんて出来ない。しかし、ユダヤ人は暗号解読の名人で、奇妙奇天烈な言語でもOK。非ユダヤ人にも多言語話者がいて、ハリウッド男優のヴィゴ・モーテンセン(Viggo Peter Mortensen, Jr.)も、その一人だ。彼は父親がデイン人で、祖父のデンマークにも住んだことがあるから、数カ国語を話せるようだ。普通に育てば英語のみのアメリカ人なっているけど、彼の家族はベネズエラやデンマーク、アルゼンチンを転々とし、様々な環境で子供を育てたから、ヴィゴが色々な言葉を話せるのも当然だ。彼はセント・ローレンス大学を卒業後、ヨーロッパに渡っているから、スペイン語やデイン語を実際の生活で使っていたのだろう。(ちなみに、ヴィゴは『G.I.ジェーン』や『ダイヤルM』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演している。日本でも知っている人は多いだろう。)

Viggo Mortensen 11Viggo Mortensen 9324Viggo Mortensen in GI Jane
(左 : ヴィゴ・モーテンセン / 中央 : 子供時代のヴィゴ / 右 : 『G.I.ジェーン』 に出演したヴィゴ)

ロックフェラーに育てられた宮廷ユダヤ人

  話を戻す。「外人」のキッシンジャーは身体検査(security clearance)をパスして上等兵から軍曹になった。この特進に加え、キッシンジャーは個人的恨みも晴らしたそうだ。彼はドイツ勤務でゲシュタポやナチスのスパイを尋問して喜んでいた。しかし、彼は1946年になると陸軍を除隊し、ドイツのオベラマーアゴ(Oberammergau)にある「ヨーロッパ戦線諜報学校(European Command Intelligence School)」の教官に就任する。でも、給料に不満があったのか、キッシンジャーはさっさと帰国し、ハーヴァード大学に入った。それと同時に、彼は予備役の士官になったので、少尉から大尉へと昇進することになった。

  名門のハーヴァード大学に編入したキッシンジャーは、ロックフェラー財団からの研究費を含め、四種類の奨学金を貰っていたそうだ。いかにもユダヤ人の優等生らしく、キッシンジャーはハーヴァード大の名物教授、あのウィリアム・ヤンデル・エリオット(William Yandell Elliott)に見出され、サマー・スクールの講師やセミナーの上級講師にしてもらった。ユダヤ人というのは、アメリカ人やヨーロッパ人からの「一本釣り」や「異例の抜擢」で出世を果たす。彼らはそれで満足せず、幸運の女神を踏み台にして徐々に人脈を広げ、“学会のドン”や“財界の大物”となってゆく。エリオット教授の弟子には、後にカナダの首相となったピエール・トルドー(Pierre Trudeau)や、ケネディー政権で国家安全保障補佐官になったマクジョージ・バンディー(McGeorge Bundy)がいる。ホント、政界や学会というのは、結構“狭い世間”である。

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(左 : キッシンジャー / ウィリアム・ヤンデル・エリオット / ピエール・トルドー / 右 : マクジョージ・バンディー)

  優秀な成績(summa cum laude)を以て卒業したキッシンジャーは、これまた秀才が集まる学生クラブ、「ファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に選出され、エリオット教授の推薦もあってか、ハーヴァード大学の教授になった。1951年、エリオット教授はハーヴァード国際セミナー(Harvard International Seminars)」を創設するが、キッシンジャーは恩師からここの主任(executive director)に抜擢されたという。ここで注目すべきは、セミナーのパトロンである。大富豪というのは、未知数であっても優良な成長株に投資するもので、フォード財団やロックフェラー家が創ったアジア財団、それに中東アジアの金持ちやCIAが資金を流していたというのだ。

  このセミナーが発展したことで、『コンフルーエンス(Confluence)』という雑誌が発刊され、キッシンジャーはここに論文を投稿した。ところが、この刊行物は十数回だけ続いて廃刊となってしまう。ただし、単なる終焉じゃなかった。『コンフルエンス』の論調が共産主義的だという廉(かど)で、1955年にキッシンジャーは陸軍諜報部からの尋問を受けていたのだ。(Frank A. Capell, The Kissinger Caper : a Former General in Communist Intelligence says Kissinger was a KGB Agent Before He Went ot Harvard, Belmont, MA : The Review of the News, 1974, p.29.)当時の噂によれば、雑誌の顧問を務めていた人物の中には、共産主義者やコミュニスト組織に関係を持つ人物が紛れていたという。さらに眉を顰めたくなるのは、この雑誌にロックフェラー・ブラザース財団が、2万6,000ドルの賞与金(grant)を与えていたということだ。

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(左 / ネルソン・ロックフェラー)
  ヘンリー・キッシンジャーの出世には、ロックフェラー家の貢献や後押があった。フォード政権で副大統領となったネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は、ローズヴェルト政権で国際問題のコーディネーターを務めており、弟のウィンスロップと同じく、政治的野心に満ちていた。1956年にネルソンが「Special Study Project」という研究グループを創設すると、キッシンジャーはここの所長に就任した。たぶん、ネルソンの指図だろう。

  ネルソン・ロックフェラーの野望はホワイトハウスにあったのか、この大富豪は経歴作りのために州知事を目指した。実際、彼はリベラル派の牙城であるニューヨークの州知事になることが出来た。未来の大統領を目指すネルソンには、現実の国際政治を扱える“参謀”が必要で、学問に秀でたキッシンジャーは“打って付けの軍師”であった。主君のお眼鏡に適ったキッシンジャーは、トントン拍子に出世を重ね、ロックフェラー家がスポンサーとなる「外交問題評議会(CFR)」のメンバーにもなれた。彼は1977年から1981年まで、CFRの理事会で役員を務めることになる。キッシンジャーの『核兵器と外政(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』は、CFRのメンバーになった頃に書かれた処女作であった。

  日本では中東問題やアジア情勢に関する「共和党の重鎮」として知られているが、キッシンジャーは“保守派の知識人”じゃない。リチャード・ニクソンと組む前は、民衆党寄りのグローバリスト学者であった。当初、キッシンジャーは大統領になったジョン・F・ケネディーの政権に潜り込もうと目論んだが、ケネディー兄弟から毛嫌いされてホワイトハウスに入ることは出来なかった。兄貴を補佐するロバート・ケネディー司法長官も、この下品なユダヤ人を嫌っていたというから、キッシンジャーはアーサー・シュレッシンジャー(Arthur Meier Schlessinger, Jr.)のような宮廷ユダヤ人にはなれなかった。

  ユダヤ人の支援で著作を出版でき、さらに大統領選でもユダヤ人団体から応援してもらったのがケネディー大統領である。それゆえ、彼の周辺にはユダヤ人の側近が多かった。(ホワイトハウスでユダヤ人に取り囲まれた記念写真を見ると、本当にゾッとする。)

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(左 : ロバート・ケネディー / アーサー・シュレッシンジャー / セオドア・ソレンセン / 右 : ロバート・ノヴァック)

  例えば、『ケネディーの千日(A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House)』を書いたシュレッシンジャーの母親は、ドイツ人とイギリス人の家系だが、父方の祖父はドイツに住んでいたユダヤ人で、プロテスタントに改宗した現世利益派だった。ケネディー大統領の顧問で、スピーチライターを務めていたセオドア・ソレンセン(Theodore Chaikin Sorensen)もユダヤ人で、父親はデイン系アメリカ人であったが、母親はロシア系ユダヤ人ときている。ついでに言うと、CNNの討論番組「クロスファイアー」でホストを務めていたロバート・ノヴァック(Robert David Sanders Novak)も「改宗ユダヤ人」であった。ノヴァックの両親は世俗派のユダヤ人であったから、息子のロバートにはユダヤ教への情熱は無かったようだ。女房のジェラルディンがカトリック信徒になったから、亭主のロバートも一緒にカトリック教会に入ったという。まぁ、西歐紳士になりたかったシュレッシンジャーと同じく、ノヴァックも「ユダヤ人」という血統(属性)が恥ずかしかったのかも知れない。

ニクソンに仕えたユダヤ小僧

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(左: 主人のネルソン・ロックフェラーと執事のキッシンジャー / 右 : ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官 )

  ケネディー兄弟に嫌われたキッシンジャーは、大統領選でJFKに破れたリチャード・ニクソンの安全保障補佐官となったが、政権に入る前は親分を密かに蔑んでいた。「私はあの男の為には働かないぞ。あの野郎は疫病神だ(I would never work for that man, the man is a disaster.)」とキッシンジャーは述べていた。(上掲書、p.32.)日本のマスコミや政治評論家は、「ニクソン・キッシンジャー外交」とやらを褒めそやし、両者がコンビを組んで中東問題や対シナ外交を取り仕切ったように論じるが、実際は水面下でお互いに警戒する間柄であった。

  嫌われたニクソン大統領も、キッシンジャーを小馬鹿にしており、キッシンジャーは信頼できる助言者ではなく、ネルソン・ロックフェラーが送り込んだ「お目付役」と考えていたようだ。何しろ、ニクソンはキッシンジャーのような狡賢いユダヤ人が大嫌い。このクェーカー教徒(ニクソン)はユダヤ人に懐疑的で、1971年まで中東政策からキッシンジャーを外していたのだ。なぜなら、キッシンジャーが述べたように、彼のユダヤ人という民族性が彼の判断力を曇らせるんじゃないか、とニクソンが心配していたからだ。そして、冷酷な現実を熟知する大統領は、キッシンジャーの愛国心、すなわちアメリカ合衆国への忠誠心すら疑っていたのである。(Martin Indyk, Master of the Game : Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy, New York : Alfrd A. Knopf, 2021, p.36.)

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(左 / レオナード・ガーメント)
  ニクソン政権の大統領顧問を務めたレオナード・ガーメント(Leonard Garment)によれば、ホワイトハウスの中でキッシンジャーは“エキゾテックな神童(exotic wunderkind)”、あるいは“よそ者(outsider)”と見られていたそうである。まぁ、西歐人とは違う容貌に加え、ドイツ訛りの英語を喋り、何を目論んでいるのか判らないから、同僚から“セム種族のエイリアン”と思われても当然だ。ニクソン政権のインナー・サークルは日常会話でも、「キッシンジャーは決して自身のユダヤ性を脱ぎ捨てることは出来まい(Kissinger could never ....shed his Jewishness.)」と囁いていたそうである。(上掲書、p.37.)

  政界の裏事情を知っていたからだろうが、ニクソンはユダヤ人に対する反感と懐疑心を抱いていた。当時のアメリカ人だと、ユダヤ人は金持ちで狡賢い(rich and tricky)」というイメージが一般的であった。ニクソンもステレオタイプの持ち主で、ユダヤ人のリベラル派は何かに附けイスラエルに忠実だ、と思っていた。財務長官のジョン・コナリー(John B. Connally)と執務室で話していた時も、ニクソンはユダヤ人に対する偏見を隠さず、会話の中で「ユダヤ人のリベラル派は信用がならない。第二次政権ではユダヤ人スタッフの数を減らすつもりだ」と述べていた。(上掲書、p.37.)

  こんな考えだから、ニクソンは自分の補佐官であってもキッシンジャーを信用せず、大切な相談は大統領顧問であるジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)と首席補佐官のハリー・ロビンス・ハルデマン(Harry Robbins Haldeman)だけに持ちかけていた。それゆえ、三人の鳩首会談となれば、キッシンジャーは“蚊帳の外”だ。もし、キッシンジャーを密談に加えてしまうと、主君のネルソン・ロックフェラーや政財界のユダヤ人に“筒抜け”となるからダメ。用心深いニクソンは、執務室の扉を閉ざしてキッシンジャーを“のけ者”にしていた。

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(左 : ハリー・ロビンス・ハルデマン / 中央 : リチャード・ニクソン大統領 / 右 : ジョン・アーリックマン )

  以前、CBSやNBCのイヴニング・ニューズで放送されたけど、ニクソン大統領はキッシンジャーを小馬鹿にするような言を吐いていた。ニクソンはホワイトハウス内でキッシンジャーが必要な時、「俺のユダヤ小僧は何処にいるんだ!?(Where is my Jew-boy?)」と側近に尋ねていたというから、一般のアメリカ国民はビックリ。執務室で録音されたテープを聞いたキッシンジャーはどう思っていたのか? 育ちの悪いニクソンは、普段の会話の中でも遠慮せずに「ニューヨークのユダヤ人(New York Jews )」とか「糞のユダ野郎(fucking Jews)」という侮蔑語を口にしていた。(Richard Reeves, President Nixon : Alone in the White House, New York : Simon & Schuster, 2002, p.42)常識的な日本人であれば、ニクソンの口癖を聞いてしまうと、「彼は本当に敬虔な新渡戸稲造博士と同じクェーカー信徒なのか?」と疑ってしまうだろう。

怪しい人物を採用する国務長官

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(左 : ユダヤ人の有力者に囲まれたジョン・・ケネディー大統領 / 右 : 来日した時に藝者と戯れるキッシンジャー )

  ニクソンは“お世辞”にも「紳士」と呼べないが、キッシンジャーも同様にアメリカ紳士ではない。というのも、キッシンジャーが政権に招き寄せたり、国務省に採用した人物には“いかがわしい輩”がたくさん居たからだ。

  例えば、国務長官になったキッシンジャーは、FBIから保安上の危険人物と見なされていたボリス・クロッソン(Boris Hansen Klosson)をSALT(戦略核兵器制限交渉)の政治諜報担当官に選んでしまったのだ。クロッソンの「信用度」は、ソ連からやって来た女スパイが逮捕された時、“問題”とされてしまった。「ホンマかいな?!」と驚いてしまうが、彼女の連絡手帳にはクロッソンの住所が載っていたのだ。それに、クロッソンがモスクワの米国大使館に勤務した時、KGBの調査報告書が本国に送られそうになったが、何かの理由でマズかったのか、ワシントンへの送付を妨害したそうだ。(The Kissinger Caper, p.34.) また、ソ連へ亡命したリー・ハーヴェイ・オズワルドが米国へ戻る時、彼の帰国許可を与えた責任者はクロッソンであったという。

  キッシンジャーが駐チリ米国大使に選んだデイヴィッド・ポッパー(David Henry Popper)も“不適切な人物”であった。このユダヤ人大使は、共産主義者の容疑が濃厚なアルジャー・ヒス(Alger Hiss)と親しく、国務省の役人だったヒスの推薦で同省に入ったという。また、ポッパーは如何にもユダヤ人らしく、真っ赤な雑誌である『アメラジア(Amerasia)』に集う共産主義者やソ連のスパイとも交際があったそうだ。案の定、ポッパーは「赤旗」のような「デイリー・ワーカー(Daily Worker)」紙の編集長で、米国共産党のメンバーだったルイス・ブデンツ(Louis Budenz)と知り合いだったようで、このブデンスによって共産主義者であることをバラされてしまった。(The Kissinger Caper, p. 35.)

  キッシンジャーが台湾に送った米国大使のレオナード・アンガー(Leonard Seidman Unger)も共産主義の疑いを持たれた人物だ。アンガーはタイやラオス、シナでも大使を務めていたから、現地の共産主義者に歓迎されたのも納得できる。

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(左 : デイヴィッド・ポッパー / ルイス・ブデンツ / レオナード・アンガー / 右 : ジェイムズ・サッタリン)

  国務省のドンになったキッシンジャーは、赤色分子やソ連贔屓の友人ばかりじゃなく、同性愛者や危険人物に対しても省庁の門を開いてしまった。例えば、国務省の監査長官になったジェイムズ・サッタリン(James S. Sutterlin)は、同省の保安局員であったエドワード・ケリー(Edward Kelley)とホモの関係にあったそうだ。省内で有耶無耶(うやむや)にされてしまったが、ケリーのせいで外交上の秘密暗号がソ連側に写し取られたり、ソ連のエイジェントになった米国外政官は自由に活動できたらしい。大使館の職員もソ連のハニートラップに引っかかったようで、よく訓練された女スパイが現地の役人を誘惑したそうだ。女の工作員に惚れた職員がソ連の手先になることはよくあるが、同性愛者も敵国の標的にされやすい。なぜなら、ゲイの外政官や書記官などは、同性愛の発覚を恐れて敵国エージェントの命令に従ってしまうからだ。

  キッシンジャーが国務省の難民担当官に任命したルイス・アーノルド・ワイズナー(Louis Arnold Wiesner)も、アメリカの国益を毀損する官僚だった。なぜなら、彼のせいで脱走兵や難民を装った共産主義者が米国に易々と入れたし、国内で優遇を受けていたからだ。大学教師もそうだけど、公務員を採用する際には、その家族構成や血統、民族、教育、性格、思想、趣味などを慎重に吟味せねばならない。1992年9月30日にドン・キエンツェル(Don R. Kienzle)によって行われたインタヴュー(Labor Diplomacy Oral History Project)で認めていたけど、ワイズナーは国務省に勤める前、つまり彼が若い時、少しだけ共産党に属していたそうだ。彼はマッカーシズムの時代にドイツから帰国した。1950年の頃、CIAに雇われていたので、「嘘発見器のテスト(lie ditector test)」を受けねばならず、本当の事を喋るしかなかったという。

  しかし、ワイズナーの“転向”は怪しい。彼は『労働者日報(Daily Worker)』に加え、『新大衆(New Masses)』、『青年労働者(Young Worker)』などを熱心に読んでいたし、昔は不穏分子たる「アメリカ学生組合(American Student Union)」にも属していたのだ。しかも、彼は母校に「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の支部を創ろうと試みていたから、相当“疑わしい人物”である。

  日本人は「元左翼」や「転向組」に優しいが、「若い時の過ち」であっても、一旦、共産主義者とか左翼思想にかぶれた者は、シャブ中と同じで、中々“健全な精神”には戻れない。職場では現実主義の資本家や経営者であっても、何かの切っ掛けで“ふと”昔の記憶が甦り、青年時代の魂が復活することがある。西部グループを率いていた堤清二は、東京大学時代に共産党に入ったし、東京都知事になった作家の猪瀬直樹も左翼だ。猪瀬は信州大学時代に学生運動のリーダーを務めていた。日本テレビの代表取締役になった氏家齊一郎も堤清二を共産党に誘った左翼だし、読売新聞の首領になったナベツネ(渡邉恒雄)も、東大時代に共産党に入っていた。「保守」を看板にする産経新聞の社長になった水野成夫(みずの・しげお)も共産主義を信奉する赤い学生で、産経の前は「赤旗」の編集長を務めていたのだ。こうした財界人は自由主義の市場経済を擁護しても、昔の仲間や後輩から頼まれると断れず、裏で左翼団体に献金したり、社会党や立憲民主党に便宜を図ったりする。

「ソ連のスパイ」容疑を掛けられたキッシンジャー」

Michal Goleniewski 0001( 左 / ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー)
  元国務長官のヘンリー・キッシンジャーには、昔から“ソ連のスパイ”という疑惑が掛けられ、共産主義陣営に有利な政策を推し進めてきたモグラという批判がある。実際どうだったのかはよく判らないが、1961年に米国へ亡命したソ連のスパイ、ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー(Michał Franciszek Goleniewski)の話を聞くと、キッシンジャーに対する容疑はある程度「本当」のように思える。彼は諜報活動に関する1500ページほどの報告書をFBIに渡したことがあり、この遣取が世間にバレたので、キッシンジャーに対する民衆の疑念が深まったのだ。

  亡命したゴレニフスキーはポーランド軍の防諜諜組織(GZI / Główny Zarząd Informacji Wojska Polskiego) にある技術部門で勤務する陸軍大佐であったが、これは“表の顔”で、実はソ連のKGBがポーランドに送り込んだ“間諜(スパイ)”であった。ところが、ゴレニフスキー大佐は二重スパイどころか“三重スパイ”であった。彼は密かに米国や英国へソ連やポーランドの情報を流してくれる“裏切者”で、CIA(中央情報局)は彼に「SNIPER」というコード・ネームを与え、MI5(英国防諜局)は「LAVINIA」というコード・ネームを附けていたそうだ。

  ゴレニフスキーは出身地のポーランドで「ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー」と名乗っていたが、この亡命将校はどうやらロシア皇帝の血を引く子孫らしい。ゴレニフスキーが殺されたロシア皇帝ニコライ2世の息子で、本名は「アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ロマノフ」(Aleksei Nicholaevich Romanoff)」というが、2008年に公開されたFBIの報告書でも彼の素性が確認されていたので、「もしかすると本当なのかも知れない」と思えてくる。なぜなら、CIAの元調査分析主任であるハーマン・キムゼー(Herman E. Kimsey)が、1965年6月3日に宣誓証言を行っていたし、FBIや国務省に属していたジョン・ノーペル(John Norpel, Jr.)も上院の公聴会で証言していたからだ。それゆえ、気軽に“出鱈目”だとは決めつけられない。(Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?', The American Chronicle, March 16, 2013.)

  ゴレニフスキーがもたらした機密情報の中で特筆すべき点は、ODRA(ソ連のスパイ組織)の産業や科学技術分野に携わる個人データである。ここにはモグラ(諜報員や工作員)の名前や身分、職業、住所などが記されていたそうだ。「ODRA」の主な目的は、西側諸国、とりわけブリテンやアメリカにある軍諜報部への浸透にあった。驚くのは、ゴレニフスキーがCIAに報告したスパイの中に、当時あまり知られていないハーヴァードの教授であったヘンリー・キッシンジャーの名前が記されていたことだ。(The Kissinger Caper, p.77.)第二次世界大戦中、合衆国陸軍の軍曹であったキッシンジャーには、「BOR」という暗号名が与えられていたという。ゴレニフスキーによれば、キッシンジャーはオベラマーアゴの軍諜報学校で教官をしていた時、ドイツ生まれのアメリカ人でソ連のスパイになっていたエルンスト・ボゼンハルト(Ernst Bosenhard)と連絡を取っていたというのだ。(The Kissinger Caper, p.81.)

  「Baraban(バラバン)」というコード・ネームを持つボゼンハルトは、東ドイツに生まれ、八年ほどアメリカに住んでいたことがあるという。調査ジャーナリストのケヴィン・クーガンによると、彼は第二次世界大戦中、米国の「OSS(戦時情報局)」に協力した人物で、後にオベラマーアゴの諜報司令部で通訳の仕事をしていたそうだ。(Kevin Coogan, The Spy Who Would Be Tsar : The Mystery of Michal Goleniewski and the Far-Right Underground, New York : Routledge, 2021, Chapter 10を参照。)しかし、彼は1951年にスパイ容疑で逮捕されてしまう。連合軍ドイツ高等委員会(Allied High Commission for Germany)は、ソ連に情報を流していたボゼンハルトを裁き、懲役四年の有罪判決を下した。彼は裁判の中で「同性愛をネタにして脅されていたんだ」と訴えたが、そんな言い訳が通用することはなく、「塀の中の囚人」となってしまった。ただし、彼が恐れていたシベリア送りじゃなく、西側の刑務所なんだから、考えようによっては、意外と良かったんじゃないか。

  「ソ連のスパイ」との容疑を受けたキッシンジャーだが、肝心のODRAファイルの中に彼の名前は見当たらなかった。ただ、驚異的な出世を遂げたキッシンジャーが、共産主義国に対して“親切”だったのは確かだ。

  例えば、「共産****の門戸を開いた」という“功績”のあるキッシンジャーは、赤い皇帝の毛沢東と懐刀である周恩来、そして民衆を弾圧する共産党幹部と非常に親しく、人民解放軍によるクーデタ計画が練られていることを“北京の友人達”に知らせてあげたという。この情報はイスラエルの諜報機関からCIAのリチャード・ヘルムズ長官へともたらされ、ヘルムズ長官から詳しい情報がニクソン大統領とキッシンジャーに報告されたそうだ。“友人の危機”を耳にしたキッシンジャーは「一大事!」と思ったのか、急遽、極秘裏に北京へ飛び、毛沢東と周恩来に暗殺の危機が迫っていることを伝えたそうである。(The Kissinger Caper, p.8.) このクーデタ計画が事前に発覚したことで、林彪一派は処刑され、毛沢東の政権は揺るぎないものとなった。もちろん、毛沢東の粛清は報道管制のもとに置かれたから、日本の「****通」は林彪の生存を信じていた。

Henry Kissinger & Mao 1213Henry Kissinger & Xi 99
(左 : 毛沢東とキッシンジャー / 右 : 習近平とキッシンジャー )

  ニクソン大統領とタッグを組むキッシンジャーには、秘密外交の常習犯とか米国を裏切りるソ連のスパイ、南米での虐殺や政府転覆を画策した極悪人、といった非難がたくさんある。確かに、このユダヤ人学者には世間に知られたくない「裏の顔」があるみたいだ。

  例えば、以前、レーガン政権で教育省の高官を務めたシャーロット・イザービット(Charlott Iserbyt)が、「ソ連共産党中央委員会****(Politburo)」のコンサルタントを務めたイゴール・グラゴレフ博士(Dr. Igor Glagolev)にインタビューしたことがある。彼はカーター政権でSALT交渉の主任を務めたポール・ウォンケ(Paul Warnke)と議論したロシア人。グラゴレフ博士は何度もクレムリンを訪れたことがあるが、そこの会議にはネルソン・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーが列席していたそうだ。(上掲記事、Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?')

「善悪」を超えた政治力学

Victor Rothschild 2134(左 / ヴィクター・ロスチャイルド)
  そもそも、社会主義のソ連、すなわちボルシェビキ支配下のロシアは、ロスチャイルド家やウォーバーグ家、ロックフェラー家などの大富豪によって創られた実験国家だ。それゆえ、パトロンの子孫であるネルソン・ロックフェラーやヴィクター・ロスチャイルド(3rd Baron Nathaniel Mayer Victor Rothschild)が、“お忍び”でソ連を訪問してもおかしくはない。また、歐米諸国にやって来た東歐の諜報員や西側の裏切者に“指示”を与えても不思議じゃないだろう。ネルソンやヴィクターは、一部の保守派知識人から「ソ連のスパイじゃないのか?」と疑われたが、彼らが「クレムリンの犬」になるとは考えづらい。むしろ、彼らがソ連のスパイに指令を渡し、クレムリンの連中が御命令を承った、というのが本当のところだろう。

  ロックフェラー家が「市場の独占」を好んでいたのは世有名な話で、ソ連という監獄国家は独占欲の強い金融資本家にとって“好ましい国家形態”であった。なぜなら、他の競争相手は参入できないからだ。ロックフェラー家だけがソ連で銀行を開設できたり、石油やガスの採掘や輸出入をできたりすれば、チェイス銀行やエクソン、モービルは大儲けだ。冷戦時代の軍縮交渉というのは、軍事的・経済的に劣勢となったソ連を救うための手段であったのかも知れないぞ。日本の保守派言論人は認めたがらないが、米国の共和党やタカ派陣営が取り組んだ軍縮交渉でも、水面下での裏工作があった可能性は否めない。アメリカ軍の卓越した兵器の質や量を下げてやることで、苦境に悩むソ連を助けてやれば、東西冷戦の均衡が保たれる、という訳だ。

  冷戦時代の知識人は、「ソ連の核兵器による米国への攻撃」とか「世界最終戦争によるハルマゲドン」を信じていたが、そんなのは軍需産業と金融業者が作った政治プロパガンダで、投資家や兵器会社が儲けるための演出だ。もし、アメリカによる圧倒的な世界平和が訪れれば、最新鋭の戦闘機や空母なんかは要らなくなる。しかし、東西の軍事緊張が高まれば、ソ連軍を凌駕するための高級兵器が必要になるから、高性能を誇る戦闘機やステルス性の戦略爆撃機、SLBMを搭載した原潜、通信衛星と連動した戦車などの研究開発が加速する。たとえ、高額な兵器となっても、購入者は政府だから、どんな“商品”でもドンドン買ってくれるし、子飼いの政治家が議会で国防を叫ぶから、1億ドルでも100億ドルでも際限なし。膨大な予算案がスラスラ通る。ロッキードやボーイング、マクドーネル・ダグラス、レイセオンなどの兵器会社がどれほど儲けたことか。石油や食料、備品を供給する民間企業や海外の基地を建設するベクテル社や萬屋のハリバートンなども巨額の利益を上げたはずだ。

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(左 : ブレジネフ書記長とキッシンジャー / 右 : プーチン大統領と握手するキッシンジャー)

  キッシンジャーはリアリストの政治学者だったから、国際政治には倫理・道徳を挟まなかった。大国の政治、あるいは多国間のパワー・ゲームというのは、たいてい利益で動く。それゆえ、現実的な戦略家や政治家は、必要とあれば****者との密約を結ぶし、議会や世間に内緒で要人暗殺を命じる。邪魔な奴が多ければ、クーデタによる政府転覆を画策し、皆殺しで問題解決だ。キッシンジャーがスパイみたいな怪しい友人や赤い役人を用いたのは、それが有益であったからだろう。望んだ結果をもたらす人物なら、ゲイでもアカでも何でもいい。ソ連の工作員と昵懇となっていても、それは裏取引をするための“貴重な資産(asset)”だし、諜報の世界では敵側のスパイと親しくすることは珍しくない。キッシンジャーが有能な外政官であったのは、目的のためには手段を選ばなかったからだ。自分の名声や主君の利益を考えれば、「汚い手段」であっても一向に構わない。

  「American Chronicle」の編集長であるトニー・ボン(Tony Bonn)が述べていたが、ニクソン大統領はキッシンジャーのバックグラウンド・チェックをしないようスタッフに命じていたそうだ。通常、政府機関の職員やホワイトハウスのスタッフに対しては、その身元や素性、家族、友人関係などを調べる身辺調査が行われるはずなのだが、キッシンジャーの正体を知っていたニクソンは、それを問わないよう指図した。おそらく、身体検査で厄介事や問題が発覚するのを恐れていたのだろう。何しろ、大統領になったリチャード・ニクソンだって、親分のネルソン・ロックフェラーに頭が上がらない下僕であったし、ロックフェラー家に刃向かうほど馬鹿じゃなかった。となれば、主君から執務室(Oval Office)に派遣された“監視役”のユダヤ小僧には、“格別の配慮”を示さねばならない。

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( 左 : ネルソン・ロックフェラーとフォード大統領と一緒のキッシンジャー / 右 : 華麗なるロックフェラー家の人々)

  1994年の4月に亡くなったニクソンの葬儀で、相棒だったキッシンジャーは嘗ての上司を悼んで涙を浮かべていたが、この哀しみは本当だったのか? アメリカ人は鰐を思い浮かべて「クロコダイルの涙(crocodile tears)」と呼んでいるが、キッシンジャーの本心はどうだったのか? ユダヤ人の涙は演技なのか本当なのかサッパリ判らない。もしかすると、キッシンジャーはウッディー・アレンより優れた俳優なのかも知れない。(涙の追悼が自然な演技なら、エミー賞をもらえる名優になれるぞ。)

  あの世のことは判らないけど、もし無神論者のキッシンジャーが地獄に落ちたら見物だ。たぶん、巨大な炎の近くにはデイヴッィド・ロックフェラーが坐っていて、彼の後部座席がキッシンジャーの指定席となっているんじゃないか。そして、両隣には先に亡くなったネルソンや毛沢東、周恩来、ローズヴェルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーといった豪華な悪党が順番を待っているかも知れないぞ。懐かしい仲間に再開できる地獄の同窓会なんて、結構、乙なものだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944754.html
11:777 :

2023/12/19 (Tue) 21:15:43

世界を支配したヘンリー・ キッシンジャーの功罪! 王室、メイソン、悪魔、ペド、田中角栄……ジェームズ斉藤!
2023.12.19 12:00 文=ジェームズ斉藤
https://tocana.jp/2023/12/post_259889_entry.html


──先月末にアメリカの元国務長官のヘンリー・ キッシンジャーが他界されました。 彼の功績についてはいろいろ言われていますが、 改めてキッシンジャーの功罪について聞かせてください。

ジェームズ すでにいろんな人が評価を下していますが、特に顕著なのがカンボジアで爆撃をやりまくって何百人、何千人と殺した戦争犯罪人として断罪している人が多いということです。この評価は極左の連中が下していますが、一応事実に基づいているので間違いではないです。しかし、カンボジアへの爆撃の責任に注目し過ぎると、彼の真の評価ができなくなります。私の評価としては、彼は女王陛下のトップスパイで、イギリスのために最後まで尽くしたことです。

──女王陛下のスパイ? イギリスのため?


ジェームズ はい。表向き、キッシンジャーはアメリカ政府の役人ですけど、彼が本当に仕えていたのはイギリスの女王陛下です。実際にエリザベス女王に物凄く気に入られてますし、女王陛下と握手する時は必ず、フリーメイソン式の握手をしています。 彼はフリーメイソンのトップクラスのマスターメイソンでもありました。メイソンのグランドロッジの本部がロンドンにあるんですが、 このトップはイギリス王室です。フリーメイソンはいろんな見方があるんですが、 一つの見方としてあるのはイギリス王室直轄の謀略機関というもの です。キッシンジャーはその優秀なエージェントでした。

──ん? ということは彼はアメリカを裏切っていたということですか?

ジェームズ まあ、そういう言い方もできなくはありません。アメリカとイギリス、どちらに忠誠を誓っていたのかといえば、イギリス、特に女王陛下、というスタンスだったと思います。というのも彼はピルグリム協会の大物でもありましたから。このピルグリム協会というのは1902年ごろにイギリスが英米の友好を推進するために作った組織で、名誉総裁はこの前までエリザベス女王、いまはチャールズ国王です。会員になるには紹介者が必要で、私の知り合いのピルグリム協会のイギリス人会員もやはり英国王室の血をひく、日本で言えば「宮様」に相当する方でした。ただし 協会の実態はイギリスの謀略に協力するアメリカ政府高官などの売国エリートを選抜するための組織でした。つまり、アメリカ人であったキッシンジャーは女王陛下に忠実に仕えた「宮廷ユダヤ人」だと言えるのです。彼はアメリカ政府のど真ん中、国務長官、国家戦略担当補佐官にまでなっています。アメリカの外交と安保をすべて牛耳ることができました。 その力を使ってイギリスのために尽くした人でした。

── キッシンジャーはアメリカと中国の仲を取り持った中国寄りの人なのかなと思っていましたが、違うんですね。

ジェームズ 彼は何寄りというのはなくて、強いて言えば、イギリス寄りです。彼のことをこのように分析する人をあまり見たことはありませんが、これが最もキッシンジャーを正しく理解する見方だと私は思ってい ます。

──でも、アメリカを裏切っているんですよね?

ジェームズ イギリスのためにアメリカの国力を復活させてきた人というのが正しいでしょうね。 そもそもイギリスが仕掛けた謀略が米ソの冷戦で、大戦前の米ソは仲が良かったんです、同盟国でしたから。 ルーズベルトなんかはスターリンのことを「アンクル・ジョー」、 つまり「ジョーおじさん」と呼んでいて、文通までしていました。 ペンパルだったんですよ、二人は(笑)。 いまでもスターリンとルーズベルトの文通集という本があるくらい です。

──そうなんですか!?

ジェームズ イギリスが一番警戒していたのはイギリスの頭越しにロシアとアメリカが手を組むことでした。結局、 ルーズベルトもイギリスの謀略に協力しています。アメリカを大戦に引きずり込みたかったイギリスに協力したルーズベルトは、日本の真珠湾攻撃のことを知っていながら黙って攻撃させて、アメリカを参戦に導きました。ただし、ルーズベルトはスターリンのことも好きでしたから 次第にソ連寄りになってしまったのです。 そこがイギリスの計算ミスだったので、戦後の1946年にチャーチルがアメリカに渡ってトルーマン大統領も出席している講演会で、あの有名な「鉄のカーテン」 スピーチをやったんです。あれでアメリカはイギリスと一心同体で共産主義に対抗しなければ ならないというムードを作ったんです。 これはキッシンジャーの師匠であるアレン・ダレス( のちのCIA長官)の仕掛けです。自由主義VS全体主義という構図を作って、「封じ込め」 という外交戦略を提唱したんです。これを引き継いだのがキッシンジャーで、 彼が何をしたかというと冷戦の第二段階として中国と付き合いだしたのです。

 それまでのアメリカ外交はソ連と中国を一体として見ていたんです が、 ソ連と中国とは別々に付き合うべきだという戦略に転換しました。 これはロシアマーケットよりも圧倒的にポテンシャルが高い中国マーケットを狙ったものです。

 もともと中国マーケットはアヘン戦争時代からずっとイギリスのものでした。ところが、大戦後、 中国が共産主義になってしまったため 中国市場へのアクセスができなくなってしまったのです。 毛沢東の事実上の鎖国政策で最も困ったのは、イギリスでした。 そこでイギリスは中国を開放し、アメリカ経済を骨抜きにし国力を弱体化させ、同時にチャイナマネーがロンドンに還流する仕組みを作ろうと企ん だのです。そのために動いたのがキッシンジャーでした。

──イギリスのために中国に近づいたんですね。

ジェームズ そうです。キッシンジャーを鄧小平に紹介したのは、 私の知り合いの父親でしたからその辺りの事情はかなり理解しています。当時はまだ毛沢東が生きていましたから、鄧小平を介して毛沢東に近づいて、市場開拓の話ではなくて、毛沢東が毛嫌いしていたブレジネフのソ連を一緒に封じ込めようと言って手を組んだのです。これでアメリカと中国が国交を回復し、その後、鄧小平をトップにして改革開放路線を始めたんです。

 キッシンジャーといえば、 北京に行った時に周恩来とピンポン外交をやったのも有名です。 卓球をやって個人的な付き合いを上手にやったんです。それもあってキッシンジャーは親中と言われるようになったのです 。彼の『中国論』という著書を見ると、確かに親中ですが、あくまで彼は中国市場にアクセスするという任務を帯びていた人で した。

── 自分の利益のために中国にすり寄っていっているうちのケツの毛まで抜かれた人だと思っていました。

ジェームズ 違います。どちらかというと、ケツの毛を抜いたのはKGBです。有名な話ですが、キッシンジャーはペドでした。 KGBの斡旋で少年が用意されて、ホテルでやってしまっているところをすべて****されてしまっています。それでキッシンジャーはKGBの言いなりになり、ワシントンにあるソ連大使館をジョージタウンの丘の上に作ったんです。ジョージタウンの丘に立てばわかりますが、アメリカ議会、ホワイトハウス、ペンタゴン、CIAの建物が見渡せます。つまり、すべての電波通信を取ることができるのです。

──裏切り者なんですね。 キッシンジャーのパーソナリティはどんなものだったんですか?

ジェームズ サタニストです。しかし、ジョージ・ ソロスのような極左的ないやらしいサタニストではないと思います 。なぜならキッシンジャーは人権の擁護のようなことは言いません。 人権無視の危険人物と付き合うことが自分のキャリアにつながることを知っています。

 また、小国を差別する差別主義者です。日本は小国だと思っていて、日本人の事を「戦略が絶対にわからない人種だ」と言っていましたし、必ず「 ジャップ」と呼びました。田中角栄がキッシンジャーの相談なしに中国と国交回復した時には 「ジャップに裏切られた!」と怒っています。それでロッキード事件を起こして、田中角栄を潰したのです。

──あれはキッシンジャーがやったんですね。

ジェームズ そうです。彼はナショナル・セキュリティ・ アドバイザーだったのでCIAからなにからすべてを操作できる立場にありました。

 アメリカ国民のことも無視していました。 アメリカ国民のためになるようなことは何一つしていません。彼はロックフェラー家のエージェントでもあり ロックフェラー家のために中国市場を開放したのです。ただし、 ロックフェラー家の上に女王陛下がいましたから、これも結局女王陛下のためでした。 彼は女王陛下と個人的な付き合いもあって女王陛下主催のパーティ ーの常連でしたし、 陛下が乗る馬車に同席しているくらいですから、物凄い待遇です。

──嫌な人ですが、徹底していたんですね。

ジェームズ 自分と女王陛下のために生きてきた人間です。そのために、ドイツ国民もアメリカ国民も日本人も平気で踏み潰してきた人間だということです。ただし、あの時代、それがすべて悪かったかというと、そうとも言いきれません。 なかなかコクのある人だったのです。 興味があればメルマガでご確認ください。
https://tocana.jp/2023/12/post_259889_entry.html
12:777 :

2023/12/24 (Sun) 19:46:29

【LIVE】12/15(金)20:00〜「キッシンジャーと1世紀~後継はWEF創設者シュワブ?それとも?」ーノンフィクション作家 河添恵子
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル
★2023/12/15
https://www.youtube.com/watch?v=e28iKHQEZik

「キッシンジャーと1世紀
~後継はWEF創設者シュワブ?それとも?」
13:777 :

2024/01/03 (Wed) 20:40:18

戦争犯罪人?外交の巨人? ?キッシンジャーとは〜前編〜|山岡鉄秀×やまたつ
2023/12/30
https://www.youtube.com/watch?v=ugj48ITz6jw&t=10s

戦争犯罪人?外交の巨人? ?キッシンジャーとは〜後編〜|山岡鉄秀×やまたつ
2024/01/03
https://www.youtube.com/watch?v=KOREtnehaQ4
14:777 :

2024/01/08 (Mon) 17:34:42

【外交の魔術師】キッシンジャー氏の功績と闇の組織のつながり
調査報道 河添恵子TV / 公式チャンネル
2024/01/02
https://www.youtube.com/watch?v=c7yIE_pQ4uA
15:777 :

2024/02/15 (Thu) 17:40:45

キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part①|伊藤貫×室伏謙一
2024/02/12
https://www.youtube.com/watch?v=Swm4tVzhZZs

キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part②|伊藤貫×室伏謙一
2024/02/15
https://www.youtube.com/watch?v=bbTIGT1yiHw
16:777 :

2024/02/20 (Tue) 06:12:05

キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part③|伊藤貫×室伏謙一
2024/02/19
https://www.youtube.com/watch?v=4e80xcnKa9A
17:777 :

2024/02/21 (Wed) 20:04:23

キッシンジャーの栄光と残虐!!! Part④|伊藤貫×室伏謙一
2024/02/21
https://www.youtube.com/watch?v=YReQ1f2bSQk
18:777 :

2024/04/17 (Wed) 02:33:47

イスラエル政府の内部にはトーラー(キリスト教の旧約聖書)を持ち出し、パレスチナ人虐殺を正当化する集団がいる。正気ではない人びとによってイスラエルは動かされている。

 イスラエルは1973年10月6日にエジプト軍の奇数攻撃で始まった第4次中東戦争で窮地に陥り、8日にはゴルダ・メイア首相の執務室で開かれた会議で核ミサイルの****準備をするということで合意している。その第一目標はエジプトとシリアの軍事司令部だった。

 ソ連の情報機関は早い段階でイスラエルが核弾頭を使う準備をしていることに気づき、その情報はエジプトの参謀長に伝えられ、9日の朝にはアメリカ政府へもイスラエルが核兵器を使う準備をしていると警告している。

 その後、アメリカは物資をイスラエルへ空輸してイスラエル軍の反撃を支援した。ヘンリー・キッシンジャーがエジプトのアンワール・サダト大統領に行った説明によると、核戦争へとエスカレートすることを防ぐためだったという。

 その一方、ソ連のアレクセイ・コスイギン首相は16日にエジプトへ飛んで停戦するように説得、22日にはキッシンジャーがイスラエルから内諾を得るのだが、イスラエルはエジプトへの攻撃をやめなかった。アメリカの足下を見透かしての強攻策だった。

 そこで、ソ連はアメリカに対し、イスラエルが停戦の合意を守らないならば、適切な対応策を講じると警告。イスラエル軍の侵攻を阻止するため、ソ連軍を派遣する意志を表明したのだと解釈されている。キッシンジャーはイスラエルに停戦を強く求めた。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option”, Random House, 1991)

 今回もロシアや中国が強く出ない限り、西側の有力メディアを利用して人びとを操るアメリカやイスラエルのカルト的な好戦派を止めることはできないかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404170000/

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