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イングマール・ベルイマン『叫びとささやき Viskninger Och Rop』1973年

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2022/05/24 (Tue) 15:39:44

イングマール・ベルイマン『叫びとささやき Viskninger Och Rop』1973年

『叫びとささやき』(原題:Viskninger Och Rop, 英題:Cries and Whispers)は、1973年のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマン製作・監督・脚本による作品。第46回アカデミー賞で撮影賞受賞。

監督 イングマール・ベルイマン
脚本 イングマール・ベルイマン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
公開 1973年3月5日

音楽:
シャーリ・ラレテイ:ショパン作曲「マズルカ イ短調 作品17-4」
ピエール・フルニエ:バッハ作曲「組曲第5番ハ短調 より サラバンド」

動画
https://www.youtube.com/watch?v=tuff-Z20k10
https://www.youtube.com/results?search_query=Viskninger+Och+Rop

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キャスト

イングリッド・チューリン:カーリン。長女
ハリエット・アンデルセン:アグネス。次女
リヴ・ウルマン:マリア。三女
カリ・シルヴァン:アンナ。アグネスの召使
ヨールイ・オーリン:フレドリック。外交官、カーリンの夫
ヘニング・モリッツェン:ヨアキム。商人、マリアの夫
エルランド・ヨセフソン:医師
アンデルス・エク:牧師

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AB%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8D



ヴィヴィッドな色彩の室内で語られる女性たちの苦悩
『叫びとささやき』(1972)

 『仮面/ペルソナ』と同様に、この作品でも男性の影はきわめて薄く、主として女性たちによって物語が進んでいく。19世紀末のスウェーデン、大邸宅に住む4人の女性たちの愛と苦悩が描かれる。ベルイマン監督作として初めて日本で上映されたカラー作品である本作は、壁や絨毯など部屋全体が赤を基調とした独創的な色彩設計が高く評価され、アカデミー賞(撮影賞)ほか各賞を受賞した。

 この映画は、ベルイマン監督が本作を手掛ける数年前に見た夢が基になっている。それは赤い部屋の中で白い衣服を身につけた3人の女性が、何かをささやきあっているという内容のものだったという。そんな夢の風景が発端にあるためか、現実と夢、幻想と記憶の場面との境界線があいまいになっており、時間が存在しないかのような独自な世界がかたち作られている。物語は、邸宅のみで展開する室内劇だが、この邸宅を女性の子宮のメタファーとして解釈することも可能だという指摘もある。


 映画賞を複数受賞するなど、高い評価を受けた本作だが、これがスウェーデンで劇場公開を目的として制作された最後の作品となった。当時のベルイマン映画がスウェーデンの観客に求められなくなったことも意味するが、そのことが新たな試みへと導くこととなる。それが、「ある結婚の風景」(1973)での連続テレビドラマという形式だった。結婚10年目を迎えた一組の夫婦のリアルを描き出した人間ドラマは、安定した暮らしを送っていた2人が、夫婦についての取材を受けたことを機に徐々に変化していく様子が各50分の6エピソードで描き出していく。

 現在では、長いキャリアを持つ映画監督がテレビドラマを手掛けることは珍しくないが、当時のベルイマン監督としては“落ち目”であったことは事実だろう。そんななかベルイマン監督は、自身の個人的な体験を踏まえて夫婦の物語を紡ぎ出した。彼は『叫びとささやき』に出演した女性たちとも愛し合ったことがあるとされているが、5度の結婚と数多くの女性との同棲生活を経験した彼にとって、女性は映画づくりのエネルギーを与える存在であったことはまちがいなく、「ある結婚の風景」は自身の体験を基に夫婦間の問題を物語として展開させたのだといえる。
https://www.cinematoday.jp/page/A0006148




精神の冬へ、ベルイマンの視点#4・・・映画「叫びとささやき」(1972年)
2010-05-20

とにかく『赤』が印象的な映画です。見終わった後のこの映画の記憶を探ってみれば、強烈な赤い壁の部屋、それによる赤と白のコントラスト、4人の女のエゴとやさしさ、胸が痛くなるような病魔の叫び、病んだ精神の苦悩…、脳裏に焼き付いたイメージは実はそんなに多くはありません。にもかかわらず、一つ一つの重厚な演出は深みと重さを感じさせ一瞬たりとも目が離せない緊張感が漂っています。魂が静かに揺さぶられたようなじわっとくる深みのある感動をおぼえた映画でした。このベルイマンの映画のタイトルは、彼の代表作として知っていましたが、見たのは今回が初めてでした。もし多感な20代前半(学生時代とか)に、大きな画面の映画館で見たとしたら自分の思考に対して大きな影響を与えていたかもしれません。そんなことを考えてしまうほと、ある意味インパクトのあった映画でした。

この映画でまず一等引き付けられるのは末期の子宮癌に侵されている次女のアグネスの様子です。癌の痛みによる彼女の悲痛な叫び声は何とも言えない気持ちにさせられます。ボクの父親は癌で数年前に亡くなったのですが、その時の様子を思い出さざるには得ませんでした。ここまでの入魂の演技はなかなかみることはできません。演技で引き付けるとはこのようなことをさすのでしょう。それを演じた女優は素晴らしいの一言です。

そしてその癌の苦しみに対して真に献身的なのが、身内の姉妹ではなく家政婦のアンナです。アグネスの苦しみに対してアンナは豊満な胸をあらわにして、まるで母が子を癒すように抱きしめそれを緩和させようとします。アグネスも平安を求めるかのようにアンナにすがります。この女性同士の様子は一見不自然に見えてしまうのですが、エピソードとして、アグネスは子供のころ母親に対して近づけず母の愛に飢えていたというトラウマがあることと、一方のアンナも自分の子供を亡くしており毎日祈りを捧げているということから、その場面を驚きながらもすんなり納得して見ることができるのです。

驚愕すべきは、精神が病んでいるとしか見えない長女カリーンの行為。割れたガラスの破片を自身の性器の部分に突き刺し傷つける。そのままベッドに横たわり足を広げ、血で塗れた女陰に手をやりついた血を顔に塗りたくり夫を誘う。不能な夫に対する自虐的な復讐行為なのか?逆に次女のアグネスを挟んで三女のマリアは、かかりつけの医者と自分の欲望に忠実に白昼堂々と不倫の関係にあります。気の弱い彼女の夫は自殺行為でしかアピールできません。声に出せない分、体で表現をしたのです。それらの行為を見る限り、長女と次女は、次女を真ん中にして(この次女の魂は成仏できず浮遊している)裏と表の相似の関係にあるかのように描かれているんじゃないのかなと思いました。
やがて次女のアグネスが癌で絶命しますが、霊的存在になっても先ほど書いたように成仏できず、この姉妹が住む屋敷に執着を持ち、姉や妹に語りかけます。そのあたりの部分は、ホラーの趣もあるのですが、さすがにベルイマンはどこまでも思索的な世界を崩さずに保持しています。(だから尚更ベルイマンの演出がすごいと思う)そのように展開がオカルトチックになってしまっても人間ドラマのレベルは高いままで、最後までアグネスの面倒をみるのは母性的な愛情を本来的に持っている家政婦のアンナに割り当てられます。アグネスが死んで神父が訪れた時、残された者達の苦しみをあの世に持って行ってくれというようなことを言ってましたが、彼女は上と下の姉妹の間に挟まれエゴの犠牲者であったのかも知れません。アグネスは結局、神父の言葉では成仏できず、彼女の魂を救ったのはアンナという皮肉、アンナはここでは聖母マリア的なの目を果たしているのでしょうか?

この映画に登場する三人姉妹の世界はそれぞれの立場でお互いあくまで世界は自分中心に回っているという都合のいい価値観がぶつかり合っています。とはいいながら三人姉妹のみならず誰でも自己の価値観、世界観からは抜け出すことができないので、その世界は我々の世界を反映していると言えるのです。少なくとも肉体的、物質的側面のみでは人生は救われないことをこの映画は語っていました。
https://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/f0d7e4b30e8aa1925d3f11244594c0ec

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