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ラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark』2000年

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ラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark』2000年

監督 ラース・フォン・トリアー
脚本 ラース・フォン・トリアー
音楽 ビョーク
撮影 ロビー・ミューラー
公開 2000年5月17日

動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1145854
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1145942
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146010
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1151705
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146139
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146197
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146237
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146419
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1146549
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1150997


『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(原題:Dancer in the Dark)は、ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演の、2000年製作のミュージカル映画。『奇跡の海』と『イディオッツ』に次ぐ「黄金の心」3部作の3作目とされる。アイスランドの人気女性歌手ビョークを主役に据え、手持ち撮影主体のカメラワークやジャンプカットの多用によるスピーディーな画面展開、不遇な主人公の空想のシーンを明るい色調のミュージカル仕立てにした新奇な構成の作品である。


ストーリー

舞台はアメリカのある町。チェコからの移民セルマは、息子ジーンと2人暮らし。貧しい2人はアパートに入ることもできず、隣人のビルからトレーラーハウスを借りて生活している。

セルマは先天性の病気で徐々に視力が失われつつあり、医者からは今年中には失明すると告知されている。ジーンもまた、彼女からの遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまうため、セルマは昼はプレス工場で働き、夜は内職をして手術費用を貯めていた。 工場では作業を確実に行うための視力検査が行われるが、セルマは親友キャシーの協力と眼科医の恩情でどうにか乗り切る。セルマの楽しみはミュージカルの舞台で歌い、踊ることであったが、それも視力の悪化で徐々に難しくなりつつあった。

ある日、クラスでただ1人だけ自転車を持っていなかったジーンは、セルマに自転車が欲しいとねだり、困らせる。それを聞いたビルとその妻リンダ、それにキャシーとセルマに思いを寄せるジェフが、自転車をプレゼントしてくれた。普段は決して高価なプレゼントを受け取らないセルマだったが、可愛い息子ジーンが大喜びする姿を見て、受け取ってしまう。

ビルの妻リンダは、ビルには親の遺産があるのだと言い、実際にぜいたくな暮らしをしていた。ところが、実際にはリンダの浪費が激しすぎたために遺産はとうに底をつき、ビルは家を担保に銀行から借金をしていたのだ。ある日、ビルから涙ながらにそんな愚痴を聞かされたセルマは、自分もジーンのために身を粉にして働き、手術費用を貯めているのだと打ち明ける。

ある日、ますます視力が悪化したセルマを心配したジェフは、車で自宅へ送ろうと言うがセルマは断ろうとしていた。そこへビルが現れ、自分が送ると言い出す。借金で首の回らないビルは道中でセルマに金を無心するが、セルマははっきりと断った。

セルマは完全に失明する前に何としてでも貯金を殖やそうと、キャシーの反対を押し切って工場での夜勤も始めることにする。仕事は大変だったが、セルマはプレス機の音をダンスの演奏だと想像して楽しんでいた。しかし、ついにミスを犯したセルマは機械を壊し、解雇されてしまう。その帰り道、セルマから失明を打ち明けられたジェフはショックを受けるが、セルマ自身は空想の中でダンスを踊り、自分を励ましていた。

一方、自殺を考えるほど借金に追い詰められたビルは、セルマの貯金を狙っていた。セルマを罠にかけて貯金の隠し場所を知ったビルはとうとう金を盗み出し、さらに口封じのためセルマが自分に迫ったとリンダに吹き込んで、敷地からも追い出そうとする。セルマはビルから金を取り返そうと、家の2階にいたビルのもとへ乗り込むが、ビルは拳銃を取り出して脅す。しかし息子のために必死なセルマは怯まず、もみ合いになったはずみで銃が暴発、ビルは瀕死の重傷を負った。

死を悟ったビルは、セルマを悪人に仕立て上げることで事態を収めようと考え、階下にいたリンダに通報させつつ、金が欲しければ自分を撃てとセルマを挑発する。混乱したセルマはビルを撃ってしまうが、それでもビルがポーチに入れた金を放そうとしなかったため、金庫でビルを激しく殴打して、ようやく金を取り返した。

ほぼ盲目となっていたため事態のわからないセルマは、そのまま眼科医に行き、貯金を預けると「ノヴィ」が来たら手術を受けさせてやってほしいと頼み込む。「ノヴィ」はセルマの故郷、チェコの有名なダンサーであり、眼科医はそれがジーンを指してのものだと察する。

その後セルマは逮捕され、やがて裁判にかけられるが、共産主義国であるチェコからの移民だったために差別視され、不利な立場に追い込まれていく。さらに、ほぼ失明状態にあったことを隠して仕事をしていたこと、貯金を周囲に知られまいとして架空の父親「ノヴィ」に送金していると吹聴していたことなどから、障害を隠れ蓑にして周囲の同情を買っていたと決めつけられる。ただ金を取り戻そうと、見えない目で必死にビルを殴打したことも、冷酷で残忍な性質の証拠としてすり替えられてしまった。

証人の1人として、裁判所に本物の「ノヴィ」がチェコから召喚される。ノヴィはセルマの父親ではないと証言し、セルマはますます不利な立場となるが、セルマは憧れのダンサーに逢えたことだけを喜び、ノヴィと舞台で踊る自分を空想する。

セルマには第一級殺人の罪で、絞首刑が言い渡された。収監されたセルマは、面会人となったキャシーに、ジーンに「ノヴィ」と名乗って眼科医に行くよう伝えてほしいと頼む。セルマを思い続けていたジェフは、セルマが手術費用を医師に預けていることを突き止め、それを聞いたキャシーは、その金で有能な弁護士を雇えば、今からでも無罪を勝ち取ることができるとセルマに勧める。しかしセルマは、自分が助かるよりもジーンが失明を免れるほうが大切なのだと答える。

セルマに同情していた女性刑務官は、セルマに通風口から教会の讃美歌が漏れ聞こえてくることを教え、セルマは死刑執行までの恐怖の日々を「My Favorite Things」を歌うことで乗り切った。刑が執行される日、キャシーはジーンの眼鏡をセルマに手渡し、彼が手術を受け、それが成功したことを知らせる。

女性刑務官に付き添われ、セルマは絞首台に立った。「最後から2番目の歌」を心に思い浮かべるセルマ。〝これは最後の歌じゃない。分かるでしょ。私たちがそうさせない限り、最後の歌にはならないの〟というフレーズの中で刑は執行され、その体は落下していく。見届け人の前で、ミュージカルの幕引きのようにカーテンが引かれ、やりきれなさを抱えた女性刑務官はその場に立ち尽くす。


出演者
役名 俳優 日本語吹替
セルマ ビョーク 玉川砂記子
キャシー カトリーヌ・ドヌーヴ 鈴木弘子
ビル デヴィッド・モース 内田直哉
ジェフ ピーター・ストーメア 宗矢樹頼
ノーマン ジャン=マルク・バール 大川透
ジーン ヴラディカ・コスティック 出口佳代
リンダ カーラ・シーモア 西田絵里
オールドリッチ ジョエル・グレイ 伊井篤史
サミュエル ヴィンセント・パターソン 森田順平
地方検事 ジェリコ・イヴァネク 納谷六朗
ブレンダ シオバン・ファロン 藤生聖子
ポーコルニー医師 ウド・キア
医師 ステラン・スカルスガルド


評価
高い評価を得て、2000年の第53回カンヌ国際映画祭では最高賞であるパルム・ドールを受賞し、ビョークは映画主演2作目で主演女優賞を獲得した。音楽もビョークが担当し、特にトム・ヨーク(レディオヘッド)とデュエットした主題歌『I've seen it all』はゴールデングローブ賞およびアカデミー賞の歌曲部門にノミネートされるなど高く評価された。

コラムニスト・司会者のマツコ・デラックスは本作を好きな映画に挙げ、ラジオ『伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!』で本作を推薦した[3]。

齋藤飛鳥(乃木坂46)は『週刊プレイボーイ』のインタビューで好きな映画に本作を挙げている[4]。


セクハラ問題
本作で主演したビョークは2017年10月に「一緒に働いたデンマークの映画監督」からセクシャルハラスメントを受けたと公表した[5]。当時は「#MeToo」と呼ばれるセクハラや性的暴行の被害体験を告白・共有する運動がハーヴェイ・ワインスタインに対する告発を契機に盛り上がっている時期だった。すぐにこのセクハラをした人物として主張された監督は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークを起用したラース・フォン・トリアーだと明らかになった[6]。ラース・フォン・トリアーはこのビョークの被害の訴えを否定し、「私たちは間違いなく友人同士ではなかった。それは事実です」とメディアに語った[7]。その後、他にもセクハラを告発する女性が続々と現れ、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にも関わった製作会社の「ゼントロパ」ではセクハラが組織内で常態化していたことが報じられた[8]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%AF
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2022/05/26 (Thu) 20:34:18

ダンサー・イン・ザ・ダーク

制作 00年 デンマーク
監督 ラース・フォン・トリアー
使用された音楽 ワーグナー「ニーベルングの指環」  (無光での冒頭という形で)
使用された意図 ヨーロッパの聖と毒

このメールマガジン「映画の中のクラシック音楽」では、以前にアニメの「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版における音楽の使用の意図を考えました。そして、そこでの引用方法は「無音」という形での引用でした。

5分間の実質的な無音部分を作り、これを強調することで、マーラーの交響曲第2番を引用していたわけ。


今回のラース・フォン・トリアー監督の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では「無音」ではなく、「無光」というスタイルでの引用です。

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、劇場版においては、スクリーンに何も写っていない状態から、静かに音楽が立ち上ってくるわけです。

言うまでもなく、このような冒頭はワーグナーの舞台祭典劇の「ニーベルングの指環」の第1作目、つまり序夜の「ラインの黄金」の冒頭部分と同じです。

ちなみに、このような手法は劇場でしか使えませんね。

家庭内での鑑賞を前提としたヴィデオとかDVDで、このような真っ暗な中から音楽が立ち上ってくる・・・ということは不可能ですからね。

家庭内の照明は、映画の監督が指示できるものではありません。ヘタをすれば、「これは不良品だ!」などと、せっかちな人からクレームがついたり、ヴィデオの早送りでさっさと処理されるのがオチでしょう。

ということで、劇場版では無光だったのが、ヴィデオ版では単純な映像がついています。

しかし、冒頭の音楽そのものは、弦楽器の低い音にホルンが絡んでくる・・・という音響で、音響そのものも「ラインの黄金」と同じですね。

逆に言うと、監督が劇場のライトを指定できる劇場版においては、ヴィデオ版とは違った表現をしているわけ。その部分にこだわりがないのなら、劇場版でも、ヴィデオ版と同じように、単純な映像をつけるでしょう。

フォン・トリアーは、あえて、光のない劇場から、音響が立ち上ってくるという状況を作り出しているわけです。

ということで、ラース・フォン・トリアー監督は、意識的にワーグナーを引用しているわけです。

ラース・フォン・トリアー監督は重症のワグネリアンですよね。
「タンホイザー」の音楽は、確か別の作品でも使っています。

では、彼にとってワーグナーの音楽とは何でしょうか?

それは「聖」と「毒」の絡み合った世界ということなんだろうと思います。

実際に、ワーグナーの音楽には「毒」がありますよね?
モーツァルトとかベートーヴェンの音楽には「毒」なんてなく、「聖」なるものしかありませんよ。モーツァルトもベートーヴェンも、いっそのことドビュッシーもウェーベルンも、その音楽を毒々しいとはいえないでしょ?

そして、ワーグナーの音楽には「聖」なるものもたっぷりありますよね?
劇音楽らしい、作られた「聖」と言えるのかもしれませんが、「毒」と一緒に存在することによって、「聖」の部分も、より一層際立つといえるんだと思います。

このように、「聖」と「毒」が一緒にあるために、「ワグネリアン」なるワーグナー信者が生まれ、社会に多大な影響を与えることになる。
「聖」なるものだけでは、人を惑わすことはできませんし、「毒」だけでも無視されちゃいますよ。

この「聖」と「毒」が一緒に存在する世界・・・

このようなワーグナーの世界は、ある意味において、ヨーロッパの精神世界そのものと言えるでしょう。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じラース・フォン・トリアー監督の「キングダム」という作品の冒頭のモノローグは「この魑魅魍魎の渦巻く沼地の上に建てられた、近代科学の粋を集めた病院」という言葉でしたが、この言葉はヨーロッパの精神の比喩そのものでしょ?

「神」による「聖」なるもの、それに対する「毒」、あるいは「近代科学」・・・すべてあってこそヨーロッパと言えるのだとフォン・トリアー監督は考えているようですね。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の冒頭の、全く光のない劇場に弦楽器とホルンによって立ち上ってくる音響は、ワーグナーの引用であり、この映画が「聖なるもの」と「毒々しいもの」を含んだ「ヨーロッパの精神」をテーマにした作品であることを聴き手?に印象つけるわけです。

しかし、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に舞台はアメリカですよね?
主人公のセルマはチェコからの移民ですが・・・

つまり、この作品の設定は、「アメリカの中のヨーロッパ人」そして「アメリカ文化?の中のヨーロッパ精神」になっているわけです。

「ニーベルングの指環」を使って観客にワーグナー・・・ひいてはヨーロッパ精神を印象つけたフォン・トリアー監督ですが、別の音楽も引用しています。

クラシック音楽ではありませんが、皆さん御存知の音楽であるミュージカルの「サウンド・オヴ・ミュージック」です。主人公のセルマが映画作品中で上演の練習をいたします。一種の劇中劇となっているわけ。

この「サウンド・オヴ・ミュージック」という作品は、皆さん御存知のとおり、ナチスに反対しヨーロッパを逃れ、アメリカに渡ったフォン・トラップファミリーの話。

ヨーロッパとアメリカの対立?というテーマがここでも喚起されているわけです。

先ほど書きましたが、ヨーロッパには「聖」と「毒」がある。少なくともフォン・トリアー監督はそう考えているようです。


では、アメリカ精神には何があるの?

それは「正義」と「悪」ですね。
アメリカにはこの世を越えた「聖」はなくても、この世の規範である「正義」はあるでしょ?

自らを蝕む「毒」はない代わりに、他者を裁く「悪」がある。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、そのようなヨーロッパの「聖」と「毒」が明確に描かれています。

「聖」なるものの代表例は言うまでもなく、教会です。

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では不思議なくらいに教会が出てこない。
共産圏から移住してきたセルマが教会に行かないのは、分からないでもありませんが、その他の人が教会に行くシーンもありません。

これが単に映画の尺の関係ではないことは、刑務所での死刑の場面を思い起こせばスグわかります。

通常このような死刑のシーンにつきものの、聖職者(牧師とか神父)がいないでしょ?

映画における普通の死刑のシーンでは、刑の執行される前に聖職者と会話するシーンがつきものです。一番感動するシーンですからね。では、どうしてないの?

この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、このような「聖」を思い起こすような人物は注意深く避けられているわけです。

キリスト教関係でいうと、セルマが刑務所のダクトから聞こえる賛美歌と、囚人の部屋にある1枚のキリストの肖像くらいです。

ダクトから聞こえる賛美歌・・・この賛美歌は一体どこから聞こえるのでしょうか?


他の人には聞こえない賛美歌・・・

セルマの心にしか聞こえない音楽・・・

これはヨーロッパから聞こえる・・・

と言えるでしょう。勿論、物理的には無理ですが、心では聴こえているわけ。

つまり賛美歌を喜んで聴くセルマにもかかわらず、死刑において神父の立会いもない・・・

これくらいアメリカには「聖」から距離がある・・・とフォン・トリアー監督は言っているわけです。

では、ヨーロッパの「毒」とは?

それはまさにこの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、遺伝性の病気として示されているわけです。

「遺伝することがわかっているのに、何故に子供を作ったのか?」という疑問は、「毒に満ちて閉塞感の漂うヨーロッパ文化を伝承することに、価値や意味があるのか?」という、監督のフォン・トリアーの自問でもあるわけです。

毒に満ちた文化を伝承することによって、その「毒」も伝承される。

その価値と覚悟・・・

それがラース・フォン・トリアー監督が、この作品で言いたかったことでしょう。

ヨーロッパの持っている出口のない状況と、未来一杯のアメリカ。
シリアスなヨーロッパの表現と、能天気なミュージカル仕立てのアメリカ風表現。

精神主義のヨーロッパと、商業主義から抜け出せないアメリカ家族。
約束を守るヨーロッパ人と、約束を無視するアメリカ家族。

勿論のこと、映画の中での区分けですので随分ステレオタイプな分け方ですが、この作品においての、ヨーロッパとアメリカとの切り分けはこのようなところです。

例の事件のあった家族の庭に星条旗がはためいているのは偶然ではないわけ。
あの家族がアメリカ人の典型だ!とフォン・トリアー監督は言っているわけです。

あるいは、あの家における知性の欠落は、本棚を見ればスグわかるようになっています。
何かの全集ものがキレイに並んでいるんですね。
本棚の本がズラーと並んでいて、外見上もキレイなのは、本を読んでいない証拠。
これは映画上ではよくある表現です。

勿論、アメリカ人にも善意はありますよ。問題はそれ以外の部分ですね。

そうそう、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という作品は「息子を守る母の強い愛!!!」とかのキャッチコピーで宣伝されましたが、今まで書いてきたように、フォン・トリアー監督の意図は別のところなんでしょう。

ただ主役を演じたビョークにしてみれば、やっぱり「母の愛」の方が興味があったでしょうね。フォン・トリアー監督とビョークは、撮影中に随分ぶつかったそうですが・・・

まあ、映画作品は監督の思惑どおりに行き過ぎると面白くない面もあったりします。

特にフォン・トリアー監督はちょっと「頭」で映画を作るようなところもありますしね、他の作品などに見え隠れします。

また、この作品ではカトリーヌ・ドヌーヴ演じるキャシーがいい効果を生んでいます。

作品中ではこのキャシーがどこの国から来たのか?

生粋のアメリカ人なのか?

示されてはいません。いわば、すべての国の人と言うことなんでしょう。

彼女は観客の代弁者なんですね。
映画を見ている観客が思っていることを、その都度、観客の代わりに映画の中で言っているわけです。

ヘンな話、ドヌーヴ演じるキャシーなんていなくても、ドラマの上では問題はないわけです。
そもそもキャシーなんて名前は、ドヌーヴの名前カトリーヌを英語読みしただけでしょ?

ただ、観客の代弁者が常にスクリーンでがんばっているので、観客はドラマに入りやすい。
俗に言う「オイシイ」役と言えますよね。

というわけで、フォン・トリアー監督の割には、観客に配慮している作品と言えます。まあ、だからヒットしたんでしょう。

ただ、フォン・トリアー監督がワーグナーのオペラや「サウンド・オヴ・ミュージック」を引用したり、あるいは「聖なるものの象徴としての教会」を排除してドラマを作っている意味も考えると、「母の愛」以外の面も見えてくるわけです。

まあ、フォン・トリアー監督がアメリカの単純さに距離を置く人であることは明白ですね。

まあ、「あんなに単純で生きられたらラクだろうなぁ・・・」と思っているのかな?
http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-12/03-12-16.htm
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2022/05/26 (Thu) 20:37:45

ワーグナーの名曲
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14003609

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『舞台祝典劇 ニーベルングの指輪』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/386.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ラインの黄金』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/618.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ワルキューレ 第1幕』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/371.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ワルキューレの騎行』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/372.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ヴォータンの告別と魔の炎の音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/373.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ワルキューレ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/617.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ジークフリート』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/616.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々の黄昏 夜明けとジークフリートのラインへの旅』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/374.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々の黄昏 ジークフリートの死と葬送行進曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/375.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々のたそがれ 第3幕 ブリュンヒルデの自己犠牲とフィナーレ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/376.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 神々の黄昏』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/615.html

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