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山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』 | ■↑▼ |
2024/08/24 (Sat) 14:58:52
雑記帳
2024年08月24日
山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』
https://sicambre.seesaa.net/article/202408article_24.html
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2-%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%EF%BC%91%EF%BC%98%EF%BC%90%EF%BC%90-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E9%87%8D%E9%83%8E/dp/4480076204
ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2024年6月に刊行されました。電子書籍での購入です。アッシリアは「帝国」としての期間こそ、後続のペルシア帝国やローマ帝国よりずっと短かったものの、紀元前三千年紀に都市国家として出現した時代から紀元前7世紀後半の滅亡まで、国家としての存続期間は長かったように思います。本書は国家としての長い歴史を有するアッシリアの概説で、「帝国」時代だけではなく、紀元前三千年紀の都市国家時代以降を取り上げます。
アッシリア(ギリシア語)は都市アッシュルを起源として発展し、アッカド語ではマート・アッシュル(アッシュルの地)と呼ばれます。アッシュル市周辺では、アッカド語の北方方言であるアッシリア方言が話されており、アッカド語はアジア西部を中心に使用される多くのセム系言語の一つでした。アッカド語はセム語族の一派(東セム語)で、紀元前二千年紀にはメソポタミアとその周辺の「共通語」となり、ヘレニズム時代まで各地で使用されました。アッシリアに関する史料の大半は楔形文字で、アッシリアの版図やその影響圏で発見されています。こうした楔形文字の(準)同時代史料の他に、後代の史料としてヘブライ語聖書やヘロドトス『歴史』などがあります。アッシリアの歴史が詳しく分かるのは、史料が豊富に残っている紀元前二千年紀以降で、紀元前三千年紀については考古学的研究と断片的な文字記録しかありません。
アッシリアの時代区分は、紀元前20世紀半ば~紀元前18世紀が古アッシリア時代、紀元前17世紀~紀元前15世紀の中間期(暗黒時代)を経て、史料の豊富な紀元前14~紀元前11世紀の中アッシリア時代が続き、紀元前10~紀元前7世紀の新アッシリア時代には、とくに史料が豊富です。こうした時代区分は、アッカド語アッシリア方言の変化と史料の区分に基づいた仮定的なもので、アッシュル/アッシリアの王朝史は断絶なく継続していました。アッシリアの年代は、史料と考古学的研究に基づいて、新アッシリア時代についてはほぼ確定していますが、紀元前二千年紀前半については異なる学説が提示されており、時には100年ほどの違いもあるようです。
アッシリアの起源地であるアッシュル付近は、降水量がきわめて少なく、平坦な沖積平野が続くイラク南部とは異なり、起伏があり、天水農耕を可能とする年間300mm以上の降水量があります。アッシュルは神名でもありますが、地名と神名のどちらが先かは不明です。アッシュルには紀元前2600年頃から紀元後14世紀まで、ほぼ4000年間途切れることなく人類が居住し続けました。アッシリアは長命な国家でしたが、その起源地のアッシュルも集落として長命だったわけです。紀元前23~紀元前21世紀には、アッシュルはアッカド王朝やウル第三王朝などメソポタミア南部の強大な国の影響下にあったようです。ウル第三王朝が衰退し滅亡すると、紀元前2025年頃に、アッシュルは少数の有力な商人が主導する都市国家として独立し、紀元前18世紀前半にかけて商業都市として繁栄しました。アッシリア商人はアナトリア半島中央部にまで進出し、多数の記録が残されています。アッシュルからアナトリア半島には錫と織物(おもに毛織物)が、アナトリア半島からアッシュルには金や銀がもたらされました。錫はエラム商人によってアフガニスタン方面からアッシュルにもたらされた、と推測されています。こうした交易は、アッシュル市とアナトリア半島の政治権力によって管理されていました。
当時のアッシリアは有力商人による集団指導体制で、その中から毎年1人「リンム」が選ばれ、後の領域国家時代の王に相当するのは「執政官」や「大人」や「(王たる)アッシュル神の代理人」などと呼ばれましたが、後代の王のような絶対的権力者はいなかったようです。これらの執政官は、後に王統譜に組み込まれていったようですが、その中には外来のアムル系と推測される人々がいました。当時のアッシュルの人口構成は複雑だったようで、土着のアッカド語アッシリア方言を母語とする人々のみならず、アムル系の人々やフリ系の人々もいました。紀元前18世紀半ばになると、アッシュル関連の同時代文書が激減し、「暗黒時代」を迎えて、アッシュルはハンムラビのバビロン第一王朝の影響下に置かれたようです。
紀元前16世紀半ば頃、フリ系のミッタニ(ミタンニ)がメソポタミア北部とその周辺で勢力を拡大し、紀元前15世紀後半には、西方はシリアから東方はザグロス山麓までを勢力圏とし、アッシュルは紀元前15世紀半ば~紀元前14世紀初頭までミッタニに従属していたようです。それでも、アッシュルは固有領土を確保し、エジプトやバビロニアなどと外交関係を築き、紀元前14世紀後半には領域国家アッシリアへと変容していきます(中アッシリア王国)。アッシリアは、古くからの大国エジプトとも対等な姿勢で関係を築きます。ミッタニ滅亡後、アッシリアはシリアへの侵出をめぐって大国のヒッタイトと緊張関係にあったようです。アッシリア王のトゥクルティ・ニヌルタ1世は、ヒッタイトと戦って多数の捕虜を得たようで、南方では敵対関係にあったバビロニアと戦い、バビロンを陥落させ、支配しました。トゥクルティ・ニヌルタ1世は中アッシリア王国時代で最大の勢力圏を築きましたが、晩年には危機的状況に陥り、紀元前1197年頃、息子に殺害されます。
この後、長期にわたってアッシリア王国の政治体制は動揺し、紀元前12世紀後半~紀元前11世紀前半のティグラト・ピレセル1世の代に、再び領土の拡張が目指されます。トゥクルティ・ニヌルタ1世の晩年の前後は、地中海東部地域~メソポタミア地域にかけて交易も含めて複雑なつながりが破壊され、ヒッタイトのような大国が滅亡するなど、激動の時代でしたが(関連記事)、アッシリアはこの大混乱期を滅亡せず何とか乗り越えたようです。ただ、ティグラト・ピレセル1世の領土拡大方針は、遊牧集団の攻撃により頓挫し、アッシリア王国の広域支配は打撃を受けます。ティグラト・ピレセル1世の時代には、古くからの独自の暦(アッシリア暦)に代わって、春を新年とするバビロニア暦が用いられるようになります。アッシリア暦もバビロニア暦も太陰太陽暦でしたが、アッシリアではバビロニア暦の導入後、アッシリア暦は現在のイスラム暦のような純粋太陰暦に変わっていきました。
中アッシリア時代は混乱と衰退で終焉を迎え、紀元前10世紀~紀元前7世紀末の滅亡までが新アッシリア時代となります。中アッシリア時代末の衰退と混乱は紀元前10世紀半ば頃まで続き、紀元前10世紀後半以降、アッシリアはトゥクルティ・ニヌルタ2世の代に一旦失った領土を回復していきます。紀元前9世紀前半にトゥクルティ・ニヌルタ2世から王位を継承したアッシュルナツィルパル(アッシュル・ナツィル・アプリ)2世の代には、アッシリアはアジア西部で最大の王国となります。アッシュルナツィルパル2世はアッシュルの北方約70kmに位置するカルフ(現在のニムルド)に新首都を建設し、これは、カルフが交通の要衝だったためですが、アッシュルの有力な支配層を遠ざけ、王権の強化にもつながりました。カルフの主神に選ばれたのは、メソポタミアで主神とされるニップル市のエンリル神の子である、戦神ニヌルタでした。アッシュル神は紀元前二千年紀後半までには、エンリル神と同一視され、「アッシリアのエンリル」として世界の頂点に君臨する神とみなされるようになります。ニヌルタは「アッシリアのエンリル」の息子でもあり、アッシリア王は「アッシュル神の代理人」および「エンリル神の行政官」として、ニヌルタの化身と解釈されました。
アッシュルナツィルパル2世の息子のシャルマネセル3世の代には、アッシリアの支配圏が拡大し、西方ではシリア北部のほとんどの王国がアッシリアの属国となります。ただ、西方への固有領土の拡大はほぼユーフラテス川を越えず、中アッシリア時代に概念化された「アッシュルの地」の範囲を大きく越えないよう意図的に制御されており、その範囲外には属国が広がっていました。ただ、シャルマネセル3世の晩年には、王の衰えもあってか国政は混乱していたようで、この「分権化の時代」は紀元前8世紀半ば頃まで続きます。王の軍事遠征が目立たず、有力な官僚の功績が見られる「分権化の時代」は、アッシリアの国力衰退を反映しているのか、アッシリアの国力が全体として上昇した「充電期間」だったのか、見解が分かれていますが、内乱を制し、「分権化の時代」に終止符を打ったティグラト・ピレセル3世の時代に、アッシリアは遠方への大規模な軍事遠征によって一気に領土を拡大したことから、「分権化の時代」にアッシリアが少なくとも一定以上国力を蓄積していた可能性は高そうです。
ティグラト・ピレセル3世は、出自に曖昧なところがあり、アダド・ネラリ3世の息子と称した碑文もありますが、正式な王位継承候補ではなかった可能性が高そうです。ティグラト・ピレセル3世は「アッシュルの地」の範囲外に大きく領土を広げ、晩年にはバビロン王権も掌握し、バビロンで正式な王として即位します。アッシリアの領土拡大とともに行政州が再編され、紀元前7世紀前半のエサルハドンの代には、基本的に均一な行財政規模の50以上の行政州に分割されました。この過程でアッシリアは、征服地の住民をアッシリア中心へと連行し、土地開発や建築や軍事に従事させるそれまでの捕囚政策に加えて、被征服地の住民を多数遠方の各地に植民させ、住民が連行された土地には別の遠方地の捕囚民を連行させるという、多方向の強制移住政策を行ないました。これにより、異なる出身地の集団を混在させ、住民がまとまって反乱する可能性を減少させるとともに、国内要所の強化が進められました。アッシリアの強制移住政策による人口移動は、150万人ほどと推定されています。この過程で多数のアラム系住民が取り込まれ、アッシリア中心部の標準言語であるアッシリア語に加えて、アラム語が公用語的な地位を占めるようになりました。こうしてアッシリアは、多様な言語と文化の集団が、本来の居住地から切り離されて他集団と複雑に混在する、「史上最初の帝国」となりました。注目されるのは、アッシリアが政策面では、捕囚民本来の文化的独自性を完全に消滅させようとはしなかったことです。
紀元前722年に即位したサルゴン2世は、出自に曖昧なところがあることから、「新王朝」を樹立した、とも考えられてきましたが、ティグラト・ピレセル3世の息子との系図もあります。サルゴン2世が、ティグラト・ピレセル3世の息子だとしても、母親はアッシリアの西方地域出身だった可能性があり、それまでのアッシリア王統で繰り返し採用されていた即位名とは異なることなどから、サルゴン2世が「新王朝」の創始者だった可能性を指摘します。じっさい、「簒奪者」であるサルゴン2世への反感からか、サルゴン2世の即位直後は政治的に混乱していたようです。サルゴン2世は叛乱を鎮圧し、さらに領土を拡大していきます。サルゴン2世はバビロニアを北部のバビロン州と南部のガンブル州に分割し、アッシリアの行政官に支配させましたが、バビロンで過ごす時間が長く、バビロンの伝統文化に心酔していたようです。サルゴン2世は新たな首都としてドゥル・シャルキンを建設しますが、新首都建設が終わった翌年の紀元前705年にアナトリア半島で戦死します。しかも、サルゴン2世の遺体はアッシリアに戻らず、不慮の死によって墓に葬られない使者の霊は地価の冥界から悪霊として地上に現れ、人々に危害を加える、と思っていたアッシリアの人々にはたいへんな衝撃だったようです。
父のサルゴン2世を継いだセンナケリブは、皇太子としてすでに父王を補佐しており、その王位継承は円滑に行なわれたようです。センナケリブは、不吉な最期を遂げた父王から距離を置くためか、碑文にはサルゴン2世の息子とは記さず、サルゴン2世が新たに建設した首都であるドゥル・シャルキン(「サルゴンの砦」との意味)を避け、南方のニネヴェに遷都しますが、古くからの都市ニネヴェにただ戻ったわけではなく、大改造を行なっています。王位継承は円滑に行なわれたものの、サルゴン2世の戦死は衝撃的で、辺境各地において叛乱が続発します。センナケリブはニネヴェの大改造が一段落した紀元前694年に、軍事遠征を活発化させます。センナケリブはアッシリアから離反したバビロンに攻め入り、苦戦しつつも紀元前689年に陥落させ、バビロンを徹底的に破壊します。傑出した都市だったバビロンの破壊は衝撃的で、センナケリブはその正当化を試みますが、アッシリアとバビロニアとの宗教・文化・政治的緊張関係はその後も続きました。
センナケリブは当初、長子のウルドゥ・ムリッスを後継者と考えていましたが、紀元前683年頃には年少の息子エサルハドン(アッシュル・アフ・イディナ)を皇太子とします。当然、ウルドゥ・ムリッスとその支持者は憤慨し、エサルハドンは西方のハニガルバトへと逃れます。紀元前681年、ウルドゥ・ムリッスは父のセンナケリブを殺害し、エサルハドンは直ちにニネヴェへと進軍し、この反乱を鎮圧して即位します。センナケリブの死はバビロンを破壊したためと考えたエサルハドンは、バビロンを復興します。エサルハドンはエジプトにも遠征し、征服に成功しますが、その後しばらくして反乱が起きます。エジプト以外にも各地で反乱が起き、病弱だったエサルハドンは苦悩したようです。しかし、各地に張り巡らされた監視網によって、反乱は直ちに鎮圧されます。自身の経験から、エサルハドンは用意周到に息子への王位継承を準備していたようで、アッシュルバニパルにアッシリア王位を、その兄のシャマシュ・シュム・ウキンにバビロニア王位を継がせることにします。エサルハドンは紀元前669年、エジプトでの反乱に対処する陣中で没し、アッシュルバニパルがアッシリア王に即位します。
皇太子として英才教育を受けたアッシュルバニパルは、直ちにエジプトに派兵し、制圧するとともに、各地の反乱を鎮圧していきます。アッシュルバニパルの兄でバビロニア王のシャマシュ・シュム・ウキンも、弟からの政治的干渉に反発して大規模な反アッシリア同盟を形成し、紀元前652年に決起して4年間にわたって戦いは続きましたが、アッシリアが優勢となり、シャマシュ・シュム・ウキンは死亡し、紀元前648年に主要都市のバビロンとボルシッパは降伏します。シャマシュ・シュム・ウキンの死後、バビロニアではカンダラヌが王として立てられ、アッシリアの傀儡と考えられますが、その出自と政治的役割の詳細は不明です。アッシュルバニパルはエラムとも戦いを続け、その王都マダクトゥや聖都スサなどを破壊し、財産や人々を略奪します。この徹底的な戦いの後、エラムにはアッシリアに抵抗する力は残っていなかったようです。英才教育を受けたアッシュルバニパルは知識人としての自負が強かったようで、ニネヴェで大規模な文書収集事業を行なっています。
アッシュルバニパルはバビロニアを再度支配し、エラムを最終的に妥当して、アッシリアの全盛期を築いたかのように見えましたが、紀元前637年以降のアッシュルバニパルの碑文は確認されていません。単にまだ発見されていないだけかもしれませんが、何らかの混乱が起きていた可能性も、本書は指摘します。そのため、アッシュルバニパルの治世末期はよく分かっておらず、アッシュルバニパルの没年も紀元前631年~紀元前627年まで複数説があります。アッシュルバニパルの後継者となったアッシュル・エテル・イラニは年少で、アッシリアにおいて王権強化と相互補完的に宦官が優遇されていたこともあり、宦官長のシン・シュム・リシルが後見したようです。アッシュル・エテル・イラニの最期は不明ですが、王位簒奪を図った者により殺された、と推測されています。混戦の中で王位を継承したのは宦官長のシン・シュム・リシルでした。この混乱の中でバビロニアではナボポラサルがバビロンを掌握してバビロニア王として即位し、この過程で争いの中でシン・シュム・リシルは殺害されたようです。
アッシリアでは、アッシュルバニパルの息子であるシン・シャル・イシュクンが即位し、バビロニアの支配回復を図りましたが、ナボポラサルの支配を覆すことはできず、逆に領土を奪われていきます。紀元前615年、アッシリアは古都アッシュルに迫ったバビロニア軍を撃退しますが、ザグロス地域からメディアが反アッシリア陣営に加わり、紀元前614年には古都アッシュルを陥落させます。古都アッシュルの陥落はアッシリアにとって大きな衝撃だったようで、紀元前612年、バビロニアとメディアの連合軍はついにニネヴェを攻め落とします。アッシリアの残党はその後も復興を試み、シン・シャル・イシュクンの息子と考えられるアッシュル・ウバリトがアッシリア西方の拠点都市ハランで即位します。ただ、アッシュル・ウバリトは即位後も「王子」と呼ばれており、アッシリアの王はアッシュルにおいて即位式を行なって初めて、正式にアッシリア王として認知される伝統があったので、アッシュル・ウバリトの正式な称号は「王子(皇太子)」に留まった、と推測されています。紀元前610年にバビロニアとメディアの連合軍はハランを攻め落とし、アッシュル・ウバリトはエジプト軍の支援を得て、バビロニア軍を一度は破ったものの、ハランを奪還できず、これ以降、アッシュル・ウバリトの動向は不明で、ついにアッシリア王国も滅亡します。ただ、アッシリアの遺民の一部は共同体を形成し、その後もバビロニアやメディアの主権を認めて生き残ったようです。現在でも、「アッシリア人」を自認する集団がおり、長く「アラム人」や「シリア人」と自称していましたが、19世紀にアッシリアの考古学的研究が進むと、「アッシリア人」としての民族意識を主張するようになります。
こうしてアッシリアは滅亡したわけですが、後世からは、大帝国が短期間で滅亡に追い込まれたように見えます。本書はアッシリア滅亡の要因をいくつか挙げていますが、その一つが不安定な王位継承です。本書がもう一つ指摘しているのが、「常に拡大する国家」アッシリアの国家経営の行き詰まりです。強制移住も含めて人々や物資の収奪によって拡大したアッシリアは、範囲拡大によって軍事行動とその結果としての拡大が難しくなると、収奪の対象を失い、支配地域に導入された複雑な税制では財政を補えなかったのではないか、と本書は指摘します。アッシリアの膨張によって支配下に入った人々の多くは「帝国臣民」としての自覚を持たず、誰が支配者でも構わないと考えていたことも、アッシリア滅亡の一因として本書は挙げます。また、古環境の研究から、紀元前675~紀元前550年頃は降水量が少なかったことも指摘されています。その結果アッシリアは、飢饉によって食料経済の点で追い詰められたのではないか、というわけです。
本書を読んでの私の印象では、アッシリアは王位継承が不安定で、代替わりごとに反乱が起きているように見え、紀元前7世紀後半の混乱を切り抜け、「帝国」としてもっと存続した可能性も、史実の「最盛期」を迎える前、たとえば紀元前7世紀初頭以前に滅亡した可能性もあるのかな、と思いました。アッシリアの古代ゲノム研究はあまり進んでいないように思われ、私が把握しているのは青銅器時代の1個体くらいで(関連記事)、他には新アッシリア時代の宮殿の煉瓦から植物のDNAが確認されていますが(関連記事)、本書でも指摘されたアッシリアの強制移住については、古代ゲノム研究の進展によって文献と考古学的記録だけでは不明な点も明らかになるのではないか、と期待されます。
https://sicambre.seesaa.net/article/202408article_24.html
2024/08/24 (Sat) 15:01:04
メソポタミア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/369.html
メソポタミア美術
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16832396
3-7. Y-DNA「J」 セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm
2025/08/23 (Sat) 09:41:13
【人類最古の文明】シュメール人とは何者だったのか?
大人の教養TV 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=dcSvmv33X8o
00:00 オープニング
01:42 メソポタミア文明概要
04:23 都市国家
06:12 楔形文字
09:59 法律
13:53 神話
16:18 文字使用例
19:06 星座
21:06 シュメール人の謎
25:06 シュメール人の滅亡
26:03 日本人の起源はシュメール人説
27:42 ドントテルミー荒井の見解
“妄想抜き” で語る【シュメール人】
大人の教養TV 2nd 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=QwIAJ0NEojY
メソポタミア美術 | ■↑▼ |
2023/12/27 (Wed) 19:39:46
メソポタミア美術とは? シュメール人・アッシリア人の表現力がすさまじい件|ジュウ・ショ(アートライター・カルチャーライター)
https://note.com/jusho/n/nfcddd5fd5dd3
西洋美術史入門第3回「メソポタミア美術」―複数の素材を併用した工芸的な副葬品から、神に祈りを捧げる奉納者の像、王宮を悪霊からまもる守護者の浮き彫り彫刻、釉薬を施したレンガの市門装飾レリーフまで - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5eQK0d36nVc&list=PL_LEo6mQTQ1gpEtZYM_zFbweHflCTmr5o&index=3
西洋美術史入門第4回「ペルシャ美術」―動物モチーフをシルエットで描いたデザイン性の高い彩文土器から、青銅や金の金属器、宮殿の基壇レリーフ、日本に渡来した正倉院宝物にも類品があるガラス器まで - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dLIU2XTQiTE&list=PL_LEo6mQTQ1gpEtZYM_zFbweHflCTmr5o&index=4
西洋美術史入門第5回「フェニキア美術」―地中海東岸のシリア地域から、アフリカ北部カルタゴ、現在のスペインが位置するイベリア半島の古代彫刻 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I1e6g6fvPuU&list=PL_LEo6mQTQ1gpEtZYM_zFbweHflCTmr5o&index=5
2024/01/02 (Tue) 17:31:25
メソポタミア美術
https://irohani.art/study/4157/
エジプト・メソポタミア文明期
さてそんなネアンデルタール人の時代からときが進み、紀元前3000年~300年ごろに2つの文明が栄えます。エジプト文明とメソポタミア文明です。前者はチグリス・ユーフラテス川、後者はナイル川による豊穣な地だったから農耕も早く、文明がいち早く築かれました。
エジプト文明やメソポタミア文明など「水」に恵まれていた地は農地などの資源がありました。すると争いが起き、階級が生まれるんです。両方とも超中央集権で「国王こそ最高」みたいな風潮がありました。
エーゲ・ギリシャ芸術の礎となるメソポタミア文明の芸術
メソポタミア文明ではシュメール人が都市国家を形成します。「目には目を歯には歯を」のハンムラビ法典、楔形文字などを発明した彼らは主に大理石やレンガなどで彫刻や絵画を作りました。ときにはレンガに色をつけてモザイクアートのように見せています。
ウルのスタンダード
メソポタミア文明の後期には、称える作品がいくつも生まれています。以下の「アッシュールバニパルの獅子狩り」は侵略しようとする敵国(ライオン)をやっつけるアッシュールバニパル王の姿を描いたものです。
アッシュールバニパルの獅子狩り
これらのアート作品は主に大理石を使って作られています。このスタイルはのちにギリシャ芸術に引き継がれることになるんです。まさに初期西洋美術史の基礎はメソポタミア文明から始まりました。
2024/01/12 (Fri) 08:27:02
あkk
2024/04/25 (Thu) 18:14:30
太陽神を失ったクルド人、世界最初の文明を作った末裔
2024.04.24
https://www.thutmosev.com/archives/34742.html
3400年前のエジプトの壁画に描かれた太陽神アテン、太陽神はメソポタミア発祥
引用:http://blog-imgs-35-origin.fc2cn.com/f/r/a/frankshimakura/Aten_disk.jpg
光のない人達
クルド人といえば埼玉県川口市の団地に大勢住んでいる難民で、難民申請を繰り返しては様々な違法行為をしていると報じられています
クルド民族はトルコやシリアなどに複数の国に数千万人もいるが国家を持たない為、どの国でも厄介者になり迫害されたり抵抗したり独立運動をしています
クルド民族の全盛期は今から5000年ほど前で世界最古のメソポタミア文明を作ったのが何を隠そうクルド民族の始まり、つまりクルドはメソポタミアの末裔になります
栄光のメソポタミア文明は隣のエジプト文明と共に栄えたが、メソポタミアはエジプトより人口が少なく収穫も少なく資源が少なく全てが一回り小さかった
メソポタミアは内部抗争を繰り返して弱体化し紀元前18世紀から紀元前10世紀にかけて混乱し、以降アッシリア、バビロニア、ペルシャ、オスマントルコと支配王朝が変わるうちにクルド民族は支配される側に転落した
古代メソポタミア分裂後にクルドは国を持つことがなく、第一次大戦と第二次大戦はチャンスだったがアラブ諸国やイスラエルのように上手く立ち回る事ができず流民のままだった
支配国になっているオスマントルコ帝国は第二次大戦の敗戦国になったがクルドはこのチャンスも生かす事ができず少数民族のままだった
シリアなど中東諸国ではクルドは迫害される少数民族で、多くはイスラム教を信仰しているはこれはメソポタミアやクルド民族の土着信仰ではなくイスラム諸国に対して従属的な立場になっている
クルドがイスラム教を信仰するのはキリスト教に征服された国々がキリスト教徒になっているようなもので、それを続ける限り西洋キリスト教国に対して従属的な立場から抜け出せないでしょう
クルド民族には指導者とか政府や自治組織やハマスのような過激派すらなく、ただ数千万人がバラバラに住んでバラバラに活動しているだけです
彼らが何をやっているかというと中東で戦争が起きると武装組織として米軍やイギリス軍に協力するものの代表や政府がないので見返りを得られずいつも利用されて捨てられてた
911テロに始まるアメリカの対テロ戦争でもクルド人部隊はアメリカ側で参戦したが、やはり代表組織や政府がないので利用されて用が済んだら捨てられました
スウェーデンでマフィアをやり日本ではもめ事を起こす
クルド人はバラバラに日本や欧州に難民として入国し、スウェーデンは難民に甘かったので10万人ほどが居住している
だがそこでクルド人がやらかしたのはマフィアの結成と「非合法なくすり」のビジネスで、スウェーデンを中継地点に欧州各国に違法薬をばらまいた
それだけではなくスウェーデンの少年たちを組織に組み込んで構成員にしたり、街中でマフィア同士の銃撃戦までやってお人よしのスウェーデン人もクルド人の本性に気づいた
気付いたがもう10万人に永住権を与えたり難民認定したので追い出す事ができず、国中の治安が悪化し取り返しがつかない事になっている
クルド人は数千年前の栄光からなのかプライドだけは高く現地の法律や習慣を守らないので、世界中どこでも評判が悪く彼らに味方するのは変な人権団体くらいです
もう少し常識的な振舞をして世界から認められるような代表組織を作れば良いのだが、彼らは手っ取り早く武器や拳を振り回すので相手にされないのです
こんなクルド民族ですが日本の創成期に大きな影響を与えていて、日章旗や旭日旗の意匠や「太陽神」という神を生み出したのは古代メソポタミアでした
それだけではなくキリスト教や仏教で光を背負う「光背」がメソポタミア起源で、そうしたものが大陸を経由して日本にたどり着いて日章や旭日になりました
今から約3800年前につくられた古代メソポタミアのハムラビ法典には太陽神という考え方があり、太陽神シャマシュの壁画などが残されている
メソポタミアで生まれた太陽神やその他の神はエジプトで大量に壁画に描かれて、インドでヒンドゥ教の神にもなり、インドは仏教の起源でもあり仏教に強い影響を与えた
このようにクルド民族は太陽神と神々の栄光を背負っているが現代のクルド人は「ただのイスラム教徒」に成り果てて、多くの場合騒動とテロを繰り返す厄介者になっている
彼らが太陽神と神々の国の日本にやってきて イスラム教徒として騒動を起こしているのは奇遇だが情けないとしか言いようがない
https://www.thutmosev.com/archives/34742.html
2024/06/02 (Sun) 06:33:24
シュメールの歴史と王が記された石板に書かれていた驚きの内容とは?
世界ミステリーch 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=K1gt4cZrezY
シュメール王名表というものには歴代の王の名前や何が起こったかが記されています。そこには24万1000年もの間8人の王が地球を治めたと言ったことが書かれているのですが、これは本当なのか?今回はシュメール王名表を見ながら、合わせて神話の読み解き方もお話ししていきます!
2025/08/23 (Sat) 09:40:43
【人類最古の文明】シュメール人とは何者だったのか?
大人の教養TV 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=dcSvmv33X8o
00:00 オープニング
01:42 メソポタミア文明概要
04:23 都市国家
06:12 楔形文字
09:59 法律
13:53 神話
16:18 文字使用例
19:06 星座
21:06 シュメール人の謎
25:06 シュメール人の滅亡
26:03 日本人の起源はシュメール人説
27:42 ドントテルミー荒井の見解
“妄想抜き” で語る 【シュメール人】
大人の教養TV 2nd 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=QwIAJ0NEojY
民族の起源・DNA解析関係投稿集 | ■↑▼ |
2022/08/24 (Wed) 00:01:31
777投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14038024
777 日本史 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14038454
777 中国史・朝鮮史 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14095571
777 世界史 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14095572
777 カルト宗教と心の病 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14037582
777 原始宗教、アニミズム・トーテミズムとシャーマニズム 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16835417
777 日本の思想と宗教 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16835412
777 東洋の思想と宗教 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16835414
777 西洋の思想と宗教・深層心理学 関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16835415
▲△▽▼
白人の金髪や青い目、白い肌は氷河時代にバイカル湖周辺に住んでいた古代北ユーラシア人が起源だった
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/180844
コーカソイドによる民族浄化の歴史
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211424
アングロサクソンは自分たちは「イスラエルの失われた十支族」であり、ダビデ王の末裔だと信じていた
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211327
宇山卓栄 _ ウクライナ人とユダヤ人とロシア人がお互いに憎み合う様になった歴史的背景
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211107
宇山卓栄 _ ユダヤ人は悪い
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/211149
▲△▽▼
民族の起源・DNA解析関係投稿集
インターネットの民族の起源・DNA解析関係ブログへのリンク
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14038932
宇山卓栄 世界民族講座◉人種・民族・国民の違いとは? / 日本民族は独自&特殊!by 千田会
2024/07/04
https://www.youtube.com/watch?v=bZo9KUPGg7A
【今回の目次】
・「人種」「民族」「国民」の違い
・世界の主な語族〜民族の分け方〜
・東ユーラシア語族について
※日本人は東ユーラシア語族に含まれない?
・日本人は独自の日本語族
・シナ・チベット語族について
・「語族」と「語派」の違い
・東ユーラシア語族 それぞれの違いは?
・台湾の原住の民族について
・台湾の実情と日台中関係の構築
・オーストロアジア語族(主にカンボジア=クメール人)について
※タイ・ベトナムは中華系
・西ユーラシア語族(コーカソイド)について
・セム語族:アラブ人=ユダヤ人=イラク人
・インド・ヨーロッパ語族:欧州人=イラン人=インド人
・旧約聖書のイシュマエル(アラブ系)とイサク(ユダヤ系)
・ユダヤ教を信仰するセム語族➡︎ユダヤ人
・イスラム教を信仰するセム語族➡︎アラブ人
〜質疑応答〜
・代表的ユダヤ人(ブリンケン、ヌーランド、ゼレンスキーなど)は白人だが、どう捉えればいいのか?
宇山卓栄の世界史・現代史講義
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16841003
▲△▽▼
雑記帳 2025年05月01日
古人類学の記事のまとめ(55)2025年1月~2025年4月
https://sicambre.seesaa.net/article/202505article_1.html
雑記帳 2025年01月02日
古人類学の記事のまとめ(54)2024年9月~2024年12月
https://sicambre.seesaa.net/article/202501article_2.html
雑記帳 2024年09月01日
古人類学の記事のまとめ(53)2024年5月~2024年8月
https://sicambre.seesaa.net/article/202409article_1.html
雑記帳 2024年05月01日
古人類学の記事のまとめ(52)2024年1月~2024年4月
https://sicambre.seesaa.net/article/202405article_1.html
世界ミステリーch - YouTube
https://www.youtube.com/@sekaimystery/playlists
https://www.youtube.com/@sekaimystery/videos
人類の起源【世界ミステリーch】 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLeBS5noj71yhu4VDWI2FS1kUVbfIqhWCL
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル - YouTube
https://www.youtube.com/@lemuriach3391/playlists
https://www.youtube.com/@lemuriach3391/videos
みどりTV
https://www.youtube.com/@MIDORI-TV603/videos
人類の進化史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfnwt5i2s7CVwx1tCltQ1yl5
世界ミステリーch _ ネアンデルタール人の頭蓋骨から『顔』が復元された
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16854610
デニソワ人と現生人類の混血
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16834945
人類は1200人まで減少し、自分自身や環境を変える事で生き残った
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16822339
「石器時代」は「木器時代」だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16854718
篠田謙一 古代ゲノム研究のおそるべき技術革新
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14052212
人類の進化史 - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfnwt5i2s7CVwx1tCltQ1yl5
ヨーロッパ人とアメリカ先住民にはなぜ共通祖先がいるのか?DNAが示す2万年前の共通のルーツとは?文化も似てる!?
History hub 2025/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=qL44mFPiEIU
▼チャプター
00:00 イントロ
00:33 第一章:DNAが語る共通のルーツ
02:11 第二章:古代北ユーラシア人って何者?
05:53 第三章:どうしてこんなに離れてるの?
10:04 第四章:DNAの地図が描く人類の旅
13:46 第五章:文化・神話・言語にも痕跡が?
15:26 まとめ
ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F
白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887
青い目はどこからきたのか?DNAの変異とは?本当は青くない?青い目が広がった意外な理由とは?
History hub 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=cZJIq3qoM2M&t=36s
青い目はなぜ存在するのか?その不思議な起源から、進化の過程、そして現在どれほど希少なのかまでを、科学とユーモアを交えてわかりやすく解説します。6000〜10000年前、黒海北岸で起きたたったひとつの遺伝子変異が、なぜ現代にまで受け継がれているのか?ビタミンD説、モテ要因説、偶然説…複数の仮説を紹介しながら、「青い目は消えてしまうのか?」という未来の話にも踏み込みます。目の色にまつわる進化のミステリー、のぞいてみませんか?
▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:青い目ってそもそも何?
03:23 第二章:青い目はどこから来たの?
06:15 第三章:どのように広がっていった?
12:34 第四章:文化と迷信の青い目
15:38 第五章:青い目は絶滅する?
18:01 まとめ
雑記帳 2025年01月05日
ユーラシア東部圏の人類史(追記有)
https://sicambre.seesaa.net/article/202501article_5.html
【最新人類史】縄文人と弥生人の混血比率/朝鮮半島の縄文人とは/縄文人とホアビニアンとの関係/Y染色体ハプログループDの謎/東アジア人と日本人の起源/ホモ・サピエンスがアフリカから東アジアに辿り着くまで
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2023/12/04
https://www.youtube.com/watch?v=x4x5lVOjL_Y&t=3s
東アジア人類集団人の形成過程に関する研究はヨーロッパに比べ遅れていましたが、ここ数年で東アジアでも古代DNAデータが揃いつつ有り、多くの研究成果が報告されています。
今回は近年の研究で明らかになってきた東アジア人と日本人の起源について解説していきます。
ヨーロッパ人の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007381
遊牧民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16898276
ヤムナ文化の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16894437
本村凌二『地中海世界の歴史』
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16860743
完新世における人類の拡散 _ 農耕と言語はどのように拡大したのか
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14094213
コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14008392
古代中国の殷・匈奴とフン族の Y-DNA は N
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007377
中国最古の王朝 殷
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14097933
文明の衝突 Part 2 中華文明と北方異民族の光芒 宇山卓栄×ゆめラジオ 2025.03.06
https://www.youtube.com/watch?v=lhuxqft0yM8
大陸、第3の文明『遼河文明』弥生人の故郷?【日本の古代史シリーズ 第15回 】
みどりTV 2024/01/20
https://www.youtube.com/watch?v=CQ7XWDXRI5c&t=440s
世界最初の農耕文明を作った長江人の末裔の現在
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14034569
▲△▽▼
1万5000年前のトルコ ギョベクリ・テペ遺跡 _ 原始人のような人達が巨石で神殿をつくっていた
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16891810
北米最古級の村が発見され歴史が変わります!
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16892228
ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F
白人の金髪や青い目、白い肌は古代北ユーラシア人が起源だった
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16888887
白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I
この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ
古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI
この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。
▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ
アメリカ先住民の起源~古代DNA解析で明らかになったヨーロッパ人とアメリカ先住民の共通祖先「古代北ユーラシア人」の存在~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル 2020/10/27
https://www.youtube.com/watch?v=9aHbzWnonvc&list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F&index=2
人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html
アメリカ先住民の起源
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16833139
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/353.html
マヤ文明滅亡の原因
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/670.html
メキシコの初期植民地時代の奴隷の起源と生活史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/979.html
アマゾン盆地に点在する「小さな森」が1万年以上昔に農業が行われていた痕跡だと判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/973.html
先コロンブス期のポリネシア人とアメリカ大陸住民との接触
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/999.html
▲△▽▼
ゲノム革命で明らかになる人類の移動と混血の歴史(ヨーロッパ人の起源&アメリカ先住民の起源) - YouTube
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
https://www.youtube.com/playlist?list=PLCFG6UvfbQfmuxgnoEeSvAbii1WEnJh0F
白人はどこからやってきたのか?金髪や青い目、白い肌の起源とは?初期のヨーロッパ人は肌が黒かった!?
History hub 2024/12/07
https://www.youtube.com/watch?v=ivPu9VkYx9I
この動画では、白人(コーカソイド)の起源と特徴について、進化、遺伝、歴史的背景の視点から解説しています。現代人類はアフリカを出発点とし、ヨーロッパや中東などの環境に適応して進化しました。特に寒冷地適応として、通った鼻や堀の深い顔立ち、白い肌が発達しました。また、中央アジアのヤムナ文化の遊牧民がヨーロッパに与えた遺伝的・文化的影響も大きく、現代の「白人」像の形成に寄与しました。一方、「白人」という概念は18世紀に社会的に作られたもので、科学的には人類は99.9%同じ遺伝子を共有しています。この歴史を通じ、人類全体のつながりと多様性を再認識する内容となっています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:42 第一章:人類の出発点-アフリカ
03:37 第二章:ヨーロッパと中東、中央アジアの古代人類
09:19 第三章:金髪や青い目の起源と広まった理由
14:50 第四章:白人という概念の変遷
17:00 まとめ
古代北ユーラシア人はなぜヨーロッパ人やネイティブ・アメリカンの共通の祖先なのか?金髪や青い目の遺伝子を持っていた!?
History hub 2024/12/13
https://www.youtube.com/watch?v=0arTSD7NBsI
この動画では、約2万年以上前の氷河期にシベリアやロシアで生活していた「古代北ユーラシア人」について解説します。彼らはマンモスやトナカイを狩り、石器を使いこなして寒冷な環境を生き抜いた、驚くべき技術と適応力を持つ古代人です。しかし、彼らは氷河期の終わりに姿を消しました。その原因として、気候の変化や食料の減少、他の人類グループとの混血や競争、さらには自然災害などが挙げられます。DNA分析から、彼らの遺伝子が現代のネイティブアメリカンやヨーロッパ人に引き継がれていることも判明。彼らの生き様は、現代人にも多くのヒントを与えてくれます。
▼チャプター
00:00 イントロ
01:06 第一章:古代北ユーラアシア人とは?
03:06 第二章:どこから来た?
06:27 第三章:彼らの移動と遺伝的影響
10:22 第四章:消えた古代人、その謎
13:33 まとめ
アーリア人はどこからやって来たのか?DNAは残っているのか?ナチス・ドイツによる悪用とは?
History hub 2025/03/08
https://www.youtube.com/watch?v=jfh--HTH3dc
この動画では、「アーリア人の起源」を歴史・考古学・遺伝学の視点から解説します。アーリア人はインド・イラン語派を話す民族であり、約4000年前に中央アジアの**ステップ地帯(ヤムナ文化)**から移動し、インドやイランに定住しました。19世紀ヨーロッパでは「アーリア人=文明の担い手」とする誤解が広がり、ナチスが「金髪碧眼のスーパーレース」という虚構を利用しました。しかし、最新のDNA研究により、アーリア人は遊牧民の一派であり、現代のインド北部やイランに遺伝子的影響を残したことが判明しています。ヨーロッパにもステップ地帯のDNAは含まれますが、アーリア人=ヨーロッパ系ではないことが科学的に証明されています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:アーリア人って誰のこと?
02:38 第二章:どこから来たのか?
07:15 第三章:なぜ誤解が広まったのか?
10:50 第四章:アーリア人の遺伝子は残っているのか?
14:36 まとめ
ラテン人、ゲルマン人、スラブ人の違いとは?ヨーロッパ三大民族!言語、文化、宗教の違いとは?
History hub 2025/02/01
https://www.youtube.com/watch?v=R_7mbQcSAus
この動画では、ヨーロッパの主要民族であるラテン系、ゲルマン系、スラブ系の違いを解説します。ラテン人は古代ローマを起源とし、陽気で情熱的、芸術や恋愛を大切にする文化が特徴。ゲルマン人は北ヨーロッパにルーツを持ち、秩序と規律を重んじ、戦士気質と堅実な精神を持つ。一方、スラブ人は広大な東欧を中心に広がり、粘り強く、魂や共同体を大切にする文化が根付いています。それぞれの民族が築いてきた歴史や文化の特徴をわかりやすく紹介。視聴者に「自分はどの文化に共感できる?」と問いかけ、民族の違いを楽しく学べる構成となっています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:40 第一章:まずはざっくり分けてみよう
01:59 第二章:ラテン系とは?
05:42 第三章:ゲルマン系ってどんな人たち?
09:17 第四章:スラヴ系とは?
13:41 第五章:それぞれの違いと共通点
15:27 まとめ
ゲルマン民族の起源と文化:ヨーロッパの歴史を変えた部族たち
History hub 2024/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=UbMKv5jFp9Q&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=4
今回は「ヨーロッパの歴史を変えたゲルマン民族:起源、文化、そして現代への影響」というテーマで、ゲルマン民族の起源や歴史、文化、そして現代への影響について詳しく解説します。ローマ帝国を滅亡させたゴート族や後のフランスを作ったフランク族、現在のイギリスに渡ったアングロサクソン族、アフリカに渡ったヴァンダル族など様々な部族に触れていきます。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:39 ゲルマン民族の起源と歴史
03:45 ゲルマン部族の紹介
03:58 西ゴート族
04:35 東ゴート族
05:08 フランク族
05:44 アングロ・サクソン族
06:14 ヴァンダル族
07:07 ゲルマン民族の文化と社会
07:26 政治制度と法
08:19 宗教と神話
09:00 日常生活と風習
09:45 結婚と家庭
10:06 祭りと儀式
10:26 まとめ
ゲルマン人とスラヴ人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!言語、文化、遺伝子の違いとは?
History hub 2025/01/25
https://www.youtube.com/watch?v=pbEXeHI_hQs
この動画では、ヨーロッパ史におけるゲルマン人とスラヴ人の違いをわかりやすく解説しています。ゲルマン人は北ヨーロッパを起源とし、ローマ帝国崩壊に関与した戦士文化と秩序重視の性格が特徴。一方、スラヴ人は東ヨーロッパから農耕文化を広げ、感情豊かで情熱的な性格を持つ民族です。遺伝学的には、ゲルマン系に多い「R1b」や「I1」、スラヴ系に多い「R1a」といったハプログループが祖先の移動や混血の歴史を示しています。現代では、ゲルマン系は技術革新や効率性、スラヴ系は芸術や精神性で世界に影響を与えています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもゲルマン人とスラブ人って何者?
03:33 第二章:どうやって広がった?
09:50 第三章:言語の違い
11:56 第五章:遺伝的な違い
14:53 まとめ
なぜヴァイキングはスラブ人を奴隷にしたのか?恐怖の人●売買ネットワークとは?アフリカまで送られていた!?
History hub 2025/02/08
https://www.youtube.com/watch?v=zYPfNNYP2T0
この動画では、バイキングによるスラヴ人の奴隷化について解説しています。ヴァイキングたちは8~11世紀に、スラヴ人を略奪し奴隷として捕らえ、イスラム世界やビザンツ帝国へ輸出しました。奴隷は農業や建設、家庭内労働、さらには軍事目的で使用され、当時の経済を支える重要な存在でした。一方、スラヴ人社会はこの困難を乗り越え、後の強力な国家形成へと繋がりました。また、ヴァイキングの奴隷貿易は後の大西洋奴隷貿易の基盤となり、歴史に大きな影響を与えました。このテーマは、歴史を通じて倫理や人権について考えるきっかけを与えてくれます。
00:00 イントロ
00:34 第一章:ヴァイキングの奴隷貿易
02:30 第二章:なぜスラヴ人がターゲットに?
05:10 第三章:奴隷としてのスラヴ人の運命
08:43 第四章:ヴァイキングの視点
11:37 第五章:歴史的な影響
14:27 まとめ
ケルト人はどこからやって来たのか?そして、どこへ消えたのか?現代に残るDNAとは?
History hub 2025/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=pFfydcacSx4
ケルト人は、特定の民族ではなく、ヨーロッパ全土に広がった文化・言語グループであり、中央ヨーロッパのハルシュタット文化から発展した。彼らは戦士として勇敢でありながら、金属加工や交易にも長け、ドルイドと呼ばれる知識人が社会を支えていた。しかし、紀元前1世紀にローマ帝国の侵攻を受け、ガリアなどでは支配される。一方、アイルランドやスコットランドではケルト文化が存続。中世以降もゲルマン人やノルマン人の侵攻を受けたが、ケルトの言語や音楽、神話は現代に残り、アイルランドの伝統やファンタジー文化に影響を与えている。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:38 第一章:ケルト人ってそもそも誰?
03:10 第二章:ケルト人の起源はどこ?
05:27 第三章:ケルト人はどんな暮らしをしていた?
07:58 第四章:ケルト人はどこへ消えた?
11:10 第五章:現代に残るケルト人のDNA
13:34 まとめ
ケルト人とゲルマン人の違いとは?ヨーロッパの2大民族!あなたはどっち派?
History hub 2024/11/08
https://www.youtube.com/watch?v=doQp6FbN7O4&list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8&index=1&t=69s
この動画では、ケルト人とゲルマン人の違いや共通点について解説しています。ケルト人はアイルランドやフランスなどに広がり、自然崇拝や芸術を重視していたのに対し、ゲルマン人はドイツや北欧に住み、実用性や戦士文化を重んじていました。宗教面では、ケルトはドルイド教、ゲルマンは北欧神話を信仰し、戦士としての誇りが共通していました。また、両民族ともに部族社会を形成し、ローマ帝国と激しく対立しましたが、自然との共生や戦士の価値観が共通していた点も強調されています。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:31 第一章:ケルト人とは?
02:26 第二章:ゲルマン人とは?
04:43 第三章:ケルト人とゲルマン人の違いはどこにある?
09:09 第四章:両民族の共通点は?
12:43 まとめ
ヴァンダル族 : 破壊者と呼ばれたゲルマン民族!アフリカへの進出、ローマへの侵攻、なぜ滅亡したのか?【歴史解説】
History hub 2024/10/04
https://www.youtube.com/watch?v=y2_E1v9gasU&t=0s
この動画では、古代ゲルマン部族「ヴァンダル族」の歴史を解説します。彼らはローマ帝国末期にローマを略奪し、「ヴァンダリズム=破壊行為」の語源となりましたが、実際には無秩序な破壊者ではなく、宗教施設などは慎重に扱ったとされています。ヴァンダル族はローマ略奪後、北アフリカに王国を築き、地中海で一時的に強力な勢力を誇りました。しかし、ビザンチン帝国により滅ぼされ、その後歴史の表舞台から消えました。ヴァンダリズムの誤解と彼らの真実に迫ります。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:28 第一章:ヴァンダル族って誰?
01:43 第二章:北アフリカのヴァンダル王国
05:51 第三章:ローマへの一撃
07:56 第四章:ヴァンダリズムの誤解
10:29 第五章:ヴァンダル族の結末とその後の影響
12:00 まとめ
なぜアングロサクソン人はイギリスに渡ったのか?イギリス人の基礎を作った民族!彼らの起源とは?
History hub 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=CtOQ8sS3WjM
▼チャプター
00:00 イントロ
00:37 第一章:そもそもアングロ・サクソン人って誰?
02:23 第二章:なぜイギリスに渡ってきたのか?
04:47 第三章:イギリスに根付いたアングロサクソン文化
07:59 第四章:現代への影響
11:46 まとめ
東欧はなぜ美女が多いのか?スラブ系、ゲルマン系、アジア系民族などの遺伝子的背景や歴史と文化、そして地理的影響を探る【歴史解説】
History hub 2024/07/06
https://www.youtube.com/watch?v=8Vbui05yCog&t=0s
この動画では「東欧はなぜ美女が多いのか?」を歴史的背景や文化、生活習慣を交えて解説しています。東欧は西ヨーロッパとアジアの中間に位置し、多くの異なる文化や民族が交差する場所です。この地域の多様な民族が混ざり合い、美的特徴が豊かになりました。また、東欧の歴史では戦争や移民が多く、異なる遺伝子が交わった結果、多様な美が生まれました。さらに、伝統的な民族衣装や自然素材を使った美容法、フィットネス文化が美しさを育んでいます。現代でも、東欧の女性たちはソーシャルメディアやミスコンテストで美しさを発信し続けています。美の秘訣は、歴史、文化、日常の努力が絶妙に融合している点にあります。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:21 美の基準と文化的背景
01:08 第一章 : 東欧の地理と民族の多様性
03:10 歴史的背景
03:31 戦争と制服
04:20 移住と交易
05:08 民族の融合
06:01 美容と健康の文化
06:20 伝統的な美容法
07:44 精神的な健康
08:32 遺伝子の多様性
08:47 歴史的な混血
09:30 遺伝子の多様性と健康
09:57 現代の遺伝子研究
10:33 独自の意見
11:49 まとめ
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ハプログループ E (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/185.html
ハプログループ I (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/183.html
ハプログループ J (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/184.html
ハプログループ R1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/182.html
ハプログループ R1b (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/187.html
ハプログループ D1a2a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html
ハプログループ C1a1 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/174.html
ハプログループ C2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html
ハプログループ O1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/200.html
ハプログループ O1b2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html
ハプログループ O2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/177.html
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インド・イラン語派やバルト・スラブ語派のアーリア人の Y染色体は R1a
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007379
ケルト人、バスク人やゲルマン系アーリア人の Y染色体は R1b
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007380
イエスのY染色体ハプログループは J2
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007464
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History hub - YouTube
https://www.youtube.com/@world-history-hub/playlists
https://www.youtube.com/@world-history-hub/videos
民族- YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWAZZMMmNfCu9sDp-NwleBY8
ユダヤ人の歴史 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWBAmDyQuCGSqMh9NxVReobk
ローマ帝国 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWA5dRmLMV0AuDDW_X3pZ0Zc
中世ヨーロッパ - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWA__X9fCza4sF8JcvQKZrli
モンゴル帝国 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWBWPXwtTx7igPaAtMfqvmGm
大航海時代 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWBsIDL1ncVVpsOZli5vVRfs
偉人シリーズ - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWAcA1v9t6tUMY7B7FmALhhr
イエス・キリスト生涯 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL_pdCFD9hNWB2oW6neHhI1Ra5bJ9cnkJ4
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【ヨーロッパ】ラテン人・ゲルマン人・スラヴ人の違い!ヨーロッパ三大民族の言語・文化・宗教
世界史解体新書 2025/04/26
https://www.youtube.com/watch?v=yFrJeinYiuA
2025/08/11 (Mon) 03:16:04
ウェールズ人はなぜ他のイギリス人と違うのか?古いDNAが残った理由とは?見た目や気質は違うの?
History hub 2025/08/10
https://www.youtube.com/watch?v=kc69RRBWpC4
▼チャプター
00:00 イントロ
00:24 第一章:ウェールズ人って何者?
03:12 第二章:ウェールズ人のルーツとは?
07:40 第三章:なぜウェールズだけが古いDNAを保ったのか?
10:29 第四章:他のイギリス人とのDNAの違い
13:54 第五章:古いDNAが現代に与える影響
2025/08/12 (Tue) 16:29:32
激しい差別と複雑な思い…アイヌ民族 日本兵として戦場へ、「戦争と差別」その先にある願い【報道特集】
TBS NEWS DIG Powered by JNN 2025/08/10
https://www.youtube.com/watch?v=w4dtBQtrauI
2025/08/18 (Mon) 02:42:49
РТНС from TOR and FREENET
j1d.ca/_J #or# put2.me/muhcsh
4ty.me/ibhi7c #or# tt.vg/URoSx
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000A000782
2025/08/23 (Sat) 08:25:49
青い目はどこからきたのか?DNAの変異とは?本当は青くない?青い目が広がった意外な理由とは?
History hub 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=cZJIq3qoM2M&t=36s
青い目はなぜ存在するのか?その不思議な起源から、進化の過程、そして現在どれほど希少なのかまでを、科学とユーモアを交えてわかりやすく解説します。6000〜10000年前、黒海北岸で起きたたったひとつの遺伝子変異が、なぜ現代にまで受け継がれているのか?ビタミンD説、モテ要因説、偶然説…複数の仮説を紹介しながら、「青い目は消えてしまうのか?」という未来の話にも踏み込みます。目の色にまつわる進化のミステリー、のぞいてみませんか?
▼チャプター
00:00 イントロ
00:36 第一章:青い目ってそもそも何?
03:23 第二章:青い目はどこから来たの?
06:15 第三章:どのように広がっていった?
12:34 第四章:文化と迷信の青い目
15:38 第五章:青い目は絶滅する?
18:01 まとめ
2025/08/23 (Sat) 09:37:13
【人類最古の文明】シュメール人とは何者だったのか?
大人の教養TV 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=dcSvmv33X8o
00:00 オープニング
01:42 メソポタミア文明概要
04:23 都市国家
06:12 楔形文字
09:59 法律
13:53 神話
16:18 文字使用例
19:06 星座
21:06 シュメール人の謎
25:06 シュメール人の滅亡
26:03 日本人の起源はシュメール人説
27:42 ドントテルミー荒井の見解
“妄想抜き” で語る【シュメール人】
大人の教養TV 2nd 2025/08/22
https://www.youtube.com/watch?v=QwIAJ0NEojY
パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した | ■↑▼ |
2023/11/08 (Wed) 06:11:56
重信メイ氏出演!『パレスチナの深層』(2月23日(祝・金)21時~生配信)
エアレボリューション レギュラー出演:島田雅彦(作家)白井聡(政治学者)
https://www.youtube.com/watch?v=wPpbcnI8f9k
レバノン・ベイルート生まれの中東問題専門のジャーナリスト・重信メイさんがゲスト。
他のメディアでは知ることのできない重信メイさんが語るパレスチナの深層。
伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と世界情勢
https://www.youtube.com/watch?v=q6s0o1P_XfY
キリスト教シオニズム
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14082175
キリストの再臨とアメリカの政治
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14007057
特番『越境3.0Ch 石田和靖氏登場! ”中東”は世界の中心になる!?~ガザ紛争の裏側とは~』ゲスト:越境3.0Ch 石田和靖氏
2024/06/23
https://www.youtube.com/watch?v=YEZFZC-OhV8
【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第22回「アメリカをイスラエルの用心棒に作り替えたキリスト教シオニズム百年史 / 欺瞞の殿堂ヒロシマ 他」[桜R5/1/21]
https://www.youtube.com/watch?v=k7Gj1zNE6zk
36:56 からキリスト教シオニズムの解説
出演:林千勝(近現代史研究家・ノンフィクション作家
イスラエルの核戦略
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16824037
ハマスはモサドが作り、支援している似非テロ組織
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14154285
ハマスによるイスラエル総攻撃、その前にイスラエルがやった事
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=14153380
米国の世界戦略を実現、さらにガザ沖に天然ガスを奪うこともガザで虐殺する理由
https://a777777.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=16822342
【ニコニコは概要欄】【録画】年末特番「激動の2023年!山口敬之さんと語る、揺れる岸田政権の行方は!?政治経済、外交、戦争、米国大統領選挙」松田政策研究所代表 松田学 × ジャーナリスト 山口敬之氏
https://www.youtube.com/watch?v=YCkuXjSrv1M
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2023.11.08XML
パレスチナ問題は米英帝国主義と旧約聖書カルトが生み出した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311080000/
パレスチナ問題は1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言された時から始まる。多くのアラブ系住民が住む土地へ外部からシオニストが乗り込み、先住の民を殺し、追い出して「ユダヤ人の国」を作り上げたのだ。ヨーロッパから移住してきた人びとが先住民である「アメリカ・インディアン」を殺戮してアメリカが作られた過程に似ている。
シオニストとはエルサレムの南東にあるシオンの丘へ戻ろうというシオニズム運動の信奉者で、ユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えている。その地域を実際に支配しようとしてきた。いわゆる「大イスラエル構想」だ。ユダヤ教の宗教書であるトーラー(キリスト教徒が言う旧約聖書のうちモーセ5書)がその根拠だとされている。
シオニズムという用語はウィーン生まれのナータン・ビルンバウムが1864年に初めて使ったという。そして1896年にはセオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本を出版している。
シオニストはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えているが、現在のイスラエルにもそう主張している人たちがいて、その計画は「大イスラエル構想」と呼ばれている。この構想はプロテスタントが言い始めたのだとも言われている。
しかし、トーラーによると、土地を所有しているのは神であり、ユダヤ教徒はトーラーを守るという条件の下でその土地に住むことを許されたのだという。大イスラエル構想はプロテスタントが言い始めたのだとも言われている。シオニストが行っていることはトーラーの記述とは合致しないと指摘する人もいる。
イスラエルを建国させたのはイギリスの支配層であり、現在、支えているのはアメリカ。そのアメリカでは先住民が虐殺され、土地が奪われていたが、1830年にはアンドリュー・ジャクソン大統領が「インディアン排除法」(日本では「インディアン移住法」と言い換えている)に調印している。
1861年から65年にかけての南北戦争を経て1890年にはウンデット・ニーで先住民の女性や子供が騎兵隊に虐殺されるという出来事があったが、この時点における先住民の人口は約25万人。クリストファー・コロンブスがカリブ海に現れた1492年当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。数字に幅があるのは、何人虐殺されたか不明だからだ。生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。
アメリカで民族浄化が進められていた1838年、イギリス政府はエルサレムに領事館を建設している。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査。アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。
1917年11月2日、イギリス外相だったアーサー・バルフォアはウォルター・ロスチャイルドに書簡を出す。その中で「ユダヤ人の国」を建設することに同意すると書かれている。
1920年代に入るとパレスチナでアラブ系住民はそうした動きに対する反発が強まり、それを抑え込むため、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成する。そしてアイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用することになる。この組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名だった。
1948年5月にイスラエルの建国が宣言されたが、ナチスの弾圧でドイツから逃げ出したユダヤ人の大半はアメリカやオーストラリアへ向かい、パレスチナを目指した人は少なかった。そこでイラクに住んでいたユダヤ人に対するテロを実施、イスラエルへ向かわせた。
シオニストの計画が順調に進んだとは言い難いが、彼らには強力なスポンサーが存在した。多額の資金を提供していた富豪の中には、エドモン・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグが含まれている。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012)
ライオネル・ド・ロスチャイルドと親しかったベンジャミン・ディズレーリは1868年2月から12月、74年2月から80年4月まで首相を務めているが、この政治家のロシア嫌いとユダヤ人支持は有名。ディズレーリが1875年にスエズ運河運河を買収した際、資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドだった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018)
1880年代に入るとエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめた。この富豪はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドの祖父にあたる。
ベンヤミン・ネタニヤフ首相の父親ベンシオンが秘書を務めていたウラジミル・ヤボチンスキーは帝政ロシア時代のオデッサ(現在はウクライナ領)で生まれ、ウクライナで彼は独立運動を率いていたシモン・ペトリューラと連携している。ロシア革命の後、ペトリューラは大統領を名乗るが、その時期にペトリューラは3万5000人から10万人のユダヤ人を虐殺したという。(Israel Shahak, “Jewish History, Jewish Religion,” Pluto Press, 1994)
1925にヤボチンスキーは戦闘的なシオニスト団体である「修正主義シオニスト世界連合」を結成。その流れの中からリクードも生まれた。1931年にはハガナから分かれる形で「イルグン」が組織されるが、その後、ヤボチンスキーはパレスチナに住むユダヤ人に対し、イギリス軍へ参加するように求めた。
これに反発したアブラハム・スターンはイルグンを飛び出し、1940年8月に「ロハメイ・ヘルート・イスラエル(レヒ)」を新たに組織する。創設者の名前から「スターン・ギャング」とも呼ばれている。
レヒの創設とほぼ同時にヤボチンスキーはニューヨークで心臓発作のために死亡、その後継者に選ばれたのがメナヘム・ベギン。後のイスラエルの首相になる人物だ。
イスラエルを建国するため、シオニストは1948年の4月上旬に「ダーレット作戦」を開始、ハガナの手先としてイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲撃、住民を虐殺した。
襲撃の直後に村へ入った国際赤十字の人物によると、住民254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)
こうした虐殺に怯えた少なからぬ住民は逃げ出した。約140万人いたアラブ系住民のうち、5月だけで42万人以上がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。国連は1948年12月11日、パレスチナ難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。
その間、1948年5月20日に国連はフォルケ・ベルナドットをパレスチナ問題の調停者に任命した。彼は6月11日から始まる30日間の停戦を実現したものの、7月8日に戦闘が再開され、9月17日にはスターン・ギャングのメンバーに暗殺された。
こうして誕生したイスラエルを日米欧は支援、先住民であるパレスチナ人をテロリスト扱いしている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311080000/
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2023.11.06XML
キリスト教シオニストが支えるネオコンとリクード
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311060000/
10月7日にパレスチナの武装グループがイスラエルを陸海空から攻撃した頃、アメリカのジョー・バイデン大統領とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は窮地に陥っていた。
アメリカはネオ・ナチを使い、ウクライナでロシア軍と戦っていたが、アメリカ側の敗北を隠しきれなくなっていた。スキャンダルまみれのバイデンにとって致命的だ。汚職事件で逮捕、起訴は免れないと言われていたネタニヤフも追い詰められていた。
しかし、ガザでの戦闘によってバイデンとネタニヤフは一息つくことができたとは言えない。バイデン政権とネタニヤフ政権は事前に攻撃計画を知っていた可能性が高いのだが、その後、イスラエルはパニックに陥っているとしか考えられないのだ。
冷静に考えれば、ハマスの攻撃を強調すべきなのだが、ガザで無差別攻撃を始め、1万人以上の市民をすでに殺したと見られている。そのうち約4割は子どもで、子どもの死体を写した写真、映像が世界へ発信されている。そうした情報が漏れることを防ぐため、インターネットを遮断したが、それでも漏れる。イスラエルがガザで住民を大量殺戮していることを世界の人は知った。
ネタニヤフはリクードの政治家だが、1970年代までイスラエルにおけるリクードやその主体になった政党の影響力は大きくなかった。リクードをイスラエルにおける政治の中心に押し出したのはアメリカのキリスト教福音主義者(聖書根本主義者)だ。
この宗派はアメリカを「神の国」、アメリカ軍を「神軍」だと信じていた。神軍であるアメリカ軍はベトナム戦争で簡単に勝てると考えていたのだが、勝てない。その実態を多くのアメリカ人は1968年1月のテト攻勢で知ることになった。ベトナム戦争に反対していたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたのは1968年4月4日。同年6月6日にはキングと親しかったロバート・ケネディも暗殺されている。
そうした時、福音主義者を引きつけたのがイスラエルだ。同国の軍隊は1967年6月5日から6日間でアラブ諸国の軍隊を蹴散らしてヨルダン川西岸とガザを占領、約43万9000人の新たなパレスチナ難民がヨルダン川東岸へ移動している。ちなみに、この時にゲリラ戦でイスラエル軍を苦しめたのがファタハである。
今回のガザ攻撃もネタニヤフ政権を支援しているキリスト教シオニストはネオコンとも結びついている。このネオコンが台頭したのは1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権の時代だ。
ネオコンは米英金融資本とも結びついているが、 「ユダヤ人の国」の建設にも金融資本は重要な役割を果たした。1917年11月2日、イギリス外相だったアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を送り、その後、先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を弾圧する一方でユダヤ人の入植を進めた。
1920年代に入るとパレスチナでアラブ系住民の反発が強まり、デイビッド・ロイド・ジョージ政権で植民地大臣に就任したウィンストン・チャーチルはパレスチナへ送り込む警官隊の創設するという案に賛成、アイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーを採用することになった。隊員の多くは第1次世界大戦に従軍した後に失業した元イギリス兵で、違法な殺人、放火、略奪など残虐さで有名になった。イギリス政府はその働きを評価、パレスチナへ投入したのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311060000/
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2023.10.10XML
パレスチナ人虐殺から始まったイスラエルの歴史
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310090001/
ベンヤミン・ネタニヤフがイスラエルの首相に就任したのは昨年12月。その4カ月後にイスラエルの警官隊がイスラムの聖地であるアル・アクサ・モスクに突入、10月3日にはイスラエル軍に保護されながら同じモスクへ832人のイスラエル人が侵入10月3日にはイスラエル軍に保護されながら同じモスクへ832人のイスラエル人が侵入した。イスラム教徒に対する強烈な挑発だ。ネタニヤフ首相、そして彼の後ろ盾が新たな戦争を望んでいた可能性は高い。そして10月7日、ハマスがイスラエルを陸海空から奇襲攻撃したわけだ。
アメリカやイスラエルを支配する私的権力にはガザを消滅させたい理由がある。イスラエル北部で推定埋蔵量約4500億立方メートルの大規模なガス田を発見したとノーブル・エナジーが発表したのは2010年。USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると、エジプトからギリシャにかけての海域には9兆8000億立方メートルの天然ガスと34億バーレルの原油が眠っている。そのエネルギー資源を売るマーケットとしてヨーロッパが想定されたはずだ。ライバルはロシアということになる。
ネタニヤフ首相の父親、ベンシオン・ネタニヤフは1910年3月にワルシャワで生まれ、40年にアメリカへ渡った。そこで「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ヤボチンスキーの秘書を務めている。その年にジャボチンスキーは死亡、ベンシオンは第2次世界大戦後にコーネル大学などで教鞭を執った。
ヤボチンスキーに接近したひとりにレオ・ストラウスという人物がいる。1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にヤボチンスキーのシオニスト運動に加わったのだ。このストラウスは後にネオコンの思想的な支柱と言われるようになる。カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート****主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997)
ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003)
1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になった。
ストラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていたが、その判断が間違っていたことはその後、明確になっている。
ヤボチンスキーの系譜に属すネタニヤフ親子やネオコンはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域を支配しようとしている。「大イスラエル構想」だ。
シオニストは地中海の東岸に「イスラエル」を建国しようとする。この計画に歴史的な裏付けがないだけでなく、そこには多くのアラブ系の人びとが住んでいた。
その住民を排除するため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動、8日にデイル・ヤーシーン村でアラブ系住民を虐殺している。アラブ人を脅し、追い出そうとしたのだ。この作戦が始まるまでにエルサレム旧市街の周辺へユダヤ人が集中的に移民、人口の3分の2を占めるまでになっていた。この作戦は1936年から39年にかけて行われたパレスチナ人殲滅作戦の詰めだったという見方もある。
ダーレット作戦はハガナ(ユダヤ人の武装グループで、後にイスラエルの国防軍になった)が中心になって実行されたが、その副官を務めていたイェシュルン・シフがエルサレムでイルグンのモルデチャイ・ラーナンとスターン・ギャングのヨシュア・ゼイトラーに会い、ハガナのカステル攻撃に協力できるかと打診している。イルグンとスターン・ギャングは協力することになる。
まず、イルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンという村を襲うが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近く、攻撃しやすかったからだという。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃するプランだった。
8日にハガナはエルサレム近郊のカスタルを占領、9日午前4時半にイルグンとスターン・ギャングはデイル・ヤシンを襲撃する。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺され、家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされている。
襲撃直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性、35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官だったアラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)
この虐殺を知ったアラブ系住民は逃げ出す。約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人。そして5月14日にイスラエルの建国が宣言された。国際連合は同年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。そして同年5月14日にイスラエルの建国が宣言された。アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日からだ。
アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は故郷を追われて難民化したパレスチナ人に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持していたのだ(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)が、1963年11月22日に暗殺されてしまった。
それに対し、アメリカ、イギリス、フランスなど西側諸国を支配する私的権力はイスラエルを支援してきた。そうした支援がなければイスラエルは存在できない。イスラエルはスエズ運河を守り、中東全域に目を光らせる欧米支配層の前方作戦基地だという見方もある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310090001/
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【山崎行太郎チャンネル】ハイデッガーとナチズムについて。
森哲子事務所 2024/05/15
https://www.youtube.com/watch?v=FY1DCBPhygU
【山崎行太郎チャンネル】《イスラエルとパレスチナの《戦争》なんて知らないよ。》
森哲子事務所 2023/10/14
https://www.youtube.com/watch?v=KussfI4jWDA
【山崎行太郎チャンネル】ナチズムからシオニズムへ。パレスチナの《ガザ地区》こそ現代の《ガス室》ではないか。
森哲子事務所 2023/10/22
https://www.youtube.com/watch?v=nbzbWFdqtb0
【山崎行太郎チャンネル】イスラエル亡国論。イスラエルの戦争敗北の可能性について。
森哲子事務所 2023/10/29
https://www.youtube.com/watch?v=VYfZL9KEI_k
【山崎行太郎チャンネル】TBSの戦場ジャーナリスト須賀川拓記者は、イスラエルの情報工作の手先だろう。
森哲子事務所 2023/11/07
https://www.youtube.com/watch?v=5ZtmkYwIo1A
【山崎行太郎チャンネル】ネタニヤフかヒットラーか、どちらが最高のワルか。
森哲子事務所 2023/11/12
https://www.youtube.com/watch?v=AmgthBZMdWg
【山崎行太郎チャンネル】大石あきこの《イスラエル批判》を徹底擁護する。
森哲子事務所 2023/11/25
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【山崎行太郎チャンネル】爆笑。従米売国派=飯山あかり大批判。
森哲子事務所 2024/01/02
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【山崎行太郎チャンネル】飯山あかりと長谷川幸洋。ネットウヨ系文化人たちの馬鹿騒ぎ。
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【山崎行太郎チャンネル】飯山バカリンさん、お薬の時間ですよ。
森哲子事務所 2023/11/22
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【山崎行太郎チャンネル】広瀬めぐみと飯山あかりについて。
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2025/02/05 (Wed) 11:33:13
石田和靖 トランプ×ネタニヤフ首脳会談[桜R7/2/5]
https://www.youtube.com/watch?v=GmYFqZfAOjs
2025/02/06 (Thu) 12:10:52
【緊急ライブ】"所有と再建" トランプの危険なガザ 計画
【越境3.0チャンネル】石田和靖
https://www.youtube.com/watch?v=857dj1BiZn0
2025/05/13 (Tue) 04:00:42
РТНС from TOR and FREENET
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2025/06/11 (Wed) 08:51:23
2025.06.09XML
対ロシア戦争に執着しているイギリスはシオニズム発祥の国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202506090000/
ロシア軍は6月6日、ウクライナに対する大規模な高精度長距離ミサイルや攻撃用ドローンを用いた大規模な攻撃を実施しはじめた。攻撃目標はウクライナ軍の設計局、兵器などを生産したり修理する企業、攻撃用ドローンの組立工場、飛行訓練センター、そして兵器や軍事装備品の倉庫だ。激しい攻撃の様子は西側の有力メディアも伝えている。
ウクライナの治安機関SBUが6月1日に約120機のドローンでロシアの戦略核基地、つまりオレニャ(ムルマンスク)、ベラヤ(イルクーツク)、イバノボ(イバノボ)、ディアギレフ(リャザン)、ウクラインカ(アムール)の基地を攻撃、またロシアのクルスクやブリャンスクで鉄道に対する破壊工作を仕掛けしたことに対する報復だとされている。
いずれの攻撃もSBUが単独で行うことは不可能。地上での情報収集だけでなく、衛星からの目標に関する情報収集も必要。その目標へドローンを誘導するのも衛星だ。イギリス、フランス、ドイツなどの情報機関が共犯関係にあることは間違いない。こうした攻撃をドナルド・トランプ米大統領はウラジミル・プーチン露大統領に対し、知らなかったと発言したそうだが、情報機関は知っていたはずだ。トランプの発言が事実ならば、クーデターが進行中なのか、地下政府が指導したということになる。
ソ連が消滅した1991年12月、アメリカの軍事と外交をコントロールしてきたネオコンは世界制覇プロジェクトを始めているが、彼らがホワイトハウスで完全に主導権を握るのは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後だ。
ソ連消滅後、ロシアは米英の強大な私的権力の植民地と化していたのだが、21世紀にウラジミル・プーチンを中心にロシアが動き始めてから再独立ヘ向かう。そこでネオコンたちはロシアを再植民地化しようとするのだが、思惑通りに進まない。その間、NATOを東へ拡大して圧力をかけるが、その結果、2014年2月にウクライナで戦争が始まる。
この戦争はクーデター政権と反クーデター派住民との内戦という形で始まったが、ネオコンにとってウクライナ制服は対ロシア戦争の一環にほかならない。NATOがウクライナに入ることをロシアが許さないことは明白であり、大規模な戦争に発展することも想定できた。
対ロシア戦争の中心にはネオコンがいるのだが、そのネオコンはシオニストの一派であり、東ヨーロッパで「修正主義シオニズム」を作り上げたウラジミル・ジャボチンスキーと関係が深い。
ジャボチンスキーは第1次世界大戦が始まるとイギリス軍の「ユダヤ人部隊」に参加、パレスチナがイギリスの委任統治領になると、そこで「ユダヤ人」の秘密部隊として「ハガナ」を組織。後にハガナが中核となり、イスラエル軍が編成されることになる。彼が「修正主義シオニズム」を創設するのは1925年のことだ。
ジャボチンスキーは死の直前、アメリカで住んでいたが、その時代に彼の秘書を務めていたベンシオン・ネタニヤフは現在、イスラエルの首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフ。1970年代にイスラエルで台頭した政党リクードは修正主義シオニズムの政党である。
シオニズムとは「シオンの地」へ帰るという考え方なのだが、ナチス時代のドイツでも「シオンの地」とされているパレスチナへ行きたいと考えるユダヤ教徒/人は少数だった。そもそもユダヤ人がシオニズムを言い始めたわけでもない。
一般的に「近代シオニズムの創設者」とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだが、その前からシオニズムという考え方は存在した。海賊行為で富を蓄積していたエリザベス1世の時代、イングランドに出現した「ブリティッシュ・イスラエル主義」が始まりだと考えられている。
その当時、イングランドの支配層の間で、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信じ、人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているという妄想が広まっていた。
イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。
その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたとされている。クルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可したが、稼ぎ方を海賊行為から商取引へ切り替えるためだった灯されている。ユダヤ人は商取引や金貸しに長けていた。
エリザベス1世が統治していた1593年から1603年にかけてイングランドはアイルランドで現地の連合軍と戦闘、勝利する。アイルランドを率いていたヒュー・オニールとロリー・オドネルが1607年にヨーロッパ本土へ逃亡するとイングランド王室はアイルランドの先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。
クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧、さらにアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺。侵攻前の1641年には147万人だった人口は侵攻後の52年に62万人へ減少した。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。
ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師は1830年代から宗教活動を始めたが、彼はキリストの千年王国がすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考えていた。
世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということだ。
19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。
このように始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、 パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。
こうして見ると、シオニズムは「ユダヤ人」ではなく、「アングロ・サクソン」が生み出し、イギリスで始まったと言うべきだろう。ガザでの虐殺にしろ、ウクライナでの対ロシア戦争でもイギリスの存在が浮上しているが、これは必然。そのイギリスがアメリカと共同で支配してきたNATOが対ロシア戦争に積極的なのも必然だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202506090000/
2025/08/23 (Sat) 07:08:31
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ジェノサイドと小児性愛の国 イスラエル|
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/08/21/153624
世界の有力者に未成年の女性を提供、 脅していた エプスタイン
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/06/20/015839
中国のハニートラップにかかったロリコンの令和天皇 _ 今上天皇に 関係するプチエンジェル事件の資料
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/08/23/053721
イスラエル・ロビーが米国で行なっている親イスラエル教育 | ■↑▼ |
2024/01/22 (Mon) 17:27:23
伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と世界情勢
https://www.youtube.com/watch?v=q6s0o1P_XfY
2024.01.22XML
イスラエル・ロビーが米国で行なっている親イスラエル「教育」を批判する映画
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202401220000/
ドキュメンタリー映画『イスラエル主義』
昨年アメリカで公開されたドキュメンタリー映画『イスラエル主義』が話題になっている。エリン・アクセルマンとサム・エイラーセンが監督を務めた作品で、イスラエルのパレスチナ人弾圧を正当化するためにアメリカのイスラエル・ロビーが行なっている「教育」を批判している。この映画の上映会を中止させるため、内容が「反ユダヤ主義」だと非難するキャンペーンが繰り広げられたものの、そのキャンペーンを批判する声が上がり、上映は再開されたという。
アメリカにおいて「親イスラエル教育」を推進しているシオニスト勢力の中心に存在しているAIPAC、いわゆる「イスラエル・ロビー」はアメリカの外交政策に大きな影響力を持っていることでも知られている。
シオニストがアメリカでロビー活動を始めたのは1939年のことで、そのために創設された団体がAZEC(米シオニスト緊急会議)。1949年にAZC(米シオニスト会議)へ改称した。
この団体に対し、ジョン・F・ケネディ大統領とロバート・ケネディ司法長官は1963年、外国のエージェントとして登録するように強く求め、公的な立場の人びとへカネを配ることができなくなった。そこで創設されたのがAIPACだ。
そのケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは議会における親シオニスト派のリーダー格だったことからイスラエルに対する政府の圧力は消えた。なお、ロバート・ケネディは1968年6月5日に暗殺されている。
第3次中東戦争
ロバートが殺される前年の6月にイスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンに奇襲攻撃をかけて「第3次中東戦争」が勃発した。その直前、5月30日にイスラエルの情報機関モサドのメイール・アミート長官がアメリカを訪問している。
戦争の最中、6月8日にアメリカ政府は情報収集船の「リバティ」を地中海の東部、イスラエルの沖へ派遣した。この時点でイスラエル軍はエジプト軍を粉砕し、モシェ・ダヤン国防相はゴラン高原の占領を決めている。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)
リバティがイスラエル沖に現れた午前6時、イスラエル軍は偵察機を飛ばすなどしてリバティがアメリかの艦船だということを確認したうえで午後2時5分、3機のミラージュ戦闘機でリバティへの攻撃を開始、ロケット弾やナパーム弾を****した。ナパーム弾を使ったことから乗員を皆殺しにするつまりだったと推測されている。その後、イスラエル軍は艦船への攻撃を繰り返した。
リバティの通信兵は寄せ集めの装置とアンテナで2時10分にアメリカ海軍の第6艦隊へ遭難信号を発信することに成功、それに気づいたイスラエル軍はジャミングで通信を妨害してきた。
遭難信号を受信した第6艦隊の空母サラトガは訓練中で、甲板にはすぐ離陸できる4機のA1スカイホークがあったことから艦長は船首を風上に向けさせて戦闘機を離陸させている。
艦長は艦隊の司令官に連絡、司令官は戦闘機の派遣を承認し、もう1隻の空母アメリカにもリバティを守るために戦闘機を向かわせるように命じるのだが、空母アメリカの艦長がすぐに動くことはなかった。
リバティが攻撃されたことはジョンソン大統領へすぐに報告されのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対して戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。
その後、ホワイトハウス内でどのようなことが話し合われたかは不明だが、3時5分にリバティへ戦闘機と艦船を派遣するという至急電を打っている。この時、リバティは攻撃で大きなダメージを受け、メッセージを受信できない状況だった。
3時16分に第6艦隊の第60任務部隊は空母サラトガと空母アメリカに対して8機をリバティ救援のためへ派遣し、攻撃者を破壊するか追い払うように命令。3時39分に艦隊司令官はホワイトハウスに対し、戦闘機は4時前後に現場へ到着すると報告、その数分後にイスラエルの魚雷艇は最後の攻撃を実行している。そして4時14分、イスラエル軍はアメリカ側に対し、アメリカの艦船を誤爆したと伝えて謝罪、アメリカ政府はその謝罪を受け入れた。アメリカの電子情報機関NSAは交信記録を大量に廃棄、隠蔽工作がすぐに始まる。その責任者に選ばれたのがアメリカ海軍太平洋艦隊の司令官だったジョン・マケイン・ジュニア、つまりジョン・マケイン3世の父親だ。
リバティ攻撃はジョンソン政権の意向だという疑惑がある。この政権で秘密工作を統括していた「303委員会」において、1967年4月に「フロントレット615」という計画が説明されたという。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティや潜水艦は派遣されていた。
この計画の中に含まれる「サイアナイド作戦」はリバティを沈没させて責任をエジプト、あるいはソ連に押しつけて戦争を始めようとしたという推測がある。これが事実なら、ジョンソン政権はトンキン湾事件の再現を狙ったということになるだろう。
リバティの近くにいたアメリカの潜水艦アンバージャックが潜望鏡を使って見ていたとする証言もある。リバティの乗組員も潜望鏡を見たとしている。ただ、記録したはずのデータは見つからない。存在していたとしても破棄されてしまっただろう。
ネオコンの台頭
第3次中東戦争の後、アメリカではシオニストの「ネオコン」が台頭してくる。その後ろ盾になったのが「聖書根本主義者」とも呼ばれるキリスト教シオニストだ。彼らの教義によると、キリストに従う「善の軍勢」と反キリストの「悪の軍勢」が「ハルマゲドン」で最終戦争を行い、人類の歴史は幕を閉じる。その際、再臨するキリストによって自分たちは救われるのだという。ジェリー・フォルウエルなど有名なテレビ説教師の大半がこの説を信じていた。
聖書根本主義者はアメリカ軍を「神の軍隊」だと位置づけていた。ところがベトナム戦争で勝てない。欲求不満の状態になった彼らを惹きつけたのが第3次中東戦争で圧勝したイスラエル軍だった。
フォルウエルを政治の世界へと導いたのはエド・マクティールだ。彼はフォルウエルをロナルド・レーガン、ジェシー・ヘルムズ上院議員、そしてジョージ・W・ブッシュ政権で司法長官を務めたジョン・アシュクロフトに引き合わせている。(Ken Silverstein & Michael Scherer, "Born-Aain Zionist", Mother Jones, September/October, 2002)
ベトナム戦争の敗北はアメリカで戦争反対の気運を高め、1972年の大統領選挙には戦争反対を明確にしていたジョージ・マクガバン上院議員が民主党の候補として選ばれた。これは民主党の支配層にとっても衝撃的な出来事で、党の内部ではヘンリー・ジャクソン上院議員を中心にして、反マクガバンのグループが出来上がる。CDM(民主党多数派連合)だ。
ジャクソン議員のオフィスにはリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、エリオット・エイブラムズ、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキーなど後にネオコンの中核グループを形成する人々が在籍していた。
こうした工作もあり、マクガバンは共和党のリチャード・ニクソンに敗れる。ニクソンはアレン・ダレスに近く、平和的な人物とは言えないのだが、それでもデタント(緊張緩和)を主張する。そこで好戦派は送るのだが、その中にはネオコンも含まれていた。
そのニクソンは1974年8月にウォーターゲート事件で失脚、副大統領だったジェラルド・フォードが昇格、この政権でネオコンは台頭してくる。デタント派がパージされ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニーなどネオコンがホワイトハウスの主導権を握ったのだ。ポール・ウォルフォウィッツがCIAで反ソ連プロパガンダを行なっていたグループ「チームB」に入ったのもこの時だ。こうした人びとはロナルド・レーガン政権で要職に就く。
チームBの活動には国防総省内のシンクタンクであるONA(ネット評価室)が協力したと言われているが、その室長だったアンドリュー・マーシャルはネオコンに戦略を提供してきた人物。ラムズフェルドはこの人物に心酔していた。またマーシャルの師と言われている人物がバーナード・ルイス。ルイスはサミュエル・ハンチントンと同じように「文明の衝突」を主張、シオニストを支持している。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
ラムズフェルドはマーシャルだけでなく、フリッツ・クレーマーなる人物の影響も受けていた。クレーマーはジミー・カーター政権に政府を離れたが、その自宅へ少なからぬ人が出入りしている。例えばCIAのバーノン・ウォルタース、国務長官になるアレキサンダー・ヘイグ、上院議員のヘンリー・ジャクソン、ネオコンのリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツ、そしてラムズフェルド。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)
パレスチナへ向かわなかったユダヤ人
イスラエルを「ユダヤ人の国」だと主張する人がいるが、パレスチナでイスラエルの「建国」が宣言されたのは1948年5月のことだ。この建国を実現するため、シオニストは1933年8月、ドイツのナチス政権とユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意している。「ハーバラ合意」だ。
ナチスはユダヤ人弾圧で六芒星を利用している。六芒星は装飾的なモチーフとして使われていたようだ。ボヘミア王カール4世は1354年、プラハのユダヤ人が六芒星の赤旗を立てることを承認したというが、ユダヤ教やユダヤ人を示すシンボルとして採用されるようになったのは19世紀から。キリスト教における十字架のようなシンボルが必要だと考えたようだ。1897年の第1回シオニスト会議でシンボルとして選ばれた。
シオニズムという語句を最初に使ったのはナータン・ビルンバウムなる人物で、1893年のこと。その3年後に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルが近代シオニズムの創設者とされているのだが、この人物も「旗」を欲しがっていた。「ダビデの星」がユダヤ教やユダヤ教徒の象徴になるのはその後だ。
ドイツからパレスチナへの移住が推進されたものの、ドイツに住んでいる大半のユダヤ系住民はパレスチナへ移住したくない。ナチスの「ユダヤ人弾圧」でドイツに住めなくなっても逃げた先はオーストラリアやアメリカが中心だった。
シオニストは1946年夏までに7万3000人以上のユダヤ人をパレスチナへ運んでいるが、パレスチナへの移住を望むユダヤ人が少なかったため、イラクに住むユダヤ人に対するテロを実行する。「反ユダヤ」感情を演出してパレスチナへ移住されたという。
イスラエルを「建国」するためには「国民」だけでなく、「国土」も必要だが、パレスチナにはアラブ系の人が生活している。その住民を追い出すため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動された。
後にイスラエル軍の中核になるハガナの下、テロ組織のイルグンとスターン・ギャングは4月9日未明にデイル・ヤシン村を襲う。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始され、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺された。家の中に隠れていると惨殺され、女性は殺される前にレイプされている。
襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺されていた。そのうち145名が女性で、35名は妊婦だ。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)
この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ避難、その後1年間で難民は71万から73万人に膨れ上がったと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。いわゆる「ナクバ」だ。現在、イスラエルはガザやヨルダン川西岸で同じことを行おうとしているのだろう。新国家の最大の後ろ盾になった国はエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドが住むフランスだった。国際連合は1948年12月に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。
アメリカのユダヤ人
ナチ体制から逃れたユダヤ人の多くはパレスチナではなくオーストラリアやアメリカへ逃げた。つまり、アメリカではパレスチナに思い入れのあるユダヤ人は多くなかったはずだ。実際、パレスチナを支持するユダヤ系アメリカ人の比率はアメリカ人全体における比率より高いと言われている。
イスラエル・ロビーがユダヤ系アメリカ人の子どもに「イスラエル主義」、つまりシオニズムを叩き込んでいるのはそのためだろう。明治体制が天皇を絶対視させるカルト教育を学校で行なったことを思い出させる。その基盤が「教育勅語」だ。皇国史観は一種の優生論で、アジア蔑視を子どもたちに叩き込んだ。ヨアブ・ギャラント国防相はパレスチナ人を「獣」だと表現しているが、似ている。
日本人の間にアジア蔑視の感情は今も残っている。中国の体制転覆を狙っているアメリカは日本に韓国や台湾と軍事同盟を結ばせたので表面的には反韓国の言動は制限されているようだが、蔑視感情は消えていない。かつてのように学校で叩き込むということはないだろうが、マスコミを通し、イメージは広げられている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202401220000/
2024/08/09 (Fri) 19:35:39
伊藤貫×吉野敏明対談 イスラエルの定義と歴史から見る腐敗しきった政治と世界情勢
【公式】吉野敏明の政経医チャンネル〜日本の病を治す〜 2024/08/09
https://www.youtube.com/watch?v=q6s0o1P_XfY
2024/08/24 (Sat) 14:53:32
2024.08.24XML
米軍はイスラエルを守るために空母2隻を中東へ派遣したが、イランは中露の支援
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408240000/
アメリカ海軍はセオドア・ルーズベルトに続いて2隻目の航空母艦エイブラハム・リンカーンを中東に配置した。イランによるイスラエルへの報復攻撃が不可避であるため、イスラエルを守り、イスラエルに報復する国や組織を攻撃する準備なのだろう。イランは現在、タイミングや攻撃方法を検討しているはずだ。
マスード・ペゼシュキアンの大統領就任式に出席するためにイランを訪問していた暗殺されたハマスの幹部、イスマイル・ハニエを7月31日にイスラエルは暗殺した。同じ日にヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルも殺している。イラン、ヒズボラ、ハマスは連携して報復すると推測する人が少なくない。
一方、イスラエルはそうした報復を待っていると考えられている。ハニエやシュクルの暗殺は報復を誘発するために実行した可能性が高い。単独ではハマスに苦戦、ヒズボラと戦えば負けるイスラエルとしては、アメリカの中東における利権を危うくするような状況を作ることでアメリカ軍を引き込もうとしているとも考えられている。
当然、イランはアメリカ軍が出てくることを想定しているはずで、ロシアや中国と対抗策を練っているだろう。イランはロシアから兵器や情報を提供されているだろう。高性能の防空システムだけでなく対艦ミサイルがロシアからイランへ渡っている可能性もあるのだが、そうした支援がどこまで広がるかが注目されている。イエメンのアンサール・アッラーがロシア製の兵器を手にすることも否定できない。そうなると、アメリカの艦隊が壊滅的な打撃を受ける状況もありえる。
こうした状況を作ってきたイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はベンシオン・ネタニヤフの息子。ベンシオンは「修正主義シオニスト世界連合」を1925年に創設したウラジミール・ヤボチンスキーの秘書を務めていた人物だ。
ヤボチンスキーは帝政ロシア時代のオデッサ(現在はウクライナ領)で生まれ、ウクライナでは独立運動を率いていたシモン・ペトリューラと連携している。ペトリューラは1918年から21年にかけて大統領を名乗るが、その時期に彼は3万5000人から10万人のユダヤ人を虐殺したという。(Israel Shahak, “Jewish History, Jewish Religion,” Pluto Press, 1994)
本ブログでは何度か指摘したが、シオニズムは17世紀のイギリスで生まれたと言われている。プロテスタントの一派であるピューリタンに属していたオリバー・クロムウェルがピューリタン革命を成功させ、アイルランドやスコットランドで住民を虐殺した当時だ。その後、ピューリタンはアメリカで先住民のアメリカ・インディアンを虐殺している。
そのクロムウェルの私設秘書だったジョン・サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。ここからシオニズムが始まるとも考えられているのだ。
イスラエル構想が具体化するのは1917年にイギリスの外務大臣を務めていたアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡からだろう。イスラエルを建国する目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だったとのだろう。運河によって地中海と紅海を感染が行き来できることはイギリスの戦略上、重要だ。そのため、イギリスは先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を弾圧する一方、ユダヤ人の入植を進めた。
1933年にドイツではナチスが国会議事堂放火事件を利用して実権を握るが、この年の8月にシオニストはナチス政権との間でユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意した。「ハーバラ合意」だ。シオニストにとってナチスのユダヤ人虐殺は好ましいことだった。
こうした背景を持つベンヤミン・ネタニヤフは昨年10月にガザで戦闘が始まった直後、パレスチナ人虐殺を正当化するため、「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用している。
「アマレク人」を家畜ともども殺し、その後に「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたと旧約聖書では記述されている。
アマレク人は歴史の上で存在が確認されていないが、この民族をイスラエルが敵視している勢力に重ねて見せた。パレスチナ人が生活していた歴史を破壊で消し去るということだろう。
サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだというのだ。
ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張する。「われわれ」とはイスラエル人、「彼ら」とはパレスチナ人、イスラム教徒、あるいはイスラエル以外の人びとを指している。この段階でネタニヤフはパレスチナ人を皆殺しにすると宣言しているわけだ。シオニストはナチス化していると言えるだろう。
イスラエルにはこうしたネタニヤフを批判する声もあるが、熱狂的な支持者もいる。人口の相当数はそうしたユダヤ人至上主義者だとする見方もある。彼の内閣では終末論的な発言をするカルトが過半数を占め、武装集団を形成している。軍部も手を出せないようだ。こうしたカルトの信者たちは「最終戦争」、つまり地球の破壊を夢想している。キリスト教にもそうしたカルトが存在、両者は連携している。イスラエルのカルトを西側諸国が支援していても不思議ではない。7月24日にネタニヤフ首相はアメリカ議会で演説したが、その際、議員たちは58回に及ぶスタンディング・オベーションを行った。アメリカの議員も正気ではない。
アメリカには平和推進者を装いながら 戦争を推進、虐殺を支援する政治家もいる。民主党の大統領候補であるカマラ・ハリス副大統領は「ガザでの停戦確保に精力的に取り組んでいる」わけではなく、イスラエルへの武器禁輸に反対している。
ハリスの副大統領候補に選ばれたティム・ウォルズは軍事力の削減に反対し、イスラエルに対する軍事援助を支持しているほか、イスラエル・ロビーのAIPACとも良好な関係にある。ウクライナでの戦闘でも彼は好戦的。ウクライナへの軍事援助を支持し、同国の駐米大使から「信頼できる友人」と呼ばれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408240000/
2024/09/04 (Wed) 16:51:57
ユダヤと白人の狂った世界、パレスチナ人は迫害してもいいのか?
2024.09.04
https://www.thutmosev.com/archives/36683.html
「これは”やって良い事だ”」とユダヤ人と白人は必ず言います
それなら彼らはヒトラーも非難できないと思います
https://jp.reuters.com/world/security/IPIV7MFTQVOPLIURU5BQKKTYKI-2023-10-10/イスラエル、ガザ地区に過去最大規模の空爆 境界を掌握 _ ロイター
狂った連中の価値観
報道によると8月28日の水曜日頃、ベルリンのホロコースト記念碑に「ユダヤ人はジェノサイドを犯している」と落書きされパレスチナ国旗と「パレスチナを解放せよ」という落書きも残されていた
なおドイツはパレスチナで無差別攻撃をしているイスラエルに軍事援助し、ドイツの援助によって多くのパレスチナ人がなくなった
落書きの内容には何の間違いもないと思うがドイツ警察は「反ユダヤ」の容疑で捜索を開始し、捕まったら「落書き」ではなく反ユダヤの罪で処罰される
一方でパレスチナホロコーストに加担したメルケルやショルツ首相は当然ながら処罰されず、自分がパレスチナ人だったらユダヤ人やドイツ人を許せないと思うだろう
汚された記念碑は1943年2月、ユダヤ人でないドイツ人数百人(ほとんどが女性)が夫や自分の子供のユダヤ人が拘束されたのに抗議してデモ行進したのを記念したものだった
デモに参加したドイツ女性の多くは拘束されて労働施設に送られて、25人がアウシュビッツに送られて大半はなくなったとみられている
ドイツ人やユダヤ人は「だからユダヤ人には特別な権利がある」と言うのだが、土地や国家や生活を奪われるパレスチナ人には何の関係もない
アンネフランクがどこでどうなろうがパレスチナ人には関係がなく、もしドイツ人はそうしたいのならドイツの領土の半分を「イスラエル」として分譲してやれば良い
ある日どこかから「不幸な人々」が日本に押しかけて来て「我々は不幸だから日本を占領し日本人を追い出す」と言って日本人収容所を作って無差別爆撃を始めたら、あなたは賛成するだろうか?
24年7月にもオランダの首都アムステルダムにあるアンネ・フランク像に「ガザ」との落書きで汚損され、オランダ警察も犯人捜しをしているが見つかっていない
「アンネフランクが不幸な最後を遂げたから、ユダ人はパレスチナ人を無差別に迫害して良い」という考え方は狂っているが、ほとんどのユダヤ人がそう考えている
欧米人のSNSではもっと露骨な差別と迫害が正当化されていて、自分たちはパレスチナ人を「この世から消し去る」権利があると語り合っている
ユダヤ人によるホロコーストは許されるのか?
ユダヤ人と欧米キリスト教徒によるとドイツに迫害されたユダヤ人とイスラエルには関係がないので、ベルリンやアムステルダムの慰霊碑などを汚すのは「絶対に許せない行為」なのだという
では彼らはパレスチナ人を無差別に攻撃し200万人をこの世から消そうとするイスラエルも「許せない」のかというと、こっちはパレスチナ人はテロリストだからパレスチナ人を「許せない」のだという
言う事が最初から狂っているのだが、ユダヤ人がされたホロコーストは「許せない」と言い、ユダヤ人が今やっているホロコーストは当然の権利だと言っている
イスラエルの首相をしているネタニヤフがこの手の典型的な人間で、パレスチナ人全員をテロリストだと言い、だから全員をこの世から消してやると言っている
パレスチナ解放を目指す武装組織のハマスがイスラエルに奇襲攻撃したのは23年10月7日で、イスラエル側に多くの死傷者を出して251人がパレスチナ側に拉致された
イスラエル軍と米情報機関は何度もネタニヤフに攻撃を警告したがネタニヤフは「妄想だ」と言って相手にせず、易々と奇襲攻撃を許した
ガザ地区で平和に暮らしていた200万人のパレスチナ人には何の関係も無い話であり、ハマスの攻撃にイスラエル軍が無能だったので対処できなかっただけです
ネタニヤフは非難の矛先が自分に向けられたので戦時****体制に移行し言論を封じ、ガザ地区に無差別攻撃する事で権力を保った
この辺はヒトラーが失脚を防ぐために侵攻を続けたのと同じであり、****者がよく取る方法で自分を批判する人を「ハマスの手先」だと言って粛清しました
無関係なパレスチナ市民たちはネタニヤフのために無差別攻撃を受け、ほとんどの人が家を失い4万人がなくなり10万人以上が負傷し病院が爆撃されたので治療も受けられない
これを見ても欧米のキリスト教徒らは「大したことではない」と言い、250人の人質が連れ去られたのだから200万人のパレスチナ人を葬るのは当然だと言います
ユダヤ人やドイツ人、欧米キリシタンが言う事はだいたい数字の辻褄が合わないのだが、ハマスという武装組織の1回の攻撃への報復で200万人のパレスチナ人全員を葬るのが「当然だ」という風に考えるのです
これを見ると日本から キリスト教を追放した豊臣秀吉は慧眼だったと思っています
https://www.thutmosev.com/archives/36683.html
2024/10/27 (Sun) 11:41:12
2024.10.24XML
シオニストの行うことは、なぜナチと似ているのか
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202410240000/
イスラエルのシオニストが行なっていることはドイツのナチスが行ったことに酷似している。
イスラエルは虐殺の範囲をパレスチナからレバノンへ広げつつある。昨年10月からガザで殺された住民は4万5000人を超えたと言われているが、そのほか相当数の遺体が瓦礫の下に埋まっている。ガザ保健省によると、その約4割が子どもであり、女性を含めると約7割に達すると言われている。
これだけでも大量殺戮だが、それだけでなくレバノンでも空爆で住民を虐殺しはじめた。ランセット誌が今年7月に掲載した論文は「間接的な死者は直接的な死者の3倍から15倍に及ぶ」と指摘している。当時報告されていた「死者37,396人に直接的な死者1人につき間接的な死者4人という控えめな推定を当てはめると、ガザにおける戦闘による死者は最大18万6000人、あるいはそれ以上」とした。イスラエルに対する怒りは高まっている。
パレスチナやレバノンで大虐殺が止まらないのは「国際社会」、つまりアメリカやその従属国が本気で止めようとしていないからだ。イスラエルは兵器なしに虐殺することはできないが、そのイスラエルへ供給されている武器の69%はアメリカから、30%はドイツから。予想の拠点はイギリスで、キプロス経由で運ばれている。停戦を望んでいると口にしているジョー・バイデン政権だが、行動は逆。つまり戦争を推進している。
こうした虐殺を副次的な被害だと言うことはできない。例えば、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は昨年10月7日にハマスがイスラエルへ攻め込んだ後、「われわれの聖書(キリスト教における旧約聖書)」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用している。そこには神の命令として、「アマレク人」を家畜と一緒に殺した後、「イスラエルの民」は天の下からアマレクの記憶を消し去れと書かれている。パレスチナ人を皆殺しにするだけでなく、歴史から彼らが存在したことを消し去るとネタニヤフは主張しているのだ。
また、サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれているが、これこそがガザやレバノンでイスラエルが行っていることだ。イスラエル政府が行おうとしていることは民族浄化にほかならない。
こうした狂気の政策を推進しているのはネタニヤフ首相のほか、財務大臣を務めるベザレル・スモトリッチと国家安全保障大臣を務めるイタマル・ベン-グビルだとされている。所属政党はネタニヤフがリクード、スモトリッチは宗教シオニスト党、ベン-グビルはユダヤの力。
スモトリッチはパレスチナ人を「人間以下の存在」だと信じ、エルサレムの将来はダマスカスまで拡大すると公言している。大イスラエル構想だ。
ベン-グビルはテロ組織イルグンの一員であったイラクのクルド系ユダヤ人の息子。イルグンは1931年にハガナ(後にイスラエル軍の母体になる)から離脱して組織された。当初、ゼエブ・ジャボチンスキーが率いていたが、ジャボチンスキーが死んだ後はメナヘム・ベギンが率いている。ジャボチンスキーは1940年8月にニューヨークで死亡するが、その時に秘書を務めていたのがベンシオン・ネタニヤフ、つまりベンヤミン・ネタニヤフの父親だ。
ベギンは1913年にロシアのブリスク(現在はベラルーシ)で生まれたが、ここは1919年から39年にかけてポーランド領。1939年当時、ベギンはシオニストの指導者グループのひとりだったが、ポーランドのユダヤ人には嫌悪されていたという。(レニ・ブレンナー著、芝健介訳、『ファシズム時代のシオニズム』法政大学出版会、2001年)
この時期、この場所に限らず、ユダヤ人の大半はシオニズムを支持していなかった。シオニストは1933年8月、ユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることでナチス政権と合意した。「ハーバラ合意」だが、ヨーロッパのユダヤ人は文化も風習も違うパレスチナへ移住したがらない。
そうした中、1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃して多くの人を殺害、収容所へ送り込み始める。この「水晶の夜」以降もユダヤ教徒はパレスチナでなく、アメリカやオーストラリアへ逃れている。後にシオニストはイラクなどに住むユダヤ教徒に目をつけ、テロで脅してパレスチナへ移住させた。
ユダヤ人の多くはシオニズムを支持していなかった。この計画を打ち出したのはイギリスの支配層だ。シオニズムは16世紀の後半、エリザベス1世が統治するイギリスで広がったのである。アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信じる人物が支配層の中に現れたのだ。ブリティッシュ・イスラエル主義である。こうした話を信じた人の中には、スチュワート朝のスコットランド王ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)、そしてオリヴァー・クロムウェルの周辺も含まれていた。
クロムウェルを支援者していた富裕層の中にポルトガル出身のフェルナンデス・カルバジャルというコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教へ改宗した人びと)が含まれていた。そうした関係もあり、クロムウェルは1657年にユダヤ人がイングランドへ戻ることを認めている。イングランドでは13世紀からユダヤ教徒が追放されていた。
イギリス外務省は20世紀初頭、ロシアとドイツを戦わせようと画策している。イギリス外務省はドイツとの戦争に反対していたグレゴリー・ラスプーチン排除するため、1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関SIS(通称MI6)のチームをペトログラードへ派遣。そのメンバーに含まれていたオズワルド・レイナーはオックスフォード大学の学生だった当時からフェリックス・ユスポフ公と親密な関係にあり、流暢なロシア語を話した。
暗殺には3種類の銃が使われているが、トドメを刺したのは455ウェブリー弾。イギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を****できる銃をもっていたのはレイナーだけだった。スティーブン・アリーはユスポフ家の宮殿で1876年に生まれたと言われている。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)
戦争の障害になっていたラスプーチンが排除された後、1917年3月にロシアではメンシェビキ、エス・エル(社会革命党)、産業資本家が革命を成功させ、アレクサンドル・ケレンスキーの臨時革命政府を成立させた。二月革命だ。この政府はドイツとの戦争を継続させる。
この展開を嫌ったドイツは亡命中だったボルシェビキの幹部をロシアへ運び、11月の十月革命に繋がった。その際、シオニストはボルシェビキと対立するが、イギリスのウィンストン・チャーチルたちはシオニストを支援している。
蛇足ながら、「ロシア革命」は二月革命と十月革命、全く別のふたつの革命の総称だ。つまり、「ロシア革命はボルシェビキの革命だ」と言うことはできない。イギリスの金融資本が仕掛けた革命をボルシェビキはドイツの支援で潰してしまったのだ。
その一方、イギリスは中東を支配する拠点として新たな国、サウジアラビアとイスラエルを作り、イギリスやアメリカの金融資本はナチスを資金面から支援していた。ナチスは1918年にドイツで創設された「トゥーレ協会」と関係が深い。協会の名前は北方神話の土地、ウルチマ・トゥーレに由来し、そのシンボルはナチスと同じ鉤十字だ。(Christopher Simpson, "The Splendid Blond Beast," Common Courage, 1995)
キリスト教を生み出したのがユダヤ人だという話を受け入れられないヨーロッパ人の中には、その源流を北極周辺に求める人もいた。そこにはアトランティスという大陸があり、そこから文明は広まっていったというのだ。トゥーレとアトランティスは同じものを指しているとする人もいる。
トゥーレ協会の源流は「ゲルマン騎士団」だとされ、メンバーには多くの貴族が名を連ねていたという。トゥーレ協会が母体となり、1919年に「ドイツ労働者党」が結成され、その翌年には「国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」へ改称される。アドルフ・ヒトラーが指導者となるのは1921年からだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202410240000/
2025/08/23 (Sat) 07:08:03
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ジェノサイドと小児性愛の国 イスラエル|
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世界の有力者に未成年の女性を提供、 脅していたエプスタイン
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中国のハニートラップにかかったロリコン の令和天皇 _ 今上天皇に関係するプチエンジェル事件の資料
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/08/23/053721